ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2007年10月

活字を飲む・活字を食べる

ストローで吸うっていう洋書のお話があった。
なんか英語つまんね、とかいってすぐやめたけど、
読むトレーニングと思えば読めたなあ。
翻訳を逐次しているから疲れる。そこらへんは
修行せねば、直らんという自信あり。

活字を飲むってのは、普段活字があると思うけど、
それを読むとか見るんじゃなくて、飲むって
概念で取り組むってこと。

フォトリーディングみたいな速読とかいう意味ではなくて、
「飲む」。

こういう基本動作の言葉、とくに動詞を
活字に当てた・・・人は・・・
Google検索ではヒットせず。面倒だから他はやらん。

要は、言語破綻級ではないが、
「活字飲んでるよ」っていったら、
「え、活字を読むの間違いじゃない?」

って、一般的レスポンス(応答)が得られるクラスになっても
使い続けられるかが問われる(聞いてないよ。

活字を食べるとは、
「本」を食べるのと同じ感覚だが、
(活字中毒は活字ならなんでも良いという人で、
本好きは本が好きな人を指すので、やはり違うようで)
「食べる」というより「食す」(しょくす)のほうが近い。

本を食す。
本を飲む。

この領域に達した僕は、大いにリードマスターと名乗ろうと、
勘違い人生の始まりだっ!

で、新聞を飲み、どんどん食べていきますのでございます。
って、ああ、10月終わっちゃう。いやんいやん。

といいつつ。

チャリダーがまた再演。本当は、再熱とかかくかもしれんが、
こういうダジャレ風なものに懲りだすと何かトラウマティック(笑)な
ことを思い出すので、ここでストップ。

走れ走れ。チャリを走れ。(ちなみに、チャリは、TYARIです。CHARIとかは論外(えぇ

マキバオーじゃないですけど、やっぱ走らなければいかんのです。
そして、その足で、僕が見つけた自由空間と、
制限空間という二つの矛盾は、同一のチャリ上での
思索というものでしかなかった。

解説すると(しなくていいけど)
一人のチャリダー(自転車に乗る人、そこから旅人化する人風)が
自転車のサドルにまたがって、ペダルを漕ぎ出すとき、
そこに、チャリにのっているという「制限」が発生する。
自転車に乗らなければ制限はないのだ。歩きでも、車でも。
しかし、そのチャリに乗ることで、風を感じる自由、
思想する自由、ペダルを漕ぐところまでいける自由、
という多くの自由を得る。

制約があると自由がある、のではなく、
制限の中で、創造性が働くという条件で、自由というものが生成される。

これを間違えると、
制限のみ与えればいいとか、制限さえすれば、勝手になんとか
工夫するとか(一理あるが、これで潰れることは普通にある)、
そうではないのだ。

制限というフィールドを明確にどこからどこまでと、
言った方がいい人間と、そうではない人間が大体いる。明確に分かれるわけじゃあない。
明確の人に不明確はストレスで、不明確ちゃんは明確君がストレスなの。

ある程度社会ってフィールド、とくに労働ってところで、
契約とか約束とかは、守るってことが、「お互いの利益」という
ゲーム理論風(ではないっぽいけど)に考えると、
そういうふうにルール作っていくことに収束していく。
(憲法9条が、そういうルールかどうかは不明だが。関係ない)

チャリの自由を知ったものは、味をしめたものは、
きっとチャリに乗らなくても、その自由の味を知っている。

だから、その自由が得られないところにちょっとした、
苛立ちのようなものを感じてしまうかもしれない(あ、なんかこれ
春樹風かもしれん。多分違うけど)

自由と書いてるけど、もちろん制限あってから自由がくるイメージだ。

で、問題は、その味はチャリ以外で得られるかどうか、
または制約と自由はどこまでチャリ以外で成立しているか、なんだけど、
どうやら、意外にそういう、制限があって自由があるって、
のはなくて、むしろ、制限がない=自由みたいな考えが
有力な気がする。そんなことはないのにね。

チャリで走る、漕ぐ、諦める、休む、食べるという
基本動作を学んだものは、何事も粘り強く、やっていけるのだろうと
これは「チャリダー」の賛美ではなく、自分のことを
客観視しているだけだ。

だから、チャリで旅する人間は・・・芯が強いと
総じて、今まで会ったチャリダーもそうだと思うが、
そういえる。

だから、チャリはオススメ。
多分、「普通」に「自転車」に「乗る」という感覚ではない、
何かがあるわけで。

まあ、これ単に好きなんだけどって話で終わりそうカモカモ。

最後の更新

こうかくと、ブログやめるか、
という邪推ではないが、働くユーザ、ではなく、ブログ読者が
多いだろうが、そうでもない。

今日、最後の更新ということで、たまにはこういうのもいいかと。


最後まで見ていたいというのがある。
それは状況の一部始終(一部始終というのは、最初から終わりって意味で、
一部見たってことじゃないですよって、そんな勘違いしないって?)を
したいということかもしれないし、そうではないかもしれないってどっちやねん。


最近、ぐわっと、年齢に不相応な落ち着きという指摘を受けるが、
まあ、そうだろうと思う。なぜなら、相手の年齢と挙動の監視を
一瞬で行うため、「あ、こいつダメだな」(年配だと、「この人ダメだな」)
になると、そういう態度になる(笑)

だから、上から下に見るとか、下から上に見るとかいうのが、
そもそも苦手というか、出来ないんでしょう。
あ、そういう意味で、人に指示が飛ばせないっていうわけじゃないので、
あんま変な邪推をしないように、びしっ!

だから、人生のテーマが「舐めるか舐められるか」(笑)の
二元論とかでもいいとか思ったりする。
まあ、それくらい、舐めた態度ってすぐ分かっちゃうのだけど、
それがばれていないって思うのはまずダメなわけで。

ああ、ぐだぐだやっちょる場合じゃないっちょ。
では、ちぇきらっちょ(謎

謳歌

腐っても鯛。

だから、生きる。

そんな理不尽な理屈があって、
それで、バランス取れてりゃ問題にゃーよ、とか、
思ったりする。

圧倒的現実のバランス感覚って実は不要で、
どっか不バランスな点が明確な方が、逆に
「そこは自分は弱いから」って逃げられるような気がしたり。

まあ、それじゃあダメなんだろうけど。

靴下に穴があいてた。
そんな靴下一本も買えないほど、家計は圧迫(おぉ

とりあえず、ルビーでもしたいところだが(ビール飲むとかじゃないよ)
ここは、サイダーでも飲んでシュワーっとやってみましょう。

むー

http://www.asahi.com/national/update/1031/OSK200710310048.html

試算。
45年当時の62倍で、1メガトンのミサイルが飛んできて、
83万人死傷。

これ、少なく見積もっているのだから、100万人が一発で
死ぬと考えると、軽く絶叫できる。人の一人の命は
地球より重いというのは、「ケースバイケース」だが(おぃおぃ
でも、こういった「信念」(時には盲信といい、時には正義という、
どちらも何か臭う言葉だが)をつらぬいて、
ああ、信念ってのは、人の命が地球より重いってことだけど、
生きていくのはカッコイイだろう。

日本の1都市が軽く破壊される、1発の爆弾で。

だから、戦争反対ってのは、あまりに短絡的かもしれないけど、
まあ、短絡とかそういう問題じゃないんだけど、
「SIGHT」じゃないけど、言わなきゃ止められないし、
何も解決になっていかないんだろうなーということを
感じたりする。

こういう試算してくるのは、さすが広島といいますか。

原爆日記がオークションで落札されるってニュースもありましたけど、
人は忘れるし、人はやってしまう生き物だなあと。

要は、性善説より、性悪説を、
うまくいくというよりも、うまくいかないときはどうするか
みたいな考え方の方が「適応」しやすいかもしれませんね。
が、でも、こればっかやってると、
素で楽しむことがしにくいかも。

基礎体力

あるかないか。
そもそも、基礎って何か。

って話ではないことにしておこう。


自動的に回るというのは、「便利」だが、「自動」で
最初から進むことはない。誰かの手が入っているはずだ。
人間の。

一度壊れた「自動的」は、その自動の仕組みを解析せねばならない。
これ、別にプログラムの話じゃないんすよ。

そういう仕組みとは・・・社会のルールでもあったり。

だから「人をなんで殺しちゃだめか?」なんて、
のは、自動化という社会のルールの崩壊を感じさせてくれる。
まあ、いつの時代にそういうアブノーマル(ここで異常というニュアンスの
この言葉を使うのはやや危険だが)な人はいる。
ちなみに、ここでは、ノーマル=多数だと思い込んでいるみたいな感じでしかない。

さらにいうと、こういう普通、常識、多数などの認識についていうことは
意外に必要ないということもあるかもしれない。

自動化というところでいえば、
自分がやっていないことってのは、滅茶苦茶多い。
やれていないのではなく、やっていないこと。

そういう仕組みとかに「仮に」興味を持てば、
一生、飽きることはないのになあと思ったりするわけでして、
そうなると「暇」はなかなかできないのにーとか思ったりする。

BGM:絢香「三日月」

朽ちる

朽ちとうないx10(笑)

ルルが効かん。
毎日だんだん頭が痛くなっていくような気すらしてくる。
まさか、重病(笑)

ただ、プログラミングしていると頭が治っていくだ。
というわけで、適宜プログラミングをせねば。

ああ、ルビーちゃんが。。。目の前に開きっぱなしじゃないか・・・。

友人のブログで監視していた、
フォルダ作成アプリをVBSで作ってみた。
確かにフォルダ作成は結構面倒なんすよね。

テキストでベタに1行ずつ書けば、
今度はそれを元にして、フォルダを作る。
これ、子要素もつくれたら結構イカスあぷりじゃねーかと、
思って、楽しみにとっておくことにするべ。

なんでこんなアプリがいるかっていうと、
Windowsを使っている限り、フォルダ構造は避けられないから。
タグつけて管理できればいいけど、そんな機能ございやせん。

あと、日付+名前とかでもフォルダよく作るから、
そういうの自動化できるとさらによさげかもしれん。
これも同じように作れそうな。起点?終点のファイル名を入れるとかは、
InputBoxとかで出来てしまいますなあ。

スクリプトはこういう時に便利ですわ。

で、このままでは死ねん。
生きてやるわ!

若手サラリーマンの立ちパン喰い

カッコイイ!というわけではないが、
かっこよさげ、という感じはする。

映画のワンシーンみたい。

二人。

彼らは、これから営業にでもいくのか。
それとも、遊びにいくから腹ごしらえか。

そんな夕時、なんかいいですね。

よし、僕も見習って、パン食い競争でもしようかな(違

コント1


おじさんが、タバコをポイ棄てにして、
靴で踏む。

僕は「すいません、タバコ落としましたよ」

といってみたいが、それをする力がない。
僕はまだまだ甘いな。

にしても、歩きタバコはやっぱりうざす!なんですが、
それよりも、横断歩道の信号待ちで、
タバコが捨てられまくっているのが信じられん。

タバコ吸うなら、モバイル灰皿必須だろうに。

歩きタバコがいけないのは、
すれ違いが危険(熱いんすよね、あれ)。

あと、後ろの人にしか煙がいかない。
これ超自己中で。

いつから道路にゴミ捨ててよくなったんだ?
ということを声を大にしていいたい。

と、おじさんがタバコの吸殻を踏みつけているのをみて、
思った。この時間わずか2秒。

コント2に期待されよ!

サメのように泳ぎ続けていく。

もう止められないし、止まらないな。

背筋に悪寒が走る。
頭に鈍器で殴られたような痛みが走る。

死ぬ。

というのは冗談だけど、
なんか心が寒いせいか、哲学しすぎか、
人に会いすぎたか、それらの混合した「刺激熱」が
出てしまった。

これは、人に会わないと治らないという種類の「風邪」。

さあ、一杯人にうつすぞお。(ダメ

自分に素直になる。

天の邪鬼は適度に出す。

これだっ!

というわけで、今日から素直さんになりました。
(まあまあ

深呼吸の必要

歩き続けることで、休む必要はない。
いや、休んではダメなのではなく、休む必要がないというだけだ。

深呼吸をして、目をつぶり、呼吸を深く行うことで、
冷静に今が分かってくる。

真っ暗な夜で、前も後ろもほとんど見えない、山。そして冬。
そばに誰かいるのか。もしかして遭難なのか。

それとも。
海。暑い。人が一杯いるようにみえるけど、ここにいるのは
自分だけ。日本じゃない?のか。

それとも。
苦しい。自分には辛い。一体この作業がいつまで続くんだろう。
休みたい・・・。のか。

それとも。
気付いたら、今まで歩いてきた軌跡がものすごくあった。
この長い軌跡は自分しか分からない。絶対に分からない。
それがはっきりとみえる、のか。


読み手の状況を冷静に俯瞰し、まるでいつか自分が「なってしまった」
のを思い出させるというより、思い浮かべてしまう。

詩というより、文章に近いイメージ。
平易に書かれているのは、イメージを思い浮かべるには
非常に適すか。

僕に必要なのは、深呼吸ではないきっとないだろう。
おそらく、深呼吸をする必要があるってことを、
教えてくれるこの詩なんだろうなと。



深呼吸の必要深呼吸の必要
長田 弘

晶文社 1984-01
売り上げランキング : 38438

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

夜を想う2

涼しい夜、ちょっと冷えるが、
夜空は満月だった。

腕を伸ばし、天に突き出し、
人差し指をたてる。

その指を両目でじっとみる。

自分がどこか地球上の一点に立っているという
客観視。

不安とか、苛立ちとか、焦りとか、仕事とか、
やりたいこととか、どうでもいいと
思える瞬間が確実にある。

なんで生きてるの?
なんで君は生きているの?

問いは、発生させなければ、どこかに眠っているだけ
なんだと思う。いきなり目覚めたとき、
その眠りから目覚めたパワーをコントロールできないって
いうのはありそうだ。

だから、定期的に、起こすことにするんだ。
悪いやつじゃない、可愛いっていうやつもでないけど。

ぐっと、拳を握り、力を入れてみる。

大きく息を吸ってはいてみる。

少しだけ声を出してみる。

足を前後させてみる。

腕をぶらぶらさせてみる。

生きているという実感を得たい。
がために生きているのだろうか。

何をしていいか分からないという問い。
それは程度が大きすぎる。

世界は
単純に考えれば単純で
複雑に考えれば複雑だ

刺激は 過剰にやればストレスで
過少な刺激だと、ぬるくなってしまう。

絶妙なパスを出し続けることは、結構辛い。
が、何度かチャンスと、挑戦する時とタイミングとか
考慮すれば、結構出せるものだ。素人なりに。

どんどんパスは出していく。
それは他人にはもちろんだが、
自分にもまず出さなきゃいけない。
自分に出すパスも、他人に出すパスも、
結局は同じことなんじゃないかと感じる。

歩き続けよう。ただそれだけだ。

いっとく?ってときにいく。

いつでも大丈夫。エンジン暖めておくから。
そんな感じでベンチ入りして、出番やチャンスが来れば、
確実に結果を出す。
カッコイイ。

いっとくか?みたいなときに、いくみたいな、
そういう心遣いとかみたいなものは素直に嬉しい。
また、来るべきチャンスといいますか、
絶妙なパスってのが世の中には確実に存在する・・と思う。
もっとも、サッカーみたいに明確に可視化できないから、
後から気づくんだけど。ああ、あれはいいパスだったってね。

こうしたいな、ああしたいなって
思ったときがチャンスなんじゃないだろうか。
そう、ふと思った。

サメは泳ぎ続ける。

友人からのメールで。

サメは動き続けないと死んでしまう・・・のは
正確かどうかは分からないが、どうもそんな雰囲気。
エラが未発達なので、口を半開きで開けて、口のなかから
エラにぶちこんで、酸素くれくれってやって呼吸する。
らしい。

あと、浮き袋がないので、動かんと沈んでいく。
らしい。

だから、サメは動き続けるーっていうのが定説っぽいです。
まあまあ、それはいいとして、サメの比喩がぐっときました。

僕は動き続けないと死ぬみたいな、そんな「アグレッシブ」な
野郎ではないと思っていたのですが、
どうもそうでもないようですね、多分。
実際にそういう面があるのは事実。

例えば、刺激を10欲しいとしたら、今6しかないぞっていうなら、
なんとか残り4を補充しようとします。
で、その補充体勢といいますか、モードは、
別に自分がへこんでいたり、やばいとか、ピンチとか、
そういう時でも、結構やっているようです。

つまり、
「どんな状況下でも、動き続ける」
ということが、
友人から「サメは泳ぎ続けないと死んじゃうのだ」
という言葉を引き出した・・・といえるでしょう。

なんかカッコイイ。
働きマンはそんな雰囲気ありますね。まあ人によって違いますけど。


だからといって、それを人に強要するってのは、
かなりシンドイですし、自分が、あと人にも辛いでしょう。
ということを最近思ったりします。
ちなみに、ここに「有能感」はおそらく1mmしかありません。
実感として、僕は自分が「優れている」という感覚よりも、
ちょっと「踏ん張っているだけ」かなという感覚が勝っています。

あと、松井と比較したら殺されそうですが、
僕も松井と同じく、天才肌とか天才ってタイプじゃないです。
冗談で「天才」とはいいますが、絶対冗談です。

本気で天才と思っている、思い込んでいるタイプの人間は、
「天才だがまだ見えてこない」か「ただの勘違い」しか
ないと思います。僕は今までそういう意味で「天才」といっていて、
「まだ見えてこない」タイプには出会ったことはありません(笑)

だから、「努力」するのだといいたいということも
あまりないですね。
というよりも、コミュニケーションというところで、
お互いに高め合える人ってのが大分見えてきました。

いくつか分かっているレベルでまとめると、
1.年齢は関係ない
まず、よくある年齢についてですが、そりゃ、4歳と40歳だったら、
「高めあう」ってことはなんか話として成り立ちにくいとは
思いますが、子と祖父とかなら普通にありそうです。
まあ、高めるって何をって話もあるのですけどね。
ただ、僕が思うのは、「考え方」を取り込める人とか、
消化しやすい、消化できる人(それが全部じゃなくてもいい)なら
年齢は関係なく、高めあえるんじゃないかと思います。

2.連絡頻度は心理的なものでしかない
例えば100人の知り合いがいて、5人くらいとよく密に連絡を取ると。
その場合のその5人が連絡頻度が高いことになりますね。
でも、実際には、常に5人と取り続けられるかというと、
おそらく誰かと疎遠になったり、逆に新たな出会いで親しくなることも
あるかと思います。
その場合に、じゃあ前の5人とか、前の連絡頻度高かった人は
どうなるかというと、確かに連絡頻度は低くなって、
疎遠になるけれど、おそらく、1でいっているような、
考え方とかが大きく変わらなければ、あまり関係がないとすら思います。

もちろん、そういう疎遠を気にする人とか、
うまく考え方とかを消化できないとか、興味がもう全くないとか、
そういうのだとダメですけど、
常に連絡を取り続けてなんて、まあ気の遠くなるような話です。

だから、例えばブログを使って近況を見てくれとかいうとか。
でも、これでも見たい人は見る、見ない人は疎遠だとかで、
見ない人もいるんじゃないかと。

そういう意味でいえば、連絡できるときは、コンタクトをとって
いけばいいんでしょうけど、そうじゃない場合、つまり
疎遠になったときに、相手に印象付けが出来ているかが
問われるような気がしまう。

ほら、健康が病気になるとそのありがたさが分かるっていうように、
そういうのってありますよね。

3.関係が大分はっきりしていること
これはかなり重要ですが、実際には「良く分からない」ということが
結構あります。で、さらに「よくわからない」というのを、
どこまで「キープ」できるかが鍵のような気もします。
要は、言葉で何か説明することは意外にできるのですけど、
それだけではほとんど「人は動かない」のがほとんどです。
つまり、行動とか、表情とか、精神的なこととか、言葉って
そういう意味で、それらがなかったら「宙ぶらりん」なんですね。
あれば、どんな稚拙といえるような言葉、でも「きらり」と光る
ものになりますけどね。

関係というのは、関わり方とか役割とか、立場とか、
どういうことで一致しているのか、違うところがあるのか、
とかそういうことです。

中学生くらいで、遊ぶ友達と、学校から帰る友達と、
部活友達と、教室友達みたいな風に、若干分かれるというか、
常に「友達」と一緒みたいなのがなくなったというのが
僕にはあったんですけど、そういうのに似ているかも。

つまり、切り分けですね。
これを「何でも話せるの友達じゃないのか」みたいな
話になりそうですけど、なんかそれは安すぎる友達というか、
まあ語り合えるのはいいですけど、微妙に違いますね。

実際に自分の1つの面で、色々な人と関われることは、
ほぼないかと。自分のいくつかの面を、いくつかの面ずつ、
つまり、3面あれば、1面ずつだから、自乗ってことですね。3の2乗とか。

でも、その発展展開したところから、圧縮したり戻ってこれば、
自分になる。

だから、自分がぶれない。という意味で、
末端というと響きが悪いですが、ポイントポイントで、
アバウトでもいいけど、何か決めている役割なり、何かがあるって
そういうのが大事ですよね。

4.相手を考慮できること
これ前提みたいな話ですが、若干違っていて、
自分が相手を考慮したいかみたいなことです。
要は好き嫌いになるんですけど、でも、そこまで極端じゃない。
何かこの人のためにしてあげる、してもいいという思いって、
絶対にあります。逆にそうじゃない人もいる。
だから、相手を考えられるかみたいなのは意外にでかいところです。
そうじゃないと、自分自分で全く面白くないです。

こちらが高まっても相手が高まらんと、やっぱダメだと。
僕は一人で生きたいってわけじゃないんですね。

5.悪いところなどを言える
これは、「言い方」が下手な人なら、そういったほうがいいという
結構単純なこともあります。
そういうので誤解を招くってことはありますし。
相手の悪いところを発見して、「お前これはダメだよ」なんて
いったら、そりゃ言い方と相手の信頼によりますが、
僕は嫌ですね。

別に「あんたにダメダシを求めているわけじゃない」って話になる。
もちろんそれを望んだら、そうなるのですが。

だから、逆に
誰かにダメなところをいってくれ、というのは、
自己分析とかじゃなくて、相手を信頼していないと
できないんですね。それの証明ですね。

悪いところというか、批判とかも同じですね。
ただ悪いところをいう、批判するって思ったことをいうだけなんで、
誰でもできるんですけど、それってじゃあなんで?
そうういことですね。人が対象となるなら、
その考慮は必要。相手のことを思うみたいなのがないと、
ただの非難とかにしかならない。


6.コミュニケーションの上手さは関係ない
さらに思うのは、コミュニケートが上手くできないと
高められないってのがあるんですけど、これは一理あります。
でも、一理でしかない。
要は、相手がお互いにそういう「高めあう」関係を
望んでいるかという「だけ」になりそうです。

人前で話すのが好きな人もいるけど、
そうじゃない人もいる。
また、言葉が色々出てくる人もいればそうじゃない人もいる。
表現が豊かな人もいれば、そうじゃない人もいる。

話が面白い人もいればそうじゃない人もいる。
あ、これはダメかもしれないですが(笑)

言葉にしてしまうと色々なものが吹っ飛んでしまうんですけど、
コミュニケーションの上手さって、その人と向かい合えるかで
それがうまく出来ない人(ここでは対象という意味)も
やっぱり一杯いるわけです。

そこで諦めるかどうかみたいなのって常にあって、
それは理屈じゃないんですね。
そういう理屈じゃないところが大事だなあと。
理屈も大事な場面もありますけど。


以上ざっざと書いてみました。
高めあえるってのは、もうこれ色々な人に適用できます。
恋愛でも仕事でも、その人の価値観がもろに出てくると思うので、
そういう色々な人と会ったとき、または今までに知り合った人などで
一つの視点として考えることができるかもしれませんねー。

というわけで、僕は泳ぎ続けますよん。


不動心

松井。熱い。

スポーツ選手の書いたものとか、ほとんど読まないのだけど、
「不動心」って言葉が気になったので。

印象的なのは、松井自身は、
「努力できることが才能である」という言葉が何度も
出てくるように、自分に「天才肌」があるといっていない。
これだけで僕はもうメロメロですが。

また、コントロールできることはするが、できないことは
諦める(このあたりは譲れないものとかの兼ね合いもあるが)というのも
ものすごく共感。

そして、「不動心」というのは、
ピンチや失敗などの時に、結局、「不動」の心を持つというか、
「平常心」それは、チャンスのときも、同じようにするという
話が出てくる、はず。

例えば骨折。骨折も、その時は確かにおおきな失敗や痛い結果だが、
でもそれは必ず「骨折」したから逆に何か良い効果みたいなものが
出てくると。もちろん「骨折」自体はダメですが、
「骨折」した手をずっとみて「骨折するんじゃなかった」とか
いってもしょうがないわけで。ここらへんはプラス思考という
やつですね。

そして、友人の話を思い出しましたが、
「不安」の話。
「不安」ってついてまわるもので、一生のお付き合いです。
もちろん、程度がありますけど、100%クリアで、不安がないってのは
ない。


この本読んで松井がより好きになりました。

野球はCSが面白そうな雰囲気ですね。

不動心 (新潮新書 201)不動心 (新潮新書 201)
松井 秀喜

新潮社 2007-02-16
売り上げランキング : 4762

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

なんかいい日


隣人の方に非常に丁寧な挨拶をされた。
こんな人、今の日本人いるんだと思ってしまった。

要はそれほど日本人の評価が低いみたいな、
とんでもないことなのだけど(笑)

こういう人がいるから、社会が回るんじゃないかなあとすら
思ったりする。

世の中捨てたもんじゃないなーと、
妙に思ったり。

ありがとうございました。

寝むねむ

なんか忘れているような気がするけど、
寝ることにする。
確かにやることやってないなあ。まあ、
明日やりましょうっと。

FLY、DADDY、FLY

http://www.f-d-f.jp/site.html

フライ、ダディ、フライだが、
フライ、ダディダディとか、のほうがいいような。
気もしている。とどうでもいいことをしばし。

スンシン演じる岡田准一が好印象。
V6って印象はもうないっすねえ。
そもそもV6の「MUSIC FOR THE PEOPLE」が懐かしすぎる。
ああ、自分が年をとったんだという現実が(笑)

ストーリーはどうなんだとか思ったりするけど、
空を飛べよ、というフライでほとんど消し去ってくれるような
気配。

鈴木一の妻役の夕子演じる、愛華みれさんに萌え。

というわけで、金城作品、といっても、
本のほうだけど、読まねばならんな。

バカとハサミは使いよう

天地無用。
さかさまにしてはいけないって意味なんだ・・・。
天地不要って意味かと思ってたショック。

台風一過は、台風一家と間違えるのは分かる。最初間違えてた。
でも、この台風一過って前から使っていたかねえ。
結構最近、少なくとも、6年前くらいのワードな気が。どうでもいいか。

恥ずかしいというか、間違いはガンガンしてくべきで、
なぜなら、それが間違いという(ちなみにこの場合の正しさは、
かなり曖昧な正しさくらいの意味)ことに気付かないから。

人として、間違っていることを指摘するのはそこそこの力がいると
思っているが、そもそも、間違いを間違いといえないような場は
嫌い。そして、間違いというか、知らないことを知らないといえない
のも嫌。実際にこれらの2点だけを考えるだけでも、
学校は常に正しかったりするし(そんなことはない)、
企業や仕事も常に正しかったりする(そんなことはない)、
のが非常に嫌。

というか、サラリーマンが正しいみたいな人ってたまにいるけど、
そんなまさか。
もちろん、起業・自営・フリーランスが正しいなんてのもまさか。

それは自分の中で完結する正しさであって、
誰かに正しいといって、その人の正しさに汲みする話じゃない。


バカとハサミは使いようっていうけど、
意味を忘れた。
あ、ハサミはキレないものか。納得。

そういう意味で、経営者視点なこの言葉。従業員が持つと、
社長はバカだけどなあとか、上司がバカだけどなーとか。
でも、実際にお互いがお見合いで思っていたら・・・
さあその組織に幸福はくるのでしょうかと。なんかえらく説教っぽい。

でも、そんな感じはあるなと。



ついでにやる

色々をついでにやったほうが効率が上がるということもある。
逆に下げることもあるだろうが。

例えば出かけたついでに別の店を寄るのは、
普通に消費行動を読まれただけかもしれないが(笑)


コミュニケーションを取る。
基本的なことだが、それが出来ないということがあるようだ。
人間というか生物の基本みたいな話だが、
まあ得手不得手ってところで語られやすいが、本当にそういう問題か。
そんなことを考えてしまうま。

世の中には好きな人と嫌いな人しかいないなんて考えるのは
かなり大袈裟だが(ちなみに、高校の頃の僕はそのように考えていたと
ここで告白してしまおう(笑)今となっては若さがにじみ出ていて
大変微笑ましい)、
そのように大人になってからも考えている人にあうと、
まるで「高校生の僕と話しているようで、滑稽なんだけど」と
いいたくなるのだが、そうは言うはずがない。
当たり前だ。それが「マナー」であれ「礼儀」である。

親しき仲にも礼儀あり。
これは、「相手の懐に飛び込んでいかない」とか
「他者との関係をしない」とかではないのだ。
そこを履き違えまくって、とんでもないことをいう人がいるのだが、
まあ、それはそれでいい。そういうものだ。

だから、人には好きな人も嫌いな人も、少し嫌いな人も少し好きな人も、
好き嫌いを感じさせない人も、いろいろ。

人とがっつり関わる(これは相手のダメなところをダメといえるとか、
嫌われてもいいからおおきなお世話を言える関係のレベル)
ということをいっておきながら、その関係が非常に希薄だったりするのだと
滑稽過ぎて笑えない。

人に関わるってのは結構しんどい。
だから、上でいう「コミュニケーションを取る」なんてことを
やるってのも面倒だなんてことは非常に分かる。
が、それは分かった瞬間に、「げ」と思ってしまうわけだ。
そんな関わらない人生は人生じゃないぜ、と。

関わるって言っても、色々な関わり方がある。
それを「関わる」「関わらない」みたいな二元論風な思考で
対応していては、こちらもたまったもんじゃない。
二元論は二元論信者に話してくれと。

そして、話すのもいいけど、いいかい?
日本人口全ての人と関われないような感覚と同様で、
同じ生活領域、同じ街で住んでいても関わらない人(関われないのではなく)
ってのは多いだろう?むしろ、関われる人の方がレア。
そういうレアを大切にするならば、言葉は選ぶはず。
ってことはレアでも大切でもない・・・くらいで
どこに着地するかは不明。でも、そうあるんだと。

腹を割って話すという言葉が大嫌いである。
それは、それがコミュニケーションの本質みたいな
(誤読を避けるためにいうと、打ち解けた感は大好きだし、
そういう感覚は大事です)ことだといってしまうと、
じゃあ建前的な、現実的な、実際的な話って宙に浮く。
それら全て含めて、コミュニケーションだと。

いきなり、好きな人に好きだという馬鹿は(いるな)いないだろう。
きっかけや接点がなければ、相手ことを「想像」でしか
思えないだろう。そんなのはダメです(笑)

いわゆる腹を割って話そうってのは、
腹を割れてないってことを認めていることになる。
実際にこのフレーズが発動されたとき、僕の脳内は
「腹割って話すかどうかなんていわれて、
話せないなんていったら、相手を信頼してないとか、
嫌いってことになるじゃんなあ」
ってことを常に思う。

面白いことに、
「腹を割って話せる」人は今まで「そういうフレーズ」は
絶対に使わなかった(笑)となっている。

宙に浮いた言葉、それが「腹割って話そうや」だ(笑)
この言葉好きな人には悪いけど、相当僕は嫌いだ。

まあ、そういう言葉を発する人が
今までダメだっただけなんだろうけどね。


で、ついでにやるに戻ると、
ついでに思い出してついでに書いておくと、
話が膨らんでいいかなーと。脱線しまくりってのもあるんですが。
色々連動して、連想記憶みたいに思い出せて楽しいっすよね。

PAYDAY企画

日経新聞(を購読、ネットじゃないっすよ)している人は
分かると思うんですが、26日にPAYDAYには本を買おう!っていう、
広告みたいなのが新聞に入ってますよね。

これ結構好きで、キャッチがタマラン。
まあ、本を紹介しているいわゆる新聞の下段にずらずらとある
やつではないんですけど、書評みたいなコメントがあって4冊くらい
紹介されています。もっと多いときもあるかな。

まあ、適当に検索しても実物はないわけですが。
http://www.nikkei-ad.com/techo/2006/07.html

で、PAYDAYってのは給料日のことで、
給料とは、従業員の視点、要はリーマン視点です。
経営者は給与を支払うという感じで、給与日とこれを
理解された人。経営者の素質あるべし(笑)

その給料日に、本を買おうぜって企画広告みたいです。
いつからやってるのかが気になるところですが、
読んでたら買いたくなりました。

それはこれ。
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9981816752


こういう企画ってのもおかしいが、
ちょっと月1冊本を買おうみたいな(これは本好きにいわせれば、
うざったいんでしょうけど、そもそも本好きにいってない時点で、
コミュニケーションは成り立たないの)企画ありだなーって。
そういう視点ってか展開、今後の課題だなあ。

ざくざくと

浜岡原発の裁判も注目ーというところで。
原子力って安心なのかというと滅茶苦茶不安ですというところですが、
でも、原子力発電所は稼動と。

専門家の意見はばっさりスルーして、
六ヶ所村(青森)の話ではないですが、一体どうなんと。

電気を生み出すシステムってインフラでもあるんでしょうが、
インフラってどっちかっていうと、電線とかで、
生み出す装置って盲点になりがちですね。
要は、コンセント=電気みたいな。
「コンセントないの?」=「電気を供給したいんだが」
って会話が普通に成り立つーはずなので。

こういうトレーサビリティー(追っていくやつです。例えば、
このレタスはどこぞの人がどこで作ってるんだ!とか)風でもない
ような考えは、結構、今後基本的になっていくような。

例えば、それは哲学とか考えることで基礎を学ぶことは
可能だと思うのですが、どうも原点って古典と同様に、
既にあるもの感があって、既にあるものは目を向けないってのが
よくありがちです。いいかわるいかは分からないですが。

でも、実際にそういうことを極端に追求すると、
ある種の病気にもなりそうです。本当に。
例えば、電子力発電は使わないといっても、ほぼ確実に
コンセントからはそれらも含めた電気が流れていくわけです。

ボイコットや社会的にPRする運動?活動もいいですけど、
問題はその核となる人々、ではなくて、周りの人のような気がすらします。


と、全然関係ないようなあるような話。


ざくざく。

年内のモチベを仮決定。多分いける、はず。

年内は充電、とくに来年への発動(謎)を意識し、
MOTTAINAI!運動を展開する(嘘
すいません。よく納豆とか白いつぶつぶがあるような期限切れまで
やって、そのまま捨ててます。すいません・・・。

ま、それはともかく、新聞を読んでいていくつか。

まず、NOVAについては、これ結構厳しいなーというところ。
ちなみに、3,4年前には当然NOVAも新卒者を応募してましたし、
というか今年もそうだったんでしょうかね。分からんですが。
厳しいというのは、前払いをして長期でポイント(受講券みたいなものらしい)を買った人。
1年とかで、50万くらいなのかしらん。

前払いで、サービス提供者の倒産を考慮する猛者はなかなかいないと
思うけど、でも、10万超えると、結構自信ないと不安じゃないっすか?

例えば僕はPCとかで10万超えるとすぐ考えます。いわゆる「所得」の
話もありますがここではスルー。

相場もありますよね。価格.comとかもあるし、色々あるかと。
どっちかっていうと情報と自分の感覚と価値ですり合わせしないと、
何か。これって男の商品・サービスの選び方なんでしょうかね。
どうでもいいですが。

前払いで50万とか払った人は、多分戻ってこないようです。
そんな馬鹿なとは一瞬思いますが、冷静に考えれば、
前払いってそういう契約のような。
要は、サービス継続不可能=倒産とか、の場合に文句が言えないよね、
みたいな。消費者側は、そこらへんは保護されるかもしれませんが、
でも、それだと「前払い」へのメリットはそもそもサービス提供者側、ここではNOVA、も提供できないような。

で、それはいいとして、
この前払い制って、結局信頼がなきゃできないんですよね。
NOVAは新規申込みをお国(経済産業省かな)から止められた、6ヶ月ほど、
というのがあるようですが、そういうのから何かサッチしないと
ダメだったんでしょうなと、被害者には辛いところですが。

詐欺でもないと思うんで、不誠実とか、どうなん?とか話になって、
後は支援企業と呼ばれる会社がどう動くかですよねえ。
30万人といわれるNOVA受講生?はデカイっすね。

どうでもいいですけど、AVIVAって倒産してますよねー。スペル違うかな。
今どうなっているかは分からんですが、なんか思い出しました。


他行きますか。

ケータイ小説

学校読書調査:女子中高生にケータイ小説人気 本離れ減に効果 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/life/edu/news/20071027ddm003040013000c.html

mixiで結構な人が日記書いてて(これはトラックバックを
非常にうまく日記に組み込んでいるシステムだと、
mixi使ってて今更知ったりする。使ってないか。RSS代わりだし)
それを読んでいくと、いくつかに別れました。

27日の記事なのに、14時時点で100人くらい日記で取り上げているようです。

みてて思ったのは、圧倒的に「どちらかといえば否定」の意見が
多いことです。

逆に「肯定」するには、「きっかけ」というところくらいでしか、
言えないという話みたいですね。

で、僕はケータイ小説って、携帯電話で読める小説全てを
指すと思っていたんですが、どうも違うっぽいです。
中学生、おそらく「女子」中学生に人気のあるーケータイ小説作家みたいな
人々がいて、それらの小説を指す雰囲気です。


mixiでも拝見しましたが、なかなか鋭いと思ったのは、
記事中に
「5月の1カ月間に読んだ本で、女子中高生の各学年ともトップ10のうち7?10冊をケータイ小説が占めた。」
とあって、「女子中高生」の話をしていることです。
タイトルも「女子中高生」とあるので、意識すべきですが、
僕なんて、「子どもたち」みたいな風に読んでたから、全然意識できず。

そういう女子中高生に人気のある「ケータイ小説」があるから、
それで、「読書離れ」ではないという話ですが、
でも、「読書離れ」「活字離れ」「本離れ」というのは、
子ども全体的な傾向だと思っていた(データはどうなんだろう)ので、
こう読んでしまった。

「女子中高生」に人気のある「ケータイ小説」で、
子どもたち全体に「読書離れ」が減じている傾向があると。

でも、記事中の読書量とかに関するデータは、
「読書」したかどうかのアンケートで、冊数を聞いているんだろうから、
「女子中高生」は関係ないような。


まあ、そこらへんはスルー。

で、意見としては、
「ケータイ小説」はあくまで「読書」のきっかけになればいいんじゃない。
という穏健派(笑)
これに類するものとしては、自分も軽い!の読んで読書に触れていったというのがあったりするので。
ちなみに僕は新書で読書の楽しさ分かった派、です。
小説はその後という感じです。多分。

「ケータイ小説は小説じゃない」
これは、否定派です。
それは、文章とか、表現とか、内容が、あまりにも画一化っぽい傾向が
あるみたいな雰囲気(笑)で、ということらしいので。
まあ、会話がほとんどというのは本当なんでしょう。僕は読む気はないですが。
それを小説を呼べるかは、全く議論はできなくて、
小説は小説でいいじゃんと僕は思います。
が、内容自体と「呼称」は分けた方がいいかなと。
だから「ケータイ小説」って表記でいいんじゃないかなあ。

問題は、
「毎日新聞社が全国学校図書館協議会の協力を得て26日まとめた「第53回学校読書調査」という調査で、
本を読んだ、読書で、「ケータイ小説」を挙げてもいいよ、というか、
それをカテゴリもしくは、冊数とカウントしていい、ということに
していることかもしれません。

要は、毎日新聞社がケータイ小説もカウントしたいってことなのか、
どうかは分からないですが、調査という意味では、必須なことかと思いますねえ。

で、ちなみに僕は高校以下で本を読むって経験はなかったです。
ので、読書量についてはあまり言うことはないです。
あと、質も。とやかくはいえないですね。

個人的には、高校卒業以降で、本をどれだけ読むかのほうが
重要なんでしょうね。もちろん「教育」って視点で、ガッコウがすでにあるから
そこで語られることが多いので、切り離せないんですけどね。

で、問題なのは、「本」って多すぎるので、
読書っていっても何を読むかが問題と。
教養みたいなものを蓄えるのか、常識を知るのか(常識もアレですが)、
自分の興味を広げるのか(芸能に興味ある人は週刊誌をむさぼり読む。
暴露本を読む。これは読書かどうか?むずい・・・!)
非常に難しいです。


ケータイ小説ってコンテンツだと思うんですね。
という意味で小説じゃないです。小説は文庫本、これに限る(笑)
ハードカバーでもいいんですけどね。

これ多分、ケータイ小説否定する人も肯定する人も、どちらでもない人も、
多分一番の肝だと思うんですけど、
「ケータイ小説読んだ?」
「読んだ読んだ。今ここまで。いいよねー」
「私全部読んだよ」

ときて、
「他にないかな?」

と興味が湧いて、次にいくのは・・・ケータイ小説の中で
留まるなら、多分「コンテンツ消費」と変わらないかなと。
で、これ悪いことじゃないんですよね。
要は、オンラインRPG(今はMMORPGとかいうみたいですが)で、
自分のストレスうまく発散できて、社会に「適応」する話と
ほぼ同様に見えます。

視点が異なると全然違うように見える。なぜかそのように思えますね。

次にいくのが、ブンガクとかならいいのかというと微妙です。
要は「興味もって何かあたっていく」というのを身に付けるのが
教育なら、もっと他のことやってほしいですね。

世界は広い。ケータイ小説も1部であると。

で、どなたかが書かれていたのですけど、
本よりも、アドベンチャーゲームなどのほうがマルチエンディング(物語の終わりが主人公の選択肢などにより異なるということ。)で、
広がりはゲームの方が上ではという指摘もあり。

ただ、マルチエンディングとは、本でいう再読することで、
感じるところが異なるってのがあります。

三島由紀夫「青の時代」は、光クラブ事件の話がベースですが、
それって光クラブをより知ったあとで読むのとでは意味が違ってきます。


ここから転じて、じゃあ、「ケータイ小説」に対して
アンテナを立てる、読書に関する興味がある人は、
もっともっと、意見をしっかりいっていくと、面白いんじゃないかと思ったりするわけです。

要は、大学1年生に、「大学の講義の受け方」とか「勉強のすすめ方」を
しなきゃいけない時代を嘆くってのは、分かりそうですが、
圧倒的に大人の意見ですよね。
当の大学1年生はそうしないと「本当」に分からないかもしれない。

まあ、それはいいとして、実際にそうやってステップアップしていけば、
なんていうか、大人って年齢で誤魔化されて、なんとかやっていける
レベルになるような気すらします。

結局、大人の責任なんだなと。
要は、経済的とか、何を言っても、大人が書いたもの。
で、逆転発想で、子どもが書いた小説が受けるとか狙うのも
大人の発想でしょう。

そういう大人観は、社会を支えている自負だろうがなんだろうが、
まあ、とにかく、そういうのがあるのなら、やっぱ責任とっていくのが
大人なんじゃないかと。

と、ケータイ小説から、大人論を展開するが、ここでストップ(笑)

小説を娯楽で読むって人もいますが、
楽しみたいなーっていって・・・読むことは僕はほとんどないです。
面白いだろうなって世界に浸る感覚が強い。
それは面白いことを求めた結果その本に当たったという感じ。

娯楽で読書が悪いわけじゃなくて、
同じ小説でも、それは「ケータイ小説」でも、同じことで
「読み方」の話ですよね。

そんなのちょろいやつだろう?といって読むのと、
面白い面白いといって読むのとでは違うと。

で、冒頭にも書いてあって、かなり読み過ごしていたのは(笑)
携帯電話で発表・書籍化された「ケータイ小説」であって、
「ケータイ小説」そのものじゃないんですね。

どうりで、意見として
それは本じゃないってことになるんですなあ。

ある人は、
ゲームおたくが、書籍化されたら買うみたいな話をしていて、
全くその通りだなあと。

買って読むってところで、他の棚みないのかと。
そこですね。

というわけで、ケータイ小説の隣には、
ぜひ「初読者」や「若い人々」向けの本を
本屋、図書館が置くというテクニックに期待します。(人任せ


まあ、本をたのしみましょうってことで。

ビジネスやりてー

結局そうなる。

スキン変えました。なんかアスブロという就活なブログの
提供スキンらしい。うむ、気に入った。

見るのは仕事一本じゃない。
それだけじゃ息が詰まりそうだ。実際に呼吸困難になって、
ヘリウムで死んだかもしれない高校生がいたが、全く笑えんわ。

仕事を1つ見る、次にまた別のことを見る。
そうやっていかねば精神的に死ねそうだわ。このやろう(笑)

というわけで、うおりゃー。

仕事の前に想いがあっても。

その想いはきっと意味がないことがある。
でも、それを出せということもある。

全く矛盾しているが、ここらへんは「障壁」という言葉が
ぴったりだろう。

例えば、普通、僕の場合は、
真心こめた料理か、適当にそれこそ嫌々作った料理かなら、
前者を食べたい。
味が後者の方がいいかもしれないけれど、そういうのじゃないだろうと
思う。

これ、普通で通じる人もいればそうじゃない人もいると思う。
なんでか。人は皆違うから。

哲学じゃあないけれど、
仕事はやっぱ仕事だと思う。
想いは想いだと思う。

それくらい両者は油と水っぽいみたいに交じり合わないから、
切り分ける人は「意外に」多いんじゃないかってそう思うけど、
実際には混じる。
油は油でいるんだけど、一緒にいる。そう現実とか時間とか、
もっといえばその人の人生の中で。
油と水は独立するけど、でも混じるんだよねーみたいなことか。

だから、油がどうとか水がどうとか。
つまり、仕事とか想いとか、実際は「どうでもいい」ことになる。
どちらもまじっているのだから。
どちらかで表すってのでいいかもしれない。

あることは仕事で、あることは想いとして。

でも、意外に、想いを表現しても、想いのままだと乗らない。
だから、仕事でのっけていくってのも結構なテクニックか。
むしろ、それで仕事をしている人がいるような。
それが正しいのか、自分にあっているかはまた別の話。

確実に僕は2nd stgと書いただけの進展が・・・
半年経ってできそうっすね。

感動と感動の合間

感動をするってことあるでしょう?
その後の感動があるまでの間を、感動と感動の合間って
名づけるんですよ。

そうすると、谷間でもいいかも、
感動、間、感動、間みたいな感じになるわけ。

で、どうも、感動ってずっと続かなくて、
流れ星みたいに一瞬(ところでなんで「ほし」で※が出てくるかが
一生の謎)なんだけど、実際には、合間が長いんですね。

だからどうだということはないけど、
でも、そういう間ってのが普通に重要で、
実はそれが重要だとは(それは日々やっていることが
実は重要だということに気付くみたいな感じで)気付きにくいんですね。

僕は結局人にフラットに接したいみたいです。
だから、そういうフラットさがないと、どうも話が空回りする。

理屈コネルのもいいけど、結局、現実にどうかみたいな話が
現実的に好きか。言葉だけってのが一番嫌なんだろうなあ。
そういうのを知っていて、つまり、自分がビッグマウス(口だけの人のこと)
ってことをしっているのにって人の方が嫌いだけど。


昔、ブログには、否定的なことを書かないみたいな話が
あったような。分かるけど、別に特定の人だといわなきゃ、
何書いてもいいような気がする。
まあ、知っている人が実は読んでて、バレバレとかいうのは
あるんだろうけど(笑)
でも、ここに出てくる人って人を、推測しながら読むのは
そもそも誤読の始まりなので、オススメしませんね。


今読んでいる本に、言葉にその言葉の奥にものすごい量の情報?が
隠れているみたいな、ことがかかれてて、思わずうなづいた。思いっきりね。
そうなんだよ。だから、言葉大切なんですよね、きっと。


最近の名言としては、
「(他人の)やりたいことが分からないという場合に、
それを理解して欲しいかどうかをまず考える必要があるね」
という基本的なコミュニケートについて言ってみる。今考えたんだけど(笑)

視点として、好意をもつ人間が(恋愛から単純な興味まで)
必ず好意を持つことはない。といっても、なぜか逆は伝わりやすい(笑)
それはいいとしても、視点として、相手から、自分の目以外から
考えることが重要になる。
他人からどう見られるか「ばかり」ではなく、これが掛けているがために、
たまに痛い目にあうことがある。まあ、それが自分だったりするので、
そこらへんは微妙。


現状それでいいと思ったら、8だったら、8でいいやって。
そう思ったらやっぱ、思ったところで止まる。ストップ・ザ・ウェイ。
9にいきたいな。10がいいかな。妄想。夢。現実逃避。
いくらでもいいのだと思う。どんなことでもいいと思う。

明日が面白いって。毎日ワクワクってのは行き過ぎだけど、
僕はそう願うし、そうしていきていこうと、もがいている。

多分このもがきが・・・そう、きっと明日にまた生きる。
日々を賢明に生きる。あ、懸命ね。ってのは意外に良い。
でも、日々過ごせればいいやとは違うんですね、きっと。

歩け

ただヒタスラ歩く・・・。
「夜のピクニック」だね。

そういうイベントっていうか、
こっそりやろうかなあとか思ったり。

なんか歩くっていいじゃない。

問題は時期だな・・・。春くらいがいいのかなあ。
とにかく、最初いきなりでかい距離はまずいから、
時速4km(おそらく歩くことに集中すればもっと速いはず。
ただ休憩や眺めるなどをいれると、平均これくらいに落ち着くか、
より遅いか)で換算して、10時間歩いても40km。

さすがに10時間は無理なので、2,3,3構成で8時間にして、
適宜休憩が現実的か。

夜のピクニック風なのがいいから、
やはり仮眠を取る形で、2日かけて歩くのがいいな。

てか、なんで歩きたいんだろう。
よし、とりあえず、メモ程度として。

高橋メソッドとか

なんか思い出したので。使わせてもらおう。
あざっす。

色々企画がありそうで、
企画書がデスクトップに転がりまくり。
でも、やっぱ人に見せるなら、印刷するから、
あまり「エコ」じゃなくなるが。

たまったことを書きつけて、寝ることにしちゃおう。

なせばならない、なさねばなる

真理か。

人は何かしようとしないとそれをすることができない。
しかし、それはしようとするとできないのだ。

逆に、しようとしないとできる。

これをばかげているというのは簡単だが、
そもそも、毎日生きていることが「運」みたいなもので、(奇跡でもいいけど)
自分の心臓停止予想をして、逆算せねばなるまい。

今これをしているんだなあと。次はこうなるのかしらんとかね。


自分ひとりの力は小さい。
何かに抗う(あらがう)のも一興だ。

でも、そもそも抗ったりすることは、しようとすることなのか、
「べき」でできてしまうようなことな気がする。

正しさや適切というのが、全て嘘に見える。

理不尽33

数値に意味はない。
転じて、言葉に意味はない。
転じて、生きる意味はなし。

生きているだけで精一杯の人という人の気持ちは
少しだけ分かる瞬間が最近多い。あ、僕は死ぬ気はないですよ。
ただ、「悪い状況」みたいなのを拡大視して、
これがずっと続いていくんだと考えると、
かなり精神的にバッド!なわけでして。

そうなると、生きている意味は必ずないなりにあったものでも、
全て喪失。

絶望の中の希望って視点が好きだ。観点っていったほうがいいかな。
ルーチンの中のアイディアとか。嫌いの中の好きとか。

基本的に僕は人が嫌いだったのだけど、
最近はものすごく「好き」って素直に言える自分がいる。
こういう境地は、悟りでも開かんと会得できそうにないような
感じなんだけど、自分では。
でもそうじゃないみたいだ。

もちろん、嫌いな人は常にいるけど、それって些細なことでしかない。
むしろ、そういうことを一々挙げていく人が
挙げることが、多分、嫌いなのであって、その人自身には興味がない。

ほら、人の不幸を笑うってあるでしょう。
あれってちょっと嫌だけど、そういう嫌な面は僕にもあるわけでして、
だから、あまり笑えないってのはある。その不幸を笑う人をね。

といっても、自分は自分であって、あんたじゃないのよ。
だから、僕はそこらへんの感覚が分からないと、うまく
コミュニケートできないと思っているのだけどね。
で、実際にその通りになっている。

やっぱ、人間、僕のことだけど、同じことをやっていると、
カンが磨かれてくるみたいなんですね。

理不尽について。

不条理でもいいけど、理にかなったことで
全て構成されているわけがない。毎朝のニュースでどきっとすることが
あったりする。計算不能。そういうところが人間に刺激を
与えるんだと思う。良い意味でも悪い意味でも。


説得力がある人間を目指してきたけど、
多分、あまり説得力って求める人は求めるけど、
必要としない人は多い。それよりも、ワイワイとやれるみたいな、
そういうスキルが必要みたい。
ワイワイってのは、やっぱ根底で僕は嫌いみたい。

ワイワイやって、いいもの創れるか。
多分そこなんだろう。ワイワイで、いいもの創れるならワイワイでいくかな。
でもそうじゃないんだよねって話で。

やり方を変えていったり、変えなかったりで、
とにかく創るしかないなあ。

理不尽だろうが、不条理だろうが。
一匹の兵隊として、ただ働くのだよ。明智君。

全人生をかける

そういうものって結構少ないというか、
めぐり合えないみたいな。

錯覚とか、思い違いとかの要素も含めて、
もしかしていけるんじゃねーかという勘違いは
常に大切なんじゃないかと思う。

いわゆる3年目。節目の年な気配がミシミシと。

夜風が少し汗をかいた体を涼しくしてくれる。
思考がくっきりしてくる。曖昧なものが具体になってくる。

人類愛みたいなものをたまに要求される(深い意味はない)けど、
全てお断り。
ただ、なんていうか、求めるだけの人って
やっぱ嫌いだなあというのが常の思考。

自分の思っていることが全てだというのは
世界の見方では正しい。
ただ、そうではないことのほうが多い。
でも、自分が好きなこととかやりたいことしか
やりづらいし、モチベあがらんというのがほとんど。

だから、人は葛藤する。その後はどうなるか分からないけど。

さらに思うのは、
「正しさ」という意味のなさを感じる。
論理の破壊、ルールの破壊じゃない。

正しい世界って誰かが集団が定義したものでしかないのだから、
あまりそれに固執しないほうが多分いい。

正しい世の中、正しい社会、正しい言葉、正しいアドバイス、
正しい人。

なんかつまんないっすね。

という意味で、僕がいかに正しくないかが
最近分かり始めてきている。正しさのつまらさなって本がかけそうなくらいに!

BIG RIVER

オダギリ・ジョー主演。

むー、なかなか。

会話が少ないから眠るかもしれん。
旅話。アメリカアリゾナ州なのかな。

サラがテッペイに言った言葉で、
私も旅したいわ、というのが妙に印象的。

多分、旅はいつでもできるのだと思う。
それなのにただしないだけなんだろうなあ。

うわー。

やべえ・・遅くなった。
さあ、ねんべねんべ。

書斎曼荼羅 1 ―― 本と闘う人々


すげえ・・・。
作家好きな人いるといいんだろうなあ・・。

残念ながらほとんど知らず。不覚。
名前聞いたことあるくらいでしかないなあ。
作品知らないや・・・ああ。

衝撃的な部屋は、室内便器。インパクト強すぎる。

他は同職傾向の人が夫婦になるのってやっぱ多いという
全然関係ない点。

イラストが主で、文もそこそこあるので、
ぱらぱら楽しめる人は楽しめる・・・。本好きとかじゃないと
無理そうですけどね。


書斎曼荼羅 1 ―― 本と闘う人々書斎曼荼羅 1 ―― 本と闘う人々
磯田 和一

東京創元社 2002-03-09
売り上げランキング : 126002

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

好きなことへのマッチング作業をしていかないと、多分腑抜けになるような。

腑抜けになる。多分。

好きなことがこれかなっていって、
これやれるかなとかいってやって、
どんどんこれとこれかなーっていってやっていって、
そうしないと多分ダメなんだろうと。

これは誰かが課題としてくれるわけじゃなく、
見つける(見いだす)ものでしかない。

好きなことやって飯食べるってなんか妙に極論になるけど、
甘いか、甘くないかとかね、
でもそういうことではないような気がする。

自己の満足と、それなりの哲学と、とんがった意見。
あとは・・・生き方かな。

やってやれんことはないといったやつが、
やるのはカッコイイ。やれなくてもカッコイイと思っている。

プラトー

プラトンでも、プラトーンでもない。
トリケラトプスでもない。ああ、これは無理がある!

結果論を多用することにする。
結果的に、現状を受け入れなければおそらく良い仕事ということは
出来ないだろう。
それは分かっている。

しかし、それは頭なのか、体なのか。
おそらく分かっているといっているレベルなのだろう。
僕は直観では分からないし、分かる必要もないとすら思い始めている。

どうだろう。
人生を棒に振るくらいの面白さや馬鹿さ(アホ理論ってあるんですね)
があってもいいんじゃないかと思うと、
ぐっと固い心がすごくぐにゃぐにゃになってほっとする。

現実的には、リソースは限られている。例えば時間。
例えば考えるべきこと。例えば、やりたいことの企画の精度。
例えば学ぶこと。例えば人と話すこと。例えば・・・。

一杯リソースを投下すべきことはある。
ただそれが、テンションなどの精神状態によって、
曇りガラスにしてしまっているから、それらの対象に
リソースをうまく使えないんだ。
ガソリンの給油口が見えないから、ガソリンスタンドがあっても、
ガソリンを入れられないみたいなことなんだと思う。

僕はここは気合で乗り切るとか、
精神的なことはもういわない。頑張らない主義だから。

ただ、闘うのは頑張ることでもない。
自然にやるってのがいい。自然ってのは、なすがまま。
考えるレベルの度合いと時の経過のレベルの度合いを
バランスよく考えてやればいいんじゃないかと、
そんなことを思ったりする。

プラトー。
経験値が溜まることで成長はできる。
ただ、レベルアップまではやっぱ次のレベルアップまでの
経験値とか見たいなとか思うんだよね。

UDON

やべえ。みてしまった。
面白い・・・と思う。

讃岐うどんブームっていうのが根底に流れているけど、
松井製麺所の話がなんかベタだけど、いいと思った。

小西真奈美いいなあ。

最近思うのはドラマみてたら、劇っぷりとか
絶対見なかったなあ・・・と。

ドラマもCMも、TVベースだから、TVみないと
そこらへん抜けるんだよねえ。
そうすると、女優などは劇でみるか(これ東京ベースかなあ)、
それか、映画とかDVDで観るしかないというか。

まあ、まあ、そういうものかな。

うどん食いたい・・・が、かまたまつくりたくなったなあ。

100万人人口で900軒も店あるのはすげえなあ・・。

普通、飲食1000店舗って、全国レベルくらいでしかない。
という意味で、マックが東京1200万人で500は
かなり多いと思うんですが・・・。その密度を軽くこえおるわ。

というわけで、うどーん!

闘う

敵は自分だ。

闘う。

今この瞬間闘っている人が確実にいる。
僕は応援をするのと同時に、自分への励みとしよう。

理屈はなんであってもいい。

自分が闘うかどうか。たたそれだけだ。
逃げるのは嫌。もち、逃げにも色々あり。闘うにも色々ありっす。

僕は闘っているだろうか。
これで、今月は持つな。

負け戦をしない

無駄な損害を出すことはない。

何をやってもうまくいかないという時期というか、
状況ってのはあると思う。
逆に何をやっても、箸が転がっても笑うくらいに、
うまくいくときもあると思う。

緩急をつける。
ただそれだけだ。

負け戦と分かっているなら、好んで参戦したいと
思う人は少ない。そしてできるだけ「無駄」な戦いは避けるべきだ。

しかし、始まる前から「有意義かどうか」なんぞ
分かるわけがない。それらは、究極的には、
毎回サイコロを振っているようなものだ。
でも、毎回同じサイコロを振っているわけではない。
もしかしてサイコロを振らないのかもしれない。

空が雲っていようが、晴れていようが、
闘わねばならない。まず自分と。

佐藤が言う「肉のかたまり」になっていないかという問いが、
覇王の道ではないが、思い浮かんでくる。
用意された器で収まるかと思ったら大間違いだぜ。

というわけで、朝からテンション高し。


BGM:RADWIMPS「ギミギミック」

ありがとうの連鎖

ペイ・フォワード連鎖は、確かに危険なことに使えば
恐ろしいけど、まあ良きことか、というところでは
良きかなと。

ありがとう。

時の経過を感じている。
支えてくれる人というとややおこまがしいけど、
話せる人というのが相対的にも絶対的にも増えたような気がする。

無理に気を張る必要性もないし、
無駄に我を通す必要もない。
非常にリラックスしている。

気付いたら、こちらから誘える人が多いことはいいことだし、
それを断ることもなく話しを聞いてくれる、話ができる、
話せる人が多いことは、なんたる幸せかと。
そんなことを秋の夜長に思うわけです。

モデル像、メンター的存在、同志、完璧だ。
よーこんだけ集めたわ、と名古屋弁で自慢したくなるくらい、
いい人そろえたなーとか勝手に思う。
自分の関係の中では、一つのチームや部隊になっているかな。
そこで闘うというのは非常に信頼できる人々で、
非常にやりやすい。楽、というのは楽しいという意味合いが強い。

批判が心地よいし、高める行為が純粋に、レベルアップで
自然に流れるメロディーみたいで気持ちがいい。

でも、もっともっと色々な人と色々な本と、色々なものにであって、
いきたいなーという欲求は尽きない。

ありがとう。ありがとう。

なんか皆にありがとうといって
話にいきたい感じやね。

さあ、今週も踏ん張りますか。

本調子 強運の持ち主になる読書道

読書術って感じで読む。
強運とか、ツキとかって言葉は好きじゃない。
勘って言葉は好き。確率も好きかな。

6人のうち、心に響いたのは、本田健とハイブロー武蔵ですな。
本田さんは力んだ感じがないのが非常に好きです。
ユダヤ人・・・とかも読んだなあ。

ハイブロー武蔵さんは、読書力を確か読んだ気が。
なんか熱くて好きです。

本の内容は、読書の仕方というよりも、
いかに読書は素晴らしい行為かということで占められています。
読書が嫌いな人はまず「理解しがたい」はずです。

読書が好きな人は結構いい評価になりそうな本です。
実際に当たり前のことを当たり前に書くみたいな
スタンダードな本ですが、名前がやや自己啓発、成功本になっているのが
なんか残念です。
ですが、逆にそうしないと売れない・・・ような気しますね。皮肉ですが。
「読書のすすめ」ってタイトルだったら・・・多分買わないのかな。

読書はすごく面白いことだと思います。
で、これらの共著者の哲学みたいなのがあるだけで、
とくに他にはないといってもいいです。
だから、これをオススメしたい人は・・・結構あげにくいです。

読書好きで、本を読むための自己啓発みたいな形で、
そういう意味でさくさく読めちゃうので、そんな読書好きにオススメします。

思い出したのは、坂の上の雲の話が出てきたーかどうか、
歴史小説の話があったので、歴史小説まだ手出してないなーとか
思ったりしたこと。

あと、吉田松陰が気になり始めました。

それくらいですな。

本調子 強運の持ち主になる読書道本調子 強運の持ち主になる読書道
清水 克衛 本田 健 七田 眞

総合法令出版株式会社 2003-12-20
売り上げランキング : 3319

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

迷走

瞑想の間違いかも。

自分の心の声を聞く。
だんだんスピリチュアルになってきた。
最後は宗教作るのが面白いかもしれない(冗談ですが

どうでもいいけど、
体調面がすこぶる調子がいい。
風邪引けよというくらい風邪が大体引く前に殺している。
そして、精神的なものもものすごい火消し役がいて
僕を食い止めてくれるようだ。

あ、光クラブの日記でてきたのね。うう、気になる。

色々やっていくこと。

メモ帳更新。

新ノートで今後はメモする。わーい。

人の話を総合すると、というか総合する意味は微妙だけど、
うまくいく人はそれなりのやり方が確立されていることが多く、
うまくいかない人は何か迷う時間が長いような気がする。

僕は一体どちらに属するか。
よく分からない。

ただ、貫くみたいなことは非常に好き。
自分を貫く。

ただのそれだけで結構いける。

企画色々練って、色々やっていきたいところ。

俺やるよ。ああ、やるさ。

バックダンサーズ!

田中圭が演じる「茶野」が好印象。
陣内孝則もコエーなあ。

一応、バックダンサー4人が「上がり」目指すってところで、
終わりだけど、そもそも自由業といいますか、
ダンサーで食っていけるかみたいなのは、裏テーマにはなさそうと
思ったり。

映画というより、踊る大走査線みたいな印象。
要は、ドラマから映画になったみたいな映画。うん、これだ。

映画っぽくないのはなんだろうなとか思ったりする。
それは、なかなか説明が難しいけれど、
バックダンサーズ!っていうところで、ただそういう話です
くらいの印象で終わってしまったというか。

ヒップホップとか、いいと思うんだけどなあ。

8mileと比較しちゃダメなんだけど、
4人のバックダンサーズというユニットが、もっと脚光を浴びるというか、
面白くやるみたいなシーンが欲しかったかな。
クラブでの踊るシーンとか多いけど、なんかもっと刺激あるような
気がする。

ソニン演じる「巴」好きだなあ・・。
キャバ嬢って設定はなんかアレですが。

重ねる歩み。

自分に対する言い訳と他人に対する言い訳が
一致しないなんて面白いことはあるかもしれないし、
言い訳というものが正当化(言い訳はただの理由だから、
言い訳自体はなぜか結果に対する無駄な理由のことを普通意味しやすいですが)しようが、なぜか、キッチリやる人がこの世にはいる。

そういう人々は、普通にたくさんいて、普通にしっかりやっている。
だからこそ、回るみたいな、一種の幻想があった。
実際にその通りだと今でも思っているが、
社会の幻想なぞ、どこをきっても結局分からない。

政権を批判しても、それは実体ではないみたいな、
そんな虚無感が出てくる。国や社会って一体なんだよと。

日本人は優しいのだと思う。おとなしいということで
片付けてしまうのだけど。
まあ、だから動けば過激に映りやすいってのもあるけど。

一歩ずつ歩を、重ねていくしかない。
己の経験値が減ることはない。無駄だったかもしれないと、
いやいや無駄じゃないよとか、過去に対する納得や感覚は
修正できるし、経験値は積み重なっていく。いわばインフレ傾向。

じっと耐えろ。
己の力を安売りするな。
お前はできる子だと、親は言ってないが、
多分誰も言ってないが、勘違いで進める気合いだけは上等(笑)

今の流行は、2Fに植物おいて、レオンごっこらしいです。きゃっ。

SEの読書術―「本質を読む」力を磨く10の哲学


10人の技術者は、ほとんど原著(ここでは洋書くらいの意味)にあたっている。
という意味でもないが、著作がある技術者ばかりの話で、
一般技術者にこれを適用させるのにはやや疑問。

それ以外の、個々の読書の方法や、技術の取り入れ方
(ばーとよんで、がーとみるとか(笑))は参考になる。

ただ、インタビューが10個ついた感じ(文体は口語ですね)なので、
読みやすい。その分溜まるものはないかもしれないので注意。

個人的には、技術者で本を読む習慣がないとか、
本の情報をどう取り扱っていいか分からない人にはおすすめ。

個人的に印象に残ったところを。
p.73
浅海(あさみ)氏がこういっている。

 自分で本を書いてみるとわかるんですけど、ものすごく時間かかるんですよね。それに、その本を書くためにいろいろ情報を収集したり、ものすごくコストがかかっている。だから、書いている方からすると、実際にはすごく安い値段で提供してるわけですよ。
 そういう意味で、1箇所でもすごくいいところがあって、それがたかだが3000円とか、4000円で手に入るなら、買っておいてもコストパフォーマンス的にお得なんじゃないかって思います。


別の人でも同じようなことを言っているところがあった・・・かな。
実際にこれは同感で、技術者でなくても、やっぱ本の情報には
詰まったものがありですね。



SEの読書術―「本質を読む」力を磨く10の哲学SEの読書術―「本質を読む」力を磨く10の哲学
浅海 智晴/荒井 玲子/後藤 大地/柴田 芳樹/萩本 順三/原田 洋子/平鍋 健児/二上 貴夫/山崎 敏/山本 啓二

技術評論社 2006-01-31
売り上げランキング : 87961

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

世界を構築する

きた。再構築。
昔、社会を再構築するとかいってたな(笑)

結局それは、自分からみる社会の再構築でしか、究極的にもない。
実際にやろうとするのはその1部じゃないかと。

要は自己世界の切り取りして、社会に貼り付ける。
貼り付け成功=受け入れられるということでしかない。

若い人を応援するとか、なんか色々言葉はあったりと、
励ましとかね。

相手を伺うという話があったが、全く僕はその通りなのだが、
それは相手の出方を待っているのではなく、「対等」が常にある。
対等になれないなら、お話にならないというだけのことだ。
そして、対等とは、結局あなたもここまできてよ、
僕もここまでいくよという、第三のフィールド(笑)みたいなことを
想定していることになるようだ。

逆にいうと、こういう年下はやりにくいかもしれない。
でも、別に何か年上の人に対して年上だからといって
変な想いはあまりない。要は、フラットなところを
どこまで維持できるかがポイント。

本音で話せないとか、そういうのだとフラットにはなれない。
また、年齢で何かを決め付ける人が一番嫌い。
15歳で起業した人と、35歳で平リーマンの人と、25歳のフリーターを
比べるのは意味がないけど、どれがえらいとかはないはず。
収入の差と、人生の価値観、充実感など精神的なものの差異は大きい。
環境のせいにしてもいいけど、全部そうしてたら全部そういう
人生になるという当たり前だが、そう思う。

相手の本気度を試す。それは非常に相手にストレスをかけていない
イメージをしているが、どうもそういう人ばかりではないというのも
最近分かりつつある。
だからこそ、自分の原理原則やコアを大切にすべきであって、
そうじゃなきゃ、人造人間RMが動いているようなもの。

小さな世界を構築しようが、偏屈な世界を構築しようが、
なんでもいいけど、
意外に僕みたいに「偏屈」じゃないよーといっていても、
理解されなければ「偏屈」だねと理解されるという図もある。
これはひどくいえば、被害者妄想とかになるけど、
でも一つだけいえば、

個人が理解されないレベルで、集団の理解もされないし、
集団の理解がされないレベルで、個人の理解もされないという
構造みたいなのはどっかにあると思っている。

面白く。本気で。あとは、頑張らない。緩く。
そんなところが直近のテーマですな。
これにあまりにも著しく離れるとできないっすね。

頑張って頑張っていつか・・・夢物語をってのは、
非現実的な「夢」物語で苦手っぽいかもしれませんね。
現実ベースの夢がまずあって、そこから拡張するのが粋っす!

言わせてしまう人、言ってしまう人、言えない人みたいな図。

これは学生時代には「フィーリング」として終わっていたのだが、
再思考。

どういうことかというと、
語れる人、語れない人、語りたい人、みたいな微妙な違いって
誰もがあると思われる。
この人は信頼できるから話したいとか、相談したいとか、
これは逆にいうと、「この人はちょっととか」「この人は苦手とか」
そういう話だ。

言わせてしまう人は2つある。
いいたいことをいいたくなるようにする人。これはいわゆる「傾聴」とか、
相手のことを理解しようとする人だ。コミュニケート能力が高い。
もう1つは、いいたくないことを言わせてしまう人。
こちらがあえて黙っているのに、何かそこを突っ込んでくる人。
これはこちらがいいたいとか、いってもいいと思っているならいいけど、
別に言う気はないとか、そういう場合にはひどくストレスになる。
言葉を選ばせない会話って、非常に疲れるというか、
自分はそういうつもりじゃないのにといって展開される会話は
非常につまらない。ってのも確実にある。

言ってしまう人もいくつかある。
さらりと言ってしまえる人と言えない人がいる。
嫌味になったりするとか、重くなるとか、そういうのは「性格」や「性質」で
あるのだけど。
言ってしまう人であえていっているのか、
言ってしまう衝動でそのまま言っているかの、
若干の脳内に理性が走るかどうかで大分印象が変わると思っている。
言ってしまう人で、クレームとかもあったりするね。

最後は言えない人。
意味的には2つある。
対象と可能について。
言えない対象って人がいる。そういうことを考えてもらうと分かるのだが、
年齢の差があればあるほど、会話は遊離しやすい。
が、その分合えば、そのコアなところは非常に確認しやすいし、
それで結びつくって感じがする。これは同年代同士では分からない感覚だと思う。
逆にいえば、同年代と話が合わない人は、別世代と話すといい気がする。

言うことができないという人。
これはうまく説明できないとか、言うことは出来るけど、
可能として、色々あって言えないということ。


で、単純に考えるだけでこれくらいでてくるから、
人には色々な状況と性格と人がいるのだから、
あまり「まとめて」いうことは好きじゃない。
逆にいえば、その人その人で考えてしまうのと、
集団とかまとめて考えるのは分けて考えて、その上でどう見るかが
大事かなあと。

こういうことにはすごく敏感に生きていきたいなあと。
なんか、自己流な粋な人ってかっこいいじゃないっすか。
あまり自己流っぷりもこまりますが。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

researcher

記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
  • ライブドアブログ