ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2007年11月

親から学んだこと

これも思い出したので。

親と話す機会があるごとに、でもないが、
たまに、「どう思うのか」ということで、
「確認」されるという話がある。

どういうことか?

話は単純で僕がどう思うか、どう考えるかという話を
聞きたいというだけ。というか、話したいというだけだ。

思えば、かどうかは分からないが、
「自分の考え方みたいなのが尊重された」とは思わないが、
といって、親の指示通りに生きてきたとも全く思わないが、
考え方の一定の理解みたいなのがあって、
自分で考えてやれるならOKってのがあったような気がする。

僕にとってはそれが良かったのだけど、
多分僕は、「頭が良い」タイプの人間ではないと最近思いこんでいる。
思い込んでいる、のがポイントで、実際はどうかは分からない。

「頭が良い」タイプの人は、どちらかというと、
「創造性豊か」という意味では僕は使わない、のでそういう印象がない。
つまり、頭が良い人は創造性があまりないということになる。
そうじゃない人もいるんだろうけど。


親も、親には直接言わないが(笑)
「頭が良いタイプ」の人間ではないと思う。これは賛辞なのだが。
どちらかといえば、行動の人のような気がする。
これだけいうと、誤解になるが、
局面局面というか、要所要所で、言うべきことは必ず動いて言っているし、
そういうスタイルは、子どもながらにして、ちょっとドキドキしたものだ。
ドキドキというのは、この人はなんでこんなにはっきりしているのだ、とか
僕のことをなんでそんなにかばってくれるんだとか、
そういうような子ども視点の感覚だ。こういうのってありますよねえ。

いつもつねに「あなたはこうじゃないといけない」という親は
どこかにいそうだが、これはなかなか成否(子どもにとって良いかどうかという意味くらいだが)は難しい。むしろ、否になりやすいか。

そうやって、決められたものは、決めたものに比べて圧倒的に
弱すぎる。土台や根元が弱くて細い。いつぽきっとおれるか分からない。

親は、その要所要所、言うべきときに言うというスタイルで、
切り拓いてきた感がある。
まれに愚痴ではないが、回顧みたいな話で、振り返って、
あの時はこういう意味があったとか、そんな話をすることがある。
なんか親も年をとったんだなとか感じる瞬間、逆に僕も
「大人」になったんだなということを感じる瞬間でもある。

僕にとって自信があるところは、
人が動くというところで、何をその人が欲しているかに対して、
よく考えることができる・・・くらいだろうか。
人の立場にたって考えると言い切ることはできないかもしれないが。
そこに根拠のない、いわゆる自信のみ自信はある。

人生はそんなに思ったよりも長くないと思ったりする。
といって、短いとも思わない。

そういう人生(これは一回だけなんだから)で、
多くの人と話し笑い、大いに学んで生きたいと。

そういうことを思ったのは、やはり親の影響が大きいだろう。
そんな親にはリスペクトだ。

今起きていることへの関心度合いとか

昔・・・とはいっても、5年くらい前の話だ。
中学生のときによく遊んだ、その頃は、プレステで
鉄拳2とか(多分3じゃないと思う)で、遊んだものだ。

その彼とは、大学3年くらいに会ってみて
(一時期、旧友に会うことをやってみた。
残念ながら、会っていなかったこともあり、
お互いの環境も違ったためか、話がほとんど合わなかった。
これは、お互いに語り合っていなかったからか?という
ちょっと変なことを考えたが、人は変わるものだと思ったものだ)
ふと、車の中で話をした・・・ことを思い出した。

それは、例えば、ルワンダの虐殺というのがあったり、
世界の紛争とか、世界の問題、国外だけではなく、
国内の問題も色々、ニュースもあるし、色々あるよと、
で、そういうのって関心あるかどうか?みたいな。

ちょっと俯瞰すれば、青臭い話だが、
だが、僕にとっては、やはり「自分とは関係ないもの」って
ほとんどないような気がしているんだ、みたいなのが、
やっぱり今も変わらない。

なんていうんだろう。経済的、いわゆるグローバリズムみたいなことで、
今の原油高での影響とか、そういう値段とか価格にならないと、
「分からない」のかもしれない。これは皮肉。

自分が生きているところと、自分以外の人間が関係してない、
という考え方ができると思うが、それがものすごく「オコガマシイ」と
思えたのだけど、それはもちろん口にしなかったと思う。

彼とは連絡はそれ以来とっていない。
また、その時期にあった旧友とも連絡はとっていない。


ニュースなり、きいたもの、見たものが、自分と関係していないって
なんかものすごく貧しいんじゃないかと。
思いっきり旧友の批判になるんだけど、直接出来れば伝えた方が
良かったかもしれない。でも、その時に全く僕が黙っていたとは
思っていない。

何か、話す中で、「ああ、伝わらないかもしれないな」という
一種の諦めみたいなものがあったんじゃないかなとか思ったりする。

大学生なんてモラトリアムだ、という考え方は僕は
変わっていないけど、でも、その後の人生みたいなのは、
別に学生云々は関係ないのだけど、自分の手で自分の足で
生きることになる。

もちろん、一人で孤独に生きるわけじゃない。
語り合える仲間や愛し愛される人などがいて、
ものすごく豊かに生きていけるっていうのがあるんだ。

それらをほとんど考えずもせず、決めつけてしまうってのは、
やっぱり貧しいんじゃないかなーと思う。

一時期大分掘った言葉で、「受け入れる」って言葉がある。
この言葉はもちろん今でも深い言葉だけど、
お互いを理解するって意味で、それは自分以外の人との関わり方で、
そういう「受け入れる」を大切にしなければ、
やっぱダメなんだろうなあというのがある。

今、起きていることへの関心。
そりゃ、関心度合いとかがあるんだろうけど、
閉じて閉じて、閉じて閉じて・・・。
その先には・・・自分も小さくなっていくんだろうか。

よく分からないが、妙に思い出した話。

きたああ

JAVA言語デザインパターンきたあ・・・。

ギャングオブフォーなんて、そそる賢人らの
知が詰まった・・・って、
デザインパターンなんてものを知っている人からしたら、
「今更かよ!」ってツッコミがありそうだけど、
いやいやいやいやいやいや、すげーじゃん。

JAVAのイテレータって、デザインパターンでそのまま
パターンにあるのを採用した・・・ってのが
まずスゴイというような気がしまくりんぐ。

早速パターン1はイテレータなんすけど、
なんかこれすげー面白いなあとか。
で、注意すべきは、デザインパターンを使いたいがために
何かするというのではなく、あくまでもパターンにはめて
「有効活用」するという視点で、いきたいところ。
うお、テンションあがるぜ、このやろう!


さあ、今週もがんがんコード書くぜ。おう、いえい。

地図を創る旅―青年団と私の履歴書

カラフル2で購入した・・。
ああ、カラフル2を知らない方は適当に検索してもらって(不親切

オリザさんの本をやっとこれで1つ目か・・少ないねえ・・。
というわけで、半年後の積読結果となりますが、
結論的には、「読め」です。

平田オリザという人、青年団という劇団を知らなくても、
演劇に興味がない人はダメかなあ。。。でも
楽しく読める要素があるような。

僕個人の視点では、平田オリザという人が、
青年団をどのように「ドライブ」していった(ドライブとは、
ここでは操縦のような意味)かが
ものすごく参考になりました。

哲学の話とかはものすごく興味深く、
また「方法論」なんてのもやっぱりあるんだなーとか
妙に読みやすかったです(一部、卒論などは読みにくいかも。)

p.118に印象深い記述があって、

しかし、他人の真似だけではどうにもならないことくらい、
二十代も中盤にさしかかれば、骨身にしみて判ってくる。


他人の文体を真似るのは上手いと自分で書いているところです。
僕自身は他人のマネで・・・このようなことはそんなに思わないのですが、
蓄積→自分の力→今後の発展みたいなことを考えることが多いので、
やはりこういう切り口の問いはものすごく等身大に思えます。

僕は自分のスタイルとかは全然追い求めてない、というよりも、
「これが俺流」みたいな話はどうでもいいのですけど、
でも、「自分がやること、やりたいこと」みたいな総括って
結局、自己スタイルになっていくんじゃないかという、
回り道しながらも、そのスタイルを確認しつつ、結局、
「そうだったのか」みたいなほうが好きなんですねってスタイルというか
姿勢はありますね。

だから、過信からスタートする1ステップ、1チャンスに
挑戦するとか大好きだし、そこから広がるともっと素敵なことなんじゃない
かと思ったりします。


人の一生ではないけれど、
その人を追っていくことで、得られるものは、著者自身が
ものすごくメリットがあるような気はしますが、
それを開示して得られることも同時に多い。

そんな気付きや学びを味わわせてくれる良著なりなり。


地図を創る旅―青年団と私の履歴書地図を創る旅―青年団と私の履歴書
平田 オリザ

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バク派遣ビジネス

そういうビジネスをしていこうと思った。
これは「冗談」ではなく本気で。

一つの種として、こういうところから発展させる方法論というか、
そういうのはかなり好きだ。例えば目の前の美しい女性よりも(笑)

バクとは、夢を食う幻想の動物のはずーだが、
まあ、それはどうでもいいとして、夢を見るというところで、
面白いんではないか。

例えば、不眠症に苦しむ人には、バクが出てくるってことは、
錬れたってことの暗喩になるわけですよ。キャッチですな。

延々と面白い話をしてもいい(それができるかどうかは未知数)わけで、
そういうのをブログなりで書き綴っておけば
きっと面白いことやってんなーと思う人は思うし、
自分があとで「あんなこと」やってたのねーって
思うだろう。

話は全然関係ないが、そのような意味をこめて、僕はブログを
書き続けている点は、これはもう嘘なわけがない。

バグじゃなくて、バクですから。

寝起きに、芋虫が腕に乗ってたときには、
かなりびびったことがあります。
まあ旅人は南京虫やらダニとの戦いですから、
僕は旅人にはなれないそうですな。

一杯のチューハイと

ともに読書。
BGMはチャットモンチーのアルバム「生命力」から適当に。

やっぱ、ボーカルの声って大事だなあとか思う。
パワフルな声と、芯のある声ってやっぱ違うなあとか。

やっぱウォッカベースの方がなんか体あったまるなあ。

俺が、つくる!

最終語録あたりで、
友人はこの齢になると増やそうとしても増やせなくて、
だから若いときに無理に切る必要はない・・・というような
話があった。

自然に減っていくのだから無理して切る必要はない。
というわけだ。
納得。

人とやらないことをやれというよりも、
変わったやつであり続けるみたいな、変わった人ってことね、
そういうのでいいんだなーとか妙に安心。

というわけで、踏ん張りますか。

俺が、つくる!俺が、つくる!
岡野 雅行

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世界を信じるためのメソッド―ぼくらの時代のメディア・リテラシー

読後感が非常にすがすがしい。
途中仮眠を取ったのは(正確にはうたた寝(笑))秘密。
内容がつまらなくて寝たわけじゃない。

森氏は最後に、メディアで人類が滅びるのではないかというような
ことをいっている。
これはあまり笑えない。「華氏四五一度」を読んだことがある人は、
あのTV壁に驚くだろう。そして、遠くない世界だと思うだろう。
今やTVは薄い。壁掛けなども可能なはずだ。
そして、それらはそのうち「壁」に埋もれると思う。
そして、今やTVは何台も家庭の中にあるから、部屋ごとに
TV壁があって・・・というのも可能性がある。
と、これは僕の妄想だが、TV壁はやはりTVだ。恐ろしい。

勉強になったことでいえば、
それは、メディア・リテラシーというところで、
TVが新しいメディアということだ。文字やらと比べて若すぎる。
若者は時に危険を冒す。過ちも含めて、それが若者の特徴だけどね。

ウェブ進化論を書いた梅田さんも、
森氏も、やはり「信じる」という点で、
例えばそれは、ウェブを信じている梅田さんは、
ウェブを信じているというより、そこで動く人を信じている。
そして、森氏もメディア、テレビ、報道、で対象となる取材される人を
信じている。と思う。というか、そう感じた。


重要なのは、ここで、メディアはいらないなどといわずに、
メディアは人を殺すもので、メディアは嘘をつくものだといって
おきながらも、メディアはいらないというその考え方なのだと感じる。

事実は多面体だ。
中立や客観的事実はやはり、ない。

僕の考えも、森氏の考えもやはり、多面体だ。
だからといって、考えるな、誰の言ってることも「事実」ではないわけじゃない。でも、事実は1つじゃない。
曖昧だ。明確ではない。
でも、それだからといって、人は簡単に諦め、
簡単に思考停止し、
簡単に「楽」に生きるものだろうか。

生きる人もいれば、そうじゃない人もいる。
ということも、僕には分かる。僕もそれだけは書いていきたいものだ。

やっぱ「A」はみなきゃいかんなあ・・・。



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いのちの食べかた

書き方として、
「いのち、例えば牛、豚の肉」はどこでそうなる?
から、
差別、メディアの話になるには、著者がやはり森氏だからだろう。

それはおいておいて、内容は深く考えさせられた。

被差別部落の話において、
差別の事実を知らないのが適当かどうか。
この問いはものすごく難しい。

だから、紹介されている島崎藤村「破戒」をとりあえず
読むことにする。

また、いのち、というメインテーマは、
結局は、ものすごい量の牛や豚、鶏を殺していること。
それは当たり前だが、人が食べるためだ。

実際にこれらを「殺す」ということをしている人がいて、
だからこそ食べられる。
そういうことに「感謝しなさい」と著者は押し付けがましく
言っているのではなく、
そういう事実があるよ、知るということについての、
著者らしさがものすごく全面に出てて、好感が持てまくる。


話はやや「いのち」とは飛躍しているが、
メディアというところから考えると、
先の戦争についても同じことが言えるため、その話も出てくる。
簡単にいうと、誰が悪かったのかという話。

どこかのブログで、戦争責任とかそういう話ではない点で
書かれていたものと、オブジェクト指向の話がフラッシュバックする。

こういうことを思った。
国民は政治が悪い、誰かが悪い・・・というように出来ているかどうかは
知らないがそういう人が多いだろう。で、新聞なりメディアが悪いといえるが、または軍部や戦争関係者が悪いといえるが、
でも、それらの人はさらに上の上司、責任者がいるという。
が、でもそれらはさらにさらに上を。で、天皇とかになったりしちゃう。
でも、オブジェクト指向では、例えば、ruby言語では、
Objectsというオブジェクト以下に全てのオブジェクトがある。
だから、全てのクラスはObjectsのサブクラスといえるのだが、
そのような関係に、なっていない・・・現実は。

責任者とは、いわゆる堤防みたいなもののような気もする。
だから、責任者が責任を取るのは「適当」なのだが、
責任者が責任者足りえてない話はいくらでもある。

で、そういう責任転嫁みたいなところはおいておいて、
誰が悪いかといって、誰かが悪いといって決め付けることで、
「スケープゴート」つまり、生贄でしかないことになってしまい、
冤罪となる話もいくらでもある。
やられたほうは、一生かけてもやり返すくらいの「怒り」になって、
下手すれば病気になりそうだ。

責任という言葉は重すぎて、例えば、業という言葉があったりするけど、
そんなレベルで語るべきものかもしれない。

人を差別せずに生きるなんてできない。
でも、といって、差別を正当化するなんてもってのほかとなる。

こういう矛盾に対してしっかり認識して、それらは
放置プレー可能なのではないんだ、ということをできる
大人をもっともっと探して、大人ではなくても、
そういう人にもっと会っていきたいと思ったりもする。


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すべてのプログラマに効く 危険なプログラムの処法箋

対象言語はC,C++メインは、C++か。

買った狙いは、当然、プログラムの質アップのため、
識者の観点を盛り込んで見直すみたいなことのため。

実際は、C++など組んだことがないので、まあそれはおいておいて、
なんでこのプログラムがダメなど、ソースレベルで参考例が
ふんだんにあるのでいいかと。

あと、個人的にはオブジェクト指向についても、
結構書かれている部分もあるのでそれは良いかと。

で、「処方箋」的な、これだからこうすればいいのかーというような
使い方というよりも、
著者はこういう考え方でやっているみたいなところに
収まっていく印象を受けました。

C++などを使っている人は見てみるといいかもー。

というか、全然関係ないのですが、
こういう技術に関する本って、一体どれくらいのプログラマや
SEといった技術者が買うのかものすごく興味があります。

例えば、僕は技術=仕事というよりは、
技術はある程度抽象化して、広く流用可能だとすら思っているので、
これは、「コンピュータの仕事以外」という意味でですが、
といって、人間に対して同じ動作を期待するみたいな、
ちょっと違う解釈じゃないですよ、ここらへんの考え方からすると、
オープンソースプロジェクトとか、やっぱものすごく面白そうだなと
最近思いますね。

例えば、仕事仲間で、仕事を離れたりしたときに、
「技術的な」話ができるか(議論も含む)というと、
できないんですね。

というところで、ネットを使うってのは有意義なんですけど、
なんかそれもあれかなと。まあ、自己の向上心と、
スキルってところに依存しそうです。


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宮坂 電人

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Wikipediaは生きている

最近は、Googleを叩いてwikipediaをみることが多い。
で、それはいいとして、Wikipedia結構調べると、
例えば驚いたのは「IP制限」でページが見れないこと。

これなんかは、パソコンやインターネットの仕組みに
詳しくない人は「???」なような気がした。
IPとは、家の住所のようなもので・・・という説明は省くが、
そもそも僕があらしをしたわけでは当然ないので(笑)
そうじゃなくて、プロバイダであるOCN全体が制限をかけられている。
ということが書いてある。

いわゆるトバッチリなのだけど、
じゃあその項目(別に普通の人名なのだが)は
いつ見れるんですか?と思って調べていたら、
どうも「未定」のようだ。

つまり、一言でいえば、制限かけられっぱなしであって、
いつ解除されるかは分からないってこと。

原因は?
そう、特定の人が多分、OCNドメインから嵐をした人が
いるからでしょうね、というくらいしか分からない。

こういうこともあるのね・・・。
なんか生きているって感じですね。


続いてぶちあたったのは、「削除依頼」の話。
おお・・・そういうこともあるのかとものすごく勉強になる。
多分、「不適切」であるみたいなことなんだろうけど、
この適切って一体何か?で議論はかなり深いだろう。


ところで、裁判員制度が年あければ、2008年になって、2009年5月は
リミットだから、ぼちぼちきますねえ。紙面に模擬裁判があったり。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6

殺人事件の判決を下すなんて、考えたことがないですね。
もちろん、きちんとやるプロセスがあるんでしょうが、
どちらにしても「適当」に判決下せるわけがないですね。
というのを、模擬裁判に参加した市民の感想を読んでて思いましたね。
ちなみに、70以上の人や学生などは辞退可能みたいですね。

ジェイムス・ジョイスを読んだ猫

まず思うのは、著者の多読さだ。
完全に負けた。マレーシア旅行は冗談じゃないかと思うけど、
いやいや・・・エッセイに嘘を書いてもしょうがないので、
本当なんだろう。内容はどういうのかって?
マレーシア旅行というか、旅行中に常に本を読んでいるってことさ。

そこまで自分はやらないけど・・・なんか分かる。

旅行なんていつでもできると考えるか、
本なんていつでも読めると考えるか、
これって価値観次第。

この問いはなかなか深い。
価値があることをやっていると思うが、
「いつでもできる」って思っていることは価値が低いことも
高いこともあるから・・・なかなかね。

印象に残ったのは、
「伝言板」の話。
駅にあるあの伝言板だが、あれってなかなか面白い。
しかし、書いている人を観たことは・・・ない。
でも、何時間後に消すんだから、書いてるんだろうな。
なんかワクワクしちゃいますねえ。

で、その伝言板どうやって使えば面白くなるのかなーってところで、
誰かなんかやってないかと。とくにアートで。
と、一応ストックしとこう。くくく。

もう1つ。
村上龍の「だいじょうぶマイ・フレンド」が気になりまくり。
いかん。龍さんの本最近読んでない。龍パワーが不足しちょるわい。
というわけで、早速読まねば。


で、これで高橋攻めは2作目となるが、
次は何を攻めるか。当然、ギャングだぜ。



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ネギ配達人

おじさん?おじいちゃんくらいの人が
自転車で買い物帰りで、自転車からネギを落とした。

僕は、ネギが落ちたから
「すいません」「あのー」と声を出した。

聞こえなかった。

道端にはネギが落ちている。こいつは・・・そうだな、白ネギ。
中国産かどうかは分からない。100円はする。
ネギは重要だ。うどんにあるかないかで「素うどん」になる
可能性がある。素うどんは何か寂しいのだ。


昔、学生時分に、山をハイク(歩くこと)して、
山頂へいった。飯を食った。おにぎりがうまいんですよ。
これを「年寄り」じみたなどという若者は、おそらく、
山歩きと、山からみる景色の豊かさ(素晴らしさではないのだよ、明智君!)
を知らないだけなのだから、まあやってみたまへ。
で、ある山で、山頂にたって(ちなみにここでいう山とは、
ハイキングできる山であって、すごい装備していく山じゃないっす。
だから1000m以下がほとんど)、休憩して、さあ帰るかといって、
友人と戻っていたら、遠くから声がする。
「なんだろう」とおもって、立ち止まると、
おじさんが「忘れ物じゃないか」といって、時計をみせてくれた。
僕のだった。おじさんにありがとうございますといって別れた。

ある日、通学途中に、定期が落ちていた。
定期を拾うと「すいません」といわれた。
そこから恋は残念ながら始まらなかった。


落し物、忘れ物というところで、
「もし自分が落としたら」ということを考える。
だから、「傘」を「自分の目の届かないところ」においておいて、
間違えられると、僕は非常に悔しくなる。
間違えてもっていったことがないわけじゃないから
あまり声を大きくしていえないけど、でも、2勝5敗くらいな感覚っ!

だから、落としたものは、忘れたものは、
愛をもって善処することが多い。
つまり、全てではない。

最近の実績では、地下鉄ホームで傘を落としても気付かぬ女性に
傘を渡したが、ここから恋は生まれなかった。あ、これしつこい?

本屋を出て帰るときに、女性がふわふわしたもの(あれなんていうの?)を
落としたのに全く気付かないから、ひろって、
「すいません」とかなり大きい声でいったけど、気付かないから
押し付けるようにして「すいません、これ落としてますよ」と
いったら、何か「嫌そうな」感じで受け取られた。
が、僕はめげない(笑)


で、話は戻る。

ネギが落ちて、5秒くらいで上のような情景と思考と思い出が
多分少しだけフラッシュバックして、僕はネギをもって
自転車おじさんを追いかけた。
案の定おじさんは遅い。軽く追いついた。距離にして100m程度か。

おじさんの横まできて、
「これ落としましたよ(今日は鍋ですか?風に)」
「ああ、あそこから走ってきたのかい」
「ええ(ニッコリ微笑む)」


世の中にはきっと色々な落し物をする人がいると思う。
笑うセールスマンはあまり笑えない(ターゲットは全てサラリーマン(笑))
けど、落し物を拾って怒る人はあまりいないようだ。
それは物だけじゃなくて、「精神的」なものもあるかもしれない。

そうやって、人が忘れたものを届ける仕事があれば、
なかなか・・・面白いんじゃないだろうかと、にやつく。


ネギで人と人がコミュニケーション取れるって、
なんかいいなあとか「感じる」のだ。これは「思う」ではない。


今日もどこかで、落し物を拾う男がいたら・・・それは僕かもしれない。

今日の知見

本の消費について。
じゃあ、自分の本の読み方みたいなものとか、そういうことって、
活字を消費しているとは思えない。から、いいやーといわずに、
そこを踏ん張って、「本当はどうなんだろう?」と、マジックワード(笑)
「本当に・・・」をつけて、疑ってみる。
本はやっぱ消費するもんじゃないねえ。消化するもんだ。
よく食べなきゃ。もちろん、「あーおいしかった」もありだけど、
それだけじゃないよねー。それだけじゃないってのが、深さかと。

言葉への焦点。
例えば「僕は生きている」という言葉を、
どういう状況でいえば人は感動するのだろうか?なんてことを
考えなくてもいいけど、「ものすごくいい景色みたときに」いったら、
なんか「感動」って感じは「自然」に思う。
でも、「電車の中で叫べば」多分捕まるかもしれない。日本は平和じゃない。
人によって、言葉への重み付けが違う。
やや下品だが、「うんこうんこ」いって喜ぶ大人もいるのだ。
僕はもちろんそうじゃないと、確信をもっていうが、「びろう」(うんこの意」なネタが嫌いなわけじゃない。といっても、
そればっかりだと「品がない」と思われるのは確か。
え、人にどう思われるかは気にしちゃだめだって書いてないかって?
ふふふ。人は常に変わるのだよ。明智君!

詩について。
詩は結局、味わうものだと思うが、今日得られた知見としては、
「朗読する詩」と「黙読詩」みたいなのがある模様。
これは新しい発見。

語ることの重要性。
宗教とか政治とか、利害関係、愛情、損得・・・などなど、
そういうムズカシイことは放っちゃって、
じゃあ自分がどう思ってどうしたいか。過去なら、どう行動したか。
それを率直に言うことは重要だと思う。多分。
なんでかというと、そうしないと、「どこで」「自分が」「自分で」
「いる」ことができないから。
人はただ生きていればそれができるかというと、そうじゃない。
これらをできるようにすることを、「訓練」と明示する人はいるが、
これは本当にその通りだと思う。できないことも多いけど。

漫画の読み方。
本の読み方に漫画の読み方を入れている人はいるのか?ということを
ふと思った。多分、漫画は漫画だから・・みたいな取り扱い説明書が
どこかに勝手にあるだけのような。これは皮肉。
漫画って絵と台詞を追えばいいっていうだけなんだろうけど、
じゃあ本もその通りで、ブンガクも一緒かと。
例えば、なんで主人公はこうしたのか、なんで著者はこの言葉を使ったのか、
色々問いは出てくる。こういう読みも一種の読みだ。
でもね、1つ確信しているのは、「面白かった」という言葉でも、
Aという本とBという本に対する同じ「面白かった」も違うんだと思います、ね。これ重要なんですけどね。
それを表現しなきゃ「いけない」わけじゃあない。
でも、何かいいたいじゃない?ってくらいのノリが望ましいような。


本を好きだということ。
人が好きだというように、本が好きであることは幸せのような気がしてきた。
もちろん、本じゃなくてもいいのだけど、たとえとして僕には適切だ。
音楽が好きだから、なんかそれだけで生きてて良かったみたいなことを
音楽好きの人がそう思っているなら僕はそれを「嬉しい」と思う。
本なら一層そう思うだけの話だ。
興味・関心が増すことで、ますます面白くなってくる。
やめられないとまらないのは、かっぱえびせんだけじゃないのだっ!


失敗を恐れないこと。
失敗を恐れると、多分「多くのことができなくなる」気がする。
これはある種矛盾している。
なぜなら、失敗を恐れるからこそうまく慎重にやれるみたいな
考え方もあるからだ。
しかし、恐れることで、慎重にできなくなることもある。
むむむ。難しい。
しかし、失敗というのは多くの場合、失敗足りえないことが多い。
それだ。それを考えて、果敢に恥をかいていくことが、
多分良い方針なんじゃあないでしょうか。


本の海を泳ぐ

目の前の海は 全て本だ

本が人を作り 人が本を作る
文字が言葉となり
言葉が文章となり
文章が本となり
本が人となり
人が本となる

「出会える人」は有限だけど
有限の出会いの中に 生まれる価値は無限だ

有限の中の無限
その甘い甘い響きに

また本の海を泳ぎたくなる

うっひょー

digi-logの矢野氏の以下のエントリが非常に良かった。

digi-log: 学生時代の思い出と精神的な書物たち
http://digi-log.blogspot.com/2007/11/blog-post_23.html

語りというものの意味とか、
意味のない「発言」の意味とか、
例えばある人の「喜び」と、同時に「怒り」と、「退屈」は、
一体意味があるのかとか。
そんなことを考えていくと、意味なんかないみたいなことにたどり着く。

で、楽しさとか、幸せとか、満足とか、
そういうのって、一体なんだろうと。

お金でいえば、身の丈のお金とか、
使える分のお金とか(貯蓄をするなってわけじゃない)、
そういうことになるような気がする。


僕の感覚では、こういう「身の丈」感覚って、
「ありえねえ」とか思ってたけど、どうもそうじゃない。
でも、間違っても、この感覚が分かる人はわかるでいいのだけど、
分からない人が、あえて、身の丈を小さくすることはない。
身の丈はすでにある「身の丈」でしかないのであって、
わざわざ小さくして生きる必要はない・・・と考えている。

だから逆に、今はこうだけど、こうしたいっていうのが
きちんとあって、別のところでは、「身の丈」でOKみたいなのが出てくる。

で、「書物」、いわゆる本については、
自分の糧となるものが一握りでもあれば、OK。
良い書物とは考えさせてくれる本、かなと思うけど、
そういうのは、やはり当たっていかないと出会えない。これは
人ともほぼ一緒だろうというのは、言うまでもないだろう。

やっぱり、「本のある生活」っていいなあ。

虹の彼方に

読書が嫌いな人がいるとしたら(いるという前提の仮定文)
すすめたい。

多分もっと嫌いになる(笑)

著者がこの小説で何をいいたいかは分からない。
しかし、父親が話をつくって話すというところは、
実は著者自身の話を創る経験があるメタ創作なんじゃないかと
疑ってみたりする。

分からないものに触れたとき、
人は大抵2つの反応を起こす。

「分からないから・・・もういいや」

「分からないけど、気になる・・な」
だ。

高橋は・・・後者だった。
というわけで、次の作品を読むことにしよう。


虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)
高橋 源一郎

中央公論社 1984-01
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世界再構築

社会再構築から世界再構築と変化。
まるで、チェ・ゲバラみたいだ。(違

「天才プログラマ」になりたかったら
「天才プログラマ」だと思えばいい。
それで問題(天才プログラマではない)は解決する。

で、次にすぐに問題が発生する。
「ただ天才だと思っているだけだろう?」と、
おそらく人に言われるからだ。
しかし、上の「天才プログラマ」という認識を
自分の中で秘めていて、口にしなければ済むことだ。事実。

しかし、人はなかなか「謙虚」ではない。
だから、「天才プログラマ」だと思ったら、
「天才プログラマ」だと思うとか、言ってしまうのだろう。
そうじゃなきゃ、上のようなシチュエーションは僕の頭に出てこない(笑)

分かった分かったよ。
「天才プログラマ」だと思っていることを人にいって・・・
じゃあ、その問題は?

そう、問題は、「天才」だと「人」(自分ではない)が
思うくらいの天才っぷりかということだ。

結局、どんなことになろうが、人が「天才」と思うかどうかだ。

実際に天才とは、
「ふっとんでいる」感満載だ。
それは、「通常」というレールに乗っていてはアウト。
もちろん、裸で、外を歩けということではないので、注意。
それが分かれば、後は「他の人がやらなさそうな」ことで、
自分がやりこめるところを追求すれば、
ほとんどの人は「天才」になれるような気がする。

ただ、天才は「多い」と「経済的」(これは人が天才だねという
認知も含む)に価値がない。
少ない方がいい。

例えば、天才だといって挙げることの名前のリストを
削っていけば、天才は相対的に価値が高まる。

この考えは、あらゆるノーベル賞とかに対して
アンチ的に聞こえると思うが、別にあまり深い意味はない(笑)


で、本題。

世界を再構築するのも、社会を再構築するのも、事実上不可能。
それは、自身の脳内のインプット、観察事項の話でしかない。
しかし、人はそのような生き物だ。
例えば、人が壁一枚向こうで死んでいても、分からないものだ。
その壁がなくなるか、もしくは壁をこえて観ない限りは。

そのような生き物が、住んでいる。
これは人間否定ではない。むしろ、肯定だ。

例えば、分かりやすい例をあげると
「ありがとう」といわなきゃ、感謝の思いは伝わらないとかってのは、
結構あることだ。「ありがとう」といわずにありがとうを伝えるためには、
「踊る」「ジャンプする」「逃げる」などがあるが(土屋賢二風)
それをやって変態扱いされても僕は知らない。

構築された社会で、人は生きていく。
もちろん、これから新しい国が作られる。
新しい社会が創られる。新しい集まりが創られる。

そういうところへは、どんどん足をつっこんでいって、
どんどんかき回して、ヘトヘトになったほうがいいなと。

自戒をこめて、思ったりしない。

えーするんじゃないのかよ!

オブジェクト指向でなぜつくるのか

オブジェクト指向が何か分からないというより、
タイトルの問いを一瞬でも思った方にはオススメ。

この本に何度も出てくるテーマとして、
「オブジェクト指向は、現実世界に適用できるか」
または
「オブジェクト指向で、現実を説明できるか」
というような問いが一貫してある。

著者の考えは、要約すると以下のようになる、はず。
「全て表せないが一部は適用可能。
しかし、上流や分析での使用と、下流や開発での使用は
意味が異なる。それらを一緒にしているため混乱させる」

実際には、オブジェクト指向=総合技術となった?そうなるくらいの
認知度、影響度があるのは、
開発、つまりプログラミングでの使用以外でもがんがん使われているから。

例えば、開発を主に行っている技術者は、
クラスの継承、ポリモーフィオズム、クラスでまとめると
聞いたら、その実装に興味が湧くだろう。

例えば、設計、もしくは業務分析、要求定義、などの上流に
携わる技術者なら、UMLで使用する図、何を表現できるか、
に興味が湧くだろう。

で、それらを一緒にしてしまうがために、混乱が生じている。
例えば、「現実の世界を表す」というのは、
プログラミングとしてはありえない。
医師クラスが、患者クラスを診断するから、
医師クラスには、診断メソッドをつける。
考え方としてはありだし、適切かもしれないが、
問題は、医師クラスが、現実の医師のように「振舞う」わけではない
ことが当然あることになる。

最も、
「現実世界とオブジェクト指向」がきっちり分かれている、
そう理解していて、そんなのは「愚問だよ、べいべ」という人は、
本書の持ち味は大分なくなる。
だから、そういう人は「オブジェクト指向」を理解していて、
使いこなしているともいえるから、必要がないともいえる。
おさらいとしてはいいかも。

ただ、その観点からみると、「オブジェクト指向=現実世界か?」みたいな
著者の提示は、ややうっとうしく感じられる、という雰囲気もある。
もちろん、僕はその問いにものすごく興味があったので、
すんなり読めたのですけどね。

機械語→アセンブリ→構造化→オブジェクト指向
という言語の歴史は非常に分かりやすくて良かった。

また、手元においておいて、時には見返したい。
というわけで、オブジェクト指向といわれて、
何も思い浮かばないとか、興味あるけどな・・・という人にはオススメ。

理解していると思っている人にもオススメ。
ただ、その際に、上で書いたような「現実世界=オブジェクト」の問いは、
引っかかる可能性があるとだけはいいたい。
でも、著者が実際に「オブジェクトで現実を表現する」という
誤読をしていたくらいだから、結構「共有」できる誤読かなとも感じる。

違いを明確にしておけば、
営業マンクラスと技術者クラスとかの比喩は
あくまで「比喩」でしかないということが分かるだろう。


オブジェクト指向でなぜつくるのか―知っておきたいプログラミング、UML、設計の基礎知識―オブジェクト指向でなぜつくるのか―知っておきたいプログラミング、UML、設計の基礎知識―
平澤 章

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ファーストアタック

最初が肝心。

例えば、最初に「これが仕事」だといったものを
「教えられ」たら、「それが仕事」なんだと思いやすい。

思いやすいと書いたのは、そのような傾向があるということ。

残業ばっかで残業が仕事です!なんてことをやっていたら、
「そういうのが仕事」だと思うだろう。
残業を否定するのではなく、その働き方に疑問を抱くとしたら、
(しないならこの話は耳を傾ける「べき」ではないが)
疑う、分析するというのは大事。

ただ、あらゆる努力みたいなのものが、搾取っぽい方向、
つまり、リターンがないと人はやる気を失うものってのは、
ほとんど「自己」を実験体として証明可能(笑)

純度、というか密度を高めることは、「学習の高速道路」に
乗るってことに近いかもしれない。

最初というところで、
最初に触れたもの、そういうのがあって、
それをベースに次がまた深まったり、より広くできるだろう。

最初にやるってのはなかなか、というか
大分重要。

さあ、ファーストファースト!

考える考えない考える考えない・・・

花びらをちぎって、
来る来ない来る来ない・・・。

余興は世の中につき物だが、度が過ぎれば
余興ではなくなる。

自己の内包する矛盾性はどこまでいっても
完全に消えることはない。


最近「無知の涙」をやっとこさ、
読み始めましたが・・・。ものすごく良い本だと。
もちろん、被害者、遺族の方は許せないとは思いますが。

人間ってやはり、浅い生き物じゃないと・・・実感しつつ。


基礎をしっかり学べば応用ができるかというと
世の中そうはなってない。
なぜなら、応用をしたいという気がなければ、
またどのような学び方をしているかによる。

自分がものすごく頭がいいと思っている人間が、
全然ダメだったという話はハイテ捨てるほどある。
うまくいった話はうまくいった部分を抽出して学ぶ。
失敗した話は失敗した部分を抽出して学ぶ。

まねぶは学ぶから、マネができんやつは学べないとは
よくいったものだが、ほぼその通りで、
学ぶ姿勢って意味で、「マネ」するリソースもなければ、
やはり得られるものが少ないのではなく、もはや「皆無」である。

果てることなく、飽くことなく、
人に関わるのが煩わしいとは思ったとしても、
そこで関わっていくのがなんかかっこいいと思ったりする。
それは、胃の中のかわず、あ、井です、で天狗になれということでは
もちろんない。

「塔の上から」で、村八分ってのはコミュニケーションが
全くないってことではない、というような台詞を思い出す。

人生で最高のものを入れた瞬間って、
「生きてて良かった」って思う瞬間じゃないかしらんと思う。

頑張る人を応援して、頑張らない人は応援しない姿勢は、
一興だが、頑張らない人は、じっと観察していく方が
学びになるという感覚が最近ある。
じっと観察されて、やらない人間もいるが、そこはご愛嬌。

PUSHIMの声がいい。女性アーティストの声は、
やっぱパワフルな人が圧倒的に好きだなあ。




BGM:PUSHIM「Reach To The Goal!」

タスク

Task。
コンピュータでは、タスクとは、1つの処理のことを指す。
ちなみに、アプリケーション、プロセス、スレッド、タスクと
並べると、なかなか分かりづらい。

実際には、「タスク」という言葉は、
仕事の1単位、1処理という形で使われやすいと想像する。

タスクA、タスクB、タスクCとあったときに、
タスクには、TODO的(やらなければならない的という意)が含まれる
かもしれない。
タスクをどんどんこなして、さっさと帰るのが、僕の理想だが、
さっさと帰っても何もやることがないというのも
一つの理想でもある(笑)

仕事の単位と書いたが、
例えば、ブログを書くだけでも、
1.ブログのネタを探す
2.ネタをメモする
3.ネタを解釈・咀嚼する。
4.分かりやすい文章にする
5.参考となるブログ、サイトを調べる
6.関連情報を探す
7.ネタのために色々動いてみる
などの「タスク」に分けることができる。

どちらかというと、「タスク」には、
ある1つの仕事をやり遂げるまでの、「過程」みたいな
イメージが僕にはある。

また、終わったタスクよりも、進行中のタスクが
一番「タスク」という言葉に相応しい気がする。

実際にそういうことを考えていくと、
仕事の単位というよりも、
「1つの仕事をやる過程で出てくるこれ以上分割できない1つの仕事」であり、
また
「進行中の仕事」が
相応しいような気がしてくる。

WindowsXPにあるタスクスケジューラというのは、
タスクをスケジューリングしてくれるので、
時間になったら何かアプリケーションを動かすとか、
そういうことが可能です。
実際には、週1のこの曜日で、時間はこことこことか、
そうやって事細かに選べる。

「タスク」という言葉を使うことで、
仕事ができるようになるかは微妙だが、
「タスク」という概念が頭にある人は、「分割」して
物事を考える人のような気がする。


リソース

Resource。資源とかの意。
転じて、自己の力、内在パワー、潜在パワー、実際の体力、
精神的気力、興味の量、動ける時間、自分の源となる全てを指す。

として使っている。

「リソースを投下する」というのは、友人の好きな言葉だが、
これは、「自分の興味を傾ける」くらいの意味。もうちょっと
大きいかもれないけど。

リソースは投下するのではなく、資源なのだから、
「リソースを割り当てる」「リソースを適用する」といったほうが
言葉的にはいいかもしれない。

投下という言葉は、ある物体が落ちるという意味あいがあるせいか、
投げるというより、下に落ちる「落下」の意味合いを僕は
強く感じている。
だから、リソースをどんどん当てて行くみたいなニュアンスがある
かもしれない。

自分の源といわれると、なかなか難しいが
それは自分の割り当てることができる、調整が可能な力や
時間のことを指すことになる。

認知リソースとは、認知することに使える量のことになる。
例えば、何かに集中しているときに、他のことに使える
「認知リソース」は少ないというような形になる。

レバレッジ

レバレッジは、てこの意。
「レバレッジを効かす」などは、「てこを効かす」というそのまま
言い換えることが可能。

てこといえば、てこの原理が一番に思いつきやすい。
そう、少しの力で、大きな力を生み出す。

月を動かすには、理論上長い棒があれば、動かせる。
もちろん、普通はできなさそーだが。

てこを効かすことで、「できなさそうなこと」でも
実は「できること」が結構でてくる。

問題なのは、何が力点で、何が作用点で、何が支点だと
そういうことが分からないから、見えてこないだけだとにらむ。

例えば、考え方次第だが、
人に何か「優しさ」を与える、いや提供するって言葉の方が
なんかいいけど、その「力点」によって、
ぐっと、自分が「豊か」になれるという作用が増加する
ような気がする。

人にやさしいって結局そういうことなんじゃないかと。

また、仕事などでも、力を合わせればできるとかというのも
月並みだが、ある。
そして、自分の中でのやり方を考えることで改良はいくらでもできる。

3分哲学

クッキングではなく。
もちろん、できるわけがない・・・のではなく、
いかにやるかがポイント。

今回は、入れ物の話。

100円ショップなんかいくと、買わないけど、
収納ボックスとか、収納ケースとか、そういう整理グッズが
目に入って、ちょっと買いたくなる。買わないけど。
でも、買わないんだけど、買いたくなるということになる。
ここが人間の不思議さか。

で、箱とか、入れ物、ケースって、
なんかそこに入れるから意味があるんだけど、
それだけだと意味がない。と、思う。まあ、おくだけの
ものとかあるから、微妙だけど、ね。

で、ラックが眠っていたため、そのラック組み立てをおこない、
ラックをおく。3段。背丈は、130センチくらいはある。

そういう空白をおくと、何か入れたくなる。もちろん
本を入れるために設置したんだけど。

ということは?

この心理を利用すれば
何か空きを入れれば、そこに何か入れたくなる。
ここでは、「空き時間」という時間は通用しないかも。
ただ、微妙に違うのは、空箱を設置するという意味で、
それは全然違うことになるか。

整頓されていなくても、整理なら、
箱とか何か規格化されたものを適当に複数個かって
そこに適当なルールでいれていけば
すぐに整理できそうだ。
実際にそのようにしてないから、部屋が汚い気がする。

まあ、気のせいだろう。

で、作業興奮みたいな、空箱をどう設置するかがポイント。
個人的には、普段のルーチンに組み込めばいい。

で、作業興奮を利用して(あ、本田さんのレバレッジ勉強法って
本を立ち読み(笑)したら書いてあったのでここで使わせてもらう。
やる気が、やっているうちに、でてくるってやつみたいです。
そういうことありますよねえ。やる前はやる気全然だったのにとか)
空箱設置とか、そういうのって出来るような気がする。

そういうのをうまく計画する、コントロールするというより、
やらざるをえないようにするのがいいのかなあと。

例えば、メインでやっていることにうまく周辺に設置するのは
普通にやるけど、じゃあサブのものの周辺に設置しても、
それをやれるかと。メイン、サブってのは、自分の中での
優先順位1,2ってくらいな意味です。

とりあえず、寝よう。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか


友人からの薦め。
うーん、面白い。ナイス!

印象的なのは、
第三章「高速道路」と「けものみち」

第六章「大組織vs小組織」
かな。

高速道路は、「学習の高速道路」という比喩で、
ネットを例えている。つまり、ネットを使えば、学習も高速道路に
目的地に最短?でつくというわけで。
でも、その先に、大渋滞がある。
高速道路は利用を誰でもできるし、そこを走るが、
しかし、目的地のジャンクションあたりで、大渋滞があるというわけだ。
で、この大渋滞において、プロという道は、この大渋滞をすり抜けていく
地道な、そして険しい道があるという。

つまりネットをいくら利用して、高速でいっても、それは効率的とか
時間の節約って意味もあるだろう、大渋滞にはまっちゃ、
高速の意味はかなり減じる。

ここらへんは、ネットというインフラの可能性を
大いに楽観視して説いても、やはり厳しい。
ネットは高速道路の役割を果たすがその先は利用者ということだ。

で、「けものみち」は、そういう大渋滞を抜けるような
しんどいことはしたくないというか、できないなあという人への
ススメの道。これも、発想というか考えとして新しいものではなく、
好きなこととか、そういうのを探しながら、当たってくだけろ的に
やっていけということになるだろう。

斬新な考えがこの本にある・・・わけではないが、
ネットの利用性、可能性について、著者の考えの展開には
非常に魅力がある。

大組織の話はここでは割愛。本書を読んでくださいませー。

あと「新しい職業」の話も出てくるので読んでドキドキしてくる(笑)

個人的には、この本をネタにして、ウェブ時代というか、
今後の時代のあり方、自分の仕事の仕方など、生き方について
大いに考えるのがいいかなと思って、早速友人に提案する。

ブックスキャナー気になりまくり。
インターネットアーカイブのプロジェクトって今はどうなっているんだろう。

IT+本の可能性を真剣に考えるってのも面白そうだなあ。

というわけで、20,30代の読者にオススメ。
職種は問わないはず。



ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
梅田 望夫

筑摩書房 2007-11-06
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躍動

ZETTONという飲食プロデュースを手がける会社があるが、
飲食店舗のデザインというところから、
デザインを考えていくと、「デザイン」が滅茶苦茶深くなっていく。

多分、デザインが好きな人の思考は、
このようなものではないだろうか。

例えば、歩く道路の白線のリズムから、
ポイ捨てされたタバコの吸殻の山のアート(マナー悪いだけとは言わないわけさ)、
雲の移動するスピードと青と白のバランス、
雑踏の足音と話し声のメロディー、
店と店が重なり合う空間、そしてその雰囲気。

生活をするという点で、いくつもある。
何がある?

それは、身近なものに圧倒的に面白いものがあって、
それはアメリカのようなものかもしれないし、
ヨーロッパのようなものかもしれない。
つまり、本当に身近、例えば今身につけている服や
時計とか、そういうものが、ものすごくヒントになることは
なきにしもあらず。

また人もそうだ。

そういうところをまとめていくと、
結局、見方でしかなくなる。とどのつまり、自分。

見方というか考え方。

楽しめるスキルみたいなものが、あるとは思わない。
でも、確実に動いて体得できるようなもの、でもあるとも思う。
楽しさって、色々あるが、その一つの楽しさって、
やっぱ人にものすごく分かってもらうものでもなく、
まず自分が一番の理解者じゃなくちゃ話にならない。
次に人になるはずだ。他人だ。


嘘のない味

それはストレートに、てらいもなく、
飾ることもなく、真っ直ぐに突きつけてくるような味。

料理人の腕は、その「料理の上手さ」よりも、
どの程度の想いがそこにこめられるか・・・のような
気がしてくる。

単純だ。
仕事を懸命にやっている人と仕事をすると、
非常に気分がいい。そういう爽快感を味わうと、
人の豊かさ、そして仕事の豊かさに気付き、
さらに人生の豊かさに気付き、なんか「幸せ」になる。

一杯のビール、500円くらいで、それで大いに語り合えれば
ものすごく安いものだ。

こういう「お金」の考え方って、意外に出来ない人もいる。
金額がそのまま価値を表しているというタイプの人間。
それは、一つの数値でしかない。もちろん、購入においては
そのお金が必要だ。では、本当にそれだけなのかと、
疑うことをしない。さらば、金の亡者よ。

嘘のない人生が良い。
嘘のない生き方が良い。
不器用が良い。器用は結構格好悪い。
何でもできるってことは何にもできないってことともいえる。

嘘のない味を探そう。

階段を登る

階段を 超スローペースで
上がると 多分 人生豊かだ

新しい思想が 階段を登ることで
生まれるかもしれない やったぜ

人を突き飛ばして わが道を行く
貴方は この詩が分からない
貴方は 言葉を知らない
貴方は ただ死に急ぎたいたいのだから
間違って 認識した 現実を
ただ 自分に適用 しているだけ

僕は そんな貴方に 無関心でいたい
そして 貴方が 気付くことを
ただ 待つだけ

お節介なくらいな 心配が
本当に豊かだと 思えた時

ここに生まれているのは 愛だ

ぶっちゃけ佳境

みたいなあ。
っていうか?みたいな?。
?系って感じ。

そういう人今居なくて、皆お嬢様言葉になっちゃったんでしょうか。
世の中は色々あったほうが、多分いいです。
自分の保険の意味も込めて。
壊れたいときに「壊れたい」ってそう思うんですね。

いくつか仕事系の本を並行読みしているが、
なんていうか、アレだ。
アレすぎて、説明できん。

一ついえるのは、自分が何をやったら満足して、
これだなあっていえるかってところ。
それは100%満足じゃなくて、なんていうか、
自分の身体活かして踊れているのか?みたいな問いに近い。
ほら、踊りって身体が活きないと、まないたの上の鯉ではないけど、
やっぱ制限多すぎみたいなところで、制約はいるかもしれませんが、
ダメなんじゃないかと。

少なくとも、活きた感じ、生きている感じはしなさそうですね。

活かすみたいな。
一生勉強ってのは分かるんですが、
といってアウトプットがないってのは、そもそもアリエンわけで。

そこらへん、もうちょっと詰めていかんといかんですな。




BGM:Mr.Children「隔たり」

フレームワーク

ところで、言葉の説明とは、ものすごく難しいことを
意外にやってみないと分からないという類のこととして、
認識している人はどれくらいるだろうか。

そんなのわかっとるわいという人は、軽くスルーをば。しなくても
いいですけど。

ある言葉を説明するには、その言葉を使ってはいけないルールが
存在する。はい、もう一度いいますね。

ある言葉を説明するには、ある言葉自体は使ってはいけない。

くどいですかね。

これ2つのことがいえて、
1.メタ的に、階層を上に戻る
2.噛み砕いて水平に展開して攻める

の2つがまずやり方で言えそうです。

1は、例えば「後悔」という言葉を説明するなら、
後悔の上位概念、もしくは、後悔を含む言葉を考えるといったほうが
いいでしょうか。
「悔しい」「恨み」「復讐」「大失敗」などなど。
類語っぽいですけど、気にせず。あくまで例です(笑)

2だと、「後から悔やむこと」でいけるんじゃねーかとか、
「悔やむ」って「過ぎ去ったことを現時点からも心に残っているかのように
すること」とかになるのかなーとか。
そういうのですね。

で、これはここでストップ。

フレームワークというのは、IT世界では、土台とか、モデルとか、
そういう意味合いで、フレームは枠ですね。枠組みの意のはず。

枠ってのは、結構意味合いとしても、分かりやすいんですが、
例えば、窓の窓枠。窓は枠があって、ガラスいれて
枠+ガラス=ガラス窓。木枠+スリガラス=学校の教室の窓(笑)
みたいなことになってます。

四角・・・の窓が多いとは思いますが、
その四角を定義することで、窓となりえる。
という意味で、窓を創る土台が、フレームじゃん。
となるわけですね。

ただし、僕が最近使うのは友人の影響もありますが、
土台というより、雛形的な、型、自動製造とか、そっちに近いものが
あります。

流しそうめんは、そうめんいれたら、流れていきますよね。
そういう流しそうめんの竹=フレームワークじゃんとか言ったりします。
仕組みとかもそうですね。

世の中は、結構基本的なことを理解できてないことがあります。
まあ、僕がその最たる人ですが(笑)、それを踏まえて。

例えば、会社で働く人がお金をもらえるのはなぜか?
そんなの、社長がくれるんだろうとか思っていたら、やや回答は微妙。
別に社長は責任者であって、お金をあげている・・・というのは、
実際には違うでしょう。

まず、お金の発生源という意味なら、ビジネス相手、それは
お客というのが正解。お客の財布から、移動して、会社に入り、
会社がそこから役職、実績などを考慮して、再分配す。
だから、実力主義とかをうたうところは、その結果分が
給料に反映されるわけですね。ちなみに、くどいですが、
給料とは従業員側視点。給与は経営者側視点の用語になるっぽいです。多分。
という意味で、給料と給与の言葉の違いを意識したトタン、分かるものも
あるんだなーって好例ってことで。

そして、お客の財布のお金は、盗んでいるわけじゃなくて、
会社が、サービスもしくは製品を提供している対価で
もらっているわけですね。普通は対価以上を提供する、
もしくは満足度が高いから、「得意様」みたいになるんですね。

個人や自営やフリーでやっている人は、
直接これらをやりとりする機会が多い(そりゃエージェントというか、
代理店というか、仲介的なものが入ることはあるでしょうが)
ので、また税の深刻、じゃない申告をやるのも多いので、
そういう「お金」の流れに敏感でしょう。

大分ずれてきたので、ここらで戻して。

フレームワークは、魔法使いじゃないので、
そのフレームにはめたら、わーい、なんでもできるもん♪って
わけじゃないです。これは、気をつけないと、
占い万能主義者(笑)みたいになります。遊びならいいんですけど、
真面目にそれをやりだすと、まずいんじゃないかなあと。

抽象化の考え方もここに投入できそうです。
例えば、「ストレスがなんでこんなに溜まるんだ!」という
問題を解決したいときに、
客観視も含めて、
「自分に問題がある」「環境」「特定の人」「ある出来事」とか
色々でてくると思います。
その時に、
自分がうまく解決できたモデルを1つ作っておくと楽です。
こういうこと結構人はやっているみたいですけどね。

例えば、ストレスを解消するなら、
「バッティングセンターでしょ」みたいな人もいれば、
「愚痴るひらすら、愚痴る。俺の相棒に」みたいな人もいるでしょう。
「食う食う。ひたすら食う」みたいな人も。

これって、ストレス発散法。くらいのレベルで、
フレームワークじゃないじゃんということはいえそうですが、
でも、根本として、
「問題発生→解決したい→今回は・・・」
という一種の流れ、仕組みがあると考えるわけです、僕は。

例えば、恋人・友人と会う時間もない!なら、
会えないので、「しょうがないな、飲む」といって、一人で飲む選択肢
になるとか。
「バットフリテー」とかいっても、バッティングセンターが
なぜか改装工事中とかで、できないとか。
そういうことも諸々考慮して、何を選ぶか。

ぼーとしてればいいやとか、寝る!とかで回避もできそうですけどね。

そういったストレス解決方法にも、一種のフレームがあるんじゃないかと。
それを実行できるのはやっぱ、大本に土台があるからじゃないかと。

そうじゃないと、何もできないし、何も進みませんね。
多分。

本を読む本

むー、期待値を上げ過ぎたせいか、そんなに・・・というのが
正直なところ。Amazonレビューが高い評価があるのは分かる。

2箇所印象的なところは、本題とはややずれるが、
「華氏四五一度」みたいな世界は、結局人に考えさせない社会、世界なら
そのようになるなあということ。似たようなこと書かれてる。

もう1つは、「クロノトピック」という言葉。
クロノスって時を表すようだけど、なんか好きだなあ。
クロノトリガーってゲームありましたね。
タイムと同義か分からんですが、クロノスってなんだか魅力的。

で、終えたらちゃんと読んでない印象が残るので、もうちょっと(笑)

まず、注意したいのは、読書レベルってのがあるかどうかとか、
そういうところはおいておく。
まず本の内容的なことをいえば、
本を読む本、ということで、本の読み方、つまりは読書の仕方。

で、気をつけたいのは「文学とか」小説、詩、戯曲の
読み方なんてのが「目次」にあるが、数ページなので、
これはないに等しいかと。
ほとんどは、教養書というような、学術書、論文、実用書っていっても、
ビジネス本とかは多分該当しないような・・・。そんな気がする。

やや古い、1940年アメリカで発行された本というのも
一応情報として知っておいたほうがいいかもしれない。
とくに意味はないが、日本人の読書の仕方とは違うかもしれないわけで。

読書レベルがあって、初級、点検、分析、シントピカル読書という
4つの順で書かれる。最後のシントピカル読書が一番気になっていたのだが、
ほとんど意味が分からず。
おそらく、関連した本を読んでいくことで、分析読書ではない1冊に
頭の焦点を使い切らない・・・とかで、併読みたいなことを
いってるんだろうけど、多分違う気がする。

シントピカル読書はそんなにページは割かれていないので、
軽くショック。

批評とか、読書の目的とか、定義したり、明確にするのは、いいと
思うが、ここで重要なのは、著者は娯楽の読書を当たり前だが、
考慮はしていない。
暇なときに時間潰すために読書を読む、ような人が読むと
多分、くそつまらないような気配。そもそも、タイトルで
この本は手にされないか。

本を読み始める人に、この本はオススメできない。
訳ということもあり、やや固い。その固さがほぐれる本ってのも
あると思うけど、一貫しているから、逆にとっつきにくい。
だから、「目次」と、内容の確認みたいな、点検はいるかもしれない。

個人的には、永井朗だと思うが、「不良のための読書術」を
オススメしたいところ。

最終的に、面白く、楽しめるとか、学べるとか
何か惹かれる要素がないと読みきれない。
そうじゃなくて読む人は、「仕事」だから、仕方ないのではとか
思ってしまう。

ということは、娯楽の読書が悪いわけでもないけど、
娯楽部分があるわけで。

趣味に、読書が趣味っていうのが、かなり「微妙」だとか思っている
自分には何かそういうところとものすごく関係がある気がする。
例えば、読書が趣味で、漫画しか読まないと、
「読書」とかいていいか迷うかどうかとか、恥ずかしいとかどうかとか、
別に本を読んでいるのだよ、とか、色々試される。
読書を趣味だという人の、読書よりも、「読書が趣味」という人の人間性
にものすごく興味がある。こういう「メタ」な見方もありかと。

本を読む本を書く著者は、本が好きだろう。
訳す人も本が好きだろう。

そして、レビューする人も本が好き。
そんな僕も本が好き。

っていうところで、いいんじゃないかと思いました。

という意味で、個人的には、
読書の仕方ってのが気になる人は読んだ方がいいですが、
とくに気にならない、娯楽読書でいいじゃんって人は
スルーでよいはず。

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いけー

ボールペンをゲット。
WATERMANというブランド。知らなかったが、まあたまには
いいでしょう。昔、renomaのシャーペン使ってたけどなんか
なくしたか壊れたのを思い出した。重さがいいなあ。

「塔の上」観る。
パフォーマンス的ダンスが好印象。
山風な物体が動くには、かなりびびった。
最後の観客上を後ろから覆う形のパフォーマンスは圧巻。
あれは、あの黒ビニールの中で、人が人の上に(多分ほぼ直立に近いはず)
で、4人くらいの高さにはなってた。
どっかに、折りたたみ棒とかあるんだろうと思ってたけど、
あのビニールの形状からして、多分「塔」なんだろうけど、
棒とかはありえん。人がやってる。すげ・・・。
中国でみた雑技団って、ピンポンを11個くらいカチカチやるんだけど、
なんかそういうのとは違うんですよね、とか思ったり。

内容はニュータウンの話。
この話惹かれるのは、コミュニケーションというところで、
自治会とかの機能性について考えてしまった。

その後そのまま食券のある店で飯を。
食券自動販売機ってあまり好きじゃないのは、
例えばコミュニケートを客としていこうと考える店は
多分「手間」(精算とか結構面倒でしょう。レジでやるとか。)が
かかっても、それは導入しないような気がしてきた。

面白いのは、ネットで注文しようが、誰かが必死に運んでいるということ。
誰かとは、飛行機のパイロットでも、トラックの運転手でも、
バイク便ライダーでも、郵便局の流通ネットワーク!でも、
なんでも、最後は人と人が、FaceToFaceということを感じた。

ほら、食券って買っても渡すじゃないですか。
僕はその「渡す」という行為がなんかいいなと思ってしまった。

嫌いなことをこれに関連して思い出すのは、
延滞したからっていってもバレますけど、ビデオとかDVD借りて、
それを「店が開いているのにもかかわらず、返却ポスト」とか
入れる人っていそうです。

図書館をよく学生の時に使っていたとき、
開館しているのに、返却ポストに入れていく人がいた。
面倒なのか、受付で返したくないのか、よく分からないが、
何か「格好悪い」なあと感じたものだ。

今でも変わらない。

その行為は、結局、食券自動販売機でいえば、
食券を買ったら、その食券を渡すことなく、
調理場にメッセージがいって、店員が運んでくるか、
もっといえば、機械が運んできてもいいってことになる。

うわ。そんなの嫌すぎ。
そういうのがいいんだろうか。と、ふと思う。

そりゃ、あんた、人がわずらわしいとか、一人でいたいって
ことはありますよ。
でもね、あんた(誰?)、基本、生きるってことは、
人に関わってくんだよ。嫌とかあるだろうけどさ。

そういうのって、逃げ切れるものじゃあないよ。
といっても、我慢しろっていう話でもないんだからさ。


K・D ハポンへ潜入。
朗読を味わう。うむ、これぞスローな生活だ。
主催ニシムラ氏、ゲスト谷籐氏での3本朗読が展開。

個人的には、朗読をどう楽しむかが課題。

とりあえず、ニシムラ氏朗読の「増補版 時刻表昭和史」は、
すげー読みたくなりました・・・。
朗読部分は、7月か8月あたり(1945年、つまり終戦年)で、
天皇の玉音放送でしたっけ、あの時も列車は普通に動いていた・・・
というようなところが印象的。

多分、列車が好きとかじゃなくても、昭和史とか旅とか
面白そうだと思ったら読め!ってレベルな気がしてきた。

谷藤氏朗読の「雨降り舞踏団」は・・・詩集か、
普通に「雨」の中で、傘もささずに・・・というBIG-Oの台詞を
思い出しましたね。ええ(笑)

ニシムラ氏のサイト
AfroWagen

谷藤氏のサイト
谷藤氏は、つきそら書房という本屋ではない、朗読ソロユニットを
展開されているそうです。なんか、スローな感じでいいですね。


で、朗読の楽しみ方ですが、
これは、結局、本の楽しみかた、音読をやるのか、聴くのかとか、
で色々要素を入れていくと全然違うんじゃないかなあってのが
今の感じです。

スローとか、精読とか、じっくりとか。
味わうってことをもっと追求せねばいかんぞと思っているところです。
そういう意味で、朗読は参考になっています。


で、話は吹っ飛びますが、
最近は、30代に注目してみます。ぶっちゃけ、20代がつまらん。
それは自分の世代がダメとかではなく、
周りをみても、やっぱ20代って、「若い」って括られるんですね。
例えば、社会に出たひよこちゃん(笑)みたいな感じがあって、
僕にはそういう感覚はないのですが、事実ですね。
いわゆる、そうではないんだといっても、そうであるというギャップがある。

30代に注目する理由は、
色々なところで、見る見てきた人で、やっぱそれなりに
年齢なり経験なりってところを、コアに落としこんでやってこれる
人って、30代くらいでやっぱそれをやっていたりするんですね。
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、
30代で、人を比較すると、結構分野ばらばらで、色々ですね。
例えば38の人がいて、でも、別のこと(ここでは仕事が主ですが)を
やっている35の人はこういう風に生きている。

そういうのって、人に会わないと、見ないとそもそも
想像すらできないので(本を読んでもそれは可能とは僕は思わなくて、
やっぱ物語に没頭する以上に、現実に没頭したいですよね)、
やっぱ人は会うとか、話すとか大切ですね。

そういう30代をみていって、嗚呼この人いいなあって、
全然焦りがないなあとか、楽しんでいるなあとか、
イキイキしていいなあとか、これは自分も早速やれるかもしれないとか、
ここは違うかもしれないなとか、そういうことを考えるんです。

そうすると、人に会うのが楽しくてしょうがない。
それは、ちょっと間違えると「人を比較して遊んでいる」だけなんですけど、
でも、大分前に書いてた、選択肢の話からすれば、
つまり、選択肢というか、選べる、選んだことがどうつながっていくかって
すごく見えづらいんだと思うんです。
だからこそ、選択できるものって多いほうがいいかなと。

「お前はこの店を継がなきゃならん」
というところで、それ以外の道を模索せずに、その道に入れるかといったら
なんか違うような気が、あくまでも気ですよ、するんですね。
やっぱ、他の道考えたりして、最終的にこれだって。
そういう風なんじゃないかしらんと。旅。かもしれませんしね。

まあ、そうやって考えていくと、
同年代というか、同年齢の人がどう動いているかは
ほとんど興味が向かないのが実際のところです。
そりゃ、年近いってのはいいことのほうが多いですけどねえ。
でも、年齢はある部分はこう思い込みみたいなところで、
うまく隠してくれて、逆にそうじゃない点のギャップが面白いと
そう感じています。

というわけで、10代の人はしっかり勉強を(笑)
20代の人は選挙いきましょう。とりあえず(笑)
30代の人はもっとがんばってください(えぇ
40代以上の人は、若い人を応援してあげてくださいね。

というわけで、僕はもっと勉強しますねえ(!

可能性

きた。
昔、連呼したワード。おそらくタイトルでかなり使ったなあ。

可能性という意味で、言い換えると、
「こんなこともできるんだよ」
「こうしたらこうなるよ」
「こうすることもできるかもね」

っていうような台詞だ。非常に心地よい。

もっともっともっともっともっと 可能性を探ってもいい。
そういうところで、きっと伝わる人にはおおきなものを
提供できるという自信がある。(おぉ

ばあさんにやさしく

転じて、年配には優しく。
もちろん、年下にも、もちろん同年代にも。
そして、人にやさしくとなる。

吉野家で座ったら、左から声が聞こえてくる。
二人の会話じゃないって、なんですぐ人間って分かるのかしらん。
ばあさんが独り言をでかい声でいっている。

精神的な障害か、それとも、ビールでの酔っ払いか。
どちらにしろ、吉野家は独り言を言う場ではない(笑)

ばあさんだ。
年齢は当然70はいっているか。ここでビールを飲んでいるのだから、
足腰も弱くないだろう。
店員に話しかけるが、迷惑らしくあまり相手にされない。
当然だ。店員も、他の客のために注文をとり、運ばねばならない。
他の仕事もある。そのばあさんの相手をするわけにはいかない。

といって、常連可能性もあるわけで、無下にすぐ食ったら帰れって
いえないのだ。ここが仕事人の宿命か。

ばあさんはとても、かわいそうにみえた。
これは同情ではない。哀れみでもない。

なんで、吉野家でわざわざよっぱらってるのか、独り言なんだろう。
相手(旦那)や、うるさいばあさん以下(おばさんの意)くらいの
友人や付き合いはないのか。ぐだぐだ話すスペースと、
場所は吉野家以外にあるだろう。

そういう人が意外に有名なことをしていたり、
どこぞの仕事を成し遂げたとか、地域の顔だったりしたら、
笑えるが、実際にそういうことはありそうだ。

「なあ、ばあさん。俺は人に優しくなるよ」

と、捨て台詞を吐いて店を僕は出た。
わけがないがな!

人工子宮「自転車にのって」

デザイン事務所の設定での、お話。で、気になったので観た。
感想としては、当たり。

後ろの客が、「物語の構成が分かりづらい」というようなことが
聞こえたが、話に複線が一杯あるような話でもない。
初見で思ったのは、HPによると、役者の年齢は35歳が平均だそうだ。

主人役の宇佐美氏は、役者だが、演出も作もする。
つまり、つくって、演じて、演出する。なんかこういうのいいですよね。
ホント。別に、役者だけ、演出家だけ、作家だけがどーとかじゃなく。

僕が感じたのは、日常性にフォーカスを当てた作品か、
劇団の印象。今までの28回分はどうかは知らないからこそ、
この29回目のみで思うだけ。これが僕のジャスティス(笑)

たまたま、スローなところに今注目しているところで、
「自転車にのって」なんて、いかにも庶民じみた、といっても
別に批判じゃないですよ、雰囲気がしてくる。
実際に、デザイン事務所といっても(あ、設計所かな)、
数名の社員でやっている小さなところ。

日常性という意味で、すごくリアルで感動した!とかは全くなく、
ありそうな話かーくらいのギリギリのレベルで、
それは宇佐美氏の実親の職業が、デザイン設計だったというところから
くらいでしかないのだろう。多分きっと。

日常というのを、描くのは結構というか、意外というか、
滅茶苦茶ではないかもしれないけど、難しい。
多分、経験というか、感じるものに、自己の思考を重ねていって
いくことでしかできない。

そういう意味で、一つの、日常とリンクした、
物語ではあるのだが、主人役の正直が、いい味を出している。

日常性みたいな劇で笑いがあると、
下手すると吉本新喜劇みたいになって、あまり好きじゃないのだけど、
あ、こうかくと吉本新喜劇がダメみたいに思われるか(笑)、
そういうのってギリギリで違うような気が最近している。
この劇に笑いがそんなにある・・・わけじゃないと思うけど。

人工子宮は、公式HPでは、人があつまって作品が生まれるって意味合い、
だけど、実はそうじゃなくて、
子宮という赤ちゃんが安堵するという空間を、自分たちで(人工で)
提供しようという意味に受け取る。

正直が言っていた台詞で、
勉強しんといかんぞ、みたいな言葉とか、
脳みそに汗かけってのは、非常に「ふるい」言葉なのだけど、
状況によっては「そういう風にしか」表現できないこともあって、
そこらへんは非常に深いと感じる。

仕事とか、生き方とか、出会い別れとか、
そういうのは、多分、経験値を上げる(年を経ていくことくらいの意)ことでしか
分かりづらいなと感じている。
単純に年齢だけとって、頭スカスカの人もいるけど(おぉ
そういう人じゃなくて、なんだか良い大人みると、
そういう大人になりたいな、と純粋に思うように、
いい劇を観ると、純粋に自分の中に、モデルとか、
こうしたらああなるっていうパターンとか、
あと、なんかこういう話があってと、自分のオリジナリティーも
磨けてなんだかいいなあと。

多分、こういうのが観劇の楽しみの1つかもしれませんな。


劇団 人工子宮

メタ

軽く説明しようとしたんですけど、
Wikipediaが分かりやすぎ。くう、やるなあ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF

本についての本は好きですね。これ人から言われて気付いたかも。
でも、本好きなら本についての本ってフラット(誰でもという意)で
好きだと思っていたけど。

メタ言語もいいですね。
私はうそつきです。とか。

メタ認知も最高。
あくまで自意識の話であって、仮に自己以外の存在を仮定した
位置からの認知だと思っても、その存在は
多重人格や二重人格などとはならない、というか、
キャパ(容量)として、自分が全てであるというのは
ちょっと窮屈な気がするって、関係ないな(笑)


あと、こんなエントリ発見。面白い。
http://blogs.itmedia.co.jp/itphilosophy/2005/12/post_294b.html

階層って概念ですねえ。いいですねえ。


で、メタってことをそんな意識しているかというと、
よく「考える」ときには、それは意識せざるをえないというのはあります。

例えば自分の見解Aと相手の見解Bは不一致な部分が多い。
それはなぜか?
仮定でも事実でもなんでもいいですけど、
自分の理解する、考えるところを越えられることはまずないので、
そのレベルでどんどん追求していくと、
ある種共通的なものに戻っていきます。それがメタなんじゃないかと、
勝手に思っていたりします。

僕は、メタ=一歩前のという認識があったんですが、
実は一歩後なんですね。本来は。
なぜ前と後ろが逆になるかは思考の面白いところですが、
例えば、Wikipediaにあるように、哲学などの形而上学は
物理があって次にできる考え方だなあというのは納得。

湯飲みにお茶が入っているのは、
物理的には、お茶という液体が湯飲みの中で、停止しているに
過ぎないといえそうですが、あ、これおかしいのか、
まあ、それはいいですが、そういう現象があって、
じゃあ、なんで湯飲みにお茶が入っているのか、
別に隣のコーヒーカップでもいいじゃん。
机にこぼれていてもいい(何がいいかはスルーしてくださいね)、
とかとか。

それって、物理とかそういうのじゃ説明できないんですね。
といって、じゃあ哲学がそういう諸々のことに全て応えているかといったら、
もちろんそんなわけがなく。
といっても、先人の思考はやはりすごいものがあるわけですので、
この意味をお間違いなく。

例えば、ダンスを見たときに、感動したと。
ではなぜ感動したんだろうということを、言葉にする場合、
1.自分が感動したから感動した
2.感動する要素があったから感動した
3.他の人が涙していてより感動した
4.期待値が低かったがあまりにも実物は高すぎた

など色々な要素が出てくる・・・はず。
そういった場合に、どこか、物理的な思い(現象ではない?)を
一つ次のところにもっていって、それが哲学か、思考するか、
考えるか、分析するか、落とし込むか、どういう言葉になるかは
その人次第ですが、それを考える・・・と。

考えた結果は、1+2+3みたいな要素だったんだなと。
で、この作業は「ダンスをみた感動」で「感動」するみたいな
メタ認知作業みたいなことも、
書いたものをみて、本当にそうかという「メタ言語」みたいなことも、
やっぱメタばっかりじゃないけど、メタ的な要素があるかと。

例えば、文章って人が書きますから(そうじゃないのはしらん!)
その書き手って何をいいたいかってのはやっぱ気にしますね。
それも一種のメタなんじゃないかと、乱暴かもしれませんが、
思いますな。

本の読み方 スロー・リーディングの実践

「未来形の読書術」からのリンク読み。
この本は当たり。

速読への批判的な見解は、一理あるが、
おそらく、速読を実践する人にとってはやや言葉が足りていないというか、
実際には、著者が展開する「スロー・リーディング」と似たように
「速読」も奥が深いと思ったりした。
あ、僕は速読なんて出来ないのに、そんな速読を肩持つのは、
実際には、「速読」「スロー読み」も両方必要かなーというか、
バランスで使い分けたいなと。

ただ著者の言っていることはもっともで、
速読って「活字」にある情報を追うのには適していますが、
活字の奥や裏にあるという「情報」は読めないんですね。

速読後にもう一度読むっていうのは、すでに速読かどうか?
の議論もありそうですし、読み方って結構定義しづらいなとも思いますね。


この本の良い点は、上記の速読に関する批判を除けば、
ものすごく良かったです。
僕は個人的には質より量だと思っている節があったのですが、
そうでもないかなーと。もちろん、量あっての質だという考えは
変わらないんですけどね。

例えば、古典のテクストとして、
夏目漱石、森鴎外、カフカ、三島などを紹介して、
実践してスローリーディングをしているのですが、
そこで著者が展開できる読みは、
カフカなら「変身」とか「城」とかかな、を読んだから
言えることも、また別の人の作品を読んだから
いえるようなことも「多い」感触があります。

つまり、いきなり「スロー」って「スロー」になりえない
とすら思ったのですね。これは、著者の批判というよりも、
著者の見解に自己の解釈をかぶせていったものです。

いきなり、上手く読めるというか、自分が解釈したいように、
消化できるなんてことは、絶対にありえないなと。
だから、最初は読んでいって、少しずつ理解を深めていく。

もちろん、著者はそういった点を踏まえてでしょう、
何度も読むとか、じっくり読む、スロー・リーディングの
良さも兼ねて指摘しているので、重々承知のことなのでしょう。


あと、味わって読むということから、
じっくり何かに取り組んで、いわゆる一石二鳥ではなく、
一石十鳥くらいにはなるかもしれない可能性があるかもしれません。
というのは、一つの単語、一つの文章、一つの本から
得られるものは多いからなのですけどね。

友人とも話したりして、いくつか面白かったのは、
ゆっくりやるということと、速くやるということは、
やはり使い分けが必要で、どちらかオンリーでいかなきゃいけないってのは、
多分相当融通が利かなくなってしまうとか、
こっちでやりたい、そっちでは無理だみたいな土台なり人が
出来上がってしまうとか、そういうことなんじゃないかと。


実際にこのスロー読みは、今後実践していく予定です。
ブログで展開することも可能で、いわゆるここの本読みカテゴリの
話をもっと重層的(著者の使う重層的って言葉はえらく感動しました・・・)
に展開できるような気がします。

これは学際とか、社会学とかと似ていると思うんですけど、
僕にとっても、本も現実社会も、人もやっぱ学問もですね、
重層的に対応しているなあって思います。

というわけで、本読み自体に興味ある人は必見ということですね。


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吉報

吉報あり。
やはりデキル人間はデキルと思った。
世の中はフーコーが言っているように(本当かよ?
実は権力ってのは、権力行使者ではなくて、されるほうが
定義してしまって、そう思っているのだということは・・・
普通にあるような気がしてきた。

思い込みの問題としたらフーコーは怒るだろうけど、
全然無関係ではないなあとか。

例えば、自分ができないって思っている人に
やっぱ仕事とか、頼みごととか、相談とか、
そういう色々な「投げる」っていう行動は
僕はしたくないなあ。これ当然だと思っていたけど。

貴公のますますの発展をお祝いし、
ここにおいて、嬉しさを表現してみんとす(笑)

みんとすって、ミントスって清涼菓子じゃないですよ。わーい。

風より はやく 歩く

車の風よりも
人が歩くことで うまれる風よりも
自転車が走る 風よりも

僕は その風よりも
はやく はやく はやく
歩けたら

音速より 実は はやい

違うんだ
風より はやく じゃない
風に のることが 風よりはやく あるくことなのだ

一投(いっとう)に全てを

この重なる思いを この一回に
さらに 重なるように 込める

純粋濃度120%の 思いを 込める

チャンスは 一度しかない
しかし 二度目のチャンスは生むことが できる

外したら 笑おう
当たっても 笑おう

想いを込めたことに
全てをたくしたことに

間違いはないのだから

GO アドベンチャー

旅をしよう
旅をしよう
旅をするんだ

目的なんてない
目標なんてない

ただ 自らの足に 想いを注入し
その想いのままに 歩く

何かを見つけることが 
何かを見つけなければならないことが
本当に 冒険にとって 大事なことだろうか

旅人は皆
知っている

甘さ

基準となるものから比較するとき、
基準が甘いかどうか。それは比較して脅かされるというか、
そもそも比較して、改めようと思えば、
甘さはどんどん消えていく・・・はずだと思う。

甘さがどっかに隠れてて、
「熱い紅茶」をいれたときに、
「はーい、出番ですよ!」
みたいに、甘さがはいでてくるような気もする。
つまり、気の緩みとかってことだなあ。


波にゆらぐ 光の朝


魚のように歩き 進むたびに


新しい空気が 肺に満ち満ちていく


新しい朝は 毎日ここにある

GO

良い。これは読んだ方がいいんじゃないかと。
今まで読まなかったこと(結構手軽に読めるからこそ)を後悔。
ああ、後悔するくらい良かったということか。

あえて一言でいってしまえば、
主人公の心象描写から「在日」とつく「韓国人」「朝鮮人」の
問題というより、日本における扱いを難しくいうことなく、語られているという感じ。

全然関係ないですが、自爆テロがある国だからといってイラク人が全てそうだとか
思ってしまったら・・・、戦争をする国だからといってアメリカ人全てをそうだとか、
そういうことって、簡単に「言葉で」言えちゃうから怖いところですね。

国籍も似てるっちゃ似てる。

とりあえず、もっと学ばねば。音楽と本の話が結構出てくるのもいいですねー。
「カッコーの巣の上で」は見ないとなあ・・。


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解禁

ちょっとリリースしないと
便秘みたいになるので、予定より早いがリリース(笑)

にしても、
RSSリーダーがあんまキャッチしないなあ。
仕組的には、XMLキャッチしてないってことなんだろうから、
見に行っていないか・・・とかなのかしらん。

貯めに入ります

金でもなく知識でもなく精神でもなく体力でも
知力でもなく酒の飲める量(アセトアルデヒドという有害物質に対し、
溶解?作用のある酵素がないと酒に弱いだけです。え?)でもなく、

しばらくブログ断筆。
というほど大したもの書いてないけど、
最低、今月一杯くらいは貯めに入ります。

日々書くのもいいのですが、たまにはこういうのも。

なお、他のブログ等は平常稼動。

なんで貯めなんてことをいってるかというと、
ほら、高く飛ぶには膝を曲げて、貯めなきゃだめじゃないっすか?
あれが今ないんですよ。手先だけで勝負している感じ満載で、
多分、そういうのって見抜く人は速攻見抜くんじゃないかって。

わざと小手先でやっておいて、見ぬけられるかどうかってのを
試すのも面白いんですが、ぶっちゃけそんなことをやってる暇は、
暇人なんですけど、ないんですね(笑)

うおりゃあ。

空中庭園

家族テーマかあ。と、どっかで情報を仕入れて
即買う。

む。面白い。
園の作った「レンタル家族」と比較してしまうのはご愛嬌として、
実際に、幻家族みたいなのがある。

で、岸田秀的(笑)に言うってのも変だけど、
そこらへんを解釈していれると、
母親・絵里子は、家族不在感というのを幼少時に感じていたため、
「家族」を作ろうと、(個人的には、これは「家庭」という仮定、
あ、ごろがいい。YO!YO!)
躍起になって作られた京橋一家。

個々の秘密があるのは当然というところは問題ではなく、
その秘密によって、コウ(京橋家の長男で、二番目の子)は、
「逆オートロック」という言葉で表している。

ダンチに住む人は、鍵してなくて「外部」の人を意外に
受け入れてくれる。でも、入った一つの家族は、
皆「オープン」なようでいて、実は内部同士、つまり家族同士は、
「オートロック」みたいな鍵をかける必要はないのに、
鍵をかけている。
鍵をかける対象は、実は外部では?でも、内部にかけている。
そういうことをうまく表現しているなああ・・・とほぼ100%感心。

ミーナさん萌え、とかいってる場合ではないが、
まあ、ミーナという人物にとって、京橋家は滑稽な学芸会にみえるが、
誰もそれを指摘することはなく、
「学芸会」=「家族のやすらぎ」「本来のやすらぎ」であるというような、
そのような幻の家族ゲームをしているように、見えた(ミーナにとって)
のだろうと推測。

「レンタル家族」は、ビジネスだったが、
「空中庭園」は、庭園が宙に浮いている、つまり、地についてない家族。
もちろん、地に着いている家族って一体なんだ?ということを
考えなきゃいけないのだけど、空中にある庭園はやはり庭園ではないのと
同様、宙にういた家族は家族ではない。

地に着いたコアなところの、家族の一人一人の「秘密」は、
秘密禁止ルールの家族では決して語られることはない。
いや、そもそも「秘密禁止」というルールがあることを
疑うべきだ。

最近たまたま知ったことで、
Webサイトの検索ロボット用対処で、robots.txtというのがある。
Googleとかyahooとかで、ボットが検索しにくるから、
それを外す(つまり、検索ヒットしないようにする)とかができる。
で、ディレクトリ名などをそのテキストファイルに書くのだが、
そのファイル自体は何もしなければ見えてしまう。

つまり、鍵をかけたロッカーはこれとこれです、と
誰もが見えるのだ。それは、つまり「このロッカーは秘密なものがあります」
ということを示していることになる。これをさらに裏に読むということも
あるが、普通そこまで考えない。
(例えば、ダミーで鍵をかけたといっておくとか(笑))

それと同様で、「秘密禁止」ということで、メタ的にいえば、
「秘密禁止」=「秘密を認めている」ということになりそうだ。
これがすぐに分かりにくい人は、素直で、人を疑わない、
良い人だと、皮肉っておこう(笑)


ビジネスではなく、実際の家族での話だからこそ、やや生々しい。
家族について考える良いきっかけとなる。
それは、後戻りが出来ないだとか、そういう考え方だったりするんだけど、
家族ってどうも「愛する」よりも、「何かある」っていう考えが、
主流にあるようなところが、なんか嫌ってのは前からある。
まあ、とくに何もなければいいのだけど、
この話のような「秘密禁止」みたいなのって、やっぱり
家族は家族であって、その家族がやっていることだから、
なんじゃらほいって、いうところで警察の「DV判定」ができないような、
「痴話喧嘩」ですね、みたいな、そういう妙な話はいくらでもあるような。


で、ここで自分の家族を言及すると、
秘密禁止とか、ルールとかは一切なかったですね。これ僕の中の普通。
外食とかはよくいったものです。外食禁止みたいな家族はあると思います。
なんていうか、経済的なものもあるだろうし、あと地理的名ものとか。
でも、今は車あればぶぶーとどこでもいけますよね。

あと、本当に思ったのは、この角田氏の描写力というか、
家族のぐわーっとした感じ(笑)は、男の登場人物としては、
夫とコウくらいで、他はいなかったと思いますが、
他の女性の登場人物、または人物の心理過程みたいな、
これが「家族」ってところで、かなり突っ込まないと書けないと思うんですが、
そこらへんがものすごく細かいなあと感じました。良い意味で。

ま、ミーナさん萌えで読むと痛い目にあうので、
「家族ってなんだろうなあ」とか、
そういうことを考えるとか、そういう人にはオススメですね。
多分外れにならんでしょう。

他の作品も発掘してきますかねえ。


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確実に病め

呪いの詩になるか(笑)

ま、それはないけども、頭痛くて眠れるって
やばいんじゃないのか。

totoBIGを買わねば。

ああ、カウボーイ・ビバップがみたいなあ・・・。

思いを届ける


自分の想いを言葉にのせて
届ける

それってものすごく 幸せなことなんじゃないかと
そのようなことを 綾香が歌っているのだけど

そのとーりじゃないかと。

で、それはいいとして、
じゃあ、そういうのって「いつ」できるようになるかというと、
明確な境界というか判定値が出てこない。

ほら、定性か定量かって二者択一か両方か、みたいな、
いやいや、質と量=全ての属性みたいなのは
実際にあるんだけど、ほんとうにそうか?っていったら、
結構弱いような。

40歳くらいで何かもう上限といいますか、
下限みたいなものもみえてきて、
こうやって生きていこうってなって、それで終わりなのも、
一興だけど、自分としてはそういうのは選択しない。
たとえそうなっても、必ず挑戦という自分の中で使う言葉を
さび付かせることはない。ただ、それだけだ。

想いを届けていく、というのは、
実際に何かしらの反応があるだとか、そういうことがないと
ダメかというと、そうでもないだろう。
また、そうであっても、一体それがなんだというのだと
いうこともできる。

結局、姿勢の問題にしかならい。精神論ではなく。
例えば、何でも疑いたい姿勢の人は、どうあっても疑う。
これは素直じゃないというのに限りなく近いが、まあそうだろう。
逆に何でも受け入れる人は何でも受け入れるだろう。
それも逆にいえば批判はできる。

どう転んでも批判される。どう転んでも評価される。
そういう前提条件が「姿勢」だと思ったりする。

だから、結局自分というところに戻ってくるのじゃないか。
だからデカルトは考える自分はその存在を疑いようがない、みたいな
ことをいったんじゃないか、と思うわけですね。

色々問題がおきたら、トカゲの尻尾きりみたいにするのもいいけど、
それって結局、再生が前提なわけで。

どん底にいたら、再生とかそういうことじゃなくて、
尻尾きりを本当にし続けて、最後は死ぬような気がする。
死ぬってのは、強制的に死ぬのだから、殺されるってことだから、
死ぬっていう言い方はおかしいのだけど。

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