ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年07月

まとめ終了

テキストにまとめてみた。
うむ。前回が4月にかいてたので、3ヶ月でどんだけ変わったかが分かる。
とりあえず、カタリベカフェが始動したってのがデカイ。

あとはとくに大きなことはないかな。

8月?12月の主な予定は、
・フットサル再開
こいつは、自分のフットサル再開もあるんですけど、
ちっと運動しなさすぎなので。あと、フットサルコミュニティってのも、
うまく出来たらいいなと。
目指しているのは「フットサルとかとにかく体を動かしながら、
コミュニケーションをとっていって」、そういうところで、
「普段は会わないけども、楽しめる」てところです。
絶対にそういう需要はあると思うので、実際にネットでは
スポーツ関連のコミュニティは腐るほどあるでしょうし、
あとはどこまで人を受け入れるかという方針によって、
規模とかが決まってくるんでしょうね。

勝負なので勝ちたいですが、楽しめればいいというのがまずあり。
そんなところですね。秋頃に始動予定。

12月
恒例のITEBオフ会ですね。
ここで普段やってきたことをちっとはお披露目できたらいいかなと思ってます。
dep2.0とかも視野に入れつつ、寒い時期なので、鍋をまた突きたいものです。

あと、5ヶ月。
気づけばそんな経ってますな。今年も。
さあ、夏休み病になりながらも、ふんばっていきますか。

まとめますか。

月末ということで、キリもよさそう。
今年度の目標など、1?7月までの間を振り返ることにしますか。

今年度の目標は以下のようになっていて、
○長期投資の一歩として株式投資を始める
○2006年の6月にITEB祭りを行う。その企画を立てる。
○社会人1年目が終わり、2年目としての意識。
○プログラミングスキルを磨く意味で、ソフトウェア開発技術者試験合格をする。
○フリーウェアを作成する。
○ツカサネット新聞記者トップ10入り

株投資は投信のみで。投信も少額投資なので、ポートフォリオにはならないかなと。実際にPFを意識するなら、収入を複数得たいというところですな。

ITEB祭りは無事終わりました。が、メンバー外の人を
招聘?できなかったのが無念なところです。まあ次もありますし、
焦らずにってところですな。

社会人2年目の意識ですが、ぶっちゃけていえば、あまりないですね。
なんていうか、社会人?年目というのは、3年目くらいまでしか
「まだ私は若造でございます」という効力はなくて、
もう4年以降は関係ないでしょうからね。
まあ、とかいいつつも、何年目なんか関係ないわけで、結局そいつが
力持ってるかどうかだけですね。ああ立場上の力とかは一切スルーっす。
経験とかあって、現場をまとめていてというそういう力は
認めたいところですが、じゃあ会社って枠外したらどないやねんと。
僕はそこに価値を置くし、置きたいから、枠は外してみてます。

会社から離れたらなんか妙に寂しくなるって感じがあるのは、
非常に寂しくないですかねと。もちろんプライベートが充実してりゃ、
会社はどうでもいいっていう話でもありませんが。

ソフ開はダメでしたね。受けなかった。受ける気力すら起きず。
やっぱここらへんはもうちっと考えるべしですわ。

フリーウェア作成というのは、ネタさえあればってところで、
実際にはまあ現在は本マップでしょうか。そいつも公開できるものに
なるかもわからんので、これは未達成でいいでしょう。

最後のツカサ記者ですけど、ツカサという考えがよく分からなくなったので
退会したかどうかも分かりませんが(おぃ、
もう記事を書く気も起きなくなりましたねえ。大したものかいてませんが。
一応2000円程度は稼いだのでヨシとしましょう。


以上が今年度の目標に対するフィードバックで、
どうでしょう、まあやったりやらなかったりでバランスいいのかなあと。

で、サプライズ的に、今年はカタリベカフェというものを
新しくやってるので、そいつが今年度の後半どう展開していくかが
重要なところです。


で、細かいところもまとめておくかなあ。

ハニーポッドサイドカー

観てきました。

いいっすね。
二本立てで、30分x2の約1時間なり。

「かっぱらった」は、かっぱがなぜか出てきたところで、
僕の頭は想像の世界に連れていかれたわけですが、
紙のシュレッダーが何を表しているとか、さっぱりですね。
あれ、なんだったんだろう。
かっぱらったっていうと、何かお金を強盗で奪って・・・
だから、あのシュレッダーの山は金の山!
そうして、金の山で、「(旅を)致しましょう」という話。
だと勝手に想像。間違っててもいいわ(笑)

旅をするわけですが、そこは想像。
つまり、旅の想像を想像するということになります。(うん?
えっと、劇を見る人は劇を見て想像するわけです。
でも、劇自体も想像しているので、さらに想像すると。
想像のズームイン・ズームアウトといってもいいでしょう(最近見た本から無理に引っ張ってくるあたりがRM流)

コメディというわけでもないと思いますが、笑える面白さがあって、
それはもう観客が世界に引き込まれたってことなんでしょう。
例えば、漫才でワライの波にのれば、グラスが倒れただけで
笑ってしまうというようなものとかね。

「怪獣」(正式にはもっと長いんですが、省略)は、
夫の不倫相手とその妻が、怪獣になってしまった夫をどうするか・・・で、
怪獣に立ち向かう話です。これは面白いっすねえ。
やっぱアレですな。
例えば、あるストーリーを設定して、その世界観を出すってところは、
ある程度は出来るんでしょうが、そこに台詞を配置していくと。
で、さらに役者が演じるところで、世界を深めていくと。
そういうのはやっぱ力いるんだろうなと思ってしまうま。

話としては、両話とも、バカらしいね、で片付けることもできますし、
面白かったといって終わらすこともできます。

で、僕は、面白かった、次みたいなあって感じですね。

にしても、ハニーポッドサイドカーって何でしょうねえ。

追記:
公式ブログチケットにのってました。おっと。
http://blog.goo.ne.jp/hpsidecar

日経ソフトウェア

久しぶりに買ってみた。

ゲームプログラミングはどうもやる気が起きないが、
コミュニティの話は参考になった。

developer2.0って考えかな、それによると、
会社は関係せず、コミュニティで集まって開発をしていくとか。

それはもうできてしまう気がする。
というよりも、実際の開発がすでにそのようになっているといってもいいだろう。

つまり、会社=コミュニティと考えればいいだけのことだ。
そのコミュニティでは、全て自社員で開発できるかといえば、
そうは問屋が卸さないということさ。
もっとも、開発には工程というものがあるから一概にはいえないけど。

でも、そういうdep2.0になってきたら、
ますます実力が問われる。つまり、技術者の力が問われるわけだ。
技術力って意味だけではなく、あらゆる力がね。
そうなると、なんとなく技術者やってますって人(まあそれではどんな仕事も続かないんだろうけど)は淘汰されてしまう。

そして、会社という形態で残る人はどうなんだろう。
SOHOやフリーランス、ベンチャー企業、法人化、オープンソースでのNPO法人化、他にもインデペントコンなんちゃらってあったなあ。
まあ色々あるけど、もっと多様化するのかなあ。

そうなると、少なくともITって分野では、「会社」ってものの、
特色がかなり薄れてくる。だから今や、人材の強化に力を入れていなきゃ、
というかそんなのは常にやってなきゃだめなんだろうけど、
残ってけないだろうね。誰も潰しにこなくても、崩壊なり。

記事のコミュニティ特集では、フリーソフトやオープンソフトに
理解が深いと思われる人のコメントが多かった。
と僕は思うのだけど、例えば、別に開発者がユーザ(利用者)よりも
偉いわけではなく、ユーズだけではなく開発ってこともすると
より面白いってことを言ったり。
その通りだなあと思う。

で、当然のように、ITEBでも少しずつ色々できればいいなと思うわけで。
とりあえず、dep2.0のようなことはやってみて、
そっから色々IT業界を崩す(笑)ってのも楽しそうですな。

冗談について

人というものは笑いに生きるものだ。
そして笑えればオールオッケーとする。
これを笑い教とする。

というのも冗談であるが、おそらく
「?である」と語られるそれ(つまり文章のことで、別に会話でもいいのだが)に弱い人も多いかもしれない。

というか、無理だ。
新聞記事風に、いかにも本当らしく語られたら、
それが真実かどうかは見抜けないっす。

でも、主眼はそこではない。
笑いであって、人をだますためにいうのは嘘であり、
冗談とは笑いが狙いだ。という意味で、笑いにならない、
冗談は唯の嘘になるといっても過言ではない。

笑いとは、生活必需品ではないが、
大切なものだ。笑わない人間ほど怖いものはない。
僕は笑顔がないといわれる回数が多いのだが、
それは心底ショックでありつつも事実かもしれないのである。
(なんか土屋氏っぽくなってきたカモ)

冗談とか笑いがない生活はなんだか油の切れた自転車のチェーンであり、
ガーガー音を立てながら走るケッタマシンは不愉快でもあり、
そして危険でもあろう。

一日で笑わないことがないのはやや苦痛である。
だからこそ自分が笑えることをするか、考えるか・・・
そしてそれが昇華されると、笑えることを作り出し
人に言うのかもしれない。

お笑いブームはもう去ったのかしらないが、
ブームではダメなのだ。パフォームとして確立しているから、
それが生業となるのだ。

という意味で、自分に問うわけだ。
お前は本当に自分の力を出し切っているのかと。

答えは・・・・天才クイズ風にいえば、NOOOである!

ラジオのあるDJが言った。
「自分って何だろってことは考えちゃいかん。
きりがなくなるから。」

彼の考えはある意味正しいが、それはあまり意味のない正しさだ。
最も正しさ自体意味がないが。

きりがないという次元を超えて、自分の存在意義、アイデンティティ、
自分とは何か、レゾンデートルだっけ?などは、
言葉を変え、状況を変え、環境を変え、人を通じて、ニュースになって、
必ずやってくるものだ。

そのときどう捉えるかでしかない。

という意味で、あらゆる人は考えているともいえるし、
そのときにもういいや、といえばそれまででもある。

冗談が分かるとは、頭が固いとか、真面目であるとか、
そういうのは関係ないと思ったりするが、
果たしてどうなのか、分からぬ。
やはり、フィーリングの問題か。

怒らぬ人とは、どうなのか。
すぐあらゆる物事にカッとなった青二才がいたが、
今では非常に落ち着いている。物事に怒ることは大事だが、
その大小を間違えてはならない。
小事にとらわれて大事を見失ってはいけない。

ちなみに、笑いとは結構な技術というか、仕込がいると思われる。
意外に笑わせるというのは、難しいということだ。

顔芸か、繰り返しつぶやきか、状況物語風か、
ナレーター風か、客観的事実把握か、物まねか。
ネタの鮮度と斬新さもある。

かなり創作的なものだ。
だが、言葉がそこで重要な役割を果たしているのは間違いない。
そこで言葉が面白くなるわけだ。

さあ、笑って楽しく生きてみるとしようか。うはは!

ドリコムアカウントの話

ユーザサポート的なブログには、
おびただしい数のコメントが出てきている(100はあるかなあ)。

コメントを傍観すると、なんか同じような人が
同じように書いてる気もしかねない。
要は「スパマー?」かと思えるような感じで。
まあ、本当に書いてたら悪いなあと。

でも「こんなところやめます」by noname
なんてコメントがあったとしますよねー。ブログ持ってる人なら
分かるでしょうが、これどーします?
いたずらって思うか、不快っすね。ってレベルで
スルーされる人が多いかなあと。そうじゃなきゃ、徹底コメントで
熱く語り合うか(笑)
まあ、どちらにしろ、これを「ユーザの一意見」とするのは、
僕ならば絶対にしないなと。

一意見とドリコム側に認知してもらうには、
もうちっと文章を書かねばならんよねえ。

で、あとユーザサポートへのメールのレスってのは、
向こうも相当の数をこなしてるわけだから、一週間くらいは
いるのかも。質問内容にもよるけど。

まあ、ドリコムだけではないし、
なんだろ。ユーザが単にバカであるということもあるし、
企業サービス側がというのもある。

それで、前に戻してくれってのもあるけど、
それはまずあり得ないだろうなと。
そもそも、このドリコムアカウントでかなり便利になるわけで。

不具合発生というのは、どこまでドリコムが予防策を
講じてたか分からないけど、
実際に不具合でブログが書けないってユーザには
相当の悪印象ですよねえ。残念ながら。

僕はそんなにてこずることなく、ススっと移行終わりました。

ところで、ドリコムRSSがなんか画面の印象が変わってますねえ。

で、こういうクレームでもなく、争いごとがあると思うのは、
怒るべきかどうかってところです。

自分が本当に大切にしているなら怒るべきですが、
そうじゃないならスルーってのが、僕の感覚です。

ですから、迷惑をかけるあらゆる人というものがいたら、
そいつはやっぱターゲットに関心を持って欲しいんでしょうな。
ストーカーってのはそういう心理がありそうです。
小学生で好きな子にいたずらってのもそういう心理かな。
興味持ってもらいたいからねえ。

これは無理な注文ですが、
いくら誠実な対応をしても、自分に対応がなきゃ、例えば
メール返信がないこととか、普通は「解決」されないでしょう。
サービスが悪いとかね。

でも、それも事実ならば、それでよし。
そんなのは別にサービスに限らず、人としてってレベルで
いくらでもあるわけですから。

というわけで、20未満くらいの人なら、
ぎゃーぎゃーコメントしてもいいけど、そうじゃないなら
ダメ。勝手に決めた。

ドリコマーとして、ふんばるか。

そいや、TB企画ってすっかり消えましたね。
あんま盛り上がらなかったのかな。

ディベート甲子園

そんなのがあるらしい。http://nade.jp/
面白いっすね。詩のボクシングみたいだなあ。イメージ的に。
さっそくカタリベ転換。

エマルジョンとマイクロ水力

そういう話を聞いて、面白そうだったので調べて見た。軽くだけど。
エマルジョンとは、水と油を混ぜて、そこに乳化?液を加えたものらしい。
結局こいつをつかって、燃料とすると、燃費がよくなって、それにNOxなどの
窒素酸化物も少なくなるらしい。
感覚的にいえば、Ajaxみたいに、既存の技術をうまく組み合わせたものだとにらむ。

マイクロ水力は、小さな水力発電ってことらしい。
小規模の発電。水車型なのかな。よくわからないけど、エネルギーを
生み出すのは大切っすね。やる気っていう意味のエネルギーもね。
自家発電装置って言葉がマイブームな時があった。懐かしい。

夕張市破綻

13年以来らしい。自治体の破綻は。
北海道が結構やばいらしい。やばいぞランキングの自治体に北海道が多数。意外なところで
岐阜の郡上とかあった。むーだめなのか。
自治体が赤字を出してもいいけど、もうやばいっすよってところまでなると、破綻ってことになるらしい。
実際には自治体のサービス、つまりは公共サービスに関わってくるわけなので、
結構嫌なもんですな。まあ、市民も突き上げる力は必要かもしれないけどね。

イスラエルのレバノン侵攻

今「テロ」な新書を読んでるので、(またレビュっときますが)、妙に関心あり。
結局、軍事侵攻なんてやってしまっているわけで。
とはいえ、日本が平和というか、交通事故と自殺者合わせれば結構な人数が毎年、コンスタント!に
死んでるわけでしてね。どうもここらへんがなんともいえないところっすね。

沢木耕太郎

「一瞬の夏」ってところで、紹介されてた。確かにあの人の書くものは面白いっすね。
最近は読んでないけど、結構読みたいものはあったりする。そのうち読むべし。

図書館ネタ

図書館記事が日経にあり。22日土曜付けなり。
その記事はとくに目新しいものではなかったが、「図書館に訊け」とか「図書館を使い倒す」とかの
著者のコメントがあった。ビジネス機能の図書館の例では、千葉の浦安図書館が1年に二度起業講座が
あるからってところを書いてた。

でも、ぶっちゃけ、県とか自治体のやる「起業講座」は、ゲストとか招いて、
あとはパネリストとかにしちゃって、話すくらいで、そもそも「起業講座」という
ネーミング自体がアウトかもしれない。

例えば、起業といっても、モノを売るのか、サービスをするのかで異なる。
そりゃ根底は一緒だろうけど。カイロプテックだかなんだかのマッサージ風(多分違うだろうけど)なことを
したい人は、それこそその手のサービスはどういうのがあるのか、料金体系はどんなものか、
店はどうやっていくかとか、そういう先人のアドバイスが欲しいのかとか、とまあそういう点になる。
他方で、ものを売る、とくに自分が興味がある和人形?を売りたいという人は、
自分で作って売りたいという場合は、例えばインターネットを使って売るだとか、
そういうビジネスは他にあるかだとか、ニーズはるかだとか、コストはどれくらいかかるかとかになる。

同じようだけど、じゃあ両者が求めるものは「起業講座」ではおそらく満たされなくて、
平均的・一般的なところは、あくまでも参考程度にしかならない。参考程度になればいいほうか!?

もっといってしまえば、マッサージに必要なのは、体力かもしれない。
だから起業講座では「ジムで体を鍛えろ」という話が腑に落ちて理解できればいいような気もする。
他方で、和人形を売りたい人は、どうやって少ない数のものを特定の人に届けるかというところで、
普段やっているマラソンの趣味から、顧客開拓をつなげる方法はないかとか、そういう考えがいる気がする。

結局、講座は講座であって、自分に落とし込むものはやっぱ自分で動いて学ばにゃ無理ってことですかな。
万が一だけど、そういう意味で「起業講座」やってるから、ビジネス機能があるってのも・・・ね。
それがいいたいだけさあ。

エジックス

http://www.ezix-inc.com/research.html
面白そうな会社である。
独自プロトコルなんて結構なことをしてる。やるなあ。
ネットの不特定多数ってのは、開放された共通にできる「プロトコル」があるからですな。
あーそういやそうだったなと、これみてて納得。
こういう会社はいいっすよね。
なんか参考になりそうっす。

アイデビュー

そういう会社のサービスがある。
http://www.nurue.com/idebut/index.htm
ヌールエって会社。人からの情報なり。
にゃるほど。なんかこの手の簡単にWeb構築できるってのは
きいたことあるぞ・・・でもこれだったかな。

実際に使って見たいけど、どうも法人対象かな。よくわからんっすね。
とりあえず、写真はうまくとりたいなと関係ないことを思ってみる(笑)

本マップ

そういうものをつくる。
構想はまだまだ未熟だが、仕様なりを考えて久しぶりに一人プロジェクト開始かなと。
とりあえず、コツコツ作ってしかないっすな。
まずは、インターフェースからかな(笑)

ココカラワークショプ

そういうのがあるってことで。細かい説明はなしで。

色々気づきがあったんですが、それ大分消化しちゃったので、
細かくは書きません。

とりあえず、時系列的?にまとめてしまうと。

楽しいこと・好きなことでお金を得るには、それをひたすらお金にできると
信じてやりこめばいいんだろうなということ(そういう教えを説くセミナーでは
決してございませんので(笑))

例えばカタリベカフェってところで、僕は何をしていたのかと。
別に何もしてないわけではないんですけどね。なんていうんでしょう、
好きだ、楽しいとかいってるわりに、「おいおい、それで本気かね?」という
突っ込みは常にあるわけですわ。そこらへんとの関わり合いが足りないなと。

一応、がんばらない主義と社会主義をモットーとしてるんですけど(嘘)、
「もっとがんばれ」っていう人は嫌いですね。それが単なる励ましだと
もっと言葉が宙に浮いてしまってるので、さらに嫌ですね。
だから僕は黙るわけですけどね。うはは!

岩盤浴はどうなんでしょうね。個人的にはマッサージとかは、
やるとはまりそうなんで、やる気はないですね。最近は首が痛いですけどね。


ビジネスと趣味の境界線。
多分、公私充実っていう言葉で、仕事とプライベートって意味になると思いますが、
なぜオオヤケが仕事で、プライベートが趣味なのかと。それはおかしいなと。
実際に間違ってるのですけど、そういう意識はあります。
変な話、囲碁をさして食べれればそれで生きていいわけです。
今、時代は変わってますけど、まだまだアウトサイダー的な印象はありますね。
でも、囲碁さして食おうが、会社勤めて食おうがどっちでもいいわけです。
あとは世間体とか、周りからどう思われるか、現実的に収入の問題とか、
金銭が不足してしまうのではヤダからとか、そういうのくらいですね。

そういうところで、仕事ってやっぱお金もらえれば仕事なんでしょうね。単純にいって。
趣味でもお金もらえるものはあるかもしれませんけどね。

時間の使い方も同じようなことがいえますかね。
プライベートと仕事のってところですね。
仕事だけに生きる人ってあんまり疑問視されませんけど、
僕は、仕事ってその人にとってどうなのかってところのみ常に疑ってます。
会社人間的で、会社べったりな人には、まったくダメですね。それは仕事に生きるというか、
単なる会社依存人間なので、ダメですね。少なくとも僕の参考にはならないです。だから
どーしたってのはありますけどね。

自分がやりたいことで勝負していくってのが堅苦しいってのはあるんでしょう。
でも、趣味って言葉を、村上龍なんかは、老人の行為だとぶったぎってますから(笑)、
まあ響きは良くないですね。オモムキゴトとかいうと、いいですけど、
所詮ごまかしであって。仕事はこうやってこうでといいたいし、趣味はこうでこうだと。
その境がないのがいいですね。その境をなくそうとはしてますけどね。まだまだなり。


差別化の話。
差別化ってのは、結局、A,Bといたら、Aと区別して、価値を上げるわけです。
実際に、需要と供給の話を単純にあてはめれば、少ないものは価値があるわけですが、
差別化したところで「めちゃくちゃでかい170cmくらいのお菓子」とかそんなケース入りの
お菓子って誰が買うんでしょう。そもそも運搬に無理があるし。
で、そこで携帯できるようにするだとか、そういうアイディアはいいんですが、
差別化して満足してしまえば、差別化の意味はなく。
自分で自分の落とし穴を掘るという行為ですな。


家を3回建てる話。
建て直しというところで、3回目にしっくりと満足がいくものができるそーな。
なんでかっていうと、1回目立てるときはやはり想像力とかないわけで、
建ててみて分かるところはあるわけですよ、きっとね。
会社も同様か。1年目で何やるんだーといって、さまよい、2年目でなんとなく
わかって、3年目で分かってくると。
だから一般的に石の上にも3年は分かるんですよね。
でも、逆にいったら、こういうイメージだというのがあれば、「3」って数字からは
自由にはなれるんだろうと。そういう証明はしてみたいっすね。
勝手に僕のテーマですけど、そういうこと考えた人もいるはず。

モノを売るときは、その郵送費なり、流通費を加味してみるべし。
これは、結局ですね、ある商品Aを100円でうってもですね、
原価50円でも、運搬してこなきゃ物はないわけですよ。そのコストってところは、
「消費者」だと分からないですよね。
単純にモノ作って売ればいいっていうのは、物を売れる場にもってくなり、
買う人のもとに届けるなりってところで、物体AがB地点に移動するにはCのコストがかかると。
これは現実で、スターとれっくみたいな物質間移動がなきゃ、改善できませんよね。
人の移動もそうだし。だから移動ってところに目をつけている、
トラックとか、輸送とか、引越しだとか、そういうビジネスはまあ利益の良し悪しはあれど、
なくならないでしょうねえ。人が減れば絶対的な市場のパイは減るんでしょうけど。
なんとなく、うっすらと意識しときたいところですな。

プランナー、コーディネーター、コンシェルジェ・・・。ソムリエもか。
ある人に対してベスト、もしくはベターな提案を、自分の知識・経験なりを
フルに活用して、してしまう人々ってところですか。
一緒くたにするのはよくないですけど、多分そうなんでしょうね。
結局これらができるってことは、視野が狭くちゃアウトですね。
どうでしょう。ある言葉でどれくらいイメージできるか。その関連付けという作業は、
簡単にはできないはず。野菜のソムリエって聞いて、ワインのソムリエを
イメージするのは「誰でも」できそうですけど、図書館司書を思い出すことは、
それに興味があって、関連付けて、本のレファレンスとソムリエの選びは
共通するものがある!と、間違っていても言ってしまえる人間が好きですな。

収納スペースを増やしても、結局部屋は片付かないという話。
ですので、収納スペースが2畳増えると、2畳またモノを増やして詰め込むってことです。
飛躍すれば、人は永遠に不幸だとか、そういうことも言ってしまっていいですね。
でも、逆に永遠に幸せだともいえるんですね。あんまり意味がない言葉ですけどね(笑)
その視点は大事かなと。こうすりゃ良くなるってのは単純じゃないときもあるわけですな。

生き方・働き方ってところで、切り口(得意分野)が違うだけで、最終的なゴールに向かう
根底にあるものは同じなのかなと。だから、その人が好きなんでしょうね。
そこらへんはすごく感じました。気分が悪くないという程度で、居心地が悪くないというのは
非常に好きなところです。あいまいが大好きですね。といってる割に、
言葉の定義も好きですが。といえ、法律家にはなれんぞ(笑)


信念=思い込みというもので世界は成り立つ。それは自分の世界というものが。
ということは逆にいえば、猿は穴を掘って生きるといえば、それを信じてしまえば、
本当に猿は穴を掘ってしまうかもしれない。このパワーは恐ろしいけど、
使い方を間違えなければ「良い」方向に行く。絶対報復といって、誰か人を殺すというのは、
可能でしょうね。そういうのは間違ってますが、悪い例として。
それで、自分が価値があるぜと思ったものはトコトン、それこそもうダメだくらいまで
やるべきでしょうね。と、自分に言い聞かせたいんですが。
それで、自分のもてうるもの全てをぶちこんで、それで勝負。
あとはもう見る人次第っすね。だから、あとは知らない。お金を取るのも自由領域ってところですな。


知縁。
知的好奇心でつながるネットワークのこと。地縁とかけている。
言葉もうまいけど、そういうつながりはいいなあと。刺激的で面白いっす。
決してふざけて生きるって意味じゃないっすよ>面白いとか刺激的ってのは。言うまでもなきか。

凍ったままの肉を捨てる

いや、ミンチの肉ですけどね、料理しようと買ったものの、
一ヶ月くらい放置(笑)
あとレタスも放置してたら、しぼんでしまった。
冷蔵庫管理できませんな。まだまだ主夫の道は遠いですな(目指してませんが)

国際テロネットワーク

テロについて知りたかったので。

内容は、アルカイダ系テロ組織についてで、一言でいえば、
テロってのは、世界のネットワークでつながってる。ってことをいいたいとみる。

その事例として、アルカイダは、東南アジア、中東(アフガニスタンとかパキスタンとか)、そしてスーダンなどのアフリカも、確実に拠点を作ったりもしつつ、でも、まあ当然捜査されるので拠点を作ったり閉鎖したりしながらも、
1箇所にとどまっていないということをいっている。
確かにリスク分散としては、複数箇所の拠点が必要だろう。

アマゾンレビューをみると、なるほど、レビューアーの意見は最もかも。
現場の声というのは、この本にはほとんどというか全くかな、かかれてない。
それはまあ、テロ組織の人員に接触ということではなく、現地の取材人の声でも、また現地のテロ拠点があった人の声でもよかったかもしれない。
とにかく、著者は足を運んで、それこそ最後のほうには「電子情報」ではなく、足で動いて稼ぐという「人力情報」が大切だというか、そういうことすらもいっている。

僕の中では、そこまで期待してないし、求めていなかったので、
この内容で満足だったりする。一番印象的なのは、やはりテロリストというのは、頭がいいってことだ。それこそ文中にあるように、企業のトップがテロをするために、戦略をたて、ターゲットを決めてやってくるのだ。

冷静に考えれば滅茶苦茶怖い。例えば、ある会社が車を売る時に、
どういうターゲット(年齢層なりでもいいけど)に向けて売るのか。
この車の売りは何か、何を世に伝えたいか訴えたいか・・。

これは消費者に対する「購買意欲」を書き立てると。まあ、経営学とかにありそーな言葉だけど、そうなるはず。

これは最終的には、人に対して売って、儲けるわけだが、
テロの場合は、人や建物を殺し壊し、そして政治的メッセージ、この本では、やはりイスラムの「過激派」「原理主義」が、
イスラム国家建設とか、もう何やってるのさ・・・って感じの思想を
実現・成功するためにテロをしているわけだ。
テロとはテリアー(恐怖)からくる、あらゆる行為ってことでしょうな。

思うに、アルカイダと米国は親しかったという事実はあるそうだ。
それは利害の一致であって、それがなくなったら、一気に仲違うわけだ。
そこがまた恐ろしいのだが、思想的には理解できない人間を攻撃するとか、
自分の欲望のために人を殺す(この本では、慈善団体などの寄付がテロに使われていても、寄付者はそのことには無頓着であるみたいなことが書かれていたが、それは結構まずいんじゃない?といいつつも、ユニセフ=善であるという偏見から、ホワイトバンドのロビー活動は滅茶苦茶誤解されたんでしょうけどね。ぐはあ)のは肯定するんすかね。

人を殺して生きていけるほど、人は「軽く」ないぜーと、
何度言おうとも、そして自分の生命を守るというものが普通は自動的に働くからこそ、戦争は耐えないし、テロも、つまりは人が人を殺すというのは、
なくならないんでしょうな。これは悲観論ではなく、現実論として。

テロの合法ビジネスとして、人材会社、貿易会社などを作って、
そこからテロリストのリクルート、貿易では、輸入しやすくする、
農業では、爆弾に必要な材料の採取とか。
やっぱ頭いいっすわ。資金潤沢にあるとかいうのもあっても、
やはり、会社作って事業起こして、お金もうけつつも、それで
自分らの道具を作るってのは、すげえなと。

で、僕はもちろん、テロには反対とかいう以前に、テロなんて行為を
否定したいので、ダメですなあ。
実際に日本が頭の上がらない米国さんも、テロリストもですね、
単に「大衆」の扇動がうまいというか、それだけで根本的な違いはない気がしてしまいますね。
米国=テロ国家だという指摘はどっかにあったかな。

人は考える生き物だからこそ、思想があるんでしょうけど、
どうしても、政治・思想なんていうと、滅茶苦茶ぷんぷんにおってくる、
それこそ、日本だと創価学会などの政教分離原則はスルーされてしまってるようなものもあるし、とはいえ自民などでは顕著ですが、地盤のネットワークが大切で、それも単に「扇動」といえばいえそうです。
まあ、政治家は怒ってくるかもしれませんが、政治ってのは、
人との駆け引きであって、駆け引きはあんま目に見えないっすから、
でも、結果は出てきて、そいつが何を考えているかはあんま分からないっすからね。

例えば、日本の小泉氏の考え、ブッシュの考え、アルカイダの考えは、
僕の中では同列に、何を考えているかは知りたいっすね。
感動したとかいってる人、戦争ばっかしたい人、イスラム国家建設のことばっか考えてる人、という程度しか分からないですからね。
おっと、北朝鮮のあの人もね。何を考えてるんでしょうな。純粋に気になるところです。

利害というところで考えると非常にスマートに考えれそうなものもあるかもしれません。
が、どうでしょう。北朝鮮が反米とか、そういうのを唱えても、
テロリストが反米を唱えても、僕が反米を唱えてもですね、
結局「武力行使」した瞬間で終わりかなあと。

そういう意味で表にはでない(ニュースにならない)ものは知らないですけど、
武力を使ったら終わりですよと。そういうことはやっぱ孫子の兵法書でもよんどけってことになって、終わりですかね。

もっというなら、例えば、テロリストとして名を残しても、
そいつは井の中の蛙的に(世界的にみればなんでもそうなる可能性はありますが)評価されても、「あいつは結局テロリスト」であると。
ずっと残っていくわけです。まあ、過去の評価である限り正当なものなど
かなり怪しくなるんでしょうが。

時代を過去に戻しましょう。
人々はいきながらも、何かに命をかけて闘ったりしたものだと。
だから今も手をかえ、品をかえ・・・って・・・でもね。
でも、そいつは単に人類が「成長してない」ことをいいたいだけで、
もうちっと頭を使えと。そういうことになるわけですわ。

テロはテロしか、戦争は戦争しか、生まないんでしょうね。
それを知ってあえてやってるなら、やはり勝ったもの、とくに指導者ですが、
死ぬべきだと。おっと、こいつはあまり意味ある意見じゃないですけどね。

まあ、テロって言葉を知るためには読んだ方がいいっす。
ただ、テロの考えを知りたいっていうところではやや踏み込み不足かな。
それこそ、これは入門的な位置づけだから、別の本を読むといいでしょうな。


国際テロネットワーク―アルカイダに狙われた東南アジア国際テロネットワーク―アルカイダに狙われた東南アジア
竹田 いさみ

講談社 2006-01
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携帯を携帯禁止にしてみる

携帯電話をですね、携帯せずに自宅においたら、
そりゃ「携帯電話」の「携帯」意図は薄れるわけですけど、
でも「連絡が取れる固定電話」並みの機能はあるのかなと思いまして。
留守電機能が弱いっすけどね。まあいいや。

というわけで、今週は携帯携帯禁止週間にしてみます。
携帯のチェックはしますが、携帯ないのもいいかなと。

なんとなくなんで、まあやってみせませふ。

あと、ネタを今週は貯めてみます。
一気に放出して緩急をつけてみます。

というわけで、29日くらいにまとめてアップするので、
しばしお待ちくだされ。

渾身の一撃。

字あってますかね。渾身。

でも、渾身ってからだ全体って意味くらいなんだ・・。
すげー力だと思ったけど、それは響きだけか。実際は
体全体つかえば、そりゃすげー力になるってことはある。腕だけよりも、
腰と腕をつかえば、パンチは強くなる。


かなり濃いネタというか、軽いネタでも書きたいことは
結構あるのだけど、どうもタイミング的に書くほど消化されてないか、
単に書く気がしないだけか、そういう感覚だ。

やる気がでない時は、ほうっときゃ出る。やる気を無理にだそうとするから
問題なのであーるという、話はある。でも、これって
結局、嵐をおさめるとめに、生贄として人を捧げたという話は本当かねえを、
諸葛孔明が悪習だとして首の形(つまり頭ですな)をした饅頭をつくって、
そいつを川に放って、嵐をしずめた、というまあ横山光輝三国志漫画の話ですけど。

で、それみた地域の人は、饅頭でおさまったと思うわけです。
自然回復力といっておきますか。

やる気がでない時に、やる気がでるまで放っておくのは、
自然回復力だなーと、全く同じことだなといえると。
ってことは、じゃあ、その自然回復力以外でやる気を出すとか、
そもそも自然回復力をコントロールすることはできないか、すること自体がナンセンスなのかしらと。

ここらへんからどうでもよくなってきますが、
結局、無理だなと。あきらめるわけです。

さて、ここで働くことをうまく表現できない人(これは想像でよろしく)がいるとします。
それは「男は仕事で語れ」みたいな人でもいいですし、
「背中を見て盗む」というほぼ死語の世界(!)であるものでもOKですし、
もっといえば「黙ってやれ」というわけのわからないことかもしれません。

言わなきゃ分からないことというものに対する理解がいくつかあって、
言わなくても分かる、というか言ったら意味が薄れる、もしくはなくなるいようなものに対する理解がいくつかありますかね。

考え方ってのは、いわなきゃ分からんところですな。
だから、興味なき人には、しゃべらないのが一番ですな。
それ以上考えを言ったりしないので、考えそのものは理解できんでしょう。
ああ、だから僕はよく「あんたは謎である」「よくわからんね」といわれたんだろう(笑)
それは、考え方を展開して説明してない人に、つまり言いたくない人に、
言われた傾向強し。うむ。

言わなくても分かるってのは、コモンセンス的なもんですかね。常識的なものとか。
でも、どうなんすかね。自分が言わなくても分かるさ、伝わるさって
思ってたものが、実は言わなきゃダメダメちゃんだったりとか。
逆もあるでしょう。言って伝わるものだと思ってたら、
それは言葉にすると薄くなってしまう、伝わらないものだったりとかね。


さて、表現者とはどうあるべきか。仕事とはどういうものであるべきか。
べき論は好きじゃないんですけど、ここでいう「べき」は僕の中で
完結しているので、実害はないでしょう。というか、他人にお節介は
焼くけど、おそらくそのお節介はおそらく一般的な「お節介」ではないという自信があったりします。言葉でいえば「お節介するけど」という枕詞(笑)なだけでしょう。意味があんまりないってくらいの意味で。

表現者とは、シンプルで、自分の表現したいものを何か表現したいもので
表現するという、説明になってなさそうな感じがしますが、まあそういうものですな。
自分が絵で表現したいというなら、絵を描くわけです。
ところで、絵で表現というとき、これはあらゆる言動?を省略していますが、
例えば、絵で表現するために、色々お勉強するだとか、実際にどこかにいってみるだとか、本を読むだとか、まあ腐るほど色々な行為をその「絵で表現する」に含めているわけです。
これは、表現者であるとか、表現しているとか、そういう感覚が無意識っぽく?でも、なきゃ分からんところですな。
というか、そこを理解されたらダメかもしれませんけど。

ロックンロールというものが何をいいたいかは僕は分かってませんけど、
田口ランディのエッセイかなんかにあった、ヒデ(XJAPANのね)の理解は、
hide自身にとっては無駄であったとか。
まあ、大分違うかもしれませんが、
社会に反抗する、反骨心溢れる人間が理解されるってのは、
それもまたどうなんですかね。天邪鬼的なものが一杯ということですよ。

自分は今ある社会ってものに、反抗したいんだと。
でもそれを理解しちまったら、終わってしまうような。受け入れるからね。

受け入れられたら、もう主張する必要はないわけですよ。
それこそロックすることもない。俺の主張を聞けと。
そんなことをもしロックってものがやってたら、(多分やってるんだろうけど)、
「人は結局しゃべりたいんだよね」っていうものは「姿、形」をかえているだけで、変わらないんね。ということを一発で証明してくれますね。いいっすね。

仕事とは何かですか、これもシンプルで、創れるかどうかです。
創れないなら、どうでしょう。死んだ方がマシです。
と、別に創ってない人を殺すわけでもないですから(笑)

イメージできるかは不明ですが、参考までにいうと、
クレヨンと白い紙を与えられとします。年齢関係なし。
それで何か描いてくださいねって、何もお題はないっす。

そのときに、3歳くらいの子と、高校生くらいの子、
あと、20代、あとは50代くらいの先達。
まあばらばらに人がいるとしますよ。

で、皆一斉に何か描くわけです。なんでもいいから。

で、一時間くらいたって、はい終わりました。
皆さん何描きましたかーっていうところで、
自分が周りもそうですし、自分がこれは面白いぞってものを
描きたいわけです。
ってことを言いたいだけのための、想像ですが(笑)

なんでこんなことをいってるかというと、
仕事って結局、「ほぼ」一生やるんすよ。お金を別に得るならいいけど、
ある種の行為をお金に変換してもらうほうが現実的ですね。
そりゃ、物々交換とかありですが、それでは不便すぎなので。
それに対する思考、考えってのは、もっとしてもいいはずだなと。
だから「ナンタメ」なんてものもやりたいしやってるわけですけどね。

その仕事観でまあ大分その人の価値観が分かってしまうから、
面白いし、どこまで仕事を考えているかで、面白いねえ、この人というのも
分かるわけですけどね。


仕事と表現は僕の中では一致しつつあります。
さらにそこに「好きなもの」という言葉も浸透しつつあります。
さらに、面白さというものもやっぱりふんだんにあります。
野菜をですね、畑でひっこぬく感じで、「面白い」ものはやはり
育てて、引っこ抜くってのはありますあkらね。
育てるってのは自分の成長で、引っこ抜くには力いりますからね。
アンテナとか、好奇心とかでもなんでもいいですけどね。

妙な理由付けは嫌いですけど、結局現状がこうです。
大切なものは目に見えない傾向が強いので、どうでしょう。
仕事とか、表現なんて、普通目に見えないものなので、
仕事は職業欄にある「会社員」であったり、
表現は「芸術家っすか」であったりと。

その程度の構えなら、軽くはじかれてしまうし、
というか僕ははじきますが、さらに考えをしない人間は、
現状を楽しむのに、考えは必要ないぜとまあ色々なことをいえど、
考えることをせず生きれる人はいないわけで。
思考停止が心地良いなら、人間やめてしまえと(笑)
言いたい放題であり、自己満足であり、そして自己完結している。

で。雨被害多いっすね。水は怖いっすねえ。

自分を信じて生きる

書かれていることは、なるほどと思われることが多い。
一応、人からのおすすめってところで。

ラコタ族がとかインディアンだとかはどうでもよくて、
結局この人たちって、押し付けてないから、「宗教だなあ」と思っても
どこぞの新興宗教みたいにならないなと。一緒にしちゃスピリットに怒られるんだろうが(笑)

印象深いのに、give awayって考えがあった。
ダチも指摘してたけど、いらないものをあげるとか、プレゼントであげるとか、って意味で何か人にあげるのではなく、
自分が欲しいものをあげる、そして与えつくす!(笑)という行為。
カタリベカフェという比較的何やってるか分からんというものに対しても、同じような考えがあり。交換とは結局そういうことなのだ、と。
自分が大切なものを与えることは、できるのかね?と。

度量、器、人間の大きさが問われる。やっぱこうでなくちゃいかん。

ビジネス書でも、同じような自己啓発的な、「あんたはそれでいいんだよ」っていうメッセージは受け取れるけど、
この本はまた違った感じがしていいっすね。

でも、あえて苦言をいうなら、最後のほうはエッセイ感覚になってきて、飽きたかも。まあ、そんな厚くないからいいんすけど。


自分を信じて生きる―インディアンの方法自分を信じて生きる―インディアンの方法
松木 正

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あおぞら

アマゾンで大分色々言われてたので、つい。

そうですね、不覚にも泣いてしまいましたが、
ありがちというのはいえそうですね。でも、本あまり読まない人は
そういう感想はもたんだろうね。そういう意味でアマゾンレビューアーは恐ろしい(笑)

一つのネタとして、この本が本たる価値があるかどうかという
話があるのだけど、それはややベクトルが違う気がする。
この本は、一個人の体験を赤裸々につづったものであって、
文章表現とか、ストーリー性とかなんてどうでもいいのだ。(本当はよくないけど)

こないだの絶対音感の話を持ち出すか。
音がどれだけ取れて、歌がうまくても、感動しない歌なんて
あるものだ。音が取れなくて多少音をはずしても、心が伝わるとか。
それと同様だと。文章表現では、例えば携帯メールの保護機能を使い、
メールを保存するんだっけ?そのことについて著者は「保護った」という。

こういう言葉は別に悪くないけど、何か表現として高めるって狙いがあるわけではないだろう。
事実、著者はありのまま書くといっているのであり、その想いをぶつけた文章をそのまま味わうのがやはり一興である。

変なことをいってしまえば、著者のような経験を持つ人は実際にいるのだろう。
そういう人が声を出して何かすることはマレだ。
さらに本になってしまうのもマレだ。

僕はこう解釈した。
なるほど、この本はおそらく著者にとってキッカケなんだろう。
社会的な存在としての証明といったらやや堅いかもしれないが、
ここから著者はまた何かしていくはずだ。
そうでなければ、これで終わってしまえば、例えば他の人で同じような苦しみ・・・というようなものに対する想いは、達成し得ないだろうから。


あおぞらあおぞら
星野 夏

ポプラ社 2005-10
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経験を盗め

そうですね。
面白かったのは、パラパラ見て思い出すのは、
独身、ゲイ、墓、水と音の話ですかねえ。

独身の話は面白かったな。あとゲイの話も良い。
墓は墓参り三点セットが印象的。まあ、先達には一般常識なんでしょうが。

墓は、鳥葬、火葬、水葬、土葬とあって、いや他にもあるんでしょうけど、
文化の違いでは結構ねえ。
例えば、病院の前に墓があると縁起悪いのかもしれないっていうかもしれませんが、
生きる人は生きるし、死にたい人は死ぬというか。
別に医者が殺すためにやってるわけじゃないでしょうし。
なんか縁起はどうでもいいかも。といって、一緒に作れとはやっぱいいませんけど。さすが日本人(関係ない

音の話だと絶対音感の話かな。
情を訴えるにはあんま必要なさそうな能力。
といって別に否定するのではないけど。僕は言葉で戦いたいっすよ。
プログラミング言語もその1つでさ(ほう

結構分厚い本なんですが、対談なんですけど、まあ意外に時間かかりました。
でも18も話あるから、どれか面白いといえればお得な感じですよ、奥さん。


経験を盗め経験を盗め
糸井 重里

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自分の武器は何か

人は誰一人無駄に生きてないとか、
まあアフォリズムめいたことは色々いえるのだけど、
結局それはどこまで響くかというか、納得できるものになるかで
決まる。もちろん、アフォリズムはどうでもいいのだけど。

自分の土俵とは何か。つまり、それが自分の武器となるからだ。
僕は協調性に欠ける人間だと思っている。
この「協調性に欠ける」をどのように解釈しようが勝手だが、
僕が思う点を1つだけいっておくと、そもそも協調性に欠けていても、
協調性が皆無なのではないから、だから社会で一応生きていられると。

もちろん、会社員でごく普通に暮らしているといえば、
「協調性に欠ける」なんて思われないだろう。だが、欠けるのだ。

社会性とか協調性といった、?性という言葉、または?的といった言葉は、
比較的よく使う。あ、使った。
問題はそれを発する人のみで、どうも言葉に悪意はないっす。

例えば、一生生まれた土地を出たことがない人が、
旅はいいぞというのは全く説得力がないし、重みもない。
吹けば飛ぶ言葉なのだ。もちろん、独自の解釈からいって、
外聞を知らなさそうにみえて実は滅茶苦茶知ってるというカントのようなパターンか、
それとも出たことがない立場だからこそいう、とか。
まあ、そういう解釈はここではスルーだ。

僕の土俵ではないが、どれだけ言葉を考えて使っているかは、
常に気にしている。だから言葉は面白いのだけど、それ以上に
何を言おうとしているかは推して知るべきだと。

例えば、自分の知識がほとんどない話は、うなづくだとか、
こちらから切り返すだとか、後は話を深めるとかはしづらい。
これはもう会話の言語化であるのですくえない部分もあるだろうが、
まあそういうことはよくある。
逆にいえば、相手が知らなければ言葉を噛み砕くべきで、
相手が分かるレベルならそのままGOである。
もちろん、これも人による。相手が分からないといってるのに、
分からないまま自分の言葉(自分は知っているという言葉の意、決して自分で消化したものでという意味ではない)を使う人もいる。

また、相手に応じてあえて分かりづらい説明をするのもある。
これはちっと頭を使えば分かることだからといって、相手のレベルを
高く捉えるときだ。

まあ、なんにせよ、言葉の消化具合は大切だ。
ある何気ない一言が世界を変えてしまうことはある。
これは現実でないお話ではない。本当にあるものだ。
だから言葉には気をつけるべきで、その延長には、
礼儀だの、文化だの、もっといえば人だの国だの、と挙げていけば
きりがないほどのものがある。

逆に言えばそれほど、言葉は言葉に含んでいるものが多いということだ。
「一般」という言葉を聞いたときに、何を思い浮かべるか。
遊園地の一般料金か、一般的な人間か、平社員のことか、
一般性についての話か。
ある言葉について、含めているもの(これは自分主体からの言い方だが)が多ければ、それだけ関連付けは多くできる。
もちろん、人の記憶に限界はあるが、想起という意味では、
限界はないような気がしている。

メモをするのは、忘れないためではなく、思い出すためであって、
備忘録とは、忘れるに備えるとはあるが、そのままいえば、
忘れるということを肯定し認めているのだ。それに対して備えるのだから、
やはり想起のためにあるのだろう。

関連付けというのは、昔かなりこだわったが、
どうもそれをすると、ぐちゃぐちゃになるようだ。一般的な見方だと。
それは道に、タンポポをなんとかライオンだとかいって、動物かよと、
突っ込みを入れつつ設置して、白いベンチをおいて、その上に鉢をおいて、
ベンチは人の座るものではなく、鉢を置いてもいいかもしれんと、
訳の分かりづらいことをしている人のようにうつるのかもしれない。

それはどうでもいいのだろう。

人には譲れないものがあった(過去形?)
そして譲れないものを譲ってしまう人もいる。別の譲れないものがあるからか。
でも、譲れないものなんてそんな一生、つまり数十年にそんなに見つかるのかしらね。

馬鹿みたいな話で、そして想像しにくい人(とくに学校で生きる若き人よ)は
ゴマンといるかもしれないけど(少子化とはいえ)、
重要なことが何か分からなくなるなんてことは、普通にありうる。
その頻度は、そうだなあ、一週間に一回くらいは朝飯食いたくないって
気分になる人がいるとしたら、それくらいかもしれない。

自分という存在を揺るがしてしまうものだ。
自分にとって重要なものが一杯あってどれかを選ばねばならないのは
つらいところだ。でも、形をかえて、結局大事なものは「ひとつ」でしかないというのが僕のが考え方だ。

目くらましといってもいいし、詐欺といってもいいし、
徹底的に自分をマークして騙してくる人間がいるといってもいいし、
贋作、贋物といってもいいし、マネマネといってもいいし、
モシャスといってもいいし、ミミックといってもいい。

なんとでもいいっていいけど、結局変えられない。
自分が大切だと思っていたものを間違えるというのは、
その気づくタイミングは、自分がこれが大事だと思っているものが
あるからいえるのだ。
それがなければ、間違っていることすらいえない。
だから、成長とは、自分が失敗したと思った時もそうだし、
それから始まっているのだといえるわけだ。

完全なものはない。もちろん僕もだ。
完璧な人もいない。もちろん自分もだ。
ただ完全になろうとしている。なれないのに、なろうとしているのは、
とても滑稽でナンセンスなんだろう。
それを先達は、若いのう、というのかもしれない。それは否定しない。

何かが足りないのではなくて、何かを作ってないだけではないか。
武器がないのではなくて、武器を持っていることに気づいてないだけではないか。
土俵が遠いのではなく、歩いて進んでないのではないか。

多くの問いが脳内を巡り、結局、落ち着くところは常に一つだ。

自分はどうしたいか、である。

完敗

完敗である。
全く歯が立たなかった。

自分が生きていていいのかと。(最近それ多いね)

底辺があったとする。
それこそカムイ伝みたいに、百姓にも色々あって、
百姓の下には下人がいて、さらには非人がいて。
それでも生き、不条理などというものがあれど、
そういうルール(封建制度か)があれども、生きた。

という視点からいえば、ニートを「ふざけんな」と一括することができる。
ただ病気であると片付ければ、対処法を考えるしかない。
後手後手にならないように、予防はどうだ?
例えば「子どもがニートにならないように・・・」というセミナーなり、
があるみたいだ。なんかすごく馬鹿といったら怒られるんだろうけど、
本質的に何か間違ってる。違和感なんてものじゃない。NGなのだ。

逆に考えれば、カムイ伝みたいなものを読んでいたら、
自殺する人も半分くらいにはなってるかもしれん。
いじめなどはおそらくなくならない。戦争も争いもなくならないだろう。
これは現実で、でも人はいじめなどないほうがよく、戦争などない方がいい。

面白いことに、どうも、戦争がない方がいいという人は、
戦争をしたい人以上に動く気がする。いや、動かなくてもパワーがある。
いじめている人間は、面白いことに、いじめられている人間より、
実際に例えば学校でいじめをしていて、卒業して、じゃあ働くえー年になったとき、いじめられていた人間のほうがパワーがある。
これは推測だが、人の感情を大切にできるのは、痛みを受けた方だ。
もちろん、いじめの肯定ではない。

大分前に、勝者の理論だが論理だがで、アメリカって国は
負けたことがないから・・・とか、そういう話があった。
戦争を多くして負けないはずがないのだろうけど、
第二次世界対戦で、負けを経験してないのは大きいと。
逆に日本人で戦争で負けた意識がどこまであるかは疑問だけど、まあなんとなく。

負けたことがない人間は、負けたものの気持ちなど分からぬ。
逆に、勝つ人間は負けた時の気分になりたくないから勝つというのもあるけど。
ま、そんな話もあるね。

それで、話を元に戻して、
完敗である。

僕って何という問いに答えるなら、馬鹿である。

がんばれ自分。許せ己。

DVD化

VHS→DVD変換サービスを利用してみた。

c98269e0.jpg


こんなパッケージとはいえ、
まあケースはかなり簡素だけど、十分なものとして。

番組は結構な時間をカタリベカフェに割いてくれてるね。
ありがたいっす。

あれ見てる人がいないのか、
それとも「伝わなかった」のか、
それとも見てても本なんぞって人が多かったのか、
反響はないっす。申し訳ないっすけど(笑)


23日にはmomoを襲撃予定。
面白そうなことやってる人絶対いそうだなあ。楽しみっす。

にしても、カムイ伝面白し。
3巻で、いきなりカムイ?が出てきて、おいおいとかおもったら、
どうもカムイの兄っぽい。すげーすげー。弟は死んだのか。

新しい音楽

竹仲絵里って人を知った。
個人的には女性ヴォーカルでは、低音が好きだ。

今読んでる「経験を盗め」によれば
低音は判定しづらい(低音の広さを)が、心地はいいらしい。

竹仲女史は低音でもないだろうが、
でも力強さとは、低音の格的なものがあると思われます。
要は、どっしりしたものは、低音で歌ってそこでコントロールできるかで
決まるんだろうなあと。

くそ暑い日に「雨と虹」なんて曲はいい感じに涼しくなるかもしれん。


あと、サンボマスターも。
カラオケかどっかの雑誌で、やつらのオーラを感じたので(えらそーだな
聞いてみることにした。正確には聴くだが。
ワンチャンス思想からすれば、なかなかやるな、だが、
暑苦しい音楽にならないかってところはまだ聞き込まないと分からない(笑)

どうだろう。
このブログは緑のスキンでごまかして、
暑苦しくなってないか?

って言ってる時点で涼しいとしておこう(そうきたか!


思い出した

WBで「青の時代」もかかれてたわ。やるねえ。

ホリエモンと三島由紀夫「青の時代」と。って話ね。
光クラブ事件自体は実際の事件なりっと。

まあ、ホリエモンと比較するのはどうでもいいんだけど、
でも、昔も同じようなことあったのねって。だって1948年とかの
時代っすよ。
新幹線すらない。新幹線って60年代でしょう。

WBのセンスっていうか、面白いから、
今後もチェックせねば。チェックしたいものが増えるのはいいことだ。
チェック至上主義者。

放火。

放火の事件というか、それを写真にとって公開した人が
実は実行者でしたという話。

日経のトップ下にあるなんとか人語にあったんだけど。

まあ、確かに、誰もが発信者ってのはそういうことやっちゃう人もいるね。

というか、誰か見てくれるという淡い期待なんだろうか、
ネットだからかもしれない。自分が注目されたいか、まあそんなに
素敵な感覚からやるとは思えないっすね。

放火を奨励はしないけど、火で遊ぶのは楽しい。
キャンプファイヤーとかはいいと思われる。
そういうところで満足できなかった・・わけじゃないだろうな。

やはり、何か人が騒ぐ。いわゆるセンセーショナルってやつですかね。
そういうのを自分が起こせる、起こしたというところからくる、
自分の効能感。社会に対して自分はこういうことができるんだぜ、と。

分からないでもないが、ベクトルが間違ったね。
法律ってものやルールがあるのはなんでかってことを少し考えたら
分かるようなことだったかも。

あと、犯罪って多分ばれますよ。たとえ逃げ切れてもさあ自分で満足に
浸る人間でしか、やはりね。
あと、やった瞬間から逃げ切るなら、ずーと例えば70歳まで生きる人間が
35歳でやったら、35年その犯罪行為は忘れらないだろう。
そういう覚悟なんぞ普通せず、ついやっちまうからこそ・・・ってのが
犯罪なんだろうなあとは思うものの・・・

さあここで重要なのは客観視かな。ま、そんなことできたら・・っていう
話はスルーの方向で。

奨学金

40億くらいだったかな。まあ、そのくらい滞納中らしい。
この奨学金という仕組みは良いと思うが、それはつまり自分が利用者だからってのが
大きいのだけど、財団なり、自分が奨励したいものについて「金を出す」ってのは
うまい金の使い方だと思う。
やはり、RM財団は作りたいわけで。本を読みたくても買えないって人は
あんまいないだろうけど、別方向から支援できるようなね。
学びもいいしね。学校はまあ腐っても学校ってわけで。

嫌なことあっても、そいつを消化でも昇華でもなんでもして、
血肉とすることはいくらでもできるしね。

アマオケ

アマチュア・オーケストラのこと。らしい。
記事から知る。というか、愛知の豊橋が発祥らしい。
熱い。やっぱ愛知→全国→中国→世界。って流れがいいなあと。

思い立ったら即行動って言葉を思い出したな。書いてあるけど。
同時に、石の上にも3年だ。
この子ら2つのバランスで、今日も一日一万歩を目指す(嘘

女の腐ったみたいな

この表現はジェンダー的(笑)にどうかとは思うが、
的を射ている(得ているではないらしい)とは思う。

って誰が言ってたか。実の親だったりする(別に僕の親は複数いるわけではないのだが(?))

女の腐ったみたいなという言葉が、男親か女親か、
どちらから発せられたか。読者諸賢なら言わずにも分かってしまうだろう。(ニヤリ

モンスター・ラボ

色とか色調などのイメージで曲を検索するらしい。
すげえ。

そういう会社があることがいいなーと思う。サービスはぶっちゃけどうでもいい(笑)
そういうことやろうとしているってところっすね。注目点としてね。

メガチカも全く同じ原理。でも楽しいっすからね。

で、さっそくみてみた。
http://monstar.fm/index.action

フラッシュとか多用してるからマシンが非力だとダメなのかもね。
おもしれ。オレンジとか青で検索してみた。
キーワードで疾走感で選んだら、こんなアーティストが。
http://trust-over30.com/ga/top.html

うお。いいぞ。
こういう音楽との出会い方提供してくれるってのもすげー。
ちなみに、モンスターは、mon + starで、
私のスターって意味らしいです。monsterの魔物じゃないってことで。

ゴーイングベスト

WithYouってやつっす。買ってしまうま。
たまたまCDドライブに挿入したら、あら、なんかスタジオ風景が。
ひらめいた。

つまり、自分がやろうとしていることは、創作の場ではないかと。
そりゃ、あんた。本で何か作るってのはさ、本を出版とか、
文章書くとか、絵を描くとか、取材するとか、動くとか、
それこそねえ、そういうのだと思われますよ。

でも、例えば作曲とかでスタジオ入って、何気ない会話とかからでも、
あと何気ないメロディーとかからも、インスピレーションアンテナを
マックスにしとくだけでできることもあろうかと。

良い音楽ってものが、自分で納得できなくても、
まあ調子悪いことあっても、でも自分たちがアーティストであり、
音楽を創ってるんだという核が消えない限り、
スタジオなどにはいって作曲することはやめないだろうと。

彼ら、ゴーイングアンダーグランドはどうやって考えてるかしらないけど、
非常に好感を持てる人々である。うむ、それだけは間違いない。

だから、やるんだ。やらなきゃいけない。

好きだからやる。やりたいからやる。つらくてもやる。
やっぱ嫌飯的な要素は絶対にある。そこを貫く。

たまには、CDもPCに入れてみるもんだな・・(笑)

モハメッド・アリ

ボクサーのチャンピオン。蝶のように舞い、ハチのようにさす。
くらいしかしらん。

WBの4号にあったのだけど、
アリは兵役を拒否したらしい。ふむ。
それで、すげー社会的にダメージを与えて、どうも
チャンピンの名を剥奪されたとか。ここらへん詳細分からず。

それはいいんだ。
その文章の最後あたりに、こんなことがかかれてる。
「普段何も考えてないやつや、何かと考えて闘ったことのないやつは
兵役拒否など絶対にできない・・・」
とあって、あー・・・その通りだろうなと思わず。

別のWBのこれまた別の筆者が、
ヨン様かだれか知らないけど韓国の俳優が、
兵役をすっげーしっかりこなして国のために立派だー、
で、それを女性?ファンがみにいくって番組があったらしい。
そんなのあるのねーと思いながら、馬鹿だろとか思いつつ。
その筆者的には、韓国には兵役があるものの、
年間数百人は拒否するそーな、そういう人は希少だから、
取材価値はあるが、そんな普通に兵役受けてるどこぞの俳優を
番組とするのはどうかって(多分これは筆者の言いたいポイントじゃない(笑))

別の文章でもなんかあった。
それは、結局アリの兵役拒否と同じことになるんだけど、
考えてないやつ(本当にいると思いますが)は、やはりやるしかないと
思って、そのまま特攻してく。
北朝鮮の話が出てくると、日本のテレビも北朝鮮みたいですねーと
その報道の仕方を指摘した芥川かなどこぞの賞を得た作家が言ったらしい。
それは爆笑問題の番組だったらしいが、それは放送されなかったそうだ。
すごく面白いところだ。まあ、作家がんなこといったらダメなのか、
爆笑問題の番組だったらあってもよさそーな。
でも、カットしたってことはなんかあったんだろうな。と普通は思うぞ。

TVを見なくなって、まあ受動的なのは、メーリングリストとか、
ニュースのメールとかくらいで、でもそれはメールボックスに入ってくる
くらいで、TVほど受動性はない。
新聞もそうだけど、ネットニュースは一つの情報を追っかけるのに、
最適だが、平均的に見ていくには、やはり紙面に叶わんとにらむ。

TVを見ている人は、今日も北朝鮮ばっかだねだとか、
そういう流れになるのかもしれん。
でも、TV見てる人って、結構朝も昼も、夜も見ているから、
だけの話だろうね。
まあ、それ意識してんならいいけど、してないなら考えた方がいいっすね。

ちょっと前に、戦争とか兵役とかあったらどうするーって話で、
若いやつらほど、戦争行くとか、兵役やるとかいってて。
馬鹿だなあと勝手に思ってた。まあ考えがあるならいいけど、
その理由が「国のため」とか「守らなきゃいけない」とか。

仮想敵国みたいなどこぞの米ちゃんが考えたのか、前問題になった、
悪の枢軸国とかさ。なんか小さいなあとか思うんですわね。
世界レベルで小さい。アメリカの良いところは、市民であって、
政治的動向はアウトというか。分けるべきかどうかも1議論要するけど。

そりゃいいけど、そうやって「国のため」っていってる人って
本当に考えたのかと。単に「戦争になったら行くのが男だろう」とか
その理屈じゃないだろ?みたいなのは、どーかと思われる。
そこまで考えてその結果、理屈じゃないさというなら分かる。
多分その若いやつらには申し訳ないが、そこまで考えずに
短絡的にいってるだけじゃないか。違うか?3回問うぞ。

国のためにってそうじゃないと非国民と呼ばれて、
それこそ食料の配給にも支障が出かねないなんて
国、周り、全てを敵に回す・・・さあ、ハダシのゲンをとりあえず
読んどけっていうことになるかね。
それでも生きた人がいて、皆罪びとであるといって生きる人もいる。

戦争を肯定することは絶対に出来ない。
必要悪という便利言葉は用いてはいけない。単なる思考停止スイッチなだけだろうと。

文学と戦争は結構親和性が高い。これは僕の考える文学なのかもしれない。
よく分からないが、これは非常に簡単に説明できる。
文学とは、多分「ブンガク」って言葉が問題だが、
児童文学ってことを知ってる人は、「あーおこちゃま向けの」とか
思うかもね。

残念ながら僕にとっての文学は、
思想であり、哲学でありってところから入る。
そうだなあ。筒井康隆の「文学部只野教授」って中身見ると
分かるかも。あれを皮切りにしてるかも。

だから、文学っていうと、すぐに思う浮かぶのが、
哲学のニーチェだとか、あと村上春樹とか。
ちなみに、学生のあれは3年くらいかなあ。
こもれび氏と「ニーチェと村上春樹は、共通項がある。
それは、ニヒリズム。つまり、虚無主義の思考だ」

春樹氏には悪いが、勝手に虚無主義にさせてもらった(おぃおぃ
ノルウェイの森って話は、ほとんどの人が死ぬからね。
というのは、確かに本当で。

あと三田誠広の「僕って何」はいい。高校のダチから知ったところ。
WBでたまたま三田氏の文章があってみてたら、やはり僕って何って
話も出てきたわけで。
3回目くらいになるけど三田氏の「高校時代」って小説がいい。
あれは小説じゃないだろと勝手に思ってるけど。
あの話で、進路が確定しているか、自分で進路を選べるかって
話がでてきて、友人との会話の中だけど。
それで、主人公は自分で選ぶことってのは考えていかなきゃいけんって
ところで、そう簡単に自由なのかねって問うてる。

高校生くらいなら十分にこの問いは可能だ。
そして哲学という学問がモチっと開かれてりゃ、いいのかもね。
まあ、哲学なんぞ、現代には必要ないっていうか、
そもそも考えること自体に、兵役拒否もそうだけど、
面白さを見出してないというか。

悲しいけど、そういう考えが全てだとはいわないけど、
なんだろ。感覚も大事だけど、だけじゃないから、
なんで生きてるのっていって、「生きたいから生きる」っていえる
人間がいて、それって思考停止発言かどうかってだけの
スレスレのところで思うだけか。

元に戻そう。
だから、文学は色々なことを、考えて提供してくれるわけ。
世界観もあるものもあるし。だから、常に興味は人なのかもと。
だから、戦争ってのも当然人の行為として出てきて、親和性は高いかなと。
そういう意味で文学は、学際だけど、
でも、どうだろう。文学部なんて入って何かやろうっていう人は、
どうしても、ブンガクって固定観念なところで闘ってしまうのかもね。

ま、僕じゃないからいいか(まて

というわけで、アリの生き方にビバ。

ドリアカ

ふむ。
ドリコムがドリコムRSS、ドリコムブログ(これね)、ドリコムキャリアサーチを統合して使えるよーに、するらしい。25日から。
今日知ったけど。まあ告知今日だけど。

個人的には、ドリコムRSSの多分メインだろうと思うけど、
あのRSSリーダーの動きがたまーに怪しい。
RSS登録してるのに、更新全然分からんのがあったりするけど、
あれってPingとばさんと分からんのよねえ。
飛んでると思うけど。

一番嫌なのは、自分のブログがPingをRSSサーバなんてあるんすかね、
に飛ばしてなくてそれで気づかないという状況。

こればっかりは目視で確認するんだろうね。
いやあ、ぶっちゃけ、そういう細かいところを知りたいか
知らなくても使えるってところで人生決まりそう。

結局、ここで無理やりいえば、お金の使い方がうまいって人は
それを知ってる。つまり、細かいところを知ろうとしているが、
実は知らなくてもいいところは知らなくていいと知っているというか、
まさにメタ認知。
お金の使い方がうまい人はメタ認知が出来る。
もっといえば、決して1.5人称で話しても、1.5人にはならないし、
そう話していると自分で知っている人だから、
相手の立場にも立てるし、考えも明確に述べることもできる。

やっぱそういうモデルは少ないっすね。
大人がんばれ。俺もがんばる(なぞ

ドリコムアカウントって便利なんすかね。
ドリコム的には、管理が楽なんでしょうかね。
あと、シングル登録からマルチ登録への誘導も。
あ、ドリコムブログだけでドリコムRSS登録してないとか、
そういう人のことっす。その人がドリアカで一括されれば、
当然RSSにも興味わくでしょうな。トップにそういうメニューが
出たりするんでしょうし。あとキャリアサーチにも。

あとは、ドリコムの戦略かしらないけど、
無料で試してたたき台にして、企業へ提供してる。
これは、結構前から、オンラインRPG、まあMMORPGとかっていうと、
んもゲームっていわれそーなこともあるので(!)スルーして、
そういうオンラインで遊べるゲームは、ベータ版で誰でも
無料に遊べて、色々なサポートもしてくれるんだけど、
結局最後はお金を取る。まあ当たり前だけど。
それって、ベータ版で試してたたき台にして・・と。
全く同じですな。おそらくこんな感じでしょう。ドリコム的にも。

ちなみに、そういったオンラインゲームでは、まえ書いたんですけど、
プレイ料金は無料で、武器道具がお金がかかるっていう、
なんか結構子どもにはあまり「よろしくなさそーな」環境があります(笑)

中毒性からいって、そうやったほうが稼げるような気もしますが、
でも、無料だから武器道具とか買わずにプレーできなくもないわけで。

ここらへんはジレンマのようで。

それはそのままドリコムにもいえまして。
ドリコムブログでのサポートが悪いだのーって話があるとしても、
結局それって、無料だから、うっさいクレーマーだなとかね、
そう捉えられても仕方がないでしょうな。まあクレーマーの定義はおいておいて。
実際にそういう感情的なものが人間ですからねえ。

サービス悪くてもいいから、ユニークなことやってくれればいいかなと(笑)
そういう意味ではサポートが悪くても基本的なことやってくれれば
問題なし。基本的なことってのは、なんでしょうね。
サーバが落ちないとか。

サーバ落ちるってのはおそらく、小売やってる人の店頭に
商品が1つもなくて、在庫のバックヤードにもゼロってことですね。

マッシュルーム

http://www.asahi.com/national/update/0712/OSK200607120096.html

カンダイセイらしい。
バカといえばそれまでだが、まあ軽い遊びのノリだったんでしょう。
事が発覚しなきゃ「遊び」だったわけで。

これで死んだらたまらんと。悪いけどそう思った。許せ。

哲学研究部ってサークルらしく、
これで哲学ってまたアタマのネジが三本くらいはずれたって
評価になるね。というか、良い評価はまずあり得ない。

さらに大学に対する評価。
まあ、これでカンダイ通ってる学生が皆バカというつもりは
毛頭ないけど、そう思われることは大。
それが社会であり現実。

人からどう思われるのは重要ではない。
でも、思ってくるのは事実。そして思われるのも事実。
さらに自分がどう思うかなんて、一人の人間の思想なわけだが、
そんなものは、最近聞かなくなった「社会の歯車」(会社の・・・だろうけど)からしたら、小さすぎる。
つまり、ライフスペースだかなんだかしらないけど、
ミイラ化した死体が隣の家にあっても分からないのだ。
これは悲しいというか、現実だ。

オープンアイズである。サザンアイズではない。
目を開いて現実を受け入れる。別に否定してもいいが、目を閉じては
ダメなのだ。

合法ドラッグというものがそもそもあるのか知らないが、
さあ、どうだろう。×ゲームとして化したその人が、
結果的に殺してしまったのだ。これも事実だ。

死んでしまった人間は帰ってこないという事実。

そしてこれらは事故であって、全てではないだろう。
でも、そこから得るものは多い。

とにかく、新興宗教とかの信者でタチワルク勧誘するより、
失敗であり衝動である取り返しのつかないことっすね。

きっと受け入れれば次がある。
まあ、社会は厳しいというか、それ自体であるといってみよう。

スキン変えてみた

ドリコムが企業向けにSNSサービス展開らしいっすね。
ふむ。一月400万だったかな。まあそんくらいですかね。

関係ないけど、ドリコムキャリア・・・ってよくわからんけど、
スキンが新しくでてたので。緑が好印象。
あと、Windowサイズによって可変らしい。

どーも、見た目は「文字がすげー」あるようになったけど、
これはこれでいい。活字嫌いを遠ざける(笑)


ところで一つだけ。
冷静になって、自分の状況を客観視し(もちろん出来るだけ)、
こうすれば突破できるかもしれぬと考え、試す。
で、やったら出来た。

成功体験ではないけど、達成したことが1つでもあるってことは、
ピンチなり、やべーとか、壁にぶちあたったときに、
かなり強い。成功イメージが出来るからモチベーションが高まるし、
どうすればいいかも冷静に考えるポテンシャル!も服務から。

最近それが出来たので一人で自己満足に浸ってます。ひたひた。

なんだろ。多分レベル的には、「冷静にやったから出来たんだね」
っていうレベルの話だけど、ところがどっこい。
この時期?にして、この動きが出来るのはでかい。

結局、自分に「がんがれ」といいつつ、
「お前はどうしようもないバカだ」といいつつ、
「お前はやれる子だよ、トム」というようなトムソーヤの冒険に
出てくる台詞を自分に吐きつつ、
前進してますねっていうような。

うが

死ぬ前に絶対フットサルチーム作ってやる・・・(えぇ

本読み状況

去年は100冊程度読んだらしいが、
いかんせん、暇な学生自分が2ヶ月もあり、そこで50冊程度稼いでる(笑)
だから、ぶっちゃけ50冊しか読めてないことになる>働きながら。

ああ、ニートになりたい(といいつつ、ニート馬鹿野郎なのだが(おぉ))

今年のペースとしては、月10冊程度のペース。
1日1冊は読むのが理想だ。思うに、冊数は意味がないが、
でも軽いものも含めてとりあえず20冊くらいは読みたいところだ。

そういう仕事、つまり、本を読まなきゃいけない仕事でなければ、
そんな読む必要はないらしいという声はあるみたいだ。
そんなのは真正面からたたっきる(笑)のみだ。

ヴィレッジヴァンガードでなくても、本は人生を豊かにしてくれるのでござるよ。ござるござる。

ReadMasterの称号を欲しいものだが、なかなかその資格はなし。
ちなみに、RMの条件は以下のようである。
1.どんな話題も「本のタイトル」とその簡単な内容で切り込めること。
2.好き嫌いなどの嗜好は当然あっていいが、だからといって話として
嫌いな本の話を聞かないのはダメなのです。聞けと。
その上で批判すればよし。批判しないのもRM的には自由。
3.多読せよ。同じものを何度読むのもいいが、結局それは、
多読と同じである。集中による突破と全く同じ構造です。
だから、多くの本を読むべきだ。同じ人間と長く付き合うのは大事だが、
だからといって多くの人と話さないというのはどうかと思われます。
というのと同じであーる。
4.読書メモをするべし。形式は問わず、何を読んだかはメモっとく。
どういう内容かとか、レビューとして批判なり評論するのは、自由。
しかし、一番重要なのは、「どこが印象に残ったか」「どこが面白いか」
の点に限る。面白い部分がなければ、その読者にとってはクソなのだ。
それは言いすぎだが、誰にとっても良い本などあり得ないのだからOKちゃんである。
5.自己完結してない本読みをしている。自分で読んで、あー面白かった、
ではダメなのだ。漫画「よつばと」は、かなり面白いが、そのよつばとを
自分が生きているだけでは知れないのだ。それは友との会話から知ったのであり、そういう視点ないのだ。だから、自己完結せず面白いものは、
誰かに言うべきだ。それはブログでもなんでもいい。とにかく良いと思ったものは良いのだ。好きなものは好きだ。ただそれだけを貫くべし。

くらいっすかね。


ところで、MJに、フットサルコートみながら、
カフェが併設されてて、見えるって記事があった。
関東では、すでに2002年のW杯でフットサル熱が上がって、
今じゃ過剰気味らしい(笑)まあ、基本的にコート貸してところから、
チームとか、会員とか、あと今じゃ銭湯と一緒のフットサルコートもある
らしいっす。すげーな・・・。運動の後のザブンは最高だ。

ダチに話して、秋くらいから「本格的に足猿(フットサル)やるぞ」(言ってない)といっておいて、その予定。
まず体を動かすことで健康体を作る。RM的に健康体が必須。
あとポルトガルに魅せされたサッカーの面白さ。いやW杯というべきか。
プロの技術は要らないが、楽しみたい。程度の問題だ。楽しみたいのだ。
その足猿から、カタリベカフェを展開して、フットサルカフェを作る(笑)
完璧だ。無駄がない。(いや、無駄ありまくりだぞ)


働きすぎの時代

読完。

結構、働くって考えさせられること多し。
というわけで、働いている人はとにかく読んどけということで。

面白いのは例えばこんなのだろうか。
生産性が2倍になれば、労働時間が1/2になるって
普通に考えたいところだけど、それは違っていたというある識者の見解。

これはつるべの話だ。このブログで、春秋戦国時代の話で、
確かあれは、講談社新書だね、その本のことをかいた。
あれにそっくりだ。結局、水を井戸からつるべで引っ張ったら、
生産性は10倍か。水を効率的に運ぶことができるさ。
でも、それで労働時間は減るのかね。少なくとも1/10にんはならずに、
逆に、1より上の倍数になる気がする。現状より労働時間が延びるというか。

SOHOだとかテレワークとか、そういう働き方って、
ITってもんがあって出来てるんだけど、でもどうだろう。
実際労働時間は減らないわけで。逆に労働者を縛っているだけのような。

それならITなぞないほうがいい。と僕は考えたいっすね。

こういう視点が結構あり。だからあえて紹介しないけど、
読んでもらいたい一品っすね。

比べちゃいけないけど、やはり岩波が固いが、充実してる。
これぞ新書というものか。

ダチが倒れそうになってる。多分倒れるだろう。
そして僕は言うだろう。自分を守りつつ働くだけで普通の人間はといったら、
ダチに失礼だが、普通は精一杯なのだと。
別のダチが、今の時代はうつ病にならんほうがおかしいって指摘がされてるっていってた。
これも同感。つまり、「普通」じゃやってけないのだ。
僕はあらゆる意味でこれは自分にとってチャンスだと考える。

戦国時代が好きだ。結局誰が勝つか分からんのだ。
下克上も好きだ。自分が相対的に上にたったときに、枕を脅かされるのは
たまらんのだけど(笑)それも一興なり。


働きすぎの時代働きすぎの時代
森岡 孝二

岩波書店 2005-08
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おらおら

とりあえず、VHSをDVDに変換するってサービスが
「意外」にないことを知る。
ビデオデッキとPCとDVD?Rがある環境ってそりゃ持ってる人は
持ってるだろうけど、どうだろ。
まあいいさ。

ビッグイシュー定期購読申し込み。
ふむ。名前が載るのね。面白いっすね。
色々なところとカラムのにカタリベカフェは良いっすね。

定期券エラーの話。
これはやはり機械だけでは生きられない。
そう。後ろに人がいる。メンテがいるってこと。
異常終了の対応はやはり人間が想定したものでしかないのよ。
そこは大事。

手入れの話。
これは、靴の話を書いたように。
長くものは使いたい。ただ「もったいない」は関係ない。
本も「手入れ」したいものだ。
自分の興味ありそうなものをセレクトして本をおくってくれるなら、
やはりそれはお金を払いたいサービスだ。
さあ、そういうことをする人間がどれほどいて、
どんなものをセレクトしてくるかってのは面白いところなんだけど。

視点の話。
一点突破か、周りから攻めるか。
どちらにしろ最初の突破は同じで、後からどうでるかが重要。
マラソンでいえば、最初飛ばして突破しても後からスタミナあるんすか?と。
虚勢を張るとか、ホラ吹き理論も同様。
結局そういってりはったりペタペタやってもいいわけっすけど、
どう適用させていくかという現実的なものが重要。

結局何を言っても自由なのだと。やりさえすれば。それに尽きる。
逆に、自由って言葉で何でもやれるっていう幻想を抱いては困る。
現実的にいえば、なんでもやれるから自由であって、
自由だからなんでもやれるなんてのはない。

言葉遊びじゃないぜ。
そもそも「自由」だからってのは、環境がそうすでにあるみたいな
言い回しだ。そんなのないぜ。それは幻想だ。
色々やれるってのがあってそれは「自由」だと認識する。

という意味で一般的なティーンエージャーの「自由」が欲しいとは、
単なる自分の愚痴を出すためだけの「言葉」である。
「自由」という言葉がかわいそうだ。言葉にも感情はあると仮定するなら、
「自由」は怒ってくるぞ。

フランスで暴動がおきたのは記憶に新しいが、
ビッグイシュー最新号53号では、その記事がちらっとあった。多分。
たまたま「働きすぎの時代」という新書を呼んでいるのと、
日経ビジネスで格差社会の特集があって、大分リンクした。
もうけものだ。

リンクさせる力は考える力が結構要求される。
編集力とも呼ばれる、この関連させる力、英語でいえばconnectingとか
そういうものになるのかね。linkでもいいのかもしれんけど。

その面白さはどうだろう。面白いという人は面白いんだろうという
程度でしかいえない。

ビッグイシューのおっちゃんを見て、
自分もがんばろうと思うのはごく自然かもしれない。
ある人はホームレスを見るだけで嫌気がさすかもしれないが。
同時に、そのおっちゃんは、ホームレスだから汚いとか
思われるのは嫌だと言ってたりもするのだ。これは他人の考えを
受け入れるモードなりがいる。この構えがまずいる。
ここで自己中な人間はおそらく、リンク力は備わっていない。さようなり。

次に、そのおっちゃんをみて、ホームレス暴行事件などを
思い出す人は、時事ネタを思い出したといえる。
僕は、確か本になってる暴行事件を覚えてる。
確か大阪の話。事件を起こした青年か?の友達が、
「事件を起こそうがあいつはダチだ」といってたのが印象深い。
まさにそれはその通りだ。

大分前に、万引きをする友達は友達ではないという
青臭い意見を吐いたことがあったが、これはその話からすれば
相当、ダメな意見だろう。
でも、程度問題であって、おそらく高校生くらいでつるんで
なんかやってるやつってのは、結局連れであり、他の誰でもいいわけだ。多分ね。

で一緒に万引きするならともかく、万引きは悪いこととも
思ってないのかしれんが、っていうか物とりゃー罰せられるぜっていうものに
対して反論があってやるわけじゃないだろう?
そういうのは友達じゃないぜ。仲間であり連れであり、ただの群れだろう。

無駄だ。それは友達ではないぜ。ってか、友達を舐めるなと。
人とのつながりってのはそんなもんじゃねーぞと。

ってことを思い出しつつ、ってリンクの話じゃないのかよーといいながら、
同時に、さめたピザみたいなまずい人間関係は、
大抵は職場の人間関係が・・・っていうパワハラか何ハラかしらないけど、
椅子の上に画鋲がどっさりおいてあったりするのかねえ。

戦いである。闘えと。常に電車の椅子獲得バトルであると。

ホームレス作家って本もあったし、ホームレス失格って本もある。

タイトルで並べるのはおそらく誰でもできそうなので、あえていうと、
例えば、働くってところで引っかかった本があって、
タイトル忘れたけど、そこでホームレスの人出てきた気がする。
そういうあいまいな情報の方が後から面白くなる可能性は高い。

あと、月並みかもしれんけど、どん底からの・・・って本で
堀之内氏ね。そういう社長もいるわけで。

あとは炊き出しの話とか。
名古屋じゃ、テント一掃だの、自治体だのとねえ。
大阪とか東京ほどの規模じゃないにしろ。人はいるわけで。

あと、資源ごみってことで収集場所いくと、
おっちゃんがカンとか集めてるしね。ホームレスの人の仕事になってる感はある。
話として、ホームレスがゴミ捨て場にカンを取りに来るのを
苦言を呈した人がいたそうな。分かるけど、まあなんだろ、別に
捨てたものだからいいかなとは思うわけで。
ゴミあさって汚くしちゃダメだけどねえ。

って意味でビッグイシューは自立支援ってところがなかなか切り口が素敵なところ。

炊き出しのボランティアとかあるしね。

まあ、これくらいのネタを瞬時に思い出し、そこから話を展開するわけです。
勝手にリンクしたら、脳内の細胞がそれでもいいじゃないか命令をだし、
ポンポが痛かろうが、OKちゃんなわけで。

で、話を戻すと、
どう切り込むかで。それが視点で。
視点を拡げるには、やっぱそういう切り込み方がいるわけで。

それってベターっすけど、
色々な人と話したり、本を読むとかそれしかないような。
仕事=スポーツで稼ぐかサラリーマンかっていうんじゃ、
すごく寂しいわけで。知識偏重ってのはどうかと思いますけど、
知識があって分かることは多いわけですわ。

サッカーがつまらんのはルールが分からんと。
オフサイドが分からない人もゴマンとおるわけです。
オフサイドってのは、キーパーの前に敵が待ち伏せできないための
ルールって考えれば一発で分かるかと。
単調な攻めになるっしょ。最初からキーパーの前にいれるとさ。
それでルールが分かると、なんでそういう動きをしてるとかも
分かるし、面白みがでてくる。

これはあらゆることにいえる。
だから、知識を得る、何かをしるってのは滅茶苦茶面白いことになる。
面白いことにつながるからね。
何かをするってことは、それが試される。つまり自分が得て血肉とした
消化したものが問われるわけだ。本はだから食べるべきで、
下手すると、そこらへんの牛丼よりうまい(毎日くってりゃ飽きるだけの話。他意はなし(笑))

というわけで、ポルトガルが勝って今回のドイツW杯は
キレイに終わることでしょう(笑)

子供の本屋ピピン

日経から。

http://www.bunbun.ne.jp/~pippin/index.html

ふむふむ。
最後の一文がいい。
その主旨は、今までは子供の本に関心を持つ人を対象だったけど、
今後はそうじゃない人もって感じで。

そういうのはいいっすね。
結局余裕なんすわ。集中と懲りすぎというか、固まりすぎってのは
また違うわけでして。

というわけでストックしとこう。

ああ、ボール蹴りたい。
フィーゴフィーゴ。フィーゴがみたい。

こもれび氏曰く「日本にはスターがいない」と。
ごもっともで。ヒデはスターじゃないからね。一世代前でも、
ゴンとかカズとか、ナナミとか。ナナミの左足って、今の中村に
あたるのかねえ。ああ、ポジション違うっけ。

誰もスターじゃないからね。
とはいえ、スターにしきのみたいな芸能人とは違いますよ。

リーダーかもしれないね。すげーって期待させてくれる何かかな。
それを安定して出せるからこそ、スターなわけで。

ロナルドはそういう意味で次世代スター確定とにらむ。
ところで、ポルトガルはデコとフィーゴの戦いがあったらしいが、
それはフィーゴが一度代表を引退してたのに、また戻ってきたという
ところから色々におうところだけど、
そういうのって日本はないよね。

日本のサッカーを批判するのは負けてるから簡単なんですけど、
なぜ強いか、なぜスターがいるのか、そういう肯定的なところを
見る必要もありなわけです。

ヒデは実業家というか、ビジネスでなんかやってくれそーっす。
トーハトは、サニーサイドアップが絡んでいるとはいえ、
おそらくそのSSUからTTPした(サニーサイドアップから徹底的にぱくったの略)ノウハウで、なんかかましてくれるだろう。

とりあえず、ホワイトバンド買うより、ビッグイシュー買って読むとか、
コーリアジャポンとか読んで、自分がいかに知らないか。
そこからはじめるというか、そこからしか始まらないのだけど(笑)
はじめるのがいいっすね(誰が?

スターではないけど、サントスは結構好きだな。
切り込もうとしているところがいい。
スターを無理に作るのはナンセンスかもしれないけど、
見てて楽しいサッカーはやっぱ、切り込むトライ的なものであると確信。


で話を元に戻そう。
結局、このピピンは、子ども向けに絵本を展開しているのだけど、
ただそれやってるだけじゃ絶対長く続かないから、
まさに日々切磋琢磨。なんでしょうね。
そこが見えないというか、見えないから、
どっかのバカが(!)いいところだけみて、それになりないっていうんだろうね。
いいところを見るのは大事さ。でも、自分をそこに適用するとき、
適用した瞬間でもなんでもいいけど、ズレがあるし、
そのズレを修正できるか、ズレていても可能か、こういう雑事は別に、
好き好きパワーでおしのけられるかってことは、
やっぱ「いけるという自信」なり、「考え抜く」ってことが大事なわけですわ。

そこをアナウンスしてくれる人は、説教者か、老婆心をもつ人か(笑)、
お節介的な人か、後は意見をいう人か。
そういう人に会ったら多分人生は幸せの方向に向かうでしょう。

やったね。

本離れの話を。

うむ。

asahi.comで、坂口安吾の記事が載ってた。
堕落が墜落か知らないが(笑)、そのバッチを。
というか坂口安吾なんて僕知りませんから。残念。

という話じゃあない。

別に本は「文学」だけではないのだ。
よく分からないのは、さらに「純文学」という今は死語らしきものまで
あるということだ。

さらにひねっておくと、僕は文学は好きだといっていい。
埴谷氏の死霊は読みたいし、最近は、原口氏の二十歳のエチュードを
読みたいっすわ。

こういうと違うかもしれんっすけど、
なんとか兄弟っていう三味線部隊がいましたけど、
邦楽って言葉は、日本古来の楽器というものが・・・って意味で使えば、
三味線だの、なんだのと色々な楽器でやるってのが面白いので、
今の時代は幅が広がっていていいなと思うわけです。選べるから。

問題は幕の内弁当好きな人は選ぶのが好きというよりも、
色々なものが食べれるからであって、色々な実際の具を選んで
食べるのが好きって人はかなりレアでしょう。
つまり、幕の内を選ぶことが選ぶなんですわ。

それはそのまま、モデルというものになります。
こういう人になりたいというのは、例えば中田ヒデみたいになりたいーと
いうのなら、そのまま適用できそーですが、
どうもそれでは今は弱い気がします。というか、幕の内的に
なんでも食べれる感がない。言い換えると、それで色々選んだことにならない。
普通モデルにするというと、参考にするってことになるんですけど、
それは僕の感覚なんでしょうが、幕の内の色々入った具の1部でしかないわけです。だから、こうなる。
幕の内弁当選んで喜んでじゃいかんと。というか喜ぶな(笑)

脱線。

文学は儲からない、あと文学部って学部を批判はしませんけど、
例えば、村上春樹研究とかってやるとすると、よくそんなのやるよなーって。
と、文学部出身者その関係者を敵に回してみますが、
ここで忘れてならないのは、文学の批判です。今、本離れといわれているのは、一種の出版関係者の煽りであり洗脳とかなり強い言葉を脳に入れておいてもあまり問題ではないでしょう。それくらい強く「本離れ」をPRしてくる。

単に相対的に他に面白いものがあるからではないかと。
でも、まあ仕事してる人からしたら死活問題なわけで。
そのやり方はそりゃプロなんだから色々考えてくだされと。
僕はそういうのは好きなんで、いくらでも乗っかりたいんですけど、
ここらへんズレてるんですよねー。まあ、説明は省略っと。

それで、文学をやるなんていうと、昔は親に泣かれた時代もあって、
そんなもんです。時代は変わるわけです。
三無主義が流行った時、その時は若者がぼろくそにいわれてたみたいっすけど、まあそういう人が今の大人だったりするわけです(笑)
何もいえないのが本来あるべき姿であると。
だから、謙虚さが出てくるんだろうとおもっちょります。

自分の愚行ややっていることを棚に上げてというのはいいですけど、
あまりにそれやると大人というか、人としてどうなのかと。
まあ、そこらへん計算できてたらそもそも上げすぎないんでしょうけどね。


本離れだから、文学って切り口で、さあ読んでみるかっていうのならいいけど、それ以上の意味がある気がする。
というか、短絡的すぎるのかな。

これって、例えば高齢の人がネット環境がないからといって、
なんだろうなあ、メールでいいかな。メール楽しいといって、
パソコン買わせるのと違うけど、似てるかもよ。
なんていうか、切り口は妥当っぽいけど、結局結果的に短絡的というか。

本離れの原因ってもう大分わかってるんじゃないでしょうか。
本って滅茶苦茶面白いと。単にそういえる人間が少ないというか、
少なくともそういうアナウンスなりメッセージが飛んでこないっすよ。

本を読め読めいうのではなく、面白いかもしれんぜ。くくくという、
余裕スタイルは切り口にならないんでしょうな。死活問題だから。
そこまできたら、RMとして私がやらねばなるまい(笑)


で、本って面白い感覚がどこまで通用するか。
それはフォーエバーな問いとしてふんばりますかな。

オープンソースがなぜビジネスになるのか

MYCOMの新書。なんか技術評論社じゃないけど、新書よーだすね。
新書って読みやすく、まあ入門的にいいかもしれんけど、
あんま薄いと、出す意味ないっすよ。なぜか?
今はブログでとても濃いものが多いっすからね。舐めちゃいかんよ。
とはいえ、濃い薄いはどうでもいいか・・。

この本はオープンソースがビジネスになるかっていうよりも、
オープンソースとはこういうものだって説明であって、
なんでビジネスになるかというポイントを大きく説明しているわけではない。

という意味で期待はずれ。
あとページ数は160ページくらいあるけど、文字も大きく、ページあたりの文字数も少ない。華氏451度の文庫の文字数と比べると2倍くらい違うかもしれないね。

リチャードだとか、個人的なハッカーの名前を出すのは面白いのだけど、
それなら「ハッカーと画家」みたいな書き方というか、エッセイ風だよね、あういうのが面白い。新書でそれはやれんと思われますよ。だから中途半端に、ハッカーの説明なのか、オープンソースの説明なのか分かりづらい。

最もオープンソースはそういうハッカーらの動きがあったから、例えばAI研とか、だから説明するのは分かるけど、なんか違うんだよなと。

オープンソースのコミュニティが面白そうなのは分かったけど、
ビジネスになったとか、ビジネスに絡んだところの説明は非常に薄い気がする。
そもそも、ページ中の参照表記が「(?ページ)」となってるのが気に入らない(笑)
読みづらいっすよ。

著者の考えで例えば、なんでもオープンソースにするのはどうか。。って意見は賛同できるし、悪くないんだけどなー。
多分、予想ではこの新書のつくりが悪いと思われます。もっと文章量多くないといかんなと。

MYCOMとしては、3冊創刊してきたなかで、さあその1冊なわけですが、
どうなってくんでしょうね。個人的にはこの新書から想像するに、
あまり期待してなかったりします(おぉ

他と何が違うか。それを強調してくれたまへと。全然違いが分からんぞ。


オープンソースがなぜビジネスになるのかオープンソースがなぜビジネスになるのか
井田 昌之 進藤 美希

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別視点

新鮮な考え方があった。

それはいわゆるやってきたこととかと関係しているのだが。

例えばあなたの職業は何ですかと。
そう聞かれたときに答えるものと、自分がやりたいことが
異なってる場合、「当然」の突っ込みとして、
それはなぜかと問われる。というか、僕も思う。

そうだなあ。
例えば、携帯部品のメーカーに勤めながらも、
やりたいことは、フットサルを広めることだったとする。
すると、「職業はメーカーで会社員」というが、
「フットサルを広める」ことをしたいという。

この場合、なんで会社員やってるんですか?なんでメーカーなんですか?
または、なんでフットサルなんですか?
という疑問は当然のように起こる。
その話だ。

僕のケースはこうだ。
職業的には、ITエンジニアというところだ。
最もなんちゃって技術者であるので、それはどうでもいいが。
しかし、やりたいことやっていることは、本だ。
本でひとつやってやろうと、そういうのがある。

これは上の疑問を同じようにあててみると、
なんでエンジニアなのに本なの?とか。そういうことはある。
同様なもので、大学で学んだことと職業の関連性もある。
僕は心理学を学んだが、職業はITエンジニアだ。

さて、ここで問いが1つまた生まれる。
そもそも関連性とはどこで誰が見出すのか?
そして、その見出した関連性は誰にとって最も重要なのか?
言うまでもない。自分が関連性を見出し、自分にとってその関連性が大事なのだ。

もちろん、消化されてないものは全く役に立たないことが多いが、
心理学を学ぶことと、エンジニアで仕事をしてみることは、
僕の中で全く同じ共通項がある。
おそらく、僕を知らない人にとっては、その共通項とは何か、
気になる人もいるし、気にならない人もいるだろう。
が、気になる人が多いとにらむのでいっておこう。

非常にシンプルだ。それは、面白そうだったから。である。
あと、やってみたいから、である。非常に簡単なものだ。

だから、僕にとっては、面白そうだからやってみたもので、
心理学を学んでダメだったから、技術者であるという発想そのものがない。
よく分からないが、世にはそういう失敗→転換という図式で
物事を考える人は多い。でも、それは短絡的思考といってもいいと思われる。
なぜならそこには、関連性をあまりに主観的に考えてしまうってことがあるから。

まあ、偏見だとか先入観で、思うのはいいけど、それが全てじゃあない。
別に何しようが勝手でしょうというのが好きだな。

話が吹っ飛んだ。

それで、新鮮な考えとは、
そういう本とは関係なさそーな領域で、本のことをやるってのは、
いわばアマチュア的だけど、でもよほど真剣だと思われたようだ。
僕にとってはこれは新鮮だった。
つまり、関連性が外から見えやすいものじゃないと、
説得力はないんだろうなーと思っていたが、なるほど、そういう見方もできるなあと。


これは切り込み方でもある。
おそらく、中から崩すのは僕は苦手ではないのだろうが、
得意ではないだろう。外から崩す方が好きな気がする。

僕のイメージでは、政治的なものに訴える人は、
どうも中から切り崩すタイプだと思っている。公共的なものとか。
でも、同じような程度で、外から崩すタイプもいると思われる。
それは、起業家だとかクリエイターだとか、そういうものだ。

だから、公務員で起業家というのは、相反しそうな考え方になるが、
そもそも期待してはいけない。
逆に、起業家に公務を期待するのもあまりよくない。

どちらもタイプが異なる。もちろん両方ともできる人はいるが、
そういう人は仲介役だとか、つなぐ役割に自ずとなりそうだ。

色々な仕事はあるし、作れるが、どうもひとつひとつ的確に仕事の席が
埋まることはなくて、どこかに必ず空きがあって、
じゃーだれやるよ?っていったときに、自分が手を挙げたいかどうか。
そんなところから、手をあげて切り込んでいく。
そういう感覚かねえ。


それで、この新鮮にうつった考えで、
やはり1つにこだわる必要はないなーと思えたわけだ。貴重な考えだ。
むしろ組み合わせが良いと、面白さとかこれはーというものに注力していけと。

関係ないけど。
自分がやりたいことが本当にない人は、
誰かやりたいことをやってる人に意見はできないと思う。
これはルールというものでもないけど、
多分この話が分かる人は、やりたいことがあるのだと思う。
逆に分からん人はやりたいことがない人だと思う。

なんでそんなことがいえるか。
説得力の問題だ。あんた何もしてないのによくゆーよと。
それを言われて反撃できないようでは、やはり説得力ないわけだ。
反撃できるということは、やはり何かしているのだ。
それは程度にもよるが、本好きといって、年間1冊も読まない人は、
本好きとそもそもいえないでしょう。そういう感覚ですかね。

ブロガーと自称する人はやっぱブログかいてるし。
あえて自称しないのもいいけど。

ふむ。さあ、働くとしよう。
ニートを目指すのも一興。

働くって何だ―30のアドバイス

ふむ。
後で気づいたけど、この著者の「会社で働くということ」は読んだ気が。

中学生くらい向けってことで、大分説教くさい。
説教は嫌いではないが、核となるような指針はおそらくこの本にはないと見る。

参考になる程度ってのがやっぱり良いのかもしれないし、そういう本だとも思う。

ありきたりなことを述べても、例えばそれが「自分次第である」というものでも、なんでそういえるのかをその人が考えたものを提示してくれるだけで、
面白くなる。そういう印象はこの本からは受けない。
で、僕が中学・高校くらいにこの本に書かれていることや考えがなかったのだろうから言えることだといえば、それまでであるが。

逆に自分が成長しているという見方もできる。まあ、それでいいか。
というわけで、働くって何かを考える上では、あんまり参考にならないかも。
それは、中高生がじゃなくて、僕のような働くって何かを考えたときに、参考になるだろーと思って読む人にとってね。


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森 清

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敗退

ポルトガル無念。

フランスには、PKで1点入れられて終了。

前半はなかなかよかったけど、
両者攻勢の展開ではなかったっすね。後半は、
ポルの攻め続けでフランスが崩れなかった。

そういう意味でフランスは強い。
ただ、攻撃力はすごいものは見られなかったなあ。

まあ、どちらにしろ、ポルトガル終わっちまった。
3位決定戦で、ドイツとやるから、それみるかな。

うおおお。

パフォーマー

表現者として、もし生きるなら、やはり見せるべきだ。
魅せるといったほうが正確か。見せ付けるという意識でちょうどいいとは僕は思ってる。

誰もが皆表現者だとか、ここでは書いたことがあるけど、
それを意識しているかどうかで大分変わる。
何が変わるかは、その人の生き方であったりするのだけど、
別に意識しなくてもよい可能性は高い。

名古屋駅前で、ギターを鳴らしながら歌を歌ってる人がいたが、
日本人っぽくない容姿から出される歌声はとてもきれいだった。
彼は何を求めて歌うのか。それとも求めてないのか。

地下鉄の駅員は、客を車両に押し込むこともする。
それは仕事だからか、それともそうしたいからなのか。


自分の世界をどう表現するかというのは、本当に自由な領域だ。
白地のキャンパスに絵を描くのと同様。

まず自分の世界をつくって、そいつをどうかねと提案してく。
非常にシンプルだが、自己満足で終わらないパフォーマーとしての生き方
ではないかと。


大丈夫だ。
今まで生きてきたから今いるわけだ。
だからって今後も大丈夫なんて保障はない。
でも、今この瞬間大丈夫だとは確実にいえる。
デカルト的思考なりなり。


イタリアきたか。

2つ

まず1つめ。

華氏451度にあったと思われる。
「コップと水の話」だ。
そっから考える。
コップに水が注がれると、確かに水はコップの形になる。
水はその状態を持たない。液体とかの形体は変わるけど、
変われど、状態は保たない。もちろん、人間の肉体も変わっているのだろうけど。

状態があるというのは、ただその瞬間という結果でしかない。
ギリシャ哲学者に、全ては水だという人がいた。いや違うか。
川の水に足を入れてみる。すると、その足に触れた水は
一度も同じ水ではないというわけだ。

音楽は水だという、上原ひろみもいる。
彼女の言いたいことはおそらく、音楽をライブで弾こうがなんだろうが、
その都度違うということだろう。そういう意味で音楽もまた同じものでもない。

文字も同じだろう。言葉もそうだ。会話もそうである。
同じものはない。それだから、同じものではないから全部大事かといえば
そうではないかもしれない。

状態は結果の連続といえる。結果は結果でしかない。
状態などない。全ては結果でしかない。

結果ばかりを追い求めるのは、やや窮屈だ。
でも、どうだろう。一瞬一瞬が結果だ。その連続といえば、
全て結果と解釈できる。逆に、自分が死ぬまでは結果は出ない、
だからこそ、結果とは死ぬことだともいえる。
だから、全ては過程だともいえる。

重要なのは、水は水でしかないが、
そこに器という考えを入れると、水は器の形になるってところだ。
だから、考えは持った方がいい。自分らしさみたいな言葉は
嫌でもそういうものはもったほうがいい。
すると、現象という水も、世界という見えないものも、
人の心も、そして言葉も、水のように受け入れて取り入れることができるんだ。


もう1つ。
いくらご飯の幸せから、幸せだーというのは、最もであると。
僕にとって、この幸せいくらご飯説は、
鉄火巻きである。鉄火が好きだ。まぐろよりも好きかもしれない。
トロはあまり好きではない。
鉄火食べれれば幸せだ。寿司屋では金のかからない人間である。
だから、僕と飯を食べる人は寿司屋では積極的におごるべきだ。

余裕とは、そういう笑い的なことであったり、
自分をどう思われてもいいという卑屈ではない寛容の態度であったり、
1を聞いて3を返すことであったりするのだと思う。

幸せご飯もその1つだろう。
1つでもその感覚を持っている人間はやはり幸せなのだ。
そういう幸せな人は、やはり幸せを与えろとはいわない。
ただ、自分だけで終わらすのは「もったいない」のだと思う。
もったいないとは「捨てるから」、「使えるのに」だからかもしれないが、
そうではない。
根本的に「人間の力」に使いたい言葉だ。というかそう使う。

さて、自分の力を出し切ってない人へ。
やはり、その力はもったいない。

もっともっと力使って色々しませふ。
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