ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年06月

華氏四五一度

よし。
きたー。かなり面白い。
焚書というのは、本を燃やしちまうことですが、
ない知識でいえば、焚書坑儒ってありましたね。秦の始皇帝の。

言論統制というか、そういう馬鹿なことはできねーぞと。
そういう経験ないと、いやあっても同じことするんですかね。
最もこの本に描かれた世界は言論統制ではないと思われますが。

本というより、書物といったほうがカッコイイか、
その本の大切さを感じた。本当にね。
結局、本って好きとか嫌いとかね、そういうレベルじゃないのだと。
それって本=活字であるみたいな捉え方をしている時点で
分からないのだとにらむ。
仕事を「苦痛」だという視点とか、「やらなきゃいけないこと」っていう見方でとらえると
すごくやりたくなくなる。
別に仕事はしなくても生きていこうと思えば(ここでの仕事はお金がもらえる労働のことをいうだけだが)いけるはず。
最もそんなのやだから、そこまでやらずに生きたいんだろう。
だから、ほどほどの「労働」で生きて、そして「苦痛」だといい生きるのだろう。

そういう中途半端なことやるなら仕事なんてしないほうがマシだと。
そういう意味で、ニートは健全であるといえる。僕はヤだけど。

本が好きな人間はとにかく読まなきゃいけない一品ですな。


華氏四五一度華氏四五一度
レイ・ブラッドベリ 宇野 利泰

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問う瞬間

自分の人生に不安を感じない人はいないだろう。
いや、別に共感を誘いたいわけじゃない。そう信じていたいだけだろうから。

何に価値を置くか。
お金で代替可能、つまり交換できるものに価値を置くと、
大体はお金至上主義になりそうだ。

千円札は拾うなという本の考えを、投資に適用すると、
損きりをしないみたいなことにも解釈できる。

世の中に色々な考えがあり、メリットデメリットがある。
おそらく、そういうメリットデメリットとか、
気づかないというか、おそらくは「気づきたくない」人はいるのだろうけど、
そういう人は、そのまま生きれればいいと思うのだろう。

何度もこの問いに戻ってくる。
考えたやつが偉いのかどうかという、あまり適切ではない問いにだ。

この問いにはおそらく考えることの重要性をいくら訴えようが、
興味ないやつは興味ないから、意味ないんよねで終わる。

見ている点が違うといったほうがいいか。
ホリエモンを見てうらやましいと思った人はどれくらいいるんだろう。
というか、今って絶対に金の時代じゃないっすよ。
なんでそんなことがいえるかというと、確実に人のつながりが、
求められている時代かと。金払って出会うってところは、
そもそも大分間違ってるのだけど、正当化する人もいそうね。

金がほしいのが悪いか!って反論なり、意見がある。
あまりにも単純すぎて、もうちっと考えることはないかと思える。
単純で、それでいいなら別にいいけど、
どうも、そういう単純さと、考えないことは全く別の次元、別の話だと
思うわけですね。というか、多分そう。

考えたくないための言い訳で「単純さ」としての、分かりやすい図式!
として、「金欲しい!」ってことを言うわけ。
すげー薄っぺらい。ダメだね。何がダメかって説明が面倒だ。

金がイランとはいってない。金をうまく使う人間は好きだな。
金に執着するやつと、金が欲しいっていってるやつは、
また違うし。

金って言葉に深みがありすぎて説明できんわ。

で、まあ、問えと。哲学なめるなと。そして結局、
考えるって行為をバカにしてるやつが気に入らないだけだね。
で、考えろーって考えを押し付けたくないから、
やっぱ分からんやつはお互い分からんのよね。

っていったからどうなんだと。

ポル勝利

不覚。
一度は強制目覚めしたものも、夢の中へ?♪いってみたいと?♪思いました。
というわけで、寝ちまったんですが、
さすがポル。

強豪オランダを下す。ふはは。
これでベスト8入りっすねえ。

イングランドが勝ったようなんで、
次はイングランドか・・。滅茶苦茶熱い戦いになりそー。

ドイツとアルゼンチンも面白そう・・。

うお。みてーみてーよ。

全部午前4時か0時っすね。
決勝は午前3時か。鬼だ(笑)

リアルタイムで見るのって大変ねえ。

さて雨降りまくりですが、ポル勝利で調子に乗る。

ラジオを。

ちょっと間あきましたが、ラジオを。
やってみることって重要ですねえ。って話どすどすこい。

ラジオ

企業ファンサイト入門「極楽クラブ」の秘密―ファンが集まるネットマーケティング

ファンサイトというか、まあパーソナルブランディングってところで
興味を持ったので、応募。無事当選って本。

正直にいって、極楽クラブってのについて知らなかったことが
まあダメかもしれないけど、それについては本に書いてあるからいい。
でも、言ってることは当たり前で、なんかこれからファンサイト作るぞーって人にはあまり参考にならないかも。というか僕は参考にならず。

著者が書けるのは、私はこうしてこうしたから、ここからはこういえるよねってところまでで、
最もそれを参考にしたいから本を買う人はいるのだろうけど、
もっともっと噛み砕いた、分かりやすいって意味じゃなくて、
ものが欲しかったなあと思われます。

例えば、文章量を3倍にしてみるとか。そういう話とかね。
もっとも、文章量が多けりゃいいって話じゃないっすよ。
でも、文章も絵も、なんでも。やらなきゃ絶対うまくならないし、
うまく説明できないってのはどうでしょう?否定できませんからねえ。


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大王

大王ときいて、あずまんが大王を思い出す人は、いいね。
いや、あの漫画面白い。よつばといいねえ・・。

で、大王は、黒田硫黄の作品。漫画。
短編なので大分さくさく読めてしまうが、にしても、
なんかつまらないものというか分からないというか、
結局これでどう来るのかってところが消化できてないっすね。
茄子も一緒かねえ。

今の感覚でいえることはこうだ。
この人の描いてるものって、なんか気になる。
ただそれだけ。
2作目もあるっぽいので、買うとする(笑)

とくふく堂

http://blog.livedoor.jp/tokufukudo/

沖縄の古本屋。日本でいちばん狭い(らしい)。
東京から沖縄に移動ってところが気にかかる。

沖縄いったらいってみよう。メモメモ。

ITEB祭りとか

土曜日は東京へ。
土曜日結構充実したので、ダチに泊めてもらって朝のうちに帰宅。
のぞみ初めて載りましたけど、くそ早い。もうバスには乗れない体に(笑)
2時間切るなら、1万でもいいような、まあ安くしてくれ(笑)

ITEB祭りはまあ実質オフ会なんすけど、やっぱ面白かった。
多分、今回で3回目ってところで、大分なれた感があって、
細く長く続く感じがある。主催のpingpanさんが今は仕事に打ち込んでいるといってたので、逆にITEBは放置だとしても、続くなら、
それはすごく良いバランスだと思えるわけですわ。

ものごとには集中すべきときと、放置しとくべきってあるんだと思いますが、
ITEBは今は最低限のことやっときゃいいような気がして、
あと1回、つまりは2年くらいたったら、形になるものがでてくる気がする。
ここは焦らずってところですな。最低限のことってのは、ブログに
「生きてるぜ」って書くくらいですね。

オーディエンスも面白いけども、やっぱプレイヤーになるのが面白い。
いやオーディエンスとしては楽しめるかどうかだけど、
プレイヤーは楽しめるし、面白くもできるから、自分は当然、
人にも楽しませる、面白くさせるってこともできるから、
倍以上に楽しいと思うわけですわ。


とりあえず、東京行ったんで、本屋をチェックと。
まず、三鷹にある「フォスフォレッセンス」へ。
ここで軽く店主の方と話す。軽くカタリベカフェのことも。
うまく何かできたらいいなーと思ってます。突然な感じで失礼しました。
でも、あの手狭な感じとお茶を楽しめる空間と、なんか静かなんだけど、
BGMがクールにかかっているのが、グーですわ。

カタリベカフェってのも、そういうのがいいなーと。
わいわいがやがやよりも、静かに熱い。これだね。天邪鬼っぽいのがいい。
自由掲示板というノートがあったので拝見しつつ、こちらも書いてみる。
やっぱこういうノートは楽しいっすね。
またあのノート見られた人いたら、カタリベカフェに興味もってくれる人がいるだろうとこっそり期待。

太宰好きということで太宰本は結構あったのだけど、
別に僕は太宰治ってそんなに読んでなくて、「生きててすいません」ってくらいで、人間失格くらいですかね。
多分、誤解を恐れずにいえば、店主としては太宰好きが集まって欲しいってのはあるんだろうけど、本の話をしたいんだろうと勝手ににらむ。
だから、カタリベカフェも面白そうとお世辞なりにも言って頂けたのかなと。
まあ、どちらにしろ、あの場所は良い。

半年後にまた行くかもしれやせん。
ちなみに、東京駅からだと東西線に乗って三鷹まで乗ってけばよし。
三鷹行きじゃなくて中野とまりだと、乗り換えっすね。
JRが走ってるから、三鷹駅はJR三鷹駅になりやす。
三鷹の古本屋もこそこそのぞいてきましたけど、
しっかり三鷹マップというので連携されてますね。面白いっすね。

どうでもいいけど、名古屋でも古本マップ作れば面白いっすね。
誰かやってそうだけど。ああ古書組合のマップはありますね。
でも、あれは本当に機能的にどこどこにこの古本があるってだけなんで、
なんだろうな。その古書店の色をうまーく出したものがいいな。
それが無理なら、連携して何かコラボっている話を聞きたいかなあ。

そうなると、古本屋ってイメージは大分変わるんだろうね。
もうすでに変わってるかもしれないけど。


青山にあるBOOK246へも。
http://www.book246.com/
カフェもあって、もっと大き目の店を想像してたので、意外に小さめ。
カフェは分離されてます。世界の都市の紹介の本が印象に残ったかな。

CowBooksも近いのでついでに。
まあ、表参道なんておしゃれなところにいってしまったので、
青山の路地裏にギャラリーってかかれたところで、
お姉さま方が外でテーブルを囲んで談笑していたときには、
「そういうのもあるのね」と妙に納得してしまったりしましたが、
それはどうでもいいとして、Cowは移動店舗ってこともあり、
ギャラリー風に本を売ってた感じかな。

「本屋」って言葉でとらえると、
おそらく本に興味ない人は、この上の3つの店は
全く同質の「本屋」と捉えるのでしょうけど、
残念ながら全く別物です。単においてある本が違うってものじゃなく。
古本屋だとそういう個性が出ちゃいますね。
まあ、古本屋は無愛想親父に、本棚に本ぎっしり上に高値本、
さらに狭い通路、そしてあの本のにおい、ってなものですけど、
やっぱ同質ではないでしょうな。新刊本屋も同じですしねえ。

八重洲ブックセンターと三省堂はやっぱ違うし、
ジュンク堂と・・・。あ、そういや、どっかの新刊本屋まだいったことないな。
ち、思い出したら行こうっと。


ちなみに、自分が抑えている本のネタは全てHPに書いてあるんで、
気になる人はどうぞ。これ自分で見て地図も探しましたしね。
自分が便利なサイトは一番自分が使いますねえ(笑)
http://readmaster.net/hon/book_neta.html

ふなばし駅前図書館

うお。
面白そう。く。

とりあえず、メールしてみる。

こういうところの動きは鬼のように早い。いいぞ。
http://www.funabashi-ekimae.com/library/
こちらがHPになる。
スタッフのブログもありますね。

NPO法人の1つのプロジェクトって形ですね。

かなり参考になる部分あり。
1つは「人の動きがあるところに、本をぶつけてみる」ところ。
こいつは使える。

もう1つはビジネス的に、
「ブックカバーで広告」とか。

これ・・・ぱくっちまおうとか思ったので、そのうち使うかも。
えっと、企業とかどうでもいいので、例えば、
これから絵を描きたいだとか、文章描きたいだとか、
そういう人の作品をブックカバーとかに描いたりするわけ。
そうすると、面白いだろうとにらむ。

それだけじゃなくて、よくありそうだけど、
拠点があればそこの地図をブックカバーにするとか。


あと、WBって軽く紹介したけど、
なんだろ。おそらく、僕が哲学って面白いよって、
哲学を誤解!するくらいな感じで文学も、絵も捉えるべきだろうなーて
思うわけです。
例えば美術展で、何か絵をみつつ、話している人は
非常に好きというか、なんかこれはこうだろうとか、
これ何?とか・・・そういうのは面白いんですわ。

にしても、図書館の学校には大分ヒット率高いっすね。最高だ。
ちなみに、たかお女史の司書漫画は・・・かなり面白いと思う。
県庁の星のマンガを軽く読んだけど、公務員って道があって大変ね。

まとめて

最近アクセス動向書いてないけど、
まあナポヒルはどうでもいいとして、結構面白いキーワードで
飛んでくる人いるのね。意外な出会いがあるのかもねえ。

ま、それはおいておいて。
まとめてアウトプッター。

今の若い人の話。
年上の話だが、(年上の人が話した話という意味)
今の若い人は、非常に大人だという。現実的ということだ。
だから「馬鹿」はしないという。
ここでいう馬鹿とは「非現実的な」ものを夢として追ったりするということに
なるだろう。
これには反論たっぷりできるが、僕にとってはそういう風にとらえているのが
妙に新鮮だったし、そういう感覚が分かるような気がした。
よく言えば慎重派。悪く言えば、保守派ってところか(保守はベクトルが守るなんで、新しいものはできにくいから嫌なんですわ。)

分かりすぎる話。
映画や本もそうだけど、説明しているきらいがあるという話。
なんでも説明してしまうと、そこに考えが入る隙がなくなる。
それは説明があまりないものとくらべて相対的にしかいえないけど。
哲学がはやらないというか、まあ「考えすぎ」という傾向があると
勝手に思ってるけど、それってそういう流れかなと。
考えずに自動化できるのはいいけど、つるべの話と一緒で、
じゃあ結局それで失うものもあるんだべとかね。

説明でよりそいつを理解できればいいけど、
やはりその説明を消化した上で、やっと理解できるのだから、
ただの雑音になりかねないってこともあるわけ。

キャパの小ささ。
写真家じゃないよ。
自分が小さいと分かった。認める。
でも、そう認める自分よりも小さい人間はマスに積んで測るほどおるわい。
まあ、キャパが小さいから大きいからどないって感じはするけど、
自分は大きい方が面白いのでそう生きたいだけって話。

酒を頼る人。
酒の力を借りて、つまり朦朧として何か本質的に思っている事を
言うやつが嫌い。嫌いというと社会的にはダメかもしれないが、
個人的にはすごく自然だ。
そもそも、酒飲まなきゃいえないことなら、言うなってと。
そりゃ酒で楽しみながらって話もある。
でもね、愚痴とかいうやつに限って普段言わないのが
一番嫌やね。ホント。

ポンポ痛い。うう。

サッカー

うんうん。

WBCをネタに奇跡というコメントは多かった気が。
僕もそれはネタとしてはいいなとは思ってたが、
WBCってそもそもなんで始まったか分からんと僕がいってる時点で(つまり野球に興味が限りなくないからなんだけど)、
僕にはネタでしかない。

ブラジル強いっすね。
あれで、レギュラーじゃないんですし。ぶほ。

誰でもボール持って切り込んでこれるし、
ロナウジーニョ怖すぎる・・・。つええ。

なんていうんでしょう。
実力だったんだと、僕は思ってます。これが日本のと。

自分に置き換えてみましょう。
ええ、単にぶつぶついってても、あんま面白くないっすから。

そうすると、実力以上のものは出し切れないというか、
そもそも実力を出し切ったのがアレだと。
これは僕も仕事やら、やってることに実力を使っているわけですけど、
自分の実力以上にはやはり力は出せないわけですわ。
当たり前田のクラッカーでございますが、その通りで。

ここで練習という話を持ち出すのもありですが、それはつまらんので
スルー。

そうですね、展開するとすると、
実力が上の相手と交えなければやはり強くなれないっすね。
そういう意味で世界は広いですし、上には上がいるってことを
証明してくれた試合。これはサッカーだけじゃないってところがポイント。

自分の土俵で勝負というのは、結局自己世界で勝負というのではなく、
もちろん自分の世界観は大切ですが、自分の満足できる世界とは、
そこには実力が上のものがいないわけですわ。
いわゆる無菌室みたいなものですね、表現はよくないですが。

そこで生きてれば、免疫なんぞつくわけもない。
だから、自分の土俵で戦うなんてのは、あくまでキッカケ、
最初のスタートだけであって、社会っていう大きなフィールドから
逃げられるわけがないと。そこはもう大前提になってしまうまなわけです。

自分が実力をつけて、世に問う。
結局サッカーも同じだなと勝手に解釈するわけですわ。

W杯などを経験して、また力をつけていく。
僕もまた自分が大きいなといえるフィールドで勝負をしかけていく。
言葉では説明しづらいですが、あえていうと(ほう
充実して生活しているというのは、そういうことをしているかと思ってます。
そういうことというのは、大きなフィールドで勝負というところです。

これを言葉だけ上っ面の上くらいだけで受け取ると、
海外で仕事をするとか(海外=大きなフィールド)なるのかも。
別に悪くないですけど、安易すぎるのが嫌かなと。
もっといえば、そもそも海外がなんで大きなフィールドといえるか、
別に海外がそうだとは決まってないし、むしろ地元のスーパーに
就職するよりも、小さい世界かもしれないなんて、
「普通」想像できないでしょうね。
それ以外のフィールドを探して、それで海外で、となったのか。
それならいいんですけどね。なんていうか、短絡的なものも悪くない。
でも、それで突き通せるかと。
突き通す必要がない?、それでまたダメなら違うことするからいいって?
そういう問題ではないと断言しときますかね。

自分の力をつけるとは、やはりその人の「学び取る力」とか、
そういうのも力になってくると思いますし、それも含めたものが
実力なんでしょうね。

やはりキーワードは挑戦ですね。
ネタを作る感覚で、かつ緩急を入れて、
やってきたいものです。

さてW杯はもちろんこれからが本番です。
侍は消えましたが、ポルトガルに期待しましょう。
C.ロナウド最高?♪

さよなら人類

人との出会いはどこで生まれるか分からぬ。
精神論や「気合い」を唱える人は、まあ分からんでもないが、
それは「頭使わなさすぎ」でいやだ。

自分のスタイルがないというか、自分の考えがこう具現されてないなら、
それでやってみてどうだって考えがあった。
これはどうやら僕の根底にあるようだ。

別に挑戦しなくても、別に同じようなことを繰り返すのも、
悪くないとは思う。が、譲れないものはいくらでもあって、
それ面白いか?ってのが常に問われる。というか問うている。

単純だ。ただそれだけだ。
だから飾らない、シンプルなところで勝負したいし、
そうやって勝負している人間が非常に好きだ。

夏休みは命がけ!

ライトノベル。
面白いね。ゲーム感覚みたいに読めるってのがいいかなと。
例えば、石田衣良の4TEENに、こんな主人公はまあないわけかなと。
つまり、現実的にいって、まあ高校生だけど銃を扱えるとは
思えないと。まあ、衝撃に耐えられないとか。突っ込みはどうでもいいんですがね。

あとがきに、自殺してもいいかーじゃないですが、そういう問いがあった。
主人公が追いかける相手は自殺しようとしているのだけど、
残念ながら、問いに対する答えではないが、物語の進行が良いだけに、
あまり考えさせられることがない。

ライトノベルとは考えずに読めるという点で、
面白いけど、僕には物足りないという感もあり。

そういや「キノの旅」まだ出てるのかな。よみてー。


夏休みは命がけ!夏休みは命がけ!
とみなが 貴和

角川書店 2002-07
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たまに考えること

人の評価は適当だということ。
これは人に何か言われるたびに思うね。
免疫ってか、抵抗ができちゃった。
だから「お前など生きている価値がない」と言われても(言われたら悲しいけどね)、
大分効かないんじゃないでしょうか・・・。つええな、己。

なんで適当かというと、もっと言葉を選べば、
その人のメガネで(眼鏡を実際にかけているかは関係ないっすよ)、世界を見て、その世界で、人を見る。僕もそう見られる。逆に相手もそう見られるんだがね。

今まで会って来た人の僕に対する評価(好悪含めて)を1000あったら、
1000集めて整理してみよう。おそらく「全人」(笑)的なものになるよ。
ってことはどういうこと?

そう。それくらい、人によって違うってことだ。
ある人は僕を冷たいというが、確かにそれは一理ある。
でも、ある人は優しいともいう。それも一理ある。

面白いことに、一言で性格を表すとか、遊びならいいけど、
あれは無理だ。なぜ無理か?それは「言葉ではすくいきれない」からだ。

冷静に考えてみたまへ。
あの人優しいっていって、本当に優しいって思う人いるんすか?
いたら、ただの馬鹿。いや、おばかさんですよ。
自分が優しいとおもってて、別の人からそう思われてて、
やっぱりねってのはあるけど、これは最初からやさしいと思ってるのがポイント。

あんまりしゃべらないっていう人もいるし、
よくしゃべるっていう人もいる。
ねえ。これだけ書くと笑いが止まらなくなってくるんですけどね。
その適当さの証明であると。

なんで適当っていうかというと、理解というか認識を「適当」にしておきたいからなんですね。僕が。

君はこれが得意だね、っていわれて、
本当に得意かどうかって、自分で得意だと思わないと、
あんま意味ないというか、「8割スッキリ」せずに、「5割モヤモヤ」になる(なんだそりゃ

要は自分が分からんのがデフォルトなのに、
人の評価で分かったつもりになるなーってところかな。
いや、分からんものを分かったとかいうやつに気をつけろってことかな(笑)

分かってもらえないから自分だ、ということもある。
分かってもらえたから、自分だというのもある。
これ、どっちが選べって話ではないのであーる。残念ながらね。

ネタネタ

日経ビジネスから。

Gyaoみたいな動画配信サービスがあるが、僕は全く知らないのだが、
インフラに負担をかけているみたいな話。
からくりというか、ポイントは、
ネットの負荷ってものをあんま見ないけど、結構あるんだぜべいべーと。
で、そういう負荷ってのがあるのが一方的でさー、旦那って話。

だから、コンテンツ配信というGyao側は、滅茶苦茶DLされるだろうけど、
逆に上がりのアップは少ないだろう。YouTubeとかあるけど、スルー。

で、そういうインフラ利用料って、つまり回線使用料ですけど、
あとコンテンツ利用料とかね、で代金徴収できないみたいっすよ。
それくらいインフラって金かかるし、ペイできないんだなと。


次。
愛国心通知表の話。
なんかありますね。そもそも、国を愛するってことは
美徳ですとか、他国は他国でいいわけで、自国は自国でいいわけじゃん。
サッカーで何言われようがやるやつはやるよ。
ってレベルで考えると、やっぱ愛国心ってのはどーなんだろ。
そもそも、愛するに何で評価がいるのかねと。そーなると。

ゆとり教育ってもう終わったんすかね。
なんかあれだ。戦略が見えん。ただ闇雲にやってるだけにみえる。
国民のニーズにこたえる?なんていうのとは違うだろうし。

次。
「偶然とは何か」のレビュー。
面白い文が。それは、バスの中で友人とばったりあっても、
それは他人と乗り合わせるのと等価であると。
ああ・・そうかもしれんと思った。まあ、等価かもしれん。
で、気になったのでそのうち読みそう。

色のない世界。
色を失う人の話。全部が灰色に見える。
む・・・。これは滅茶苦茶気になる。読もう。

ネットゲームの話。
今ではないけど、今のネットゲームのスタイルは、
プレイが無料で、アイテムが課金制だ。
ゲームに疎い人はなんのことやらと思うかもしれないが、
一時56kモデムがはえー時代に、プロバイダにあった従量制みたいなもんだ。
まあ違うけど。
実際にユーザは登録して、無料でゲームをできる。
が、ちょっと良いアイテムとか、ユニークなものは、お金を出して
買うことができる。それが狙い。
実際に月に有料でお金を取るより、儲かるそうな。
でも、無料でやり続ける人(ボクです)も多いので、
どうなんだろうというのもある。

例えば、ヒノキの棒に300円とか出すわけよ。
それは好きなことにお金出すわけだからいいけど、
それはどうなのよ。リターンあるんすか・・・。
損得で考えるなとはおもうが、ゲームの世界にお金を落とすのは、
遊びでしかないよねえ。よくいっても、ネット上で楽しく過ごすくらいで
中毒になっちゃうとまずいよん。
とにかく、学生とかが貴重な小遣いをこれにつぎ込むのは
オススメしないなあ。ってか、そんなやつはいないか!んだね。

ファインモールド。
すげー精密な模型を作る会社。従業員5人。
プラモデルを作るのに、ありとあらゆるものを調べる。
そういう姿勢はプロである。さすがだ。
仕事ってのはやっぱそれだよ・・・。


んだんだ。

うーんと。

書くこと大分溜まってきたな。
そろそろドカンと書いときたいところだ。
まあ、貯めるってのも一興なり。

ところで、若さはいいという人はいるが、
僕はそれは実に年上からの意見でしかないと思う(ほう

それはこういうことだ。
じゃあ、若いからいいねーというのは、また若くなりたいかね、と。
これは肌が若いとか、若く見られるという外見的なことじゃない。
年齢が若くなるということだ。

実際に僕はそうは思わない。
また高校生の頃に戻りたいとは思わないし、学生に戻りたいとも思わん。
今が一番いいと思ってる。一番よくなくても、過去がよかったという
人間はどうも苦手だ。今を否定しているようにしか聞こえないしね。

若い人間がいいという瞬間に、自分は若くないとなる。
ここは恐れずにいいたいところだが、おそらく年齢は無関係であり、
対等であると同時に、アドバンテージは年配だと思える。
体力的なものも、経験で補えるし。
って、こんな話、前も書いたな・・・。結局一緒じゃないかって結論だったな。今も変わらんね。

若いってことは、相対的に舐められる。
この舐められるってのは、大学生にもなって、チャリこいでたら(これは大学生でチャリをこぐってことではなく、次の部分に係るのだが)、
店のおばちゃんに「ボク」と呼ばれたことが脳裏に浮かぶ(笑)
ぼく・・・か。ぼくだよ?♪って言いたくなりそうな、テンションになりそうなくらい、イラついたわけだが、
まあ、そこはRM。ぐっとこらえて、「あんころもち」を頼んだわけだ(笑)
さすが、静岡ときたら、安倍川もちならぬあんころもち(あれ別じゃないか?


だから、年配の人と会話することは非常に神経を使うことでもあるのだ。
スキルが試されるというのでもある。
よくいう、年の差が離れたコミュニケーションとは、滅茶苦茶難しい。
これは、技術的にではなくて、慣れがないから難しいというところだ。
簡単に交流なんぞはできない。そういうところからスタートしたいボク!の考えでいけば、すんなりいきそうなんだけど。

そもそも、人は矛盾している生き物だと。
自分を分かってくれるなとロックするのに、自分のロックを聴かないことに腹を立てる人もいるわけだ。
矛盾しすぎて、それが正論となる。矛盾という状態が正でもあるといえる。

年齢が上の人は下の人に話す場合でも実は同様だ。ああ、上からの続きね。
やはりスキルが試される。
あんた若くて何もしらんねーとか、わたしゃ知ってますがながなとか、
いってる人は一発で見抜けてしまう。残念だが、そんなハリボテさんは
用はないのだ。

人を否定するな、悪く言うなというのは、ある種正しい。
でも、ある種間違っている。そんな出来た人間おらんぞ。
嫌な人間の方が多いじゃないか。。。。それでいいじゃないか。
何も嫌な人間「ばかり」じゃないし。そこんところ大事なんだけどなあ。

自分を否定するのも大切だし、セルフえすてぃーむ的なものも
必要なんだろうけどね。

で、これはとくに書きたいことではなかったのに、
書いてみた。

さおとめのオーラパンチみたいに貯めて放出ってのも悪くない。
いや、むしろいい。

ところで、ダチがバトンやってるのがわからん。
暇つぶしとか、面白そうだからってやるならいいけど、
そういうオーラは伝わってこないっすね。
バトンをついに全否定し始めた。うはは!

そのうちバトンやってる人を全否定しそうだ。
まあ、そうなったら、合戦だぜ。うほほ。

おっと。
韓国とフランスが引き分けたとかはどうでもいいけど、
その選手名が書かれると本当に「戦争」している感覚になる。

にしても、ブラジルつええな。
日本には悪いが、もし勝ったら、ダチになんかプレゼントするわ。
まけたら、やっぱりねといってやる。

クロアチアのユニフォームすげーチェックだなあ・・・。

現場主義と最前線

常に最前線に立ち、砲弾を浴びるようなことをしなければならないか?
いや、そんなことはない。

現場主義とは結局主義でしかない。主義とは思想か考え方ということでしかない。それを受け入れ、または知り、消化し、実践するのは、やはり
それを受け入れ、知る、そういう人次第でしかない。

僕の考えは偉大であるとか、そういうことはまずない。
自分の考えているところは、別の人が少なくとも100人は考えている。
いや、普通にいえば、1万人くらいは考えている。

でも、差別化理論、個性理論?によれば、
つまりは、個性とか自分ってアイデンテテの話になるだろう。
そこでは、自分とはやはり他人とは違う。同じ部分も、もちろんあるんだ。

だから、1万人に共通する「考え」があっても、
そこに自分の考えを投入する。そこで1000人くらいにはなる。
これは、小説家になりたい人が実際に小説を書く人みたいな前書いたような話と同じだ。ある本の引用でもあるが。

さらに、小説を書くとは、何も400字では終わらないだろう。
それだけだとショートショートくらいでしかない。
小説とはもっと長いものだ。
って意味で書きとおす人はどれくらいいるか?
1000人いたら、100人くらいではないか?

実際に考えを「ある考え」にぶちかますってことは、それと同義ではないかと。
100人のうち、その小説を人に見てもらおうという人、
自分でそこで満足しない人はどれだけいるか?
それは、自分だけでは「趣味」で終わりたくない人だろう。
10人いればいいのではないか?

最後にこうなる。
10人のうち、「これだめだね」といわれて、
やっぱ自分に才能がないと諦めるのか。

あとはもう、諦めないことくらいの領域だ。
あとは運もある。
自分とほぼ同じ人間がいたりしたら、その人が自分の代わり?になるかもしれない。でも、それは結果でしかない。

もちろん、才能というのもある。
でも、才能とかセンスってのはほぼ同じで、
元々素質があるってのはヤヤ違う。
なぜか?そういいたくないだけであるが、
そもそも、何もやらずにそれだけでやってける、
つまり、食えるということだが、そういう人などいない。

それを「才能がある」といって一言で片付けなくても、
そうしてしまっているきらいはある。
だから僕はそういう「才能がある」という言葉は嫌いで、
もちろん言われれば嬉しいが、それは使いたくない。

もちろん、実力だとかセンスとか、才能もそうだけど、
あるからってのもある。
それを努力のすごさとか、意外性だとか、斬新さとか、色々あるだろう。

百歩譲ろうが何をしようが、それだけそのまま、自然で、という才能などは
ありえないということになる。
だから何か「これいけるかもしれん」と思ったら、
くどい?くらい、好きだから、それを磨くべきだ。
それは石ころを磨けばダイヤモンドになるという「お話」ではない。

なぜそれを言い切れるか?
実際には、世の中は石ころが多いのかもしれない。
でも、それを磨くことはできる。ダイヤモンドになるかは、
おそらく「石」がダイヤモンドになるわけじゃない。
ダイヤモンドだと元々は「石」だったものが、
同じ「石」なのに、そう見えることに意味がある。

それは、自分の見方だけって話もあるし、
ある種の信念(これは新興宗教などでもそれを絶対正しいと思う人間で、
さらに人に強硬に勧める人とベクトルが違うだけで、同じ気がする。
だから新興宗教の勧誘がいいなんて一言も言わないが)での話にもなる。

自分がどうしたいかが大切だという。
僕も自分次第だとも思う。

でも、肝心なのはそれは「人の意見を聞かない」ではない。
ここは勘違いしやすいところだ。もちろん、そうなることもある。

自分の意見を言うあまり、人の意見を聞かないこともある。
意見を聞くあまり、意見をいえないこともある。

どうなろうが、自分は自分でしかない。
他人ではないのだ。他人な自分などありえない。文字通りありえないのだ。

何が大切か。
逆に大切なものなどないかもしれない。
大切だと思っているものも実はどうでもいいかもしれない。

楽しむというのは、大変だから楽しむというのでもない。
純粋に楽しいは楽しいでいい。理由はあまりいらない。
人に軽く話すきっかけ、きっかけでしかない。それでいいのだと思う。

生き方が人自身にあるなら、
僕も僕自身で生きる。それはそれですごく面白くはないか。
すごく面白いことだと思う。
ここには、冷たさなどない。冷たいと思う人は、
人間の熱さを知らないと。言い切ってしまって、僕はスルーする(おぉ

時間でお金を買える

ダチんとこみて。

どういうことかというと、買えるんだと。
この買えるって考えが分かりづらいのは、
経済学でよくある、機会損失って考えが多分分かりづらいと思われる。
その考えは同じだといってみる。

機会損失ってのは、多分、本来はこうあるんだけど、そうならないから、
損失ってことだ。ポイントは実際に損失があったわけじゃないけど、
ミスミス機会を・・・逃した!損だ!ってところ。「実際にはない」ってところがポイントだろう。

似た話では、チャンスな話がきた。
で、それに飛びつけばややリスクはあるが「面白い」ことができそうだ。
でも、それに飛びつかなければ自分の今のことはそのまま保てて、
崩れない。

そーだなあ。例えば儲け話とかね(ちなみに、儲け話などこの世に存在しないことをおすすめする。存在しないという信念?をおすすめするということ。
儲け話を一緒にやるという人はまず自分の力ではできないからといって、
頼ってくるケースだが、それは他の誰でも言えるパターンもある。
さらに、その時点で金に目がくらんでいる。金が悪いのではない。
目がくらむ人間がアウトってことだ。自分で自分の身を滅ぼすのはありだ。
とはいえ自殺を奨励しているのではない。話ではなく、
自分で考えたものをもってこいと。そこまでいって引っ込めるなら、
それまでの話)、ってことかな。

そういう場合、機会損失になる。
そういうチャンスに飛びつかなければ(控えめにいえば、そういうチャンスを掴まなければ)どうにもならないわけだ。
これをそういう考えを踏まえて上で「世の中結果だ」という人もいる。
それについては全く同感だ。結果とはやはり過程をも表すのだ。
中途半端にやってたらそこまでであると。そういうことなのだ。

時間を金で買う場合、問題はある。
新幹線で3時間短縮した場合、短縮した3時間を何に使うかだ。
それを自分がしたくないこと、例えば本を読みたいのに、人と話したとか、
人と会いたいのに、寝ていたでは、結局意味がにゃー。
ここでの意味があるとは、3時間をどう有効に使えたかってことだ。その人にとって。

だから、短縮とかでの意味で時間は買える。
でも、それは時間を買ったことにはならない。って意味で、時間は金では買えない。

買った時間をどう使うかまで評価に入れるというか、
見なければ買ったことにはならないと思える。

だからこうなる。
睡眠時間6時間の人と、3時間の人を比べて、
3時間の人が時間を多くもっているとは間違っても考えてはいけない。
なぜいけないのか?
単純だ。その6時間睡眠の人と、3時間の人では、
人がまず違うのだ。これを同一視して、同じと考えるのは危ない。

時間を絶対量だとは思っていけない。もちろん24時間ってのは
「分かりやすい」目安だけど、別に24時間ってのは、一日を
うまく表現しているだけで、便利な目安でしかないのだ。
時間を2時間増やしたら、じゃあ2時間快適に過ごせるかは、
その人のお金の過多ではない。金があればいいのではない。

どう時間を過ごせるかのスキル、ここでは自分の時間をうまく
使えるってことくらいの意味だが、それができるかどうかだ。
やれるかどうかっていったほうが正確かもしれない。

とにかく、結論的には、金では時間は買えにゃーっす。

残念!
買えると思って、金ためて買っても、多分時間の使い方考えた方が、
節約的かつ、現実的かつ、効率的だと思われます。
うはは!

うおー

サッカーみわすれちょったわい。

で、ロスタイムくらいでなんとか終了くらいで、
引き分けを知る。

流れ的には、ブラジルに全力でぶつかれる気もする。
いいんじゃないか。
まあ、進出には難しいかもしれんが、
クロアチア戦みたかったな・・・。くー。

ブラジル戦はみたい。

ところで、ポルトガルとイランもなかなか良かったなあ。
ポルつええ。キープ力7割。

にわかサッカーファンは吠える!
ふぃーーーご!

稽古場カフェ

ラジオでゲットした。
面白いことしてるね。
http://www.keikoba-cafe.com/main/whats.htm

企画としては、32日?間で、見ると、3ヶ月くらいってことになる。
なかなか面白い試みですな。

ダンスを見ながらカフェですか。いいかもしれん。

これは、カタリベカフェにも参考になる。
つまり「語る人間」を見ながらお茶をすするのも悪くない。
むしろ、楽しいかと。なんかこう思わず「笑顔」になっちゃうし(笑)

ベロシティー

#あ、アップし忘れてた。
#高知熱い。酒消費量か、販売量2位ってすげーっすよ。(日経から)

届く。
うむ。高知もなかなかやるのう・・・。
大歩危小歩危はいってみたかったかもしれん。

って、本特集は結構バラエティーに富んでるかな。
移動図書館とかもあるし。本の紹介というベターなものから、
きっちりという感じか。
もちろん、高知ってところで高知にある店なんだけど。

タイトルが「幸せなら、本を読もう。」となっている。
でも、「幸せだから、本を読む。」のほうが僕のイメージには近いと
軽くいってみる。

もっといえば、
「本を読む幸せがあって、その幸せは本を読んだ人にしか分からぬ」
で、幸せには色々あるから、ここでは本を読む幸せってことだけ。

なんかどうでもよくなってきたけど。そんなところ。
でも、こんなミニコミ誌あるのね。クールだ。

ちょうちょぼっこ様、あっざーす。

トド整理

電通鬼十訓を愛するわけではないが、
やはり仕事は創るべきである。
逆に無駄な仕事を作らなければ、有用な仕事なども分かるはずがない。

物事はバランスだというのは、平均的なところをやっとけって
意味じゃない。ここにも消化が必要だ。
物事はバランスだというのは、若くなければ年をとったことも分からず、
失敗しなきゃ成功も分からないし、お金に困らなきゃお金の大切さが、
そして健康も病気したりせんと分からぬ。

どちらかを志向するがあまりに、足元、つまりは現状を
見失う・・・とまではいかなくても、忘れていることがありそうだ。
物事を良い風に考えるのはいいと思うが、悪いことを考えないというのも
ぶっちゃけ、実際悪いことがおきたらどうするのよって突っ込みたくなる。
まあ、ここはおそらくベクトルが違うのだろうから問いとして成り立たないだろう。

HPを久しぶりに更新。
先月は11冊読んだね。今年は結構ペースがいい。
一年前より仕事量+労働時間は今のところ増えているが、1.5倍くらいっすかね、ペースは増している。
むう、キャパ増えてるんじぇねえか。くそう。

来週は東京入り。これでITEBオフ会もトータル3回。
全出席。皆勤でもねらうか(ぇ
そして祭としては初の試み。
やっぱ失敗しても、チャレンジングなことが面白いっすね。

ああ、ブログの横も整理すっべべべべ。

神様、何するの…―白血病と闘ったアイドルの手記

なんで読もうと思ったか忘れた。
まあ、いいや。

とりあえず、僕はこの方知らんです。
という意味でこの本だけで吉井女史を判断するのはかなりまずいんだろうけど、
白血病と闘うのはいいのだけど、これは成長記だと良い意味で、自己消化されている話。自分はこうやってやって乗り越えた!というような形ではないし、
ってところですかね。
自己消化と書いたけど、まあそれはいいか。

仕事、いわゆる芸能活動といえばいいのか、それに対する執念がすごいとまず思う。
ちなみに、僕は体調悪くても「仕事の面子」に迷惑かける、「お客さんに迷惑かける」からといって、体を引きずってまでも仕事をすることはない。
最近の若い人はそういう傾向あるかもしれんが、傾向はどうでもいいとして、
ここは視点の問題になるはず。長期的視点では、仕事をよりよくするには、
しっかり体調を直して望むべし。短期的では、とにかく仕事をすべしだ。
どちらがいいとはいわない。僕は長期的視点を重視しているきらいがある。
それに、仕事にもよるし、まあ要因はいろいろあるだろうね。

執念と書いたが、強迫観念のように、彼女はいじめられた経験から、
人から疎外されることをすごく嫌がる。まあ普通はやだけど。
でもそれが過剰になれば、誰からも嫌われないように振舞うことになり、
八方美人の出来上がりだ。という意味のストレスをよくバランスとってるなーと思う。

個人的に、テンションの上下が激しい人は苦手だから、僕も苦手なタイプかもしれないと勝手に推測。

最後には、吉井女史は復活をし、おそらく今は仕事をこなす毎日になっているのだろう。かなりすげー復活だと思う。

成長記として読んだり、ファンが読んだりすれば、なるほどなーと分かるかもしれない。ただ僕という人間が読んだ時、結局、彼女は何を伝えたかったかがぼやける。

もちろん、自分の闘病経験をとか、心の整理に、それこそこのブログ的にってことはあるだろう。でも、それでも何か伝わるのだと思う。
実際にこのブログは自分のために書いているが、そのパワーを開放!(宗教じゃ!)して、
それを逆テイク(つまり、ギブ。決して撮影じゃない)することを狙っていたりもする。裏の狙いはいくつでもあるのだ。創れるし。

一番の不満はなんだろう。
おそらく、彼女がそこまでアイドルとして、芸能人としてこだわる理由が、
執念なのだが、見えてこないってのがある。文章でうまく説明できないから、
そこまでだろうと、いってしまえばそれまでだろうが、
どうもそれとは違うようだ。

確かに読んでいて泣きそうになったが、泣いてはいない。舐めるなー(おぃ
目立つことが好きでそこまで出来るのかと、色々問うてみる。
僕にはほとんど理解できてない。
究めつけは、アイドルじゃない自分は自分じゃないというところだ。
結局これは、退院してから徐々に解消されていく、いわゆる若気の至りみたいなものかもしれないが・・・

そもそも、自分というものは、80くらいになっても分からないと。
それを若造が!といってもいいのだが、そこはスルー。
アイドルってものが期間限定のものってことを熟知しているからこそ、
そこでやるってのはかなり戦略的だ。

例えば、今しかできないというのは「好きな考え」だが、
ヤマンバギャルみたいな人が「今しかできない」というのは、
一周してしまった考えで「字面」は同じだがおそらく、違うと思ってる。
というか、ヤマンバと一緒にするなと、ヤマンバが僕に思うのと(思ってない、おそらく僕は視野に入らないから(笑))同じ程度に思っているだろう。

で、このヤマンバちゃんと同じレベルで、吉井女史のアイドル執念をとらえてしまった。これはどうなんだろう。まずいのではないかと。

理屈ではない。好きなものに説明はいらない。
最もだ。でも、自分の命を捨ててやるってのは、はてなだ。
自分が死ぬかもしれない恐怖と戦う以上に、自分と戦っているというか。
死ぬのが怖くないなんてのは、普通ありえないのであって、その死と闘ったのではなく、文字通り「自分」と戦っていたのだと。
これは良い意味ではない。

自分と戦う前に死と闘うのか、死と闘う前に自分と闘うか。
意味のない問いか。
明確なラインはない。でも、同時発生的説を当ててみると、
両方考えるべきだし、そうならざるをえないと僕は考える。

彼女は、自己消化として、アイドルとしての自分を考えている。
そしてまた、友人の裏切りなどともあげている(おそらく、失礼な言い方になるが、大したことではない。何が大したことではないかというと、それは彼女にとっては大きな出来事だった!かもしれないが、よくある話だ。
とくに、女性には典型的にみられる小グループ傾向がある。自分が輪に入ってないとのけものにされるあれだ。ちなみに、女としていばってリーダー格みたいな人間は一度殴ってもいいと思う(過激)。いや、なんとなくね。)が、 まあ、それらが自己消化だろう。あと家族とか、自分のこれからってのも全て含む。

次に死との戦いだ。
それは白血病は死なないというか、タチの悪い病気であるくらいの認識で
構えていたというところにあるが(ちなみに、僕も白血病がガンだとは思ってない。白血病は確か、血液に存在する白血球が不足する病気なはず。
そうすると免疫なりがなくなってやばいって形。ガンって悪性のガン細胞の転移、増幅、で健康な細胞が侵されることだろうと理解している。まあ、なんでもいいわ(おぃ))、まあそれはそれでいいのかなと。
で、自分はもう復帰できないし、ってところで、死をさまよったというよりも、
苦痛をさまよったというインパクトはこっちには伝わる。ずっとはき続けるとか、注射を打たれまくるとかね。痛々しい。
でも、それは死と向き合ったというのではない。おそらく、それが結果的に、これは重要なことだ、結果的に「マイナス」思考なり、「もうだめだ」ということを思ってないから、さらに母親との相性もあり、すごいスピードで回復したのだと思われる。
でも、これは本当にいいのか?と。

別に吉井女史を殺したいのではない(おぉ
そうではないならなんだ?深くもっと考えねばならぬということか?
いや、それもやや異なる。

自分の経験したことは、全部は消化できないかもしれない。
でも、考えるときには考えた方がいいと思う。
ということは、長期視点・・・から短期で集中・・・また長期というサイクルを繰り返すってことになりそうだ。

やはり、何にこだわっていたのかが見えないというところだろう。
自分の仕事に対する執念でそしてそのまま死んだら、「働きマン」は好きだが、
それは滑稽だ。ビジネスホリックでも健康管理はすげーやってると思うわけで。

さらにいってしまえば、何をイッチョルのかねってところになる。

と、結構言いたい放題だけど、アイドルとして好きーって人が見たら
面白いのかもしれない。僕にはどうでもいい。
と思うのと同時に、彼女からも僕はどうでもいいのだ。

やはり自分の土俵で戦うべきだろう。
つまり、芸能と文章でバトルしても意味がない。
そこで表現されるもので争うべきだ。(ほう


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吉井 怜

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上司論

上司がいる。
いくつかパターンがあるが、なんか人間っぽい。
何が人間っぽいというか、そもそもこの言葉はおかしいけど(うひゃひゃ)
それはスルー。

人間っぽいというのは、その人らしい、その人次第というところ。

僕としては、責任全部取ってやるから自由にやれという上司が良い。
もちろん、本来はそうであるからこそ、人は育つのだが、
どうもそう考える上司ばかりではないようだ。知らないけど。

人に指示を与えるには、
説得力と、そこから生じる魅力と、ぶれない軸が必須だと。
説得力があるとは、結局自分に嘘をついてない、考えが筋が通っている、
朝令暮改?とかにはならないってことになる。

自分がきっちりやっている人は、人にいっても説得力がある。
この説得力は非常に大切だ。説得力がない人間が何をいっても、
誰の心にも響かないだろう。その人は害のない嘘をついているのだから。
害がなくても嘘は嘘なのだ。

魅力とは、外見に出るのは最終形態であると考えている。
見えないものが大事といって、外見をかまわないのはややナンセンスだが、
自分は外見をかまうのはどうもという人に押し付けるのもまたナンセンスだ。
だからその人らしさというのは大事なわけで、誰も均一ではない。
100円均一だからといって、商品も1つしかなければつまらないだろう(関係ない)。
内に秘めるわけではないが、見えないものから湧き出てきて、
結局外見になるのだ。そういう意味で、人の顔はそれをよくあらわす。
別に顔相とかじゃないっすよ。
目で大体わかる。好きな人に対しては瞳孔が大きくなるとはいうけど、
ま、それはどうでもいいとして、
良い顔と呼びたいものとして、大きな目(目自体が大きいのではなく、大きな瞳というべきか)、笑顔で口元がやや緩んだ感じ、いわゆる笑顔ってやつで間違いない、
落ち着いた顔、多くのものを見てきた顔、まあ色々あるけどこんなもので。

そういうのは、外見をいじってなるもんじゃない。
盛者必衰は、自然の流れかもしれないが、良い顔は時が作るものだ。
それは誰もごまかせても、意味がない。
真に大事なのはごまかして見せるのではなく、ごまかさずに見せられるものだからだ。

最後にぶれない軸。
軸とはまあ考え方だけど、考え方自体は柔軟であるべきだ。
話を聞こうとしない上司というのはよくあるけれど、
その上司はおそらく上司という自分のことばかり考えているから、
そうなるのであって、もしもうちょっと視点をもっていたら
別の人間になってたかもしれない。

考えるという行為についても、「そんなに考えて面白いのか」という
純粋な問いがある。これは僕には分からないが、
そういう人は大体において「考えなさすぎ」のことが多い。

ウンに任せる人生もいいだろうけど、緩急とターゲットと
力を使うベクトルとパワーが理解できなければ、
お互いに分からないものだ。僕も分からないし。

やはり、人を批判したりは、あまり面白くない。
別に批判はいいけど、自分自身が説得力あるかないかは、
自分が良く分かる。

自分の言葉になってないものは、語れないし、心に響かぬ。
消化が甘いのだ。しっかり噛めと。
何を今までしていたのだと。甘いわいと。そうなるのだ。

さて、理想の上司はどうでもいいが、
余裕は求められる。余裕がない人間はどうにもこう潤い成分がないのか、
カサカサしてきて、人間関係の円滑油などとはもっとも程遠い、
つまりは、水!になってしまう。
火事の時に使うバケツの水も、火事がなければ単に邪魔なバケツである。(?)

どういう人間になっても、自分が責任を取れば良い。
でも、そういう責任を取らない人間が、ぎゃーぎゃーいってるわけで、
結果的にこれは「本当にすごいやつはもうここにはいない」理論につながっていくわけだ。

これはコペルニクス的転回レベルであるのだが、
実在する人間はだから「小さい」人間でしかないと。
もっといってしまおう。身近な人間を大切にしたほうがいい。
身近とは周りの人間というよりも、普段接していて、
ちょっと大切にしたいと思った人をという程度のことだ。

むかつく人間にストレスをためることはない。
むかつく人間などは、そのまま滅びる。自滅のみである。アーメン。


大丈夫

大丈夫という言葉は、
大体、不安とか、ちょっと心配なこととかあるときに、
使うことが多い。疑問符をつければ、色々な含みを持たせられる。

自信家という種類の人間はいる。
僕はその部類に入るかは甚だ不明だが、
問題は自信がどう自分につながっているかでしかない。

自信を公にばらまくことは、良いかどうかはあまり意味のない問いだ。
本当にすごい人間は「自分のことをすごい」とは言わない。
この「本当にすごい」人間理論によれば、
芸術的な人々、俗に芸術家は、どうしても言葉で語ることを「その手芸」においてやるために、どうも言葉が吹っ飛んでいる。

俗っぽいというか、巷に転がっている芸術家なんて芸術家じゃなくて、
そいつは、どこぞの専門学校でてそれで何かやってりゃ、
芸術家になれんだろうという、そもそも核を見失った人々だろう。
言いすぎかもしれんが、まあこれくらいいってもいいだろう(誰に?

俺はすごいという人間ですごいという人間はみたことがない。
いやおそらく一生僕は見ないだろう。
僕は謙虚を美徳とはしてないが、自信満々というのもあれだ。
そこは日本人らしいのかもしれない。ステレオタイプちゃんだけど。

スゴイといってる時点で無駄なパワーを使っている。
だから、そのパワーは別のことにつぎ込むべきだと。

同時に、自分がすごいと思われたいなら、
人に「自分がすごい」なんていったら、普通「すごい」なんて思わない。
かなり宗教くさい。

勘違い思想なのは、アメリカン風に、なんでも言うべきで、
「俺の腕はすごいだろう。なんでもできるからな」
というのは、よくある話だが、これはやや誤解を招くというか、
冗談であるべきだ。こんなことを抜けぬけいう人間には、
おそらく余裕がない。決め付けてみよう。

どういうことか説明は面倒だからしないけど(おぃ
とにかく、自分はすごい人間ですっていうのは滑稽で、
どっかの街角に「私はあなたを幸せにできます」風に言ってる人と
あまり変わらない気がする。というか、同じでいいと思う。そうする。


認めてもらいたいから自分を主張する。
そして事実を述べているのに、空回りする。

ふむ。やはり人間とは、戦略であり、何か考えがないとダメだなーと思う。

事実を言えばそれで済めばいいが、それでは回っていかない。
もっとも、これは言いたいことを言わないって意味じゃない。
そこらへんのアナウンスと消化が不十分だから、結局「世の中厳しい」だの、
「社会人は大変だの」というわけだ。

人は自分の度量とか、キャパシティー以上にはなれない。
逆にいえば、どんな人間でもどんな人間にでもなれるわけだ。
視点だ。考え方だ。結局そうなってしまうま。

自分の能力を認め、それに基づいて行動する人はほほえましい。
しかしながら、自分の限界をセットして、枠にはめてしまうのはやや痛々しい。

考え方とは、残念ながら、固まるものじゃない。ジェルみたいに、
どろどろな感じかもしれない。
それは20代にぱっとできるわけでもない。
残念ながら、毎日の考えの積み重ねでしかない。
だから、日々が大切だと、すごくありふれた言葉になる。

重要なのは、自分は変わらないことから、変わることを学べ、
変わることから変わらないことも学べるということか。

最後にこうなる。
大丈夫だと。

当選

そういうスパムメールではない。
本があたった。ありがとう。
ファンサイトを作るってやつ。

こいつは、マーケとかブランディングに使えそうだ。
にしても、本は買ってでも読むから、当たっても嬉しいのだけど、
なんか不思議な感じね。

WB届く

ワールドベースボールではない。
全く(えぇ

全ての野球ファンを的にまわそう。

WBとは「早稲田文学」の略だ。全くあってない気がするけど、
それは気のせいだ。

早稲田文学という雑誌があって、そいつが廃刊っぽいから、
こいつはやべーってことで、フリーペーパー化して
支えるってことになったらしい。
いや、詳細は知らんよ。ちゃんと調べてね、なんていわなくてもいいのが、
このブログの読者である。すばらしい。

実際に見たことないので、直送してもらって、ちょっと前に来た。
4冊ある。ふむ。がっつり文学雑誌っぽいが、文学はまたそれでおもしりゃー。

知らん作家ばっかりだぎゃ。
だぎゃだぎゃ。

で、18日、日本ふんばれ。しつこく応援。

サニーサイドアップの仕事術

ホワイトバンドがすげー気になったので。

この本は、サニーサイドアップがどういう仕事をしているかという本で、
ホワイトバンドのことは多分一切かかれてなかった。
まあ、それはいい。

で、ホワイトバンドってのは、このSSU(省略形ね)のクライアントである、
それこそ、中田ヒデだとか、大黒まきだとか、おとたけちゃんとか、
そういう人が多分CMとか色々なところで、ホワイトバンドをつけて、
「貧困をなくすために」とかいって、その代金は「寄付される」ようなことを言ったのだと思う。いや、どうだろう。寄付はわからんぞ。

単に「貧困をなくすために」ホワイトバンドをつけようというか、
単に「ホワイトバンド」をつけることが、貧困をなくすっていう
意思表明になるってことで、つけるというただのおもちゃといっていいかな。

で、Wikipediaが分かりやすかったので。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88

そもそも政治資金をため、そいつで政府に働きかけるっていうものを
僕ははじめてしったのだけど、そういうのって日本にはあるんかいなと。

よく分からんけど、SSUの人はおそらく馬鹿ではないので、
批判を浴びることも想定内だったのかも。だから、寄付もしたみたいなようで。

僕の考えでは、政府ってそんなお金ためて動くものかねーと思ってしまうので、
「直接」寄付はいかないのが批判されやすい原因かもね。
でも、この直接寄付ってあんまよくないってのはちっと考えれば分かる。
親になんでも与えられた子どもの弱きことを考えればいい。これでアウト。

ホワイトバンドみたいな、活動、NGOといえばいいのだろう、
そういうものの理解を求めてもほとんど無理だろう。
そもそも、かっこいいから寄付っぽいからって食いつく人は
悪いけどそこまで考えてない。

PR会社で、ブランド創り会社だからこそ、徹底的にそこは考えたものと思われる。
で、批判はおそらく、「やられた!」って感じがしたんだろうね。
そりゃいいけど、ところでこの政治活動資金貯めにバンドを買った人がいるとして、その報告ってされるのかしら。

当然、ホワイトバンドの箱?とかに説明書あって、報告しますーってあるんだろうね。
そういう用途、使途があいまいだからって批判されてもしゃーないかもね。
え、そもそも、ホワイトバンドをNGO活動と思わせて実はそうではないって、ところが問題なのかね。

ってか、全く分からないのは、これでSSUは何をしたかったかということかね。
そこはアナウンス分からず。さあ、HPを。
http://www.hottokenai.jp/index.html
むー、充実してるじゃないか・・・。

PDFで用途も明記されちょるし。
ふむ。やっぱ大きな原因は、寄付ってものが「善」であると。
「政治」は「悪」だという島国根性(関係ない)のせいだな・・・(笑)

もちろん僕はホワイトバンドなんて知らないので、つけませんが。

うはは!


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ダチと飯と。

食った。変わらぬようで何より。
さすが木漏れ日氏。
これ以上簡潔で、かつ的確なコメントは何もなし。うはは。

TODO。
久しぶりにここにTODOっぽいことを書くのもありだけど、
今はすべてcheck*padで管理しちゃえてる。
ので、書いてない。

最近は、家ついたら、目の前のメモ帳にやること書いて、
それを消してる。

最近やってるのは、
カタリベカフェに関すること、
これは電話討論(笑)から、メール返信から、
その他事務作業!まで色々ある。何でもやらんといかん。常にスマイルだ(ほう
新しい企画とか、まあ結構ボリュームある。やることはいっぱい作れる。
そこが魅力だ。


次に、ITEB。
こいつはITEB祭りを左のバーにものせてるけど、
いよいよ開始になるんで、今は窓口をやってます。
IT業界とか興味ある人はどーぞと。
個人的には、この業界は、ブランド化しやすい気がします。
なんでかというと、プログラマなら生産力が全く違ってくるし、
SEでも「考えてるSE」とそうではないSEでも同じことが言えるし、
そして会社員は多いけれど、派遣、フリー、独立、ベンチャーと
結構色々ありますから、要は「実力勝負」だと。
最もビジネスは実力勝負ですけど。土俵をうまく使いやすいというかね。
まあ、感覚ですけどね。変なこだわりがないというか。
もちろんシステムはこだわって作るべきですけど(笑)

あとは、本読み。
本を読むのはやはり、ひとつの出会いだと。
本は面白いぜと。今更いうまでもないけど。

で、あとはブログつながりで。
マス風さんとはネットラジオで、
他の方々ともしっかりコメントなどでつながっていける予感。

うむ、素晴らしい。
で、とりあえずやや遅いので、寝ますが、
すげー早く目覚めそう。

ところで、こもれび氏にもきいたけど、
日本はクロアチアに勝てるのかと。
クロアチアって・・・つえー気がする。
基本的にヨーロッパつえーじゃないかと。

さて、日本、全敗という「あまり見たくない」ものが脳裏にかすかに
浮かびますが、やはりブラジル戦は負けても見たいなあと。
脳裏に刻んでくれ。そのプレー(表現!)をな!

うはは!



自分の人生に集中する

ワンチャンス思想からいけば、
サッカーを(つまりは、豪戦のことだが)みてて思ったことは、
集中というのがいかに大事かということだ。

おそらく、ここで僕が「集中が足りなかった」という以上に、
プレーしている選手自身がそれを吐露、いや思っているだろう。
深く刻んでも、落ち込んではいけない。
やはり、そこはプロである。何度も同じようなことを潜り抜け、
そしてその解決方法を見つけ、また突破していく。

大きく目立つ選手はその成長が早いか、
たまたまその瞬間に頂点にいただけだと思える。
だから、1位とかトップというのはすごいことなのだが、
なった瞬間、ボクシングの防衛ではないけれど、やはり
そこから初回の1位から価値は減算?していくだろう。

だからこそ、価値があり、意味があるともいえる。

自分の人生に集中していない人間はやはりつまらないのだ。
他人の人生のように自分の人生を歩むことはできる。
もちろん多大なストレスを避ける術かもしれない。しかし、それは
非常に滑稽で、笑う前に妙に考えてしまう。

ワンチャンスとは、結局古典的?には、一期一会となる。
一人の人間に出会った瞬間、次また会えるかは不明だ。
多くの人とは、やはり一度しか会えないものだ。もっとも、さらに多くの人ととは、一度も会えないのだけれど。

一時の出会いを、集中していく。
それがサッカー選手のいう「一試合一試合を大事にしていく」というところだろうか。

集中の面白いところは、きっとその集中によって、
影が光に、壁が道になることだろう。影がより濃く、壁が覆いかぶさることは、集中していたらまず起きない。
おきたら、それもワンチャンスだと思えるかどうか。
そこは集中というのは一点のみではなく、全体に焦点を当てているという感覚だ。

サッカーでいえば、試合に集中することで、より周りが見えるとか、
スペースや裏に走りこめるとか、そういうことになりそうだ。

自分の人生に集中していって失敗というか、
そもそも失敗という言葉は入り込めないのだが、
挫折とか否定とか、そういう言葉は弾き飛ばされる。
入る領域などなくなってしまう。いわゆるバリアだ。
集中することで、「否定」という外敵から守ることができる。

自分の人生にフォーカスをあて、そして周りとともに楽しむ。
そうやって生きるのもひとつの意見だろう。
で、僕はそうやって生きていくのみである。(おぉ

おい!

過激なブログを目指すべきである。
朝日どっとこむを読んでたら、某教授の殺人事件というのがあった。
どうもイスラム教を侮辱した本の訳をしたらしいから。

悲しいかな。最も想像をたくましくしないまでも、
多くのイスラム教者はそんな「殺す」などと思っても、
実際にはしないだろう。僕も同様に同じように「殺す」と思っても
殺さないだろう。

ちょっとまえに、少年という年代の子ども(子どもである、子どもなのだ!)が人を殺すという事件があった。最近もあるが。

例えば構図としては「優等生」が「突然」何か分からないが
「キレテ」犯行に及ぶとある。
心理学的にはここではどうでもよく、あらゆる科学は
例えば、遺伝でハゲやすいのと同様、「殺人を犯しやすいDNA」とかが
あるとかは色々研究できそうだが、悲しいことにそれは、
「そういう人間を根絶やし」にしようということと考えがちだ。(やや脱線

でも、問題は、バランスなのだ。どう考えても、ここではあらゆる事件関係者や遺族の心情はスルーするが、とちくるった人間がいなければ、
やはりバランスは取れないと。もっともこれは現状肯定論であって、
僕の考えとしては「なんでそうなるのさ」である。ここは強調しておきたい。

キレていきなり殺すのではなくて、単に何かしてみたいだけであって、
その何かしてみたいを人を殺すなどというとんでもハップンなことを
してしまうのはやはり、「問題」があるといわざるを得ない。
これは問題があるだけなのだ。誰にも同様に小さな問題はあるが、
問題はそのまま放っておけば問題は解消されない。そこが問題だ。

ある日突然、切れたのではない。
切ろうとしてきったか、コントロールできなかったか。
コントロールできないなら子どもである限り、親の問題になる。責任は。

責任能力って言葉がある。なんともこう説明しづらい言葉だ。
責任に能力がいるのかよって突っ込みができるからだが、
そもそも病気であればそれは発揮できないことは普通にいえそうだ。

ってこんな話はどうでもいい。すまぬ。

コンビニへ行った。
そしたら、なんか話し声がするから、なんだろとおもって店内を歩くとだね、
携帯で話してる男・20代・スーツがいた。
なんかうぜーなと思ってたら、案の定うざい。
「?でちゅー」とかいう風な声色をあげておる。ここが戦場なら首をもらった(ちなみにコンビニの中です)

久しぶりにうぜーやつみたなーと思って、
レジへ品もっていくと、うぜーやつがまだ携帯でおっちゃべってる。
うぜーな。

たまに、携帯で話しながら、品物買ってる人いるけど、
あれダメですね。人として、全人格を疑う。
店員の立場になったら、何この人、「おれ金払い清算マシンっすか?」って
感じになるよ、きっとね。

同様に、最近「帰りが早い!」と、電車内で、
化粧してる人いるけど、似たようなものかねえ。まあ、化粧はいいわ。
でも、携帯でレジは辞めてほしい。

なんで辞めてほしいというか、不愉快だから。
何、貴様の不愉快なんぞ関係ないぞと。
それは100理くらいある。分かる。
が、あんたは愉快なピエロだと思われるか、うぜーやつだと思われるか、
どっちかだぜよと、ここに記しておく。

愉快なピエロとは、人の感情も考えずに、電話の向こうの相手と話すやつだ。
携帯で話すなら後で別の場所で話せばいいだろう。
「お前はそんな忙しい商談!なり、家族が危篤!とか、そういう話してねーぞ」ただの「話」だろ。それも、昨日のサッカー見た?って
レベルだろ?そんなの「目の前の」人間の相手と比べたら、
どっちが大事か分かるだろ。
この、20代・男・スーツが!!!

いかんいかん。
つい、怒りを文章にしてしまった。
怒りは怒りしか生まないのだ。これを見た人はくれぐれも、
怒らないように(笑)

自分の土俵もないのに、しこも踏もうとせず、
他人の土俵にあがろうなんぞ、100年早いわ!
味噌汁、いや今はシチューか、コーンポタージュか、
で顔洗って、出直してこい!いや、もうくるな。
視界に入るな。さらば。

全く。カッコイイ人生とはほど遠い野郎だったぜ。

こんなもんだった

か?

平田オリザという人がいて、
僕はその人の名前を聞いて「オリザ」ってまた、ペンネームだろうと
今でも思っているのだけど、どうもそうじゃないような。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B6

で、なんで平田オリザかというと、
まあ演劇ってところもあるのだけど、
結構前にチャリで16歳で世界一周とかしてるときいて・・・。
え、まじっすか。

で、本を読んでるけど、正直これが高校生が書いた文章じゃないほど
面白いというか、子ども「じみて」ないというか、
なんていうかこういう人はかっこいいと思った。

ただ、「自転車少年」ではないと断っているところがまたいいかもしれん。

オリザ氏は旅にでる理由はなかったと書いているが(まだ全部読んでないkど)、どうなんだろう。
僕の自転車旅も無性に走りたかったのと、無性にできなさそうで
実はできるんじゃないかと、そういうはったり的な自分の性分を
試してみたかったことがある。
で、実際には出来てしまったのだけど、それは理由だったかもしれない。
まあ、どうでもいいっちゃいいが、あまりどうでもよくない。

自分の実力を過信するのは危険だが、
かといって、自信もないやつもアレである。
だからといって、自信持ちすぎな人間もアレである。
思うに、自信家的な人間は、自信家とは話が合わない気がする。
この点は重要だが、「自信」のために気づかない傾向があるかしらん。

僕はそういう意味で「自信家」ではないといえる。
そういえば、最近、日経の土屋ケンジのコラムに爆笑してるんですが、
いいね。

さて、集中力だ。
18日のサッカーに期待。そのために、っていうか、
明日、久しぶりに世界サミット。

名古屋国と長野王国の領主の対談。
内容は「最近どう」である。

サミットは面白いものだ。

うお

KDDIの顧客情報流出か・・。
うーん、これ流出してるのよね。なんか分かりづら。
にしても、思うのは、個人情報をよりも、
そいつをどう使うかですよねえ。奥さん。

例えば、あんま考えるとよろしくないですけど、
人間を殺したい人間がいてですね、
適当にピックアップした住所の人間を殺していくとか。

いや、あるとしたらね。恐ろしい。
僕は襲われても気合いでがんばりますが、
まあ弱いので蹴散らすことは無理でしょう。

自分の力をわきまえろと。そういう話です(違

400万人は派手っすね。

負けた

川口がふんばっているってことは、ピンチってことだ。
GKは活躍しちゃいけないのさ(笑)

最後っすね。後半はもう結構きつかったねえ。
完全にオーストラリアペース。

運動量とかそんな変わらないし、何がまずかったのかと。

おそらく、攻めの形が作れなかったってことだろうね。

にしても、オーストラリアってあんなに欧州リーグ入りの
選手多かったんだっけ。はじめてしったわ。
ケネディたかすぎ。

負けたから仕事やる気しないのねん。

マンガに教わる仕事学

なかなか面白い。

読んでみたくなった漫画が色々あり。
「人事課長鬼塚」「ぽっかぽか」「のんちゃんのり弁」
他にもあるけど。

にしても、40作品もよー集めたなーと思うわけですが。
漫画読みやすいってところで、いわゆる後書きにあるような、
感覚的に、人の働き方ってのが分かるーってところを
多分著者はいいたかったのかもね。

著者自身が、働いている経験が乏しいといってるので
説得力は欠けるかと思うし、あと40も並べちゃったから
薄いといわれてもしょうがないっすけど、これはこれで面白い試みなので
いいなーと。オススメですけどね。
漫画って視点で学ぶってところでいいかと。
あくまで、この本から吸収しようっていうのは違うかなと。


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無意味の意味

というタイトルのことを前書いた覚えがあるが、まあいいさ。
意味がないことも面白いものだ。というか、「馬鹿」はそこで発揮する。
無意味なことを続けても意味のあることは出てこないと思われるが、
そこは「馬鹿」さでカバーできるというか、見出すこともできる。

もちろん、「あー無駄だなあ」といって何かしてたら、おそらく何も意味はでてこないだろうけど。

ここでいいたいのは、すべてのことに意味を見出すことはないということだ。
それが端的に現れるのは、感情だ。
好き嫌いに理由はないだろう。それがいい例だ。

意味などないなら意味などないといってつっぱしることができる。
それをしないのは、論理的には、意味があるかもしれないと、
一瞬でも思ったからだろう。まあそんなところで。


かっこ悪いことができることが、かっこいいということがある。
これは、おそらく、「馬鹿を演じる利口」か、「利口を演じる馬鹿」か
といった選択を迫られたとき、やはり、前者でありたい。
僕は馬鹿です。ええ、馬鹿です。うひょひょ。

奇声を上げて電車に乗ってたり、独り言をぶつぶついってる人がいたり、
妙に軽やかに動く人がいたら、きっとその人は馬鹿です(笑)

個人の作ったものギャラリー

って名前じゃないけど。

創作した雑貨、アクセサリーなどをスペースを箱単位で(例えば、500mmx500mm程度)そこに並べる。
で、委託販売形式で、売れたら売価の1割くらいをとって、
スペース使用料ということで月額でお金を取る。

ものが売れるというところで非常に分かりやすい。
自分の作ったものを売る場所があるというだけでも楽しい。

今はネットで色々できそーだけども、実際にそういうのがあるのでは違う。

頭をひねってみて(乾いたタオルは絞るなって本あったな・・。)、
本棚をギャラリー風にして、箱単位でおく。
そこには本を並べてあって、テーマごとにおいておく。
ここまでは前まで発想できている。別にやれなくもない。

じゃあこっからどうするか。
今ある少ないネタでは、例えばテーマを月ごとに変える。
それで、テーマ「働く」とする。

で、参加者というか、本棚er(ほんだなあ、と読む)を募る。
ほんだなあには、これぞ「働く」ものであるとか、
働くとはこうじゃーとか、働くとはここに含まれている気がするというものを、まさしく力作を構成する。
そうだな。本は5冊?10冊くらいでいいかな。あまり少なくても多すぎてもいけない。

2006年7月のテーマは「働く」
参加者は10名。
各自、自分が働くってことを考えた本だとか、なんでもいい。働くに関連していると思うなら。
あとはセンス。どう切り口を出していくか。

順位をつけるのも面白いけど、それはなんかひねりがないので却下。
絵とかの展示風にして、見てもらう。これらは「表現物」だから。

コメントは要らない。あってもいいけど、作品に無駄な解釈を加えるから。
分からないとか分かるは絵でも同じで、手にとって本を読んでふむふむと
理解するしかない。本の内容が分からないなら、それはそれまで。
もっともだからといって分かりやすい本を並べれば「よい」わけではない。
どう表現したかがポイント。とくに「切り口」が面白いところで、
評価したい。

例えば、働くってことをモー娘の写真集で表現することもできるはずだ。
いや、僕はできんよ。でも、やろうと思えば。やるの?(えぇ
ストレートにやると、きたみりゅうじ氏の著作を並べて、
SEの現状をかいたものを、並べつつも、SEはこんなに楽しい!と、
働くって中でシステムエンジニアを取り上げて表現するってのもあり。
それはほんだなあの力の見せ所だ。

認知度というか最初は無理だけど、
オープンにして、投票をしてもらう。一番、票が多かった人に
次のテーマを決めてもらう。

いいじゃねえか・・。
でも、問題は、これビジネスとするとなると、
ギャラリー入場料くらいなんだよねえ。それがひねりがない。ダメだ。
もうひとひねりほしい。誰もわからんくらいでちょうどいい気がする。
理解されるものをつくって売り込むか、
理解されないものをつくって売り込むかの違いで、
結局売り込む際には「中和」される。うむ。

ふんばれ己。

自分の仕事をつくる

むーやばい。こいつは面白い。

考えを問いを与えてくれる本だ。という意味で哲学的だ。
働くとは何かではなく、自分の仕事という言葉を定義するとき、
じゃあそいつはどういうものなかと。それを考えている。

著者の取材と、考えを結構これでもかとまぶしてあって、楽しめる。

まあ、そんなところで内容に。

今まで仕事とは何かとは考えてきた。ナンタメとはそういう試みである。
研究といわなくても、働き方について、働くことについて考えない人はいないだろう。大小あれど。

この本には、1つは馬鹿であれとある。「起業バカ」にもあった、
バカと同じ話で、確かnaiveって単語でバカってあててたね。それと同じ。
自分のやりたいことをとことこんやるバカ。そこにはもう遠慮も躊躇も、
他人も全然関係ない。それが自己満足で終わらないのは、自分が「これでいいや」とおもうところがないからだ。
なんでそういうことがいえるかというと、非常にシンプルで、
突き詰めたものは、必ず自分以外の人にも何らかの共感や、心の動きを得られるという自信かな、そういうものがあるからだ。

それを本では「普遍的な共感」みたいな言葉で表してる。多分。

これが自分の仕事であるといえる人は少ないのかもしれない。多いかもしれない。
でも確実にいえることは、自分がどう感じているかを自分に対しては明晰に言うべきであって、ごまかしは意味がないということ。
仕事とは、自分のパワーをぶつけるべきもので、必ずそのパワーはどこかに転移、もしくは複写される。それはやや精神的な話に聞こえるが、
まあそういうことはある。感動とは結局そういうものだから。

もちろん、今やってる仕事というものがいろいろあるかと思う。
それは自分の本来の姿じゃないといってやるのはややナンセンスだ。
そこから得られるものはガンガン得るべきだ。それこそがカッコイイと思う。

パワーを注入するとは、やや対象物に過剰なくらいにやるってことだ。
それを仕事だとするなら、必ず自分の満足ポイントが対象より高くならなければいけない。
自分が良いと思っていないものは、他人も良いと思わない。
ただし自分が良いと思っても、他人も良いとは思うかは不明。

ならば、良いと思っているものをとことん追求すべきということになる。
これは、中谷氏などが良く書いている論法だったりするがそんなのはどうでもいい。

この本には多くの気づきがある。
自分の仕事というものをやっている人は、カッコイイのだ。カッコイイのである。

根底にあるのは、こういうことをしてやるという純粋な気持ちで、それがパワーになるのだろう。

そういうことを考えてきたら、やはり自分もかっこよく生きたいと思うわけである。
すべての人へオススメ。


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やりたいようにやった

自己分析という言葉があるが、
自分という人間をある人にはこうで、こういう状況にはこうで、
またこういう気分にはああなってとか、
冷静に分析する必要はある。

ちなみに、僕は自分が嫌なやつになるパターンも大分分かってる。
ってか、変なこと言われたりときとか、調子こきすぎてるときに
まあそうなるんだけど(笑)

自分に自信があるかどうかはおいておいて、
まあ誰もやったことないことをやる、それ以前に、
自分がやったことないことをやるのは不安だ。
この不安はおそらく誰もあると思われる。
不安がない人間などいない。むしろ集中力で回避したり、
その不安でバランス取れるかってところがポイント。

サッカー選手で、W杯というものは異様にデカイイベントだ。
世界の人がみて、そして国同士のぶつかりあいだ。
これは擬似的な戦争。戦争は、いまやビジネスやスポーツと
とってかわられている。これって「キノの旅」って本にも、
まあ違うけど、ネタとしてあったね。全くそのとおりかもね。
それはいいことだと思うけど。実際に戦争なくならないしね。

そういう選手が、試合前日になって、ナーバスになって、
得点取れるかなと。前半終わって得点入れられず、
ホイッスルがなって、後半へいくとき、ハーフタイムで
何を考えるか。そこはやはり「得点入れてやる!」ってテンションもあるが、
やはり、「いれらなかったらどうしよう」という不安もあるのだろう。

あっても、それは小さなことかもしれない。一瞬のことかもしれない。
でも、とにかくやるのだろう。プロだから。


というように、誰でも不安はあるという例を示してみた。
僕も同様だ。たまに世界を壊してみたいという衝動に駆られる時がある(笑)
危険思想だが、新興宗教より思想化しないところが、
世の中の思考の甘いところかなと勝手に思っている。
つまり、世界を壊すとは、あらゆる箇所を壊すということになる。
Googleのネット神的信仰など、足元にも及ばない(おぉ

といってる僕にその策があるわけではないのでここでストップ。

やりたいようにやるとは、言うは易しだが、行うはなかなかむずい。
自分のやりたいことが全くない人はないと、断言しておくが、
そもそもやりたいことという言葉や、「やりたいことがある」という言葉で、
共通の理解が得られてないから、「やりたいことがない」とかって
なるんだけど、人間なんてかなりシンプルに楽しいことやってりゃ、
顔が違うと。あんたいい顔してるねって顔になるわけで。
そこで判断したまへ。うむ。

まあ、言葉ってのはそういうものなんで、適当に。

やりたいことをやった人間とそうではない人間は、
人生、自分のも他人のも、そのものの考え方が全く異なってしまうのだろう。
悲しいことに、達成感とか充実感などが、「物事の大小」ではなく、
自分の気持ちに、正直にであるまさしく!、正直に考えたときに、
満足しているかどうかということになる。

死ぬときに、生きてて良かったといえるかと。それが最大の問いだ。
毎日が楽しくて仕方がないだけで100%構成されることはないが、
1%でもそれがあれば、多分生きていけるし、楽しいのだと思う。

そう、ここでいえるのは、
その大切なものの量ではなく、質であり、意味であり、価値であるということだ。
それがつまり「核」であり、自分のアイデンテテとかいうものになる。

さて、このアイデンテテとかってやはり打ち壊していくようじゃないと、
面白くないなあーと思うわけですよ。

だから、やりたいように、やるべきだなーと。
そういうところですな。うほほ。

理解できない大切さを。

問いそのものが間違っていることがある。
だから、あんたは間違っているといえるやつがカッコイイことがある。
もちろん間違っているといってることが、間違っていることもあるから、
一概にはいえないけど、どうだろう。大抵はカッコイイ。

真剣にやるというのはどういうことか。

ここで起業というものを素材にして展開してみよう。

ある高校生が起業してみたいと言い出したとする。
幸いデザイン好きな友人がいて、そいつと馬が合った。
そこで、デザインをいくつか書いてもらい、普通なら、
どこかに送ったり、投稿したりするが、それでは通らないと思ったのか、
今までデザインを意識してないところにアクセスしてみようと思いついた。
例えば、パソコンの筐体のデザインとか。

さてこういう場合、例えば真剣にやるからといって、
デザイン得意な友人が使う道具は、どこまでのものを使うべきか。
そりゃ高校生だからお金があるわけではなし、
道具は今あるものでやるべきだろう。そう、デザイン道具は良く分からないというか、全く分からないが、
デザイン用の道具などそもそもその高校生は使ってないのかもしれない。

という意味で、もったいないから目の前のものを使うことは分かる。
でも、問題はボールペンでも、デザインで自分が何か描くときのものではない。
歩く時に人の目に触れているということで大分問題が違う。
ここは違いがあることは強調しておこう。

今使えるものを使うのは一見自然だが、逆にそれで縛られることもある。
実際にデザインがなんとか認められ、ある見本の筐体をデザインしてみてくれと、懇意にしている知り合いから言われた。
その見本を作るときにはどうしても、今のデザイン道具では無理だったとしよう。これはもう設定は適当だが、どうでもいい。
そういう場合はどうするか。冷静に考えて決断するしかない。

つまり、ここでは投資が行われている。

という意味で、自分のやりたいことをやるために、お金はいる。
それを先行投資といってもいいし、お金をつぎ込むといってもいいし、
それに価値をおいているといってもいいし、なんとでも。

そういう意味で、お金をつぎ込むものは大切にしている可能性がある。
もちろん、すぐに新しいものを買うのは物にもよるけど。


ものを大切にしているか、もったいないかどうか、
はおそらく中心の話題ではない。周辺の話題だ。

問題は、恥ずかしさというところだ。
その感覚は人でかなり違う。環境、考え、影響、なんでもありだ。

閉鎖的といったらいいすぎだけど、
例えば、じゃんけんの仕方でも掛け声に違いがある。
そういうのはもうしょうがない。ああ、そういうのもあるのねーって
思うか、信じられないと思うか。
って、レベルで、人にも違いがある。

ここで僕がいいたいのは、
恥ずかしさというところで、「ああ、あなたそういう人なのね」と
受け入れている点だ。決して否定はしない。
だけど、僕はそうはしない。
自分ひとりで歩くならいい。でも、一緒に歩くならということを
って言ってると、なんかどっちが女か分からんくなってくる。
さすが主夫志望(笑)

そしてまたヤツをみると、この話題を思い出すのだろう。
これだから人生は面白い。

サラリーマンネオ

こもれび氏が言ってたので。

借りてきた。2004年と2005年。
でも、これってもっとやってそうだけど。気のせいかねえ。

まあいいや。
面白い。サラリーマンをネタとして扱っている。
すごく個人的には、中田有紀さんってどっかでみたことあるなーと
思ったら、アナウンサーの人ね。

挑戦というか、新しいものに挑戦してかないと、
コントとしても腐ってくのだねえ。
うーん、これみてたら、こないだの少年ライブラリィみたいに
生で見た方がやっぱいいなーとか思う。

編集されてない分、面白さがあるかもね。
いや、TVはTVでいいのだけどね。
より、生がおすすめってところっすな。

会社の王国は、確かに会社はサバンナかもねえ。
面白いね。ジョウシはまあ誇張してるけどどうだろ。
あんまり否定できないかもね(笑)


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もったいない3

実はそれはもっとシンプルで、理由はないかもしれない。
そういう考えもできる。
別に僕は答えを出そうとしているのではなく、それで考えることが
できるし、考えてみたいから考えているまでだ。

さて、もったいないのは馬鹿であるとここでまず結論づけてみる。
自分の仕事のためには何でもするから、
道具にかまっていることはない。道具はそのものさえ運べればいい。
だから、どうでもいいわけだ。恥ずかしさなど微塵もない。

これは最もだ。
だから「もったいない2」で書いたような考えは否定される。
つまり、己に対して真剣だからこそ、それを貫くわけだ。

でも、おかしいのは、そういうパワーというか、
こだわりが感じられず、というかそういう風に伝わってこなくて、
「もったいない」で通したことだ。
それは逆説的にいって、自分の仕事を真剣にやって、
うるせーほっとけというものが「恥ずかしい」のかもしれない。
これは言いすぎではなく、そういう可能性もあるわけだ。

馬鹿とは、なんでそこまでやれるか・・・とため息をつきたくなると
同時に、感動とか、心を動かされるとか、思わず背筋にゾクゾクが
走るようなこととか、そんな感覚を提供してくれる人間だ。
決して偏差値が低い、語彙が少ない、仕事ができない人間の話をしているわけではない。

そのパワーをもって全力で潰してくれればいい。
そう、こういう風にグダグダいってる僕のような人間をだ。
スルーして、自分のパワーを注入して進むべきことをすればいいわけで、
こんなお話に付きまとっていてはダメだ。

ここで、映画「グッドウィルハンティング」を参考事例として出しておこう。
この映画はからいえることは、
結局、土俵が違うってことなんだなーと、
友人に対して言ってたことになる。
「お前はこんなところにいる人間ではない」とね。

もったいない2

続きである。

マイペースとか、デリカシーのなさとか、
そういうのはどうでもいいのだ。
何がどうでもいいのかというと、現実にそうなっていて、
それを説明する理由には「やや迫力に欠ける」からだ。

恥ずかしさともったいなさを天秤にかけた場合、
もったいなさが打ち勝つのはそれで理解した。

ただ、自分の仕事というところから考えていくとき、
2つ考えられることがある。
まず1つは、「もったいないから」使うというレベルで、
恥ずかしさはスルーして、というか考える意味がないが、
自分の仕事の道具としていいのかどうか。

自分の仕事は常に真剣だ。それは傍からみれば分からなくても、
真剣なのだ。そういう真剣さの度合いは他人だから分からない。
でも、真剣と聞いて自分の真剣という脳にインプットされた
あの感覚を思い出すか、「ああ、あれだね」と思うことだろう。
その真剣さをもって、自分の仕事を遂行する、これはまさしく遂行する!ということなのだが、それをできているか。
いや、全力を持って取り組む際に、その「もったいなさ」で使っている部分は、はぎ落とせないか。
愛着があるから使うならいい。それはブランドになる。一体化したね。
トレードマークといってもいい。
でも、捨てるのがもったいないというものを、自分の仕事という
真剣なるものに対して、道具として使っていいものか。

仕事で道具を選ぶ人もいるし選ばない人もいる。
会社員でメモに凝る人もいれば凝らない人もいる。
手帳とかね。でも、それは凝る凝らないをこえて、
そのメモや手帳を活用できているかが結局最大の焦点になっている。
道具はやはり使うためにあるもので、それを持っているからどーだというのではない。

自分の仕事ということから考えると、
転がして恥ずかしいか、もったいないかで考えている時点で
自分の向くべき方向を無駄なパワーに使っているとも取れる。
といいつつ、この話題は僕がもたらしたものであるが。


もう1つは、やや1つ目とかぶってしまうが、
自分の仕事において、外面も気にするということである。
最も、恥ずかしいと思われても自分ではないから、他人は
何も言わないかもしれないし、「アナタ変わった人ね」で終わるかもしれない。
ただ、その外面とは、お客さんやクライアント、その他これから関わる人もあらゆる人を含めている。
そういう中で、僕もその外面に入るわけだ。
同時に友人でもあるが、そこは非常に考えるべきところだと思われる。
なぜなら、僕には「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を愛してやまないところがあり(笑)、やはり気にすべきなんだろうと思う節がある。

転がすことで、相手にも恥ずかしさを許容、もしくは自分と同じくらいのレベルの慣れを求めるというのは非常に自然なものだ。
それが嫌だから去るということは、話が合う合わないというレベルでも起こりえる。

ここで問題なのは、恥ずかしさを僕が我慢すればいいかどうかという問題ではなく、仮に自分ではない人間ならどうなんだろうということだ。
これは友人を危惧した話である。要はお節介である(笑)

つまり、どんな相手にも同じレベルを要求することになる。
恥ずかしさの基準を自分に合わせろというわけだ。最も一緒に歩かなければいいわけであるが。
それは気にする気にしないといレベル、鈍感か敏感かというレベルの
話ではない気がする。

ここで僕の意見を述べてみよう。
例えば、外見というと、服装などが挙げられるが、
僕は服装をあまり構う方ではない。これは事実だ。
かといって、だらだらしたシャツだとか、ボロボロの靴とか、
整えてない髪とか、手入れ感が全く感じられないのはどうかと思う。
ここで「どうかと思う」とは、相手がそういう人であっても、
別にいいのだが、自分がどう思われるかを考えたときに、
「良い印象」を与えないだけのことしかない、という意味だ。

だから、技術者というと、服装がボロボロなイメージはあるが、
まあオシャレさんは少ないかなとは思う。自分も含め。
しかし、それでいいならいい。自分はどうでもいいというならいい。

自分をまげてまで、オシャレさんに近づくとか、そういうのはアウトだとは思う。
ただし、相手が見る、視界に入る、自分が見られているということは、
自意識過剰というのではなく、意識しないと、やはりそれは「自分」で
生きているだけの人間で、社会とのかかわり、いや相手を黙殺しているということもいえる。

自分が目の前にいるのに、あなたはいないような振りをしているとね。


僕にとっては外見は一瞬でしかないが、
僕のような人間ばかりではない。外見を重視する人間もいる。
もちろん、そういう人間に迎合しろとはいってない。

ここで、zubosiさんの問いが思い出されるわけだ。そう、まさにこの瞬間に。
「色々な人ということは、結局、受け入れていくことが必要。
そこでは、自分とは考えの違う人にもアピールしていくことになっていく。
そういう覚悟はあるのかね?」
と、そんな言い方はされていないが、そういう内容だ。

さらに告知という話でも色々ある。
自分の素材に自信があるから、広げずにそこで勝負していくというのもありだ。
でも、トム・ピーターズによるブランド人論!によれば、
結局、氏ならこういうだろう。「商品さえよければ売れるって?ばかばかしい」とね。
告知でいえば、どんな素材をもっていようと、告知して広めなければ意味がない。現実がそうだった。知らない人というか、届かぬ人に届ける。
これは必然性かもしれない。届くべき人には届くものだろうから。

そうやって考えていくと、他者を気にせずして、自分を存在しえない。
というところから、他人の目を気にしないのと他人の目を無視するのは違う。
今回は、他人というカテゴリに、僕という人間がカテゴライズされていないのが問題だったわけだが、
果たして、僕は他人ではないのか。他人だと思っている。

何も初対面の人に、自分の生き様を語れなどとはいわない。
でも、逆にいえば、少しは漏らしてほしいものだとも思ったりする。
まあ、これは関係ないか。

単純に、ただ使っているだけというなら、
それは自分の恥ずかしさについての話ではなく、
発言した人間の恥ずかしさ(つまり、ここでは僕のことだが)について、
気を回してくれると助かる。

が、ダチはそんな人間ではない。
そういう人間ならば、もっと別の道を歩んでいるだろうし、
僕とも出会っていない可能性が高い。
もっとも、これはダチの肯定である。

ひとつ思っているのは、
他人の目を気にすることは一概に悪いことではないのだが、
他人の目を気にしない傾向にある人は、
その言葉を聞いてしまうと、どうも極端に解釈してしまうようだ。
他人の目を気にしおってね!とね。
それこそ、他人の目を気にしなさすぎ!であるわけだけど、
どうもそういう自問はあまりされないようだ。

自分の納得した方向でやってほしいものだ。
ちなみに、大分懐かしいネタになるが、
自分が言われて気になることとは、
「全く違うこと」か「気になること」くらいしかないという話がある。

怒るときもあるし、受け入れる場合もある。
らしさを求めるなら、そのままでいいのかと思う。
ただ、もうここまでいえばお分かりになる人もいると思うが、
ここまでいって変えないのならば「愛着」以上に、
そのものを相棒として使っているのだと思う。

もはや「もったいない」という格付けでは、物が可愛そうすぎる。
I LOVE 物。である。

利用規約変更

お。
何気なくみたら、今日、昨日の話じゃないか。
ドリコム利用規約変更らしい。

これって、ライブドアの変更と大分似ているかもね。
って、詳細は違うんだろうけど。

おおざっぱにいえば、
このRM軌跡ブログの著作権はあっしにあるけど、
その情報を利用するとき、ドリコムは自由に、あっしに許諾なく使えると。
出版物にするときも同様らしい。

他のブロガーの意見をTBからみてみて、共感するもの多し。
もし自由に情報を使ってもそこでもめたりしたら、
誰が責任取るんだろうねーという仮定の話があったけど、
これは本当にどうなんだろう。

著作権があるもので、その情報を自由に使っている時点で
著作権法を無視している気がしてもない。
でも、著作物を自由に使うのではなく、情報と書いてある。
紛らわしい。これは、ジャロ行きである(笑)

そういう「物議をかもし出した」からか、
ドリコム側からさらに説明あり。

その説明が余計怪しい。これは説明が悪いのではなくて、
なんでそうしたかを書かずに「規約変更」をぴらっと数行を書いただけで
そこが問題だ。規約は重要だ。こいつで首絞められてはたまらんから。

ここで信頼という問題がでてくる。
信頼をしているから、紙の証書がいらないのだぜ、がははという
人の意見も分かるが、逆だ。
信頼しているなら、要らぬ誤解、信頼を揺るがさないように、
証書もいるのだ。この証書というのが、明文化された規約であるというのが
ここでの話。

つまり、ユーザを信頼しているならば、しっかり説明し、
こういうことが考えられるかもしれないというべきである。
最初の説明というのは、口約束レベルの説明でしかないということだ。


脱線。
不利益が生じないというのが、おそらくユーザが困らないという意味合いだけど、
そもそもそれは何か分からん。ものを想定されても困る。
その不利益とは、結局、ユーザに脅迫電話がかかってこないということなのか?分からん。

あと著作権は原則ユーザのもので、というのは当然だが、
利用促進とか広告の目的で、っていえば全部許される「規約」とも取れる。

これは法律とか、明文化されたルールは一意でしか取らないと
ルールにならないというのがある・・。
憲法9条の話を出すまでもないだろう。

なんで一意かというと、AさんとBさんがいて、Aさんが言ってることが
Bさんでは違って解釈していたら、意味ないっしょと。

著作権を主張しても、ある人はそんな風にかかれてないといったら
終わりなわけでございますよ。そんなことはないわけで。

別にドリコムを責めるつもりはないですが、
あれと同じかも。リンクの話。
HPによくリンクするときは「トップページで!」とか、
「必ず連絡お願いします。無断リンク禁止!」とか、
ありますけど。あれは法的効力はないみたいですね。
まあ、運営者にそれやったら、嫌がらせになるんだろうけど。
でも、まあリンクはともかく、何か使おうとしたら
連絡するだろうし。著作権カラムのだと、フリーじゃない限り、
やっぱりちゃんとせなあかんわけですよ。
これ、舐めていると痛い目にあいそうですからねえ。

意地悪なわけじゃないけど、トップページ以外にリンク張るから
参照するコスト?が減ってよりよくなるのかなと。
だから、トップページリンク論は嫌いですね。
自分のHPもそういう風に使ってほしい、つまり、どこでもリンク張れと。
張れるものならね。。(笑)
リンクについても自由だけどねえ。
ただサイトの説明するときは、確認はしたいなーとは思うけど。まあ、それもそんな、おらーって焦ることでもないけど。

直リンクはちょっと決めた方が良さそうですね。
あれはサーバに負荷かかっちゃうからねえ。
まあ、どこからアクセスして直リンクしているかなんて
分かっちゃうから直リンクしている人もしいたら気をつけた方がいいっすね。
直リンクってのは、ファイルについてのリンクって意味でございますね。
あーだから、ここでmp3ファイル公開してますけど、
あれに直リンクってのはちっと勘弁してほしいっすね。ええ。

いかん脱線しまくり。
それで、やっぱ次の説明を望むってことで。ドリコムさんに。
どういう目的で規約変更したのかを書けばよくて、
変更→よく分からん説明→ユーザ不安
なんてことをせずに、
目的説明→ユーザ理解
でいいのかなーと。

どうしたいのかいってくれと。ユーザをそういう意味で、
理解してくれ。舐めないでくれと(笑)

で、マザーズ上場から、そういうビジネス的な意図で
ってのなら分かるけど、普通、普通ですけど、
そこまで考えてブログ使わないぜーと。
その説明がビジネス的に困るなら、それも考慮した説明を。

さあ、ここらで実力が試されるところですな。ぐふふ。

もったいないお化け

食べ物を残すともったいないおばけがでるそうだ。
では、くそまずいものを出されたらどうするか?
いまや飽食の時代である。我慢をして食べること時代が悪でもある。
そう。戦前、戦後の時代には考えられないのである。

いくら、経験を語ろうともその時代に生まれてない軟弱!な
若者である私は無理なのである。

と、やや冗談を言った上で、
もったいないお化けだが、多分お化けはでない。
が、精神的な抑制をできそうだ。そう、モノを捨てたり、食べ物を
粗末に扱うことに対してね。

もったいないから、使う場合、
それが自己完結していたらそれでいい。多分その人の問題だから。
例えば、ゴミ屋敷といったものがあるそうだが、
あれらの人は、ゴミじゃないのに・・・という。
あれは、おそらくそういうもったいない心理が働いているとにらむ。
だから、もったいないから使うというのは、ある種の病気である。
そう病気なのである。(冗談ですよ、念のため)

一人で完結するならいいものの、
衛生的にやばい。臭いは周りにいくし、腐敗するから、
色々なものが寄ってくる。

だから、一人で完結するなんてものはそもそもないわけだ。
そこは断定できそうだ。
自分以外の人がいるからこそ、社会でいきていけるわけだ。

ゴミ屋敷は、そもそもゴミってものがある時点で、
それをどっかから拾ってくるわけだが、
それは人が生活しているからだ。
そうやってゴミに埋もれながらも、ゴミを通じて社会とかかわっているわけだ。

誰もいないところで、ゴミ屋敷できる人は・・・多分いないとにらむ。
って意味で、かなり歪んだ社会との接し方だと思われるが、
まあ、ありというか、あるのが事実。

自分の行動なりが、他人にどう影響を与えるかというのは、
変な拡大解釈をせず、ストレートに考えていく必要はあるべきだなーと思う。

ダチ曰く「恥ずかしいならそれまでの人間だ。
この恥ずかしさに耐えられないのなら、何もできぬ」と。

人は色々いるものである。

ズッコケ中年三人組

面白そうだったので、つい。

本に、タンカイ?氏の絵の話がでてきて、こいつがメインで
話題が展開されるが、この話は「ズッコケ三人組の株式会社」という
かなり印象深いシリーズのときに、三人が出会った画家が、タンカイ氏だ。

そういう懐かしいところを踏まえながら、おそらく著者からは、
試みとしての作品というと語弊がありそうだが、
「イメージを壊さないように」というところで、書かれたようだ。
だから、中年ならではの三人組らしさが活きた作品というよりも、
当たり障りないところで、中年になった三人というタッチ。

つまらないわけではないので、そこが惜しい。
ズッコケ三人組が勝手に成長していって、年齢を重ねていったら
おそらくこんなんじゃないぞと、思うわけですな。

Xの話はなかなか面白いけれど、すでにどこかのシリーズで出てそうな
話で、話として「また」なので、再勝負というところだから・・・しょうがないけど、
どらえもんでのび太が大人になったり、過去の話を見るのはそこそこ面白いけど、
あれはどうなんだろうと。話として面白いだけで、その本質ではないというか。
ここでの本質は、ズッコケ三人組の心が活き続けるというところだろう。
そんな年じゃない、家庭を持っているから、という言葉はやはり言わないやつらであってほしい。言ってしまったかな。

シリーズ終わっちゃったからもうなんともいえないんだけどねえ。


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もったいないこと、貧乏臭さ

ダチとの会話より。

もったいないから、さらに使えるから物を使うそうだ。
なるほど、それは分かった。
でも、どうなんだろう。

もったいない、というのは、そもそも「捨てる」ものに対して向ける考えだ。
と、僕は思っている。
だから、捨てるものを使えるから、最終的に「もったいない」から、
使うだけなのだ。

その物が、とてもボロボロで、見るに耐えないものだったら、
やはり貧乏臭く見えてしまうかなと。
実際はどうか分からんけど。

で、ターゲットとなったものは、別にボロくはない。
ただ、恥ずかしさがある。
ダチ曰く「恥ずかしいからといって新しいのを買いたいかというと、
それを買うなら、もったいないから、使えるし使い続ける」
というわけだ。

ふむ。なんかしっくりこないが、理解できんといってとりあえず、
別口で攻めてみた。

例えば、愛着があるものとは「もったいない」から使うものは
違うかどうかとか。
お金をかけるからこそ、大切にしているものってあるじゃないかと。
それはどうかと。

結局、単に横に並んで歩く自分が恥ずかしいだけだったのかも。
そういうダチは、横に並んで歩く人間のことまで考えてはなかったとみるが(笑)
まあ、それもダチらしく、いいではないかと思った。
さすが己(おぃ

それで貧乏臭さというのは、
別に「貧乏」である必要がないというか、条件ではない。
貧乏ではない人が貧乏風なことをするから・・・そういう臭さがあるのだ。

お金の使いどころによって、その人の価値観がかなり別れる。
例えば、服にお金を割く人は、服が好きなわけで、
あまり服装を構わない人はまず理解できないだろう。
ちなみに、僕はこの考えがようやく分かってきているといっていい(笑)

また、本にお金をかける人に対して、本をとくに読まない人は、
なんでそんなものに金をかけるか分からないだろう。

ブックオフ100円で1冊を、学生時には単位としていたが、
例えば「1飯で5冊買える」とか、そういう感覚は好きじゃないとやれないものだろう。

カメラ好きの人がいる。何万もするレンズやカメラを買う。
これは僕は分からない。

ブログや文章に時間を割く人。あ、わたし。
これも分からない人は多いだろう。まあ好きだからねえ。

食べることにお金を使う人。これ、最近分かってきたかな。
やはり、金使うだけサービスはよくなるしねえ。
サービス代とか場所代ってのは本当価値がある。
安ものだけ見ていると、ハンモックから落ちる気がするね(これは比喩ですよ)


見られることとか、他人の目とかって意味からいってみると、
結局それは、「他人の目を気にしている」というよりも、
全く他人の目を気にしない人もどうかと思うという考えなので、僕が、
だから、ある程度は、姿勢を整えるべきだと。

という意味で、身の回りの品は大事にしたい。
と、同時に、お金をある程度かけたいものだ。


捨てる技術って本がベストセラーになった。
リサイクルするより捨てる方が安く済むこともある。
LCA的にいって、結局ケースバイケースで、
だからといって、どうだとは言わないけど。

一方に進むことで確実にそれは意見になり、見方が変わるのだから、
やはり、全人みたいなのにはなれないっすね。
それは究極的にいって、人に関心のない世捨て人になる。
もちろん、現世を捨てたからといって「ダメ人間」だとは思えない。
ただ、僕はそれは嫌なだけであーる。

死なない

正確には死ねないのだが。

ふっと思い出したことで納得できないことがある。
いや、仕事上のことっぽいが、実は違う。

それは何かというと、どこまで本気で取り組めるかって話だ。
変な話、やる気ださせてくれるよーな、というか、
本気でやってくれてないと、こっちは本気だせんよ。

仕事関係ないな。

結局、本気でやってるかどうかなんて、
すぐわかっちまうってことだねえ。

もうがんばらんぞ(笑)

1歳から100歳の夢

思わず買ってしまうま。

1歳から100歳の夢がつまっちょる。
ざーとみて思うのは、50後半くらいからが長いなーとか思った。
さらにいうと、若くみえる人は年齢関係ないなあと。

あと、みんないい顔してる。いいね。

この本の企画がいい。夢リレー。

これラジオでもできそうだ。自分の夢を語ってそれをつなげていく。
もっとひねってみると面白いかも。


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第11回目

ラジオを。
第11回目「関連性について」
約13分です。

言ってることは、結局、やりたいようにやれと。
自分に言い聞かせたいところですが。うはは!

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