ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2007年08月

全てにFUCK!!

国にFUCK!
社会にFUCK!
毎日にFUCK!
仕事にFUCK!
女にFUCK!
俺にFUCK!
男にFUCK!
うざいやつにFUCK!
うざくないやつもFUCK!
全てにFUCK!
本にFUCK!
好きなものにFUCK!
カレーにFUCK!
演劇にFUCK!
アートにFUCK!
言葉にFUCK!
NPOにFUCK!
企業にFUCK!
酒にFUCK!

FUCK!FUCK!FUCK!

笑顔が素敵

何千人の人にそういわれたことか。

最近、鏡の前で笑顔トレーニングを欠かさないせいだろうか。
えくぼは昔なかったように思えたが、えくぼができていた。

ぐはは!

まあいいことではないの?

分からない

あなたのことが分からないと、
言われたことがある。

うっせなー、てめーにそんな軽口叩かれる覚えは・・・。

と悪態をついた覚えがあるが、
彼女は僕のことを知りたかった、という単純なものがあったかもしれない。
地球外生物を見る顔ではないが、まるで「この人ワカンナイ」ねみたいな
顔をされれば、誰でも不快だ。僕も不快だ。

僕はワイワイやるのが基本的に嫌いだ。
だが、これは賛否両論あるところだが、やはり心から好きかどうかという
ただそれだけのことで言っている。

昔、酒を飲むということについてひどく考えたことがあったが、
その時は、酒云々ではなく、話す相手がどうだという結論に
なった覚えがある。全く今も同じだ。

むしろ、寂しい人が多いのではないかとすら思う。
それは広義では自分も含まれるかもしれない。
狭義では含まれないかもしれないが。

思うに、人は「弱み」をオープンにするわりに、
自分の考えを隠し持っている感じがする。
滅茶苦茶矛盾している。
隠し持つなら、弱みではない。よって、弱さは認めないという
論理的な見方をしている。
もっと直観的にいえば、なんかよくわからんが、本質じゃなさそうな
気配、空気を感じるだけか。

おそらくフォーカスするものが、
僕とは違うのだろう。

僕はどうも、自分の痛みを自分以外の人間に転嫁しやすい。
といっても、自分がうまくいかないのは他人のせいだ、というのではなく、
自分の痛みだとは思いにくい傾向がある。要は、社会にフォーカスを
あてにいくのだ。
ある種、自己をごまかし、騙す傾向といえるし、
言い方をかえれば、自分では終わらない見方だともいえる。

また、他人の痛みも同じように感じる。
自分の痛みのようには感じないが、といって、それがその場で
終わっていいものかと考えてしまう。

色々な人とあってはなしてくと、いくつか普遍性みたいな、
傾向があることを感じてしまう。
いわゆる「編集」が可能なら、うまくいくのになあという感じはする。

明らかにうまくいかないと分かっていても、
結局それは自分の理解認識でしかないから、それを相手に
言わないことも結構ある。
相手に言うときは、それを言うことでの利害関係が・・・とかではなく、
言いたい人間にしか言ってないわけだ。人はそれを友情や愛と呼ぶかもしれないが。

もっと大局的に物事を見るべきだ。
とくに、小さな、目の前のことをやっているときには、
目の前のことに捕らわれて、大局観が捨て去られ、
戻ったときには、夢の跡ということはよくあるようなパタンかなと。

分からないから、僕は分からないといって、相手にいって
そして聞きたい人間か、聞いたらどうなるか、みたいな
そういう原始コミュニケーション、ああ、コミュニケーションの原型みたいなのがフィーリングとかもあるけど、
面白いなと感じる。

図書室の海

昔、ダチが読んでたはず。
あれも1年前くらいになりそうな気配。コウインヤノゴトシである。

短編の、それは完成ではない、ものを集めた本。
夜のピクニックの序章であるはずの「ピクニックの準備」がいいなあ。
夜ピク読みたくなったべ。

「睡蓮」の話は、「三月は・・・」の学園都市の話とリンクする。

おそらく、作家の得意技(ライトノベルとかではない)があって、
その風景なりが作風として出てくると思うと、妙な発見というか、
当たり前といわれるかもしれないが、妙に安心する。

ああ、恩田ワールドにはまっていく。

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最近の言葉

KYはどうでもいいが、
メランコリーとは、うつ病ではないが、躁鬱の鬱とある。
って、字がみづれー。

まあ、適当に調べてくださいなっと。
確か、YUKIがメランコロニック?って歌出してたとおもうけど。

いわゆるローですな。

准教授。
じゅんきょじゅという教授がいるかと思ったわ!
Wikipediaがでてきてちょっと読むと、なんか面倒くさいな。
助教授ってのがなくなったのかよくわからん。
が、なんか「准教授」って、教授より仕事できそーっす。

ISBNの13桁。
確か最近のは変わってますね。
まあ、ISBN検索しない人は、知らないのだろうけど、
13桁は長いっすよ。多分13桁。前は10桁でしたー。

コンビニが潰れる。
数えると、コンビニが2件潰れて、空き地、無店舗化してます。
他に、店が数件潰れて、立て変わるか、空き地と。
あと古い民家が駐車場や家に変わってます。
2年でこれだからなああ。とか思いながら、
実家なんてそういう意味でのんびりしている。スバラシキ田舎ライフ。


で、どうでもいいことを一言。
普通に生きるって、単に「大勢の人と同じように」生きるってことなら、
それかなり難しいような。
いわゆるモデルが複数個人の構成人ではなくて、
大勢の人っていうモデルなんでしょう?
全く難しい道をなんであえて選ぶのかねえ。
最も楽な道を選びたがる人が!

想いが伝わらぬこと

どれだけ語っても想いが伝わらぬことがある。
ということはないが、おそらくここにトリックがある。

そもそも全ての成功事例が全て成功事例として集約され
語られるからだ。といって、失敗学というのを賛美!したいのでもない。

語っても伝わらぬのではなく、そもそも語っても伝わらないから、
ほとんどやめて、もう語らずにいこうと思うことが99%。
なぜなら、度の過ぎた語りは、宗教や鼠講でしかないからだ。

分かりやすい言葉として「利害関係」がある。
人の結びつきは案外弱いものだ。
この言葉をよく分かるのは、ちょっとしたことで壊れてしまう「関係」が
あるということで理解される人は多いだろう。

また、血縁という、血のつながりも深い。
とはいえ、親が嫌いという人も少なからずいるだろう。
口に出せば、子を愛する親は悲しむし、そういう発言に驚くかもしれないが、
おそらく良い親ばかりじゃないというのが世の中だ。
カワイソウにといっても仕方がない。

慈善行為という言葉がどうも気持ち悪いというか、なんだか
腹が立ってくるというのがなぜかある。
また、ビジネスと慈善行為、または社会貢献とかなんでもいいけど、
そもそも「会社の利益」とそれらが切り離されている時点で
アウトだと思われる。例えば、賛同しないが、軍と呼ばれるものは、
国を守るために多くはある、もちろん攻撃するためにもあるわけだが、
そこでは国のためというのは、なんか鼻につくが、まあそうあるはず。

会社が社会貢献をしないのがありえん。
また、明らかに故意に悪さする(脱税とかではなく、被害を与えるもの)のもありえん。


なんていうか、そこらへんの確認はまずしたいと思うところだ。

どれだけ説明しても、想いが伝わらぬことがある。
それは価値観なのだろうと括ってきた。確かにそうなんだろう。
誰にも好かれる人がいないのも分かる。

しかし、どうも人はそういう「非緩衝地帯」!での
態度にかなり色々ある。

ある人は嫌味や皮肉を言うし、
ある人はそれがないようかのように自然に振舞う。
もちろん、後者がカッコイイ。

嫌味っぽい人は仕事も嫌味っぽいし、
うざったい人は仕事もうざったいものになる(笑)
そして発言もそのようになり、性格も同じだ。

文章もそのようになる。

まっすぐに、シンプルに。
ああ、なんかいいなあ。

熱くなってきたぜ。マグマだぜ!

ラジオデイズ

ヴィレヴァンにて購入。

ラジオの話かと思ったら、そうじゃなかった(あほ

三人称小説とアマゾンレビューにあってハットしたが、
そういや僕って言葉出てこないないような。

まあ、どうでもいい。
個人的には、カズキが普通で、サキヤが夢追い型で、
チカが馬鹿という(言いすぎ)構成に思えた。
もちろん、カズキは「これからどうするか」分からないし、
といって「パン工場じゃない」けれど、「カセットテープ」を
なおす仕事を39年続けることは「ない」だろうと考えている21歳。

ちなみに、僕の21歳は、

まず「動かないリスク」ですが、
これは普通はリスクといえば、動くことで生じるリスクのことを想定しがちですが、
しかし、「動かないことで生じるリスク」もあるということころです。

とかみたいなことを書いてた時期っぽいです。
なんか偉そうにいってますが、最もなことですね。ふむむ。

普通のカズキに惹かれるものはなく、
といってこの話に何かがあるわけでもなく、
なんていうか、日常の切り出しであって、
魅力はなかったなあというのが感想。

というか、カズキみたいにフツーを演じようとしている人が
いるような気がしてならない。カズキは普通を演じているとは
思えないが、そのように見えて滑稽だ。

そもそも、自分が何したいかなんて、
理屈じゃねーんだよ!

と、21歳ではない人から一言!
妙に動きたくなってくる読後感は悪くない。




ラジオデイズ (河出文庫―文芸コレクション)ラジオデイズ (河出文庫―文芸コレクション)
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という、はなし


ああ、このペンギンが灯台で本読んでるの最高だな・・・。
谷内六郎を思い浮かべる。ああ、谷内さんの本買えねーじゃねーか。
くそ・・・手に入れねばならん。男なら谷内六郎だ!

「待ち時間」というものはちょっといいなーとか思ったり。
待つ時間というのは、結局何かをする。
例えば「立つポーズ」の練習をするとか、
「待つ」をメタ認知して「待つ人」を演じる。
店に入って「店員風」な演じ方をしてみる。
本を読む、携帯を待つ間に何回開いて閉じてを繰り返せるかを競う(誰と?)、
隣のきれいなお姉さんに話しかけてみる(え、それは・・・)
とか色々やれるわけですけど、
携帯電話があるから、待ち合わせがアバウトでしょうがない。

A型人間の僕としては、極力合理的に、
一番の理想が、
携帯のメールで、待ち合わせ1時間前に、
「場所、時間、待つ間はここにいる」などが
淡々と書かれているものを愛でる(笑)

まあ、なんかこの手の文章はどっかで読んだず。
誰だったかな。

例えば、「すごい文章」「面白い文章」というのが、
BNF表記(多分あってるはず)っぽく、かいてあるやつ。
原田氏か、筒井氏か、清水氏か・・違うかもなあ。

だから、例えばこういうの。
「このReadMasterの軌跡ブログは、すごいブログです。」

何がすごいの?ってことになるんですけど、
「だからすごいからすごいんです。」

みたいな。
間違えると、なんかねずみ講を一生懸命力説する人の
営業みたいで、妙に泣ける(笑)

ちなみに、谷内六郎をシュルレアリスムみたいで、という
文章がどっかにあって、それみたとき、全くだ!と思ったりした。

この本のイラストも、多分「動物」が「本を読む」ことは
ありえないんだけど、妙にかわいい・・・。
かわいすぎる。個人的には鳥が読んでいるのが欲しかったなあ。

キツネはいいなあ。

ちなみに、谷内六郎の絵で、夜の電話ボックスに
キツネが電話している絵があるんですけど、
気づけば「電話ボックス」も数減ったんですけど、
やっぱ必要ですねえ。携帯は、いつからか
「携帯する電話」ではなく、「携帯している電話」というようになって、
社会インフラ化しちゃいましたからねえ。

でも、ないときもあるわけで。


という、はなしという、はなし
吉田 篤弘 フジモト マサル

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「伝説の社員」になれ! 成功する5%になる秘密とセオリー

ほぼタイトル買い。
マーケ戦略にやられたわ!

内容はごく普通のビジネス本かなと。自己啓発系ですな。

ただ「伝説の社員」になるというところで、
会社員についての記述がおそらく著者の経験であり、
その語りであるため、ノウハウのように使えるものはないです。
ノウハウがないのがダメではなく、伝説の社員になれという
メッセージで突っ切る荒々しさが感じられます。

荒々しさというのが言いすぎならば、
伝説の社員というのは、おそらくプロのことでしょう。
プロはどこにでもいます。が、数が少ない。
という僕の見方があります。

副題にもある5%とは、記述されているところでいえば、
セミナーの話をきいた受講者の2割は実践するが、
そのうちの2割しか継続できない。だから、0.2x0.2=0.04となり、
まあ4?5%しか結局できないという話があるそうで、
というところから来ているはずです。

この法則っぽい、3:4:3の法則(刺身の法則。くいてー!)とか、
1:9の法則とか、まあ法則はどうでもいいんですけど、
これは継続の難しさとかもあるかなと感じます。

実際に著者の書いていることには共感し、
例えば教育ATM機とか面白い言葉だなあとか。(え、それ共感じゃないって?

ま、そんな話はそれまでにして、
成功って何かってところでしょうね。
面白いのは、早くリタイアして遊び倒す生活を
誰かは思い描く(そういう人とはお友達にはなれん!)みたいですが、
宝くじと同じでしょうか。1,2億あたっても、その使い方が
曖昧なら、ないほうがマシで。
単に金に食われる(小心者なら、その金の存在が気になって、
毎日眠れない。これは冗談ではないっすよ。)だけの人生になるような
気がします。


伝説の社員になれ!だから、伝説の社員について
少しでも何か考える人が手に取るんでしょうけど、
伝説の社員になって、で、どうする?みたいなのが、
結局伝説の社員になったとしてもいるわけで。

著者の、ライターの毎日15時間労働で、月12万で
修行になったというのは、やはり軸があったからだなと考えます。
おそらく、これに近い人は結構いるんじゃないかと。
でも、軸が定まらないから、学びには変えられない。

全く。そういうところで、仕事は道具だなあとか最近思います。

ちなみに、伝説の社員は目指さないです。
目指すなら、幻の社員です(笑)

「伝説の社員」になれ! 成功する5%になる秘密とセオリー「伝説の社員」になれ! 成功する5%になる秘密とセオリー
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新会議生成法

今、友人にちょっと話して、新しい会議について練っている。
別に「既存にない会議」を創るわけでもない。
ライフハックみたいなものだと考えると、読者諸賢(は2名くらいしかいないだろうが)は分かりやすいだろうか。

その会議では、発言に全てラップ調で「YO!」をつけなけれなばらない。

星新一のショートショートに出てきそうだ。
もしかしてあるんじゃないか・・・。ファンは報告せよ!
あ、僕ファンじゃない・・・。

「現在の課題としては、遅れている・・・YO!」
「ちょっとつめがあまい YO!」
などとラップで会議をやるのだ。

ラップ会議。
主夫の方は、いや主婦か!?、サランラップ会議と思ってしまうまか。
B-BOYは、そんな会議あれば楽しいと思うだろうか。多分つまらんだろう(笑)

YO!
世の中の会議に、VIVA!
YO!YO!

会議なんてファック!

ああ、なんて刺激的なブログなんだYO!

早速、休み明けにラップだYO!
実践者は報告するように。

新鮮さ

新鮮さが必要だ。それは空気の入れ替えとか、
散歩とか、そういう気分転換みたいなものもそうだし、
そもそも現状に対する改革!とまではいかなくても、
少しの変化はやはり必要だ。大変化も時には。

非常に抽象化していうと、
ある動きが分からないうちに評価されていたということがあった。
なんだか雲を、いやシャボン玉、いやまあなんでもいいわ、
を掴むような言葉だが、まあ実際にあるものはある。
事実、僕は人にフォーカスを当てて、それがどこまで
見切れるかどうかを楽しんでいる傾向がある。
これをゲーム世代の宿命というべきか。
が、ゲームは面白いと思うが、現実のそれとは面白さの質が
違うということに気づくわけですな(笑)

新鮮さは挑戦というほど大袈裟ではなくても、
自分でこれはどうだろうこれはどうだろう?と
仮説と検証を小売!のように繰り返すしかないということになる。

ナンバーワンよりオンリーワンというのが廃れたはずだが、
事実残るのは、地道にコツコツやっていけるかどうかという
言い尽くされたものが残る。印象にね。

さようなら、新鮮さがない場所ではなく、
新鮮さを生み出すことを忘れた心を持つ人よ。
最初の想いがない場所ではなく、
最初の想いを振り返ることも、実現しようとする心を亡くした人よ。

忙しいとは、ある人によれば、心を亡くすということだ。
納得だ。忙しい人間にろくな人間はいない。あ、語弊ありそうだ。
逆にいおう。心を亡くした人にろくな人はいない。
というか人ではない。人ではないから大切にしないわけではない。
しかし、人ではないかもしれないな。マジで(笑)

人材育成論

ついにできあがった(笑)

1.育てる対象の人物をよく知ろうとする
知ることよりも知ろうとすることが大事(笑)

2.自分がどういう人材に育てたいかを考える
自分のコマとしたいならそうすべきでしょう。
が、そんなことしてどうなるか分かってんだろうな!(笑)

3.KYより熱さを。
空気を読むらしいですが、ふざけんな!
熱さにはKYは不要です。KY>熱さだったら、そんな仕事辞めちまえ!(笑)

4.コミュケーションの質より量
知っている、深いことを話している、考えを話しているなど
質をみがちなところですが、そもそも場や話す時間がなければ
何も始まらないです。ので、まず量が大事です。

5.やるだけやる
とくに人材育成する側は、やるだけやらんとだめです。
自分の人材育成力みたいなものがあると思う人はいそうですが、
そもそも力なんて自分のありったけのものしかないわけで、
やるだけやったら、あとは対象者の力でしょう。
相手の力がないなら、それはしょうがないというしかない。
でも、それをフォローし、考慮し、やっていく醍醐味もあるわけです。
それを踏まえて「やるだけやれ」ということです。

以上、1から5で人材育成は可能。
だが、年月という意味で、人材の効率的育成は未知数。
1ついえるのは、大きく2つに分けられるということ。
1つは、知識・経験などの外的なもの。
これは教えることができるし、時間が経てば経験は増える。
2つ目に、やる気や学ぶ姿勢や目指すところという内的なもの。
これがでかいのは、そもそもこれがあればいくらでも
吸収できるから。これが逆にないと、外的な上っ面だけで
非常に弱い人間になってしまう。

という意味で仕事ができる人間は、魅力的になるのは、
外的ではなく、内的に磨かれているからだといえる。

ちなみに、仕事にもよるが、育成という意味で、
数年(1年?3年)は必ずかかると思われる。

人を育てるには時間がかかる。
逆にいうと、育ててもらった側になる人は、
非常に影響を受けるし、またその「でかさ」をあとから気づくことになる(笑)

もしも昨日が選べたら

http://www.sonypictures.jp/movies/click/site/index.html

うお。
ドナ・ニューマン役のケイト・ベッキンセールが超魅力的だ・・・。

仕事>家族というものを万能リモコンで自動学習し
早送りし、自分がかなり年老いてそして死ぬまで
進んでいくとこうなってしまうか。

昨日を選べるなんて、未来を選べるのと同様
ナンセンスだが、僕はSFは嫌いじゃない。
ただ結局僕の見方は、現実に返ってこなきゃ、
あんま意味がないという見方になる。面白いなら、その面白さって
多分現実で意味あると思うわけで。

そうじゃなくて、ただそれが本当に起こるとかってのは
ナンセンスかなと。それは、技術を磨くのがナンセンスではなく、
夢を持つのがナンセンスではなく、今起こりえないことに
期待しても、面白くないというか。

誤解がないようにいえば、発明とかってどっちかといえば
ないものを創るわけで、そういうのは大好きだけど、
おそらく話が違ってくる。

とりあえず、まあ適当。

バックトーザフューチャーとか思い出すけど、
あれはちょっと違うっすねえ。

アカデミー

http://www.movie-academy.com/index.html

高橋まり子演じる千恵が最高かも。
杉浦太陽は初めて観たような。あ、ファンに攻撃されるか。
彼の演技はどうか分からなかったけど、
ゲイにやられた。

ダンサーの彼女は、レズに・・・。

というわけで、ゲイ・レズ・男と女というなんかがありますが、
あまりストーリーとは関係ないっす。

AAAという学校での話で、強制的に1年で退学させるっていう
面白い学校です。

主要登場人物は全て落ちます。あ、ネタバレだ。わーい。
で、彼らは最後にドカンとやるわけですが、
なんていうか、この映画、千恵がいい味だしてるなあって。

彼へ描いたあの絵は、まさに抽象画の最高だ。とか
思ったりしつつ。

で、杉浦ちゃん演じるタカシが、俳優、役者を演じるわけですけど、
彼がいった「リアルアクター」って言葉、real actorっすね、
が印象に残ってます。

有名人でないとプロの俳優じゃないなんていうのは、嘘ですけど、
なんかそう思いがちです。
フリーランスの世界を見るといかにプロが多いか分かるような。
ああ、構成員がプロが多いかってことですかね。

リーマンの世界になると、プロ率が下がるっていうか、
リーマン舐めているわけじゃないですけど、肌ではそう思いますからね。
プロサラリーマンっておかしいっすかね。
多分賃金形態で呼んでいるからおかしいだけで、
やっぱプロの仕事人はかっこいいですな。

で、学校とか学びとかプロとか、そういうのを考えさせる映画じゃないと
思うんですけど、どちらかというと「ぼくらの7日戦争」みたいに、
戦争を楽しむのと同様、
AAAがやる強制退学までのCULLING DAYを楽しむ映画かなーとか思いますので。

そういう意味でぼやーとしてたらそのまま終わるかも。
まあ、個人的にはオススメっす。観て損はないーはず。

すごくいい夢

快眠。
おきるのがマレに最高に軽いときがある。
まさに、それは予定をいくつか持っているときだったりするが。

信念、使命というほどではないが、
必ずやらねばならないことがある。
ちょっとだけ苦しいけれど、その苦しさは・・・。
なんていうか、楽な苦しさなんだろうなあと。

なぜなら、楽にするまで素材を柔らかくしたから
固い素材をまず柔らかくするところから
始める必要はないから。

苦しさ

例えば、結果はでないとか、
うまく現状が行かないとか、
トラブルばっかりだとか、
というかそもそも、現状維持すらあやうく、マイナス、不幸、
「くそったれ!なんでこんなことになったんだ!」ということは、
よくあることですね。ええ。

それを踏まえた上で、
苦しさをどう消化するか。
ぐっと飲み込む苦しさなのか、手に負えないから誰かに転嫁して(笑)
逃げてしまえ的な苦しさなのか。

とにかく、やりたいことをやらねば。

あなたにも書ける恋愛小説

原題は、ALEX&AMMA

小説家の話なので思わず手に取る。
うむ、面白い。

エマ素敵よ。

ヒロシマナガサキ

とりあえず観てこい!

知ることは罪なのか。
知らないことは罪なのか。

いわゆる「二次差別」というのは「差別」の連鎖を生むもので、
あるわけで。映像では、伝染るからアッチイケというものですな。

また、被爆者だと語ること、言うことで得なことは
何もないという現実。最もですね。国が手当て出してくれるのは、
運動した結果・・・であり、その前に人が死んでいく。
水俣病と一緒にするのはあれですが、似た感じでしょう。
こういった問題は。

丁寧に捉えれば、結局、被爆者のカタリは、
誰に届いて、どう響けばいいか。
何も知らないのが幸せというのが、例えばあるわけです。
それは、被爆者は被爆したいから被爆したわけ・・・では
決してないわけです。むしろ、そんなことせずに生きて生きたい。
当たり前ですね。

被爆者の中にも色々いるはずですが、
例えば、口を閉ざし何も言わない人は多いかなと思ってます。
おそらく事実でしょうが、戦勝国であるアメリカ(アメリカが勝った戦争が、60年前にあったんですよ)は、被爆地の写真など映像もでしょうが、
25年間公表禁止にしたそうです。

ちなみに、DAYSという写真展で見た、記者の写真の前書きにも
同じようなことがかかれてました。

戦勝国からすれば、それを公表していいことはないからですね。
当たり前といえば当たり前ですが。

ただ処分というか、そういう動きもあったかもしれません。
ここらへんは注意すべきです。アメリカは別にアメリカンドリームな
国(アメリカンドリームもそもそも疑うべきですが)ではないですね。
おっと、アメリカはいいところあります。学ぶべきことは多い。
でも、それは棚上げでしょう。

ただ、この映像のいいところ、注目すべきは、
原爆を直接触った技術者が映像でインタビューしていることです。
この対比は、今まで見たことがないので、新鮮でした。
アメリカの技術者は、言われるまでやったというのが主張です。
これも当たり前ですね。

被爆者として、あの「はだしのゲン」の著者の人もでてきますが、
原爆が落ちた、人が死にまくっている、うらむもなにも、
どう生きていくかで必死だった。そもそも家族が死んでいることが
普通なわけですからね。


冒頭は、1945年8月6日って何があったか知っているという
軽いインタビューから始まります。
彼ら、おそらく20以下の若者ですが、が知らなくて不快な顔を
するのも何か違うような気がしました。
とはいえ、知らないまま生きていくのもどうなのかと問いたくなる。
非常に難しい。

知ることは罪か、知らないことが罪なのか。

僕の直観としては、まず知って、見て、で、どう思うかでしかなくて、
本当にキレイに善悪が、勝ち負けが決まるなんて、
スポーツの世界ですら、ないような気がするというか、事実はそう。
だから、知ったほうがいいなと思うわけです。

被爆者の方は、結局生きている意味を問う中で、
差別され、体も健康ではなく(被爆したものは残っていて、
あらゆる病気かは分かりませんが、病気の発生要因になるはず)、
生きていって、何かいいことがあるのか、という
そういう問いになるのかなと、自分としては感じるわけです。
だから、自殺を選ぶと。死んでいくというのは、
直接原爆で死んだ人は、14万人。そしてその後、被爆原因で
16万人以上が死んだと出てきます。恐ろしい数字です。

10万人といえば、町が一つ軽く消えます。
全ての建物、人間、動いているものが、消えるわけです。

アメリカの技術者は言います。
我々はパンドラの箱を開けてしまったんだ。
だから、どうしようもないが。


人は生きている中で、自分の主観環境と主観感覚で
生きる道を選び、生きるを楽しむんじゃないかと
妙なことを思いました。

それは、自分の知覚したものをどう消化するか。
消化しきれないなら、どうするか。
動いていくしかない。

僕にとっては、原爆は非体験のものだ。
カタリを聞いて、観て、それがなんだと、笑う人もいるかもしれない。
ただただ「それ」をしっているなら
「そんなこと」は言わない、という話が説得力がある。

それとは、原爆で、そんなこととは戦争で。

原爆じゃなくても、滅茶苦茶の人数が戦死しているわけで、
しかも空襲もかなりの数があるわけです。

そういう諸々のことを知りもせず、
戦争OKみたいな人がいることが一番怖いということを感じます。


ここで一つの問いがあるわけです。
知って生きるか、知らないで生きるか。
前者は楽ではなく、後者は楽な傾向があると思われます。

ただ、後者を選ぶ人は、こういうでしょう。
こんなはずじゃなかったんだと。

というわけで、馬鹿者(=若者)は観てきなさい。
これは、冗談ではなく、命令です。

Book of love

結論。
永井宏最高!

Book of loveBook of love
永井 宏

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演劇は道具だ

ちょっと期待値を上げすぎたせいか、物足りない感。

宮沢氏の考えとかかなりスキなんだけど、
この本は、ちょっと「後で」が多いかな。多分、読者層を
考慮しても「後で」はいらない・・・かな。

印象に残ったのは、「立つ」ということにたいして、
ただ立つということを、役者がやる、というか、
説明してないけど、それは「役者」が何か動きをするなということ
ではなくて、「ただ立つ」というだけで、
それはビルや城などのように威圧感があるものでもなく、
ただ立つ。

ここらへん、なんかしっかり書いてないような印象がします。
しっかり、というのは、まとめて書いてなくて、
結局どうなんだろうというところが多く感じます。
あ、別に答えとかが書いてないって話じゃなくて。

いくつか他の本からの引用もありますが、
その引用は・・・効果的であるかという意味でいうと、
あまりいらないようにすら思えます。

あと、疑うことを後半で何度も述べていますが、
例えば、演劇って舞台たって役者がやるあれっていうところとかを
疑うとかね、でも、その「疑う」ってそもそも、当たり前の行為というか、
冒頭でも、「自分が能力があると信じている人」は
演劇なんてやらないみたいな話があって、ものすごくドチョッキュウな
ものとつながるかもしれません。

でも、自分に自信にない人はそもそも表現をしても、
何ていうんでしょうか、説得力がないというか。
全力の失敗から得るみたいなものがないような気がして、
ここらへん説明不足というか、結局どういうことかというのが
分かりませんでした。

で、疑うこと自体は、演劇も何も関係なく、
むしろ、演劇っていって固定観念があって、それで
例えば、呼吸とか、立つとか、触るとかって、からだの動きを
いちいち取り上げて書いたのかなあと。
そういうところで、演劇ってひどくマイナーな印象が僕にはあるんで
ますますすきになったという著者の狙いにははまりましたね。

でも、それはいいとして、この本は物足りない感ありまくりでした。
まあ気になる人は読んでもらって、なんていうか、
具体的な演劇テクニックなんぞどうでもいいので、
かといって、演劇知というような、演劇を通じて理解できる学びかな、
が足りないかなあ、それは僕は期待するもの以下だったということですが、
まあ、そういうところがあるので、オススメではないです。

が、演劇って僕が学生時代に触れてたら、
どうなってたかは分からんですな。
ちなみに、最近僕の中で演じるっていうところにいる人が
すごく弱い人なのではないかという、本質的な問いがあります。

だって、舞台たってなんか演じるってことは、
強い気がするじゃないですか?そうでもない?
でも、実際は弱い。

そこを考慮すると、表現者の弱さは圧倒的な武器になるってことが
いえそうです。
ってことは、弱さをただ口にだし、弱いといって何もしない人は
そりゃ弱いの当たり前じゃんと。そう思っちゃいましたとさ。

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パスきたああああ

吠えろ!暑い!さけべえええ!

パスというのは、待っていてはこない。
もちろん、状態は待ちになるが、こちらから
アピールしなければこないのだ。

ちょっとでもスキを見せたら、一斉に襲い掛かってくる。
恐ろしいもんだ。別に殺されるわけではないが、
そのスキを見せるとは一体何か。

例えば、うまく計算すれば自分の弱さを見せることでの
心理作戦も展開できる。
しかし、自分自身に対してストレートで見れば、
ただ「スキ」でしかない。

ここで考慮すべきは、度量、太っ腹かどうか(メタボはだめだろうけど)、
肝が据わっているかどうかなどであって、
小さなスキ云々、失敗、弱さなど、
そこから考えると、ただの点にしかみえない。

友人17人からちょっと話をしないかというお盆休みのお誘いを受けたが、
全て断った。
もちろん、嘘である。

スケジューリングとして、今月は空きペース。
インプットギアを最大にして、貪欲に取り込む。
さらにアンテナを磨くのだ。

お前ならできる。お前ならできる。
お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。
お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。
お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。
お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。
お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。
お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。
お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる。
お前ならできる。お前ならできる。

できちゃった。てへ。

マグマ98

結局、挑戦が不足している。
全く、自分に甘いという点が露呈してしまった。
非常に残念だ。自分に自分がだ。

自分のコピーではないけれど、
自分の弱さを自分と同じように持っている人に、
それは違うのだと言う。まさに自己矛盾の塊。

人々は言う。
君は違うんだよと。

いや、全く違わない。全く同じなんだよ。

エネルギーだけではダメだ。
それをどんどん膨らませていくのだ。
そして、さらにどんどんパワーを吸収し、さらに2000倍くらいで
返すのだ。それが紳士ってもんだろう?

がんばりとか、そういう次元の話ではないんだ。
ただ、安住する気がないというだけだ。
下を見る必要はないということなんだ。

ホテル・ルワンダ

ジェノサイド。

人はなぜ人を殺すのか。
それは狂気、民族、血、信仰、文化、人類というものの、
ありとあらゆる現実でしかない。

と簡単に言ってしまえるが、実は全く簡単にいえることは
簡単ではないということなのだ。

目に浮かんだ熱いものが、
ぐっと息をのみ深呼吸だ。

直観で、僕は何も知らないことだけは分かるんだ。

トランジスタを目指せ。

トランジスタは増幅装置のことだ。多分。
これ間違ってたら、滅茶苦茶恥ずかしいがね。

まあ、ラジオとかには使われているはず。多分。ああ、
だんだん自信が。

ある電気信号を増幅させちゃう、色々な形があるけど、
覚えてるのは、3つくらいRGBっぽい感じで口があるやつかな。

ネタ自体がもつエネルギーが1エネルギーだとしたら、
それを5エネルギーくらいには増幅させたいものだ。
また、人のエネルギーそれ自体は、軽く2倍くらいにはしたいものだ。

ワクワクって言葉は最近、マーケなアンテナでも引っかかってこないな。

それよりも、単純に想像力を働かせて、
ワクワクするような毎日を過ごすにはどうすればいいかって
そう考えて少しずつ手と足を動かしていくことだと思われます。

という意味で、IMトランジスタ!

サラリーマン残酷物語

結構なひどいことが書かれている。

印象的なのは、会社でのイジメ。
これは会社側からのイジメといったほうが正確か。
やめさせるために、仕事を与えないみたいなそういうのだ。
想像するだけで恐ろしいが、実際にあったのだ。

この本の自体は、著者が転職経験が多いところと、
さらに同様の経験?も踏まえて、
対策なども書かれている。

印象的なのは、ストレス対策ではないけれど、うつ対策か、
精神の三角形という図。
職場、家庭、趣味という感じでこれらがそれぞれフルスロットルであれば
バランスいいよーという感じ。

全くその通りだなと思うが、
個人的には、1つの行為が薄まるのと、深まるのは
一緒に起きている感覚がある。

職場での仕事ばかりだと、おそらく深まるべきものが、
もうストレスをただただ負うばかりだ。
趣味でバランスをとってというのではなく、
5:5くらいの感覚でないと、なんというか、
出来る仕事もできないような感覚がある。

視点という意味では、圧倒的に物事、色々なことに
興味を持った方がいい。

家庭でも全く同様のことがいえる。
疲れているから、子どものことは任せるなんて、
吐いた瞬間、恥を知れ!ということになるだろう。

仕事をする=ストレスをためる作業じゃない。

さあ、ガンガンいこうぜ。

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自分ブランドで勝負しろ!

というわけで、自分ブランドで勝負する、わけです。

p.84につまらない仕事に酔いしれろとあり、
その深さは非常に同感。

つまり、ここからいえる一つの結論は、
目の前の面白くない作業・仕事に対して、
どれだけ自分の気持ち・モチベーション・スタンス・構えで、
面白くできるかどうか。
これは腕のミセドコロでもある。

例えば、いい例としてあげるならば、
トム・ソーヤーの冒険か、トムのペンキ塗りの話は
結局トムのウマさとしかいいようがない。

想像するだけで恐ろしい!
それは、何か。
同じ仕事でも、面白くできるのか、つまらなくできるのかと。
そういうことだ。

ちなみに、つまらぬ仕事を変換する力の方が、
おそらく無駄に「何かを追い求める」よりも普通に力になると思われます。


次。
思い出したというところで1つ。
責任という言葉が出てくる。例えば部下の仕事に責任を持つということ。
この責任の意味が、やっとだが少しずつ分かりかけてきた。
今までは「やらせてくれよ」という立場だったからか、それとも。
当たり前だが想定するのは、責任は俺が持つから自由にやってくれ、
という言葉をまず吐くことだ。

責任というのは別の話であるのだけど、
その時は、なぜ自分が責任を負うのかがさっぱり分からなかった。
そして、そのことは徹底的に問うて今に至る。
おそらくそこで関わった友人も、なぜ僕がこれほど拘るか分からない自信がある。
それくらい些細なことかもしれないが、僕には納得は出来てないのは確かなんだから。

結局、言い方はすごく悪いが、僕と肌が合わないというか、
ただそれだけのことで、
例えば、飲み仲間と仕事仲間が異なるようなもので、
友人だからといって、ビジネスを一緒にできるわけでもないし、
意外に自分を知らない人に深いことはいえるという感覚もある。
そこらへんのレベルの話だから、大したことがないといえばその通りだ。
ただ、一ついえるのは、責任についての考え方。
これについて自分は間違っていなかったし、今もそう間違っていないと
自分を信じている。これは自分が間違っていないという思い込みではない。

ボタンの掛け違いって言葉がある。それのような気がする。
ちなみに、そういう違いがあるというところで、
お互い分からないところがあるというところは、ダメとは思わない。
むしろ、そういう分からなさの関係が好きだったりする。
もちろん、積極的に何か働きかけることはないけれどね。

最後の5章は滅茶苦茶熱い。
そこで思ったのは、出し惜しみをしている人を見ていると
腹が立つということか。
もっと丁寧にいえば、力がある、やれるのに、それをやらないか、
やろうとしてないか、気づいてないか、そういうところで、
フルスロットル感がないとやはり、面白くない。ただそれだけだ。

あんたならもっと出来るのに。もったいないという言葉がぴったりだ。
もっともっと上を、成長をというのは、最高に面白い。

とにかく、マグマ理論でもないけれど、
フジマキ氏がいう、志の枯れない人。この言葉最高だぜ。YO!


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いざ鎌倉。

そういうチャンスがきたら動けばいいと考えている人は、
意外にそういうチャンスがきたときにはじめて「考えている」傾向がある。

だからそういうチャンスがきても、動けないのだ。

これは断言できる。なぜなら僕がそういう人間だからだ。

だから、当たり前のように、そういうチャンスがきても、
動けるように、普段体を暖めておく。
なんていうか、ベンチ入りだけどナインの一員となって応援する。
野球、あんま好きじゃないけど、そういう考えは好きだ。
体育会系は嫌いだけど、年配には敬意を持った方がいいと
思ったりるのは、素直な思いである。

いざ、何かが来たら、それを本当にやりたいなら、
普段からそうしていなければならない・・・というのは
最もすぎて、まさに盲点なのだろうか。

プログラミングをしたいというなら、プログラミングを今
すればいいわけで、お金がないならなんとか貯めるしかないし、
親にねだる・・・なんとかしようという実現にはいたらなくても、
そういう姿勢が大事になる。
なぜか?

それは、その姿勢はそのまま終わらずに、前方姿勢なら、
しばらくその姿勢のままで走れるし、そうせざるをえない
状況に「身体」をもっていく力があるからだ。

?したい。ならどのようにやるか。
戦略を理屈を、考えぬけというのではない。
感覚に頼って、手当たり次第やればいいというのではない。
どちらもやれ、である。どちらかでは不十分だ。
本当にそれをしたいなら、それをし続けているところで、
パスがきたから、叩き込む。叩き込む。叩き込んで叩き込みまくりんぐ。

それが圧倒的な強さだ。
自分の強さとなるだろう。

しかし、そういう強さだけでもない。
強さには色々なものがある。繊細な強さも、負けない強さも、
力強い強さも、軽やかな強さも、色々あるんだ。

「それ」を今していない人は、「それ」をしてから、
また道場をくぐろう。
少なくとも、僕はそうしてきた傾向が強いようだ。

人間は笑う葦である

ユーモアの話は読んだ方がいいとか思ったりする。
それを紹介するほど、私もお人よしではない(笑)

最後の方にある、規則を破るというユーモア、
これは首を、真上にあげて、自分のあごをみるくらいに、
首を下げて、首肯したいところだ。

規則というのが、エンジニアが好きだと思ったら大間違いだぜ。
そもそも、論理とは論理の破壊が存在するから、存在する。
でた!

論理があるということで、すぐ無意識にその非論理を
あるいは詭弁を想定できるというか、想定せざるをえない。

この考えは、つまり、規則を破るユーモアは、
ラピッドプロトタイピングにも通じるところがある。

例えば、冷蔵庫に電池を入れるのは、なかなか発想しにくい。
長持ちするかどうかは調べてないので分からないが、まあ
悪くはなさそうだ。でも、食品に液漏れとかしてついたら、
怖いっすけど。
冷蔵庫に野菜や食べ物、飲み物を入れるのは規則的習慣で
すぐに想像がつく。

だから、規則を破るとは、例えば、冷蔵庫の中に冷蔵庫を入れる
(これは箱の中に箱を入れるという一種のループ規則でもあるが、
そもそも、ユーモアの規則というのも、あるわけで。
これを芸人の得意ネタといってもいいはず)とか、
冷蔵庫の中に、パソコンを入れるとか、
冷蔵庫の中に、辞書を入れるとか、
冷蔵庫の中に、薬を入れてみるとか、あと、メガネを入れてみるとか。
枕を入れるのは意外に流行っていそうだ。

それをユーモアといれるかどうかは読者に任せるが、
そういう規則に反したものをユーモアと受け取れず、
そのまま言葉で受け取ってしまう人が、
たまたま僕の周りに、好例というか、出来すぎたモデル、もしくは
モルモット、もしくはその理想形!という人がいる。
おそらく、これを読んでいても本人は気づかないだろう。
気づいても、僕にこの件で何かいうユーモアのなさはないだろう。

個人的には、シュルレアリスムの原則(笑)に則り、
非現実的なことと現実的なところの連続性、灰色感をついた
事柄を述べるのであるが、
これら理想形の人にとっては、それは「事実」「現実」に
うつってしまうようだ。

別の理想形ではない友人、もしくはそういう人だと、
「はっはっは。そいつはナイスユーモアだ」的な笑い、もしくは
会話の潤滑油の役割にすらなる。
ちなみに、理想形の人にとっては「怒り」にすらなるのだから、
本気で考え出すと恐ろしいことでもある。
ちなみに、その理想形だと気づいた人にあえて間接的にいっておくが、
その理想形がダメなわけではない。
あなたのような人がいる一方で、それを笑う人もいるのだ。

さらに別の人に話すと、そのユーモアに対抗したユーモアで、
かぶせてくる人物もいる。
ここまでくると、芸人の会話かという疑いになるが、
芸人のようなプロ意識、もしくは笑いにかける魂がないのが事実だ。

これをある人は、一人の人間の性格など100人からみたら、100通りある
要にいえる、みたいなことといえるが、
そうではないかもしれない。


とにかく、とにかく、ユーモアは大切だということを、
土屋氏の文章を見て痛感する。

ユーモアがない世界は、ただの砂漠でしかないわけだ。

というわけで、ユーモアの種をまきましょ♪


人間は笑う葦である人間は笑う葦である
土屋 賢二

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コアとコア

ヨーグルトではない。
コアって最近見ないなあ・・・まだ売ってるかしらん。

近くにあるコンビニへいったら、なんと閉店してた。
店じまいということだ。

民家は更地になり、駐車場になるか、土地を売ったと
思われるが(オーナーだったらお金持ちだろうが)、
その民家の跡に、マンションになることがある。
アパートメントといったほうが正確か。

世の中には、コアというものが存在する。実存ではない(笑)
と、何がおかしいか自分でも分からないが。

それはおいておいて、時間がかかるということについての
姿勢をどこまで自分の血肉とかせるかで、
ほとんどの物事の達成可能度合いが見えてくるようであるというか、

変な話ではないが、
ベンチャー、もしくはそういった新興企業といったものに
投資をして、リターンを稼ぐという・・・ああ、名前忘れたわ、
そういう分野というか、ビジネスがある。
その場合、何でそういう会社を見るかというと、
結局その人だという。シャチョウサンね。

何か当たり前のようでいて、全く納得みたいな。

銀行の融資事業は、その逆かもしれない。
人柄は融資担当者との円滑油だけであって、
実際の融資の融通には関係がない・・・のだと推測しているが、
それでも、ビジネスとして回せるのだから、
やっぱやり方があるのだと思われる。それが「自分が好ましい」かどうかは
おそらく、ビジネスとして、プロとして、話が別次元か。

「哀愁的東京」の進藤のように、
下世話な記事を自分の本意ではないが、書くことが、
プロだとはいってないはずだが、こなすというところで、
あまりに「熱」を入れないみたいなスタンスは、もちろん、
淡々と楽しめるみたいな要素があるのだとは思うが、
それは「働きマン」にでてくる、熱入れすぎてへこんだ、
本の営業担当の働きマン、確か千葉くんだったはず、の話とも似ている。
彼は、やっぱり「淡々とやる」のがいいとは心では思ってなかったのだ。
パッション!それがやはり、仕事だ。詰まらん仕事もあるが、
名言としては「どう思うかは自分次第」という究極の問いが待っているわけで。

核となるものを少しずつ大きくしていけばいいというのは、
核がある人間の台詞だろうか。
自分の身の丈にあったかどうかはおいておいて、
その言葉、その振る舞いに、何か浮ついたものはないだろうか。
自分の行動は甘いのではないか。ぬるいのではないか。
ぬるま湯すぎるのではないか。

人の振り見て我が振りなおせ、である。

もっともっともっと、そう、そうやってムリに自分を奮い起こす必要は
ないのだ。
が、無理ではなく、温泉のように、
マリオのスターが長時間、もしくは無限に続く無敵状態が、
あるような錯覚を起こしてくれる、くらい核があれば、
その核に核をもっとくっつければ、そうなる。と思われる。

遠慮はいらん。

武士道とは、核を見つけることなり。

「美しい」ってなんだろう?―美術のすすめ

むう・・・深い。森村さんやるなあ。と、ちょっと親しみをこめて。

例えば、美術ってところから切り口を開くっていうわけでもないけど、
その「美」というところで、色々なものが美という考えは、
やっぱ、これだなあと思わせるもの。

簡単にいえば、読め!ってことになるか。

多分、美術とか絵とかアートとか、そういうの興味ない人は
がんがん読んだ方がいいかなーと。

だって、面白いだもん。

にしても、子喰いの絵はかなりきますなあ。ゴヤの絵ですなあ。

「美しい」ってなんだろう?―美術のすすめ (よりみちパン!セ 26)「美しい」ってなんだろう?―美術のすすめ (よりみちパン!セ 26)
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セーラー服と機関銃 完璧版

柳沢慎吾が若い。若いぜ・・。

肝心の内容?
うーん、正直あんまり、面白く・・・。

夢で会いましょう

友人のススメ。

間違っていなければ、しりとりレースを想像していたのだが、
実際には、カタカナをばーと並べてアイウエオ順ね、
その単語について、春樹氏と糸井氏が書く、物語か。

エッセイではないので、ショートショートになるか。
が、ショートショートというと、星新一を思い浮かべるので、
そういうオチがあるというか、オチはないというか。
とくに春樹氏の書いたものはオチが読めないので、
というかそういう作風だと思ってるので、よし。

で、全体に、どちらも何か2回以上でてくるものがある。

例えば、あしかの話とか、
春樹氏は「女の子とデート」というフレーズがやっぱ好きだなあとか
ニヤニヤしながら眺めるわけです。
あと、糸井氏はやっぱキャッチーなフレーズを持ってきたりして、
でも、最後の方になると、結構どちらが書いたものか
分かりづらかったような感じが。というか、わざと似させてるのかなあ。

というわけで、夢で会いましょう。
素晴らしいオチだ!


夢で会いましょう (講談社文庫)夢で会いましょう (講談社文庫)
村上 春樹 糸井 重里

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2027

SF作品というか、
2027年もぼやぼやしてたらきちゃうというフレーズとトークにやられたので
買い。

コラムはほとんど読んでないので、省略するが、
小説自体はなかなか面白くて、例えば2ILOだったかな、が買ってきた食糧の
レシートが本にはさんであったりする(正確には本に固定されている)。

本を作ることは違法となった時代で、主人公Kは本を集めるのが趣味。
彼は本を創ろうとゴミをあさる。創り上げた本を宣伝するのに、
ラジオのDJとして、これも違法電波にのせて放送する。

あとがきに、本についてささやかな古田氏のコメントがあるが、
本って結局、マイナーなアイテムかもしれないし、そもそもベストセラーですら、
100万だから、全人口の1%以下でしかない。
それでも大いに売れるという基準だ。それがどうだというわけではないが、
結局、1万部とかがコンスタントに売れるというのが非常にすごいことになるわけで、
数千部でも、もちろん。

ということを考えていくと、本を買って読む人というのが、
本当に少ない気がしてくる。借りて読む人は、結局買うと思うから、
あまり気にしてない。

本を買って読むということをしなければダメだとはいわないが、
(ちょっと前に出た「読書力」では、斉藤孝はそういう態度こそダメといってるが)
そもそも、本を読めというと、教養主義的な、何か知識こそブラボーであるというような、
そんなことを思われるかなという雰囲気がある。やはりマイナーか。

本の世界なんて滅茶苦茶楽しいのだけど、
それって小説とかの物語だけではなく、知識とか実用的とか技術的なものとかでも
本の世界は、結局著者の世界に入っていくわけだから、本の世界なわけです。

本ってもっともっと可能性があるというか、
読むだけでも楽しいものを、一石二鳥的に色々楽しんでいけるし。

とりあえず、2027年にぼやぼやしてたらなるかもな、と思ったら買いですな。

2027 ボヤボヤしてたら、すぐやってくる。2027年のお話。2027 ボヤボヤしてたら、すぐやってくる。2027年のお話。
古屋蔵人/小田島等/乙一/森本晃司/中俣暁生ほか

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垂直に生きる

器用に生きるとは時間の流れに並行に生きること。
不器用に生きるとは時間の流れに垂直に生きること。
かもしれない。

マイペースという言葉を自身の時間感覚を最大限に尊重するという言葉だとしたら、
そのマイペースはまさに、垂直に違いない。

並行に生きるのがダメなわけでも、垂直が良いというわけではなく、
単に、並行に生きていても、何も見えない世界がある。
ということを気づいただけ、というか、その事象報告。

議論が好きなわけではない。
考え方が気になるだけで、知りたいだけだ。
貪欲にそれらの考えを吸収したいだけだ。

力を抜いて身を流れに任せれば、気づいたら2027年になってしまうような気がする。本当に。
しかし、足にかなりの力を入れて踏ん張って、踏みとどまって、垂直に生きようとしたら、
非常に力がいるかもしれない。
楽か楽じゃないか。やるかやらないか。できるかどうか。

結構「やるかやらないか」という二者択一の問いは好きだったけど、
垂直という考えからすると、ほとんど意味がない。
その意味のなさは「人は何で生まれたか」みたいな問いとほぼ同じ程度で意味がない。

やるやらないの問題以前に、すでに垂直に生きていなければ、
それらを「やる」にしても結局、全力にはなりえない。
一時の演技か、一瞬の無理(台風のような一瞬!)でしかない。
それを命令者が、号令をかけるものが、発言をするものが求めているのなら、
それでいいかもしれないが。

時間の流れという、世界政府がいて、その政府に対して反抗・対抗・抵抗というかも
しれない。でも、別に政府に抗うつもりはないのだ。
自己の存在確認、リーゾンデートルなんぞは何で分かるというのか。
おそらく、何も力まず、何も動かず、何も笑わずにいて、何もせずにいて、
自分のことが分かるようになるか。ならないだろう。
そして自分がやれることがやれるか。やれないだろう。

垂直に生きる。
時間を確保するという言葉では軽すぎる。
自分の時間を取り戻す・・・くらいでようやく近づく。
自分の時間を創造する。これが今のところ、別表現として可能な表現なところか。

闘う、戦え。

戦っていく必要がある。
それは武力や暴力や戦争では決してない。

別のフィールドで、どんどん手と足を動かして戦っていかねばならない。
例えそれが、戦う相手がいないものでも、領域でも、
自分とは戦っていく必要がある。

前の自分と今の自分との戦い。

戦いに勝つには一瞬の隙をつくことかもしれない。
一瞬の力を出すことで勝てるものかもしれない。
そこは良く分からないが、とにかく戦う姿勢が大事だ。

全力と無理は違う

全力は全ての力を出すことで、
無理は全力をさらに超えたもの。

無理とは、結局、無理したからこそ無理した結果をもたらす。
それは、いわゆる偶然の産物とほぼ同じで、
無理したがために得られることは、意外に少ない。

全力でやれば得られることは多い。
しかし、無理をする必要がないとはいわない。
ただ、無理をする全力を多用して力尽きるならば、
やはり長くはできない。それを承知でやるべきだけど。

無理は続かないというべきだろうか。
無理をするなら、まずは力をつけるべし。
その上で、全力を出せば、必ず力ついた状態で望めるはず。

無理をして、力なきものが上を目指しても、一瞬で終わるのだ。

セミのように全力で

セミが鳴いている時期だ。
精一杯鳴き、そして朽ち果てる。
階段や、道端に、セミが転がっていたりする。そんな夏の1シーン。

何を思い、何をしたいがために、
生まれてきたかという理屈はここでは必要がない。
それは非常にパワフルなものに思える。

が、信じるとか信じないとか、考えるとか考えないとか、
そういったものとは全く別なものに思えてしまう。

すべてきみに宛てた手紙


p.31にある手紙7が印象的。
それは、

 むしろそれは、刻々に過ぎさる現在をまっすぐに切断するような、性急な現在にたいして
どこまでも垂直な時間のことで、本のもつ「今」というのは、一人のわたしがそこにいると、
はっきり感じられるような時間です。


それとは、「今」「今」という時間のことですが、
ここで感じるのは、時間の流れという止められないものは、イメージとしては、
水が高いところから低い所に流れている、渓流とか、
大きな川で、結構深く足を川の中までいって、釣りをしている人とか。
何か水の流れに逆らうわけではないですけど、確実に抵抗してますね。

あういうイメージがでてきて、時の流れが流れているところで、
読書は、別次元で、水の流れという時の流れを生成し、
それを今という時間にぶつけている。だから、垂直になるかどうかは分からんですが、
とにかく、別次元で「時間」を生成しているというイメージが・・・最高です。

冷静に考えなくても、「時間」に追われる人や、「時間」がないと嘆く人は、
「読書」は贅沢な時間になるのでしょう。
それはいいとして、読書は前も本にありましたが、一読一読が全て自分の時間として
遅々(早くはいかないという意味で)としてしか認識されにくいのかもしれません。

10ページ読んで、20分なら、その20分を「メインストリーム」である「今の時間」の
20分にしてしまうか、「別次元」としての「時間」である、20分にしてしまうかで
別れてしまいそうです。

当たり前のことをいってる気がしますが、あえて。
今という時間に抗おうが、そのまま流れに乗ってどこまでも?♪だろうが、
判断は自分ですね。自分で勝ち取るというのはオカシイのですけど、
それくらいで「垂直」に一度踏ん張ってみることを、
やはり「読書」のすすめとして、言っていきたいところです。

さすが詩人というか、さすが言葉のプロというか、
垂直という概念が、今まで生まれてきて、時間についても結構考えたのだけど、
でてこなかった!くは!

垂直に時間を使う、垂直でいることに意味があるかとかの話も聞こえてきそうですが、
なんていうんでしょうか、流されているのっていやじゃないですかね?
何も考えずにっていうのがそこにあるからです。
流れながら考えるというのは、ちょっとムリだと思うので。

という意味で、このページを見るだけでも、必読の本かと。

すべてきみに宛てた手紙すべてきみに宛てた手紙
長田 弘

晶文社 2001-04
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図書館で。

小説のみを借りてみた。
微妙に罪悪感。
まだまだ、己も図書館利用初心者だな(笑)

というわけで、図書館をちょっと
行動ルーチンに入れていこうとおもいまーす。

さらに追う。

みたらし一本30円。
むー安い。味はなかなかだ。

予定通りに予定を少なくし、
このまま10月まで持っていく。
自身の管理、セルフマネジメントをほぼカン(ほぼ完璧の意)に
行い、余裕タスクをこなす。

たまっていたものがざーっと解消。

靴を直しにいったら、丁寧に教えてくれて助かった。
こういう質問はどんどんした方がいい。
知ったかぶりさんはさようなり。まあ、ケチな人もいるけどね(笑)

エミール・ガレを攻める。
ガレの作品がどーのこーの言うことはできないが、
植物が描かれたガラス花器が、丁度100年くらい経つのに、
保存されていることになんか感動してしまうま。

自転車のチューブを購入。x2。
仏式の26x2.0が前輪で、後輪が26x2.1。

チャリを漕ぐ。風になれないのが残念だが、
くそ暑い中、走ったオキナワを思い出す。沖縄じゃない。オキナワだ。
(インスパイアード 村上龍だな)
坂道を延々とあがるが、ダウンの後にまたアップ。
アップダウンの繰り返しは、チャリダーの体力を残酷に奪う。

何のために走るか。何のために働くか。何のために生きるか。
何のためにアートを観るのか。何のために何かを創るのか。

ただそれをしたいから、ただそれが好きだから。
というよりも、人はそもそも「何かをしたい生き物」ではないかと、
たこ焼き屋の看板をみたりしながら思う。

暇でやることないからというのは、「灰色のダイエットコカコーラ」に
出てくる台詞っぽいが、確かにやることがないというか、
やりたいことがないというから、暇つぶしみたいに生きていく。
なんか分かるんだなあ。本当に面白くなさそうに生きていて、
本当に実際にそういう風だって本人も思っている。
でも、やることがないって。

何かしたいっていうのは、大小あるけれど、
何かしたら?って思ってしまうことはあるわけで。
グダグダいってないので手を動かせるかどうか。

一時期、メンテナンスというところで、上にも書いた、
靴の修理みたいな話を、本のメンテとか、PCメンテとかに
展開して書いたことがあるけど、
やはり、具体的なアドバイス、実用的なそれ、加工された情報、
ダイレクトに届くリソースなどで非常に魅力的だ。

イメージとしては、自分が困っても仲間がいるから大丈夫って。
しかもその仲間は絶対に裏切らない。
裏切らないっていうと語弊があるんだけど(笑)
まあ、イメージなので。ご愛嬌。

圧倒的な強さかなと感じる。
結局、それは自分の思い込みとかそういう話ではなく、
自分が手を動かして、足を動かした結果でしかないと、
言ってしまえるわけですねえ。


メッセージをもっと投げかけていくとしよう。

高密度エネルギーを投下する

リソース投下というよりも、エネルギー、それ自体を
無編集(not editing?)のものをぶつけるか、
それとも角は手を切らないように加工するかは、
そのぶつける対象次第か。

人間関係のつながりというか、人との関係の持ち方なんて
その人のテクニックが全部表れる(テクニックというと聞こえは悪いが)
もので、じゃあ最初からガツンといくか、そうではないのか、
なんか結局そういう類のことを、人生考えていって、終わり(笑)
みたいなことをいうと、ああ、ジジクサイことになりそう。

そもそも、そういう繰り返しとループとプーチンじゃないや、
ルーチンは嫌いじゃない。1回楽しめれば、2回目以降も
全部楽しくなる要素があるわけです。これコペルニクス的発見じゃない?
ああ、また発見しちゃったよ・・・。

高密度エネルギーとは、
「賢者の石」みたいなものかなあ。
別にハガレン見る限りでは、悪用されるオチなんだけど、
そうじゃなくて、アイテムじゃなくて、結局、月並みだけど、
ふんばっていけるような仕組みを自分で考えて自分で創る、
それだけのような。仕組みなんてまどろっこしいことをいわなくても、
踏ん張り続けられるか。みたいなことなんですけどね。

それを自分だけでアレなんで、
人にぶつけていくことを意識しているわけですが、
要はこのブログもそんな流れの重要な1つだったりします。

高密度ってのは無編集なのか、加工済みなのか
結構迷いますが、まあ人に分かりやすく伝えるってことは
やっぱしたいですねえ。
でも、そうしていると自身のリソースがなくなるので、
まさにトレードオフの関係。

しかし!ここで面白いことに、
レバレッジなり、経験の蓄積で、圧倒的にトレードオフには
見えないことになるんですね。

そこが面白いから、
密度考えなくてリソースを投下して、回収ってことを
あまり考えなくても、手が勝手に投下して、足が勝手に回収しにいく。
そんな最高温度34度の室外ではなく、涼しい室内で考えたりするわけです。



ラピッドプロトタイピング in IAMAS


行ってきました。
IAMASという芸術に関することを学問している大学院での
公開講座が、OPENHOUSEになります。

狙うは「ラピットプロトタイピング」。

とりあえず雰囲気を写真でどうぞ。
ちなみに、僕らが作ったのではないです。優勝者のパスタです(笑)

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参加者は4チームに分かれて、10名弱くらいでしたか、
パスタとセロテープを用いて、どれだけ長く、机から伸ばせるかを
競います。

実際にやったことは「パスタ」と「セロテープ」で
「長くなるもの」を創った「だけ」なので、
やったことの報告は以上ですが、発見したことは
LEPIPのときと同じく結構あります。

まず、1つ目に、コミュニケーションというところで、
初対面の人がチームを組んでいるのに、あまり「ぎこちなさ」が
見られなかった点です。僕も楽しんでしまいました。
パスタで長くするだけなので、結局「頭」で考えてもしゃーない
世界です。だから、「手を動か」していって、そこで
ああ、三角形は安定するなーとか、束ねるといいなあとか、
どうしても重力で下がるからそれをどうするか。

講師からは、自然物もヒントになるかもしれない、建築物とかも
どうだろうとかいくつかヒントをもらいながらも、
あまりその話は聞かずに(笑)手を動かして、創っていきました。


2つ目の気づきとしては、
結果物が、色々な形、特徴がある5作品だったかな、になったものの、
チームが見つけたポイントを追うような印象を受けました。
例えば、重力がかかるから、引っ張るように釣れば、もっと
距離は稼げるかと考えたからこそ、ものすごい強力にパスタを束ねて、
セロテープで強度に固定したものができたりしたわけです。

僕らのチームは、ほとんどパスタ一本を使うところで、
なかなかキレイな恐竜の頭から尻尾までの曲線みたいな
きれいな曲線ができたのがすごく満足でした。距離はまあ、そこそでした。

そういう意味で、2つ目としては、試行錯誤していくところで、
結局何かを2時間という限られた時間でみつけて、
手を動かして、完成形にもっていくと。
ちなみに、完成していなかったチームはどこもありませんでした。

3つ目としては、このラピッドプロトタイピングの手法は、
もっと色々使えるんじゃないかと感じ、
それは道具としてもっと遊んでいいような気すらしました。
要は、コミュニケーションツールとして、偏愛マップとか、
マインドマップとか、GTD、ライフハック系としてもいいですけど、
とにかく使えるなあと感じました。
別にそういうことをあえて「ラピッドプロトタイプ」といわなくても、
いいんですけどね。

4つ目は、規模の大小の問題です。
パスタはだいたい30cmくらいですか、それを数本重ねた距離なら
結構すぐにものができます。長い棒を作るならなんとか。
しかし、それをもっと長くすると、僕らのチームでは1mこえると
厳しい点でしたが、距離が長くなると当初の予定とは
全然違う話になるという講師からの話にもありましたが、
ラピッドでつくっていく、いけてしまう魅力もあるものの、
結局「でかい」ものには向かないかもしれないと。
そういうデメリット的なものも見えました。
完成物がでも目の前にあるのは、すごく魅力的なんですよね。ホント。

5つ目は、パスタとセロテープ以外で面白くできないかという
僕の課題みたいなものです。
結局、擬似テーマ、例えばMBAコースでいえば、ケースメソッドに
近いものでしょうか。そういうのではなくて、実際のものでやりたい。
もちろん、パスタとセロテープは、コンピュータで何か創るというところでは
ディスプレイ上での創作行為を、実際に別の形で転化した、シミュレートした
ことにはなるんですが、それとは別に、
実際の課題・問題でやれればもっと面白くなると思ったわけです。
実際にやっているからこそ、面白いという逆算もできますけどね。
これは、テーマにもよりますけど、ものを創るというところでは、
かなり強く使える手法だなとまたまた感じたわけです。


講師は、JamesとAndreasのお二方。
勉強になりました。あざっす!!


関連リンク:
IAMAS OPEN HOUSE 2007
公開講座プログラム
IAMAS

関連リンク2:
LEPIP合宿まとめページ

哀愁的東京

重松氏の著作はこれが初。
おそらく、ビタミンFってタイトルが一番印象深いのに。

非常に面白かった。
ミュージシャンじゃないな、音楽プロデューザーのプロだから、って
台詞は響く。

主人公の進藤に、共感はないが、
ただフリーランスであり、フリーライターで、
それで絵本を1冊書いて、次の1冊がかけないという状況が
ずっと続くのだが、それには共感というか、何か分かってしまうというか
そういう感覚。

哀愁的ではなく、必ず寂しさが進藤にはある。
それは、著作である絵本に込められていて、なんで
絵本なのに寂しいのか。しかも絵本の物語は寂しい話ではないはずだから、
なんでかなと考えていると、
結局、進藤自身が、フリーライターとして過ごしていって、
色々な人、経営者、SM女王、編集者、音楽プロデューサー、大企業社員など
と接するが、全て進藤と会話しているし、そのキッカケは彼の著作である
絵本だ。

接するが、何も進藤自身の中身には触れてこない。

それは、妻、娘にも波及しているというか、そのまま延長線で、
接しているように感じる。

それは、進藤自身の寂しさが、多くの初めて会う人も、前から知っている
人も、そして妻にも娘にも、同じ状況を作り出しているようにみえる。

進藤は、本業がライターで、副業が絵本作家というが、
ライターの仕事も絵本の仕事も、それぞれ何かしら仕事の話題があるものの、
それは全てストレートに向かい合っていない。
というか、むしろ、そうできないといったほうがいいか。

何か、それは人でも、仕事でも、なんでもいいのだけど、
そこに向かっていくには、非常にエネルギーがいる。
そのエネルギーはなんか面倒だなと思ったら、「大人」として
うまく無視、濁す、誤魔化して、終わらすのだろう。
そういう上手さが、進藤にはある。その上手さは「器用」という
言葉で表現できるが、決して僕自身は好きじゃない。

哀愁があるのが東京というよりも、
進藤自身に寂しさがある。だから、東京もそうなっているだけと
読む。

ちなみに、希望とか、明日への光みたいなものは、
ラストで描かれていると思う。
が、その光は、本当に「タイムリミット」になった、
あらゆることで、やっと見えた小さな光でしかない。


あとがきで、
著者は進藤と自身を重ねているというようなことを書いているが、
非常にそれは面白いと思うので、今後も重松氏のもの読んでしまおう。
ああ、そうしよう。


哀愁的東京哀愁的東京
重松 清

角川書店 2006-12-22
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あ!

日が変わるー。
というわけで、お休みしませふ。

良い週末を皆様。

思い出す。

中村宏の作品をみてたら、
妙に汽車が出てくるなああと。
時間が押してた!ので、2Fをゆっくりみることはできなかった・・・。

汽車の煙が、黒とかの色から、赤へ、そして黄緑と
面白いように変わってます。

で、汽車があらゆるところで出てくるので、
なんで汽車かなーとか考えていたら、
自分のことを思い出すと。これぞ美術館の醍醐味なり。

昔、工作ってわけじゃないですが、図画教室的なものに
かよってました。
先生は、サングラスにパーマのなんかちょっと怖い(笑)
感じだった印象がありますが、まともに顔を覚えてない。
小さい頃って顔覚えられないんですよねー。と。

まあ、それはいいとして、新幹線の絵ばかり描いていて、
正直なところ「楽しいかどうか」というところで、
楽しくなかった気がしてて、結局やめちゃったなあと。

ああ、新幹線の絵を描くのが楽しくないのではなく、
何か生み出す、描きたくなる、創りたくなるって
そういうのが全くなかったんですね。これ本当です。

未だに実家にある、猫は、靴下っていうか、布のなかに
確か新聞紙をつめて、猫に色を塗ったんですけど、
黄緑、水色、赤、橙というフットンダ猫(笑)
そんなのがありますね。懐かしい。

新幹線の絵以外に、描きたいものがなかったというと
新幹線好き、電車好きになりそうですけど、そこまで
好きでもないんですね。でも旅といえば電車みたいな
感じはします。

で、その先生に
「新幹線ではなくほかの絵もかいてみたら」的なことを
言われて、なんかショックだったんですね。純粋無垢ですから。
怒られたというか、そもそも発想が貧困。
他に描きたいものというか、描けるものがなくて、
頭にイメージがないんですね。絵で世界がかけていない、
知っているものを単語という言葉からイメージしていく。
圧倒的に絵を描く量が少ない。ただそれだけってのもあるんでしょう。
何を描いたか忘れました。確か、特急列車だったような(笑)
さすが、俺だと今でも思いますが。

ユングでもフロイトでもないですが、
汽車は象徴的だと。銀河鉄道999なんてそんな話ですなあ。
あと、ピンクと青のなんかウサギかネコか出てくる話が
あったかと思うんですが。

ちなみに、最近みたキャラメルボックス作だった、ああ
タイトル忘れた、演じたのは別劇団ですが、
それも、幽霊として現れた人は汽車に乗って帰って行きますね。
たしか天国かな。

僕は新幹線をかきたかった。
純粋に新幹線に乗りたかったっていうのは、
大学生くらいまではありましたね。だって高価な乗り物ですしね。
まあ、学生はバスか電車かヒッチハイクか、自転車か、徒歩で、
日本を歩け!って感じですから、いいでしょう。

そして中村宏に戻るわけですが、
汽車は、SLみたいな蒸気機関車っぽいものが
ある絵には何車両も出てきます。

日常に汽車、今は列車、もしくは電車といいますが、
それらの列車はやはり、時代の流れみたいな象徴かなと。
時間の流れでもいいんですけど。時計を描くよりも、
なんか列車自体が時間とか、次元のゆがみを現す感覚って
なんかあるんですね。そりゃ時計ゆがめたらそういう風に
思えるけど、なんか違うかなあと。

例えば、すごく田園風景が広がる、「牧歌的!」な雰囲気を
車窓にみたら、その列車に乗る人々は、
時間が「スロー」になる気がします。

時間は1日24時間という客観時間と、
「ああ、このやろう。なんでこんな時間が。あなたとは
もっといっしょに・・・」なんていう主観的時間があるかと思いますが、
その場合、重要なのは主観的時間かなあとか思ったりします。

締め切りまであと3時間の場合、主観的時間なんぞ不必要ですけど、
でも、そもそも客観的時間ってそういうルールの上でしか
つまり、仕事などでしか必要がないような。
ああ、農作物育てるのとか、研究とかも・・・まあ仕事ですし。

それはいいとして、そういう列車を考えていくと、
まあ深いなあと思うわけです。

やっぱ絵はいいですね。絵絵、そうですね絵。

GTDから最近の動きの見直し

時間の有効利用、
効率化、
細切れ時間の利用、
TODOリストの使い方、
レバレッジな本読み、
メール管理、

などなど色々ありますが、まあ、それはいいとして、
GTDいう、いわゆるライフハック的な、お仕事を楽しく遊びの
要素を入れつつも、真剣にみたいな(笑)ノリが好きです。

で、そういったライフハックから
自分の動きというか、まあ見直しを。

TODOは、check*padを最近は頻繁には使用していないのですが、
要所要所で使うというところでしょう。
使用頻度が高いピークの時期に使えても、
ピークが終わったら使わなくなるってのも、
飽きなのかもしれませんね。っと、check*padは飽きないですよ。

今のところ、ざっくりいうと、
アウトプットとインプットという比率ではなく、
企画GO:企画SLEEPという大胆な比率で考えると、
2:8くらいの感じです。

企画は立ててもオネンネしてなボウヤと企画に向かって(笑)
言うわけです。GOは、GOというよりも、今までの培った力と、
その場合で、アレンジ加えつつ、そりゃ企画になるんですけど、
新しい企画!という意味合いでいえば、2:8ですね。

ああ、新規と既存で考えたほうがいいですね。
既存のものが新規に与える影響はほぼ皆無です。
例えば、既存企画を行うことで、新規企画が実行できないなど。
これは、そもそも既存企画が、アウトプット的な色合いと
インプット的な色合いとがバランスよく蓄積されていった
結果かなと感じています。

最初はそれこそ、アウトプット全開で、このやろう!って感じで
ぶつかっていくわけですから。それが新規企画のスタートアップ時期ですね。
まあ、やればできるものなんだわねえと、ヒトリゴチつつ。


いくつか、コアなネットワークというか、
熱い人々との交流も「パッション!」で走るところも
なくなってきて、これは良い意味ですよ、友人諸君!(笑)
落ち着いてきたかなあと感じています。
これは、何か新しいことをやらない、学びあわない、切磋琢磨しないとか、
そういうことじゃなくて、確実にパスを出そうと思ったら、
やはりアイツはそこにいるなって感じでしょうか。
うーん、うまい比喩。座布団3枚は軽いっすね。

ああ、きっとあいつならあそこにいるから、パス出せるなって、
安心してプレーできるわけです。
そういう関係って大事ですね。

逆にどこまで相手がそう思っているかはおいておいて、
まずは自分の姿勢が問われるだろうと。
そこらへん、キツイっていう人もいそうで笑えますね。くくく。

また、新しい人と出会いつつ、
そして、また新しいもの、知識、本、などなどと出会い、
さらに開拓をしていこうかと。
もっともっとやれると、キリがない、このスコブル!楽しい、
感覚を人々に与えつつ、そしてそれを自分が貪欲に吸収し、
己の力としていく。

最後に笑うのは自分だ、みたいなのが好きだった僕も、
最近は、自分は笑うのは当然だとしても、
皆で笑いたいなーという気持ちがでてきたりしました。

ふむ・・・。人は変わるものですなあ。

夢×挑戦ブログ挑戦報告(7月)

いやあ、暑いですね。梅雨もあけて、
ビールがくそうまい!うまい!

こないだ頂いたビールもぐびぐびっとやっちまいました(笑)

さて、そんな挑戦ブログに掲げた、カタリベカフェの夢。
順調にやっております。

課題は山ほどあるというか、なんていうのか、
自分が望まなきゃそもそも課題がないというか。

つまり、山に登ろうとしなければ、山について知ることも、
山での困難も、楽しさも分からないわけですな。

だから、疑問とか、課題とか見つけるのって、
勉強しないと分からないことがない、みたいな理屈と一緒かと。
そういえるわけですね。

粘りに粘ってという肩に力入れすぎ感もなく、
とはいってダラダラやっているわけでもなく、
惰性になるのは「挑戦」が消えた瞬間かとかちょっと思ったり、
色々な人に広めつつ、地味に地味にやっていく。
それがいいんじゃないかと考えております。

派手にやる、やれるんすかね?なら、またそれはそれで
別の形でいいようなと。

8月も9月も、そして今年も残り半年ないですから、
ふんばってやっていくところであります。

カタリベカフェってなんじゃらほいと思った、
本好きさんは、さあ、駆け込め!(笑)

そのパワーはどこにむけるべきか。

なんか前も同じこと書いた気が。若年性痴呆かもしれぬ。

例えば、怒り。
怒りはその人に向けるべきだが、大抵は愚痴や愚痴や愚痴といった
手段で、別の人に向けられる。それはなぜか「コミュニケート」の
道具としてメタ愚痴として成立してしまう。

何か嫌いな人物がいて、その人物の悪口をいいあって
集う仲間内みたいで、滅茶苦茶そういうのが嫌い。
腐っても鯛ではなく、腐ったら腐ったのだといってみたい。あ、いっちゃった。

例えば、笑い。
笑いはその場で完結すべきかというところで、
お笑い芸人の使命があるのではないかと思ったりする。あ、半分冗談ですからね。
その場で受けるなら、次もどこかで使えるかもしれぬと
引き出しにこそっとストックしておいて、次出すときは、
「そんなのあったかな??」みたいな白々しいが実はすごくスマートに、
演じて、笑わすのが、セミプロかと思われます。

例えば、仕事。
仕事のエネルギーはそこで終わるべきかどうか。
例えば、工事をして直した道はまた使われ、壊れるわけだから、
結局、工事をして終わり。では終わらないはずなんですね。
お仕事一つとっても、次があるし、なくても、何かしら未来、という
箇所とリンクするから、それだけやっておしまいという、
エネルギーが閉じる使い方はやっぱダメというか、
もったいないですね。

すごく面白いこと考えているのに、
すごくパワーがあるのに、そのパワーをうまくベクトルが向かうところが
ない。それは単に目標とかやることとかないとかじゃなくて、
なんていうか、きっとあるのに、ただ土をかぶせすぎて、
原型がみえないだけで、ちょっと土を削ったら、
なんか出てきて、わーい、ここだーいって感じで
見えてしまうような、そういう、ほんのちょっとハンドルひねるだけで、
ぐううーと高速走る車が動くように、ほんのちょっと直角方向に
押したいなーとかそういうのがありますね。

ああ、ぐうぐうです。

直観を信じる

直観。

直角ではない。ただすみじゃない。

結局その直観がNGという結果でも、
素晴らしい軌道修正をもって、脳内で「それは正しかった」ことに
なるという結果論酵素が発生する仕組みになっている。
ちなみに、直観を信じても信じなくても、
人生は同じような気がする。

ただ、ぴりっと刺激が欲しいときは、やっぱ直観。
あと感性。理屈と理論はいらないね。
今後一切不要ですとはいわないのが大人なブログ。


プロ

「君はプロか?」
「ああ、プロだが、何か?」
「それならもう一度聞くけど」
「なんだい?」
「君はプロか?」
「プロだよ。なんでまた?」
「そうか。」
「そうだよ」
「ではもう一度聞くんだけど・・・」
「何?」
「君はプロか?」
「だから、プロだってば。プロなめんなよ」

プロ最高。
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