ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年09月

ラジオっす

ラジオそろそろ録るかーということで。

今度やる図書館DEカタリベカフェって企画について
話そうと思います。

新しいわけじゃないけど、
あんまりポッドキャストで告知ーみたいなのって
少ないと思うので、まあ反響がないから
やらないんだろうと思うけど。

でも、それいったら、反響がないものしか最初ないわけですな。
このディレンマを突破できるかどうかは大きいですなあ。うはは。

RM軌跡ラジオ第21回目
「図書館DEカタリベカフェ」
BGM:トップ10のメドレー風(笑)


あーポッドキャスト楽しい・・・。

酒が強い人間

面白いというか、現象であるが、
酒が強くなりたいといってる人がいた。
その人は酒が弱くて、あまり飲めなかったのだ。

そこでその人はお酒を積極的に飲めるように
色々努力したらしく、相当ではないが、結構飲めるようになったらしい。

ちなみに、僕は「飲める」というのはどの程度をさすかは知らない。
ただ、アルコール度が高くないと思われる、
ビール、チューハイ、カクテルなどのものをコップ1杯程度で
酔う人は、あまり強くないとは思うけど、
2杯、3杯くらいで酔うのでいいのではないかーとは思う。

で、それはどうでもよくて、
酒が強いとそれだけ酔わないから、色々しゃべれるとか、
そういうことを望むのだろうか。
というよりも、一緒に「酒」を飲みたいだけなのだろうか。
ここらへんは分からない。

僕の中では、「酒」は楽しむべきで、
だから、ウーロン茶と酒をお互いに飲もうが全く気にならない。

なんでこんなことをいうかというと、
最悪なパターンとして、
酒が強いが、とくに語るものではないが、話のネタがないと、
ただ退屈するだけのような気がしてならない(笑)
つまり、酒が強いと別に得でもなんでもないのだ。
自分が酔えないというのは、これもまたすぐ酔ってしまう人と同様、
辛いような気がする。
ので、酒が弱いから酒が強くていいなーとかいうのは、
スタイルがいい人に、スタイルがよくていいなーといってるのと同様で、
もっといえば、
いろいろがんがってるからこそ出来るものも、それに含めて、
?でいいねーというのは、その人の力、エネルギー、やっていること、
時間を割いていること、大切にしていることを、
全て目をつぶっている・・・ということともいえる。

もちろん、そんな深い意味なぞはないと。
そういうこともできるが、そういうことをいえなくもない。
いや、むしろ積極的に言える気がする。

酒があろうがなかろうが、もちろん差はあるが、
ないものはない、あるものはある。それはやはり現実でしかないと。

で、話を戻して。

酒が強くなっても、というか別にそうしたいならすればいいのだけど、
そいつの話の面白くなさは変わらないのである(ひでー
だから、強くならない方がいいのではないかなと思ったこともあった。
まあ、別にいいやーとか思うけど妙に思い出したので(笑)

ラジオ終了

竹中絵里のラジオが終了した。
感覚的に、ヤイコとかの元気みたいなのとかぶる。
もちろん、「元気」が共通であって、というかそれは人間の共通なのだろうが、
いいなーと思う。
元気ソングといっても、「灰汁(あく)」がないというか。
意味的には、洗練されたって「灰汁が抜ける」がね、らしいけど、
その通りだなあと。

灰汁がない人間が好きだ。
ただ、灰汁がないといっても、自分がないわけがない。
僕は、灰汁がないとは言われたことはないので、
嘘でもいいので言って欲しいものだ。あこがれでもある。

そんな彼女の番組にはメールはしていないが、
今回最終回。土曜日は結構楽しみに聞いていて、
普通にトークも面白いし、やはり元気が出るというか。

ラジオの前でパワーをもらった人は結構多い気がする。
「泣いていいんだよ、辛いのは君だけじゃない」
という言葉があるとすると、それって誰が発しても同じ言葉だ。
でも、発する人が違えば全く異なるのだ。

ちなみに、僕はこの言葉を発するとすごく灰汁がでる(笑)
ので、発しないというか、発せないのだ。

自分の言いたい、伝えたいことを、メロデーにのせるというのは、
すごくカッコ良さそうで、実は単に語っているだけともいえる。
いや、そもそも詩とはそういうものなのだろうけど。

ラジオから伝わるパワー、それはやはり伝えていかなければならない。
ラジオで救われたとまではいかないが、ラジオは元気を、
そして生きる力を、何かやろうという勇気を与えてくれる。
そこに偽りはない。全くもって、1vs1の対等の関係で、その対話でしかない。

そういえば、この時期はラジオ番組再編時期だ。
10月からまた色々なラジオにあえるのだ。

良いラジオライフを。って、雑誌あったっけ・・。


負荷

ネットの回線の記事が以前あったけど、確かここでも書いたなあ。
それは、コンテンツビジネスとかー、例えば、
Gyaoだとか、YouTubeとかもそうだろうなー、とか
映像とか動画ってサイズでかいじゃないっすか。
ストリーミングという技術はいいと思うんですが、
実際のサイズは変わらないわけで。

そこで、インフラとしてインターネット回線があると思うんです。
電話回線と同様、やはり「誰かが線を引っ張った」からこそ
インフラなんだなあと。ちなみに、好景気時にありがちなのはインフレ。
あと、かかりたくないのは、インフルエンザ。

で、プロバイダって結局上位プロバイダーみたいなのがあって、
多くの人は、プロバイダ、つまり回線提供者!というところと
契約して、ネット回線が使えるようにしますよねー、
それって、さらに上のプロバイダがあってってのは、
知ってる人は知ってるってレベルの話かもしれませんなあ。

ということは、すごーい負荷がかかっても、かけなくても、
ある二次プロバイダは一次プロバイダに一定のお金は払っている・・・
としたら、不公平みたいなことになっちゃいますね。
というか、一次プロバイダ側からだと、負荷かけるなよーってだけの話ですが。

これは、個人だと、レンタルサーバを借りる際に、CGIやPHP、他にも色々ーなドウテキなものを動かす時と同様です。
要は、サーバに負荷をかけちまう、例えば永久ループするような、
プログラムを上げちまったら困るから、よくテストしてから、
アップロードしてくれって。
ここらへんは、やはりプログラムなどを作ったりしてないと、
あんま分からないところかもしれませんな。
例えば、箱庭諸島って一時期はまりましたが、あういうゲームは、
結構色々な人が参加するためか、負荷が高いようです。

で、こういった負荷は目に見えないんですが、
見えるのは、「ブラウザの開くのに時間がかかる」くらいで、
実際にサーバで何が起きてるかなんて分からないわけです。
って意味で、負荷ってなんで負荷?とか、いってもいいんですが、
でも、やはり大事だなと。


さて、人間に置き換えると、負荷がかかっていると、
どうしても、「ニッコリ」さんより、「イライラ」くんになりがちです。
これは、ストレスがたまってイライラということだけかもしれません。
が、負荷が高いというのは、その原因が大抵はあります。
負荷だけがヒラヒラと空から降ってくることはあまり聞いたことがありませんが、あるかもしれません。

そこで、負荷はやはり適正なところにしちゃうべきで、
もし負荷が高いなら低くするように、低いなら、別の負荷をもってきて
いれる!感じで、高くする。
そういうことが必要ですね。

世の中で、管理と呼ばれる仕事は多分これが一番重要かと思われます。


君の話をしてくれないか

面接でいいたいフレーズその1。
ちなみに、人事の仕事をこれが言いたいためにやってみたいというのはある。
これは不純な動機というよりも、キレイな動機だと思うけど。

流れとしては、
「・・・です。」
「うーん、それは人からの評価で、じゃあ君はいったい?」
「私の話ですか?」
「そう、そう」
「私の話はできません」
「それはどういうこと?」
「実は、私は宇宙人なのです」
「そうか。実は私も宇宙人だったのだよ。」
「・・・」
「では、君の話をしてくれないか」
「はい」

というのが容易に想像できる。
これが想像できない人は、とりあえず会社員を19年ほどやって、
後悔したほうがいい。そしてさらに、21年やって、定年になれば
忘れてしまうだろう。

問題はこのフレーズは、
相手が自分の話をしない、かつ何か面白そうな話をしそうだ、
かつ、僕が面接官である、かつこのフレーズを言いたいことを覚えているという四条件も必要だ。

これは、おそらく世界一周より難しい。

全く世の中は難しいことだらけでR。

ワンチャンス

今日もまた、美談を披露してしまった。
全く、美談しか話せない体になってしまうな。ふっ。

仕事でミス。
正確には冗談。いや、性格が嘘そのもの。え?

今日のキーワード。
「小出し」「どら図太い」「繊細」
「仲良しコヨシ」「蛇の生殺し」
「遠慮しないでいいよ」「え、してないよ」
「呪いの方法」「別腹」
「男としてどうかと思う」
「ほんわか」
「期限きめねーと何もできねーぞ、こら」

最近毎日メールを1000通くらい見てるなあ(大嘘

仕事とは何か

またこれかよ。

やはり、仕事の定義なりを考えていかないと、
腐った死体ができるのである(ドラクエのモンスター。他意はなし(笑))

自分のやってることがつまらないといって、
やる気を失ったり、面倒になって逃げたくなることは
実は一杯転がっている。

学生時に考察したことは、全て今に活きていて、
考えるのは無駄じゃにゃー。ということが当たり前のように認識する。

例えば、
4年間大学へ通って、卒業後どこかへ勤めているという人がいるとする。
その人が「大学でやってきたことは何だったのだろう」と
思うとする。もちろん、現状への不満からくる過去内省?である。
その場合おそらく、過去は無駄なことになる。
なぜか?非常に簡単だ。現実はつまらないからだ。

人は、現実ありきの思想をする。
ただ、目の前で人がバタバタ死んでいたら、
過去など気にせず今しかみないだろうけど。
が、過去と同様、明るい未来などを見ることもないだろう。


だから、僕は現実しか見ないことになってきた。
それは、理想だとか目標だとかの、現実にまだないことを
考えないということではない。
思ったことは大切だから、どこまで現実に落とし込めるかが大切だというようなようないうようなよ、よ、よ、うなことだ。
いよー。
現在、が面白くないという人はおそらくずっとつまらないだろう。
これは悲観論でも、現状非突破理論でもない。

今の瞬間が面白くないのは、なんでだろーと考えたことが
ある人は、おそらく大抵解決サクを持っていて、知っている。
それをしないだけである。
例えば、仕事を辞めるというのは、社会との接点を失いやすいので、
会社なり、どこかに勤めているというのがないと、
自分は社会的にどうかということを考えてしまう人も多そうだ。
が、そもそも、それは社会的に接点があるときに考えちゃえーとか思ってしまうが、まあそれはその立場になった人がない人に、
立場になって考えろよーっていうのと一緒だろう。
が、僕はその立場は、学生時で十分だろうと思うが。うむその通りじゃー。


仕事とは、面白くあらねばならない。
これは、べき論である。ただ他人には強要できない。
面白いことを仕事というか、仕事を面白いというかは、
かなり難しいところである。
多くの人は、仕事はつまらなくて、面白いことを仕事という
考えはあまりない。というか、
仕事というものがなぜ金銭が発生するようなものにしか限定してないように「みえる」かが分からない。

例えば、ボランチアは、その対価を学びなり、人との出会いなり、
別のところに求めているように見える。
それはやってみる価値があると思ったから、という言葉で
全て説明できると思われる、る、る。

それなのに、必ずお金を加えてくる。
もちろん、お金ないとアレだ。
が、お金で出来ることは意外に限られていることを最近感じる。

心とお金というのが明確に分かれるわけではない。
が、例えば、人にやさしくする(僕はしたことはないが)ということは、
お金をあげなくてもいいし、お金をあげても、心がなければ
それはやさしさかどうかは疑問。

以前、お金で心は買えないというのがここ2000年以来の大哲学を
ここで発表したが、
それは簡単にいえば、お金で買っているという自分の心が実はお金で買われていて、
心を買ったのではなく、お金の心を買っただけなのだということだ。
(正確には多分違う)

お金で心は変えるというところで一致しているから、
買えた錯覚に陥っているという、やや認知が複雑であるが、
とにかくここでいう心は、そういうものだ。

もちろん、水商売とか、お金に絡んだビジネス(笑)、
グレービジネスはだめだろうけど、イチャモンつければ全部グレーという
ところで開き直る必要もある。殺人もだめやねー。
まあいろいろあるけど、お金は否定してない。むしろ肯定する。

これらの一連の流れで矛盾を感じる人はマダマダである。
少なくとも、中学生が述べているので、中学生未満といえる(笑)
というわけで、皆、小学生からやりなおして、
永遠の半ズボン少年を目指すべきである。

やだな。


きたきたー

一週間前のことが2年前に感じる。
だから、今月頭の出来事は8年前である。
しかし人間は365日で1歳と無条件にカウントするから、
僕は実際には、今、38歳くらいなのだが、
どうもまだ20代、いや、10代の初めくらいに見られてしまう。

おそらく、あどけない顔や、やや童顔、
もしくは、社会を知らない、自分の意見を言ったことがない、いえない、
動くよりも風呂が好き、暇な時間はもっぱらマンガを読むといったことなどが、
表面に出てしまっているのだろう。

学校はつまらないけど、アルバイトが楽しい。
中学生でアルバイトをやってはいけない雰囲気もあるが、
やはり労働は楽しいのである。座学よりも。

愛想哲学

愛想が良い人が純粋に好きである。
誰にもニコニコというのは、八方美人的であるが、
しかし、愛想が良いことにこしたことはないのである。

むしろ、我をもっていて愛想を振りまくのは、
劇的(演劇のようという意味)ですらあるが、
それはいいなあと思うわけです。

よく分からなくはないのですが、
言い方が全てという時があるんですな。
物を頼む姿勢というのは、出来る限り腰を低くというのは
王道ですが、ある人にはそういうのはヤダって人もいて、
逆に、そういう王道が好きな人もいる。

コミュニケート能力とは、相手と仮想フィールドで
うまく格闘していくことだと。ゲーマーなら分かりやすいっしょ。
ゲーマーじゃないとわかんねーぞ。

見えないものが重要という持論があるからには、
見えるものは逆にスルーしたいというものがあったりする。
例えば、怒った顔があるが、じつは笑ってるんだろうとか、
そういう想像は可能だ。もちろん、ハズセバ痛い目にあうが。

でも、その想像は決してコミュニケートしていかない
姿勢ではないだろう。むしろ、積極的なコミュニケーションに思える。

嫌いな人間にあえて寄っていくだとか、
嫌なことをあえてやるだとか、
そういうのは、多分、一番自分が鍛えられるという意味で、
でる杭の突破口となる。

ここらの理解がないと、おそらく突破なんて出来なくて、
多分、万年パーで終わりそうだ。
もちろん、パーが悪いわけじゃないが、意味的には悪い。
現実は悪くない。そういうことはよくある。

ならば、ホールインワンを狙うか、
それとも、というところだろう。

ゴルファーとして適切な愛想哲学でしたとさ。

必要性

何かを学びたいだとか、何かを知りたいだとか、
それを自分の血肉にしたいだとか、それでやっていきたいだとか、
なんでもいいが、とにかく学ぶということが完成(することはないが)するという錯覚に陥るところまで持っていくのは
なかなかムズイ。

それは「必要性」さえあれば大体のことは学べてしまう。

例えば、明日締め切りで原稿を上げないと「殺され」はしないが、
相当のダメージ、被害、影響、お金がなくなる、
というなら、必死になってやるだろう。
それを必要性というかは感覚次第だが、僕は必要性だと思っている。

追い込まれてやることは大抵の人はできるが、
自分で追い込むことは意外にしない。
ただ、残念なことに、追い込まないまでも、
必要性を自分で見出す、つまり、自分で学ぶというのは、
結局そういうことが必要だと感じている。

タスクがどっさりある。
が、楽しすぎる。

今月は結局一睡もしてないな(嘘

うおー

やりゃできるじゃねーか。ぐは。

月日荘という店を知る。
http://www.sanoxx.com/ro/index.html

イキテーよ。

日経に、ネットストーカーについてのコラムあり。
なんか、個人情報っていうか、住所とTELとか本名とかか。
本名のせる人はいるからなあ。
近所のどこかへいったとかも書いちゃだめって書いてあって、
あとメインのアドレスは使わないとかってのもある。

男はいいけど、女の人は大変だなあと。
女でラッキー(?)

ところで、対策としては無駄なこと書かないってのがあるけど、
そもそも、ある程度特定できないと面白くないというか、
そういうのはあるような。
あと、確実に特定したいって人の心理はあまりないような。
そのネットストーカーやらは知らんけど。

だって、そもそも、ネットのコミュニケーションってところで、
匿名性なのが心地いいって人もいるわけよ。
そこらへんがキモっすね。

逆に正確すぎると辛いのかなーと。

あと、結局のところ、Webメールでかつフリーメールは、
スパムを増加させているともいえますが、
まあ杞憂であり、検討ハズレなんでしょうな。

要は、ネットの悪いところをつついた結果と現象であると。
その分良いことはできたーかも。

でも、ITで便利になって労働時間減ったって話は聞かないのは
皮肉っすね。

日経ネタで、現代詩作家という荒川氏がのってた。
読書についていってるので、面白いなーと思ったり。
映像って確かに分かりやすいけど、その分考えるところが減っちまうから、
やはり読書はいいなあと。

多分、読書して感じることがないと、映像と比較しないんだろうなあと。
映像が悪いわけじゃないってのがキモ。

今日の仕事終わりー。
毎日が楽しすぎる。ヤバイのだワニ。

いろいろ。

渾身のエントリというのも面白く、
また徹底的にコメントするというのも面白い。

いくつかいってみよう。

・多くのことをやり、密度を薄くする手法
これは現在実践中だ。同じようなことを意識的にやると、
それに慣れるということがある。当然といえば当然だ。
それは飽きでもあるのだが、逆に同じようなことをしても、
全く起点を異なるようにすれば全く違ってくるのだ。

例えば、なじみの店というのがあれば、普段行くカフェだとか、
食べ物屋でも、なんでもいい。
それに誰かと一緒に行く時と、一人で行くとき、グループで行くときとか、
色々シチュエーションもあるだろう。
それによって同じ店でも全く異なるだろう。
これは、気持ちの問題であるーということをいいたいのではなく、
同じものでも、意識的に受けるものを変えられるし、
ましてや「密度を薄く」することなんて可能ということを言いたいわけだ。

密度を薄くするとは、あるものにもたれかからないようにする様を言う。
よくあるのは、仕事とプライベートという2部構成で、
ぶっちゃけていうと、この2部構成は辛い。
仕事にも色々あり、プライベートにも色々ある。
仕事が常につまらなく、プライベートが常に面白いというならいいが、
おそらくそんなことはない。
つまらないものはつまらないが、それは誰でも言えるし、分かることだ。
そうではなく、ではどうやったら面白く感じるかを、自分をだます必要はあるはずだ。
このだます作業を怠っているのは、悲しいことだが、
そもそも、だませないから問題なのかもしれない。
が、仕事というもののスタイルは本質的に変わらない。
バスの運転手も、原発処理部隊も、首相も変わらないのだ。
そんなことはないという人はおそらく本質的なものという言葉が嫌いで、
いやそもそも、目に見えるものが全てであるという思想に違いない。
そうではなかったら、自分の知らないことは、とくに自分の可能性などは
限定できないし、ということもいえる。

そうやって密度を薄くすることで、集中できないという考えもある。
が、集中とは何をもって集中とするかを定義しなくても、
イメージがなければ終わりである。
1つのことをやっている=集中ではないのだ。それは1つのことしか出来ていないだけの方が多い気がする。

例えば仕事を2,3個ふったら、1つずつしか無理ですというのは、
あまりにも仕事の楽しさを理解していないといっていい。
やり方があるのではなく、同時に出来るわけがないというところから、
最低なところからスタートせねばならない。
どうもそういうのが嫌いな人が多いようだ。

という意味で、仕事をすぐに辞めるという人は問題があるが、
自分で納得しているなら問題はない。
最もこれは本人の問題でしかない。

次。

・問題の切り分けスキル
プログラマである以上、バグがある場合は原因を調べねばならない。
ここでこのスキルが発動する。
「問題の切り分け」をしていないことは、全く説得力がないし、
何をしていいか分からなくる。
一体何が分からないのかというのも、同じことがいえる。
アタリをつけるというのも、類似した考えだ。
このスキルは何もバグ調査だけではない。全くだ。
人間関係から、仕事上の問題、よりよくしていくための提案、
なんでも応用が利く。
まあ、お試しあれである。

・たたき台の話
昨日の話であるが、ちょっと考えたがやはり結論はこうなる。
目的が、その通りに動けというマニュアルなら問題があるが、
そういうものではないと。
そうやって読まなかった、そういう風に読めとは伝わらなかった時点で
アウトなのだが、それはもうどうでもいいことだ。

小さなことが大きなことになるというのは、
それを本当に実践するときの話であって、今回はそうではない。
その点で、まずこの「小さなことから大きなことまで」理論は、
適用できないのだ。

これはそのまま仕事でも同じことが言える。
自分が分からないことは、分かりませんといっていては、
おそらく成長はない。なんでこうなるかを考えるのだ。
考えると、これは経験も大きいだろうが、そもそも考えることをしないと
そういうことはできないというところが重要だ。

考えると、同じようなパターンなり、こういう時はどうやって
「あの人」は考えるか、というものが頭に出てくる。
もし、この「あの人」が出てこないのなら、おそらく仕事を
本気でやってない証拠と断言できる。もちろん、「あの人」は、
複数の人間でもいいわけだが。

そうして、頭の中のあの人の指示なり、考えを披露する。
そうして、次の一歩に進めるか、あの人でもダメか。
ダメなら、どうするかもさらに考えておくのだ。

そうすると、突っ込んだものを一発で提示できる。

そういう意味でいくと、そんなの聞いてないとかいって
見苦しいことはなくなるのだ。
聞いていようがいまいが、現実は常にそこにある。
という意味では、ここが大事なのだが、
考慮していたことが起きていても、それに対する対応を
決めて、放置したならば、それは「考慮」したものと考えた方が
おそらく良い方向に向かう。

想定内といってもいい。もちろん、そうじゃない場合が起こるのが現実だが。

次。

・溝口健二
えっと知りませんでした。
スポットライトを浴びない人なんて至るところにおりますし、
別にそういう意味で、浴びた浴びないはどうでもいいような。
てか、作品みたいっすね。

・公立の小中貧しい蔵書
日経から。
で、どうも怪しいのは、モンカショウが、倍の額あれば
いけっぞといってるということ。
5年で650億を投入したが、どうも効果が得られない。
ので、今度は、1300億円を投入らしい。

一つ嫌なのは、結局、読むやつは読むしーという傾向が大なら、
学校間でも差はあるということだ。本が多いところと少ないところと。
そう考えていくと、蔵書アップだけには使われないだろうが、
どうも何か違うなーと。

お金がないから出来ないよねーって、
現実の認識でしかないので、意味がない。
認識に意味がないのではなく、大抵の場合は、
「お金がない」という認識をしたいのではなく、
その先に発展なり、変化を求めるのに、それを言うから悪いのだ。
そんなことは言わなければいい。そして、そんな負のワードは
封印して、腹にためて、胃を悪くすればいいのだとか思ってしまう。

ベストセラーが悪いのではない。
それが流行ってるからといって買う人間がいて、
ここまではいい、
でも、それで本の全てだとか思ってしまうかどうかは分からないが、
関心がないなら逆にそこで終わりでいいのだとは思うけど。

とりあえずガンガレ、学校と。

素晴らしき世界

マンガではない。

ある一通のメールが届いた。
正確には、こちらが送ったので返信という。
まるで、何もしないで、届いたという表現のようだが、
決してそのようなことはない。

ピンチはチャンスという言葉があるが、
がけっぷちとか、やばいときに、その人が問われる。
それは、このブログでは確か、なんか書いたけど、忘れた。

とりあえず、そういうものだ。

それで、そのメールは、まあいわゆる近況報告みたいなメールだったのだけれど、
なんていうのか、会っていないものの、
楽しんでやっているというのが想像できる文章だった。

妙にテンションが上がる・・・。

おかげさまで、今月は全くテンションが低いときがない・・・
わけがないが、ミドルアッパークラスである。

これも、ブログとかのコメントとかで、
色々「へこましてくれる」見えない人間のおかげ様である(笑)

ったく、繊細ブロガーなめんなよー。


おりゃー

闘う。もちろん言論の自由を守ってである。

ま、それはおいておいて、
なんていうか全てを受け入れてしまうというRMの心の広さが
全面に出てしまったなあと、反省(反省なの?

結果的に、伝わっていないことを怒ってしまうま。
以心伝心なんぞしゃらくせーとか思うものの、
こちらから次にできることといったら、こうなるから
僕は怒ってしまったのだ。

例えば、この通りやればできるというような筋書きとか。
もちろん台本ではない。マニュアルかな。

考えというのは大切だが、やはりそれは考えではない。

つまり、結果論からいえばこうなる。
そこが気になったとしても、不一致だとしてもだ、
結局、確認をするほどではないのではないかと。
でも、大事であると。大事というのは、例えば日本にいれば、
めったなことがない限り生きていけるとか・・・。
そういう大局のことと比べると、とても小さく思える。

小さなことに拘る人間ではない。
つまり、僕のように小さい人間ではないのだ。
その人間が、そんなことをいってはいけないのだ。
発するべき言葉を間違えたのではない。
単に発する方向を間違えただけなのではないかと。


小さなことも積み重ねれば大きなことへの影響にもなる。
が、そもそも小さなことは積み重ねなければ大きくならない。

例えば、起業してみたいというのは簡単だ。
しかし、起業というものを自分の足で動いてイメージを作って、
「こういう起業をする」というところまで、動かねばならない。
それは義務でもなんでもなく、自分から動くからそうなるだけの話でしかない。
その場合に、小さなことでは、起業の情報を知る、
FCという形態がネットワークビジネスと同じであると得意げになっていってみる(笑)とか、どうでもいいことから、どうでもよくないことまで、
例えば、経営の基本は、お金でありそうで実は人であるとか、
色々つっつけば出てくるのだ。
そういうことをつっついて、継続していかなければ、
結局は大きくならない。というか、なれない。飽きるから。

0.9と1は、0.1しか違わないが、
100をかければ、90と100で、10も異なってくる。
そういう指摘をしたかったのだろうが、その指摘はやや誤っている。
ややというのは、正確なところもあるからだ。

確かに、最初に0.9を0.95にして、1に限りなく近づくことは
大切なように、というか大切だ。
でも、はっきりいって、10個くらいの特性に人間が分けられるなら、
10全部一致することなんてまずない。
あったら、それは自分が二人いるというくらいのスゴサであり、錯覚でしかない。

仮定の話で、もし小さなことが違っていたら・・という意味の
指摘であっても、それは徐々に修正されるというものでしかない。
また、そういう違いも一緒にしておきたいというバランス論もある。

どちらにしろ、間違って伝わったにしろ、
修正できるところでもある。

って意味では滅茶苦茶レベルが高いことをいっていて、
やや傲慢、押し付けでもあるが、それができない人間ではない。
むしろ、出来なきゃ困るのである。

なんのために楽しんで生きているのか。
楽しさを自分では受けられないから、多くの人におすそ分けではないが、
一緒に楽しめばいいという考えでしかない。

全くもって、これ以上の善があるだろうか。
これを偽善という最上の善ならば、ありがたく偽善者を貫こう。
また、同時に偽善者のススメを説くとしたい。

で、こんな時間だー。一日、ちょーみじけーよ・・・。

まじでー

若者言葉「まじでー」である。
「でー」を伸ばすと、名古屋臭くなる。別に名古屋が臭いわけではない。

スヌーピーが家にきた、もりお。(あーこれは作者に怒られるかな)
といっても、ブックカバーである。
が、かっこええ。スヌーピーは可愛いよりカッコイイと思われる。
まあ男らしさなら、ノラクロかもしれない。三等兵だっけ。
いや、男なら哲学者か。うむ。
では、女なら?女なら・・・。まあスヌーピーだろう(ほう

スヌーピーは哲学マンガでしかない。
が、キャラの可愛さで哲学がスルーされている。
これはけしからぬことであるとは、言わないが、
といっても、ほほえましいことでもないようだ。
というと、どっちやねんという人間が出てきそうだが、
どうでもいい。

さて、タスクを数個こなしたので、ラーメン食ったのに、
もう腹が減ってしまった・・。
あ、もう今週で今月終わりじゃねーか。

夏が終われば一年が終わりといった職人がいたが、
なるほど、肌はどんどん冷えていくから、
心を暖めなければ「終わり」な感じはする。
ならば、心を暖めればいい。
そう、RMの愛を受けたまへ(きゃっハート

すげー

少年ライブラリィは、リレー台本がいいですな。
毎回何か新しいことをやっていて、刺激+学びになりますわ。
もちろん、僕は演劇を学んでいるわけではないですが。

いわゆる、変換のネタになるってところです。
「ネタ」なんていうと軽く聞こえがちですが、
その1つのネタに「一生の哲学」があるくらい重いっすよ。
そういう軽さの連発の重さ(笑)に耐えられないと、ダメですね(何が?

ところで、メガチカが久しぶりな公演をするようで。
ビラを見ると、滅茶苦茶面白そうじゃないか・・。
面白そうなことをやっているのをみると、こっちまでテンション上がっちゃうよ。うひょひょ。

予約、前売りで速攻ゲット。
そう、僕は演劇を見るために生まれてきたのであーる。

って、なんかコメント来たなあ。まあ返事しますかね。

やること一杯あるなあー。
もうどうしようどうしようどうしようといってる間に、
2タスクくらい終了。

さすがRM。

きたー

土日はおかげさまで、速攻おわっちまったよ・・・。
おかげさま?まあ、皆様のですよ。

2nd stgの定義はアバウトだけど、
自分で仕事が回せるとか、そういうレベルに。
仕事を創れるとかでもいいけど。

その段階になると、あまり起業って言葉を使わなくても、
そういうものができるというか、面白いことをする=仕事みたいな
感覚になっている。

来年の1月にカタリベカフェを図書館でやることに決定。
杞憂だけど、人が来すぎて図書館壊れたらどうしよう(笑)

やること一杯でてきちゃいましたよー。わーにわーに。

いざ。

えっと、ラジオ録ってきました。
今回は、マス風さんとのコラボってことで、ちょっと遠征。in京都。

詳細は聴いてから読む。読んでから聴く。どちらでも。
RM軌跡ラジオ スペシャルバージョン1
「ラジオの面白さ」

DJ:hirohiro、マス風
BGM:川のせせらぎ、涼しい風音、花火の音(笑)

大きなことというか、確認できたのは、
やはり行動していかないと何も生まれないということ。
当たり前っちゃ当たり前なんですが、
おそらく「ポッドキャスト」をしたいといっても、
実際にやる人は少なく、
やっている人でも継続する人はやはり少なく、(何をもって継続かはスルー)
継続していても、コラボっていう考えをしていても、
さらに実際にそれをしようという人は少なく、
ということを考えると、1000分の1くらいの確率の出来事でしょう。
最も、確実な1000分の1なので、必然なのですが(何だそりゃ

これで、一つ、ラジオでつながる、ポッドキャストでつながるというのを
実践できたかと思います。
これを聴いて、なんか面白そうなことやってるなーと感じたら、
ぜひぜひやって欲しいなあと。逆につまらないと感じたら、
それが良い方向に持っていける意見ならぜひ下さい(笑)
あんたらのやってるのはラジオじゃないというやや辛らつな意見は、
あまり参考にならないっすね。例えばですけど。

それは、日経ビジネスにあった竹中氏がインタビューしてたんですけど、
竹中バッシングした人は、今度は竹中が辞めるのは無責任だといってる人と
同じではないかーみたいなことが書かれていて、思わず笑ってしまいましたよ(笑)
それと一緒かなと。

ま、それはいいとして、
音でつながるとか、電波にメッセージをのせるとか、
そういうのは面白いなあと。

僕の声は聴きざわりはあんまよくないなーと思いますが、
まあ言ってることは、そんな悪いこといわないので、
いいのかなーと自己自慢。

行動していって、動いて、何か形にならなくとも、
自分の感覚は絶対出来るので、それをどう調理するかは自分次第。
例えば今回のラジオが面白くなくてダメだったなら、それはそれで
いいと思うんですよ。それでもやりたいなら形を変えればいいわけで。
残念ながら滅茶苦茶面白くて、これは面白いなあと。
だから、やっぱやりたいし、やっていくのだということになりますね。


やりたいネタとしては、いくつか思い出せる限りであげておくと、
・糸井氏みたいに、対談なりいろんな人と話しにいく。
これは取材みたいな感じですね。取材はやってみたいんですが、
音をどう使うか。それこそただの録音+テープ起こしでも悪くないんですが、
それってラジオっぽくないなと。何かそこにスパイスを加えたいんですけどね。

・ブロガーに会いに行く
これはブロガーによってはうっとうしがられる可能性があるんですが、
まあでもそれ以外では面白そうです。
SkypeでOnline上でラジオみたいなことをやってる人もいるそうです。
よく考えるとこれは、ラジオの電話でリスナーとDJが話すのと変わらないかも。
相手をどれだけ知ろうとしているかーみたいなところですかね。


それくらいですかね。
とりあえず、マス風さん、長い間お世話になりました。
っと、そうではなくて、長い間お疲れでした(笑)

このラジオがどのようなインパクション(=インパクトの誤変換)を
与えるかは楽しみですが、まあ与えないでしょう(笑)
期待せず期待する。

なんかあれだ

違和感がある。

それは、人生は仕事という嫌なものをやり続けなければならないという
控えめにいっても、かなり悲観的な見方にである。

なになに?私は僕は、そのようなことは思っていないから大丈夫?
ノンノン。

そのように強く思った方が実ははっちゃけられる可能性がある。

逆に、そのように強く思わなく、また逆に楽しいとも振れない、
壊れたメトロノームが一番危険だと見る。
最も、中庸は良いが、中庸はとは右と左に思い切った結果の、
やじろべえであって、人生送りバントからの安全性では決してない。

ここを勘違いしては困る。
だから、平均的だとか、一般的だとか、そういう言葉に
踊らされているのだ。いや、踊らされていると感じてないから、
自分が辛いというのが「普遍的」であって、自分の原因を、
勘違いしたところで捉えてしまうのだ。

つまり、自分が悪くないと絶対に思っている。
僕は自分が悪くないことはないと全てに対して思っているからこそ、
全てが楽しく感じるのだ。これは真実である。ということもあった。

自分の感覚ではっちゃけられないのは、
やはりつまらない人生だ。
これは断定であるが、真実である。

自分はこうやりたいのにやらないのも、また偽りの人生でしかない。
自分の人生は自分のものであるという感覚は、
決して独りよがりではないのに、独りよがりにしたい人がいるようだ。

そういうふざけた社会の構成員を減らしていくことは
物理的に可能だが、また精神的にも可能だが、
法律的に不可能で、また警察的にも不可能だからやらない。
のが、普通である。

白黒はっきりと、灰色ライク(これは灰色を好むという意味である)は、
対照的なようだが、実は同じ存在でしかない。

独自性といった瞬間に独自性はなくなる。
何かを評論した途端、その価値は減じる。

本当に大切なものというのがもしあれば、
それは誰からも語られない、まさに「なんかあれだ」という言葉で
与えられるもの、伝わるものでしかない。

誕生日おめでとう。

われ笑う、ゆえにわれあり

103ページの自分を笑うという感じの章がある。
これはかなりいい。やはり笑いの本質は、
自分を笑えるかどうかである。自分って馬鹿でしょうといって、
本当に馬鹿だと思い込んでそのままなのは重症だが、
馬鹿でしょうといって、笑う人間は人生経験がまだ14年しかない
僕にとってもあまりいない。

という意味で、そういう人間とは多く会いたいものだ。
そう。「わたしって馬鹿なのよね(笑)」である。
自分のことを馬鹿と思わない人間ほど嫌いな人間はいない。
よし。

最後の章で、「何も考えないで楽しく生きる方法」みたいなものがあって、
それはほとんど笑えなく、さすが土屋氏だなーと思わず思ってしまった。
話をまとめると、衝動とか欲とかで、感覚的にいきればいいやーって
思ってしまうのも、すなわち考えるのだから、何も考えないでなんで無理よねーという感じの流れの文章な気がするかもしれないかもしれないかもしれない。

とにかく、決められた人生を歩もうという人間とは話が合わない。
むしろ、決める人生を歩かないというスタイルになれば大歓迎だ。
同じ結果を別の観点からみるのが人生の面白さであるが、
それを笑いにしなければ、やはり笑えない人生になるかもしれない。


で、大分笑わせてもらったので、あまり電車とかカフェとかで
読まない方がいいっす。


われ笑う、ゆえにわれありわれ笑う、ゆえにわれあり
土屋 賢二

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見た目

見た目とはらしさである。
これは外見という見えるという意味だけではなく、
?のように感じるというのも含む。
これは正確には外見がいかようでも、感じ方が違うから、
見た目は?だといっても、それはその人の感じ方でしかない。

最近思うのは、
実は、楽しい人が楽しいのではなく、
楽しそうにみえる人が楽しいのではないかと思った。

これと同様なことは多くのことにいえる。
ランチがうまい店ではなく、
ランチがうまく感じる店の方がその店に魅力を感じる。

仕事ができる人ではなく、
仕事ができるように見える人がいいと思うようになる。

つまり、それはハッタリであるのだが、
ハッタリはハッタリをかまさないよりも、
かましたほうがアグレッシブな印象を与える。
だからこそ、ハッタリそのものではなく、
ハッタリをするというようなところに魅力を感じる。


面白い人ではなく、面白そうに見える人が大事だ。

つまり、?のように思える、みえる、感じるというところが
大事なのであって、実際はどうかはあまり関係ない。

例えば、実際に面白くないのに、面白そうに見えるのは、
ややコミュニケーションが難しくなるかもしれないが、
実際は、面白くなかろうが面白かろうが、
面白そうにみえるかどうかが大事になる。

それは、何度もいっているように、人でもモノでも一緒である。

つまり、雰囲気、オーラ、姿勢、ハッタリ、感覚、殺気、笑い気、
色気、可愛さ、優しさ、などであるが、
これらは全て実体ではない。

例えば、女性で胸元があいていても、AさんとBさんでは全く異なる。
それは、Aさんは色気があり、Bさんは色気がないからである。
ただ、ここでの問題はスタイルがいいとか、顔がいいとか、
好みであるとか、セクシー!だとか、そういうことではなく、
色気があるかどうかはそれを見る人の問題だというのが問題なのだ。

つまり、Aさんは色気があるのではなく、あるようにみえるのであって、
実際の色気とは関係がない。
Bさんは色気がないのではなく、ないようにみえるのであって、
実はBさんは色気と水分で構成されているかもしれないのだ。

かっこいい人間というのも同じようなことがいえる。
かっこいいかどうかは関係なく、かっこいいようにみえるかどうかだけである。
最も、ここらへんで、読者は気づいて、
かっこいいようにみえる人を、かっこいいというのだから、
かっこいいかどうかは関係ないことはない。と、反論をする可能性もある。
しかし、かっこいいのと、かっこいいようにみえるでは、大違いである。

かっこいいのはRMであり、かっこよくみえるのは、RM以外の男性でしかない。

これで、アクセス数が少し減ることを期待する。

同じA

仮定の話をしよう。
「友達の友達」というのは、実は、
自分の友達の、友達なので、実は自分ではないかという疑問が。
まあ、あまりなさそうだ。

環境から受ける刺激、それは空気の量でも、人の気配でもなんでも、
それらをある現象として、Aと名づける。空間Aでもいい。数学の空間は、
キレイすぎるが、この空間は現実の空間そのものだ。
しかもこの空間はA2,A3とまあ1秒くらいごとに更新されていく。
Webのカメラみたいなもんだ。

これをコピーできることとする。ここまでくると、頭がSFか、
想像力のある人間しかついて来れない。この時点で、僕はもうダメかもしれないんだワニ。

AとそれをコピーしたAがあるとする。
ある人間ZがA空間、ん?空間Aにするか、
ある人間Zが空間Aにすることとする。
またある人間X、ん?Z2とするか、Z2がコピーしたA、つまりA’とかでいいかな。にいるとする。

空間A=空間A'
人間Z not equal 人間Z2
と定義する。
まるでプログラムみたいだが、まあ数学もプログラムも、人生も、哲学も、
ワニも、未来も、全部プログラムみたいなもんだ。気にしない。

では、社会の日常を生きるというのはどう表現できるか。
例えば、人間Zが飯を食うなどは、
人間Z+飯 と表現できる。(ふーん
同様に、人間Z2なら、 人間Z2+飯 となる。

それで、ここから肝心なことだ。ということは、今まではどうでもいいのだ。

同じではない人間Zと人間Z2がいて、
同じ空間にいるとする。
それは、
「人間Zは空間Aにいる」
「人間Z2は空間A'にいる」
と表現できる。

ここで、人間BAKAも登場してもらおう。読み方は自由だ。

人間BAKAはこのようなことをいう。
「人間Zは環境に恵まれているから出来るに違いない」

さて、ここで問題である。
この人間BAKAは、この発言の時点で、
人間BAKA <> 人間Z
であり、
また人間Z <> 人間Z2
であるから、
おそらく、 人間BAKA <> 人間Z2
なんだろうなあ。
多分、違うような気がする。
まあいい。

人間BAKAの発言は個人的意見でしかないという証明は、簡単にできる。
なぜなら、上の式(これを常識と掛ける)により、
人間BAKAは人間Zとは違うからだ。

というよりも、空間A''に人間BAKAがいて、
その空間は空間Aと同様だとしても、
おそらく、
「人間Zは環境に恵まれているから出来るに違いない」
というようのだろう。


何いいたいか分からなくなってきたが、
一つだけいえるのは、
「人間は同じ環境も別なように見るのである」

あ、これいいたかっただけなのに。

言葉は偉大である。

娼年

p.193にこうある。
ぼくたちが住むこの世界では、すべてがうまく運んでいると思うときに、 実は遠くで悪いことが始まっている。時間はたっぷりあると背を伸ばした瞬間、タイムアウトが迫っているのだ。
波の上の魔術師でもあったようななかったようなフレーズ。
まあ僕は村上龍の「69」にある、幸せと不幸の話を思い出したんですけどね。

主人公リョウはともかく、やはり描写がきついのかもしれない。
そういや別のイラ作品もなんかあったな。うん、それと似てた。あれなんだっけ。
今回は作品全体がそうなので、これキツイ人はキツイんだろうなあと。
村上龍のトパーズみたいな感じは全然なくて、
じゃあイラさんは何を書きたかったと。そうなる。

娼婦ではない、娼年を読みきることで、その世界観を描くことで、
描きたかったものがあるんだろうなあと。

まあ、それはいいや。

メグミが最後の一つ前で、リョウにバーで説得っぽいことをしている場面がある。
リョウの考えに影響を与えているのは間違いないが、
結局リョウは、また一緒に娼年をやろうとクラブの仲間?から誘われて、やるという。

ある人の声は届くときも届かないときもある。
多くは、届かないことが多い。

そんな感じかなあ。


娼年娼年
石田 衣良

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道案内

やっぞやっぞ。

朝、歩いていると、おじさんに道を聞かれる。
まあ、「人が良さそうな」顔が歩いてれば、誰でも道聞くしね(ん?)

行きたい場所、地名がよく分からなかったので、
東と西を確認し、こちらへいけばOKちゃんですといっておいた。
ありがとう。

旅やらどこやらへでていって、道を聞きまくった覚えがある。
大抵の人は、嫌な顔をせずに教えてくれたものだ。
100%あっている、もしくはアドバイス的によろしくないものもあったが、
教えてくれたということが嬉しいという、メタ認知。

だから僕も喜んで教えるのだ。
これぞ、小さな一歩だが、大きな一歩であるという
良い例ではないかと思ったんだワニ。

にしても、土屋氏の本面白すぎるなら。
ニヤニヤしてカフェなり電車で読んでるから、
「あーニヤニヤ星人だあ」とかいって、小さい子にからかわれそうで
怖い。

ふふ。ニヤニヤ星人は、いたずらしちゃうんだぞー。
がおーだぞー。

アディオス だわに。

何かが来ている

まるで神の啓示を受けたアッラーのように(つまりアッラーは神ではなく、預言者なのである。予言ではない)、ってアッラーと同世代ではないが、
まるでトビウオが弾丸のように進むように、といってもトビウオみたことないや。

よく分からないが、昼に飯を食い、コーシーを飲み、
読書にふける。そして気分を入れ替え、仕事に向かう。
そして、仕事が終われば、また「自分の」仕事がある。

仕事に対する集中というか、そういうものが、
滅茶苦茶上がってきている。これは恐ろしいほど、である。
そうだな、例えば今までは、
50m向こうにあるものに対しては、一瞥して、ゆっくり歩いていった感覚があったが、
今は違う。
50m向こうにあったら、一瞥して、ダッシュするという感覚だ。

何かに焦る感覚が全くないとはいえないが、
全くないような感覚なのに、でも足は速い。
肩の力が抜けてすごくスムーズに動ける感覚か。
それとも、水の中を力を抜いて泳げる感覚か。
何か食べて気のいいやつらと語っている感覚か。

さらに、この状態に全く満足していない。
何か面白くできないかが、これまた自然に出てくる。
第二の俺だ、私なのだ、ワニだぎゃー、とかそういうのもなく、
自然である。自然でしかない。自然なのである。

いつの間に僕はこんなエネルギーを蓄えたのか分からない。
が、気づいたらパワーが湧き出して止まらないことを知る。

なぜか分からないが、今日も良い夢を見そうだから、
寝ちまうとしよう。

さらにいえば、
調子に乗っているのとも違う感覚だ。全ては力である。
それは自分の力の過信ではない。真っ当な評価である。そう自分自身の。
そして、それは人の力でもある。それは僕ではない他人とのつながりでしかないが。

さらにさらにいえば、
あらゆる言葉が当てはまらない。
現状をどう表していいか分からない。
くらい、酔って気分がいいわけでもない、
ましてや、何かに戸惑う、何かに迷うという感覚でもない。

何かをサトリすぎて頭がいかれてしまった説も有力だが、
これはもしかして、1st stageの卒業なのかもしれない。
もしかしてもしかするとだが。

とにかく、これは良い波である。
もっと色々なことができそうだ。

素晴らしい。自分のブログを誉めたい(笑)

「へんな会社」のつくり方

この本を読んで、
公開ミーティングを聞きたくなった。

あと、常識にとらわれないという発想、というか
そのフレーズが、まるでポカリ飲んで体内に吸収される、もしくは
浸透圧を利用した異なる濃度の移動からくる均等状態(笑)のように、
しみこんできた。

どのようなタイミングでどのような本を読むか。
それはそれでかなりスリリングだ。
そのスリルを感じてしまったら、もう本を読むことは、
辞められそうにない。ワニ。


「へんな会社」のつくり方「へんな会社」のつくり方
近藤 淳也

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まぼ

c084b93c.jpg

久しぶりにネギ切ったかなあ。
うみゃー。

さすがコックRM。
なんで豆腐ってこんなに上手いんだろう。
と、感動。

自分で作ったものはうまい。
これぞものづくりの原点だワニ。

飯を

自炊だ。自炊するしかねー。
何・・・マーボドーフやる気満々なのに、
ひき肉がねー。ならば、・・別の・・。
むー。ねー。

なぜだ。何、スーパーが改装で休みだと?げ、だからないのか。
うおー。

というわけで、軽い食糧難。
さて、冷蔵庫には、
納豆、賞味期限切れ卵9個、その他調味料、福神漬け、
冷凍食品x3。
お外には、スパゲッティ、缶詰各種、インスタントラーメン10個以下・・・。

むー食糧難じゃねーな。
飯と味噌汁で漬物といきたいが、
ワニの口にはあわないので、とりあえず魚一匹丸ごと食べるワニ。

無理だワニ。

ワニワニうるせー。

寝ている間に見る方である。

滅茶苦茶良い夢だった。
なんか知らないが、とてもハッピーだった。

スクールオブロックというラジオで、
アイランドスピリットという石?かなー、腕輪かなーで
良いことが起きるとかってネタをやってた。
かなり面白かったが、それの影響だろう。つまり電波で運気がこっちにきたのである(笑)

仕事は意外に早く終わり、
DAYSの写真展を見てくる。さすが、カメラマンRM(もうRMではない。
つまり、サトラーなRMなのである)

一番目に焼きつく言葉は「民族浄化」である。
国際テロネットワークという新書によれば、テロは結局原理主義を唱えて、
自民族なりの繁栄とかいっている時点で、やはりどんなことをしても
同じなのだ。
右をやられたら左をだせといったあのインドでも、
というかそれだからこそか?階級はしっかりあり、
そうやって生きている人々がいる。

一枚の写真が人の心を動かすということは普通にあり、
そしてここにも表現のエネルギーが眠っていることを感じる。

民族浄化とは、つまりA民族のために、B民族を殺すことである。
全員は殺せないから難民と化す。
結局、ナチスのようなことをやる人間はいなくならないのだ。
これは悲観論ではない。現実である。
何をやっても世界は変わらないかもしれないが、
一人が一人の人に影響を与えることはおそらくちょっとがんばればできる。
その連鎖をすればいいだけのことである。
ものごとは楽観的かつシンプルに、だ。

世界は思った以上に辛い。
現実も思った以上に辛い。
が、それと同様、またはそれ以上の楽しいこと、面白いことがある。
だから、生きていかねばならない。生きていかねばならないのだ。
生きていたいなら生きよう。死にたくなっても生きよう。
何、大丈夫さ。一人で生き続けるやつなんていない。
きっと支えてくれる人はいるもんよ。

生きて、笑って、そして、また笑う。
この循環を世に。それが天下統一ということだワニ。

ゲーセンでワニをいじめてはいけませんワニ。
同族嫌悪なので、ワニには近づかないワニ。

サステナーボー

つまり、それは一人が修理できるようなものを買うなり、
自分で管理できるような体制を作るってことになる。
いわゆる3Rのうちの、リユースになるだろうが。

何かを手入れするのは好きだ。
とりあえず目の前のブックカバーを作るところから始めよう。
といって、作ろうとして、かがり縫いという高等技術を駆使していたら、
どうも文庫が袋とじ部分にはいらん・・。

え、これ詐欺じゃねーのか・・と思わず悪態をつく。
文庫用とか書いてあるじゃーん。文庫だよ、これは。
文庫サイズはもう固定でしょう。デカイ文庫とかチイサイ文庫とかないっしょ。
新潮文庫と岩波文庫と中公文庫と角川文庫と角川ソフィア文庫と角川ミステリー文庫は、全部同じ大きさだよ。

やばい。とりあえず創り上げるが、痛いスタートとなったなあ・・。
まあ、寝ちまうとしようワニ。

どくとるマンボウ航海記

前々から名前は聞いてたが、やっとこさ。
「わが闘争」が読みたくなった。
読まねば。


どくとるマンボウ航海記どくとるマンボウ航海記
北 杜夫

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ネタネタ

1回目の放送を聴いてみる。なんかしゃべり方がおかしい。
まあいいか(笑)

ネタいきます。
日経ビジネスにジーコのインタビューが。えっと、敗軍の将としてですが。
かなり共感しますねええ。
ざくっといくと、
謝るって何よってことと、自分で考えることがやりにくい社会、ですな。

まず謝るってのは、ジーコが謝れってことで、ジーコは怒ってますね。
そりゃ自分のベストを尽くしたのだから、結果は負けですけど、
それに対して謝れってのは何かなーと。
僕はこの話は知りませんが、謝れって言った人は、
自分で日本代表を導ける人、または自信がある人くらいがいうことでしょうね。
それについては、ただの日本の過信でしかなく、
たまたまこないだの2002のW杯でいいところいったので
調子に乗ってるんじゃないの、で終わりですな。

それよりも、日本が「自分で考えることがやりにくい社会」とは
かなり的を射てますね。15年前から来ているジーコの洞察はさすがというか。
電車のアナウンスと電車で寝ている人を例としていますが、
まあこの例はともかく、自分で考えて何かやることに、褒めるだとか、
それはいいぞとか、伸ばすとかそういう考えはないっすからね。

何が問題か。教育になっちまうんですが、
管理教育だとか、教員の限界だとかはどうでもよくて、実際には、
管理しようがしまいが勝手だけど、大人がやりやすいやり方を
子どもに押し付けるのは誠に勝手だなあと。
そういう意味でもうざったいガキンチョがいるときは、ひっぱたきたくなりますが(笑)もちろんそんなことはしません。(かっこええ
想像でふっとばす。ということをするのはいいとして、
例えば悪ガキがいて、不条理なことをしていると。
まあそんなふうになっちまったら、多分それは惰性なり、慣性で
そのままいっちまうんでしょうな。何か壁に当たれば、
忘れるように何かして、ね。

で、そういう人生もありというしかないような。人を傷つけるのはアウトですけどねえ。

自分で考えるというところでは、そういうものは消えそうです。
が、プラトンがいった哲学者が政治というのはやっぱ危険な気がします。
まあ、誰がやろうが変わらないといったら政治家を馬鹿にしすぎですけどね。

自分で考えることをやりにくいってのは、結構問題ですね。
考えてやるってのが分からないから、結局、前書いた法学部の学生みたいなことになっちゃうんでしょうな。

そんなのは考えれば分かるだろうというのは、
究極的すぎますが、考えてやるってのは何かが分からないかもしれません。
自分の頭で考えることを放棄したわけではないけど、
考えずに生きられる社会を目指した日本があるだけなのかもといったら、
ジーコにはかなり悪いですが、その通りなので、結局これが望む姿だったということになるでしょうな。

次。
AERAで、「NAMARA」っていうお笑い集団の記事。
これ読んでて思ったのは、お笑いコミュニケーションってのは
これだーと思った。こわれもの集団っていうのはぶっちゃけ
どうでもよくて、たまたまそういう人がいるだけな気がする。
障害者が自分を障害者だと思ってないというのは、意外に多いかもしれない。
こればっかりはまだまだ僕の経験値が200くらい足りないだけだからしゃーないとする。
でも、ナマラって、北海道弁ってわけでもなくて、
新潟でも使うのか。どうも、寒い地域は口を閉ざすから、
名古屋みたいに「どら」「でら」の濁音は聞こえづらいのかもしれん。
と、暴推論。

ブログを発見。
http://blog.livedoor.jp/namaraniigata/


あと、ダチからの情報で、ラジオカフェに本の番組があると。
調べると、どうも京都読書空間っぽい。
http://kdk-sommelier.seesaa.net/

ちょっと聴いてみたが、どうなんだろう。
自分のやってることも似たようなものかもしれないけど、
本のレビューはやはりnet-voiceみたいに要約がいいのかなあ。

ラジオの面白さは声で伝えることだから、
例えば、学者先生をもってきても、その人の味を出さないとつまらない。
そんなことが多くのラジオに言えるのかなあ。
そんな聴いてないから分からないけど、そんなような気がしてきた。

結局無名でやるってことは、何も先入観がない。
だから、最初の聴いてもらうってのも難しい。
じゃあそこでドないすんのよ、ってことになるが、
まあどうにかするしかない。俺の声を聴いてくれでもいいけど、
別にそんなに意見を言える相手が恵まれてないわけではない。
ってか、普通に見て恵まれている方なきがする。
今まで生きてきて「相手不足」だとか、そういうことは
言われたことないなあ。さすがRM。

外!

とってきました。20回目。
外で。

意外に一人でぼそぼそやるのが難しい。
これが日本社会の厳しさであります(違

前半1分30秒くらいに一度切ったり、
あと、なんかバックグラウンドで「プー」とか、
ぶるるるーっていうのは車の音です。
放送とかも聞こえますね。

まあ、音楽は聞こえないっぽいので、OKでしょう>著作権とか。

これ、ぼそっとしゃべったんですが、
意外にクリアに、しかも大きく取れたような気がします。

で、なんで僕はこんなことしてるのかはあんまよく分からないです。
でも、面白いよなーとか、そういうことは思います(笑)

RMラジオ第20回目「やりたいことは今やるべ」約10分
BGM:外
テンション:ミドルアッパー(笑)

マス風さんを若干ぱくって、近況みたいになっています。
まあ、愛嬌ってことで(笑)


で、全くリスナーとか読者には関係ないですが、
500MBのスペースで余裕だろうと思ってたら、
このラジオのおかげで、残り200MB切ってます(笑)
ラジオだけで270MBっすからねえ。
まあ、バックナンバーは徐々に切り落とす予定です。
ですから、まあいないと思いますが、
「1回目聞かせろ」とかって声がない限り、聞けません(笑)
もちろん、アップすればOKなんで、まあその時はその時で。

CDに焼いて保存するかな。

ワニー

0caecc2b.jpg


こんにちわに。
実は今まで、このブログで書いてきたのは、
僕だったわに。
そういうオチを想像できた人は、
ぶっちゃけ好きです(笑)
できなかった人は、お笑いコミュニケーションを学習しましょう(笑)

ワニーと命名しました。
多分コーラが振りかかるまで相棒です(えぇ

成長理論

理論でも唱えるか。最も根拠は自分の見てきたものと自分であるので、
科学ではない。よってインチキ理論となる。
では、いくとする。

まず、人は成長したいものだという前提があるか?
これはやや怪しい。例えば、新聞に載ってたので、ああそうかなーと思ったのは、はっくるべりーふぃんの物語、つまりはトムソーヤとかの主人公っぽいキャラっぽいあれです、あのストーリーは、アメリカでは、成長(グローイングアップ)の物語として受け継がれてきたらしい。
でも、ライ麦畑をつかまえて、は、大人に反抗するのものの、
自分のやりたいことはこうだってのがない。ってものとして捉えてみた?って記事だった。

これは、まあ、どうでもいいんだけど、
今の社会で、反抗するけど、何もしないという人は増えているのかもしれない。
それは、中学生が悪さするくらいのレベルとして、「うるせー」というようなもので、一丁前に働き出して、「うるせー」ってのは、
かなりまずいんだろうなあと。あ、僕そのまずいのに入ってそうですが。(ニヤリ

おそらく、成長という言葉が堅苦しいのだろう。
だから、変化とか、学びとかそういうことでいってみるか。
でも、何かを学ぶことは一生していくし、それは楽しいと思える。
つまらないという人は、偏見だが、お金を稼ぐのには役に立たないとか、
そういうことを思ってしまうのだろう。
落ち着け。残念ながら、何が役に立つかどうか。
お金儲けノウハウなんてものがあって、それを解釈した時点で、
もうそれは役に立たないような気がするのは、皮肉でもなんでもない。
つまり、ワライのネタと同様、素材を調理することは必須な気がしてならない。というか、必須。

ある目的を掲げて、そこにぶっこんでいくのは、分かりやすいが、
では、なぜそれなのかと。それを説得力があるかどうかで
僕は印象が全く違うというか、それってホントかよ?って思ってしまう。
ダンサーになりたいといっても、プロのダンサーだけではない。
面白いダンスを踊るとか、宗教行為で布教するとか(笑)、表現としてのダンスを追及するとか、なんでもいいけど、
いろいろあるはずだ。これはもう色々なのですよ、としかいえない。


そういう感覚がないのは、もうこれは経験でしかない、とはいわなくて、
そうではなくて、自分がどれだけ、最初の一歩を踏み出したりしているか、
でしかなさそう。
時間軸として、縦軸に年月を、横軸にやりたいことを取る。
そうなるとこんな感じになる。
736edfc3.gif

かなりの図だが、まあそういうことだ。
1,5,10は経過年と捉えて欲しい。
例えば、5年後に向けてこれこれこうこうの目的があるから、そのためにいろいろやりますという。
そのやります、というものは、実際にやりたいことをまずやるという前提に立つ。やりたくないことをやっているのはここではスルー。
そのやりたいことを、1つセットして上にどんどん進んでいく。
これは普通だ。でも、もう1つ並行して別のやりたいことを進めるとかは
あまり考えるのはどうも少ないのか、なかなか。
でも、事業なんてやるときは、普通に複数やるのが普通なんでそういうことを知らないとか、学んでいないだけの話のような。
逆にいうと、そういうことをしっているのに、自分の人生に応用ができないってことは、結構頭が固いのかもしれない。といったら、言いすぎなんだろうなあ。ま、いっか。

それで、普通は、1つを5年やるのと、2つを5年やるのとでは、
1つ当たりに時間がかけられるのは減る気がする。
1つのことをやってたら、5年もつかえたのに、2つやってるから2.5年ずつしか。それとも、3年と2年とかね。
まあ、そういう風に考えやすいし、一般的なものかもしれない。
でも、相乗効果という言葉があるように、色々やってると、AとBがリンクして、よりスピードがアップすることがこれもまた普通にある。
この感覚が分からない人は、相乗効果という言葉を使ってはいけない、くらい大事なところになる。

1直線1つの人にはどうしても違和感を感じる。
それは「何か目指して集中してるぜ」という印象を受けるが、
実は裏を返せば「それポシャったらどうするの?」ということを
考えたくないだけの、言い訳装置にいれたら、「集中したいから」という
だけでしかない。
僕にもこういう面があるので、全否定はしない。
けど、僕は少なくとも、これではダメだからと思って、
自分で実践しているという自信はかなりある。そこを
見てもらっても、何も感じないというか、訴求が足りないんだろうなーと、
そこを思うだけであるが。

もちろん、2,3のことを並行してやるのもデメリットはある。
「いろいろやってるけど、じゃ何したいのよ」とか、
あと何かに集中したいときに、他がおろそかになるということだ。
でも、それ以上の相乗効果があると思える。
同様に集中型は、相乗効果以上の集中効果があると思っているかもしれない。
が、人間の集中力など、60分が限界で、休憩している間に、
別のことをして脳をほぐせるか、そうではなく、ただボーとするかでは、
全く違ってくるような気がする。という見方もできる。

誤解を招くといかんのですが、
並行型でも、集中型でも、集中して何かをやるというのは、
どちらもある。それは時間の切り取り方でしかない。
それはいいとして、
集中型で、かつ、期間が長い場合が問題になる。
並行型ならいつでも投げられるという無責任サラリーマン時代並みのことができる(笑)

大分前に、インプットとアウトプットの話はしているが、あれである。
アウトプットをするとインプットは定着するし、
インプットだけで、じゃあそれは使えるものなの?というと、
まあ甘くいって、6割くらいは使えない。厳しくいうと、8割は忘れる。
実際にアウトプットできるものじゃないと、それは知恵とは呼べない。
ここでは知識の学習は学びとは言わない。それはお勉強なのだ。

資格のための勉強はお勉強でしかない。
その資格を活かすだとか、なんかいうのは、知恵というものに
焦点をおいているからである。

昔、小学校の先生に、覚えた新しい言葉は使った方がいいと
言われたことを思い出している。
だから「ファックユー」という言葉を覚えたら使うのだろうが、
そこで「それは・・・」といわれればそこで覚える。
良い意味で、これはすぐに分かるという利点がある。
アウトプットとインプットはこんな関係になる。

インプットが多いと、おそらく消化不良になる。
いくらダンスの知識があっても、踊れなければ意味がない。
いくら税の知識があっても、会話で出てこなければ意味がない。
ここで意味がないというのは、その仕事に役立たないというくらいの意味である。

長い間集中して、得たインプットは、
そうだなあ、例えば3年で得たものは、5年後に使えるのだというのは、
単に借金の利子部分を返しているという話で、
問題の解決にはなってない。要は、問題の先延ばしということになる。
これは言い方がきついようだが、
ではなぜ、長い間インプットのみに集中するのか?
そうやって得たインプットはきれいにアウトプットできるのか?
知識が必要なものがあるというのは分かるが、それはアウトプットしながら
やらないと身につきにくいのでは?

そういう意味では、資格試験の勉強なんて僕は集中型で集中してという風には
できない気がする。というかしたくないし、やらない。つまらなそうだからだ。

その人はその人のやり方があって、そうやってインプットが楽しくて、
そうやって集中しなきゃ貯められないし、そうしてやらないと出来ないから、
っていうか、どうやってやんだよ!って怒ってくるかもしれない。

ここまできて思ったのは、
集中型、並行型はセンスの問題だが、これは理解できる気がする。
これでやりたいってのがあるからね。

でも、問題は、「明確に掲げた」というものが、
全然明確ではないってことだ。

普通、明確にこれやりたいなんて、かなりのことをやらないと、
分からないっすよ。そういう意味で、全然考えてないってことはいえる。
しいたけを最初食ったときにまずかったから、しいたけ=まずいものと
思い込んでしまうのと一緒だ。食わず嫌いではないが、それと似ている。
もちろん、しいたけはうまいものはうまいのだ。それは多くのものがそうで、
それでもダメならしょうがない。

つまり、明確ではないのに、明確ではあるように言う。
それはゴマカシだと認識しなければならない。それは自分でである。
そうでなければ、おそらく他人にどういおうが、自分に対しては
ゴマカシは効かないからね。

明確ではないなら、探らなければ、動かなければならないのだ。
そこで僕は課す。お前はそんなにいえるほどやってるのかと。
だからこうなる。自分がやりたいことがわからねーと思ってるなら、
動いて証明せねばならぬ。自分がわからねーってことも、
自分が何がやりたいかっていうことを探るのもね。見出すっていったほうがいいか。

でも、それが出来てない。それなのに、これだって決めれるのか?
決めれないだろう。なぜ決めるのだ。
単に思い込み「過ぎ」でしかないだろう。なんで決めるのだ!(笑)

単に知識を覚えるのが好きというのは、それは普通誰でもそうだから、
どういうことかというと、その人の感覚ではないような気がする。
本が好きなのは僕の感覚で、そういう本好きという人は多くいるが、
おそらくある本好きの感覚と僕の本好きは違う。
知識を覚えるというのは、好きというか、当たり前というか、
好みの問題ではなく、人間としての基本条件みたいなことになるというか、
新しいこと覚えるのは普通に面白いからねえ・・・って。

そうなると、何が問題か分かってくる。
つまり、自分と同じようなスタイルで、色々な視点から掲げて、
やるところで、スパイスとして勉強好きというところをいれてみた。
じゃあ俺と同じじゃねーか、なら動かないのかよ。
動くのが怖いのか?怖いなら外に行かないと何も分からないぞ。
自分なりにやってるからうるせーだと?自分なりって何よ、
それを認識しなきゃ次にすすめねーぞ。

なのに、自分が色々やっていることになる。
もちろん、話し方もあるが、ここではスルーである。

世の中は偏見に満ちている。という偏見にも満ちている。
だから、その偏見をぶっ壊したいという人間がここにいる、というらしい。

環境デー

某ボラサークルの前を通った通行人として参加(笑)

ま、それはともかく、なかなか楽しかったです。
とりあえず、僕はうるせーガキ(笑)より、
おとなしいけど面白いガキが好きです。
いや、子どもさんですね。ええ。いかんいかん。

ダチからの話で、
冗談が分からないとか通じないのはおかしいぞと。
とどのつまり、切り返しまでいけないのだから、
それは違うと言われた。とりあえず謝る。さすがRM。

今日、初で、裏RMの存在を知る。
そこまで、RM、ところで、RMってのはReadMasterのことですが、
裏RMには会えず。表がいるときに裏はいない。
そういうカラクリがあるようです(ホントかい


初対面の高校生に、面白い方ですね、と褒められた。
普通に嬉しかったが、ちょっと喜ぶのもLikeKidなので、
「まあね」と、軽く受ける。さすがRM。

ってか、今日は楽しかったな。

帰りに、飲んでた店で、お客さんが暴走して、
吐いたのは、意外だったが、まあよくあることさ。

インパクト2

・気のおけない挨拶
・いい感じ?
・学者肌


・気のおけない挨拶
80代くらいで気の置けない挨拶とは。
「よーまだ生きてたか」
「お前もな」
あれ、2chっぽいな。


・いい感じ?
料理の注文を切り上げるときに、
「そんな感じでよろしいでしょうか?」
うん?客じゃないよね?



・学者肌
「学者肌、学者先生ってのを嫌う人はいるよ。
そういう人は自分のやってきたことが全てだから。
「いや、それは違うな。それは決めつけすぎじゃ?
感覚の問題だろうね。気に入るかどうかみたいな。」
「だろうけど。」
「ところで、学者肌って何色?」


どうもインパクト短文は、会話が多くなる傾向がある。
さて、8つくらいネタ溜まったので、こいつをA4の紙に出して見るか。
うひょひょ。


ラジオだー

ついに外へ繰り出す鴨。

にしても、台風は勘弁っす。
いやホントに。

外で取り

たい。
さて、20回目へ16回目から、残り4回を1年かけて取る予定が、
色々な事情により早まりました。
もちろん、全ては冗談世界のいたずらでありますががが。

今回は、外で取るのは結構ムズイなーってところです。
実際には、マス風さんとの話を、音にして楽しみたいと思ってます。
うまくできるかはまあ、その日のテンション次第です(えぇ

実践していかねば何も出来ぬという人間の無力さを痛感したまへ。
うはは!

RM軌跡ラジオ第19回目「外収録・・できたらいいな」
約8分くらいっすか。
bgm:「How Can I Be Sure?」by Douglas Kay

長く続く関係

語り合える人間が多いことは、即ち幸せ度が高いと
勝手に定義してみる。単に自己満足の世界でしかないのがポイント。

ダチが、「ボロが出る」ってことを言ってたのを思い出す。
要は、表面的なものでは無理ってことを言ってるのであり、
でも、突き詰めてはダメになるという悟りを開いたようだ。

どうも、サトラーが多い。僕はサトラーになりきれないのを
自負しているので、それはつまり、断定の危険性と、
決められない危険性を比較したとき、決められない方の危険性が
やや低い(笑)のであるという、消極的理由による。

どうでもいい。

さて、人間関係というのをあまりつながりたくないものも、
つながることを「しがらみ」とダチはいっていて、
ああ、そうなんだっけと思っていたが、というか、しがらみがない
世界があれば、それは人間以外の生物、ワンチャンとかさ、
むつごろう王国でもいってみるかということになる。
これはサトラーではなく、一人間の認知した話である(笑)

行動レベルの話で、偽善をやるか、善を語るだけで何もやらないかというと、
偽善の行動に軍配が上がる。
でも、偽善というのは、善であることは変わらない。
例えば、それが偽りでも善といわれるものを提供しているからであーる。
この単純かつ、有史以来・・あ、これやめた、20世紀人類が生きてきて、
誰も思いつかなかったような素晴らしい考えにたどり着く。

偽善は、偽りだから価値がないというのは、あったりまえだの発言でしかない。
そうではなく、偽りの善も善であると。これはカントのなんとか形而上学にのってたかなあ、いや、善の話がね。
善善いってると、飯が食べたくなる。ぐう。

これを応用すると、嘘もその人のためなら、その人のためでしかない。
人をだます嘘で完結すれば、それはダメだが、
人をだます嘘でもその人のためなら、それはダメではない可能性が高い(あれ?)

さらに応用すると、人殺しもその人のためならOKちゃんとなる。
危険であるが、別にこの危険性はすぐに否定してしまえるものではない。
なぜなら、考えとかそういうものは、常にその側面、いやそれが含まれているからだ。

だから、揚げ足を取るとか、的を射てないとか、
そういう言葉があるのは、要は言葉で言葉の問題を指摘したいから、
出来たのであろうと、推測する。ん?

となると、やはり長く続く関係とは、
何か求めすぎないということであり、突き詰めて求めると、
それが本人にあればいいが、なきゃきついし、
あっても、そいつは誰だよってことになってくる。

そこで受け入れるという言葉が出てくるが、
変な話、基本的に「やさしい」人間は、やさしいのである。
それは本質的にそうであって、薄っぺらいやさしさはそれを意味しない。さようなり。

僕もそうだとまず断定するが、良いところと悪いところがあるから、
面白いのであーる。それをどのように見るかでしかない。
ぶっちゃけていえば、アホはアホで、馬鹿は馬鹿であると。
受け入れない人間はやはり受け入れないしということでしかない。

という当たり前のことを再認識。
だから、長く続く関係とは、受け入れているからでしかない。
当然、お互いがである。

という意味でいくと、僕の人間関係は
素晴らしく受け入れている。ように見える。こともある。
可能性が高い。だった?

飲んでみる

ぶらりと見つけた店で飲む。
なんか、店は良い感じだけど、店員の言葉が何かすげー気になった。
最近言葉に敏感すぎるせいか、それは別にいいのだけど、
多分「妙に改まりすぎていておかしい」とか、
過剰敬語的なものなのかなあ。いやあ、イメージとして。
まあ、んなところで。

今日出た会話で、ワード的には、
「ハードゲイ」「礼儀正しい」「LPガス」
「逆からみれば何も決められないってことになるよね」

くらいかな。
さあ、これで会話を連想してみると、
おそらく「ハードゲイ」につられて、もう想像できないでしょうね。
人間の記憶と、人間の想像力と、人間の認知をぶっ壊す。

それが僕のロールなのです(アホ

別に手術とかしないっすよ。
って、手術痛そう。いやん。

秋雨はなんか良い感じですね。傘持つの面倒だけど。

インパクト

・つり銭攻撃
・はずれるポスト
・傘ポンの脅威

インパクト短文で冊子計画をcheck*padにあげておくか。
完璧である。ITS PERFECTIONAL WORLD!!
アホですな。

早速いきますか。

・つり銭攻撃
ランチの出来事。
ランチは680円だったが、1000円を出す前に、
おばちゃんから320円もらった。
もちろん、1000円は出した。思わず笑みが。


・はずれるポスト
朝刊を出したら、ネジが落ちる音が。
みるとポストがはずれかけている。
トスポだがポストだがしらないが、このネジは・・・
普通のネジではとめれないぞ。手動でとめた。

・傘ポンの脅威
カフェの前に傘ポンがある。
傘ポンとは、傘を先をぶっさすと、
あら不思議、傘ビニールがすっぽりはいる・・。
めちゃ便利・・。濡れた傘をわざわざビニール広げて、
えいよえいよとやる必要がない。
これ、誰が発明した。ヒット間違いなし。てか、ヒットしてるか。


さあ、ダチと飲み。
気づいたら今月毎週飲みな感じ。
さすが、RMだ。


お笑いについて

たまには、しっかり書いたほーがいいね。
ここでいう、しっかりとは、リンク元などを整理とかの意味。
という意味で、参考リンクとかを毎度書いているブロガーには
頭が下がります。ホント。

気づいたら独り言カテゴリだけで2000超えてました。
1000を越えた段階でサトリがあったのですが、
もう何言われても「うるせー炎上すっぞ」とか脅されても、
思想的なバックグランドが日本ってことで、
むしろ「乏しさ」を証明しているような気がします。
まあ、10000超えは余裕ですが、その前にブログが消えるかもしれません(笑)

それはともかく、お笑いについて。
ネタ元:マス風の就職日記 「人志松本のすべらない話」について+Voice019
です。
そこに、お笑いから学ぶコミュニケーションってエントリがあるのですけど、
これはマス風さん自身が言われている(実際にラジオで言ってます(笑))ように、面白いエントリですね。

まっちゃんのラジオは聞いているが、そこでは会話がイメージとして
出てくるので、ラジオを聴いていても普通に笑える。
要は、お笑い芸人とは、完全なイメージを創り上げると同時に、イメージを聴き手に分かりやすいように伝え、さらにそのイメージで、笑えるものにしていくという、高等なことをやっている人種といえる。
と、別にお笑い芸人はここではどうでもよく、お笑いについて書いてみんとす。

と、同時に、ラジオでも補足か、上書きか、それとも脱線かで、
とりあえず、しゃべってみんとす。

マス風さんのエントリで印象深いのは、
2のオチの必然性って話。確かに、僕は会話の中で、
「で、どうなの」という言葉を3分に1回使っている。
最もこれはオチではなく、結論である。
ということで、オチとは結論のことであるが(えぇ
落としどころ、着地点、座れる場所とか、人によって言葉が面白い。
個人的には、落としどころは仕事っぽく、
着地点は、パラシュート部隊を連想させるが好きな表現、
座れる場所は、初めての集まりで面子がよく分からなくて、
どこ座ったらいいかなーって感じのシチュエーションを想像すると面白い。

と、書いていて気づくのは、
要は分かりやすいネタとは、通じるネタであるのだが、
でも、通じるとは相手と共有できる体験なりがなければならなくなってくる。
例えば、今「座れる場所」で、通勤で、「今日は座れる場所ないな」を
イメージしてしまったら、この話は、かなりズレる。

で、さらに思い出したのは、ダチで冗談が通じないわけではないが、
かなり手ごわい人間がいる。会ってから3日くらいしか経ってないから、
それを考慮すれば、別に問題ではないが(実際は嘘)。
それはここでいうイメージをうまく伝えきれてないというのが、
問題となってくる。ダチが悪いとか、僕が悪いとかそういう話をすれば、
終わりなのが、そもそもなぜ通じないかといえば、
それが冗談であることの必然性みたいなことは、さんざん警告(笑)しているが、どうも僕の話は全てTRUEであるというのがまずい。
TRUEとは、プログラミング言語でいう、「真」のことであり、転じて「真実」という意味(って逆じゃないか?普通は)になる。まあいいや。

例えば、携帯を落としてしまったとする。
その時、「腕が実は折れててさ・・・」といったら、
これを冗談と取るかどうか、真意はどこか、会話の狙いは(笑)というのは、
ほぼ一瞬で決まる。というか、そういう意味でコミュニケーションの真髄であり、フィーリングというものの証明というか、全てだ。

顔、表情、全体の動き、匂い(笑)、話の内容、話から類推・推測・想像できる言葉、もの、人、通り過ぎる人、看板の文字、歩いている場所、流れている音楽、その人の考えていること・・・。

全てである。という意味で、お笑いコミュニケーションを実践している人は好きであるが、笑えといった瞬間に実践ではなく命令となる(笑)

実際にはあり得ないことを言うと、それは頭が軽く揺さぶられる。
これは、お笑いではなく、論理崩壊(笑)とかでも同じで、
例えば地震が起きたっていわれると、え?って思う。
その一瞬をついて、技(笑)を使うことはできる。
カムイ伝だと忍術で、かなしばりの術とかね。そういうのは、多分こんなこといいたいんだろうと>一瞬をつく、ね。

それはそれでいいとして、笑いが通じない人とは(その笑いが伝わらないという意味ではない)、
「腕折れててさ」
といったら、
「折れてないじゃん」
「・・・・」
「うそつき」

となる。これは、極端だが、でも、自分が「冗談」といって展開したものに対して、「嘘」となるケースは結構ある。
コミュニケーションとしては、「嘘」になるなら、
ぶっちゃけ、「もーいーわ」(笑)となって、多分親密な関係にはなれない(ここでいう親密とは想像に任せる)ことになる。
いわゆる「空回り」とは、この「冗談」で分かってしまうものなのだ。

そのダチが言う反撃としては、
「あなたの言っていることは、本当か冗談か分からない」
これは、「申し訳ない」というしかないのだが(笑)
逆に、冗談として分からないほど難しいというか、僕固有の経験?というなら、ほとんど説明しているから、その共有部分をすくって
提供してきた(笑)ことが多い僕には、意外なのである。
論理的にいうと、
AだからB。BだからC。ならAだからCといえるのは、三段論法みたいなもので、
いけるはずだ。
これを応用して、
AだからCとなるはずなのをなぜか論理がぶっ壊れる、すなわち矛盾というのを
面白くするということもできる。
例は思いつかないが、できちゃうところである。

別の反撃では、
「冗談がいえない人間である」
これは、ダチ自身がそうだといったということだが、
そもそも冗談とは何か。箸が転がっただけで笑う人間もいるのである。
だから、冗談がいえない、いわない人間とはどうなのかと思う。
もちろん、全ての人間が笑わせるというのも、困るのだが。
とはいえ、冗談は聞くよりも、言うほうが大体面白い。
逆に言わなければ分からないことも多いような気はする。これはナンデモ同じか。

コミュニケーションとしてのお笑いであって、プロを目指すわけではない。
ただこれは面白いだろうというネタとして、素材の面白さよりも、
自分のテクニックで面白さに導く自信はあったような気がするらしいかも。

「頭が固い人間」
これはおかしい。なぜなら僕は頭が固い人間なので、
その定義がどうあろうが、僕は頭が固いのである。
その人間より頭が固いということに、文脈的にいうとなるが、
それだと、石頭になるので、僕はそんな石頭ちゃんと話しているつもりはない。この、「つもり」が重要である。

あんま書くと、ダチから何か言われそうなので、ここでやめておく。
この危険回避能力は、相手がどこまで言ったら怒るか、
ここまでなら大丈夫だろうというのが分からなければできない。
というか、いくら書いても、絶対に「冗談を言う人間」というものを
目指すのは、かなりナンセンスだし、実際に落としどころは、
そんなに悪くなく、まあ80%くらいの確率でストンと落ちている。
と、そんなこといってもしょうがないな。

お笑いのテクニックというものは、実際にはあるのだろうが、
ここでは僕が行ったり、やったり、したりしているものだろうと
思われる、もしくは思われているようなことを書いてみる。
ブームというか、波はある。

長いので続きます。

続きを読む

ラジヲのヲモシロサ

お、最長記録か。
多分24分くらいが最長だったと思うんですが、
今回は、30分近いです(笑)

RM軌跡ラジオ第17回目
「ラジオの面白さ」約30分

bgm: hip-hop色々

といってますが、ラジオの面白さをしゃべっているわけではなさそうです(おぃ

あと、19分くらいに、休憩入ってます(笑)
なんか、のどが渇いたので、1分弱かなー、それくらい
音楽のみで、その間にコーラ飲んでます。

なんか、いい感じですね。

仕事ができる人間

仕事ができる人間を定義してみよう。
これは、有史以来の大胆な挑戦である。

なお、全ての定義は思い込みでしかない。

1.挨拶をしている
挨拶をしない仕事ができる人間もいそう

2.仕事の目的を把握している気がする
把握していなくても把握している感覚が重要

3.フットワークが軽い
というよりも、体力がある

4.真面目か笑い上戸
笑わなさすぎるのならクソ真面目、笑いすぎるなら笑い上戸。
って、それは言葉の説明じゃん。

5.問題に対する妥協がないようにみえる人
いや、妥協は大事ですが。

6.仕事を振れる人
これ、単にさぼる人もいるので、なんとも。

7.すぐ仕事を投げ出さない人
ってか、仕事人としてどうなの。

8.飲むのが好きな人
でも、人を選ぶ人かな。お、これマトモなこといっちゃったよ。

9.仕事ができると思っている人
ああ、これだけでいいかもしれん。

10.1?9をみて、自分なりの仕事ができる像がある人
・・・完璧!

というわけで、10番目さえ満たせば仕事ができるかと思われます。
たまーに、仕事が出来る分析がすごくても、
自己はこうではないからといって、「私には無理ですのう」という人は
結構いそうというか、いる。
で、問題はそうなりたくないなら、その方向を見せるべきじゃんじゃかじゃんと、いう話。
てか、仕事って出来る出来ないじゃなくて、やるやらないのほうが、
仕事的には大分でかいような。

要は、思いつくとか、考えられるとか、全体を見れるとか、
経験と能力の話っぽいですが、でも、それは「やる」ことがなきゃ、
絶対増えないところ。さらにいえば、学びですな。

さて、雨降るなよー。

おろろ

眠いときに寝、眠たいときに眠り、眠たくないときに眠る。
とにかく眠るのが良い。

ミクシーのニュース情報から、オトタケさんのブログが炎上という
記事のようなニュースのような、ものがあった。
その解説で、一部そういう炎上させる行為を楽しむみたいな人も
いたりするよーってコメントが書かれていた。

ふむ。
実社会という言葉がなぜか「ある」と思われるが、
この言葉の意味は、裏社会であったり(それは表社会だけど)、
仮想社会だとか、別の社会があることの証明でもある。

さて、覚悟という意味で、
不適切な発言だとか、そういうものが色々ある。
このブログでも結構あるもんだし、まあ色々経験してきた気がする。
多分、5年くらいブログなり、HPなり、やってる人は、
大分そういう感覚には慣れてきて、対応も適切なんだろうとか思ったり。

それはともかく、性善説ではダメであるとはあるが、
これは当然である。人は信じてナンボではなく、
「これはできるのだろうか」「どうなのだろうか」と疑った方が、
最終的に溶け込みやすいような気がする。
あまり露骨にやって、同じようであると(最も相手が成長しないとそうなるというのもあるが)、嫌味ちゃんになってしまうが。

とにかく、炎上を楽しむなんて、
つまり、精神的火災であるが、これは、
普通の物理的火事、火災を起こすようなホウカマと同様、
やはり罰せられるべきなのだろう。

天皇云々はどうでもいいが、オトタケ氏のブログの内容はどういうものかは
見てみたいものである。

有名人ときて思い出すのはイチローの話である。
好き嫌いの話である。あの話はずっと、このブログに残る、そのうち、
不朽(笑)のエントリとなるだろう。そう初心を忘れないというエントリとして。

あう。眠い。

ひらり

ひらりマントがあれば、
嫌な仕事も「ひらり」である。
使用用途を間違えた道具の使い方は(ん?文章がおかしい?)、
まるでダメ男である(懐かしい・・・)

マス風さんからのネタで、
京都にラジオカフェってのがあるらしい。
http://radiocafe.jp/c_shoukai/index.html

滅茶苦茶気になってきた。行かねばならぬ。
そう、DJはどこでも行くのである。


今日、歩いてたら後ろから来たケッタマシン(茶凛呼(チャリンコ)、自転車、チャリ、ケッタなど)に、惹かれました。
3mくらいひきづられて、運転手が気づいた頃には、
僕は足が擦り切れて、もはや使い物にならなくなったー。
そこですかさず怒りを運転手に。剣道3級、書道2段、ポッドキャスト歴16回くらいでがんばったが、相手は強かった。
逆に傷ついた足にトドメをさられたのであーる。

さて、寝るか。


ひょうたんカフェ

うむ。発見。

http://blog.canpan.info/hyoutan-cafe/


ところで、ねます。

と、簡単に書いておくか。さすがRM。

・傘でちゃんばら
傘を持つと、ちゃんばらをしたくなる。
傘を振り回す少年がいたら、おそらく「勝負だ」と戦いを挑むだろう。
この好奇心、チャンバラ探究心をおそらく馬鹿にする人はいないだろうが、
実際にやる人は少ない。という意味でアドバンテージゲット。
あれ、もしかしてチャンバラって死語っすか。アウトオブ眼中は死語じゃねえ。

・哲学少女
その少女はいった。
「あなたは、頑固であるといわれた瞬間から、常に頑固であり続けるだもん」
僕は答えた。
「うっせーな」
こうして、哲学は破壊されるのである。

・悲しき頑固職人
頑固が頑固を呼ぶとき、同族嫌悪となる。
いや、そうでもないか。だが、同族嫌悪とは全くもってよく分かる。
僕は人間が嫌いだが、人間である。
全くナンセンスな言葉を吐いている。時点で、もう僕はアホである。
さらば、コンガ。

・運子の悲劇
焼きたてパン屋で、
「これ2運子下さい」
といったら、
店員さんが
「2運子でよろしいですか」
普通に返された。
どうも、運子ブームらしい。いやあ、なんて読むかなんて聞かないだもん。

・迷惑は自分自身
迷惑をかけたくないとは、迷惑をすらかける人間とは
認められていないという、いわば気のおいた関係であることを
証明していることになっている、再帰的現象、再帰的見解!である。
再帰とは、自分自身を呼ぶというものである。プログラムの世界では、
オーソドックス?な話なので、自分自身を認識するメタ認知的な思考と、
再帰のプログラムは非常に相性がいい。
が、哲学とプログラムを一緒に見る人は、少ないかもしれない。


おまけといくか。
・同期の動機
ゴロがいい。
その時、そいつは辞めたくて、そんな嫌な上司となんで付き合って
いかなきゃならんのかと。
でも、そいつは辞めなかった。が、今期で辞めるかもしれないというような、
そんな話をしてた。なんかそんなこと気づかなかったというか、
会うときは、大抵飲んでるから、なんか分からんのよね(笑)
そんな辛い状況にあったのかと。ちょっとだけ悪く思った。あくまでもちょっとだけだ。

というか、辞めちまった方が、大根をスパ!(温泉ではない)っと切るみたいに、すっきりしそうだなあ。
後から切り口をみて、認識すりゃいいだけの話。

ひょうたんカフェはこそこそとお邪魔してみるかなあ・・。

あら

リクエストこないなあ。まあ、予想内。
全ての予想が当たる。プチノストラダムスだわ。

というわけで、だらだらと。
RMラジオ 第16回目「仕事の・・・」約14分
bgm:色々(笑)

なんか妙なテンションです。良い語りベモードですかね。

メモ

・傘でちゃんばら
・哲学少女
・悲しき頑固職人
・運子の悲劇
・迷惑は自分自身

さあ、どれ読みたいっすかね。
魅力的なラインナップ。

コメントがとくにない場合、全部書きます。
あれば、それのみ書きます。

ついに、出し惜しみするほど、1日でネタを生成可能な体に。
正確には、哲学少女が僕をいじめたので、それに対して
腹を立てたが、相手にされなかったというところです。

うーん、まるでこの世の世界ではないラインナップだなあ・・・。
どっかの小説みたいだ。
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