ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年08月

イッツプール

たつをさんの影響で(笑)、近くのプールを攻めてみた。

の前に、装備を調達。
今って、度付きゴーグルあるんだよね。一枚固目で1200円程度。
むー安い。3000円くらいで買えちゃう。
まあ、普通のゴーグルは1000円も出せば買えるだろうけどね。

インナーにはくのと、今の水泳パンツは、
ハーフパンツっぽいのなのね。かっこええ。

帽子(キャップというべきか)もゲット。

思い立ったら即行動。

早速、チャリで攻める。むー、チャリ乗るの久しぶりやんけ。
風が気持ちいいぞ。どうしてくれよう。うむうむ(原田宗典風かな)

どうもレールによって方向が決まっているようで
(安全性確保のためでしょうな)、
思いっきり逆走したら、向こうから泳いできた人と、
監視員に注意を(笑)ご迷惑おかけしましたー。

どれくらい泳いだか分からないが、なんかスピードが遅い。
泳ぐスピードが。こんなんで海猿になれねーぞ(なるんかい!

バタフライやり方忘れちまった。やるとしぶきでダメなのかな。
クロールはいいとして、平泳ぎがあまり力使わず楽だ。
背面はやってないや。あれ、鼻に水入りまくるから嫌なのね。

一番端のレーンでは、水泳教室か、なんかやってる。
妙に「ばばあ」(笑)みたいな人が怒ってた(声から判断してるだけでババアさんかどうかは分からん。お姉さんかもしれない)ようにきこえて、
小学生くらいに通っていたプールを思い出す(笑)

なんかドエライ怖い人いたような。
帽子の色でコースわけてたんだよなあ。学年かな。
白とか黄色が高学年だったな。うむ。

あと、プールっていえば、
地元のプールで怖い人がでてきたのがショックだったな。

現実はやはり「力」か「金」かなんだろう(笑)と悟ったのかもしれん。

もっとも、小学校の恩師!によれば、
力にも4種類くらいあって、「武力」は「たわけじゃああ!」と
叫んでたなあ。(大げさ
知力を使えと。もちろん詐欺師のすすめではないことを一応念を押しておく。

どうでもいいことをどさくさにまぎれていっておこう。
誰でも自分と同じようにできないのと同様に、
自分も誰かと同じようにできないのよ。

そこらへんは対等じゃないかと思うんですけど、
平等じゃなくてね。その対等説はどうも通じにくい感触がある。

目の前の敵を吹っ飛ばすべきか、
それともぐっと飲み込んで「♪」とやるか。
まあどういう人間になりたいか明確であればあるほど、
そして自分が違和感を感じれば感じるほど、
その人とは会わないし、会ってもスルーとなる。

視野の広い人間なんぞと思ったら大間違いだ!
そこ!そこもだ!(えぇ

あ、プール入る前に、おばあさんが、タンカにはこばれて、
救急車きてたよ・・・。大丈夫だったんかな。

とりあえず、ターンして泳ぎ続けるレベルを目指そう。
いやあ、25メートル泳いだだけで、右腕がなんかおかしくなったので。
ええ、箸しかもったことないんですよ。おほほ。

グッドウィルハンティング

くー見ちまった。やっぱええのう。

自分の殻に閉じこもるか・・。

「自分の才能があるのを使わないのは自分が許せても、
俺は許さない」

だよなあ・・。やっぱそれが親友だなと。もうこの言葉以外で表現できない。


くくく。うはは!!(壊

シンドラーのリスト

どこかのブログでみとけーとあったので、見た。

うう。

人間が小さいぜ。がんがれ俺。

宗教は苦手だけど、一人の命を救えるものは、
やはり多数を救えるのだと・・。

ならば、エンターテナーは一人を楽しませるところから始まるのだ。

そしてビジネスもだ。

オスカー・シンドラーをリスペクトしたいものだ。
そして、虐殺されたユダヤ人に冥福を祈る。

ランボー

むー注文してしまった。
しばらく、ランボーにかぶれるとしよう。
ところで、難解とあるが・・・果たして分かるんかいな(笑)

さて、シンドラーみるか(エレベーターじゃないっすよ)

ワンチャンス思想は一期一会のことなり。

一期一会という言葉がある。
それは、ここでいってる「ワンチャンス思想」とほぼ同じ。
いや、同一だといっていい。

先人は良き言葉を残してくれたものだ。

人に会うときの心構えか。
まあ、そんなことを構えようが、単なるポーズになっちゃったら、
意味がないのであるけど。
ポーズではなく、実際でなきゃ意味がない。
でも、役に立たないようなものが最後に一番役に立つような。

あんまり生きてないから分からないけど、
最後に助けてくれる人間は誰だろうと考えると、
意外に普通に助けてくれないのかもしれんね。日ごろの行いか。


駅を歩くと、A4のクリップボードにアンケートつけて、
街行く人に何か聞いてる人がいるが、
あれは全員、宗教団体に見えるのは気のせいだろうか(多分気のせいではない)。

説明省いてしまうが、
結局どこまで自分の殻を打ち破れるかでしかない。
なにも、そう常にしろというわけじゃない。もちろん自分にだ。
打ち破ろうと思ってもそう簡単に破れないわけで。

楽しく・納得・充実というところを目指すのだけでも、
結構色々ついてきて欲しくないものも、ついてきてしまう。

だから、考えずに生きることは超楽(ちょーらく!)なんだろう。
かといって、考えてる人間が超苦(ちょーく!)なわけでもない。
ゆめゆめ疑うなかれ。

考えたい人間は考えればいい、そうじゃない人間はそうじゃなくていい。
同様に、やりたいことがある人間はそれをすればいい・・・。
そうじゃない人間はそうじゃなくていい。

すごーく、最もらしいし、たまに僕も使う言葉だが、
そう簡単に割り切れないし、そもそも本当にそれは自分にとってOKちゃんなのかね?と。

いやーなやつにたまに感謝するときがある。
「ありがとう、あんたみたいなやつがいたから、鍛えられたよ!」ってね。
すげー皮肉にしか聞こえないが、感謝しているのだからいいと思う。
が、言われたやつはショックだろうな。まあ、がんがれ。


もっと失敗をしたいと思う。
失敗が足りない。つまり、これは失敗を好んでしたいのではなく、
「トライ」の回数が少なすぎるということをいっている。
もっとトライしていかねば、失敗もできぬわ。
同様に、うまくいくわけがない!

もう、がんがるな。
菊丸ビームをやるしかにゃー。

落ち着け

結果ばかり求めては、結果になっても、それは全く美味ではない。
とりあえず、落ち着け。全ての人向け。

これでいいのか症候群

いくつかあるから、症候群ってことで。

あるふとした瞬間、とくに何かで盛り上がってる時とかが多いかもしれん。
そういうときに、「これでいいのか」と強い問いではなく、
消えそうなくらい弱い問いで、やってくる。

徹底的に語る時。慎重に語らねば踏み外すし、適当に語れば勢いがなくなる。
そういう時。消化がきつい時も。

仕事中。勉強中。自分がやっていることは本当に意味があるのかと、
考えてしまうような時。とりわけ自分が小さく感じたり、
他人が結構面白いことを「上手く」やっている時が多いなあ。

名刺整理

かなり、適当に頂いた名刺も管理してたので、整理っと。
名刺ホルダーに入れることすらしてなかったわ・・(笑)

ふむ。最近まともに名刺交換もしてないなあ。
名刺交換よりも、話が面白ければいいやってのはあるけど。

力が必要だ。それは自分に力がないからであって、
力があればどうにかなるから、力が欲しいというのではなく、
単に「うわ、力ねー」というものに対する欲求。

私力欲しいといえば、力がどこからともなくつくわけではなく、
日々考え、行動し、そうやって徐々についていくものだわ。
だから、経験とはそういうものを積み重ねていったものを意味するならば、
非常に経験しているかどうかというのは、意味がある。

自分一人であらゆることをする気もないし、また出来ないだろう。
だからといって、全てに諦める理由も同様にない。

何でも経験だ、という先人の言葉はありがたいものだ。
また、ビジネスとか、新しいことというのは、
とにかく行動してやっていくところからしか始まってこないというのもある。

やればやっただけ報われるというか、楽しいというのは、
やはりあるし、だからこそ人生は楽しいのだと。

知識ゼロから学ぶ ソフトウェアテスト

テストってものが気になって買ったぶつ。
かなり放置プレイしてたわ。

日本ではテストケースが重視されてない?とか、
そういうことはどうでもいいので、テストのやり方を
知りたかったりする。でもこの本はどうも
テストケースとか、テスト手法を分かりやすく説明して
そこで終わっている気がする。

求めていたものとはやや異なるのでハズレ感あり。
ただ、マイクロソフトがテスターと開発者が同人数ってことは
本当だろうなあと思われる。

これだけのOSをバグなしでは無理だろうと。
昨今の携帯回収ニュース聞いても想像できそう。

で、今更ながら、日経ビジネスの記事じゃないけど、
ソフトウェアの大事さをかみ締めるんすかねえ。
まあ、そんなことを繰り返すのが人間でしょうから、ただ笑いましょう。


知識ゼロから学ぶ ソフトウェアテスト知識ゼロから学ぶ ソフトウェアテスト
高橋 寿一

翔泳社 2005-02-18
売り上げランキング : 25814

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

君の夢 僕の思考

メガネヤさんを訪れてゲット。

すべてがFになるを読みたくなったわ。

印象に残ったのは、「正しい」って言葉かな。
軽い程度でしかないみたいなね。うむいいぞ。

少しずつ森氏の作品追うかね。
これもまいる効果やもしれぬ(笑)
あっざーす。


君の夢 僕の思考君の夢 僕の思考
森 博嗣

PHP研究所 2002-06-06
売り上げランキング : 181348

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

69

村上龍の映画化。
うーん、ぶっちゃけていえば、本の方が面白いが、
なんかケンの感じが出てる気がするので好印象。

ちなみに、レディー・ジェーンより、佐藤の方が好き。

結局全共闘なんていうことを、おくび!にも出さないことで
(というかする必要がないのだろうが)
思想に対する免疫がなくなっちまったんではないかと考えてみる。
ま、そりゃ局部的すぎか。

人の考えなど全て分からぬものよ。
全て理解できる人間などおらぬ。とはいうものの、それを求めることを
してしまうま。

「今を楽しめ」っていうバリ封のときにメッセージが
なんかあったけど、それは大事だと思われる。

今を楽しめない人間はやはり明日も楽しめないという理屈が好きだ。

というわけで(?)、この映画いいとして、
本を読むことはオススメしとこー。

噛む遺伝

カムイもあと2巻。
なんか他にも色々な章があるようだけど、もうしらん(笑)
全て読む気にはならんがー、どうなるんだろ。残り2巻。

本読んだのアップせんとなー。

にしても、外歩くだけで汗だらだらだ。
もうだめだーなんてことはない。

植木等

んー字あってるかな。
サラリーマン無責任時代だったかな。そんな映画があって、
かなりいいなーと思った。

人は働かないために生きているとは思わないが、
仮に労働がなくなれば、なんでしょうな。
それこそプライベートっていうやつに「労働的」なものを
求めるのでしょうな。この循環を断ち切るには、死しかない。精神的死でもいいわけですが(笑)

今、日本の漁船が拿捕された事件があるけど、
非常に注目したいところ。
前は、中国の船とのなんかトラブルあったねえ。
海の国境なんてないようなもんじゃないかーとか思うが、
まあ、そんなことはないでしょうな。

8Mile

一応2回目。

劇場感はないものの、ラップバトルの熱さを感じる。
かっこええ。

DVDには、なんか撮影で取ったラップバトルも収録されていて、
ちょっとみてしまう。すげーな。

KREVAの愛・自分博を借りてみた。

ライムを音にのせるってのが面白いね。まさに表現だ。
歌もそうだけど、歌はストレートなら、
ラップはジャブから相手の壁を打ち破るようなワンツーとか、
変化自由な攻撃に思える。

もちろん、ラップバトルみたいに攻撃をすることはないのだけど、
表現といってみるか。

メロディーに自分の詩を載せるというように、分かれていなくて、
普通は一体となって、今ある音楽ってのが出来ているような。
というか、そうでしかないと思うけど。

ゾクっとしたものはやはり感じる。この感覚が大切だ。

自分の文章の力を高めて、どんどん切り込んでいくとするか。
それしかねー。ちなみに、議論は思想のラップでもある(ほー

動け

脳内のアドレナリンが分泌をはじめた。
それを誰も止めることができない。(本当かよ

自分のことをよく知っていて(と自分が思っているだけかもしれないが!)、
そういう人が本当に心配してくれて、何か言ってくれると涙が出てしまうが(昔の青春ドラマ並である。もちろん美化するわけではないが、やはり好きである(笑))、
そうではないのに、心配しているよという人間が一番嫌いである。

ここらへんは、どうも中島氏の考えが分かるのだが、
氏の本には、「分かる分かる」といってくるやつが嫌いだとあったはず(笑)なので、ああ、やはり一生会えない人なのだと思ってしまうま。

まあ、別にいいさ。ダチがいってたような気がするが、まあ本当だろう。
まあいいさと。

嫌いな人間をあげていくと、おそらく自分になるのだろうから、
そんなナンセンスなことはしないが、というか、
嫌いな人間をあげるってことは、そういうことになる。
好きな人間を上げるのは、間接的に「この種の人間じゃない人」は嫌い、もしくは好きではない、なんともおもわない、ってか無関心!ってことになる。
まあ言いすぎだけど。

だから、好き嫌いは言ってはならないのだ。
というのも冗談だが。さあ、どこまで冗談で取るかね?

社会人になってびっくりしたことと書いて、
まだそれは継続されつつある。
そりゃなにかって?

「え、何。そんなこと気にするの」という類のものだ。

それは社会人になったとかそういうことではないだろう。

人との出会いは楽しいが、その分イロイロついてくる(笑)
多分、多分麻薬みたいなもので、打ったときは気持ちいいが、
あとはダメみたいな(あ、やったことないっすよ。あぶねえな・・)

別に出会いが全てオールマルなわけがない。
腐った出会いもあるわけで、ダメな出会いもある。(ちなみに念をあえておしておくが、出会い=男と女の出会いだけではないのでそこは注意すべし)

失敗があり、ダメなことがある。
だから成功も、良いこともあるのだ。

その原則はおそらく変えられない。
もし変えられてしまうなら、それは考えをしないということではないか?
何か思った瞬間、もうすでに何か思わないこともあるわけだ。

そう考えれば全てはやはり1つで構成されず、
お・・・なんだこのフレーズはどっかで見た覚えが。

タシツなものから構成されるってことになる。

なんかあったりまえだのクラッカー的なこと書いてるなあ。

まあ、そういうこともあるさ。

考え方

うーん。
例えば、ブログである種の考えを披露するとしよう。
それに対して何か反応があるとしよう。
で、そこで問題。

その応答に意味があるか・・・?
ですが、どうなんでしょうね。

ネガティブブログって最近言葉聞かないですけど、
人を否定したその不快パワーで楽しむってのは、
まあ人間ですから一部ありそうですが、やりすぎるとやっぱいかんだろうなと。

多分得るものがあれば意味あり。なければ意味なしでオッケーとしておきますか。

考えを書くってことで、自己完結(これは誰かに問いかけていないということを意味かな)していればいいんですが、
そうじゃないと、あんま意味がないような。
特定の人に向けて書くのもあるんで、ダメかなあ。まあ、いいか(笑)


Dainさんのブログで「読書」の話が出ていて、
久しぶりにみたら、どうもTBは軽く5は越えてるし、
コメントなんて最後らへんのはワケワカメになってる(笑)

何をどう読むと、「読書=バカ」ってことになるんでしょうな・・・。
そもそも本来(笑)のバカとは「読書について」ってことを
テーマとしない、かつ、それをテーマにしても何も書けない人を
さすかと思います。

さらにトドメをさすと、仮に「読書=バカ」だとすると、
あら不思議、滅茶苦茶考えを披露して、フィードバックしている人を
「バカ」といってることになる。
ってことは、バカではない人は皆相当のレベルの使い手(笑)ってことになる。おそらく、「読書=バカ」といった自分自身も使い手なんでしょう。

ってことになるのかなあと。

あと、オキテについてはそれはDainさんの真実であって、
別に強制してるわけじゃないので(というかそもそも強制していると
思う人がいたら、その人は他の文章を読まないのか、人との会話が「かなり」不足しているのかってレベルになりそうだけど、これはまたどうなんだろうか)まあ、それは読者(ブログを読む人ね)に対してガンガレってことになる。

そういう意味では、コミュニケーションが上手くないのだろうかと疑ってしまうが、まあそういうことをいうやつ(つまり自分)にカギって、
下手なのだから、スルー。

印象に残ったのは、あえて?否定してたブログ。
触れないですが、まあ気になる探しましょう。

Dainさんのブログにあったコメントで、気になったのは、
自分の主張が正しい・・という投稿。やはり、なんかなーと思うコメントにカギって、リンクがないなあと。どうでもいいけど。

自分いってることが正しい?っていう言葉は、
どうも変なんだけど。でも、正しいってのは、口で「TADASI-」とか
いってるのと同じで、あんま意味がない「注目語」かしらね。

思い出すのは、アドバイスの真実について。
アドバイスはその人の真実であり意見だからってことを
踏まえるべしべしと。
って意味で、ここからがおかしいのだけど、
「アドバイス」を求める人は、「アドバイスをする」人の考えを
分からないなりに考えて、「ああ、その人だからこういうのかな」って
何か味付けをしなきゃいけない。
が、変な話「アドバイス」を求めて、それに頼ってしまう人がいたら、
その人は「アドバイス」通りしかやらないだろうなと。

うーん、やっぱ変な話だ。


ところで、くどいようですが、
やっぱメール、ブログ、掲示板全てのデジタルなものでの
議論はあんましないほうがいいかと。村上龍がなんかそんな風なこといってたけど、まあそれに賛同。

もちろん、考えをぶつけていくのはいいけど、
ただ否定するのみとか、ただ肯定するのみって人もいるから、
あと、一番ダメなのは、文字のみでやるからかと。
当然っすけど「笑いながら、それはだめです」というのと、
「下向きながら、それはだめです」っていうのは、
実際に面と向かわないと分からないじゃないっすか。


で、考え方なんですが、
自分がいいと思ったらそれを貫いて、
で、ダメなら直して。っていう試行錯誤しかないんじゃないでしょうか。

ちなみに、僕は不器用なので、あえてダメでもそれで突っ込むタイプです。
で、ダメで「やっぱだめだった」ことを確認してから、
さらに突き進む感じですね。
要は、なんちゃって現場主義(笑)

燃えるぜバーニング。

うおおお

8月15日という日であるのに、妙にテンション高いわ。
調子に乗ったときに色々やっといて、へこむのにそなえとくか。

うむ。賢いぞ。

やることはいっぴゃーありあんすが、どこから手をつけまひょうかね。

メガネヤ

むーブログがあった。見つけてしまった。
http://blog.zaq.ne.jp/megane/

とりあえず、自HPが徐々に充実してきおるわい。

図書館の学校とか、ミニコミの「名古屋に暮らす」とかも、
徐々に紹介してみるかねえ。

HP更新するのは楽しいわ。うひょ。

ミュシカ

お店のブログやHPはないので、
誰か紹介してないかなと探す。

お、写真がいい。ここにきめた(何を
http://yokkun29.exblog.jp/2715486/
写真がきれいっすね。うむ・・。

HPからリンクはろうっと。
まあ、あのアパートとのギャップがあって楽しめるってのは
一理あったりするような。ので、逆に写真見ない方がいいのかも。
といいつつ、紹介してるしなあ・・・。(笑)

ガンガリスト

がんがっているやつをそう呼ぶことにする。
もちろん恥ずかしいので言わないが。呼ぶのだ。心で呼べ!
そう。念じれば鳥になるのだ。鳥になりたいといって、
「素晴らしい世界」の跳ねられるのもある意味一興だが、
あれはオススメしないが。


カレーを食う。もちろん店でだ。料理だって?
最近全然してないぜ、べいべー。
カウンターに座って、業務を声で想像する(目の前に店員さんいるから
別にみりゃいいけど、そこはひねりをくわえるのだ)。
ちなみに、頼んだのは納豆カレー。うますぎ。
無人島に持っていきたいものリストに加えとくか。(におわなっとうというのは、まずあり得ないのだといっておこう。というか納豆のにおいが気にならないから関係ないか)

まず、視察だ。
いわゆる、お客さんに注文を聞きに行くという係りだ。
すぐに決まらないようなら、後で呼べというのだ。
その状況を「何番さんオーダー待ち」とか、その手の表現で伝える。
あくまで、厨房でカレーを作っているボスらしき人は、
厨房にいるのに関わらず、店の絵が浮かぶ。
ここでは絵にはできないが、頭では、
「1番空き、2番オーダー待ち、3番追加注文あり、4番ヒレカツだからカツあげないと・・・」とかになってるか、
「店内の絵を鳥瞰的にみている」かもしれぬ。
ただ、聞いてて思うのは、視察の報告!により、厨房でその店の状況が
把握できているってことは確かに伝わる。だから、絶対にその絵が出来ているのだとにらむ。

テイクアウトのお客さんも来るし、家族連れやカップルという2人以上で来るお客さんもいるし、一人で来る人もいる。
おそらく、「オーダーの確認」はした方がいいが、
忙しいとなると、若干省くことがあるかもしれない。
ただ、4人連れに対してはそれはややリスキーだからちゃんと確認するとか。

店内が込み始めると、テーブル席は2人以上で使うようになる。
これは店のルールであり、暗黙裡といってもいいが、そうすることで、
快適にお客さんが店を使えるようにするというわけだ。
一人のお客さんは、カウンターに誘導するようになる。

厨房で出来たカレーもしくはサラダなどの料理は、
(ちなみに、サイドメニューにあたる、サラダは「サイド」が出来たという。
サイドというと、ハニーポッドサイドカーしか思い浮かばないが(嘘)、
まあ、サイドっていったら、サッカーのサイドしか思いつかず。まだまだだ(何が?))
オーダーを厨房に伝えるときは飲食の基本か、それとも省略形か、
それとも簡潔で分かりやすいものを望むからだろう、
「納豆カレー」とはいわないのだ。あくまで「納豆1」なのだ。
ふりがなをつけると「なっとう わん」なのだ。「いち」ではない。

お客がドアを開け店内に入ると、すずがなる。
いらっしゃいませという声が響く。お客の会話が、厨房での料理の音が、
店という雰囲気の中で混じる。これを一種のメロデー(メロディーではない、
メロデーなのだ(笑))と呼ぼう。
そしてお客が席につくと、視察が報告をする(笑)
その繰り返しだが、このリズムに乗ると非常に心地よいのだと思われる。

飲食業というのは、動きまくるのでハードだと思われがちだが(?)、
実際にやってる人で、リズムに乗ってる人は、非常に良い疲れ方をするだろう。
また、接客にも良いオーラがでてくる。
そう、そのリズムが伝わってきて、お客としてもワクワクしてくる。

まるでミュージカルのように、お客も総立ちで踊るっていう感じを
想像してみてほしい。うむ、素晴らしい。

カレー屋に、リズムなりミュージカルを求めるのはおかしいか?
全くおかしくない。視点さえあれば、何でも楽しめるのだ。

食器を使った音楽なんぞ、誰かがやってそうだが、(フォークやナイフで音を出すとか。ハンドベルとかが近いのかもしれぬ)
実際のお店でリズムがあるなんぞ、やってる人間にしか分からぬのだろう。

と、まるで飲食店で働いたことがない人間が書いてしまうのも、
どうかと思ってしまうま。
(私の知る限りでは、語尾に「しまうま」とつける人を2人しっている。
む、シマウマ効果か。恐ろしいな。ああ、私もつけてしまうま。)

それはいいとして、ガンガリストだ。

吉野家にいったら、うまかったではないが、
仕事に慣れてない、おそらく入りたての兄ちゃん!がかなり手間取ってた。
最初は誰だってそうさ、と温かく見守る人間がかっこいいのだが、
店長としては客を待たせてはいかんので、厨房からやさしい(笑)激が飛ぶ。
まあ、がんがれ。

客は落ち着かねばならぬが、吉野家は「がっついてくう」客が多いので、
とても落ち着ける雰囲気ではない。皆、狂ったピエロ(笑)のように
ひたすら飯をかっこむ。後から来たやつに負けてはダメなのだ(僕は3戦2敗くらいだ・・・弱い)

その慣れてない兄ちゃんに、ある二人連れのこれまた兄ちゃん!らが、
「お茶お願いー」といってた。もちろんそんなのに応対する余裕はなく、
「はい分かりました」といっては、全然お茶は出せてなかった。他にやってることがあるからね。

で、お茶が出てこないから、「ごっそさん」てことで、会計を。
でも、それも大分待っていた。

相手が誰だろうと、客を演じるのはカッコイイ時もあるが、
この場合はカッコワルイのだ。自分より年下の人間に対して、
かっとなってはいけないのだ。怒るのは常に年上であれ。
(これは親子関係には適応できない。また、うっとうしいガキンチョにも適用できない。ってそれなら、意味ないじゃーん)

別に兄ちゃんらはかっとなってはいないが、まだまだ青いなと。

吉野家はネタの宝庫だ。

喫煙だめなのに、ひたすら喫煙して、店員に対して「殺す」とかいってた、
酔っ払いなのかよくわからん爺さん風な人間。

お茶を何杯も飲む人(悪くないが、粋じゃない。一人一杯まででいきたい(笑)4杯くらい飲んでたな・・。ダメじゃないけど、かっこよくない)

頭が悪そうな男二人連れの片方の電話の会話が「先輩っすかー」
だったので、一層そのイメージに拍車をかけたとか。
(ちなみに頭の悪そうな人は頭が悪いかどうかは関係ない。
頭が悪そうに見えるかどうかが全てなのだ。ん?)


逆にみてみよう。
店員からしてみれば、大体なじみの客はいるにしても、
うざったい客がネタにはなるのは周知のことだ。
あのお客さんは・・・とかね。
というか、ネタという意味ではこちらがターゲットにされている。

例えばカレー屋では、納豆の兄ちゃんになってるかもしれない(笑)
が、ここで肝心なのは、お互いネタにしあっているというところで、
他人の目を気にするというのはここでの狙いではない。
ガンガリストは、他人の目を気にしないのだ。

気にしていたら、何もできないとは、ソクラテスが言った(嘘)のだが、
まあ、ソクラテスはソクラテスで性格が悪かったので、
毒刑でもよかったと、暴論を吐いてみよう(これが本当の毒を吐くだったり)


学生の頃、駄賃子(ダチンコ)が接客でバイトしているから、
接客について色々語ってくれたが、なんかそれを妙に思い出す。
ちなみに、僕はいつになっても「千円から」なのか「千円を」お預かりするのかが気になっている(笑)

一番嫌なコンビニとかあらゆるレジがある店!で、
お釣りをもらうときに、上からお金を落とす対応だ。
あれはカンジ悪い。しっかり握ってくれるくらいがスキンシップとして、
コミュニケーション的にもいい。別に握れというわけではない。
そのくらいの気持ちで、やるべきだと。やらないからこそいうわけだが。
でも、落とすのはやめたほうがいい。あれは人を不幸にしている。
そう、今これを読んでるあなたなのですー(もぐろふくぞー風にどうぞ)

バイトでがんがってるやつをみると、「おう、がんがってな」「がんがれ」というノリで、応援している。もちろん声には出さない。心でしかない。
根性論は嫌いだが、自分に対してはOKだという俺ルールがある。
気合いだ気合いだ!というのは、自分で自己完結すべきというわけだ。
それを他人にいうやつは、粋じゃない(この時点で世の中の体育会系に夜道を狙われそうだ。こえー)

常に言い続けるしかないのだ。
独り言でもなんでもそうだけど、自分はがんがってるなんて
言わなくてもみりゃ分かるさ。自分のことは自分で一番分かる。

がんがれの連鎖を創る。ああ、創ってみせよう。

というわけで、がんがってしまうま馬

あとでまとめる

かなりネタが溜まったが、うん、しっかり消化せねば。
ものをよく噛んで食べるのと同様なり。

カタリベカフェに具体的な目標ってのが必要かというところでは、
多分そんなのはすでにあるのだけど、実際に提供する(表現する)ものと
ギャップがあってうまく伝わらないんだろうなと。

自信だけは常にあって、そのプライドなりをボコボコにへこまされても、
大丈夫。2日くらいあれば完全復活。基本的にタフ。
やられたらやり返す(相手によるけど(笑))
だから大丈夫という理論。

人がいつでもこれて、ぶらっと最近あったことを話すなり、
面白い本あったよといってくれるなり、最近こんな店できたみたいよとか、
こないだイベントがあって面白かったというのでも、
映画の話でも、本の話でも、演劇でも、ダンスでも、音楽でも、
なんでもござれ。面白く話してくれるならなんでもいいような。
そして一杯のお茶なりがあって、「あー明日もがんがるか」と、
思えたらそれで満足なり。

ものの捉え方だけど、それは小さくまとまっているのかと。

ヴィレヴァンの菊池氏がいったそうな。
自分はまた店をやるなら、小さな本屋をやりたい。そう街にある小さなお店だ。

そうなのだ。個人でやってるお店とそうではない店(例えば、スターバックス)を比べることは、その仕事に従事して価値を見出しているかという意味では、全く同じであり、比較の意味がない。
収益、店の大きさ、客の人数、など、予算の違いでもいいし、なんでもいいけど、そういうのは違うだろう。

例えば、フォーカスするところが違うわけだ。注力する点といったほうがいいだろうか。
小さな個人のお店じゃ、お客さんと話せるだとか、そういうのはできる。
雰囲気を堪能するのはやはり、小さければ小さいほど、いいような気がする。
大きければ大きいほど、密度は薄れる。体育館ほどもあるカフェは、
やはり密度は薄いだろう。(それはそれでユニークだけど(笑))

組織を大きくするのが即ち善、即ち正しいわけがないのだ。
善とは哲学的な言葉として捉えれば絶対的な良さになるが、
んなものはにゃー。正しさは、もちろん僕にとって正しいなんちゃらは
あるが、それ以外の正しさも一杯ある。所詮そのレベルでしかにゃー。

言葉にしようがしようまいが勝手なのだが、
最後に突き抜けるかどうかというのは、やはりワンチャンス思想だ。
ここで言わなきゃダメだというときに、言えるか。
いえなきゃそこで終わり。いえればどうなる?ってところで、
やはり日々面白いのである。

さあやっぞやっぞ。

きたー

というわけで、まず予定通り、シマウマ書房を攻める。

むー、いい感じのお店だ。これはもう「いい感じ」なのである。
ということは、「いい感じ」を味わいたいなら、足を運ぶしかないのだ。

イベントも毎月ペース?でやっておられるということで、
そこに滑り込み、カタリベカフェもやらせてもらうことに。わーい。
話が驚くほどスムーズに進んだ(交渉・営業・渉外?というところでは、
もっと人間臭いドロドロしたものが展開される(笑)はずが、
営業部隊(そんなものが実はいたりいなかったり)のおかげだろう。
ナイスジョブである。星5つ)のは、まあそういうことで。

次回場所を2時間ほど借りてやることにする。
いいぞ、このスムーズさ、そしてカタリベカフェってものを、
毛嫌い(笑)するのではなく、「おう、やってみな。やってみな」(とは店主は言われてない、念のため)という姿勢であり、態度。
このご恩は忘れませんとは言いすぎだが、そのくらいの気持ちで丁度良いとにらむ。

さて、そういう嬉しいことがあって、近くに別の面白そうなお店(面白そうとは好奇心をそそるという意味だが)を訪れる。
その名も「ミュシカ」。

場所は坂の途中にあるため、老体には堪える(ん?
アパートの2Fにある。水色か白か覚えてないけど、扉を開けると
あら不思議。イメージとしては、覚王山アパートみたいなのだと。
ただ、アパート自体は普通に住居として使っているのもあるので、
やや趣は異なるなり、というところ。

おいしく紅茶を頂き、本について本をゲット。うむ、いいぞ。

素敵な奥様(!)としばしご歓談(笑)
カタリベカフェにも少し興味を持ってもらったようで、何より。
店においてあるフライヤやちらし等で面白そうな店を探る。
うむ・・スコップなんてフリーペーパーかな?そんなのあったんかい・・。
しらなんだよ。

むー昨日と今日で、人に会いまくってるわ。

「いける」
こういう感触がきた。もっと動かねばならぬ。
「ああ、やってやるさ」と自問自答。

「突き動かすものはなんだ?いってみやがれ」
「それは面白いからさ!」


ちょっとした結論。
家で寝ていても誰も来ない(ま、そりゃそうだ!がはは!

ワセダ三畳青春記

笑いという点では、土屋氏?の毒の類ではなく(ほう)、
原田氏のバカとは違うという意味の笑い。

む、むずいな。この人なんでこんなことしてんだっていう
バカさが前面に出ている話。フィクションとあるが、まあ実話ベースだとにらむ。

面白いので一読をおすすめするが、本よりも、人間的魅力というか、
高野という人間に興味を持つ。(うむ)

それでこそRMなり。でも、あまりオカルト的なものは興味ないので、
幽霊なりUFOなり、雪男なり超能力なり、あってもいいんでないとか思う。
おっと、この本は全くオカルトちゃん(笑)ではないのでご安心を。

薦めてくれた人に感謝感激(感謝の安売り中(ニヤニヤ))


ワセダ三畳青春記ワセダ三畳青春記
高野 秀行

集英社 2003-10
売り上げランキング : 4883

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈2〉セクシープロジェクトで差をつけろ!

さくっと読破。

といいつつも日数は経ってたりしまうま。

やってみよう!は本当にやれるかどうかかなり怪しいが、
まあそれはご愛嬌と勝手にしておこう。

書かれていることはピーターズ氏の書き方も面白いが、
同感だ。

いいね。次も買って3冊シリーズ読破しませふ。


トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈2〉セクシープロジェクトで差をつけろ!トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈2〉セクシープロジェクトで差をつけろ!
トム ピーターズ Tom Peters 仁平 和夫

ティビーエスブリタニカ 2000-05
売り上げランキング : 27996

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

すばらしい世界

正確には「素晴らしい世界」。漫画っす。サンデーなんちゃらの。
小学館から出てる。どうでもいいけど漫画探すとき、
出版社ほどあてにならないものはない。
いやあ、そりゃ色が違うけど、今までうまく探せたことがないっすよ。
と、勝手にいってみて。

なかなかいい。
ただ、「茄子」を思い出してしまった。
その時点で「茄子」には勝てない。
違うけど、オムニバスってのは、同じだなあと。

同じ街ってのがポイントかも。茄子はそれはないような気がしたから。

2巻で終わりなんですかね。
買っちゃうかもしれん。もちろん、茄子には勝てないのだが(しつこい

やべ

思い出した。
うさぎの話。しろいのとくろいのはなんか覚えてない。読んだのかねえ。

未だに覚えてるのは、これ。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4593720265/sr=1-23/qid=1155395391/ref=sr_1_23/503-0100563-1312758?ie=UTF8&s=books

ググってたら、Amazonヒット。うむ。すばらしい。

これを読んで親には一生頭が上がらないと思ったのは
僕だけではないでしょう(ほう

母の愛はやはり深いもんですな(笑)


この本欲しい。たけーな・・。2000円くらいで買えんのかねえ。
よみてー。

あっざっす

ストロベリーアイスうま。

大阪遠征。思い立ったら即実行。
(といいつつ、大分前から計画にあったので、即実行力がなきに等しいのだが(笑))

収穫多し。
やはり本を読むのも人と話すのも同レベルで楽しいわ。

いやあ、じっくりことこと煮て消化したいところ。
ふはは!

何に負けると悔しいか

日経の土谷氏?のコラムが終了したようだ。
むー残念。本でも漁ってみるとしよう。

何に負けると悔しいか。自分が価値のおいてるもの、において
やられたぜと思うと、大量にアドレナリン(笑)が分泌する。

例えば、同年代くらいで、自分より面白そうなことを
何でもいいからやってるってのを聞くと、かなり悔しがる。
別にそれはいいのだけど、自分のがもっと面白くならないかと考えてしまうま。

善循環とも呼べるこの思考を手に入れたとき(笑)、
敵は自ずから目の前から去ると知りました(すげー自信だな

プログラミングで、ああそうやってやればできるのかーって
教えてもらったりするときに、あまり悔しさは感じないが、
それ以外で自分ができないなーってところをやったといわれると、
かなりやばい。完敗である。

まあ、読んでも分かるまい(なら、書くなよ

とりあえず、アイスを食おう。そして夏を満喫するのみ(ほう

仕事とは何か

現在やっている細かい仕事は、そのやっている時点では
「作業」となる。タスクといってもいい。なんでもいい。
例えば、この書類まとめといて、とか。まあプログラマには
あまりないのだが、そういう「ある特定の文章」をまとめたりは、
ホワイトカラーならやるだろうか。

1万字オーバーっぽいのでかなり久しぶりの続きを読むをどーぞ。


続きを読む

オロナミンC

最近はまっている。
うまい。が、毎日のように飲むと飽きる(当たり前

リプトンのティーソーダスパークリングって
とっくにコンビニじゃお目にかかれないけど、
スーパーで発見。なんか、好みの分かれる味だろうなあと。
滅茶苦茶うまいというより、「紅茶」と「ソーダ」混ぜたら
こういう味だろうなという味だ。
さっぱりしているから、結構好きだなあ。

ざっと。

アメリカに、客室が図書館なホテルがあるらしい。
いきてえ・・・。

スワンタッチという、はさみ替え不要のしおりが
あるそうな。(めくると、いっしょについてくるシカケね)
すげーな。

日経の中部紙面に、
バーで詩を朗読する若者という記事あり。かっこええ。いきてえ。
同記事で、東海シアタープロジェクトの人も載ってる。
廃校って、Combi本陣のことでしょうな。

仲間が去っていくところで「踏ん張る」という姿勢は
とてもかっこええ。

また、同シリーズでは、ベンチャー企業だとか、色々な若者の仕事と夢を
紹介していて、かなり面白い。

東海シアタープロジェクトは演劇見てればいずれは絡めると
思ってるのでいいとして、
まずは、詩人のパフォーマンスを見たい。


ビッグイシューは、ダンスの特集。結構紙面割いてるね。
オールドスクールとかニュースクールって、学校のことではなく(笑)
「流派」とかいう意味のスクールなんすね。

ダンスって滅茶苦茶体力いるってところで、
意外ではないのだが確認という意味で、ダンスは「表現」ということを
確認できた特集だった。うむ、いいぞ。

著作権無視して適当に人の文章かっぱらって、
そいつを自分の作品とせずとも、やはりそんな文章には
心は宿らぬ。

と同様に、ダンスも真似てもそれまで。そこからアレンジをと。
全く、ビジネスと同様。全く、本読みと同様。

結局、楽しみ・好きでいることが、
何か突き抜ける(誰かはブレイクスルーというっぽいが)こともできるし、
持続・継続することもできる。

うむうむ。これだ。ナイス記事だ。

ちなみに記事中に「ダンス、とくにストリートダンサーは
それ一本では食えない。プロなぞ一握りだ。そのプロでも、
インストラクターと二足のわらじだ」
みたいなことが書かれている。うむ。

で、送付された紙にあった
「毎月一回、大阪で、散髪会をボランティアで」というのが
さりげなく書かれていて、
うお・・・そういう展開があるかと、脳を刺激される。

書くことで勝負をするとは、いくつかある。
物語を展開するとか、何か意見を述べる(事実とかからガシガシ何か言うのは面白いが、ガチガチでつまらんこと多し。そこに笑いが必要だから)、
面白い文章(最近侍魂みたいなテキスト系サイトといわれたものは、
もうブームはとっくに終わったんかねえ)を書く、
詩などを書く。

方向はまた色々ある。
知識という意味で、「本」という分野では、
おそらく「書評」くらいしか思いつかないだろう。
グルメ系雑誌といわれたら、おそらく「あそこの店がどーだこーだ」という程度(別にそれが悪いわけではなく)のものしか想像できないのと同様。

やり方がある。好みがある。楽しさがある。
踏ん張れ。

見たかったものはなんだ。
黄色か、青か。それとも、箱か。丸か。
上か、西か。30度なのか、z方向なのか。

叫べ。うおおおおお!

サービス停止前に

RSSは復活したっぽいけど、クリップができん。
ってことで、RSS開発者ブログをみると、
かなり言われてますな。まあ、しょうがないでしょう。

RSS、クリップ、ドリコムブログって、
各担当者、責任者がいて、どういう体制でやってるかとか、
そういう突っ込みもされそうですね。

まあ、何かにつけてあることないこというのは良くないですな。

ちなみに、期待値を極限まで下げれば
「ブログサービスがある」だけでいいやーってことになります。
だからドリコムに何か言う時間を費やすのすらもったいないということもいえるでしょう。

ってことを考えた上で、皆さん言ってるのでしょうねえ。

ユーザとの距離が近くなると、
ユーザの細かい要請にも応じなければならないってことにもなりますからね。
これは意外に、双方向の盲点でしょうな。
別に講義形式の授業が悪ではないってこともついでにいえますな。

コメントを受け付けるってことは、逆に、
そのコメントがきた瞬間の対応も見られるわけで。

そういう意味で、ブログで、コメント・TBを断ち切るのは、
ある種意味があるやも。

難しいところ。

まあ、9日は、一日停止って告知があるので、更新しません。
ただ、長引くことが考えられるので、今週一杯はブログ使えないと
見た方がいいでしょう、

良い夏休みを(おぉ

営業力

結局、そこに尽きる。
営業できない人は全員死んでしまえ!

というくらいの勢いが必要だ。もちろん、そんなことを口にだしていってはいけない。
(買ってはいけないという本があったのが懐かしい)

自分を売り込むというのもあるが、
売り込みすぎというのも暑苦しいこともある。
まあ落ち着けよという感じがある(笑)

そういう意味で、距離感が上手い人間が好きだ。
嫌なことを嫌という人間も好きだが、
「うーーーーん」といってる間に「ジャパニーズスマイル」を
かますことでオールOKな感じもいい。

さあ、営業の旅にでよう。
そしてボロボロになって帰ってこよう。
もちろん手には新規取引先!の名刺を胸に!(かっこええ!

本嫌い

本というのは一つのメディアだとして、(そもそもメディアとは何か知らないのだが(笑))
それはあるべきかどうか。いや、もっと簡単にあったほうがいいかなと、
考えてみよう。

さて、「華氏451度」では、本がない世界を描いている。
ちなみに、「モモ」は時間のことについて書かれている。

両者をあわせると、本と時間というこの世の多分5割くらいは
占める話になりそうだ。

そう、本とは情報なり。情報とは人の考えが混じって知識となるなり。
知識はそれを自分で咀嚼・吸収・消化して知恵となるなり。
本はまた年月の経過とともに、古典となるなり。

というところで、人とは動物とは違うのだというときに言われる、
「考える」というところがある。最も動物も考える。
犬は、どいつにつくと得かどうかを考えるそうだ。
僕は犬なので、逆らう人には逆らうが逆らわない人には逆らわない(まさか!

時間とは、人生の意味だ。
という意味で。両者で5割じゃないな9割だわさ。


で、本を読むのはえらいかどうかという話においては、
全く偉くない。えらい人間は自分をえらいといってはいけないのだ。
逆にえらいといった人間は即、その瞬間無価値になる。
これは謙遜ではない。
日本語の妙か、さて人間の属性か?
「私はバカ」だといった人間と「俺は賢い」といった人間、
どちらかが信用度が高くなる?
また、その言葉の意味をどこまでその発言者の性質と考える?

僕は信用度を重視する。
もっといえば、フィーリングだ。
「こいつはうそ臭い」とおもったら「賢い」の意味は消散する。
信じれるねえとおもったら「バカ」を信じる。
が、そのバカは信頼度でかき消される。つまり「素直」とか、
「謙遜してるな」と読めるわけだ。

相手とのかけひきは、非常に面白い。
常にどう考えているかのやりとりだ。まあ、それはいいか。

で、本が好きか嫌いかというところでは、
本からうまく学び、うまくそいつを活かすってことが、
結構言われているにも関わらず、うまく伝わってないってことが一理あり。

例えば、本をフォトリーディング等の速読的なもので読む人で、
1万冊読んだとする。じゃその人は何?ってことになる。
その人は何をしたいかでしかなく、何も本の量をこなしたから「どう?」ってことはない。
逆に、全く読まない人はそれで人生の半分の面白さを失っていると思う。

さあ、この感覚には、同じようなことにもいえる。
TVの芸能ニュースをおっかけるのに血眼な人も同様だ。
では、その人はそこから何か学んでいるのか?
これは考えにくい。まあ、かといって全滅でもあるまい。

本はそういう意味で、はずれが少ない。
だから「勉強」「学び」と固いところに落ち着く。

日々勉強であるという人間が、いかにマイノリティであるかを
嘆くべきか?それとも、それが当たり前と思って生きるか?
それとも?

どう考えるは各人次第だ。
とはいえ、自分が常に正しいという原則は否定しないほうがいい。
もちろん、人を傷つけた場合に反省しないとか(あ、僕反省してないや)、
何か過ちを犯しても何も感じない(あ、僕それ。)のは問題外だ。(いたた・・)

人にどう思われるか、その人にこう思われたくないから、
「あるべき」ことを言わないのは非常に自然な行為だと。
「本面白いよね」という会話が、国民的文化レベル(笑)の平均的会話というのがあって、照らし合わせるならば、
「やや高い!」ならば、それはそれで大問題な気もする。
だって、政治とは民衆がバカであることを前提にしているからだ(おっと過激だ)
いかに国民を疲労させ、そして回復させ、の繰り返しだ。
職業柄そうなるだろう。彼らを憎んではいけない。
そう憎しみは、何も生みださないからだ(笑)

どうすればいいかは簡単である。
まず投票率を0%にすることだ。
そうすると、ルールが意味を成さなくなる。
荒れた国になって、無法者がえらくなる。全ては軍事力なり。
そうやってあれた国から富裕層は飛び出る。

残されたアウトローで国を再建するのみか。
まあ、がんがれ。とまるで人事だが、実際に、そのように、
自分の人生を、国家なら別にいい気はするが、人事だと思ってる人は多そうだ。
そうやっても生きていけるからそうするとは、もっともらしいが、
何か欠いている気もする。多分気のせいだろう。

それで本が全て焼き払われたらどうなるか。
何も誰も学ぶことはできない。伝承とかになる。
それはやばい。

思想統一というのは結構簡単にできるということは、
視野を狭めて、環境からの刺激をほとんどなくし、
同一的な人間の中で暮らし、後は押し付けたい考えをいえばいいだけだ。
それを思想統一といってしまえば、
多種多様なものを尊重されない。
色々あったほうがいいと僕は思ってるから、統一は非常に嫌いだ。
色々ごたごたいってたほうがバランスとれていいのだろうと。
だから、世界に国は分かれているのだ。(おぉ


日本人は戦後変わったのかという問いがある。
多分変わってない。基本的にやはり群れたいのだ。
僕はそういう日本人は嫌いだ。群れるなら、地下で群れたまへ。
何もしたくないなら、死んでしまえ!(滅茶苦茶
そうして少子化に貢献するのだ!(笑)

でも、そういう少子化に対する過激思想がもうあってもよさそうな
時代ですな。くわばらくわばら。


で、僕は本好きです。

そんなレベルでしたっけ?

自問自答である。
「おまえってその程度の人間だっけ?」

こんなことをいわれて冷静でいられる人間は、
「自分はその程度の人間である」と認めているからか、
そもそもそういうことを考えたことがない人間か
どちらかだろう。多分ね。

で、もちろん、RMさんとしては、
「バカ野郎。なめんじゃねー」
と、真っ赤に怒鳴り込んで、そんな口をきいたやつを、
精神的に殺すのみだ。
あくまでも精神的だ。といって、黒魔術とかは知らない。


自分のやってることが滅茶苦茶小さいなと思ってしまった。
なんでもだ。仕事も、全て。
それは無力感といってもいいが、正確には違うのだけど、
そういう感じだ。

「やって、で、何になる?」というようなあまりよろしくない問いだ。
まいるさん的には、閉じた状態だ。やどかりさんが移動してない時だね。


今まで僕が会ってきた人間で、強い人間というのが何人かいる。
それは本人の性格もあるからまとめられないのだが、
共通しているのは、
・自分の術をもって対応している人間だ
というところだ。

例えば、僕のように考え詰めるようなことをしなくても、
やり方は違えど、うまく対応していく人もいる。
そういう意味で僕はすごく不器用だ(本当に不器用な人間は不器用とはいわないし、器用な人間は器用とはいわない。という意味で皆うそつきである。さあ、この理屈はどこまで通用するかねえ)。

うまく、バリアを貼って、こういうふうにやるといって、
こそこそ別のやりかたを狙うやつもいる。
真っ向から向かっていくやつもいる。
向かわずに波に乗ってみてというやつもいる。
自分の意見を主張!しないがしたたかに動くやつもいる。

まあ色々だ。
少なくとも1人以上はそういう人間を知っているから、
それはそれでいいのだと思われるのでござる。

さて、もう一度問おう。
「お前はそんな程度の人間だったっけ?」
「ぶ、違う。国を転覆してやるか!」

日本じゃなきゃ捕まりそうだ。国家転覆罪とかね。
そんな人間はひたすら追われるのみだ。

もちろん、国家を転覆する気はないけど、
社会のシステムをクラッシュ&ビルド(小売業、とくに、
コンビニでいわれているのは、スクラップ&ビルドである。
ちなみに、クラッシュ&ビルドとは、TFMで22時から放送されていた、
山田ひさしのラジアンリミテッドの、DJやまだひさしの、
当番組初期の頃の口癖でもあった。今の、ラジアンDXは、
なぜか全くその台詞はでてこない。むしろ「エコDJ」を彼は自称している。
が、クラッシュ&ビルドをしてこそ「エコ」はできると僕は思っている。
環境をぶっ壊したからこそ、守るのだと。
最も、人を殺さなきゃ人の大切さは分からんなんていう暴論にしちゃいかんけどね。)
するほうが面白いと思う。

僕が個人的に狙ってるのは、ボランティアと営利の曖昧化。
商人の才があるのと、農民の才があるのならば、
どちらも差はないと訴えること。
と同時に、農業にもテクがかなりいることを述べつつ、
では、どちらがエライとかタワケタことをいわないこと。

なんだこりゃ(笑)

pingサバ死亡

ドリコムのRSSの運営者ブログは
結構かかれてますなあ。

で、どーも、4日からRSSが更新されん。
どうも、pingサバが死んでるっぽいっすね。
ブログ更新しても、うんともすんとも。

ああ、違うか。RSSサバが死んだのか。
取得できないんだろうね。ああ、だからpingサバでいいのか。
まあ、どっちでもいいや。
動かぬことは確か。

それで、正常に利用できる状態にあるといってるドリコムに
苛立ちを覚えるのも人間らしい。
確かに不便だしね。

ただ、僕は見守るのみ。
手を変え、品を変え、どのようにしても、
根本がダメだったら、やっぱダメなんだろうなと思われます。
ダメではなかったら、きっちり対応してくれるでしょうね。

ただ、一ついえることは、
現在の状況を報告してないということは、
それが精一杯の誠意だと。そう読みとるしか、
というかそう読みとらなければ、こちらが死ぬわけで、
そういう状態でもありますね。

昔、Amazonのマケプレで音信不通をやってしまった失敗を
思い出しましたな。確かに何も音沙汰なければ、怒るわ。

そういう単純な話だと思われますが、
ドリコムさんはどのように考えておられるんでしょうな。

まあ、無料だからいいやというノリで今回はスルー。

少年ライブラリィ8月号

観劇してきました。

面白かったですね。
印象に残ったのは、音楽と演劇の組み合わせですかな。

でも、これって漫才の顔芸を大分前に、NHKの爆笑オンエア・・・
でやってたのをみてて、それを思い出した。
新しい技術ではない。が、それを使いこなすのがプロなりなり。


で、ここで教訓めいたブログなら、
「あなたは道具を使いこなしてますか?うふ」
ってなるし、そういえば、魔法の質問って、まだやってるのかしらん。

個人をあったかく迎える言葉が氾濫していて、
何も言葉の重さがないというのが僕の感覚。
別にコーチングとか、カウセリングを否定したいわけじゃなくて、
結局そこらへんを信仰宗教だの洗脳だと、同じ属性のものと、
しないのが嫌というか。

同じものといいたいのは、それは人の心について言ってるだけで、
その観点が「やや」違うだけで、似たようなものという、
多分、怒ってきそうな人はいそうですが軽くスルー。

ちょっと違うだけで、全く違うってのはありますからね。
例えば趣味が同じでも話が合わない人っていますが、
その説明ができないのと同じかしら。

当然、このブログは教訓ブログではないので、
かといって、毒を吐き散らすようなものでもないので、
つまりこうなります。

少年ライブラリィは多分見た方がいいと思う。

お疲れ様でした。

目を閉じて

燃料ってものがある。
例えばそれは、何かやる気合いの量。エネルギーといってもいいし、
テンション持続時間といってもいいし、単純にやる気が持つとかでもいいし、なんでもいい。

山とか、高いところ。
あと空を見るのにさえぎるものがないところ。
そういうところで、星空を見ると、すごくいい。
星が活きてるって感じがする。

生きているって感じがするのは心が動く時で、それを感動という
言葉で表した人にはとりあえずありがとうといっておこう。
怒っている時に「ああ、俺は生きてるぞ」と思うことはあんまないっすけど、
いいことがあると「ああ、生きててよかった」とは思う。

感動の押し売りという典型的な人(笑)がいたが、
あの人はああやって生きていくのだろうと思う。
最もあの人はそうやってやるのがいいと思っていて、
皆に感動とは何かをただ単に語りたいだけなのかもしれない。

感動マーケティングという言葉は滅茶苦茶嫌いで、
別にそういう言葉を使う人は悪ではないが、僕には心象が悪い。
なぜかというと、感動って言葉を何度も使う人は、
感動って言葉の意味を本当は知らないのではないかと。疑うわけだ。

ってことを突き詰めると、語るということは、
逆にそれを本当に知らないから語るのではないかと。
そういうこともいえる。つまり、語っている時点で青いということだ(笑)

目を閉じて、深呼吸をして、身体を落ち着けてみる。
ある演劇の劇団メールが来ていたが、そこには、
演劇をしてるやつは皆、変であるとあった。
思わずニヤリとしてしまう、フレーズであるが、
演劇を見る人ってのもまた変なのかもしれない。

表現という領域では、人間はとても自由に思える。
好き嫌いはあれど、というか好き嫌いでしかないのだが、
性的なことだったり(ゲイやレズなどなど)、服装もそうだし、
考え方もそうだし、非常に柔軟であったり、逆にすごく自分の価値観を
出してきたり。まあ表現者なのだから、そうなるのはしごく当然なのだろうけど。


何か見えるまでやるしかないし、
見えなきゃそれまでだというケリの付け方もある。
良く分からないが、温かい人間が好きだ。
冷たい言葉を吐く温かい人間もいるし、
温かい言葉を吐く冷たい人間もいる。

利口を演じるバカか、バカを演じる利口かというのは、
ある人が言った言葉なのだが、当然後者を目指す。

変であることを誇りに思う!なんてことはまだまだいえないが、
変わってるというのは価値がある。
価値があるとは他になさそー(なさそうってのがポイント)なことだと
考えるなら、やはりそれでいい。いけ。

自分が価値があることを貫く。
貫ぬけなかったら、しっぺ2回で許してくださいね。うはは!



うむうむ

カタリベ終了。

さあ、次どうするか。肩の力を抜きたいところ。
が、そう意識してたら、逆に抜けるものも抜けないわけで。

お前ならやれる、お前ならやれる。
自己暗示をかけ、がんがるとしますか。

さあねっぞねっぞ。

天国の五人

カタリベカフェでの拾得物。正確には交換物なり。

このミッチ・アルボムという人は「モリー」も書いた人で、
「モリー」を前からチェックしてたのに読んでないのが不覚。
また読んでみます。

この天国の五人という話は、
演劇好きの5人が高校の文化祭で一致団結して、
バンドを組んだ演劇をするというライブパフォーマンスをして、
という物語・・・ではなく、

エディという主人公が死んでから話が始まるものです。
という意味で、生きている話はあまりないです。どうでもいいですけどね。

この本で伝えたいのは、アマゾンレビューにもありましたが、
無駄死というのはないということでしょう。
例えば、妻であるマーガリートの交通事故から、そして入院そして死というのは、
かなり不幸な話に思えます。が、物語では彼女は無駄だとは一言もいってません。
エディが無駄であるというようなことを感じていることは読み取れそうですが、妻にはそれはありません。

天国で出会う五人は、皆、「死にも意味がある」と述べます。多分。
その共通しているものは、やはり、無駄なことはない、ことになります。

例えば、大学4年間何も考えずに通ったとか、会社に25年間何も考えずに!通ったとか、80歳になるまで好きなことをやってこなかったとか、
そういうことも無駄ではないのです。

その心はおそらく僕の解釈では、
それが無駄であったということを感じた瞬間、次に有意義になるというところですかね。

例えば、過去のことでいつまでもグチグチいってる人はカッコワルイのは当然ですが、そこから成長できません。そこから成長しようとしてないってのもありますが。

どちらかといえば、エディはそういう人として描かれている感はあります。
それを克明に表しているのは、父との会話、父という存在、デカルトがいえば、
エディプスコンプレックスだのなんだのとか言いそうですが(笑)、まあそれはスルーで。

父とほとんど会話らしき会話をせず育った。親父が悪いと。
自分も勤め先である遊園地から逃れられない(これはエディが逃れたいといっているにも関わらず出来なかったことだが、実際に現実的に解釈すれば、このようなことは山ほどある。何かしたくても出来ない。ほら、そこにもあそこにもある。それはなぜか?問題は簡単だ。それをやる前にやることをやってないのだ。メタ分析思考で一撃だ。例えば、お金がないから引越しできないなら、お金を貯めればいい。そのお金がたまらないというなら、それは「夢想」ということになる。やりたいこととはそういうことではなく、やっていくことにしか他ならない。エディはそういう意味では、逆に、遊園地を愛していたということになるから、そこから逃げなかったと読み取るほうがすごく自然だ。 そこから逃げないというのは、やはりそこがいいという読みもできるってことになる。が、それが全てでもない。)
そういうエディは、妻は許せ、そしてここでも、まいる女史と大盛り上がり(笑)した「受け入れる」が出てくるわけです。
そう、妻は受け入れろといっているわけです。そんな父を受け入れろと。
そうしなきゃ、マザーなテレサではないですが、「憎悪・憎しみ」からは何も生まれないぞと。そういってるわけです。

そういう父を受け入れ、エディは自分の死を受け入れることになる。
もちろんそこまで受けれいれたかは、もう「受け入れた感」の読者の力量によるんでしょうが、同時に戦場に出ていった・・・という体験が何度もフラッシュバックしてくる。

さて、たまには戦争ネタを。戦争というと、日本兵。
そして戦争を美化しちゃう人間は嫌いで、あと日本を美化するのも。
でもなぜか、学校には美化委員なんてありましたね(関係ない)

色々な意見や考えがあるとは思いますが、やはり
「なるほどねえ」というスタンスがなければ、面白くなき。
それは話を聞く、それこそ「モモ」にでてくる、モモの話を聞く上手さというのは、コーチングでいう傾聴ということになってきたりするのでしょうが、
そこは専門家に任せて、やはり、話を聞かねばなりますまい。

ということで、受け入れるってところから、度量、器の大きさが見られ、
さらに、お前はおちょこ程度の人間かと。

そういう問いに持ってける素材かもしれんと、この本を読んで少しだけ思ったり思わなかったり。

で、率直にいって、この本は面白かったです。
やはり受け入れてナンボです。受け入れるってのは、pricelessってことでよろー(笑)

これ、ブッククロッシング風なことしたいカモ鳥
天国の五人天国の五人
ミッチ・アルボム 小田島 則子 小田島 恒志

NHK出版 2004-11-21
売り上げランキング : 40575

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

モモ

甘いやつではない。小説の主人公の名前なり。娘というべきか。

この「モモ」は、児童文学的なものとして名をとどろかせているらしいが、
どうも読んだ覚えがなかった。いや分からん。読んだのかもしれない。
まあどっちでもいい。読んでも読んでなくても読んでも・・・(しつこい

久しぶりに読むきっかけで書いてみんとす。
まず、コミュニティバンクmomoという名前の由来というところから、
一つ。ちなみに、momoのサイトはこちら。お金の流れが面白いですね。

さらに、クラリーノかなんかの確かランドセルで有名でしたかね、
その新聞一面広告に、モモの文章がかなり引用されてた広告があったこと。 で、1つ。

まあ、あとは「時間どろぼう」ってなんじゃらほい。というところで。

で、読んでみて思ったのは、にゃるほど。
時間は貴重なりとかそういうことはあまり思わなくて、
時間を生み出すのが、確か人の心にあるっぽい(正確には違うっぽいぽいぽい)
花。心の花って書いてあったかな。それから生み出されると。
灰色のやつらは、そいつを貯蓄できる。が、冷凍してしか貯蓄できない。

時間貯蓄銀行とは、面白い銀行で、そういうバンクがあれば
結構にぎやかになるかなーと(とある本には時間を箱にしまう職業がありましたが)。
ま、それもさておき、時間とは何かということなんですけどね。
結局、そこにいきつくわけですが。

どうでしょう。ブログを書くのも時間がいりますし、飲みにいくのも時間がいりますし、本を読むのも時間がいります。寝るのも時間がいります。
時間とは切っても切れない関係で、もちろん「時計」「カレンダー」の
類を目の前から消し去り、日が昇る?沈むという時間感覚?間隔?でもいいのですが、何がどうあれ、やはり自分次第です。(うむ

例えば、マクドナルドへいってファーストフードだいえい。
時間浮いたぜなんていって食べる人なんているんでしょうか。ちょっと想像しづらいですが、まああっても、時間がないからってことで食べて仕事なりに間に合うとか。そういうレベルでしょう。

時間がもったいないと。そう感じるときは一体どういうときか。
それを考えるのも面白いわけで。価値がないなーというのはやや過激ですが、
自分が熱くなれない会話に耳を傾けるよりも、面白くのめり込める会話をしたほうが、時間を「有意味」「有意義」に過ごした感はでます。
時間は無機質なのですが、それに対する人間の感情は有機的であると。
一種のアフォリズム(アホではない)を唱えて自己満足に浸るわけですが、
どうなんでしょう。結局有意義に時間を過ごせばオールおっけーちゃんではないかと、そう思うとる次第ですじゃ。

現代人の反省ということで、時間の効率化云々から色々言われますが
果たせるかな。おそらく無理でしょう。人々はやはり、つるべをもったら、
つるべをさらに改良し改良をし、水道システムを作りだしてしまった。
だが、同時にミネラルウォーターがコンビニという、これまたどこでも冷蔵庫システムを作ってしまいましたが、水を買うということも出てきた。
水がどこでも飲めるのを目指した・・・わけではありますまい>ミネラルウォーターは。

インターネットの普及で人々の生活は加速化したようなしてないような。
僕自身は、つるべを改良するのは人間らしいと思ってます。
漫画「カムイ伝」に出てくる下人の正助(後、百姓となるが)が、
センバコキかなにかを発明したといういきさつがでてくる。
でも、それで稲を脱穀ですかね、する仕事をしていた人が、
それを壊しにきた。まさにイギリスにありましたかね。ラッタイド運動でしたか。
あれと同じです。

仕事に絡めてしまえば、プログラムテストを自動で行えれば、プログラマの仕事は楽になります。が、プログラマの仕事で、製造というコーディングがあれば、そういったテスト・検証もセットで大事な仕事になっております。
そういう大事な仕事もなくなるので、どうでしょう。
世のプログラマは、テストが面倒だと思いながらも、結局は自動化!できないから、仕事があるという矛盾に陥るでしょう。
そこで、テスト自動化ツールの撲滅を唱える過激派がでてきても、おかしい話ではありますまい。

それで、ネットの普及で、どうでしょう。
便利なことが多いです。でも、人が見えないというよく分からないことがなぜかおきてます。これは僕の感覚では結構異様です。

例えば、ブログからつながることはとても面白いですが、
同時に、犯罪もおきるわけです。そう、言い尽くされていますがネットというのは道具であって、つるべなのですが、
その道具をどう使うかは・・・やはり人間。だから自分次第というわけです。

物事の悪い面ばかりを見る人はやはりその人が見えてません。
もちろん誰もが良い人、人類皆兄弟なんてのは僕はないと思っていますが、
争いは極力なくしたほうがやはり人間的だと。
と、同時に争うのも人間的だと。やっぱ矛盾してますなあ。

時間も結局、名称を人間が「時」という謎なものに与えたものなり。
そうやって分かったつもりになる。もちろん分かったつもりというのは、
分からないから一歩進んでいるかもしれません。が、
やはり、人の一生である「人生」と同様、「時」も何か分からないでしょう。

ただ、エンデはこの本によって、「時」とは何かを考えさせてくれる機会を提供してくれています。
自分の時間の使い方というのは、朝電車に乗るのに駆け足でいって、節約とか、そういう細かいレベルではなく、
自分がしている仕事、学んでいること、そして自分のやりたいことなど、
それらに結局は時間は費やすことになるのですから、
それを考えてみようぜと、いっているものと解釈。

というわけで、この本はオススメします。


モモモモ
ミヒャエル・エンデ 大島 かおり

岩波書店 2005-06-16
売り上げランキング : 441

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

全ては金である

世の中は全て金だ。
人の心も金で買える。時間も買える。経験も買える。
金で出来ないことはない。

ホリエモンはすばらしい。
金持ちが一番偉い。
大富豪は尊敬すべきだ。貧乏人は否定していい。

夢や心も金で買える。
金こそが全てなり。

病院で個室で過ごせるかどうかが全てなのだ。


なんていう考えの人がいたら絶対意見合わないだろうねえ(笑)

こんなメールが。

Amazonギフト券をお送りいたします。このギフト券は、Amazon.co.jpで商品
をお買い求めの際にご利用いただけます。このギフト券の贈り主については、
以下をご覧ください。

ついにゲット。1500円分使わせてもらいます。
これも皆様のおかげです。いつもありがとうございます。ニヤニヤ

んでは。何買うかな・・・。

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

researcher

記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
  • ライブドアブログ