といってもいいし、そうじゃないといってもいい。
結局、個人or自分の関わる人で、どういう風に生きたいかでしかない。
意外に経験値を重ねると、意外に意外な形で意外なように意外に
できるのが世の中だったりする。
それは甘い認識ではなく、相当現実的な見解という意味で。
もちろん、宝くじが当たるとか、漫画家になるとか、
そういう夢的なものがあって、それが必ず叶うものではないとはいっておく。
ただ、スクールオブロックでも、校長がいっているが(ラジオですね)、
考え方を決めてそれで生きていこうとするんじゃなくて、
そうではなくて、「考えが変わる」「目標も変わる」から、
とりあえずそれをやってみるでいいんじゃないかと、
良いこと言ってくれている。
確かに目標もやりたいことも変わっていくから、
ダチには何度も言っているが「フォーム」を決めるというのは
やや修業的要素が強く感じる(ダチはそうではないのだろう)ので
僕には無理だったりする。
なんていうか、決められたくないという何だか、青春っぷりというか
天邪鬼っぷりをフルに出しているところがいい。
ちなみに、サバイバルとは生き残るって意味だが、
不謹慎だが、中国の冷凍ギョーザを食べる人は
サバイバルではなかったかというか、
なんていうか、時代は人は記憶は全て流れるフローだから、
また、1年後はギョーザが戻ってきているんだろう。
偽装の話もそうだし、建築のなんかあれもそうなんだろう。
偽装が流行っているというか、
元々やってて、たまたま見つかったという感覚しか
僕には意外に残っていない。
なんていうか、一生懸命やっていることが美徳でそれで
突き進むのが意外に「罪」を量産していることもある。
例えば、話は吹っ飛ぶが、昔「自己責任」といわれた、
いわゆるイランかイラクか、あれはイラクだ、
拉致事件があった。今でも覚えている人は多いだろう。
僕は高遠さんの生き方がたとえ結果的に国自体に迷惑、
ここでは国というか政府であるというべきだろう、
僕の生活には当たり前だがほとんど関係はない
(しかしイラクと日本が関わっていないとは全くいえないけど)
のだが、妙に何か本質を外している意見は多かったかもしれない。
本質とは、戦争地域、もしくは紛争地域、危険だといわれている
地域にいっているということが、危険を認識してはいないとか、
色々事情というか、そこにしかないものはある。
全ての情報を含めて。
ここで見るべきは、悪いとかどうとかじゃなくて、
どう見るかという、自己の判断を優先したい。
そういう時代になりつつある。
確かに、世間体とかいうのはあるが、大分薄れてきている。
地域差はあるかもしれない。
しかし、確実に自分の手で社会を少しでもクリエイトできるなら、
その面白さに賭けたいという気持ちがある。
パチスロやるならそっちに賭けるという、
まるでパチラーをバカにしているような意見にも聞こえなくはないが、
価値観の問題であろうから、全てスルーされるだろう。
高遠さん自身とその肉声は聞いたことは実はある。
講演会か、で遠めに拝見したからだ。
何が正しいとか、偽であるとか、誤りであるとか、
実は誰も分かっていないということを、
一応大人として、僕は言っておこうと思う。
人が死んでしょうがないとか、人が傷ついて正しいのか?とか
そういうことじゃない。
もっともっと本質、哲学として、
分からないこと、妙なことは腐るほどある。
それは普通に生きていてもある。
ましてや・・・ということだ。
面白さとかスリルとか、って
そういうところにもある。分からなさに。
でも、それだけじゃないところにも当然ある。
サバイバルで生きなきゃダメという人間は怪しい。
とはいえ、サバイバルするなという人間もどうかと。
ということは、結局・・・。
そう、自分次第だ。
何が甘かろうと、辛かろうと、
自身を貫くものを持て。
それだけで結構やれるものだと、どんどん言っていこうと。
結局、個人or自分の関わる人で、どういう風に生きたいかでしかない。
意外に経験値を重ねると、意外に意外な形で意外なように意外に
できるのが世の中だったりする。
それは甘い認識ではなく、相当現実的な見解という意味で。
もちろん、宝くじが当たるとか、漫画家になるとか、
そういう夢的なものがあって、それが必ず叶うものではないとはいっておく。
ただ、スクールオブロックでも、校長がいっているが(ラジオですね)、
考え方を決めてそれで生きていこうとするんじゃなくて、
そうではなくて、「考えが変わる」「目標も変わる」から、
とりあえずそれをやってみるでいいんじゃないかと、
良いこと言ってくれている。
確かに目標もやりたいことも変わっていくから、
ダチには何度も言っているが「フォーム」を決めるというのは
やや修業的要素が強く感じる(ダチはそうではないのだろう)ので
僕には無理だったりする。
なんていうか、決められたくないという何だか、青春っぷりというか
天邪鬼っぷりをフルに出しているところがいい。
ちなみに、サバイバルとは生き残るって意味だが、
不謹慎だが、中国の冷凍ギョーザを食べる人は
サバイバルではなかったかというか、
なんていうか、時代は人は記憶は全て流れるフローだから、
また、1年後はギョーザが戻ってきているんだろう。
偽装の話もそうだし、建築のなんかあれもそうなんだろう。
偽装が流行っているというか、
元々やってて、たまたま見つかったという感覚しか
僕には意外に残っていない。
なんていうか、一生懸命やっていることが美徳でそれで
突き進むのが意外に「罪」を量産していることもある。
例えば、話は吹っ飛ぶが、昔「自己責任」といわれた、
いわゆるイランかイラクか、あれはイラクだ、
拉致事件があった。今でも覚えている人は多いだろう。
僕は高遠さんの生き方がたとえ結果的に国自体に迷惑、
ここでは国というか政府であるというべきだろう、
僕の生活には当たり前だがほとんど関係はない
(しかしイラクと日本が関わっていないとは全くいえないけど)
のだが、妙に何か本質を外している意見は多かったかもしれない。
本質とは、戦争地域、もしくは紛争地域、危険だといわれている
地域にいっているということが、危険を認識してはいないとか、
色々事情というか、そこにしかないものはある。
全ての情報を含めて。
ここで見るべきは、悪いとかどうとかじゃなくて、
どう見るかという、自己の判断を優先したい。
そういう時代になりつつある。
確かに、世間体とかいうのはあるが、大分薄れてきている。
地域差はあるかもしれない。
しかし、確実に自分の手で社会を少しでもクリエイトできるなら、
その面白さに賭けたいという気持ちがある。
パチスロやるならそっちに賭けるという、
まるでパチラーをバカにしているような意見にも聞こえなくはないが、
価値観の問題であろうから、全てスルーされるだろう。
高遠さん自身とその肉声は聞いたことは実はある。
講演会か、で遠めに拝見したからだ。
何が正しいとか、偽であるとか、誤りであるとか、
実は誰も分かっていないということを、
一応大人として、僕は言っておこうと思う。
人が死んでしょうがないとか、人が傷ついて正しいのか?とか
そういうことじゃない。
もっともっと本質、哲学として、
分からないこと、妙なことは腐るほどある。
それは普通に生きていてもある。
ましてや・・・ということだ。
面白さとかスリルとか、って
そういうところにもある。分からなさに。
でも、それだけじゃないところにも当然ある。
サバイバルで生きなきゃダメという人間は怪しい。
とはいえ、サバイバルするなという人間もどうかと。
ということは、結局・・・。
そう、自分次第だ。
何が甘かろうと、辛かろうと、
自身を貫くものを持て。
それだけで結構やれるものだと、どんどん言っていこうと。