ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2008年05月

5月終わり

ぼーっとしていても、
ぼーっとしていなくても、
すでに、今年度も2ヶ月経つ。

光陰矢のごとしである。

振り返ってみると、
なんと、行きたかった展示へ
いけなかった。
また見たかったかもしれない劇をみていない。

とか、土日が何らかの形で確実に埋まる。

充実しているといえば充実しているのだけど、
別に予定があるのがいいことだ・・・とも
思うわけではなく。

少しずつ少しずつやっていくしかない。
現実は逃げない。僕も逃げない。
そして確実に距離が縮まっていくだけでしかない。

熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条

熱い。

ただ、方法論とか、そういうのはなく、
単に著者の「スーパーショー」にまつわる話が多い。

それをどう取るかは読者の腕次第だが、
精神的なものはやはり重要だとは思った。

が、最近の僕の関心は、
「精神」ではないところの重要性で、
そりゃ、もちろん心とか、満足とか、好きってのも
重要だけど、そういうものって
単なる「気合」でなんとかなるかというと・・・
多分違う。

あまり多く描かれている印象はないが、
著者が失敗をしたのはパリかどこかで海外で、
ちょっと調子に乗りすぎた・・・みたいな話があるが、
そういうところでどう取り戻していくか。
そこはもっと読みたいと思ったりする。
別に人の失敗を笑うわけでは決してなく。

また、著者が文学でいう芥川賞に近い、賞をもらうまでの
努力とかかなりさくっと描かれていて、
そりゃ、私はこんなに苦労とした・・・というように
見えてしまうから、書かなかったかもしれないが、
気になるところ。

そもそも、下宿6000円で、残り6000円で1ヶ月を、
カレーライス大盛りが150円の時代でも、
厳しすぎる。1日2食で、300円としても、30日あると、9000円。
満足に飯もくえなかった・・。

それでも目がでるまでやり続ける。
これって実はある程度若くてある程度気合がはいってないと
できないこと。

もちろん当たり前なのだがでは、そういう覚悟みたいなのって、
どういうレベルか。
おそらく人生これやらんといかんぞというレベルなんだろう。

そこをもっと見てみたいなあと思ったりしている。

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結果主義的

結果を出せば寝ててもいいというのは、大げさではなく
実際に可能ならば。そういう環境では、結果がやはり重視される。
プロセスも大事だが。

結果をだしたいと思う。
結果に焦っているわけではないし、
過程を楽しめなければ、おのずとつまり、
出る結果もでないというところも分かる。

が、そういうのは、安定したリズムで
確実に何かを生み出せるというモード、
力、状況になっていえるというわけだ。

プロダクトライフサイクル的にいえば、
成熟期か。

今は、スタートアップの導入期だ。

さあ、やるさー。

適応性の裏目

同じことを続けていくことで、適応性の強みは活かせられないので、
適応していくために、変化を求め、そこで適応させていく手法が考えられる。

うらめ、というか、デメリットなだけだけど。

まあ何事も裏表がある。
小さいのはいいことだ、とはいえないし、
とはいえ大きいことはいいことだともいえない。

といって、常にケースバイケースというのも
もろい。

小さいものがなぜいいのか。
なぜそれをしたいのか。

大きくしたいのはなぜか。
どうやっていきたいか。

ただそれだけなのである。

強みを意識することで、より強くなる

強みを意識することで、客観的により強くなれる。

また、弱みとなる点もカバー、克服することができる。
つまり、強みを伸ばすってのは、
弱みを補うっていう意味をも成すわけだ。

そこがポイント。

要するに、小さな落ち度?など、
大きな成功の前ではかすむ・・・。

といってそれは何でも、適当にやればいいって意味ではないけど。

より強く。

仕事場が変わってもそこに適応するという強み

どこにいっても何かできるというのは強み。
適応性は強い。

人はがらりと変わるし、仕事も少し変わる
何より「環境」が変わってもそこで適用でき、
さらにそこで力を発揮することが求められるので、強い。

逆にいえば、そういう環境が変わることとかに
弱い、つまり適用できないと、
結果的だが、今のお仕事はできなかったということになる。

で、なんで強みってことを連呼しているかというと、
そもそも、自分の強みを活かすべきという方針があるのだけど、
一体何が強みか。
それは自分がそう思うのと、人がそう思うのとで
2点くらい視点がありそうだけど、そういう視点もふくめて
強みと呼ばれるものを、磨いていって
より強くしていきたい。

強くなりたい、のではなく、強くしていきたいという
微妙な違いに注意されたし。

適応力は強み。

編集ワールド

気まぐれでもないが、自炊生活第三弾くらいへ。

外のもの食い飽きたというか、
コストがかかる。
主婦には負けるが、確実にコストダウンするし、
ボリュームもある。あと、作りながら
音楽やラジオ、そして他に並行して何かできるのが、
自炊の良い所。

あと、料理の「編集」という意味では、
基本の型を作ればあとは応用させていく・・・というのが
面白いと思い、またそういう意味で、
僕は料理が好きになっていくんだろうという
妙な客観視を感じた。

つまり、一過性で、飽きて、面倒くさいやーといって
投げることはできるんだろうけど、
どうも、料理から学べることは多い・・・。

実は、料理とは、「食べる」ためにってこともあるけど、
そもそも、学ぶこととみると、全然意味合いが違ってくる。
確実に夜学べる・・・。
それってなんか良い良い。

今日は、定番の焼きそば。もやしがうまい。

事実をしっかりみる

現実から目をそむけない。
現実は裏切らない。
まあ、裏切られるって現実はあるけど、
それは現実が裏切る・・というのとは違う。
さあ、どういう意味だろうか。

知の編集術

大胆な推測をすると、
松岡正剛は、世界を編集しようとしている。
きっと間違いない。

世界を編集とは、何か革命を起すとかそういうことではなく、
自分という存在から見る、考えるところで、
あらゆるものが、「編集」という言葉から語られ、
また始動しているということだ。

例えば、料理をするとき、彼は編集をしているというだろう。
料理を終わり、何かモノを食べることも「編集」しているというだろう。

編集って何?ということは、
端的で分かりやすくいえば、
「物事には情報が含まれていて、その情報は莫大だ」
ということではないかと思う。
おっと、そういう莫大な情報をどう組み立てるか・・・かな。


編集をすることで、
当たり前だが、雑誌も映画も、文章も全て、
がらりと変わる。普通は、これを「編集」ということもあるが、
例えば、文章は編集というよりも、構成を変えるとか、
文章を変えるとか・・・というほうが多いかもしれない。
映画は編集とは言いやすいかもしれない。
どちらにしろ、編集とは普段やっている行為だとも氏は言う。

しかし、氏が目指すものは、編集の工学であり、
編集という無意識レベルものを、意識レベルで行うことで、
その面白さを伝えようとしている。

この本では、「知の編集工学」だったか、前読んだものよりも、
編集稽古が一杯ついて、かなり実践的だ。

それで僕は、この「編集」をしようとする感じは
まだまだすっと入ってきてないのだけど、
でも、アイディアとか、何かを組み合わせることとか、
順番を変えるなどの手法など・・・はものすごくやりたいというか、
これは面白いなと思っている。

次は何を読むかな・・・と思いつつ。

気づきとしては、
・編集って視点で物事を見てみるとと、
例えば、建築や何かデザインされたものではないものでも、
ものすごく情報が詰まっていることが分かる。
例えば、本の装丁から、著者、著者の書いたもの、文章、
リンクする事柄・・・とおっていくと、相当深い読みができ、
また広がる。これはすごいことだろう。やっていたとしても、
再認識ができる。

さあ、編集しよう。


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本に書いてあること

本は学びである・・・。
が、本に書いてあることと書いてないことがある。

本に書いてあるのは、
実体験、考え、手法、知識などであるが、
実は、書いていないのは、
「自分が学んだ上でどう活かすか」なのだ。

当たり前だが、書いてない=自分で考えることで、
どうなるか分からない未来のことであるといえる。

例えばこうだ。
マーケティング手法を法人ではなく、個人に活かすという
やり方があるとする。例えば4Pなど。
しかしそれを本当の読者である自分、もしくはあなたが
どうやるかはほとんど一切書いてない。
つまり、事例や紹介例、著者のやり方があるだけで、
どうやって自分に適用するかは何も書いてない。

当たり前じゃないかと怒ってはいけない。
考えるというところでいえば、この自分で考えるというところが、
いかにも不安をあおることも多いのだ。
皮肉なものである。

自分で考えた結果こうだったから、こうしたんだ。
それは馬鹿だろうが、あほだろうが、失敗だろうが、
そういう経験がなければ・・・多分人は成長しない。

自分で考えることが失敗につながるのは辛いだろうし、
そもそも嫌という人もいるかもしれないが、
免れ得ないことだ。残念ながら。

そういうことは全て本には書いてない。
これは本で学ぶ・・・というときに、
こういったことを推測できるか・・・かが鍵なのだ。

というわけで、本に書いてないことを
学んでいくことが大事でもある。
でも、それは書いてあることを学ぶことから始まるのだけど。

どんなに頑張ったところで。

結果を残さなければ意味がない。

意味とは、過程がムダではなく、
結果として残さないと意味がないということ。

結果にこだわるというのは、
やや否定的に聴こえることが多いのだけど、
そうではない。

確実に結果を出すことはかなり強みである。
逆に、結果をいつも出せない、中途半端であるのは
弱みになりやすい。

過程から学べるものも多いし、
過程も好きだ。

でも、結果として、「ここ」で終わりなんだけど、
ってところで「形」がないと、
一体何をやったのかもわからずストレスとなるような。

がんばらなきゃいけないとか、
がんばっても意味がないという話ではない。

結果にどこまでシビアになれるか。
そこが課題ー。

リソース不足

リソース不足。

見事に、非創造領域に足を踏み入れ、
詩も生まれてこない。
そして、学びも少ない。

ふむ・・・。
やはり、リズムのある(パターン化した)生活で、
ある程度バッファがないと「生まれない」もののほうが
多いかもしれない。

デッドライン仕事術だって、
結果的には余裕が生まれるのだろうし。

そこ、捉え方間違えると全然理解が違ってきそうだ。

ターゲットを変える

自分がやらなきゃ変わらないというのは
「社会」ではなく「自分」のこと。
そして、ターゲットを変えるには、
必ず、前作業としての分析、つまり考えとか見解、見方、
どう思うかが出てくる。

セグメント(一定の領域?)に切れるかどうか。
その中である程度ターゲットを絞る。

多分、「同じような」やり方でやるとは、
「同じ」やり方ではないなと考えている。
ここは、もっとも価値のでやすいところかもしれない。

要するに、
同じやり方を継続するということでも、
時代とタイミングとか環境は変わるのだから
変えていくことでしか対応ができないということだ。

ターゲットを変えたり、
やり方を変えたりして
なんとかトライしてみよう。

それでどうしてもダメなら
諦めてしまえばいいじゃないか。

なぜ生きるのか

きた。

日常、いや1日を無目的に過ごそうと思えば
すごせるんだろう。そして、目的を持って
すごしてもやはりすごせる。

そして、結果的に、どうしたいかが鍵だ。
というか、それでしかない。

頭の意識だけぼんやりしているが、
後はすこぶる快調か。

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる

メモから起します。
気づきは以下。

・常にオープンにしておくこと
勉強会のプロセスの公開とか、そういうところから巻き込んでいく
流れができるんじゃないかと。
これ、結局戦略としては相当強いと思っている。
例えば、ユーザー参加型コミュニティ・・・というかは
分からないが、OKWaveを代表とするサイトがある。
Yahoo知恵袋とか、Gooとか、はてなもそうだけど、
それくらいの力を感じる。

まあ、手法としては軽いかもしれないけど、
やりながら運営しながら学びながら巻き込めるという意味で、
相当強い。
多分これに注力していきたい。

・バリエーションの増やし方
斎藤氏が本を書きまくっている話で、
対称読者の年代をかえたり、分野を分けたり、たくさんだす。
ライブコンサート感覚というのも面白い。
この本では、梅田氏よりも、斎藤氏が面白いと感じた。
多分、糸井重里の対談的なものからいうと、
梅田氏が糸井的になったような感じになる。
例えば、Web人間論かなにかで、作家の平野氏と話していたものもあったが
そういう意味では、梅田氏は良い仲介役だ。

・提案と全人格は別。
これは、なかなか興味深い。
提案をしてそれを断られると、人格を否定されたような
感じを受けるという話。そうではないんだろうし、そう思う。
でも、慣れてないとそう思ってしまう。
アイディアを批判しないというブレストが存在するのは、
実は「アイディア」ほど批判しやすいものはないって意味でもある(笑)
逆だね。
提案をどんどんして、全部否定することのできるやつは
なかなかいなさそう。積極性で稼ぐってのもありだ。

・好きなことをやらないと・・・サバイバルできない
梅田氏の考え。それが最低限というのは、なかなか厳しいとは
正直思える。が、別に僕は同感はするというところ。
何が厳しいかというと、「好きなことをやれない」人もいるのだとすると、
そういう人を多分推測だけど、斎藤氏は補足とか、頭に入れていて、
そして皆が伸びると思っているというのだと思った。
別に梅田さんが、厳しいとはそんなに思わないけど、
そもそも、これをさらにつっこむと、精神論の類になっていって、
「好き」「気合」「努力」「忍耐」「根性」「なっとらん」(笑)と
なっていきそうなので、ストップ。

要するに、好きなことをやることの大切さというか、
重要性をどう価値を置くか。いや、重くおくかが鍵。
いつまでたっても、後回しにする人は多分それを一生できない。
ただそれだけ。

・ノーと言われたくない
ノーといわれたくないのを恐れることで、動けなくなるのは
ダメだとは思うけど、やや批判的にいえば、
そもそも、ノーはノーでも意味合いが色々あるし、
ノーといわれたくないがために、動かない人と、
ノーと言われても動く人って、相当の差があるような気はする。

相手の顔をうかがって、評価ばかりを求めるのは
そもそもすきではないけどね。


まとめると、以下2点に。
1.学びの場の重要性という気づき
2.ともに高める人々との出会い
が重要。

ただし友人の指摘もあったのだけど、
私塾って結局何?って突っ込みにはちょっと弱い。
慶応義塾なり、松下村塾かな、とか例があれど、
それって、梅田氏の考えがちょっとあるだけで、
斎藤氏の反応は学校みたいなものに近いような。アバウトだけど。

つまり、この本からは、
私塾のすすめというところで、学びの場って重要だってわかるけど、
じゃあ作るかっていうときに、どこまで参考になるかは
多分そこまで考慮はされていないーはず。

で、実際に学びの場を創るのは、
ブログを書けばいいのか、SNSで人と一杯あっていけばいいのか、
そこらへんの方針とか戦略は一切ない。
当たり前といえばそうかもしれないが、私塾という題名には
そういうある種のフォローもあればいいのかもしれない。


あと、最近思うのは、
自分のことを語り、高めていける関係ってのは
皆本当に持っているのかと不安になったりする。
要するに、どこまで「語って」いるかが不安になる。
単なるおせっかいであり杞憂だけど、
自分のことを語らなければ人は動かないし、動けないというのが
僕にはある。

そこが最近の課題だ。
全体的にお勧めです。


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第一印象改善プロジェクト

やる気ないけど、
最近「第一印象」とか、「雰囲気」について
よく言われる。あまりいうと、個人が特定されるが(笑)

まあ、そんな話はどうでもよくないので、書いておくと、
第一印象は大事というのは多分重要なこと。
なぜなら、第二のアクションとか、次のものにつながるから。

何がどう、うまく結びつくかは難しい。

心理的には、
悪い→良いのほうが、
良い→悪いよりも、いいとは思える。
が、そもそも第一が悪い人にそこまで付き合うか・・・
という根本的なものもある。

初対面でどこまで出すかは
出たところ勝負なわけで、実は、相手によるとしかいいようがない。
この人は隠せないなあーみたいな人はかなり話せるが、
そうではないなあ、全然ダメだなあとか(笑)な人だと
話すことをある程度とめてしまう。

で、問題は、そういうのを差別とか、区別とか、
色々な言葉で言うかどうかなんだけど、
これは差別でも区別でもなく、
基本的なコミュニケーションだと認識している。
というか、そうじゃないと聖人すぎて、ありえんとすら思う。

感性という怒り、笑いがなきゃ話にならない。
そういう摩擦感は喜ぶべきでもないことも多いけど、
人が介在するとは「面倒」で「手間がかかる」ことで
また「時間がかかる」わけ。
そういうのって、実は貴重だと思えるのは、
デジタルな文章と、ツールがものすごく「味わい」がなくなってきて、
ぺったりしている=フラットなものになっているからだろうかなと。

第一印象が良くないことはないはず、
むしろ、6割くらい勝ちだと思っている・・・が、
そのうち勝率を下げても、確実に相手と
コミュニケートしていくところは譲らない。

さあ、寝るネル。

そして、つまり、そういうことである

指示語。こそあど言葉。
代名詞。

つまり、こうだから、ああで、そうなるから、こうなんだよね。
で、ああして、そうすれば、いい。

で、多分文章は構成されているんだろう。
でも、具体的な内容がないと伝わらない・・・ということだろう。

まあ、どちらにしろ、寝ろってことだろう(笑)

えーと

リソース回復。
動かねば。

うおりゃあ。

夢見る少年は何を思うか

希望と現実と現実と希望。

言葉をどう並べるかで、並べる言葉をどうするかで、
きっと意味が、意味がきっと
変わってくることがある。

話半分に、半分くらい話を
聞いているときに限って、
なぜか重要なことがあったり、重要なことがなぜあったりする。

対称の世界で、
僕は声を上げる。
非対称の世界で、
僕は声を荒げるかもしれない。

とにかく、働きマンでも読むとするが、
その前にやることをやらねばああああ。

やらなきゃだめ

練習は裏切らない。きっと。

だから興味あることは
何度も考えて、何度もやっていくことが大切だと
当たり前のことをさらに何度も確認していく。
これを再認というけど、多分そういう経験的な堆積的なことって
「再認」とはいわないような。

やっていって、はじめてわかるというか、
やらないとわからない。

今思うところは、
はじめのイメージが絶対あるんだ。
でも、それって理想とかかもしれないけど、
確実にずれるんだね。現実とは。

うまくできないとか。
でも、それであきらめずに少しずつなおしていけば、
ある程度は理想に近づける。どうしてもダメってことはあるけど。

そういうことを何度も繰り返していって、
確実にやっていくと、すごい力になる。

思っているだけだとか、
考えているだけだとか、
そういうのってダメな気がする。
ダメというのは、何もならないという意味で。

やって、あ全然違う。もっかいやる。
そんなことの繰り返しで、人は大きくなるみたいだ。

手を動かすことを推進中。

学び場プロジェクト

いくつか課題があって、
というか、「課題がないなんてありえん」というのが
印象的で。

で、それはどうでもよいけど、全くそのとおりだとは思うわけで。

そして、世界は美しいわけで。

あ、これRADWIMPSの歌詞っぽいわけで(笑)

学びというのは、学ぶのだけど、
なんていうか、学ぶってことをもくもくと
やりたい人は結構少なくて、いやそれはそれでいいのだけど、
ワイワイでもないけど、お互い学びあえる人を
常に求めているのが・・・人なんじゃないかと思い始めた。

というところで発想していくと、
結局のところ、場をつくる必要が出てくる。
場ってハコモノみたいに、建物、居住スペースとか
が出来ればOKなわけじゃないけど、
でも、そういう場って必要。

ただ、そういう場って、廃れることも同時に高い。
なぜなら、認知度とかは、常に人を囲い込むパワーがいるわけ。
で、それではきついから、ギャラリーとか並行して
何かをする必要がある。
ってことは、逆にいえば、建物があって、
そこで何かやっている人で、学び場に興味があれば
すぐに実行できるともいえる。

なぜ学ぶか分からないけど、
楽しくて好きでやっている人を
多分批判できる人はいても、
その批判はただの嫉妬さんにしかならないだろうということだ。

学んでいって、結果的に自分がどうしたいというところに、
整合性(笑)を求めていく。
そして合致すれば突撃し、あわないなら次にまたといって
そしてどんどん狙ってはGO、狙ってはGOを繰り返す。

やはり、今というときがチャンスだと思っている。
ふんばるぜ。

異物を取り込む

同じ日本人という言葉は
言い方がおかしくて、
日本国籍を持つという意味ではないだろう。

それはおいておいて、
異物とは何か?

自分以外のものは異物といったらどうだろうか。とりあえず。

自分が消化できないものは異物で、
異物は体内に取り込めないし、無理に取り込むと
多分自分が壊れるだろう。
体調管理はしっかりしたいところです。

異物をなんとか、色々な方向から
見て、消化していこうとする努力が
多分必要になる。

さあ、異物かもん。
僕は誰でも歓迎している。

もちろん、その後に突きつけられる刃で、
「歓迎」されていないと思う人は出てくるが、
それは「甘すぎる」。

戦略ではなく、戦術・策略など。
実はこうみせかけて、こうである。
そんなのは一杯転がっている。

だから誰も信じるなではなくて、
甘い考えがあることが、実はそれを
露出されることにひどくプライドを
揺さぶられ、怒りになるだけだ。

そんな安いプライドを押し付けるならば、
そこに僕がいる必要性はない。

やりたくないことをいつまで続けるか。
そこが問題だ。

常にそこにある仕事なんてない。
さあ、考えよう。

戦略を立てるということ

気づいたら、戦略戦略いっていて、
そして、確実に意図的にこうしていくということが
面白くなっていく。

戦略的に思考できる友人を持つのは、
非常に簡単だが、実はハードルは高いかもしれない。

普通という言葉は嫌いだが、
「戦略はどうなのよ?」
といわれて、速攻返せる人間は、そんなに多くない。
10人に1人いればいいほうだろう。

これは別にそれが優れている・・というのではなく、
そのような思考をそのときにしていて、また継続的にそのようにやり、
また、そのように生きてきて・・・というような
確率論。5%くらいの可能性をかけるべきだとか
思ったりする。

でも、この可能性は、必ずという意味だ。

100人会えば、5人の最高の人に出会えるということだ。
それが分かっているなら、100人に会ってみないか?

そんな考え方が大好きだ。

コミュニケーションについて

コミュニケーションとは何かを最近考える機会がある。
気分屋ではないが、乗らないときにいくらやってもダメというのがある。

僕は、話が空回りするときのあの瞬間が結構好きだ。マゾだな。
「うわー空で全開かよー」
みたいな、笑いもあるけど、そういうのだ。

なんでこうも空回るのかってところで
仲良くなれることはありそうだ。

確実に、それは面白いけど。

それはおいておいて、
さて、コミュニケーションとは何じゃらほい、というところだが、
通信だ。

通信でいい。
通信最高。

で、終わりっと。

数と量の問題で。

きた。
圧倒的経験地不足という課題は乗り越え、
次にあがってくる課題は量だ。

圧倒的に数と量が不足している。
足らんのだ。

といって、「やりたくないこと」を
必死にやるのではなく、
「やりたいこと」の量をもっと増やしていく。

やりたくないことばっかりやって、
それで「ああ、やりたいことができないな」というのは
ジョークとして定番化させたいのだが、
これ実は笑えない点でもあるのが怖いところ。

一体君は何をやりたいんだね?
そして、何をしていきたいんだね?

数の問題ということは、
質は完璧ということでもある。
すげーな。

僕は笑った。

でも、僕にできるだろうか。

TTP。相田みつをというところ。
批判したとかいうのがあったはず。

笑うというのは、面白いという要素以外に、
色々ある。深い。

笑うことは実は簡単だ。
手のひらを裏返して、キャッチしなきゃいい。
でもそれでやっていけるかどうかの問題だ。

多分、99%その笑いは自分に跳ね返ってくる。
だから、笑うのが怖いんだ。

発散と収束の使い分け

使い分けというわけではないが、
発散していくフェーズか収束するフェーズかを
常にみていく必要がある。

常にだ。

発散していくところで、収束をかけると、
無駄なエネルギーを使うことになる。
この世に無駄なことは何もないのだ、という
考えは可能だが、それがムダかどうかは
実は、その人が決めることになる。(個人ベース)

でも、残念ながら、体験として「無駄」だと
ラベルを貼ったものは、「無駄」引き出しになるだけで、
意味はない。

意味ってなんだ?
無駄って何だ?

何をしたいかを常に考えていく。

おそいひと

障害者が人を殺す。殺人映画。
とかくと、どう読まれるか微妙だが、
映画は何を求めているか。さあこれははっきりいって
浅いわけがない。

主人公の住田(すみた)は、
ビール好き、女好きの障害者。
彼は声を出すことがほとんどできないため、
テプラのようなキーを押すことで、発声する装置を持って
会話している。

最初の方で、ヘルパーの人に、
「あの娘いつくる?」
としつこく聞いてるので、
「エロ親父め」と悪態をついたら、
住田が「ぼけ」と打っているのが印象的。

僕のつたない経験でいえば、
障害者は人であり、健常者と同じように感じ、
同じように笑い、同じように話す。
一部の機能が失われているがために、
どうしても、フィルタリングがかかり、僕は身構えてしまうのだ。
が、どうだろう。
バリアフリーであれ、一体こういった話は
どこまで意味があるのだろうかと、疑問が残る。
要するに、窓際のトットちゃんみたいな、トモエ学園が
一体今いくつあるかと。

既成の教育というのが何をさすか分からないが、
基礎力に感受性とかってのは育むことは無理なんだろうとか
妙に寂しくなる。

障害者の差別を助長するというような見方もできるが、
ここではそのような見方はしない、というかできなかった。
彼は、まずはライブバンドのボーカルのタケを殺し、
次に通り魔として、3人も殺す。
そして、最後につかまるが、彼はなぜ人を殺したかは
全く語られないし、分からない。

殺人者であるならば、障害者も関係ないか。
途中、女子大生のヘルパーに「一発やらせてくれない」と
FAXして、彼女は住田に怒りをぶつけているシーンがあった。

ちょっとまえに、ボランティア・セックスという本が出ていた
と思うが、色々なことが思い出される。

この映画は、ノイズのような音、いや多分早送りと巻き戻し?かな、
で、何かをあらわしている。
住田の思考かもしれないし、住田のスピードかもしれない。

彼の生活は、ビールを飲んで、ヘルパーの人に作ってもらった
料理を食べ、部屋などはある程度世話されて、
結構満足できそうな、生活に見える。
が、彼の鬱屈、いや何かストレスとしてたまっているのか、
そういうものは意外に見えてこない。


人がなぜ人を殺すか・・・。
理由はないのだろう。逆にいうと、根拠があれば殺してもいいのか、
ということにもなる。

焦点は、障害者が殺人するということだ。

女子大生に「住田さん普通で生まれたかった?」ときかれた
住田は「ころすぞ」と言う。

健常者に対する鬱屈はあったのだろう。
いや、ない人間がいるとは思えない。
当たり前だが「障害」をもって生まれたいなんて、
誰もが、望んでいるわけじゃない。

しかし、現実は「そこ」にあり、全てを受け入れるしかない。
この作業は非常に辛い。
自分の身体が、葉っぱに見えるとき、また、自分の身体を支える
足が、自分の身体を支えられないとき、
世界と、自分と、社会と、身体の距離は全くばらばらになる。

健常者への恨みではない。
なぜなら、住田は先輩?と敬意を表した・・・はずの
障害者をも殺そうとしたのだから。


とにかく、深い。
内容はシンプルだけど、音と、めまぐるしく変わる映像は、
光のようですらある。

色々落としていきたいが、
この映画は・・・多分見たほうがいい。
僕の中では全然消化できていないところだ。

住田は何を考えていたかだけが、気になる。




粘り=あきらめることの本質的なもの

粘り=諦めること

間違いではないかと思う人もいるかもしれないが、
実は、粘るということは、諦めないことなんだけど、
諦めることというものが含まれている・・・。と思う。

要するに、
土台に、諦めるってのがあって、
その上に諦めないがある。2階建て。
2階建ての家をみたら、これは2階建てっていいますよね?見た人は。
その2階建ての家を粘りという・・・つまり、結果。

人は、概観で判断することは・・・多い。
僕は粘り強い方ではなく、2階建てが多いかもしれない。
しかし、諦めることの重要さも好きである。
もちろん、諦められないならしつこくアプローチすべきである。

しつこいな!もう!
ってくらいに思えるくらいに嫌がらせをしていく。
これも戦略。

もちろん、冗談です。少しだけ。

調子が良い時ほど、ややバッドなことがおきる


要するに、体と精神はOKで、つまり自分はOKだが、
他人が乗ってこないとか。そういうことはある。
こんな面白いのに・・・(笑)とか。

それを見極め乗り越えていくこと。

良いものでカバー出来るということもある。

対応としては、良いって思ったら、
どのレベルか。一生譲れないか、冗談なのか(笑)

乗ってこないのをいつまでも待つキャパがあるかどうかも
重要だけど、
ちっ!って思う時はやはり、無意味な動きになって
空回るので危険だ。

ムダドリ手法を考えていく

ムダをどのようにとっていくかを考え、トライしていく。

例えば、プログラミングなんかでは、
コンパイル時のちょっとした間がある。
そういうときに、手を動かして、作業見積もり、
考えられる課題、メールの粗いのをかいとく、
メモする・・・色々できる。

5,10分での単位でのタスクというのを
いきなりあてこむのは難しいけど、使えるところかもしれない。

品質を高めていく

キーワードでもある。

仕事の質という意味。
質とは、仕事によってばらばらだ。

医療なら、製品、サービスの質。
もっといえば、いかに患者に負担なく手術を行えるか。
いかに、回復に向かうことを提供できるか。

作家なら、作品の創造性に妥協をしていないか。
面白いことやってるかどうか。

常に品質を高める努力を怠ってはいけない。
それがどんな仕事であれ、だ。

結局そこに行き着く。
そして、仕事だけの話ではなく、
変化と改造、というところがすきみたいだね。

どのように考えて生きていきたいか

自問自答もいいが、他問自答とかでもいいかも。

自問他答とかでも・・って、
こういうことを「哲学」だといって、
無縁とか、意味なしとかいってると、
速攻滅ぶ。

滅ぶとは、やっていけなくなるということ。

戦略として有効なことは、
好きなことをやりぬくこと。

これは有効だと思う。万全だとは実は思ってないけど、
でも、結局、一度の人生何をやるかということを
考えていくと、やはり・・・。

好きな人や、好きなことや、好きなことで
固めることが絶対に必要になってくる。

どこで間違ったか、好きなことやる=悪とはいかないまでも、
=良くないみたいなのがある。

ストイックのベクトルが圧倒的に誤っている。

そんな風ではやはり辛すぎる。
というわけで、
好きなことにストイックになってください(笑)

よく観察する人

一つのことからよく物事を見ている。

よく行動なども見ているため、よく把握している。

この人にはかなわないや、という敬意。

要するに、よく見ている人というのは、
やはりTTPしている。
なんか似ているなーと思ったら、それはTTPの結果。
そしてそこからの自分流のアレンジ。編集。適合。

観察と見るはやはり異なるのだ。
よく見ていくだけで学べることはある。

寝方

最近、背もたれにしっかり頭をのせ
頭がやや上方に向くようにすると、
あら、不思議。めちゃくちゃ寝れる。
ああ、これは電車の中の話(笑)

寝ていても大丈夫な日本の平和・・・。
ありがとう、マザー日本(笑)

それはいいとして、さくさくタスク片付けて寝ますか。

ドリブルだけじゃつらい

ので、パスする。
ほら、日向くんの強引なドリブルは体力使うわけですね。

思うに、一人で何でもやろうとする努力は立派だけど、
それでどこまでやれるかを考えて、実際に計画、戦略、
予定を組むほうがやはりかっこいい。
そして、明らかに言えることは、

「自分のキャパをこえたとき、どう動くか」

を考えていくことにならざるを得ない。

何を削るか、全部やって燃え尽きるか。
それとも?

一人じゃ何もできない・・・からこそ、
仲間を集い、人に会い、声をかけていく。

「こんなのはどうかな?」

こういうラフプランで動くものが
やはり面白いわけ。

だからドリブル志向の人にも
パスを進めることにする。
ああ、薦めるね。

ハードなもの

知識がハードなら、やわらかくする必要がある。
つまり、抽象化→具体化。

知識、いや学んだことがやわらかいなら、硬くする必要がある。
つまり、具体化→抽象化。

前者を演繹、後者を帰納とかいう。はず。
よく間違えるので信じないように。

で、なんでこんなことをするかというと、
よりよく学ぶとか、オトシこみたいからなんだろうと思う。

例えば、魚群を発見するには、カモメを探せとか、
そんな話あるような。
でも、それって、抽象化すると、
何かの合図があって、何かは起こりやすいとか、
そういうこともいえる。

すると、何かの予兆とかも分かるかも。
船の備品がなくなっているとかね。エンジンが調子悪いとか。

もっと例をあげていこう。
デジカメが壊れるということはないけど、
デジカメの充電は充電が切れてからやるべし・・・って
電池の特性だろうけど、そんなのがありそう。
それってなぜか?

これを抽象化すると、何事も使い切る、タイミングとか
適正があるってことになる。
例えば、バットは太い方であてる道具で、
細い方であててもいいけど、使いづらい。
適正は、太い方であてる・・・わけだ。

例えば、お金が欲しいという人は、
多分、お金という適正な道具で自分の欲を解消しようとする。
が、欲は残念ながら消えることはなく、
どんどんその欲は大きくなるのだ。

だから、欲を追求することがどうではなく、
その欲を追求することで、自分の戦略(笑)の
整合性が取れていればOKだとしたい。

要するに認めるけど俺はヤダよっていうのが
公然といえるのは、それだけの戦略があるってことになる。
代替案を提示するのではなく、自分とはやり方が異なるといえばいい。

かっこいい。

窓ぎわのトットちゃん


これは実は実家にある。文庫ではなく単行本だった。
多分読んだ覚えがない。新鮮。

この本が出たころ、僕は生まれている。
戦争中のトモエ学園は、とても戦争中とは思えない精神で、
毎日があった。
電車の学校・・・はとても楽しそうだ。

教育に関する本として読んだのではなく、
トットちゃんという著者自身の実体験から、
黒柳徹子という人間の深さを知ることができる。

僕も思い出したのだ。
小学生の頃、うまく言葉にできないが、
僕の家、つまり親なんだけど、ちょっと変わった雰囲気があった。
それは、今は全くないのだけど、子どもの頃は
なんかそんな気分があった。

変わったというのは、「おかしい」というのではなく、
何か「普通」ではないということだ。
普通って、要するに、皆と同じってこと。
皆と同じことっていうオーラがなかった。

それってちょっと怖い。
実は怖いのだけど、僕がそういう風に生まれていることは
ほとんどの人は知らないだろう。親は知っているが。

だから、すでに、言葉にはできないものが、
小学生くらいにあったんだろう。
皆と同じことをやることで、その危機感。
だから、高校では哲学ってものを誰か教えてくれたら、
速攻そっちの道にいったんだろうとか思う。
研究者というよりも、哲学者になりたかったかもしれない。

そういう人と違うことに価値を置くのは
今も変わってない。やはり、同じでは面白くないのだ。
そして、哲学ではなく、ビジネスで、
やはり勝負をかけていくのが、自分らしいと結論に達したのだ。

同じようなことを考えている人はいるかもしれない。
起業とか独立といったようなことだ。
でも、なんでそうしたいかは常に考えておいて、
時には忘れるが、やはり軸だけはぶれないようにしたい。

トットちゃんを読んで、幼少のころの体験の
大事さを感じた。やはり、感性が大事だと。


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世界は並行でリアルタイム

四川とミャンマー。とどめは、国内の犯罪。
そして、裁判員制度、原油高による高騰。

何を嘆いているか?
いや、嘆いているわけではなく。

一人でも多くの人が寄付とか、行動とか起してもらえたら
いいとは思うが、別に僕は取り立てて動いてない。

新聞やニュースで震災を知っても、
それは行動に結びつかない。

別に僕は・・・何かを皮肉っているわけでも、
素直なわけでも、震災にあった人は早いリカバリを願うばかりだ。
と、思っている。

ただし、世界は並行だというのが問題で、
要するに、中国で人が死んでも、僕は日々、仕事をしていて、
酒を飲んだり笑ったりしている。人は死んでいる。

飢えというのも同様だ。
僕が何かを残す・・・凍ったサラダは食えない。贅沢だろうか?
その時に、誰かは食えずに死んでいる。
死んでいるのに、残す。喜劇でも、悲劇でもなく、事実だ。

といって、僕は嘆いてそれで終わるなんていってない。
ただ、自分の力のなさを感じるのみだ。馬鹿野郎と。

悔いる。ただただ悔いる。

日本でもオリンピック前に新潟で震災があったそうな。
なんていうか・・・知らないことが多すぎる。

最近、オスカー・ワイルドを知った。
本を読んでも知らないことは多すぎる。

世界は並行で、僕が生きているとき、寝ているとき、
仕事しているとき、遊んでいるとき・・・
その時、誰かが別のことをしている。
そして、それは「リアルタイム」であって、
全く同じ時間に何かをしているという不思議。

ならば、僕はどのように振舞うべきか。
振舞うとは、意図的な動作。つまり、戦略なのだ。

おそらく、今後の時代は、
個人の力をうまく見出す人が
成功する時代になるだろう。
これは個人主義とは意味が違う。
個人主義とは、個人に帰結して物事を考えることだろう。
集団主義の逆だ。

個人の力をうまく見出すとは、
個人も集団もメリットを使い分けていくということだろう。

会社を踏み台にして昇る人、踏み台にされて終わる人


要約すると、
「会社を踏み台にしていこう。
踏み台とは利用し、活用していくこと。目標は踏み台にするのだから、
独立は転職がその先にある。
自分の今の仕事で学べるものを学び、使えることは徹底的に使う。
リスクをしっかり認識し、いきなりやらないこと」

みたいな感じです。
著者は結局、粘ってゆっくり読者に語りかけるように、
やはり思い切りいこうぜ、といっているように思われます。
ので、とても学びになりましたね。

気づきを。

P.79
会社の中で見極めることとして、
1.学ぶ要素
2.考える要素
3.実行できる要素
の3点を見ろといってます。
学ぶということについては、何度も書いているため、
ここではスルー。考えるもスルー。
実行できる・・・というところが最大のネックでしょうか。

P.88
得意技。
これは友人とシェアしなきゃいけんのでスルー。
要するに、得意なことをやっていけるスキルみたいなことです。
自分はこれが得意。例えば、システムエンジニアなら
PCは得意な部類でしょう。SEでPCが苦手はありえないです、きっと。
そういう意味で、プログラミング言語とか、PCを扱う広く全般が
得意というのは強みです。
これって、PCが普通に使えればいい・・・とかではなくて、
例えば何か課題・問題があるときの対応として、
どうアプローチするか。これは意外に「得意」ではない人だと
「どうすればいいか」分からないものだと思うので、強みです。
といってますが、画像の圧縮とか僕分からないんですけどね(笑)


P.90
自分マーケティング。
本があるそう。調べよう。

P.92
井の中の蛙。
久しぶりにこの言葉を目にした。
前はしょっちゅう使っていたが。
さて、そんな僕は蛙かもしれないな。

P.144
1つの仕事から2つ以上の価値。
この著者の指摘は痛いほど分かる。
というか、僕もこれを目指しているし、そうしている。
例えば「企画」について。
企画というと、イベントの企画が連想しやすいが、
別に「会社の新商品企画」だけが企画ではない。
もし、そうだと思っている人がいるならば、その考えは
どっかにやっちまったほうが多分いい。

例えば勉強会も企画になる。
1.テーマを決める
2.人を呼ぶ
3.場所をセットする
4.懇親会なども考える
5.どういう進行をするか、司会を考える
6.どういう風に学びたいか
7.時間、人数・・・

いくらでも考えることはある。
上の勉強会をやることで、
・司会はこうやればいいとか、自分は司会向いてないとか
・人を呼ぶのは難しいとか
・定期的にやるのが難しいな。他の人はどうやってるんだろうとか

そういう気づきが出てくる。
そこに1つの仕事=勉強会を企画することで、
2つ以上の価値=気づきが出てくるということだろう。

仕事だから、議事録を書く仕事だったり、
メーリングリストを作ったりしてもいいし、
音を録ってみるのもいいし、ホワイトボードを写真に撮るとか、
色々楽しげにやることもできる。

1つ=1つで、完結しない。
何かにつなげる、これもできそうだ、
1つに込める、複数がそこにある。

そんな視点を明らかにしてくれた、著者に感謝だ。



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小さな目標をたくさん立ててそこにフォーカスをあてていく

例えば、
予定、企画、デザイン、勉強会、学び、イベントなど。

そこにフォーカスをあてていって、
確実にやれば、結果はついてくる。
もちろん、それだけではだめだが、
といって、目の前のことに集中できないのも
困ったちゃんであるので。

予定を小さめなのをいくつか入れるほうが、
大きめでがっつりもいいけれど、
満足度はあがりやすい。

まあ、あくまでも目安だけど。

空き時間とくに5分10分の使い方

を考えるのはありだ。
隙間時間ともいう。

でも、これらが空いたら「やること」をすでに
決めておいていつでも取り掛かれるような状態にしないと
ダメだ。

だから、荷物が多くなるのは「すこぶる」健全だと(笑)

いつでもメモしたいなら、ペンを5本くらいもっていてもいいわけで、
メモを3冊くらいもっていても、全然OK。
全身に付箋つけててもいい(笑)

空いたらこれやる、とか決めておけば速攻できる。
バッファに蓄えておいて、速攻とりかかれるような
メモ、または状態、道具、準備をしておく。

イメージでは、スリープモードって感じかな。

ということをTTPしていく。

何度も何度も

デッドラインを明確にする。

くどい。しつこい。をモットーにする。
何度も何度も言っていく。
そう、お前はそれをしたいのか?
やるのか?するのか?やるのか?

徹底的に問う。

しかし、そういう緊迫感もすぐに消え去る。
寝るとなんか頭が軽くなるのは、
多分「大分」忘れるからだと思う。

上のような緊迫さを求められることも
忘れてしまう(笑)

だからまた言う。

デッドラインを決めろ!
そして、生産性を高め、
圧倒的に勝つ。

これを得意技にするぞー。

思い上がりの使い方

思い上がり。
例えば、圧倒的な偽善。
ここでの偽善とは、良い「ふり」をすることで、
結果的に良いのは一瞬で次にはメッキがはがれること。

実際に、今まであってきた人の中で、
「思い上がり」的な指摘をする人はいた。

例えば「あなた何でもできると思ってんじゃない?」みたいな、
「人生甘くないよ」「そんな簡単じゃないよ」
「自分のためにだけでは無理だよ」

残念ながら、結論をいえば、
これらは「嘘」でした。
というわけで、嘘をついた人は、どうするか?
どうするもなにも、僕は知らないけれど、
そういう「世界」(これはビッグワードだけど)を
生きていてそういう「世界」だと思っているだけだと
思っているだけだろうといえる。

性格は全て思い込みというのはあるが、
これは言いすぎな面はある。
が、食わず嫌いで広がりを妨げるのはあまり好きじゃない。

世界の見方をレクチャーしてくれなんていってないし、
そういう世界の見方からどう考えるかを
どちらにしろ、客観視してないなら、
落ち着くところは「今が一番」で、
「高望み」はしないよ、なんだろう。

全く詰まらん。
つまらなさすぎて、悲しくなるわ。

何を面白いと思うか。
その押し付けは圧倒的に控えているのだが、
たまにちゃぶ台ひっくり返したくなるときがある。

というわけで、ちゃぶ台のかわりに
雄たけびを!!

うきょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

グッジョブ!

ベクトルの整理

デッドラインを設けることで
生産性をあげる

圧倒的に勝つ
それには 集中と無駄鳥
そして、予定が必須だ

つまり、
1.やりたいことがない
2.適当にやっていれればいい
3.人生なんて面白くない

のどれか1つでもあったら
デッドラインは達成できない。

なんで、そんなストイックなの?
そんなことは言われたことはないが、
そういう風に感じる人がいれば、
この境地に立ってみれば分かるさ。

そして、この境地を押し付けない
優しさ、いやただの恐れか。

見えないものこそが大事だといってきて
結局やはりそうだったということになる

見えているものが「嘘」が多すぎる
言葉にもうそがある。

信じてはダメだ信じてはダメだ
目の前のことに集中することで
自分をごまかすなんてもっとダメだ

デッドラインを引けるかい?
引けなきゃ、圧倒的に負けるだけだ。

朝のお経

お経が始まる
彼は、彼女は悪くない

お経が始まる
彼は、彼女はきっと悪くない

悪いのは、犯人探しをするなら
きっとこの社会だろう

でも、残念だ。
社会も悪くない、
そして彼も、彼女も悪くない

誰も悪くないなら
なぜ自分が苦しむのだ
そう君は問うだろう

そういう苦しみは一杯あって
そんな苦しみを抱えた人は
とてもとても人に優しくなるか
とてもとても嫌なやつになるか
どっちかかも そうではないかも

彼も彼女も悪くない
社会も悪くない
僕も悪くない

赤の他人も悪くない
赤から青から金色でもなんでもいけれど
他人も悪くない

外国人も
健常者も
マイノリティーも
政治家も
犯罪者も

多分誰かが悪いという
そして 誰もが悪いという

法の精神にのっとり
全てを裁くことはできるのかいなか

朝のお経はとてつもない
現実とそして夢、そして、未来。
または過去、そして現実、また過去、
さらに未来、そして過去、現実過去未来過去未来過去、
を意識させる

現実に起こっていることは
全てではない
一部だ ほんの一部だ
起きていないことは 現実ではないわけでない
起こりうるものがおきていないだけかもしれない

目を光らせろ
耳を研ぎ澄ませ

あまりにも それじゃ 刺激はやってこないぜ

駅を一杯作るんだ

駅を一杯つくれば、
向こうからやってくるかもしれないが(笑)
少なくともこちらはいつでもいけるように
しておけば、そこへのルートとアクセスは確保されている

もちろん運行時刻もあるけど、
そこへいけるということと
運行時刻の現実性とは
比較対象にならない

駅を一杯作れば
色々いきたいところへいける

駅を一杯作って
わんこそばでも食べにいこうや

毎日に期待する

毎日は希望の毎日である。
そこに「同じ」かどうかは関係ないのだ。

要するに、どう主体的に、面白く取り組むかであって
相手には関係がないことなのだ。
というのは、もちろん現状の肯定では決してないが、
肯定しておいてやる。

戦略的に動く。
後は結果を出すのみだ。

そして、毎日
「くる!きっとくる!」といって歩こうか(笑)

無茶ぶり

最近の流行言葉。

無茶してやるのがかっこいいわけではないが、
あえて無茶するのは、意識的無茶というわけで、
コントローラブルでなかなか。

あえてではなく、無茶で無茶していると
最悪だが、まあ、そんなこといっている
余裕がそのうちなくなるわ!(お、逆切れだ!

たまには無茶するってのもいい。
さて、今月はあと、10日くらいだが、
いつ無茶しようかな♪

デッドラインを設けて圧倒的に勝つ

TTPして取り入れられるところといえば、
デッドラインを設けること。
これは当然なのだが、デッドラインという言葉が気合を入れてくれる。

仮決定という言葉がある。
実は、これほぼデッドラインの意味だ。
だいたい仮決定しておけば、そこを決定できる。
しかし、そもそも日取りとか、設定がなきゃ何もできない。

今では笑い話だが、
ある種のアイディアを問うたら、それは企画とかアイディアをあなたが
投げるべきだといわれて、ふんづまった覚えがある。
要するに、ブレストを狙っているのだが、
そもそも、ブレストの意図も、またアイディアに対する、いや
共有ということもないそういう人もいるのだなと感じたものだ。

要するにベクトルが全く違うんだろう。
だから、ネットというものは、大量の情報がありそうで、
偏ったものしか受け入れてないし、
また、誤解もしまくっているから、
人と直接会うというほうが実は「情報量」が多いし、質も高い。
という結論になってくる気がする。

例えば、自分の名前を仮名にする人はいてもいいが、
そういう人がいつまで仮名なのか。
コミットとして、自分の存在をペルソナ?として、仮面をかぶりたいのか
分からないけど、そういうのは僕にはちょっと分からない。
理解したいとは思わないが、分からないというだけだ。

また、現実で、平気で嘘をつく(冗談ではなく)人とか、
あと、約束を平気で破る人がいるが、
そういう生き方は、多分、自分のことは棚にあげずにいうと、
僕もそのようなことが全くないわけでない。
しかし、そのようなことが続いて信頼とか人との関係が
深まるわけがない。
そりゃ性格とかもあるが、はっきりいって他の長所、特徴、魅力がなきゃ、
ただのわがままと自分勝手さんで終わるだけだ。

という意味で、強みを磨くのは定石として挙げられるね。

デッドラインを設けることで、追われる感があり、
それでは自分の人生ではないという人も大いにいそうだ。
でも、少数の人を除いて、追われる感をうまく利用すればいいだけで、
多くの人は、大抵「楽」=現状維持(これは楽ではないが、同じことをやって
変化しないほうが絶対に楽なのだ)をしたいだけではないかと。

追われる感をどう考えるかもあるし、
そもそもデッドラインを設けずしてできるなら
そうすればいい。

まあ、人の噛み砕き方によるけど、
人間は楽する生き物。だからそうやってある種の強制力スイッチを
働かせる戦略に僕は賛同したい。

衝突を恐れるな、でしかないなあ。
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