ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年02月

あーそういうことか

面倒臭さとだるさとやる気なさは、
裏返せば面倒くさいと思わないことがあるってことで、だるくないってことがあって、
さらにやる気が勝手に出てくるものがある、裏返しということか。

それを他人が見つけようが、自分で見つけようが、
そもそも目の前のものを否定できるのは、別の何かがあるからと
自分で思っていることがなきゃできん。それが否定できてしまうものだとしても、思うことに意味がある。

ってことは、どうなんだ。

あれはやりたくない、これはやりたくないといって、
選択肢を狭めるって方法もある。でも、これは気持ちが腐っていきそうなのでパス。
好きなものを見つけてっていうのも違う。

そもそも、そこは非常にシンプルだが、シンプルだからこそ難しい。

自分でこれでお金に代えられる、そう等価交換の法則!を見つけるというか、
考え抜いて導き出す必要がある。
普通そこまで苦労してというか、やろうという人はいない。だって分からないし、
そもそもニーズあるべきものに対しての仕事があるというところに飛び込んだ方が、
早いわけだ。

だから、仕事を創るよりも、仕事をこなすほうが非常に楽だ。
責任という点でも、仕事をこなすほうが、最後は「俺の仕事じゃない」といって逃げ切れる。
もちろんそうしない人もいるし、そういわない人もいる。
でも、ここは極論で考えるところだ。極論は現実的ではないのではなく、
現実がそもそも現実たるべき根拠などないわけで、現実的であるかどうかは、
実現可能性の話にそのまま置き換えられる。1%も可能性があればやるべきだ。
宝くじみたいにどうしようもないところではない。自分が関わるということで、
可能性は上げられる方向にある。決して下がることはない。

自分が加わることで可能性を低めることもあるって?そんな腐った考えは捨ててしまおう。

等価交換できるような、つまりお金と仕事で、仕事がお金に見合うもの、
正確には「お金を払ってもいいというようなこと」というべきか、それを提供、
正確には、誰かにそういうものがあると誰でもいいから示すこと、
ができれば、それは仕事で報酬がもらえるということにはならないか?
非常にシンプルだ。敷居は低い。誰でもいいから、まず一人に示す。
そして、自分がこういうことはできるんだと、やろうとしているしやれるというのが、
何かあればいい。それを結ぶだけだ。

ここまでわかってれば・・・できるんじゃないのかねえと、
自画自賛。ありがとう(?)

軽く笑う

1日に1回でも笑えることがあればそれで人は生きられるのではないかと
ふと思った。

こもれび氏からの、芋虫メールには笑った。
えっと、内容はとてもシンプルです。

昔、僕が寝てて、朝目を覚ますと、腕に芋虫ちゃんが一匹乗っておりました。
最初夢かなとおもったんですが、思わず声を。「ひー」(笑)
一発で目が覚めましたが・・・。

というののアレンジで、どうやら僕がこもれび氏に芋虫を「笑顔」で
投げつけてたらしい。大量に。
僕はそんなことしない人間ですが、やれといわれたらやる人間です。
ヒトラー万歳(えぇ

違和感に祝福を

商業界を読みつつ、鋼の錬金術師って面白いなーとか思いつつ、
やっぱりねえ。とか、つぶやいてみる。

人は一生のうちに色々大事なことを、大事かもしれないこと、大事ではなかったことも含めて、
ってことは全部かよー、決めるのだと思う。

自分がこれで納得しているかどうかというのはおそらく最大の優先度になるべきだが、
自分の優先度が全てではないときもある。それが難しい。
だから自分のやりたいことで自分のやりたいように生きている人は少ない。ように見える。
少ないということは、できるしやれるということの証明でもある。ザッツ証明だ。

違和感は、大事にすべきだというのは、結構言われることだ。
それは、自分がおかしいんじゃないかと、自分はもしかしてすげーおかしいやつじゃないかと、
自分って変わりもので、人間らしくない、もしくは人ではないかもしれないと、
そこまでいかなくても、それくらいの意気込みで考えるのはいいことだと思う。
そこで、その違和感にとりあえず蓋をするってのも一興だ。
でも、大抵の場合、なぜか違和感は静かに蓋のしたで黙っていない。

ある日突然、襲ってくるか、蓋をがたがた鳴らして飛び出してくるか、警報を発する。
それでいいのか、それでいいのかと、それでいいのか。トヨタ式である。

自分の嫌なことをやることからも学べることはある。それは立派な学習だ。
でも、そういうことを「故意」にやる人間には、それだけで終わる人間はいない。
なぜなら、故意は、コントロール可能の意味で、逆にいえば、違う何かをやるがための、
修行であり、一時的な身であるからだ。

自分はそうじゃなかったんだという確認をすることはすごく大事だと思っているが、
人によってはそれは「後悔」であるとか、「無駄な経験」という人もいるようだ。
確かに、僕はあのペンションバイトは無駄な経験だと思ってたりするし、
無駄だったかなと思ったり、当時は「意味のない経験」はあると思っていた。
ただ、これは思考的な話だ。確かに「無駄だと思う経験」はあるが、
そいつをどう「糧」にするかは、その思考者次第なのだ。仕事もこいつと同様のことがいえるわけだ。

確かに無駄な経験かもしれんが、そいつをどう活かすかは・・・そう自分次第だ。
自分はペンションとかやってみるのは、相当なスキじゃないとダメって分かったし、
実際に、肉体系バイトではないが、そういうがっつりしたのは、体が弱いので無理(笑)だと
分かったし、そもそも僕らを雇っているオーナーはそれが生計かかっているから、
嫌なお客とはいうものの、愛想はお客にはかなりよかったし。
それが商人だと思うし、プロだと思う。

そう体調が悪いからさぼってもいいのだけど、それが自分に対する言い訳じゃなければいい。
お客さんに迷惑かけなきゃいい。自分に嘘ついてなきゃいい。
感情の乱れなどと考えるのは、もううっとうしい。


現実、現状に違和感というか、苛立ちを感じる。
これは焦り、焦燥感でもある。くそうと。このやろうと。
他人はいいんだ。自分が、という話だ。もちろんだ。
自分が能力がないことを認めるのは非常に辛いことだろう。
何?そうでもないって?他人に何を言われようと、自分が能力がないと言われようが、
それを認めるのと、そうではないのと思うのは違う・・・っす。

誰に何を言われなくても自分の能力、資質、他のなんでもいい。
自分のあらゆる構成物質を、受け入れるのは非常につらいことが多い。
それが善的でも、つらいかもしれない。他人の笑顔があればいいかもしれないが。

受け入れたとする。それは自分で自分を否定しているということにもなるし、
肯定しているということにもなる。が、受け入れたとはそれを全部含むことになる。

自分の描くものとのギャップが常にある。ギャップがなくて、「このまま」でいいなんて、
思ったことはない。さすが20代。若いし、青いぜ(笑)

少しでも前に出ねばならない。ただし、出すぎてもいけない。
でも、だからといって出すぎちゃいけないからといって、躊躇すると、
出が足りないようになる。気の問題だ。
とはいえ、出ねばならない。その繰り返しか!?
そんなことやってたら、終わりそうだ。実際にそういうものだと思うけど。


ワンチャンス、ワンタイムで何かできるとは思えないけど、
でもその1回、1時は最大に活かすべきだろう。そうしなければ・・・。前という言葉で
イメージされるものに近づけない。

そして、最後にこうなる。
お前は何がやりたいのか。そして何をしたいのか。
そんなことを考えても何もでないって?ふん、何も考えないやつには言われたくない。
考えたやつには言われても耳を傾ける。ただそれだけな気がしてくる。

くそ、前へ進む。進みたいんじゃない、進む。go forwardでございます。オホホ。

1人起業でひとまず年商3000万円をめざそう!

一見するとよくありげな本だが、なかなか分かりやすくかいてあるなと関心(えらそー

印象に残ったのは、コストをかけるところが力を入れているところという見方。
普通は、コストって単なる費用だけども。
システム開発にといて、人件費がメインの費用。そりゃPCとかサーバとか、ソフトとか
コストっすけどね。人件費たけーんじゃこらー。と、自分の給料だけどさ。

次に、上原ひろみの話がここでなぜかでてきていて、
それはこの本のメインの狙いである「書くことで未来を想像できているか」の確認。
上原氏はそれができていたから、別に音楽はできるから、それといってやることはないと
思ってたという。つまり、空気のように自然に音楽で生きていくことが・・・。
と、著者は見るわけだ。

ということは、そうやって生きろってことだなあ。。んだんだ。
さあ、やるさ。


1人起業でひとまず年商3000万円をめざそう!―初期投資ゼロで何をやる?どうやる?1人起業でひとまず年商3000万円をめざそう!―初期投資ゼロで何をやる?どうやる?
渡辺 パコ

かんき出版 2005-12
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ネタネタ

本屋へぶらり。
あれ・・・?

さて、それはともかく(何だよ。)、
こんな本あり。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4990263707/qid%3D1139733457/249-4884722-4253922

うーん。面白そうなことしてるね。
やばい。いいねえ。

スープヌードル

http://www.nissinfoods.co.jp/news/news_release.html?nid=948

99円ショップで売ってた。103円。
スーパーで安売りでも、88円のカップヌードル。
って、88円のときあんまりないなあ・・。定価138円とかする。高いが、安定してうまい。
ただ、食べ過ぎるとそりゃ飽きるのはなんでもおなじさ。

やや麺の量が少なめのカップ麺という感じ。
スープの意味がよくわからん。ほんの少しさっぱりしたという感覚はあるといえばある。
でも、それは食べ比べてさっぱりしたよね!っていう結論を出したいわけでも
ないような。

要は廉価版を出したことに意味があるというか、日清はしたかったんだろうか。

どちらにしろ、風呂入って寝るのみ(笑)

納得いくまでやれること

それが1つでもあれば面白い人生だとにらむ。
ないとつまらんと思う。ただそれだけ。

本屋に行ったら、たつをさんところで紹介されてた、
Web2.0進化論だかなんだかが目に付く。
買う。が、なんか本がおかしかった。あれは作成ミスというべきか?
中身の2ページくらいが、妙な折れ方で入ってた。あういう製本になることもあるんだね。
初めてみたよ。

店員にこれ変ですよといって差し出し、なんともない方を買う。
変な客だと思われるがかまん。本を愛する人間として当然のことだ。
落ちた本は拾おう。雑誌は捨てていいが、どうも本は捨てれん。ブックオフは
良いリサイクルだなーとしみじみ。

777円なり。そう、新書がどんどん高くなっているように感じる。
個人的にヨーセンシャのはあまり買わない。ちくまがいい感じだ。
旅に向いてるのは、岩波の文庫の哲学的なやつとか、薄いヤツがいい。
カントの道徳形而上学だっけ。あれくらいの厚さまでしか受け付けない。
講談社の学術文庫は普通に文庫なのに1000円以上するのが敷居高くて買えない。
というか、買いたいものがないだけ。

で、納得いくまでやれることって、何か。
それはやっても納得いっても、まだまだやりたいというやつだ。
小さいころ、日が暮れてもドッヂボールし続けたとか、公園で遊びつつけたとか、
あの感覚だ。飽きるまでやるけど、飽きない。また寝るとやりたくなるというあれだ。
そのあれをうまく色々なものに仕掛けるのもいいし、それでやってくのも一興。

listening MyWay by DefTech♪

ブコウスキー:オールドパンク

よく知らないのだけど、なんとなく。

インタビュー風で、レイトショーなんで、不覚にも途中で寝ちゃった。てへ。
まあ、このブコウスキーって人がどういう人か分かったかもしれん。
作品読んでないけど。詩人っぽくない詩人だねえ。

JAZZyに

そろそろ賢人GAZA.氏の勧めでもないが、
JAZZでも聴いてみたくなってきている。素晴らしい。

GoodWillHuntingを勧めてくれた良き相棒が残した言葉(彼は死んでいない(笑))が、
「聴く音楽が変わるとなんか心境も変わってるねえ」というのが好印象。
彼は休み中にたまにピアノを弾いていた。うまかったと思う。
こんな会話をしたかどうか分からないが、
ピアノをうまく弾けても、そこにハートがあるかどうかは別物らしい。

ふと、思い出したので、雑誌をめくる。
上原ひとみというJAZZピアニストがいて、彼女はちょっと前に日本でも結構大きく
知られたようだ。僕は全く知らないが。
全米では相当の実力の持ち主だがって、コウダクミとか連想しちゃうね。
まあ、それはおいておいて。

新聞サイトの記事で、上原ひとみのインタビューがあったので、
読んでみると、むーできる。こいつはやばい。

さて、CDをとりあえずゲットしにいかねばならん。
好奇心がフルスロットルでございます。
インタビューに、自分の心を伝えるワンチャンス欲しいってのがあった。
やべえ・・・。これはパクる。ワンチャンスか・・。それだよ、それ。

JAZZってものをよく理解してない人からいうと、あ、それは僕のことですが、
即興というところに惹かれるわけです。
おっと、別に決まったメロディーとかが嫌いというわけではないっすよ。
常に違う演奏があると。まあそれって、昔、小学生とか中学生とかに
天外魔境?だったかな、ってゲームソフトがあって、たしかスーファミね、
時間によって内容が変わるってのがあった。それはプログラムの限界があるから、
カレンダデータ読み込んで、それで例えばクリスマスならクリスマスイベントとか。
そういうのだったと思う。実際は違う可能性大。

トルネコの大冒険とか。あういう迷路で毎回違うダンジョンが生成される、
ゲームが流行ったことがあった。風来のシレンとかね。
あれも、同じもので何度も楽しめる。それは即興ではないけども、
同じものではないというところが非常に面白い。個人的には好きなゲーム。
チョコボの不思議なダンジョンとかもあったね。

人との出会いもそういう即興に属する。
人生がつまらんといってる人は僕の周りに残念ながらいない。
いないというか、見つけたら逃げるというか(笑)まあ、そこはスルー。
なんで面白いのかといえば、ここでいう「即興」を楽しんでいるし、
余裕があるからだ。その余裕はコンピュータのメモリが足りないときに、
HDDから一時的にメモリとして使うスワップ的なもの、つまり必然性のあるスペースではなくて、
楽しむという主観的意志(何だそれは!)から生まれたスペース、つまり余裕なんだ。
だから、その余裕は非常に見ていて楽しいし、心地よい。

さて、最後に締めとこう。
あらゆるパフォーマーは自分の道具となるものを磨いている。
誰かに負けないというか、自分に課している。イチロー自身は好きになれないが、
彼の真摯な野球に対する心は好きだ。ここらへんは何度も言っているので、もういいだろう(笑)
プロスポーツ選手、芸術・音楽に関するパフォーマー、作家とかもそうだしね。
そういう人は絶対に他人を打ち負かそうとしてはいないと勝手に思っている。
そりゃね、勝負の世界だ。0-1で負けたらだめで、1-0で勝たなきゃだめだ。
でも、相手に勝つにはって考えるわけさ。相手の弱点はどこだ。
自分の動きの問題は。うまく抑える方法はないか。何が足りないんだ。体力か、
正確さか、それとももう越えられない壁なのか。

相手のことを考えると、じゃあ次は自分が何をすべきかになる。
こうすればいいじゃないかと、頭で考える前に、磨かれた感覚は動くだろう。
そこでは、他人に勝つなどというものを越えて、自分に勝つという思想に転換、
いや転換じゃないな、スッっと入れ替わるといったほうが正確だ。

自分に勝つ。それは自分が成長するといっていい。

というわけで、文章でそれをやるのはかなり面白いと思っている。
どこまで出来るかやってやろうじゃないっすか。このやろー(えぇ

沖縄ネタ

たけしさんネタだ。
とりあえずメモっとこう。

沖縄移住計画の話で、
どうもそういう人向けのツアーとかもあるらしい。ビジネスだね。熱い。

移住のポイントは、3週間、3ヶ月、3年とか移住を繰り返して
気付いたら住人になっていたというのがいいみたいと書いてある。
納得。

確かに新環境に飛び込んでいきなり空回りして去るって人もいるんだろうなあ。
那覇市なんて普通に都会だと思うし、那覇と名護じゃ絶対全然違うしねえ。

本ネタ

日経のプラス1でまた、本ネタが。
熱い。よーしらべちょるね。さすが記者。ライター。レベル高いな。

これみると、そういう店が増えているとある。
「ブックカフェ」はイメージできるけど、「ブックバー」はまだまだ分からんな。
今後楽しみだわ。全くだ。ありがたい。

で、前かいてたちょうちょぼっこも記事中に出てくる。いいね。
京都は人口比でみると、多いらしい>「ブックカフェ」「ブックバー」が。

他にも色々な店の名前が記事中に出てくるわ。
これら全部チェックしたいところ・・・。まあ、まとめることはするのでいいとしよう。
京都はイカンといかんねえ。いやあ、京都熱い。

一見さんお断りカフェっての創ったらどうだろう。
え?誰が最初くるんだって?(ニヤリ

たどり着く共通点

人と話していて面白いのは、
別々のことを一見しているし、確かにそうしているのだけど、
たどり着く考えが同じだというところ。
そういうのを安堵感とか、大丈夫感とかいえば、いいのだろうか。

結果的にそうなったわけで、考えを同じにしようとしていたわけじゃないから、
自己アイデンテテの確認作業も行える感じ。
そして相手とは深い共感が出来る。

と、ふと思ったので書いてみた。


なかうと闘病

タイトルに関連性0。
日経ネタなり。

まず、吉井怜というアイドルの話。
彼女は白血病になり復活して今活躍しているそーだが、
その闘病記として「神様 何するの」って文庫が、幻冬舎から出てる。
ふむ。面白そうなので、リストにアッド。

ikeさん風にいって、成功するアイドルか成長するアイドルか。
やはり僕は成長する人間が面白くて、成功するためになんかやる人は、
成長をみてないなら、多分成功なんて仮にしても残るのはマニーだけですかね。
ま、それはいいや。
とにかく、面白そう。

次。
なかうって牛丼なお店ありますが、あれはゼンショーの子会社らしい。
ゼンショーはすき屋で有名な会社と。
で、サンビシっていう愛知県にあるしょうゆメーカーが潰れちゃったので、
そこと基本合意したよーって記事があった。要は倒産復活合意書ですかね。
個人的になかうは好きだなあ。吉野家とはまた違うし。

岡本太郎

日経MJの特集で。

ふむ・・・1970年の大阪万博を僕は知らない人間ですが、
太陽の塔は知ってます。
太陽の塔っていうバンドいますよね、ウルトラマンだったかやった俳優の人。
ラジオ聴いてたな。うむ。

その岡本さんが、今死後10年ということで、20代とか若い人にブームらしい。
こういうブームは純粋に乗っかりたいなあ。
例えば、投資ブームとかくそくらえというわけです(ほう
まあ、それはいいや。

ゲバラと同様、適当に調べてみるかな。

個人的に覚えているのは、デザイン博。
デポちゃんとかいう、芋虫かなんだかわからんキャラが好印象。
多分、いまあのマスコットみたら泣くほどうれしいと思う。

おお・・・
http://toppy.net/myamya/myamyasp8.html

うお。。まじで。名古屋各地にあるオブジェって
デザイン博のものだったの・・・。なんかすげえ・・。
地方博バブルねえ・・。面白い。

デポちゃんでアラかせぎって、今回の2005年のあれも、
キッコロとかでアラ・・・いやいや、んなことはないっすかね。

え、でも、デザイン博は裁判っすか。何々、赤字なのに黒字といったと。
やべえ、熱いね。もうこれだから新聞読むのやめられんわ。

スポーツ選手の人材派遣

松井を派遣するとかそういうのじゃない。

引退したスポーツ選手の就職斡旋とか。そういうビジネス。
リクルートスタッフィングとか、アデコとか。いわゆる人材派遣会社。
あくまでも、人材派遣と人材紹介と人材斡旋とかそういうのは、
微妙に違うらしい。これ、ダチに聞いたらしっちょるかもしれん。今度聞こう。

ま、いいや。

面白いなと思ったので。

記事によれば、サッカーは25、野球は30で引退だそうです。平均が。
結構若いっすね。ラモスが40くらいまでやってたのは、すごいっすね。
カズも若くないってことですなあ。まあ、それはいいとして。
引退したスポーツ選手は、スポーツ界でコーチとなるのが多いのだそうで、
じゃあコーチになれない引退したプロはどうするのかなあとか、
すごく勝手に思いました。

すごく現実的なことをいうと、20,30代なんて若造ですから、
小さいこの夢がプロ野球選手ってのはすごく夢っぽくていいなと思います。
が、が、が、30で終わるということで、結構叶ってもはかない夢かなと。
正確に言うと、僕の中でプロとして活躍したら現役はそんなに多くなくても、
それで一生いくみたいなイメージがあったんで。良い発見です。

プロだけじゃなくて、アマも対象に入ってるらしいっすね。上のビジネス。
面白そうっすね。

哲学者

2006年の2月8日。日本経済新聞の夕刊。最後のページかな。
鷲田さんが乗ってた。おお、大学時代にはPHP新書とかでよく読んだ記憶が。

哲学者ですね。
面白いこといってる、さすが。

哲学カフェなんてやってるのね・・・面白そう。

記事のコメント的標題?で、「見えちゃった感じ」若者に蔓延しているとあって、
ふーんとか思いながら読む。
悟りってのは、考え抜いてこうなるっていう感覚で、それはゆるぎないもので・・・って
見えちゃった感じってのは、単なる感じだ。
感じじゃだめですわ。何もみえちょらん。

ここで、マトリックスの、Dont think, Feel itを持ち出すと、
矛盾してしまうのだけど、感じってのは感じでしかないことはよくある。
ここでいう見えちゃった感じは、おそらく決め付け。
決め付けでものをいうのはダメです。
おっと、僕も決め付けていること一杯ありますけど、
例えば、公務員は安定志向の人の傾向が強いとか、
でも、これは公務員で面白いことをやってる人に出会えてないという経験結果でしかないっていう、思考スペースは入れてるんで、決め付けじゃないんでしょうね。
って、公務員は必要ですよ、もちろんね。

必要であるといい、否定するのかという突っ込みはスルー・・・はできんな。
否定するというか、自分の考えに合わないだけ、それだけ。
否定はしてないね。自分はそういうのはやだなーってのは否定といわれたら、否定ととってもいいけど。

前もちらっとかいた、
自分が嫌だなーって思うことは否定かどうか。
おそらく否定じゃない。それを口に出すことで否定になる。
つまり、「嫌だな」と思ってる時点では「否定」ではないが、
なぜかその思いが「口」というところから、言葉としてひゅっとでたときに、
「否定」となる。おお・・・恐ろしいような、滅茶苦茶楽しい発見。
ってことは、これって、あれだ。あれ。あれ。あれ、アレ!
人は言葉で言ってること以外のことも大分含んでたりするってことの証明になる。
素晴らしい。

で、哲学者ネタってことです。うふ。

哲学カフェって検索するとあるんだ・・・・。
うお、これと本組み合わせるとやばい・・。滅茶苦茶楽しそう。きたー(笑)

おりゃー

17歳の少女殺人事件。
犯人は懲役16年だそうで。

まあ、この事件自体どうでもいいなんていうわけがなく。
というか、普通に死体を欲しかったなんてねえ・・・。
猟奇的という言葉が一番ぴったりってこういうことかねえ。

まあ、懲役16年で人間が更正できるんですかね。
おっと、更正なんていっちゃいけないのかね。

まあ、いいさ。とりあえず一つずつつぶしていくか。

まず、一番の疑問は、元市職員であったということ。で、公務員ってことで、
その市のコメントもあって、このようなことがないように指導するってあるけど・・・。
いや、そんなコメントいらねーっすよ。僕は公務員を安定求めてなる人は、
生理的に受け付けない(えー)というのは大げさですが、
そもそも仕事ってものは安定・・・以下長くなるので略っと。
で、コメントはまあ、流れ的にはありだけど、必須かといえばいらない気が。

だって、元だし、そもそも元ではなくてもですね、
公務員個人が起こすことに関して何らかの指導が・・・できるはずがない。
そんなのは逆に指導できたら問題な気がする。

例えばトヨタの会社員が殺人事件起こしたら、多分もみ消されるんでは?
と、トヨタを悪者扱いしてみた。別に、トヨタだけにいってるわけじゃあない。
別に大企業、いや会社を誹謗中傷するんじゃなくてね。
逆の立場になると分かるわけで。自分が経営者だったら、そういうインパクトある事件を
広めたくはないし、傷がつくからね。
でもね、1万人を軽く越えるような企業なら、普通はそんな人!といったら失礼なんだが、
いてもおかしくはない。国レベルですよ、感覚的にはね。

で、まあいいでしょう。

で、一番腹が立つのは殺された方だわ。
少女が出会い系サイトを使っていたってことで、正確にはそれに乗って、
出会いにいったからダメだったんだけど、これまた出会い系サイトは悪者になるね。
おっと僕は出会い系が悪いとは思ってません。アリとすら思いますが、
危険ですわ。世の中ですね、ええ、「良い人」ばかりじゃないんです。
なんで?そんなこと自分で考えろ!とはいいませんが、これが現実。
この犯人で証明してもいいですし。まあ、まあ。

で、家族の人は、すげー悔しいだろうしね。
自分がこんな殺され方、いや死に方か、されたら多分呪うね。

なんかちょっと久しぶりに腹が立ったので。
記事の最後らへんにあった、犯人の供述か。それにたいして。
つかまってよかった・・・つかまらなきゃ第二の殺人になりそうだった・・・
みたいなことがかかれてて・・。

おいおい、、そりゃアンタ卑怯というか、問題外だろ・・・。
神戸か大阪か・・・大阪だな。起きた小学校か、どこかの事件思い出すね。
つかまりたかったみたいな話じゃなかったかな。

なんでアンタがつかまりたいがために、人を殺すのか・・・。
最強の自己中だ。こういう自己中を撲滅するためにって活動したら、
結構いけるかもしれんが、でもそういう自己中を撲滅するって思想自体が危うい。
怪しい宗教をこえとる。危険だ。

まず何を持って人を怪しいとするのかから問わねばならぬ。くそ。

自己中っていっても、自分のことばっか考えてるのは勝手だけど、
人に手を出すなと。自己中が社会と関わるととんでもないことになるなあと。

なんか悲しいですね。

という意味で現実は非常に無常ですわ。
悲しい部分や暗い部分に焦点をあてても、どうにかなるってことでもないですけど。

で、猟奇的なことをしちゃう人ですが、心理的にやっぱ異常としておきますか。
言葉の限界ですが、異常といっちゃうと、もう正常って何よとか、定義しても、しきれないから、ここでアウト!なんですけど。
とりあえず、人殺しはなんでダメかという疑問が一時期はやったように、
それくらい「生きる」ことが「切実」じゃない人が多くなったわけですわ。
これはまさしく「豊かさ」がもたらしたもの。経済的・・・という接頭語つきですが。

人殺してもいいんじゃない?へへってノリで殺すのか。
人間じゃないぜ。

憎悪では何も解決されんとはいうけども、解決云々の問題じゃないなあ。

ああ・・・、あれだ。
メガチカのモンスターとしての私もそういや話としてはそんなのだったねえ・・・。事件は猟奇的ではないけどね。。。
恋愛劇には僕には見えなかったしなあ・・・。うむ。

人を殺した人を許せますか。
何に対して許すか。そもそもその問いはなんだと。どこから発生しているのかと。

何?猟奇的な人間を生む環境が悪だと。ふざけるな、ばかやろー。
許さん。絶対あんた許さんよ。
というのが感情であって、それが心であって、人間だなと。

犯人は遺族から恨まれ、時には命を狙われるかもしれない。いや、脅しじゃなくて。
そりゃ仕方ないさ。もしもそういう行為があってもね。と、僕は思う。
でも、そういう復讐法は日本の法律にはなさそうだから、やると犯罪者ですな。
最もそういうことを考えて人を殺す人はいませんわ。
ってことで、僕は殺人はできない証明の出来上がり・・・。(ほう

つかまりたかったとか、猟奇的なことをしたかったとか、
そうじゃなくてさ、単にどっか間違って、自分の人生充実してねーな、くそ、
ヤケだぜ、という心理だったら、間違いなく、「叫べよ」といいたいなあ。
何を叫ぶか?
「俺は人生つまらんわ」といってくれよ。
そしたら何か出来たかもしれんじゃないかと。

最もそういう人間はまずもって叫ばないからなあ。

ああ、なんか後味悪すぎる。
人を殺す自由なんて、机上の空論、言葉遊びであると断定。
これは断定。絶対断定。絶対なんてないけど断定する。

LineInMotion

http://www.lifeinmotion.jp/

ああ・・・みたい。
平日にやるとは、どーも社会人向きじゃないのかね。
いや、披露会だからか・・・?

無料ってのは嬉しいけど。

まあ、落ち着け。次を待つとしよう。
時間ある方はいってみたらどーでしょうかねえ・・・。

免訴

ほう・・・横浜事件なんてあったのね。全然しらんかったよ・・・。

免訴って言葉が気になって記事読んだけど、つまり「裁判を続行せず、打ち切る」意味らしい。
で、それは再審を求めてた被告からは逃げにうつるそうだ。だろうねえ・・・。

で、事件自体は記事に説明があって、戦時中の42年に、ああ1942年ね、
編集者60人ほどが言われない罪で有罪判決にされたということ。4人は拷問により死亡と。
まあ、それくらい不自由な時代だったわけです。それが戦時下というべきか。
世の中の不条理をここで嘆くことは不必要ですが、全くもって誰もがヒトラーになると
いえますな。映画「es」は、確かこもれび氏のすすめでしったんだよなあ・・・。思い出した。

で、免訴をするってのはそういう法律というかルールがあるみたいっすね。
条件があるというか。有罪にされたまま帰らぬ人となっては確かに悔いというか、
悔しさですか、残りますわなあ・・・。

とりあえずまあ、僕としては免訴って言葉が気になって知っただけで、
非常に興味深い事件ですが。

こういう意外なところで知ることは新聞の効用ですかね。

免訴となると、もう再審要求とかは出来ないんですかね。
裁判分からん。くそ・・。

アクセス解析でも

溜まった新聞を見つつ。
最近目につくキーワードは、働くってキーワード。ああ、アクセス解析ね。

ふむ。働くというキーワードで来てもらえると結構楽しいブログかもね。
考えることはとても楽しいのでございますよ、と。結果的に思っているので、
まあそんなところが伝わればオールおっけーちゃんです。

さて、自分の仕事というフォルダを、お気に入り整理で創ったりして、
何かに蝕まれる程度の「徐々具合(!?)」で、進行しつつある、「俺仕事化計画」。
これを無印良品の良品計画のパクリだなんて、思う人はなかなか「無印マニア」でしょうか(いや、思わんよ。

楽しみにしている人もいる(いない)、Excelシートによる自己時間管理ですが、
本業では、何をしているかが後から見て分かりますね。
大体メインタスク1があって、サブで2,3ですね。意外に1時間とか2時間でできる
仕事は限られてますね。8時間ってそういう意味で短い。複数のものを短時間やるより、
同じものを長時間するのとは、単純に比べられないですが、疲労度は変わりそうですな。

まあ、自己時間管理は微妙です。
何が微妙かというと、書いてても別に自己の時間が管理できているわけでもなくて、
一種のTODOリスト的には使えますが、それはTODO書いてりゃ問題ないんで。
まあ、いいでしょう。よくあることです。よくやった己(えぇ

あら。
意外に、このブログ。来月で2年です。2周年。
1周年は結構軽めな気がしますが、2周年ともなると、かなり愛着が出てくるもの。
ドリコムさんは、マザーズ上場したらしいですな。ふむ・・・。

2年かあ・・。結構あっという間ですね。と、すでに遠い目。
メモ程度のエントリから、一応色々ありましたねえ。
ベータブロガーよりも、やっぱガンマブロガーを目指しましょうか(ほう
もう何を意味しているかすら分かりませんが。

日記でもないと思うので、日記的な要素はありますけど、
書くのは好きですという結果にはなるだろーねと、自己正当化。

僕が生きているのも皆様のおかげでございます(ニヤリ

書き忘れた。
俺仕事化計画で、だんだん本業と自分の仕事の境界がぼんやりしてきてます。
これはプライベートと仕事の境目がないということも意味しますが、
別に本業に食われているのではないのですね、おほほ。
逆に境界線がなくなるってことは、自分の仕事がよりビジネス化しているという
捉え方です。そりゃ、キギョーしたいんですから。金魚じゃないっすよ。起業です。
たまに、起業を誤変換して、企業する!なんて書いちゃうと結構恥ずかしいですが、
よくあるので、見つけてもキニセズ。

ぐう。

あれだ

アレという言葉を使うとボケるとかどーとか。

あ、そんなこといったら思い出した。すげ。というわけで、逆で、
「あれ」を連発すれば、逆に脳が活性化する。「アレだよ!アレ!」

ラジオで、やってた。
医者の人が健康云々のことをいってた。ちなみにFM。
で、内容はというと、今の医者とかというか、患者に対する態度は
大分変わりつつあると。
それは、大分定着した感のあるインフォームドコンセントっていう、
コンセントって電気線じゃないよ、ものからはじまって、

余命1年のガン患者がいますわ。
で、彼女でも彼でもなんでもいいんですが、彼はもう1年しかない。
で、今までは、1年をきっちり生きるとかいうよりも、延命というのが
医者の義務だった。が、今は違うそうな。と、いうか、なりつつあるといったほうがいいのかな。
その人と医者は話し、「どーしますか、1年ありますが・・・延命対応ですか、
それとも1年を精一杯生きますか?」
と直接いわんだろうが、そのような会話はするだろう。
で、本人の意思とまあ家族とかとの判断からどーするかと。

そこで「退院して、夢だったことをやりたい」といったら、
多分退院できると思います。そこは医者の考えも大分入ってくるだろうけど。

一昔のように、医者は治すだけではないってことですね。
相手のことを考える。ってそれくらい、現代は医者がいるのか、
それとも、患者である人の考えが変わってきたのか。
そいつは分かりませんが、なるほどと。

というわけで、医者がですね、病気を治す時代は終わったというのかもしれません。
確かに、100年寿命があって、100年生きるのが幸せかと。
それは結構考え物です。そりゃあ、あんたね、明日死にたくはないよ。
でも、100年も生きる必要性ってのはねえ。必要なものがないとね。
おっと、長寿者を批判したり、長寿王国沖縄を批判しているわけでもないっすからね。

医者の口から、語られたその時代観はとても面白く感じましたよ。
にしても、意外なところで意外な意見が得られるから、
意外なものに惹かれる。この好奇心は命取りになるので気をつけたいもの(ぇ

ほう

ツカサネット新聞リニューアル。
http://www.222.co.jp/netnews/

企業として、収益を上げるならばという意味で、
おそらく今までのやり方ではダメだったんでしょう。
いやそうじゃなくてもですよ、変わった理由が何かあって変わったのでしょう。
こうありたいから変わる。
そういうものがないのに、ただ変わることはありえませんし。

とりあえず、様子を見ることにしますか。
多分、活発になって前よりよくなるように・・・は思えないですわ。

なんでかといえば、コメントのレベルとか、?な人がさりげなく入っていて、
読解力とかそういう話じゃなくて、普通にケチつけているようなものも多かった気が。

レアケースだと思うんですが、
「そんな意図はなかったんです。誤解です」っていうケースって、
顕在化する、つまりそういう風に謝ったり、誤解を解くパターンになるのって、
レアな気がしませんかねえ。
ってことはどういうことかというと、そもそもアホばっかだと。
アホってのは、自分が何か腹立ったらそのまま誰かを殴るとか、そういう人ですか。
コメントなんてそんなに「背筋伸ばして」書くものじゃあないけど、
でも、揚げ足取りとかいう人はいそうな世界ですなあ。

肝心なものをどっかに忘れてきたのかしら。
まあ、そうやって客観視するといわゆる僕が嫌いな表現で「痛い人」になりますが。
ま・・がんばってくださいよ。ホントに。
ああ、ツカサネット新聞にじゃなくて、揚げ足トリさんね。


ところで、編集部が原稿チェックするのは意外だったんですが、
そういう意味で、なんか中途半端な気が。
チェックなんてないと思ってましたし、逆にチェックすると、盗作かどうかなんて、
どうやってするんでしょうと勝手に思ったんですが・・・。

僕が書きましたよ、オホホ!
なんて僕がここでいっても、このブログ全体がパクリって言われたら、
何をもって証明するんですかね?

ああ、ikeさんの話にあったな。
続きを書かせればいいんだ(笑)
でも、ネットだと、見えないからねえ。

で、そこまでコピーして何かしたい人っているんですかね。
いたら、狂気ですね。まあ、がんばれと(笑)

woofoo.net

こんなサイト見つけました。
http://www.woofoo.net/

ツカサネット新聞に代わり、新しいライター気分を味わえる場になりそうです(笑)
このサイトの場合は、「買う」という話で、決して「掲載」されたらではないというのが
大きな違いですかね。最も新聞でもないですしね。

何かを失うといったら言い過ぎですが、次が見つかるものですね。

世の中うまく出来ていますね。
逆にいうと、探そうとしなきゃ見つかるものも見つからんってことはいえそーです。
さあ、書くべ。

クワイエットルームにようこそ

やっとこさ。
なるほど。こりゃ結構くるね。

多分、精神病棟とか、今って精神科って言っちゃまずいそうだったかな、
そういうのの雰囲気が伝わってくるもの。多分それだけじゃないんだろうけど。

ハッピーエンドな小説を求める人はこんな本まず読まないね。
一応主人公は退院して出ますけど、ハッピーなんすかね。

自分が主観としているものが、反抗であるとしたらどうします?
つまり、こうですわ。

自分は正しいことをしたと思ってた。が、それは犯罪であったとか。

で、犯罪ならともかく、精神病院行きだとか。

例えば、障碍を持った人は、その世界観があると思われます。
ただそいつは僕も同じで、一応健常者といっていいんですかね、そうなんで、
そういう世界を持ってる、だけです。
世界が違うから全く違う人間かといえば、そいつは逆で、人間が同じであって、
たまたま世界が違ったと捉えるのが僕としては好きです。

一人暮らしの高齢者を狙う空き巣とか、泥棒。
力の弱い女性を狙うスクーター小僧。そういう人はまず、世界というフィールドに
あがってこれません。
昔は悪いことしたな、といってる人は、フィールドにやっと立てたといえるんでしょうな。

で、障碍と健常の世界ですが、それはそれであって、
では精神病棟の世界もあるわけです。そういう世界の1面を描いた作品といっていいでしょう。

ホームレスのおっちゃん(おばちゃんもいるんでしょうが)の世界も、
あるかと思います。またそういう世界は色々です。

最も大勢の世界が最も柔軟かといえば、おそらく最も固い気がしてなりません。
サラリーマン世界は柔軟でしょうか。柔軟ではなさそうです。
例えばハンセン病などの特定の病などでマイノリティーとして集まる場合がありますし、
他にはアルコール依存症とかね。そういう人の世界は柔軟かといえば・・?
柔軟かどうかでは表現しきれないことが分かりますね(おぃ

カフカの変身みたいなことは、フツー起こらないと思いますが、
例えば事故でケガして、っていうパターンなら十分起こりうる気がします。
相手を叩くとは、相手の立場を考えず発言することだと同意で問題ありませんな。

というわけで、色々な世界を見てみたい人にはおすすめです。
この人劇作家なんだよね・・・。知らんかったさ。


クワイエットルームにようこそクワイエットルームにようこそ
松尾 スズキ

文藝春秋 2005-12
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かぼちゃの煮物

実践的な料理レシピとは、
今売れているらしい料理の基本の本よりも、
まさに以下のようなものではないかと問う。

かぼちゃの煮物でもつくるかと、かぼちゃを買った。カットされてるやつね。

気付けば、白カビかアオカビか、何か分からないがよくなさそうなものに
汚染されつつある。

よって、まずレシピに入る前に、それらを除去することから始まる。
じゃがいもも芽を取って食うのと同様。しっかしワイテたのはびびったが。トラウマじゃ。

皮はつけたまま煮るようだが、どうも皮もあやしい。
というわけで、皮をピーラーちゃんでむく。素晴らしい。

煮込むもと?だし?は、水に砂糖と塩とせうゆを加えた和風風味で。
15分ほど弱火で煮込むとあーら出来上がり。ちょっとどろっとしたけど、
まあいいでしょう。明日のおかずに。

煮物は多分火さえ通れば、というか材料が多くなるとそれが難しくなるため、
下準備が大切だと思った。

自炊スキルがあがったようだ。

文章が苦手な人

さて、「吉野家へ行った。うまかった」が頭から離れません。やばいっす。

というわけで、
happy hunting groundのまいるさんのエントリ
「評価を恐れているのは誰だ?」

から派生。

結論はこうなっとります。まいるさんのコメント引用。
【ここから導き出される結論は「誰もそこまでお前の事を構えるほど時間がない、みんな自分のことで精一杯なんだ」ということでして。そしてそれが正解だろう、と。】

簡単にまとめると、
文章が苦手な人は苦手だとかいっておいて、
実はそういってるだけで、「単に評価を恐れているだけでは」と。

評価ってのは、「あなた文章下手ね」とかよりも、むしろ
「あんたの考えはよくわからん」とか「なにいってるのか?」とかなどの、
考えを表現したけどもうまく伝わらないケースがここではより近いかと考えます。

「苦手です」といっておけば、いわゆる「想いが伝わらない」とか、
もっといって「摩擦」が起きた場合に、
「わたくしめの不徳といたすところでございます。なにせ文章が!苦手!ですから」と
いえばすむって寸法です。

ところがどっこい、例えば、辞表を書いて、相手に退職の想いが伝わらないのでは、
やっぱ「吉野家へ行った。うまかった」のレベルの文章を書いていては、
おっと、こんなことをいうと、日記を書くなという風にとれるかもしれませんが、違いますよ、おほほ。
書いていては、ダメなんじゃないでしょうか。
辞表で辞表できないなんて、軽いネタになりますね。

ま、そんなたとえ話はともかく。

文章はおそらく、まいるさんの言われるとおり、学校の国語ってやつが、
厄介だし、そもそも読解力は微妙です。
学校教育批判は簡単ですが、何もうまない気がするのでスルー。
そもそも僕は文章書くの好きですけど、前からというよりも、むしろ本を読むようになってから、
というのが正確なところです。ま、それはスルーで。

文章が苦手だというのは、結構辛いものです。
例えば、自分が考えたことを「うまく」言葉にできないのは「ストレス」です。
少なくとも僕はストレスでございます。もちろん、あらゆる考えを言葉にできるなんていってません。
で、そのストレスはまあ、好き嫌いとか人は色々な人がいますからね、文章は
苦手とか好きとかそういう感覚的!なレベルで言ってていいのかなあと。
多分ダメだから、こんなこと書いてると思うわけですががが。

別に文章が苦手だからダメですとか、そういうことじゃないですわ。

こういうツッコミをしたいんです。
「あんたは文章苦手っていうよね、じゃああんたが文章苦手だとするさ。
で、あんたは文章苦手だけど、文章書いてるわけさ。
で、その文章をどうしたいのさ。日記でうまかったとか書いてりゃ、それで満足なのかね。
ネットで何らかのことを書くってのは、たとえ1ミクロンでも反応が欲しいんじゃないのかね。
反応を欲するのを何も「文章がうまい人」がやる行為なんて思ってなかろうかね。
こういうことを書いてみたいから書くのかね?ならば、海のものとも山のものとも
分からぬあんたの文章に反応するってことは、文章それ自体があなたというものと
一緒になるくらい、想いを詰め込むか、密度をこくせんといかんのじゃないかね。
それが大げさと思うかね?大げさだとか、堅苦しいとか、そこまで覚悟がないって?
ならば、文章が苦手といって、そのままの人間でいたまえ。別にそれも一興だわ。
で、最後に。
文章が苦手というなら、次は何をしたいか考えてくれ。
好きになりたいのか、うまくなりたいのか。何だ?
別にうまかったという日記書いていれば満足。友達とか身内に見せるだけでOKなら、
そもそも「文章苦手」で、書かないよね。
つまり、文章が苦手といってもいいけど、だからブログが続かないとか、
妙な自己正当化と、妙なレッテルを他人に貼るのはやめてくれないかな。
というか、そんなこといってるからいつまで経ってもダメなんだよ。」

と、まあそんな感じです(おぉ

で、書いてて思ったのは、
文章が苦手な人って、いいですか、ここから注意、
そうやって「本当に」思っている人は、まず文章書かないでしょう?
文章書いているブロガーは、苦手じゃないってことですわ。これはまいるさんも確認済みですな。
文章が苦手な人は本当に書かないんですわ。
文章を多分読むのも苦手だと思います。
本好きに文章が苦手な人はいないと推測+断定しときますか。

ってことは、文章が苦手な人って、
恐れずに言うわけですが、やはり単に「考えてない人」であるといってしまいましょう(そうきたか
考えてないから、書けない。書かないから、考えない。の循環。おめでとう(笑)

ってことはやはり、文章が苦手だという人は、誰かの反応が欲しいのです。
その文章がどんなものであってもね。というわけで、まいるさんに同感。


思い出しました。
文章に重さ、つまり「想いが入った文章」のことをここでは意味しますが、
があると、バカみたいとか思う人もいるそうです。
そういう反応というか、バカみたいと思うのは勝手ですが、
何をもってバカというのか。非常に本当の意味で「偏見」ですね。蛙ちゃんというか。がーがー。カエルが可愛そうですわ。

常に何かに白けて、興味をあまり出さずに、表層的なところで暮らして、それが
人生だと思っている。別にそういう人生は一興ですな。まあつまらなそーとは思うから
真似しませんが。

文章がうまいと思っている人ほど、下手な気もします。
僕は文章がうまいとは思ってません。念のため。
多くの熱きブロガーもそうでしょう。まいるさんもね(笑)



HP更新

とりあえずお気に入りに貯まってたものをページに起こすっと。
作業的にひと段落。ってこれ、休みにやる予定だったが。
まあこういうことはよくあるさ、どんまい己。

後は、ブログにある文章に加筆する形で手を加えて、HTMLにするだけ。
これは結構な量だわ。

よし、明日に回そう。

それにしても、腹減ったなあ。飯たりんな。

ほー

HP更新に励んでます。
こんなのでてきた。
http://toshokan.bunkoyasan.jp/adv/kc_card.html

NPO法人である「としょかん文庫やさん」が、カード発行してる。
すげー。これってすげーじゃんとか思う。

1万円ごとに50円寄付されるんだって。
面白い仕組みだねえ。

すいません。僕は楽天ポイント貯めてしまう人間ですから!
残念!

ちょうちょぼっこ

友人の情報。

http://www.nk.rim.or.jp/~apricot/chochobocko.html

京都熱いねえ。行ってみたいわ。
名古屋でもこんな場所ないかねえ。
なきゃ作るべ。それが起業家魂であり、プログラマ魂である(ほう

適当に消化する?

何を?人生を。
ばかやろー。と、とりあえずキンパっつあんに言ってもらいましょうか(笑)

ふざけんなー。
贅沢な人生とは、皮肉でもなく、そういうものをいうのでは?
だから、豪華と贅沢は違うのだ。贅肉は肉がつきすぎていることを言う。
贅沢とは、無駄な摂取であるといえる。

って、クワイエットルームやばい。寝る前に読むもんじゃないかもしれない。
おかげで、今朝おきあがれなさそーだった(関係ない

最近ほんの少し、本当に少しでありますが、
幣HPからこちらに来る人も出てきました。
素晴らしい。前はそんなことレアケースだったんですが、
念願の結果がでてきた模様。ふっ。余裕だぜ(えぇ

なんか雪降ってきたので、傘もなかったので、テンションがやや高まりました。

吉野家へはいってません。ちなみに、吉野家の牛丼などの味についてですが、
好きな人も嫌いな人もいるところでしょう。
最も「金ねーぞこら」という人は、賢い選択肢でしょう。

お金?
今日、スーパーいって、レジいって、商品出して、
会計するときに、財布がないことを忘れてたいたことを思い出し(=つまり、ないことはしっていたのだ!)、買わずに撤収しました。
恥ずかしいというか、僕はやっぱ普通じゃないと思いました。
スーパーに感謝。というか、タダのアホです。ごめんなさい。

ボーイズ・ドント・クライ

ぐは。

確か大学時に、ある教授が勧めてた気がする。
人によるとか言ってたかもしれん。まあ、勧めてたのは確か。

性同一性障害の話。
というよりも、憎悪犯罪の話らしい。
どちらにしろ、実際の事件を元にしてるんだから、考えちゃいますな。

僕が感じたのは、なぜ男になろうと思ったのかという単純な疑問ではなく、
というかそれを「障害」としているのであって、別にそれはいいんだ。
なぜ、バーとかわるそーな男どものところに行くのか。
多分、自分は男だからでしょう。
男になったらケンカをしたいとか、悪いことしたいとか、
そういう話はどっかで見聞きしたことはありますが、そういう流れでしょうか。
それが全部とは思わないけど。

レズやゲイを変態とか気持ちが悪いといい、そして憎悪につながる。
おそらく、あの家族というのは特殊にもみえますが、それが一般的であれ、
「より身内」に近かったために、憎悪も増幅したのかもしれません。

原点に変えれば、人は人を殺す権利などないのだということになります。
そして、そういう原点があれ、そんな権利があれ、
実際には人は殺され、死に、そしてこういう事件もあったわけです。

非常に無常です。全く。
多分今週は全体にテンションが低いですわ。

良い映画だと思います。人を選んで勧めた方がいいでしょう。
つまらないと思う人は、多分ゴウインに推測すると、
女が男になろうという気持ち、もしくはそういう障害が1mmでも共感できなかった、
または、無茶なことをやろうとしてるから結果的に当然と思ってしまう(これは実際に演劇で役を与えられた時にどう振舞えるかが分からないというのと同様かもしれない、と知ったかぶり)、
くらいですかね。
あとは、単純にアメリカの話だからとか、自分とは関係ないとか。
そう思ったら多分つまらんでしょう。主人公のブランドンが無理してるってのも、分かる気がするし。

映画はこうじゃなくっちゃね。

天国の本屋?恋火?

観ました。

天国と地上が完全に分からなくなって、やっと理解できたような気がします。
最後の方で。

ところで、本当に恋してたんですか。
ダメだ。もうこれ以上は言えん。

想いが伝わるのとハッピーエンドって同じじゃないでしょう。
と、謎コメントを残しておこう。

で、内容は抜きにして、天国の本屋というか、あれは図書館だよなあーと思いましたが、
あういう本屋もいいね。ピアノ置いてあって弾けるのって。
カフェ風だ。いいわ。

俺たちに明日はない

クライドアンドボニーが、正式みたいね。

なるほど、確かに商売銀行強盗は銃で脅しさえしていれば
危害は加えないし、それは商売になるかも。
もちろん、誰も黙っちゃいませんが。

仮にすごく凶悪でもう狂ってる以上を越えた人が罪をおかしたとしよう。
でも、それって人で止められるレベルではないのかも。
いや、本当に。といっても、止めないのもナンセンスかもしれません。

逃亡し続ける人生も一興。

げ、検索CGI動いてませんな

このブログではなく、幣HPのこと。
どれどれとおもって、検索ボタンを押したら、エラー発生してるし。
エラーを直すのはもう職業病。
そして、何かプログラムを触るとテストしたくなるのも同様か。
むー、これレスポンス悪いな。レイアウトがダメじゃないのか。
ここで、スペースいれて、実行したらどうなるか。

単にパーミッションの設定でした。
多分前のinfoseekからそのまま動かして放置してたってことか。
って、そりゃ半年以上放置ってことだったのか。ダメですなあ。

というわけで、HPのコンテンツ整理中でございます。
削除するのものはございませんが、自分がもっと使いやすいようにしますわ。

やべ

新聞読んでたら、
パーソナルATM貯金箱なんてあるよーで。
キャッシュカードと暗証番号をいれないと取り出せないらしい。すげえ。
アラームとかなるらしいです。お札も入れれるみたい。

これって、カップラーメンコンロみたいな商品がヴィレヴァンであったような。
あれと似てますね。意外に実用的かも。

すげー欲しくなったんですが、2000円もあったら映画見れるのでさようなら(笑)

で、たまたまヴィレヴァンのネットページを。うお、ネット販売もやってたのね。

http://store.yahoo.co.jp/asoberu/bfb7b4e9a5.html
きたー。しょぼーんカップ欲しくなってきた。でも、もったいないから買わない(笑)

充実気味の一日だったので、良いとしよう。
にしても、毎日が楽しいぞ。このやろー(えぇ

商業界

今月号はヴィレヴァン特集。特集っても20ページくらいだろうとか
タカをくくってたら、半分くらいこの特集じゃあないっすか。やるねえ。

と、いかにも普段読んでいるかの口ぶりで。

ページ数多いので立ち読みもあれなんで、というか欲しくなってのお買い上げ。
ちなみに、Loftの紀伊国屋には在庫なし。売り切れごめんか。
まあ、書店によって力入れるもの違うけど、うーん、マナハウスはいいね。さすが。

こんな雑誌あるのね。専門雑誌になるかなー。
これまたありがとー。

ほう、そうくるかね

久しぶりにダチと会話。
最近この書き出し多いね。生きててすいません。

多分1年くらいぶりなので、結構色々あったんだなーとシミジミ浸る。
改めて、自分の考えをお互いに話せる仲っていいのーと思ったり。

ある企画を行うことになった。ふむ、さすがじゃ。
こっちもどうやってやっていくか考えてみるとしよう(偉そう

というのは冗談で、多くの人が円滑に集まりWIN=WINを勤めますかねえ。

やっぱええね。人と話すのはええね。ええわ。
まあ少々時間が少なかったのはいいとしよう(偉そう

さて、やることがたまりつつありますなあ。

うひょひょ

まっ昼間から壊れかけ。

なぜ考えることが好きか。それは創造と想像ができるからである。

考えていない人がいるがそれは、思考の深さの問題であり、
浅いと「甘い!」となるのだが、それはもうどうでもいいが、事実。

自分が適しているという場所、合っていると思える場所で働くべし。
たとえ客観視したところで合っているというのは、「あまり」意味がない。
というくらい、自分のしたいことを貫け。

仕事について考えたり、働くことで何か思うことが事実としてある。
それはつまり、現状を客観視しているということだが、現状を変えたいという
ゆるぎない現れであるといえる。
普通、それがなんとも思わないなら、何も考えないわけで。


自分が文章を書くことが全然苦ではなく、好きだということが徐々に明確になりつつある。
文章で表現したいことはたくさんあるが、それをもっと詰めていく必要あり。
悩める人を助け合いとは思わない。文章という一つの手段を磨いたら、ここまで
ある手段でできるんだよと、人柱的、切り込み隊長的に色々やってみたいと思う。
それを示すことで、社会の中で生きる人に、「楽しさ」をつたえ、共感しあえたら
面白いと思いませんか?(なぜか疑問形

会社に対するある種のイメージは大分分かってきた。
それは一方で予防的かつ備えとしていわゆる「よくできた」スタイルの説明で、
人々を納得させる。論理的だからだ。
でも、問題はAをしたからBが起きることは誰でも言えるということで、
だから、AをしなかったらBが起きないことを指摘しても、ただ「うん」としかいえない。
「すいません」としかいえないのだ。
そんなのは、誰でも出来る仕事ではないかと僕は思う。
それは市場価値というか、僕からみたら価値は全くない。入社1年目の俺でもできるわ!といってみよう(おぉ
だから指導者たるべき、管理者たるべきものに求めるのは、人を伸ばすためのスキルである。
あらさがしをすりゃ、ゴキブリと形容詞される政治家には一杯そんなのあるだろうし、
逆にそんな「あら」がない人間はいないわけさ。

会社が求めている人間が、既存システムの崩壊ではなく、
既存システムの頑強な補強というイメージに僕の頭ではなりつつある。
ならば・・・全く僕は会社には必要がないといえる。
これは考えの問題である。と高飛車と高らかにいってみよう。

そう、考えの問題である。
仕事という目に見える行為では分からないものだ。
そうトップの考えは、それで何をしたいかが1年で分からないのは事実だ。

同時に僕の考えも全く伝わってない自信がある。

で、ここで問題は、僕のほうで、じゃあ伝える努力をすべきかというところだ。
これは、まいるさんがいってた、例の友人に伝えるべきかどうかと全く同じ構図を持っている。
つまり、自分からいきなり何も言わずに去るかどうかということだ。

僕は「自分の気持ち次第」で、言う気分になれば言うしというところだろう。
そういう「いえる気分」になるのを結構待ってたりするのだが、ダメだ。
言っても何もかわらない気がする。という感覚がある。イメージがある。
そう思った瞬間ダメだというのはよくある話だ。
まさにメタ認知であーる。

だから、僕は黙って去るというか、そりゃこういうところがダメだったとはいわない。
言えといわない限りね。
学びたいことがなくなったでいいんだろうなと思う。うんうん。

ある人はこれを僕の傲慢だと思う人もいるだろう。
それは分かる。でも、別に会社がダメだとは思わない。思ってても言わない。
それはこう考えるからだ。

僕とは会社が求めるものが異なっていただけであり、これは考え方の問題である。
会社の考え方、何を示していくかなんて、外から、つまりは働く前からは、
やはり分からんものだ。という意味でやはり働いてよかったと思ってる。
あ、別にまだ辞めませんが、時間の問題でしょうな。うふ。

パラメディカ

ダチのインフォっす。ありがと。

http://homepage3.nifty.com/paramedica/
闘病記の古本を販売しているオンライン古本屋。

初めて知ったが、マスコミでも色々取り上げられているようね。
開店の理由を読んで思わず目に熱いものが。

やっぱ、店なり商売ってのはこうじゃなくっちゃね。
想いがお金にカラムとそれは違うという、ボランティアな人もいるけど、
なんていうんだろう、それは解釈の問題だけなんだろうかと思ったりする。

ボラが悪いなんてことは絶対に思いませんがね。
ボラって、相手に逆に気を使うってのもあると思うんですわ。
最も、ボラを募る人って、無料でやってもらわないと、お金ないからダメってことが
すごく現実なんでしょうね。

ここに変な構造が。
ボラを募る人は、お金がないというお金の問題点、そりゃやってもらうボラの
人間的性質!にもよりますが。
そんなお金がないという問題を、ボラでまかなうわけです。
それは違うぜ、べいべーといっても、おそらくこの事実は変えられんでしょう。
誤解なきようにいえば、それが悪いだなんて言ってません。おほほ。

で、なぜか僕の視点は、お金払わないと気がねするというところですが、
それはボラされる人とボラする人の話になっております。
ボラを募る人もボラでやってる可能性が99%なんで、変な突っ込みはしませんが、
価値があるなら、それはお金とれるんだよねーとはいいたいですね。

お金が取れない、取ったらやっていけないならば、
そうしなければいいし、そうしていないのだと思います。
非常に淡白な物言いですが、その通りでしょう。

といってるなかで、常にNPOの資金不足の話は聞きますが。
逆にいえば、お金の意識ないのにNPOをするなという一種の過激意見になりますな。

つまり、こうです。
ボラはそれ自体善じゃないってことは僕はいえるかなと思いますよ。
ボラをする人次第ですね。
だから、お金のことを考える人と、実践する人の2人がまず欲しいですね。
最も一人で両方考えれてたらそれはそれで一人でOKですががが。



分析力

言語化する力に長けているといわれて悪い気はしなかったが(ほう
かといってそれを鵜呑みにしてもいかんわけだ。
人をみたら泥棒と思えである(違

分析とか調査とか、統計とかもそうかな、そういうのは
結構嫌いじゃないというのは意外なところ。
大学の卒論までの過程で(懐かしい)、一応データを取ったものもある。
まとめるのは楽しいが、僕はそれはやりたかったからやっただけで、
卒論を利用したといってもいい。

ってことは、卒論のために書いたという意識が結構薄い。
もっと分かりやすくいえば、調査とか実験とかそういうのもそれなりに、
いや面白さはあるよね、でも、これは自分がやっていきたいもんじゃないぜ、旦那。
というわけだ。

だから、嫌いじゃないが、やるべきこと(自分に何かを課すという意味で)ではないなと思った。

ま、そんな余談はおいておいて(余談?

言語化という意味で、この独り言カテゴリはいかんなく言語化を追求しているといってもいい。
たかが独り言、されど独り言でもある。されどを強調したいと思うわけだ。

ブログに色々な文章があるが、まあその人によるんだけど、
思考過程をたどって書いてくれる人は意外に少ない。
分かりやすい文章を書いてくれる人はいるが、それはなんでかまで突っ込んでいくと、
やはり少ないかなと思う。

誤解なきようにいえば、例えば自分が今こういう環境にいるのは、親のせいだといったとしよう。
それは明確に親が原因であると確かに「分かりやすい」し、そうであるかもしれない。
でも、それは決め付けかもしれない。
というところで、その中身を書いたほうが面白いと思う。それは誰もがプライベートのことを
全てかけということを求めるのとは違うぜ、べいべえ。

Aがあった。Bがあった。Cがあった。
という出来事の羅列はつまらないというのがスタンダード。いや、俺流で。
だから、
Aがあった。僕はこう思った。
Bがあった。Bがあったことすら気付かなかった。
Cがあった。Cだったのかな。
と、自分の思いを書かなきゃ、それは意味がない。

なんで意味がないか。
自分の思いが書かれていないならば、その文章は誰でも同じだから。
というのはやや正確ではないが、まあいいや。誰でも同じってことは一応言える。

吉野家に行った。うまかった。

これを100人毎日誰か書いてても、その人を知らん人にはつまらんと思う。
知っていれば面白い。という意味では幣ブログも同様。

文章に対する思いという、メタ的な要素もある。
僕は文章でどこまで表現できるかなんて勝手にテーマを掲げているからこそ、
だらだら、かつ大胆に色々書きたいと思うけど、
一般的に文章とは苦痛であり、なんで書かなきゃいけないのかと思う人が
どうやら多いようだ。僕はその世界を理解してないようだ。許せ友よ。

だから妥協というか、文章に対しての妥協?は全然ない。
こうすれば面白いとか、そういう話で埋めることになる。

あの文章はつまらんとか、そういう批評は適当に受け入れて適当に捨てる。
分かるさ。そりゃ、僕の話がつまらんという人と同じ数だけ
このブログも受け入れられないことは確実だしね。

さて、独り言を思考過程というところまでもっていくことは、非常に簡単だ。
というか誰もやりたくないのか。まあいいや。

そうじゃなくて、こうなる。
分析とかまあいいとして、文章に対する思いはもう文章見れば分かるさと。
まるでその人の話を聞くみたいに、ブログを読む人は僕だけではないと想像する。

メモ整理

さてメモ整理を兼ねてやりますか。

人との会話から生まれるものは多いということをここで改めていってみたい。
本を読むといって、そのイメージを出来る人はやはり本好きだし、
さらにタイトルをいって類似の本、著者、本の中にでてくるイベントが実際にこないだのニュースであったとか、
それって「頭の回転が早い」というよりも、
「本を読む」というイメージがあるかどうかのような気がする。

これは「言葉」で伝えるというのは、それらのバイアス、もしくはイメージを必ず含んで
伝えるということを意味する。

「勉強をする」という言葉も同じだ。
だから、将棋のように、相手の考える思考を2,3手読むのが僕は面白いと思っている。
これは勝手に思っているだけなので、そういう考えるのが苦手な人はどうやら
僕とは話が合わないようだ。それが良いかどうかはここではなとわない。
合わないことを再確認していることはよくある、ただそれだけでござい。

勉強をするといっても、何をするのか。例えば勉強といって、机の上でただ知識を
詰め込むというのしかイメージできないのはやや悲しい。
それは悲しいだけで済めばいいが、勉強とは学びであり、気づきであるなんて
ことをだれかが言って、そりゃなんだよ、と思うまでおそらく分からないのかもしれない。

言葉は自由だからこそ、ある言葉に対してどんな解釈をすることもできる。

ま、これはいいか。

実際の仕事をしてみて、自分のイメージと違うということはよくあるそうだ。
そもそも実際に働くまえのイメージと一致することなんて普通ないと思っている僕は、
そんなことは思わない。むしろ、自分にどれだけ負荷がかけられるかという視点が
ただあるだけなような。
仕事のやりがいとは。どの部分、どの瞬間に喜びや楽しさや面白さを感じるか。
今の仕事において僕がいえるやりがいとは、何なのか。
それを考えていくと、おそらく超大作が出来上がるので適当にいってみると、
そこらへんの認識は変わってなくて、仕事から何を得られるかで、楽しさを感じる。
つまらん仕事でも思わぬ発見があればやるぜ!と思えるし、
逆に楽しそうな仕事でも意外にうまくいかないとやる気がなくなるが、
うまくいかないというところにやる気を見出すことも普通にあるので、どちらともいいがたい。

だから基本的には学びがあれば仕事は面白い。
だから仕事ではなくて、学びがあるというカテゴリの中に、仕事というカテゴリがある。
そういう意味では、仕事の優先順位というのはお金をもらって生活をするという意味では、
非常に高いのだけど、これをなくそうとしている自分にとっては、
優先順位を下げ、さらには仕事以外から学べるものは多いし、
もっといえば、仕事というのをおそらく別のイメージとしてとらえている。

それは「ライフワーク」といった言葉が非常に近い。
仕事はライフワークだ。だから、仕事は変えてもいいし、辞めてもいい。
自分の核となるものから発生するなら、別にいい。絶対納得できるから。
逆に、適当に動いてもそれが「核」から派生してないなら、多分無駄なことになる。
結構、悪循環にはまっている人も多いが、そういう人の脱出方法は、
核を見つけることというよりも、自分を信じることという基本的なところからはじめるんだろうなと推測。

イメージするやりがいがやりがいとはならなかったときの、苦しさは結構なものだろう。
ミスマッチとは言葉は簡単かつクリアに聞こえるが、結構辛いものだ。
ただ、仕事なんてやはりイロイロある。それが僕のイメージするライフワークも一つだしということだ。
このイロイロあるというものが分からなくて、泣いている人も多いんだろう。
それはもう一言ではいえない。あんたが悪いともいえないし、現状はとにかく受け入れてくれ。
どんなひどいことでも、どんな理解できぬことでも、現実は進行している。
攻撃されたら反撃ばかりが手ではないわけで。
次にどうするかと考えるのがよっぽど健康的だ。(ん?


5年目の卒業。その5年ってのは根拠はあるかどうか。ダチに問われた。
正直何もいえない。見積もったときに、5年もいれば十分だと思っている。
ただ最近は1年で一応同じチームで、2つの仕事をしたけど、
これが徐々にステップアップしてSE的なことをやっていくことになるんだけど、
これが自分のやりたいことかどうかというと、残念ながら違う。
とはいえ、つまらないとは思わない。
面白さってのがおそらく明確に言葉でいえるとき、多分学んだといえると思う。
そうしたらもう卒業したい。が、その瞬間には当然起業レベルのことをしてなきゃいけない。
まあ、がんばれ己。もうすぐ1年経っちゃう。
おそらく学生時の1年より、多くのことをやっている気がするが、
感覚的に納得してない。多分そういうバランスでよいと思う。やや前傾姿勢で。

自分がどう生きればいいか。どんな仕事をしたいか。どうしたいか。どう振舞うか。
そういうのは、話したり、本読んだりとイロイロしても、結局は自分が決める。
だからこそ、自分にだけは嘘はついてはならぬ。たとえ人に嘘をついてもだ。
人に嘘をついたということを自分に嘘をついてごまかせる人はまあ世の中に一人くらいだ(えぇ
自分に嘘はつけないといって猜疑心を勝手に発生させる人間もいるかも。まあがんばりんさい。
自分がどうしたいかが重要で、他人のアドバイスはそこまで重要ではないし、踏み込めない。

ミュージシャンになりたい高校生がいて、高校を中退してバンドを組む。
そしてメジャーを目指すという。もうおれにはこれしかないという。
おそらく成功(例えばメジャーデビューすること)することは難しいだろう。
でも、そのやりたいことをやろうとしたことはすごく良い経験になる。
少なくとも、やりたいといって何もしない人間よりは1000倍ましである。
そして、また別のことをやればいいわけだ。

ミュージシャンの夢を諦めないのは大切で、失敗しても諦めない!のもそうだ。
ただ、現実として失敗したものを無視しては困る。
何が失敗の原因だったか、どうすれば成功できたかを考えないというのは、
とどのつまり、現実を全くみてない、おれはできるのに誰も俺を見る目がないという、
自己中の世界にはまっていくわけだ。

いいかね。社会は、人で構成されちょるわけだ。
俺を見る目がないといったら、その社会で人なしといってるようなものだ。
それはいけん。そう思ってもそれはぐっとこらえて、自分を受け入れてもらえるようにすべし。
その受け入れてもらえるようにすべし、とは、卑屈になって迎合することではなく、
誰かにコネで取り入ることでもなく(その手をすべきタイミングはあるかもしれないが、自分次第である)、自分が現実を受け入れるということだけだ。

ここらへんの解釈をどうもごちゃごちゃにしていて、
夢と失敗が常に同時に語られ、全てのトライは無駄、または意味がないということを
いう人もいるような。

自分がおかしーなと思ってる考え、人に対して余裕があればいじめてみるのも一興。
「そういう考えもいいね、あるね。でも僕はこうなんだけど?」




えっとー

えっとえっと、干支。今年は犬。通勤時に毎回ほえる犬とほえ合う。
小学校の恩師が、ニュースとは何かを説いたことを思い出す。
ニュースとは意外性である。例えば「犬が人に噛み付いた!」というのは、
普通だ。ニュースになりませぬ。
でも、「人が犬に噛み付いた!」ならニュースになるかもしれないという。

僕はここから世界を知るようになった(大嘘
ただ、あの時から日記、いやそもそも文章を書くということは好きだったようだ。
と、いかにも昔から文章を書いてきたかをPRして、
「ああ、やっぱり昔から好きだったのね」と思わせて、相手の了解を得て、
かつ、自然に僕を理解させる作戦。
別にどうでもいい作戦だった。

さて前置きは全く関係なく。

適当に書いてた就職活動についての意見というか、まあ文章だ。
それが今度メルマガに乗るそうな。予定では2週間後か。
さらに一応謝礼もついてくる。クーリエジャポンが買える程度の。
ふむ、何が掲載の決めてか、そもそも海のものとも山のものともわからない、
この僕の文章を載せるとはなかなかやるのーと勝手に相手を評価しだすのが最近のマイブーム。

相手を評価するってのは面白い。もちろん同時にされていることを人々、
特にぼくは忘れている。やべえっすよ、やべえっす。

さて、休みは、ダチンコと久しぶりに会うのでそれがメインイベント。
非常に楽しみだわ。うほほ。

後は、見る人が面倒、かつもうみたくないわと思うくらいの量をブログにアウトプットすることくらいかな。
最近、「働く」というキーワードとかで、飛んでくる人が多い。
悩めるものには、悩みを。悩まないものには悩まないものを。
それが哲学者たるべきものの構え。誰が哲学者なんざんしょ。

TODOがたまっちょります。こなせばこなすほど増える。
これが「嫌いな」ことだったら、人生辞めますよ。ホントにねえ。

うはは!

おまけ

眠い。寝る。

http://www.elieli.jp/top.htm

新聞で紹介されてた。多分観るべ。

面白そう。というか、筒井康隆の顔がやっと分かったりする。
ふっ、よくあることさ。

おやすみかん・・。

やべ

日経のプラス1のセレクト書店の記事熱いね。
結構な数の書店がこの記事の中に埋め込まれていることを感じる。
とはいえ、行ったことない店が多いのが悔やまれる。
ガケ書房またいきたいっすわ。ホント。

旅の本屋
http://www.book246.com/

これって、前チェックしたんだけど、すっかり忘れてた。
東京っすね。

神戸の家具テーマな本屋
http://www.vivova.jp/
HPないかと思ったらありますな。やはりカタカナじゃヒットしない。ヴィヴォ・ヴァですが。


うお、記事中にこんな本屋からもコメントがあったのか・・。
ブックス・キューブリック。九州は天神にある本屋。天神?
天神っていえば・・・チャリでお世話になったお守り買ったあの神社が。
知らなかったなあ・・こんな本屋さんあるのね。福岡行くとき行ってみるべ。
http://www.bookskubrick.jp/

うお、まとめられん。
くそ、土日使ってまとめるか。
マイ・ライフワーク・イズ・・・(笑)

図書館ネタ

30日付けで、ビジネス図書館の記事が。
おそらく、これはタイトルどおり「進化する図書館」と捉えるかどうかがポイント。
なんでポイントか?
これって、単に図書館は日々社会のニーズによって変わりつつあるみたいなことをいいたいのではないから。

記者はおそらく、ビジネス図書館というところが斬新な感じがしたという視点だとにらむ。
もちろんそれでいいんだ。それでOK。

ただ、この記事にエラク興奮した人間もいる。僕だ(笑)

まず、ビジネス図書館というと、税金を使って何で商売をという意見がありそうな気配がぷんぷんしてくるが、
全くそうではない。そりゃ税金使ってるけど。
ビジネスや商売は、怪しいものばかりが悪くとらえられるが、欠かせぬものなのさ。
忘れちゃいけない。あなたの食べるものは小売店で買うか、飲食店で食べるかだが、
それはビジネスがあるから出来ているのじゃ。心せよ。

ビジネス図書館は、岩波の「未来をつくる図書館」を読むとより面白く読める。
ビジネス支援をする図書館なんてかっこよすぎる。

最もSOHO@しずおかみたいなインキュベーション施設とかそういうものでもなく、
もちろんそういう機能はあってよさそうだけど。

とにかく、可能性があるなーと。
私設図書館構想にもちろん、含まれているこのビジネス図書館。

日経読んでない、かつビジネス図書館に興味ある読者は、
幣HPに適当にまとめる予定なので、またお知らせします。心してごらんいれよ(なんで!

で、意外な掘り出し物。
「進化する図書館」でぐぐると、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894761432/249-4884722-4253922
こんな本が。おもしろそー。買いだ。

リンクに、NPOの図書館の学校があるから、うろついてたら、
流れで会員申し込みに。

ふっ。意外に、NPOの会員は初めてかもしれん。
まあ、これも一興。にしても、専門図書館は面白いそーだ。
分からんとさっぱり分からんところが、人生の甘さを感じさせてくれる(笑)

乗り切るパワー

こもれび氏は、
観葉植物、さらに地味変(この変換は悪意ではない)、または「青の時代」で
生き延びておられる。素晴らしい。あ、チャリもあったね。

馬場俊英「今日も君が好き」が届く。いいねえ。

自分が好きなことを趣味とよぼうが、仕事とよぼうがなんでもいい。
とにかく、うけえ!と奇声を上げた上で、自分は狂っているかもしれないと言って、
あ、面白い、これ!といったらよいのだと悟る。素晴らしい。

デザートを

バナナをノーマルで食うのもあれなんで、
輪切り(普通に切ればそうなるぜ)にして、
たまたま備蓄してたみかんの缶詰のみかんと、あわせてデザートを作成。

バナナはやっぱデザートだから、納豆みたいなどっしりしたおかずにはならんね。
って、おかずにしようとする発想は間違いか。いや、んなことない。

さらに五目御飯の素を、炊き立ての飯にぶちこみ、
備蓄してたまぐろフレークをぶちこむ。おお、五目飯だ。

ついにデザートデビューか。
もう自炊サバイバルから、習慣化しちょるわ。

おー

昨日見た、ゲバラを調べる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%90%E3%83%A9

にゃるほど、革命家。
それはいいんですが、なんでマルクス主義者である彼を、
60年代の西側の若者に支持されたのかが分からん・・・。

思想ではなくて、生き様か。
非常に気になる。

確かに、映画では、ゲバラ自身は、小作農が地主に追い出されたとか、
鉱山に仕事を探しにきた夫婦が共産主義だからといって警察に追われたとか、
ラストは、ハンセン病の患者をアマゾン川で隔てた診療所で感じたこととか、
そういうのを旅で感じているのは分かるんだけど。

ちょっとずつ調べてみるか。

ところで、思想が自由じゃないと、正確には日本はそう法律で制定しているわけだけど、
検閲とかもされるんだろうな。

カストロ万歳!とかいったら、そんな主義者が一杯あつまってきて、
同志よとか、いうんでしょうな。

モーターサイクルダイアリーズ

二人の青年とはいえ、片方は30歳近いが、
南米大陸をバイクで旅する話。

ポンコツバイクが非常にイカス。キノの旅みたいやね。

ゲバラって革命家か。いかん、分からんぞ。
とにかく、これは普通に良かった。

旅というもので成長するというのが伝わってくる。

やっぱ、チャリダーにならんといかん。
富士山が呼んでいる。

FINDING FORRESTER

邦題は、小説家を見つけたら。

小説家になろうとしているわけではないがなろうとしている気配が伺える16歳の少年。
って、長いな。

話はシンプルだが、どっしりとしたもの。
これも陳腐だな。

とりあえず、印象深いのは、文章とはリズムであり、そして表現であり、
まさに音楽のメロディーであると。
そういう感覚はまさしく文学といったものや、小説といったものかもしれない。
ただ、それはややどちらにころんでも偏狭であるかもしれない。>自分の考えが。

うまく表現できたらというのは、一つの楽しみでしかない。
起業への道としては、ゆるぎない情熱という言葉が語られるが、
そのゆるぎないという心が、文章にもきっと表れるのだろうと悟る。

全ての人は表現者だ。小説家も然り。

この映画に出会えてよかった。
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