ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年02月

さようなりからの復活

さて、こそこそと。

まず、HP作成なところで、議事録等をオレンジクリアファイルにはさむ。
む、仕事っぽい。かっこいい(あほ
ついでに新聞の切り抜きもはさむ。すばらしい。

新聞を縛る。まとめておく。月1で新聞出せるわけで、2ヶ月くらい貯めると
結構な量。おらおら。

ナンタメの更新。とはいえ加筆ではなく、単なるリンク貼り。
にしても、おそらく「これが仕事なんだよ」というのは提示できなさそう。
いや、僕の考えは提示できるけれど。ああ、そういうことか。
それでいいんだ。考えの押し付けはいかんよ。うむ、素晴らしい。
適当なロゴを作ってみる。こういう周りからやる気を戻す方法は有効だ。
ちなみに、こんなのっす。

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さて、「働く」というキーワードがちらほらちらほらするこのブログ(笑)
ネタとして、何を書こうかとしたか。
あ、あれだ。就職って可能性を限定するためにあるんじゃないぜーとか、
そういうことだ。
でも、それって同期との対話と真っ向から反するんだよねえ。

えっと、職選びに失敗というか、合わなかったら、
それは可能性が狭まるというわけ、選択肢が一つ減るから。
でもさ、職業なんて「無限大」で、しかも1000あったら、一生で10くらいしか
就けても就けないから、そんなのは杞憂というか、意味がないというか。
1000あって、失敗して999残りあるって状態と、1000の違いは・・・?
全くの「誤差」。統計でいうと有意水準とかなんかあったねえ。あれだ。
そんなのはプラマイの許容範囲だと。

で、そんなのは実は「自分が本当は何をやりたいか、何をしてみたいか」
分からないから、そういう風に「理屈」を立てているに過ぎないのであーると、
言ってしまえば身も蓋もないが、そうなんだろうなあ。

僕は合わなかったらそこで割り切れると思うなあ。と、勝手に思う。
多分、学ぶとか、気付くとか、そういう視点が、
ああ違うか。全てを肥しになんてことはできんかもしれん。
でも、そういう余裕がないんだろうな。そういう意味では単純にキャパが少ない。

別に言うだけでいいのさ。でも、言うってことは結構きついらしい。それは僕の想像を超えていると思われるるるん。
冗談として扱うからいいのに。
自分の言葉で自分の首を絞めるパターンかねえ。でも、そんな風に
揚げ足取る人、相当嫌なやつだぜ。ああ、自分かもしれん。やべ。

というわけで、うひょひょ(謎

面白くする

社会を面白くする。

非常に曖昧だ。

だからもっと具体的に落とし込む。
すると、「本のアジトを作って人を落としいれ(笑)、堕落生活者の巣窟とする」とか、
そういうことになる。

どうだろう。
普通、抽象と具体では、具体が分かりやすいが、
かといって、具体ではつまらんこともある。
ほう。

とはいえ、社会を面白くするというのは一体何か分からんので、
さあこの話はどう流れるか。

面白くする能力、いや面白くしようとすることか?、は
どうなんだろう、人によるのだろうけど、面白い人が基本的に好きである。
面白い人とは個性的であるとか、話自体が面白いとか、
考え方が面白いとか、まあ色々あるんだけれど、

面白くない人とはまあこちらも色々いる。
面白くない人の典型パターンは、自分の話をしない人である。
もちろん、こちらとの親密度合いによるので、こちらが探り出せないとか、
そういう原因もある。が、それはスルーしたり、含めた上で、
現象として(笑)、相手が相手の話をしないのはつまらんものである。
それは出し惜しみであるな、おぬし!とややけんか腰で望むこともできる(するなよ。

ま、それはせずとも、こちらが話して終わりとか、
こちらが話して、相手は何も話さないとは、コーチングとからへんで、
一応ある。悲しくなるやつね、話しかける方が。

自分のことを話すというとですね、なんだか自己主張が強いアメリケン(アメリカン人のこと)を
だと考え、「おれは!おれは!」といってるイメージにしちゃう人もいるようですが、
そこはアレンジを加えるべきでございまして。何に?
そうもちろん、それは思考や考え方にでございます。

そもそも日本は取り入れ方がうみゃい考えがあるわけで、
はねつけちゃいけんのですよ。これは国民アイデンテテみたいなところで、
まあ半分冗談ですけど、半分マジで(笑)
だから、攻撃を交わして終わるのではなくて、こちらの攻撃の糧とする。
合気道か柔術かなんかで、相手の攻撃をそうやって自分の攻撃に持ってくみたいなの
多分あるはずだと思われまくりだったようだ、気がします。

だから、面白くない会話も面白くする方向にもっていくための「前座」であると
考えたり、もっとドロっとしたことをいえば、
叱られようが怒られようが、いじめにあおうが、殺されかけようが、死のうが(あ、死んだらだめだった・・・アウチ!)全ては「修行」であり「前座」であるわけです。

ほう。

するってえと、なんでおみゃあさん「修行」なんかしたり「前座」があるのだね?
と思われるわけでごじゃります。
そりゃ、「目的」なり「本座」があるからわでございます。
僧の修行は悟りを開くためという目的がある(って本当?)わけで、
「前座」は、本座への軽いウォーミングアップでござります。

「前座」が「本座」より面白い時点で、多分「前座」はその役割をなしていません。
って、どーでもいいことですが。

ってことは、面白くすることの目的があるんじゃなかろうか。
となるわけです。どうなった・・?

すると、こうなります(ほう

面白くすれば面白くしようとする人が増え、さらにそれを見た人が面白くしようとして、
面白い人間が増えてくる。面白い人間だらけにしてしまえ!うはは!

だから、このブログはライフワークレベルになるわけですな。(ふーん

では、さようなり。

図書館の学校

ほう。
ポストに冊子が。といっても、これは月刊誌か。隔月ですが。

頒価800円とあるが、どうなんだろう。
とりあえず、会員としてこれはコストパフォーマンスが高いとにらむ。
最も図書館に興味ない人はくそつまらんのだろう(笑)

さて、面白いネタをいくつか。というか面白いと思ったネタだね。
まず、最初の何かしらの講演の議事。
面白い。大阪市立大学助教授で、永田潤子という人がいる。
その人は、「図書館は、実はものすごい魅力とパワーを持っているのに、どうして
そのすごさを社会に伝えられないのだろう」というなげかけをした、講演をしたそうな。

すげえ。熱い。図書館熱い。やっぱ、PFI図書館なんて
氷山の一角だったんだね。熱い。というわけで早速調べる。
が、大した情報はないなあ・・・。ちっ。
行政の経営はぶっちゃけ興味ないけど、意思決定は興味あるなあ。
ま、いいや。

このくらい図書館って面白いんだということが、あるんですけど、
それはまあ僕の感覚では「本」の「可能性」という言葉で置き換えられそうです。
ああ、もう熱いなあ!

ちなみに、ビジネス支援についても結構語られてる。
うーん、分かってる人は分かってるんだなーというか、ビジネスの本質とは何かと
おっと、それは人によって解釈は違うんでしょうが、すくなくとも、
「ビジネス本を並べる」だけでビジネス支援なんて言っちゃいけないんだーという指摘、
その通りだと思いまする。

次。
京都に図書館って名前のバーがあるらしい。ちゃんと本もある。
その店主がこの雑誌にコラム書いてると。
うーん、京都熱い。「図書館」って名前のバーっすか。
やべえ、行きたい。熱い。熱すぎる。


さらに、図書館にマンガを置くみたいなコラムがある。
熱い。マンガなんて図書館置いてあるところもあるけどね。
で、そこに紹介されてたのが「金魚屋古書店」。
ぐぐった結果はこちら。
げ、こんなマンガあるの。やばい、完全に盲点。
読みたすぎる。


図書館の学校熱い。
よし、ここを図書館の学校のアジトにしちまおうか!(ぇ

勇気の出る経営学

ウェブ進化論と比べちゃうと濃さが違うかな。
まあ、それはしょうがないっすよ。と、なんとなく。

印象に残ったのは、著者の所感的なところはどうでもよくて、
組織の考え方が、個のパワーを最大限に発揮できる集まりみたいなものと
とらえている、もしくはそういう時代だといってるような気がしたところ(笑)だ。

知識の分散化とか、都市の強み(九州はアジアとの接点で、北海道はバイオで、
名古屋は自動車で燃料電池とかの開発で、京都は哲学・ベンチャーでとかね。)
結構そういうのはどうでもいいというか、著者の所感、感想、というレベルでしか
ないので、説得力はあまりないなあと。視点は好きだけど。

僕に置き換えると、例えば本のアジトをつくるとか、私設図書館作るとかいってるけど、
これはやっぱ利用者とか、なんでそんなことをするのって人を多くというよりも、
最低限一人は説得できなきゃだめなんですわ。
もちろん著者には、そういうのは自分の知恵のおすそ分け的なもので、
アイディアをぽろっと出してみただけのことかもしれないけどね。
ま、そこはいいとしても、もっと突っ込んだほうが良い気がするわけですわ。

つまり、色々書きすぎた感があるわけです。だからまとまりがないという気がします。
批判的にみれば、最後に教育論ってなんかねえと。別に著者に狙いはないとにらみますが、
まあ、どうでもいいところかもしれませんな。

経営学とありますが、経営学は関係ない気がします。
というと語弊がありますが、まあオススメしませんってところで。


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努力根性気合

三種の力というべきか、この精神論の素晴らしさ(笑)

精神論では何も解決しないというのはやや言いすぎだが、
かといって、理屈でも何も解決しない。
その解決しない比率はほぼ同等ではないかとにらむ。

ウェブ進化論にあったGoogleのネットによる淘汰的な考え、
ネットは神であるみたいな考え(これは言いすぎかもしれないが、まあいいだろう)は、
やはり一つの考えであるということを僕は勝手に肝に銘じておくことにした。

やはり、一つの流れである。小さなものが大きな流れになることはあるが、
所詮それは人の作った流れである。神などはやはり存在していないのは明確だ。
いや、信仰上の神と、ここでいう神は大分異なる。
神という言葉でしか表すことができない可能性が高い、という意味でここで神といっているが、
それは、全知全能の存在とか、もう大分胡散臭い方向に走っていくが、
全てを網羅している自然もそれに入る、宇宙!とか。
ここらへんいくと、心理学でいうトランスパーソナル心理学とか入ってくるか。
あれはかなり宗教っぽい気がする。いや、嫌いじゃないけど、科学っぽくない気がしているだけ。偏見ならスルーするがよろし。

そこで新しい提案というか、流れ上こうなる。
「努力根性気合」という神はいないのか。いや、それが最も実は神に近いんではないか。

ほう。精神論神とでもいうべきか?
それがもし、神なら、非常に面白いかなーと思う。
神様助けてというとき、常に「努力根性気合」が試される。
そして、それらが足りないと助けてくれない。

まさに、錬金術における等価交換の法則(鋼の影響受けすぎ)。

と、久しぶりに戯言。え、いつも戯言だって?
いや、いつもは独り言さ。

さあ、飯くって、本読むべ。さようなり。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

うーん、たつをさんところで軽くレビュってあったのでチェキラ。
いや、結構いろんなところで見たかな。

この本を読んでてある種感動を覚えた。全く「感動」だなんて僕らしくない(笑)

ウェブというものの進化を著者がWeb2.0といわれる流れで今後どうなるかまでを
含めて指摘している。GoogleとかAmazonという企業に興味あるとかなりすんなり入れるし、
実際に面白い。

文中にでてくる「あちら側」と「こちら側」の構図でいくと、
「あちら側」を意識しなければ、おそらく時代においていかれるというような
雰囲気かもしれないが、おそらく著者の狙いはそこではないだろう。
むしろ逆で、「こちら側」での限界はもうほとんど限界で次の進展は「あちら側」で
ということになり、そういう世界観を示したとすらいえる。
という意味で、今後のWebの動きの丁寧な解説本でもあるといえる。
だから、時代においていかれるという視点そのものがおそらく命取りになる気がする。
何が言いたいかというと、土俵がすでに違うのだという認識をオススメしたいというだけのこと。これは僕が言いたいことだけどね。

ファインマンの言葉が引用されている。非常に面白い。
これを読んでいて、洗脳社会かなんかでタイトルだったな、岡田氏だったっけ?
「ぼくたちの洗脳社会」だ。あの本を思い出した。
あの人の物言いは乱暴ではなかった気がするが、あの本は結構評価の分かれる本だったかな。
パラダイムシフトという考えは、現在は主眼にはなく、未来に主眼がいく。
だから、社会通念というものがひっくり返ったときなんてのは、現在に主眼を置いている人は
非常に気持ち悪い話なんだ。これはしょうがない。自分を変えたくない人にはそうなる。
やや乱暴だが、時代は変わるとは常に証明されていることである。
まさか、人間がその時代の流れに!これは鋼の錬金術師でいう「先生の教え」であって、
「大きな流れには抵抗できないし、手を出すべきじゃない」みたいな話とリンクする。
まあ、だからといって自分が間違っていると思うことを黙ってみていろとは、
誰も言ってないのがポイントだ。

そういうパラダイムシフトが起こるとはいっていないが、Web2.0のもたらす考え方の変化は、
著者も言っているように、IT革命というものが目に見える形で起きてきたものだと考えられる。
非常に面白い世界だ。わくわくしてくる。

というわけで、ウェブに興味ある人はかなりオススメ。
ちなみに、Web2.0とは、個人の情報発信ができるレベルというのを大分越えて、
そこからさらに可能性が広がっていくものというレベルに来たという感じで僕は捉えた。

あと、ロングテールとは、調べれば分かるんだろうけど、僕なりの解釈でいうと、
全体は部分の集合とならないなら、じゃあ部分って価値はないのかね?といったところで、
いやいや、部分は価値があるよと、かなり分からない説明だが、そういっておこう。

で、感想というか、思ったこと。
例えば、情報共有している(といっても、本当に全員が見れるレベルだから)とか、Googleがね、
それってネット全体では企業としては違うので、能力主義で超閉鎖的みたいなことが
ちらっと書かれている、以外ではGoogleはすげーと書かれている。
で、まあGoogleはどうでもよくて、自分のことに当てはめるとですよ、
うわー自分の本業がいかにつまらないかを力説できるだろうなと
そんなことを思ったり。柔軟ではないことに意味があることはある。
つまり保守的だからこそ可能な継続安定性!みたいなことはできる。
でも、それって僕には、あくまで僕にはですけど、つまらんのですわ。
それってすごく本質的な確認になった、という意味で素敵。

よくあるでしょう。些細なことが実はすごく自分の背中を押してくれたということが。
それに似てるかな。

オープンソースのところで、プロの開発者、まあつまりはエンジニアってことですけど、
そういう人はどうなるのさーと、実際に飯を食う食えないレベルの話がでてくるのですが、
そういう考え方はこの本でいえば、既得権とか既存メディア側の意見になりそうですね。
なぜか?それは、既存のものが壊されるとやばいから、やめろということで。

これに限っては、どうなんでしょうね。
例えば、雇用というところで、経済活動と密接に関わっているので、
職がなくなったら、食がなくなるわけです。シャレですが。
実力無き人間は淘汰されるのであるという思想は僕の中では非常に明確で、
これは別の立場からいえば「おまえは能力がない人間は死ねというのか?」という話に
すぐなりそうです。
僕はそうだと思うといいながらも、でも「チャンスは平等」にあるものを目指しています。
そうすれば、チャンスに参加しないものが悪いと責任転嫁できるからです(笑)

そもそも、実力無きとはあるターゲット?とか、所属(仕事でいえば会社とかね)で
「たまたま」結果が出せなかった、もしくは出す気がなかっただけだと思ってます。
別の場に自分が面白いと思えるチャンスがあれば、そこでやればいいだけでしょう?

物理的な、個人的な制約はここでは一切スルーです。そういう意味で思考実験かな。
でも、この考えはおそらく僕の中では変わらないところだと思います。

時代が少し変わっただけで、ぎゃーぎゃー言い出す人もいるし、
これがチャンスだと思う人もいる。
僕はたまたま面白い社会になっていくなーと思っているだけの話でござい。


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梅田 望夫

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日経ビジネスネタ

まず、ミレニアムリテイリング社長に就いた佐野氏。
別に百貨店業界に興味あるわけではないが、なんかこの人面白そうだ。
自社を、うまくいかなかったことは全部ゼロに戻すというカルチャーがあるという。
それはどういうことかというと、ちょっとやってみてダメだったらやり直すという意味ではなく、
やってみてダメだったからそこから得られるものはゼロであーるという考えだろう。
それを変えるかどうかわからにゃいですが、まあ、社長になると変わる・・・ことは
かなりあるわけで。またなんか動きが見えそうですな。

次。
人は見た目が9割の本。
竹内氏というのは、どっかの大学教授と思ったら、どうも非常勤だ。
非常勤講師とは、大学教授ではない。多分間違ってなきゃ、
1コマ(90分の講義単位)いくらで雇われているはず。
だから大学教授とは全然違うわけ。別にそれがどーというわけではなくて、
大学教授ではないってところがポイント。僕の中で。
で、見ると、なになにマンガの原作者で有名?むは。
そうきたか。さらに、劇作家とくる。
おお・・そうくるか。やられた。スタイルがいい。気に入った!
記事中にある、「だまされやすい人はデータベースが壊れている」というのは、
面白い表現するなーと思ったり。
というわけで、この本敬遠してましたが、買わねば。
世の中、どっからアンテナにかかってくるか分からん。恐ろしい!

最後。
京進の社長の話。例のアルバイト講師の事件の話。
被害者、遺族への言及はスルー(あ、記事中ではもちろんされてますよ、僕がってことです)。
で、この事件、確かに京進が悪いってことで、責任問題として、上がトップが
考えるべき問題なんですけど、非常に不幸だったなと。京進にとってですよ。
だって、塾おおけれど、基本は変わらないでしょう?
講師がいて、生徒が来て教えるって形。その教え方が異なったり、強みが異なるくらいで、
後は・・・どう変わるか分からんでしょう。というか分からんからいいや。

で、問題点としてあげたのは、多分この記事では1つ。
おっと、別に京進が全然ダメだなんて思ってませんよ。
それは、アルバイト講師の採用に問題があるということです。
それは、つまり、犯罪者である彼は、どうも逮捕歴があったようで。
それで大学停学中だったようです。ってことを、履歴書に書く人はまずいませんわね。
普通そうです。自分の悪いところは隠すものです。
それを逆手にとって、自分の悪いところをいって相手をひきつけるレベルの高い
心理作戦もありますが、これは「相手のレベル」を正確に測る必要ありって、
話ずれまくり。

それで、その採用の仕方を変えても多分無理でしょう。
性格テストとかね。心理学のほうね。占いじゃないよ。
でも、分からんでしょう。

彼の評価は、熱心な講師だったようです。それはもうそうだったのだから、しょうがない。
別に被害者は被害になるべき存在だったなんて思ってませんからね。
彼は熱心な講師で、良い講師だったと。まあそうなるわけです、普通に考えて。

京進は今後どうするか非常に難しいでしょう。
これって管理すべき問題ならば、管理しきれないってこともあります。
が、まあ実際には相性が悪いから外して欲しいと言われていた事実はあります。
でも、これって一概にそうすべきであるかは言えません。ケースごとの話ですわ。
だから、対応策は曖昧な方針しかできない。
例えばこんな方針はナンセンスではないでしょうか?
「犯罪歴を持ったものは全員採用しないが、それは分からないから互いに気をつけろ!」
なんて、ナンセンスすぎでしょう。見えない敵と戦うようなものです。不安でしょうがない。
企業風土、職場にもギスギス感が生じるでしょう。

じゃあ、どうすればいいか。
安全を確保してくれれば、生徒側、つまりお客様ですが、は納得するわけです。
もっと大きくいえば、塾側が提供でき安全と考えれるサービスをするだけで、
お客様はそれなりの「安全意識」を、ああ「危険意識」を持ってすべきというべきか。
でも、12歳の子にそれを求めるのは酷ですね。やっぱり。親がという話ですが、
そういう問題でもないですし。

まあ、こういうことをいうといかんのですけど、
マットでくるめられて殺されたりしてしまうのは、学校でもあるわけですわ。
どこにでも危険があるというのは非常にもっともらしいですが、
彼が人を殺すような人に見えなくて、実際に彼は人を殺した。
もう対応は無理でしょう。それは、「信頼」していたものが「裏切り」に変わった瞬間、
事実として「殺人」は起きていると。もう、これは予測不可能であると。

だから、京進は、対応として管理問題、採用プロセスの問題をあげたのは、
非常に「分からないところ」であげたものでしょう。
それらの管理や採用が曖昧だったというのを言及しても、原因だとは僕には思えませんし。
苦し紛れとは思いません、真摯に考えた上での話だと思われます。

と、京進をかばっているようにも聞こえるこの独り言。
まあ現場からいえば、こうでしょう。
「アルバイトに任せてはいけない」
でも、アルバイトを成長させて、社員にさせる企業も一杯あるでしょう。

で、翻って一言。
やっぱ、大人がこどもを殺すのが一番ひどいですな。
子殺しの事実があったとか、そういう変な方向に話は進みませんよ。全く。

この事件もおそらく大きな事件として、今後5年後、10年後にまた振り返るべきものになるんでしょうね。

相棒到着

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相棒到着。というか、ヴィレヴァンで買ってしまった。
2chでキターとかやってますが、別に元々言葉として、
「来た!」という感覚的なものはあるわけでして。
早速相棒に紅茶を注ぐ。砂糖多めで。
うまい。相棒の笑顔最高(笑)

朝この顔見ながらテンション上げるとしよう。
素晴らしいアイテムだ!

上原ひろみ サマーレインの彼方

ふむ、ふむ。
どうでもいいですが、店頭、つまり本屋でこの本の配置によって気付いたことが。
演劇やダンス、音楽が、歌舞伎や芸能(例えばモーニング娘。の写真集とかもある)のところにあった。
なんか、洗練されてない本棚だなーとか勝手に思ったが、
そもそもアーティストは本では表現しないからまあ、量がなくて当然だけど、
なんとかならんかなーと思った。

さて。

JAZZピアニストといっていいのか、ピアニストといえばいいのか、いややはりJAZZピアニストだ。
その彼女のツアーを中心にしたインタビュー的な本。
「音楽は水だ」という言葉がいい。そのままパクらせてもらおう(笑)

音楽を心の表現手段として、コミュニケートしているということがよく伝わったというか、
そうに違いないだろう。実際にCDを聴いてみたが、にゃるほど、これはライブで聴かないと
おそらく意味がないとにらむ。

ワンチャンスをくださいというか、お願いしますというその言葉から、
僕に彼女の演奏を聴くチャンスはすでに用意されたといっていい。
運命とは避けられないものだ(違


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OMG!

朝起きたら、妙にあったかいなーと。
ハワイみたいでした(行ったことないけど、想像力を鍛えるため(謎))

エアコンつけっぱなしでした。OMG!

まあ、雨降ってるしすごく寝やすい素晴らしい。
が、エアコン切るの忘れるとは不覚。

どうやら寝る前に「じつはわたくしこういうものです」なんていう、
本を読んで、冬眠図書館のイメージを練りながら・・・ってのが
まずかったかな(笑)

時間管理人を応用すればおもしろそーだなあ・・。

ポプラル!

村上龍がエグゼクティブ監督かチーフかなんかにいたので観る。

うむ。キューバ音楽というのはなるほど、なかなかいい。
でも、チャランガ・アバネーラというグループがこんな人気あるのは知らんよ。
多分、ブログほど認知度はないはず(比較対象まちがっとる!

映画というか、インタビュー+ライブ映像という感覚かな。

にしても、なぜか映画を作りたくなってきましたが、どうしましょうね(笑)

仰げば?と連続で観たので、結構疲労。体力がないぞ。このやろー。
キューバー(キューバを愛する人、今命名した)にはいいかもしれん。
というか、ダンスしてえ(できんが。

あおげば尊し

むー不覚にも涙が。
死とはどういうものか。転じて生きるとは何か。
そして「先生」という仮面は、表現のネタにすぎないのだが、
先生という職業もなかなかありそうというか、ありまくりか。

ま、先生はいいや。

テリー伊藤の演じる先生なかなかいいなと思う。
薬師丸ひろ子ってこの人かと知ったりする。え、常識?

死を見つめることで、生きる意味も分かるが、
決してそれは死体を見ることじゃあない気がする。

まだ死を消化できてない人間でも涙するのである。

作品全体に流れる静かさ。その表現力に結構やられた感がある。
それは自分にはできないという意味でであーる。

予定変更

というわけで掃除開始。
服とかぐちゃぐちゃに積んであったり、
洗面所とか、フローリング部分とか、結構汚れてた。
久しぶりに掃除した気が。いかんね。

スーツをクリーニングに出すべし。

布団も久しぶりに干す。
やばいなー、絶対これカビだ。くそ・・(笑)
カビって本当に湿気が好きなのねえ。うーん。
シーツにカビがあっても別にいいけど(良くない、多分健康上アウトだろう)、
敷布団本体に感染しとるよーにみえる。むは。
やべえ。カビ強し。

雑事というか、やることがたまっちょるわい。
うききー

日経ネタ

夕刊に、シニアが古書店を開業するって記事が。

メインは、タイトル通りで「開業は簡単だけど(資金もあるし、そんなに必要資金も高くない、
趣味の延長でできる)が、経営(古書販売で売上をだして維持して継続すること)は厳しい」とある。

にゃるほど・ざ・わーるど、とつぶやいて、
確かに、そうだろうなーと。

夢の連鎖という言葉があって(今創った)、
いや、夢の鎖というべきか。
それは「夢を実現すると、その瞬間にもうまた別の夢が生まれる」というやつで、
だから上の話でいうと、こうなる。

例えば、定年退職して、古書店開く夢があったから開くとする。
開いた、さあ夢が叶った。終わり・・・にはならず、せっかく開いたから
こういうことしてみたいというのができてきちゃう。だからそれをやる。
でも、店を回すのは、工夫しなきゃただ本を並べてるだけじゃ無理。
だから学んでいくと。そういう意味で「学び」は年齢に関係ないとかいえるけど、脱線か。

夢の鎖があるからこそ、リミットある人生として死が来る瞬間まで、
やはり「究極的な満足」はないと思っている。
もし、これでいいやと思っていたら、やはりそれはリミットある人生と捉えていないか、
今さえよければいいか、満足レベルが非常に低いか(ほう)、まあ
そんなところにおさまるんだろう。あんまり面白くなさそうな人生なりなり。

サラリーマンではなく、商人だと。
いい響きだ。商人。
金に執着するのは良くないかもしれないが、執着しなきゃいけないということもある。
自分がどこまでピンチな時に力を出せるか、いやどう振舞えるかという話は
自分をさらけ出してしまうので、ほとんどの人、僕もそうだけど、
能動的にそれらを回避しようとする。そりゃ人間としてあたりみゃーかもしれん。
でも、それを楽しむという意識はやや訓練しないと身につかないのかなー、
と、思いつつ、でも、意識するだけだしなーと。

やるなら思いっきりやっとくれ。
やっぱこれできまり。

波のうえの魔術師

寝る前に少しずつ読んだもの。
むー面白い。面白いじゃないか・・・

小塚老人のカレーライスの話を聞くと、カレーが食べたくなるのと同様、
この本を読んで、マーケットに参加したくなるのは当然かもなーと。

とりあえず、自分のポートフォリオをうまく構成したいので、さあどうするか。
まあ、それは考えていくとしよう。

この魔術師の話は、マーケットに対する想いというか、熱が書かれていて、
非常に面白い。逆にいうと、マーケットとか、投資とかに興味がないと
結構つまらん話になると推測。
昔、外為関係で2冊くらい小説読んだけど、あれと似てる感覚。
でも、この魔術師は、ちゃんと老人と主人公で話があるから、そこがさすが石田氏だと
初めて読んだのにも関わらず言ってみる(笑)


波のうえの魔術師波のうえの魔術師
石田 衣良

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ぐは

惰眠をマンキツしていたら、チャイムがなる。
むが。アジトを訪れるものだと、この世におるのだぎゃ!?
と、思いつつ出る。

どうも、光導入云々のアンケートの模様。
大家さんに許可とってあるというが、いじわるというか、
面倒な人とか、忙しい人は、
「大家が何を言おうがそんなの知らん」とかいうんだろうなあ。
住民の意見を聞きにきてるんだからねえ。

とおもったら、朝から引越し、あら、結構流動率高いのかな。
もうこの1年で結構、引越し部隊みるなあ。
当然土日で頻繁に見る。まあ、いいけど。

ねぼけまなこでアンケートに答える。
そして我が休みが始まる。

とりあえず、寒い。

言い切れるものはあんまりない

言語化というところとあまり似てないのだけど、
全てを含めて全てを伝えることはおそらく不可能。
それができてもそもそも「全て」とは何かは誰も輪かりゃーせんってことですが。

といいつつ、断言するとか僕は言ってますが、
断言とかいっても、それは決め付けている領域が0でもない。
で、そういう謙虚ポーズを「取る」人で、
だから何も言わないという人もいますけど、それはやりすぎだろーなと思ってます。
やや飛躍したお話ですが。

それよりも、今日、仕事中じゃないけど、電話に出たら、
えらくぶっきらぼうなしゃべり。普通にタメ口。年齢は50後半。性別は男性。
二人称は難しいが「おたく」と呼ばれた。これはアニメおたくなどの「おたく」ではなく、
「あなた」の意である。さあ、おたくどちら?といったら、どういう意味?
そう、あなたはどちらの人って意味が大抵の意味合い。
「お宅はどちらですかね?」という家の所在地を訪ねる場合もある。
それがどーした。

ま、それはいいとして、こういう人もいるんだなーと思った。
付き合いが長いか、何を知っているか知らないが、
ビジネス上は電話応対は相手は知らない人が出るもので、
敬語が普通だろうと。まあ敬語が正しいとかはどうでもいい、この場合は。

商人は、愛想をふりまいて、相手を喜ばすという姿勢がないと。
という意味で、サラリーマンは、商人ではないね、きっと。

で、言い切れるってことですけど、
えらく思考を省いてブツブツ結論の連続を言う人がいますが、
そういう人は大抵「怪しい」と僕は思っています。
説明できないってことは、それは言語化能力もあるでしょうが、
やはり理解できてないというのは妥当な見極め方だと思ってます。
逆にいえば、理解できていることが説明できないのは、
説明が下手だからとか思うのでしょうが、自分が理解した方法を言えばいいだけで、
それが伝わらないのは、「相手」と「自分」が違うだけの話。

だから、相手の視点から考えればOKってことです。
というわけで、伝えるには相手視点が必須ということですな。
でも、相手と話すのに、相手のことを考えない人っているんですかね。
ああ、いるか。ショック(笑)

で、話を戻して、
言い切るってことですけど、言い切ることが多いほど、
決め付けているように聞こえますね。
かといって、言い切らないと、「おまえは何を考えているのであるか!」と、
突っ込まれそうですね。
さあ、ここにきて「どうしようか」と思ったらそこでアウト。
ためらうことなくとりあえず、言ってみるのが大抵の場合良いかと。
もちろん、言葉によりますがね。

うふふ。

vol3.本を貸し出そう

本屋だが、本が貸し出せる。
そしてお客さんが貸すこともできる。
その代わり誰かの本を借りること。
BookCrossingの普及アジトを目指す。
ついでに、アウトプットも目指す。

お客と店という関わりより、自分がお客をもてなすのは当然だが、
同じ目線を扱う。だから、変な客には容赦しない(笑)

小説やエッセイや新聞のコラムなど、雑誌でもいいし、なんでもいいから
1ページ切り取って、そいつを店頭の「アジトの視点」掲示板に貼り付けて、
そこにオーナーとしての所感を示す(笑)
まるで、新聞の社説か。カフェにあるミニ黒板コメントか。
所感としては、当然、
「ライブドア」を扱うなら「青の時代」に注目しようと書くし、
「ホームレス」なら、「ビッグイシュー」をさりげなく設置し、
そして「ホームレス作家」などをヴィレヴァン風に設置する。

本の貸し出しをこっそりやるのもあり。
どちらに転ぼうが貸す人間はかっこいい(おぉ

動じない

確かに自分の仕事でのミスは嫌なものだ。
でも、それは真剣にやっていたならば、嫌を通り越して、
「ああ、これはいかんのう」という感覚になる。

というわけで、だらだらやるとミスも増えるが、そのミスに責任も感じないので、
やはりいかんなーと思う。

少しのことでは動じない。それを以前より「思うように」なるということは、
キャパシティが増えたってことか。

ほう。テンションが張るくらいの出来事がなくなることはないだろう。仕事において。
でも、それが面白いかどうかがかぎか。
つまり、自分があーくそーとか思って少しいらだちながらも、
でも仕事だからきっちりやるまでさって思えるかどうか。
「きっちりやるまでさ」というフレーズが頭にでるかがポイント。
でなければ、仕事との切り分けができていないか、
切り分けてても中途半端に終わっているかか。とにらむ。

達成感というのはよく分からないけど、自分で達成目標は作るべきもので、
それを人に与えられてこれやってみろといって、それをこなして、
「達成!」なんていってたら、そりゃつまらんわ。全てレールの上の出来事である。
自分で1mmでもいいから、こっち側に持ってくる。それが形に残ることに
ほとんど意味は無く、そう思考したことに意味がある。
もちろん、それは形に残る、学んだものが転化?して、目に見えるものになるまでの
話で、やはり最終的には学びは形になると思われる。というか、なる。


ところで、ダチが激しく働いておる。
む・・・皆タフやねえ・・・。僕はそんなタフガイじゃないぜ。うはは!
現実から逃げろといいたくなるほどがんばるのも一興だね。

日経ネタ

ニート世代劇作家。

ふむ。
よく分からんけど。

どっかの記事かなんかで、あ、これじゃないけど、
今の人は、他人の前で別々の顔を見せてそれで成り立っているようだ。
とかあって、今の人が若いかどうかわからないけど、多分そうだろう。

でも、誰にでも同じ顔って方がおかしいなーと。まいるさんも言ってたような気が。

そもそも、「自分」といってるこの存在が・・・と、最後まで言おうか。
「自分」といってたり、僕といってる僕自身の意見、言葉なんだろうが、
全て自分のものとはいえないし、そもそもそうじゃない。
おそらく、100ある自分の意見のうち、99は他人から学び盗みとったものだといってもいい。
しかし、残り1でもあれば自分だといっていいと思う。

自分らしくというのはどういうことか。
それを自然に振舞える、つまり気の置けない人がいれば自分はそこにいるだけでいい。
そういう状態であると思っている。

別々の顔ねえ。とふと思う。

さて、この劇作家の話もそうだ。
ニート世代という言葉が引っかかるが、それはニートなんてくそくらえだと
思っているからであるのは別に冗談でもない、本気だったりするが、
その劇作家について、色々並べている。

表現とは、そもそも深い部分であるので、もちろん分かる、感じる、良いと思うとか、
そういう部分で人によって違うけれど、
表面的な表現とは、全く表現者の中では意味がない。
そんなのは「誰にでも」できるからだ。
だから、この演劇つまらんわというのは、ある意味で「表現が薄っぺらい」だけかもしれないが、合わなかったという単純なセンスの問題もでてくるということになる。

だから、創作物の評価、表現の評価は難しい。
ただ多くの人を動かすものというのはある。それに共通しているのはおそらく、
やはりといっていいが、心でしかない。
そういう意味で、精一杯「つまらん!」というのはすごく健全な批判精神であると
僕は思っていて、逆にそれをやられたら非常に辛いが非常にありがたいとすら思っている。

なぜなら、人は一生に気付けることは少なく、もし知らなかったら
一生「月極駐車場」を「げっきょく駐車場」と読んでいたりするからだ。
これは笑い話でもいいが、ある考え方、独創的な考え方でもいいし、典型的な考え方でもいい、そういうものも色々あるが、そういう自分の思考が試されることなく、
野放しで、何も言われなかったら?
そう、おそらくそれは恐ろしいゆがんだ意見となっていくんだろうと思う。
おっと、歪んだとは自己主張の強いとか、偏見のあるとかそういう意味ではなくて、
理想的ではない、非現実的な意見ってことかな。
まあ揉まれてない意見ってことね。

それを考えると恐ろしい。
やはり、成長が上というなら、上を向いて生きたいし、
楽しみが成長なら、成長していきたいし、
文章が表現なら、表現していきていきたいと思う今である。

得たものを消化するとは?

おそらく、分かってる人は分かる話なので、つまらんかもしれぬ。
まあそれはそれでいいのである。

何かを学んだとは、それを別の何かで応用できることを意味すると、
僕は勝手に思っている。

状況、環境、自分の気持ち、そこにいる人、・・・まあ「環境」といえばそれまでだが、
その環境が違うときにそいつ、つまり学んだものを出せるかどうかということに尽きる。

仮にそいつが出せなかったとしよう。
それをときに人は「実力が」出せなかったとかいうかもしれないし、
「調子が」悪かったというかもしれない。
どちらにしろ、なんであれ、結果的に「学びを出し切れなかった」という解釈でいけそうである。

この状況にはこれ、その状況にはそれというのは、
実は決まっていない。おそらくそれは考え方にもよる。
が、考え方によっていても、同じものなどないというのは、僕が
学べる人、正確に言えば学ぶことのできる人にはそれが常にある。
逆に言えば、常に同じであるという人間からは学ぶことが非常に少ない。
時には反面教師で終わる場合がある。最も、反面教師ととらえている時点で学んではいるのだが。

一瞬一瞬が違うということだ。単純だ。

得たものを消化するとは、学ぶということになるが、
果たしてどこまでそいつを使えるかは、自分次第、つまり学ぶ自分次第となる。
そこで言い訳をたくさんする人が大量発生する。
「自分は力がない」とか「能力がない」とか「そもそも知らない」とか。
言い訳はダメとは思わないが、あくまで「絶対」ダメという意味ではないだけだ。
大抵の場合はダメだ。必ず自分では到達できないようなものに責任を押し付けている。
一体どこまで自分は関わって自分でどこまでやったのか。
それでもう無理だというなら自分は納得しているはずで、次へいける。
でも、そんな問いをしてないようでは、また同じ事を繰り返す。

それが、結局、仕事に「向く向かない」という話につながる。
向かないからダメだったというのは分かるが、ではその向かない理由を、
理由が明確ではないなら、「明確ではない理由」もしくは「思ったまま」を述べてみろと。
述べなくても自分で整理できて、こっそり明文化できるレベルまで落とし込んだかと。
そういう作業はしたのかと。
した上で「向かない」ならば、悔いはないだろう。

それをせずに、何かを語っても、言っても無駄である。
何が無駄か?そう、何も変わっていない。つまり得たものを消化してない。
学んでいないのだ。

学ばない人間は、次に動けない。
動けないというのは、6坪の家にいたら、50坪にいっても6坪分しか動けないということだ。
残り44坪は全く見えない。実際にはあるのにという話。
動けないから、それ以上にはならないのはいうまでもない。

仕事でいえば、別の仕事についても、前の仕事で感じていたもやもやは、
おそらくまた「出現」する。そう同じようにまた出てくる。
そしてまた葛藤なり、自問なり、苦しみなり、愚痴なり、仮病なり、「おかしいぞ」という
焦りなりで、また考えることになるだろう。
「なんでまた同じことが起きてるんだ」

そこで、学んだ人間かどうかは一発で分かる。
これはあれと同じだ。なんでこんなことになったかは・・・。
そうだ、これは乗り切れるぞと。乗り切れそうだと。今度は違うぞと。
いや、今度も同じだ。やはり、合わない。合う仕事なんてないんだと。
何を思ってもいい、ただ進めるかどうかというレベルの話。

苦労がない仕事、人生はないという。
果たしてそうなのか。それはなんでそう思うのか。
意見で明文化できないなら、ゼスチャーなり、表現をしてくれよ。
そうしなきゃ伝わらない。いや単に誤解されるだけだ。
あえて伝えたくないならそれでもいい。でも、自分にだけ伝えないのだけは、
老婆心としていっておこう。

人生における一般法則を、そして成功法則でもなんでもいいが、
それが自分で実感できて初めて「消化」できたという。
それを分からずに自分の言葉として出来ずに言う「知ったかぶり」は別に悪くないが、
非常に役に立たない。発言者にとっても、それを聞く人もだ。
そういうのを無駄な会話というが、最もこういう会話も時には必要悪であろう。皮肉だ。

現実とは厳しいというだけではない。むしろ温かい。
しかし、なぜかどこかで勘違いしてしまってそれを軌道修正できぬ時がある。
突っ走るのもいいが、そのときは思い切って。
適当に歩くのもいいが、そのときは本当に適当に。
ユートピアは決してないわけではないと思うが、
何をもってユートピアに行きたいか、そしてそれがどういうものであるかを
考えて、こういうものかもしれぬといって、こうすればいけると思わなければ、
やはり「ない」のである。

何もせず楽をして生きるのも一興。
どこかになにか自分にふさわしいものがあると思い続けて死ぬのも一興。
一興と割り切れるだけ思考したならいいが、おそらくそこまでいく人は
結構限られてしまうのか。だから意見を言うのは恐ろしく、何を言われるか分からなくて、
ときにお前はおかしいといわれるだろうから。

そこをあえて前に出るという選択はほとんどの環境において、
再現可能なスキルだと思っている。が、そう思ってない人は
おそらくこのブログは読んでない。うはは!

整理整頓

部屋がどんどん汚くなっていく。
最近掃除してない。がんばれ。

さて、HPにブックカフェを追記。こちら
日経ネタを消化って感じ。にしても、ブックカフェリンクたどれば、
かなりの店に出会えそう。

で、こんな収穫あり。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4901998153/249-4884722-4253922
やべー。ブックカフェものがたりとは。欲しすぎるよー。

いろいろな表現

さて、「書く」ことについて、書ききった感がある・・・わけがなくて、
その思考に終わりはない。
そう、だから書き続け、そして考え続けるのであーる。
というのが、堅苦しいと思う人がいるのも分かるが、
同時にそういう人を僕は「柔らか過ぎている」と思っているから、
そう思われていると思う「自覚」はある程度必要かなと。
まあ、どっちもMyWayですしな。全ては一興である。

さて、文章というものを「表現手段」として、捉えている。
それは大分前からあった考えではない。むしろ、「表現可能」なツールとして、
捉えてしまったという、いやもっと正確にいえば、
そうなってしまうことを誰も止めることはできなかったのだ!という、ものだ。

文章は「書いて表現する」というシンプルさが売りだが(まじっすか?今決めた)、
どうもそれは基本としてあるかもしれないしないかもしれないし、どっちか分からないけど、
まあもぐもぐ(笑)として、あると。

で、じゃあ「表現者」としての文章はどういうものかと。
そういうのは、こういうのがいいっていって本を紹介したり、
ブログとか、サイトとかの記事を引用するってのもありだし、
なんでもいいと思う。
引用は自分が主であることを忘れる人は、というか忘れてしまうような文章を書く人は、
そもそも意見がない。それは別に悪いというか、そうなったらそうで、「意見がない」んだから、
そこは認めてしまおう。別に「卑屈になれ」というのではないのでござる。

話がまとまらん。
というか、まとめるつもりがない。
以下のメールを調理してみよう。
おそらく、かなりの自信をもっていうが、これが「作為的」な文章、
つまり、相手を陥れる(そもそもこんな文章を適当に送ってきているわけだから、
おそらくそうとしか、ここではいえない。すまんね。でも、それが現実だよ。明智君)、
ためだったら、人としては大したことがないが、
まあそれはどうでもいい。「表現」としての「文章」がかなり可愛そうというか、
勿体無いというか、勘違いというか、そういうこともできるっていうか、
要はやっぱり、「ツール」だと、「道具」だと。目的じゃないんだと。
「書くために書く」は、自己目的化だと思いますが、別にそれが短期的ならいいんですわ。
でも、それってずっとは無理でしょう。書くために書いて、何か見えて、それに向かって書く。
それがスマートだと思うし、そうありたいなーと思いつつ、さあお披露目。

*****以下メールの内容でござる******
人生どうだった?楽しかった?辛かった?満足した?

もうそんな歳だ、これから何も起こらないだろう、若い時の様に大きな山も無ければ急な下り坂も訪れないだろう。ちょっとした事しか起こらないだろう。

この文章を見てもあなたは何も感じないだろう、あなたの人生の一瞬でしかないだろう。

でも・・・。

思い出してほしい、あの素晴らしい時間を。もう1度あの時間が訪れたらどんなに素敵な事だろう。考えてほしい、あの、胸を高鳴らせた過去を。
もう1度だけ、もう1度だけ。ほしい。

でしょ・・・?

大丈夫あなたにその気持ちがまだあるなら、あなたにその気持ちがまだ残っているなら大丈夫。

これは出会い系サイトのメールだけど、これを書いている私は別に入ってほしいと思わない。
じゃあなんで送っているかって?
生きる為だし、お金がほしいから。

生きる為に送るしかない、あなたの仕事も誰かに迷惑をかけてお金をもらっている。今日を振り返ってほしい、誰にも迷惑かけない仕事なんてこの世には無い。
迷惑をたくさんかけて仕事はできる。私の仕事を美化しようと思っていないが、そうだと思う。

今日で私の仕事は終わる。今日で色々な人へメールを送らないで済む。だから今日はいつもとは違ったメールを送る。いつもとは違ったサイトを送る。

それがどういう意味なのかわかってほしい。
ネットでは絶対見つけられないサイトをあなたに送ります。
私欲で作成した、その人が自分で利用する為に作成したサイト。自分の性欲を満たす為に作ったサイトらしいです。

ではさようなら。
http://www.awg5.net/?2022












メールいらない
concept3_net@yahoo.ca

*****以上******

では、突っ込みに入る。
この文章がスパム的かどうかは一切スルーしておこう。
ネタとして扱う。全てを肥しにするこのブログにふさわしい。

前半の書き出しはまあまあ。
でも、「もう1度だけ。ほしい。」のところで、ほしいは前述された「思い出してほしい」を
指すのだろうが、脱字っぽい。これ推敲したのかね?
というか、このブログは推敲しとらんっすよ。どうでもいいですが(笑)

次がやや展開かつ開き直り部分である。なかなか面白い。
「これは出会い系サイトのメールだけど、これを書いている私は別に入ってほしいと思わない。
じゃあなんで送っているかって?
生きる為だし、お金がほしいから。」

上の文をまとめると、

出会い系サイトに入って欲しくないが、(私は)生きるためにお金が欲しいから送っている。

これでは文意がやや不明だ。だから次へ。
すると、こんなのが続く。

「生きる為に送るしかない、あなたの仕事も誰かに迷惑をかけてお金をもらっている。今日を振り返ってほしい、誰にも迷惑かけない仕事なんてこの世には無い。
迷惑をたくさんかけて仕事はできる。私の仕事を美化しようと思っていないが、そうだと思う。」

確かに生きる為に、メールを送る(という仕事)のは分かる。
が、続く「あなたの仕事も誰かに迷惑をかけてお金をもらっている」という不明な文章が展開される。
やばい。
そういう「わけわからん」と思われることを想定したのか、それとも「適当に」書いたのか、
「今日を振り返ってほしい」といい、読者に、いやメールを送りつけて迷惑をかけた相手に(笑)訴える。
そう、僕も今日を振り返ってみたりした。
そしてこう続く。「誰にも迷惑かけない仕事なんてこの世には無い。」
言い切った。断定である。
断定するには、それ相応の思想、考え、類似例、比喩を駆使せねばならない。
いや、せねばならないことはない。単に分かればいいのだ。でも、これは勝手に
「自分が迷惑をかけている」ことを正当化してますねーといって終わりである。
悲しいねえ。

ここで文章は終わらない。
まだ、展開しきったばかりだ。
そして、

「今日で私の仕事は終わる。今日で色々な人へメールを送らないで済む。だから今日はいつもとは違ったメールを送る。いつもとは違ったサイトを送る。」

自分の仕事が終わるから、メールを送らないで済むのは分かるけど、
なんでいつもと違ったメールを送るのか。
それは、「迷惑をかけない仕事はない」というか、ある種そういう考えが
「迷惑的」だと思えるのだが、どうだろう?(笑)まあやや深みがない突っ込みだ・・くそ。

で続くっと。

まあ、いいでしょう。
一番衝撃的なのは「迷惑をかけない仕事はない」のであって、
誰かに迷惑をかけて仕事をしているという点だ。

仮にそうだとしたら、例えば新人類である僕は、職場の先輩や上司に迷惑を仕事上でかけ、
そしてPCでエネルギーを無駄に使用して火力発電所の人に迷惑をかけ、
PCを消耗するからそのメーカーに迷惑をかけ、存在自体がうっとうしいから、
それで人に迷惑をかけとなるのだろう。

バカである。これをバカという。いや、いわなくてもいいか。いや、やっぱバカだ。

自分に自覚的であるかどうかでバカかどうかは分かる。
「自分がひょっとしてバカじゃないかと思ったこと」がない人は、
バカか、天才のどちらかである。
思ったことがある人は、まずバカではない。
そういう意味で、天才になるのは非常に疲れる。
ただ、色々解釈を加えていくと、バカも天才も僕も誰も同じになるので、ここでストップ(笑)

自己中と自己正当化の素敵な文章とは、上のメールを言うといっていいだろう。
こういう人が増えたらそりゃ、「自己中」で「自己正当化」しなきゃ生きられない社会になるわ。

で、一番最初らへんの話に。
これがわざと書かれた文章でも、かなり強引だ。
で、わざとじゃなかったら結構「文章」の手段を間違えてる。
最もスパムとか迷惑メールは全て「間違えている」のだけどね。

実際にメールを出す。レスがくる。
だから、多くの人に迷惑はかかるかもしれないが、少ない人には貴重なサービスを
提供しているという。
そういう考えも、なるほどできる。というか、意見としてはまっとうな部類だ。
でもおそらく、深く人と関わったことがないからこそ、
そういうことができる、単なるコドモである。おっと子どもは関係ない。

自己正当化するなら、もっと不明なことをいってほしい。
そういう意味でこのメールは吹っ飛んでて面白い。
中途半端な論理性と中途半端な自己正当化。

やっぱなりきれない人はやはり表現もなりきれてないと思うわけだ。

で、自分は?ふっ、余裕だ(おぉ









vol2.イメージできる空間

落ち着く。
長居できる。
安全である(笑)
変な人が少ない(動きが読めない人の意(ぇ))

暖かいが、夏は涼しい。
基本的に静かだが、会話はひそひそしなくてもいい。

本を読んで得るものが1つは出来る場。
意外な発見をもたらす場。
(ヴィレヴァンは菊池氏が暇つぶしの場所といっているが(ホント?
暇はつぶすためにあるんじゃない、楽しむためにあると曲解(まて)))
という意味で、常にチャレンジングな場、挑戦している場。
だが、熱を周りに出すよりも、内に発する熱が多いためのパワーが大きい場。

仮眠ができる場。本を読みながら寝るのがおすすめな場。

年齢に関係なく来れる場。
おっさんよりは若い女性歓迎(えぇ
というのは冗談で、出切れば若い学生が世の中に可能性を感じる場。(素敵

紙とペンが転がっていて、自由に使える場。
PC環境があって、誰でもネットできる場。もちろんお金とらんよ。

日経ネタ

復活。

日経まとめ読み。ふむ。結構アンテナに引っかかるものありあり。

まず、物語絵本の話。
あ、これは別にいいか(ぇ

次。

トップにある大学激動囲み記事。
タイトルがいい。「将来不安、広がる「まじめ化」」だってさ。
その中で、溝上助教授の言葉がいい。「しょせん受身」。
いいね。そういうの大好きだよ。

出席をした熱心さって分からないでもないけど・・・
それって一発でいえば「講義にでた」ことしか見てないんだよねえ。
講義で学んだこれを自己の興味とすり合わせて友人と話したとかさ、
講義の何気ない話から自分で本を調べてみたとかさ、
そういうのが大学じゃあないんすかね。つまり、学ぶってことさ。
主体性のない学びなんてないんだわ。

養老氏の出てた番組で、レポートを氏が出して、
とくにテーマはないから、おおざっぱに書けみたいな話で、
そこである学生が「定義してもらわないとかけない」という。
いや、それって自分でテーマつくって書けって話で、
なんでもいいってことなんだわ。逆にいうと、学んだことが
講義から1つでもあればそこからいろいろ書ける。
その程度はその人自身よるわけさ。だから全員Aとか優とかも多分ある講義だったんだろう。
って、勝手に推測。
だから、氏は学生に何か教えるところから離れたようだけど、さあ今はどうなんだろ。

でも、これって今ホットな話題で、書きたい、書けないの話に絡めると、
テーマを考えて書けないってのは、やっぱまずいというか、つまらんというか・・・。
こういうことを書きなさいっていわれたものしか書けないと、
じゃあ「こういうこと」っていう他人がいないと書けないってことになる。やべえ。
だから、「こういうこと」って自分で自分に命令与えるようにすればいい。
ってことは考え付かないんかねえ。
だって、それやると「他人」の求めているものではないっていう「恐れ」があるからねえ。
やっぱまいるさんのいう「評価を恐れているだけ」ってのは深いなあ。うむうむ。

戻る。
休講になったら、補講をやってくれといってくる。その熱心さは素晴らしいと一瞬思うが、
どうも、小粒だと。それで「受身で小粒」なんて小見出しも踊る。いいね。


群馬大医学部の面接での話。夏目漱石か森鴎外の作品を読んだことはあるか、
というのは、おそらく僕はないと答えるが、多分読んだことがあるからどうとか、
読んだことがないからどうとかそういう話ではない。と勝手に思う。
作品を読まずに、道後温泉に行くとか、鴎外の家(って確かあったね、山口だっけ?)とかいくとか、それは旅で。そういう入り方もあるというか、自分はそっちから入りやすいと思う。
そこらへんは自分のテクなんだけど、そういうのだろうと思う。
文学作品を読まないってことは、おそらくこういう推測ができる。
文学は結構人間の機微を描きまくってる、そういうところで、人について考え、
自分も他人も、そして社会も、さらにはコミュニケーション、関わり方がみえてくるってことか。
そういうところの話、まあ深い話ってやつだ、その話の「きっかけ」でしかないわけだ。
上の説明は。
というのを新聞の行間、いや妄想といってもいいが、面白いんだよねー(笑)

いい意味で「捨てる」って言葉を用いると、
何か捨ててそっちに突っ込むっていうのは必要だなあと思うなあ。
若さってそういうものだと勝手に思ってる。
慎重に慎重にやるってのは、やっぱねえ。ちなみに、若さとは、年齢ではないと
ここで付け加えておきますかね。

戻ろう。

コラムで、「演技の極意は想像力」ってのがあった。
すげーめちゃくちゃ分かるというか、これだよなーって感じ。いいねえ。
それはこういう文章一部抜粋だけでも分かる。
「役を演ずるということは、その役と似たような体験をしていようがいまいがほとんど
関係のないことで、・・・」
だと思うなあ。で、想像力だと。想像力を駆使しろと。
で、ここからは僕の解釈だけど、想像から創造ができさらに想像そして創造。
そこで可能性は無限大。
ここに人生ワンチャンス。リミットあるワンタイム。を付け加えよう。
そうするとどうなるか。やりたいことやるって人生になるね。
そりゃ人に迷惑かけるなんていけないっすよ。

こんなのも。
企業と学生認識にズレって記事。
どうもシュウカツのために、バイトをしっかりやるって話。
分からないでもないけど、バイト以外にもやることがーって言いたいなあ。
別にいいけどさ。個人的には「仕事」なんて腐るほど今後やらなきゃいけないから、
学生のうちは徹底して遊ぶ。これがスキな考えだわ。
自分を育ててくれた親、そしてお世話になった人にきっちり感謝を返すというマイルールもあり。さすが戌年。忠義が固い。(おぉ

で、この記事結構面白いのだけど、やっぱ企業側からみると、
「採用基準は明確ではなく」て、「明確にできない」だけで、
「エントリー時点での選考」なんて、かなり主観入るから、
だって、主観で選ぶでしょう?学生は。学生がっていうか職希望している人がね。
ならば同様の「主観」を企業にも与えるべきじゃない?
それが対等であり、大人っすよ。これは文句がいえる話じゃあないねえ。残念ながら。
そして
「企業側が、学生に情報提供不足」とあるけど、
多分説明しても分からないだろうし、(学生がバカって意味じゃない)
何を情報として提供するかってのもある。理念なのか、事業分野なのか。

で「採用プロセスが開示されない」ってのも、
それ開示すると、「それ突破」するための人も一杯でてくるからじゃない?
って、さっきの囲み記事であったからねえ。そういうところはきっちりやるみたいね。

まあ、結構ひどい学生像だね。僕学生じゃないからいいけど(鬼
でも、まあ学生にも色々いるのは分かってる。
というか、つまらん人はつまらんし。それは学生とか社会人とか関係ない。
くそみたいな社会人もいるしね。おっと、くその定義までできんよ(笑)

こもれび氏は多分この記事読んだらこういう気がする。
「そもそもアルバイトでシュウカツに役立つなんて思考でやるなんて、
その思考がすでに企業の歯車」
とかね。ちょっと違うけどね。まあ歯車が悪いわけじゃない。

ところで、確かに考えた分だけ面白いことは多いけど、
考えればいいってもんでもないってのもある。悲しいね。哲学者のエスケープ?
そういうのがあるから、バイトで先に先にってやっても、
例えば、狙ってた企業に入れなかったときのショックを耐えれる気合いとか、
そういうものを磨いた方がいい気がする。

とだらだらと。
バイトして仕事してそれをやってきたいとか、もっと仕事したいとかさ、
そういう人が悪いってわけじゃなくてね。
単にシュウカツのためにやるってのは、違和感ってこと。


締めに日経MJ。
クラブでまなブって記事。面白いね。これ。
詳細省略。日経MJをもっと部数拡大させるため。うはは!
ま、でも月2000円で結構な面白いものを提供してくれると思う。
とても小売専門誌には思えないねえ。

うおりゃー

書くことについて書いてたら、滅茶苦茶頭が痛くなってきました(関係ない
風邪か、「気合いが足りない」かどちらかでしょう。
後者なわけがにゃー(笑)

インスタント味噌汁なんていう便利なものがあるんですけど、
それの赤味噌バージョンが生味噌バージョンよりはけてました?
さすが赤みそのメッカ。といいつつ、赤味噌のほうを買いました。
うみゃーでかんわ!いってみやーち!

おっと、やや暴走か、それとも「デフォルト設定」か。

むー自分が二人に見える(危険!

仕事が仕事が

仕事が増えた。自分の仕事が。
悪いことではなく、良いことだ。
普通仕事は「仕事をこなせない」と思われたら「仕事」はこないものだから。
といって、下請け的にやっていては、ダメだというのもあり。が、ここではスルー。

その仕事をこなすと何が生まれるか。
何になるのか。どうなっていくのか。

うーん、4,5,6月とかは、「何かできそうな」「何かやれそうな」という
感覚論を圧倒的にぶちまいてただけですが、
今は大分違いますね。感覚ではなく、結果と見えるもんをつくらんと、
お話にならんくって、門前払い、一見さんお断りになっちゃいますね(笑)

いかん。寝るべしべしべし。

vol1.あったらいい会話

まず1発目として、会話から。

「この本どうだった?」
『なかなかよかった』
「どこが良かった?」
『2つあってね、まず1つは主人公の倒錯しまくりなところ。
もう1つは、タイトルかな。』
「タイトルって、このタイトルが?」
『そう。最近そんなことがあってね』
「最近そんなことがあったの・・・ふーん、とりあえず飲み物頼もうよ」

メニューは、紅茶が好きということで、アイスティーはもちろん、
ハーブティーとか、ロイヤルミルクティーとか、レモンティーとか、
ああ、アップルティーもいいなあ。
ちょっとさりげなくお菓子ついてたり。

当然、店の主として、
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」は必須なり。

想像を創造する

まよなかのじかんというラジオが始まって何回か経ちましたけど、
その企画については何度もいってますが、
詩と絵のコラボーレーションです。

コラボコラボってのは良く聞きますが、
「ウェブ進化論」にあるように、「こちら側」と「あちら側」では全く理解が異なりそうです。
そう、コラボってる本人らとコラボを聴く・見る人では違うってことです。
コラボの本質は、コラボってる本人らにあります。

これは、プレイヤーかオーディエンスかという話になってきて、
やっぱどの世界でもオーディエンスであり続けるのはストレスフルだなと思ってます。
表現できる場がないってことになるわけですからね。

そこで、僕もプレイヤーとして、コラボではないですが、
想像したものを創造物に落とすという試みをしてみんという思いにいたりました。
そういう意味で、まよなかのじかんの影響をもろに受けているのですが。

まず、このカテゴリ「本のアジト」では、あらゆる角度(つまり、どんな切り込み方でもいいということ)で、こうあったらいいなというものを書いて記録していきます。
本のアジトとは、僕が言っている「私設図書館構想」でもありますし、
また「自分が起業したいものと密接に関わるもの」でもありますし、
ライフワークとして「働くとは何か」を考えていく場でもありたいですし、
とにかく詰め込んでます(笑)
とにかく、ブックカフェみたいなイメージでもいいですし、そういうのも1要素として入れてます。
ネットカフェでもいいですしね。

例えば、こういう会話が存在したらいいなとか、
こういうものがあったらいいなとか、こういう人がいたら、
こういう本があったら、こういう音楽が流れていたら、
こういう話からこんなことが出来たらいいなとか、
近くに何があるといいか、寝る場所があるといいなとか、
なんでもOKです。

OKですというのは、割り込み大歓迎ということです。
まあ少数かなーとか思いますが、興味ある人もいるとにらみ、
そこは本当の狙いではないですが、コメントはあれば嬉しいものです。

で、そうやって書いて記録した想像的なものを、
本当に創るのが狙いです。

大分前にここに書いた気がしますけど、
頭で考えたものは実現できるからこそ考え付くみたいな話です。

例えばブックカフェみたいなのをやっても、
経営が難しいし、収益でないし、やってけるのかね?
という話はありますし、分かりやすい話です。一般論として。
でも、ぶっちゃけていえば、「やっていけない理由」を探すのは
意味がないんです。ここでは。「やっていける理由」しか考えなくていい。
別にリスクとか否定的なところを見るなというのではなくて、
それは最終的には、クリアできるし、クリアするという構えでいかんとやれんのですわ。

と、大げさにいってますが、
まあ少しずつ蓄積していけば、その部分が必ず全体になって一つのものになるとは、
限りませんが、まあ近いものはできるんじゃないかなーと思ってます。

というわけで、書いてきますわ。

米を買う

米買いました。10kg買おうと思ったけど、勇気がないので(なんのさ)、
5kgで。米ってどれくらい持つんですかねえ。

うがが。

マッチ売りの少女

観て来ました。
危うく5分前入りってところで。飯はやっぱ起きてすぐ食うものですかね。
腹へっては上演中に腹が鳴るかなと思ったので(笑)

マッチ売りの少女。
もう内容ほとんど忘れてて、あれ原作ってどういう話だっけという興味が。
調べんといかんですな。
http://www.hyuki.com/trans/match.html

あ、やっぱ別役実って人の劇作品なのね。
原作は、そのまま死ぬだけですが、今回のメガチカは別役さん「マッチ売りの少女」を
演じていたので、なるほど・・・。
そのアレンジが面白いってことになりますね。結果的に(笑)

で、劇は良かったです。やっぱえーのう。
でも今のところワーニャ伯父さんがトップ・・・。次にマッチになるのかな。
とまだドラマ6回終わってないのに勝手に評価し始めるなりなり。

にしても毎度くどいですが、これ500円か・・・やすー。


人間国宝展

行ってきました。

うーんと、一番面白いと思えたのは「茶器」(笑)
戦国武将なら必須のアイテム。いや武人じゃなく、文人がか・・・。よーわからんけど。

金工という、金属を加工したものと思われる作品は、
こう説明があった。印象的だったんで。
加工の仕方は3つあり、鋳工、鍛工、彫工とある。
鋳工は、型に溶かした金属をいれて固める。料理のアレですね。分かりやすい。
鍛工は、金属を伸展性を活かし、金属を延ばしてつくる。すげー。
彫工は、金属自体に彫っていく。

で、なんで印象的だったか。
そもそも、金工というジャンルも言葉的に新鮮でしたが、
それに3つもやり方があるというのが驚きマンモスだったということです。
普通というか、僕は知らなかったのですが、金属に彫るくらいしか
イメージできてなかったわけですわ。
でも、それは3つの主なものの1つでしかなかった。

単にこれを「金工」の話で、ある芸術展の話といえば、終わりですわ。
まあ、そういう世界観で生きるのもありなんですが、
世の中ってそんなに狭くないし、いかようにもなるわけで。
そりゃ油と水みたいにうまくマッチしないこともありますけど。
でも、やってみないとマッチするかどうかも分からんわけですよ。

その動ける領域ってのは絶対広い方がいいなーって思ってます。
わきゃい頃に、そういう目はつぶさない方が絶対いい。
後から多分5年とか10年レベルの感覚で、「あー毛嫌いしておかなくてよかった」と。

なんかそんなこと思うんですよ。
自分なりに楽しむっていうスタイルでやるのみ。

生産的構え

メモを少々。

そもそも、緊張せずにリラックスして働ける場所ってあるのか、というと、
おそらくない。おっと、リラックスして働いている人がいないという意味じゃない。

この問いは、
そういうものがあって、そこで勤めるとか、そこで働くという話である。

起業なんてところまでいかなくても全然良くて、というか僕は起業するから、
そういう「全然良くて」とは本当はいっちゃだめなんだけど、ここは目をつぶって(笑)、
いうんですが、

環境は作るものだと。というある人の言葉があって、それは何度もブログに書いてるんですが、
それってもっといえば「どんな境遇も状況も受け入れてそっから話が始まるべさべさ」ということになりそうです。

実際にそうだと思ってます。

仕事も適度に楽しめて、人間関係もそんなに悪くなくて、
通勤もそこそこの時間で通えて、福利厚生も悪くない。
そういうところが、「緊張しない」ところだとしましょうか。
で、それがどうしたのという突っ込み満載の話だよねーという話です(笑)

上っ面、表層、氷の海面から見える一部のさらに上の一部、それだけみたら
「氷」かすらか分からない、もしかして自分のパンツだと思うかもしれない(表現が悪い)、
そういう話ですな。

視野が狭い人に言えるのは、おっと、少なくとも僕はそういう人よりも視野が広いと
思っているから言うのは明確ですが、
「わざと」視野を狭めているようで、実は「狭めている」のを理解してないという
矛盾があります。この矛盾はあまりよろしくないもので、なんでかといえば悪循環だからです。

だからまあ、視野が狭いことに気付いてないといえば、えらそーな意見になりますけど、
そうなりますね。
だってそうなんだもん(笑)

で、何かを生産とか創りだすってのは、やっぱどんな人にもいると思うのですよ。
障碍があって、何も出来ずにベッドにいても、絵筆加えて何か表現しようという人は
確かいたはずですし、ベッドの上からビジネス興した人もいるようです。
だから、そういう意味でまず「健常者」「障害者」ってのは、区別する必要がないんですよ。
というか、僕は区別してない。
だから、自己を受け入れてない障害者は弱いですよね。最も健常者でも同じく弱いんですが。
だからこそ、あらゆる境遇を受け入れてやるしかないわけです。
これは「書く」話でも同じように、結局「書く」しかないのと同じだと思います。
過去を嘆いてもしょうがないし。

分かりますよ、そりゃ。
何かもう相手が絶対悪い事故とか、意味が分からん暴力とか、
そんなの「安全」といわれる日本でもあるわけです。
そういうのが心理的に、トラウマになってしまって、病になるのも分かりますよ。
でも、やっぱり乗り越えるとか、受け入れるってのは自分なんで。

そこで受け入れられないから自分が弱いから、どーのこーのいうのは
やっぱアウトだなあと思います。
え、それほど自分は強くないって?そんなことだれに言っても強くないのを
認めたり、他人が受け入れても、自分が弱いことは受け入れない話は進みませんでございます。

あるところで、「着地」しないと、始まらんと。
着地してないのが、無意味な「愚痴」(愚痴に意味があるのもあります。思考過程のトリガーとして役立つとか(笑)なんだこの表現は・・・)とか、
現状に対する不満、ネガティブな考えとか。まあ例外もありますけど、スルー。

覚悟といってもいいでしょう。その会社で一生働くつもりがないなら、
適当に働けばいいかというと、それは違いますね。

ユートピアみたいな環境がどっかにあって、そこで暮らせるために、
探しているってのは、僕が一番嫌いな考えです。
うそ、まさかそんなことを考えている人間がいたの?って思うんですが、
そういう人はやっぱ視野が腐るほど狭いです。
情報があるっていってますけど、フィルタリングの機能が情報収集機能より上回っているのか、届かない人には届かないんですなあ。

で、環境があって、それはそれでいいとして、
存在している環境と自分が作る、生産する環境がやっぱあってこそ、
一つの「環境」だと思うわけです。

仕事が合わないから辞めるのは問題ないんですが、
それと何をしていきたいかは別問題で。

辞めることで今の苦痛を回避したいだけなら、多分辞めるのはよくないと思われます。
何をしていきたいかなんて、まあその人の納得いくことのレベルもあるので、
なんでもありなんですが、あれやってみたいなーと思うのがあれば、
それを何が何でもやるというのがなければ、やはり少しでも「辛い」とすぐ
終わっちゃうのだろうなあと。

何をしたいかから、探すのではなくて、
あるべき環境から探す。

だから構えは常に、受身である。
受身が全て悪なわけじゃないが、この場合は主体性が感じられない。
そんなのだったら、別に「あなた」じゃなくても、マスにつんで測るほどいるわけさ。
そんな人に任せるわけがない。

やりたいことが分からないなら、分からないといえばいいし、
仮に分からないというのが「恥ずかしい」なら、それをパワーにして、
自分が分からないなりに分かるように動けばいい。

そういうのがもし「面倒」なら、
やっぱそれまでの人間さ。これは厳しさでもなんでもなく、
そういう人間として僕も含めて、そう思われるだけ。


日経ネタ

日経ビジネスの方で。
ほう。ドンキとイオンが人口減でどーのこーのって話。
話題としては、TOBでしたっけ。白馬の騎士とかね、イオンが。
オリジンって会社の買収云々。
とか、ですけどね。

結構面白かったですけど、まあスルー(えぇ

切り取ったのは、ホテル・ルワンダの紹介記事。
公式サイトは以下。
http://www.hotelrwanda.jp/index.html

おーみたい。みたい。
みゃーみゃー名古屋でもやるみたいっすね。早速行かねば。
100日で100万人か・・・。恐ろしすぎる。

Driving in a Nail

アンサンブル・ゾネという団体のダンス公演。

ダンス?って何という僕は新境地に開拓しにいったようなものです。
いや、しにいきました。パイオニア精神は常にあります。
単に怖いもの見たさでやってるだけだったりします。自分はどの程度の人間か、
「ぼろぼろ」に言われても「自己」さえあればやっていけると思ってます。
なんか妙な方向に行きつつありますので、流れを変えませふ。

ダンス自体は、演劇から入っていけば、ミュージカルとかそういうのが
近いと思うんですが、ミュージカルではない。ダンス公演ですからね。

で、不覚にも途中うとうとしましたが、本当に身体の動きを舞台でやってるんですよ。
マジで焦りました。やべー、そんなことできんの?と。
これまた吉原治良展で思った「その表現もあり」だなーと思ったわけです。
別に「なし」と思ってたわけじゃなくて、「そういうのもあるってこと」を知らなかったんですわ。
そういう意味で視野の開拓ができたんです。すげー、これは1年に1回あればすげーよという
僕の中ではそういうレベルの話です。

といってるほど、内容は分からなくて。不覚ですが。
釘を打つというのが実際に釘を打つのではないんでしょうか、それとも
そういうテーマで表現したというのでしょうか。分からんことだらけ。

実際にはダンスはグループ単位で動くものもありましたが、個人で動いて
表現しているのは、ほとんど分からず。あれは何を意味しているのか・・・。
ああーくそ、分からん。

で、分からんは分からんでいいと思うのですよ。自己を可愛がるので。
でも、分からんなりに考えて、あとこういう風に感じたって人もいるんでしょう。
それが知りたいですな。

まあ、ダンス結構面白いかもしれません。
なんでかっていうと、もしその身体表現で伝わるもの、伝えられるものがあれば、
それをまた僕の表現スキルにぶちこむことができるからです。
やべーなーとか勝手に思いつつ、まっとれダンスよ。制覇してやるぞと思ってるわけです。

これで「表現」する手段で、
「絵」「音楽」「文章」に加え、「ダンス」が入ります。
これ10個くらい並べたいですよね、「絵」でもこういうのがある、
「音楽」でもこういうのがある、「文章」でもこういうのがある、
そして「ダンス」でもこういうのがあるってね。

音楽といえば、JAZZ聴きたい。あれは面白そう。
やべーやべー(あほ

吉原治良展

潜水夫?かな、の絵が印象的ですね。
あれ最初何の絵か分からんかった。さすが己(笑)

で、インスピレーションに来たからいっただけあって、
得るものが多かったです。

前衛的な考えというものが、雑誌「前衛」とかとは別だと思いますが、
どういうものか分からんですが、やっぱ表現するってのはいいですね。

「円」で有名だそうですが、僕は全く知らず。
デカイキャンバスに、丸をかいて、それが作品なんですよ?
理屈じゃないでしょう。もう。理屈じゃないのに、感覚なのに、
それを言葉で説明せねばならない。という矛盾。
だから、あらゆる表現物の「解説」は、つまらんのですよ。
だって、その解説はその人の真実でしかないから。

もちろん解説がないと全く分からんのもあるので、僕はあったほうがいいと思いますし、
そもそも解説を読む側の問題であるので、解説の存在はどうでもいいわけです。
問題なのは「解説」読んで、「そういう風に感じ」なきゃいけないと思うことです。
それはつまらんですね。「解説」ってそもそも、広げるためにあるだけで、
狭めるためにあるわきゃーないんすよ、このやろー(おぉ


薪とか大八車とか書いた絵があるんですが、それが気になって
今週は寝れません(ほう
絵が二つ並べてあって、左が「現実的」で、右は「観念的」というのです。
存在感の話で、ああ解説というか説明が添えてあるんですけど、
左は「存在感がある」けど、右は「何かポツンと浮いたような」存在だというのです。

絵の前で5?10分くらい見てみましたが、ダメでした。
分からん。このやろー(笑)

そういわれればそうだけど。
説明のポイントとして「空間」の使い方にあると書かれています。
つまり、僕の1ミクロンしかない頭で考えるとこうなります。
「空間、つまり空白領域をあまり取っていない左の絵は、現実的に感じるが、
空間を多くとっている右の絵は現実感がない」

となるのですが、おーそんなこといえるんだーと妙に変な納得はしてしまいました。
それが分からんのは芸術的センスがないのかとか、そういう問題なのかという問いで、
もっといえば、「これが分からん」のはどういうことだと、
分からんわからんーと頭の内部は結構な温度で熱くなってきて、
「うーん」とうなりながら、鑑賞する人を演じてたわけです(そうなのかよ。

もしその絵が「あーあれね」とわかって、かつ、「感じたこと」があれば
コメントあれば嬉しいですね。うむうむ。

他には抽象画という、線とか図形っぽいものの絵が結構ありました。
作品とか、作品Aとかそういう作品はやばいっす。全く分からん。
何を表現したいかという次元を通りこして、これで「表現」できるのかと、
というか「これ分かる人マジでいるの?」というのはすごく愚かな問いで、
そもそも「分かるやつは来い」みたいなオーラが出てきて、
「くそ、まけるもんか」とは思うんですが「ダメだ。わからねー」と白旗を揚げた自分がいます。無念。不覚。

見ていてあることを思いつきました。
表現するということにといて、手段は「絵」「音楽」「文章」・・・・など腐るほどあります。
だから、表現したい人は自分がやりたいもの、面白そうなもの、楽しめるもので
やりゃーえーんですわ。これはいいとして、次に必要なのが、
「独自の視点」かなーと。これは結果的に差別化なんですが、
「絵」でも「抽象画」「具体画」で違いますし、絵を描く道具でも違いますし、
描き方というのもあった気が、手法もありますしね、あー分からんけど、一杯ある!ので、
さらにそういうのに「独自の視点という考え」をぶちこむわけです。

そうなると、絶対同じものは存在しないといえそうです。すげー。

だから、そいつを僕は文章にしてみたいなーと。
大きな手段として「文章」ですが、でもその手法レベルのところで、
「会話のように書く」とか、「日記風に書く」とか、色々あるじゃないですかね。
改行使いまくるとか、文章文字数を決めるとかね。うーん、一杯ありますね。
で、そこに自分の考えを乗っけてくわけですわ。

そうなると、あーら不思議。同じ文章など生まれないですねえ。

心の中でこの考えに到達したときには、目から鱗というか、
「俺はまだまだ上へいけるぜ」という下克上的な考え(え、それ何よ)が
僕を満たしてくれました。
というわけで、800円安いなあ・・・。と勝手に入館料を価値換算しているのでありましたっと。

まだあります。
絵の表すものが、吉原氏は変わっていくのが分かります。
分かるというか、変わってるんですねえ。
抽象画というのも、「円」に結果的に?たどり着いたのも、それは
こういうことをしてみようというトライちゃんがあったからだと、先達の生き方を解釈できそうです。
その中で、やはり変わるものだし、変わっていくものだなーと。
でも、肝心なのは「世界」というところでは同一なんですわ。
吉原治良という人が表現したいものはそりゃ時期によって違っていたと思います。
悲しさとかを追求してそれを表現し続けたといっても、違いは細部であるはずですしね。
で、嬉しさでもなんでも、具現でもなんでも表現していくわけですが、
そこで吉原治良という「世界観」が壊れるのは、まあまずないわけです。
世界観が壊れるってことは、ほぼ人格が変わるってことと同様で、
それは病的じゃない限り、あと宗教的な洗礼!じゃない限り、普通はありえないなあと。
そういう意味で、「世界」は変わらないと。

だから、なのか、分かりませんが、
「世界」を提示できたら滅茶苦茶面白いと思いました。
そう、小説でいえば、一冊に世界を埋め込むってやつです。
世界なんて大げさな言葉を使わなくても、
例えばある絵をみて「感覚」で感じるものがあるとする、なんでもいいんですわ。
「何これ」でも、「これあれかな」とかで。
それってもう「言語」を通してない時点で「脳に直接アタックしている」ので、
もしそれで「これすげー」って思ったものがあったら、それって滅茶苦茶すごい、
表現をしてるんじゃないかって思うんですよ。


うーん。とりあえず、行ってよかったなーと。
だから美術展って行くの止められんですわ。
まさか、美術でこんな発見できるなんて思ってもいなかったですしってのが大きいですね。
自分が楽しめる領域に持ちこむ。それにつきますよねえ。

ちなみに僕は美術の授業は嫌いでした(笑)
人間って分からんねー。

あと、「スイゾクカン」っていう絵本も描かれてたみたいです。
なかなか渋くていいなーと。ほしい(笑)

明日に向かって撃て!

ふむ。映画館閉鎖のため、ファイナルシネマ。
電車かバスか。建物揺れすぎ。
まあ、いいさ。500円安いから。

あれでした。前見た、俺たちに明日はないとやってることが同じでした(笑)
銀行強盗して最後はどうなるのさーという視点は「俺たち?」ほど言及されてませんでしたが、
やはり「足を洗う」という言葉が何度も出てきたので、そうなんでしょう。
英語で足を洗うってなんか表現ありました。wasth my legsでは決してないはず(ほう

で、案の定最後にやつらは軍隊に囲まれてやられました。
それで終わりです。うーん、いいなあ。「俺たち?」と全く同じです。

「俺たち?」は蜂の巣になった後に死んだことまで確認してますが、
「明日?」は、その前で終わってますね。
いやあ、どうでもいいところですな(笑)

悪は成敗されるのみという背景が当時にあったかもしれません。
無法者、アウトローには、必ずバツが下ると。キリスト教的かもしれません。
ん?仏教もそうだと勝手に思ってるけど、まあいいや。

1969年の映画。
僕には結構楽しめましたしやっぱ古い映画いいですね。

明日に向かって書く!かな(えぇ

紹介記事をストックしておく

私はすごいですといっても、まあ大抵の人間なら「何がどうすごいか証明をしてくれたまへ」と。
脱ぐとすごいんですとかいうCMありましたっけ。年ばれますかね。まあ、どうでもいいや。

勘違いしてはならないのは、誰かが自分の考えていることを
分かっているということだ。
それは、何もせずに、何も言わずにね。

んなことあるわけない。そういう意味で宝くじはそういう姿勢かなと思う。
宝くじが悪いわけじゃなくて、そういう姿勢にあると思うだけ。
別視点を持ってる人が宝くじを買うのはいいけど、
もし「誰かがきっと分かってくれるさ」という「視点のみ」しか持たない人が
買ってたらアウト。(アウトって言葉使いすぎだなー、まあいいや。

転職なんかしたい人は、仕事は何をしてきたのか、何を考えてきたのか。
そういうことを聞かれる。そのときに答えられないのではアウト。
そりゃ、自分のことを100%いえってことじゃなくて、思ったことがその場では全てで、
考えたことが全て。結果ですかね、思考の結果、行動の結果、堆積物(nokoさんのパクリですが(笑))であるわけです。

就職の面接でバレるなーと思ったのは、おそらくあらゆる場面で同じで、
どんなジャンルでもいいとして、「人生」について考えないのは、
やっぱまずいんじゃないかなーと。少なくとも考えてない人の話はつまらんと、
今の経験則で断言できるかな。まあ、考えても愚痴ばっかでもアウトですが。

自分の考えてないことは言えないと。まあそうだろうし、そう思ってます。


話が吹っ飛んでます。

で、今日付けのとあるメルマガで、僕の書いた適当(笑)な記事が載ってました。
前いってたやつです。額は関係ないですが、謝礼付きだったりします(うふふ
それってまあ紹介というか、掲載記事なんで、そういうのって
まとめておいたほうがいいなーと。まとめるほど紹介されちゃいませんがねえ・・・。
よくあるのは、新聞にのったら、「すげー」というのです。
腐っても新聞(他意はございません?)なので、やはりPR度は抜群ですね。
まとまっててよく分かるし、よっぽど変な記事じゃなきゃ、分かりやすいし。
さすがプロやね(笑)

自分の書いてきたものとか、そういうもので紹介を受けたのはとりあえず、
整理しておくことにします。
ITEBから得られた教訓というわけでもないですが、得たものを活かすという形ですね。

ちなみに、このブログはファンならご存知の領域ですが、
一度ドリコムメルマガで取り上げられた時期があります。懐かしい。
そのメルマガとってあるんですわ。きっちりと。そういうのもあったりします。

紹介されるように書くというのは、プレスリリースはそういう狙いですねえ。
まあ「文章」も色々あるわけですな。深いです。
入りこむともう抜けられない。ひー。

そういえば

週刊文春だっけ。まあ週刊誌。
こもれび氏の予想通り、ホリエモン効果で三島がというタイトルが
躍り出てた。

すげー。こもれび氏、すげー。
三島由紀夫「青の時代」に還る人が出てくるのかなー。
そういう記事なのかどうか確認してませんが、すげー(笑)

寝ます。眠い。
にしても、今日は刺激ある日だった・・・さ。

書いたものってなんだ

うーん、熱い。
で、コメントしてたら、新たな記事が。何の話かって?そりゃ、まいる空間のお話でござい。
前回エントリ「ものすごく引っかかったこと。」を通しての雑感。

というわけで、話はまだ続くのでございますが。
にしても、同じこと考えてるなーと妙に思いましたね。
嬉しいのやらどこかで差別化せねば、いかんと。負けてしまうと(えぇ
TB先は常にライバルであれと、僕はいいました(自分かい!っていつの間に!

んでは、本論に。

どうやら、言葉の定義、いやそもそも言葉の定義で片付く問題ではないんだと
まず先に言っておきながら、言葉の定義の問題だったようです。
だったようです、というのは僕の中ではスッキリしてないからです。納得というか、スッキリです。スッキリしたらどうなるかというか、単に僕がスッキリしないだけで、書くわけです。うふふ。

「書きたいように書く」という言葉の意味が、
「伝わるように書く」という意味なら、やはり全然違うと思います。まず、です。
あと、「書きたいように書く」というのが、「好きなように書く」という意味ではないなら
これもまた違います。
要は、「書きたいように書く」って一体なんなんだということです。
これは問いとして整理したいところです。

まいるさんが「自分が」以外の言葉がかかるとは思っていない、なんていわれてますが、
僕も同じで「書きたいように」なんて、自分以外の誰が書くのという話になります。
書くのは自分なので、やはり自分です。
で、多分話はこれで終わることはなく、そもそも揚げ足取りするのが狙いでもなく。

自分が思ったことを、文章にできるかどうか。
そういうことを考えて見ますかね。自分が思ったことを文章にできるかどうかは、
やはり人によると思います。すごーく無難な意見ですが。
それプラス、好き嫌いもあるんだろうなと。あと、表現したいかどうかってのもありますね。
自分の人生に興味ない人もいますからね。文章!?で、しかも自分を!?表現!?
なんて考えられない人もいると思われます。僕はそれが分かりませんから、
書けないといってるのは、書かない言い訳(=代弁装置)だとおもってます。

できるかどうか、ではなく、やるかやらないかという指標でものをみるようになりました。
それは結構前かもしれません。学生の頃はそう思ってても意外に何もしてなかったかもしれません。
書けるか書けないか?ではなくて、書くか書かないか?ということになります。
書くということでいえば。

だから、まいるさんが言っていると思いますが、
どうのこうのいっても、結局「書く」しかないのではっていうところに僕もつながっていきます。
どう考えても、僕の前のエントリでも言ってるんですが、
書かない理由、書けない理由をあげてどういう意味があるのかが分からんです。

分からないならそこで放置プレーでもいいんですが、
「書かない」のを「なんで?」って言われても、「あんたが書かないからに決まってるよ」という
ある種笑い話になる問いをしていることになります。面白いですね。皮肉でなく。

英語でいくと、 I dont write.になるんでしたか。まあ適当でいいでしょう(笑)目的語がいる?もうしらない。

で、次は「書けない」のほう。これは可能の意味で。I can't write.になりますかね。
「書くことができない」のは「なぜか」ということになると、
自然と話はできる、できないの話になりますね。
おーってことは、canで言ってたら、そーなるわねえ。あーそういうことか。
すごく納得しちゃった。

can writeだろうが、writeだろうが、書きたいのではないかと。
文章で何か表現したいのではないか。表現という言葉がやや敷居が高い!なんて
思うなら、何か示したいのではないか。自分の思ったことを書くとすげーすっきりする、
というストレス解消で書くの僕は大好きですが、そういうのではないか。
と思うわけです。

自分が思ったことを書くことができないのは、
ここらへんは誤解を恐れずに言うわけですが「問題」です。
文章が嫌いだろうと、書く事が嫌いだろうと、書くことから逃げることは現実的ではない気が。
読んで話せればいいというのは分かりますが、契約書など自分で書かねばなりません。
すごく現実的な話ですけどね。

そこらへんをつめてくと、
書く事ができない人はいないとなるわけです。
書く訓練を受けてないとかそういうのはここではスルーですけどね。
で、おそらく「can wirte」といってるそれは、「うまく表現できない」というレベルだと思います。

ここで話を脱線させると、
「分からない」というとき、何が分からないか分からないといっていては、
おそらく「分かる」ことはないでしょう。
ただし、「分からないことが分からないのだよ!」と分かったら、分かる気がします。
言葉遊びではなくて、事実だと思ってます。問題の明確化はすなわち解決であるとは良い言葉でございますな。

で、戻すと、
「うまく表現できない」といってるのは、何をうまく表現できないのかっていうことになってきて、
いや違うんだよ、うまく表現したいだけなんだ、というだけの話なら、
そんな「うまくいかない」ことなんて、腐るほど転がってるので、その時点でアウトかと。
またアウトかよーと思いますが、アウトなものはアウト。

自分の思ったことを文章にしたいと。そう思った人がいるとします。
じゃあその人はまず、文章を書くでしょう。で見直すと。
あら、うまくかけてないな。と思う。
それはなんで?どこが悪いのか。自分が思ったことと違う。
「書いた文章」が「自分が思った文章」ではないなんて、当たり前田のクラッカーでございまして、
そもそも完璧一致とか、100%一致していると思っていることがアウトですな。

僕がここで書いているのも、別に自分の気持ちに素直なのは当然ですが、
100%一致できているとは思ってませんわ。
人と会話して一言で100%通じるかどうかって話を考えると分かりやすいです。
ならんでしょう。何度も話すのが常でしょう。で、伝わる、分かるとなると。

100%一致はないとは思っているが、やはり「違う」からうまくかけないといっても、
結論は僕の中では同じですわ。

書きたければ書けばいいし、書きたくないなら書かなきゃいい。

で、僕が何を言いたいか。もうかなり明確になってきました。
「ブログブーム」で「やってみよう」といってやるのは自由だし、
僕は歓迎しますし、ぜひぜひ書いてもらいたいとすら思ってます。
でも、それがブームだからやるのか、本当に書きたいものが「無意識レベル」であって、
ブームはきっかけにすぎないのかと。
おそらく、ブームでやればそれだけで終わるかと思います。
それが悪いのではなくて、そういう人が「うまく書けない」からどーのこーのいう理由はないし、
そもそも僕にそんなこと言われる必要性がないし、言う必要もないわけですな。

じゃあ、何か。おみゃーさんは、文章で!表現!したくて、すごく深い思い入れがなきゃ、
そういう「うまく書けない」って言っちゃいけないのかと?そういわれるのでございますか、と。

まさか、そんなこというわけがございません。

非常にシンプルにいえば、「書きたいから書く」それだけです。
それがあれば、そもそも最初は「うまくかけなく」ても、「書こう」として、書くので
次第に「書ける」はずです。少なくともそう思う。

「うまく書ける」というのは、これまたでかい話ですが、
作家が文章表現に優れていればなれるかというとそういうものでもない、
ということから、そもそも「うまく書ける」なんて客観性はないわけですわ。
伝われば結果オーライだし、それが結果が全てといっても多分僕は嫌われないでしょうね(笑)

自分が思ったことを表現できないなんてのも、同じように突っ込めます。
何を思ったかによるし、どこまで表現したいかにもよるわけですわ。

文章が書くのが好きでも、ブログで書いてやってくのか、
メモになぐり書きするのが好きなのか、原稿用紙に書いていくのが好きか、
メモを取るのが好きか、という意味で大分違ってきますし、
表現したいのは、自分の気持ちだけなのか、他者の気持ちもか、
背景もなのか、自分についてのもっと深い理解なのか、誰か伝えたい人がいるのか、
広めたいのか、自己がスッキリするレベルでいいのか。

その前に自分が思ったことってなにか。
1つなのか、頭の中で整理できてないだけか、言語にできるレベルじゃないのか、
それも分からないレベルなのか、そもそも何か思ったのか。

僕の場合は、考えるということで、問うことで、それを細分化させ、
より明確にしようとしています。
これを感情の明文化というのかもしれませんが、
同時に感情は理屈ではないというやや違う話かもしれませんがそういうのも好きですし、
最もだと思います。

書いたものがうまく表現できてないからといって、
誰が怒る?のか、誰が文句いうのか。誹謗中傷したなら別ですが、
思ったことってそんなことじゃないでしょう。もっと軽やかな文章のはずです。多分。

たまにはタイトルの問いに答えてみますかね。
書いたものは、やはり思考であり、自分の身体!の一部であり、
身体がうまく表現できないなんてのはなくて、そのものが存在として表現されているから、
やっぱ文章は血肉であると。

だから良いもの食うと、良い文書が書ける(肉くれー(笑)
良い文章とは、自分の納得したものって程度の意味でっせ。

動く

涙よりもはやく走れという、歌があった。誰だったかな。もう多分今は活動してないだろうけど。
それはどうでもいい。

思考よりもはやく動く。
この場合のはやくは「早く」でも「速く」でもどっちでもよさそう。
でも、思考スピードと動きのスピードはおそらく同一ではないので、
「早く」になるかな。数値で表せられないし。まあ、いいや。

そうすると、後からドスンとでかいアウトプットとなる気がする。多分だけど。

といいつつ、さあ動くさ。ああ動くさ(えぇ

あれま

いかん。
熱くコメント打ってたらいつの間に。夜更かしさんタイム。

HOTEI VS リップスライムの歌、滅茶苦茶いいわ。新ジャンル開拓(笑)
ま、それはいいとして。

同期と軽くというか、同期が眠いといって切り上げた。2時間の会話では未消化。
話は一点でまとめると
「結果的に向いてない仕事は選択肢を狭めるよね?」

いや、それは違うぜ、旦那。
という話を展開するが、同期がダウン。次回に持ち越し。

多分遠い狙いというか、目的でもいいし、前提でもいいし、信念でもいいんだけど、
この仕事は向いてなかったといって、じゃあ何に向いているかを探す?っていうのは、
なんか違うんですね。
なんでかというと、それは「向いている仕事」がどこかにあって、
「それを見つけよう」としているので。

え、仕事ってそうやって選ぶんじゃないのって思ったら、僕とは考えが180度違うってことは言えますな。おめでとう(笑)

若僧がえらそーにいいますが、そんな仕事はねーっすよ。
それは本を読んでどこかに何か答えがあるのといって答えを求めるのと同じ。
ヒントはありますけど、ヒントといっても自分の導き出す答えのヒントであって、
ある正解へのヒントではないってことですなあ。

きっと探せば見つかるさとは思ってませんわ。残念ながら。
探すという時点でアウトで。
こういうことをしてみたいという基準、あ、これ基準ですね、それで選ぶっきゃないと。

まあそれだけじゃあないと思いますし、それが僕は重視してるだけってことですわ。

だって、もし選んだ仕事が向いてないというか、意外につまらんかったら、
「運」なんですかねえ。向いた仕事に就けるってのは。
そうじゃないでしょう。そうではないのでござる。

例えば給料が良いという仕事がいいなら、その仕事につけばいい。
手取り20万じゃダメだから、25万、次は30万・・・みたいに徐々に上げるのもよし。
でも、僕はそういう風にはやるつもりは毛頭ないっすわ。それだけは確か。

やりがいを求めるなら、やりがいを考えて選べばいいでしょう。
これは面白そうだからやるってね。まあ給料は安いかもしれませんけどね。
でも、やりがいが満たされるならいいのではないかと思うわけです。

同期が言うには、「向いてない仕事というものを経験したから、選択肢が減る」と。
なんか分かるんですけど、すでに「自分」の出来る仕事は「あらかじめ決まって」いて、
その仕事が1つ減ったみたいに聞こえるんですね。
消去法で選んでいって、最後に残った1つが向いた仕事なのかと。
そう問うと、それが「向く仕事か、合わせられる仕事か」ということになると。

うーん、ここで分からなくなりました。
向く仕事のために、向かない仕事を経験している?
合わせられる仕事か、向く仕事かって並列で並べられる事象なの?違うんじゃない?

向くか向かないかはやってみないとわからない。それは一致。
結果的に向かないものは、向かないでいい。それも一致。
向く仕事をやりたいということ?ならば、向く仕事をやれば?
まず、向く仕事って何かを考えなきゃいけないけどね。
合わせられる仕事っていうのは、受身すぎるから嫌な言葉だけど、許容範囲ってことですかねえ。

仕事というものに対する出発点が異なることをひしひしと感じました。おそらく真実でしょう。
これが人との会話で学べるものさ、ああ、やっぱ話すのは楽しいさ。

社会貢献できる仕事があって、それをやれればよくて、社会貢献の質というか内容は問わないってのは、かなりアバウトすぎて、ちっとマズいと思ったり。
向く仕事をやりたいというのは、ちょっとおかしくて、
結果的にしか「向く向かない」はいえないから、結果前に「向く向かない」をいってるのは、
論理破綻。とか破綻だからなんだって感じですが(笑)

すぱっというと、「で、何がしたいの?」で、
「で、そのために何してるの?」で、「どう生きたいのさ?」となっていくわけです。

いいじゃんいいんじゃん。人の人生だから、その人が生きたいように生きれば。
僕はそこらへんで非常に戸惑いというか、何か違和感を感じます。
自分では発生しないストレスというか、発生しえない「苛立ち」は、
やはり僕なりに解消できると思ってるんです。だって発生してないんですからね。
だから考えを伝えればオーケーちゃんだと。そういう風に多分会話してますね。
いいぞ、いいぞ。

こうしたいぞ、ああしたいぞと。
そういう人間は何か主張が強いよねーという人もいそうですが、
おそらくそれは誤解でしょうな。逆に、主張が強いよねといってる人が、
主張が強い気がします。おお、逆説決まった・・・。

黙ってやるのがカッコイイかもしれません。
不言実行ってやつです。もう、そこらへんの人間が束になっても
叶わないレベルですね。素晴らしい。

さあ、寝ます。ぐうぐう。


すくーるおぶろっく

ほう。久しぶりにつけたら、なかなか面白い会話が。

ふむ。小さい頃に離婚とかあると、ダメージでかいっすね。
お父さんが別の人になるというのは、すごいショックだろう。良い意味でも悪い意味でも。
まあ悪い意味だけど。ここでは。

そういうものを乗り越えて生きてきた人は、やっぱすごいパワーがあるなあと思う。
そういう人に注目すれば、パワーは有り余ってる。
別にそういう環境が良いとか悪いとか、そんなのはもうスルー。

今がある。ブラボー素晴らしい。

そういう話が聞けただけでよいなーと思える。
これだから、ラジオはやめられないなあ。

すげーよ、そのパワーで是非社会を「よりよく」していこう。
クール!

書くように書く

まいる共和国でなにやら面白そうな話があり。
ん?いつから共和国に。いやん、怒られちゃうわ。
とりあえず、
「ものすごく引っかかったこと。」
を読まれると面白いかなと思います。

まあ、読まなくてもOKです。全ては独断と偏見で書きますから(何

冷静に読むと、まいるさんがちっと感情的になってるのが分かりますが、
熱いなーと、今が冬だということを忘れちゃいそうですな。
ま、そういう熱さを含んだものを上梓しているところが好きですわ。
大分カットしたのがあれなんで、してないもの出したら面白かったかもしれませんね(笑)

ネタ元はこちらです。
ブログの自由と、われわれの不自由

僕は書きたいように書いていますね。
書きたいように書けないというのは、単に書くのが嫌いか、
別に書くことにそんなに興味がないか、ほとんど書いていないか。
そんなところでしょうか。

ただ、色々コメントなどを読んでて、もしかして、ですが、
「書きたいように」というのが、理想であり、
「書ける」というのが現実という話であって、
現実と理想は常に不一致であると。
そういう流れの話なら、勘違いしてたなーとは思います。
が、どちらに転ぶにしよ、この話は続きますわ。うふ。

書きたいように書けない人もいるということは、
なんとなく分かるんですが、別にそういう人に「書け」とか、
「書いてください。お願いします」とか、僕は言った覚えはないですな。
もちろん「書くのは楽しいよねえ」とはいいますけど、
それって「相手次第」で、興味あれば書いてますし、書き始めますしね。
だからそれはそれでいいんじゃないかと。僕が書くのが好きなくらい、
その人には別の「好き」なものがあるわけですな。人の好みが違うのと同じくらい、可能性がありますな(笑)
だから、そもそもそういう書きたいように書けない人が、
書くという時点でアウトかと思いますね。

それって無理して書いてないといっても、「無理」してますね。

感覚的に、ピアノがうまいバイトで一緒だった相棒がいましたが、
彼のピアノを聴いて、自分の弾きたくなりましたけど、で実際に弾きましたが、
ダメですね。4日坊主でした。1日がんばりましたね。すごい。
というのと、同じレベルじゃないかなーって。

そのレベルなら、別に大した話題、僕にとってですよ、、じゃないなとまず思います。

生きたいように生きるという比喩がありますが、
本質的にそのようであると、僕は思ってます。
ここで思い出されるのは、「自分次第で人生はいかようにもなる」という言葉で、
それは「生きたいように生きる」だと思います。
いつまでたっても生きたいように生きれないというのが、
上で書いた現実と理想の不一致というなら、僕はうなづきますけどね。
そこらへんは考えなきゃいけんところです。

書くではなくて、生きるで考えてみますかね。
生きたいように生きれないから、生きる。というのは、目的が何か良く分からんですね。
おっと、人生に目的なんてないといって生きるのも一興ですが、
やはり「勘違い」して「使命」として「生きる」のが、僕が好きですね。勘違いってのは、
自己の能力を過大視することでもあります。が、その過大視するパワーというか、
勢いはうまくコントロールすればいいだけの話でしょうな。そいつを、
人にぶつけて、「お前はバカだ、おれは天才」なんていってたら、即一人ぼっちですね。
一人ぼっちでいいさ、というのも一興ですな(笑)

では、「書く」で。
書きたいように書けないから、書く。
書きたいように書けないから、書く?
書きたいことがあるから書くとか、伝えたいことがあるから書く。
それなら分かりますけど、書きたいように書けないというのは、
書く理由にならない気がしますね。上の生きると同様ですか。

書きたいように書けるまで、今は書けないから修行として書く。
こうしてみますか。
でも、今現時点では、書きたいように書けるということはない、といっているわけで、
そういう想いはどこまで強烈か分かりませんが、
その時点で「書けるものもかけないし」、「書きたいように書ける」ことはないのかなと思いますね。

自分のなりたいようになるといって、絶対なれるわけじゃないですが、
少なくとも「なれない」と思っている人はなれないのは確かです。
それと同じように思うんですけどね。
つまり、書きたいように書けないといってる時点でアウトってことです。
ツーストライクですか。いやん。

極東ブログさんの引用がありますが、
あの一文だけではちょっと違和感がありますね。いや、ネタ元の文脈として。
というか、独り言とかで、考えをきっちりまとめて書いてない場合は、
とくに意味がないときもありますしね。
って意味でここで突っ込んでいることも意味がないことは重々承知。
で、あえて書いてみるわけですが(笑)

必要な文章はかけるというのは、書かれたものは必要なものだったという、
結果物肯定論!であって、それ以外の意味があるのかなあと。
書かれていないものは、必要とされてないといったら、
例えば、福祉にお金は必要だといってる人はいるけど、実際に実現されてないから、
必要とされてないという曲解もできますけど、「いってる人」はいるから、
違うのかなと。


で、最後に無自覚な人ですが、
無自覚というか、別に興味の話な気がしますね。
ほら、自分の人生に興味ない人が、人生の話なんぞ展開できないというように、
書くことに興味ない人が、書くことに関する話はできないと。

文章力とか、表現力って「力」って言葉は常に眉唾ですけどね。
抽象的すぎて分からんのですよね。まあ、一般論をいうならいいですけど。
誰にでも該当するように読める占いみたいでいやですよね。
というか、人がいれば誰かに当たるのが占いっていうと、占い師怒るのかな。ひー。


よし、まとめてみるか。
まず、文章を書けないという人はその時点でアウトだということ。
書けないわけがない。というのは、以前ここで「吉野家行った。うまかった」的という話が
展開されている。「吉野家へ行って、うまかっただね」というのは紛れもない「文章」だ。
「うまかった」ことと「吉野家へいった」ことは伝わったけど、それだけかなーとは思う。
だからそういうことを書いていて、誰か知り合いが見るならいいけど、
そうじゃない人は話し込むきっかけがないっすよね、っていうことになる。

書きたいようにというのが、もしも理想であるなら、理想どおりにいかないねということで
それは納得できる。
でも、書きたいように書けるまで書くみたいで、なんかやだ。
そもそも、100%相手に理解してもらえることなんてないでしょう。
90%くらい理解してもらえれば上出来かなと。逆に100%理解されたら、
自分の自己アイデンテテというものがなくなる。なぜなら、相手と自分の区別がつかなくなるから。
むー、恐ろしい。


後、連載への前だしとして、聴衆(笑)を煽る狙いがあったならば、
それはそれでいいかも。インパクトはあるかもしれない。
でも、そういうの嫌いな人もいるってことは確かなり。

後はタイトル。
「ブログの自由」は、書きたいことが書けるといってる人がいるように自由があるけど、
「われわれの不自由」として、そんなうまく書けない不自由があると。
むしろ逆で、ブログで不自由している人が、われわれ、ここでは現実生活かな、で
自由なわけがないという問いはないのかなあと。

自分の人生に不満があるのと同様(短期的な愚痴、不満、ストレスはここではスルー)、
うまく書けないといっているだけ(だけがポイント)は、一生かけないだろうと断言。
書けないといって書く人間が僕は好きだし(聞いてない)、
書けないといってること、その理由は「あらゆる意味で無駄」であるとさらに断言。
だから、必要だからかけるし、書きたいから書けるしということになる。


で、最後にとどめを。
そもそも、そんなに悩んで苦しんで書いたものがあってもさ、なくてもいいけど、
書くということをそんなに「高級ツール」にしなくてもいいと思ったりしますな。
それぞれのスタイルがあるでしょうしね。
だから、悩んだことがないという人は無自覚かもしれませんが、
「悩んだから自覚している」ようにも見えます。
もちろん、学びは失敗や苦しみや迷いや悩みがあるからこそ、するしされるのですけど、
だからといって「悩め」とはいえないし(言ってないけどね)、
悩んだことないからってのは、違うかなあと。


で、スリーストライクかな。

さらにお節介を少々(おぃ

・ブログを始めたいが、どういうふうにやろうか迷っている
これは興味ある人はやるべきだし、やって楽しめばいいと思いますが、
ブログを作るのが目的だとそれで終わりですね。つまらなさそう。

・ブログをはじめたけど、思ったより楽しくない
ブログが悪いんじゃなくて、楽しみ方がヒットしなかっただけではないかな。

・もう少しアクセス数が増えると楽しそうだ
アクセス数の意味を語るのもありでしょう。
数値は絶対ではないが参考にはなる。数字は嘘はつかないが、
嘘の数字を書く人はいますね。
アクセス数を増やしたいなら、コンテンツを充実させるのが現実世界と同様かな。
コンテンツが充実させられないなら、そもそも向いてないと諦めましょう(笑)



文章術というのは基本的に眉唾です。
なぜなら、そりゃそれ相応の決まりって意味では、書き方がありますけど、
それって基本的な話であって、別に「自由な書き方を縛る」ためにあるわけじゃないですしね。
アドバイスとはその人の真実で「しか」ないのか、
真実「である」ととるのか。アドバイスをする側ではなくて、
アドバイスを受ける人の器によりそうですね。

で、僕は必要だから書いているのだと思いますと。
良い文章ライフを♪

ソフトウェア開発 で伸びる人、伸びない人

タイトル買い+衝動買い。

さて、内容はタイトルどおり。
で、内容はやや薄い気がした。雑誌の連載の加筆っぽいので、
文章量も少ないと思われる。この新書シリーズ個人的に期待したいんだけど。

伸びる人とか、幸せな人というのは、おそらくソフトウェア開発者に限らず
ビジネス本で言われていることで、とくに限ったことではないかな。

あえて買うのはいいけど、狙って買うと期待値高すぎてちょっと物足りなくなると思われます。

ソフトウェア開発 で伸びる人、伸びない人ソフトウェア開発 で伸びる人、伸びない人
荒井 玲子

技術評論社 2006-01-19
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リズムに乗る

観念的、論理的。

観念だと、頭を使っている気がするが、実はそれは知的な遊戯のレベルであって、
頭を使っている錯覚のような気がする、といってるのも錯覚かもしれない。

2つ道があって、どちらがいいかを比較するために、いくつか、例えば5つくらい比較する要素を取り出したとしよう。
A道は、ここがいい、B道はここがいい。というように。
そして、良い悪いとか、合う合わないとか、面白そうとかつまらんとか、
そういう感覚も含めて、A道がB道より勝っているとする。
だから、Aにしたとしよう。

さてここからが問題だ。
選択とは常に誤りが含んでいる。誤差と思うかどうかは悲しいことにその人次第のようだ。
A道を選んだからといって何も保障されていない。
B道にすればよかったと後悔しても、後のお祭りちゃんである。

じゃあどうすればいいのか。
A道を選んだならそれなりにその道を進む方が多分良い。

さて、こういった選択時に僕が最大に重要視するのは、「納得」である。
納得できないものとか、1mmでも怪しいと思ったものは、なぜかその1mmが
ずるずるずるずると後までついて回るものだ。といいつつも、1mもの疑問が
意外にすんなり解決することもある。
だから、自分の直観というのは、その質であり、量は関係ないということになる。
つまり、気になるものは気になるであり、気にならないものは気にならないというわけだ。

納得をもって、A道を選べば、おそらくB道が良かったかも、A道で大丈夫かと思っても、
これでいいんだと決めたし、それで納得したから、後悔はなくなる。
不思議なことに、こういう納得とか、まあ人によるだろうけど、
何かしら感覚的に自分を肯定しつつ、これでいい!といって選ばない人に限って、
ブツブツいうものだ。けしからぬが、まあスルーしとこう。


話を飛ばそう。
リズムに乗ればいいと思う。波ではなくてリズムだ。
波はあまりにも自然任せすぎる。波を起こすことが出来るから問題ないって?
そりゃそれでいいけどさ。
リズムなら口ずさむこともできる。気分が乗らんときは、大抵頭の中を流れるリズムは
ほとんどない気がする。と、勝手に決めつけておこう。

さあ、明日も働いちゃうかな。

マーボドーフ

水を少なめにしたからか、なんかとろみがやや薄い。
辛さもいつもみたいに感じない。ああ、絹ごし豆腐だとどろどろになりすぎかなあ。
まあ、どんまい。

ところで、最近フライパンを洗うときに、
「鍋は料理人の命」といいながら洗ってます。
包丁も大切ですが、台所まわりがキレイじゃないとアカンですね。
切るものもきれないし、置く場所がないと置くにおけない。思考がマイナスになる(えぇ

そういえば、キーボード全然掃除してないので滅茶苦茶汚いですけど、
文章打つのに、この子はとても大切なんですけどねえ。
うむむ、手入れするか。それとも・・・新品を買うか。
でも、全然不自由してないから、これでいいんですけどね。
なんていうか、掃除方法知らないだけだったり・・・(ほう

とりあえず

やる気でないときに、待つとやる気が出てくるが、
それは雨が必ず止むというレベルで、非常に遅い(笑)

それではいけないのである。
ボタンをおしたらCCレモンがではなくて、コーヒーが出たら
腹が立つということと同じである。
(解説すると、CCレモンが欲しくて自販機のボタン押したら、
CCレモンのボタン押したのに、コーヒーが出てきたということ。
って、解説するとつまらんね。省略で想像を楽しみましょう(えぇ))

というわけで、とりあえずやるというのは好きだ。
とりあえず失敗しとくってのも慣れるものだ。
わざとやるってのも、とりあえずレベルに含まれる。
こう振舞うとどう反応するか。まるで相手を試しているかのようだが、その通りである(笑)

woofoo.netに投稿してみた。
ものはためしである。とりあえず、エッセイというか、独り言レベルのものを書いてみた。
数を打って当てるという感覚はなくて、文章を愛する人に触れられるかなーという
期待がある。そういう出会いがあれば、おそらく金はいらん気がする。
もらえるものはもらうが(笑)うはは!

理解せず作る

仕様を理解せずにプログラミングすることは可能だ。
視野を狭くしその点だけをみれば別に仕様は必要ないからだ。

例えば、あるボタンを押して、別の画面が出る処理を追加するとしよう。
その場合は、あるボタンがあって、別の画面がでる処理をいれ、
実際にテストはそうやって動くかを確認すればいい。

仕様は、ボタンの役割とか、別画面が開くがその機能はとか、
全体からいってこの処理はこういう意味になるとか、
そういうことになりそーだが、実際にそれを理解しなくてもプログラミングはできる。

で、問題はだ。

これでは質は上がらないということだ。ただそれだけであり、そんなものなのである。

で、仕様というか、全体というか、この今向き合っているものは
何をしたくてそうしているのかということを少しでも、多分少しでいいのだろうけど、
理解しようとしないと、とんでもなくつまらん!仕事になる・・・。
ということに最近気付いたので、明文化しておく。

言われたようにシステム作ればいいのさ。
シンプルだが実際はそうだ。でも、それだけじゃつまらんだろう。
それは逆にいえば、仕様変更に対して何も抵抗できないことを意味する。
だからこそ、言われたのはなぜかと考え、こういうことをしたいんだろうと提案する。
提案できるってことは、仕様を理解しているってことだ。

で、さらなる問題はそういうところを踏まえた上で、
「このシステム作ってお客さん満足するのだろーか」となぜか考えてしまうところにある。

やっぱプログラマになりきれないね(笑)
技術的にプログラミングとか知識があって、そういうのをしたい人って
結構いそうな気がする。だから任せる。利用する方が面白そうかなと。

いや、プログラミングは楽しいですよ。
ここらへんの細かい過程が説明できんな。くそー。まあふんばれ己。
ファイトだ自分だケロケロ。

嫌いな人

昔とはいえ、学生時分の話だ。
なんで嫌いな人というのがいるのか、そういうことを考えていた時期があった。
といってるほど、僕は人に対して毛嫌いするタイプでもないが、
といっても、いつもニコニコしているタイプでもない。

嫌いな人がいるというか、共通点があるということをそこで導き出した。
そこで問題はひとつ。
嫌いな人には自分が納得できん、自分とは別のものがあって、
だから合わないし、「嫌い」なんだと。

というのだけど、でも、それってホントかと。
本当にそうかと?

趣味が同じでも嫌いなやつっていませんか?と。
いるじゃあないか。現にいたから、証拠はそれだけで十分。

なんでか。旅スキならそいつは嫌いにならんだろう。僕は旅好きだし。
でも、そうでもないな。それは別の話だと。
いわゆるフィーリングの話。

なんで共通点があるか。
それは自分の性格を100くらいに箇条書きしたら、
表現力の問題もあるけど、嫌いなやつと10個くらいは一致しそうだ。かなり低めにいって。
単にそれだけじゃないの?


で、そもそも嫌いな人とどう付き合うかというのは、社会に出て
働くということをするようになると少しだけ実感する。その必要性が。

僕は嫌いな人間は適当にごまかすでしのいでいるが、
それもストレスになると、ちょっとストレスが結構たまると思われる。
嫌いだと思っているから嫌いになるのだ、好きになればいい。
その限界もある。でも、大丈夫。その分好き好きパワーで補えるから。
そこがポイントだ。

注視するのは、好きであり、嫌いじゃない。
それを「ピントがずれている」と表現しよう。
ピントがあえば何を言いたいかは自分で分かるわけだ。
ずれてちゃ、自分が何したいか分からんと。かなりテキトーだ。

そういうわけで(どういうわけ?)
僕も嫌われているので(というか、誰にも好かれる人はいない)、
好き返す姿勢で。あくまで姿勢だけでいいでしょう。

なんとなくそんな話でしたっと。
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