ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年12月

狂え

小ささが甘い。
狂い足りない。狂え狂え。

まるで麻薬とか、その手ものとか、
酒でもいいし、そういったラリった感が必要というのではなくて、
ズレってものをもっと極大化させることが必要ではないかと感じる。

多様性は認めるものではなく、
それを受け入れて一緒に考えていくものだという、
ある人の考え方に思わずうなづいてしまう。
その通りというか、そうじゃなきゃ多様性なんて
意味ないじゃーんなのだけど、そうなってないっぽい。

まだまだだねえ。

うおー

図書新聞熱い。

マイノリティーの記事を拝読。
すげー共感してしまうま。
これだから・・・新しいものにアクセスするのはやめられない、
とまらない、かっぱえびせんである。

本谷氏という人も初めて知る。
うーん、いいぞ・・。

日経ビジネスネタとしては、
ブラジル特集があったのだけど、
そこではヤクルトというあのヤクルトおばさんのヤクルトなんだけど、
それがすげー環境ががんがって、開拓してきたっていうレポがあった。
熱い。ヤクルト熱い。
こういう企業があるのはいいよなあ。


少年マガジン

たまたま読んでたら、ラブレターという漫画が面白い。
「婚約者からの遺書」というドキュメンタリーか何かが元であるようだ。

特攻。
人間は消えるから美しいのであると、
そんな愚かなことはないのだが、そういう考えで
覆い尽くされれば、「一人の直観」は埋もれてしまうのだと思っている。

これは歴史的なこととか、そういうことではなく、
現代でも起きている。

とりかえしのつかないことというのは起きているんだよと。
まず歩こう、そうしていくことにしてみんとす。

自由と不自由

電車に乗ってたら、地下から地上に出て、西日がぽかぽかさんで、
いいなーこういうのって思ってた。
席はガラスキだが、1区画(笑)離れたところで、女性が一人立っている。
彼女はどうやら座らないらしい。

なんかすごく自由だなって感じた。


コンビニでレジで並んでいたら、
お待ちのお客様どうぞということで、僕の前の前の人が
誰か分からないけど、横っぽいところから(笑)
ささーと入ってきたおっちゃんがいて、
明らかに順番抜かしてるっぽい。

年齢は60くらい。1つの商品をもって、レジにすごい勢いで
駆け抜けたって感じかな。

なんかすごく不自由な人だと思った。


店を出ると、このように感じる。

あるルールというものにノットッテやらねば、
それは正式に「ある何々」というものといえない。
例えば身近なところで、法律だ。

岐阜の裏金の話は、記事を見てたら、現金を焼いたみたいなことも書かれてて
信じられないが、というか信じてないけど、市民に良い印象を与えないだろう。
情報筋(笑)によれば、そのお金というのは、結局岐阜という県ではなく、
むしろよくある国からのお金という、いわゆる全国民の税金が入ってるらしい。
そう考えると、火の粉が降りかかるわけだが。

しばらく、岐阜県民からは冷ややかな目で見られるのだろう。
だが、ここであえてがんがれといってみよう。

雪印ブランドが消え、牛乳はMEGMILKとなって販売されているが、
あの工場でのうんだらなんだらはやっぱ忘れてしまうのだろう。
人の記憶は忘れるからいいってこともあるし、忘れてしまうからダメってこともある。
忘れるから色々柔軟になれるんだと。


Winnyの話。
金子氏が本当にそう考えていると非常に困るのだが、
著作権なんてルールをぶっ壊すという考えが本当にあったのかが、
非常に気になる。
ほう助というのは、なんだか微妙だけれど、
ちらっと前書いた、技術というものの開発意欲がなくなるってのは、
何か違うような気もする。
今回は、ソフトウェア技術というところで色々焦点あたるのだろけど、
どうもそれは全く関係なくて、
単に金子氏がどういう意図でそれを作り、どう社会を見ていたのか、
主観的なものでしかないような気がしてくる。
客観視しれば、悪いようにしかみえないわけで。

真夜中に女性が一人歩くのはどーかと思うのと同時に、
安全ではないところに普通は人は行かないハズ。
それと同じ理屈かも。そうじゃないかも。

金子氏は自由な人間だと思っていたが、意外にそうではなかったら、
なんかショックな気がする。
Winnyの教科書かなんかっていう関連図書は気になるなら
買った方がいいのかしらん。

2007年の目標

今年はよくやった、俺。
いや、今年もだな。グッジョブ。

それで、来年はどうするかと考えて、
やはりコンセプトワードを設定したい。

というわけで、2007年は「攻める!」に決定。
いかなる状況下でも屈することなく、攻める。

「え、お前、あの状況で攻めるの?」とか
「いや、それは攻めすぎじゃないか・・・」とか

そういう反応を期待する。
アグレッシブ且つ、冷静に且つ、ポジティブに且つ、
守らない、逃げない、騒がない(笑)
という意味も込めておこう。守らないってのはちょっと言いすぎだなあ。

攻めるには、少年・・・ではなく青年か、
青年を大志を抱け的なものもこめた。

勘違いした方がいいと思ってきた。
どういう勘違いというか、もっとお前は出来るやつだと、
夢の中の仙人はいっていた(笑)
仙人教ただいま発足せり。

もっと出来るよ、もっと出来るんだよって、
分かったよ、もっとやりゃーいんだろうって、
応えてしまったよ。くそーやってやるよ。
やるさ。

あと細かい目標はおいておいて、志が高い人にもっと会って行きたい。
今年は色々な人に会うっていってたけど、まあ、出来たような気がする。
でも、単に人と会うだけでもダメってのも分かってきた。当たり前だけど。
うまくつなげていくんだ。そこのハンドルさばきを鍛えていかねばあああ。

志なんていうと、すぐ政治の話っぽいことをする人がいるけど、
政治よりも、外交、政治よりも社会、政治よりも経済の方が
やっぱ興味あるなあ。

うはは!

コトリ・カフェ

MJネタ。
小阪氏のコラムっすね。

新聞配達で、コトリ・カフェという「高級なホテルのイメージ」で
新聞を届ける。と同時にパンを配達するらしい。
これはどうやってるかは分からないけど、車両ってあるから、
車なのかしらん。
コトリって言葉が、イメージにぴったりだそうな。高級とか、セクシー、
エレガントとかね。
詳細は記事をどうぞ。日付は書かない。(鬼だな

これは前座なり。

たまたま、ある人のインタビューで、
「日本にはカフェの文化がない」という指摘があって、
とくに社会に関することがそうだなあというのがあった。
これは、最もなことで、つまりどういうことかというと、
政治なら、「選挙に行く」という必須事項と、
「ボランティアで政治活動を手伝う」というややハードルが高いものと、
一気に分かれる。

思想は自由だけど、人を傷つけるのはアウトなわけで、
あー別に政治家=それだなんていってませんけどね。
それはともかく、振幅が激しいというか、両極端なんですね。

もっと自然に入っていけるというか、そういう場がない。
それは話し合う場がないってことなんでしょう、というのが一つの結論。


あと、寝るときに思考が固まることが多い。
これは起きたら、はいバターが出来てました!的な、
嬉しい感じ。

ははーん

よつばと6巻、げんしけん9巻
を読む。

げんしけんはこれで終わりみたい。
よく分からないのは、オタクとかマニアってことを、
誰かさん(誰でしょうねえ)が大きく言ったことで、
例えば見ていないが、秋葉原は何か社会的地位が上昇したイメージがあるが、
果たしてそれは意味があったのかが微妙。
というか、?オタクということを自称する人って、
ただの「冗談風」な言葉にしか聞こえないから、
うーん、好きになれないフレーズだ。最もその人が嫌いではないのだけど、
「?オタクだよーん」とかいってる人はまあ、どうなんだろうなというところ。

「?マニア」ってのもどうかなと。
なんか良い響きに感じられない。そんな僕は、「突っ込みオタク」で
よろしく(使ってんじゃーん!

それはともかく、「カタリベ」という漫画の続編を
望んでいればきっと、「もやしもん」が好調であれば、
その願望は叶うのかしら。ああ、続き気になるんだよなあ・・。くう。

よつばとは抜群に面白い。
作者のあずま氏はどうやってあのネタを拾ってきているのか、
それとももう主人公よつばは人格が完全に出来ているのか・・・。
あの世界は面白い・・・。おもしれーんだよ、ちくしょう!

とりあえず、動きたくなってきたので、
動くことにしよう。

お前ならできる。
お前ならできる。
お前ならできる。

よし、自己洗脳完了!

なんかこのブログ楽しいねえ・・。

タオルゲット

なかうでタオルゲット。
ハズレくじ3枚でもらえる。

ミニタオルでもハンドタオルでもない。
普通のタオル。風呂で使う。

色は黄色、白、赤から選べて、黄色をもらった。
なかなかいい。とりあえず1回洗ってから使う。

もっと安っぽいペラペラのタオルかとおもったら、意外に厚い。
冬は親子丼の絵でもみながら、風呂につかって、
新年の絵を描くとしよう。

義務感という感覚

それは国で社会で生きていけるという保証というものがあるから?
あ、保障か・・。

学生の頃、就職するのが嫌で、というか働くのが嫌だということを
思ったことがある。が、その程度は周りにいた人間とは
「ほど遠い」感じがしていた。
その直観はずばりテキチューであり、
「やっぱそうなんだなあ」と今更思ってしまう。

なぜ働かなくてはいけないかというときに、
「食っていくため」というのは、正論なのだが、
その正論のつまらなさは常に感じている。

あんたが食っていけるかどうかなんて、
例えばあんたが住んでる市町村の長はあまり心配してないような。
親とか、大切な人は心配するだろーけど。

だから、なぜ働かなくてはいけないかってのは、
どうやって生きたいという問いのカモフラージュなんだけど、
それに気づかないというか、「気づくことができない」のは、
それは僕が意図しているのではなく、「ああ、そうか」と思ってしまう。
これは一種のコミュニケーションである。

僕が思っていたことをここでいっておこう。
何度も言ってるのだけど、このブログの伝播率(笑)とか、
見ている人の特性とかもあるだろうけど、まあ、
誰かが捕まえてくれるかもしれないってのは常にある。
といってるほど、キレイに書いてないんだろーけど。

まず、就職など、仕事をする前の人、とくに学生、とくに大学生にいえるのは、
仕事ってのはやっぱいいものです、といっておこう。
義務とか、嫌なものとか、否定的にとらえる人は
「こちらから探さなくても」一杯いるからある程度バイアス?がかるものが、
一杯おるのーって程度でスルーしたほうがいいと思ってる。
実際に僕はそうしてましたとさ。

仕事ってのが嫌なら、大抵その人はその仕事をやめるなり、
別のことをして中和させるなり、じゃあそういう嫌なことを
会社がやらせてくる場合?って、それはそういう会社は人を
育ててないから、「単に外面」がいいだけではないでしょーか。
ちなみに、売上がよければその会社は優れているとはいえないわけで、
そういうのはやっぱ分からなかったかなあ。僕がですね。
僕はそういうのはそうかもしれないと思いながら、
いわゆる頭の片隅にいれておいて、それが徐々に分かってきたっていう、
そういうのが好きなので、それをオススメしときます。

従業員満足度とか、色々ランキングつけるのもあるけど、あれは
でもないよりあったほうがいいかな。
ちなみに今でも僕は大きな企業で働きたいという人って
分からないです。安定とか、保障があるとか、そういうのは
すごく分かるんですが、その分、当たり前ですが、
そこで仕事をするわけですな。それって中和できるか、
もしくは自分にメリットがあるのかーって感じで。

そこでもし終わってるなら、別に大企業とか関係なくて、
働き方の問題だなあと思うわけです。

ビッグイシューは、ホームレス自立支援なので、
立ってビッグイシューを売り続けるのは、あくまでその自立までの
過程なわけですわ。
だから、多分、ビッグイシュー側は、販売を目的としてしまう人には、
販売員の資格はくれないかと思われますね・・。当たり前だろうなあ。
ここで資金をためて自立していく。そういうのを支援してるから。

働くことで「人生が始まる」という感覚が僕にはあったんですが、
やっぱそれはその通りで、それは仕事が面白いとか、つまらないとか、
そういうレベルではなくて、やっぱ義務ってのは少しはあって、
でも、同時に「つまらないなー」って言い続けてやるのも、
一興ですが、またそれもどうかとと思いながらって感じですね。

始まるってのに、その始まりから起こりうる絵を、
全然描いてなくて、んだったら、そんなの面白いわけないじゃん・・・。
面白くなるわけがない!って断定、断言できてしまう人は
やっぱいるわけですな。

冷静に考えなくても、
自分が何かしている、それを働くとしよう。
その働く中で何か見つけるというのもよく聞くけど、
それは見つけたらそれをやっていく必要がある。
したくないならいいんですが。

働いてこういうことをしたいって、何もなきゃ
僕の言ってることは全て無意味なんですが、
そうじゃない人も一杯いるからこうやっていうわけですな。

ここから極論っぽいけど、
学生の時、何も考えてなかった人は、残念ながら
そのまま延長されると。何がか?
それは、局面に立った時にってやつですね。
これは僕が全部クリアしているという風にとってもらうと、アレなんですが、
当然僕にも一杯そんなことはあって、
「あー俺馬鹿だなあ」と思うわけです。なんでこんなことできないのか、
なんで知らないのかってね。

あと愚痴は正直嫌いですし、吐かない方だと自負してますが、
まあ人間ですから、やっちゃうものです。
でも会社の愚痴というか、仕事の話は、かなり咀嚼してるんで、
愚痴になりえないですね。原因を探ってしまうので、
何か絶対原因があるとは思ってませんが、まあ大抵あるかなと。

仕事をして、人生が始まって、それで、ようやく今後が始まるわけですわ。
ちなみに、サラリーマン以外の道は、自分で全部やることになるので、
結構というか、思ったより厳しいのが相場ですな。
それが悪いわけでもダメなわけでもない。
ただ多くの人は「楽」にいきたいって思ってる傾向は強い。
僕も含めて。

そういう楽かどうかを乗り越えて、これだよなやっぱ、と思える人は、
というか、そんなのサラリーマンだろうが関係ないんだけど、
そういう道を、いやTRUST MY WAYでやってほしいなあ。
そうしないと、社会が面白くならないし、面白くなりえない。

電車乗ると、皆の顔がくらいって嫌でしょう。
別に皆ニコニコハッピーなんてのはありえないんですけど、
あえて暗くする必要がないというか、
面白いことやって面白いなと思って、うおおおもしれーっすってやって、
生きるのがいいと思うんですね。
これは僕の考えでーすっと。

という意味で、僕は周りの人を避けて、
アクセスしてたのが「本」だった気がする。
対話ですね。色々な大人といわれる人、よく考えたら、学生の途中から、
自分で足を運んで聞くとか、話をできることについて、
億劫(おっくう)にならなくなってました。
本もそうですが、色々な人が世の中には一杯います。
やっぱり、自分で生きるフィールドみたいなものを定義しちゃって、
僕はここまででいいやっていうのは、ちょっともったいないですね。
残念ながら人間の欲求なんぞ際限がないので、
ここまででいいやっていうのはやっぱ我慢してるんですよ。
これで満足でいいじゃないかなと思うわけです。
同時にそういう満足や我慢は、それで終わりみたいな気がします。

人と話すことで、色々あると思います。
自分の想いが伝わらなかったり、自分の言いたいことがうまくいえなかったり、相手の言ってることが分からなかったり、
感情をコントロールできなくて自分の言いたくないこともいってしまったり、
なんでこんな人と私は話しているのかと思ったり、
だめだなあって率直に思ったり。

色々考えて、色々みてきて、でも青いなと思っている僕が言うのですから、
やっぱ全然ですよね。その学生の思っていることって。
それは馬鹿にしているわけじゃなくて、大いに励ましなんですけどね。
自分もそうだったんですが、やっぱり青いんですわ。青い。青すぎる。

決め付けてしまうという感覚は若いほど強いと思うんですが、
大人の理屈ってのは、そこのところで介入してきて、
そうかはどうかは分からないという中立的な考えなんですよ。
だから、大人っていうのは曖昧ではなくて、
そういう余裕があるといったほうが適切。

曖昧というのは決めずにいるだけであって、決められないとか、
それを踏まえた上での曖昧さは、曖昧じゃないですからね。

可能性とか、絵とか描いて、そういうものをやりたいって、
そうやって信じることが、自分をですよ、変な宗教信じてないでね(笑)、
まず大事で、それができるなら多分同じように他人をも
信じることができ、また同様に第三者、初対面の人も同じように振舞えるのだと思っています。

え、僕ですか?
僕がつまらない人間だと思いますか?それはショックですね。
まあ、そういうこともあるでしょう。

皆が言うわけじゃないですが、
自分で言ってしまいましょう。自分は幸せだって。
生きていて楽しいって。

そうやって思ったら、多分、義務なんて「小さい小さい小さい」ものに過ぎなくて、まさにビフォーブレックファーストなり。

お後がよろしいようで。

やさしさ

ふと思い出した。

昨日書いた話と関連しているというか、
というかというかというかというか、
過去の話と関連がない話はないだけで、
その説明で分かりうるかどうかというだけでしかない。
ん?

高校の頃、部活の帰りに、友人と帰ってたら、
小学生くらいの子が鼻血を出して歩いてた。
友人はティッシュだとといってティッシュを出した。
その子はひったくるようではないけれど、もらって、
そのままいってしまった。


田舎は人が少ないからお互いを知っているとかいうことはいえるが、
それはあくまで「傾向」でしかないとにらんでいる。
都会はその逆のことがいえる。
つまり、お互いを知らないからとはいうものの、実は知っているようにしたい、知りたい、
実は田舎よりも密接なことがあり、その距離感がいいとか、
そういうのがあるような気がしてならない。
個人の問題にしてしまうと、あまりよくないけど、
会社いって帰って寝るだけって生活をしていると思っている人は、
やはりその人の問題だと思っている。これは自分を笑えるとか、
受け入れるとかそういう話であって、会社や社会に対する愚痴は
一切意味がなくなるという話だ。

さて、その友人はそんなことはおそらく覚えていないだろうが、
他人、とくに知らない人に対してどこまで接することができるか、
というのが都会のテーマなような気がしてならない。

自分の知らない人間だからスルーして、ほっておくというのは、
都会っぽい。けど、それって望んでいる人は少なくとも、
僕はそうなんだけど、あまり多くないと思っている。

想像力はこの際どうでもよくて、単に、一対一の個人として、
その人に「ワンチャンス」でどうやって接することができるか。
うーん、一期一会でしかないなあ・・・。
ということになると。

どうでもいいけど、やさしくする人に「好意」が常にあるかというと、
そこは難しいところ(笑)
「ありがとう」で断ち切る!みたいなこともあるわけで。

自分が嫌な仕事を選んで、仕事の義務感をあえて感じるみたいな、
そういう人もいそうだな。ユニークで好きだな。

ビッグマウス

賢人がいったのは「マウソンリー」だが、
ふと思った。やはり口だけの人は多いものだ。
悪く思うな。それはあんたことだ(えぇ

やれもしないことをいうのは(ちなみにこのやれもしないというのは、
可能性とか希望的観測とか・・・そういうことではなく)、
やはりちょっと、というか大分というか、えーって感じかなあ。

そういう意味で、不言実行がオススメなんだけど、
有言不実行が典型パターンらしい。なんでわざわざやれないことを
言うのかが分からないけど、見栄っぱりなのか、
自分は「ダメ人間」「力がない」「がんばる姿勢がない」っていうような、
否定的なものを打ち消したいってことかしらん。
まあ、そうやって生きてくれ。
でも、俺には通用しないから。さようなり。


村上龍が、限りなく・・・を書いたのはなんと24歳。
く・・・まじかよ。完敗だ。

生きててすいません・・・。
一度死んで出なおしてきません(おぉ

スモールマウスでいこう!
おっと、手元にあるそいつはどのくらいのサイズだい?
ジョニー、そいつはマウス違いだって?

GJ!

あしながおじさん

ふぉふぉふぉ。
あまりに細切れに読んでたので、ラストで
「ふーん」といってしまった・・・。許せ、ウェブスター氏よ(笑)

結局、ジュリアとジュディの違いが分かって、
登場人物が把握できたところで終わった感じでした。

にしても、あしながおじさんシブイゼ。漢の中の漢だ。

あしながおじさんあしながおじさん
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20代熱過剰

ある人がいってたのを間接的に聞いた。
そのフレーズを思い出す。全く悪意はないし、その通りな気もする。

ただ、満足点、着地点というのがどこなのか、人それぞれということを
考慮すると、はて、どこまでいくと落ち着くのかということはある。

残念ながら、全くではないが、ある事をやっても、
面白いことをしても、さらに面白く、楽しくと考えてしまうし、
またやりたいことが同時に出てきてくるので、
無尽蔵(尽きることがないということ)なのだ。

という意味で過剰かもしれない。

最近30代の人を注目しているが、
仕事も一通りやって覚えて、動ける、働き盛りな年代。
30代ってなんかいいなってたまに思うときがある。
20代の人間はどうもトゲトゲ感がある。

それで、まだまだだなーって思って、あーそっかーって思って、
なるほどねーって思うと、うわー恥ずかしいくらい
小さい人間だなって思う人間が自分ではない人間でいる(つまり、他人のこと)のだけど、
そんなのどうでもいいから、小さいとダメだなあって、
横目でみて、反省して、
「俺も悪かったよ」って全く謝る気がない、上っ面だけの
言葉を吐いて、ありがとうっていっておけば、
人間関係は保てるのかもよー。って思ったり。

熱を、パワーを、この湧き出すパワーを、
ぶつけていこう。ああ、ぶつけてやるさ。
文字で、動きで、行動で、結果で、形で、料理で。

やっほーい!

みたぞー

道路で信号待ちしている車両が並んでいて、
ころころーと音がしたので、道路を見ると、
何かプラスチック風な容器が落ちていて(道路の真ん中という表現が適している)、よくみると、車の扉の窓ガラスが開いていて、
それを閉めている瞬間だった。

お、おまえかー。

テンションが高かったら、すごい勢いで走っていって、
その容器を拾って、
窓を叩いて、こう言うのだ。

「すいません、落としましたよ」


学生の頃、こもれび氏(今はこもれびブログは永遠に眠ってしまった。
人はブログを変化させる前に、その前に自然の力によって、
カンプなきまでに叩かれるのか!)が、
ある車が何かカップを捨てたから、拾っていって、
その車が止まっているところに戻しておいたという
話をしていたのを思い出した(笑)

まさにそのセンスは欲しいというか、実行はまだしてないが、
そのうちしてしまうかもしれない。

道路にゴミを捨てて、逃げられると思うな。
高速の横とかヒドイなあと思うわけで、
道にタバコを平気で捨てる人も同じかな。

歩きタバコ禁止ではなくても、捨てるのはどうかと。
まあ、歩きタバコやってて、後ろに灰が来ているのを
想像している人は絶対にそれはやらない。
ここから、想像力がない人だから、歩きタバコをするのである。
そして想像力なき人は、社会を支えることはできないのだ。
せいぜい水たまりの中で生きればいいのだ。
これは見下しているわけではない。事実である。さようなら、歩きタバコ。

その車を、とりあえずガン見(がんみ:がっつり見ること)して、
終わりにしておいた。

さああの人らは、無事に帰ることができたのだろうか。
その容器で自転車やバイクの走行の邪魔になることや、
後ろの車に迷惑であることを考えることはできなかったのだろう。
想像力なき人よ。

僕もそんな人間にならないようにしなければならない。
ありがとう反面テーチャー。

見ているんだ

日記風。でも、日記じゃないんだよーん。

某牛丼屋へよったとき、(書き方がやらしいな、ちなみに吉野家ではない)
食券マシンがあるのだけど、2台ある。
うち、1台は1万円札とかが使えないから、手持ちが1万円しかなかったので
もう別の1台に。

そこには先客がいて食券を買っていた。
どうも、色々買っているようで、1分?2分くらいは待っていた。

ここで「その店をよく知っている客」なら、
気をきかせて、別の一台に買いにいくだろう。
が、これは相当できる人間か、機嫌がいい人か、
ちょっとおかしな人(笑)の行動だ。

想定どおり、その人は僕が後ろから威圧(笑)していることもないのに、
威圧感を感じたのか、最後の食券を買ってから、
「もう一台あるのに」という、台詞をヒトリゴチたように聞いた。
地獄耳をなめちゃいけない。

その人の言い分は分かるのだが、
残念ながら手持ちが1万円しかないのである。

さて、こういう類の誤解はよくある。
よくあるのは、その状況を飲み込まずに結論を出してしまうことだ。
しかし、状況を全部飲む前に判断しなければならないこともある。

ちなみに、そのヒトリゴチ行為は、
結果的にも、状況を全部食べちゃう前の判断としても、
どちらにしても、あまりよろしくない、というか僕にとってだけだけど、
不愉快な方向に傾いている。

もっといえば、あんたの思っているように社会は回らないんだよ。
俺が回すんだよ(笑)

という思い切り勘違いした言葉をぶつけても、
罪ではないなーってことである。

たかが、店で食べる、だが、発見は無数にある。

店で食べることでよく思うのは、
店員も人である。また店も調子があるということである。
そこらへんを踏まえないと「何かトゲトゲしい」人になる。

だが、この前いった飲み屋は、
近くに店員がいないし、呼び鈴もないし、
大声で近くのお客さんは叫んでいた。

もうそこの店に行くことはないだろう。
店も客の立場になれば分かるだろう。
注文したいのに、大声を張り上げねばならない。
んなアホな。

店は色々あるが、自分の居心地の良い店を探すのが楽しい。

おー

http://www.mishimasha.com/index.html
こんな出版社あるのね。この本買うか・・。
今後の動きにチェック入れよう。世界を面白くするってのはいいなあ。

これ面白かったので。
http://blog.tatsuru.com/2006/12/19_1116.php
内田氏の言ってることは同感。
モデルがなくなったから、こうすればいけるだろうっていう
安全戦略がほとんどない。
一寸先は闇ではないけど、結構不安なのかもね。
今は「年金」についてかなり冷めた気がするけど、
年金崩壊!って系統の本が並んだ時期があったのが懐かしい。
今から問題になるのでタイムラグありますなあ。

仕事に創造性を持ち込んでみたいんだけど、
やはり、義務というのは受け入れるべきで、受け入れている。
それを踏まえた上でやろうとし、もっとそういう考え方を
つまり、楽しんで、創造して、働くということをだけど、
やれる自信がある(おぉ

東大生を批判すると、
変なプライド持つといかんから、学校歴なんてないほうがいいかもしれない。
ま、東大生だけじゃないだろうっていうのは、
大きな企業の社員についても一緒かな。
もちろん、全員ではないからねえ。

創造性は何かを越えたもの、超えたかな、でないといけないだろうから、
人と同じではいけない。
仕事も同じでルーチン的な、必須な仕事はあるけど、
それだけでもいけない。やはり、何か他の人ができない価値があるものを
提供できるからこそ・・・というのがあるのではないかと、
つまり、芸術=仕事も同じだと思ったり。

誰かお金持ちがお金だすから、芸術活動に没頭できるというのは、
何か良さそうな気がするけど、
別に芸術なんぞ型にはまった、パターンがあるってことで
まずまちがっちょる。それらは全て妄想なり。
ええい、控えい!


ワライの効用

思わないことを書き連ねる技術というか、
そういうことをしたいかということだが、
したいししているときがある。

つまり、このブログに書かれていることは
全て嘘であるのだ。

心されよ 人を信じるな
人をみたら泥棒と思え
電話には 名乗らずに出ろ
人には会うな 騙される機会がますから


そんなどーでもいいことほうっておいて、
ファイナルファンタジー1の曲良すぎる。
作曲者にありがとう、そしてありがとう。

FF1やりたいな・・・。数日でクリアしたいから、
そういうサービスとかないのかしら。

わはは!
そんなのありませんガーナ。

んー30点?

原因を突き止めるには。

細分化というのが一番で、
プログラムにおいては、
スタートがあれば終わりがある。
もちろん繰り返し処理でも、その中のスタートと終わりがある。

まるで人の一生みたいで、奥が深い。
はて、コードをみて、人生を語るプログラマーが日本には何人いるだろうか。
その人数をカウントしていくのが楽しみである(微妙なオチ

とりあえず、ECS4.0で検索はできた・・・。
が、XSLがなぜダメなのか。
情報が少ないものについては積極的にWEBにあげてく。
クロスサイドスクリプティングだっけ。
あれも勉強しないとなあ。普通にしてそうだ。

悪意あるプログラマー(クラッカー)から
世界を守る必要があるかもしれないねえ(笑)

たてとよこ

縦と横である。

縦社会、縦になる(あれ?)、縦板(?)、
縦断など色々な言葉がある。

なぜ縦は、上から下という概念でとかはどうでもよくて、
右ってなんて説明するんだ?箸を持つほうの手は、通じないぜ。
左脳の逆もだめだ。

方位磁針(コンパス)は北を磁力によって指すから、
東西南北は以外に明確だ。

でも、相対的概念!である、上下左右、縦、横は、
逆立ちや顔を傾ければ変わるのだ。だから相対だ。

縦社会は縦社会であるというのは、なかなかいいのだが、
でもなぜ縦なのかが分からない。
横社会って言葉の使用頻度とインパクトが弱すぎるからか、
ともかく、横社会ってのはそもそもないような気がする。

階級社会は縦であろうし。

逆転の発想が必要だ。
誰がこの言葉を作ったか。その人に聞けばいいのである。
誰が作ったかなんてわかるのかって?
そりゃ分かる。

ここで定義してしまえばいい。言葉は自由だから、
自分が作成者とする(笑)

「縦社会」=縦っぽい社会

とすれば、横社会も同様になる。
その人のテンションが縦なら縦社会という言葉を使い、
横なら横社会と使ったような気がする。

水平と垂直もそうであって、
自分が動けばいいのだ。

定義した言葉をもぶっ壊すという、
その破壊力。再構築力。

さすが詩人。

つまり、自分をもぶっ壊せるテンションがあるわけだ。
こういう人間は貴重だから、社会から逆にお金をもらいたいくらいである。
今日は3人くらい人を助けた気がする。
でも、その助けた3人は気づいてないから、
妄想、混乱、カオス、狂人としか認識されないだろう。

狂った人間には狂った人間を。

あなたが狂っただけでは、会話は、社会は、人は成立しないのだ。
対話している私も大いに狂おう。
それが対等というものだ。それが自由というものだ。

縦と横にこめられたこの想いが分かるか。
縦と横にこめられたこの想いが分かるか。
縦と横にこめられたこの想いが分かるか。

と3回唱えたら、HPが回復しそうだ。ありがとう、ホイミンだ。

さようなら、狂ったリンゴよ
さようなら、弱き言葉たちよ
さようなら、己を表現できぬものよ

人は社会は進んでいるのだ
さようなら 価値を分かち合えぬものよ

痛い目にあうのは 攻撃者がカウンターを想定してない場合だ
ある程度予測していればいいものを
そうしないがために 痛いのだ

卒業しよう いや卒業しなさい
もろもろの馬鹿らしきことから 

そして神がここらで出てきて
宗教の誕生である

すがりなさい そして 泣きなさい

19歳の地図を読みなさい
そして 無理に自分に適用させなさい

信仰の否定的面を考えたとき
それは真実であると 気づくだろう

って、なんだこりゃ?

10本のロープ

山頂には 何かある
見えないが ロープが10本くらい ぶらさがってる
どのロープも 同じような太さだし 材質も同じようだ

山頂行きのロープはこれですよ って
いってくれる そんな声は 当然どこにもない

僕は どのロープを握っても
山頂へ行ける気がしたんだ だから 並んでいる中央あたりの
それを握った

がんばって登ってみた
途中でたまたま一緒に登る人も 結構いた
登ってみて分かったのは 途中に休む場所があったことだ
そこは 山小屋みたいに 雑な感じがせずに
簡単に飲み物が 自分でやるのだけど 飲める

ここで休んで また登る人は多いみたいだ
でも 降りていく人も 多い
上には何があるか分からないから ってね

小屋をでて 僕はまた ロープを握った
そして いま 僕は 登り続けている
山頂に むけて

詩人RM

言葉では語れないもの

それらを我慢せず、とはいえ吐き出さず、といっても何か
不自然ではなく、という状態を目指してたら「鯖鯖」した人間を
目指すしかないと思っていたが、その予想は当たったようだ。

アンチ八方美人は、商売向きではないかもしれないが、
ラジオのDJでさえ(笑)、ゲストに対して好き好きはあるものだ。

偏見の塊であるという認識のもとに、人間を見ている人は
いないんすか。性悪説から見ようよ。
たまにそんな変なことを思ったり。

対等と平等の違いは前書いたけど、
結局、対等をうたう人は自分に力がある、自信があるって思ってて、
平等はその逆かも。いや、なんとなく。

ワンチャンスは1回の機会があるのだから、
その機会を活かすしかないんだ。一期一会よりももっと
アグレッシブに1回をとらえた言葉だと思ってる。

大いに反省したまへ。明智君!

散ってみる

「あえて」という表現が好きだ。
性格そのものを体現してそうである。

常に視点を逆にしてたら、逆っぽい人間になってしまうということも
あるという一人の人生を使った試み。壮大。すぺくたくーる。

AmazonWebサービスECS4.0のXSLTでHTML変換できずに、
素っぽいデータになってくる・・・。XMLでは取得できるのは、
分かったから、変換させてちゃぶだい。

対応は2つ。
1.プログラムで対応(クライアント側の処理?)
2.XSLTにこだわる(あきらめ気味)

2については、検証方法として、
全くおなじXSLファイルを今動いている参考サイトのものを
コピーしてやったら、できなかったという・・・
恐ろしい結果がでています(涙

処理の流れとしては、
リクエスト→Amazon→XSLファイルをみにいって、Amazonサーバで
変換。→結果をこちらにHTMLで。

となるはずが。

笑顔がいい・・・。

ネタを。

後で書くー。
溜まったネタとか。

ウィニーとアコム

やべ。書いてなかった。
つまり、技術とか手段とか、そういうものの使い方ってことですかね。
アコムって別に金に困っている人をおとしいれるとか、
そんなひどいこと考えてないと思ってるんですが、
実際に多重債務者って人は同じようなところから、
つまりは、消費者金融と呼ばれるところから、
同じように借りてて、一杯一杯ですね。というか、返せないですよねーって。

ぶっちゃけていえば、借りる方が悪いんですが・・・。
という話をしていくと、結局自分が借りてない人間にしか
議論できないというようなことになっていって、終了。

ウィニーは微妙ですね。
違法コピーを交換しても、軽くはじかれる仕組みを先に作って、
ウィニーをリリースすればよかったかも。
でもそんなはじける仕組みなんてないですからねえ。現在。

こういう「ある既存のもの」の使い方において、
よくある話で。一技術者としては、非常に気になるところですなーってところです。

結局、結果だけみれば、助長したってことになるんですかねえ。
犯罪を。でも、それだけではないでしょうから、
裁判って人を裁くってすごーく難しいですよね。

裁判に巻き込まれないというのは分かるなあ。
本国はまあ訴訟王国みたいですが。お、皮肉。

新しく。

横断と縦断の違いを考えたら世界を一周していた感じがする。
まあ、いいか(笑)

刺激がある土日というか、正直にいって、
仕事中に休憩して、土日フルスロットルって感じだ(笑)
あほだが、まあいいだろう。

いくつかかいとくか。

あるミッションがあって、そいつを成し遂げようとしたときに、
味方をどこまで連れて行くかという話がある。
というか、これは別にゲームの話ではなく、現実の話なんだけど。
その場合に、ミッション達成を重視するから、味方がケガしても
おいていくかということがまず問題になる。というかそういうことしか
問題にならないけど。
さあ、どうなんだ。

そこは期間の設定の有無に関わる。
短期でやりたかったら、さようならとなってしまう気がする。
ちなみに、さようならといって人をばさばさきっていくと、
そのまま跳ね返ってくるのを承知でもやってしまう気がする。
まあ、それはいいだろう。推量だから。

次に、長期の場合。
これは当然助ける。

次。
そうしてミッションが達成を目指す中で、さまざまな問題がおきてくる。
その場合はどうするか。
さてここで問題だ。それは自分とは何かという根本的な話で、
何かある力を持っている人がそれをしないのは罪であるという
グッドウィルハンティング的な考えが結構好きであったりする。
大体そういう力持ってる人って、なんか冷めている感じがするからね。

だから、まあちょっと熱くしてやっちゃえばって気になる。
それがどうなるかは分からないけど、まあいいや。

自分が仮に何か力を持ってると思うならそうすればいい。
つまり、やっていけばいいのだ。己を信じて。
ただ、信じるにもシューキューとか、ヒトとか必要みたいで、
一人は寂しいみたいだ。確かに現象を共有できないのは、
ちょっと辛いかもね。まあ、そこらへんはヒトそれぞれで。

やっているだけでもいいのだと思っている。
人間なんて馬鹿野郎といってしまえるのだから、
別にいいじゃないかとすらとやや投げ捨てたくなる感じもある。
でも、さらに高めたいし、高めようとしている。

だからやりたいんだ。というか、やる。
だから、ありがとうなんだ。ありがとう。

よし、完全な独り言の完成だい!

何度でも何度でも

何か表現しているというのは、
仮にパフォーマーがそれを行っても、こちらに伝わってこないことがある。
これはしょうがないと思っている。

これは僕が見る側での話である。

逆にこちらがパフォーム側だと、
同じことを僕も見る側に求める。これは全く対等だ。
平等ではないのだ。これが対等と平等の違いであーるるる。

だから、通じないものに対して固執することはない。
「あ、そっか。そっかそっか。うん」
で終わるのである。お疲れ様である。

というか、表現というものはそうだと勝手に思い始めている?
気がするようなこともあったりすることもあるのだろうと思っている。

自分がこう思ったことを文字を使わずに言うことがあるとする。
それはうまく伝わるか?
やっぱ伝わりづらいと思わない?
だから、ですけどね。

伝わればラッキーみたいな感覚があって、
それは伝えることをサボッテイルのである。怠けているのである。ということと、同意ではない。つまり、サボってないのだ。

干渉しないというのも違うなあ。

まだまだやね。
とりあえず、何度でもやっていこう。
このお猪口な器で、君のその針の先程度の器を
僕が支えてあげよう(笑)

ひでー・・・。

いかんいかん

そうだ。

で、映画で、
うまくいかないときどうするって会話をヨースケがしてるのですが、
ユウは「笑う」っていってます。

よく自分を笑える人間は強いといいますが
その通りだと思います。
という意味で、体を張ってるお笑い芸人は、強そうですが、
実はそういうベールをとってしまえば、非常にデリケートな存在だと
思ってます。テンションの高低が激しい人とかはいそうなのかなーと勝手に妄想。

それはともかく、僕なら「挑戦し続ける」というのかしら。
納得いくところまでやって、ダメなら。
この会話では「対応」というよりも、「どうするか」なので、
その後の動きならなんでもいいと思うんですが、
笑えるのは大切ですね。

例えば「なんで俺いきてんだー」っていって笑えるとか。
その感覚が分からない人がいるのだと思うと、
なんか得した気分になります。悦に入る(笑)


雨の中に、傘をささないで歩くことで、
僕はとても自由になれた気がした。

どっかの小説にでてきそうですが、実際にそれをすると、
非常に自由な気分になれます。

傘というステレオタイプからの解放!
雨=傘という典型的発想からの脱却!

ということをいうのではなく、単に自由であると。
空を飛ぼうが、走ろうが、逆に傘をさそうが、自由であると。

その自由を感じてしまった人は何をするか?
もう分かりきってるじゃないっすかねえ。


酒を飲みながら愚痴をいってる人をみて、
あーこの人はダメだなっていうのを飛び越えて、
腐った人間だなというのを飛び越えて、
ありがとうといってしまう自分がいる。

それは肯定しちゃうもので、あるシナプス細胞が、
好悪で決めるよりも、「ありがとう」というものと結びついてしまった。
キライな人とは距離をしっかりとるし、一定の距離を保つのがコツ(笑)
自分がやられたらやだけど、好きと嫌いという関係は、
多分持続しないわけで。

共依存的なものもありそうですが、まあスルー。

自由。
その言葉の深さを知るものは、決してこの言葉を口にしない。
あー、やべ不自由じゃーん。

好きだ、

やっとこさ。

あおいちゃん萌え?ってところにしときますか(笑)

ま、それはともかく、映画っていいですね。

全然映画と関係ないですが、
静かにお酒を飲める人って意外に少ないのか、多いのか。
体育会系の人とはあまりお酒は飲めませんが(笑)
その典型的な人と場を一緒にしてですね・・・。

うるさいっちゅーねん。なんでやねん。


お、きたぞ。
「自分が出してないのに、それをまとめるのはどうか?」
ということを思うんですよ。

何もしゃべってないのに、クールだとか言われると、
この人ってアホなのかなーって(笑)思うわけですね、ええ。
会話が下手というか、合わないといったほうがいいですかね。
さようなり、会話マスター、名づけてKM!を名乗るかねえ。

会話が上手い=よくしゃべるとは違うのだよ、明智君!がはは。

いかん。ちゃんと映画のこと書こう。

話はシンプルで、17年後に二人はばったり会って・・・。
という話です。分かりやすいですね、ええ。

不覚にも目に熱いものが。ぐは。

おすすめですな。

君には何を言っても分からない

人は、いや自分はどこまでで諦めるんですか?ということを
たまーに考える。例えばやりたいことをどこまでやれたら止めるっていう意味もあるけど、
それよりは、できないとき、やれないときにどこまでダメ度があったら
撤退するのか。これは孫子の兵法でも読めば分かりそうなものだけど。

期限という視点が一つある。
3年にしよう。3年たってダメならやめようとか。
これは数値で出てくるので分かりやすい。
でも、個人的には3年たったら「考える」という表現が好きだ。

他には、状況を想定するのがある。
ただこれはある程度「絵」が見えてないとダメなので、
そういう絵を描けてないときにはつかえない。
図書館を作るなら、「建物がある」状態なのか、
「そういうのに興味持ってくれる人が結構周りに集まってきた」状態なのか、
いろいろありそうだ。

話が通じない人間とは、別に敵意や悪意があるわけではない。
もちろん僕はまだ青二才がだ、もっと青かった時(笑)、
敵意ではないが、悪意だと思っていた。
それは違うのだとサトリを開いて早30年。長いものですなあ。
問題は同じようなとらえ方をとらえないということだ。
このアタリは心理学というものを少しは学んだ人間ですから、
すごーく分かりやすいんですよね。あと哲学大好き。

言葉を同一なものとして使用しても、話者同士は必ずしも、
全く同じものを想定しえないのですから、だから、誤解が生まれるわけです。
同じような理屈で、いや、考えでしょうか、
「話が通じない」というのも、どうやってとらえるかはその人によるわけです。
当たり前ですな。

では、ある人は「ふふんー」って思ってても、
もう一人の人は「敵意!」とは思わないにしても、そのように受け取ると。

まあ、すれ違いですわね。よくありそーなパタンなので、典型パタンにしよう(笑)


話が通じるとか、気が合うとは、
言葉の省略がどこまで通じるかだと個人的に思ってて、
例えば「柿」を「柿の種」の意味だと通じるとか。
内輪だけの隠語みたいなので嫌って感じはしないでもないですが、
親密な人にとっては、普通だと思うわけです。というかなきゃアレだ。

人は感情でものを言ったら、感情で返されてしまえるから、
だから言語で理性で、理屈をいうんですよ。
だったら言葉の意味がないというか。客観性とか、冷静さとか。
そういう意味では、
「君には何を言っても分からない」のであって(ん?)、
「君には何を言っても分からない」のです(笑)

残念ながら、話が通じない人に、僕はあまり接しようとしません。
うーん、誤解を恐れずに言えばってところですかねえ。うむうむ。
そんなことをいうと、「社会には嫌なヤツ一杯いるんだよ」って
もっともらしいこという人もいそうですが、それも踏まえてですね。
他にもありそうだなあ。

すごく前に、あらゆるアドバイスは無駄であるみたいなことを、
ブログではないところに書いたはず。HPかな。
そのときも思ったなあ。無人島で生きたい人の意見を、
僕は取り入れることはできない。
ただそれだけなのに、そうしたくない人っているのですね。
そうしたくないってのは、取り入れることができないのは、
ただの僕の傲慢だとか、そういうものとしたいようです。

だから、
「君には何を言っても分からない」
になるのであって、
やはり
「君には何を言っても分からない」
なのですね。

いかん、少年ライブラリの影響か!ぐは。

やべえ

忙しいのではなく、やることが多いので、正直なところ、
「ごめんな」という感じである。
ん?誰にだ。

書きたいことが一杯あるのだが、
第二の俺がそれを許してくれない(妄想

ダチがついに九州にいくことになったらしい。
祝いたい。

自分が思っているほど伝わってないということはあるし、
逆に伝えてないのに伝わると思ってる部分がある。
でも、負けず嫌いってのは変わらなく、「ふざけんなよ!」といっても、
それは心の中だけである。
「人を殺したい」と思ったことは何度もあるが、
それを実行しないのが、大人である。これはややオーバーかもしれないが、
事実だと思える。人を殺すのは、何を言っても結果的に、
一人の人間を消すことである。この深さと重みが分かっているなら、
その発想すら打ち消されてしまうのだ。
生命を軽んじるとは結局そこだ。
でも、人間が自分で蒔いた種を自分で摘み取るようなことをしてない限りってのは、人類全体にいえるんだろうけど、まあがんがれ。

料理の並行力。
並行して何かをするということを、料理をしているのをみて、
ふと感じた。これは使える、と。
なぜ人は仕事を色々やっていくと色々できるようになるのか?
それは並行処理ができるからだ。ということだと思っている。
あと、シゴトに深さが増すからというのもある。
ただ、並行というのは仕事以外にも使える。
ある人は何人もの人と同時に付き合う(いわゆるフタマタ、ミマタ(笑))とか、
ある人は本を複数同時に読むとか(いわゆる併読?)とか、
あの人は色々なことをやっているようにみえるとか。

最後が問題だ。どうみられようがいいのだが、
それをその人の力であるとかいうのも許そう。許すわ!
ただ、自分が何もできないのと関連づけるんじゃない。ただ、それだけだ。
それは単に言い訳である。言い訳はもういらないのだ。
そんなゴミ捨ててさっさと自分の道を歩いて欲しい。
うむ。

やることが多いのは、基本的にやりたいことが多いからであって、
これをどうとるかは人によりけりだ。
ただ個人的には、アンテナが鋭くなっていく感じがしている。
興味と突進という言葉が一緒になってきている。
もちろん、なんでも飛び込むわけではないが。
まあ、自分が楽しければいいんでないの、とは思う。

自分の世界をどうのこうのって話がどっかであったなあ・・。
あーやべえ。

懸命なブロガーは明日に備えて寝るのである。
さらば!

うわああああああああ

頭いてー。
誰だ鉄球を頭にぶつけたやつは!?

来年の手帳と、メモ帳を買う。
ふっ、今年も終わりだぜ。あばよ、ベイベ。

ばたん。

ウィニーとアコム

技術という手法の捕らえ方。
後で書く。

すげー。

自分が知らなかったことを知ると、すげーって思うわけですが、
まあ、それだけですががが。

全てを糧に

プロジェクトXではなく、プロジェクト4である。

よく考えると、自分一人で何かやるというのは、
結構大変である。多分、中庸が取りづらいってのはあるんだろうなあ。
ただ、一人でやるのも悪くないし、そういうやり方もある。

ま、それはどうでもいいとして、
全ては糧になる。無駄だぜーと思ったものも、
もう無駄なことはしないとすれば、可能性に変わる。

この論理というか考えが通用しない人もいるが、
自分の持ちうるパワーが環境と比例していると考えるから、
つまり、環境でしかないといいすぎだけど、そう思ってるから、
自分が変わらなきゃいいだけの話であって、
変わらなきゃパワーは常に一定だから、環境が良くなるだけである。

時代は変わるが、悲観的には誰でもなれると思うので、
いや、デフォルトで悲観的だから、そうじゃない方向にすべきかと。

共同保存図書館

多摩地区で発動したらしい。
図書館の取次の保管場所みたいなイメージか。

本は人なり。人は本なり。

それで?

天下を取るには?

天下とは日本である。
海を渡ればまた色々な人がいるのだ。
だから天下を取ってもいい気になってはいけない。
世界を治めても、まだ宇宙がある。

歴史に名を残すとか、そういうことは微妙だが、
もっと面白い人間が隠れていて、
実際に出会ってるかもしれないし、まだ出会えてないかもしれないし、
そういう可能性が滅茶苦茶面白い。

広めるには?
ある程度固まったら投げてしまうことだ。
一人で悩んでいても今までの経験則では、うまくいくことが少ない。
もちろん、衆愚政治とかもあるし、人が集まれば何でもできるわけでもない。
少しずつ形にしていくのだ。
できないことなんていくらでもあるさ。できること、やりたいことを
やっていくのだよ、明智君!うはは!

大きな仕事をするには?
小さな仕事をどう活かすかを考えること。
そこで完結させずに、次につなげること。
ベクトルの方向は縦だけではない。横もある。
大きな仕事というのを想像する。
自分で作り出すことの大切さを感じる。

うおーあと半月ちょっとで今年も終わりだあああああああああああ。

偏差値重視採用と繁華街

企業の言い分はこうだ。
偏差値が低い大学の子よりも、高い子のほうがリスクが低い。
採用のね。

でも、虎穴に・・ということがあるように、
多分「優等生」ばっかりになるかもしれない。

変えたいなら、自分が一番前に出なきゃいけない。

繁華街でボランティア募集をする人はいないだろう。
いてもいいが、あまりいない。

ティッシュ配りは人がよく通る場所でするものだ。
田舎では存在しない「仕事」だ。

グロービスビジネススクールのチラシは、
男性の方が女性より取る確率が高いと思う。なんとなく。

まあなんでもいいけど、ターゲットとなる人がいるところに、
シカケをするのは当然といえば当然である。
もちろん、その属性なり、踏まえなければいけないことが多いが。

関係なさそうことに展開するならば、
言葉を尽くして語らねばならぬ。
それが通じないとか、伝わらないのは、色々な要因があるだろうが、
いつもうまくいくとも限らない。

場違いなところで遊びたいものだ。


ネタ

日経ビジネスから。

秋吉敏子というジャズミュージシャンの話。
最後のあたりの、小さな努力でも長く続ければ実を結ぶが
説得力大。

まさにそうだなあって。

「まさに良い子の特質」って、Soffetがいってるけど、
良い子でも悪い子でも、やはり努力は一緒だけどなあ。
良い子の努力、良い子への努力。悪い子への努力。

偽善をパフォームするとか(笑)
マユをそるとか(笑)
人にあたったら「あーこのやろう」っていうとか(笑)

皆演じているような気がする。
でも、それは心から演じれば演じるという領域を越え、
まさにパフォーム(笑)
だから、表現はコントロールしちゃいけないし、
できない状態をいうことになっていい。わーい。

世の中にはなぜかってことを考えれば分かりそうだけど、
自分が何をしたいのかってことが分からない人が多く、
したいことがわかってても、皆がしてないのでしないっていうことを
するオッタマゲタ人もいて、
さらに、しっていても、あえてやらない役者みたいな人もいて、
だから、それらを取り除けば、オッタマゲルことに、
自分のやりたいことやって、生きてるんだーって、
叫んだ感じでやってる人って、レアってことを
知ったときには、ショックで、夜も眠れませんでした(眠れないのは嘘

なんでやんねーんだって。
あらゆる言い訳を、やらない理由を探して生きていくというか、
ベクトルが全く逆なんですけどって、
やらない理由を探すのが上手いってのは、
短期的にはいいが、長期的には、苦しくてしょうがない。
だってやりたいことをやらないんだから。

あー、風呂いってくらあ!

すげー

やっぱ俺生きててよかったよって。
感動しているわけじゃないんですが。

やっぱそこで勝負したいし、勝ち負けではないけど、
負けたくないし。負けずキライって性格が、全く小さい頃から
変わってなくて、っていうのは多分分からないんだろうねえ。
そりゃしゃーないさ。人はやっぱ立体でみないから(おぉ名言きたー

1年と9ヶ月を振り返る。

社会人になって、早くもそれだけ。
とりあえず、包丁を持てるようになったというのが大きい成長だ(あほ

ゴミを出す日も覚えたし(普通覚えられるぞ)、
近隣の人には挨拶もできるようになった(当たり前だ)。

何か怪しい人がみたら、とりあえず注意しておいたりと、
地域ぐるみで色々やってる(嘘

まあ、良い街作りたかったら、
自分が腐ったみかんみたいにならないように(1袋3つ入りのみかんのうち、
2つは食べたけど、1つを放置しておいたら、腐ってました・・・。)
したいもの。人が関わるものは全て、全て、人でしかない。
人が良ければ色々できるさ。

会社で外部から人を入れても、再生できるかどうかってのは、
その外部の人の手腕もあるけど、元々いる人にもよるから、
結局人でしかない。企業は人なりというのは、事実であって、
決して名言ではない。当たり前なのだ。
そういうことができなきゃ、当然死んでいくまで。
死んだ企業は、人も死んでる。逆も同様。

1年はいいとして、9ヶ月。
気づいたら、テンションの乱れはあるが、
非常に良い年だった。毎年同じこといっているような気がするが、
良いんだからいいだろ、このやろうという感じである。
今年はこれやろうとしてやったなあと、感慨深く振り返るのだ。
そして、来年も寒いが、うおおお2008年だぜ、いえいって
感じでやるわけで。

人生は楽しんでいくというところのメインストリームは、
死ぬまで変わらないだろう。やったな己。

何を訴えるか

疑問すなわち、問い。全ては答えに通じるのではなく、問いとなる。
形とは問いだ。その問いとは。Toyである。おもちゃだ。うはは(謎

それはおいておいて、何を訴えるか。
何も訴訟をしろというわけではない。
ただ「求心力」とは、必ず何かを求めている、つまり訴えるんだけど、
そういう力が働いていると思っている。
マグマのようにグツグツ煮込まなくていいから、
冷たいカボチャスープのようなうまさもあるように、
やはりうまさは形ではないのだ。内実でしかない。

もっと訴えていくとしよう。多分MOREでいいのだと思った。

横断歩道

雨に傘を差さずに打たれて歩いていると、
雨がやんだとおもって、建物から出てくる人が、
おそらく私を一瞥して、傘をささずに出てくる。
が、雨は降ってる。悪いな。

横断歩道で信号が変わるのをまっていたら、
前の人が歩きだした。
お、青かと思ったら、赤なので、
「アグレッシブだな」と思っていたら、
車が横からきそうだ。あれ?
とおもったら、その人はウォークマンをつけているっぽくて、
車の方向、つまり右を振り向きもせず、突っ込んでいくのではないか。
やべーんじゃねーって、その時は思考を軽く吹っ飛ばしていたので、
どうでもいいやという感じがあった。申し訳ない。

その人は、僕の左後ろから来た若い男性が
「あぶない!」
って叫んで、事なきを得たのだが、
あれ?その人は軽く振り向いて、そのまままた歩きだすのだ。
え?なんで。自分が危ないんだよね?ん?ん?ん?
と思ったら、また車がきた。今度はそんなに危なくないが、
でも危ない。
赤でわたっているからだけなのだが、なぜ?

そしてその人は同じように赤で渡りきり向こうへいった。
解せない。

死にたかったのだろうか。それとも。
とにかく、彼女は危険すぎる。デインジャラスである。

音楽違法コピーとキセル乗車と割引でみた劇

並列タイトル。なんか久しぶりかな。でもないか。

まず、音楽違法コピーについて。
正規にお金を払わないというか、払うことが馬鹿らしいのだけど、
時代錯誤感がなければ、ルールを遵守することはやはり必要かなと。
コンビニの前に不良っぽいやつがたまってたら、
店側は注意すべきかなと。あと客も同じ視点で。
もちろん、ケガをしてまで、危険を冒す必要もない。
でも、店は人を作り、人は店を作り、店は地域を作り、人は地域をつくりということを考えていくと、
結局、一人の行動は意味がある。ただそれがどのように、
サーキレーション(循環)していくかということだけだ。

不良やヤンキー、暴走族なんて、ルールを破るのを楽しんでいて、
だから話はできないという諦めもあるかもしれない。
でも、何かむしゃくしゃしたり、分からないことがあって、
そうやっているだけのような。やることないからやる人もいそうだけど。
悪いけどこっちも同じなんだよなあ。
イライラすることもあるし、叫びたいこともあるけど。
でも、それを単にTPOを考えるかどうかだけで、
見られ方が違うってのはすごーく面白い気がする。怖さもあるけど。

で、コピーについては、やはり中庸が大切かなあ。
コピーを正当化するつもりもないけど、かといって、
じゃあソフトってのはそこまで価値あるものが正当な値段で
売られているか?微妙かも。
商売にもよるけど、あと利益率の設定っすかね。

次。
キセル乗車。
キセルとは、語源は知らないが、まあ正規料金を払わずに乗車すること。
例えばよくあるのは定期を組み合わせて最短距離の切符を買うというもの。
これ、機械が発達して今はやりにくそうだけど(改札ではじかれる)
やる人もいそうだ。
これやると、確かに得だけど、捕まるリスクを冒してまで、
やるメリットが分からない。
まあ、万引きするお客が、普通に暮らせる人だったというのは
よく聞く話。これは単にタチが悪いというか、スリラーなだけなんだろうけど。あまり深くつっこまない。

次。
割引で見た演劇とそうではない人の劇。
例えば、3000円の劇があって、普通に入ると3000円かかるとする。
ところが知り合いだからといって、2000円いや、タダでもらえたとする。
ライブではそういうノルマは普通にあるみたいっすね。ライブというか、
演奏にはそういうものがあるというか。なんか生々しいかしらん。
で、それはよくて、
3000円出した人と、タダで見た人って、
同じ価値を見出せるかっていうと、何か違うような気がする。

それはお金をいくら払ったからっていうところでの比較でもいいんだけど、
それ以上に何かあるような気がする。
そもそも、タダで配っちゃうもの(これはプレゼントではなく)に
価値を見出せるかってね。だからもらった人も微妙と思うかもしれない。
3000円払ったひとは、3000円ってところで見るから、
きっちり評価するかもしれない。

ただ、思うのは、お金というものでも、時間でもなんでも、
自分で何かを使っているというのは重要だということ。

これらの3つの共通性は、
正規ではないというところ。

正規というのは意味があるかどうかというところだが、
例えばベンチャーは非正規な感がある。
でも、それらは成長を遂げると正規となる。
はて、上場企業は皆「正規」というと、そうでもないような気がするけど。

とりあえず、強引に結びつけると、
キセル乗車している人に、劇の価値は分からないし、
違法コピーしている人は、社長になっても、その程度の人間だし、
劇をタダでみても、やはり価値は微妙なんだろうなって、
そういうことはいえそうな気がする。
関係が必ずしもあるといえないが、相関はありそうだ。

例えば金曜日の夜はつい、柿の種を買ってしまい、
ノンアルコールなソフトドリンクでつい一杯やってしまう傾向があるとか。
って、それは己か。いやはや、くまったくまった。

人は平面でなく、立体だ

これは2Dとか3Dの話ではなくて、
人は平面的な要素で成り立っていないということ。

例えば、不安と希望って言葉で表せられるのは、
二次元のような気がする。というのは、
不安の深みや軽さ、不安のベクトル、不安のメタ認知レベル、
不安という状況の説明などなど、不安って言葉で
表すことはできないと思う。

そもそも、不安って言葉でそれらを表すことはない。
でも、人が「不安があって」いってるときは、
そういうあらゆる説明を省いてるけど「不安」って言葉を、
代名詞として使っているに過ぎないのではなかろうか(笑)

だから、平面ではない。立体なんだ。

人は生きていることは、立体で、平面じゃない。
平面だと、ペラペラのベニヤ板みたいな人生になってしまう気がする。
あれもだめ、これもだめ、それもだめ。
それでベニヤ板を取り外していくっていうのも、一つの生き方だけど、
ベニヤ板が仮に立体になりたかったら、
板を重ねるか、板を変形させていくしか、やはり立体にはならない。

立体ってそもそもなんだ?
立体は深みか、高さか、厚みか何か分からないけども、
時を経ているという感覚がある。

台詞にそういうものを込めることもなしに、
人はその言葉の響きに感じるのだと感じることを感じる(笑)

人を立体だと思ったとき、自分が放つ言葉は反響し、こちらに
返ってくる。平面だと思っていては、その言葉は、
返ってこずに、まるでぶつけるように言葉を吐いておしまいだ。

うむうむ。

誰が汗をかくんだ

お前が汗をかかないなら、誰が汗をかくんだ。

誰の迷言か知りませんが、確かにその通りなことは多くて。
リーダーがやんないとお付のもの(笑)が動くわけはなくて。
それを部下のせいにしている人がいるとしたら、
もう鼻で笑う前に、お前はなんなんだよって感じになりますわね。
モチベーションも上がるわけはないし。

汗をかくというのは、単純に動けばいいということでもなく、
自分がやってなかったらわかんねーよってことを、
実際にやることなのだといえる。うーむ、分かりづらいな。

楽して儲けるっていう類の情報が、今はあんま言われないけど、
でも、未だにアフィリエイトで稼ぐとか、なんか色々あるけど、
矛盾してるのは、楽して稼ごうって人を煽るコピーなのに、
そうは思ってない著者がいたりすると、
結局その本の価値は微妙になる。これは真実のような。

もちろん、Webサイトには変なHPがいろいろあって、
変というのは、「うわーなんだ、この煽ってるのは」というのだけど、
実際にそれで何か始めちゃう人もいるから、あんまりいえないし。
楽して稼げるなんて。できてたら誰も稼ぐことで困らないし、
そもそもなんでそんなことを教えてくれるのさーって思うし、
というか、楽して稼げるってそもそも面白いのかねーって思うし、
いやいや根本的に、引っかかる人はやはり「楽」って言葉と
「稼げる」って言葉に心理的にトラップにかかってるから、
やっぱ詐欺でしかないから、犯罪だなあって思うけど、
まあそんな言われないんだろうねえ。

で、前置きが長いーけれど、
その楽をして稼ぐ人って、汗をかかないのだと思う。
ばかやろーふざけんなーっていえるのは、汗をかかずして、
誰か汗をかくか。それが分からない。
何かやったことがある人がそれをやるなら分かるけど、
やってないのに、楽をしようとしているというか。
それは、そもそも無いものを単に夢想しているだけで、
できねーよって、いうことになる。

なんであれ、何か指示を出す場合、そういうことをしたいなら、
汗をかかなくても、どういうことを志向して、どういうことを
絵で見ているか、イメージを伝えること、分かりやすさ、
そこから学べること、こういうアクションをとること、
その面白さ、デメリットから色々、そういうものを、
少しずつこめていく必要がある。
これは人を育てるって感じだなあ。多分そうやってやらないと、
人は育たないし、育つってのは、思考を多くできるってことで、
より考えて実践できるってことを意味する。

仕事っていうのは1つじゃないんだ。
色々あるわけで。

さあ、汗をかかなきゃいけませんな。
来年は2nd stgを目指して。

チェックポイント黒点島

見てきました。
観衆の年齢層が高め。確かに、学生に4000円オーバーはきつい。
よって、観劇が好きな社会人で若い人は少なめ。いるけど、少なめ。
40代?60代が多かったかな。

それはいいとして、内容。これまだ全国でツアー公演だから、
続くのでネタバレっぽくなりますが、まあいいっか。

話としては、黒点島ってのがあるって話で、
それと対比させて、竹島とか対馬っていういわゆる島の領土問題について、
スポットライトを浴びさせる狙いがあったかどうか知らないけど、
そういう劇だと思う。
前みたスタッフ・ハプンズもそうだけど、やや風刺っぽいけど、
喜劇でもないし、といってカタクもないから、
あと役者がやはり場数踏んでいる、熟練した人々で構成されているはずなので、
見てて安心できるなーってのはいつも感じたりする。
それは安定ではなく、やはり挑戦し続けているから、面白いものが生まれるはずで、若い役者って経験もそうだけど、続けてきたものってのが、
単純に少ない(時間的、量的の話で、質的な問題はここでは関係ない)だけってことを思う。

まあ、それはいいとして、やっぱ領土問題は熱いなっというのが、
正直な感想で、やっぱ気になることは調べたいし、
もらったパンフにも用語解説あるし、フォローなんだろうなあって
思いつつ眺めるわけですわ。

竹島は話題になりましたが、対馬ってやはり僕の中では全く知らなくて、
ああ、九州の上らへんにある島ってイメージでしかなくて。
そういう知らないものを知るってのは、あるときは知らなくても良かったこともありますけど、大抵そうではなく、知っておいてよかったなあって
そういうことが多いですね。

というわけで、やっぱ良かったなあって感じです。
主演の竹下さんは、生で見るのは初めてですが、
やっぱ女優とか、役者の人って、見られているってことがあるせいか、
若くみえますよね。まあ、どうでもいいですが。

朗読。

朗読を聞いてきた。ん?聴いてきたかな。

朗読はあまり聴いたことはないが、
あれはラジオのような感覚で聴きづらい(というのは、慣れてないからだろうけど)のが、今の痛いところ。
集中すると、眠気が(笑)

朗読というのは、何か分からなくなった。
文章に今ここであるように、詩を書けばそれはそれで伝えられる。
おそらく、生の声と生の感覚を伝えられるというところで、
違う。が、でも、志向性?を考えると、どうなのかと。
どうなのかというのは、詩をブログでも書いても面白いかどうか。
結局面白いかどうかでしかない。

僕は人に初めて会うとき、その人の考え方に注意している。
逆にいえば、考え方だから、考えはどうでもいいとすら思ってる。
もちろん、ほとんど似ているものだから、どうでもよくなくなるのが
結果なんだけど。

表現というのは、自己を表現するというものだと思っている。
というか、自分の普段の生活を一つどれを切り取っても、
それは自分だ。自分自身でしかない。誰かと変わることはできない。
誰かに家事を任せても、それは任せたというのが自分自身だ。

だから、詩とは自分が表現されていると、表現の一種だから、
当然そのように考えてきていた。(完了形?)
でも、「表現」って考えずに、というよりも、この「表現」っていうのが、
多分「青二才」がいってるんだろうなーって見られるかもしれないが。

その詩を、物語を聴いて、「あ、この人はこういう人か」って、
感じられるものがないと、面白くない。

朗読劇となると、劇性が求められる。劇とは、物語だが、
舞台があればそこの空間を世界とする行為だ。これは大げさにいってない。
だから、朗読劇とは非常に高度なことだと思っているので、
舞台で動く人間を見ていると、朗読劇は、ドラマリーディングとか、
そういうのを想像してしまって、全く迫力にかける。
だから、朗読劇っていってる場合のその狙いは、
劇ではないんだろうなあってすら思ってしまう。

詩はそこからは自由な気がする。
文章を読むということでは、独白も全く一緒だ。
詩も文章も全く等価だと思っているから、表現の自由度がそこにはある。
ただその文章から何を言いたかったか、何を伝えたかったか、
この人はこういう人なんだなーって、ああそれはあるかもね、
えーわからんなーって、言葉の機能がきっちり含まれていて、
それを投げかけるのが、朗読なのかなと。

つまり、文章があってそれを単に読むのと違うのは、
そこにおそらく著者がいるってことかな。

深読みすると、集中が切れると
その話が、こちらが集中できないから、対話から、
独白っぽくなる。独白は自分から自分で後は聞く人見る人次第だが、
詩は独白ではないはずだから、
独白っぽいのだが、こちらに何かを押し付けているような気すらしてくる。
それは、押し売りセールスマンではないし、保険のおばさんでもないのだが、
でも、聞いてくれよっていって、聞く人間関係があるとか、
聞いてくれる場所があるとか、逆に言える場所があるとか、
こちらが疲れた時に休みたいってことは、できないのかしらと思った。

詩の世界構築に興味がある。
逆に表現自体は詩ではほとんど興味がない。

かくこと一杯あんな・・。

HAZARD

ハザードみてきた。
夢の中へを思い出した。園子温監督。
http://www.hazardmovie.com/topframe.html

頭をガツンとやられたわけではないが、
強盗を奨励するわけでもないが、
思いっきりやるべきだし、とんだほうがやはり人生は楽しいとにらむ。

いたるところで、
眠すぎる日本、けど眠れない日本というナレーション?が入るが、
僕も学生の頃は別の表現で同じようなことをいってたかもしれない。
「世の中、馬鹿ばっか」とかね。

それは違うぞ、というのも一理あって、確かに馬鹿じゃない人も多い。
けど、馬鹿な人も確実に存在する。
思想や理念を社会に対して示すのは簡単だけど、
それをやるなら自分が常にそれをし続けなければならない。
また、そうではない人が表れたら無視できないのだ。
それを無視したら、その想いは相対的に薄まってみえる。本人が薄まらなくても。

それは違うということもあるが、大体あまり感覚が変わってない。
学生の時からね。

まあ、それは僕の考えだからいいとして、
一番いやなのは、人生はつまらないものの蓄積物、もしくはそれから構成されているものとか考えて、
つまらないから突破しようとしない人が増えることだなあ。

というわけで、学生におすすめだなあ。

WE ARE HAZARD!!!

今一番注目しているニュース

やっぱ近未来通信ですな。

あとは、やっぱ残業の例外措置なあれの話。

さて、IP電話について調べるとするかー。

スカイプ

ヘッドセット購入。
なるほど。同時にスピーカーでもいけるなー。

準備OK。
いざ鎌倉!
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