ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2006年01月

家計簿について

今月末だから締めてみた。

なんか分かりやすいと思ってたが、どうも分からん。
それは固定費と変動費が分けてないことがまず原因。

紙の家計簿とExcelの家計簿(まとめ用)で不一致が起きてる。
同期が取れとらん。プログラマとして失格である。

まあ最低限、支出を把握できるからいいけど、こりゃいかんね。
多分、気が向いたときに、固定費と変動費をきっちりわけて、
あと項目ももっと見やすくしたいなあ。

口座ごとのお金も見てみたいしなあ。
お金管理は楽しいねえ。

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たまには飯を。
でかい皿が焼きうどん、その右はご飯(ちなみに炊きたて)。
左上は納豆用の卵、写真左下切れてるけどハシつっこんであるのが納豆。
卵の右上がたくわん、その右が自作ひじきの炒めもの、でさらに右が味噌汁。

品数を増やすと途端に腹が膨れる。満足。

最近のアクセス動向

検索ワードを見ると、
小林一三があった。

ほう。小林一三を調べてる人かねえ、と想像してみる。
小林一三はかっこいいっすね。

やっぱ起業しなくても、社会と関っていきたいですなあ。
と、一人ごつ。

アマゾンギフト券

タケウチ氏のブログ経由で買ったiRiverで、
Amazonの還元キャンペーンやってて、2000円分のギフト券をゲット。

臨時なんで、衝動的に何か買うべさ。

素晴らしい。これぞ良循環。

iRiverにはかなり満足してる。ラジオまだ録音したことないけど、できるし。

靴の修理から

革靴の底を直してもらって、
ほう・・・靴屋ってのも面白いなと思った。
いや、靴屋の技術者になりたいんじゃなくてね。

修理するものってやっぱその人が大事にしているものなわけさ。
それを一人一人あわせて直す。なんかカッコイイ。

メモにはこうある。
「自分が大切にしているものを手入れし、よりよくしてくれるビジネス。
→コンサルタントではなく、手入れをしてくれるもの。例えばPCをざっとみて怪しいものはないかとか。
→靴修理でいえば簡単な手入れ は個人でできても、修理までできない。修理的なことをPCでやる。」

これでいくと、かなり無理があるが例えば、
その人の励ましになるような「小説」を書くとか、
書くのが無理なら、「メッセージ」を詩にするとか、
そういうのはできそう。

以前あった、本のコンシェルジェネタだ。
にしても、本サルタントのあの人の動きが気になる。
今頃起業でもしてるのかねえ。

PCサポートとの違いは、まず多くを相手にしないところと、
継続的かつ、かゆいところに手が届くところか。
だからお客のレベルも高いものを求める。
といいつつも、商店街にいくと、どっかのおじさんとおばさんが町ぐるみで
話しているのは、好きな光景。あれも混ぜてみよう。
さあ、ねるねるねーるね。

日経ネタ

ビジネス図書館ネタが出てた。素晴らしい。
記事には、その拡大の原因は、地方自治体の収入不足という話。
でも、それでビジネス書とか入れて、ビジネス支援して、何につながるか。
頭が悪いので分かりません。

うーん、存在感を示すか。
つまり、今までは図書館=タダで本が借りれる、だったけども、
それだけではアウトと。

まあなんにしろ、良いことかなと。大いにやって欲しいわ。

あと、ドリームゲートの中部起業家祭のプレスリリースっぽいものが載ってた。
あ、そんなのあったかと、申し込み。ふむ、東建ホールって初めてだ。楽しみ。
起業家の起業の熱い想いを鼻で笑ってみるか(あ、冗談ですよ。
いや、ちゃんとビジネスみて楽しみにたいですわ。

本時間を割く

誰がなんと言おうが俺は俺だ。
という言葉を唱えて自己洗脳。うるせーほっとけが口癖。
ただの嫌なやつみたいですな。全くだ。

飯作って、新聞やらの読み物を脳で消化して、熱い風呂に入って
寝るとします。

ゴミ袋がポストに。あ、いたづらとかじゃなくて。
新聞屋さんからのプレゼントでござい。いやあ、助かるなあ!ありがたや。

絵くんとことばくん

ダチのすすめで。

面白いね。絵本というか、キャッチコピーの面白さが分かっちゃう。
視点はゆーた君でOK。ボスはお母さんだ。(笑)

将棋で2,3手先を読むみたいなものだ。多分。
こう書いたらどう思うか。思ったらどう行動するか。そこで終わるか、次につながるか。とかね。

見る人を意識するのと見られるのを気にするのは、
残念ながら違いますな。簡単にいうと、能動と受動ですか。
難しく言えば、能動と受動です。どっちやねん。
えっと、どう思っているかと思われたいかの違いですね。

個人的にこう思われたいがコアにある人は嫌いです(聞いてない
で、この本面白いのでおすすめ。さくっと読めるし。絵が面白いですわ。ぐはは!


絵くんとことばくん絵くんとことばくん
天野 祐吉

福音館書店 2006-01
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言語化するスキル

ダチとの長き会話。というか、お疲れちゃん。
4時間じゃないな、5時間だ。
おそらく、1時間過ぎた後は加速度的に過ぎたはず。
話すネタはそれくらいあったということ。嬉しいことさ。

それはともかく。

言語化するスキルに長けていると褒められた。
人に今まで褒められたことがなかったので、ともて嬉しい(ほう
世の中見てる人は見ているものだと勝手に解釈。

ま、それもいいや。

そこで、自分の考えていることを文章化しているわけだが、
それって「あーこーでもないな、このやろー」とか「こうかな、このやろ」とか
奮闘しながら書いているわけでは決してなくて、
むしろ、普通に打ちながら考えながら書いてるというのが実情なり。

百式の田口氏か誰かが、考えながら書かないといっていたが、
僕のやっていることは考えるのと書くという動作が一致している。
そんなものだ。だから考えながら書いているとは思っていない。
むしろ、書いたものを推敲してなんか違うなということはある。
でも、これは独り言であり、あくまで書きたいように書いた結果であり、
それがブログに残っているだけだ。

で、意外に、僕が考えている文章というものと、文章化するということと、
文章に関するものは、読者からは全然違う視点で見られているのではないかと、
そういう感覚に陥る。

ここで書かれていることは、全て考えたことをベースにしているのはもちろん、
だからこそ、日々考えていなきゃ書けないということの証明でもある。
だから、仮称・哲学者でもあるわけだ。

ただ、哲学者は今の時代、食えない職業なわけで、だからプログラマとして
一般企業で働いているのである。
というくらいのストーリーをかますってのもありかなと今思ったりする(笑)
ま、そんなことする気はないけど。ふはは!

で、ずっと考えてブログにあがってくるのかというとそうでもなく、
メモとしてのは残すがそれは、「20文字くらい」のメモがあるだけだ。
それを元にして、思考を追う感じだ。
マトリックスのあのプログラムに入るって感じだろう(ほう・・?
そうして僕は書いている。

別にこういう書き方が良いとかそういいたいのではなくて、
僕の書き方はこうだといっているだけだ。紹介とも違う。一人ごつ。

言語化するスキルは、一般に表現力という言葉で表されそうだ。
本で、質問力とかなんとか力っていってるのは、
多分「なんとかりょく」っていって、言語化して、それを説明しているだけの気がする。
別に本が悪いんじゃなくて、そういう意味のタイトルってこと。
ってことは、本を読まずとも推測できる。(まさか)

例えば、疑問形で「?ですか」なんて本は、?について書かれているのはすぐ分かる。
これって究極的にいえば、すべてキャッチコピーであって、さらに人の心理をついてくるだけだ
今更いうまでもなく、タイトルと内容が不一致の本は腐るほどある。

ただ、小説とかそういうのでは「それはまずありえない」とは思う。
作品の名前であって、それと内容が違うというのは、つまり作家の表現力の問題になる。

ビジネス本といわれる、経済・経営・起業・資格・自己啓発といわれるものを勝手に指し示すと考えるが、
それらは不一致が多い。といっても、不一致で腹を立ててはいけない。
そもそも彼らは作家ではないのだ。それは当たり前のことだといっていい。
むしろ、ころっとだまされた!とおもったら、それはそれで良い(ぇ

自分の伝えたいことを書く。
これは非常に基本的なスキルでもある。と、同時にそんなに重要とは思わない人もいる。
そりゃそうだ。料理を作ることだって、そんな必要ないと思う人もいる。
それは誰かに作ってもらえるとか、そういうレベルでもいい。
ただ自分が作らないと死ねる状況なら作るだろう。だからどーしたということにはなるが。

伝えたいことを書くのは、伝達する力も試されるし、相手がどう思うかを考えているかどうか、
そういった諸々の力も試される。
配慮して書くのは、結構うざったいことなのだが(おぃ
まあ、僕はそういう文章についてこうかけとか、そういうのはあんまりしたくないなーと勝手に思ってるので、スルー。

2年近く、好きなように書いていれば、
書く力とかそういうのは通り越して、自分の伝えたいものを文章にして、
書いていればその力がつかないはずがないわ。と、自分で解釈している。

文章に対するセンスとかそういうのもどうでもいい。

ただ、文章に対する考えは好きだ。
例えば、書いた瞬間に自由になれるとか、ペンで戦うとか。
そういうの。

すごく好き。
実際に、書くとは恐ろしいパワーがある。書かれたものにもパワーがある。
それが全てではないが、全てに近い。

表現できないってことは辛いことだ。
でも、誰もが何か表現できるものを持っている。

最近は、つとにそう思う。僕は文章で食う食わないとかそういうのは結果的でいいんだけど、
文章が好きだということが明確になりつつある。
そりゃ好きじゃなきゃ、こんな風に独り言を展開しないんだろな。

ちなみに、僕は話すのは苦手だ。
だから、友達が多分一人しかいないらしい。

焼きそばうますぎ。

最低で最高の本屋

エッセイっぽいけどそうでもない話。というか実話だろうけど。
CowBooksという気になる本屋が登場するが、松浦氏の本に対する考え方とか、
本屋に対する考え方などが参考になる。

また、このシリーズが、「就職しないで生きるには」という気になるタイトルで、
最もそれは仕事しないで生きるってことではないということ。

自分のことが理解できた日を「セカンド・バースディ」というそうな。
これは素敵な日ですね・・・いやあ、いいねえ。

作家を志すというか文章を書く人で、文章がうまいとダメという話があり。
それは、作家になって文章をうまく書くというのを目指すわけじゃないから
みたいなことが書かれていた。なるほどと思う。
うまく書くということは、どういうことかを考える必要があるので、それはスルー。
要は、うまい文章よりも、何を表現して伝えたいか。文章を武器にしているのが
作家だろうよ。だから、文章がうまいとか関係ないってことになるってことかな。

最低で最高という言葉はなんか気にいっちゃう言葉。
意味合いをうまく咀嚼できないのでスルーしときますが、かっこいい言葉としておきますか。

あとは、編集でのあらさがしな話。
文章があって、それを粗探しするか、うまいところを伸ばしていくかみたいなこと。
んなのは、後者が良いにきまっちょる。なんでか?気持ちええからですが。
そりゃ悪いところは悪いでいいさ。でも、普通って全て良いで埋められるわけじゃなくて、
良いところがあったということじゃないですかー。
というわけで、粗探しを始終するってのはアウトですな。うむ。

シリーズで気になるところです。調べてみるかなあ。


最低で最高の本屋最低で最高の本屋
松浦 弥太郎

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華氏911

ムーア氏の作品。
なるほど、これは面白い。

スタッフ・ハプンズで出てきた方々がしっかり出てきますね。
そりゃ、イラク戦争の話もあるしね。

最後らへんのシーンが印象的だ。
ムーア氏が、僕らは最低の環境で、貧困で暮らしている人を
尊敬しているという。確かね。
それって、議員の子どもは戦場に送らないのに、
兵士を募っていく子どもは親がいるのだけど、その親は行かせたくて
行かせてはいない。

これって、仕事で誰もやりたがらない仕事とかそんな話とかとリンク。
兵士も任務があり、仕事っていえば仕事だ。殺人などの任務があるわけだ。

ムーア的にいえば、つまりブッシュはアメリカ国民をうまくだましたということになる。
それはそれで大変な詐欺師であるが、彼は大統領であるからこそ、
罪はないみたいだ。
自分が決めるから別にいいようだ。

ふむ、ブッシュ自身が、戦争で死んだ兵士を弔うとはいうが、
実の息子は死んだわけではあるまい。

大義のために、正義のために、少々の犠牲は耐えねばならないのだろう。
それが現実といえば僕も納得する。

ただ、だからといって小を見ないのはアウトだ。
ブッシュ自体は大を見ているのか不明だが、
カーライルなどの企業と、そしてサウジとの関係からいって、
とんだ茶番劇となりそうな戦争だったといえよう。

無駄死で、約3000人の市民がテロによって死んだのは
しょうがないことだとは思わない。

死は死であり現実だ。

現実を見たうえで、どうでるか。
なあに、良心がない人間がいたとしても、それは大した問題じゃない。
弱きものが神にすがるわけでもない。

世界はうまく出来ている。と思う。

と同時に世界は広いとも思う。

ちっさいなあ・・とまた感じる日々でござい。

寝かせる

よく・・・はないんですが、
ある一定の判断を与えるのが迷うという場合に、
しばらくおいて考えることを「寝かせる」といいます。
それがどーしたのすけ、でございますな。

今週は本当にブログも、ITEBも、ということでネットなところで、
色々なことがありましたわ。といって、週末にダチと話したことでも
また色々考えさせられましたくわん。

というわけで、仕事は全く充実が見られなかったのに対して、
仕事以外は充実しておるといった一週間でした。

で、書くことが山ほど出てきました。
やはり、話すと得られるものが多いですわ。
話さなくてもいいですが、話すのとそうではないとではやっぱ違う。
それって、別にセミナーとか話を聞きにいけって意味じゃあなくて。

会って話すということの重要性を感じますな。

で、一応寝かせる形で、今は書かず、しばらくしたら書いてみます。
主に、このブログに関すること、仕事に関すること、そして考え方!に関することなんで、
非常にコアなところです(笑)

というわけで、焼きそば作ってくるとします。

久しぶりにドトル

ドトールへいくことを、ドトルといいます。
活用形で、連用形とかだと「今日は、ドトってきました」になります。
トドがでてきそうで、いいですね。

さて。

ドトールは安くて落ち着けていいですね。
スタバはほとんどいきません。たまにいきます。
なんかシャレタ感がダメです。すげー偏見ですね。よし。
多分一人で入ったことないんじゃないかなー。そういえば、スタバは。

ドトールは、豆のロゴ?があるように、
喫茶店って感じがまだしますしね。そりゃ言いすぎかも。
まあスタバ嫌いなわけじゃないっす。カフェは好きですわ。

個人的にはクリエがいいっすね。
ポッカの会社ですね。ポッカって缶コーヒーのイメージしかないのに、
やりますね。確かそーなはず。
クリエはスープとかだしてたり、季節ものとかあったりします。
つくりは明るいし、白いイメージですね。女性がはいりやすそーな感じ。
最もターゲットは女性でしょう。多分ね。
具たくさんコーンスープとかうまそー。今度食べてみよう。

ドトールで本読み。すばらしい眠気と格闘。
おかげで一冊読めた。いい本だった。レビュりますが。


本屋で本を買う。
店員の対応が良かった。
やっぱ、本屋とコンビニじゃレベルが違う。
いやそれは言いすぎだな。コンビニでレベル高いと、感動する。
期待値が低いだけか。許せコンビニ。

コンビニは地域の店になりつつありますな。ホントに。
昔は、定価の商品が常にそろっている!から、買うならスーパーだよね!って
感じだったのが、今じゃ定価では決してないものも多いし、
新製品とかはコンビニが。やっぱ店の数が大きいですかねえ。
あと、SHOP99みたいな店とか、あとは100円均一のダイソーとかCanDoとかな
お店もありまくるし、大分小売店のイメージが変わっちゃいましたね。

粋なサービスをするところがいいですね。

愛用してるドトールは、
つり銭の皿がないんですよ。あのつり銭受けってやつですか。
だから、客と店員で、お金の直接わたしになるんですが、
その時、店員がしっかり両手をつぼめてお金をもらうんですが、多分そういう風に教育されるんでしょうが、
それが印象良いというか、いいなーと。
で、こちらはこちらで、手で直接もらうわけです。
この何気ないやり取りはやっぱ商売の原点じゃねーかこのやろーと思うわけです(笑)
最近このやろーが多いですがキニセズ。

DVD借りに行ったら、店員のつり銭の置き方がって
それは前書きましたか。
札を直接渡したのはいいんですが、つり銭を下におきそうだったから、
すかさず手を出して受けました。
なんか客の手を触らずに上からぼとぼと落としたりするのってやですね。

って、クリエで釣りもらうときに、それされた。
くそ、俺の手はそんなに汚いのか!というつもりは全くなく、
あんま感じよくないねーと思ったりしてます。

レシートとつり銭分けてくれると嬉しいなあ。
あと、札が1万とかでお札数枚にお釣りがなるとき、数えて渡してくれるといいねえ。
吉野家みたいに1万円入ります的なノリもいい。自分はやりたくないが(まて

ちなみに、1000円「から」で全然問題ないです。
その言葉遣いよりも、釣りを上からぼとぼと手を触らずに落とす方がダメです。

まあ、例えば、そんなにこだわる必要はない!とは思いますが、
商売人を自称する限り滅茶苦茶気になるわけです。
店員はおそらくアルバイターなんで、そこまで求めちゃいかんのでしょうし、
そこまでやれないからこそアルバイターなんでしょう。と偏見で判断。

そうじゃないアルバイトいたら絶対バイトでとどめておかない。
と、思われる気がしますが、まあどうなんでしょう。
本人次第なんで、アレですね。お金求めてアルバイトが「ごく」普通だと思います。

で、ドトールはいいよのうってことです。
ミラノサンド食べたくなるう。

コンビニ

今日はコンビニに2回行った気がする。

1回目は切手を買いに。ふむ、今日初めて知った。
コンビニで定形外郵便物かどうか調べてもらえた。
これはサービスか、店員の心意気か。
多分後者。切手おいてあるし、封筒があるからってことだろう。

でも、定形外とか定形とか。そういう封筒のサイズを知っている人が
そんなに多いとは思ってないっす。
僕も知らなかったし。

ちなみに、定形外だと120円からです。郵送料。
普通って80円じゃないですかー。ってこと。

ちょっと嬉しかったなあ。

2回目。
あ、同じコンビニじゃないっす。
トイレ借りたら、トイレが汚かった。
コンビニのトイレ掃除周期って半日に一回くらいなんですかね。
トイレがきれいかどうかで全然その店の評価が変わるんですが、キノセイでしょうかね。
個人的に飲食店で汚いとアウトですな。

で、コンビニの店員が(さん付けしないところがポイント)、
すごい化粧してた。ヤマンバじゃないけど、その手の方。
別にいいけど、すごくかっこ悪いなと思った。っていったら、まあ好みの問題かと。
でもそれは違うぜ。
劇するわけじゃないからさ・・・。
っていうか、それでバイトできるんだ。良い時代だなーとか思った。
別に昔はダメで、昔は厳しいとかそういうことじゃなくてさ。

まあ、よくある話ね。
自分の髪型変えたくないから、それで出来るバイトをやるって。
まあいいんじゃないかな。

っていうか、愛想悪いし。
もういかんよ。なめんなよこのやろー(ぇ

スタッフ・ハプンズ

げ、映画かと思ってた。思わぬ誤算。
あれは、ムーア氏の「ザ・コーポレーション」だったか。
全然違うが記憶の違いはよくあることさ(ぇ

それはそうと、演劇だった。当たり前だが。
良かった。思わず、アンケートに住所を記すなり。

劇団のページはこちら。りんこうぐんと読むらしい。読めなかった。ダメだなあ・・。
http://www.alles.or.jp/~rinkogun/index.html

ネタばれありなんで、見る方は適度にスルーを。

まず、イラク戦争ネタということで、こういうネタは好き。
別に戦争が好きってわけじゃないので。
社会的なネタは自己の考えがしっかりしてないとあやふやになるだけ。
それは意見と同様。新聞の社説って最近全然読んでないけど、
あれも立場明確じゃないとつまらんし。
ブログとかHPのコラムも同じかなー。ああ、こういう考えかーそれなら自分はどうかなと。
そういうのが僕としては好きなコラムだし、好きな考えだ。
別に考えが不一致でもいいと思うんですわ。それは当たり前だし。

で、この劇で、初めてデイヴィッド・ヘアーなる人を知りました。
イギリスの作家だそうで。劇曲を翻訳してそれを再構成するというか、
そういうの全然想像できないんですが、そもそもシェークスピアとか、
普通にそうやってるわけですかねえ。意外な感じでよいですね。


パンフの役者一覧を見ると、ほう・・・。
ドラマとかラジオとかそういうのに出てる人もいるのね。
残念ながら「俳優名」で、TVなどをみたことはないので、分からんです。
ドラマも見てないし。
まあそれはいいや。

結局、感想としてはこうなる。政治って面白いじゃないかと。
って、思ったりすることは多々あるんですが、こういうところから入ると
やっぱいいなーと。劇ですね。

劇で、政治、外交、戦争、に対することとかを表現できるんだよねえと、
表現というところで妙に納得。

パンフにもあるように、確かに日本はイラク戦争に関ったことになってない劇でした。
それは日本とはその程度の認識なんでしょうね。

もっと政治について知っていれば面白かったんでしょうが、もちろん面白かったですよ。
知らなきゃいけないというか、知らんとまずいなーと。

あれ、ですわ。
学び方の問題ですわねえ。入り方っていうか。
劇見にいくのも、意外な初期行動(笑)が今につながっているわけで。
こんなにハマルとは思ってなかったし。それは大切にしたいところ。
歴史の勉強とか、学校のはくそつまらんのは、教え方が99%悪いとは思います。
そりゃ、先生自体楽しんでないような授業ならそうなりますわ。

こういう風に考えると楽しくないかい?という視点がなきゃあね。
それがある人は、多分生徒に人気がある先生になるのかな。多分そうだ。

で、この劇ですが、おすすめしときます。
自分が知らないだけだったかもしれませんが、社会的ネタを扱う劇作家がいて、
しかもそれを日本でやろうとしている人がいると。
役者も熱かったなあ。

個人的に、パウエル氏が好きになりましたが、まあ政治家はやっぱ政治家でいいでしょう(笑)

あと、台詞滅茶苦茶長いっすね。
よーやりますな。演技をしながら台詞を発する。
当たり前なことですが、すげえーなと。
こりゃすげーよ。

多分あれです。劇も、舞台ごとで、毎回違う世界が創造されるんでしょうね。
それはスリリングでありかつ、楽しみなんでしょうね。
というか楽しいですな。

また新境地を開拓した気分なりけり。

ダチとの会話

あんたやっぱ熱いわ。熱すぎ。
今は、スクールウォーズとか、きんぱっつぁんの昔とかは流行らないようで。
僕は熱血とか大好きですが、体育会系のノリは嫌いですね。
この意見に矛盾なし。よし、これで体育会系を敵に回す。

前も書いたんですが、敵を作る必要はないってのは、
敵か味方かみたいな見方を経験してこそ分かることであって、
多分いきなりそこにはたどり着かない気がしてます。少なくとも僕はそう。

いやスポーツしてる人が嫌いなわけじゃないっすよ。
おっす、うっす。がっつ食い(笑)「今がんばれば後が楽」(これは慎重に解釈してください(笑))、
あと、一つ付け加えておけば、
「自分が正しいとは思わない!」といってる人間を、
「正しいと思っているかどうか」を判定するのは、いや判断するのは、
その発言を聞いた人ですわ。
これは真っ当な意見でしょうな、おそらく。

つまり「自分が正しいとは思わない!」といってる言葉はほとんど意味がなく、
そう思われるかどうかに意味がある。
もちろん「演技」だったら意味ないんですが、
言葉がそれほど自分を主張できないとか、コミュニケーションはやっぱキャッチボールどすねえとか、
そういう確認にもなりますね。

で、ダチですが。

話を聞いてて思ったのは、批判的に見ているであろう、他人の考え方を
信じてというか、それは好きなんだけど、そういくとは思わなかったんだけどね。
でも、あんたはそうした。それは別に問題なしと。でもやりすぎってのはまずかったかなと。
もちろん、若いからよかったわけで、やっぱ無理はいかんよと。
だからといって適当に、だらだらやれなんてことでは決してなくてさ。

っていう意味で、こっちもかなり刺激になったわ。
そんな真剣に働いているやつは・・・いるわ。いるけど少ないわ。
仕事なんて「金」のためにやるのが当たり前だみたいな人もいますけど、
まあそれはスルーして、自分がやりたいようにやりましょう。
それは言い訳でもなく、キレイゴトでもなく、甘い代弁装置でもないの。
単にそうしたいからそうする。

自分が何もできてないかもしれんなーとたまに不安になる。
いや、不安というか、焦りだ。汗がでる。涙がでる。
別に、焦っているわけではないんだが、衝動的に鼓動が早くなっちゃう。
落ち着け俺と。言い聞かせる。落ち着けと。

でっかいものを感じたとき、自分の悩みとか、ある種の問題は
とても小さく感じられる。これを相対的比較解決方法というが、
それはとても有効だ。
でも、他人はああだから自分はこうしてちゃだめでございますなってのとは
違う。説明面倒だ。省略。

倒れるのが良いとは思わないけど、すげー良い経験だったなとはいえそう。
それだけやれば後悔もないでしょう。そりゃ何かしらの引っ掛かりがあるかもしれんが。
でも、やっぱ納得してガツンといって、やっぱダメだったという。
すげー気持ちいい。聞いててスッキリするわ。ホント。

やっぱね、そういう生き方してるヤツが好きだわ。
それでこそ、マイフレンド。

で、ありがとう。今後ともよろしゅう。

ソフィー!

ソフィーの世界のオーディオドラマCDがあるもよう。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140392843/qid%3D1138458950/249-4884722-4253922

NHKFMとかの青春アドベンチャーとか、声がいいわ。
というかラジオドラマは基本的にCDなるものがあるとはしらなんだわ。
く、あったのかと。
ならば、聞いてみたいと思わん。

こんな良いサイトがある。
http://www02.so-net.ne.jp/~motive/nhkcd.html
素晴らしい。やはり先達はあらまほしきことなり。
もち、トップページにNHKとは関係ないと明記。んですな。
公式より非公式の方が充実してるとかもね。いや、よくあることだし。


ネタ元は、
http://mydays.seesaa.net/category/10485.html
せどりなブログの古本屋さん、というブログから。
ブックオフで見つけられたようだが、ありがとうと。
僕はその存在すら知らなかったっす。あっざーす。

これだからブログはいいなーとか思う。

仕事を増やす

気づけば、このブログも、えーと・・・2年弱なんで、もうすぐ2年です。

素晴らしい。
やりゃーできるじゃねえか、という証明には十分でしょう。
もちろん、ブログを継続するってことですよ。

カラオケについて書かれているというか、声とかの話ですね、
そんなサイトを読んでたら、面白いことがかかれてました。
それは、バンドのボーカルがライブで出すものと、カラオケの声は全然違うって。
声というか、聞ける声といったほうが正確みたいですが。

多分その違いは、考えてみたり、実際にやらないとわからないレベルなんでしょうが、
でもその違いって、机上で考えると、
ブログがHPとは違うんだとかを説明しづらいけど違うんだ、ってこととか、
ブログを継続するのとブログを書いてきたら継続してたっていう違いとか、
そういう話になりそうです。

つまり、実経験から導き出される意見は、あまり意味がないってことです(ん?そうなるのか!

ま、それはいいでしょう。
ブログを継続したくても、できない人もいるようです。
結果的にそれは、文章とか書くという姿勢が書いているうちに、
身体(しんたい)!で理解できなかったと思われます。
別にこれは僕が2年続けてきて、調子こいているわけじゃなくて、実際に
ブログ続けられないわ、とかブログに書いている時点で、終わりかなーと。
別にその人が終わりでも、そのブログが終わりって意味でもなくて、

勤め人の「くせ」(このくせってのがポイントなんですが)に、
毎日遅刻する人はいませんよねー。

というくらいのたとえでOKですわ。
気合が違う。気迫が違う。一緒にするな。ばかやろーと(暴走

要は、「ブログ続けるコツ」みたいなものがあるんじゃなくて、
文章ってものをどう理解しているかが、アウトプットすることで
問われるんじゃないんすか、奥様。ということになるわけです。

コツとかノウハウが好きな人はそれを追えばいいんですが、
結局最終段階は、自分が咀嚼して考える行為を通すのですから、
例えばネットに転がっている情報商材というものを買っても同じですよん。
というか、賢い人はそういう考えることの重要性を説いた上で、
商品を売ってますが、それが理解できない人が買って、
くそー実践できんというのが面白いパターンでしょう。

それって本でもありますね。実践できんぞーというのは。

別に自分の考えた上で限りなく近づけるプロセスを実行すればいいんでしょうが、
なんでか、そこはなぜか妙に焦って変な行動にでる人がいますね。

話を吹っ飛ばして。
匿名で相手を怒らせるようなことを書く人がいますけど、
それって単に他者に対する想像、つまりは相手が同じ人間であり、
コンピュータの向こうにいるってことを考えられない人なんですね。決め付けておきますか。

前はこのやろーとか思ってましたが、最近はイラっとはしますが、
アラシ対策はスルーが有効であるという一般論+経験から、
かわいそうな人だなーと思いながら過ごしてます。

かわいそうな人に僕は助けることはできません。
ここで、因果応報を唱えてみますが、まあやっぱそうなんでしょう。

もし、他人を傷つけるとか、そういうことに疎いならば、
やはり僕もそうですが、それ相応の痛みを後からくらいます。
というか、悪いことはできないもんですわ。


仕事を増やしたいなーと思ってます。
それは、勤め先のそれでは決してなく、自分の仕事です。

最近考えたのは、まず1年暮らせる貯蓄をして、
例えば、12万x12=144万を貯めて、あとは余剰資金で株を少々育てます。
で、まずは勤め人としての給与の10%くらいを目指して自分の仕事を創ります。
仕事を創る力がないなら、黙ってついていきなーですが、
だからといって、力がないかどうかは未知数。さらに、力は必ずつくもので、
黙ってついていっただけでは絶対つかないから、つけようとトライをしなければと。

目標1つ消える

ツカサネット新聞が事実上廃刊となるそーで。
というわけで、人気記者トップ10を狙うという目標を今年掲げたんですが、
それは、もう達成できないことになりそーです。
かわりに、別の目標掲げるべーとか思っていますが。

事実上というのは、実際にはあるってことです。

経営者の心無き会社は短期的はともかく、長期的にみれば
ころっと潰れるでしょうね。

足が冷えるぜ・・・。

自分を笑え

分かってしまった。
単なる言い訳野郎になっていたことを。

と、自己反省、そして自己改善ができる。
コストパフォーマンスが良い人物だと自分で自画自賛、そしてうぬぼれ。
そして崩壊。勝手に盛者必衰理論を説くなり。

人生は演劇だといってみて、
じゃあ自分はどういう役がいいかなと。

ひたらすら天邪鬼で、言いたい時には普通に言える仮面(これをペルソナというのは、
哲学かじったことある人なら知ってるはず。)をつけてる。
僕はそれが快くてしょうがない。
実際の僕をとらえることのできている人間は数少ない。

こういうの好きでしょと、あてずっぽうは嫌だが、
それを当ててくる人間は稀少だ。レアだ。ニホンカモシカだ!ぜひ捕獲しておこう。
(例えばこの一文を読んで、カモシカは天然記念物だから、
捕獲したらいかんよっていうコメントを冗談ではなくてくれる人がいたら、
やはり読解力がないというか、いや文章を読んだことがないというか、
いやもっといえば、アホ!なのかということになるが、
でも、文体とか文脈とか、行間を読め!とか、さらにいって、
空気を読め!って言葉が嫌い、それは自分が空気を読めている人間だぜこのやろー!
と逆主張している感じになるというか、いってるんだけど)

ふう。

そんな仮面をつけて、笑うわけですわ。ふはは!と。
考えることは素晴らしいことなり。
よき先達を得ることは、よき人生を歩むこととなりけり。


性善説だったけど、性悪説じゃないとって話はうんざりする。
逆に性悪説から性善説ってことはないかなあと。

基本的に人は疑えじゃないのかと思う。
単に自分がアマちゃんだったこと(甘い人間であること)の言い訳じゃないんすか。
しかもそれって荀子だか孟子という超有名人の説じゃございませんか。
冗談でならいいけど、あんた冗談じゃないだろう(誰だ!?

基本的にっていってるのは、例えば、駅のベンチに財布おいてきた!といって、
返ってくるのは「普通」ありえんと考えますよねー。
普通返って来ると考えるのはそれはそれでいいんですが、でも大抵ないですよね。
今まで10回おとして10回戻ってきたらその考え方にしますが、僕はないですわ。

やや脱線気味。

自分が甘いってのは、どんなことにもいえること。
部下がなんかやらかしたら、上司が甘かったというのが基本のようだ。
だからこそ、守られている感覚がある。そこがぬるい!といったら終わりのようらしい。

だから詐欺にあったら、それは悲しいけど、自分は悪いってことになる。

昔、旅先で、確かあれは・・・JR徳島駅前の本屋だった。星野書店かなあ。
「だまされるひと だまされないひと」なんて本を買って読んだ気がする。
だます人はおそらく買わない本みたいなオーラが漂う。
まあいいや。
それはそれでいいのだけど、これは突き詰めると、誰が悪いのかって話になる。
おそらく!犯罪者のいない社会はない。
法をおかすのが犯罪なら、法がない社会は社会ではないから。

じゃあ、集団で寄り合って、例えばヤマギシみたいな宗教(あれどうなったんですかね)で、
ほのぼのかどーかしらんですが暮らしている人がいるとする。
そこにも組織とか寄り合いのルールがあるんだろう。

ネットワークビジネスというすげードロドロした世界(実践者がいても、この意見はスルーすべき。そして、カモを探してもきっとカモられるワールド。と偏見でいってみる)でも、
ルールがある。

ヤクザさんの世界でも、ヤンキーなところでも。
むちゃくちゃなルールでも、ルールがあるってこと。

どんな馬鹿な人間でも(滅茶苦茶いってんなあ・・)ルールがないとダメってことは
本能的に分かっているようだ。

で、犯罪者に戻る。
というと、犯罪者は究極の馬鹿ってことになる(笑)
まあ、それはないけどね。

法なんて軽くやぶってることすら気がつかないこともある。

勤め先で、なんかコンプライアンスを声高にいってるけど、
そもそもコンプライアンスなんて横文字掲げている時点でアウト。
なんでかというと、そもそも、ルールなきところで、ビジネスの世界もそれにもれず、
戦えるわけはない。

ワンピースじゃあるまいし(漫画のやつね)、銃弾をですね、剣先でよけれるわけがない。
いや、可能性はあるかもしれないが、こええっすわ。
そういう意味でルールが違っても勝てることは可能だけど、その可能性は低すぎる。

弁護士や医者が将来性あるからといって、例えばそういう人のいわゆる、玉の輿にのっちゃう人もいるけど、
そういう人はやはりそれが「戦略的」でかつ、「自分はそれでいく」と決めタンだから、
それでいいのだと思う。
で、失敗して、例えば離婚なり、破局なり、面白くない人生になってしまったりした、いわゆるピンチなときに、
「他人のせい」にしてしまったら、それは、やっぱ「それまでの人間」であって、
その程度の判断だったのだねーと思えるわけです。多そうなパターン。偏見万歳。

腐った価値観などないけど、腐ったように見える価値観はある。
最も普通は、それは同じものを指しているのだけど。

で、何を言いたかったのか。
メルマガにも書きましたが、鍋パーティーな事件。
彼らにしてみれば、それはそういうものだったんでしょう。なんか分かる気が。
で、犯罪ですよといわれた。合意してたと思ってた。
ここは、思っていたのが重要で、おそらく「合意したかどうか」の事実は、
あまり問題ではない。もちろん、犯罪かどうかの証拠とかそういう意味では「重要」だが、
僕の言いたいことは「思ったこと」が重要であることなのだー。

氷山の一角といってしまえばおそらく終わり。
もちろん女性の立場からすれば、お前はなんてことをいうんだといわれそうだが、
スーパーフリーでしたっけ、あの話を思い出すのはおそらく記者だけだったわけではなく。

割れ窓理論なんてあるそーです。
荒れたガッコは、まず割れた窓を元に戻すと。そうすると次第にという話。
もちろんもっと長い説明があるんでしょうし、違うかもしれません。

逆をいいましょう。
割れたガッコに子どもを入学させたい人はあんまりいないと思います。

日本でも、繁華街はともかく、変なヤツが貯まる場なんて、
くそみたいにあるわけです。あっても、それは移動する。
なんでか?悪いやつらが動くだけのことです。
裏社会とか闇社会なんてものに興味はありませんが、Aと相反するBがつながっているというのはよくある話。

たとえそうではなくても、そうみえたらそうなっているようなものって見方があり。

間接的に何を言いたいか分かる人もいるでしょう。

女性で、別に何か合気道や柔術を心得ている人ではないと思われますが、
深夜、まあだいたい0時過ぎとか、真っ暗闇とか、で外を歩いてたら、
まあ危険ですわ。何が危険かというと、ターゲットにされるってことで。
それは危機意識というよりも、単に危ないところへいかないって意味で。
まあ会社帰りとかならしゃーないですが、そこらへんも踏まえて考えるべきなんでしょうね。

結果論が大好きですが、結果がでてから論じるのは好きじゃなかったりします。
といっても、ニュースは全て結果論みたいなのでここでいってることは、
矛盾しまくりです。

もちろん悪いのは、アメフト部の彼らでしょう。
もし、神に誓えるなら?、鍋パーティーに参加した女性が、
普通そういう嗅覚は男よりも女が強いと思うんですが、
何か前からきいてなかったかがカギになりそーです。

残念ながら、男の例えば、欲求を満たす場はあったりしますね。
法的にOKってことです。

哲学的にいわなくても、やっぱりTPOが違えばアウトってことですね。


で、僕はこんなこといった自分を笑って終了っと。


仕事から得たもの

同じ失敗はやらないとかいっておきながら、
平気で同じ失敗をしているのは、まあいいでしょう。
最低限自分に甘くても、人に厳しくなければいいのですから(笑)

それはそうと、仕事から得たものをなぜか整理してみたくなりました。

で、あえて書きませんが(書けよ、こら)
実際のところ、得たもの、というかいいなと思ったものは、
がんがん使っていることに気がつきました。
っていうわけで、会社ありがとうといっておきます。

が、全然現状に満足してないので、ありがとうとはいうが・・・という話。
悪いところも、一杯あるので、そこはスルーしてます。反面教師か。

そりゃーそんなことすりゃーそうなるわなーと。
組織を利用して、自分で失敗を狙ってするという危険な業を繰り広げる(笑)

なあに、人生地味でもなく派手でもなく、独自っぽくいこう。
独自なんて本当はないんだろうからさ。

人生への期待値

人生への期待値が高いか低いか。
まあ、つまり可能性をどう考えるかって話。自分にだけど。

人のことをいうのが好きな人間がいるけど、
別にいいけど、自分のことをいえと。自分のこともいえない人生なら、
死んだ方がましだと。挑戦的。

小さい小さい。
あらゆることが小さい。

小さなことが大事ではないってことではない。
単に小さいなーって思ってしまっただけ。

そう思えるってことは、ありがとうだ。また大きくなれる。

にしても、昨日のマーボドーフは滅茶苦茶うまかったっす。
今日は、冷奴でも簡単に作ってみますかね。

自分にしかできないこと

自分にしかできないことというのは、他人には出来ないことを一応意味している。
正確にいえば、そんなものはあんまりないのだろうが。

それはいいや。
自分にしかできないものとは、自分がやりたいことと一致するかどうかという問い。
これは、おそらくそうならないという意見。

自分にしかできないから、やりたいということはあまりなさそうだ。
やりたいからこそ、自分にしかできないものとなっていったというのはありそうだ。
自分にしかできないもの=自分がやりたいこととはならないってことか。

自分が知っているからやれるというレベルのことは、
おそらく誰かが知っていたらそれはやられているのであり、
いわば知識のみに頼ってしまっていて、自分の力と知識を混同している人間になりそうだ。

創造性は与えられた仕事をどうやるかでいくらでも身につきそうなものだ。
でも、現に今、どうすれば創造性は身につけられるかを問うと、厳しいと言わざるを得ない。
つまり、僕には創造できる場はないのだ。いや、ないわけじゃないんだろう。
出しにいくく、出しづらいといったほうがいいだろう。
この場で、創造性を発揮して切り開く人もいるだろうから。
でも、それはあくまで主観的判断でいいと思う。つまり、僕からみて、そんな場にはみえないかなと。
だからといって、環境のせいにするのでは、蛙に等しきや。

学んだことはうまく活かせていると思う。
同じミスはしているが、全てはもう目に見えるもので、原因が分からないものもあるけど、
目の前に突きつけられるそれが嫌だとは思う。
怒られるのが嫌というか、注意されるのが嫌というか、まあ好きな人はいないだろうけど、
そのレベルを越えて、「なんでこんなことしているのか」と思ったりする。

目の前の日常を楽しめば、面白くすれば、自ずと日々の人生は楽しくなる。ああ、人生がか。
でも、目の前に起きていることはやはり目の前でしかないとも思う。
それくらい、日常と非日常は同じ人生でも違う空気を感じる。


さて。
仕事をお金以外に求めるのは贅沢かどうかと、問うてみる。
結論は、贅沢ではなく、贅沢というか、あほな考え植えつけるんじゃねーということになる。
お金がもらえればそれだけで結構でございますというのも一興だ。
でも、それを押し付けちゃいけない。まあ、僕も押し付けているところはあるが、
そういう人々とは深く話せないので、別にいいだろう。自己制御つきってわけだ。
金のために働くという人もいるが、それは短期的、もしくは、何か目標があって、
それのためにやるのはいいけど。
でも、お金を求めて仕事するなら、なんで仕事を選ぶ必要があるのかという
面白い問いが発生する。仕事は選ぶものだし、仕事は考えるものだとここでいっていいだろう。

仕事と勉強の共通点がある。
学生はおそらく考えている人間なら、あーあれかとは思うのだが、そうではない人間だと
全く違うものに写るようだ。
誰かが言う。人生は常に勉強だと。
これはおそらく真実だ。勉強といわなくても、学びといえばいい。
ああ、それってこういうことだったのか。ほーそうなるわけねという連続が人生を構成しているわけだ。
その学びは、残念ながら自分がやろうとしないとできないのだ。
だから、いつまでもブーたれている人は悲しいけど、さようなら。
でも、だれも助けてくれなかったわけじゃない。おそらく、だけどね。
どんな小さなことでも、何かしらチャンスがあったはず。それを全て否定し、
現実から逃げ、自分を受け入れなかった結果、そうなっただけだ。

分かるさ。どんな辛い境遇でも、生きるということを選ぶ人間がいるのだから、
逆にいえば、最高の環境でも死ぬ人間はいる。
だから、人って分からないんだから、面白いんじゃないか。
変化や不安定を楽しむということはそういうことかしらね。

自分から見出さなきゃならん。見出さなくてもいいんだろう。
でも、やはりそれはその程度の人生にしか、その程度の人間にしかなれない。
証明できるようなものじゃなくて、そう考えにいたるというのは、このブログの全ての意見なりけり。

ブログシステムについて

ブログというのは、TBやらなんやらで負荷がかかるシステムだそーだ。

ほう。

仕組みは良く分からないけど、
例えば、HTMLみたいに、3ページ目にリンクするなら、
3ページ目にリンクして、直接いけないんだろう。

うむ、これじゃ分からんな。

まず、このブログなら、readmaster/
以下に色々つくけど、例えば、月ごととか、カテゴリとかで見たいとき、
そのリンクをクリックすると、おそらく自動生成されている気がする。
だからこそ、MovableTypeとかってプログラムなわけか。

要するに、HTMLってのは本当は文章だけで構成されていて、
今HTMLっていうと、タグってイメージが強いかもしれないけど、
実はそれはどうでもよくて、ただブログっていうと、
簡易型日記風サイトなんで、やっぱHTMLとは違うと。

推測なんで違うかも>プログラムの動きとか。

毎回もしも検索して表示しているようなら、そりゃ数人ならいいけど、
何十人も動けばそりゃ重くなるわねえ。

仕事柄、SQLというデータベースにアクセスする言語があるが、
それは書き方が難しいのではなく(多分習えば誰でも書ける)、
それを書いて動きがどうなるかが難しいということか。
負荷をかけない処理をするには、ある程度の慣れが必要だと思われたなり。

例えば、検索をするというのは、同じデータがうまくでるならば、
その検索回数は少ない方がいいわけです。
これは、別に人生をショートカットしろって意味じゃないですよ(関係ない

そうすると、1回が2回になったら、ははんってすむんですが、
1000回が2000回だと、うん?って感じになりますよねえ。

そこらへんは、投資術で10万のもち金ではなく、100万くらいから
やるといいかもねーみたいな話になります(違う

そんなところで。

生きる意味

スクールオブロックというラジオ番組が熱い。
スクールとついてるから、中高生がターゲットっぽいが、まあ気にするなと。

昨日の番組最後で、
なんか学校へ行ってない人と電話でトークしてたが、
なるほど、熱くなる気持ちは分かった。

学生だと、学校つまらんと毎日つまらんわね。
確かに学校ってデフォルトで面白いところじゃないしね。

全くだ。仕事と変わらん。
デフォルトで面白いものなんてないんだってことに気づくだけで、
何年かかったんだろう。そんなものありはしないと。

こもれび氏の教授曰く(この言い方は正確ではない)、
「何か答えがあるとおもって、本を読んでたんだけど、そんなものなかった」

そう。
確かに答えなどない。見出すことは出来るが。
自分の意見を反映させることもできる。色々なことは出来る。

印象的なのは、
俺のことうざいって熱いってうざいって思ってるだろう。うっとうしいと思ってるだろう。
でもな、そういう人間はお前の周りに今後わんさか来るんだぞ。
という、ある種脅迫(笑)的なトーク。

しかし、真実だと思う。
つまり、あれだ。自分が素でぶつかるのが怖い。

いいかい?(え、誰に言ってんのよ・・)
自分が傷つかない方法はすごく簡単だ。
自分を出さなきゃいいのさ。人の意見で動き、人に言われたようにやり、
自分はそうは思ってないとも言わずに、ぬるま湯に浸かったようにすればいいのさ。
そうすれば、自分の肌は傷つくことはない。
傷ついても自分の服だけさ。傷ついた服は、いらねーやといって捨てるだけさ。
そして、また新しい服を着るだけ。

傷つかない生き方だ。それも一興。
自分がそうしているということが分かっていればそんな生き方するやつはいないだろうが。
気づかないからこそ、ぬるま湯に浸かってるんだろう。
ぬるま湯に浸かっていることに気づくには・・・?

異文化との出会い。
自分とは異なる人間との出会い。
新しい事実、知識、あらゆるものへの好奇心。
何でもいいんだ。

自分が小さいと思ったら、また次へ進めるんだ。

自分の現状を否定して、こうなったら変われるとか、そうなったらいいとか、
ってのは、現実逃避でしかない。もちろん、否定しなきゃいいわけで。
よくいるもんだ。
自分の境遇を嘆き、こうしないと出来ないという考え方の人間が!
そうじゃないだろう。

論理的思考ばっかやってると、つまらん人間になっちまうぜと。
そんなことを最後に言って寝るとしませふ。

ぼくんち

うーん、これいいわ。
あの漫画が映画になるとは思わなかったけど、
といってるほど、原作を熟読したわけでもなく。

観月ありさが姉ちゃん役となってるけど、
原作ってあんな姉ちゃんいたっけーとか思いながら。
あんな役やれるんですな。素敵だ。

かなりおかしな映画に思えます。おかしいってのは気が狂っているくらいの意味でも、
多分OKです。

っていうものを撮れるってことは、相当レベル高いなあと。

おかしな映画を狙わず取るなら素人ですが、
狙って取るわけですから。

って、原作がおかしいといってるようなもので、著者から攻撃されそうですな(笑)

いや、この本。大分前に読みましたが。
ハッピーな話じゃなくて、どうしようもない話の類になるでしょう。
こういう話好きですわ。現実は多分こんな感じで回っているかなと。
でも、ところどころの台詞は真実だからなあ。

やっぱりね、映画ってこういうのがいいよなと。
多分こういうのっていうのが表現できないから、ダメなんですけどね。
とりあえず、こういう映画という比喩で表現できるレベルまで
見ないとダメですな。

大局観

細かいことは気にするなというのがある。
逆に細かいことをできなければ、大きなことも出来ないというのもある。

これらは、一般的に言われることで、とくにアドバイスという形で。

漫画の三国志や項羽と劉邦、そして水滸伝などを読み、
さらに日本の戦国時代などが面白いと思う人間は、
すぐに「軍師」という言葉が思い浮かぶのだ。

ある状況下では、ある作戦は意味がなく、むしろ愚策となるが、
別の状況下では、そうではなくなる。

例えば、背水の陣というのがある。
背を川にして、もう退却できないという決死の覚悟で兵の鼓舞をはかるものだ。
でも、これはよく大将が兵の心をつかんでなければならない。リーダーたるべきものといった感じだ。
だから、そんな背水にしたら、兵はおびえて逃げることもある。
追い込まれたから力が出せるというのは、追い込まれたから士気が下がることもあるのだ。

背水の陣を常に適用できないからこそ、策なのだ。
兵法とは、臨機応変に対応させることに、その軍師の頭の切れが分かる。

実際に、優れた軍師は自分の頭で消化・咀嚼して、
自分なりの兵法を考える。

有名なのでいえば、三国志で、諸葛孔明が魏の曹操を、
彼は兵法を知っているがために、こうでるはずだと、考えているシーンが出てくる。
多分ね。

これって要は、兵法を知らぬものと知っているものと出分ける。
つまり、相手の知力をはかり、対応するということになる。

で、ここから無理につなげてみよう。

今、何かしらなんとかショックというのが出ているが、
これは背水の陣を常に適用している動きなのか、状況を見てそういってるのか。

おそらく、読者諸賢なら分かるのであろう。当然前者だ。

マスコミの動きの悪い部分が出てしまっている。
TVはもっとすごいことになっているだろう。

それはいいんだ。センセーショナルなものとして騒ぐのはいい。
でも、それをどこまで考えているかだ。もちろん、マスコミがだ。
咀嚼・消化したものがなければ、つまらん記事になる。
それは考えがない人と付き合っていると同様か。

ちょっと違うけど、社長失格の坂倉さんだったかな。
ハイパーネットのあの人をなぜか思い出したり。
まあ、違いますけどねえ。

きたー

独りでSwingやってたら(ぇ
メールが来てました。

なんとTeck総研のブログの1記事で、ITEBの紹介をしたというメール。
おお、素敵。

純粋にテンションあがるわ。ちくしょー(笑)

こういうのがあるから、ネットは止められませんな。おほほ。
紹介記事とかも、確保して、まとめておくといいかな。
よし、メモっとこう。

さて、早めに寝ますか。

スウィング・ガールズ

別にキッズ・リターンと微妙な対を狙ったわけではなく。

面白そうだったので。
JAZZな映画です。

JAZZっていいな、なんか新しい感覚というか、
新境地を開ける感覚が少しだけ。

映画自体いいなーとは思わなかったので、うん?毒じゃあないっすけど。
JAZZはいいなーとは思いました。
って、それは映画がいいってことになるんだろうか。

とりあえず、なんか良かったことになります(おぃ

トムソーヤ風味で

トムソーヤの冒険だっけ。
記憶がごちゃごちゃ。
多分トムの話だ。

ペンキを塗れっておばさんからいわれて、
それが面倒だから、いかにこの仕事は面白いかをみせて、
皆にやらせて、苦痛な仕事を、友達の宝物をもらうレベルまでもっていったという話。
すげーよ、トム・・・。

そんなことを思い出した。
仕事はやはり、デフォルトはつまらないようだ。
だから、仕事に取り組む姿勢のみが決まる。
もっといえば、楽しい仕事なんて存在してない。
デフォルトがつまらないというのは、姿勢としてつまらなく取り組む人の方が
圧倒的多数だと思うからだけのこと。意外に違うかもしれませんががが。

もっともっと楽しむ事は可能。
そしてもっともっとつまらなくすることも可能。

最後ではなくても、今でも、やはり自分次第なんですわと。
またこの確認をして、明日もふんばるわけですが、
ツカサネットに記事載りましたっと。

1本目はまぐれちゃんだとしても、この2本目はまぐれではないと判断。
もっともっと面白い記事を書いてスキルあげてこう。
おそらく、お金以外に得るものが多いと思いますので。オホホ。

トップ10の道はまだまだじゃー。

ちなみに、今日は牛丼弁当。
うますぎ。酒を少々入れたのがまろやかさを出したかな。
もっと煮込んでも良かったけどね。

キッズ・リターン

初めてDVD借りて見たわ。多分。

そんな作品は、北野氏のキッズ・リターン。

最後の台詞がいいね。
まだまだこれからだって。

僕がぶつぶついう作品でもないかと思いますが、
こんな映画あったのかと。映画を見てないっぷりを披露しておきましょうか(笑)

3本借りてきたので、次は何かお楽しみに。
って、明日仕事速攻切り上げてみたいわ。

平日が楽しくなる良い傾向にある。うほほ。

カテゴリ新設

思い出したように、とはいささか不適切だけど、
DVDドライブを移動して、現役マシンと交換。ふむ。

PowerDVDが添付されてたので、早速インストール。
びびった。ついてないかとおもったよ・・・。よし。

フルスクリーンで見る。

うーむ。良い。良いね。

というわけで、音とか画像とかそういうのはあんま求めてないので、
作品を味わえればOKって意味で満足。

VHSはないんで、DVDに限られます。
なんかしばらくはまりそーな、DVD生活だ。
おそらく、ペースが一定になるところまで、がんばれと。

Geburtstag

ドイツ語だろうな。読めん。
劇団ちゃりんこ見てきました。
で、失礼かもしれんのですが、皆さん女性だったんですね。ぐは。

えっと、クラウス完全に男だと思ってた。
やっぱ視力が怪しいな。完全に顔が見えてないから、そこがダメなのか。

それはそうと、劇は良かったなあ。
久しぶりに動く演劇を見た。いや、ドラマリーディング続きだったので。

あ、ゲブーアツタークってタイトルか。書いてあるじゃん・・。(読めよ


小さな子も家族連れで来てたようです。
僕の右後方から、おじさんのいびきが聞こえてきましたが(笑)

確かにハッピーエンドでよいなーと思いますが、
個人的にはどうしようもない話、つまり村上龍的にいうと、穴に落ちて這い上がれない話に
なるようですが(笑)
そういう方が好きだったりします。
ということで、僕は自分が変だといわれると嬉しい人間です。
ただ、本当に変人扱いされて、お前と俺は話すことはできない!という差別を受ければ、
僕は穏やかなパンチを食らわせることでしょう(えぇ

強制収容所。つまりはナチのユダヤ人虐殺らへんのお話です。
だから小さい子がみても、分からんと思います。
そもそも、強制収容所って言葉を知っている、さらにナチが何をしたか、
さらには第二次世界大戦の背景とか、知らないと深みがないのかも。
といってる自分もそんな知らんのであれですが。

例えば、連合国(イギリスなど)のスパイなのかなー、
研究所の科学者がいましたが、役的には女性で女性ですが、
あの人はイギリスから何で来て、本国へドイツの爆弾研究の情報を送っていたかなんて、
考えなくてもいいんですが、妙に気になるところでもあります。
そうやって場面を切っていくと面白いですね。

個人的に、とくに背景を変えず(もちろん変わってるのですが)、テーブルと椅子、
そしてアンジェラとクラウスの部屋は変わらないので、
そうやって同じところを見ているとなんか、親近感湧きますね。おそらくそういう効果があるとにらむ。

で、戦場のピアニストを思い出しましたが、あの話って、ハッピーではなかったなあと。
とはいえ、この劇でも、アンジェラの両親は殺されているんで、ハッピーなのかどうかを
言われると「うむむ」とうなってしまうわけですが。

個人的には、ピートだったかな。背の高い男役。
あういう人は好きだなあ。役のほうね。

クラウスとアンジェラを見ると、そりゃ両方素敵なんですけど、といった上で、
宝塚じゃないですが、男役の方がかっこよく見えますね。
うーん、これは感覚的なものなんでキニセズ。

クラウスって、FFとかの主人公で出てきそう。関係ないな。

多分、また機会あれば、ちゃりんこって劇団名がいいと思うんで、
見にいきます。わーい。

再演だからか、当日1000円って安いね。うん。

斯波さんへ

コメント返そうと思ったら、文字数ではじかれました。
というわけで、こちらで。

どんどん悩んでくださいな。もちろん病的にやっちまったらアウトですが(笑)

*************

コメントはなんでも歓迎でございます。
ちなみに、名前はhirohiroです。hiroroっていうのも意外にいいですな(笑)

今、センター試験真っ最中みたいですが、
もう決まっているのはいいことですな。
大学は行くと。

夢がどういうものか、差しさわりがなければ、メール送ってもらえればそちらで対応しますよー。

僕は確かに起業が夢ということですね。
でも、誤解なきようにいうと、起業に対する想いも大分変わってますよ。
何が変わっているかというと、いわゆる「起業」すればそこで終わりみたいなイメージとか、すごく「生計をかける!」みたいなイメージ、まあリスクあるイメージですね、
そういうのが消えてますね。

伝わりにくいかもしれませんが、
起業なんて誰でも出来ます。30万くらいあれば、登記して「俺会社」なんて名前の会社作ればいいんです(笑)
でも、事業がなきゃ仕事にならんですよねえ。

だから、現実的には、仕事があって「会社」という箱を作るだけというのが、良いかなと。
例えば、英語が好きでその翻訳をする仕事をしていて、「有無、これはいけそうだ」といって、会社にして、「翻訳サービス」会社を作るとかですね。

そこで、質問の答えをいうと、
まあ不安ですよ。不安じゃない人は逆にいませんよ、励ましでもなんでもなく。

ある友人はこういいました(おぉ
「不安ってのはなくすもんじゃないんだ。
どう付き合うかが大事だよね」

よく人は「悩み」「不安」があって、
それが大きくなりすぎると、病気になったりしますから、
なんとか解消しようとします。
でも、解消って、全て0になるわけでも、消え去るものでもないんですねえ。
これをどう捉えるかはその人次第ですが、夢が叶うかどうかは、まあ分からんですよ。

でも、やってみないと始まらないとは、
宝くじを買わないとあたらない理論(笑)と同様ですね。

ちなみに、若い時は(僕も若いですが(笑))、とくに学生の時ですが。
別に斯波さんがそうだといいたいのではなく、視野が狭くなりがちです。
というか、若いからしょうがないんですわ。
ここはもう、ぐっと我慢というか、今考えられるベスト、ベターな選択肢で、やるしかないんですよ。

これって若いからというよりも、
大人になろうが、年寄りになろうが、
一緒ですよ。単に選択肢とかが多いかどうかの話。考えられることが多いかどうかの話。
逆にいえば、あほな大人はあほですよ(笑)

人生をかけていう心意気も分かります。
それぐらい夢にかける想いがあると、僕は受け取りますよ。
その意気込みの分、もしこれが自分のやりたいことじゃなかったら!と考えるわけですよね。

さらに深く考えると、
やりたい!という気持ちが、その違っていたらどうしようという不安!を
越えればいいと思うんです。

ということは?

これはダメかもしれないなと思いながらやると、その心が表れてしまうってことですね。いかんですね(笑)

といっても、そういう思いがない人もすごい単細胞か(失礼!)、何も考えない人か(おぉ)、うーんどうなんでしょうね。

とりあえず、僕は大学入る前に、
起業したいなんていうことはなかったですよ。

ただ心理学を学びたいというのは、結構適当でしたが、やっぱやりたかったみたいです。結果的であれ。

おかげで今は悩みない生活を送れてます(大嘘


転校生

メガチカの作品見てきました。おっと、正確にはオリザ氏の「転校生」を
メガチカがドラマリーディング化したといったほうがいいでしょう。

ネタバレあるんで、見にいってない人はスルーしといてください。

平田オリザという名前は何度も聞いたことがあるが、
初めて間接的だが触れた。非常に好感触。
メガチカの刈馬氏が最もオリザ氏の中で好きというコメントは、
にゃるほどと思わせる。

内容は、女子高生が21人出てきて、しゃべって、終わるというもの。
シンプルだが、会話が同時に行われていたり、会話が止んで、
1vs1という対話になるというリズムが心地よい気がする。
にしても、女子高生うるさいわ・・・(笑)

個人的には、
フナの解剖の話とか、というか転校生という作品が、
カフカの変身とかぶせてきていて、で、転校生という名前で、
風の又三郎ともかぶせてるかは分からないが・・・。
一杯のかけそばならぬ、一杯のさぬきうどんだったかなのトークは好きだ。

カニバリズムの話も出てくるのに、結構サクっとした感じが。
それは原作がそうなのか知らないけど、メガチカアレンジかもしれない。
くそ、原作見たい。

70分で、結構短く感じたが、コメントにもあるように、確かに濃い。
会話の量が多いというのもあるけど、それより、21人も初めて見た。
いや、河童塾という劇団で学生もの?は見たが、良い悪いというか、全然違うなあと。
やっぱ、メガチカいいっすわ・・。かなりツボだ。

にしてもいつも思うんですが、500円安すぎる。
今度、DVD買いますわ。いや、ホントに。
隠れファンってことでよろしく(笑)


あ、この間の、ワーニャ伯父さんでしたっけ。
伯父さん最高だったな・・・。あのなんていうんだろう。
うまく表現できないけど、みじめな感覚をあれほど出せるとは。
みじめというか、不条理みたいなところで。

ではまた来月いくかな。

チェックしたもの

いかん・・・日経まだたまっちょったわい。

こもれび氏のすすめ 三島ちゃんの「青の時代」

さらに、
日経の書評にもあり、
かつ、teddy氏のブログにもあった「クワイエットルームにようこそ」という本。
劇作家に引かれるぜ、このやろー(笑)

さらに日経の最後に、龍ちゃん発見。
というわけで、「半島を出よ」もチェック。まだ読んでないっすね。
というか、海辺のカフカも読んでない。春樹作品だけど、なんとなく思い出す。

もう1ネタ

日経のコラムっぽいので、ライフワークというのがあった。
印象深いのは、吉田さんという写真家が「とにかく気になって仕方がないもの」と
ライフワークについてコメントしているところ。

これはうまいと思った。そうだよ、それだよ。きたー、ですな。

おそらく、それを核にするようにもっていけば、良いなとにらむわけです。
というか、これ、ナンタメのネタになるなあ。うひょひょ。

新聞の良いところ

日経を読む。
ライブドアショックとか、個人的にはどうでもいいとか思ったりするんだけど、
いやはや、それで株買ってもうけるとか、市場が市場が!とか、
ライブドアの資産価値が下がったから云々とか、
提携?もしくは買収した、グループ会社から影響があるとか(ターボリナックスってあのLinuxのディストリビューションですが、買収されてたのね。いやん。なんとなく)、
また、政治筋の話で話題そらしのネタでもあったとか。

まあ、なんであれ、僕はホリエモンはそっと見守るべき対象にうつるわけなので、
どちらに転ぼうが、まあがんばれと偉そうにいっておこうと思う。
ま、いいや。

で、日経に「セレクト書店」なんて記事あり。
ガケ書房がのってた。きたね。これはきたよ。
主な客層に自分が当てはまらないことを誇り高く思ったりする。
えっと、僕はヒッピー風ですかね。おほほ。
で、他にも神戸の家具や暮らしテーマのセレクトショップがあるそうな。
にしてもガケ書房また行きたくなったなあ。京都に行く用がないのが悲しい。
まあ、それも一興。

この記事読んでて、また本屋熱が復活。
というか、常時あるんですが、刺激となるというか。
幣HPにもブログバックナンバーとしてまとめてたりするんですが、
これ再整理しておきたいなあと。
多分、自分と同じ、物好きがいるとにらむ。

セレクトショップの「収支」は非常に怪しいとにらんでいるが、
まあそこは自分の腕の見せ所なのさ。

TODOに追加しとこ。

スキン変更

ちょっと気分を変えて。
あと、上のメッセージも変えてみました。ふむ。

で、生い立ちなんて久しぶりに見てみました。
2006.4にはこうあります。
「勤め人を1年振り返る。
この時点で週末起業程度のことはしている。
ネットビジネスか、それとも。」

え。
うーんと、あと3ヶ月もないっすね。
ああ、今やってるツカサ記事投稿って起業でもないが、副業でもなく、
良い線いってる。趣味というか、学びの延長で良い。
これをもうちょっとアレンジできるようなものをすれば、
多分週末起業といっても、多分僕の中ではOKだ。

というわけで、本読み開始。

ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を

エッセイの文庫化。
ダチが買ったとかいって、すぐにチェックしたおそらくこれと思われる本(笑)

非常に面白かった。ヴィレッジ・ヴァンガードという本屋を通して本屋というものが
やはり、単に本を売るというものではないということを証明しているかのように感じた。

まずじゃぶっとしてみまして、POPの話が文章に活かせそうだなと。
VVには、POPがあるから「遊べる」本屋といってるくらい、まあ雑貨も面白いですが、
特徴的ですね。最も同じPOP見るのはつまらんですが(おぉ
あるテーマを掲げて書けばPOPになりそうですね。

VVといえば、常に旅コーナーに、小田実「何でも見てやろう」文庫があるのが、
すごく好きですね。あの本、客注したら絶版って言われた気が。
まあ、でもゲットできたから印象深いんですわ。VVでね。

次は、お悩み相談の話でも。
本屋をやりたいという話があって、そこで面白い話が。
技術的にいい本屋というのは、売れない本を並べればいいということが書かれていて、あーそれはそうかもしれないと思った次第です。
いわゆるここには、好きなことをどう仕事にするかみたいな深遠なテーマがあると、僕は思ったわけですし、おそらく著者もそうだからこそ「深遠」といってると推測。

本屋をやりたいのに、理由がない人はいないでしょう。
というくらい、おそらく僕は本屋とはマイナーであるような気がします。
ビジネス的にいって、どうも食える仕事ではないようです。
という意味で、本が好きとか、その本を広めたいとか、本屋の空間とか、
まあ色々ありそーですが、そういう熱き想いが強い人が多そうです。
多そうですというのは、生き残る人々はやはりそういう人が結果的であれメッセージを発するのですしね。

p.314に、オーナーの悩みとして、子どもが店をついでくれないみたいな話があります。
そこに出てくる本屋はとても暖かい感じで、おばあさん、いや妙齢の女性が楽しくお客さんと2,3会話していくような本屋とあります。
つまり、小さな本屋だってことですね。そういわれれば自分のアジトの近くにもそういう本屋まだあるなあ。でも、最近いってないや・・

それで、店を多くだすべきかどうかみたいなことを考えるとですね、
どちらも一興だなと思うわけです。面白みを感じるところは「本屋」であっても、
多く出店していくところに面白いと思う人もいれば、そうではない人もいるわけです。
個人的に、一つの店をやり続けるってのも面白いなと思えたので良い気づきですわ。

それは視聴率は安定している番組で、根強いファンがいるとか、
ある分野で興味を持つとそこにたどり着くようなルートとか(自転車の専門店、アサヒとかはチェーンでしょうか、って意外に少ないんですねえ。プロショップだからプロも御用達なんでしょうかね。興味持つと多分少ないからすぐそっちにいける。が、敷居高いんだろうなあ)、 後は、地域にある店で顔役で、いわゆる人々がその店を作っている感が、逆に店が人々を作る感がある、そういう店があるとか。
あ、これってコミュニティと同じですね。決してどちらかではなく、両方ってのがお味噌でございますね。参加者はコミュニティに参加するだけではなく作る。作ったコミュニティから参加者は作られると。うむうむ。

本を売りたいなと思ったりします。
ただそれをどう売るかが見えてきませんね。自分の中で。
まあ、それはいずれ。

それよりも、PRする力と実際の物の質という関係を考えると、
器用に、5しかない質を5以上PRするほうがおそらく「うまく」いくんだろうなとは思います。
10あっても、1しかPRできない人を不器用というかもしれません。
ただ、これを前者が器用だから良いと思い込むのはアウトかなと。
なんでか?
前者は、分かりやすいがために、ノイズ!も取り込む恐れもあります。

これは、前話してた、メルマガを多くの人に読んでもらうには、がんがんPRしていくっていう話と重なりそうです。
ノイズ歓迎で、部数を伸ばすか、ノイズはいらんから、部数の伸びは期待しない。

ビジネスでやってると、部数は即その雑誌そのものが消えるかどうかに反映されるので、
滅茶苦茶重要なんでしょうが、僕のメルマガに限っては、自分が発するメリットというか、
学びがあるのでそこでリターンがもらえたりします。自己満足素晴らしい。

言ってることが、分からないのは土俵に上がれませんが、
かといって分かりやすすぎるのも、土俵が大きすぎるかもしれません。
といっても、おそらく土俵を大きくした方が、仲間が増える可能性が高いですね。
いわゆる視野の問題で、広いか狭いかになりそうです。

ここらへんは面白いところです。
例えば、アフィリエイトで月数万そんなに「苦労」しなくても稼いでも、そんなお金要らないとい 人もいるようです。
ここからいえるのは、お金の量ではなくて、どう稼いだかが重要ということですね。
そういうところからいうと、コミュニティは人数の多さよりも、その質であり、メルマガもブログもやはり質だなあと思います。
世に知られているかどうかは、Visit数などの数値は一つに過ぎないと思います。
影響力を与えることのできそうなアルファブログはすごいとは思いますが、それもおそらく多くのブログの中で1つだととらえています。多分そうでしょう。

もちろん多く訪れるブログやサイトが悪いわけではないです、もちろん。
ただ影響力を与えるということは、皮肉をいえば、与えられやすい人が多い可能性もあるわけです。
おそらくこればっかりは量と質の話になり、結論はないのでスルーで終わりですかね。

締めておくと、
確かに色々な人にみてもらったほうが「可能性」は高くなる気がしますが、
かといって、誰もが多くの人にみてらもいたいんだわん!なんていう想いを持っているかといえば、
多分違いますね。
方向性の問題でしょうか。方針とかの。

そこまでつっこんでいくと、一つ一つのブログ、メルマガがとても生々しく
対話している感じになりますな、奥様。

というわけで、本屋好きには必読ってことで。


ヴィレッジ・ヴァンガードで休日をヴィレッジ・ヴァンガードで休日を
菊地 敬一

新風舎 2005-12
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さらに考えてみて

つまり、それを考えるということは、客観視も主観的も、
別の人の立場にも、サッカーで言えばフィールドの上から眺めているような、
そういうことができるっていえそうだ。

余裕があるってことだ。

だから?
そう。それは軽くではなくても、乗り越えられるってことになる。
つまりキャパは上がったという証明だ。おめでとう自分、ありがとう己だ。

理屈ではなくても感情でも、自分はこう思ったからこうしたというのが
あれば、なかったらまずいが、あればそれはそれで後から反省できる。

余裕があれば、反省でき、さらに前へ進める。いけるぞ、とささやきが心から聞こえてくる。
そう、次へいけるってことだ。もっともっと上へいける。

はあ、あなたってその程度の人間でしたか、と口が裂けても言わないが、
そう思ってしまうことはある。その程度の人間が悪いわけではなく、
そう思い込んだ、期待値が高すぎたってことに結果的にはなるが、
自分の眼力がなかっただけだろう。

直属の上司がいった。
やりたいようにやれ、何か言われるかもしれんが、責任は俺が持つと。
かっこよすぎる。やばい。
なんでこの人がここに、つまり勤め先の会社なわけだが、いるか考えているが、
さっぱり分からない。何がここに踏みとどまらせているのか。
推測では、こうだ。恐らく大きな流れを作ろうとしている、それが感じられるというか、
そうじゃないといる意味がない。そんな愚かな人間ではない・・・。

そう感じたのは、3ヶ月か半年かくらいだ。

そこらへんからおそらく劇的に僕の思考は変わっていない。
コアなんてもう全然変わってないはず。僕のね。

最近は学びの対象はこの人で、逆にいえば、いわゆる
キーパーソンとはこの人だと断言できる。
別にこの人、以外にも上司はいるけど、魅力的じゃないんだ・・・。

その違いは何か。
なんだろうなあ。そこを考えると1冊くらい本書けるかもしれん。
書く気にならん。全部愚痴になりそうだ(笑)

まあ、ぶっちゃけていえば、会社のことなんて小さすぎることで、
どうでもいい。それくらいな感じになりつつある。
首になっても、大丈夫なくらいにしておけばいいだけの話。
それができないなら、それまでと自分でキリをつけてみたい。
果たせるか。どこまでいけるかはやってみなきゃわからんぜと、いってみよう。そう自分に。

小さすぎる会社の日常で、まあ仕事は小さくはないわけで。
でもやはり、東証のシステムパニくったとかいっても、それはやはり小さいかもしれない。
航空システムがバグっても、それもやはり小さいかもしれない。
言葉が違うか。小さいというか。。。相対的にそうなるってことか。
自分のやりたいことのウェイトが大きくなるように生きるまでだ。
別にやりたくないことをやらないってわけじゃない。これは素晴らしい言葉だと思ったり。

乗り越えられるならば、それは小さな問題となる。
普通は乗り越えられないから問題が大きな問題とうつる。

っていうことを考えた上で今の視点は、すでに会社にない。
この視点の変化、会社に慣れたという以上のもの、が僕には嬉しい。

今、同世代の人間が何を考えているかに興味がある。
会社とかそういう枠をこえて色々な人と会っていきたいとすら思っている。

今後の社会をどのようにとらえ、今をどう感じているか。
別に社会を変えたり、何か大きな波を作りたいと必ずしも思わないが、
まあやれればいいだろうが、今押さえておくべきはそれかなと。
何かを変え、何かをし、何かを思い、何かを考えている人が、人だけしか、
やはり土俵に立てないんだと。

土俵に立つには、礼儀がいるかもしれない。
屈辱的なことも、苦しいこともあるかもしれない。
でも、キミならできるはずだ。いけるぞと、そんなお前はチンケなやつだったかと。
そう思ったらすでに勝ちだ。勝敗の勝ちの意味はない。
その場を乗り越えたという意味の「勝ち」だ。
そういうゲームに勝ったんだということだ。

で、いい加減おやすみぷう。

どこを目指すか

その言葉にどれほど考えなければどれほど「つまらない」かと思うから、
徹底的に考えるクセがついてしまった。別に自慢じゃない。
考える人を嫌う人もいるこの世の中。やさしさだけじゃ生きていけないとかいう世の中。
厳しさを知っている人が強いのか、多分違うだろうという感じだ。

何気ない一言が僕を傷つける、というよりは、何気なく使ってそれを一度ではなく
何度でも使う。おそらく、その言葉その人自身が発すると考えて良く、
その人の考えであり、その人自身だと思っていいと思う。それくらい人は言葉を選んでいる。
選んでなくても、逆にいって、言葉は人を選んでいるといってもいい。

ぬるいわ。
レベルの低さにびびる。ふっ、その年でその話で、そのレベルか。
年齢の差は僕はほとんど感じたことがない。いや、つまりこういうことだ。
コアがない人間はこっちもつっこめないし、相手もつっこめない。
コアがあれば、別につまらんということはまず思わない。
紳士は、そこをうまく読み取るんだろうか。まあそれはどうでもいい。
年齢は僕は関係ないというルールがあるので、このルールに従いたくない人は大勢いそうだが、
それも無視してマイルールを適用する。そうだ、これは自己中でいいと思うくらいの勢いで。

年上にはそれ相応に、年下にそれ以上にというのが
僕の基本方針になる。というか、多分そうなる。
おそらく、年上にはそれなりにというのがポイントだ。おそらく怒る人がいるから。
年下に馬鹿にされることに非常に怒りを覚える人もいるそうだ。

別にこれは全く関係ないが、
僕はどうも、「年齢」とか「地位」とかがすごく嫌いなようだ。いやそれ自体はいいんだ。
それに付随するものか。
上司に挨拶もできないのは確かに問題だが、それは上司だからではなくて、
人に挨拶できないのが問題だと思う。
という意味で自分で考えると、キライな人間に挨拶しなくても良いとすら思える。
で、そこまでいった上で、じゃあ本当にそれでいいかと思うと、
おそらく「無駄な戦争」をするだけだと。こっちが大人になればいいだけのことだ。
そう、挨拶をする。たったそれだけのことだ。

ただこれを恐ろしいことでもある。
意味がないとか、意味があるとか、どういうことかとか。そういうのも考えることはほっておいて、
そういう風になっているからといってやることに慣れていく。
非常にイミシンなところだろう。
何でこうするのか分からない。おそらく、追及していけば明確に何かを述べられる人は、
そんなにこの日本にはいない・・・。
理屈で誰かを攻撃するというのもつまらないし、そんなことで愉快♪になってる人もまたアレだ。
僕は誰かを攻撃したことは何度もあるだろうが、別に悪意はない。(えー
それよりも、この人はなんでこう考えるのか、そして「ああ、またきたよ」とか思ってしまう。
そう、短い人生だが、ある程度のパターンにはまる人間が多すぎる。
裏切ってくれ、そして考えられない方向に動いてくれ。

でも、それはレベルが低い方向にじゃない。

レベルが低いって何か?
そう、考えが足りぬ発言よ。そう、考えが深くない発言よ。
お前は何がしたいのか、なんでそんなことをいうのか。分からぬ人間よ。
つまらぬ人間よ。

まあ、なんとでもいいってもいい。相手は何も変わらぬ。というか
変わって欲しいとは思わない。もう無理だ。そのまま生きてくれ。

鳥は鳥かごを選ぶという。優れた軍師は良き君主を選ぶという。
そして、人は住む場所を選ぶという。そしておそらく働く場所も選ぶのだろう。

僕も働く場所を選ぶ。そして師事したい人も選ぶ。
さらに、やりたいこともやる。そして真っ当に、そして自分に嘘をつかず生きる。
嘘をついて、働く場所を選ばず、師事したい人にもいけないのなら、
僕はそんなのは人生じゃないと思うので。

というわけで、風邪気味の体にビールはきついっす。ぐう。

風邪だ!

風邪だ。眠い。だるい。腹減った。
新しいSNSにこっそり登録。こちらにも駄文を献上差し上げる。
使い分けるつもりは毛頭ない。
何が?
それはブログによって自分をカメレオンみたいに変えるってことがさ。

自分のコアは一つ。
性格は50個くらいで、いい感じさ。

とりあえず、今日のジョブは終わり。
おやすみんみんっと。

プログラマから見る東証

思いついたんで。

要約するほど中身ないんですが、
実際にプログラマから見ると、あーあんな物騒な現場じゃなくて良かったと思う反面、
一応というか、絶対に、お客さんが使うシステム作ってるわけで。
ってことは、なんかバグとかエラーがあると、そいつが業務にダメージを与えるとか、
そういう可能性が「ない」わけじゃないってのが全然人事(ひとごと)じゃないなと。

でも、例えばですけど、変数の型をオーバーしたとか、許容量超えたとか、
そういうのは、結構基礎的な話で、そりゃね、慣れってのはあるんでしょうが、
僕なんてなんちゃってプログラマなんで、アルゴリズムのアルも、アも知らないわけです。
自分と同じくらいの成長率を持つ人間が、年数重ねてたら絶対勝てないんですわ。
勝とうと思うことが間違っているってのはなしで。

純粋にプログラマってのは、面白いんですけどね。
今まで学んできたことは全然役に立たないとは微塵にも思いいませんが、
なんていうんですかねー。
インプットしたものをうまくアウトプットできてない感じがややする。やや、ですな。
全くその通りってわけでもないってことです。やや、する。
そして、それに加えて誰も僕の道を考えてくれるわけじゃないので(当たり前ですが)、
後は自分のアレンジと、オリジナルだけなんですわ。
まあ、それがなきゃだめだってのもありますけど・・・。んー違うな。

実際に今、過ごす毎日の中で、微々たるものでも、少しでも、そう1mmでもいいから、
自分の歩みたい方向へ進む。それが結果に結びつくのであると、そう思うしかないし、
そうやって良い意味で「夢を見ない」と人生なんてくそつまらんなと。

そうやって考えていくと、もっともっと自分は色々なことができそうな気がするわけです。

そういう意味でやはり、なんちゃってプログラマの領域を抜けられませんな。
で、変なことをいうと、多分僕はこれでいいのだと思うんですが、
別に無理に「仕事で」プログラミングを身につけなくてもいいなーと。
そりゃシステム開発とか現場でやりたい人はそれでいいですけどね。

独学なんてものもありますし、もちろんそれは偏りが出来ちゃうのですが、
仮にですよ、ある人がシステム作ってくれっていってきて、じゃあ作るよ、出来た、
さあどう?っていえればいいわけですわ。
非常にシンプルです。仕事も同じですね。望む以上の結果を出せば喜ぶ。

それが難しいのさ、というのは承知のがってんのすけ、でございますが、
良い意味で「仕事を通して」というのにこだわらない方がいいなーと。
視野が狭くなりますね。仕事以外でもプログラミングはできますし、
ネットは優良なコミュニティもありますし、人に聞くというのもありますし、
なんなら自分でプログラミングを勉強するコミュニティを作るのもいいわけです。
そうなんです。色々あると。それを常に頭に入れないとすぐテンパりますね。
キャパってのは、そういうところで身につくんでしょうな。

例えば、100が自分の限界で、120やってたら120が100にはなりますが、
会社(という他人)が自分のことを面倒みてくれるわけがない(と思っておいた方が無難でしょう。別に人を信じるなとはいいませんが。)ので、
120が100になったら「よしよし、成長したな。感謝しな」というかいわないかは
分かりませんが、そしてまた120のものをきっちりくれることでしょう。

そこで成長していくことに生きがいを感じるのもありですし、一興です。
ただ、どんな環境にいようが、自分の棚卸、いわゆる客観的見直しが必要なのは言うまでもないでしょう。どんな環境であれ!

そういう120でキャパを広げることは想像しやすいし、おそらくそうやって広げるのが無難ですが、
ただ問題は、キャパを広げてどうするかということでしょうか。
例えば、あまり仕事せず暮らして生きたいという人は、120なんてうざったくて、
100でも面倒。80でいいやと。そうすると、常に80になるんでしょうね。
でも、その人にとってはそれで幸せなら、仮にも他人ならば、口出しは出来ません。
というか、しない。

衝動的に動く人間はすごく好きですが、飽きっぽい人は嫌いですね。
飽きっぽいというのは、結局「コア」がないわけです。ヨーグルトでも、地球の熱い部分じゃないっす。
思考としては、飽きたから別のことをやる、というわけでしょうが、
順序が逆で、やりたいことがあるから、今のは飽きたんだろうということです。

何を言われるかと?
そんなのどっちでも同じじゃないかと?いいや、これが違うんですわ。順序を大切に。

キャパを広げるには、その環境を自分で構築せねばならんですね。
そして、キャパを狭めるにも同様に自分で環境を構築しなきゃいけんですね。
どちらにしろ、自分で構築しなきゃ、おそらくそれはアウトですね。
コントロールできない人間は・・・ダメ人間かもしれませんが、別にいいんです。
それでよければ。

あきらめないでください(え

自分ほど意志が弱い人間もいませんし、自分ほど弱い人間もいません。
下には下がいるんですわ。不思議なことに。
逆に上を見たらキリがない。
だからこそ、キリがないのをうまく可能性と夢と・・・に昇華させて、
日々を楽しむわけです。

やや、語り口調と思想と独断が混じっていますが、
何をしたいかってのはやはり常に問うべきでしょうね。

で、ふっとんだんですが、
個人的にはあまりコンピューターに頼らない生活の方がいいですね。
頼る?
言い方が悪いですね。
コンピューター自体は悪くないんですわ。ホントに。
で、バグがプログラムを組めば必ず出ちゃうんですけど(何をバグとするかという話もできますしね)、
それってもう100%防げないんですわ。東証のシステムでもね。

ならば、どうするか?
バグが少ない・・・限りなく0を目指すという意味で、という思想もあり、
また、致命的なものを避ける・・・取引停止とか、顧客に直接被害が出ないようにするとかね。
二重チェックするとかね。いやーそんなことしても、エラーチェック自体がバグってたらアウトでしょうけどね。

そういう点からみると、結構同情します。
末端でやってるのは、コーダーかプログラマでしょう。

で、たまに、バグ仕込んでシステムぶっ壊してみたいなーという
妄想に狩られますが、まだ実施したことはありません(まだ?

っていうか、冗談ですわ。冗談分からんやつはブログ見るな!書くな!

久しぶりに燃えたぜ!
やっぱ風呂いいぜ!

AWAYで戦う

そりゃHOMEがなきゃ、AWAYはない。
あんたのHOMEはどこだい?え、俺の家は、ここだって?

ふっ。そんな意味じゃないのさ。修行が足りんな!

なんかノドが乾きまくる。風邪っぽい。
だからさっさと寝ます。いえい。

今週末はチーム放浪の再結成パーティーです。
え、何だそれって?
そりゃ、ダチと会って話す、ただそれだけですわ。

最後の朋友ってやつですかね(笑)

時代はナンバー2というより、ナンバー2が良い人とそうじゃない人と、
ナンバー云々という順位を求めない人と、色々からいいんじゃないかなーと。
ちょっと離して意見を垂れてみる(おぃ

笑顔で怒る。
静かに騒ぐ。
焦らず急ぐ。
寝て、さらに寝る。

相反するようなことも組み合わせると素敵な考えになるーってやつですな。

で、AWAYかHOMEかって話はどっかいきましたな。
最近見つけたメルマガがなかなかよい。

やっぱ文章はセンスなんだなーと思う。
ちなみに、僕は文章のセンスがあるとは1mmも思ってませんが、
センスを持ちたいと思い、そして文章が好きで、こいつで何か出来ればいいとは思ってます。
そして、文章書きたくない人を洗脳して、文章好きにしてやろうとすら思うこともあります。

1mmも思ってないってことは、1ミクロンは思っているってことかもしれない。
人の発言は常に疑え!そして、人を見たら泥棒だと思え!
この狼の皮をかぶった人間め!あ、これ違う!これじゃ見た目が狼だ!

自己時間管理シート

メルマガにも書いちゃいましたが、そんなものが最近のマイブームなりけり。

これをつけることで、効率化を図るというより(時間のね)、
何をしているかという、ライフログを目指すというのが大きな狙いかも。
まあ、そんなことをやるかどうかも不明ですが。

とにかく、自分の仕事をきっちりやって、結果を出すことが大事かなと思うわけです。
「仕事」と聞いて、色々思い浮かべる方々がいると思いますが、
シンプルにいきまっしょい。

つまらんか、面白いか。
あとは、ふんばれる(とどまれる、我慢できる)かどうかも大事ですな。

アクセス解析みたいに、自己時間解析をするってのが狙いです。
うひょひょ。

エコな足跡の大きさは?

エコロジカル・フットプリントという言葉をご存知だろうか。

意味としては、人間が自然を踏みつけた足跡という意味らしい。
人類が地球の資源などをどれほど使っているかという一種の指標となる。

NPO法人に「エコロジカル・フットプリント・ジャパン」というのがある。
http://www.ecofoot.jp/
ここに詳しい説明はあるが、まだこの指標自体は完成されたものとはいえないようだ。
それは、面積といってもどうやって測るかが明確ではなく、研究論文などを追えば
ある程度は分かるかもしれない。現在、開発中の指標という認識で間違いないだろう。
最も、大まかに分かればよいという意味ならば、これで十分かもしれない。

さて、この指標で、日本人は地球の資源を世界平均より一杯使っているから、
今後の社会を考えろ!といわれると、これは慎重に考える必要がある。

確かに先進国は軽くエコロジカルフットプリントを1.8ha/人という数値を超えるだろう。
だからといって今ある生活をすぐに改められるとは思わない。
持続可能な社会という言葉は、おそらく経済成長の限界を前提に、
持続していくことが可能なレベルに生活水準を落とすということを意味するだろう。
そう簡単に落とせるのかとは、常に問わなければならない。
決して先進国万歳などと言いたいわけでも、生活水準を落とす気がないわけでもない。

ただ、生活水準を落とすといっても色々あるわけで、環境への負荷を考えれば、
環境にやさしいものを多少高くても買うとか、
フェアトレードのものを買って少しでもバランスとを保つとか、
そういう考え方は一人一人違っててよくて、節水をするとか・・・
もうたくさんできることはあるわけだ。
だから、「生活水準を落とす」=「不幸せ」でもない。
このあたりは、読者諸賢にもよくよく考えてもらいたいところだ。

科学技術が発達すれば、確かに人々はその分豊かになれると思いがちだ。
ただ、現在日本社会にはニートが社会現象化しているように、
経済的豊かさが必ずしも精神的豊かさをもたらさないようだ。決して皮肉ではない。
結果はそうなっている。高度経済成長が生み出したものといえば、怒る人もいるだろうが。
もちろん、ニートが必ず精神的豊かさがないとは言い切れない。


井戸をつるべを使わずに組むおじいさんがいて
(井戸にひも付きバケツをなげてそれを手であげているということ)
それをある人は、「なぜつるべを使わないの?そっちのが楽じゃない?」と言った。
おじいさんが言うには、それをしたらキリがないといったそうな。
確かこんな話だったと思う。春秋時代の古典の話らしい。

現代は、ITが普及して、実際に労働時間などが減るかというと、そうはならないようだ。
ITで時間が短縮できた分、さらに次へいく。
これは競争であって、気が抜いたら負ける。それがビジネスの世界であるが、
ビジネスのスピードは加速し、誰も気を緩めることはできない。

決して、つるべがあれば満足することはない。
次のつるべはどこかと探すだろう。それが人間というものか。
この話は、人間の欲求や、満足という点と深く関わっている。
しかし、満足のために、というのはあらゆる行動のキッカケとなっても、
だからといって何をしてもいいわけではない。


エコロジカル・フットプリントに話を戻そう。
自然の回復力以上に踏みつければ自然は回復が遅れ、しまいには回復できなくなる。
こういう話には人々の小さな意識が重要と言うのがつき物だが、
幸か不幸か、もうあまり悠長なことはいってられないようだ。

自分の住んだ社会が、次の世代にも快適に暮らせるように、
知恵を絞り、考えていかねばならない。
考えた結果、何かトライした結果、持続可能な社会は無理でした、というなら
素直に諦めるだろう。ただ何もトライせず、考えずして諦めるのは少々早すぎる。

明日、明後日に地球が滅びるということはない。
ただ、5年、10年、そしてもっと長期になると何が起こるかわからない。
エコロジカル・フットプリントみたいな分かりやすい指標をあくまで、手段として、
キッカケとして、今後の地球・社会のために利用するのが良いのではないだろうか。

早速、僕は「この記事」を用意してみた。
それも地球を考える行動に人々を少しでも向ける一つとなる。
と、考えると色々な行動が、楽しくなってくるんじゃないかと思う。



自然を踏みつけた人は最後には自分の首を絞められるだろう。
そんなことも考えずに踏みつける人はきっと滅びてしまうだろう。

ああ、滅びてしまえ!滅びるがいいさ!うはは!

仕事メモ

プライドやこだわりをもってやれば仕事は必ず面白くなる。
逆にそれはないとつまらん。
単なる消化する仕事。それが作業だ。

でも、ここで一ひねり加える。

自分の仕事とは何か。
そう、自分の仕事は本業と副業ではない。
自分の仕事とは・・・そうライフワークというべきものだ。
そのライフワークは、自分がやるべきと思った行為全てをいうのだ。

そう考えるとぐっと「仕事」が身近になる。
仕事って、全然狭くないって。そう語りかけてくれるわけだ。

小売店の思想

レイアウト(商品の見せ方)と販売(商品を売る)は別のものらしい。
別というか、別の力というか。

ま、それはともかく。

まず、商品をよりよく見せるということで、
例えばそれは、ダンボールの箱という無機質なものに、加工を加えて、
中が外から見えるようにする。そうすれば即席棚の出来上がり。
もちろん、客はその棚から取らないかもしれない。あくまでも在庫的役割だから。
しかし、見た目はぐっと良くなる。その効果か、商品がよりよく見える。
これは見た目の問題だ。
最も箱を加工するには手間もかかる。だからどさっとおいてどさっと売った方が
回転率から、もろもろをふくめて「効率的」かもしれない。
さあ、そこをどう見切るかは、店長の腕の見せ所・・・。

積み方を変えてみる。
ボリュームを多く見せて、いわゆるプチドンキを目指す(笑)
圧縮陳列せずとも、本屋の平積みのように、圧倒する効果はある。
ただ平積みで圧倒するとベストセラーっぽくなって、受け付けない人もいるようだ(あ、僕です)
それはともかく、積み方を変えることで、キレイに見せることはできる。
スーパーで缶詰を塔みたいにしているのは・・・あんま見ないけど、あういうのとか。
ワゴンみたいなのに乗せて特価ワゴンとかやるのはスーパーらしいし。

店の雰囲気とは店のきれいさがまずある。
キレイな店とは客も店員も気持ちが良い。
マクドナルドで、ポテトが床に散乱していると閉口する。
いや、マクドナルドならいいだろう。例えばちょっとお金を出したなと思える店で、
そういう汚さがあると、もう次はないだろう。それが現実だ。

活気というのもある。店員の受け答えが良い。笑顔だ。
声が通る。動きが良い。いわゆるキビキビ動くというものだ。
挨拶がしっかりしている。対応が良いとか。
レシートを要求したら嫌がる店には行きたくないものだ(レシートを要求するなって?
いや、家計管理の必需品でござい)

店の雰囲気つくりは見えないところの、いわゆる黒子的だ。
そういう意味でそういう店は大切で、おそらく「地域の店」となるのだろう。
客が店を作り、店が客を作る。それこそ、社会のあり方で心地よい。

組み合わせというのもある。
売り上げを伸ばすには、単純に価格が高いものを売ればいいが、
そうは売れないだろう。最も売り方を工夫する必要はる。
粗利が高い商品と粗利が低いものを組み合わせて、セットで買ってもらうように仕掛ける。
成功すれば、おそらく粗利の個別に売るより効果的だ。
売れない商品を売るのもこれが使えるかもしれない。

近況報告も大切だ。お客との会話だ。
お客は神様ではなく人間だ。愛をもって接しよう(笑)
近況報告という意味では、ニュースレターみたいなのをやるといいかも。
最も小売店でも何を扱っているかによるんだろうけど。

年賀状も一種のニュースレターだねえ・・。

で、これらをITEBに還元。
まず、サイト自体活気があるとは、ブログ投稿数が多い、つまり更新が頻繁。
コメントが多い。訪れる人が多い。毎回内容が新鮮とか。
そういうことを意味する。
そういうサイトには人は来やすいし、人も寄ってくる。

商品をよりよく見せる。
それはITEBのコンテンツをよりよく見せるということになる。
あらゆる企画、ブログ記事もそうだ。
記事1つとっても、コメントがあればそれは面白い記事ではないかということになる。
他には企画の進行状況や今やっていることのお知らせ。
それは適宜やり始めたのでオールOKだ。

組み合わせ。
組み合わせという意味では、面白い記事もつまらない記事もある。
結果は読者が決めるもんだ。自分の評価は面白くてもつまらんといわれることはある。
それはそれでいいと思う。決して自己にこもるのではなく、そこをあえて出していく。
外部へ。という姿勢こそが次につながるのさ。

というわけで、コアな思想を考えて咀嚼するとこうなるという一例を。
こういうのをみて、考えるの面白いねーっていう人増えないのかなあ。
まあ、酷な要求なんでしょうかねえ、奥さん。

自分の仕事をしよう

自己啓発とは自己を自己で啓発することである。
よって、世の中にある「自己啓発」というジャンルの本は、
自己啓発ではない。

なーんて思うわけです。
そもそも自分を自分で啓発できる人間が自己啓発本なんて
読まないっすね。最近さっぱり読まなくなりましたね。
ビジネス本との境目がかなりあいまいですが、
ナポレオンヒルは自己啓発でOK。
こうすれば出来る営業になる!というなのは、どうも真ん中くらいな気が。

自己啓発でもないし、かといってビジネスマンがそれ読んで勉強するってのは、
おっと、ビジネス書を愛する人には悪いですが、薄いと思います。
ということをいってる僕がおすすめするのは、例えば、
歴史物。とくに三国志とか。いや漫画でしか読んでないので、あまり強くはいえませんが。

軍師の戦略、君主の思想、誇り高き武人。
それらの人物が面白く、それって結局ありとあらゆるものにつながると。
そう思ってます。かといってビジネス本が役に立たないとはいってないので。うひょひょ。

で、自分の仕事って何かというと、家でやる仕事のことです。

こう発することで、いやあメリハリつきますね。
これがプライベートと仕事の両立の多分、今のところ究極のメリハリのつけ方ですわ。
こうすれば、ホント毎日結構楽しくいけそうです。

その思想?考えは、週末起業のそれに似ていますが、
例えば、会社の仕事でミスっても自分の仕事で挽回すれば、
おそらく自分にとってプラスになる気がします。
おっと、もちろん会社の仕事を適当にやれとか、会社の仕事は学びにならんという
わけじゃないですわ。
で、自分の仕事がうまくいかないときは、会社の仕事をがっつりやると。
そうすると、また自分の仕事に・・・。

素晴らしい。
というわけで、日々是精進でございます。
オホホ。
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