ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2008年01月

サバイバルという時代

といってもいいし、そうじゃないといってもいい。

結局、個人or自分の関わる人で、どういう風に生きたいかでしかない。
意外に経験値を重ねると、意外に意外な形で意外なように意外に
できるのが世の中だったりする。

それは甘い認識ではなく、相当現実的な見解という意味で。

もちろん、宝くじが当たるとか、漫画家になるとか、
そういう夢的なものがあって、それが必ず叶うものではないとはいっておく。

ただ、スクールオブロックでも、校長がいっているが(ラジオですね)、
考え方を決めてそれで生きていこうとするんじゃなくて、
そうではなくて、「考えが変わる」「目標も変わる」から、
とりあえずそれをやってみるでいいんじゃないかと、
良いこと言ってくれている。

確かに目標もやりたいことも変わっていくから、
ダチには何度も言っているが「フォーム」を決めるというのは
やや修業的要素が強く感じる(ダチはそうではないのだろう)ので
僕には無理だったりする。

なんていうか、決められたくないという何だか、青春っぷりというか
天邪鬼っぷりをフルに出しているところがいい。

ちなみに、サバイバルとは生き残るって意味だが、
不謹慎だが、中国の冷凍ギョーザを食べる人は
サバイバルではなかったかというか、
なんていうか、時代は人は記憶は全て流れるフローだから、
また、1年後はギョーザが戻ってきているんだろう。
偽装の話もそうだし、建築のなんかあれもそうなんだろう。

偽装が流行っているというか、
元々やってて、たまたま見つかったという感覚しか
僕には意外に残っていない。
なんていうか、一生懸命やっていることが美徳でそれで
突き進むのが意外に「罪」を量産していることもある。

例えば、話は吹っ飛ぶが、昔「自己責任」といわれた、
いわゆるイランかイラクか、あれはイラクだ、
拉致事件があった。今でも覚えている人は多いだろう。
僕は高遠さんの生き方がたとえ結果的に国自体に迷惑、
ここでは国というか政府であるというべきだろう、
僕の生活には当たり前だがほとんど関係はない
(しかしイラクと日本が関わっていないとは全くいえないけど)
のだが、妙に何か本質を外している意見は多かったかもしれない。

本質とは、戦争地域、もしくは紛争地域、危険だといわれている
地域にいっているということが、危険を認識してはいないとか、
色々事情というか、そこにしかないものはある。
全ての情報を含めて。

ここで見るべきは、悪いとかどうとかじゃなくて、
どう見るかという、自己の判断を優先したい。
そういう時代になりつつある。

確かに、世間体とかいうのはあるが、大分薄れてきている。
地域差はあるかもしれない。
しかし、確実に自分の手で社会を少しでもクリエイトできるなら、
その面白さに賭けたいという気持ちがある。

パチスロやるならそっちに賭けるという、
まるでパチラーをバカにしているような意見にも聞こえなくはないが、
価値観の問題であろうから、全てスルーされるだろう。

高遠さん自身とその肉声は聞いたことは実はある。
講演会か、で遠めに拝見したからだ。

何が正しいとか、偽であるとか、誤りであるとか、
実は誰も分かっていないということを、
一応大人として、僕は言っておこうと思う。

人が死んでしょうがないとか、人が傷ついて正しいのか?とか
そういうことじゃない。
もっともっと本質、哲学として、
分からないこと、妙なことは腐るほどある。

それは普通に生きていてもある。
ましてや・・・ということだ。

面白さとかスリルとか、って
そういうところにもある。分からなさに。
でも、それだけじゃないところにも当然ある。

サバイバルで生きなきゃダメという人間は怪しい。
とはいえ、サバイバルするなという人間もどうかと。

ということは、結局・・・。
そう、自分次第だ。

何が甘かろうと、辛かろうと、
自身を貫くものを持て。

それだけで結構やれるものだと、どんどん言っていこうと。

変人会結成

IMマスター!!!

やべえ。ちなみに、IMは、I'Mです。I'mですね。
I am the Master of HENJIN KAI.

こりゃ警察に捕まりそうなネーミングですね。やっべっべ。

まあ、それはいいとして、
とにかく、何でも「行動ベース」で考えていくと、
ものすごく「楽」になる予感があります。

なぜ予感か?
それは、そういう感覚の体験としての実感(まどろっこしいな!)が
ないからで。
簡単にいえば、説得力は10くらいだけどって話ですね。

よくあるのは、頭と考えとアイディアのみで
完結することですね。
いやいやいやいや、分かったから、そろそろ行動してみないか?
と、そういうことは多かったんですね。僕の中で。

そうしたら、こういう変人会ってネーミングはもちろん以後しませんが(笑)
最低やりながら考えるしかないなあと。

基本的に、説得力がない人は耐えられません。
それは言葉を聞いていると、あと話せば分かりますよね。
別にそれを「観察している」といってもいいし、
それは「話をしている」のだといえるし、
その人の人生と、世界と土俵に参加しているともいえるわけです。

そういう「濃い」、いや「コスギル」関係(笑)を
拒否する人もいますが、
別に僕はそういうのも含めて「ゆるゆる」つながるのが好きですね。

色々な人がいていいと。
そういう許容ができてきたのは、まさか思ってもいなかったりします。
困っている人がいたら、何も考えずに助ける。
それがカッコイイですね。

もちろん、助けませんが。

vol2以後は加速度的になっていけばいいですが、
まあ、徐々にやるのが俺流ってわけで。

そいや、店で電気が消えたのは初体験でしたなあ・・・。
怪しいお店ではないです・・・。

追いついた!

前を走るランナーに手が伸びそうだった

だから、僕は手を伸ばそうと思った

でもその手を伸ばしてそのランナーを邪魔しちゃ悪い
当たり前だ

だから手を伸ばさなかった

そしてトンネルになった

トンネルを抜けると
僕の後方に前にいたはずのランナーがいた

僕が抜いた、追いついたとは思わない
ペースは変わってないはずだからだ

でも、どんどん差が広がっていく
僕は何もしてないし、何か特別なことも、
そして何か特異な体質でも、変な薬を使ってもいない

でも差がついていくのが事実だ。
そういう差は勝負の世界では圧倒的に有利だ

でもこの差はいわゆる、自分の人生への満足度とか
幸せ度とか、挑戦感でしかないんだ

そう、実は前にいたランナー、そして後方になっている
ランナーは、実は自分だったというオチ。

きっと、よくなる! (2)

よかったです。読みやすいので、さくさくと。

印象に残ったところを。

・こういうのがあったらいいはライフワークの第一歩
いやあ、まさにその通りかと。

・成功しているビジネスはいくつかのビジネスパターンの組み合わせ・・
おお、まさに今、ザ・プロフィットの再読中であると。
来るものですな。

・まずは百人のファンをつくる
えっと、まあ20人くらいはいるでしょう。おお(笑)
というわけで、あと80人。え、無理だって?まさか。

・石の上に三年も座ってはいけない
これは笑った。真逆な感じですね。普通は、三年くらいって
いいますもんね。
どっちもどっちですが、僕は本田さんの意見よりですね。
そもそも、3年って確かに一理はあるものの、その人、つまり
そう発言する人の背景という意味での言葉、アドバイスと
捉えなきゃいけないんですね。きっと。
まあ、三年やって、それで何か分かればいいですし、
本書の内容としては、石の上に3年は痛い、って話です。
確かに痛そうです。すぐにお尻が痛くなりそうですね。
修行とか好きな人はどうぞ(笑)

・自分主催のパーティーを開く
友人に話したら、セレブですか?といわれたが(笑)
まあそれはそれで。
これって、どちらかというと、懇親会とか交流会ってやつで、
規模も10人くらいでぐるぐると、回してく形がいいかと。
きっと、できると思ってますね。とくに今年中に。

読みやすいので、オススメですね。

きっと、よくなる! (2)きっと、よくなる! (2)
本田 健

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蹴りたいばあさん

いや、そりゃね、お年寄り大事ね。若いものが年寄りに席譲らんのも
あれだと思うね。僕は気分でしか譲らないけど。そういうところは棚上げで。

ただ、並んでいる人がいるのに、普通に割り込むのはどうなんだろう。
自分の視界にそういう人々がいなきゃ住む世の中だったらまた一興だが、
世の中はそうじゃない。

そのばあさん2人は、何も言わずに、我が物顔で、なぜか俺より後に来て、
普通に電車に乗り込みおったわ!

なんたる御仁だ。一瞬蹴ってやろうかと思ったが、
年寄り+女性というところで、「20代若者が暴行行為」(笑)なんて
ことになるんだろう。くそくらえだわ。

結局、席に座りたいがために、行くんだわさ。

何何、若者とは違うからすぐ来た電車に座りたいだって?
ふざけんな。そんな明るくない時間にそもそもうろちょろしているのが、
というのは偏見っぽいが、かなり的を射ている。

ちなみに、俺は座る気が起きないのだ。
そのようなばあさんずがいることで、胸を痛めるのだ。

次は、蹴るかもよ。
もちろん、精神的にだが。
いじわるして、出口でせきとめてやろうかと。

まあ、こんなブログ読む人は、ばあさんいないからなあ・・。

で、そんなクソ年寄りばっかかというと
そういうのは少数だから、
ばあさんっていうと、お年寄りが全くもってうがった見方になるのね。

くそ。やつらめ。

大丈夫か生きてるか。目を覚ませよ。ねてんじゃねー!

というメッセージをものすごく届けたい瞬間があるが、
同時に「まあ落ち着けよ。ゆっくりとやれよ」と思うときがある。
人には前者で、自分には後者。ならば、それは他人に厳しく、自分に甘くの
典型かもしれない。

目を覚ませってのは、なんていうか、いわゆる
「社会は厳しく、現実は厳しい」というのは、何を基にして、何を知って
何を理解して、何をもっていってるんだろうということだ。

意外にこの言葉は簡単に使っていて、結局「いいわけ」としてしか
機能してないこともさらに認めた上で、
「現実は厳しい」ということが多い。それってあまり意味がない。

「いい天気ですね」くらいの言葉のつなぎ(このいい天気ですねって
ことが意味がある時も当然あるけど)の言葉にしか聞こえない。

一体おみゃあはんは何を知ってるんだ。
少なくとも、何もしてないようにみえるが、知っているんだなあと。
ものすごく、傲慢で、上からその人を、真上(笑)からみてやりたくなるときがある。
小さな世界というところをキープして、その小さな世界の覇王で生きるというか、
生きてもいい。でも、それってものすごくつまらなさそうだね、ってことだけも
同様に視点でいっておこう。
もちろんそれでもいい。


それと「いつかやる」って言葉は、別にそれ自体は悪くないけど、
その「いつかやる」価値ってのがかなり自分で高いもので、
日々の生活をそのために結構苦心しているようなら、
少しでもいいから「いつかやる」ものをやったほうがいいかも。

例えば、絵描きたいなら、いくらでもそれはできるわけで、
起業でも、いくらでもお勉強や考えることはできるわけですね。

いきなり、ぱぱーんとやれる人間は多分いないですう。

現状認知と把握、考える、実行するの繰り返しか

A.現状がどうなっているかを考えること
B.どうしたいかを考えることの前にAがある
C.実行する前にAとかBがある。
そういう中で、もがいて苦しんでとはいわないけど、
自分が出来るところと、刷り合わせ、妥協、貫く、無理、諦める、希望、圧倒的達成、
そういうのをやっていくか。だけ、といったらそうなるかも。

行動ベースかアイディアベースか。

難しいが、行動ベースで。アイディアベースでやっちゃうと、
楽しいのは色々あるけど、例えば100出しても動かないと0のまま。
でも行動ベースだと、1でも、確実に1になるから(結果はともかく)、
そこでアイディアつけていくほうがなんかいいとか思う。
別にアイディア先行とか、行動先行とかっていう先行をどちらにするかって
話じゃなくて、どちらを軸にするかって。
まあ、同時でもいいんですが、いわゆる歌手に、音楽か歌詞かどちらを
先に作るかという月並みだが飽きない質問があるけど、
それに該当してもいいようなものかと。

動くというところでいえば、引きこもるのも正解かと。

いわゆるギャラリー的な

市民ギャラリー矢田というところでの展示へ。
そこで作品が結構あったのだが、
子どもかな、書いた「STUDY HARD」って言葉が
ものすごく純粋で微笑ましかった。

一生懸命勉強すると、これを訳すのは何か間違っていると
思ったりするくらいだ。

勉強ってやっぱ奥深いので、
それで死んでもいい人が研究すべきです。

一生懸命勉強する。だと、なんか机かじり虫みたいだが、
STUDY HARDっていうと、なんか学んでいる感じがする。
Studyって本当に勉強するって意味なのかと、疑問に思ったりする。なんとなくね。

自分としては、お勉強は最低限でいいから、やはり感覚を大事にしたいと思う。
感覚経営とかはダメだろうけどね(笑)

共有というキーワード

日経で「シェア」ってキーワードで囲み記事が毎度ある。なかなか楽しい。
ルームシェアは何かスリリングで、なかなか面白そうだが、
男女友達でシェアっていうと、同棲風で、なんだかエロくていい。
何かを共有というところで、思いつくのは、コミュニティだ。
志とか心とか、なんでもいいけど、要するにメンタルなものって
共有できると人は安心するわけで。

同じことを考えているふりをするとか、同じことに興味があるふりをするとか、
そういう演技力を鍛えるのもいいかも。
まあ、相当鈍感な人にはばれないけど、普通はばれると思うので、
演技もほどほどに。

シャー。

仕事の意味

何度も書いているが、結局一生考えていくということだろう。逃げられない(笑)
逃げようとは思わないが、不器用すぎて真正面からぶつかって、
自分が潰される人間もいる。いやいやそこまでやらんでもなってくらいの
意気込みは別のベクトルへどうぞ。まあ、それも一興で笑えるならいいんだけどね。

なんで自分が手を動かし口を動かし足を動かしているか、不思議に思う瞬間がある。
それはものすごく不思議で、本当に不思議で、「不思議?」とかいってるしかしょうがない。
まあ、いいさ。と忘れることもできなくはないが、結構残る。

自分が今ここで生きている理由を知りたいと思うことは何度もある。
なんで、仕事をしているか、生きているか、なんで呼吸をするか、
なんで俺はこうやって歩いているか、なんで笑顔になっていたりするのか、
ふざけんなとなんで同族(笑)である人間に怒れるのか。

分からないけれど、最近また違う感覚といいますか、
仕事の意味みたいなものは、おそらく醍醐味みたいなところで消化して
落としこんでいかないと続かないのではと。それは向き不向きとかという
ベクトルと話が別で、前提としてそういうのがあるような。

それを何年かやると分かるとか一般的にいうけど、でも醍醐味みたいな、
辛いけど面白いとか、そういうのって何年という時間ではなくて、
そういうことを探しているか、考えているか、理解しようとするか、楽しもうとするか
みたいな姿勢の問題でしかないような。

姿勢が悪かったものが、だんだん歩き方がよくなってくるみたいなのって、
やはり月日の流れという意味での経験で、できるようになっている「だけ」のような
気がしてくる。つまり、惰性でもなんとか出来てしまうのが一番危険で、
惰性で出来ないほうがまだいいようなという、ちょっとパラドックスだ。

考えすぎという人間には考えなさすぎだ、といえるみたいだ。
ちなみに、関連はないが、自分のことを馬鹿といってる人間は、
本当に馬鹿か、そうじゃないかの2種類しかいないので、付き合いやすい(笑)

ちなみに、僕は馬鹿ですが、何か。

揺れる想い

ZARDではないが、揺れた。
中学生萌え。やヴぁい。

え?

手を抜く

自分が手を抜いてないのに、手を抜いているって
冗談でもいいから(というかそういう冗談は僕は嫌いだが)言われたら
結構来るなあとか思ったり。ダチを踏ん張れ。
なんていうか、仕事に対して手を抜いたことはない気がする。
いつも全力全開。「これくらいでいいだろう」とは、
最後に吐く台詞であって、最初から吐く台詞ではないということだ。
手を抜くことが必要なことがある。それは2つだ。
1.仕事したくない時
2.体調が悪い時
簡単すぎて笑えてしまう。
つまり、この状況で手を抜けない人間は「クソ真面目」となるのが相場。
まあ、相場というのは刻々変わるから、なんともいえない。
で、僕はそういうところを考えていくと、ちゃんと「手を抜く」人間だなあと
客観視できましたと。

やべえ

ついに夢を見た。
なんと、春先の暖かい、雨の後の暖かさ。
そして桜が満開になっている並木道を歩く夢だ。

すげえ・・・初夢がこれか。

今年はすでに眠いんだがががが。

壊れかけのれいぃでおーーーーー(笑)

仕事と作業の違い

おさらいです。

仕事は、おそらく創造的です。
作業は、おそらく非・創造的です。

面倒なのは、仕事=仕事+作業になっていることが多く、
間違えて、仕事=仕事1割+作業9割のところで働いていると、
実は、仕事=作業だと思うことになってしまいます。

これは不幸です。
なぜなら、仕事と作業は違うわけでして、
そもそも、作業を仕事だと思ってしまう時点で、
仕事の面白さが分からなくなるからですね。

で、どう違うんだということですが、
例えば、家を作る仕事において、準備は作業で、
木を削るのも作業で、現場の人と飯を食うのは休憩ですが、
仕事とはやはり「家をつくって、施主に満足してもらう」とか
そういうやや漠然としていて曖昧だが、
ビジョンであり志であるところ・・・っらへんです。

というか、作業を積み重ねれば仕事になるとは
思えないのですね。部分の総和が全体じゃないって話と同一。

仕事という何かマインドがあって、
それで作業がいくつかあると。
で、肝心なのは9割作業でも、1割仕事であっても、
その仕事が素晴らしければ、やはり仕事だということ。

絵を描く、文章を描く、音楽を描くというのが
クリエイティブだと思われるかもしれませんが、
確かにそういう面は強い。
でも、絵をかくにも絵の具とか素材を準備する作業があるわけで
そういう作業が不得意な人もいるわけですね。

また、営業の仕事がクリエイティブだとはいいにくいですが、
でも、感性とか勘とか、相手のことを考えるのが、
「創造的」ではないとはとてもいえません。
人のことを考えるなんて、とても素晴らしい仕事なわけです。
別に皮肉じゃないですよ、ホント。


とにかく、作業と仕事の違いがそもそも分からないとか、
そもそもそんな話があるなんてと思ったら、
ちょっと考えてみることをオススメします。

考えるとは、何が違うかってことを本当にただ考えるということですね。

携帯かったらポケットカイロ(使い捨て)もらえた。

最近携帯変えたんですが、薄い。
なんかクールでイカス。

ちなみに、なかなか丁寧に説明してもらったので(コースなど)
高感度アップ。さらに、タイトルにあるように、
ポケットカイロをさりげなく入れていただいた。
ちなみに担当の人は男性。

前、栗絵で、サービスチケット(いわゆるコーヒー券ね)を
買ったら、ドリップコーヒー1袋をくれた。
ドリップのやつは、そんなに安くないかと。
よく広告でみる、あれは20円くらいだけど、20円って結構飲む人だと
安くはないような。

で、それは試供品だったわけだけど、いいね。

スタバでこの間、チョコケーキかなんかよくわからんが、
これもサンプルで頂きましたね。

やっぱ、店はこういうサービスが強い。
好きな人は好きだろうなあと。

質問力の意味

友人で、会話と質問の話をしていて、なるほど「質問」の重要さを後で感じた。
結構適当に言っておくと、「質問力」とか、あと「魔法の質問」とかってのが
ちょっとだけ流行った?のは、そういうニーズがあったのか、それとも視点が
やや面白かったのかは分からない。

で、面白いのは、そういう質問をする力とか、質問をされることとかではなく、
自分の周りにそういう質問が出来る人がいれば、結局普通の会話をするだけで、
質問力と魔法の質問を同時に達成というか、そんな気がしてくる。

ってわけで、まあ人と話せってことだな。

商売道具を大切にする。手入れする。

例えば、プログラマならキーボードとか。物理的ではなく、PCの定期的デフラグとかもそうかも。
ものを大切にすることで、そこから見えるものは多い。

僕は書くペンとか一応大切に使いたい派(は?)に属したいという
希望的観測な予感(謎

そういう自分が大切にするところに
お金を使える人ってカッコイイ。

深く掘ると戻る

何か「ここではないどこか」というのは想像の上ではあるが、
でも推論をたくましくすれば、「ここではないどこか」はAさんのそれは、
Bさんだったりする。そしてBさんの「ここではないどこか」は、Aさんだったりする。
そんな「はっきり見えない」からこそ、ループしているようにすらみえる。

何かを知るとか、追求していくと、普遍性みたいなのが多分あるような気がしていて、
深く1点を掘ると、実は、「ここではないどこか」ではないけど、
別に地点を掘り下げていたとか、実はどこかの穴(地点)とつながっていたとか、
そういうことがあるような気がしてならない。

視点という意味では、狭くなるようで実は1点集中とは深さにつながるという
原理原則があるのだけど(僕の中で)それの良い証明か。

掘っていって実は戻るみたいなのは、生きていて毎日「とりとめもなさそうな」ことで
楽しく過ごすということとかとも、つながっていく気がする。

携帯の使い方

電車で会話してもすぐ切るならOK。ところでペースメーカーの影響って
どこまであるかは当然関係者なら分かりそうだけど、前、電車乗ったら
そんなことを言っている人がいた。ペースメーカーつけてるから
電源切ってくれって。ふむ。

それはおいておいて、一番僕が嫌いなのは、コンビニでも結構みかけるが、
スーパーでもみかけるのだが、話ながらレジでお金をはらって商品を受け取る人だ。
これは滅茶苦茶失礼というか、ありえんと思うのだけど、皆さんはどうだろうか。

これ何度か書いてるのだけど、目の前の人間を人間というよりは、
レジマシンだとみなしているように見える。目の前の店員からお釣りをもらっているのに、
話しているのは電話口の向こう。
後ろから蹴り飛ばしたくなる衝動にかられることは何度もあるが、
もちろんそんなことはしない。ふむ。

ふと思ったのは、携帯電話がこれほど普及するとはほとんどの人は思っていなかった・・・
はずで、僕もそうだけど、実際に、例えば50代とか、80代とか何歳でもいいけど、
大きな大人が、携帯電話をそのように使うと、もう何か逃げ出したくなる。

これも何度もいっているが、若い兄ちゃんとか姉ちゃんなら、何か
「若いんだね。青いねえ」ですむんだけど、例えば48歳のおばちゃんがそれをやってたら、
もう終わりだと思われる。なんていうか思うのは、
その人が「携帯の使い方」がどうのこうの、ではなく、
その人は「もともとそのような生き方、接し方」で生きてきたから、
そこに「携帯電話」ってアイテムがあって、使うようになった。
すると、その人のやりやすいような最適化がされて、携帯を使う。

それが、店員を目の前に電話しながら、レジ通る。

レジ打ちのバイト、パートがどんな客があーだこーだいっても、
携帯しゃべりながらレジ通過する人間は大分嫌なんじゃないだろうか。
気にしないというか、そもそも何か間違いすぎて注意する気にもなれないくらい
痛すぎる。痛い。うむ。

で、どっせそんな会話するほど、何かあるとかでもなく、
大した話じゃなく、この間の飲み会でとか、たわいもない話をしているのだろう。
それは悪くない。が、ちっとは場所を考える、状況を考えるってことも
してみてはどうだろうかという提案が、届くわけないな。さらばさらば。

サーチエンジン・システムクラッシュ

宮沢氏の作品。小説は初めて、てか劇もみたことないので、やや嘘(笑)

サーチエンジンとは、YahooやGoogleなどのボットを指すーわけではなく、
そのシステムを指すーのではなく・・・
多分、端的に言えば「社会に適用するような普通感、平衡感覚」だろう。

だから「サーチエンジン・システムクラッシュ」と一気にとらえたほうがいいか。

タイトルの作品と、「草の上のキューブ」という2作品構成。

Amazonレビューを見る限りでは、まとまり感がない印象というのがあるが、
確かにそんな感じがする。が、それを狙っているようで、というか、
「平衡感覚」の揺らぎみたいなものって、そういう「まとまり感」がないように
落ち着くような気がする。

何をいっているかというと、
話がまとまらない感じ=平衡感覚の揺らぎであって、
これが仮にまとまる=平衡感覚の揺らぎを表現するのは、かなり難しい。
それは「話を消化」されてしまう可能性が高いから、なかなか。
矛盾するっぽいけど、まとまり感=消化できない、理解できないではないんだろうけど。


どちらかといえば、ハッカーが出てくる「草の上のキューブ」のほうが面白かった。
ここで草とはおそらくネット回線、もしくは・・・自分が落ち着く場?と捉えても、
間違いじゃないとにらむ。キューブとは、ルービック・キューブ。

主人公は男だが、こういう主人公のちょっと狂ったか?でも、そうでもないか、
というようなところを描いてく中で、少しずつ現実とずれていく=平衡感覚の揺らぎ、
がうまく描けているようにみえる。こういう作品は今まで読んだことはないので。

ハッカー的な技術が、分かりづらいから、この本では「土を掘る」という作業というか
表現とか、草の上とか、立方体というのが実はコンピュータ・システムで、
立ち上がるとか休むとか、そういうのって、どこぞのビルに物理的に侵入したみたいな、
そういう風に表現しているのが、あまり違和感がなく、結構分かりやすいと思える。

「サーチエンジン」のほうは、主人公の崩壊というよりも、
現実が正というなら、正に従うとか、正からずれるとか、あまり関係なく、
主人公がなぜこんな不可解な行動(例えば論理的説明とか、そういうのは無理なので)を
とるかは分からない。でも、こういう衝動に限りなくにた行動ってのを、
いわゆるシステムがクラッシュした=自身の平衡感覚が壊れた、というような
タイトルなんじゃないかと、にらんでいる。

Amazonレビューにあったが、アイデンティティとはあまり関係ないように思える。
自分とか自己とか、この主人公は「平衡感覚が揺らいでいる」が、実際に崩壊はしてないように
みえる。赤い線を追う男は、自己があるということになる。

平衡感覚システムが壊れるなんて、そんな着眼はなかったなあ。


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相対的なスピード

どれだけ急いでも、実は周りが全く動かない限りスピードは早くなる。
が、周りも同じように動けばスピードは絶対的には速いが、相対的には変わらない。
ぐるっと見回すと、世の中は何かの軸、評価、分野などですみわけがあって、
そういうところでずらーっと順位がある、ようにみえる。まあそれだけじゃないってのは
一応フォローでいっておくけど。

で、まあそういうふうになっていたとしたら、それら、というか、
自分が分かりやすいのだけど、自分の位置ってどこか?相対的に上と下をみて
考えて設定するしかない。絶対的に「あなたはここ」っていえるものなんて、
実はないことに気付く。

自分がいかにゆっくりやっていても、逆に周りが止まっていればそれは
ものすごく早いってことになる。

この相対の作用を十分に使いこなすことを、実は「緩急」をつけるって
いうのかもしれないと、ふと思ったりする。

結論としては、
スピード速いといっても、基準が絶対あるわけで、
それは経験則なのか、絶対的な数値がたたきだせるのか、
そういう話になる。

よく思うのは、
「スピードが速い」といってるのが、実は全く遅いとか、
ただ早いと思っているだけかもしれないということはある。
ああ、早いと速いの使い分けもう面倒じゃあああ(笑)

創造階級

創造階級というのも1つのモデル像になりえる。
が、情報少なすぎ。

本がいくつかあるが、固そうなんで読む気なし(笑)
これは誰か読んで、こっそり内容を教え給ふということなのだが。

要するに今把握しているところでいえば、
クリエイティブな仕事をしている人が消費というか、
プロシューマー(つくりながら消費みたいなやつね)っぽくやって、
そういう一つの階層?があるってみたい。
すげー適当だ(笑)

でも、これは面白い。
個人的には、横浜市に注目。
あと、映画っていえば、なぜか山形とか。
なんででしょうね。夕張は今は復興に忙しいのでしょうか。

現実から逃げたいとかそういうことじゃなく、

もっと現実を面白くしたいという考えはやはり、時代の流れか反映か。

現状維持にはあまり魅力を感じない。それだけで一杯一杯なら
それまでだが、そうではないなら、どんどん撃ってでるべき。

うん?討ってでるかな。まあいいか。

いわゆる現状分析、現状認知。
そういう作業において、自身が満足していないなら、
満足するようにすべきというのが基本姿勢。

で、とにかく、ここではベキ論は全く無意味だが、
それがやれなきゃ、老兵はただ去るのみ。
さようなり。

類なきコミュニケーションができるのは

やはり人馴れしているのと、自分がどういう風にやっていきたいから
分かっているからかな。

という観察結果がでた。

要はなんていうんでしょうか。
人への信頼というか、初対面でもいいし、
その後の展開でもいいんですが、
その人にもたれてくる(実際にもたれてきちゃちょっと嫌ですが、
あ、女性ならOK♪)ってのが大事なんでしょうね。

逆に信頼ってそういうところで、
あなたなら失敗してもいい、任せてもいい、
託してもいい・・・。

綺麗な言葉ですね。

それは、人工的なものじゃない。
と、思えるので。

コミュニケートしていくところで、
色々な壁とか、うまくいかないことはあるんでしょうが、
まあ、きっとうまくいくさ、くらいで
構えている方が良さそうですね。

趣味という言葉に価値をおけ。

ゲーテって雑誌で、
村上龍的にいえば、趣味なんぞないとかいってたような。

まあ、それに同感なんだけど。

趣味っていうと、どうしても仕事ではないから
「無価値」のように聞こえるんだね。
まあそれは僕の考え方が逆にそれを証明しちゃってるんだろうけど。

そこらへんはまあゆるゆると。

ただ、趣味だから手を抜くとかありえんし、
そもそも、仕事で手を抜いている・・・って人も
大勢いるかもしれんわけで。

生産性が2倍にならんなら、全員首だとか
スパルタやったらいいかもしれない。
まあ、無駄というか、何か方向違うけど。ネタとして。

趣味って言葉にもっと価値をおこうか。
もちろん、価値をおくというのは、リソースをそれに割きたいから
では決してない。
なんていうか、俺のジャスティス(謎


ザ・タスク管理


最近手帳を持ち歩くようになった。
え、今まではメモ帳でなんとかなった。
が、最近は、予定を確認しないと「あぶね、軽くダブルブッキング(予定を重ねちゃうことね)じゃねーか」みたいなことが
普通に出てくる。まあ、それはただ管理できてないだけだから
アホってことで。

それを防ぐには、手帳を持ち歩くことが一番。
そんなの気付くのおせーよだって?
まあ気にするなベイベー。

タスクというか、ネタとかを結構囲い込んでいて、
ばっと一覧にしておくと便利だという知恵はつけていて、
実はそのタスクとか、企画とかの進捗とか、
そういうのが管理できていればあとは意外に集中できることに
ある時気付いた。

だから、企画Aと企画Bが混在していても、
軽やかなステップで今日はAだなあ、明日はBかなーみたいな、
そんな選択が出来る。ザ・タスク管理だ。

そんなことは、普通の人は普通にやってんだろうけど(笑)

ぶれないようにするには、やはり、
優先順位とか、今すべきことを明確にすべきかなあとか
そんな当たり前のことを思ったりする。


まとめすぎて、ダメな場合は行動し、
まとめてたりないならまとめればいい。
ああ、なんて分かりやすいんだろう。

できる そこ 未来系

君ならできるという言葉以上に
俺はできるという言葉を

吐いたぜ 未来系

必ずできるとはいわないが 
できるという そこ

確実に何かあるんだから 
できると 自己啓発と他己啓発

未来という夢想ではなく
未来というちょっと前の現実に
できるという感情で
さあそこへ



いい仕事をする

この言葉をかみまくって、消化するべし。
「いい」「仕事」を「する」のだ。
全てが重い。

いいってなんだ?
仕事ってなんだ?
するってなんだ?

一点一点がド級の代物だ。
簡単に、勝とうとか、答えだそうと思うな。

人が焦るときには、「ゆっくりやれ、100年くらいかけて」と言い、
人がゆっくりなときには、「急げ、新幹線よりも」と言って、
意外に、緩急をつけろと人には言ってきた気がする。もちろん
仕事で、ではないが。

いい仕事をするコツみたいなものが
きっとあるんだろうが、そういうコツって
自分がこうかな?これじゃないかな?これはだめだったな、
というような試行錯誤があって血肉となる。

なんでも見てやろうの小田実氏じゃないが、
なんでもやってやろう、くらいの意気込みで、
色々当たっていけば、色々見えてくるというのは、
冗談でも嘘でもない。事実だったりする。


いい仕事をする、のではって、
いい仕事をしたい、ではないことに注目すべきか。

対話議論

議論とは・・・定義は不明だが、意見ががっつり飛びあう会話か。
ただ、思うに、議論が成立するには、相手の言葉や意見を理解しようとし、
ある程度の譲歩というか「譲る」感じがなければ
とてもじゃないが、話が進まない。

というよりも、相手が違う人間であり、価値も違う場合は
より一層これが求められる。

自分の価値は大切にすればいい。相手もほぼ同様だ。
自分の価値を否定されて「お前は間違っている」といわれて
「はい、間違っておりました」なんて、
どこぞの劇でもないような。あればそれでウケル。

だから認めないし、話は進まない。
妥協点を探るのは、現実的だが、そもそも会話で
妥協点を探るのも、曖昧でちょっと個人的には勘弁。

相手を理解しようということがあれば、
結構話せるような。

あとはユニークさとか、自分が興味ある話を
どこまで展開、または受け入れることができるか。

何をいいたいかいといえば、
キャパ小さすぎたらそもそもお話にならんということさ。

相田みつを美術館

東京駅から南の場所にあるところ。
名前忘れた。

そこで思ったのは、
確か生きるって言葉のとこらへんで、

「その上に何度も何度も何回も何回も重ねて重ねていく
そういう営みが生きるということ」

みたいなことを思った。

生きるってなんかまとめた1つのものを言いそうだけど、
実はそうじゃないって。

苦しさと楽しさってそれらがプラマイでいくんじゃなくて、
苦しさは苦しさで重なって、楽しさも重なる。
重なったものはそこで新たな意味が生まれる。

生きるって、生きて生きて生き抜くことかもしれないと
そう、みつをさんの詩からは感じる。

で、「道」という言葉のハガキをゲットしてきた。
ああ、いいなあ。やっぱ好きだぜ。みっちゃん!

好きだ


好きで 

好き過ぎて 

好きで 好きで 好きだ

自分が 現実に 
ものすごい 勢いで 
溶けて いきそうだ

好きだからこそ 溶け

好きになっていくほど 
溶けが進む


この体から 心から 全てが
溶けてしまっても いい

存在の肯定の否定の肯定・・・で結局肯定。

自分の存在とかがちっぽけになって、それで生きていてもしょうがないと思ったら
そういう否定的になってしまったら、一体何が残るのだろう。何があるのだろう。
だから肯定的にいく、のではなく、そもそも、否定的に生きていけないことに気付く。

外にあるのは何だろう。否定?肯定?
クイズと、テレビ番組の間にあるものは?何もなし。

世の中は色々なことが起きているように見えるから、
抽象化・一般化して人間はある程度把握する。
ヒューリスティックだか、なんだか。直観なそれに僕は引き付けられたけど、
ああ、惹きか、結局、自分のカンってのは磨いてナンボということだから、
がしがしトライしていく必要がある。ちょっと痛い目なら、許容範囲。
でも、きっちり傷の手当てを出来るように、準備はしておこう。

登山いって、上に何も食べるものがないって分かってるなら、
予め何か買ってくよね?登山っていっても、1000mくらいでも、急勾配だったりしたら、
結構きついよって、ことで、別に山を登るって身近な人は身近。
色々そういう身近があるって感じでGO。

で、否定を100回やっても、最後の101回目で肯定なら、
OKってことで。

何か小さな幸せとか大きな幸せとか関係ないかな

幸せに大きさを求めるのが間違い。

お金持ちになる=幸せの人と、
お金持ちではない=幸せの人を目指すみたいな人がいたら、
そもそも両者は食い違うから、
幸せの議論はできない。
パートナーはよく選んだ方がいいような。

幸せってのは非常に重要な価値だ。
大きさではかるもんじゃない。

例えば僕は「ちりめんじゃこ」を醤油でくって
飯を食っただけで「幸せ」だと思ったりする。

だし巻き卵の大根おろし醤油添えも、うまい。

小さな幸せという言葉があるが、
それって小さいのかなあとか思ったり。
それで幸せの絶対指標なんてないんだから、
それでいいじゃないって。

もっと上とか違うものを目指したいって
そういうのがあるならそうすればいいさ。

そんなことを思う。実はこれはものすごく
地に足がついている意見だが、
もちろん足をつけている場合ではないのだが(笑)

大きな世界も小さな世界もあって、どちらも世界であることに間違い。なんか世界があることに感謝したい

世界がここに存在していることに感謝。
というとやや思想・宗教くさいか。
宗教はいいけど、なんていうかヘンナノ広めるなっていうか、
ただそれだけで。

布教活動って一体なんだろうとか思ってしまうわけですね。
押し付けたら布教じゃないので。

ま、それはおいておいて。

世界=自分となったというか、悟りっぽいが、
そうなった時にじゃあ、何をするかというのが課題になる。
色々できると思う。
色々とは、即物的なものとか、能力的なものとか、
なんかそういう短絡的に結び付けないことがいいと思う。

生きている。呼吸している。
世界がある。ああ、生きている。生きている。

そこのベースがあって、マズローではないけど、
色々やりたいことができてくる、はず。

この現実がつまらないとは実はあまり思ったことが無い。
むしろ、どんどんどん楽しくなってくる。
いいでしょう、この傾向。プラス思考とも違うかな。

そりゃ不安苦しみ悲しみなどなど、苛立ちとかね、
あるさー。なんくるないさーってところでいけるんちゃうん?(笑)

世界が美しいって3回くらいいったら
なんか楽になるといいますか。
話は聞くよ、でも俺は何もしないよって。
その台詞をとりあえず今年は一杯吐きたいね(笑)

一体何をしたらいいだろうか。絶望的でなく希望的で。日々過ぎる中に何があるか。

希望が毎日あってそういう中で、
何か心だけ浮き踊っていて、地が足についてない感じで。

そういうのって何かある。
絶望的で死にそうなのと真逆。

日々が過ぎていって、
何度何度も色々な妄想、そして迷走(笑)そして、
現実の時計の音が繰り返される。

希望が満ちているならその希望の中で
何かを見ていくことが必要だ。

それは楽しい作業に見えるが、
実はなかなか苦しい作業でもある。

と知ったかぶり。

存在の意義


ただこの世に生きて存在していきたい。そうしたい
人間の生きる意味というものは考える意味がない種の問題ではない、といえる。要は、考える意味があるよ、ということをいってみたい。

なぜなら、答えらしきものが出なくても、やはり・・・
世の中には自分は確実に存在するから、だ。

死のうとする人も、疲れきっている人も、エネルギッシュな人も全部。
今その瞬間に生きていることが、ぐーーーーーーーと、いい!って思えたら
多分そんなことを思うんじゃないかしらん。

哲学的な話で、へへっとか、ははっとかいう話で
スルーできるものでは、僕の場合は決してない。

といえ、真正面からがっつりぶつかる必要性は今は無い。
というか、ぶつかっても答えは無い。
ぶつかるというのは、悩み続けるということだ。
考え続けるのはいいけど、ハゲになったらスキンヘッドでいこう。

それは冗談として、生きる意味はきっとあるが、
その意味の価値において、あまりにも薄いと思ったら
死んでしまう人もいそうだ。というか、絶対いると思う。

だって、現実が現実として辛いなら生きる意味はないからね。
そんな悲しいことは言わないでくれっていう人もいるけど、
まずこの悲しさを理解することから、明るさは生まれるのだという
二元論的論法(笑)が僕は好きだってだけの話。



華麗なアウトプッター

スマートとかセクシーとかに生きるって言葉が
通じると(説明とくになしで)すごく楽だ。
ラクダのこぶは水か。いや、分からん。

というわけで、ちょっとずつリリース。


やべえ

アウトプットが溜まり気味。
溜まり醤油だ。この野郎。

そろそろストックからがしがし書いていきます。
そうしないと、僕が死ねます。
共有できそうな方はがしがし共有してください。

あう、年賀状宝くじは残念なりなり。

げ。

新風舎・・・倒産か。気付かなかった。

今月7日付けくらいで、民事再生・・・手続き。
が、wikipediaもみると、軽く却下されたよう。
つまり、消滅ってことです。

普通会社は倒産手続きみたいなことしても、
支援とか、社会的影響力とかあると潰さないってのはあるんですが、
どうもそんなに大きな会社ではないし、みたいな。

で、課題だと思うのは、
記事にものってたんですが、やはりお金を払った著者でしょう。
いわゆる共同出版という言葉で、新風舎と著者(著者とは
自費出版の著者である=お客)の間で、自費出版費を折半する。
そんな仕組み、というかビジネスです。

これ自体は、著者も認識しているからOKとして、
ただ、その契約内容が結構エグイみたいです。
要は、ちゃんと書かれた事が守れてないみたいですね。

個人的には、自費出版って言葉は、
「自費」を取って、「出版」するというイメージを、
本屋の店頭に並ぶというところに誇大にしてしまうものがありますね。
だから、著者の足元、というか、心理を巧みに利用しているというのは
よく分かります。まあ、やっちゃだめなんですが。

NOVAの問題は解決されてはないと思いますが、例えばG-コミュニケーションズ
でしたっけ、が支援で受け付けたみたいなことはあったはずで、
でも、この新風舎にお金を払った人が、店頭ではなくても、
本が出版されないとかそんなことはありそうです。

で、自戒をこめておくと、
出版=お金で、できるということなんですが、
でも、売れる売れないは別と、そう考えている人は、
自費出版で売っていく戦略を考えるなら、相当きれる人ですね。

おそらく、失礼かもしれませんが、
自費出版だと、自分史とか、テーマがやや趣味的、もしくは自己的?に
なるので、売るって考える人はいないではないでしょうか。
要は、知人に配るとか、その程度で。

そういうところで、あまり大きく言われないから、
なんていうんでしょうね、声になりづらいし、分かりづらいとか。

新風書房という似た会社はえらい迷惑ですね。
ぱっとみたら一緒だと思えてしまいます。風評の恐ろしさですね。

ドリコラー

ドリコムユーザの総称。まあ、嘘だけど。

日経を見ていたら、ドリコムのいわゆるマザーズ上場企業として、
というか、市場というか、まあドリコムの業績分析とまでは
いかないけど、軽く書かれていたので思わずじっくり。

それによると、2008/03で、売上は予測で20億くらいらしい。
これが多いか少ないかは各自判断。
で、確か2007/03かそれくらいで、10億の売上をあげているので
実質2倍。それはジェイケンという会社の携帯だったかな、
コンテンツかなんかが大きいらしいから、らしい。

で、問題は利益。2007/03については、赤字で、
結構マイナス。

面白いかどうかはべつとして、興味深いことに、
その記事でもそれがメインの言及になるが、
どうも、二期連続で赤字、つまり今年の3月に赤字になると、
ジェイケン(は、買収したらしい会社)を担保としているので、
なんか条項でなんかあるらしい。
正確な情報は当然、ドリコム発表を見るべし、ですが。

ふむふむ。

さらに興味深いのは、ドリコムの軸であるブログは、
もう伸びないっぽいので、なんか広告というか、
ブログ広告のターゲット連動型というのか、
いわゆる消費者の興味で連動(違いがよく分からないけど、
そんなのはどこでまやっていると思っていたが、
それはGoogleやYahooの提供するものと違う意味なのか、
単純にブログに広告はると、ブログの内容ではなく、
アクセスするユーザの興味にあうものになる?それは意味がないな、
よく分からんですが)
するという事業をやっていこうとしているようです。

で、ドリコムユーザとしてはぶっちゃけどうでもいい話なんですが、
自分が投資家なら、買わないとか、思ってしまいますね。

布団ごと移動する

夢が見れません。あ、でも熟睡してたりします。むふふ。
夢かもん。夢。I wish My big dream comes!

布団ごと移動できたら、多分、日本人全体の仕事の生産性が
もっと上がると思います。熱量がもったいない。エコエコ。

ちょいと行方をクラマスので、
次にお会いできるのは、月曜以降で。

カイロあったけえっす。っすっす。

自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会論

戦後?今まで、といっても00年代が今だけど、
それを世代10年単位で区切って述べている。
時代を象徴とするものを選ぶ作業はなかなか難しいという
以上に難しいが、それをやってのけた感じ。
ただ、新書ということか、エヴァ以降の話が
やや雑感めいた印象。例えば、創造階級とかの話。

個人的には、創造階級というのが自由へとつながっていく
(著者は、所得と創造性は切り離して考えた方がいいと
いうようなことをいっているが、同感)
ところで、その先を見たかった感があり。

クリエイティブ・クラスとか興味あるが、書籍がやや億劫だ。
というわけで、日本全国の都市の事例を見たいところだが、
ややその事例もなぜか「街」とか「都市」とかになるのではなく、
全て自治体とかの政策に還元されるような印象が謎だ。
多分見方が悪いとは思うけど。あ、これはこの本の内容じゃないっす。

連合国軍→パブリック・スクール→ロビンソン・クルーソー
→東洋の魔女、あしたのジョー→尾崎豊→エヴァ→トレッキングシューズ!

そんな流れで、ぐるぐると。

今、自由が何かは分からないけど、
クリエイティブってのは確実に何かあると思っている。
それは仕事=クリエイティブ的なものなんじゃなくて(一般に言うやつじゃなくて)
価値がどうあるか、そんなことを徹底的に考えていくと
少し見えそうな気がする。

というわけで、世代とかの象徴、なんかを「自由」って
視点で見ていくってところに興味ある人はぜひ。
個人的に、もっと読みたい自由論だけど、
自由自由とかいっててもしゃーないってのは、当然あるわけで。


自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会論 (ちくま新書 689)自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会論 (ちくま新書 689)
橋本 努

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人の水

寒さのせいか 目から水が出そうだ
外は寒いが 心は暖かいと
そういうセクシーさが 実は無い
しかし 心は暖かいというよりも 熱いに限りなく近い

自分に問う 何度も問う
そして出てくる 答えらしきものは
いつも 「らしき」ものであって
「答え」ではない

きっと その繰返しだろう
悪く捉えて 自分の命を絶つ人も 確実にいる
良く捉えて 可能性を 説く人もいる

どちらでもいい とは思わないが
どちらも50:50ならば
僕は やはり 良い方向でという
そんな方向のために 人の水を 流したいのだ

天邪鬼性について

例えば、僕は天邪鬼だというと
納得する人もいるが、全くそうではないという人もいるだろう。
まあ、それはおいておいて、
僕は出来るだけ、きちんと、自分の考えや想いは
述べたい、いいたい、伝えたいというのは基本姿勢だと
まず断言しておく。それができていなくてもね。

天邪鬼性とは、天邪鬼らしさが誰でもあるということだけど、
そういうのって速攻ばれやすいかもしれない。

僕は天邪鬼を振舞うつもりはないが、
最近本当に「天邪鬼」かもしれんと思うのと同様、
そうでもないだろう?とか、そういう問答を
繰り返して、一人でニヤニヤしていたりする。

まあ、周りからみれば、変態か(笑)
まあ、変態だからいっか(おお、開き直り

というわけで、天邪鬼じゃないと思っている人は、
まずそれを疑うことからどうぞ。
天邪鬼だと思う人は、そうじゃないところからどうぞ。

世界に深呼吸が必要っすね。すーはーすーはー。

メモから


アウトプット整理・・・完了。
メモから一つだけ抜粋。

・ポートフォリオを意識して、月1で見直していけば、
大体狙い通りの方向に走れるはず。
→計画の下方修正、上方修正(この場合は数値を主に意味する)

というこのポートフォリオとは、もちろん、
仕事を含む、時間の使い方であったり、何をしているかというような
タスクの分散であったりする。

それを月1で見直して、ちょっとずつ調整するのだ。
例えば、仕事が忙しくて全然手をつけてない部分があれば、
それはどうしてかを考えていく。無理なものは無理だ、
でも、そこをあえて考えねば、かりに「仕事」以上のものなら、
いつそれをやるのか?という答えは出てこないので。

やり方によっては、ストイックさとシステムさが全面にでて、
多分、理解しにくい人は多いのではないかと思う。
とくにこの「見直し」という名のレビューは、本当に辛いと思う。
なぜかというと、うまくいっていたらいいけどそうではないことを
なんで出来ないか?と問うのだから。それも自分で。

ほら、誰だってとはいわないけど、
やったことをやりっぱなしで、そのままにして、次へ進んで、
あの時やったことに対する何か、って普通嫌がる人が
多いんじゃないかなあと。
でも、それがあら探しではなくて、レビューすべきものだったり、
そこからフィードバックして高めていけるものだったりすることが
結構多い。

それは宝くじを当てるより確実におこって、
そして自分のためになる。そういう価値で動いているんだから、
レビューに価値をおいてるんですね。

ざ・自己完結。

衝動の衝動の衝動

抑えられない 衝動がある
ただ ここに 確実にある

疲れた時に 夜空は綺麗だと そんなことを友人が言った
夜明けの 空もまた 綺麗だと

自分の歩む道が 間違っているとしよう
でも 間違っていても 同じくらい正しいと
そんな衝動も また凍てつく寒さのように 激しくある

自分のことが 分からない
他人のことも 分からない

そんな時に 頼れるのは 衝動
そんな衝動は 甘いお酒みたいに
非常にやさしい

アウトプットの質とかが変わる

そんな雰囲気です。
貯めて→アウトプットは、誰でもできるけど、
ある程度加工するのは意外に出来ない。
加工=編集であって、要約ではないというのがポイント。

気付いたら、ある程度固まった知識や知恵などがあるとして、
それらってうまく流したり貯めたりすることで、
力が生まれる。元気っていってもいい。

そういうのって、インプットするぞ、とかアウトプットするぞとか、
そういう意気込みももちろん大切なんだけど、
やはり、出し惜しみというか、惜しむ要素が限りなく0に近い方が
いいような気がする。再確認ということで。

積極的に何でもやればいいとは思わないが、
しかし、何もやらない受動的よりは、いい。何でもやる受動的とか、
何にもしない積極的ってのは、「冗談」のようだが、
実際にありえるケースのような。

そういう感覚があるかないかはおいておいて、
最近は「一緒にやらないか」という言葉が
ものすごくドキドキするというか、ものすごく深い言葉だと
(ちなみに、エロい意味じゃないっすよ。)
思っている。

一緒というのは、なんかいい。
一緒にいたくないやつもいるけど(笑)

で、アウトプットの質が変わるっていうのは、
これは僕の中では大変化なものなのだけど、
ここで「書く」のもそうだし、
人に話す、語るのもそうだけど、
なんていうか「表現」してみて、どうだい?って
そういうコミュニケーションとか、
あと、リアルでFaceToFaceなものが、
なんか「ちょっと、うん?」ってこともあるけども、
断然そっちが好きだなと、感じている。

だから、ちょっと書いた「社会の関わり方」なんて、
実は、単純に自分と人を直接関われるなら関わりたくて、
そうじゃないなら、間接的でも出来るだけ関われるところに
いたいって、そういうことになるかもね。

人とは、ここでは、何かってのが問題だけど、
そこまでは分からんと。

ただ、もう1つ追加でいえるのは、
自分の顔ではなく、体が内ではなく、外を向き始めている。
なんかものすごく「楽」だ。
今まではもしかしたら「体は内で、顔だけ外」だったような
気がしている。

今は「体も、顔も外」向きだから、姿勢が楽なんだよ。
そういう姿勢だから、なんかいい。

なんかいいね。

よし

プログラマらしく、スクリプトを書く。いいね、こういうのは。
最近知った、グレースモンキー?という何か分からないけど、
Firefoxユーザではないので、軽くスルー。

ただ、Amazon結果に図書館結果を出すという鬼のようなツール。
だが、地元図書館に適用すると、検索できない。

なぜか?
ここからが課題だが、OPAC検索というのが図書館にある。
これはどうも、当たり前だけど、「公開」前提ではない。
ここでいう「公開」とは、WebAPIのような使用方法の意味であり、
検索できないわけじゃないので、誤解なきよう。
今はほとんどの図書館で、自宅などからインターネット経由で、
蔵書検索、予約ができるわけだし。

で、参考になるというか、そんな面白いサイトがある。
http://knezon.knecht.jp/

いいなあ。ただちょっと気になる部分があるので、
珍しく問い合わせしてみました。返事があるといいですが。

別にプログラムから動かさずに、
手でやるなら(数が少ないなら)それでいいんですよ。
例えば、Amazonの印刷して、図書館で検索とか、全然ありです。
でも、それを自動化できるようになると・・・?
かなり時間が節約できると思います。

ので、少しずつ改良していきます。

夢を見ない

夢とは、これは「寝て見る夢」のこと。
ビジョンとか目標ではないのであしからず。

アウトプットすること、したいことは
腐ってしまうくらいあるんですが、
ここは我慢の時。

本田健さんの「きっとよくなる」の2ですかね、
最近出たやつを立ち読み。
買ったほうがいいなとか思ったので、近いうちに購入します。

あとは、個人的に、MY箸は全然だけど、
MYタンブラーはなんかいいね。

ああ、夢を見ないってのは、
なぜか今年は夢を見ていないなあとかそういうことです。
初夢まだか。それとも記憶力ないので覚えてないだけか。
ああ、鳥だぜ。
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