ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2007年06月

挑戦

友人の言葉から。

男なら、山があれば、あるから登るんだ。

かっこええ。あんたカッコイイよ。


なぜ挑戦していく気持ちになったか、細かくは話せてないけど、
でもねえ、正直なところ、挑戦していない人生(日々の蓄積といったほうが分かりやすいか)に
魅力は感じないんですね。
惰性で生きて、ころころりんりんとかやってる場合じゃないっつーの(笑)

あうあう。戦いの踊りだ!

さあ、おどれ!うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

女装

最近女装をしようと思ったことがある。
コスプレイヤーを目指して、自分の変身願望を満たすためには
ぴったりちゃんこ。

下手な女より、決まった!格好をできる自信があったりする。

ああ、これで、完全に女性読者を敵に回したな(笑)
くくく。

というわけで、良い女装を!

実は逃げていたりする

結局、そういうことなのだから、
誰も何もいえなくて、誰も何も救えないみたいな
思想、考え方が存在し、それがまかり通って、確固たる地位を
築いているかどうかは分からないが、まあ通っている感じは
否めない。

やはり、馬鹿な高校生くらじゃないと、本気で何かを語る、
語るという意味も含めて、相手を感じるとか、
そういうことが無理なような気がする。実際僕自身は、
そのような人間ではなかった。要は賢かったのだと思う。
馬鹿になれていないから、ダメだったとは思わない。
しかし、それを今の高校生もしくは、大学生になりたてくらいの、
いわゆる未成年に押し付けたり、何か言うということは、
かなりおこがましいと思っていて、だから何も言わない。

でも、希望は持て、という感覚は常に別の形でいっていくつもりだ。
きっと、未来は明るい。非常にありふれた言葉だが、
友人の珍しい言葉だから、しばらくこの言葉は残っていくだろうなと、
だから、使っておく。

例えば、高校生くらいだと、別に高校生を馬鹿にしてないが、
実際には、子どもってそんなもんだろうという「想像力」の欠如ではなく、
現実への位置は、何か悩んでいて本当にどうしていいか分からないという、
大人っていうやつにもそれは別にあるけども、そういう経験値の低さは
認めるというか、事実だ。だから、未成年とかいう表現があるんよね。

高校生が自転車なりで、コンビニに乗り付けて、部活帰りか、
嬉々としながら、何か買ったり、飲んだり、食べたりって、
それって結構楽しいし、面白いんじゃないかと。
っていうくらいの日々が流れていて、いいのではないかと。
いや、それが普通ではないとか普通だとか、高校生がどーのこうのではなく、
大人もそれと変わらないというか。

仕事している意味を考えた時、誰かを好きになったことを考えた時、
何か悲しい事件、分からぬ悩みを抱えたとき、どうしようもない壁が
でてきてしまった時、もうどれも、ルーチンだ。
同じことではないが、抽象で考えると、ある現象が自分を悩ませる、
という言葉で全て表現できてしまう。できてしまうからどうだ、という
のではなく、できてしまうから、ルーチンといえる。
言葉遊びといえば、それまで。

実は逃げているのではないか、本気で何かを自分はやっているかと、
そういうことを考えると、今まで自分がこのブログで出した言葉、
実生活で語った言葉、何か偉そうに言った言葉など、
全てがものすごく恥ずかしく感じる時があるが、甘んじて、
その恥ずかしさを受け入れよう。受け入れちゃうよーん。

追い込みたいのではない、自分に素直になったときに、
それこそ深呼吸なんぞしてみたときに、自分は自分に嘘をついているのでは
ないか。本当にやっているかという問いがやってくる。
問いは圧倒的に僕を縛り付けることもないが、潜んでいて、
後から、機会があると「やあ、元気かい?」って話しかけてくる。
話しかけてくるのだけど、フレンドリーというのではなく、
無駄を省いて切り込んでくる。よけることを考えたり、逃げることを
考えるといつも切られる。そうではなく、逆に相手の刃をはじくこと、
刃を交えて止めること、いや、やつを斬る。そういった思考ではないと、
おそらく、何度も何度も斬られていく。
痛みはないが、といって、愉快なわけがない。

何で生きているのだろう。
何で飯を食っているのだろう。
何で何でと、そういうことを考えると、涙が出てきちゃう。

全ての問いは、僕が発して僕に返ってくるというより、
僕が誰かの代わりに発して、僕が応えて、誰かがそれを受け取るみたいな、
ちっと、神がかりみたいな、預言者みたいなことを感じたりする。

このブログなんてそうかもしれんなーと、手前お味噌だわよ、みたいな
感じで思ったりするからだ。

僕は生きている。
だから、君も生きよう。

1980

おお、これがケラの作品かあ・・・。
面白いぜ、OH,YEAH。

ああ、坂本龍一がYMOだったなんて、知らなかったりするような。
年がばれる。

TVの上にある、太陽の塔っぽいのは、
岡本太郎のあれか・・・。うおお。

ともさかりえは好きな方だったんだけど、
なんか悪女ってわけでもないけど、この作品では淫乱さんだけど、
なんか合わない感じで。

犬山犬子さんはいいっすね・・・。熱いなああ。

YMO聴きたい。テクノカットにでもしてくるかなあ。
でも、制服が赤いから、人民服になりますわねえ。。。狙ってるのかしらん。

手を抜くな、疾走しろ。

もういいじゃないか。

周りがなんと言おうが、たとえ間違っていたと後で
「自分」で「よく分かる」ようなことでも、
疾走するくらいで、ぶつかっていこう。

手を抜くなってことだ。

手を抜くことで、エネルギー消費は抑えられ、
疲れないかもしれないなあ。
でも、それで、何が一体良くなる方向へいくのだろう。

自分はいいわね。ただ自分だけの世界なら、
それで終了だねえ。でも、自分だけの世界なんて
あるわけねええええええええええええええええええええええ
えええええええええええええええええええええええええええ
じゃんだらりん。

最高の笑顔

ぐおああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああ
って感じで、テンションが、心臓から上がってくるんですね、ええ。

こっちも笑顔で返さなきゃ。

違うな。
明後日の方向に、笑うとするとしよう。

なに!

駅歩いてたら、「満腹旅団」のシャツ着ている人が・・・。
え、メンバーなのか。む、ファンか。

もしや、この街も旅団の手に落ちたか!

はったりははったりでしかない。

はったり は はったり でしか ない。

なぜなら、化けの皮、内面は、結構すぐ分かるから。
兆しというのは、傾向的なもの、雰囲気的なものでも
意味として通じるが、ハッタリ傾向にある、というのは
やや危険だ。ハッタリはだからハッタリでしかない。

どこまで人が考えているか分からぬが、
ハッタリをハッタリとして通してしまったら、
おそらくハッタリ可能性は減じる。

ハッタリというのは、一種の戸惑いと期待を同時に
飲み込む手法だ。

「ああ、こいつはいつもハッタリかまして、
結局できねえ。うそつき野郎だぜ!」と思われていたら、
ハッタリの意味はない。舞の海の「猫騙し」的な要素がなければダメなのだ。

「お、ハッタリきたああああああああああ。
どうっすか。何、今回は本当だった。くそう!」
となったら、しめたものだ。

こちらの発言に全てが集約され、相手の挙動を手に取るのように分かる。
心理戦ではなく、こんなのが日常飛び交うのだ。
だから、ハッタリをかましても、ハッタる、つまりハッタリに見合う、
ハッタリをしなければ、いけないということになる。

という意味で、短期的ハッタリなど意味がない。
これを本来の意味でのハッタリというかもしれない。

しかし、僕が言いたいのは、ハッタることで、
そして自分をも仮装して、ハッタるポイントまで自分を伸ばす。
そういう成長ハッタリのこと。その重要性を説くと、
80年かかるので、省略。

さて、ハッタるぜ!本当に人を張ったり、貼ったりしちゃだめん。

深呼吸の必要

長澤まさみのタイトルで観ようと思ったが、
ひなみ役の香里奈が良すぎる。むむむむ。

深呼吸の必要というタイトルの話は、
冒頭の水泳のシーンから、かなり引っ張って、
やつ(笑)が倒れた後の、元医者との会話で
出てくる。
深呼吸の意味など、とくにないが、言葉どおり「気分は変わる」
ような気がする。本当にその通りだといっていいだろう。

最後のキビを取るとき、
脱走する仲間!が戻ってくるとき、雨の中、やつを探すとき、
こういったシーンは、残念ながらかなり現実的だ。

季節バイトをこなす人々が確実に存在し、
そして意外ではなく、「チャリダー」とはその関係は深い。
チャリダーであり、フリーターであり、旅を好む人は、
この旅生活は結構心地よい。

やつは、なんで偉そうなのといわれるが、
結局、やつが仕事ができるという、仕事できる、働きマンという
視点でみても、別に文句はないだろう。あまり見ないと思うけど。

何か、心にある、から、ここにくるんだ。
そういう指摘は図星で、皆がそれぞれ何か持っている。

ひなみは、そういった風には見せない感じが出ている、
派遣で勤めているからというのは、なかなかその通りだと
思わせるが、別に派遣で勤めていて、キビとかそういうのを
狩ろうと思わない人は大勢いるだろう。

野球でというのもある。
リストカッターの彼女もいる。

小児科医師もいる。

キビ狩りという仕事において、あまり、深く、考えることは、
おそらくない。
キビをみて、考えるキビとはいえないのだ。
なんくるないさーでしかない。
そうやって、人々、いや、沖縄は乗り切ってきたかもしれない。

いや、パッチギでいう、お前らに何が分かるかの視点が、
結局あるのかもしれない。

おじいとおばあの、と、やつ(笑)は、
毎年のように、人を招いて、アルバイターを雇っているわけだ。
それは毎年のように繰り返され、また流れる。

まるで、何かの養成所でもあるし、ある種精神病院(この言葉は今は差別語か!どうなのだ!)のサナトリウムみたいかもしれない。

深呼吸。
弱い人間。
強い人間。
そして深呼吸。

そういうものが描かれた世界を見ると、
結局、深呼吸をして、明日も「なんくるないさあ」といって、
生きたくなるんだ。

50音を唱える間にインスタントラーメンは出来上がらない

不条理とは何か。そもそも、条理とは何か。

分からないことが多すぎて、圧倒的に絶望を味わうときがある。
逆に、分かることが多すぎて、何か刺激にならないときがある。

どちらかに、よいしょっと分類しようとすると、
それ自体がナンセンスになるということもある。

自分という存在を、感情をコントロールすることすら
難しいのに、他人のそれをそうするなんて
愚かなことだと思っている。

しかし、それを踏まえた上で、僕は何かやらなきゃいけないと
思うようになった。正確には、なんか、自分を評価してくれる
人は嬉しいから、イヌだから尻尾振っちゃうけどね。
思うようになった、というか、そういう姿勢だったみたいだ。

僕の生き方がそれなら、それでいいよみたいな、
別に突き放しても、投げ出してもいない、自然な口ぶりで、
僕は言えるだろう。これでいいよ。それでいいよ。

何かって何さ。それも分からない。
明日、生きることがと、大きくでても意味がない。

やっぱり、最低限、自分が小さいなと思っているところに、
いてはいけない。そして、留まっていてはいけない。
なぜか?それは自分が小さくなる、そこに収まってしまうからだ。
なーに、自分に無理しなきゃいいのさ。そこでいいのさ、それでいいのさ。

パッチギ!

うお、不覚にも泣いた。

どうやってこの朝鮮の人々の感じを出しているかがすごく
気になった。それは本当とは違うかもしれない。
でも、なんかすごくそれっぽいというか。
田舎とか都会とか、日本とか朝鮮とか、そういうのじゃなくて、
なんていうのか、それを、故郷の歌が全てを説明してくれて、
もう、分かったよ!って叫びたいくらいかな。

おもしれえ・・・。2も出てるのか出るのか。
見る見る。

冥福を。

http://www.asahi.com/national/update/0625/TKY200706250347.html

これ、前も、別の人で、日本一周かどうか忘れてたけど、
結構高齢の人で、事故ってのがあったはず。
だから、悲しいが、車には自転車は勝てない。

先達のチャリダーとして、ご冥福をお祈りします。

ちなみに、1500mレベルのトンネルは自転車にとって、地獄です。
スピード出せる若手(笑)はいいとして、歩道がないトンネルだと、
テールライトとかしっかりつけて、走らないと
ばんばんトラック、ダンプカーはとおりますよね。

いかに自転車が弱い存在か。
それで旅をするとは「馬鹿」かを証明させてくれますね。

例えば、道路があるから、いいよねーみたいな、
根本的な話はできますけど、それはまた別の話ですね。

多くの人が日本を自転車で走ってその風を味わえると
面白いですよねえ。ああ、あのチャリダーまた走ってるのかな!

県庁の星

やべえ。役人批判しているわりに役人の気持ち、
要は、主人公野村の気持ちが分かってしまったような。
にしても、織田さん役うめーなーとか、思ったり。

現場ってよく言われますけど、
現場って何すかね。

現場っすよ現場。

自分のいるところが、現場って思ったら、
全部が、現場じゃーん。

お客様の気持ちになって、お前は考えているのか。
それが圧倒的に足りてないような気がするが、
かといって、それを補充したところで、
己のレベルを下げることはない。

分かりやすさは、その敵だ。
難しいことは悪くない。簡単なことも悪くない。
誰だ、善悪つけちゃう、白黒マンは!パンダか!

自分のプライドと、現実への放棄と、
空想と、リアルのギャップと、人とのコミュニケーション。

なんか、もう、全部、面倒、くさい、といって
投げ出している人がこの瞬間にもいそうだ。

まあまて、落ち着け。
明日は明るいさ。もちろん、気休めだがな!がはは!

らしさの哲学

自分らしさみたいなことをたまーに考えると、
結局、貫く。にーどるすぴーん!みたいなことになってくる。

貫通するまで、やる。まえでキル・ビルみたいね。はあーーー。

それはいいけれど、自分らしさって、結局、
小さな灯でもあったら、それを燃やし続けるみたいなことに
収束していくかなーというのがある。
ろうそくの灯が暖かいのは、おそらく、全部が明るくならないから、
という明暗の哲学を述べることができそうだ。

ああ、どうでもいいや。

自分らしさというのが、結局貫くことなら、
貫くってことをためらって、結局、夜逃げ(笑)みたいなことしている、
自分がいたら、きっとそいつは自分を許さないだろう。

うむ。貫け!ニードルスピンって、なんだ・・。

全ての言葉が返ってきちゃったよ?

自分のことを棚上げにして、いわゆる自分に甘く人に機微氏苦を
おっと、厳しくをやってたら、
溜まってたものが、全部こっちに返ってきたよー。やべっち。

とりあえず、他人に言ってること、あんた自分でできてんの?って
リフレクションきたあ。やべええ。できてねえ。

というわけで、おとなしくする・・・わけがなく。

全ては虚構であり、現実。
虚構っていえば、筒井康隆の「残像に口紅を」でしたっけ。逆かな。

すいません、やる気なくてすいません

自分に。

刺激がたんねえええええええええええぞおおおお。
酒もってこいいいいい。

なんていうわけはなく。

刺激は待ってたら来るもんじゃねーんだよ>俺
何舞ってんだよ。いや、待つだ。このやろう、松孝子かよ。って
字が違うじゃーん。

ポジティブなくらいの自己嫌悪。
ああ、ありがとう俺。

最近言ってなかったけど、
がんばれがんばれ自分(ジ・ブンみたいな口調で)
ファイトだファイトだ己。

テンションあげっぞ、やっぞやっぞ。

一言。

てかさ、
あちいいいいいいいいいいいいいいいいいんだよ!

よし、すっきり!

飾らない人生を

何事もバランスだというのは最もだけど
しかし、適当にいつもいい感じで終わらせるのって
なんだかすごく生煮えスープ

何か飾るは悪くないけれど、
飾ることに力いれすぎて、結局自分が何もないなら
そんな人生は何だろう

意味を問う
人生の意味とか、なくてもいいとか、
そう割り切れる人は強い おそらく 意味が知りたくて
生きているっていう感じは少しはある
でも ほとんどの行為に 意味がない
あるのはその人の感性という情熱だけかもしれない

感じること
忙しいといわれるときほど、大きく深呼吸して
自分が感じるというところに出力をあわせていく
なんでそうなっているか、なんでこう思うのか、
意味を問うのじゃなくて、ただ「感じる」
そうするとぐっと体が締まる

何かに追われるように
面白いことに 人は 自分がダメになるとか
ダメになっているのを分かっているようだ
それでも そうしていくっていうのだから
結構 滑稽だ 僕もまた然り
絶対ダメだろうなあって 思っても それをやりたくなるというか
本当にダメかを 確認したいみたいなところはある
絶対ダメだろうなあという 絵が見えてしまうときがある
でもそれは ただの推測でしかないから
やっぱり 多くのことは 多くの人には言えないのが 常

感性は言葉じゃないのか。

言葉というのはぶっちゃけイメージを共有できなければ、
「駐車場」といって駐輪場をいってるのに、
「駐車場」といって、4リンの車を思い出していては、
話がまずちぐはぐだろう。これって意外にありそうな例だ。

もちろん、何か車を止めるって共有はできるから
会話に支障はほとんどないだろう。

でも、もっともっと複雑なことを言葉って可能にしている。
文法ってのもあるけど・・・接続詞で色々できるし。

という意味で、これら言葉って、感じるものじゃないかってことは
すごくいえそうな気がしてくる。

アートって何だよ、言葉はアートじゃないとか、
色々いえそうだけど、アートって思ったらアートだ。
そういって、アートが消費されるというか、アートがんだかんだになって
いくのが嫌な人もいそうだけど、
なんていうか、出し惜しみ。閉じこもりにしか聞こえんわ!

結局こそこそやってて、何か残れたやつなんていねーんだぜ。
といってみる。

言葉をもっともっとつむいでいこーっぴょん。

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枯れない心

強い心とは なんだろう
強い人とは なんだろう

そういった話は 実は 弱いところから 話すと
すごく分かりやすい

なんで分からないのではなく どこが分かるか から
話すと分かりやすいように

枯れる心って じゃあ なんだろう

簡単だ

無理している心
何かをなくしている心
何かに追われ続けている心
感じにくくなった心 ちょっと凍傷気味な心
冷たい心
疾走しない心
動かない心
遊びがない心 デザインがない心

多くの枯れる心がある それらではない心
それが 枯れない心

勇気を与える心
人を励ます心
人を大切にする心
大事にする心
暖かい心 温かい心
ほっとする心
やすらぐ心

そういう心があれば もっと 面白いんじゃないかな

単純に そう思う


ただ、それだけで。

人には 思いがけない

人の力には 思いがけない

力があって

それは どんな小さなことでも
どんな 大きなことでも

自分の ものとして 自分の 血肉にして
自分というものに 変えてしまえることだ


ただ それだけで
人は その状態を保持するということで
ずっと 生きていられる というすごい生き物だ

それが分かると 本当に 楽になる
ああ こうしてもいいんだ
そうか そうやってもいんだ

そういう発見 
そういう連続

視界がクリアになるのではなく もやもやしているところで
動じることがない この違いが 非常に重要 かなと
思ったりしちゃう

何事も分かるというのは ちょっと 怖い発想だ
分からないものは 見えないものはない
というのは 正直しんどい

逆に 分からないものはあるよ 見えないものもあるよ
でも、 分かるものはあるし 見えるものはあるよ
そういう 立場が楽だ 別にサボるわけじゃないんだけどネ

人生を 器用に生きたいか 不器用に生きたいか
同じ事を 馬鹿みたいに 同じ事を 馬鹿みたいに
同じ事を 馬鹿みたいに 同じ事を 馬鹿みたいにさ

やっていく 愚直さみたいなの 大好きだよ
だから 不器用でいい 不器用を器用にしても
やっぱ 不器用なんだね

器用な人は器用 でいい
それでいい いや ただ それだけで いいと思う

限りあるものは 美しい
女性が美しいのは 若さは きっと取り戻せないから
輝かしいのは 一瞬 ではないけれど
実際に年をとった 人の顔には 色々なものがでてくる

それは 経験であり 何を見て感じて
それが全部 表情に出てくる
これはごまかせない のに ごまかそうとする人の
なんておおいことか 

ただ それだけで ずっと楽になれる
ただ 1日を 精一杯生きる というだけでネ

自分に嘘をつかないだけで
自分のことを言うだけで
人を信じるということをするだけで
何かを創り上げるということだけで

ただそれだけで きっと哀しさも
苦しさも 嬉しさも ただそれだけで
何か 吹っ飛んで しまうかもしれない

ただ それだけで ただ それだけを

本質的コミュニケーション

ということは、本質的ではない、コミュニケーションがあるということだ。
例えば、社交辞令。

が、この社交辞令悪いとは思わない。むしろ、潤滑油的に使うのが、
大人で、かっこいい。むしろ、使えない方がカッコワルイ。
なんて思ったりすることがあるくらいだ。

例えば、誘いたくない人も誘うとか。
これは嘘ではない。誘うというアクションは大切だ。
なんていうか、偽善でもない。自分に正直であれ。社交な辞令だ。
不快になるならやめればいいというところだ。

本質的コミュニケーションとは何か。
簡単にはいえないが、素でいえるとか、相手が信頼できていて、
こういうこといっても大丈夫、自分の弱いところいっても、
大丈夫だってそういう感覚かしら。

昔、多分このブログにも書いただろう、
コミュニケーションが深くなってくると、それって
ある限られた人数、本当に数人しか、できなくて、
それ以外はありえんとか思ってたりした。
が、それは間違いだった。母ちゃんごめんよ(笑)
そうではなくて、それはどんどん増える。ただ正比例で増えるだけ。
質とか、量とか関係ないのだ。

蓄積されたものは、それがとくに自分の脳内にあるものなら、
それだけすごく強みになる。また人との関係はそれだけ
強固になる。ただそれだけ。

まさかこんな人はいないだろうか。
お前は多くの語れる人間がいていいな。俺にはいないよとか。
私にはそんな人はいないよとか。お前が運がいいとか。
周りに恵まれているとか。

ふざけんじゃねええええええ。

腐るほど、合わない人間とあって、つまらない会話があって、
ダメな経験があって、泣くまでもいかなくても、挫折とか、
失敗とか、うまくいかないとか、んなこといくらでもあるわ、ぼけが!

他人の芝の青いところだけみやがって。
他人の芝は青く見えるだけで実際に青いかどうか分からんではないか。
また、本当に芝かどうかすら怪しい。実は蜃気楼かもしれない。
もしかしたら、それは本当は自分の庭かもしれないぞ。

他人のいいところばっかみて、自分はそうではなく、
自分は他人ではないといって、嘆く人は結局そこまでだ。
誰もそうなれとか、そういう性格であれとか、
誰も言ってないじゃん。誰も窮屈に、ダメだなーって思える人生を
送れなんていってないじゃん。

本当に誰も言ってないんだよ。
なのに、そうなんで思うんだろう。不思議なのはこっちのほうでい!

騙されるな。
自分が苦しいオンリーではないってことを。
じゃあ自分が苦しいってやつはどうするかって?
他人が・・・という視点を捨てることかな。
自分がどう思うか。そういうところに話は結局戻ってくる。

自分がどうしたいか。それに率直になれ。

雨の日に歩く歩く

梅雨です。
皆さんお変わりないでしょうか。

蒸し暑いというのは、不快ですけれど、
汗をかいて、運動をするというのは快感です。

歩く。
ただ歩く。

ウォーキニストを自称するから
さあ、雨の日も100kmほど歩いてきます。100mじゃなくて?

ええ、まあ軽い冗談ですがががSP。

ぶーん。

シュルレアリスムとは何か

3部構成。講演の起こし。

話し言葉なので分かりやすいけれど、
ただ、若干最後の方は飽きてきたというか、
ヨーロッパの世界史とかの話が出てきたので、
ついていけず。世界史好きで、ギリシアとか大好きなんだけど、
なんていうか、書名と人物が多すぎで、注釈が多いですねえ。
親切設計ですが、読みきるって感じを与えてくれなかった。

のが、逆にいいんですけどね。

それ以外は良い本だと思いました。
何をもってか?

まず、シュルレアリスムという言葉の著者の考えが、
書かれています。シュルなレアリスムということで、
シュールというよく使われる言葉との違いを述べています。
超現実主義というのが正しい日本語訳になるそうで、
超えたというのは、現実ではないという意味ではなく、
結局連続性というものがあるのだよ、明智君!がはは!とはいってないですが、現実と超現実は連続しているよーみたいなことが書かれていて、
どっかで聞いたようなデジャブ感を残しつつ。

メルヘン、ユートピアとさらに2つの話が続いて、3話で構成されています。

シブタツもそうですが、日本のシュルレアリスムは結構追うと
面白そうですね。たまたま日経でもシュルレアリスム特集を、
なんかやってて、良い感じのグーゼンセイですねえ。

あと、サドとか、ランボーとか、色々でてきて、
おお・・・シュル熱いなあって感じが伝わってきますね。

人を追うって前エントリあげましたけど、人を追うのって
滅茶苦茶楽しいですね。デカじゃなくて、その人の思考とか、
そういうのを考えるのですけど、まあ本物の刑事も同じことしてそうだから、同じか。

印象に残ったところを。
p.45あたりで、ランボーの話がでていて
表現者というか、詩の作り手が自分の主観ではなくて、
誰かの代弁みたいなことを説明してます。
これ、かなり分かるんですけど、僕も全て自分の主観が
自分の文章に表れているかというと、なんか謎なんですよね。
ある種後ろからナイフ突きつけられて(笑)書かされているというのは
まあ冗談ですけど、主観が全部すくえているわけはないと、
すくってもすくっても、水漏れみたいな、そういう感じがむなしいのではなく、あるからこそ、書くってのはありますよね。んだ。

だから、何か創る人とか、表現するって人は、
絶対主観だけで勝負できないというか・・・。客観性があって、
電波入っちゃいましたーって言葉になるのかもしれないけど、
それには、自分の意志ではない、コントロールできない何かが
絶対含まれていると思ってますと。

例えばそれがなければ、全部ある種のひょうげんで全て等価になるから、
もう誰も何も表現しないようなって理屈になるんですね。
例えば、アルファナベータってイメージがあって、それが何か分からんと。
そういうイメージを、例えば絵を描いて伝える、表現してみたと。
そうしたら、アルファナベータダダダみたいになって、
ずれるんですねえ。きっと。

コミュニケーション好きな人だと分かりやすいと思いますけど、
自分の意志と相手のキャッチするメッセージが、一致しないのって、
普通にあるから、そこらへんの話かもしれませんね。

シュルコミュニケーションとかって流行るような。
まあ、シュルといってる時点で、ぞくぞくしますけどね。

p.108あたりの子どもの不在の話。
これは、最近まいるさんがあげてくれた話とほぼビンゴ。
要は、子どもって概念がなかった。。。という話です。
そうなると、今いっている「子どもの・・・」という言葉も、
昔はなかったということになる。
これは非常に面白いので、友人にもアウトプッティングしたんですけど、
なんか微妙な反応だったので、もう言わないことにします(笑)

シュルレアリスムは、文学も、哲学も、美術も、
全部含んでいそうで、僕の志向というか、好みにぴったりですね。
学際っていうとおかしいんですけど、色々な影響を与えて、
そして、目に見えるシュルレアリスムな絵は
一見何が書いてあるか分からない。

現実的ではないものを目指したわけでは決してなく、
客観視して、現実に超近づけるってそういう意図があった。
それは非常に面白い試みであると、僕は感じるんですね。

今年の最大の収穫な予感。半年を終えそうなところで
出会えたシュルに興奮!

ナイス岡崎美術館です。ぐっじょぶ!


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書き続けてあげる

中毒性とは何か。
活字中毒とはよくきくが、
ブログ中毒とは何かというと、何度も毎日更新される、
このブログのようなものかもしれない。

うはは。

が、もし気にかけている人がいつならあんずるなかれ。

アウトプットはインプットがなければそもそも前提として
出来ない。膨大なアウトプットは膨大なインプットがすぐ裏に
恥ずかしがりやさんみたいに隠れているのよね。コバンザメ戦法。

一人の裏に10人は少なくともいると思っている。
マーケティングではないけれど、きっとそうだと思っている。
その人の物理距離、キッカケ、ありとあらゆるところで、
そういうものは蓄えられるなり(評価がいいとそうなるが、悪いと減点になるか)していって、話すという機会が生まれる。

話していってお互いが興味深いところがあれば、
よくもわるくも関係が生まれる。きっと葬儀にくらいはきてくれる(なんてたとえだ!)

夜があけるのが怖い。
そういう人はいるような気がする。

外に出るのが怖い。
きっとそういう人も読んでいるような気がする。

病的な人間というのは、悪い意味ではなく、なんらかの欠点、弱点、
弱いところなんて誰でも持っている。
それを受け入れられるか。客観視できるか。
なんて自分は馬鹿なんだといえるか。

そこんところの確認という作業に人生を全部使い切る価値は・・・
きっとあるようにも思える。

誰のために、何のために、どうして、なんで、
それらの全ての問いは僕の行為でも答えられない。
すでに、理屈じゃない世界に足を踏み入れている。
書いて描いてかきまくる。

きっと、これらは、僕の財産にもなるし、遺産にもなるし、
色々な付加価値を与えることはできるだろう。
まあそうなるように書くわけではないけれど。

偽善という言葉に敏感に反応し、
正義とかそういう「正しさ」とか嫌悪して、
思想とかそういうのも馬鹿らしくて、
世の中を舐めていたり、あほとか知ったかぶり、悟ったふりをしてたけど、
そういうものはガラガラ崩れていって、
もっと別のところというか、そういう冷たい温度の水じゃなくて、
暖かい、ときには熱い!ってくらいの水もあるんだって、
分かったとき、崩れたものがきっと良かったんだって、
誇り高き、プライドとか持ってて、それが良かったんだって、
今となっては・・・というのはあるけど、プラスに捉えられる。

そういう感覚がきっといいのだと。

夜だから書くのではない。
朝でも書くよ。

きっと 僕を好きだと 普通に感じてくれる人のために。

嫌いなやつは読むんじゃねー!(笑)

限りアル現実

限りあると、鍵リアルをかけている。座布団1枚。
だって意味がないから。

限りがない現実を生きている人には切迫感というか、
緊張感というか、有限感みたいなものがなさそうにみえる。

限りある現実を生きている人のほうが、なんかはかないけど、
なにか懸命さがあって、生きているって感じがする。

有限と、生き方は無関係?んなことないだろうと。

ふっトンダ、変わったことをやっていくということに
魅力を感じているから、楽に楽にーみたいな考えが嫌いだ。
もちろん、楽をするのが悪いわけじゃなくて、
ああ、説明面倒だから省略。おお、久しぶりに省略したな、このやろう。

それはいいとして、虚無感っていうか、
学習性無気力みたいなのがあるとしたら、
結局、何をしても社会は、人は、自分は変われないみたいな、
そういうのはあるんだろうなーというのはある。ちなみに僕はそれはない。

何か動けば何か得られるし、人は変わるし、変えられないことも多いけど、
きっと何かが変わると思っている。
それを人は希望とか、ポジティブシンキングとか、プラス野郎(笑)とか、
悩みがない系と捉えるらしいが、
結局、ぶっちゃけてしまえば、それは上っ面に過ぎないわけで。

世に出てくる、名前が知れた人ほど、絶望を知っていて、
そういう人は深い「愛」がある。だから、ちょっとやそっとのことでは、
怒らない(それは貫禄という言葉になりやすいが、やや今の話からすると
異なるか)とか、じっと見守ってくれるとか。まあ、まあ、そういう人物像。

だから、そこで問えるかどうかなんだ。
自分が本当にマイナス思考なのかとか、なんでプラス思考になれるか、
自分が把握できないから問うても無駄とか、
そういうのはあるような気はする。

でも、それらも虚無感の中にいるわけで、
なんというか、圧倒的な明るさとか、プラス感覚で、
フットバスくらいに(foot+bathと、吹っ飛ばすのだじゃれ。尾も知れ!)考えないと、ダメなのかしらんと思える。

正論を吐いている自分が嫌になることがあるが、
嘘をいっても、その嘘で人を傷つけようということを
なぜかできない人間になってしまった。多分それが自分に跳ね返ってくるから、
そういわなくなった・・・訓練されたのだろう・・・のだろう。

ある種の人格、性格とか、そういうのって、今しかみないけど、
それが出来た過程を話せると非常に面白いところ。

ほら、人に興味ないって人ほど人に興味ある系(笑)な話。
人辞めましたって言葉ほど怖い言葉はないっすね。

えっと、そろそろ人、再開しますか?

キャッチにどうぞ。

空と青と希望と自転車と。

空は希望だと思う。
青も希望の色だと思う。
希望の色は黄色というのがなぜかある。オレンジは違う。太陽系か。
自転車も希望だと思う。多分絶望の自転車って、乗ったらのろわれるとか。(こえーよ

青系の服は似合わないので着ないが、青は好きな方だ。
空が青い。スカイブルーってよくいったもので、空色ってでも、青かなり薄めている気がする。日本人感か。

まとめて書いちゃうと、
飲み物を買うときに、何があるかなと棚をみたりするわけで、
その時何か、その今日という日を選んでいる気がする。

もちろん何が飲みたいかでもあるけど、水なら水っぽく(おぃおぃ
新しいやつのむなら、挑戦っぽく、
シンプルにお茶ならそれでいくみたいな。

その日の気分を何かモノに与えられると非常に楽なような気がする。
表情というのがそれを表すから別にいらんといえばいらんのだが、
そういう話でもない。

気分って大事で、乗らないときに無理矢理のせるのは、
好きじゃない。でも、時にそれが必要なこともあるから、
それはまさに偶然の産物になるか。

キレイな青を塗った自転車が街を何台も走ると、
それを見た人も、走る人も、何か気分が良くなる気がする。
別に何かの教えとかを広めたいわけじゃなくて(笑)

青は嫌いって人いるかもしれないから、
その人には色眼鏡でもかけてもらいますかー。ニコニコ。

沈黙と空白

沈黙は会話の無空間。
空白は履歴書の経歴欄のそれ。

常に何かをやっていなければならないという考えは嫌いだ。
強迫観念といって病的だといってしまうが、
ブランク、空白は、その人の度量の現れではないかしらんと
思ったりする。

だから、忙しいという人ほど、そのブランクを大切にしていて、
むしろ全てが逆というか、そういう感覚すらある。

自分がすごく頑張っていて、もう最高で完璧だって思って、
日々満足している人は、必ず空白があると思っている。

全てぎっちり詰め込んでそれをこなすだけーというのは、
なんていうかな、予定馬鹿というか、そんな気もする。
全くそういう考えが分からない人もいるが、まあナンデモござれ。

偶然というものを楽しむというか、意外性とか、そういうのかなあ、
そういうのって楽しめないと非常にカリカリした人になっちゃうよね?って、
ゆる?りといきまーしょうねえ。って感じはしますね。

沈黙も同様。
親しい人ほど、沈黙が多い気がする。
要は、黙って呼吸なり、飯なり、飲むなり、何かを
合わせるって時間だったり、単純な間だったり、
そういうのってすごーく大事で、やっぱり沈黙は好きだ。

事象の逆となるものに引かれる。メジャーになったら負けみたいな、
面白い考えを持っている(笑)天邪鬼だと思われたら、
逆に素直になるというのは、おそらく最高の天邪鬼か、最高の素直か。
この問題は深いのでR。

引きこもりをしていて、7年間のブランクがある人って、
そんなにダメなんだろうか。僕には分からない。
何が分からないかというのは、その人が実際に7年引きこもっていたとしても、
それはそれで事実なら、しょうがない。
人に誇らしげに言うことでもないだろうけど、かといって、
それが一体なんなのかと、全く関係なさそうな僕が怒りたいというか、
そういう感覚がある。なんていうか、普通面しやがって(笑)という
被害者面をなぜか僕が代替して、発言者に悪態をつくのだ。
かなり変わったゲームかな。

過去は実績という意味で大事だが、
果たして、新参者、新人、という人にはその初期の頃は、
全く何もないわけだ。そういう人をどう見るんだみたいなのと
一緒に思える。引きこもりしてきた人がというのも同じに見える。

何々?引きこもりなやつと、一緒にするんじゃないって?

本質は、現在を見ることじゃないか。
未来は。

犯罪者の再発性を考えると、「前科モノ」と呼ばれる人に、
近づくことはできないかもしれない。怖いからね。
だからといって、前科があるから、その人を差別するというのは、
ありえないだろう。といっておきながら、逃げていそうだが、これは愛嬌だ。ぐふふ。

衝動とかは、やっぱ馬鹿さに昇華して消化させるものかしらん。
暴力とかに昇華させちゃいかんあるね。

沈黙が怖いのは、相手のことを知らないという前提(前提という言葉はおかしいけれど)があるからだと感じる。
何されるか、何を思われているか、という相手からの視点が
大きく自分の思考に入るから、気になるかなあと。

そういう意味で、僕は鈍感ちゃんだわ。うきょきょ。

ボンボン

http://www.bombon-movie.com/

ネタバレますよ。

ふむう。
ついてないおじさんとは思わなくて、
人の一生ってこんなものかしらんとか思ったりした。

風と砂の大地は、南米というよりも、
外国、とくに何もないという感じを思い起こさせる。

ドゴが確かに結果的にラッキーを蒔いたのかもしれないけど、
なんていうんだろう、おじさんって、
ドゴがいなくても・・・娘の家で肩身狭い思いをして、
暮らしていけて・・・なかったのか。

ナイフは売れないが、スタンドで仕事をして、お金稼いで、
仲間と語って、遊んで、・・・。

くくっちまうことができる。
人の人生は、平坦でも、平凡でもないのに、言葉は
言葉ってやつは(笑)
くくっちまえるんだ。嘘でも、真実でも。それに意味はほとんどない。
ただの整理でしかない。整理とともに概念が消えるのは、
言葉に敏感な人ならきっと知っている既成事実なりなり。

ボンボンって金持ちの坊ちゃんではないっすね。

映画はいいっすね。ああ、体内に眠るラテンの血が!
うきょきょ。

君と目があった瞬間から

そう始まっていたのです。

僕は君の手を取り、かごにいれ、レジに進んだよ。
そしてフタをあけ、我慢できずに食べてしまったよ。

その名も「コーラフロート」

うめええええ。

最後に解けた氷を流し込んだら、
きたああああ。頭にキンキンきたあああああああああ。
きたきたきたああ。

しかも100円ではなく、87円くらい。安い!100円アイスが安いって、
なんか幸せだ・・・。
ああ、コーラフロートを推進する会でもすすめるかなあ。
オレンジフロートは・・・結構微妙っすよね。メロンフロートは、
クリームソーダがうまい。

コメダの長靴クリームソーダが懐かしい。

働きマン

アニメみたぜ、このやろう。

一番良かったのは、シンジの仕事の話かなあ。
ゼネコンで、現場監督やってる回。

いい職人はすげー人にしかついていかないとかって、
やはりその通りで、人間的魅力とか、あらゆる魅力(才能とか仕事できるとかでもいいし)が何かしらないと、人はついていかない。

ああ、こいつはやってくれんだろうという感覚は、
信頼とかって言葉に代替しちゃうけど、そんな「分かりやすい」ものじゃなくて、
年月とコミュニケーション、何を成果としてできたか、win-winでできたか、
色々なてんこ盛りなくらいそういうことがあって、
何か目安とか基準とかそういうものは「いい職人がすげー人についていく」
ってことには言えない。
いわゆる、定性的なお話なりなり。

目の前の仕事をしっかりやれるかどうかは、
実は目の前に集中しているから、イコール目の前のことしか考えてない、
というのとは若干違う。
目の前の仕事に集中できるというのは、その先の「絵が描けている」状態だと思っている。
そうではないと、目の前の仕事をすることが不安で不安で仕方がなくて、
何をやってんだろう???という?マークが10個くらい、1000個でもいいけど、?x1000ね、な状態になってしまう。

なんでその仕事をやるのかなんて、意味が常にあるかどうかは分からん。
しかし、些細でも、小さくても、どういうことになるかとか、
どういう視点、観点、立場で見られるかは、頭に入れることがないと、
おそらく、不安の突破、不安との付き合いなぞはできない。

仕事超楽しいいいいいいいいいいい。

って妙なテンションでいえること。

言い続ける必要はないぜ。
ただ、その瞬間がなくて、仕事を辞めちまうのは、
やっぱ問題だな。それは指導者としても、教育者としても、そうだし、
そこで感じられなかった人にもとって、lose-loseの関係だ。負けって意味ではない。

さあ、働くか(おぉ

気になるのではなく、気にしすぎ。

といいたくなることがあったりすることがあるが、
自信ではなく、自信過剰。
気にかけるではなく、気にしすぎ。

そういう感覚は人によって違うから、
自分が思っているもの以上、以下になるのが当たり前だのクラッカー。
思っているものが何のブレもなくそのまま相手も思っているなんぞ、
ありえんどうまめ。

さて、がーっと調べ物、がーっとやってしまうま。

愛し愛されること

気づいたらといってても意識してたのだけど、
4000エントリを突破した。

1円鳥(エントリ)の重さ軽さはこの際問わない。

昔お世話になった人、もう会うことはできないし、
会ったらとりあえず謝るのだが(笑)、その人の言葉は、
なんでも「1000」くらいやると、違ってくるかなーみたいなことを
いっていて。
100本ノックではなく、1000本ノック。
100記事ではなく、1000記事。

1000を超えると、もう、2000も3000も変わらないというか、
ある種、それをやらないと分からないみたいな、
そういう感覚がある。ちなみに、この口調、偉そうだなーと
思ったらおそらく、1000は無理だろう。

で、問題は質だが、量はもういいだろうとか思うので、
自分としては感じること、皮肉りたいこと、叫び!とジョーク、
しかもたまに鋭い指摘あり(ってなんかアホみたいな自画自賛だぜ!)、
で、読者は上手いブログだとか思ってるだろうと勝手に思ってるけど、
そういうことをいうと、議論系(笑)(これは考えを明確にうってきて、
さらに参考文献やブログ記事へのTBなどもきっちりやってくるタイプを全部こう呼びます。ちなみに、このブログは議論系ではなく、緩やかさん系です)
のブログだと、まだまだだなーみたいな反応のような。
ま、それはブログに限りませんね。

4000だからどーだかはありませんが、
コメントはちなみに996なんで、1/4はコメントついているんですねーって
そんな平均は全然あてにならないっすね。
1つのもので、がーとやるのもあればないのもある。
それに一喜一憂は本当のところ、ほとんどないんですが、
コメントあると嬉しいですよね。やっぱり、この嬉しさみたいなものは、
ブログやってる、書いている人しか分からんですね。

ちょっと思ったのは、そろそろ、自分の言葉を、
どんどん投げていこうかなーとか思ってて、
それをどういう形にするかは、おいておいて、
もっともっと自分を出して、それは自己表現という言葉ではなく、
自己を表現しているようで、実は読者・見る人が表現しているからなんだよ、
みたいなことをやりたいですね。参加型ワークショップとか、そういうのじゃないですね。多分ですけどね。

自分の想いって、リフレクションする。要は反射ですね。
相手を好きなら、相手が好きな可能性は考えるけど、
相手を嫌いなら、相手を好きになる可能性はなぜか絶望的に低くなる。

つまり、意思。意志?でしかなくて、
表現とかそういうことじゃなくて、何を言っていきたいか、狙いはなにか、
訴えたいものはなにかって、「言葉」ではなく、
感じるもので、伝えていくことってもっともっともっとできるんじゃないかと、
そういうことを「言葉」「文字」を「理屈」ではなくて、
感じるってところでできるような自信というか、
感じがでてきました。

これは、ブログ続けていることとか、
もう本当色々なこととリンクしちゃってるからいえるんですけど、
いいですよねーこうやっていえる場があるのは。わーい。


言葉を愛する人は、それがカッコイイですね。

なんでそこまでやるの!

苦しいと想った瞬間とか

ああ なんでこんなことしてんだよ! とか

そう感じた瞬間

何か自分と 同じ過ち
または 似たような失敗
または 感じたこと 意見が似ているときとか

そういうとき 苦しさが 喜びに 昇華する

ああ あなたも そうなんだね

そういう 状況が 灰色の時

ぼくは ニコリ としないまでも

わざわざ 愚痴みたいな どうでもいい 悲劇を演じる

ことは ほとんど 脳内から 消えてしまった

ある日突然 かもしれないし
ある日突然 ではないかもしれない

下らない 喜劇でもなく
どうでもいい 悲劇でもない

現実を生きる という演技は

苦しいときに ニコリと 笑うことだ

それは 余裕かもしれない
ただの つよりがりかも
取るに足らない 泡のような プライドかもしれない

でも 笑うんだ 笑うんだよ
笑う ただ 笑う

そこまで 僕が できるのは
なぜなのか
そこまで 僕が 笑うのは
どうしてなのか

現実という刺激を 肌で感じ
社会というテントの 中で生き
生という楽しさを 泳いでいれば

笑うこと 徹底的にやること 楽しむこと

といったことが 自ずと分かって
しまうんだな

僕の目の前には
きっときっと すでにそういうことが
分かっている人しか 
きっときっと すでにそういうことを
感じている人しか
表れない

これは 運命でも なく
ただの 考えでも なく
本当に そうなっている

そうなりたい人も いるかもしれないけれど
これは 方法論 でも
やり方 でも
ありとあらゆる 手段でも
そして お金でも
叶わない ものなのだ

最高の幸せって なんだい?
っていうそのとき その幸せの瞬間のこと

くらいの程度で 叶わない


一杯あるんだよ
そういう刺激も 面白い感覚も
面白い人も 熱も エネルギーも パワーも
本当に一杯 あるんだよ 本当にね

出し惜しみ なんてできない
それは 社会が うんぬん ではなく
自分が 吸収したい 消化したい もっと知りたい
ときには どんどん 話していく 離していく 放していく

そうしないと 僕は学ぶことが さらなる刺激を
得ることが できないんだよ

全く見ている 世界が違うんだ
そう想ったら 自分を変えていくしかない

そうじゃないかな

誰に何か文句を 言うわけでもない
一人の力で 全部やっているという 妙な強がりでもない

肩肘はらない けれど ふんばりすぎない
けれど 余裕+適度 な 何かいやらしいものも 感じない

そういうところにいると
本質的な もの
以外が 本当に 小さくみえて

夜に 懐中電灯をもって 照らす
そこは明るくなって 見える

そんなふうに 本質が ぱっと明るくなる
だから そこに行けばいい 見ればいい

ただそれだけなんだよ

なんで そこまで やるのって
それはただ そう見えているだけなんだって

それで 分かるかな
分かってくれなくても いいんだよ




風呂鵜苦


FLOQ(ふろーく)なるものが、最近ドリコミアン(ドリコムユーザの通称、今付けた)で、あるらしいが、というか、いきなり出てきたというのが、
ドリコミアン的見解だが!

で、これ、色々多機能でつけれるパーツらしい・・・。
うーん・・・という感じ。

色々ブログパーツはあるけど、本質的に、暇つぶしみたいに
見える。そんな風に作ってなくてもね。創作者に対するリスペクトを?
なんて木端微塵だ。

まあ、それはいいとして、
ブログパーツって楽しいよねーみたいな人を
今まで見たことがないなあ・・・。

といって、このブログには、結構ベタベタはってるけど、
一番あれなのは、
フロー苦で「ブログコミュニケーション」とかを謳うところだ。

どうでもいいと思っているところにあえて突っ込むと、というところで
実はどうでもよくないと思っているのだけど、
私もフロークやってますからコミュニケートするとか、
なんか機能をつかって・・・ってことになるんだろうけど、
それはなんかブログのコメントとかが機能してないから、
その代替?みたいなことなのかしらん。

ブログでコミュニケーションって、
Webリテラシーなのかしらね。掲示板というか、
なんていうんだろう。

てか、とりあえず、外でも一周走ってきたら?
みたいな、提案を、たまーにいいたくなることがあるけど、
そんなことはめったに言わないなあ。
その人のことを想わないと無理だ。
どうでもいいから、何も言わないってのもある。

人は難しいもの。とくに自分。

さようなら、ふろーく。そろそろ広告から消えても・・・。
いいと思っています。
別にソニーにうらみはないですよー。ぐへへ。

パワーをどこに投下するか

なんか前も同じタイトル書いたかなあ・・・。

シュルレアリスムは、客観というのがでかい。
普通、何か創造的っていうものは、個人の才能とか、感性だって
そういうものだって、思ってた。
例えば、一枚のハッパ(大麻とかではない)の絵は、
僕しかかけない可能性が高いから。

しかし、シュルなレアリスムは、そういうことでもなく、
例えば、宇宙人がいて、脳内を操作していて、こういうメッセージを
届けるのだーといって、それを絵にしているとか。
これを電波をキャッチしたという表現(かなり悪い表現だろうが)でも
いっていいような気がする。

それくらいの感覚で、主観が混じってない、
つまり、客観なのだけど、
ところが、精神異常!というところで、それらは片付けられやすいか。
という意味で、吹っ飛んだ人やおかしな考え(何をもっておかしいかは、
状況によるというのが大人か!)の人は、
ギリギリなところで生きているようにも見える。
一歩はずせば・・・。綱渡りか。

だから、ある人の描いた絵が、その人の作品になるってのは
当たり前のようだけど、その実、その人は自分が描いてないというか、
そういう感覚になる。これは宗教っぽいが、
そういう感覚と、美術との違いが僕には分からない。
おそらく、シュルレアリスムにおいて、哲学、文学、美術、
なんでも結びつく・・・。

自動記述は、文学であり、小説家はおそらく話を作るのが
得意なのではなく、話が作れてしまう人なような気がする。ここポイントか。
得意という認識は、おそらく主観レベルのそれと客観レベルのそれは
一致してない気がする。

もっと簡単にいえば、
僕はそれ得意だよーっていう場合、その僕の得意という感覚と、
それを聞いた人が得意だよーっていう感覚はずれるし、
(これは言語学のソフィシエとかの話かもーしれん)
そうではなくても、
一人で、自分が得意って感じるものと、得意っていうものが
ずれるっていうギャップかしら。

それは行動できても、言語化できないとか、
言えても行動できないとか(笑)

そういう感覚か。常にずれがある。ラグ イズ ヒアーだ。

で、パワーというのは、力でもいいし、こういうことをしたいって
エネルギーでもいい。
それって人にはそんなにないものだから、狙いがあったら、
そこにどんどんやっていけばいいのではないかと思ったりするし、
そうして欲しい。

なんでか?
そうすればどんどん社会が面白くなっていくし、
結局損得の話かよってことになるかもしれないけど、
僕が一番面白いからかな。

というわけで、睡眠にパワーを投下!
そうきたか!ぐんない!

明日に体をゆだねながら

明けない夜はない
明日が きっとくる って話はよく 聞く

いじめ が 辛いから 口に出せなくて
相談に できないってのが そもそも問題で
いえる人間 相談できる人間は
そもそも 問題とすべき人 にはならない

救うべき というと 大袈裟なのだけど
きっと多くの 手が届かない そういう人が
手を挙げて 助けてくれって いってるかは
分からないんだ

でも 隣で 泣き出した 人がいたら
どうしたんですか どうかしたんですか
そうやって 声をかけられる 関係じゃなくて
そういう社会が そんな社会が 楽しいと思う

それは地縁 村社会 都市とか
そういうのは あまり関係なくて
もっともっと 明日に 自分という身を
傾けて いくってことなんじゃないか って

そんなことを 考えたら
すごくすごく 毎日が 辛い人が
すごくすごく 楽になって
すごくすごく 体が浮く感じで
すごくすごく 思わず踊りたくなる
そんなふうに なる気がする

あなたが 高いところを 目指さないなら
僕が代わりに ってのはおかしいのだけど
僕が目指すよ

あなたが 低いところに 居続けようとするなら
僕は 高いところに居続けよう とするよ

あなたが 見える今日に こだわるなら
僕は 見えない明日に こだわるよ

君が見えない ものを
ぼくのこの手で 見せることができなくても
拡大するルーペのような そんな道具が
貸してあげられたら
いいなって 思うんだよ

現実の糖度

タイトルをみて、「ははーん、現実は甘いかどうかって話だな」
って思った人は、かなりこのブログを読んでいる。できるな、お主!

それはちょっとかするけど、今回は別。

現実は厳しいという言葉は、想定していたものとか、
理想的な世界とか、状況とか、その通りとか、ほぼその通りに
いかなかったときに、吐かれやすい台詞だ。と思われる。

では逆に、その人の理想的な状況とは?
これが意外にないのではないかとか、
もっといえば、そもそも「そこまでの世界」がないのに、
現実は厳しいということか。

ここでいう現実は厳しいとは、本当にその通り感じた時、
だから、そう思ってそういった場合の話なのだけど、
その場合に、どういう現実を描いて、どういう世界を別現実として
描いたかが気になる。

で、
現実を甘く見積もっているひとは、厳しさをより感じるし、
厳しく見積もる人は、ほとんど厳しさを感じない。

これは心理学で、嫌い→好きか、好き→嫌いの
パタンかと思っているのだけど、
最初からうまくいかない、だめだ!ってことじゃなくて、
うまくいくって基本ポリシーはあるけど、でも、そこをあえて、
本当か?本当か?本当か?と5回メラミを唱えるように、
問う。問え。問えええええええ!

そういう感覚なんだけど、
これはどうも「一般的に」厳しい見方になるようだ。って、
そう思わない人は、おそらく・・・お主できるな!だ。

相対的だ。
ある現象で、厳しいと思う人がいれば、そうは思わない人もいるって
単純な話にもできる。
あと、キャパシティーの問題もある。
自分の現在地を確認できてないのに、キャパシティーなど増えるものか。
また、成長などできるものか。

追い込むといいなんてのは、追い込んでいるっていう認知ができて、
自分が一杯一杯だって分かるものがなきゃ、ただの過労でしかない。

鶏が先か、卵か先かではないけど、
認知と行動、考えと知識みたいなのは、どっちも追い越し合う関係、
いわばライバルの関係にあるんだーって考え方は、
本でもどこでも聞いたことないぞ。おお、オリジナルテイスト!ぐっど!

自分を振り返れる観点ってのが1つあれば、
どこまでもどこまでもやれるような気がする。
これは限界がないというわけではなく、学びがなくなることはないってこと。
おそらく、年配で圧倒的に優しい人は、そういう感じがあるネ。

空が好きな人

空が好きな人が好きだ

空は 青い
空は 白い
空は 黒くもなる
空の 黄色の月は きれいだ

宇宙の存在を考えると

僕の存在なんて どうでもいいちっぽけな存在になる

親友にそれを話したら それは分からんかも

といわれた が その時は

結局 どこに 自分の目を持っていくか

そういう話だったかなと

空を見て 何を想うか

晩御飯のことを 毎日考えて

好きな人のことを 毎日考えて

好きなことを 毎日考えて

そうやって 生活をスタイルする

僕の毎日は

空を見上げる から 始まって
空を見上げる で  終わる

そうやって 僕は毎日をデザインする

シュルレアリスム

毎日のように「シュルレアリスム」って書いてりゃ、
なんてこの人は、シュルレアリスムに増資が深い・・って造詣(ぞうけい)でした!が不快って。深いんだよ!って言われるかも。

まあ、んなことはないので。

主観ではなく客観の賜物。
現実世界というもので、決して別世界ではない。

ということから、導きだされる1つの結論は、
現実世界の客観視。

この作業は、そもそも、主観オンリーで突っ走れないというところで、
誰もが必要とする行為だ。

それを、先達はやってきたんだ。すげー。

ダダイズムだろうが、ダダだろうが、ウルトラマンのダダ(あのなんか
強面な感じのモンスターだったような)だろうが、
学ぶべきものが多い。

シブタツも出てきたし、熱い・・・。

あーもう、面白すぎる!どないしてくれんねーん♪

外見は結構ごまかせる、中身は結構ごまかせない

だから、書かなきゃいけないのかもしれないし、そうでもないかもしれない。

セクシーな生き様。

いきよう、いきざま。

セクシーに生きる。多分、それがかっこいい。

どう考えるか

それにつきる。

目の前の状況がいくら悲惨でも、ダメでも、
手をあげて、馬鹿やろーと叫ぶことも、暴力に訴えることも
いくらでもできるだろうが、それをしたからといって
一体何になるだろう。

また、未来の惨状に嘆き、涙しても、その涙は、
結局、未来という何も見えない、ものに対して使われなければ、
あまり意味はない。ここでの意味とは、未来に対する変化か。

論理的思考とは意外かもしれないが、
ある種の楽、この楽とは考えないということになるが、を提供してしまう。
AならB、BならC、Cなら・・とやっていくと、
結局、AからBを考えているように見えるけど、
そもそも、それらは論理的思考と名づけられたある種のブラックボックスで、
魔法の箱にAをいれると、Bが出てくる。そんなイメージだ。
という意味で、論理的思考が弱いという人、苦手という人も、
おそらく同じ感想を抱くようになるはずだ。

むしろ、そういう楽があるから、拒否しているというのすらある。

じゃあ、逆に、論理的思考が苦手という人は、
感性豊かというと、今までそういう人を見たことがない。
どちらかというと、何かに吹っ飛んだものがないと、
別の何かにも吹っ飛び感を見出せない。

どう考えるかにおいて、論理的思考というのが1つあるというのが
非常に好きで、逆にいうと、考え方にもいろいろあったほうが
面白くなる可能性が高い、気がする。

おもしろければ尾も白い!くらいのノリで、
どんどんやっていったほうがえーよね。んだんだ。

では、仕事という畑に、いってくりゃーせ。

自動記述

このブログはある種、自動記述的だ。
が、本来というか、自動筆記とは、もっと吹っ飛んだ感じの文章だが、
オートマティックに文章を書くという感覚が、ずっしり?と
分かってしまうから、なんか考えて書く・・・というのが、
あまり面白くないというか。

あとで、構成しなおせばいいような気がするわけで。

例えば、外をでたら、白と青。とかけば、
空か、道路の白線か、白い自転車か、それとも白い車か、
青い傘か、青い虹か、合成した水色か。
とか、想像可能だ。小説じゃない。
つまり、そうやって書いていたら、そうかもしれないと思えるかだ。
だから、絵の具のパレットを思い出そうが、色鉛筆の並びで「白と青」を思い出そうが、白いノートと青いノート、白魔法!青魔法!とか、
もうなんでもありだ。

それが、自動的に展開される。
自分が疲れるまで書き続けることができる。
だから、タイプし続けることができるならば、もう無限に文章が可能だ。
その文章に意味があるかはおいておいて、自動という意味では
完成されているといっていいだろう。

同じように、プログラミングも同じことがいえるかもしれない。
要は、自動記述的にプログラミングをするということだ。

もちろん職業プログラマにはほとんど求められない、
むしろそれでは困るのだろうけど、天才的なプログラマとは、
結局その自動筆記をやっているような気がしてきた。

ちなみに、こういった話に興味があるなら、
ぜひシュルレアリスムを学んだ方がいいと思われる。
今、がんがん読んでいるところでR。
しばしまたれい。

アルチュール・ランボーは、イギリスではなく、
フランスの詩人でした。ああ、ボカア馬鹿だなあ♪
地獄の季節まだ読めてねええええええええ!DAMNIT!!

シュールって知ってるか?

シュールという言葉。
実はよく分かってない。

ここで確認しておくと、
僕の理解は、現実的ではないとか、そういうことではなく、
皮肉っぽいとか、斜めからみているとか、あまり明るくない、
社会の裏を、くすっと笑う、なんか灰色の笑いみたいなそういうの。

なのだけど、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB

む、間違ってないな。

が、シュルレアリスムとは全く違うというか、
誤解であると。そういう、というか、丁度参考文献読んでることになるがね。

まあ、それはいいとして、
シュールって結局、分からないってだけの、非日常を
言葉にしてるだけで、あんまり意味がない、だからナンセンスなのではないけど、シュールって言葉自体がナンセンスという感じかな。
と、一瞬思った。

自分が知っていると思っている言葉。
実は知らない、説明できなきゃだめなわけじゃなくて、
間違っていることが頻繁にあるわけで。

日々、学びですな。

こんなにも愛してるのに。


きっとこの僕の思いは届かないだろう

こんなにもこんなにも 愛しているのに

あなたはいったよ 分からないって

でも 分かる なんてことは

一瞬一瞬 瞬間瞬間 でしかないよ

全力で 全快で 全身で

僕は君を愛している

怒れ。

世の中に向かってその怒りをなぜ向けないのか。
それはある作品でもいいし、ある人、とくに有名人の意見に対して、
イカルということは、大変重要なことだと思う。

バランス的なことはおいておいて、
怒ってナンボだということもあるが、笑ってナンボだということもある。
とにかく、我慢は良くない。我慢すべきときは、意外に少ない。

つまり、TPOの話かよ!PTAではない。ってことになるけど、
我慢すべきときにできなくて、イカルときにいかれなくて、
笑えるときに笑わないという、逆逆逆。
そういうことをするのもある種一興だが、
ある種一興というこのフレーズは全て、ワンチャンス思想にほぼ
乗っ取った話、則ったね、話だから、
見た目のイメージとかで、決められたら終了!であるということは、
結局避けることは出来ない。だからワンチャンスなんだけど。

イカルときに怒る対象を間違えたり、
怒り肩、ではなく怒り方を間違えたり、
怒るタイミングを間違えたりというのはよくある。

いつも適切なやつなんぞ、面白くもなんともない。
人間らしさ、とは、そういうところだろう。
アナログで計算できないところね。

同時に笑いもそうだし。

とにかく、そういう感じだ。
ああ、どういう感じだーって苦情がきそうだが、
そんな苦情も、全て払いのけてやる!

くははははははっはっは・・・?

何に時間を割くか。

割く割く。

効率的に生きることは必要ではない。
しかし、1日は24時間くらいしかないので、
2時間睡眠で生きれるという自負する人はそれでふんばって欲しいが、
でも、それは危なそうなのでオススメせず。

仮に2時間でふんばっても、ぷちっと切れてがーーーって寝そうだ。
それはそれで滅茶苦茶気持ちよさそうだ(笑)

人生は有限だ。
そういうことを考えると、ワクワクしてくる。
最近この「わくわく感」という言葉は書いてないのだけど、
日々にそういう楽しさが満ちている。

人間だもの。
嫌なことも色々あるさー(沖縄オバア風で)
でも生きるのを止めるってのは、死ぬ以外にも、
なんかあるような。思考停止とか。
考えるのに浅いも深いもない。辛いもないが、甘い考えというのはある。
なんでも取りすぎってのはだめってことだ。イズ糖分。

自分が時間を費やす、もしくは使う、割くものが
やはり自分が価値をおいているというものになる。
うん、それだねー。

だから、そこに自信を持っていくしかないというか、
そういうことになる。

あぶね、漫画読みふけてて、今日も休みモードになっとったーちゅーねん!
やべべべべべ。

魚りゃあ

夢で、ものすごい勢いで、赤なのに
突っ込んでいく車をみた。

ぶつかる!
とおもったが、奇跡的に横断する車の間を、疾走した形になった。

魚!

と叫ぶと、

魚の目という、足のところにできるやつを思い出す。
あれはほくろではなく、できものなのかしらん。

と、どうでもいいことをヒトリゴチながら、寝るとしよう。

ラリほーでも唱えますか!呪文覚えてえなあ(あほ

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