ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年04月

茄子

マンキツで漫画を。
ふむ。

よつばと、5巻出てた・・。やべ。面白い。うーん生きてるって感じだね。

茄子もチャレンジ。3巻まで出てるのかね。全部読む。
うむ・・・。なんか平行して、茄子の畑のおっちゃんの話と、
女子高生の茄子の話と、チャリの話(アンダルシアの夏だねえ)と、
進んでるっぽい。

なんか、独特って感じよりも、
読後感がすっきりって感じはないけど、
あれだ。

なんか頑張ろうと思える・・・っていうのかな。
そういうのを印象にうけた。って意味でお勧め。
アンダルシアの夏見たいなあ・・・。

この土日は光陰のごとくすぎおったわ。
おかしいな。2年目にして1ヶ月くそ速い。

焦るのはいかんけど、どんな状況下でも前進しなきゃいけないといったのは、
自分じゃないか・・・。なんてこった。

とりあえず、寝ます。ぐう。

うおりゃー

不覚にも仮眠。というか、だるい。

日経を消化。

どうでもよくないけど、戸塚ヨットスクールの事件ってもう大分たつのね。
よく分からないけど、体罰は教育だーというのは、僕には分からんね。
戸塚氏になりの考えがあるにしても、まあ最近さくっとかいた、
電車内で携帯ゲームの音を切らずにやってる高校生におじさんが
こづくぞこらーっていって、こづかなかった話もあるのだけど、
やっぱ大人ってのは、手を出さなくてナンボであって、手を出したら
それは感情のまま生きる動物といったら語弊があるんだろうけど、あえていってみて、
変わらないんだろうなーとか。

もちろん、感情は大切だけど。

鍛えるとか、叩かれる(精神的な意味で?)って言葉の意味が時代が
流れることで変わりつつあるようだ。
今どうなっているか知らないけど、体罰なんてものは「やはり体に物理的ダメージを
与える罰」であって、体罰なんて言葉自体がそもそもナンセンスなのだけど、
昔は普通だった気がする。

学校とはオカシナところであると、僕は基本的に思っている。
居住地がたまたま一緒であることから、集団生活を強いるわけだ。
それがきつい人もいるだろう。集団だからイジメもあるだろう。
イジメられる人が悪いとは口が割けても言わないが、いじめる人は
おそらく「社会は集団」であるという基本事項を踏まえれば、「いじめのない」社会というのは
幻想に過ぎないということが分かるだろう。

生徒を門ではさんで殺してしまったみたいな事件もありましたし、
もう学校ってのは一種の凶器いや、狂気の場であると。
でも、それが普通な気がします。正常な感覚など誰も示せませんからね。

これも大分前だけど、岡谷鋼機っていう会社かな、で何かあったけど、
忘れてしまった。裁判だったかな・・・。

ブン屋(笑)的に、あらゆるニュースを追うことは出来ても、そいつを
紙面に載せることはできないんだろう。新聞見てて、?年前の事件で・・・っという
のが妙に目に付いた。そうか、あれからもう何年も経ったんだと。
そういう感覚が妙にする。


と、面白そうな記事を。
日米でエンジニアに給与格差があるって話で、その差は3倍。日本の3倍が米って構図。
まあ、それはともかく、福利厚生を考えるとそこまで差はないっていう記述が
すごーく気になるんだけど、スルー。

記事的には、この差は、ネットバブル崩壊後、つまり2000年後くらいの
業界の対応が、つまりソフトウェア業界になるのだけど、違ったと。
米は、民主導であったが、日本は官主導であったと。
米では、エンジニアは時価主義であり、使えるやつはガンガン採用され、
ガンガンその対価をもらえる。が、要らないならガンガン解雇である。
日本では、ITSSなんてものが今あるように、ああやってこうやってこうしてー
みたいな標準モデルを作った。が、別にITSSでこれだからっていって、
給与が決まるわけではない・・・。というか、単なるハリボテちゃんといっていい。

って感じの内容。
ますます、自分の実力ってものを見極めるというか、正当に評価するってのが
難しいなーと思えるなあ。もちろん自己評価の話で。
難しいけれど、自己の充実度と達成目的から考えるしかないっしょ。というのが当面の結論か。


あと、ダ・ヴィンチの雑誌創刊時のコラムもあり。
永江さんの記事。この人最近しょっちゅう名前みちゃいますわ。
本に関連したものには大抵いるような。うむ、要チェックですなあ。

キリンの冷蔵庫

うむ。

キリンを冷蔵庫に入れるにはーという質問というか、そういうのがある。
これは、キリンを冷蔵庫に入れるには、ゾウを冷蔵庫に入れるには、
動物会議に出てない動物は、人食いワニの住む川を人がわたるには。
という4つくらいの質問がセットになっているようだ。

大分前に、「キリンを冷蔵庫に入れるには」って質問があって、
なんで「冷蔵庫をあけて、キリンをいれて、冷蔵庫にを閉じる」なんだ!って
奇声をあげた気がするけど、なるほど・・・単純に考えるとかそういう思考のチェックになるのね。

まあ、僕は常に「キリンを切って分解する」という結構ひどい答えしか
思いつかないので、どうなんでしょうね。
遺伝子操作で、ミニキリン創るとかね。ああ、これやると、キメラだ。まさに錬金術師の世界。

あ、でも、これって、
キリンを冷蔵庫に入れる方法とか手段であって、
実際にこうすれば入れれるというものじゃないって意味でセコイ。
セコイといってる時点で、この問題の本質に賛同してないのだけど(笑)

逆に考えてみよう。
キリンが冷蔵庫に入っているという常態をイメージする。
するとやはり、工場にあるような肉の冷凍倉庫をイメージ。あれなら普通に入るはず。
工場内にある冷凍倉庫の扉をあけ、そこにキリンをうんしょと誘導して、
扉を閉める。
完璧だ。

本質的なことはシンプルだとはいうが、そもそもシンプルにならざるをえないというか、
シンプルなものしか「すくえない」というのが、実際のところなきがする。

例えば、ごちゃごちゃ何か書かれていても、結局こういうふうなんだろうなーというのが、
その読み手にとっては、本質であり、結論であり、シンプルなものであるということだ。

実現できなければ、あらゆる考えは無駄であるとは、全く言わないけれど、
あまりにもそういう考えばかりでは疲れる。逆に実現できることばかりでも疲れる。

全く、人は贅沢な生き物である。

で、キリンが可愛そうである。ごめんなさい。

プライド

プライドとは何か。って話はどうでもよくて、
自分が何にこだわりを持つか、持っているのか。
そういうところか。

たまに、通勤電車を待って、音楽を聴きながらボーとしていて、
通勤なり通学なりする人の歩く姿をボーとみていると、
その情景が活字化されて、
「ひとびとは、日々忙しそうに、それは本当に忙しいとかは関係なく、歩いている。
朝にはさわやかな晴れというイメージを期待しても、地下鉄の中は
ややどんよりとした、そして何か朝というよりも、仕事の終わった次の日という感じがする。
何を悩み何を考えているかは他人同士だからこそ知らない。」
みたいにねえ。

小説というか、まあまとめたものをナンタメで実践してみんとしているけど、
細く長くやっていきたいところ。

こだわりといえば、自分の自信ってのは何度も崩壊して(「働きマン」にあったりする(笑))、
再構築しまくってなんとか対応。
こだわりは自信がなくても単なるこだわりなので、自信とは関係ないとはいわないけど、
なんでも良い気がする。

どうでもいいけど、人が本当にやりたいことの話は
あまりこちらが興味関心がないところでも、異様に楽しい気がする。
それは自分ではひっかからないアンテナからキャッチできるからってのが一番かな。
そういうのは大切にしたいところ。

さあ・・・やっぞやっぞ。

なっちゃん―樋口一葉ものがたり

漫画。ただし、コミックという感じではないね。樋口一葉だし。
樋口一葉って人の一生が、というかこの人、若くしてなくなったのね。
結構さくっと分かって面白いなーと思いました。漫画のいいところね。

たかおさんの他の著作はなさそうですが、
ブログを定点観測してマーキング(笑)


なっちゃん―樋口一葉ものがたりなっちゃん―樋口一葉ものがたり
たかお かおり

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ほうほう

昨日の続き。

エンジニアは結局組み合わせであるみたいな話について。
ああ、別にそういうわけでもないけど、一応。

それは納得という感じ。
確かに、がんがん前へ出るやつだけなら誰も守れないからねえ。


チームの協調性は、個人の協調性の総和であるかどうかみたいなことを
心理学の一分野?であるゲシュタルト心理学ってところから引っ張ってみて、
考えると(考えるんかい。
結局それは微妙ということころになりそうだ。

一人一人は協調性が高くてもチームの協調性が必ず高くなるとは思えない。
少なくとも総和ではないだろう。
むしろ、一人の協調性高い人間と全く自己中な人間がいるチームの方が
刺激的で、協調性はアップする気がする。
気のせいかもしれんけど。


プログラミングにはそれは純粋に楽しいと思う。
プログラミング言語はあくまで手段であって、結局仕事で作るのは、
お客さんは使っているのだけど、自分は使うわけがないものを創っている。
だからこそ、自分としては面白みが欠けるってところ。
その部分は注目すべき違いと思ったり。シュミとシゴトのプログラミングの違いで。

手段ってことは、何かを作るうえでは色々な言語を使っていいわけで、
知っていれば知ってるほど可能性というか、作りやすくな気がする。
という意味で純粋に多言語を使いたいというのはある(笑)

作りたいものがあって、それに向かって創る。
これは非常に楽しい。だから、プログラミングは面白い。
プログラマ万歳である。

にしても、なおやさんのダイアリにある、
「帰ってから仮眠をして、夜中起きてプログラミングをする」ってあるけど、
かっこいい・・。

好きだっていうのはそういうことだなあと、なんか感じてしまうなあ。
僕も本読みはそれくらい好きだからなあ。実際には読む量少ないけど。ぐはは。

後ろ向きからの逆襲

死なない程度にがんばる。
妥協しないが、妥協っぽいことはする。
常に、時間と創造をしろ。

後ろ向きも後ろ向きに徹底的になればそこから挽回できる。

うほほ。

寝る前に

http://d.hatena.ne.jp/naoya/20060426/1146033672

うお。。。
元ネタよりも、なおやさんの記事が興味深いですな。
うーん・・・明日また書きますかな。

寝ないと死ねる。

後ろ向き

なるほど。
一杯一杯になると、この生活がずっと続き、そして
自分は抜け出せなく、そしてなんで働いているんだろうという
やや現実離れの夢想、そして夢って何だったっけ?という忘却、
などが発生します。

あんまり働く気はないんですけど、
仕事なので、やはりやらないとー。という妙な責任はあり。
でも、やっぱ「仕事」でしかないっすね。

ならば、やはり「仕事」の中でも自分がやりたいことをやるのが良いと。
これは希望ではなくて、実現させなきゃ意味ないっすね。

さらにいえば、
自分で仕事を選べるかどうかみたいな話は常にありますけど、
それって仕事ってのものが「何かある」って考えから
抜け出せてないというか、そういう考えなので、おそらく「仕事を創る」のは
きついでしょう。

同じ仕事でも、「創ろう」とするか、「仕事があるからやる」のか。
多分、淡々と仕事をして、ぱーと仕事終わったらやるってのも、
すごく健全ですし、いいかなとは思います。
でも、淡々とというよりも、必死に「創ろう」として、創って
仕事としてそれをやるのもいいなと。

多分、前者と後者のバランスは、現状では、淡々:必死が、2:8くらいですけど、
実際にやっていることは、9:1みたいな感じです。

要は、会社員の仕事が主で、淡々としがちだけれど、量としてはかなりあるって形ですかね。

とりあえず、ふんばっているやつが倒れていくのが
現実なんだなーと妙な感情が。

ふんばれ己。

おにいちゃーん

たまには妄想を。

なんか最近「眠い」か「腹減った」か「疲れた」しか言葉を言ってないようだ。
なぜか僕がおにいちゃーんといって、お花畑を軽やかに走っている映像が
頭に出てきた。

末期症状か、それともテンション高いだけか。
まあ、よくあることさ。

ハッカーと画家読み始め。
やべ・・・。おもしれー。こういう本の出会いはいいですな・・・。たまらん。

こういう感覚をもっと広めたいし、もっと共有したいっていうのかな。
うーん、いいぞいいぞー。

日々は変化するが。

多分感覚的にはあれだ。

例えば、学生時代にがんばったなーとか、やりきったなーとか、
あの頃は全然だったけど、それなりにやったことあったなーとか。
その時はつらかったかもしれんとか、よく分からんなりにやったなーとか。
例になってないねえ。

「こういうこともあるぞ」
といわれたことが分からなくて、なんだったんだろうということがある。
いわゆるその場、その時、その状況、その環境では消化できないってやつだ。
そういうことはよくある。
時を経ると、ああ、あういうこといいたかったのね。って分かるっていうやつ。

だから、明日は楽しいのだけど。

日々は変化していて、同じような毎日でも違うということは何度も言っている。
が、同じような毎日は同じ毎日と考えても良い気がする・・・。これも
同じように普通に言える気がするので、OKとしよう。

自分よりも働いている(時間的にも肉体的にも)人は多いだろうけど、
いやあ・・・寝まくりたいっすねえ。

何のために働くか

帰りに同期と軽く話してて、ふと一人で笑ってしまった。
それはなぜか?こんなことを思ったからだ。
同期に仕事は楽しいかって聞いたら、多分楽しいとはいわないだろうなと。
つまらさそーにやってるわけではないが、楽しいというのではない
別のものでやってる印象を受けたからだし、実際にそうだから。

面白がって聞いてみる。
仕事楽しいかと。

案の定、楽しいとかそういうのじゃないなあと。
目的のためにやってるだけだから、手は抜いてないけど。
という答え。ほぼ予想通りだ。


僕も同じようなものだ。自分が働く意味なんぞあまりなくて、
しかも会社員でいる意味もあまりない。
なるほど。これは働いているから、そこで収入を得ているから
いえることだともいえよう。それは一理ある。が一理でしかない。

人生ワンチャンスである。
誰が「そのように」生きろといったか、はまってしまった生き方に
疑問を持つならそう自分の胸に手をあてて考えるしかないだろう。

ワンチャンスだから・・・今のままでいいなら、それでいいだろう。
でも、違う。こうじゃないと思うなら、やはりこうじゃないというあるべきものに
進むのが健全というものだ。

というわけで、寝るとしよう。
なんか、疲れるわ。

顧客ソリューションモデル

ザ・プロフィットを再読。
っていうか、再読なんて珍しいけど、まあこの本面白いので。

早速第一章を振り返る。
結局これは、顧客に何か提供する際に、
最初は自分が損しているが、徐々に利益がどんどんでてくるから、
最初のいわゆる投資コストは解消されて、利益になるってやつ。

顧客ニーズを最初からしっかりとらえて、自分たちでしっかり結果をだして
常にニーズ以上のものを提供して満足度をあげていけば、
自ずと出るものだと思えた。

本業の現場でいえば、指示通りよりも、質をあげるためにこうしとくかっていうような
フォローを入れておくこと。言われたことから、考えられることを一通り考えて
やること。
結局それらができないと「言われたこと」しかできないって言われるはず。
すると、期待値はもう「言われたこと」以上はないということになってしまい、
なんだかなーってことになるんだろう。

このソリューションモデルは、あらゆるビジネスに適用できるだろうと思う。
うーむ、勉強になりますなあ。

図書館の学校

永江氏のページが面白い。
最近は本離れっていうけど、それはどうなのってことで、
大きく2つ。

まずは、小中高までのアサドクの話。麻原に毒ではない。あしからず。
ってこんなことかいてたら怒られるのかな。まあ、どうでもいい。
朝の読書である。朝10分間やるやつ。
その効果は結構いいらしい。詳しくは書かないので本誌をごらんあれ(笑)

次に、大学生の読書マラソン。
これは、中京大生協から始まったらしい。2003年。
東海エリアでは実際にやってたらしいが、今ほどの普及率はなかったようで。
最近のダ・ヴィンチでその読書コメントが掲載されたみたいな話はあるよう。
とりあえず、冊数読めば15%くらいオフで本とか買えるらしい。うまーな話ですな。
それはいいとして、勧め方が参考になる。

大学の教授からこれヨンドケっていわれるとどうもやる気が。
とはいえ、本好き野郎にすすめられてもアレ?って感じで。

そういう中間というか、新しいところで、読書マラソンってのがあって、
読書コメントがPOPとして掲示されるようで、結構評判はいいそうだ。

って、話。

あと、新連載の漫画があって、その人は、ビッグイシューにも漫画書いてる
人だったりする。うーむ・・・。気になるので、調べるべしべし。
たかお かおり氏。http://karimaru05.cocolog-nifty.com/
ふむ・・・面白そうなんで、樋口一葉の本買ってみる。


マンガはいかがのネタ。
図書館ネタで、「青色図書館」なんてのがあるらしい。もち、マンガ。
OMG。
http://spn07020.co.hontsuna.com/article/1552950.html
白泉社の少女系のコミックなのね。
ちっ。今度マンキツで読んできてやるわ。って私設図書館ネタなの。すげー。
1巻で終わりらしい。ふむ。よくあることさ・・・。

さらに「鞄図書館」なんてマンガも。
こいつは、金魚屋書いた人と同じだったりする・・。むー。そうきたか。
http://www.seimu.net/
コミック化されてないと思うので、まあ待つかなあ。
ミステリーズ!なんて雑誌・・・知らんかった。
ミステリ好きには必読っぽいねえ。ぐは。

ふむ。
この冊子やっぱおもしれーな・・。
コストパフォーマンス高すぎる。よっしゃ、やっぞやっぞ。

くつ磨きと傘補修

くつは最近あんま磨いてなかったので、汚れを適当におとして、
クリームを塗る。あんま良く知らないがこれ塗っとくと大分長持ちするらしい。
今は靴は2足だが、また新しいのが欲しい感じ。
両方とも紐くつだが、紐はどうやら気に入ってるなあ。
ローファーみたいなガブガブはくやつは、こう心理的にだるい感になってだめだ。

最近買った腰部分にひねりが入ってるシャツは、ピタっとするわけじゃないが
自分の細身の体にフィットする感じはある。どうもそういうものが好きみたいねえ。と、客観視。

最近はネクタイが欲しい。通称レジメのレジメンタルちゃんがいい。
あれは白シャツには当然合うし、ストライプのシャツにもあってくる。イカスぜ。
あんまりお気に入りだと酷使したせいか、結構最初よりやわくなってる気がする(笑)
ネクタイ色々あるからセンスが問われるところ。
まあ、これも近いうちに欲しいかも。

で、傘の補修。
マジックテープ、正式名称なんていうんですかねえ、あれがもう使いすぎて
つかないから補修。グレーの傘だが、黒のマジックテープしか発掘できなかったので
そいつをゲットして補修。ち、裁縫道具なんておいてねえ・・。
というわけで最近大活躍の瞬間接着剤で、ほつれた部分を修正。
さらにテープを貼る。こいつは結構粘着力あるので、そう簡単におちないはず。
おちたら、また接着剤で補強すればいい。
おお、素晴らしい。傘が治ったようである。

このようにして、自分の使っているものを直して使うというのはとても面白いと思う。

さて、最近調子悪いものは・・・CDラジカセかしら。
CDがモノラルになるのね。ステレオなのにね。

プログラマ魂くすぐる部分。ってか、ハンダの出番っすかねえ。
解体すると壊しそうなので、触らないとは思うけどねえ。
ハードオフで、500円でラジカセうってたけど、CD再生できないって。
おい・・・。そんなの売るなよー。PSEで売れないっぽいですけど。
なんか、PSEすごーく不評みたいですなあ。まあ、そりゃ・・・かなり唐突感ありましたね。

時間をつくる

なんか同じこと書いてる気がする。さすが人間である。

ふと思ったのは、本を読む冊数が週に2冊だとしよう。仮に。
でも、週に普通に行動していると、感覚的に読みたいという本が
2冊では止まらない気がする。

期間をもっと広くして4倍の1月で見てみる。
すると、一月に8冊なのだが、月に振り返るとどう考えても10冊くらいは
読みたい本が出ていそうな気がする。

これは実はエンドレスループなんじゃないのか。
つまり、面白いか面白くないかは分からないが、
1万冊を達成した際に未読数は1万を1万冊を越えてる気がするというわけ。
あれ違うか。まあいいや。どうでもいいや。

今、積読されているものがあるので、それも含めると、
いや積読本が全部清算?されることはないとしても、
配分を考えたいものだ。つまり、週に2冊なら、週に1冊くらい読みたい本がでるかでないかで、
さらに、読む2冊のうち1冊は積読本から読むべきであると。
まあ、積読といっても、それは読みたい本の積読であるので変な表現だけど。

イロイロな本を読むことは面白いし、その分出会いがあるのだと思うから
別にいいんだけど、どっかでうまくバランスとっていかんとイカンと思うわけですわ。
1年間を振り返ると、確実に積読数が減らずに増えてるだけは確認できてます。

これはいかんのですよ。これではダメなんですなあ。

で、こういうことをいうと、速読とかに走る人もいますが、
あれはダメです。速読って悲しいことに、読むことに主眼がいっちゃって、
多分、読んだあとにそいつをどうするかまでは範疇じゃない。当たり前ですが。
それに方法論なので、合う合わないがずっと言われるでしょうね。
もっといえば、こうですな。
速く読めたからなんなのかと。

僕が本を読むので1万冊ってのも、馬鹿らしく思える人も大勢いるでしょう。
馬鹿じゃん?と。そう、僕は馬鹿ですと。本馬鹿ですと。それでいいのだと思ってます(おぉ

それで、人より10倍速く読めたとしましょう。本をね。
でも、それで10倍人生が楽しくなるよりも、多分2倍人生がつまらなくなるのではとか
ニヒリズムかもしれませんが、思えます。
だから、効率的なものが全て善であるとか、自分にとって価値があるとは
あまりいえないんだと思うんですわ。

これは、ネットが便利といえども、ネットでやらないことはやっぱやらないのと
似てますかねえ。

ま、そんなことを思いましたとさ。

それで、本を読む時間を増やさねばと思います。というか前も同じこといってたような
気がするのでアウトですな。
平日は通勤と昼休みに時間を当てます。
休日は多めに、軽く紅茶のみながらって時間をあててきます。

多分これでも足らないので、時間をがんがん作っていくしかないと思われます。
例えば、仕事中にトイレにこもって読書(ダメです
例えば、仕事中にこっそり読書(これもダメです
なんてことはせずに、朝早めにおきて、さくっと飯をくらってさくっと読む。
こういう時間は「追い込めば」できるものなので、どこまで追い込めるか。
それが問題ってところでしょうな。

残業をせずさくっと帰れれば、おそらく本読みペースは倍増する気がします。
が、今はそれができなさそーです。こればっかりはどうにもならんのでとはいいつつも、
仕事に隷属(笑)する気はございやせん。

仕事に潰されるなら、仕事を潰してやるわー。うはは!(アホ

ちなみに、どうでもいいことですが、
本ばっか読んでる人は頭でっかちみたいなイメージありますけど、
それは本の読む量と動きのバランスが悪いだけかなーと思います。
だから、エアロビで使うようなバイクをしながら本を読めばいいんでしょうけど、
多分集中できないでしょうね。本にね。

うおおー今週給料でるぜ。燃えるぜ。(単純だぜ!

アンテナ拡大体制

ふむ。
まず、携帯にMY割追加してみた。
年割は自動的に削除されるそーな。ってか、AUのWebサイトの説明に、
WIN使用時にある、11年目以降で最大50%って・・。11年って・・。
AUがあるかどうか分からないんですがーって質問はややシビアかな。
でも、会社あるか分からんのに「未来の最大半額」ってのはどうかと。

年割に家族割がついたMY割っていえば、
つまりは、一人でもより安くできるよー。でも2年契約だから解除したら
ペナルティ課すよー1万だよーっていえば、すごく分かりやすいのに、
また変な説明つけたもんだなーと思う。うむ。

AUがいいとかそういうのより、メールアドレスとか電話番号を変えるのが
やなので、使い続ける。これぞ犬年の使命なり(笑)

プランも変更してみた。
夜とか休日に通話料が安めになるやつ。
MY割適用すると、そんなに基本使用料高くならんからいいやーと判断。

アンテナ拡大っていうか、ぶっちゃけ、メールでは限界があって(特に携帯メールね)、
個人的にはPCメール+アルファを電話では補える能力があるから、
それには有る程度お金をかけると判断。携帯もってれば、PCメール打てるような
ものって意味かもねえ。

それでまあ、今後活動的なことを行う場合でも、
電話を使うシーンが増えると予測したためってのもあり。

まあ、そんなところですなあ。
うっしゃうっしゃ。

燃えるぜバーニング。

うおりゃー

なんか最近タイトルがこんなのばっかだねえ。どんまい。

金魚屋読みました。おもしれー。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4091885543/qid=1145787777/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-8747290-5906721

ネタ的に連発はきついんだろうなーと。
そういう意味で働きマンに似ている気が。

漫画を扱う古書店の話で、非常にいい。
出てくる漫画はほとんど知らないけど、多分これ、実際に、漫画ではない、
本を扱う古書店でも似たようなことになるんだろうなーとか思う。
だって、今出ている漫画って、やはりそんなに古いものは・・・名作とかじゃない限り、
古典と同様で、でてこないっすからねえ。と、勝手に推測。

自転車野郎じゃないや、
サイクル野郎も、読みたいところ。
http://www.comicpark.net/cm/comc/detail-bnew.asp?detail=1&flag=-1&searchtype=all&keyword=COMC_ASE00001
ちと、高いっすね。1冊1260円は・・。むー。ぐはあ。

まあ、いつか読むさ。うふふ。

さあ、日経よむべし。

うおー

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797327316/qid=1145775981/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-8747290-5906721

こんな本が本屋で見つけた。
2004年?あれ、こんなの出てたっけ・・。ノーマークだったわ。

シューティングゲームが好きな人はそれを作りたい人と一致するという
視点はかなり面白いと思う。僕もそうだしなあ。

いくつかのプログラミングなり、タスクをほんの少しずつすすめていくってのが、
今はできるような気がしてならない。
これは自信というか、おそらく「うわー面倒くせ」「もうやだ」とか思ったとしても、
それを回復させる、もしくはスルーする力があるということを意味するのだと思う。

むー、ふんばれ己。ファイトだ自分。笑顔

新卒ゼロ社会

気になったので読む。

著者がいいたいことは、新卒がゼロになる社会ってよりも、
新卒ってもの自体が「時代的」に異なってることとか、
新卒ってのはこういう流れで変わってきたってことだと思った。

新卒がいなくなる日が来ても、というか新卒を取れるという会社は
余裕がある会社なのだから、あえてとらないところもあるだろうけどね。

いろいろ、発見というか、そういうことなのかという気付きが多かった。
久しぶりに紹介するなあ。
まず、職域って言葉。これは、社会で仕事をする職場っていうところと、地域で生活するってところの組み合わせっぽい。
僕の認識では、学校で基礎まなんで、社会にでて仕事するってのだったけど、
どうもそういうのよりも、地域で育って、地域+職場で社会人として働くみたいなそういうところみたいね。
で、なんでそんなことになるかっていうと、故郷に錦の旗を飾るではないけれど、
そういうものがあったみたいね。とくに、戦後から、バブル経済になって
都市化とか、核家族化とか、そういうのが目立ってこなくなるまでの間が。

「勤労青年センター」とかって各地にあるけど、
あれってナゴリとして、昔、一人で稼ぎに都会にでた若者の集える場所だったらしい。
これはかなり盲点だった。そんな場所が「名前」だけ残ってるのねえ。
今じゃイベントとか、講座とかやってる場所で、そりゃ労働関係のこともやるだろうけど、
そういう認識だった。ふむむ。

興味深いのは結局今は、地域の再生なんてことがささやかれたりするってところで
コミュニティが必要だーみたいなところ。これは僕としてもかなり実感があって、
つながりがなきゃきついと思ってる。別に地元で、「世間」が必要なわけじゃなくて。
そいや「世間体」って言葉聞かなくなったなあ。死語になったのかもねえ。
それで、やはり街づくりというか、そういうところは、興味が出てくる。
だって、店って一つつくっても、やはりその店だけの従業員、店長なり、
別に事務所でもいいのだろうけど、それだけじゃ「無理」なんすね。
店は人をつくり、人は店をつくる。地域とかでもいいし。町でもいいし。

だから、そこにすむ人によって店も変わるのだと。
よく、マーケとしては、人口層だとか、年齢層だとか、嗜好であるとか、
あとライフスタイル(昼、夜とかね)、職業的なところ(学生が多いのとか、社会人多いのかとか)、
そういうことは着目するけど、店自体も変化するから、
お客さんに店は作られていくって感覚が必要になると思ってしまう。
そして、店をやる人は、人を、町を作っていくという感覚が必要なんだと思う。

それが社会で生きるというか、町で地域で生きるってことなのだと思う。

やや前は、僕はこういう感覚がなくて、なんていうか、縛られる感覚が多かった。
ここでこれをやると、結局突破できないんじゃないかってね。
でも、それは勘違いというか、やや考えすぎって今では思ってる。
地盤とかそういうのではなくて、まずやってみてそこでできなきゃ多分次も無理で、
突破以前に突破するものも生まれないというか

中流意識ってのは、やはり会社ってのがかなりしっかり面倒をみてくれた第二のムラだったから
生まれたのではーというのがある。その通りだと思える。
今の会社のイメージは、僕はそんな風に思ってない。
好きあらば下克上である(笑)まあ、心得よと。スリルがあったほうがいいだろう。
もちろん、首にされちゃ困るのだけどねえ。
中流なんて、単に他の人の生活ぶり知らないだけで、お金もってる人はやっぱ持ってるし、
持ってない人はもってる。もちろんそれがどーとかいわない。
けど、夢持ってるか持ってないかは見ておいたほうがいいなーとか偉そうに思ったりするなあ。

黒田硫黄「茄子」も紹介されてる。アンダルシアの夏で確かこのブログでも触れたかな。
あの時は軽くスルーしたっぽいんで、DVD借りてみてくるのも一興っすな。

全体的に、働き方を考えるって意味では、多分結構いいと思う。
そもそも今の時代、新卒は「会社に入りやすい」くらいの意味しかない。
結局、1年、2年で結果を出せとは言うかも、言わないかも分からないが、
結果を残せないと淘汰される。それは、厳しいというよりも必然であると。
何で必然かって?そりゃ簡単で、会社ってそういうものだから。

だから幣ブログでは、常に仕事を作れる力みたいなことを言ってるわけでして。
それさえあれば、ずっと生きてける。魔法の力じゃあない。
単に仕事を作るってこと。別に「わざと遠回り」して仕事を増やすって意味でもない。


新卒ゼロ社会―増殖する「擬態社員」新卒ゼロ社会―増殖する「擬態社員」
岩間 夏樹

角川書店 2005-12
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休業

別になんか仕事してるわけじゃないっすけど、
昨日はちっと動きすぎた感があるので、今日はゆっくりと。

昨日は、名駅へビッグイシューゲットしてきました。
おじさんが交番前あたりで売ってました。
東京と比べると、名古屋は人少ないので(というか、東京都比べたらどこも少ないのだけど)、
買いやすい気がします。

あと、バックナンバーも販売しているみたいです。なかなか嬉しいですね。
ビッグイシューは、1日と15日に毎月でるようで。
最新号は、若者の失業率を先進国の状況がかかれてます。
フランスの暴動事件は結構、切実な問題ですよね。

200円なので、ややページは薄いですが、半分くらいが販売者に入るそうです。
僕の感覚では、手数料100円で、実費が100円くらいですね。
あしなが募金もやってたので、軽く募金してみる。

別に募金批判じゃないですけど、バイト使って募金してとんずらこくアホもいるそうです。
社会的善意を踏みにじるのは人間なら可能ですが、
果たして結局その人は一生、それを悔いて、そして一生それについて
嘘をついていくのでしょうかね。
社会に対して、社会の偽善者どもめといって、斜に構えるのはすごく簡単で、
すごく中学生の不良っぽいのですけど、それだと多分一生そのままでしょうね。

ってことを承知してやるなら、こっちもこっちでガンガン社会的善という
生き方をするのみですがね。悪退治という構図は全く僕にはないわけで。
悪たるものは、スルーされると怒ってくるので、適当に相手しなければなりませんな(笑)


ビッグイシュー自体は、おそらく名古屋では知名度ありますまい。
思い出した時には買いに行こうかなーとか思ってます。
2年前くらいは、名古屋にあればいいなーとか思ったものですから、良いことだなーと思ってます。今、名古屋で買えることが、ですね。

死ぬまでにしたい10のこと

原題は、My Life without Meっぽいけど、
私のいない、私の人生って直訳のほうが感じでるかもなあ。

ガン宣告された主人公が余命2,3ヶ月でやるべき10のことを
書くところから、とったのかな。

結構いいなーと思った。
おそらく、最後のシーンは、主人公が死んだ後の回想シーンなのだろうけど、
その前に、自分がいない1コマと自身が見ている風景がある。

死ぬまでにやれることをやっておいて、死ぬのってのは、
普通に「すがすがしい」のだろうと思う。死は永遠の別れとはいうが、
心にあれば決してなくなりはしない。とはよくいったものだなあと思う。

18歳の誕生日まで毎年の誕生日のお祝いをテープに吹き込むのとか、
すごいなと思う。いや、そこまでこどもを愛しているのだといったほうが正確か。
母親のいない、新しい母親の元で暮らしていかなきゃならない子どものことを
考えると、そうなるんだろうと。

親が子になんでもやってあげるというのは、だめなのだけど、
でも、親が子に何かややお節介気味にやろうとする感覚が最近妙に分かってきて、
でも、それを分かっても、結局なんら親子関係は変わらないから、
一生僕は親の子どもなんだなーとたまに妙に頻繁によく・・・思いますねえ。

ぐはは

来月に一応始動予定のブックカフェ風な場の下見。
起床6:30。動き開始7:00。素晴らしい。
10時に現場へ。むー、キレイだ。

想像していたものとほとんど違わないというか、
まあスペースがあればいいという程度の認識だったので、
意外に整っているのが嬉しい誤算。あっざーす。

その後、覚王山アパートへいってみる。
ふむ・・・。面白い空間だなーと。参考になる。

CD聴きたいから小さいCDラジカセおいときたいなーとか、思ったりする。
とりあえず、やること一杯あるわー。

ミニ黒板は、東急ふんずで2000円くらいでいけそーだ。うむ、買いだな。

が、やや眠い。

走れー

とりあえず普通に目覚める。素晴らしい。土曜日の午前中をフルに使えると、
何か人生においてアドバンテージを握った感覚に陥る。
まさに錯覚人生の始まりでもある(笑)

ハイタッチをして盛り上がれる面子がいる一方で、
淡々と近況を確認する仲もあって、
いやこれは単なる例えなのだけど、そういう幅広いと自分が思える関係を
築いていくのは面白いなあと思う。

よく分からないのだけど、というかおそらく一生分からないのだろうけど、
人が何を考えているかは推測の領域でしか分からないと思う。
感覚がほとんど似ている、価値観が似ているというところから、
自分の感覚で相手の感覚を推し量ることとかもできるけれど、
それも推測の領域でしかないなと思う。

ある思考パターンで、たどり着いた結果と、
別の思考パターンでたどり着いた結果が
同じだとする。

この場合、結果は同じだから無視できるとして、
差異のあったパターン、つまりは過程は一体どんな意味があるのか。
意味とはいっても、さまざまにいえてしまうのだからいかんのだけど、
とにかく、自分がある種の考え方、価値観で動いているのは確かだ。
これは肯定している。否定的なことは、必ずある。誰でもそうだと思うからという
強気の肯定でいいのだと思う。弱気の肯定かもしれないけど。

すると、人生においての終着点は何か。死でもいいのだと思うし、
ある種のやりたいことを完遂!したってときでもいいのかもしれない。
それまでの道のりは、やはりおそらく同じ人間はいないんだろう。
同じような道のりでも、同じ道のりはないというアレと一緒の理屈である。


違いや差異を楽しめるとは結局そういうことではないか。
つまり、結果的に同じならば、なんでもいいのではという感覚。

逆にいえば、差異を楽しめないとは、一緒の道のりで一緒の結果を
目指すという考えの人なのだと思う。
この考えはキライじゃないのだけど、そもそも「同じ道のり」を歩む人は、
会社組織みたいな組織ですら「かなり」難しいのだから、
まあ普通に考えて無理だと思う。もちろんベクトルを同じ方向にするくらいはできようが。

無力感などを感じるとき、自分がいかに小さい人間が感じるときなんて、
腐るほどある。確かにそうだ。日本という国でも、1億3千万の人間がいて、
そのうちの一人が何をしても関係ないとはなかなかインパクトあり。

勝ち負けではないが、負けそうでもやるということは大事だ。
オリンピックではないが、参加に意味があることもある。
というよりも、まずフィールドに出ねばならない。土俵に立たなければ一生戦えない。
宝くじは買ってはじめて挑戦権があるというところだけは、好きだが、
宝くじ自体はどうでもいいと思えるが。

小ささを感じたら、どこまで暴れたら自分が何かを与える、もしくは
何かしら変化を与えたなーと自己満足レベルでもいいから感じられるか。
そういうジタバタ感、白鳥の水面下のもがきみたいなのは、
やはり、目的というか、目標がないときついんだろうと思う。

ただ生きて死にたい人には、おそらく僕の考えは固いだろうし、
あまり面白みがない自信がある。

人生ワンチャンスである。何にしてもおそらくチャンスとは1回しかない。
もちろん、あることをやる機会が何度もあるってことはあるけど、
それは必ずしも同じことではない。似たようなことではあるけれど。
チャンスは1回というのの連続で、結局人生という長いチャンスの連続も、
一回であるとまとめてしまうことができる。

だから うえを向いて歩いていこう?ではないけれど。

仕事に不満があったり、今の生き方に不満があったり、
自分のやりたいことができないとか、悩みがあるとか、
それこそ、生きているからこそあることで、別にストレスとか悩みが
素晴らしいとはいわないけど、そういうのは大切なことだと思える。絶対に。

そういうことを考えていくと、やはり、若い人間はパワーでやるべしというのはある。
体力って意味だけじゃない。力って意味もある。若い力、若さ。

どんな立場でもメリットデメリットがある。
他人の芝は青くみえるのだが、実際は青くないことも多い。
若い人は、経験が不足し、年輩者は経験に縛られる。
若い人は、パワーをいたるところにぶつけて、年輩者はうまくパワーをコントロールする。

どんな立場、どんな経験、どんな・・・でも同じなのだと思う。
誰かがこれを「平等」であるとはいったかどうかしらないが、
おそらくこれは平等というより、対等ということなんだろう。
という意味で対等に接することができない人間の評価は低い。もちろん僕の、である。

機会とか結果の平等で結構話があるけれど、
機会の平等は結果の平等をもたらすわけでは決してない。
結果の平等は、機会の平等の結果ではない。

平等がいいとは、隣の芝がない家も、芝が多い家も、青々している家も、
ないということだ。それはつまらんのだと思う。
もちろん、芝がない家に育てば、芝がある家に住みたいとは思うのだろう。
でも、思うに、それはそれで全くその通りで、いいのである。
でも、勘違いというか、なぜか生まれた環境でぶつぶつ言う人がいたりする。

例えば、虐待とか、そういうことで、あと不幸な事故とか。
そういうので、シングルマザー、シングルファーザーであるとか。
まあイロイロあるんだと思う。

でも、結局のところ、そういう環境で育とうが生まれようが、
突き抜ける人は、結局、それらを受け入れて消化して、咀嚼して、自分を客観視して、
その状態でどうやるかを考えているのだと思うし、そうであるのだと思う。

実際に、それがない人、つまり環境にだけ不満をいう人は、
自分というものの能力や自分のやっていることや方法などを
ほとんど省みない。だから、いつまでたっても、同じようなところにいる。

階段があるとする。その階段を登っていくのが、昇るか、成長だとするしよう。
そういう人は、階段を昇っているが、また同じように降りて、
また上がってを繰り返しているようにみえる。
階段を昇ることは結構簡単な気がする。でも、階段がどれくらいあるかとか、
どれくらいの階にいるかとかは、自分の位置を特定するには、
何かしら参考になるものがないと分からない。例えば、フロアの階数表示。
例えば、昇った階段の数。例えば、窓からみえる景色。
例えば、すれ違う人の数。例えば・・・。

これは例である。
ただし、全くこの話は現実と同じだということだ。
おそらくこの意味が分かる人は、成長しているのだと思う。おそらくだけど。
僕も同じような感覚だ。何かをやるにはすごくパワーがいるし、何より疲れる。
が、疲れとは何もよくないものでは決してないのだ。
心地よい疲労感って言葉もあるし、実際にそれはある。

とにかくやってみようと、そして実践して、
それを示していって、面白い社会を作ろう。ただそれだけであーる。

ごーいんぐまいうぇい

ちと酒飲みすぎた感がしますが、
顔には出ず。さすが親父が酒飲みだけはある。それを引き継いだか・・。

今読んでる新卒な本では、結局時代が違えば考え方も違うってことを
新卒って切り口から言っているだけな気がする。
で、実際に若い人の考え方は、かなり正しい気がする。
僕がとらえたのは、
せつな的というか、享楽的というか、まあとにかく楽しむという姿勢は
何事においてもいいと思う。

ただ、組織に属して、会社の企業戦士というのは、やや古い考え方だと思う。
別に古くてもそれがいいと思えばいいのだけども、
おそらく自分としては、結果的に食えればいいのなら、その食える分だけは
選択肢の幅は広がるのだと思ったりする。まあ、それはいいことなんだろう。

とりあえず、突き抜けるしかないだろう。
自分が限界というか、絶対無理というのは、
一体どこなんだろう。むしろ、意識的に限界というのは、限界ではない気がする。
だからといって、それを突き抜けるとおそらく健康を害するのだろう。

限界とは、認識できるレベルではないが、認識しないとやばいというものか。
まあ、どうでもいい話さ。

よっしゃ、やっぞやっぞ。

スパム

ち、またか。
スパムのアホなところは、結局自分で自分の首を絞めるところになること。

携帯で、同時発信、つまりメールのTox5とかCCとかBCCでもなんでも、
5件までしかできないって知ったのにはびびった。
迷惑メールを送るやつがおるからと。

困ったちゃんに合わせる社会ってのはなんともいやなものだ。
別に能力が低くて、迷惑かけて生きるしかできないなんて
そんなことねーだろうと。単に逃げてるだけだと。何から?
さあねえ。何からだろう。自分からじゃないのかねえ。

迷惑をかけない存在がいるかって?それで正当化したいならそれはナンセンスすぎる。
僕は迷惑をかけない自信はないし、むしろ誰かに迷惑はかけている。
それは意図しないものだから余計分かりづらいだろう。

でも、故意に迷惑をかけて迷惑だけど・・・レスがあるみたいなことをいって、
自己の正当化をするのはよしてくれ。
で、もっといえば、反撃ののろしをあげられる前に、
自分で自分らの首を絞めるのは、スパマーだけなのさ。

ところで、スカイプに対して、とかIP電話に対するスパムって
最近その事情はどうなってるんでしょうかねえ。

いかん、スパムはスルーすべきだが、うぜーうぜー。
前面バトルじゃあ。

くそ、スパムをやっつけるとは、そのスパまーを逮捕するところまで
持ってくことを意味するのかね。

くへえ。

目の前の小銭

千円札は拾うなって本ありますけど、読んでないけど、同じことかなあ。
なるほどねえ。

投資ってのは本来そういうべきものなんだけど、
小銭を求めた投資って、結局、守銭奴(悪い意味で)なのかもねえ。
いや、人によってイロイロなんで適当に。

何に価値があると思うか、になるわけだ。
目の前の1万か、遠くの10万なら、目の前の1万が価値が高いこともある。
それは時間的にも、取得できる可能性とかから、あらゆることを想定してもしなくても。

価値があると思った方を選べばいいだけだと思う。
単純にいえば、そうなる。ここで1つだけいえば、価値があると皆が思っていることを
選択するという態度は嫌だなあーと思う。

で、自分についていえば。
今は、目の前の小銭を拾っている感覚はないし、というか、目の前の小銭などいらん・・・。
お金は大切だが、おそらくお金に対する態度の方がもっと大切のような。
お金が大切であるというのと、お金に対する態度ってやや違うと思うわけですわ。んだんだ。

今やるべきことは何かという問いを立てずとも、
こうしたい、ああしたいってのを少しでも実現に向けて動く。
これしかないっすな。

とりあえず、寝とこう。

青の時代

むー。
結構面白いかなーと思ったものの、すっきり感がない。

確かに主人公の、誠が作った会社は現代の起業家となぞらえることが
できるやもしれない。そもそも光クラブ事件という本当の出来事から
書いているようだけれど。

お金が目的ではない、起業である時点で、屈折というか、多分僕には分からない
その時代特有の、つまりは、戦後の何もない時代にある種の思想がある?
そういうものか。まあ、とにかく分からん。

解説を読んでやや納得するが、結局この作品は読んでみた結果あまり面白くない。
アフォリズムとよばれる、格言めいた言葉は結構でてくるが、ややハズレている気がする。

解説にもあるように、幼少時代として、中学時代くらいまでを綿密に書いてるが、
そこから、大学生くらいまで一気に飛んで、なぜか会社を興すことになる。
それは詐欺で金を失ったリベンジでもあるのが、どうもここらへんも曖昧である。

まとめていってしまえば、主人公のやや特有の心理を抽象的に描こうとしている、
が、それはあまり面白くなく、むしろ人工的すぎて、人間味がない感じを受けた。
つまり、誠のような人間がいてもいなくても小説だからいいのだけど、
いそうな気がしないということを僕は感じた。のが、ややまずい。

さらに言えば、そういう人工的な主人公は、結局、毒をもって自殺するわけでもなく、
暗示する程度で物語は終わっている。

主人公は、何がしたいのかを追求すると、おそらく、誠は誠で自分なりの哲学があり、
それで人生を謳歌?したかったのかもしれない。
ただ哲学は別にいいが、抽象的とか客観的なものと、感情とはやはり一緒にできないのか、
そこらへんの描画が怪しい。心理的描写がいいというアマゾンレビューもあるが、
とくにこれといった印象深いものは残っていない。

感情がないというのは、客観的描写の成功なのかといえば、
それは何か違う気がする。客観的描写とは、自分ではない何かがそこにいるように
描くことだが、自分ではないものに対して「感情」はあまり入れれないのが自然だ。

その時点でこの試みは破綻しているのだが、どうなんだろう。

ペルソナという仮面をつけて生きることはできるし、それは自然だが、
ペルソナをつけているのに、つけている自分を演じるのはややナンセンスな気がする。

表現が下手だな。うーんと、自分はお金持ちだからといって、お金持ちを演じる人は
あまりいないでしょう。もっとも演じるにも色々ありますけど。
あえて見せる必要はないというか。ああ、でも見せたがる人もいますな。
貧乏人は、貧乏に生きたいというよりも、結果でしょう。多分ね。

っていう流れで再トライ。
客観的であるのと、感情はやっぱぶつかりあって、きついわ。
だから、この小説から読み取れる主人公の心理は膨大にあれど、
それは客観的すぎて、感情移入はもちろん、誠を人間として捉えづらいところがあると。
うむ、まとまった。

で、こもれび氏のおすすめだったけど、微妙でした。許せ(笑)
こういうもともあるさ。ライブドアを考える材料とはならんかもね。
ただ、ホリエモン自体が、そういう傾向のある人、つまりは、自分を客観視して、
コントロールして、その上でお金でドンといくなら、結構共通なところがあるかもね。
まあ、そんなところでござい。


青の時代青の時代
三島 由紀夫

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突破せよ

独力(どくりき、と読んでみたい)で突破することに意味がある場合もあるが、
そうではない場合もある。いわばチームプレーというところか。

プログラマたるべきものは、自分で考え自分で作り自分で結果を残す。
というのもあるし、そうではないのもあるだろう。
今のところ、僕の感覚では、どちらかに偏るような気がする。

よく話すタイプで、プログラミングはそこそこ。つまり、7:3くらいか。
一方、あんま話さないけど、プログラミング結構できる。4:6とか3:7か。

まあ、こんな風に割り切れるわけじゃないけど、イメージとして。

僕は、7:7くらいを狙っているので、10を1.4倍くらいせんといかん。
だから、その分を働いて時間でカバーする。なんて愚策だ(笑)

半分は冗談でも半分は本気というのがいい。

突破せよ突破せよー。
寝るか、php続きやるか悩む。
とりあえず、ブログ書くか・・・。

タフネス

今週は早すぎる。あっという間でもある。
明日を諦めてはいけないから、今を生きるのである。

青の時代は面白いと思う。やや漢字が多いので、
普段読書を疎んじ、軽んじる方(笑)には少々ハードルが高いか。でも、薄いだろう。

プログラマは技術職であるが、どうも僕は技術者というのが嫌いのようだ。
いや、プログラマが嫌いなんじゃない。「技術者」という言葉だと思う。

ある変な兄ちゃん(笑)が、
「プログラマとかって、髪の毛ぼさぼさで、格好構わずに、
もうろう(笑)としている人だと思ってた」
とかいってて、お兄さんみたいな人(あ、お兄さんが僕ですよ)がいて、
イメージ変わったといってた。

あほとはいわないが、まあ結構な偏見だなあと思う。
というか、偏見は歓迎だが、視野を狭くするためにわざわざ偏見する必要なし。
自分の身を守るために、やるならいい。でも、それはやはり一時的にであれ、
視野を狭くすることになる。が、常に視野を広めたいと思っても、
視野が狭くならない人間はいないというのもあり。それもまた一興なりなり。


仕事にやや慣れたが、どうも定時帰りは夢のようである。
定時とは何か。そして働くとは何か。そして自分とは何か。
そして、哲学するのである。これぞ、哲学青年らしき生き方だ。素晴らしい。

さて、php少しすすめて風呂入って寝るべし寝るべし。

達人プログラマー

やっとこさ。
技術書というより、自己啓発的な本。
だけど、ビジネス書みたいな風じゃなくて、技術者向けの自己啓発ってことになるので
非常に良いなーと思った。というか、付箋はりまくり。

僕の感覚では、この達人プログラマーを目指し、そうでありたいと願うなら、
おそらく、会社員プログラマーではあまり活躍の場はないというか、
なりきれないと思う。つまり、達人プログラマーとして振舞うならば、
フリーランスか、独特に働ける場を作る、つまり起業か、というところになると思ってしまった。

ウォーターフォールモデルにぶちこまれたシステム開発プロジェクトには、
単に勢いだけで突き進み、単に勢いで終わるというものがある気がしてならない。
モデルというか、やり方なんていくらでもあるけれど、手馴れた方法で、
これに慣れているからといってそれで常にやらなきゃいけないとは誰もいってないし、
おそらく「見積もりしやすいから」というレベルでしか、考えてないのかもしれない。

IT業界、とくにソフトウェア開発・システム開発という分野は、
やや創造的というよりも、精神論的だ。創造性を持ち出すとなぜか、クリエイター、
となってしまう。プログラマーもクリエイターなのだが、業界、いや仕事からの
客観視としては、兵隊である。プログラマ部隊であり、そして真っ先に突撃していくのだ。

って内容は全く本とは関係ないけど、プログラマーには絶対おすすめ。
プログラミングとか全くやったことない人が読んでもいいけど、あまり面白くないかも。

うーん、これ持ってれば自分をプログラマであることを忘れないというか、
自分を忘れない気がする。いいね。良い出会いだ。


達人プログラマー―システム開発の職人から名匠への道達人プログラマー―システム開発の職人から名匠への道
アンドリュー ハント デビッド トーマス Andrew Hunt

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テンション高い

なるほど。希望の鐘が鳴る朝にって、サラリーマン金太郎のテーマソングだったのね。
元気でるわーね。
テンションあげて、通勤時の半分は、Julietを聴き、
残りは、希望の鐘を聴く。
うお、テンション高すぎだ。ステップしたくなる。


phpのお勉強を始めました。
さくさくさく。とりあえず、基本文法のお勉強中です。
気になったのが、グローバル変数を明示的に宣言するってのはOKちゃんですが、
ローカル変数に対してそれをやるしか方法がないのかーってこととか、
あと、結合がピリオドなので、慣れないと違和感。
いや、それよりも、変数の頭に$つけるってところがやややりづらいかも。
まあ、慣れですな。

<?php
$a = "hello php!";
print ($a);
?>
まあ、僕の実力はこんなものでさ。

さて、いろいろやりまふかな。

聴く音楽が変わる

アルフィーを借りてきました。

希望の鐘が鳴る朝にを、通勤時に聞けると思うとテンションあがる。
やばい。
Julietもいいねえ。やべー。
テンションたけー。

どの段階か知らないけど、聴く音楽が変わるってのは好きだなあ。

大分前、ネットのダチがアルフィー好きだったんだけど、
全く分からなかった。今はアルフィーすげーいいと思う。
なんだろう、この感覚は。全く分からん。

が、いいことだ。いいことだろうさ。

やべーな、このテンションで今週突破できそうだ。
っていうか、できる。やっぞやっぞ。

お疲れ様です

メールでこういうタイトルが来るのがうざいっすね。
もううざいの前にDELボタン押してるので、反射はかなりよくなっちゃいましたが。

最近、マスカゼさんのブログが妙に面白いので注目っと。
http://mskz.seesaa.net/

ダチと話してて、結局、甘いんじゃないのって話がでてきた。
ああ、マスカゼさんは関係ないっと。
入社前にこういう思いを抱いて、あんなことを考えて入ってきて、
実際にやってみて、今がその結果であり、結局未来の結果なんぞ、
現状の結果の連続でしかないのだから、結果的にしかいえないけど、
甘いんじゃないのかねえと。

最もかなーと。ダチと話してて思う。

要は、自分がどれだけ考えてどれだけ悩んだかなんて、
普通は言わない。俺はこんな考えてやってるんだなんていわない。
僕は言ってない。だから、軌跡を残しているといっても、
僕の思考パターンを追えても、考え方が分かっても、やっぱり、
そいつの話はそいつしか分からない。これは真実だと思う。

こういうことを知らないというか、分からないというか、っていうと、
結構辛い。相手を殴っても自分もこぶしが痛いというのは、
相手を殴らないと分からない。そういうことはある。例えは悪いが。
やってみて初めて分かることがある。そこで学んだと思えばいいだけの話。
もし、学んだぜ、よっしゃと思えないなら、何を期待していて、
何を求めていて、何を考えていて、何でそうしたかってのが、
分かってなかった、本当に「適当に」やったんだということになるんだ。


就職活動は面白かった。自分というものがどこの会社にはまって、
どこの会社で働けるかってのは面白かった。
外資系とか、アパレルとか、ベンチャーとか、色々あるのだと思う。
選択肢に入れるかどうかはともかく、いろいろあるわけで。

それで自分が行きたいところにいってみる。そこで働いてみる。
現実と考えてたイメージのギャップはある。
でも、腎臓を出せとか、血を抜けって世界じゃないブラックな世界じゃない限り、
失望とか、怒りもかなりのレベルで、ストレスとしてストックして、
解消できるものだろうと思っていたし、思っているし、今も思う。

よく分からないが、結局、ダチには、
「学生のとき馬鹿なやつはいつまで経っても馬鹿である」とは断言しておいた。
やはり、馬鹿は馬鹿である。バカの壁は関係ない。
自分が馬鹿なのかと思えば馬鹿でいいし、馬鹿じゃないと思えば馬鹿じゃないでいい。

でも、思い込みや思いは時にして、どちらにも転ぶ。良い方にも悪い方にも。
だから、あまり意味がない問いでもあるんだ。まあ、それはほかっておこう。

馬鹿って何か。結局考えない人のことだと思う。
頭のスピードはあまり関係ないと思う。よくあるのは、頭の回転が遅いから、
頭の回転が自分より2倍速い人の2倍時間をかければ対等ってところ。
でも、おそらくそういう姿勢があれば軽く3倍4倍のスピードになれると思う。

これは、もう目標設定とかの話になってきて、
結局、人生において、何をしたいかってのが分かってないってことになる。
夢とか、目標ってのは、全然キレイゴトじゃない。
単に「曖昧な自分の目標」を具体化できないからといって、
キレイゴトとして片付けてしまう。これをダチは、「甘いんじゃないか」といったんだろう。
だからこそ、自分のことは最大に考えるべきで、
中には自分より他人のことを考える人もいるが、自分のことをやってからにしろといいたいのは
ぐっとこらえ、言わないのが紳士であーる。

おっと脱線したか。

結局、こういうことになる。
あんまり、ステージとか、進路選ぶとか、重大な局面って、
そりゃ、すげー悩むし、考えるけど、結果的には、就いた職とかよりも、
どれだけ納得したか、どれだけ考えたかで決まる気がする。

っていう意味でいえば、かっこよさそうな職業も、その人がやってると
ダサイってのはある。逆にいえば、ださそうな職業も、
その人だからカッコイイってのはある。

これは、結局どれくらい仕事に熱入れてやってるとかそういうレベルになるんだけど、
ワーカホリックじゃなくても、きっちり考えているやつは、やっぱ行動に出てきてしまうし、
もうバレてしまう。封印するとか、抑える必要はない。

今年の新入社員は、ブログ型とか、どっかのコンサルだか、研究所だかが
命名しているけど、実行力とか力に欠けるとあるが、
ブロガーを舐めるなと。僕は身分的には新入社員ではないけどねえ。舐めちゃ困るぜと。

遠慮は入らないというのは、逆にいえば、滅茶苦茶熱いってことだ。
熱いってことはそれほど集中してやり遂げようとするってことになる。

とにかく、前へ進むと楽しいことが一杯だ。
後ろにはムーンウォークでしかいけないねえ。

というわけで、4月から新生活の人も、来年から新生活の人も
ふんばってくださいねえっと。

キルビル2

気になったので。
にしても、1より血は多くないが、血多いなあ・・。

結局、キドーは同じように人殺したんだから、
同じじゃないんすかね。同じ穴のムジナというか。
そういう見方だめなのかなあ。

つまり、ビルを倒した後の生活は束の間の平和でしょう。
また同じように、キルビルではなく、キルキドーになるんではないでしょうかねえ。

まあ、いいや。とりあえず、みた(笑)

えっと。

日経消化もう少し。なんていうか、アンテナは張らんと腐るというか、
機能しないってことはたまに思ったり。あ、これどうでもいいや。

はてなの「へんな会社の作り方」って本が、レビューされてた。
ジュンク堂へいったら、平積みされてた。今度買おう。

絵本ネタっていうか、ダチネタ見つけた。ふむ。保管。

日経のトップで、ネットと文明コラムで、常識オセロってのがある。
まあタイトルはよくわからんけど、切り込み隊長の、ああ切込隊長が正確か、
の山本氏も紹介されてた。
が、その前の文章で、書評の鉄人っていう人がいるらしい。すげえ。
これはチェックせんといかんべしべし。
http://www.bk1.co.jp/contents/shohyou/tetsujin.asp
あら、書評の鉄人ってのは、命名なんですな・・・。なるほど。
どの人かは特定できないな。むー。まあ、そういう人もいると。
仕事しつつ、がんがん書評。かっこいい。

日経MJ。
アクションサッカーってのがあるらしい。ラリア生まれ(笑)
すげー、4v4で、一人ワンツーとかできる。時間差ボレーシュートとか。
天井に蹴って跳ね返してね。かっこいい。
プロチームとかだと、すげー熱くなるらしい。これ見るだけでも楽しそう。
そのうちやりたいっすなあ。

ホームページの使い方

とりあえずメモ。

まず、ホームページ作成の本は腐るほどあるが、
使い方の本はないらしいということ。
そりゃ、作成本に「こうやって使えばいい」というのはあるけど。

例えば、HPが開設ブーム?で、一杯できたときは、
じゃあURLを直接打ち込むか、ヤフーなどの検索サイトで調べるかっていう
そういう話はあったなあ。

でも、これって多くのHPから有効な、有用な情報を取得したいときの話で、
今回言いたいのは、自分のホームページの話だ。

ホームページを持っている人は多いと思うが、
結構な確率で、放置されたりしてしまう。
これは、学生の頃、かなり懸念してたこと?だったんだけれど、
結局ね、ホームページだろうが、自転車(笑)だろうが、なんだろうが、
自分の体の一部みたいな感覚に持ち込むってことが重要なんだろうと。
そういう当たり前のところに落ち着いた。

そういう意味で、幣HPのめざせ一万冊は、かなりフィットしているから、
更新が1ヶ月くらいあいても(読書メモは1ヶ月ごとに更新されるけど)、
放置しているという感覚はない。むしろ、放っておいても蓄積したものは
そのまま残るからいいなーと思っている。
メモ的な使い方だけれど。

で、この「メモ的な使い方」というところがポイントかなと。
つまり、HPの使い方を決めておかないと、すぐ飽きたり、つまらんとかいって、
終わるのではないかというか、終わってしまう。

一番ダメなパターンは、自分はこういうことをしていますといって、
それを書くのは、僕と同じなのだけれど、反応がないといって怒る?人だ。
腐るほどある個人ページの中で、それを見つけられるのも奇跡に近く、
さらにその奇跡が起きても、さらに、そこから何か応答をくれるなんてかなり稀有だ。
人生に一回あればいいレベルじゃないかと思う(笑)
個人レベルで結構ヒットが多いのは、かなり目的が限定されていて、
分野が特化されている。逆に幅広くやる場合はかなりまとめという意味で、
まとめがしっかりしているケースが多いのだと思う。

僕の場合は、自分のメモとして、自分を忘れないようにってところで、
ブログと同様に、誰か参考になればってところと、あとこういうやつもいるっていう、
自己アイデンテテ(笑)の証明を残しているくらいかな。あまり構えはない。
構えて、こうやっぞやっぞというと、結構枯れるのも早いってのも自分にはあるので。
ゆるりとやるのは、ゆるりと長くやれるっていう特性もあるってことかしらん。

メモ的に使う以外に、自分の知識やノウハウを公開するとか、
上でも書いたように、色々な人とHPを通じて出会いたいっていうのもあるだろうし、
自分の活動を広めるとか、そういう使い方がベターになるというか、
収束される気がする。

大分前に「ネットでの日記」は日記であるか?という話があったのだけど、
日記ではないだろうなあと。それは個人の日記ノートにこっそり書くそれではないということで。
ネットに公開している時点で、誰かの反応を期待しているということになる。
それをもし認めたくなくて、それは違うというなら、公開する必要はない。
ここらへんに無駄に固執する人もいそうだけど、あまり意味のある話でもない。

結局、「日記」という意味合いが幅広くなったか、言葉の意味の問題であるだけで、
ホームページって言葉で、最初に表示されるページなんだよねーって悦になるひとは、
もういないと思う。あと、ネチケットとかもう淘汰されちゃいましたね。浸透ですかね。

ネットのルールではないけど、仕事のルールでもあるっぽいと思うのだけど、
分からない人は分からないってのがあるのだと思う。
これは分からない人間には何も教えないとかそういうことじゃなくて、
能力的な問題かもしれないし、単なる「姿勢」の問題かもしれないから何もはっきりと
いえるわけじゃないのだけど、そういう人であるという認識はすごく重要だなあと思う。

マクドナルドのアルバイトで、すごく笑顔で楽しそうにやる人もいれば、
あまりやりたくなさそーにやる人もいるのだと思う。バイトだから割り切るとかね。
はっきりいって、前者の人が好ましいのは、誰にでも分かるわけで、
つまり客側としても、店の経営側としてもね。だから後者は、
「ああ、あなた、そういう人なのね」ってなる。
若いうち、とくに学生くらいなら、「まだまだ学生だし、かわいいもんだ」っていって、
「注意」もしくは「あめーんだよ、人生あまくねーぞ。」とか「社会ってのはそんなんでやってけねーぞ、こら」みたいなことはあるんだろう。

残念ながら、これらは、「未熟者」ということではないが、
「あんたはまだ若いから、アドバイスとして・・・」という、先達のあらまほしきアドバイスであるのだ。
若いうちはそれに気付かないってのは、よくあるパターンだが、
気付かない気付くの二元論はともかく、結果的に、年数を経て、
社会に出ると(つまり、社会と接点があるように働いたりすることを含めた多くの行動?)、
否応なしに、どういう人か見られ、どういう人か評価されてしまう。

そういう話のなかで、嫌なこともやれるのか、好きなことしかしないのか、
何を考えて、何を元に動いているのか、ってところになっていって、
何度いっても同じミスを繰り返すなら、「あなたはそれができない人」だと思われるだろう。

それは、厳しいのかどうかというと、現実ならば受け入れるしかないのだろう。
この受け入れられるかどうかというのが最大のポイントなんだろうが、
やや軽視する人もいる。自分はこんなんじゃないというのならば、現実を否定することは
できないのだ。現実は、圧倒的に不足した自分の経験、能力を思い知らされる。
「おまえはこういう人間である」

それはえらく客観的であり、冷徹であり、すごくシビアにうつるかもしれないが、
現実は現実だ。世界に目を向けて、よく言われる、数十秒で一人が死んでいる。
それはどういうことか。実際にそれを阻止することに意味があるかという程度のことを
考えても無力感がやや出てきてしまうが。

その現状を受け入れた上で、どうしたいかを考えるしかないのだと思う。
もう、それは嫌だと思えばやらなければいい。
だが、否定だけで人は生きれないのがおそらく真実なんじゃないかと思っている。
真実とは思うものじゃないのだろうけど、じゃあ僕の意見でいいか。

つまり、あれは厳しいから嫌だ。じゃあこれ面白そうだからやる。
でも、こういうところが嫌だから、やだ。
これの繰り返しをしている人は意外に多そうだ。それは、「現状を受け入れる」のを
単に嫌がっているか、そうしないと生きられないとは思ってないからだ。

現状を受け入れるのは、確かにやや落ち着いた、それなりの思考とかがいるのかもしれない。
だから大人は考えが安定しているというのが出てくるかもしれない。
何か突破するために、受け入れるというのが必須というよりも、
好きなことを肯定するためにも、キライなことを否定するにも、
逆に、好きなことを否定するにも、キライなことを肯定するにも、
あらゆることに、受け入れる作業が必要だとは思っている。

別に、最初から何もかも分かるべしとか、分かるなんて一言もいってない。
単に、現実はこうだよね。そこで何ができるのでしょうかっていう話になるだけだ。

大分脱線してきちょる。

HPの使い方というよりも、活用方法といえばいいのだろうか。
というか、HPを無理に使う必要はなくて、道具でありツールであるってことを
受け入れる必要というか、認識する必要はあるべしだとは思う。
紙のメモで十分であるとか、携帯端末とか使ってかっこよくやりたいとか、
そういうのは人の好き嫌いの問題であって、道具として成立しているかどうかが
結果?的に大切だからだ。

個人が勝手にやってることに、あまりケチをつける人はいないけど、
自分のやり方がうまくいかないからといって、人にケチをつける人ほど
嫌なやつもいないだろう。
自分のやり方がだめなら、どうやってやればいいかを自分のやり方を説明した上で
聞く必要はあるだろう。

アドバイザーも、相手の理解度、もしくは考え方に応じて話すべきであるというか、
話さざるをえないだろう。

世界が、可能性に満ちていないと思っていて、ある種の限定で、
例えば、日本国家という手の平の上で、踊らされているなんて思う人は少ないかもしれませんが、
そういう思考はあっても面白いのであるとして、そう考える人もいると思いますし、
逆に可能性ばかりでこうやればこれができる、あれにつながるといって
生きている人もいます。
少なくとも、僕は生きている意味を求めているので、極端な行動(笑)はとるつもりは
ないのですが、死んだように生きるのはやだねーと思ってます。

現実は妥協の連続であるかもしれませんが、
妥協に対する納得度さえ高ければ問題ない気がします。っていってること自体が、
メタ妥協であるかもしれませんが(笑)

と、書いていて、とくにどっかに残すべきではないと感じたのでこれにて終了。

さて、新聞を消化せねば。まさに日経のオレンジジュースを飲むCMってありましたけど、
あれは野菜ジュースだったかな、絞って飲むやつね、
あんな感じで。さあやっぞやっぞ。

画像認証

お、ドリコム様の対応早い。ややびびった。
コメントする際に、画像で文字列がでてくるのでそいつを
入れないとコメントできない機能。
スパムプログラムでは、画像の文字を読み取れない(文字がぐにゃぐにゃなんでね。)
から、有効らしい。

が、コメントするとき、面倒だから(人がね)、とりあえずありがたい機能として、
使用しないけど、いいね。

スパム対策

これ、HP作成に活かせるかもねえ。
必死になって学びたいところか。

とりあえず、やっぞやっぞ。

哲学に還る

結局、原点としては、自分がどう生きたいかだ。
だから自分の決定が重要なのであって、論理的思考が重要なわけじゃない。
むしろ、決定を邪魔するなら、論理的思考は無駄であるといってもいい。

同様に、経験も同じだ。決定を阻害するなら、経験などしないほうがいい。
とくに、ある種の経験は、「知識」を生成し、それゆえに障碍になる。

だから、未経験者とか経験者とは、あくまで「経験者」が欲しい人は
経験者が有効だが、逆に未経験だから出来ることもあるのだ。

という意味で、経験が重んじられるのは、画期的なことを期待していない
ところに用いられるといっても過言じゃないはずだ。

何が言いたいかといえば、経験した人もしてない人も、同じように
可能性があってしかるべきだと思う。それが分野なり、対象が違うだけだ。

例えば営業経験がある人がいて、その人には斬新な営業は出来ないだろう。
いやできるが、時間がかかるかもしれない。これが営業であるというようなことを
自分でやってきたというのなら。
逆に営業未経験の人がいる、この人はそもそも営業ができないだろう。
が、面白い営業をやるかもしれない。という可能性がある。

これは営業というところで比べただけの話だ。
なぜか、人は1つの尺度、もしくは土俵ではかってしまいがちだ。

お金もそうだ。お金があるなしで単純に比較してしまう人はいる。
年収500万と年収1000万は、2倍金持ちかというと、年収900まんで
所得税が確かあがるので、2倍お金があるわけじゃない。
同様に、年収500万の労働時間と年収1000万の労働時間の比較でも同じようなことがいえる。
責任感とか、そういうのもそうだ。色々な要因があるわけだ。
だから単純に年収だけでお金だけで何か測れるわけじゃない。

そんなことはとっくに知っている人はおそらく、このブログは再確認でしかないだろう。
そうじゃない人にとっては、なんでそうなるかが分からないかもしれない。

僕は自分のことを馬鹿であると言い切れる。
と、同時にバカにされると腹が立つのだ。
だから、バカにされないようにしてるし、馬鹿にすることはないようにしている。
バカにする人間ほど、腹立たしい人はいないものだし、
それをみると、こちらも不快になるものだから。

考えるというところに行き着く。
今後どうしていきたいかというのは、僕のレベルではなく、
もっとすごく考えなきゃいけない人もいるし、立場上そうならざるをえないってのもある。
何か分からないが、とにかく、生きる意味ってのは、
忘れちゃいけないのだとは思う。答えがあるなしではなくて、
考えるべき問題なのだと思う。

一生ニートで過ごせるなら過ごしたいかと。そうはなりたくない。
そうしててもいいとは一応いうけど、楽しそうじゃない。
仕事でぶっ倒れるくらいまで働いた方がやはり、カッコイイというか、
いいんじゃないかと思う。もちろんバランスはあるのだけど。たとえとして。

と、同時に面倒であり、働きたくないのであり、なんでこんな仕事しているんだという
逆の感情もある。

今、僕が働いている理由なんてものは、あまりないのだろう。
結局、自分のために働き、お客さんのために働いている。
ただそれだけだ。これくらいのシンプルさでいいかなとは思う。

問題は、仕事がうまくいかないときだ。
しょっちゅうそんなのはあるが、なんとかできることのほうが世の中多いのだ。
落ち着いて深呼吸すれば突破口はある。突破口とは何も壁に穴を開けるわけじゃない。
壁は錯覚かもしれないのだ。方法は色々ある。

む、久しぶりに書いたって感じだ。
さあ、やっぞやっぞ。

解放!

全てを解放せよ!

最近、脳内で生まれる言葉だ。
圧政からの解放でもいいし、仕事からの解放でもいい。
なんでもいいのだと思う。嫌なことからの解放でもいい。

まあ、限りなく冗談だけど、実行してしまいかねない
自分が恐ろしいときもある。全く嫌なもんだ。

全てを解放せよ!
なんて言って歩いてる人みたらどう思います?
頭やばいんじゃないのかと。春ですねえ・・・と思われるかくらいでしょう。
全く。

抱えてた雑事が終了して、やっと書くってことに時間を割ける予感。

書く事は腐るほどあるから、腐らないうちにとにかく書くべし(意味が違うー

一気にやれないから、細かく分割してやってくしかないなあとは思う。
それぞ仕事人(しごとひと)のやり方であーる。

よし。やっぞやっぞやっぞ。
下げんなテンション?♪
スパムくんな(笑)


ががーっと。

書く事溜まりつつあり。

まず第一。
ダチが倒れた。正確にはドクターストップだけど。
過労みたい。とりあえず、ゆっくり休んでくれ。
戦場は若いものに任せろって。同じくらいの年じゃん(笑)
営業ってのを経験してないのがいかんなあ。
営業ってそんなにストレスたまってしまうのかねえ。
とりあえず、また今度話を聞いてみるみる。

次。
スパムちゃんが毎日来るなあ。これ他ブログでも同じっぽい。
ドリコム狙われてるのかねえ。とりあえず、削除面倒なんで、
根元からシャットダウンしたいなあ。ドリコム様。

次。
日経ビジネスってやっぱメーカーの記事多いねえ。
意外に小売って少ない。あるけど、こないだドンキとかイオンとかだったけどね。
あと、飲食も意外に。吉野家とかファミレスの記事もあるけどねえ。
でも、やっぱメーカーだった。トヨタとか日産とか、そういうとくに車メーカーが
出てくると、日経ビジネスらしいって思うのは僕だけでしょうかねえ。
ビールメーカーとか、メーカーでもいろいろあるけど、
やっぱ日本は車メーカー強いなあとしみじみ。

書評に「検証・若者の変貌」ってのがあり。
面白そう。「起業家の条件」も面白そうやね。チェックしとくか。

アニコムインターナショナルの社長の記事。
ペット保険ビジネス。面白そうなことしてるなあ。
死んだ男っていうタイトルが印象的。だから、切り取る。
やっぱ、こうじゃないとね。

話を切り替える。
通勤時に、地下鉄で、高校生(ちなみに男二人)がたっていて、
携帯のゲームか何かをしだした。音がでかい。
それで、しばらくやっていたら、座ってた人が、
「おい、うるさいぞ。電車の中だぞ。音をけせ」
といった。
僕は、「ほう。珍しいな」と思ってしっかり耳を傾ける。

まあ、高校生が悪いんだからしゃーないけど。
注意してた人は、「おまえみたいなやつみると、殴りたくなるんだ」
とかいって、「こづくと問題になるからやらないけどな」
という。別に暴力振るう人にはみえなかったけど、殴りそうだった。

「常識ねえな」ともいってた。

全く別の脳が僕の中で動いた。
それは、常識ってなんだろう。なんで高校生が音鳴らしてゲームしてたのを
止めさせる義務というか、そういうのがあるんだろう。
高校生にしてみれば、意外な注意者。

人間ってのは、注意とかされたときに、どう振舞うかで真価といったらいいすぎか?
が問われると思う。

面白いことに、注意してた人も「注意するほうも気分悪くなるし、
されるほうも気分悪い」という、至極最もなことをいってたし。

そうなんだよねえ。
で、不快になるようなことする人は実際にいて、
僕もしているんだろうなーとか思ったりするけどねえ。

とりあえず、朝の電車は静かにして欲しい。
寝るべし寝るべし!

ぐは

疲れがたまってて、どうも疲労ちゃんと一緒に仕事をしちょる。
疲労ちゃんは相棒になってほしくないけどねえ。

もう4月も10日経ったなあ。はやー。
とりあえず、眠るべしべし。

ちー

スパまーめ。
なめんなよ。タイトルごと禁止にしてやったわい。うはは!
こちらも肉を削り対抗だ。IP効果ないわ。

このブログにケンカを売るなんぞ、百年早いわい。

うはは。

スパまーじゃなくて。

http://tcup7013.at.infoseek.co.jp/hiroseki/bbs

こんなところから、リンクされてた。
ありがたいのかどうか。いや、ありがたい。
「ギブ&テイク」のふるーい文章にリンクしていただいた。

文章が甘いなあーとか自分で見つつ、なるほど、とにかくギブしまくれとある。
そう。それで相手のレベルを見極めることも可能だ。

ギブしてギブした。ギブアップじゃないよ。
それで相手はスルーしてそのまま逃げたら、やっぱその程度の人間だろう。
うん。文化違えど通用しそうだ。なぜなら、人間は情の生き物だから(ホントかよ

よっし。新聞少し消化してねっぞねっぞ。
妙なテンション。うほほーい。

スパまー

ち。。うぜーな。
俺様領域に侵入するとはな。

禁止IPじゃ全然ダメだわ。
キーワードではじくか。これも微妙。

きゃつらのURL全部ってわけにはいかんな。
だって、それやると、ヤフーも見れなくなる可能性もある。

とりあえず、スパムやってるなら、働けよ。

何?俺の労働はスパムだと!
くっ。つぶしてやるよ!うはは!

おっと、いいテンションだぜ!

利用金額:12,001円

うお。携帯使いすぎた。まあ、そういうこともあるさ。
ふっ。

竹やぶ

最近変な夢を見ている。タフネスなこの僕がやられているのだろうか。

騙されないといってる人は、結構騙されやすい人だが、
騙されるといってる人も、騙されるのだ。
ということは、騙されないなんてことは誰も証明できないのだ。

と、のっけから飛ばしていこう。

50年前は平安時代ではなく、室町時代あたりだったという、
感覚がなぜか最近ある。ちなみに、室町は戦国か安土桃山の前だから、
応仁の乱が1456年くらいだっけ?で、平安は794年くらいだっけ。
で、鎌倉が1192年くらいだから、鎌倉の次が室町だったっけねえ。
だから、13世紀くらいですかね。多分。

今は2000年である。なんで50年前が室町時代なのか。
謎である。ただそういう思想というか、夢だと思うのだけど、
「50年前はなんだっけ?」というと、なぜか室町とかになるのだ。
やばい。

戦争が終わったのが、1945年であるが、
戦後61年経った日本人の気質ってものが変わったと思うかどうか。
おそらく変わらない。パブロフの犬は、わんちゃんがとても可愛そうだが、
(唾液量を測るのに、なんかぶっさすわけでしょう・・・ひー)
まあ、それはいいとして、
60年前に戦争があった国とはとても思えないのである。

だから、それを幻想であると振りまいた瞬間に、
広島の資料館の景観の話が出てくるのだ。景観か・・。

水俣病のパネルディスカッションのイベントに参加したら、
半年に1回くらいは、そのお知らせが来るようになった。
別に僕は水俣病について何か知っているわけでもないが、足尾銅山ではないけど、
また最近では、石綿とかねえ、ああ、最近webで、チェルノブイリのやつもみたなあ。
今でも放射能がすげーから、立ち入り禁止されているのに、そこにすんでいる人が
いて、黙認って記事。む・・・そういうもんだろうなとか、やや人事で、やや自分もそうだろうなとか思ったり。

それで、室町の話だが、おそらく「夢と現実」の境が今ついてないようだ。
これは「正常」とはいいがたい。おそらく夢想病とでもいったほうがいいだろう。

今夢であるかどうか、現実であるかどうかは、はっきりいって多分
脳内物質なんちゃらがーとかいう説明はできても(多分出来ないと思うけど)、
意識してこれが夢です。これは現実ですなんてことはいえないのだろう。
だから、正常か異常かというのもやや怪しい話だなとは思う。

まあ、室町の話は前フリだ。
といいつつ、何も本題はにゃーのでございますが。

さて、今僕は竹やぶの中にいると思う。タケがびっしりはえていて、
タケの葉で視界は大分さえぎられている。
今、太陽が出ているのにも関わらず、やや暗い。

出口があるかどうかは分からないが、とにかくここにいたくはないと思う。
だから、なぜか手にもってる、刀風の道具で、前の葉をなぎ払い、
進む。看板や人はいない。ただ一つの大きな竹やぶだ。

なぎ払って進んだ道は確実に残り、それが軌跡となっている。
自分が進んだ道は必ず残っている。これから進む道は分からないのとは
対照的だ。自分はこれだけ道を進んできたというのだけはわかっているのだ。
でも、それは自分がなぎ払って開拓する道が安全である保証ではない。
常に危険が目の前にあるわけじゃないが、進んだ道が安全だったということが、
次の一歩が常に安全であるだなんて誰も言ってやしない。

単に勘違いをして、そうやって安全だと思い込んでいるだけだ。
それは人間の慣れの悪いところでもある。が、慣れは開拓のスピードを早くする
メリットもあるのだ。

自分の歩いてきた道を振り返ってみても、
今の自分に出来ることを考えてみても、
全然大したことしてにゃーという、ギャップ(ここでは本来自分がすべきこととの今の自分)が
あることに気付く。
そりゃ理想の自分にはなれないってのはある。
が、理想に近づくことなしにやはり、人は成長しないのだとは確実にいえることなのだ。

もし、竹やぶを切り開くことなく、歩みをやめ、このままでいっかと思えば、
おそらく、一生竹やぶで過ごすことになるのだろう。

catch me if u canにある、二匹のねずみの逸話が面白い。
もがいているうちに、ミルクがバターになる・・・か。

そういうふんばりってのは大事だなあと思っている。
多分、僕の心理状態、あらゆる葛藤は僕でしか分からないと思う。
それは、他人が僕の気持ちなど、分からないという意味ではなくて、
また、何を話しても無駄であるとかそういう絶望感からでもなく、
何をしても変わらないという虚無主義的なものでもなく、
単に、僕は僕の気持ちに正直に生きるべきだなあと思っただけだ。

そうやっていきると、今はふんばるしかないなあと思うのだ。

とりあえず、書く時間と読む時間を増やすことにしよう。

このブログそういや、もう2年目ですな・・。正確には2年と1ヶ月。
素晴らしい。多分、ずっと書いてそうだ。。

さあ、寝るべさあ。

コトバノアトリエ

http://www.kotolier.org/

たまたま見つけた。
社会起業家っすか。

面白そうなことしてるねえ。

起業バカ

読みたくなったので読む。
起業バカのバカが、naiveとなっているところで、
やはり、「何も考えてない」バカって意味とは違うのだろうと推測。
いや、どうでもいいところだけど。

ややフランチャイズの内容が多かった気がする。中盤。

最初らへんにある、マルチ商法とねずみ講の違いがやっと分かった気がする。
著者は結局同じようなものさ、というが、それには賛同。

僕が理解したレベルでいえば、合法なねずみ講がマルチ商法になる(笑)
ねずみ講は「商品売買」が発生してないだけで、金銭のみになるから
27代目でぶっつぶれるのが見えてるから。違法なわけだ。
でも、それを商品に変えたら、健康食品だの、化粧品だの、妙な飲食物だの
怪しいものがごーろごろ(笑)
でも、マルチ商法は違法じゃないのは、クーリングオフとか、誇張広告はダメとか
そういうのが法であるかららしい。

そうはいっても、いわゆるグレーゾーンが一杯ありそ。
非常にダークな世界だなあ。ちなみに、僕の認識では、ネットワークビジネスも、
マルチなものの1つでしょうから、同じですね。

大分前にここでこんなネタかいたら、FC(フランチャイズね)も同じであるみたいな、
コメントきたかな。懐かしい。
大きな違いというか、そもそも「仕組み」になっているところが違うなあと。
例えば僕が起業したとしますよ。その時って販路拡大なり、営業手法なりって
自分なりにやるしかないでしょう。それは徒手空拳で何もかもやるって意味じゃなくて、
自分で考えて実行するしかないでしょうってことです。

FCはそういうお膳立てが出来ている点で非常にマルチに似ているかなと。
コンビニオーナーとかはそんなこといったら殴ってくるかもしれませんが(笑)
まあ、それはいいとして、仕組みがあるってことは「安定」しているとか
思いやすそうですけど、実は自分が実際にやってみないことに「安心」なぞ
ないわけですなあ。それって年齢が高ければ分かってそうなものの、
実はそうではないねえ。と。

この本は多分、簡単に「起業」するっていって、実際にやっちゃって
失敗するケースがあまりにも多いからって意味で、警鐘の本かなと。
で、これ団塊の世代とかにターゲット当てられているかわからないですけど、
久しぶりにクレイフィッシュの話見たなあ。

結構気を引き締めるには良かったですなあ。
詐欺とか、騙しとかはやっぱあると思いますね。
騙して逃げ切れると思っている人と、騙しても一生追いかけてやるって人と、
その執念度と気迫を想像すると、僕は人を騙さないので、
やはり必然的に追いかける人になりますね。(ほう
そういう意味では、やられたら確実にその分を返す。まさに目には目をの復讐法の世界。

鋼の錬金術師じゃないですが、イシュバールの民の伝えには、
憎しみを憎しみを返していても始まらんとありますが、まあその通りなんですな。
それを踏まえた上で復讐法を唱えると、もうナチみたいな思想になるんでしょうかね。

いかん、脱線してきた。
とりあえず、起業バカって響きは意外に好きです。


起業バカ起業バカ
渡辺 仁

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