ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2010年02月

つらつらと

必死になってやっぱやったら、
なんかついてくるみたいですわー。



 

焦ること

一気に来られても困るが、
全くないというのも困る。

野宿ポイントを探す時のあのジレンマ。
わかる人はわかるが、限定レベルが高い。
だから、比喩って難しいんだ。人の理解感覚の上でしか成り立たない。 

が、焦ることはない。
焦っても仕方がないのだが、人は焦りたくなるものだ。
といって、のんびりしているつもりはない。

かっこよさとは、結局、全然余裕みたいな感じを
出していることじゃないだろうか。たとえ死にそうでも(笑)
でもやせ我慢していると一定の確率でばれるわけで。


起業する前と今では、同じ話でも
全くとはいわないが、かなり違って聞こえる。
何か始める人、始めた人の話は、かなり気付きが多い。

で、現実的なアドバイスとして。
学生で今もやっとしている人がいたとすると、
彼・彼女がいまやるべきことは、やってみたいことで、
無理に仕事とか、社会人云々ってことじゃないかもね、やっぱり。

あと、経験値を積むってことをしておくと、必ずいきる。

けど、どちらにせよ、何か迫力というか、深さがないと、
やっぱ軽いから、ふわっとしちゃうんだよなあ。
それはその人のレベルなのか。頭の良さとは違う属性。

 

点と線的な

それに加えて、本気と必然性、ハングリーを加えてみたい。
例えば、それをやらなくてもいいとか、やる理由がない(これはやらない理由を考えるのがうまい)というのもあるが、
そういったことはよくあることだ。
例えばこうだ。
「あなたはハイチへ支援をしなければならない」
といって、支援をする人は相当のお人好しだと思っている。
最も、これを上っ面だけひろって、支援者=偉いみたいなのはちょっとやめて欲しいし、
逆もある、つまり、別に支援をすることは偽善で、悪いとか、そういうことではない。
バランス感覚は皆持っているというような感じ、はあまり信じていない。
明らかに不器用な人はいるし、器用な人はそもそも「不器用」と認識する前にそれをこなしている。
つまり、全てにおいて絶対的に一歩速い。それは個々の小さな取り組みでは大したことがないが、
チリが積もれば・・・で考えると、一生追いつけない凄さでもある。
さて、点と線は、一般的には、点だけではだめで、線とする。線、面、そして立体、・・・というのが
論じられる。が、実際に点という意識でやる人がどこまでいるかということは
少し考えた方がいい気がしてきた。
つまり、自身またはメンバーとして、何かやっている(社会的でなくもいい、自身の外の話でもいい)人は、
それを「点」だと思っていないから、点になる可能性が高い。
つまり、客観視とかメタ的な捉え方の話で、そうなると、また抽象化の話になりそうだ(笑)
「今やってることって、点だよね」という意識で、点をやれる人は、
実は線になる可能性がある。
さて、そういう線とか点とかなんじゃらほいという人には
わかりやすく説明する気もないのだけど、そういうのは最近だけど「勉強してください」って
言葉が適用できることを覚えたり(笑)
で、点は単発で、線が持続みたいなのもありがちだけど、確かにそのとおりでもある。
最初に戻る。
そういったところで、必然性がまずある。
それを軸とか、やる気?とか、理由づけとか、理念とか、生きている理由にしちゃう人もいるし、
なんでもいい。何か「濃い」「おお?」と思わせるものに転化、ネーミング、または属性付け、
みたいな作業がいるみたいだ。
というのは、必然性というか、必要性。そういうものがなければ、
持続はない。持続とは、結構面白い言葉で、「できてないから持続している」というニュアンスもある。
つまり、成功=失敗をあきらめなければ、的な捉え方があるように、
それがあるということは、全てにおいてまだそれが必要とされるのであり・・・
という堂々巡りパタンになることもある。が、そういうのって結構適当に認知したりして終わっている。
次に本気。
これも必然性にもなるけど、本気というのがやる気とは違うという以上、ここらの説明は省くけど、
そもそもほとんどの人が「本気」になるだけの何かがないってことがある。
さらには、ハングリーとは、そうしなければ死んじゃうとか、追い込みみたいなものもないというか、
そういう感覚がある。
例えば、食えないからダメだとか、そういうことを考えていくと、
実際に追い込まれて動き始める。ニートでなく、自分が自分の手で何かやらんといかんぞ?みたいなことを
思う時、それを気づくといったりするのだけど、そうならない限り、
そもそも「どっかから、何かが、誰かが、制度が、外のものが、若い人が・・・」という話を
している時点で、アウトであり、NGだ。
そんなものは一杯あるから、大いにスルーしてもらいたいところ。
で、本物とかなんとかになってくわけだけど、
でも、そもそも色々な人、良いも悪いも、好きもうざったいも、含めて
失敗もそうだし、そういうことをしないと判断力というのは磨かれることはない。
だから、失敗をしてもいいといえるのだけど、失敗っていいものだと言い切れてしまうかも。
ふわっとしてそのままGoingOnみたいなだったら、
多分そのままでいいんじゃないかと思っている。
これは、あきらめではなく、尊厳だと思っているが、
どうもそういう理解をしてくれる人はなかなかいない。
どちらかといえば、それはあきらめで、自己完結みたいな感覚でとらえる人は多い。
理由は簡単で、そもそも今で、言い切れることを言っているのだから、
どうしてもそうなる。つまり完結系になるのだ。
そうじゃないと、お茶を濁すわけではないが、なんとも歯切れの悪い意見、または考えになる。
・可能性ベクトルの話
可能性ベクトルが小さいと、やれるものがやれないし、パワーも小さくなる。
つまり、可能性というものがビジョンなのか、なんだか分からないが、
ベクトルいう以上パワーがあるんじゃないかと思っている。
ボールを1つもってきて、それをどう使えるか。遊べるか。活用できるか。
座ってもいいし、投げてもいいし、転がしてもいいし・・・。
アイデア次第ってことになるんだけど、そういうアイデアって思いつきがないのでなく、
実行しないとダメなんだよなーとか思っていて、
事実、くだらないアイデアをくだらないねーと言われる前に、やった人が
全てにおいて可能性ベクトルやら、色々なパワーを持っているし、
また影響を及ぼせると思っている。
可能性というよりも、創造や発想などの力になっていくが、
そういうのって、資金x単発=ワッショイみたいなものと比較するしかないのだけど、
ものすごくコストかからずして、人材の育成から、そしてアイデアが実現できるなど
かなり色々なものができて、パワフルに出きていく気がしている。
規模という定量的なものより、やはり規模感、スケール感みたいな、定性的なものが
やっぱいいなあと思った。1億って単に「でかい」って気がするけど、
10回に分割すると、1000万。これでもデカイという人はいるけど、個人レベルで考えるから
そうなるだけで、会社にすれば大きな額とならないことのほうがいい。
会社とは、ここでは集団であり、また社会といってもいい。それくらいの人の密度のパターンを
指しているだけ。
継続して出来るということは、規模でなく、最初に「規模感」みたいな、
つまり、感覚やセンスがそこにある必要があるのではないかと。
この議論はつねに、鶏と卵の話っぽい尾ひれ?がついちゃうのだけど、
でも、規模がないと動かないというのは、ならば規模感があるみたいな、雰囲気を出すとか、
そういう見せ方、アレンジみたいなことは大いに出来ると思えるし。
出きないならそもそも、規模があってもできないし、小規模でもできないんじゃないかと思う。
まあ、大体、口でいってる「だけ」の人は、口だけだから誰にも信用されないから
人はついてこないのだからいいのだけど。
って、このあたり、単純に学生の時に思っていたことがブラッシュアップ、現実度が増す、
または、洗練されているだけで、多少はあれど、ほとんど考えとして変わっていないなあと思ったりする。
P1~P100というPは全て違う人の100人よりも、
P1~P10というPが10人だけど、それらを10回かけて、100人というような
ユニークな10人を10回の方が、ユニークな100人より、面白いものを作れるという感覚がある。
ここには、「単純」に人の数、規模だけがあればいいやってことではなくて、
影響力とか、ものすごく伝えたいものがあるとか、そういう濃い人でないと、
そもそもインフルエンスする濃さが全然足りないという感じがする。
有名人でも、そのフィールドがあるわけで、
そこから外れたところで「著名」スキルは使えない。
だから、あえて違うところでやるみたいな人がいるわけなんだろうけど、
そういう?こういうパタンっていつまでたっても同じなような気がする。
なので、単純な真似とか色々あるだろうし、人を参考にして失敗するかもしれないけど、
どういう状態、環境にあろうが、やはりそれが悪いみたいなことになったら
元も子もないなあと思ってしまう。次の話、次ってものがなくなるからだと思う。
情報の省略=圧縮となるケースを発見。多分大したことではない。
例えば、A→B。B→C。C→Aというロジックがあるとする。もちろんあんまり
こんなモデル使わないけど。論理学の授業だけだろうか。
で、推測とかプライム効果?だっけ、じゃないけど、
そうなるとA→・・のくだりで、早押しクイズみたいに、何が来るか分かる。
人はその人の話をその瞬間で理解するのでなく、
自己の経験とか解釈でそれで理解しようとしている。
ので、発言になると、同じことを言っているようで違うみたいなことも
起こってくる。
そこで、A→というところで、Cということも導ける。
ので、Bを省略することもできる。
すると、実際はA→Cということもいってないのに、A→B→Cというパッケージが圧縮され、
A→だけで、すでに話が展開されるということ。
省略とは本来、それがないことをさすが、圧縮という感覚で、視点からいえば、
それを補える推測ができれば、想定ができれば、
結局、省略も圧縮となっていくという話。
見せることと商品を別にすることってどうなんだろうかと思っていて、
例えば、商品+パッケージとか、商品+広報とか、PRみたいな話。
実は、そもそも、売れる、とか買うとかって、商品+理由みたいなことは
耳タコになるほど、違う立場?から色々な人がいっている。
ので、じゃあ、そもそも商品に買う理由が包含されていないとか、
商品に広報力がないとかだったら、そもそもそれって商品じゃないじゃないって。
単なるモノだよねってことになりかねない。
で、これは別に商品=質+価格+満足感とか
そういう話じゃなくて、それを「見える」ようにするか。
見える化じゃなくて、何も知らない人が「商品」をみて
それをどう思うかという話でしかない。
そこで何も思えないならそこで終了。そんなものじゃないかと思うけど、
それを同じ言葉「売れない」という理由にすると、思考停止。
次のアクションにできないので使わない方がいいとは思ったりする。
「お前それできんの?」
みたいな現場?の確認みたいなことってある。
例えば、実際に「私はコンサルしています」とかいっても、
実際に「コンサル」をする場面になって、こうですよねーとか、
すぐ出てこなければかなり使えないというか、多分そこで終わりだから
何もいう必要がないけど。
アイデアで勝負というなら、アイデアが出てこなければいけない。
が、アイデアって出せっていわれて超人的に出てくるものでもなく、
形にしていく力をアイデア力といっている気はする。人により重視するところが
変わってくるし、味付けが変わってくるのだろうけど。
発想力とかって言葉もあるし。ひらめきとか。
お前それできんの?ってことは、多かれ少なかれ、毎日?はないにしても、
誰もが経験するようなことで、何が出きて出来ないか、
またはそれをしようとしているかしていないのかとか、
そういう確認みたいなことは絶対にあるなあと。
そこで出来るって言い切る=はったりも含めて、のは大事。
でも、そこで意外にだけど、
出来ないからバイバイってことってあんまりなくて、
出来るところでこういうところならできるよって踏ん張れる人が、
また学び、気付きをしていく気がする。
そういう区切り?ボーダー?または線、なんていえばいいかわからないけど、
見えない線、見えない判断、決断ラインで、線を引いて終わりーじゃなくて、
次があるとか、ここではこうでというような、
率直でかつ客観的な人を僕は信頼している。
逆にそうじゃない人は何をやっても、信頼が構築できないから、
次はないのだろうねって話。
ちなみに、お前それできんの?みたいなことがない人は、
自分がなめられことがない、とか、あと実力で望んだことがない、
感じがあるので、そういうことを言われることを「おすすめ」はしないけど、
自問自答してみる価値はあるかも。柄が良くない言葉ですが。

おりゃー

スランプをいかに期間を短くするか。
この課題設定をやるとき、スランプみたいなのが
必ずあることを前提としている。

どう考えてもいいが、
それがない人もいるかもしれないが、
もしある人で「スランプ」設定がないと、
何かやる気がでんなーってときに、
無理してしまうこともありそう。

そういうときの助けになっちゃうこともある。

 

アウトプット

・多くの人を巻き込む仕組み創り
→一人の力で頑張っても限界がある。
→組織創りみたいなのが必要だが、矛盾点として、
組織はまた人を教育してくれる点が薄いかもしれない。
→同系列の人間を雇う・・・起業などの感覚が違うことで
従業員といった組織の役割が出てくる。
ではそういった点で、何を目標にしていけばいいか。
→この点は難しく、簡単に答えはでない。
→ただ、社会的影響力とか、いくつかのキーワードは出てくる。
失うものがないという状態
→そして何が出来るかという可能性の話をしたい
→現状に対する反省でなく、愚痴でなく、そこから
何ができるかという話をしたい。
→そういう前提がないと、いいものも崩れてしまうし、
悪いものは継続して「悪いもの」として残ってしまう。

というわけで、要するに気合がたりねーってこった!
 

最高の戦い

簡単にいうと、
何度も繰り返すというか、夢の挫折でもいいし、
失敗した後のフォローとか、出来ない感覚って
結構拭えない人は多いわけで。

で、そういうのを、
「ああ、あの人はそういう人だよね」
で認識されちゃうのってロスでもあり、上手さでもある。
実際には、それが不得意だったり苦手だったりするので、
一概になんともいえないのだけど、
でも、自分がやりたいところで、それが苦手でも、やっている人は結構いる。

が、人は苦手なことばかりで構成されることはないわけで、
それは何か、遠くない将来、または6ヶ月後、または近しい人とのコラボみたいなことで、
見えてくるかもしれないし、そうなるものって決まっているかもしれない。

言葉を紡ぐことで、出来ることは限られるかもしれないし、
それ以上に自分の感じる中で、何をその時、本当にその場で、
出していけるか。見せていくというと、何か人ベースって感じだけど、
実際は自分ベース。それが心地よいところで、人も心地よい。

存続、継続、そして関係性。さらには将来。


何が待っていてもいいと思っている。
決して、志は小さくないのだから!

 

地元の逸品を世界に売り出す仕掛け方

サムライ日本プロジェクトなかなか面白そう。
サイダーは飲んでみたいかな。

この本は、総合プロデューサーとして、
活動してきた軌跡が書かれていて、
地元のまちおこしではないけど、何か生み出していく
ムーブメントというか、そういうところで参考になる。

地元の逸品を世界に売り出す仕掛け方―「知る人ぞ知る」を「カネのなる木」に変える地元の逸品を世界に売り出す仕掛け方―「知る人ぞ知る」を「カネのなる木」に変える
著者:安藤 竜二
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2009-07-03
おすすめ度:5.0
クチコミを見る
 

「独立コンサルタント」でメシを食う技術!

面白い。
コンサルタントに、独立という冠がついているのは、
例えば、コンサルタントでも組織=ファームなどに所属する形態があるから。
なんとか研究所とかも。もちろん独立性は高い気がするけど。

本著では、英会話学校からスタートした著者の年収や経歴が
丸裸にされていて、非常に参考になる。
個人的には「コンサルタント」という気は自分ではしないけれど、
仕事的な作り方とかで出てくるかも。

いくつかアウトプット。

・街を歩いていても旅行に行っても、レストランで食事をしていても、いつもキョロキョロ(観察)しているので、
傍からみると、「遊んでいても仕事をしているみたいだね」と言われますが、
逆に言えば、マーケティングコンサルタントは「仕事していても遊んでいるみたい」なのです。

これはマーケティングコンサルタントに限らず、
仕事の中の遊びも、遊びの中の仕事も、どちらも境界はないだろうと思ってたり。
だから、仕事の中では仕事しかなくて、遊びの中には遊びしかないってのは
どう考えても自分ではわからなかった。わからなかったというよりも、
そういうのって自分の中ではしっくりくるものがないというか、
問いとして疑うというか、なんだろうという感覚があった。
そういうのをきちっと証明というか、立証してくれるという意味でありがたい。

・何でもやってみた
若い時は、実績がないので、結局体験数という数だったり、
その体験を自分の中で落としこんで語れることで、
稼いでいく。稼ぐとはお金ではなく、価値として相手に提供し、信頼の糧とすること。
全くそのとおりで参考になります。

・コンサルタントとして独立すると、他の経験がボディーブローのように効いてくる。
これは僕でいえば、ITのことだったりするわけですが、
そういうのって確かに大きい。別に企画のことばっか考えていて
全てが進んでいるわけではないので。


・「すてきな人と出会いたい」と思っているつもりでも、実は「だれか俺を助けてくれる人はいないかな」と思っていませんか。
これは結構ありそうで、実はこのマインドでは何も起きることはない。
名刺交換から生まれるビジネスはあるけれど、そもそも名刺を配った人、交換した人が
どういう人か分からないわけで。だから名刺を配っても仕方がないというのはある。
が、とはいえ名刺を誰かに渡す必要がない、ってことではない。ここは間違えるというか、
間違える人は多い。分からないから。

自分の中で、提供することを、自分が相手に提供するということを
していくことなしに次はない。逆にそれができるかどうかでまずは一つのハードル。
それが継続的にできるかどうかで、次のハードルとなる。

・失うものは何もない。Nothing to loseの精神。
失うものあるよ!安定だよ、というのがありますが、
そういうところで色々動けない人は多いかもしれない。
確かに原点にかえると、失うものってほとんどないわけですが。

・独立して成功を収めるには、自分が最も得意なことで勝負する必要がある
これも大事なことなんですが、得意なことというのが何か分からない人も結構いそうです。
まあ、そういう人はそもそも独立しない方がいいというのが、結論ですが、
自分のこれでいくんだというパワーのすごさは本当に驚くべきなはずです。

というわけで、かなりオススメです。
独立する人はもちろんですが、独立してしまった人が参考にすると
とてもいいなーと思います。

独立コンサルタントでメシを食う技術! (DO BOOKS)独立コンサルタントでメシを食う技術! (DO BOOKS)
著者:池田 紀行
販売元:同文舘出版
発売日:2004-09-14
おすすめ度:4.0
クチコミを見る
 

多分

アイデアはやはり、絵とか図とかビジュアルがあるほうが
脳が楽しいし、見てなんかいい感じになる。具体性というか。
もっといっていいなら、実行力が箇条書きより増すと思う。

仏教が若者をつなぐ精神的拠り所となるかどうかは
検討が必要だが、多分結構いい線行くと思ってる。
じゃあ、それをどうやってみせていくの?というと、
それは腕の見せ所でもある。

 

繰り返すもの

自分のキャパみたいなものに対して疑問を持っていたりする。
それは常に成長したい!みたいなことでもなくて、
つまり、自分はこんなもんだけど、どれくらい目指したいのかとか。そんな話。
結果的に、どうしたいかみたいな原点0からのベクトルAのA部分にしか
パワーはない。それをベクトルAというか、好きだとか楽しいのだとかいうかの違い。
大人になると何かごまかして、妥協とか悪い意味で使って、
自分を殺して生きていくみたいな、それを大人だとか嘘ぶく人が
たまにいる。ある種正しいのだけど、そこに疑問を持たなければ、
ほとんど生きている価値というのは薄い。ないのではなく、薄いのだ。
見えるものに価値をおいても、見えないものに価値をおいても、
結局は、自分が繰り返す。その中で何を提供していけるのか、
何が提供できるのか。
相手の出方を待つのはやっぱちょっと面倒だから、
先に動いてどうなるか。そこのやった後の世界。それを5秒後の世界というなら、
その5秒後の世界で戦ってみたいなとか思ったりする。
そうでないと、全く現実が面白くないというか、
面白くしている感、それが錯覚であったとしても仮にだけど、
そういうのって大事じゃないかと。
比較して優越感に浸るわけではないが、
どこかになにか楽しい素敵なものがあるに違いないよねって
いう人よりはとても地に足のついた、そして5秒後をみているほうが
やっぱいいなあと思う。それを人を楽しそうだと思ってくれて、
また次の影響を創りあげていくことになる。
そう、それがやりたかったんだ。

1億

どう稼ぐか。

実はでもなく普通だけど、
1億= 100万x100人
でもあるし、
1億=1万x1000人
でもある。

何を言いたいかというと、
年商1億というと、すごく聞こえるかもしれないが、
どういうバランスで組立かによるけど、
そう「物凄い」数値ではないという認識が必要。
といって、端金というつもりはないが。

雇用云々でいえば、1億売上があっても、利益が3割だと、
3000万。年間でなく、月額でいえば、12で割るから、
200万から300万の間になる。

一人でそれだけ稼げば素晴らしいが、
人が2,3人いれば、分割になる。

感覚として、1億あげても、5人がいれば、 利益30%でも、
一人頭600万。これを多いとみるかどうかはおいておいて、
営業活動の経費とか、色々を計上していくと、そんなレベルということになる。

よって、例えば、年間1000万の売上がないと、
そもそも、事業として成立しないか、人を雇えないか、ということになる。

売上が10億を超えたりしていけば話が別だが、
そもそも市場=お客さんがいるかどうか、または創れるかどうかで、
規模とビジネスの成熟は変わってくる。

ってことを素養というか、感覚として持てるかどうかって
めちゃくちゃ大事だと、最近気づいた。

 

リアルへの執着とか

ネットでコミュニケーションできるのが
とても便利な一方、とても重要なものが失われているとか
そういうこともある。
といって、ネットをやめろということはないし、というか止められない。

人は便利になると、道具を手に入れるとそれで
慣れてしまう。事実、すでに色々なものを失ったかもしれない。
それを退化というのか、進化というのかは結構見方次第だ。

リアルという場へのこだわりみたいなものって、
やっぱちょっとうっとうしいくらいにある方が
コミュニケーションは深堀できるような気がしてくる。
とはいえ、コストはめっぽうかかるのだけど、でも、それ以上の価値がある。

今更だが、イベント云々の企画運営の価値または、それらについては、
規模感があればお金が動くというのはある種興行的な、つまり
映画ロケで田舎町が潤うみたいな発想であるといっていい。
そういうのが悪いとかでなく、発想の種類がそれであるということだ。
事実見えてない、可視化できない、つながりとか、信頼というのは
そこからしか生まれてこない。イベントをやれってことでなく、仕事として
成果がないとできていないということだ。

そして、もう一つ気づいていなかったんだろうと思うのだけど、
そうやって何かを創ること、企画すること、そして形にすることが
常に出来る人ってなかなかいないし、自分の「好きな」ところで、
やれても、人の手伝いをやっていくみたいな立場というか、
スタンス、前提でやりたいって人も結構少なく。
例えば、1つの企画を立ててそれを実行するパワーってのは、
裏方だからとか、役割がどうこうでなく、きちっと、
仕組み化できてないといけない。いけないというのは継続していく、
ここではイベントの2回目以降をやるのでなく、
自分の糧にしていくのでもいいけど、そういうところだろう。

で、そういった仕組みだとか、継続だとか、人のフォローだとか、
そういうことを考えていくと、やはりビジネスというものが出てくる。
純粋に何かとか、そういうピュアさみたいなものが、
邪魔をするのかわからないけど、どうやって稼ぐか、儲けるかって、
金にがめついみたいなことでなく、金儲けって言葉を
どこまで落とし込めるかにかかってくる。

ビジネスが嫌いな人って、それによってかなり失うものが
大きいとすら思っている。そもそも、ビジネスというところで、
ネットワークビジネスだとか、変な情報ビジネスとか、詐欺ビジネスを
想起するくらいしか、容量や知識、経験やストック、または近辺にそういう感性
豊かな人がいないといっていいだろう。後天的なものなんだから。

幸か不幸か、僕にとっては、とてもそういったものが自然にある環境で、
といっても、親がビジネス実業家であったとかはないはずだが(笑)
もろもろの説明、前提を話せば話すほど通じていかない感覚ってのも
嫌というほど知っている。

だから結局、人は変わるし、学ぶんだろうけど、
根っこのところは、色々いじくっても変わらないかもね。
変わることもあるかも。どっちやねん!

 

素晴らしき企画

いくつもの仕事というと大げさだが、
いくつもの人というのもの大げさだが、
結構人にはパタンみたいなものがある。

あういう感じの人みたいな。
でも、色々な人がここ日本でもいるわけで、
個性豊かな方が、やっぱ面白いなあとか。
面倒くささはあってもね(笑)
面倒くささを補い得るようなものが、ある気がしている。
そこが大事なんじゃないかなーと。

そして、自らの仕事、または存在、アイデアが
採用される、または参考にされることを
喜びとするということをやっと、というか
少しずつ形になっていくことで、
「ありがとうございました」「お役に立てて嬉しかったですよ」
といえることが、自然に、湧き水のように、湧いて出てくるというか、
そんなことを感じている。

お金も大事だが、そういった喜びがたくさんあると、
もっとそういった喜びがあふれた仕事がたくさん成立していく・・・
それはトリックスターというか、道化師というか、見世物的に
最初の一歩はなっちゃうんだけど、2歩、3歩とすすめていくと、
違うようにみえてくる。そういう試練というか、クエストがあって、
どうしても3年くらいかかっちゃうんだろうなあとは思う。

が、3年待っていれば何か起きる、パルプンテではないからこそ、
チャンスがあったからでなく、チャンスを捕まえていく姿勢。
それは初対面の人に仕事下さいみたいな、名刺を配ってPRするという
滑稽な(全てがそうではないけれど)ことをやるのでなく、
きちっと準備するからこそ、次に耐えられる、
またはアウトプットの精度、パスの精度が高いとか、
そういう感覚なんじゃないかと思っている。

企画で社会を変える、という意気込みはあるけども、
そんな簡単に社会が変わる、面白くなるなんて、出来ないと思っているのも事実。
むしろ、自分が面白いと思うところで、そしてそこから伝染していく、
そういう流れを大事していこうと思っている。 

目の前

例えばこうだ。

目の前の人を助けない、いや、助けられないというのが
実際の心情に近いんだろうけど。
でも、結果的に助けていないことになる。
でも、何かしたい、でも、やらない。最初からやらないってのもある。
どちらにしろ、そういう葛藤みたいなのものって、
とても人間らしい。業といえばいいのかしらん。

前投資、先投資として、常にインプットをしていかないと、
アウトプットは枯れる。アウトプットベースのインプットはいいけれど、
それはインプットをできるという話。
目の前のことでアウトプットだけしていると、
速攻枯れる。枯れたら枯れたでインプットすればいい。
が、実はそれらを連続的、継続的に行っていくには、
常にインプットが必要となるわけだ。

で、これらはインプットとか・・・そんな横文字で終わるのではなく、
思考とか哲学とか、そういうものに関わっている。
だから、読書ってのは、例えばだけど、考えるし、深まるし、
とても良いものだと思っている。それを本ばかりよんで・・・って
人はいるけど、それは本ばかり読んでいるだけだから意味がないような。

学生のインプットレベルそしてアウトプットレベルは知れている。
別にナメているのではないが、事実と思う。
で、そこで年配者、大人と戦うのではなく、工夫として出来ないことをやるとか、
それがどういうレベル具合かで決まってくる。
そして、学生の本業はインプットベースが多いので、アウトプットをしていきたいなら、
もちっとどうやってやるかを考える(インプットでもアウトプットでもない)必要がある。
哲学とはアウトプットと書いたが、インプットでもあるし・・。

できないのは、単純にインプットがないからか、
目の前のことをきちっとやってない、つまり怠惰かどっちか。
で、インプット足りない時はインプットをやるために耐える作業になる。
が、耐えるのでなく、楽しむという視点を入れていくと面白くなる。
 
最終的に、シンプルなところに落ち着く。
複雑さは圧縮できないが、シンプルさは圧縮できる。
だから、展開・解凍もできる。複雑さはそれができない。
複雑さとは、人間の成長のことだ。仕組みとは、単純+ハードルというところで、
障壁を作るだけで、シンプルさが常に残っているはず。

客観視が好きなのではない。単に、地図を持たずに旅に出るようなもの・・
というか、持っていなくても旅はできるだろうが。
絶対視=客観視みたいな考えの人はいそうだが、それは違う。
絶対は常にない。主観も客観もある。同じことを全く違うように述べる人がいる。
そういうことが出来る人が、メタ化。つまり階層を一個上にして考えることができる。
具体的な例をまとめて、抽象化しないと、その概念は常に説明が出来ない。
具体例で説明ができても、要約ができないことはあまりないが。
 
失敗だと逆がいえる。
同じ失敗を繰り返すのは、メタ化だったり客観視が出きていないということでもある。
 
自分の立場を利用して、強要するのは嫌いだ。
人間の器が小さく、相手にするまでもないけれど。

ばれないからいいとか、そういう小さなことを裏でやっていると、
必ずボロがでる。というか、レベルが低いことしかできない。
それで継続できるから、さらにレベルが低いままを維持する。
本人は「うまくいった」と思うが、周りは「低レベルなものを維持」しているなと見る。
小さなことこそがそれが100%出てくる。
分かりやすいのは、「モノ」の扱い方。
例えばペンを乱暴に扱う人は、乱暴に扱うから「どうだ」ということはないが、
それの印象を相手から考えるとかまでのレベルにいってない。
で、そういったことを「やっても注意されない」からシツケの問題でもあるが、
別にそれがどうということではない。

むしろ、そういったペンの扱い方という1つのことから、
モノ・・・しいては、他のモノ、人の関わりまで乱雑ではないかということが
容易に、それは瞬間的に想像される。
だから、そういった蓄積がたまっていくことになり、評価となる。

よって、小さなことをばれないからといってやってると
必ず後から何かがくるということだ。覚悟したほうがいいと思う。
やってなきゃ逆だ。むしろどんどん蓄積され、人から感謝される人生になる。

非常にシンプルすぎると思うけど。
これは信じる信じないって次元の話ではないと考えている。

 
仕事を作ればやりたい人は多いはずだから、単純な労働力は
まだまだたくさんある。ただ、日本は高い。世界に比べるとだけど。
定期的とか、頻度とか色々な問題はあるし、技能とか。でも、
色々ある中で、なぜその仕事があって、どうしてそれで食えるか、
また持続できるかとか、色々あることを考えることは大事だろう。


 
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