ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2009年08月

お、復活。

ドリコムが障害で動いてなかったですね。
復旧おつかれーです。

働かないひと。

働いている感覚は要らないと思ってて、
その共感を狙って読む。
紹介される人は随分働いているのだけど(笑)
自己感覚ではそれはないという形。面白い。

僕も働かない人になるというか、すでにそうなっている。
仕事=遊びとすると、常に遊んでいるのも、
常に仕事をしているのも一緒になる。

結構それってハードル高いのだけど、
多分その提案、課題解決って本じゃなくて、
こういう生き方あるさーってくらいの、参考本でいいかも。
悪い意味ではなく。

こういう生き方を気持ち悪い人もいるんじゃないかなと、
直感的に思う。だって、仕事と遊び分けないとどうすりゃいいのって
人も普通に多いわけで、万人向けの本じゃ決してございませんと。

で、普通にオススメしときます。

働かないひと。働かないひと。

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Hot Pepperミラクル・ストーリー―リクルート式「楽しい事業」のつくり方

簡単にいうと、
この楽しい事業の作り方を実践すると、
庵ひろ大学になる。
事業ベースという切り口からか、楽しさからか、
それって同時成立だけで、切り口がどっちになるかの違い。
それを証明したいなあ。

本はいいけど、結構ポップな装丁なわりに、
中身は文字ベースってのはちょっと。分量そんな多くないけど。
もちっと絵があるといいかも。図表はあるっちゃあるけどって印象。

ここから学べることは、
結局、リ・デザイン=再定義を自分達の言葉で行うことで、
学びを消化して、次につなげていく。
だから、コンセプトがものすごく「自分達」ベースでの言葉で
一見すると何か分からない。それがすごく大事。

庵ひろ大学で本出したくなったなあ・・。

Hot Pepperミラクル・ストーリー―リクルート式「楽しい事業」のつくり方Hot Pepperミラクル・ストーリー―リクルート式「楽しい事業」のつくり方

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勝ちに行く

負け試合をしたいとか、負けたいとか、
そんな気持ちは微塵もない。
ある友人はそういうことは絶対に言わないだろうなあと。
つまり、その友人にとっての価値は、勝ち負けじゃない。
負けず嫌いというのは、実は僕の最も大きな強みである。
別に俺、このままでいいなんて言ってないし、舐めちゃ困るよと。
そういう気概みたいなのって友人にはあんまりないから、
それが良くも悪くも自分にはないところでもある。
両方必要だ。しかし局面によってはどちらもデメリットにもなるし、
メリットにもなる。

いくら型を決めても、創造をアウトプットできなければ、
守・破・離で、守で終わっちゃう。
そういうことを教えてくれる大人は少ないかもね。

提案を科学する。
提案の仕組みをもちっと形にしていくのが課題だけど、
それも時間の問題。必ずできる。そうしないと、効率が悪すぎちゃう。

毎日が同じという人は、
毎日を変える努力をしたのか。
失敗しているなら、その失敗をいくつかあげて、
それにたいする行動をいくつか挙げて欲しい。
実はないのではないか?
これは脅迫ではない。単なるあなたの満足度の高さを
証明しているだけじゃないかと思うのだが、どうだろう。
結局やれないのは、それで満足してしまっているからだといって、
それで怒る人はいないだろう。

魔法のようにある日突然何かが変わることはない。
絶対にない。あるとしたら、それはおそらく不幸の始まりでしかない。

時間の捉え方を168hで捉える。
これは本買うかな。

自転車をこぐということに意味がある。
それってそんなに悪くないこと。

おお・・

地域商店街活性化法なんて施行されてたらしい。
しらなんだ。こええ・・・。
というわけで、リサーチ兼ねて動くか。
てか、商店街主知らない人おおいんじゃね・・・。
俺動きますよ。


純度が濃い人間を薄めることは出来ないというか、
そういう人ばかりでも動くことはない。
が、そもそもタラタラやって動くなんてそれもないわけで。
正解はない。しかし回答というアウトプットはある。

自分のやりたいことがMUSTなのかWANTなのか。
それだけのことかもしれない。

自分の見せ方にこだわることが面倒くさいかもしれない。
いや、自分の存在が面倒くさいみたいな(笑)
よく面倒くさい性格なんですよといって自己正当化する人がいるが、
面倒くさい人別にそんなにいらないのではないかと。

企画も事業もそれ自体人がいるからその質は担保している。
が、やはり勝手に動き出していると思っている。
どんなあり方があれど。

選択肢が多いこと

実は、選択肢が多いと単純に幸せかというとそうでもない。
しかし、とはいえ、いくらか個人的人生履歴書によって、
それを判断する。起業とかも結局そういうもんだ。

例えば、選択肢が2つと4つの人を比べる。
分かりやすく就職、もしくは仕事を始めるというところでいってみる。
すると、後者が前者の2倍幸せか?
そうではない。比較することに意味がないのだ。

逆に、前者の人に倍の4つの選択肢があるとする。
その人は戸惑ってしまうんではないだろうか?
違うか?多分あってる。

だから、万人向けの選択肢の多さ、とくに絶対数なんてない。
平均数が3とかにしとけばOK。ある人は選択なんてないよって人もいそうだ。

2つ以上の選択肢がその人の決定を揺るがすというなら、
選択肢なんてないほうがいいと思ったりする。

やりたいこととやっていることなどの話でいつもすれ違う可能性があるのは、
存在、つまり、IsTrueチェックみたいなことをしちゃうことだ。
例えば、夢があってこうしたいという。
しかし、それがある程度こういうことだとしたら、それがそのまま
あるかのような感覚が実はもっている人は多いのではないだろうか。
実はそんなものはない。つまり、夢の鳥は夢であって、実在しない。
実在しないスズメxハトという鳥はいないのだから、
その存在チェックをかけても、IsTrueの戻り値は、常にFalse。
そして夢はつねに、Falseちゃんということだ。
なんてことだ。

で、そうではないと。そういうBoolean的な、つまり、TrueかFalseか。
つまりもっといえば、あるかないかじゃなくて、
どのようにそれが存在しているか。あるなしじゃなくて、どのようにあるか。
そこが問われる。

それをうまい言葉でいえば「目標や夢に近づいているか」ということであって、
それが目標に対して近づいている感じがすることを並べればいいのだ。
そしてそれをやればいい。

目標に近づくことで、それが次につながる。
そういう設計。
実はここで問題なのは、結局なんだけど、あるなしチェックがでてきちゃうことだということ。
つまり、どのように・・といってもアウトプットは必ず形あるものになる。
みえないサービスでも数量化できる。それがどのような形であれ、
それと近づいたかどうかを数値化できる。
そこだ。で、そこで近づいていないなら、辞めることもできる。
成功とは、成功するまで諦めないこと。
この心が分かる人ならば、きっと成功する。

選択肢の多さとか、そういうのは小さなことだ。
踏ん張っていこう。

本気でやる

やるとは、殺ると書いたほうが
迫力が伝わるのではないだろうか。
できるできないではなく、殺るか殺らないか(笑)

そのくらいの覚悟があっていいんじゃないかと思う。
多分、殺られることはないのだから。

色々書ける幸せ

事業にする幸せ。
企画にする幸せ。
人にアドバイスする幸せ。
Twitterにつぶやく幸せ。
でも、ブログで書ける幸せ。
友人に本音にしかいえない幸せ。
言葉が常にごまかしているから、言葉が要らないという幸せ。
メールで書ける幸せ。
直接話す幸せ。

色々なアウトプット基地、ベース、アンテナがあると
とても面白い。一つの食材をどのようにもできるって
とても面白い。

色々できる幸せ。

お金の稼ぎ方講座

ってやると怪しすぎるから、
もちっとライトで、かつ実践的で、非現実じゃないもの。
それを創れるような気がしてならないから創ることにする。
完成度は常に40%からはじまっていて、0%から始まるものじゃあないんだああああ。

確信犯的ドリブル

ドリブルを確信犯的に行う。

分かる人はアホかも。
分からない人は普通。
そういうのがあってもいい。
それが自由というものだ。BIG-O!!!

最強の戦略

実は頭がいたいのだが、単なる飲みすぎで。
ハイペースでもないが、如何せん上手い酒ではなかったようだ。
もしこのブログを見ている関係者がいたら謝る。別に何もしてないけど。

自分の感覚を人に押し付けるつもりはないし、
僕は全体よりも、一人一人をきちっと見たいし、
というか誰も一人一人を見たくないと思っていないと思う。
だけれども、事実、ブラックボックスがあれば見えたくても見えないという
言い訳装置、代弁装置が便利になる。

ある人にこんなことを言われた。色々あるかと思うことを察しながら、
簡単にまとめておこう。察すとは、ここでは相手の心情、つまり、
心の動き、立場、動き、その人の形など、人生そのものでもいい、
そういったものの全てである。
それを全て把握することなんてできない。が自分の感じられるところで
組み立てていく。それがコミュニケーションの真髄ってやつだ。

第一の話、いや前提、意見として、
自分の創る企画、アイデア、作品・・・なんでもいいのだけど、
自分の考えがそこに表れた瞬間、それは自分のものではなくなる。
これは、演劇、表現、パフォーマンスなどをしている人は
もっとも分かると思うのだが、つまり、評価・・・というものがある
以上、それを求めていなくても「人に見せる」=つまり自分の中で
終わらせないものが、それなのだが、その波に逆らうことはできない。
逆らってもいいけどね。

すると、自分がこうしたいとおもっていても、そうできない・・。
そんなことはざらにある。僕にとって、この感覚が一番ぴったりくるのだけど、さて、そんなことは実はどうでもいい。
だから、第二の話。

第二の話、これは第一の話からして、結果的にというキーワードを
付与した場合の話になる。どういうこと?
例えば、企画に対する自分の想いを殺して、企画を通すだの、
自己をみてくれるがために「戦略的」に、企画を導線として自己の面白さを訴えるだのと、パタンは色々。
ただ、どちらでもいえることだが、無理をしている感が満載。
その場合、必ず疲労し、継続はない。継続しないことが大事という逆説も
いえるので、別に継続しなくていいならそう。
が、そもそも、自分の中で事業化=安定化=収益化というのはあるわけで、
そこから逃れることはない。趣味なら別だ。というか趣味なんてない。

趣味の話。
趣味なんてないというと、昔の僕なら「つまんねー人間だ」となるが、
それは他のものは同一。違うのは趣味だけであるというような
狭い感覚の時の話だ。よくもわるくもそんなもんだと。
さて、そういうところで、無趣味のすすめというのが村上龍が書いてるけど、
そういうすすめはおいておいて、無趣味ってのが一番しっくりくる。
趣味という言葉をイチイチ変換して色々話すことが正直面倒だ。
あと、伝わらないところで、変換して伝えていく作業は、
友人にそういうことをいえば怒られるのだろうけど、正直面倒くさい。

だから、形に出来る少数でかつ、適正なものが出来ていれば、
面倒くさいことはしなくてもいい。
そんなことは思う。

が、勘違いしないで欲しいのは、面倒くさいからもうやめたーとか
そういう小学生のしょぼいやつのレベル感ではないってことだ。
面倒くさくてもやるし、結果はきちっと出す。
ただね、自分が一生懸命変換して伝えたいって、そういうのって
なんでだと思う?
それは、結局その人の魅力とか、伝えたい何かがあるからで、そういうところなんじゃないかなと。それって最強の主観で、それだけでしかない。
気に入ったやつがいる。気に入る。一緒にいたり、一生いたりでもいい。
ただそれだけでいいんじゃないかというか、それだけだ。
複雑に考えるのにはあまりにも面倒くさい。

1をいって10という人はまれだが、そういう感覚はゾーンに入るというか、
色々ある。でも、少なくとも、それを動ける人間というとき、
そういう人と動いた方が話が早い。失敗も小さいのを一杯で、
次の手が動ける。それがいい。

さて、そういったつれづれから一つの結論が出た。
簡単にいうと、舐めてって殺す。
そのくらいの勢いがなければいけない、いやそれでいいので、
別に本当にその人の生命活動の終わりをするわけではない。
精神的に脅すわけでもない。気概であり、気迫であり、全身全霊というところであり、それは「熱さ」なんて安い言葉で表せられるものでもない。

殺されない人間を望むばかりだが、
どうも世の中は甘い人間は甘いし、甘くない人間は甘い。
それらが出会うと、結局どっちかが甘くなるし甘くなくなる。
相対的な場。それが出会い。

さて、僕の行く先に何かあるというか、何を目指すかって、
当然天下統一なのだけど、まともに話を聞ける人、
つまりその天下統一プランに突っ込んで話を聞く人はなかなかいないな。
スケール感は北極から、目の前の麦茶までで。

よし。

新版 アイデアを買う2000社

若干すれちがい通信(笑)

発明とは、アイデアそのものより、商品化(これは形になったという意味で、売れる製品という意味の商品ではない)に主眼。
サービスでも可なのだが、それは「ビジネスモデル特許」みたいなことになる。だから若干外れ。

が、アイデアを提案していくことの基本はこれと変わらない。
見えないからこそ、企画の見える化をすすめていくだけ。

向こうとして、何も考えなくても、ある程度質の良い企画が
くれば受けるしかない。しかも、「買える」選択権もある。
いけるっしょ。

発明とか興味あって、どこに売り込もうとか分からんとか
そういう人は完璧にオススメできる。
が、アイデアとか企画を売り込むというのは、それを資源として
量産できる体制ができてないとオススメできないので、
そういうことをやろうとしている人はこれはすれちがいかも。

著者は100歳オーバーで存命。すげー。

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土曜日の朝

失敗の数が足りないと、経験値も低く、
そもそも何をどうしていいかも分からない。
人は学習する。それを頭に入れておかないと、当たり前だが、
人の育成なんぞ出来ない。少なくともあなたはコーチ向きではない。

失敗学失敗学!
なんていうこともないけれど、自分の中で失敗しか
学べないというのがある。が、友人には不評のようだ。
成功事例から学べっていうのは、基本ぱくるのだけど、
アレンジが難しいきらいがある。
失敗事例から学ぶってのは、人の失敗は実はあまり情報がない。
だから、失敗事例=自分が痛い思いをしたもの・・・。
そこから学べるということだ。

気づいていると思うのだけど、
やろうとかやってみましょうという言葉は、
発言者が放置プレーならいいけど、もしやっていく必要性、必然性、
または「義務」みたいな超強制的なものがあると、
発言者が最も実行しなければならない。
そうでなければ「お前口ばっかじゃん」で終わるのだ。

バランス感覚に優れた人・・何かに秀でた人、
色々いるのだが、自分はそういう穴をうまく埋められるというのと
同時に、あんたならやってくれそうだという根拠のない期待が
いつも僕を元気にしてくれている。

人前では常に弱気な僕が常に弱気な理由は
そういうところにあった・・・。

創造はシステムである 「失敗学」から「創造学」へ

著者の指摘する創造もシステムもスルーしておいて、
結局、チャートというかそういう図解であらわしても、
それは結果と過去でしかない、いや遅いというところをもってして、
創造=仕組み=システムというのは、一種の発想科学でしかない。

となると、目新しいことはなく、
あとは失敗学とのアレンジということになる。

僕は思考の過程がシステム化云々はあまり興味がないが、
企画、アイデアをどのように生み出すかは興味がある。
これって同じじゃないかと思われる人もいるが、
多分全然違う。

前者は、システム化すればどんどん創造できるというが、
実は、科学的にこうすればアイデアはでると分かっているのは
既に事実。だから、システム化しても、じゃあ誰がシステム回すの、
やるの?実行するので、一気に壁がでてくる。
それはシステムではなく、ただの計画、キレイな計画でしかない。
後者は、どのように生み出すかであって、アイデアとか企画を
システム化して生み出すのはほとんど同じだが、思考の過程は
ぶっちゃけどうでもいい。

つまり、書いていてわかってきたが、
最終的にアウトプットに興味があって、
その過程は100万日かかろうが、1日かかろうが
アウトプットがどうかだけしか見ない。
誤解を招きそうだが、過程が大事ではないとはいってない。
ただ、アウトプットである結果をみて、過程も想像できないなら、
過程も見えてないし、そもそも結果も見えてないといえる。同時成立。

創造はシステムである 「失敗学」から「創造学」へ (角川oneテーマ21)創造はシステムである 「失敗学」から「創造学」へ (角川oneテーマ21)

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数が少なすぎる

数回やって失敗したからといって諦めることがある。
が、数が少なすぎる。本当にやりたいなら、
そんなことでは終わらないはずだから。せめて数十回やれよ。

そんなことをたまにいいたくなるときがあるが、
自戒もこめつつ、多分、成功体験というか、
達成感覚というか、そういう絵がぱっと浮かんで、
これならいけるということ、そしてダメだったこと、
でも粘れるということ。それが出てこないとダメだ。

よく原動力、エネルギーについて聞かれるのだけど、
社会を良くしたいなんて青臭いことをいうと、「社会起業家」になっちゃうし、
社会起業家の語感、この言葉を発生した後の何かべとっとまとわりつくものは、
おそらく、「社会のためにやってる起業家」を君は批判できるかい、という言葉だろう。
友人が、社会って対象を嫌う、もしくは地に足がつかない、俺は俺と彼女のためにというのは、そこがすっきりしないからだと思っている。
だって、「俺はいいことしてる。お前はどうだい」とか「俺はいいことしかしてない。お前はしてるか」といわれて、愉快な人はいないだろう(笑)

ネームと流行、今後ということから、
社会起業家というワードで説明できる現象、変化って
かなり小さい動きで、その小さな動きが継続するとは自分は思ってない。
蚊帳の外、もしくは関係ない人というのはいつでも一杯いる。
そもそも、NPOって言葉を知っていても、意味を理解する人はかなり少ないのと同様、なんでそれでやれるのか(飯ではなく、原動力として)理解されるのは、まだまだ先だろうと。

これは決して悪い意味ではなく、景気が戻っていったときに、
さて2012年くらいか、そこで試されると思うわけ。
結局うだうだやってきたけど、何が結果として残ったのかなと。
そこの結果が、単なる妄想とか。そういうことはいわれる側は
全く想定してないだろう。当たり前だ。真剣にやってるからだ。

真剣にやってる人を批判できないのも怖い。
真剣だからこそガンガン批判され鍛えられていく。
タフじゃないととてもじゃないが、色々やれない点もある。
やさしさだけじゃ生きていけないが、それをトライするのも一興。

自分の気に入った人と動くことで怒る人、もしくは不愉快になる人が
いると思うが、それが全く分からない。
そもそもそうすればいいだけ、と相手にいうわけ、もしくはそれらしいことを
ほのめかすのだが、その人が「できない」のだから、嫌なんだろう。
好きな人間とだけ「つるんで」いるばかりではダメだ。
どっかで聞きそうな言葉だ。が、好きな人間をきちっと囲い込んで、
そこでやっていくパワーもものすごいし、というか、比較すべきではない。
いやいや、そもそも、なんで嫌な人間とそれをしなきゃいけないか。
仕事なら、それをする何かがあるからだろう。
そいつは客か?仲間か?分からないが、嫌なことをやるのと、
嫌なやつとやるのは似ていそうで、全く違うこと。

それを気づいた上で、分かった上で、言ってることなら
聞く価値はあるが、そうではないなら、ただの嫉妬。
嫉妬では何も生み出さないのでさようなり。

走りぬく

一回やると決めたことはやる。
実はそんなカッコイイ精神は持ち合わせてないのだが、
全て気分で選んでいいと思ってる。
それは「面倒だから一抜けた」とかそういうしょぼい話じゃなくて、
結局、最初も、半ばも、最後も、全て「気分」という、
もうちょっとそれっぽい言葉でいえば「姿勢」。
そういう気分次第だからこそ、最初も最後も、気分がなきゃ
あっちゃいけねえやい。

ということを思うわけですね。

走りぬくのは結構簡単だと思ってる。
でも、それをさらに重ねていく、走り続けるのは
出来る人は少ないらしい。だから、まずはある一定のフィールドに立つには、
走り続けることが前提となる。
走り続けられないなら、天下に号令することはまず不可能。

文章を書くことってお金にならないと思われガチだけど、
文章が苦手な人もいるし、また代わりに書いて欲しいって人も
もっといて、そのマーケットを単に発掘できてないだけのような気がする。
ストーリーを作るのが上手い人も下手な人もいて、
実はストーリーさえ作れれば、その物語自体の具体性をプランとして、
また物語を作る手法を抽象化のツールとすればいいのだけど、
そういうふうに考える人はどうも少ないかもしれない。分かる分かる?

曲がるストローとまっすぐなストローって、
原理からいえば、まっすぐを曲がるに加工しているはずだから、
曲がる方が原価は高くなりそう。原価?じゃないな、ああ、原価でいいのか。
でも、相場としては、需要はどっちか?
細いストローも結構みるし。でも、やっぱ曲がるストローいいな。
これらのコストの差は単純かもしれないが結構大きいね。

実践的コミュニティー?

というか、コミュニティーじゃないな。
とはいえ、仕事なのかというと、多分仕事仕事してないというか。

肩の力がものすごく抜けて、良い緊張感だけが残り、
とてもパワフルに150%の力を搾り出せる状態になって、
はじめて、やっと100%の力が使えるという感じがする。

得意技、武器をもった人が集いそして、そこから作り上げる。
多分そういうのって昔なら、「趣味の寄り合い」くらいしか
良くも悪くもできないんだろうと。
が、今はもう違うかなって感じを受けている。

世の中色々生き方あるので、選択肢を増やすには、
やはり寝ていてはダメだよ(笑)

数値化

自分が何をやっているか分からないというのは、
悪い状態ではない。そもそも、何かをしているといって、
明確に言い切れるようなことって、必ず意図がある。
意図とは、デザインの「ここに直線をおいたのはこういう意図がある」
という説明と同様だ。こじつけっぽいとダメかもね。

つまり、「私はプロです。こういうことをしてます。」とは
言い切れるかどうかだけで、最近気づいたのだけど、
それこそが大事で、もう名乗ったものガチではないけど、
そういうのはある。自分で再定義してしまえば、あとはどう相手によって
伝わるように説明するだけだ。

毒を吐くと、毒に汚染されることがあるが、
デドックスみたいな効果はないかもしれないな。

メールの送信回数と時間で、メッセージをこめることもできる。
急ぎといわずに、追記で3回くれば、急ぎではないけど、
意識せざるをえない。これをテクニックとして使うのは、いいかも。
人間心理として「急ぎではない」というのが一番オシャレで急がせる。
が、普通にまんまとる人なら逆(笑)

面白いこととやりたいことは違うということに気づく。
当たり前ではなく、何が違うか気になるかもしれないが、
例えば、面白いことってのは、自分か他人かに分かれる。社会ってのも
いいと思うけど。さらにやりたいことってそれとは違っていて、
自分がちりめんジャコを一杯売りたいと思っていても、
それは誰か面白いというかは別。
逆に、ちりめんジャコを売ることが面白いといわれてても、
自分が別にやりたいことがあればマッチしない。

要するに、からくりとして、
意識する自己、もしくは主観、もっと簡単にいえば、自分がこれやりたいことは、
当然のように、社会(他人を含む)が必要とすればビジネスとなる。
その規模、継続性、コストなどを踏まえる必要はあるけれど、
そうではなく、ビジネスになるという感覚がまずは大事。

数値化することで、今月はこれをこんだけやったとはいえる。
ただ、その分、狙いとどう違ったか、うまくいったのか、失敗なのか。
どうしていけばいいのかを考える必要が出てくる。

アイデアは再定義だ

要するに、再定義。
定義付きでも、定義を再する(りする(笑))ところに意味がある。
例えば、普段の通勤経路をリ・デザインしてみよう。
すると、超通勤経路となって、例えば広告が面白い出入り口付近とか、
可愛いティッシュ配りエリアとか、街が超楽しくなる。
視点を変えるだけでそれだけできるのだから、これを故意にやれば
いいだけのことだ。非常に簡単だ。

横のコミュニケーション。
縦のコミュニケーション。
さらに加えて、斜め。そして面の動き。すげー。

ダンボールを無料で。袋有料だけど。OK。
すげー・・。その発想の店がなんでないんだろう・・・。

アイデア=人生ならば、自分のアイデアが自分の人生になる。
よく、考えればできるとか、自分も含めてIFの話をするけど、
仮定にしたものがそもそもできなきゃ、前提が崩壊しているわけだ。
メディアの価値というところを考えると、
そもそも自分の人生に与えるものがなきゃ、そのメディアの価値はないと。
そういいきってしまうと、結構楽かも。
実は役に立たない情報も出てるけど、結局誰かが「真実」だよーといって、
それが本当かは自分の目で見るしかない。
のだけど、今は高度に発達しすぎて分からないってわけ。
でも、高度じゃなきゃいいとかそういうことじゃなくて、
現象を踏まえることで、踏まえた上でどう動いていくか。

「言った」時点でまだ遅くて、言うことの証明は、行動でしかない。
行動っていうと、なんだか熱い人みたいだが、
そうじゃなくて、アイデアを出す人間が、振られて一つもアイデアが
出せないなら死んでしまえばいいくらいの緊張感が必要。
存在、そのものがアイデアになる。アイデアのネタそれ自体が
余っているということがあるというか、余っているのだけど、
誰も欲しがっていないわけがない。
要するに砂漠で水を売るようにしないとなーってことですな。

まるさんかくぞう

完敗。

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し続ける

なんとかをやるでもいいけど、
何々をし続ける。続けるのは目的ではないんだけど、
続けると見えてくるものがある。

戦略的なアルバイトというか・・・動きをしないと、
というか、戦略を描けないと結構動けないものかもね。
というか、そういう人多い気がしてる。
戦略はこうすりゃいいよって、これだけで金になるかはおいておいて、
ニーズがあるのは間違いない。

場がない、お金がない、仕事がない。
全てのないを「作る」に変えるだけで世界が変わるが、
この理屈はほとんどそうはいうけどって否定で対等になる
コミュニケーションはどうも苦手。

新しいことをやるってことは、必ず何かトライがあり、
失敗がありということ。そこらへんを考えないと、普通に失敗して
終わりって感じです。

クレームもしくは客の意見をどう取り入れるか。
バイトでも、それを店長にどう報告するかで、そのバイトのセンスが。
要するに、客が「何とかがない」っていったのは、
「申し訳ない」と対応しておいて、次どうするか。
そりゃ、ないにきまってるじゃん、馬鹿客が(笑)とかなのか、
「灰皿」の位置が分かりにくいから分かりやすい位置にしようとするのか、
それとも、客の属性をメモって人力POSとするのか。
レベル低いバイトなら、「早く終わらないかな」だから、
使いものにならん(笑)学びになってないからお互いに不幸だ。

つれづれに。

自分は何々が出来ないとかいうときに、
その人が実はできていることはある。
しかしながら、何々ができるというときに、
それが出来てないこともある。

ということで、実績を見て自分のレベル感とマッチングするのだけど、
まあ、そういう作業ってものすごいアナログ・・・。

これを手法などはブラックボックスにして、
数量化、数値化、量化できたらどうなる?
能力がない人はばれないようにする技術が発展する・・・(笑)

なんて妄想SF。

アイデアは、途中の形で投げた方が
良いものが生まれる気がする。なぜなら「遊び(これは余白の意味)」が
あってそこに入れるからだ。遊びは入口が大きい。
完成されているとそこに入る意味はないかなーとか思ったりするから。
また、そこの過程でどんどんブラッシュアップされていく・・から。
特許などのがっちり守る系のものって、基礎技術?とか、基礎的なものじゃないと、要するに、ビジネスモデル特許でしたっけ、
なんかモデルで金とろうなんぞと。

特許のデザインが、「守る」ためではなく、「奪う」ために、
あくどい人は考えるってのはあるんだけど、性悪説なのか、性善説なのか
どっちでもいいけど、人間って欲望の塊だよねってものすごく良い証明。

で、途中で投げる自信がなくて、誰かに盗まれるとかいってるひとは、
杞憂の可能性が80%。そのアイデアを投げたことで、
次のアイデアが生まれないくらいのアイデアレベルなら、
多分最初のアイデアは誰かが思いついているかと。
そこを信じられるかどうかでまたアイデアの感覚も違ってくる。

レンタルオフィスをリ・デザインすなわち再定義すると、
作業場、モバイルワークスペースなどとなると思うけど、
なんで言葉変えただけじゃん?となると、理解してないってこと。

最近、何も変わってないはずなんだけど(思考、アウトプット含めて)、
デザイナー、アイデアマン、ファシリテーター、読書マンなど、
色々思われることが多い。これほど、「会社員」という枠を外すと
自由なんだーと感じたり。所属してないと不安な人は所属を創ればいいんじゃないかなーとか、偉そうにいってみる。食える保証なんぞもち、ないわけですが。やる価値はあるかと。

ファシリテーターというところでいえば、
うまく引き出す質問というか、そういうのだけは注力してる。
で、どうすればいいのか分からん、となるのが一番のNGかもしれない。
人間の心理って面白いものだ。相手を知っているかどうかだけで、
全然態度違ってくる人もいる(笑)というかそれが普通だと思うけど。
ま、どちらにせよ、個人的にはどうでもいいとおもってた、ファシリも
領域に入れていく必要がある。これは「強制」よりも、時代のニーズと
いって反論する人はいないっしょ。

あんまり先のことを考えすぎても仕方ないということはあるねー。
人生有限なので。

仕事するのにオフィスはいらない

タイトルどおりなのだが、
「ノマド」=遊牧民という比喩がよく表現していると思う。
紹介されている人は、一味も二味も、会社で仕事をしている、といって
オフィスを想像している人のドギモを抜くかも。
が、自分も最近そんな感じっす。ノマダーですわ(笑)

でも、注意として、本書でもきちっと書かれてるけど、
このライフスタイル・・・というか、仕事の仕方は、
万人向けじゃない。当たり前だけど。
なんでかというと、かなり自律(自立ではなく)的に
ものごとをすすめることができないと、多分無理。
逆に、自分はさぼりぐせがあるなら、それを考慮したうえでの
設計をしとかないとダメかなと。

まあ、フリーランスなどで動く人ってそういう人だからこそ
できるってのはあるので、以下略。

気づきや導入検討したいツールや考えも多かった。
が、あえてアウトプットせず出し惜しみ(笑)

続きは本で。(やらしい

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6畳で世界と戦う

例えば、PC1台で500万稼ぐとかのほうが、
頑張って起業して1000万より、インパクトがある。
落差、ギャップを活かしたキャッチ。

パンを売るように、アイデアを売るって
いってすぐ伝わる人とそうではない人がいて、
具体的には?といって、その具体的説明が全く無駄なこともある。
要するに、抽象で伝わらない=相手が展開できないなら、
具体で教えるのだが、具体は抽象しないと使えない・・・ことが多く、
例えば、掃除の仕方は、ほうきでゴミを掃くだけだと、
机の上の汚れを拭くことはできないわけだ。
しかも、机は一杯あるときどうするか・・・とか。

だから、極論は、全て抽象であれってことになるし、
社会とか日本とか共同幻想であることを(これは日本がダメとかじゃなく)
どこかで意識したほうがいいとか思ったり。

小さなところで大きなものと戦う。それがカッコイイ。
大きなものは小さなものを潰すのも実はカッコイイかもしれないが。

集客できません、ではなくて、どのようにできるかを
考えてそれを提案してもらえればいいのではないかと。

必ずや。

人によって大きな違いはないという人もいるが、
人によって大きな違いがあるということもある。
車椅子の人の気持ちは、車椅子の人しか分からないという点もあれば、
しかし、そうではないものもある。

実はそういう感覚、自分も客観的にみえる、主観要素たっぷりであること。
そのどちらも大事なのだけど、どっちかに偏る人は多い。

が、人間なんぞ、完璧ではない。
だから完璧なもんなんて生まれないし、ない。
それだけを知っておいて欲しい。

整地の必要性

例えば、手入れされていない伸び切った場所。
そこの草をかりとって、整地。そして、種を植える・・。

ハードルを下げるとは、結局そういうことだ。
その人の課題、問題点を低くする、もしくはならす。
すると次のアクションが見えてくる。

整地が必要な人が、実は必要だとは思ってなかったり、
そこにチャンスがー。

やってみると。

最初は結構面倒くさいとか、ああやだなーみたいなことを
考えてたとする。が、やってみると大したことがないということは
実は多いんじゃないだろうか。
これって、単に心理の問題と割り切るのは難しくて、
なぜなら、そういう「心理」のために、動けないなら、
それって立派な「原因」として立候補できるのだから。

がんがれと言われてがんがれる人もいれば、
全然がんがれない人もいる。色々だ。
が、一つだけいるのは、がんがりたいというところで、
その人の哲学、アウトプット、精神、生き方が見えてくると
とても安心することが多い。
それがみえないなら、一緒に仕事しない方がいいと思う。
ほぼ99%後悔する。あえてやるのもカッコイイけどね。
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