ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2008年03月

こうして会社は潰れていく!

八起会という倒産にあった人を支える会の長が著者。

なかなか面白い。
ただし、月並みといっては申し訳ないが、
おそらくそれは著者自身もあえていうのだろうが、
経営とは何か。例えば堅実な経営をすることだ、というような
王道をゆく。

倒産にあう人は、慢心があり、また自分の力を過信し。。。
判断できないなどもある。

まあ、それらのことを踏まえた上で、
どう出るかが、僕に与えられた課題となる。

自己破産とか、借金(膨大な)は結構怖い。
でも、きっちりやれるなら、借金は意外に「普通」。
例えば無借金経営=善というのは、一理あるが、
ただ借金をしているからといって別に悪でもない。
そもそも、金を借りて回すことで成長が可能という判断をしているともいえるから。

また、お金を借りることで、銀行への信用というのもある。
これは深く追求すれば、なかなか深いが。

だから、別に借金をどうこうではなく、
個人はともかく、企業体では普通だろう。無借金経営とは
利益か、資産が相当多くて、いや正確には運転資金か、
が多いということで、健全だが、別にそうだからOKともいえない、
それだけだ。

この本の中には、小林一三とか渋沢栄一とかの
話も少しだけ出てくる。ぱっとみて、分かると面白いですね。
まあ、昔の経営者といえばいいんでしょうか。


こうして会社は潰れていく!―失敗にこそ教訓ありこうして会社は潰れていく!―失敗にこそ教訓あり
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僕は・・・

決して逃げたりはしなかった。
でも、逃げている自分がいたりするかもしれない。

そういうちょっとした「不安」というよりも、
何かもやもやしていることを全て吐き出してしまうというのも、
何かいいかもしれないけど、どちらかというと、
限られた人に吐露するのがなんか、というか、
誰にでもいえない・・・というのがいいなあと。
メタ認知するわけじゃないけど、それがやはり自然だと
そんなことを思った。

僕は・・・
決して逃げないし、おそらくやり遂げるだろう。
そのためにただ鍛錬をしているだけに過ぎないのだ。

はじまりがあれば

おわりがある。
例えば人類、例えば人、例えば企画、例えば、出会い。

なんでもいいけど、5年、10年たって
その人の考えが変わらないのならば、それはコアなんじゃないかと
勝手に思ったりする。
変えられないというのは良い意味でも悪い意味でもいえるわけで。

綺麗な飛び方で空を飛ぼうとかは思わなくて、
といって独自のスタイルに拘るようなこともない。

しかし、考えと想いがやはり捨てるわけにはいかないし、
というか、それなきゃ俺ではない、僕ではない、ということになってしまう。

自己のアイデンティティなぞなにもないのだと強がることも、
何でもいいじゃんと嘘ぶくこともできる。

でも、はじまりがあればおわりがあるのは、
やはり変わらないわけで。

さようなら さようなら
そして ありがとう

と月並みの詩をここに記す。

にしても、放電コミュニケーションって
コミュニケーションなのかどうかが気になる。
というか、コミュニケーションじゃねえ。

でも、広告をコミュニケーション戦略といってる。
むう、むずいな。

ふむ・・・

ちょっと送信メールをふりかえってみた。

確かネット環境的に、
3年前くらいからはあるはずなんだけど、
多分メーラーを変えたんだろう。2年前くらいまでしか
入ってないや(笑)

ま、それはいいとしても、
人との関係の形成・・・みたいなものも、
人によって大分違うこともあるし、そうでもないかもしれない。

大学のダチは一生ものとはよくいうけど、
確かにそうだなあとか思ったりしながら、
寝る寝るねーるねだ!

超特急で振り蛙

蛙と鮭の違いは、魚か虫の違いだけだったりします。
あ、漢字が。

ド根性ガエルのぴょん吉からにじみでてくる、
当時の流行した思想(笑)と、
デスノートなどに見られる現代の終末思想(笑)は、
というか、デスノートってなんか教育というか、
呪いみたいで怖いんですけど(漫画だからとかはおいておいて)
なんかホラーと、現実の怖さって感覚が違うんだろうなあ。

んなことはどうでもいいわー。

超特急、のぞみレベルで振り返ると、
まあ、俺はがんがったね、という評価。

常に自分を肯定する、この空気読まない(読めない)感が強み。
そして読んだら自分はナメクジに塩、化するぞ、この野郎(笑)

友人に長期レポートを提出するかで悩む。俺らしくない。
が、迷ったら送るのがモットー。送るか・・・。

というわけで、振り返り終わり(はえ。

自由の悲劇―未来に何があるか

著者が新しい歴史教科書をつくる会を創った人だとは
全く知らなかったが、
この本を手に取ったのは・・・相当昔だ。
ちなみにこの本も古いが。

ざくっということはできないが、
そもそも歴史観はあまり僕は興味がない。
興味がないというと、お前はそれでも・・・みたいな妙な野次が
きそうだが、まあスルーだろう。

で、自由の悲劇とは一発でいえば、
「自由を求める時に、まあ色々な自由があるんだけど、自由を求めているが、
実は不自由さを追い求めていることもある。自由への障害が自分ではない
外部にあると思っているが、実は自分が不自由さを助長、いやその
元凶であることもある」
というようなことで、
パラドックスというか、自由を求めれば求めるほど、不自由になるという
話はよくある、と思われる。

例えば、自由になるために知識を得るとか、確か友人が近い話を
していたので、今度触れてみることにしよう(笑)
年収を多くする=自由というのは、結構うがった考えで、
別にお金を稼ぐなというわけじゃなくて、そういう価値だけしかない
みたいなのがもしあるなら、それはちょっとなあとかは思う。
もちろん、お金があれば自由になれるかもしれないが、
そこでの自由は選択の自由であったりする、だけかもしれない。

自由というのが、ある程度組み込まれた、文化的とか、または
宗教的とかでもいいけど、そういう制限がある中での自由も
ふんだんにある。

まあ、そんなうざったい話は(笑)おいておいて、
結局、自由かどうかを自分で問うときに、
自分は自由だ!っていえるかどうか。

いいね、こうじゃなくっちゃね。

本書の中でいくつか面白かったのは、
自己の正当性を主張することで、誠実さが認められるということ。
つまり、視点が滅茶苦茶狭いとか、そういうところがある。
まあ、全体を把握=曖昧になる視点=日本人的というのがあるんだろうけど、
まあまあ、自由について考えるのは楽しいですね。

自由の悲劇―未来に何があるか自由の悲劇―未来に何があるか
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希望の書店論

むう、熱い。溶けそうだ。

・本という商品自体がロングテールの尻尾的
これは、Amazonとかのネット書店が、ロングテール(つまり、売れ筋ではないものが結構なチリツモということ)というわけではないということ。
まあ、とはいえ、定番商品とかになるかもしれないけど、
やはりサイクルする書店の棚だから、Amazonの在庫数とかと
比べるとか、選択できる(買える)ものとは比較にならないと
勝手に妄想。まあ、本っていう商品自体が、売って終わりみたいな
売り切り商品じゃないっすよね・・・。でも、そんなこともないか。

・海辺のカフカ
え、これって私立図書館出てくるのかよ!
というわけで、買い。意外に読まれてないな。結構ヒットしたと
思うんですけどね。

・図書館を遊ぶ
むー、これは図書館にリクエストしてみるといいかもしれない。
というわけで、読みたいっすね。
ざっくりいうと、文脈としては、本屋とか図書館が、
読者を鍛える機能があるということ。最もだと。
ただし、これって別に上目線じゃないので、シッター(笑)な人は
気をつけましょう。嫉妬erってことですね。

で、この福島さんの前著というか、劇場としての・・・は
読もうと思ったわけですね。いえい。

希望の書店論希望の書店論
福嶋 聡

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アウトプットは限られる

そういうことかもしれない。
確かに。いくらインプットしても、それを何かに結びつける、
使っていくことがなければほとんど意味がない。
意味を常に求めるわけではないが。

というようなことをいう人がちゃんとその作業を出来ているかも
メタ的に問う。

そして、自分がタジタジになり、動けなくなるところまで、
うおりゃーでふ。

見せ方と見た目

どこまでかは分からないが、
見せ方は大事で、でも、見せ方だけで、
つまり、見た目だけで、本質が空でもアウト。

ただ、面白いのに、
本質は成長できるが、見た目ってそんなに
成長するというようなものではない・・・と思うから、
なんていうんだろう、
少し本質は弱くても、見た目で引っ張りあげるほうが、
本質が最強でも、見た目がダメなことよりも、
何かやりやすい気はする。

普通って、逆なイメージはするけど。

それってなんでかというと、
見た目的なものって、現実とか、ルールとか、合理性の話であって、
実は無駄かもしれないが、ルールとしてまあそれくらいはあるね、
なんてものは、やっておいて「型にはまる」くらいで、
いいんだろうとか思ったりする。別に本質を型にはめるわけじゃない。

あと、すごく細かいが重要なものがあって、
それはやる気みたいなものだ。
自分がどこまでやりたいかというか、やってみたいかどうかって
ものすごく重要で、やりたい人に普通はやってほしい人は
お願いするってだけの話。

夢、やりたいこと、訴求、そして、飛翔。かけがえない今の人生に。

哲学とギャグ。
その関係は?

両方ともふざけているようでふざけていない。

む、甘い。

夢とかやりたいことへの訴求力というか、
追求力といえばいいんだろうか。そういうのが
ものすごく大事だと思えるようになってきた。

そのやりたいことが何かによるけど、
それって結構しっかりやらないとできない。
というか、その前に前準備っぽいこともそうだし、
それは、やりたいからやるんだって、
言葉にまとめられちゃうのだけど、でも
そうなんだろうなあ。

やりたいこと、夢、確実に落としこんでいく。
目の前にあるのは、詩。
全ての言葉のメロディーとなりフレーズとなり、
世界が言葉の旋律になる。

詩が生きている。

整理

コミュニケーションということに
最近ものすごくフォーカス?をあてていて、
なんで、そんなことをいっているのか。
正直分からないが、なんか大切なことのような気がしていて、
それって実は・・・自分だけじゃないし、
そう思っている、例えばそんなの基本じゃんとか思う人は
結構いる。でも、それって、
電車で子どもが暴れていても注意しない大人がいるように
(というか自分もあまりしないんだけど)、
でもなんか違うよなあって思ったりするわけですね。

それがコミュニケーションかどうかはおいておいて、
何か人が会うと発生する色々な勘違いから、いい人だねっていう理解から
色々な摩擦まで。そういうのが好きですね。
これは、基本的に僕は嫌いな人も含めて、その人を理解できないことも
含めて、やっぱりいいふうに言ってるのじゃないけど、
やっぱ気が合う人もいるし、素敵な人も一杯いるし、
そんなに、コミュニケーションするのって面白いことのほうが
多いんだよねって言いたいんですね。

で、なんでそんなことに、どこからそうなったのか。
分からないけど、でも、とりあえず、自分の課題はそこで、
もっと人は人に優しくなれるし、感動とか、そういうこと、
フリーハグとかそういうこととはちょっと違うんだろうけど、
毎日毎日、その生活空間、生活領域の中で、
閉鎖されていようが、コミュニケーションがないところはないって、
そう思えるから、外せないんだろうって思います。

で、考えること、が好きだったみたいで、
話とか分からなくても、自分の分かるところで
相手の話を聞いて理解した分は言うって。
理解しようとするっていうところは外せないというか
外さないようにしてます。

大学は人間ってところで、心理学を学ぼうと思って、
それで色々学んで思ったのは、
プログラミングとか好きだから、プログラミングやろうって。

でも、それも面白いんですけど、
で、面白いことに、プログラマーとかSEとかが、って
だけじゃないですけど、人とコミュニケートするのが
好きな人がいるんですね。
コンピューターでチャットとか、そういうのってありですけど、
やっぱ原点ではないなってにおいがする。
これはtwitterとか、メッセンジャーとか、メール、Skypeもそうだし、
SNSもそうですがそれを否定するんじゃないんですね。
そうじゃなくてむしろ歓迎する。

ただそれって、リアルコミュニケーションを促進するだけの
ものだと僕は思っていると。
なんでそう考えるかは、やはり人を信頼しているんでしょう。

そりゃね、いきなり刺されたり、事件はあるし、
治安悪ければボッコボコになってきますよ。
でも、それを完全に無視して、博愛みたいなものを
説こうって。そんな気はないですね。
ただ、もうちょっと緩く考えて、色々な人と、コミュニケーションしていく。
そこで生まれるのはなかなか面白いものがたくさんある。

そして、結局、今僕の中では、
コミュニケーションというのは、もっと面白いことが
出来るんじゃないかと思うんです。
わざと分かりにくい地図は、人に聞くという「無駄」が生まれます。
でも、その無駄が「きっかけ」で人とコミュニケーションできたら、
それって「無駄」だったのかなと、そう思うんですよね。

多分、何かお金で考えて、コスト削減ばかりだったら、
この視点はありえんと思うんですね。
お金とか時間とか、そういうコストが減れば減るほどいい。
そりゃそうなんですが、
実は何かそういう無駄→きっかけ→コミュニケーションが
あるというのは実はあるんです。
卑近な例でいえば、喫煙室コミュニケーションとかですね。
思い当たる人は多いんではないでしょうか。タバコを吸うからこそ、
話ができるというのは、なんとも分煙時代の話ではありますが。

まあ、そこのコミュニケーション。
これは僕の課題でしかないんですが、
もっと面白くいけそうな気がしてきています。
これは自信ですが、とはいえ、過信となった瞬間、
試す必要があるし、そこで現実にしなきゃいけないと。
これは追い込みでもないんですけどね。

そして自分の力を試していく。
なんかいいでしょう。こういうの?
ぜひ、多くの人に色々試していく。可能性フィールドみたいな、
そういうのは創りたいですね。
ま、んなこといっても絵に描いた餅すぎるんで、
まず自分が実践していって、いくつか絵を、そしてそれを
現実に落としこんでいこうと練るわけですね。

そこにあるもの

な、なるほど・・・。

大事なことが確認できた気がする。
なんだろう。
うまくいえないんだけど、
やはり、タイミングだと思う。

てか、タイミングばっかだな(笑)

もっといえば、誰が言ってたか。ああ、分かった。
人の話ですけどね、
久しぶりに会う気の合う友人がいると。
その友人が全然変わっていないって。
変わっていないっていいことだけど、でも、確実に成長しているってのが
あるわけですね。

成長していない人間ってまあそんなないんですけど、
本当に同じようなことして、変わってないなあっておもったら
魅力を感じないって。

全く同感だなと。
まあ、誤解はないと思いますが。

やっていることが同じって、
やっぱまずいと思うんですね。
自分の中の問題で、捉える話なんですけど。
同じことをやってるな、とおもったら、
変えていくと。小手先?だけじゃなくてね。
まあ、それが似通っているのは本質があるからで、
それってあまり気にするところじゃない。

変わらなきゃいけないとか、
変わる必要はないとか。

色々話せばうっとうしいほど長くなるけど、
直観でいえば、ただその人が問われるだけ。
これってものすごく「いいこと」だと思っていて、
ただそのタイミングというか、場というか、
チャンスとか、きっかけとか、人の出会いとか、
そういうふうに見え方が違うだけ、
のようにみえてくる。

これは友人とか、大切にしている人とか、
そういう人にはしっかり話していこうと思ったなあ。

そこにあるものって、いってもワカランでしょう。
分かっている人は絶対分かっている原則だなと。

五感が動いているか、機能しているか

におい、視覚、聞く、さわる、味、
そして直観。

全てのものをフルで動かしているか。
ほとんど、直観が多いかもしれない。
これはまずい(笑)

直観で全てをやりだすと、
ヒューリスティック大魔王になりかねん。

「君の合理的判断は一体なんだ?」
「その言葉の意味が分かりません!」

五感。全てにおいて基礎となるものだ。

最近は、「相手の目」をガンミ(若者言葉、よく見ることの意)することが
あるが、なるほど、眼は体を現す。
眼に魅力がない人は、その場で、
「ああ、こいつはこの程度の人間なのか!」と、
悪態をついてしまう。

いかん。俺いかんぞ。と想うが、
魅力って「本人」が一番気付いているような気がする。
自分の魅力ってものを、分からない人は多いかもしれないけど、
実は気付いている。という、無意識さんトーク。

機能しているか。
相手のにおい(笑)と耳に入るイメージを。

感性を大切にしよう。
相手の言葉を疑え。全てを疑え!

デカルトでいこうって映画誰か創らないかなあ。

継続とただの繰り返しとの違い

継続は、継続しようという意志がなくても
継続できているような感じを受けるもの。まあ、
意志なかったらできにゃーんですけどね、あくまで、感じ。

繰返しは、本当にそれを何度も同じことをやっていると
想ってしまうこと。

人間は馬鹿というと語弊があるから、
最近は人間の「脳」は馬鹿といって、
なぜか脳の方が人間にちかい?のに、
それに客観感を覚えるのは、それくらい人間にとって
「脳」というのがまだまだ未知なるもの、ってこと
なんでしょうねえ。

まあ、継続すりゃいいってわけじゃないんですけどね。
というのの見切りについてはよく議論されるが、
はっきりいって、人生観とか絡んでくるから、
なかなか一定の解はない。

ただ、やってみて、面白いかどうかで決めるのが
一番かも。移り気な人は、どこまで移ればいいかを
考えればいい。1万アクションとればいいならそれまで
やればいいのさ。

朝は何でもでき、昼は何もできず、夜は考えが過剰す

という1日の繰返しは最悪(笑)

考えて考えてそしてやる。考えてやらないではなく、考えてやるのだよ。

まんまだが。猫マンマじゃないー。

考えたらその1/10くらいでいいから
実行すればいいだけ。

限られた時間を有効に使わないという有効利用方法もあるかも。

ふと、ね。

まあ、シビアになるのもいいけど、
たまに思うのは自分のルールを相手に課すのは、
相応のリターンとか、共有とか、想いとか、
そういうのなきゃやれねーなってことですな。

よく、そういうのなしに、
ルールとかでまず突っ走る人いるけど、
それはなかなかねえ。

結論=ルール、のあとの説明=想いみたいな、
感じっすかね。

まあ、結論を先に言うのが、
常にいいとは限らないわけで。

あの空気感。気まずさとか意外に大好きだなあ。
あまり他にはない「空気」だし。
読まない「空気」も大好物だペロ。

落ち着いていけ。お前ならKitKatだ

なんか気に入ったフレーズ。
しばらく使っていこう。フレーズ。

落ち着いていけ。お前ならKitKatだ
落ち着いていけ。お前ならKitKatだ
落ち着いていけ。お前ならKitKatだ
落ち着いていけ。お前ならKitKatだ

あえて説明しないが、KitKatはうまい。
ただチョコボールには負ける。もちろん、ピーナッツ。
ほかは邪道。森永さんラブ(笑)

走り出した瞬間に勝負はついている

なぜか?

スタートが大事というよりも、
勢いかな。

走った時に、全てが分かるなんて
ありえんのだけど、
勝負って付いているような。という、矛盾を。

そもそも、マラソンでもいいけど、
何か例えた場合、どこまでその比喩で
考えられるかって意外にやらない人多いかも。
すると、思考力と比喩力と、現実認知力と創造性が
やはり使えないかもねー。とか。

で、勝負って?

最後に笑うのは俺

なぜ、最後、笑う、俺なのか。

途中と最初は一切関係ない。
まあ、関係あるんだけど。

笑わなくてもいい。
まあ、笑ったほうがいいんだろうけど。

俺、じゃなくてもいい。
まあ、俺なんだけど。


自分のために生きている。
自分のためとは、ものすごいエゴイズム、エゴイスト、ナルシスト感が
あるかもしれないが、いやいや、どんなに人を愛しても、
自分を自己犠牲、相手のためにといって生きることは
僕にはできないだろう。これは精度の良い予測だけど。
逆に、献身的というか、あなたはわたしに尽くすべきだという人は
最も苦手であり、会話すらできないかもしれない。

主体性はそれを期待しているだけだと危ういが、
しかし、それしか人を動かす最大の力にしかなりえないというのも
最もなのだ。
というか、そういうものだ。
たとえ強制力があっても、それが主体性になるまでの時間がただ
早くなるとかね、そういうのがあるだけ。

揺ぎなき力を

力を全て注ぎ込め。

揺るぎなき、飽くなき力を、おもくそぶつける。

隣の仲間が、死んでも、僕は冷静になれるかどうか。
企業は軍隊だ。軍隊は企業ではない。

組織も軍隊で、宗教は組織だが、国家は宗教ではない。
と、いってみただけ。

さて、力というものが、少なくとも僕にはあって、
その力は何か分からないが、何かあるみたいだ。
そして、その力とは、「?力」とか定義してもいいが、
そういうもので定義しようが、しようまいが、すでにここにある。
そしてそれを磨いていって、強くすることもできるし、
それに長けた存在になることもできる。

また、それはそのままにして、別のことをやっていく道もある。
あるというか、そう考えられるだけなんだけど。

ベクトルが3本あるのが1つになりゃそりゃ強いっす。
そういう集中突破は僕は得意じゃないけど、
分散の中の集中は結構得意だ。学際的突破ですかね(笑)

決定事項は何か

最近思うのは、話をしていく中で、
それは酒が入っていても同様なのだが、
次、未来、予定で何をするかを決めないと、
「あー分かりました」といったことをどこまで信じるか。

いくら決定権を持っていても、
確実にそれをこなしてくれないと話しにならんことはある。
世の中はなぜかものすごくて、そういう「話にならん」人に
あわせているようなところもある。信じられん。

それで、やっていけるからOKみたいな考えだろうけど、
いやいやいやいや、ちょっとまて。
根本的になんか違うぞ。

最近「違和感」をまた重視するようになった。
「何か違うなあ」と感じたら、それを大事にしよう。
違和感がなくなったら、というか感じなくなったら終わりかもしれん。

というか、直観が間違っていたとしても、
後からしかワカランが、それを大切にする。
最も自分の全ての選択が正しいなんて大それた勘違い君ではないが、
そういうこともたまにはいいだろう(笑)

どこまでやり、どこまでで終えるか

終了を逆算して動かねばならない。
おそらく、これはなかなかのスキルを要する。
思いっきりやれるだけやるというような、いわゆるリミッターなしで
望むことはもはやない。それをやる余分のパワーはないからだ。

どこまでやるかを決めるというよりも、どこまでで終えるかを見ながら
動いていくのだよ、明智君。

本を読んでも

何もならないことがある。それは別に本を読むなとかそういうことではなく、
本を読む、という行為自体を取り上げるつもりはないが、
そもそも意味あることと意味がないことが、明確に分かれているということがなく、
あるときには意味があるが、あるときには意味がないというようなことになりやすい。
本を読んでも無駄とはいわないが、本を読むべきではないときもある。
逆に本を読むべきのときもある。全てはタイミング教

自己に打ち勝つ

自分に負けるということはない。
ただ、自分に勝てないことがあるかもしれない。
勝てない=負けるという、白黒な図式がない。
物事には3パタン以上の複雑なものがある。
勝てないなら力を蓄えろ。
できるならやれ。
やりたいならやれ。
勝てるなら勝て。

思ったように全てが成立しないからこそ、
思ったようにできることに価値が生まれる。

勝ち負けについて、なんかズレている時があるが、
それは自分がではなく、人の勝ち負けに関する考えに、
まあ、それはそれで楽しいならいいかもねーとか。

逆転

右が左に
上が下に
自分が相手に
相手が自分に

表が裏に
現実が理想に
空が地面に

逆転の発想でいこう
逆転の発想でいこう

覚悟を決めろ!

何か確実に決まっていることなんて、絶対にない。
そして、それは常に予定でしかなく、こうなりたい、こうしたいというのも
全て予定。予定は常に未定で、予定の完了の連続実績が信用になったりする。

活かすとかそういうのはもういいから、
活かすんじゃなくて、その素材自体、または土俵の更なる進化を
追い求めていく。

いくらプラス思考やポジティブ思考での加工は悪くないが、
実はそれは、枝葉に過ぎない。プラスやポジが根にあるのが
ダメなのではなく、それで回避する、もしくは乗せていくだけの
テクニックであって、そもそも、それは継続性の要になるようなものではない。

というと、青い鳥を求める青年に聞こえるが、
もはや青い鳥、夢の島、天職などという単語は脳内に産まれえない。
現実に確実に刻んでいく、それが僕のやり方なのかは分からないが、
現実100%は確かに正しい認知だが、それだけでは全くつまらない。

自分のわくわくさと、そして刺激と、それらを秘めようが公開しようが、
必ず僕はやってみせようと。

海に向かってほえる時期ですねー。

新しい知見を活かすこと

新しい知見を活かには、その検証が必要になる。
自分の持てるアイテムでそれらを試すのが一番はやい。
脳内シミュレートではなかなか難しい。

でも、最近思うのは、自分の持てるアイテムで、それらを試すっていうけども、
「自分の持てるアイテム」って本当に考えて動かないと、
どらちゃんじゃないけど、ポケットからは出てこないし、
ぼーとしてても出てこない。

そこであるのは、明晰(!)な自主性、自律性、自立しかないのかもしれない。

まあ、そういう人をつかまるっていうやり方もあるね。

投資的アウトプット

イン、アウト、イン、アウトを繰り返していくことで
次につながるだろう、これはどうだろうか、というような
投資的なものか、試験的なものかが色々出てくるようになった。

何か言うにも、こういう言い方はどうだろうとか、
こういう表現の仕方はどうだろうとか。

こうすれば、次にやりやすいかもしれない。
次が楽になるかもしれない。また同じようにやれるかもしれない、など。

そうやって、少しずつやっていけば、確実にインやらアウトやらが
増大していくー。

与えられた人参に飛びつかない

そうではなくて、自ら作り出した人参をなげてそこに向かえ。
そうすることが、自家発電の極みさ。
人に動機付けられるのもいいけど、それだけでは生きている意味がない。

マストワントの改造

MUSTとWANT。ウォントでもなんでもいいけど。

比率が、7:3くらいな気が。現時点。
これを、6:4、さらには5:5くらいまでもっていくのが狙い。
そのためには、改造が必要。改造とは変化である。

WANTとは、あったらいいな的なやつ。したいとか。
MUSTは必ずやること。固定費みたいなもの。支出ではないけど。

MUSTが強いと、WANTも広がるのが確実だけど、
とはいえ、MUSTばかりで疲れてても、WANTはいつまでたってもできない。

まるで、片想いを続けて終わるみたいなパターンだね。

確実に小さなタスクを消化していく

タスクをこなすといえばそれまでだが、
次の仕事、タスクにつなげるように消す。まるでルービックキューブか。
多分違うけど。
そうして、次のものによりよい体勢で望んでいくために。

タスクの握り方

役割が明らかになっていない・・・というよりも、
どういう絵を描くか、どういうイメージでいくかが共有されていなければ、
どのようなタスクも全てその場で広がりがみられない仕事にしかつながらない。

当然だが、「絵」を伝えるのは重要といわれるが、
いきなりいっても「伝わらない」からという躊躇があるのか、
なかなか「絵」を伝えてくれる人、伝えようとする人はいない。
全体を見る目がないのだ。全体をみようとして動いていないのだ。

例えば、「絵」をみせることはないだとか、「絵」をみせても
分からないだとか、「絵」をみせることすらせずに、
何かを求めようとするのは、意味が分からない。

作業者に甘んじることは誰だってできるし、
また何か制限をもうけて、「ここまで」ということはできるんだ。
でも、それって面白いのかどうか。つまらない。
淡々とやることは嫌いじゃないが、淡々だけというのが嫌なんだ。

絵がない、ということは、土台となるようなキャンバスもないわけで。

問題解決における手法

仮説の提示→検討→レビュー→繰り返しみたいなことを
やるわけだが、でもシミュレートをどこまでやれるか。
それは仮説においてだけど、できるかが問題。
データに基づいて仮説を立てるのはいいが、それが何も方向性と実効性がないなら、
または自分も今後役立てないならば、やはり「ゴミ」シミュレート、「ゴミ」仮説と
なるのではないか。

まあ、ゴミだろうがなんだろうが、役に立つものはゴミじゃないかも。

で、基礎からの応用というところで、
基礎を固めてあれば、少しくらい困難なことでも、対応ができるということか。

現在の高度

今、飛んでいるのか、歩いているのか、走っているのか、
歩いているなら散歩なのか、目的地に向かって歩いているのか、
走っているなら、飛ぶための助走なのか。

飛んでいるなら、体を回転させることができるだろうし(物理的な力は無視)、
視野が全方向360度可能なはずだ。
また、移動とアンテナも地上とは比べものにならなくなってくるはずだ。

自分の状況を確認しよう。
飛ぶために待っているだけでは飛べないのは当たり前だ。
また、走っているのはどういうことをしたいから走っているのか。
それを考えなければ、道のりが辛すぎる。僕には無理だ。

高度は低くても、確実に飛んでいるならば、
体はふわりとし、体自体の重さは感じない(地上にいても体の重さを感じる人はいないだろうけど)。

飛びたいとか、歩きたいとか、走りたいとか。
自分のペースって意外に全然考えずに、人のものをしかみずに、
やってしまうのは少々考えものだ。

飛ぶのが向いている人がいれば、歩くのも向いている人がいるし、
走るのがいいっていう人もいる。
これはどれがベストかというのではなく、人によってケースバイケースということだ。

マジックナンバー

7ぷらまい2というところ。心理的に、いや心理学的に一度で覚えられる個数か。
でもだいたい把握できるのは、指で数えてナンバリングしても、片手こえて
両手になると怪しくなるような。
10個に均等に力を使えないように、考えていく必要がある。
ちなみに、「優先順位」をつけることは「言葉」では簡単にいえるが、
いざやると、「何を先にやればいいか分からない」ということはよくある話だ。

自分が決めることで「自分の枠」のものが決まるだけなら、自分で責任を取れるというか、
そこまでで話が終わるような気がするが、そうではなくて、
「他の人」も巻き込まれる場合は、その決定に「迷い」が生じるのだ。
「これで決めていいのかな」とか。
もちろん、機械的に決めるのはどうかと思うが、
決める=責任が伴うだけの話。そうしなければ、決められた側もたまったものじゃない。
また、責任をスルーするならば、その代わりのもの、見返り、報酬、リターンを
求める。というか、逆にそれが提示できないならば、そんな「決められたこと」は
誰もやらないような。動機付けを舐めてはいけない。

どうも「人に指示ができる」という人は、
考えていくと、あくまでもその自主性や主体性を重んじるが、
責任は指示側、またはそれが薄い場合は、必ず報酬、リターン、見返りになるものを
与えてくれることをしているような気がする。
そうじゃなきゃ、誰も一緒にやろうとか、やっていかないか?という話にはなりえない。

で、振返って、自己を見直す。
きちんと見返り、報酬、リターンがあるのかどうか。
何も上目線なわけでは決してない。そう感じる人はそのような立場ではないだけだろう。
そのような立場とは役割とかそういうことよりも、心境とか状況に近い。

必達の意義と意志が確実にある。
それは心から生まれている。軸がぶれることはないだろう。

幻影と戦う

目のあたりを何かがただよう。死神か?
戦わねばならぬ。そう。幻影と。
そして、狂気と戦い、滅びていく。

キャパとテンション

キャパ一杯のものを常に抱えていれば、きっとそのキャパは大きくなるか?
答え:否
なぜならそれは、単に一杯であって、その状態が単なる限界だけかもしれないから。
例えば、その状態で、何か「今までできていないこと」が出来ていれば、OK。
でも、そうじゃなければ、それが限界なので、そこまでにすべし。

ちなみに、限界は当然あるもので、誰にでもあるから、
そういう限界を知った上で動いた方が賢明だという考え方です。

筋肉と同様、負荷をかけないと
鍛えられないってのは、あるんですが、キャパも。
でも、それって、筋肉を鍛えるなら、
まあ運動をする?何か試合のためにとか、目的があるような。
でも、その目的と継続性ってほぼ一致しているか。

で、キャパも同じか。
結局、そういう意味でいえば、
筋肉がついていくような、キャパなら現実に落とし込むということが
問われるような気がする。
そういうことをしないと、いつまでたっても力はつかない。
そう断言してもいい。

力がついていると思っているという錯覚は歓迎(笑)

原点に帰る

結局、原点に帰ることになる。
原点って何か。言うまでもない。自分が歩んでいきたい道だ。
空がきれいだ。それだけで今は満足だ。

ステータスチェック

思考能力低下継続、判断力低下、行動力低下、モチベーション低下、
全体エネルギー低下、皮膚体温上昇。

仕事と作業の違い

これも何回か書いてるが、今更に問うということで。
まず、創造性の違いがあげられる。
作業はそれ自体に創造性などない。仕事は創造性がある。
仕事=作業+仕事という再帰的な構成にもなりえるかもしれない。

それに関連して、姿勢が変わってくる。
作業は例えば、時間で区切られたり、成果量が決められていて、
それを「あまり頭など使わず」こなせばいい、というもの。
仕事は、最終形などをイメージして、どうしていくかを
考えていくこと。となるかもしれない。

難しいのは、全部が全部仕事もしくは作業となることはなく、
必ず両方含まれているということだ。バランスの問題でもある。

さらによくある問題として、
「作業」を仕事だと勘違いして、いわゆる「仕事」にたどり着けないケースがある。
これは、何でもそうだが、ある種の基本動作、基礎知識、ベースとなるものは、
ある程度「作業」的になりがちである。それを踏まえずに、
「作業」=仕事とらえ、「仕事」はつまらんです、という人は意外に多いと思われる。

問題を複雑にしているのは、実はその「仕事」が作業的だからつまらないというのは
事実であるということだ。それは事実だから、その先や、創造力や想像力で
何かが起きたり、変わったりすることなどということに、
頭がいかないようになる。

違いとしてあげられるのは、変化していくかだ。
作業はそれ自体もちろん、効率化を図るなどを行えば、
作業らしからぬ仕事的になるが、そうではなく、同じことをルーチンとして
やることが多いだろう。
それは、作業Aを同じやり方で始終やり続けるということになりやすい。
そうではないやり方があるかもしれないし、そうではないかもしれない。

仕事においては、そのやり方が変わっていく。
最初のやり方は最前とは限らない。より良い方向にいくというためだ。
最初はこんなやり方だったが工夫して変わっていく。
作業でもそういうのはあるが、やはり幅が違うし、質も違うように見える。

どちらかといえば、ライフハックは、作業的なことに対して
面白さや効率性を見出す手法、技術で、
実際のメインの仕事をライフハックというのは、ちょっとおかしい。
というか、そういうものだろう。

で、作業も仕事もどうでもいいから、
仕事ってなんだという問いは非常に難しく、また作業というのを
意識しない人もいる。
仕事だろうが、作業だろうが、金もらえればいいというような考えだ。
一興だが、それだけでやっていく、貫くのは少々しんどいような気がする。
というか「お金」を得る方法を選びたいという感覚があればだが。


仕事と作業が違うという認識があれば、
今やっていることがどちらになるかを考え、
より面白くしようと振舞えるような気がしてくる。

社会人と学生の違い

社会人と学生の違いについて何度も書いてみる。
実はこの話は「就職活動中」の学生が何度も聞く、もしくは関心があるテーマだと
思っている。実際に僕は興味があった。
そこで、学生で就職活動をして、そのまま社会人となって、
ブログを継続して続けているような、ブロガーがいるかどうかが
あまり知らないのだが、まあそれはいい。

あと、このブログのアクセス解析によると、
キーワードフレーズとして最も多いヒット数。
とはいえ、40ヒット程度だが。

当たり前なことも、ふんだんにあるが一つずつ迫っていこう。
社会人と学生の違いは、時間の使い方だろう。
時間の使い方という意味で、学生は単位取得のための講義やレポート、試験が
主でつわものになると、それらをいかに減らすかを考え、
効率的に単位だけ取得しようとする。まあ、それもありだが、目的次第だ。

他にバイト、遊び、サークル、部活などが学生の主の使い方。

これに、アレンジもしくは自己の領域?を高めていると、
何か自分で創っていく(サークルをつくる、何か作品をつくって発表するなど)ことも
でてくる。が、あまり一般的ではないと思っている。
ま、それはともかく。

時間の使い方という点において、主の時間例えば、8時間が、
そのまま学生なら、講義つまり、大学だったのが、
社会人になると、会社員なら会社、もしくは仕事先、
フリーランスなら、自宅、取材先、などになる。
また経営者、起業家なら、自分の会社ーになるか。

1日の主たる8時間の使い方が全く変わるわけだ。
これに対してどのように感じるかは人それぞれだが、
そもそも8時間というのも、会社員、もしくは公務員の視点なので、
そこは考慮されたし。
例えば、ベンチャー企業で、仕事好きです、といって、ものすごく働く世界もある。

入ってみたら違ったというのは、まあそういうこともあるが、
よく確認する(本当にやりたいかどうかという意味で、ベンチャー企業からも
かなり観察を受けるだろうが)ことが大事だろう。

次に責任について。
残念ながら、社会人が全員責任ある人ではないことはまずいっておく。
そして、さらにいえば、「学生」よりも、認識、判断、思考において
劣る人もいる。これは事実だ。まあ、そういう人ばかりでもないのが救いだが、
逆にいうと、「これ」という人にあったら(尊敬できる、学べる、何かすごい)
意外にそういう人はレアだから、少々図々しくてもついていったほうが
正解になりやすい。もちろん、常に正解というわけではない。

責任については、例えば、働いてお金を得ているから、
実家暮らしの学生が親元を離れるとか、東京とか都会に出るとか、
そういうケースで、そういう時に一個人としての責任が試される、かも。
そこまでオーバーではなくても、ある程度は試される気がする。


時間の使い方、責任。次は?

次は、意識であり、期間について。
当たり前だが、学生というのは、義務から高校、大学まであって、
全て学校に違いはあるが、ある期間で区切られている。
例えば、4年制大学なら、4年。短大なら2年、もしくは3年など。
だから、留年などをせずに単位が問題なければ、進級できるのだが、
働くということにおいて、実はそういうものはない。

例えば、3年働ければ1人前というようなものはない。
もちろん、指標や企業、もしくはある種の人物像からはじき出すことは可能だが、
年数によって、期間によって何かステージが変わることはない。
あるとしたら、そういう新人教育、もしくは人の育て方をしている
会社や国、自治体かもしれない。
例えば、最初の1年は現場で店に入るが、次の2年はデスクワークとか。
それは職(営業職とか技術職、または一般・総合なんていうのでもいい)によって変わる。

で、求められるかどうかはおいておいて、
キャリアビジョンなんていう横文字はいいとして、
こういうことをしたいというものがおぼろげでもあるならば、というか
なければ、流れるままに流れるしかないのだが、
あれば、あるように自分を調整していく必要がある。

例えば、コンサルタントという仕事をやりたいならば、
コンサルタントといえでも、その内容は冠に、経営なのか、ペットなのか、
都市問題なのか、で全く違ってくるわけだ。
それが見えないならば、逆に「コンサルタント」という単語が出てこない仕事のほうが
実は学びがあるというのもあるわけで、
あまり「単語」に期待しないほうがいい。

もちろん、コンサルティングな会社というのはあって、
そこに入ればOKという考えの人もいるだろう。
しかし、入って何をするかがなければそのまま流されてしまうだけだ。
流されるのでいいっすよ、というならそれでいいが、自分でコントロールするほうが
数倍楽しいと思ったりする、僕は。

時間、責任、期間ときて、次は?

次は、人との付き合い方だ。

これは、慣れている人ならスルーできるが、
慣れていない人なら戸惑うところだろう。
例えば、よく言われるのが、学生までの友人などは、
「利害関係」などなく、純に付き合えた。(そうじゃない人もいるかもしれないが)
しかし、会社もしくは社会人では、会社員でいえば、同期というのは、
たまたま任意の期に入っただけで、同期となる。深い意味はない。
横のつながりが、同期。後は学生のときの友人、恋人、そして家族。
あとはどこかで関係があれば、そことの関係があるが、
実際そんなものだ。別にそれがどうというわけではない。

会社、もしくは仕事場では、そこの人との関係がある。先輩、上司、お客さんなどだ。

で、それら仕事関係を抜きにすると、
実はプライベートというものになってくるが、
このプライベートというのも厄介で、例えば、どこまで仕事でどこまでプライベートか
分からずにそれがストレスになる人もいる。そうじゃない人もいる。考え方次第だ。

利害抜きに、どこで人と知り合い、どこで何を学ぶかは、
実は「無限」の可能性があったりする。
というか無限というと、いささか誤解を招くが、適切さをかんがえると、
「自分の考えた分」だけ可能性が広がるし、または同様に減ることだ。
実はこの「仕事」以外で何かやるということに関しては、意外に盲点で、
その技術やノウハウはほとんど整備されていない。

というよりも、多くの人がそれを望むかも謎だが、
仕事もいいが、それ以外もいい。というか仕事をどこまでととらえるかで
全然話が違ってくるからだ。

というわけで、その可能性を狭めることはないので、
どんどん外に出て、自分の価値や自分を磨くことをしたらいい。
ということを思う。
そういうことをいってくれる人は実はなかなか少ない。

他にもあるかもしれないが、
そんなところで、勘弁してください。

で、最後に。
多分、ルールとか常識みたいなものが、
自分の中にあるんですが、それって確認する(こうだよね?違うよね?)
ことで、それらのルールとか常識がどうなのかが分かる。
そうやって、確認することで、信じる感覚、それは
自分をでもあり、他人でもだけど、やるしかないんでしょうねえ。

攻める

このキーワードはしばらく封印気味だったが、
確実に僕の中で生きている。しかし、攻めるといっても、
その姿勢について、とやかくいっているだけでもなくなってきている。

決意と決断をせねばならない日がくるだろう。
それはたいした決意でも決断でもないかもしれない。
しかし、選ぶこと、決めることは、非常に決めて動く瞬間まで
不安がつきまとうものだ。

攻めるのが不安なら、即、守れというわけでもない。
ただ、攻めていく姿勢がなければ、やれるものもやれずに見逃してしまいそうだ。

せめてせめてせめまくれるなら、せめていこうと思ったりする。
けっして、その行動は無駄にならないはずだ。

が、攻めると同時にうまく受ける、フォローする、
守るというのも大事なんですなあ。

最高のタイミング

その人にとって最高のタイミングというのがある。
タイミングなんぞ一体何ぞやと、いうこともあるが、
まあ、とにかくそういうものがあると思っている。

実はそのタイミングが、少しでもずれたらうまくいかなくて、
じゃあタイミングって1秒の世界かといえば、そうじゃなくて、
1日、1年とか幅の広い間隔のような気がする。
幅が広いとは誰でもチャンスがあるが、それが最高のタイミングになるかというと、
そうでもない、気がする。

自分にとっての最高のタイミングが既に分かっている場合なんて
そもそもないと思うので、いささか無駄な問いのような気もする。


しかし、タイミングが重要なことは結構ある。頻繁にある。
タイミングが全てだと言いすぎだが、それくらいいってもいいくらいな気分だ。

飛翔

羽をもって はばたけたら
一瞬で全ての それ以外の願いが 叶う

羽をもって 飛びたてるなら
自信がないことも 簡単に勢いがつく

羽をもって はばたこう
はばたけないと いいながら
羽ばたいていこう

全身がだるい

薬の遅延性か。摂取してないのに、全身がだるい。
頭はぼんやりとし、若干の頭痛。体がやや重い。
手の動作は機敏ではなく、脳からの命令が1テンポとはいえ、ミリコンマの世界だろうが、
遅れて届く感じだ。
背筋がたまにぞくぞくして、心地よくない。

問題があるのかないのか

そして、一体僕は何をしたいのか。
ついに、3月末になり、今年2008年も3ヶ月経過しようとする、
段階で、この問い。

「僕は何をしたいのか」

うざったいスパムTBもしくはコメントを仕掛けてくるロボットが、人間か、
分からないが、正当性を主張するなら、
君が何をしたいかをいいたまへ。
100件スパムで、ウンゼン円とかやってるのか、
まあそれはどうでもいいや。

問題があるかないか。
問題とは、自分にとっての問題があるかないか、だ。

思考は時に現実から乖離したものであるときもある。
しかし、問題は問題で、問題でないものは問題ではない。
なかなかこの辺りが難しい。


最後に笑うという「絵」が出来ていれば、
全ては問題ではなく、ただの道である、と。

論理的思考と創造的思考

どちらも必要だ。
しかし、論理的思考というのは、
問題点分析や解析、そして解決までの一連の流れでしかない。
つまり、分析?解決とか問題発見?解決までのところでしか
意外に使えない。

というと?

そう、例えば、新規で企画を練るとか、
新しいものを生み出すときに、論理的思考は使いづらい。
というか、何か整理する時には使えるから、
なかなか切り分けは難しい。

なんでこんなことをいうか?

そう、論理的思考についてはワード自体が出てくるが、
創造的思考っていうワードは同じくらい、いやそれ以上に重要だが、
そもそも、クリエイティブって感じものは、
「言葉」ではなく、全て感覚みたいなもので説明してしまう
乱暴さがある。

デザインや、何かつくる、ということを「学校」を出て学ぶ人には
そのような「創造的思考」が頭の中にすとんとあるか、
そもそも、それがベースになっているとか、
そういうことを期待している。

そんなことを、今更?いっても、
当然気付いている人は、
「そりゃ、論理だけじゃ回らないね」
という理解はあるだろう。でも、それってどこまでの理解なんだろう。
創造性ばかりじゃ、心もとない(論理がないと、現実に適合しにくい)が、
例えば、牛丼で、牛丼パフェというものを創ろうっていって、
新商品の開発・・・。まあ、無理だろうけど、そういうのって
論理からは生まれえない。

論理は要らないわけじゃない。
ただ、僕にとっては、論理よりも、今は創造性。
論理に対する気分は、役立つよりも、窮屈という感じ。
さすが、詩人RM。

全く

60円のチョコボール1個で幸せになれる人もいるけど、
1000万手に入れても幸せになれない人もいる。

ここから得られる一つの結論は、「お金」の「額」で
何か幸せ感は決まらないということ。
なぜなら、感じ方だから。

これを突き詰めていくと、
自分がどう感じるかが重要になる。
もちろん、ここでは他者、自分以外のものを
考えて、色々考えた上でのお話。
それがなきゃ、ただのワガママちゃんでしかない。

少々しんどいが、
人には言わねばならないことが多い。
もちろん、自分にもだ。

謙虚さを。

驕りは油断を生み、
油断は慢心となる。
慢心は自己をゆがめ、
人を見下し、評価せず。

人を見下すような人間に
人はついてくるはずはなし。

人を認めない人も同じくす。

謙虚さはただそれ自体が「美徳」なのでもなく
日本的価値の侘び寂びでもない。
人を認め、自己を成長させる原動力となりえる。

慢心するな。謙虚の塊になれ。
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