本の街ネタは、
ヴェンスドルフの古本屋といって、ベルリンにあるらしい。
35万冊。すげー。
もう1つは、蔵書整理の話。
ふむ。本は読んだら捨てるものか、
とっておくものか。とっておいても読まないなら同じか。
ふむふむ。本って興味ないものだと「ゴミ」にも値しないかも。
おお・・・意外な盲点だった。まあ、確かに。
だから、本だけでは成立しえず。
つまり、本を読む人間があってこそ、はじめて本が活きるわけだ。
この点、切り込む視点になるな。うむ。
贈与論の視点とは、
本をあげることは一般的贈与になるかどうかみたいなところで、
じゃあ、付加価値をどこまで高められるかってところになる気が。
自分がよりよいネタを提供して悦になる。それがいいかもしれん。
自分の土俵で戦う話。
多分、戦わねば何も得られぬとはいいすぎだけど、
戦うとは別に相手を倒すだけのことでもない。
自分と戦うとは、自分を倒すというよりも、より成長するために、
前の自分を倒すという感覚だ。精神的にである。
相手の土俵で戦うことも時には面白いが、自分ががっつりと
表現できるところを踏まえて、そしてそれを理解し、
やったほうが成長しやすい気がする。
思うに、成長とか面倒くさいという人とか、成長なんてむじーという人は、
おそらく自分の土俵というもの、その概念自体理解しづらいのだとにらむ。
まあ、がんがれ(偉そうに言っておこう。明智君!
時間の制限。
ラジオネタでもあったけど、15分単位というところで、
別に15分にこだわる必要はないけど、それくらいで
きっちり何か出していくのは、かなり力がいるものだ。
ラジオも即興。ブログも即興。すべては即興。
だからといって練習とか準備をおろそかにしてはいけないのであーる。
本読みネタ。
朗読会というものでもないが、それに近い情報をゲットした。
ふむ。ドラマリーディングとかから関連付けて自分とは有機的かつ、
親和的に結びついちょるわい。うひゃひゃ(あほ
想定しない対応について。
これは、やや否定的な見解をいわれたり、
こういうときはどうするかと自分の意見を問われたときの対応だ。
多分、心理的には、人間は、理屈がどうとかよりも、
メラビアンだがメラビニアンだが、メラゾーマだか知らないが、
やはり感情をどこまで入れられるかだと思う。そういう意味で
人生のほとんどは演劇であるといってもいいのであーる。
それで、自分の考えを述べねばならないとき(そんなときはあまりないのだが。一応誤解を招いてもいいけどいっておくと、
自分の考えは述べなくてもいいのだと思う。それは述べろといわれてもだ。
自分の意見を言わなくてもいいときに言いたい人もいるわけで、
まあイロイロあると。そういうことを踏まえて、
本当に自分の意見を言わなきゃいけないときって、大分限られるってことを
大げさにいいたいだけの話)は、
やはり、自信をもっていうべきだろう。
別に自信がないなら自信がないようにいえばいい。相手はそう感じるだけである。
自信がなくてもハッタリをかますのもなかなか戦略としてはいい。
ただ、ハッタリをどこまでフォローできるかも計算にいれねば、
それはただのホラ吹きさんになってしまうので注意。
また、相手の感覚を推測してキツ目にいってみるとか、
大分下げて言うというのもある。
つまり、相手によって話を変えるわけだ。
別にこれはカメレオン的八方美人生活ではない。
話を変えながらも核は変えないのが紳士である。
これは慣れないと以外に難しい。
がんがれ。
想定外の話は、
つまり、自分たちの中だけではないところで・・・
というところでいうと、知らない人に対しても、
つまりカフェなどに興味がない人に対しても、
構えとメッセージを発していく必要があるということだ。
とどのつまり、受け入れられるかってことになる。
人間の度量、いや、自分の器の大きさを試されることになるわけだ。
どんなにつらくてもニッコリ笑うのは、結構かっこいいが、
だからといって、常に笑うのも考え物だ。
なぜなら舐めてしまう人間もいるからだ。その人間によくない(笑)
とはいえ、舐めてしまった人間は、すでにこちらの術中にあり。
これ、兵法の極意なり(多分嘘。
ってか、人をなめたらいかんと思うよ。ホントに。
自分が馬鹿です♪といってるようなものだし。
独りよがりについて。
自分の好きなことをするということは、
この日本社会において、あまり歓迎されないらしい。
どうも「出る杭は打たれる」方が、一般的にすかれるらしい。
これは日本人的傾向かどうかは分からない。多国籍な友達がほしいものだ。
普段の会話でも、私はあなたの考えをこうだと理解して、
それについてはこう思っていますよと、そういう感覚というか、
話し方は非常に大事だろーと思われる。
ところで、それをしていないと、モロにそれが表に出る。
「結論を言え」という人は、「結論が大事であーる」ということを
いいたいかもしれないし、「時間がないのだー」といいたいかもしれない。
もちろんTPOはある。ただ、「結論を言うことに慣れている」人の
いっていることだろうと、基本的な確認ができる。
だから、結論を言うことに慣れている人が、そうではない人と話すと、
イライラするだろうし、はぐらかされた気分になるわけだ。
別に結論はすぐ言うべきかどうかということを言いたいのではないのであーる。
自分を伝えるには、相手をよく理解する必要があるわけだ。
術中におくにも、同じことがいえる。敵を知らずして勝てないわけだ。
もちろん自分も知らずしてはダメだろうが。
結局、何もかも知る必要があるわけだ。もちろん、そんなオール100%
知っている人間などいないのだが、そうする必要性はある。
言葉に敏感な人ほど、言葉にやさしく、そして同時に
言葉を受け入れている。
たまーに、言葉の使い方で元来の意味という話もあるが、
あれを「薀蓄」のように話す人は、言葉を受け入れているのではなく、
たんなる薀蓄さんである。別に言葉に敏感なわけじゃない。
単にしゃべりたがりやでもあるし、雑学好きでもあるわけだ。
僕は雑学は嫌いではないが、それをどのように活かせるか、
もっといえば「活かせそうか」にしか興味がない気がする。
結局利用できないような駒(人間!?)は捨てるのである。
利用できない駒は捨ててしまうのだ。
人は使われたら使い返すのが基本らしい(笑)
視点の集中と視野を広げること。
この二つのことは、時間というものが消化をスムーズにさせてくれる。
集中と拡散というこの2つは、矛盾というか、相反する考えだが、
これらを同じくしてやるのではなく、集中していって、
得たものを、広げるために使うという順序みたいなものがある気がする。
そこがポイントっぽい。
だから、焦りつつも、焦らないといいつつも、焦って・・
の繰り返しであろー。
世界のあり方。
やや、違うが「笑うセールスマン」が懐かしい。
え、これフジコフジオのだったの・・知らんかった。
でもこの漫画、多分現実的だなーと思う。
いやあ本当に。読みたいなあ。
ライフスタイルの話。
音楽がライフスタイルの一部、つまりは自分の身体(しんたい)の一部になっていると、片時も音楽を離さないようになる。
本がそれだと本の虫というかもしれない。
それはいいとして、?がライフスタイルの一部というのは、
非常にかっこいいものだ。
僕もブログと、メールと、最近はラジオが体の一部になっている。
本読みももちろんだ。
あとは試みとしてイロイロなものを仕掛けていかねばならない。
世界を楽しみましょう教という、新興宗教をつくり、街角の
アンケーターを残らず蹴散らす。危険思想か。
まあ、にしても、アンケーターうぜ。(笑)
ズッコケ三人組。
なんか大人になったやつらが・・って本が出たらしい。
早速買ったら、ダチもかったようだ。ふむ。
ハチベエから行動力を学び、ハカセからは分析力を踏まえ、
モーチャンにはひたむきさを僕は学んだようだ。
本当?
さて、ついに五月病は終わりである。
さようなら五月蝿い病。
ヴェンスドルフの古本屋といって、ベルリンにあるらしい。
35万冊。すげー。
もう1つは、蔵書整理の話。
ふむ。本は読んだら捨てるものか、
とっておくものか。とっておいても読まないなら同じか。
ふむふむ。本って興味ないものだと「ゴミ」にも値しないかも。
おお・・・意外な盲点だった。まあ、確かに。
だから、本だけでは成立しえず。
つまり、本を読む人間があってこそ、はじめて本が活きるわけだ。
この点、切り込む視点になるな。うむ。
贈与論の視点とは、
本をあげることは一般的贈与になるかどうかみたいなところで、
じゃあ、付加価値をどこまで高められるかってところになる気が。
自分がよりよいネタを提供して悦になる。それがいいかもしれん。
自分の土俵で戦う話。
多分、戦わねば何も得られぬとはいいすぎだけど、
戦うとは別に相手を倒すだけのことでもない。
自分と戦うとは、自分を倒すというよりも、より成長するために、
前の自分を倒すという感覚だ。精神的にである。
相手の土俵で戦うことも時には面白いが、自分ががっつりと
表現できるところを踏まえて、そしてそれを理解し、
やったほうが成長しやすい気がする。
思うに、成長とか面倒くさいという人とか、成長なんてむじーという人は、
おそらく自分の土俵というもの、その概念自体理解しづらいのだとにらむ。
まあ、がんがれ(偉そうに言っておこう。明智君!
時間の制限。
ラジオネタでもあったけど、15分単位というところで、
別に15分にこだわる必要はないけど、それくらいで
きっちり何か出していくのは、かなり力がいるものだ。
ラジオも即興。ブログも即興。すべては即興。
だからといって練習とか準備をおろそかにしてはいけないのであーる。
本読みネタ。
朗読会というものでもないが、それに近い情報をゲットした。
ふむ。ドラマリーディングとかから関連付けて自分とは有機的かつ、
親和的に結びついちょるわい。うひゃひゃ(あほ
想定しない対応について。
これは、やや否定的な見解をいわれたり、
こういうときはどうするかと自分の意見を問われたときの対応だ。
多分、心理的には、人間は、理屈がどうとかよりも、
メラビアンだがメラビニアンだが、メラゾーマだか知らないが、
やはり感情をどこまで入れられるかだと思う。そういう意味で
人生のほとんどは演劇であるといってもいいのであーる。
それで、自分の考えを述べねばならないとき(そんなときはあまりないのだが。一応誤解を招いてもいいけどいっておくと、
自分の考えは述べなくてもいいのだと思う。それは述べろといわれてもだ。
自分の意見を言わなくてもいいときに言いたい人もいるわけで、
まあイロイロあると。そういうことを踏まえて、
本当に自分の意見を言わなきゃいけないときって、大分限られるってことを
大げさにいいたいだけの話)は、
やはり、自信をもっていうべきだろう。
別に自信がないなら自信がないようにいえばいい。相手はそう感じるだけである。
自信がなくてもハッタリをかますのもなかなか戦略としてはいい。
ただ、ハッタリをどこまでフォローできるかも計算にいれねば、
それはただのホラ吹きさんになってしまうので注意。
また、相手の感覚を推測してキツ目にいってみるとか、
大分下げて言うというのもある。
つまり、相手によって話を変えるわけだ。
別にこれはカメレオン的八方美人生活ではない。
話を変えながらも核は変えないのが紳士である。
これは慣れないと以外に難しい。
がんがれ。
想定外の話は、
つまり、自分たちの中だけではないところで・・・
というところでいうと、知らない人に対しても、
つまりカフェなどに興味がない人に対しても、
構えとメッセージを発していく必要があるということだ。
とどのつまり、受け入れられるかってことになる。
人間の度量、いや、自分の器の大きさを試されることになるわけだ。
どんなにつらくてもニッコリ笑うのは、結構かっこいいが、
だからといって、常に笑うのも考え物だ。
なぜなら舐めてしまう人間もいるからだ。その人間によくない(笑)
とはいえ、舐めてしまった人間は、すでにこちらの術中にあり。
これ、兵法の極意なり(多分嘘。
ってか、人をなめたらいかんと思うよ。ホントに。
自分が馬鹿です♪といってるようなものだし。
独りよがりについて。
自分の好きなことをするということは、
この日本社会において、あまり歓迎されないらしい。
どうも「出る杭は打たれる」方が、一般的にすかれるらしい。
これは日本人的傾向かどうかは分からない。多国籍な友達がほしいものだ。
普段の会話でも、私はあなたの考えをこうだと理解して、
それについてはこう思っていますよと、そういう感覚というか、
話し方は非常に大事だろーと思われる。
ところで、それをしていないと、モロにそれが表に出る。
「結論を言え」という人は、「結論が大事であーる」ということを
いいたいかもしれないし、「時間がないのだー」といいたいかもしれない。
もちろんTPOはある。ただ、「結論を言うことに慣れている」人の
いっていることだろうと、基本的な確認ができる。
だから、結論を言うことに慣れている人が、そうではない人と話すと、
イライラするだろうし、はぐらかされた気分になるわけだ。
別に結論はすぐ言うべきかどうかということを言いたいのではないのであーる。
自分を伝えるには、相手をよく理解する必要があるわけだ。
術中におくにも、同じことがいえる。敵を知らずして勝てないわけだ。
もちろん自分も知らずしてはダメだろうが。
結局、何もかも知る必要があるわけだ。もちろん、そんなオール100%
知っている人間などいないのだが、そうする必要性はある。
言葉に敏感な人ほど、言葉にやさしく、そして同時に
言葉を受け入れている。
たまーに、言葉の使い方で元来の意味という話もあるが、
あれを「薀蓄」のように話す人は、言葉を受け入れているのではなく、
たんなる薀蓄さんである。別に言葉に敏感なわけじゃない。
単にしゃべりたがりやでもあるし、雑学好きでもあるわけだ。
僕は雑学は嫌いではないが、それをどのように活かせるか、
もっといえば「活かせそうか」にしか興味がない気がする。
結局利用できないような駒(人間!?)は捨てるのである。
利用できない駒は捨ててしまうのだ。
人は使われたら使い返すのが基本らしい(笑)
視点の集中と視野を広げること。
この二つのことは、時間というものが消化をスムーズにさせてくれる。
集中と拡散というこの2つは、矛盾というか、相反する考えだが、
これらを同じくしてやるのではなく、集中していって、
得たものを、広げるために使うという順序みたいなものがある気がする。
そこがポイントっぽい。
だから、焦りつつも、焦らないといいつつも、焦って・・
の繰り返しであろー。
世界のあり方。
やや、違うが「笑うセールスマン」が懐かしい。
え、これフジコフジオのだったの・・知らんかった。
でもこの漫画、多分現実的だなーと思う。
いやあ本当に。読みたいなあ。
ライフスタイルの話。
音楽がライフスタイルの一部、つまりは自分の身体(しんたい)の一部になっていると、片時も音楽を離さないようになる。
本がそれだと本の虫というかもしれない。
それはいいとして、?がライフスタイルの一部というのは、
非常にかっこいいものだ。
僕もブログと、メールと、最近はラジオが体の一部になっている。
本読みももちろんだ。
あとは試みとしてイロイロなものを仕掛けていかねばならない。
世界を楽しみましょう教という、新興宗教をつくり、街角の
アンケーターを残らず蹴散らす。危険思想か。
まあ、にしても、アンケーターうぜ。(笑)
ズッコケ三人組。
なんか大人になったやつらが・・って本が出たらしい。
早速買ったら、ダチもかったようだ。ふむ。
ハチベエから行動力を学び、ハカセからは分析力を踏まえ、
モーチャンにはひたむきさを僕は学んだようだ。
本当?
さて、ついに五月病は終わりである。
さようなら五月蝿い病。