ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年11月

遊び心

自分がやっている行為に対する発言が、
他人のやっている行為に対する発言になることがある。

その場合、両方を比べて考えてみたりするが、
簡単にいってしまえば、言われたり言ったりするってことになるんだなと
そういうこと。

遊んでいるようだけど、別に遊んでない。この真意がわからねーよ、
つたわらねーよっていって、ここで引っ込むことはない。
遊びってやっぱ真剣にやるもので、「遊びだから適当でいいや」っていうのは、
一興なんだけど、でも遊びっていっても色々あるわけで。

遊びだからこそ、手を抜くことなく、真剣に、突っ込んでいく。

何で自分の言いたかったメッセージ、想いなどを表現できるか。
時には怒りもあると考えられる。別に怒りが全てじゃないのだが。

TABACCO

タバコを無性に吸いたくなる。

ダチに言わせると「危うい傾向」らしい。
タバコをすって、水溜りに捨てる人を見たが、
それは違うと思った。なぜゴミを捨てても平気なんだ?

燃えるごみに燃えないゴミが入ってるときに、
罪悪感はないのか?

タバコをすって思いっきり煙をはいて、
その煙は社会に浴びせられるのではなく、
自分にかえってきそうだ。

よくわからんが、タバコはすわねー。

枯葉

落ち葉が舞い落ちて
またお前は葉をつけるんだよね
すげえよ なんでできんだよ
できない人間なんて一杯いるのに

落ち葉を見て無性に叫びたくなった。

俺何してんだ。
今が現実がつまんないことはないのに、
同じ現実生きてるのになんでこんなにも、
こんなにも違うんだよ。わかんねえ。わかんねえよ。

そうやって叫んだとしても、現状は何も変わらない。
全く閉塞感や圧迫感、緊張感、恐怖といったものが
ないのに、悲しい。
涙より笑いが先にでるが、妙に悲しい。
笑ったら、顔が歪んだ瞬間に涙が出てくるような。

誰がこの世を作ったか問うても誰も正確なことは分からないだろう。
人間の世界という前提がある限り。

生きる

今生きてるんだって叫んで笑ってうわあ何やってんだよって感じて、
やっぱ笑う。それが生きてるんだってことだし、生きるってことじゃねえか。

冷たい空気と、暖かいココア、人々が行き交う交差点。

生きてるんだって。生きてるんだって、
そう感じたら、なんかできそうな気がする。

錯覚かどうかは自分で確かめてみればいい。

味噌おでんで幸せ

味噌を求め走る。スーパーでゲット。
スーパーでレジ待ちしてたら、アイスクリームのスプーンで
自分の欲しいのがないなーといってる感じで、
店員に言っていた人がいた。
あ、なんか変わってるなあと思ったが、まあYではないが、Yに近いかもしれない。
KとDの隠語を知ってから僕はもうアルファベットを発音できないかもしれない。

USBかしらないが、バーコードリーダーがあるっぽい。
1万を切ってるので、これ図書館に導入できる気配。
さらに、IP携帯電話もよさげ。年間4000円なら電話引くより安いし、
何より携帯できるのがいい。うお。

本が欲しい。
だが買えない。禁断症状がでそうだ・・・。

LANケーブルを。

購入。実質、うちにはPCが4台ある。
って、こうやって数書くとすげーなあって思うなあ(謎

LANケーブルが欲しかったのでかってきた。3m。
フラットケーブルで、なんかハイセンス。

紙もA4がなくなってしまったので、補給。
紙安いが、使える。まさに白紙の可能性さ。

やっぞやっぞ。きたーこのテンションきたーきたー。

なんでやねん

なんで路上でタバコすって俺に灰かけとんねん!
路上はお前の私的スペースか、こら!

何急いでいるかって、人を突き飛ばして電車に乗るんじゃああ!
世界はお前中心で周ってんじゃねえぞおおお。

いかん。
怒る対象がない。もちネタが少ない。
もっと怒る対象を見つけなければならない。

とりあえず、身近な人を怒らせるような発言をして、
怒らせて、こっちも怒るということをしてみようかしら。
人間としてやや、というかかなり間違っている気もするが、
なんか「理解しすぎる」ってのは嫌なんだよなあ。
ぜってーそんな理解できてねーよ。100%理解ありえん。
80%ってブラボーだよ。大体人は60%理解で進んでるんじゃねーか。

なんで日本が極東なんだよ。なめんなよー。
なんで日本を再生とかいってんだよ。良い国じゃねーか。鎌倉幕府だ。

少子化対策とかいってんじゃねー。
そもそも若いもんがいねーのは、年寄りが多いからだ!
全員ぶっ殺すぞとか、そういう怒りもあるかもしれねーじゃねーか。
そういうところ汲み取らないねーのかなあ。
何でだよお。

世の中下みりゃいくらでも下いるじゃねーか。
なんでいつも昼になると、ホームレスのおっちゃんがあそこに座ってんだよ。
なんでだあああああああ。


分からないことばっかりで、意味わかんねーことばっかりで、
それで人生止めちゃうって、つまんねーよ。
本当にお前は弱いのかよ。本当にお前は強いのかよ。
ただの馬鹿なんじゃないか。お前って自分のことじゃねーか。
どこまで思うんだよ。

何をやったんだ。何をしてきた。何を見た。何を考えた。
何もやってんじゃねーか。
何だよ、こりゃ。違うじゃねーか。全然違うじゃねーか。


朝のラジオ聞いてたら、1年ぶりくらいの再出演のリスナーの人で、
そのリスナーの人に対してがんばれってメッセージがあったって、
DJがいってた。なんか朝は眠っているんだけど、脳だけ起きてて、
その声だけすげー布団のあったかい中で聞いてて、
不覚にも涙が出てきたんだよ。すげーことじゃないか、これは。
朝からそんな涙流して、なんか「いーな」って思って、
これすげーことだなって思って、やっぱラジオはいいなっておもって、
こんな良い世界築けてすげーなって思って、涙したんだよ。
すげーよ、まじですげーよ。すごすぎるよ。

なのになんで、「ありがとう」もいえねーとか、
なんで人を殺しちゃうとか、なんでいじめをして馬鹿になっちまうやつとか、
優等生ぶって調子こいてるやつとか、ちょっと力があるからって、
天狗になって鼻のばしてアホになってるやつとかが、
いるんだよおおお。

わけわかんねーんだよ。
無駄に無駄に生きているやつが無駄に食って無駄なことして、
なんで生きたいってやつが苦しくて死んでくんだよ。
これはなんなんだよ。理不尽だろうと、現実だろうと、
俺は認めねーぞ。絶対にみとめねー。みとめねーーー。


おっと、珍しく怒ったな(笑)

正しい生き方ー

コーラ飲んだらおなか痛いよ。

正しい生き方というのがあると思う。
これは「自分がそう思う」という意味で真実で、
正しい生き方は定義できない。自分のみ自分の中で定義できる。
だから、それが正しい生き方だ、ということしかいえないけど、
それだけはいえるというのがある。

自分の生き方が正しいかどうかなんてのは、
分からないというのが「普通」だと思っているけれど、
中にはそれを確認したくてたまらない人がいるのだろう。
それは好奇心ではなく、不安からだ。
好奇心という意味では、大抵は、その方向にいかない。
多分楽しむ方向にいくんだろう。

核ーって言葉を連呼してきたけれど、それはもうなんていうか、
自分が機嫌が悪いときに、人にどう対応しているか、
コンビニの店員にありがとうといえるかとか、
なんか態度かわってねーかとか、自分って安定しているものがあるかとか、
お天道様が見てるっていうのを感覚的に万神とか無視して、
思うことがあるかとか、そういうことなんだと思う。
というか、これは断定できるな。

小さい人間は小さいままだし、というのは、
それはその人が大きくなろうとしてないから、そのままで、
そのままがいいならそのままであってくれと。
そうじゃないから「愚痴」るんだって。
そんなつまんねー生き方をしていて、何が面白いのだろうと思ってたけど、
やっぱそれは今振り返っても同じで、つまんねー生き方はやっぱつまんねー。

それは人と競って面白さをどーのこーのいうのではなく、
自分が面白いというのを大切にすればいいだけのことで、
それは「マイナー」とか「おたく」とか「マニア」とかになるんだろうけど、
僕が思うには自分の世界を大切にしている人は、
そういう同じ世界(これは例えばコスプレが好きな人はコスプレが好きな人と同じ世界にいるっていう意味ではなく)というか、世界観があって、
お互いに傷を舐めあうとかそういうのでもなく、
単に一人の個として認めあうというか、そういう感覚なんだろうけど、
どうもそういう風にとらえない人って、偏屈だったり、なんか変だったり(これはユニークという意味ではない)することが多い。

あーおなか痛い。

禁断症状

一杯食べたい時に一杯食べるように一杯読みたい時は一杯読む。
まさに消化なり。

うきいいいいいいいいいい。

やべ。

色々なことがー

毎日が滅茶苦茶充実しててーっていうことはないのだけど、
でも、趣味っていう感覚で「真剣」にやるってのは、
大事だなあと思っていて。

馬鹿をやるって意味では、ずいぶんチャリでは馬鹿なことをやって、
おちゃらけたとか、そういうのではなく、馬鹿だって。
馬鹿って言葉がぴったりきて、そういう馬鹿さってやらなきゃ分からないんだろうなあって。
もちろん、宴になると、騒いでうるさい人は「ただの馬鹿」だから
ダメなんだけど。あ、それは受付ないってだけで。どうぞご自由に。

バイトの話とかも語ってしまったけど、
「うわ、ぜってーこんな仕事しねーって」
工場のイチゴ下手とりって、そんな単純作業やってらんねーよって、
別にその労働者を馬鹿にしてないのだけど、俺はやだって。
そういうのってダメなんだろうかって思うこともあるけど、
全然そんなことねーよ。ガラが悪くて態度がでかいヤンキー兄ちゃんもいれば、
そうじゃないヤンキー風兄ちゃんもいるんだよ・・・。
だからそういうのは違うんだよね。
だから、下手とりで自分はいいやーっていう人はやっぱそれまでで、
別にその人が幸せならいいのではないかって。

でも、多分違うっていうか、嫌だなーっていうふうにやってる人が、
一番「サラリーマン」っていう形態で仕事している人には多いんだろうなって、
思っているから、やっぱそのままじゃダメなんだろうねえ。

その証拠に僕は「普通」のサラリーマンっぽくないような気がするけど、
でも、サラリーマンなのだし。なんかそこらへん難しい。
人はやっぱ「仕事」でその人をみるし、「普段何してるんですか」っていうのは、すごく「曖昧」なんだけど、「すごくピンポイント」で、
「普段の生活の糧はなんですか」って(笑)聞いているようにすら思えるから、なんか適当に生きている人にとっては嫌な質問なんだろうなあ(笑)

この半年間は走ってきたって感じがする!わけではないけど、
追いつかないくらい色々な出来事がたまってきて、キャパオーバーではなくて、もっと色々考えたいなあって、もっと色々なところから色々できるなーっていう意味の反省が一杯あるなーって。

やってて良かったよーって思うことがあって、その一瞬のために、
人は例えば演じるのだとか、例えば絵を描くのだとか、
文章を書くとか、システム作るんだって、そういうのがかっこいいなって思うなあ。

世界は不公平だけど、それは不平等でもあるけど、
でも、そういうのを飲み込んでいる人間、自分の中で消化して理解している人間は、多くいて、きっとそういう人が世の中を面白い方向にやっていってくれるって、思っている。そうじゃなきゃ、世界は変わらんよ。

寝るねるー。

怒りの質

よく分からないが、最近「短気」から「長気」になったというような
ことを言っている自分がいる。

怒るということのベクトルが変わったのだけど、
例えばタイミングとか、状況とか、その意味とか、何で怒るのかとか、
そういうことが「怒る技術」というテクニック的なことも含みつつ、
何で今まですぐに怒ってきたんだろうなあと回顧。

多分、別に無駄に怒ってきた過去があるとか、
何やってんだーと怒鳴って意味ないじゃんとか、
そういうことじゃないんだ。決して。

でも、それとリンクさせて考えると、
怒る意味のない人もいて、これは決してのその人を見下すとかではないのだけど、
怒っても意味ないなーというアキラメを感じさせてしまうと、
もう怒る気になれないし、怒らない。

期待=怒りでもあって、怒らないってことは
逆に何も期待されてないというか、注意の対象でもないというか。
だから虐待とかの「虐待対象」という愛みたいな錯覚は、
分かるような気がする。意味合いが。

怒られないより、怒られていた方がましだとか、
そういうことはないけど、でも「言われているうちがいいよね」っていうのは、こないだダチと話してたときに、ぽろっと、
「辞められちゃ困るな」的に、辞めるのを止めてくれるときに辞めるべきという考え方をしてて、「あーそりゃそれもあるよなあ」と思った。


もっと考えてみよう。
そもそも、自分の怒りというのは、表現というものが
うまくできなかったという葛藤みたいな怒りだったのだろうと思っていて、
それは外部に発する怒りではなく(世の中なんてくそくらえだー的なものが、
学生時分に比べると大分なくなってきていて、でもそれはアキラメとか、
現実をしったとか、妥協とかではなく、むしろやり方を変えていくとか、
形にしていく重要性を知ったから、分かったから、学んだから、だから
絶対そこで止めちゃいけないんだって、そういうことを思っているんだけど)
内部に発する、自分への怒りみたいなものかな。

自分に怒っているから、周りに「全然だめだよ」なんていっても、
通じるわけはなくて、なんで「こうしてこうしないんだ」って。
そういうことを言いたかった気がする。ずっと、そうだったかもしれないし、
そうではないかもしれない。

そういう反省も踏まえて、カタリベカフェやってますって言い出してから、
自分をこのカタリベカフェで表現しているぜって感覚ではないけど、
あーこれはやっぱ自分がやっているんだなーって主観が芽生えてきて、
それは楽しいって思う感覚とは別にあってね、
そこでこういうのはどうだーこれはどうだーって挑戦を、
社会に投げかける構造、仕組みになっているか分からないんだけど、
ある程度はそういうことが出来ているような気がする。多分気がするから
少しは出来ているんだろう。

表現という意味では、何か訴えるとかは難しくても、
こういうことを考えてやってるんだっていうすごくアバウトだけど、
やっているんだぜっていうのは、必要だという自信があって。
これは常にあったというか、絶対的なものに近い。
なんでそういうことがいえるかっていえば、もう決まっているのだけど、
そういう自信みたいなものとか、必要性とか、そういう核があるってところで
やってる人は強くて、逆にそれは外からみてもすぐ分かってしまうので、
隠しようがないところ。
それを見た人で、何かを感じてくれて、それで影響を与えるまではいかなくても、「ああ、そういやあんなやついたなー」とか「そういう人が世の中にいるよね」っていう認知、認識、把握、理解、知っている、そういうのがあるんだって、現実の世界でやってるんだって、そういうのがあれば
いいと思ってやってきたんだ。

実際にそれはかなり僕の中でできていて、
完成はしていないのだけど、そういう仕組みというか、それが出来つつある。
これは非常に大きなことで、挑戦とかチャレンジとか、やってやるぜっていうそういう感覚で溢れているのだけど、多分、そういうのって、
もう説明できないんだろうなあ。「なんか進んでるよね」っていう言葉でしか、表せないんだろうけど、言葉にできないものが常に大きいので、
いい感じといえばいい感じになる。


最近思うのは、この怒りというところで、
なんでそうしないんだよーっていう怒りが、そんなのは、
直接いっても伝わらないから、形にして結果だしていくしかなくて、
そこで地味にでも、やっていくしかないんだぞって。
そういう意味で年数がかかるって、自分がやりたいことでもなんでも、
時間がかかるっていうのが分かってきた。

その時間がかかるにしても、形にしていくっていうのも、
全部なんだけど、全部自分がやってみないと分からなくて、
だからって全部のことを体験しなきゃダメっていうことではないんだけど、
自分が考えていることをそのまま考えっぱなしで、放っておいたら、
やっぱそのままでしょうという当たり前のこととか。
失敗しなきゃ分からないとか。成功の連続とかまずなくて、
失敗してんだよなあって。人に迷惑かけていることもあるけど、
まあそりゃそんなもんだあーって、そうやって自分に都合のよい風に
考えるくらいで丁度いいよなあって思ったり。

そんなんじゃつまんねーよ、お前の生き方つまんねーよ、
なんでそんなのが楽しいんだって、そういうお節介じゃないけど、
色々語れた人もいるけど、そうじゃない人もいて、
メッセージなんてものはすげー届けられないんだなあって。
自分の表現したいものがあって、それがあるメッセージというものに
変えられるなら、それも一緒で、届けるのはすごく難しいなあって。
深いところの理解でもなく、そういうのって直観で分かるレベルで、
分からないものはやっぱ分からないってレベルで。そういうものだ。

そうやって分かった気になっている自分がいて、
分かったつもりでいっている自分がいて、だから偉そうにっていう
突っ込みは常にあるんだけど、そういう控えめな、謙虚な、
自制的なものは、ぶっちゃけどうでもよいような気がして、
じゃああんたは何を形にできたんだって。

形が全てじゃないさ。でも、言わなきゃ分からないのも確かだ。
行動が全てじゃないぜ。でも、動かなきゃわかんねーよ。
どこでその頭の中の妄想というものを、実践するんだよって。
死後の世界か?それで死んで終わりかよーって。
考えてるっていってるけど、それ考えてねーよ。
考えるなんて、別に思考のパターンとか、そういう手法の問題ではなくて、
どうやってそれをやっていくかっていうところで、
戦略とかなんて必死になってなんかパクってこれば色々あるじゃないか・・・。
そんな戦略とか大したことなくて、じゃその知識をどう自分の頭で考えて
活かすかって。
考えないと将来なり、未来も分からないし、だからっていって、
それだけやってりゃいいわけじゃなくて。


わかんねーならわかんねーといえ。
我慢してるなら我慢してるといえ。
やりたいならやれ。好きなものはやれよ。

自分のやりたいこと我慢して、それで生きているのってなんなんだよ。
自分ってそんなつまんねー存在なのかって、
そういうことは考えたら、「普通」やらねーのか。やりたいことやらねーのか。

何が不安なんだ。殺される不安があるのか?
そんなの日本なら「あんま」ないじゃないかあ。
それ以外の不安なら、生命に関する不安以外なら、なんとかなりそーじゃないか。
ホームレスのおっちゃんだって活き活きとしてはないかもしれないけど、
生きてるし、その生活を美化するつもりは毛頭ないけど、生きてるんだ。
コンビニのフリーターっぽい店員でも生きてるんだ。
血を流すことがなきゃ人間の命の大切さがわかんねーなんて、
そんなナンセンスなことやってんじゃなくて。

自分ができない理由なんか挙げてる場合かよ。
いつやるんだ。いつなんだよ。時間切れってのもあるぜ。

自分に対してもっと怒れよ。
人のこといってる場合じゃないんじゃないか。
そこまで考えていってるのかよ。
なんだその薄っぺらいものは、つまんねーつまんねー。


うおおお。ほえろ!

愚痴について

愚痴というのは、愚かと書かれているように、愚かだ・・・。
これを自制するには、かなりの力がいるように思えてならない。

ちなみに、僕は仕事の愚痴で「あの人は分かってない」とか、
そういうことは言った覚えがないし、基本的に同期は職場が異なるが、
愚痴はつまらない。
相手がそれを吐くことですっきりするならというレベルなら聞くが、
大抵は「愚痴ってるやつが一番愚痴」であることが多い。
だから、愚痴るなら、どこまでメタ認知できているかが問題だ。

もっとも愚痴るなというわけではないのだけど。

愚痴なんて誰でも言えるからってレベルですな。うむ。

例えば、愚痴の典型パターンで、「ダメ」なことを挙げるときに、
それは相手に言ってないことが大抵だ。
例えばA課長は現場が分かってない、などであるが(笑)
それは言って納得してもらえるようにいったのかどうかが鍵だ。
もしそうしてないなら、それはなんなのだろう。

という意味で、愚痴れる=期待していることになるわけで、
何を期待してるんだよーってことになる。
期待なんぞはするものではなく、創るものである。
期待は創るのだ。そう、対象とするのではなく創るのだ(え、何?

とりあえず、寝るとしよう。
さらばだ、明智君!

挑戦する心

それがないものはつまらない。
これは年齢は関係ないと断言断定。
さらに、状況も関係ない。

例えば仕事が忙しくて時間がないから、挑戦なんてしてらんねーよというのは、
最もだが、でもその挑戦するのも、時間を確保するのも、
自分でしかない。まさか他人がやってくれるとでも思ってんの?
と、問えば一撃で済む問題だ。

よって、そこまで厳しく(そもそもこれが厳しいといってる時点で、
好きなことも何も出来ないんだろうけど、そこらへんは人は
真理としたくない人が多そうだ。そうすると、終わっちゃうからね。
っていうほど、人はひどくないんだけど。)できないわ、いやんって
人は、だらーりだらーりと日々を過ごしていく。


わかんねーよ、なんでやらないのかわからねーよという言葉を
最近吐いたかどうか、吐かなくてもいいけど、
分からないことだらけなのが世の常だ。
学生の時に想像していた社会というものの感覚はあまり変わっていなくて、
やっぱこの分からなさが社会だよな!という妙な納得感満載。

一生懸命生きている人と、そうではなく生きている人。
どっちが面白そうかって問題でしょう。ただそれだけだ。

面白いかどうか。
その1点のみでおそらく挑戦は加速する。

楽しむ

楽しみを強調すると、何か楽しんでいない人に思われるかもしれないが、
まあいい。そういうこともあるさ。

もう芝居は止めようや(え?
大根よりにんじん目指そうよ(ぇ

キシダンが好きだっていいと思う。ショーヤンは面白いしね。

これだけだとただの独り言(つまり、独り言にも色々あるわけね)になるので。

そうだなあ。色々なブログ見てて思うのは、
そのブロガーにロックオンしちゃうと、巡回が楽になるなあってこと。
アンテナが増える感じ。

逆にアンテナが感じられないブロガーだと、見てて苦しくなる。
だから、そのうち見なくなる。これは更新頻度もそうだけど、
アウトプット意識してるなら、更新頻度は自ずと高くなるはず。

例えば、忙しくて更新しなくても、その溜まったインプットが
アウトプットされるはず(忙しくて何も考えてなかった!ってのは、多分凡ミスです)なので、平均更新頻度は変わらないというのが持論。

寝るかな。

貧すれば?

豊かになるかもしれん。さあ、真理は分からない。

人の心の隙間というのが存在する。
だから、真理なんて分からぬという心理が存在する。
甘い人間はそこを見抜かれたら動けなくなる。
実際に、街角ティッシュ配りはその変換だといっても言いすぎじゃない。
歩く位置、目の方向、全体の雰囲気、歩き方、歩くスピード、
何人で歩いているか、顔の表情、手に何を持っているか・・・
などを一瞬で判断し、ティッシュを配るかどうかを判定している。

これは、結局詐欺師がそいつはどういう人間かを見ているかというか、
まあ、どうでもいいわなあ。

演じることが大切だなんてことは全くいう気はないが、
皆、必死で、演じているように思えて笑えるときがある。これは19歳の地図の影響(笑)
自分も自分というアイデンテテを必死になって守っているようなことを演じている気がする。演じるとはメタ認知そのものなんだけど、演じるというと、
なんか敷居が低いわりに妙に説得力があるような気がする。

何かをやった気になって、何もしてないのに、そこで立ち止まっている気がする。という感覚が一番自分にはあって、これではダメだろうなあと。
何を今までやってきたのだろうかと、そういうことを思ふときがあるのでございます。

今の僕には人見知りは当てはまらないのだけど、
まあ、それは当然だとしても、シャイな性格だとか、人前で目立ちたがるわりに、派手さがないという中途半端さとか、そういうところは一杯ある。
どんな人間もそんなもんだろうと勝手に理解してしまっている。
というか、完璧な人間というのは人間ではないからつまらんのよ。
つまるかつまらないか、ただそれだけでしかないというか。
話しててつまんねーなこいつはー!!って思っても決して口にせず、
スマイルで過ごす。それが紳士淑女ってもんだ。


面白いことをしよう。挑戦していこう。戦略立てていこう。人生を楽しもう。
全て自分へのメッセージでしかない。しかし、それは確実に僕を見た人には、
何かしらの影響を与える自信がある。それは自信でしかない。ああ、自信でしかない。これは自信なのだ(しつこいな

何・・・XpProって、.NETframework2.0なんすかっていうか、
SQL Server2005トライアルは、.NET2.0対応ってか、
それはともかく、手持ちのVB.NET2003がはいらねええ。
くは!

VB2005Expreeで代用。

くそ。買った本がSQL Server2000かよ。くは。

こうなったら、頭の中で変換して別システム作ってやるー。

にしても、SQLServer2005重い。メモリ一応768MBくらいあるのになあ。
くそ、さすがDBだぜ。いえい。

ランチで

言うと何かが起き、動くと何かが分かり、考えたりすりゃ見えるさーみたいな、格言というか、一筆というか、そういうのが
店にあった。

あー、そうだよそうだよーと。

だからあ、なんでわかってんのにい、やらないんだよおう。
そんなことなんてえ、わかりきってるじゃあないかああ。
と鼻につく声でしゃべると嫌われることができるかもよ。

人生を楽しむなんて小さいこといっちゃいけん。
世界を楽しめ!

キャラメルの重なる力、買おうっと・・。

うおりゃ

ほう・・・ウィルスバスター1ライセンスで3台までいれれんのね。
っていれちゃったよ。すげー。1台1000円か。こう考えると安く感じる。年間ね。

たつをさんのところで、こんなの発見。
http://noughts.jp/
絵好きなダチに勧めとこう。
こういうの好きだなあ。面白いなあ。技術者にビバだなあ・・。


そいやわざわざXPproかって、ASPお勉強用にマシンインストしてなかったよ・・・。
SQLserver2005の評価版とIISでVB.NETでお遊び。
勉強というか、遊びというのが狙い。にしても、
プログラミングは面白いですねえ。

うし

あとタスク的には2つ。

1つは、打ち込み。
もう1つは、整理。

整頓は好きじゃないな。整理が好きなんだ。
ってそんなこといわれてもあれだな(笑)

整理が、仕組むを創る感じで、整頓は作業で元に戻すって的かな。
だから、整頓は誰でもできるけど、整理はできねー。

編集って整理だな。整頓も入ってるだろうけど、
AがAAにあるから、Aに戻すって指摘も大切だろうけど、
でも、AAになったのは、Bがあるからって。
あれそうでもないか。

整理することで失うこともあるかもしれん。
っていう屁理屈をいって、整理しないってのもありだけど、
まあ、その前にカンタビレだ。

かんたーびれー♪

ネタ

新聞から。

まず、新聞のコラム。
「真の本好き」というもので、これは昔の私設図書館、個人図書館な
話で、なんかええ。これはとにかく読めといいたい。
けど、まあ押さえてる人は押さえてるからスルー(おぃ

次。
MJの特集から。
これは、「古書店は私の部屋」というところで、
自分の部屋のようにくつろげる古書店を紹介してる。

新鮮なネタだ。
ストックストックっと。

行動メモ

タスクの洗い出し。

色々やることがありそうでなさそうで。
ただ部屋が汚いだけのような気がする。

ほーう

スキンを元に戻したらブログ見えるな・・・。
うむ・・・どうりでプレビューが見えなかったわけかな。
こりゃすぐ分からんぜ・・・。

ま、とにかくゆるりと過ごすことにするかーって
もう今月おわっちまうな・・・。

うお

19歳の地図は、鬱屈というよりも、
絶望を演じているように思えた。

電話でターゲットにした家に「イタ電」するなんて、
19歳の遊びにしてはいささかばかげている感もあるが、
いやいや、絶望っていうのは多分こういう感覚なんだろうと。

自分より希望がない、夢がない、楽しそうではない人間をみて
優越感に浸る人はいそうだけど(あ、俺だ)、
まあ、そういうのも人間らしいというか、そのまんまだなあと。

逆でもないけど、絶望も人間だなあと。
お先真っ暗とか。本当にその状態がkeepされると困るけどね。


自分は小さい人間だということを感じると、
また大きくなれる気がしてしまうまっと。

自己暗示

お前ならできる。
俺ならできる。
できるできるできるできるできる。

うわあああああああああああ。

って、ドリコム調子悪いなあ。

trust my way

グーニーズホリデーズが熱い。
熱いぜ、うおおおお。

パンクっぽいロックだなあ。ロック熱いぜ!鍵でも、ストレート酒でもないぜ!

仕事が忙しくなると、無駄な時間を削ることになる。
無駄を削るとは「きり」をつけることであり、
「最短と思えるルート」を探しながら、働くことである。
まあ、効率とかそういうのですかな。

そういう状況になると、いわゆるピンチとか、あれ?って時に、
試される局面、状態、あれ日本語おかしいな。
もう一度。

忙しくなって、ややテンパってくるとき、
そういう状態におかれると、そういう局面になると、
その人がよく分かる。
投げ出す感満載なのか、要所要所潰していくのか、
時間と仕事量のトレードオフを考えるのか、
どういう切り抜け方をするのかを思考するか。

これは普通に面白い。
くどいが、「普通に」面白いとは、非常に面白いよりも、
面白い感がある表現として使ってしまうま。

believe my wayはDefTechのMyWayの歌詞にあったり、
Going My Wayは色々な歌詞で使われるけど、
Trust My Wayはなんか新鮮だ。

うおおおお、トラストだあああ。

渾身のストレート

シミュレートする。
ああ、ここでつらいのね。
ああ、ここで嫌になるのね。

そこらへんを歩いているへなちょこ(笑)だったら、
見捨てる。別に僕は冷たい人間なんて思ってないが、
とはいえ温かい間を誇張することも愚かであり、おごるなよって感じだ。

ある状況を比較したとき、自分はマシだとか
そういうことは思わなくなった。
意味がないのさー。そんな比較は。

とにかく、朝からカケソバをがっこみさあ、やったるわい。

うお

来月ボーナスじゃねえか・・・。うおお、金だ金だ。
今週給料日じゃねえか・・・。うおお。
しかも、祝日あるじゃねえか、、うおお。

テンション上がるわ!このやろー!
寝るぞこのやろー!

なんだこりゃ。

生きること

長めの日だった。
生きるということに関して、圧倒的な恐怖、不安が
あるというのは、本当にきついなと思った。

僕の主張というか、考えでは、
生きるとか、そういうことって哲学的とかどーこーの話じゃなくて、
人間なら考えざるを得ないと思っている。
それは裕福とか、そういうことでもなく、
ワンチャンス思想に準ずると違和感を感じた時を大事にするってことが
即ち等しいことになる。

未来は決して明るいわけじゃない。
でも、単純化して考えれば、未来が明るいかどうかは
誰も分からない。だから、未来が明るいかどうかを考えるパワーを、
未来は楽しいだろうと思えるのか、未来はつまらんだろうと思えるのか、
そこらへんに投入したほうが良い気がする。

現状があって、そこの延長線上にしか未来はない。というか、将来の絵はそうやってしか
描くことができない。自分のやってることが即ち何かに直結するとか、
そういう短絡的思考はやめたいところだ。

自分の絵を描くには、今やってることを、認識するしかない。
自分が馬鹿だと思うなら馬鹿でいいじゃないか。天才だと思うなら天才でいいじゃないか。
でも、絵は自分で描くわけで、人が描くわけじゃない。

自分が絵を描かないで、じゃーなんで生きるのさ。

あらゆる意味をこめて、楽しくいこう。

ネタ。

1点。
古書店の記事。
自分の家みたいにくつろげるお店。おお、いきてー。
そういうのもありだなあ。座布団とちゃぶ台は必須だな。
あと、緑茶だ。熱い緑茶。

もう1つは私設図書館。
これは熱い。熱すぎてお茶が沸くわ。


で、なんでOSMのページアクセスできねーのさ・・。
OSMのクリアファイルが欲しすぎる。うわーん。

?を好きということ

この言葉は、発言者が「?」を好きということを
意図していってると思われるが、実はそうではないような気がたまにする。

例えば「本が好き」ということ。

本当にお前は本が好きか?ということを逆に感じる。
だから、本が好きなのに、本を読んでないのは、行動的に矛盾する。
というのを踏まえた上で本が好きというなら、やはり想いがあるんだろうなと推測できる。
だから、やっぱ好きなのかなーと思う。
楽しいとか、面白いとか一部でもありゃ、それでいいように思えるけど。

例えば「音楽が好き」
ならば、音楽のこういうところが好きっていってくれよ。
それいえないなら、なんで好きなんだよ。
別に分析して言葉であらゆるものを表現しろっていってんじゃないよ。
自分なりにこういうところが好きってあるっしょ。
それを言うだけじゃん。「好き、好き好き」でいいわけだし。
それをいえないなら、好きっていうんじゃねええええ。

とか思うことがあったり。

有難うの安売りと全く同じ原理だが、
言葉に魂が入ってないとダメだ。
だから「?が好き」っていうのは、慎重に使ったほうが良い気がしている。
想いがのらない、のってない言葉ほど、疑いたくなるものはなし。

疑う

本当にそれでいいのかと問うこと。

疑っていく姿勢が好きだ。
いじめ問題は今頃浮上しているが、ぶっちゃけ、そもそも学校が
おかしいのではないか(これは全部を疑う姿勢だ)とか、
てかやっぱおかしいからおかしい人間が出てくるんだよ!とか、
それでもいいし。
まあ、疑うことだ。

何かを壊して再構築することがいいと思ってる。
俺ならこうするとか、そういうのが出来れば良いと思ってる。

まあ、それも次第にやっていきましょう。ああそうしてみせましょう。

独白の大切さ

独白をやってきた意味があるというか、
別に意味がないと思ってやってきたわけではないのだけど、
そういうのを分かっている人がいるんだなーということを
確認できて、すごく良かったというか。それを感じた。

だから、メッセージとは対話だけではない、
色々な方法があるのだとまた感じる。

文章は短いが、想いをよっこらせいと詰め込めることができる。
そこらへんはやはりテクニックよりも、どれだけ考えたかでしかないな。

ピース。

1からやってみる

チャレンジとは、何もないところで始めるということも意味する。
環境もお金も人もそろって出来ることをやったら
多分それは「あーそうなんだ」ってレベルになる。芸がないのだ。
そいつのユニークさがでてこないから、面白くない。

そこで、ビジネス本とかにありそうな、
人脈もお金も何もない人が、今じゃお金もってるよーんって
本があるけど、あれは嘘ではないだろう。

でも、あれは意味がない。
なぜ意味がないというと、人の生き様、もっといえば人生の一部を
本の活字にすることに無理がある。
そこには、誇張と曖昧さしかないといったら、著者は怒るだろうか。

お金を持つことが幸せというのは、
お金を持ってないから欲しいから、それを手に入れると
「欲しいもの」が手に入れられるからだろう。
でも、欲しいものって何さ・・・。

お金お金みたいな人はきっと金儲けは出来ないだろう。
これは、がめつく、利益を出さねば、お金に厳しい、どうやったら
人が来るか?売れるか、という考えとは、全く関係がない。
人間性の問題といったら終わりだろうか。


1からやっている人とか、挑戦している人が励みになる。
逆にそうしてない人は、怒りをもたらす(笑)
別に誰にでもそんな怒りは感じない。ただサボッテイル感が腹が立つだけだ。
最近そういう意味でも、怒ってない気がする。

僕をある種の場面でしか知らない人間は、冷静だ、クールだという
印象を受けるだろうが、
実は短気で怒りっぽく、そして嫌なことをいう人間だったりする。
自分には甘く人に厳しい人間は大嫌いだが、そうなってたりすることがある。
まあ、しゃーないかと許せる自分がいるのでOKなのだが、
そういう短気さとか、そういうのよりも、「あーそうなんだ」という
認識が最近は早く知覚するようになっている。
また、キライな人間についてあーだこーだいうのも好きだが、
それは結果的に整理のためであって、ベクトルは好きな、面白い人間しか
見ていない。だから、愚痴は99%ない。素晴らしい。

自分ほど狂った人間はいないなーという自信があるが、
まあ、そういうのはうまい具合で消化されればいいような気がする。
例えばそれが、引きこもりとかそういうのとかになると困るな。
あ、自分が困るってことですけどねえ。

さあ、1からやってみよう。
まずは、縄跳びからかな(ぇ

多くを学ぶ

目を閉じて集中するということは大切だ。
頭の中の風景、メロディー、音、匂い、情景。
それらを表現できたら面白いと思うことがある。

それはなかなか難しくて、結構零れ落ちる。
何かを編集するとは、結局こぼれちゃうなかで
それらをどーするかということいなるらしいが(本当?)
まあ、それはいい。

多くのことを学んでいる気が最近はしている。
毎日悩んで眠れない日もある(嘘
犬に吠えられてトラウマになったこともある(嘘
起きて会社に行ったとおもったら、実は布団の上だったという夢をみたということがあって、遅刻したということもある(本当っぽい

面白く、楽しくやっていくぞという意識、思い、心、匂い、雰囲気、オーラが
あれば多分その通りになる。
それはとりあえず断言しとこう。
何もそれを潰したいとか、削減するとか、ダメにするとか、
そういうこともないわけで、逆に、逆風が吹く分、
被害者面(笑)(正確には被害者意識)で大きくなれるだろう。
「なんで、そうやって杭を打ちつけるのさ」ってね。

メッセージを渡す

ボールにメッセージを渡す、届ける、含ませる、託す、入れる。

猿足をやってて仲間から言われた。
良い表現だと思われる。

いわば心のキャッチボールである。三塁手か一塁手かの生還っていう
国語の教科書に出てきたあれもそんな話だったか。

言葉は結局表現の一部でしかないなら、他の表現はどないなっとんの?
ということにある日気づいた、青年RMは表現だなと思われるものは、
どんどん足を運ぶようにしたのだ。
それで、今の僕がここにいる。

朝の通勤時、お勤めをしている人は、やはりサラリーマンを演じている気が
して時々笑いたくなる。これは、「19歳の地図」とほぼ似ている。
鬱屈していないが妙に笑えることがある。

あまり好まない人に何か言われたときに、
「分かりました」といっておいて、
心の中では
「いや、やりたくないです。というか、何で俺がやるんだよ!」
と悪態をついて、そしてそういったらどうなるかと、
まるで「世にも奇妙な物語」なのだが、
やはり、はらたいら氏の死去は大きい。びば、クイズダービーである。

関係ないな。

でも、そうやって悪態をつくところで、結局、演じているなとすら思う。
演じているというとわざとやっているというにおいがするが、
そうではない。そういうものをやりたいからそれを演じるという含みが
ここにはある。

だから、クリーニング屋の主人はクリーニングを糧にするのだ。
漫画喫茶のオーナーもそれに然り。居酒屋の店主もそれだ。店員も同じようなものだ。
また、スーパーのおばちゃんも同じだろう。多分。
カラオケ屋のオーナーも同じだろう。

仕事とは即ち表現だ。でも、表現といえるレベルといえるかは、
よくよく考えて欲しいところだ。何事も心が入っているかどうかで、
心が含まれる行為は何かしら違うのだ。

コントロールされた感性、即ち理性的な感性というものがあれば、
それが「演じる」というニュアンスで受け取っている人は多いと思われる。
でも、それは違うな。多分そんな芝居はクソつまらない。

感性を出していく、それが演じることであり、生きることだ。
だから、熱さがない人間は、パワーがなく、また魅力もない。
最も、その熱さは人によって異なるが、
間違えると、というか間違える人間ほど、面白いのだが、
関係する人間にとっては、トラウマだ(笑)
今も覚えているよ。あんたの言葉は忘れないからな。
呪いでもなく、恨みでもなく、その言葉を覚えていることで、
僕はまた強くなれる。というか、強くなってしまうのだ。

感性を出したら、出し続けることは難しいので、それが冷めたときの
動きをどう感性と結びつけていくかになる。
ここはなかなか難しいが、結構面白いところでもある。

ゲームも仕事も遊びも全部コミュニケーションだ。
というか、人間が関わらないものがないというか、
やはり、猿足は面白いね。


おかしい

自分をコントロールできない状態とは、別に酒を飲むことではない。
それはアホである。

さて、おかしいとは、通常ではない有様のことをここではいうが、
僕がなぜブログを書き続けるのは、楽しいからでしかない。
全く接続語がおかしいが。

自分の考えていることをどこまで言語化できるというのは
僕の課題であるが、ただ言葉を信じすぎないというのもまたルールだ。
全て言葉でやらなければならないというのも、一興だ。
でも、そこまでやると、おそらくコントロールできない状態ではなく、
ただの発狂になる。多分、捕まる気が(笑)

あ、これは好きだというものがあったら、それを想像してみて欲しい。
多分それが僕にとっては、書くということになる。

書くことで、何かが変わることがある。
自分の整理というのは、言葉では「安い」が、しかし現実的価値は高い。
そこが分かる人は、おそらく書くということが表現だと理解していると思われる。
でも、そうではない人には、その大切さは分からない。
これは、分からない人間が馬鹿というわけではない。

自分も含めて、何かに救われるとは、それが絶対に見えるのだ。
その心理を悪用する輩もいるくらい、それはやはり価値があるのだ。
やや表現は悪いが。

おかしいのは自分が笑えばいい。人が笑う理由はそこにはない。
何があってもだ。

人は強くなれる

傷ついた分だけ人は強くなれる。
だから、後悔、失敗、挫折、思考停止、諦める、ダメダメ、ダメだし、
不合格、No残業デー、など否定的意味合いのことが
即ち、そのまま「否定」であり続けることがない。

もし、「否定的なもの」が「否定」であり続けていると思っていたら、
それはあまりよろしくない。誰にとって?そりゃ自分に。
そしてその人が関係している他人に。

自分だけ自暴自棄になって終了すりゃ、世の中はひたらす
部屋にこもって生きる人ばかりな気がする。
でもそうなってない。社会ってのは一人じゃ生きていけないんすよね。

人は強いわけじゃない。でも、弱い分強くなれるという可能性がある。
可能性なんて自分にないと思ったら、まず楽しいことから
やっていって、そこから何かを見つけるしかない。
ここでいう「何か」とは、言葉どおり、文字通りの「何か」であって、
それは行動したその人自身しか分からぬことだ。
だから「何か」なんだ。

そういう何かを誰かに「求める」人は、魅力がない。
そんなのは顔みりゃ分かるのさ。あばよ、ジョニー。

最近見ないけど、自分が不幸を背負ってるとか、
自分はそういう星のもとに生まれたとか、そういう風に考えている、
またはそう感じている、実際にそしてそうだと思っている人間が、
滅茶苦茶キライだ。それは若ければ若いほどそう思う。

お前は馬鹿かと。何もしてないのに、何で決め付けるんだと。
何のために生きてるんだ・・・。ただそれだけを思う。

自分の中では明言して、他人には明言せず、実行していく。
そういう感覚が僕には心地よい。

他人の人生に期待をして、自分の人生に期待をしない人間も嫌いだ。
キライな人間ばっか、全て僕の糧となる。
社会は良い人もいる。でも、マイナスなものって、
心にへばりつくとね、そいつがでっかくのしかかってくるのよね。
そうだな。マイナスを2点みつけたら、そいつは心に56%くらいくる。
プラス2点みつけても、そいつらには勝てない。
大体、プラスとマイナスは同じ日にやってこない気がする。

大体、日がずれる。

だから、「そういう日もあるさ」なのだ。

カンタビレ

うおりゃー。12巻まで読んだ。

千秋がオケを創るって話が面白い。
もし音楽がなかったら・・・という表現も面白い。

やっぱ世の中は面白い。

採血セクハラ

健康診断へいったときに、採血したときに、
順番まってるときに、採血してもらっているおじさんが、
親しげにあれ?看護婦ではないから、スタッフになるんかなあ、
に話しかけていて、それで、心拍数じゃなくて、
血圧を測定してから採血しているんだけで、
血圧測定しているときに、血圧が高いだの低いだのって、
心拍数も機械には表示されてたのかなーって、
それで、心拍数が上がったみたいな会話っぽことをいってて、
そこで、おじさんが一言「べっぴんさんだからね」といって、
スタッフの人は笑っていたって話で、
それって多分セクハラになるんだろうけど、でも
おじさんみたいに女性みて話しかけて、きれいだし、かわいいから
って率直に言いたいというか、そういう人で、そういう年齢になると、
なんかセクハラでもなくて、良いおじさんにも思えたりするってことを
感じたってことなんですけど、
でもセクハラなことは変わりはないというか、セクハラでもなく、
単にほめただけかもしれないけど、ああ、なんか分からなくなってきたのだけど、でも、採血ではなく、血圧測定セクハラかなって思ってきた、
ってそりゃどっちでもいいのだけど、
まあ、いいかって、とにかく、魅力がある顔だったのは確かって、
なんだそりゃ。

タクトとタップ

タクトを振るが、タップも刻む。
その意は?

タクトは指示を出せるということ、つまりは管理側。
タップは、作業者。つまりは現場側。

オールラウンドプレイヤーすなわち、ジェネラリストを目指すというよりも、
そうなってしまうという傾向あり。

タップは刻むためにある。
ならば、本は読むために存在する。

そうやって考えると、生きるという意味も明確だ。
そう。人は生きるために存在するってわけだ。

表現

これ。

暖かさを表現するには、
「暖かさ」を表現しようと思うのではなく、
自分がまず暖かくなること。

それが暖かさの表現ということになると思われる。

別に、痛みを感じたいなら自分を傷つけるとかそういうことでもなく。

本番では練習以上のものは仮に出せてもそれはマグレでしかない。
マグレが悪いわけでもなく、むしろ楽しいことかもしれない。
ただ、一定の質を保ちたいなら練習は必須だ。マグレだよりでは
常に質がばらばらだからだ。

自分を表現するとは、ある種「壊れる」ことだ。
だから、「酒」「夜」「疲れる」という状態になると、
だんだん本音が出てくる。
「あーこんな仕事したくねー」とか(笑)
「あーこんな仕事したくねー」とかね(笑)

別に仕事が嫌なわけではなく、仕事にもイロイロあるわけだ。
どんな楽しそうなこと、好きなことでも嫌なことはある。
それは何度言っても、とくにこのブログでいっても、
伝わるべき人には伝わらないだろう。
それも一興だと思いながら、僕は書き続けることにしよう。

表現とは、コントロールできない状態にすることだ、という定義は
非常にしっくりきた。ありがとう。
外部の何かを、外部の声を、外の世界を、照れがあるとか、
それは不必要でもないが、意識とは自分の内面に行き、
コントロールできない、こうなってしまえ、こうなるのだという
状態にもっていくことだ。

それは非常に心地が良い。ある種の快楽という言葉かもしれない。
それはスポーツでもなんでも好きなことのために、
ある種の訓練、練習、エチュードなど、そういうことをするのと一緒だ。

だから、僕は何かを書きたいから、常にこうやって
書き続けるのだと思われる、というか、そうなるのだとメタメタ。


あと、幸せの定義、成功の定義は、自分なりの定義をしときゃええ。
ということを感じる。逆に、自分なりの定義が出来ずに、
お金もってりゃ幸せとか、人間関係が良ければ幸せとか、
自分のではない他人の尺度によるもの、他人の定義、よく言われるよーな定義に
振り回される人をみるとたまに涙が出てくる(嘘
でも、まだこういう人はいるんだなーと妙に懐かしく感じる。

だって、そんなこといってたら、おそらくほとんどの人は
不幸になるんだろうなあ。まあ、鬱屈した人間なら
そう考えてもいいけど、悪いけど、あたしは、そんなブロガーじゃないぜ、
舐めちゃいかんよ。

さらばだ明智君、また会おう!

自信

今週はえらくあっちゅーまだった気がする。
が、気のせいだろう。まだ金曜日だ。

自分への自信、物事への自信、人への自信。
自信という言葉は、重い。自信がない=不安ではないように、
ん?関係ないな、自分が自信を持てるというのは、
自信があるよというのにも、歳月がかかることが分かりつつある。

これは、自分の知っているぞというところでもそれがいえるから、
それと同様に考えれば、これからやるようなことは
もっと時間がかかるのだと思える。

こだわりとは、「大きな」ものではなく、「小さな」ものとしか
形として現れない。が、その質的な大きさはやはり大きいのだ。
だから、こだわりという言葉は即ち、心の大きさを意味したいものだ。
でも、「こだわり」というのは、たまに自分の視野を狭く、
蛙ちゃんにしているキライもある。というか、そう聞こえる。
でも、そうでははない。こだわりは決して自分を小さくするものではなく、
より大きくしてくれる、そうだなあ、長所のようなものだ。

自分の人生を長所を伸ばして生きたいか、短所を潰して生きたいか。
単にいいところをみるような状態に(自分にも他人にも)していくことを
していけばいいような気がする。
おそらく、これは誰でも出来る。でも、すぐにはできないことで、
きっと、だから人はこういう言葉を聞いてイラっとして、
できねーんだよってすぐに違いを見ていうのかなと思える。

そうではなく、その違いの良いところを見るだけでいいのだ。
多分それしか取り入れられないし、学べない。
それをもっと取り入れたい、学びたいなら、そこで踏ん張ればいいだけの話だ。

さあ、ふんばれ己。

左足

左足を扱うと、なんか得した気になる。
だから、右足を普段使ってる人は、左足を使ったほうがいい。
多分、読書とは、左足を使うことだろうと思う。

ゆるゆる。

セカンドライフだっけ?

今まで何度でも出てきたような気のするバーチャリアリティ(この言葉を最近聞かないので死語になりつつあるんだろうなあ)のゲーム。

アバター(あたばもえくぼではない)という3次元(この言葉もなんか生きた言葉ではない気もする)の仮想キャラクターを操り、
ゲーム内で生活する。

MMORPGというのがそういう世界を強固に確立していったと思っていたけど、
アメリカ?なこのゲームは、現実ドルとゲーム内通貨を換えることが
できるので、ゲーム内で商売も出来るらしい。

日本はここらへんグレーっぽいですが、
どうなんでしょうねえ。

ゲーム中毒とか、ネット中毒とかありましたけど、
やっぱやりすぎはいけないかなーと。なんか中毒者を助長するような
感じがするので。リアルマネーとゲームマネーの関係がね。
ま、それでもやりたいからやるってのは、
人間心理をうまくつきすぎてるから、「そんな言葉」で
フォローできないんすよねえ。


飯を食い、クレイジーになる、酔う、語る、愛する、といったものは、
やはり現実のドラマが楽しい。ゲーム内はやはりそれのオマケでしかない。
なーにこいつは、別にセカンドライフ非難ではない。
そういうゲームはいいとおもう。でも、やっぱ現実だなと思えるわけで。

今もコルムオンラインとかってあるんだろーなあ。
懐かしいなあ・・・。ふっ、昔の話さ・・。


だんだんこのブログの独り言カテゴリが、
誰かにメールしているような感覚になってる。
許せファンよ。許すなファンよ。どっちやねん。

ラジオ録ってなくてすいません。これは自分に謝ってます。

平日に行きたいところがあると、その週が鬼のように
色々あるような気がすることってありませんかねーねーねー。
ねるねるねーるねー。

クレイジーゴーナクレイジー?♪byTRF

楽しみにしてた劇を見に行った。
やっぱ面白かった。作風というか、同じ人が作るからーってことで、
同じ空気ってのはある。
でも、それは「飽きる」ものではなく、それが好きだから、
好きだなあと。変わればまた変わったように好きになるだろうと。

本は人生を豊かにしてくれる、とは言うけど、
それはもっと正確にいえば、本を読む人間がいて、
その人間が想像することで、自分の頭に世界を描くことで、
イロイロな感情、感覚、立場とかを学ぶから、
って意味になるのだろうと。

独白という言葉だけを聞いただけで、ニヤニヤしてしまう人間としては、
最も素材というか、材料というか、刺激というか、要するに出会いあり。

まだ、劇は公開中だから、ネタばれは避けるという
どえらい紳士なことをしてみるが、でもオープニングの曲は
良かったので、それを聞いて彼ら彼女らの表現を思い出し、
そして劇を思い出し、自分の血肉とさせてもらうことにしよう(えらそうだな。


世界は広いが、その分、人も色々いて、
ジェットコースターのスリルなど小さいと
分かったら、ドラッグをやるのか、本を読むのか、
単にそういう問題なのだと思う。

あ、これって村上春樹か、龍か、誰かの文章にありそうだな。
多分春樹氏かなあ。

で、多分こう続く。

自分が自分であり続けるために、
その問題がなければやはり自分ではない。

いや・・違うな。これは俺だ(笑)

てか、海辺のカフカ読みたいが、買えない・・。くそ。

いかん。普通に、KELLYムック版とか買おうとしてた。
あぶねえ・・。

人を使え。

最近思うのは人は使ってナンボだと思うことだ。
別に人をコキ使うとか、そういうことをせねばいけないとか、
そういうことでもない。

どうも、ある種の言葉は、ある種のイメージ物語られる(イメージだけなら偏見ですむが、そこからストーリーが奏でられるというのがお味噌)ことが多い。

人に指示を与えてやってもらうというのは、面白いことだと思う。

だから、指示を与える人と、それをこなす人の2種類で
構成されているなんて思ったら、そいつはダメダメだ。

結局「意識」の問題なら、自分で「意識」しまくりゃーえーじゃん。
やりたいようにやりゃえーじゃん。

そんなこともできないくせに、人にぶつぶついうのが一番カッコワルイぜー。

立場

店員でなければ殴っていたという感情というフレーズ。
?という立場でなく、一個人なら?していたという形式。

とりあえず、紳士でかっこいい。
うぜー客にはうぜー対応をするのも一興だが、
うぜー客に立場を貫いた接客などをするとかっこいい。

それがプロってものだと思うから。

ほー

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0611/06/news054.html

ほほう・・・。
裏技心理はゲーマーなら分かるが、
ミクシーはゲームじゃないぜ。

足跡を残さずってことが微妙だ。
そもそも、足跡を残せるから楽しいってベクトルのような気がする。
負の足跡じゃあるまいしー。

って意味で、マイミク登録しすぎじゃねーのとか、
公開してない日記を読みたいって・・・。


自分の生き方があるように、みくしーも自分の楽しみ方があるので、
なんともいえんが、同じことから、人が楽しんでいようが、
やっぱ使えないものは使えないわけで、使えるものは使うし。

新聞で、劇作家の人が(樋口一葉の劇だったかな。)、
ブログは自己表現だったかなー、自己存在だったかな、
他人に何か言いたいって、他人の目をやはり意識してるーってことを
いってて、その通りだなあと思う。

ちなみに、僕は自己完結している(他人に答えを求めてないという意味)
ブログなり文章が好き。
逆に、他人に答えを求めるようなのはダメかー。

1年くらい続けてれば、それ見りゃ、どういうブログか、
どういう人が書いてるか、わかっちまうねえ。
1年も騙し続けることは、結構、実力がいるし。

あ、このブログは存在自体がフィクションです。
しかし、内容はノンフィクション風(笑)

わけわかめちゃん。

カンガルー

考えるの変化。活用するとそうなる。
考えず(ない)、考えて、考える、考えること、考えた?、考えろ、カンガルー!

かんがるー。

なんかすげーミドルテンション。


滅茶苦茶小さい。
最近、そう感じる。寒さがそれを助長させる。
そして、おでんを食べさせろ!

ラジオ録ってない。まあ、年内に1回はとりまひょ。
そうしまひょ。うひょひょひょひょひょ。

魚りぃやー。


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