ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2005年11月

TODO管理ツール改善

あ、メモです。キニセズ。
っていうか、このブログ自体がメモ。
メモを盗み読みするなあ(おぃ

http://jeanne.wankuma.com/tips/form/20-topmost.html

VB.NETでフォームを最前面表示する方法。

これで、TODO管理ツールを最前面にすることが可能になった。

にしても、C#はさ、言語だから、TopMostって分かるんだけど、
VB.NETがTopMostなんてつけていいのかねえ。
いやあ、ダメっていうか・・。
.NETという共通フレームワークって、フレームワーク自体に共通って概念があるだろうから、
文中の中みたいになってしまった。くそ。

VB.NETって、VBじゃないっすね。なんか。別にいいんですが。

あと、VBサイトって減ったんですかね。かわいそーに。
VB自体、VB6以前の遺産的サイトが、今はあるんですなあ。

うーん、前から思ってたんだけど、VB.NETでもなんでも、
プログラミングで、ツール作って、自作ソフトとして公開している人って
結構いるけど、実際にそういう人にあったことがないのは、
キノセイでしょうか?なんでだろうね。まあいいかっていう問題じゃなくて、
めちゃくちゃ気になるけど。

で、サンプル的なものとか、どうでもよくて、
初心者プログラマーとかそういうのもどうでもよくて(あ、自分が初心者か!)
楽しんでやっていって、定期的に創り続けていく、
例えばゲームとかでもいいんだけど、そういうサイトっていうか、
発信源はあんまないねえ。

それやってる人は、仕事か、プロか、それに近いアマチュアか、
面白い個人か・・・くらいしかいなくて。

やっぱ面白い個人目指すか。

プログラミングで、表現するってことを最近一つの表現手段だと思いました。

お疲れちゃん。

ニート

今最も熱い言葉。
いや、変な意味じゃなくて。

最近、22時からやってるlockなレディオがイカシてる。
東京FMが全国配信しているわけだけど。

昨日、ニートの話がでてきて、実際にニートだという人と電話で話してて
ほう、なるほどとか思いつつ。

キャパとか、視点とか、狭いのは当たり前なのかもしれん。えらそーだけど。

ニートという言葉でひとくくりにしないほうがいいとかいう
リスナーの意見もあり。納得。
ニートじゃないのにニートとかいう人もいて(あ、僕ですか。すいません)、
フリーターなのに、ニートとか思う人もいるんだろうな。
ニートって、マジでなんもしてない人だよ。正確に把握しとこう。

まあ、正確に把握したからって何も起きないんだけどね。
ニートだと思ったらニートだし。思わなかったらニートじゃないし。
っていってるやつは、まず自分をニートだとは思ってないから、OKとしよう(えぇ

生きるって何だとか、仕事とか、働くとか、夢とか、
すげー目に見えないものだらけで、答えのないものだらけで。
それに戸惑って、迷って、生きる。挫折もありだし、失敗もある。

生きるコツってわけじゃないけど、
一つは、まず世の中にそんなに悪い人はいないってこと。
でも、同時に、
変な人もいるってこと。

この2つのめやす?をうまく使い分けることかなあ。
何か嫌なことされたりして、なにくそ!とか思う人がいる一方、
ああ、そうか、自分は何もできないとか。

どういう人間がいてもいいし、どうやって生きようが多分自由。

タケウチ氏の言葉を引用すれば、
「マイナスの言葉を使い続けることは、
マイナス言語でプログラミングされたマトリックスに住んでいることなのです。」

ってわけで、要はさ、きっついこというかもしれない、結果的にだけどさ、
「あんたが否定的な考え方しているだけで、話聞く方が辛くなる」ってことさ。

いや、別に愚痴とかさ、「もうだめだあ」とかそういう会話とか、意見とか、
考えをなくせ!とか、言うな!とかじゃなくて、
もっともっと深い、根にあるような「否定的なもの」のことさ。

まさか、「否定的な種」をまいて、否定的な木を育てたいって思ってる?
それってやっぱ、ダメだよ。少なくとも、あっしはそういう人を全力でつぶすか、全力で逃げる。

ニートについてですよ。
ニートに云々言うのはぶっちゃけどうでもよくて、
だって、結局意見できるのはニートではない人なんだろうから。
そうではなくて、ニート自身が、否定的に考えているのがはらたつのりというか。
うーん、ナンセンスかもしれないけど。まあ、だからこそニートなんだろうか。

フリーターとかも一緒だろうな。
社会問題という点では、差別かな。部落差別とか全然知らないけど、あるみたいで。
あと、性差別とか。
差別とかって、くだらんのだけど、事実から目をそらしちゃいけないと思ったり。
え、そんなに強い人間ばかりじゃないって?ああ、僕は弱いから、その言葉はスルーさ。

僕個人の想いでは、
ニートが増えちゃったのは、やっぱ緩い時代だからかなと。
緩いってのは、哲学とか、スピリチュアル?なものが、すごく曲げられて伝わって、
本質的なものとか、核になるものとか、そういうことを真剣に問う時間は、
無駄な消費とか、無駄な遊びとかで埋められちゃったっていうのかなあ。

でも、それは正当なリターンなんだよねえ。
適当に生きてれば適当なリターンしかないし、
真っ当に生きてりゃ真っ当なリターンがくる。
おっと、ここで大事なのは「真っ当なリターン」を求めて真っ当に生きるんじゃなくて、
真っ当に生きてるから真っ当なリターンってところ。
逆は真ならずってことですなあ。

全ての因果関係は時系列で処理できるとか。
まさかそんなことあるめー。今のどかわいたのは、のどが渇く原因があるからか?
なんとなくっていう、偶然性とか偶有性とかって、認めないのかね。
堅苦しいぜ、べいべえ。

ニートが悪いとか、社会が悪いとか。
それって、前いった、犯人探しをやめよーよということで、スルーされちゃう。

僕がいえるのは、戦略的?人生的?にいって、
多分ニートはつまらんよなーというところ。
ニート自身がそれを理解していても、それを突破できないんだろうか。
まあ、このブログ通じてならなんぼでも声かけますけどね。

きたぜ、熱いブログ!燃えるぜ!きゃっほー!

ふむむー

生き方について考えるとそれで3杯くらいのメシが食える。

っていうのは、
最近ミヤモトムナシという飲食店で、
実は「ご飯おかわり無料」を知って、セルフサービスなんだけど、
もともとのお椀が小さいから、1杯お分かりしても、
普通の茶碗一杯分に見えた。

これ、狙っているのかどうか。難しいが。

全然関係ないな。

いやあ、生き方について語ると、腹が減るもので。
ところで、パン好きな方には悪いんですが、
パンって食べた気がしないというか・・・腹にたまらないというか。
いやあ、昼にパン食べると、絶対3時間後に「ぐう」っておなかなるんですよね。

パン好きなんですけど。もっと食えってことかな。そうしてみるかな。

腹が減ってなんか食べて、うまいといって、
で、なんか自分の趣味とかあって、面白いとかいって、
そういうなんていうんだろ、幸せ?みたいな。
よくあるじゃあないですか。小さな幸せみつけーた!とか。
そもそも「でかい幸せ」なんてないから、青い鳥め!とかいってみるんですけど。

いいじゃないですか。そういう幸せで。
本当にうまいものというか、うまく感じるもの食べたら、
うまい!っていえばいいじゃないですか!

うまいうまい!うまいぞ!ってね。

つまらんなら、つまらんって言えばいいじゃないですか。

なんで言わないんですかね。言えないのじゃないですよね。
言わないんですよ。僕はいわないだけです。
で、言わなかったのは自分ですよ。人のせいでない。
だからといって、自分が全部ってわけでもないですよ。

んなデキタ人間いないっすから。ホント。

よく、「オトコでエロくないやつはいない」っていうところから
エロトークもってく人いますけど、それ典型的すぎて、強引ですよね。
いや、別にいいんですけど。
腹割って話すとか、そういうの狙っているだけなんだろうけど。

でもね、腹割って話せる人なんて、少ないですよ。
いや正確にいえば、出会えることはマレですよ。
だから、見つけたら逃がすな!本当に放すな!
別に忠誠誓って、へへーってやるんじゃなくて、
本当に大切なものっては、そういう直観で、捕まえておくってことなんだ。


ややテンションがおかしいのは、
多分キノセイです。

うひょひょ。

Project SEVEN

きたー。きたきた。

きたぞー。船がきたぞー。

まあそれはさておき、久しぶりに小説読んだ気がします。多分。
面白いっす、これ。最初システム絡みの用語なんか余裕だなーと思ってたら、
著者のプロフィールから、むうー専門家だと判断(笑)負けました!

一番印象に残ったのは、たとえコンピュータ入力デバイスなどが変わって、
見え方が変わっても、プログラミングの根本はやはり変わらないということ。
この本質的部分が妙に気に入ってしまって、パワーをもらいましたわ。

あと面白いのは、このアルファポリスという会社は、Webサイトから出版へ誘導みたいですね。
面白いことしてるなーと。

450ページを越す分厚さなので、覚悟してどーぞ(ニヤリ


443406732XProject SEVEN
七瀬 晶

アルファポリス 2005-10
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働くこと

午後から友人と会話。
表現するということで、文章とプログラミングを主張してみた。
いやー楽しいっすね。両方とも。

で、コミュニティバンクの話で、apbankがでてきたから、
友人が夏のフェスに参加したそうなので、グリーンエネルギーを購入したとかどうとか、
そんな話が妙に気になったので早速調べた。

http://www.apbank.jp/fes05/eco_energy.html

間接的に電力を買うという形だ。意味が分かった。多分あってるはず。
実際に自然電力?で補うのは無理なので、環境に対する負荷分をお金で補って買う。
そのお金は自然発電に使われるのでエコってこと。

すごく気になったのは、実際に使われている電力と時差があるってこと?かな。
まあしょうがないんだろうけど、どんどん自然発電が広まると面白いですね。

あと、表現するってところで、
そもそも文章でいえば、書き手の想いと読み手の想いは一致するのかどうかという話。
これってかなり怪しいところで、ほとんど不一致だろうと思う。
んじゃあ、国語とかの授業でいう読み取りって何を読み取っているんだと。
そういうことになる。

自分が読み取ったものが人とは違う場合、本当にそれは間違いなのか。
そもそも間違いというものがあるのか。

共通の前提スキル?として、論理的に読むとか何を言おうとしているかを理解するとか、
そういうのは必要だろう。でも、それって一体何かさっぱりぴーまんだ。
読解力って言葉もあるけど、それもさっぱりわからん。説明できん。

実際に何かを感じて、何か動いたというところで、
「文章」の想いが伝わったと、読み取ったとするんだろうか。
そんな行動主義的思想はなんかやだな。

とにかく、分からないというか、分からない。

チョムスキーじゃないけど、
主語と述語の複数の組み合わせで、人間から人間へ同じ情報が伝わるとは
思えない。って別にチョムスキーそんなこといってないと思うけど。というか知らない(笑)

趣味で読むとかそういうのは良い。
ただ、共通理解とかそういう点において、また国語の読み取りとかそういう点において、
正解というものはなくて、その場限りの共通認識で終わりそうだ。
だって、どのように読んでもそれは可能性理論からいえば可能なわけだし。

ってことを考えていくと、日経に出てくる記事の内容を読んで分かっている人って、
少ないっていう話は本当だろうなと思う。

ところで、M&Aって言葉の意味が分からなくても、死にませんし、生きれます。
その言葉を知っているかどうかは1%くらいは重要だけど、
99%はその言葉を知っていることで、どう使えるかじゃないですかあ・・。

って、ことも大事なんじゃないですかああ。

やや暴走。

創る思想

勝手に関連付けてみる。

メルマガ発行ということ以前に、昔なんか書いてた。

軽く振り返ってみると、まあいいところドリなんだけど。
小学校の頃の恩師が、毎日日記というか、まあなんでも
思ったことを書いてーみたいなことをやってて、
それを「生活ノート」といったんだけど。

それ、すごく面白くて、書くのは好きだった。
いまだに覚えてるのは、道路に立ってるミラーの話。
あれが通学路にあって、あれに写る時と
写される時とか、視点が違うのに見えるとか。
まあ、ミラーについて気になったから書いたんだけど、
そこからおそらく。僕は文章を書くってことは嫌いではなく、
好きな部類に入っていったんだと思う。(遠い目

読書感想文というのは、苦痛ではなかったが、
課題図書ってのはどうにも面白くなかった。
というか、多分あんまり記憶がない。読書感想文自体の。

中学の終わりに、PCを買ってもらって、そこから
チャットにはまって、そこで、チャットで集まりを創って、
HPを創った覚えがある。初めてのHPってことかな。
チャットを毎日開いて、そこで同じ年代のやつらと話して、
なんかすごく楽しかった。多分その楽しさは、あの時は「つまらない」とは
思わなかったので、本当に楽しいことだったのだと思う。

メンバーのために、CCにしてマガジン風にメールを流してた。
10回くらい続いたかどうかわからないけどとにかく、そんなことしてた。
2年くらい経ったときに、だんだんメンバーの連絡が取れなくなってきて、自然解散かな。

今でもちょっと惜しいことしたのは、
神戸かどこかの人で、同じ年かな、その人と一度は会ってみたかってことかな。
ある人には実際に会ったけど、なんで会いに行ったかはあまり明確ではなく、
青春18切符旅にふさわしい遠出だったからだと思う。えっと、名古屋から熊本。
3日くらいかければいける。意外に福岡から熊本は長い気がする。ん、どうでもいいか。

部活動とか、そういうので、何か書くということは全然してなくて、
チャットにも飽きて、何をしていたかというと明確なものがなかったのかな。

そういうのも浪人と結びついているのだろうけど、
浪人して思ったのは、やはり考える期間が必要だなあって。
浪人時代を肯定する要因はやっぱりそれで、そのまま現役合格してたら、
僕は良くないかなーと今では思ってる。その時は「現役」合格したほうが
いいのだとは思ってたけど。

1年や2年の違いなんて、はっきりいってかなり小さいこと。
それを認識できるのは、やはり生きて動いて学ばないと分からないことだなと思う。
車間距離って言葉は、漫画「ドリーム」だったかな。サッカー漫画で、
一番印象に残ってるんだけど、そういう車間距離が必要だなあと。
まあ、バランス感覚って意味合いなんだけど。

ブログを書く前から何か書いてたというと、
大学のいつごろからから、本のレビューを始めてたりする。
その頃、雑文と称していくつか文章を書いてる。
この頃は、結構学生生活に停滞?を感じていたりして、なんか見えなかったんだろう。
ただ、漠然と大学いって、それで終わるという感覚はなくて、
入ったら、やべーなと思って、自分のペースでやることやってた感はあったなあ。
こもれび氏との出会いも、入学式を経て、そういやずっとだなあ。良き友よ。

書くこと自体は好きというのは、書くことが好きのとは別のことかもしれない。
大学に入って変わったのは妙に本を読むようになって、
本を読まない人がなんで読まないか分からないという感覚だった。
ほら、最近読んだ本はっていって、軽く話せる人ってやっぱ素敵だと思うんですね。

浪人中に、予備校講師から勧められた本は買ってた気もする。
それはほとんどないのだけど、少しは本を買って読むという感覚が身についたんだろう、と思う。

僕が素直じゃないのは、学生でありながら、学生自身を否定というか、
なんか嫌な目で見ていたという点かな。でも、基本的に間違っていないというか、
それでよかったと思っている。無意味な迎合が嫌いだったから。

たまに、何か頑張ってます!っていう人を嫌う人がいる。
そういう人に限ってたいしたことがないのは自然の理レベルなんだけども。まあそれはいいとして、
自分も、何か学生でやってます!という人が嫌いというか、接したいとは思っていなかったりする。

いわゆる、何度も言っている?山月記の尊大な羞恥心、臆病な自尊心というやつで、
何かを恐れて、何かに恥じていたというのがすごくぴったりくる。
自分はたいした人間だぜ、とそういいたいのに、周りに嫉妬してか、
その頑張ってます!学生というのは、人々でもなんでもいいし。
そういう人に対して学んでいこうという姿勢がなかったことは、言えそうだ。甘ちゃんだねえ。

そして、そういうことをいってるにも関わらず、
大したことはしてないわけで。

そういう変なギャップがあって、僕は悩み続けていたともいえるし、
そういう悩みは普通だと言えるかもしれないし、なんていうか分からない。
だけども、そういう感覚は何回も吹っ切れるチャンスとか機会が一杯あったと思う。

自分が怖かっただけで、やっぱ大した人間じゃなかったんだなと思える。
単なる不安を見せたくない、強がり。典型的なパターンだね。


そういう自分を否定する面から考えても、やはり周りはつまらなかった。
被害妄想ではないけども、こんなに自分はダメなのに、なんで周りはもっとダメなの?
という妙な思想みたいなのがあった。病んでいるかもしれない。
でも、それは、哲学や社会学、心理学というものを感覚で楽しいと感じてたり、
本を読んだり、語ることによって、別に問題なかったのだと思う。

ある演劇で、「なんで天国はアフターなの。今じゃないのか」みたいな台詞があって、
なんか妙に説得力というか・・・そういえばそうだなあというのがある。
人をなんで殺してはいけないのかという質問も同じ感じがするのだけど。

僕は今何かしたいのか、していきたいのか。
こういうことをしたいのか、こんなことをしてみたいんだけどどうか。

語るべき仲間というか、人々に僕は単に出会ってなかっただけだって、今では堂々といえる。

大学って、学校って、やっぱ閉鎖的だ。本当に。
違うな。大学はいいんだ。あれは自主的に学ぶかどうか選べるから。
高校以下が閉鎖的なんだろうか。

でも違うんだ。なんでかっていうと、やっぱやってるやつはやってるから。
それだけは確かなんだ。自分ができない、しないことを他の人がしているからっていって、
他人のせいになるわけはない。自分がしてないだけなんだ。


世の中は広いって感じたのは、おそらく浪人時代からだろう。
そして大学に入りもっともっと世の中は広くて、深いって。
そういうことを学べずというか、感じずに生きることも可能だし、
それも悪くない。


自分がやりたいことがある。それをやる。
すごく単純だけど、強い。その強さを僕は大事にしたい。
それが、創ることだと思う。

必ず何かを作ってみせよう。
いざ、まいらん!

WillPlatform一周年イベント

行って来ました。いやあ、良かったわ。
というだけでも、アレなんで。

まず、働くとは何かという視点があるのが素敵。
今自分の中でホットなテーマだ。だからナンタメなんて書いてるわけで。

働く場は相当ある。だから、求人誌に求人は山のようにあるわけで。
おっと、アルバイトとかに限られるとかそういう細かいことはスルーしとこう。
経済的な意味で、「食べる」ために働くって、それは当然のことで、
じゃあ、未来にむけてとか、自分が面白く生きるためにとか、
そういうところで、「働く」ってことを問うと、結構まじめに考えている人は
すくないのかもね。

仕事を創るという言葉は好きだ。
仕事は与えられるべきものではなく創るものだ。
与えられるべきものは作業という、非能動的な行為と言ってしまおう。
創るとは、クリエイティブのことで、別に0から1を創らなくても、
組み合わせてもいいし、だからこそ可能性は無限大。素敵。

印象に残っているのは、何かを知ってしまったという、パンドラの箱を開けた?という話。
別に知らなくても生きていけて、何も知らなくていいことを知ってしまった。
出会ってしまった。

人それぞれにタイミングがあるから、一概にいえない。
このタイミングって、夢を見つけるとか、見つけたとかそういう話にもそっくりいえそうだ。

よく、夢があるからそれをするっていうけど、
その夢を見るのはタイミングが人それぞれ違うから、
例えば20代で夢を見つけるのは早いかどうかなんて分からないんだ、って
そういうことがいえそうだなあと思う。

知ってしまった、分かってしまった、からには、
何かしなきゃというのが、本能というか、人間らしいと思う。
いいんじゃないのかな。自分が好きでやって、迷惑でもなく、
社会的にはほとんど善だから。まあ全部が「善」だなんて、普通はありえないんだけど。
でも、そういうこと言い出したらキリがないので、それとは別腹でどうぞ。

刺激としては、満足すぎるものをもらってしまった。
ありがたや。

なんかやっぱり、基本を再認識。
考えることとか、そういうこと。働くことも含めて。

って、面白いことにたまに周りの人間と話が合わないことが、
普通というか、自分はこれでいいんだーっていう肯定感っていうんですかね、
そういうのを感じさせてくれますね。

うん・・・。元気でまくりですわ。

参加された方とか、お疲れちゃんでした。

友達ができない話

思い出したので。

昔、浪人していたとき、どうにも友達を作るのが面倒だった。
いや、高校時代の僕もデフォルトは友達作るの面倒な方に入ったのだと思う。そう自信がある。

高校1年のとき、その高校は学校用サンダル?(トイレのスリッパみたいなやつ)に
上履きと称して履きかえるのだが、ある日突然上履きが消えた。

ある種の嫌がらせだと思っていた。
心当たりがなくはなく、クラスのいわゆる不良にベクトルが向いている人々の仕業か、
まあ、どこかのヤンキーが適当に遊んだか。
まあどちらにしろ、その上履きは出てこなかった。
犯人探しをする気力もなかった。ただイラついていただけだ。

浪人時代では、とくに予備校で友達を作った覚えがない。
同じクラスの人と軽く話す仲だったというのは一人いるが、
そこで思い出されるのは「万引き」の話。中学生じゃないんだしさ・・・。
万引きを平気でするやつと友達っていうのは、それって友達じゃないんでは?っていう、
問いが浮かんだことを今思い出した。

そう、その問いをあるエッセイ集的なHPに送ってみたら、
あんたの考察は適当で深みがなくて、つまらんみたいなことを言われたことを
いまだに覚えている。確かに適当だったかもしれないが、
そこまで言われる筋合いはないな、というメールを返信した覚えもある。
なんでもそこに投稿する読者はもっとレベルが高いという趣旨があったので、
それも鼻についたけどね。

その友達?は、主体性というか、やる気というか、なんていうの、
まあ僕とは合わないわけで、半年過ぎたあたりからふと話すのを止めた気がする。
別に絶交とかそういうのではなくて、なんかね。

反社会的行動を取るのがカッコイイとは思わないが、限度によるので、
不良というものを理解しようとはやはり思えない。
ルールが違うから理解できないというのでいいんだろうけど、
不良というのは、相手にされないとすごくイラダツということを僕は理解していたりする。
まあ、不良というか人間なら誰しもそうだ。

浪人時代から、中学の時の話へ。
これは以前も幾度かしているのだけど、不良を意識的に無視していたら、
おまえうぜーということで、少々暴力をふるわれたことがある。
これはまあ、ある種洗礼みたいなもので、イラダツのだけど、まあいいとしよう。
いいといってるわりに、納得はしていない。
おそらくこういう印象に残る嫌なことは僕は一生覚えているのだと思う。
それは恨みとか、妬みとかではなくて、自分がそういうことをしないように、だ。
たまにだけど、自分が嫌なやつ(え、いつもだって?うそん)なことをしているとき、
ふっと、嫌なやつを思い出して、そいつみたいだなーとか思うときがある。
そういうときは大抵、ダメダメだ。頭を冷やさなきゃいけないときだなと。

自分の中で親友と呼べる人間は数人だ。
中学以前は残念ながら記憶が吹っ飛んでいるのと、
やはりある特定の地域で集まった群れ的な意味合いでの友達というのがあるので、
高校以降になると、
こちらから切り出した、つまり話しかけたやつで、話が合うやつは、
やはり親友だなーとか思う。

友達の定義っていうのは、あまり意味がないかもしれない。
でも、「連れ」と「友達」と「友人」は使い分けている。
連れという言葉は使わない。僕は。最も関係度が浅そうだから。
というか、連れを作るのがなんか嫌だというか。

そういわれれば、僕は大学でも友達を積極的に作るタイプではなかったな。
というか、今でもそうだ。気分というか、デフォルトで積極的ではないな。
かといって消極的でもない。多分この言葉たちは少々オーバーなんだろうとは思う。

友達と友人の違いは、くだけた感じかどうか、くらいかもしれないが、
友人というときは、やはり「語り合える」という要素が強い。
そういう意味で、友達が何人とか、そういうのは僕の中ではどうでもよくて、
「語り合える」人がいるかどうかで、人生が変わっちゃう気がする。
ああ、だから新興宗教とかいっちゃう人がいるってのは一理ありそう。
分かるが、やめといたほうがいいというお節介を。だって、語るなんて仲がよければ
自然にできるんだしさ。


んーそんなところかな。

面白く考える、そうそれが。

なんだろ。

よく分からないのだけど、といっておいて、かなり確信があったりする。
それは、やはり考えないと良いものは生まれないということかな。

やっぱり、「他人に対してあれこれいうなんて、お節介じゃん」とか
「自分とは価値が違う人がいるし、それはしょうがないじゃん」とか。

そんなの分かっている気がしているだけで、やっぱ分からない。
それでいいんじゃないかと思っている。

変につくろったり、協調姿勢をとるのはよくないとすら思っている。
なんていうのかなあ。結局ボロがでるし、それは良い意味でも悪い意味でも。

大丈夫か、聞こえているか。自分の声が自分に聞こえているか。

面白く考えて生きたほうがいいというか、そう生きたいし、生きているつもりだし、生きている。

何か自分からみて、すごくつまらないところで悩むのはいいのだけど、
つまらないところで生きている人がいて、じゃあその人は悪い人かというと、
別にその人の生き方なんだから、「どう」することもできないのだけど、でも、
でもね、それを見ているだけってのもなあ。

おしつけるのは嫌いだし、だから押し付けられるの嫌いだから。
でも、それって押し付けるというのか。多分違うんだろう。

うーん、やっぱ一人一人が面白くって考えるしかないなあ。
相乗効果というか。そういうのを起こすしかないしなあ。
一人じゃきついけどムリでもないし。ただ仲間がいたほうが「パワー」維持は
楽な気がする。


ラジオを聴いてたら、キシダンの番組というかコーナーがあって、
ほうーとかおもって聞いてたら、
「友達がいない」という人の相談だった。中学3年生。男。

僕は友達がいないという友達を知らないのだけど(この言い回しには矛盾があるけど)、
そういう人もいるんだなーと思う。
ラジオ聴いてて、別に友達ができなさそうな話ぶりでもないし、
なんだろーなとか思ってしまった。

環境というのは運なのか。恐ろしいものだ。
でも、中学までの友達って、ある意味「適当」な友達なので、
あまり価値はないといったら、中学以前の友達で仲が良い友達を持つ人は違和感だろうな。
僕は中学以前で今も連絡取っている友達はいないなあ。

大学時分にあったら、全然雰囲気が変わっててショックというか、
共通項がなかったのが、すごく自然というか。
ああ、やっぱり環境とか、考え方ってその人らしさというか、その人自身だなあって。

自分は全然変わってない、自分の中で成長したつもりだけども、
そういう視点、主観でしか見れないから。だから、相手もどう思ったか知らないけど。

なんか嫌なんだ。自分が納得できない「なあなあ」の関係って。
それって、付き合いがゆるいとは別なんだけども。
こういうふうに考える人間を「まじめ」というんだろうな。自分でもそう思った。

同期が近々辞めるらしい。
前から辞めるといってたので、計画的というか、やはり「辞めたかった」んだろうと
こちらもそう納得・理解できるところがいい。
やっぱ、向き不向きはある。

こもれび氏に「向き不向き」の話をしたら、
「人には、不向きしかわからぬ」とおっしゃった(笑)
まあ、そういうものかもね。自分がやってて楽しい仕事ねえ。
やっぱ仕事ってモノじゃないよ。ハートだよ。熱く楽しくやるしかないと。
だって、AさんがやってもBさんがやっても、誰がやろうが
結果が同じ仕事なんて珍しいわけだしさ。

おお、久しぶりにキレイな締め!

働きマン

早速マンキツでチェキラ。

面白い。主人公にかなり惹かれる。なんていうか、
昔言われた「モーレツ社員」みたいなんだろうか。ちょっと違うと思うけど。

自分が全然仕事してない気がしてきた。
別に手は抜いてないんだけど、目標というか、視野が小さくなってるというか。
そういう自分に良いスパイスだ。

2巻しかまだ出てないので軽く読めますわね。

面接の話のところで、面白い話があって、その通りだとうなづく。
それは、「入社」を目標としているやつはダメで、自分の目標がもっと遠くにあって
そのために、その会社を選ぶというもの。
これは会社を踏み台というか、そういうことに近いんだけど、手段というか、そういう感覚に
もっていってるかということ。

この漫画いいわ。自分もやはり働くことについて、もっと表現したいなあ。


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安野 モヨコ

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マニュアル作成

メルマガ読んでてつながったキーワードがあったので。
うっかり忘れるところだった。使える技だなと思ったので実践する。

http://blog.livedoor.jp/yana1020/archives/50298667.html

マニュアルの作り方ということで、Excelにプリントスクリーンしたものを貼っていく。
確かに画面があると分かりやすい。同時に細かい説明も省くこともできる場面もあるので
かなり使えると思った。

別のメルマガで、データの作り方という内容で、
Excelで管理するというのがあった。これは使えると思ったので実践することにする。

とにかく、面白そう、使えそうなと思ったらそれを何かに残すことはその後に非常に有用だ。
ちなみに、会社でメモとして使っているノートはすでに5冊目に。
見返してもよく分からないことが多いのでアウトなのだけど(笑)
まあ、仕事をしたという感覚は残る(えぇ


で、マニュアルって何かあるかなあ。
まあExcelでっていう視点が使えると思ったんだけどね。

重いサービス

ネットってタダという言葉は非常に印象的。
それは微妙に正しくないというのが持論。

例えば、どんな読み物でも、自分の時間は常に使っているから。
500m先のスーパーに100円のジュースを買いに行くのと、
50m先の自販機に150円のジュースを買うのとでは、
確かに「50円」安いのだけど、450m分歩くエネルギーと時間、あらゆる刺激を
考慮したうえで、どちらが「良い」かを考えたいものだ。
といいつつ、そんなこと考えないけど(おぃ

こういう考えることが、面白いかどうかというか。
そもそも面白くない人も一杯いたと思うので、そうなんだなと思うわけです。

で、ドリコムブログとMyBloglistサービスは重いですね。相変わらず。
ドリコムブログはサポートブログ?が、妙に変わったけど、まあそれもどうでもよし。

さくっとMTなんかを用いて、レンタルサーバにブログ作って移行するのが
良いかもしれないとたまに思います。
さくさく見れた方がいいじゃないっすか。

とか思いました。

MyBlogList重いのとリスト編集機能がかなり弱いと思うんですが、
機能改善してくれないんですかね。
かなり放置気味に感じるのは僕だけでしょうか。

え、無料だから文句言うなって?
もういいっすわ(え

自宅サーバ構築支援サービス

http://www.collins.ne.jp/jitaku/

こんなのあるんですね。
リンク紹介?のところみると、メンテされてないような。
すごくそこが気になる。

以前、PCサポートビジネス云々をちらっと書いたけど、自作PC創るとかね。
あれはやはりやり方の問題で、普通にやるとアウトだと思いますね。

で、自宅サーバー構築支援ってのは、どうなんでしょう。
結局自宅サーバーを創るには、誰かに頼るというか自分でやるから面白いという
なんか偏見かもしれませんが、それがあるのだと思いますね。
自作PCも同様かなと。


http://www.hapihapicats.com/instsupport/index.html
ここには、差別化したサービスと、商品を情報化という2つのことがかかれています。
PCアドバイザーって、たしかにパソコン家庭教師みたいなのって、ビジネスとして、
微妙なところですね。まあいいんですが(ぇ
どんなビジネスでもとはいわないですけど、やはりある程度推測とか考えられるものは、
考えておいたほうがいいんでしょうね。

全然関係ないですけど、
作家って、すごく投資的な職業だと思いますね。(ほう
投機じゃないっすよ。

こういうサイトが好き

久しぶりにこういうサイト見つけた。
http://hironori.narucy.com/

2004年で更新とまっている?のだけども、
こういうサイトは好きだなあ。相手を知っていればもっと面白いと思うのだけど。
僕は知らないですよ、もちろん。

自分もこういうサイトがいいなーとイメージしながらサイトつくり。

メルマガ

メルマガはほぼ日刊になってまして、
たまに休んでます。ブログもそういう感覚になっているかも。

何か情報を発信するっていうことを多分心がけたとたん、
続けられなくなる気がしたりする。
それほど、玉のみ発信することはできないんだと妙な悟りがあり。

良いことをやろうとか、挑戦とか、そういう心構えは必要だけど、
それは心構えであって、結果ではなく。
編集されて、良いというか、分かりやすいものが「目に見える」ことはある。
例えば、自分のプロフィールでダメなことばかり書く人は珍しい。
ダメなことをかいて、良いところをよりよくってのはあるけど、
バランスをとっているならその時点で編集していると、屁理屈はいえるから。
ダメだしパーティーなんてのがあれば、それには適するルールかもしれない。

ネガティブ云々については、そもそも僕自体が、ポジティブ人間ではない証拠からくる
感覚かもしれない。
ポジティブなことを書いていて、結局ネガティブになるなら、おっとこれは、自分についての話で、
他人をネガティブにさせる気は毛頭ないことは、ルールとしてあると思う。自分の中で。
まあ、だから?ポジティブなことを書くことはできないんだろうとか、言い訳のように思う。

面白いものはのせて、つまらないものは載せない。
これって、ブログというか、文章編集とか、読者へのアプローチの方法で、
ブログのコンテンツとして考えるべき項目ではないかもね。
そこらへんの一貫性とうまさが、ブログによって違うから面白いのだけど。

で、寝たら頭最強すっきり。
色々な問題というか、やるべきことがあって、
こりゃ仕事なんてとっとと終わらせてカエルちゃんということにしたいですね。
よし、がんばれ己。ファイトだ自分。

あ、SNSの話とメタブログ

アルファブロガーに書かれてたので。思い出した。

まず、SNSの話を。
mixiがどうもキングSNSとなっているようですが、最初はGREEが元気良かったんですよねー。
と、昔からやっているような口調で。といいつつ僕はSNS全然使ってません。ご安心を。
ビギナーっす。

GREE Night云々というイベントをやったときに、MSNがスポンサーだったので、
MSかよーってことで、GREEはその後すぐにmixiに追いつかれたーとか。
書かれてた。なるほどと思う。

けど、すごーくふとおもったんだけど、根が深そうな疑問が、
そういう大手のもの、ここではMSだけども、に対する拒否感って全体的にいったら、
少数な気がする。というか、話としては、WindowsというOSが技術的にセキリティが
まずいーという反面、あれほどのものを逆に生み出せるかという問いをしたら、「うぐぐ!」となってしまうパターンで。

もっとも、この問い自体がナンセンスになってしまう人もいるという考慮も必須。
例えば僕は本の感想を書いてますけど、つまらんといったら、じゃあ面白い本を書けるのか?と。
その話と同類だとすると、僕は本の書評なんぞかけませんってことになるんですよね。

ここらへんの考え方はやはり「哲学」で、今最も流行らないが、やはり
人間自身のアインデテテというのは、哲学だと。つまり、考えることだと。
だから、動画とか、そういうのもいいっすけど、テキストは消えないだろうと思います。
僕の目が黒いうちは消さないよん。

で、SNSなんですけど、閉じたコミュニティという認識だったんですけど、やっぱそうみたいですね。
内輪ですね。
僕はどちらかというと、「縁」という言葉が嫌いで、なんで嫌いというのはすごく偏っているんですけど、
「縁」と発した人間が嫌いだっただけです。
「ご縁があればまた」という挨拶は意外に好きなんですよ。これが天邪鬼の理由なり。
SNSの分かりやすい説明で、友達の友達は友達というのが、僕の古い認識なんですけど、
それってやっぱ違うなあと。
友達の友達は、同じ程度の意味合いで、友達ではないですからね。
もっとも、それらを図解というか、何か視覚的にまとめようとした場合は、そうなる?だけであるかもしれません。

友達の友達が、実際の自分から友達だったなら問題にはならないですけどね。
ああ、この人も共通の知人もってるのね、で済むだけですしね。
まあ、こういうのは、ハブ(色んなものをつながえる役目という意味で)とかその手の話でしょうか(何だそりゃー


で、メタブログについて。
メタブログってのは、ブログについて云々いうブログのことらしいですね。
メタ言語って、学生時分にマイブームでしたけど、あとメタ認知も。
メタって言葉がいいですね。哲学の領域へようこそみたいで。

そんなところですかね。
やっぱ本読みいいっすね。

アルファブロガー

読み終えた。インタビューなんでさくっと読めます。

印象に残ったのは、月間PV100万というもののでかさ。
僕はそうなりたいのかそうなりたくないのか分からない時点でアウトなんだけど、
でも、まあ確かに日本人口が1億3千万いて、ネット人口ってどのくらいか把握してないけど、
毎年大学受験する受験生って60万人くらいで、ベストセラーは100万部だったかな。

アルファブロガーのブログほとんど知らなかったので(おぉ
さっそくブックマーク。個人的には、切込隊長が面白いですね。

ま、それはともかく、本の中に「ネガティブなことを書かない」というのがあって、
なるほどとは思うけど、それって誹謗中傷のことなのか、それとも否定的なことなのか
そこまで分からず。
以前、イチロー嫌いとかいたら、なんか突っ込まれた覚えがあったので思い出す。
確かに自分の好きな人が嫌いといわれたら、嫌ですけど。それを前提での議論をしようと思っていたけど、
多分その前提がまず違うんでしょうね。前提を一緒にしないと、多分議論にならないというのは、その通りかなと思うので。

そんなこと思ってたら、R30さんのブログで、「消費者は偉大だ」とかいうエントリがある。
これと似てるなと思ってしまう好き嫌い云々とね。

僕は人間ができてないという謙虚でもない、当然の事実をまずぶつけておいて、
で、あえていうのだけど、前提として、まずつまらない記事につまらないというのは、
「面白い」という期待があったから、もっと面白いのを読ませてくれっていう意味で
言うのであって、単につまらんわ!というのはエネルギーが無駄になる気がします。
というか、無駄。
だから、そういう意味で「ネガティブなことは書かない」ってのは分かるんですが、
思ったことが結果的にネガティブになったのは、OKだと僕は解釈しました。わーい。

イタイって言葉ははっきりいって大嫌いなんですが(キャラという言葉も同じように嫌い)、
まあ、そんなのはどうでもよくて、最終的には自分の振る舞いを考えるんだろうなと
思いましたね。
ここで、流される人間の典型的なパターンは、どう思われるかで生きるんでしょうね。
別にそれでもいいのでしょうが、僕はヤです。


この本は面白いのでオススメです。なんかブログ始める人にも?という誘いがあったんですけど、
ブログをある程度知らないというのは、ブロガーではないとという意味でですが、
面白くない気がしましたけどね。分からないというか・・。

続けることで分かることがあるというか、そういう意味が少しずつ分かってきました。
僕のブログはテーマをあげるなら、やはり自己整理と本ですかね。
人生哲学は自分の中では間違ってないアレなんで、スルーしておくのがベターでしょう(読者側は)

あとは、つながりですかね。やっぱ物事ってやったかどうかだけでも大きな違いがありますしね。
ドリコムブロガーに連帯感はほとんど覚えませんが、まあ、がんばりますよ(何だそりゃ


4798110205アルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれから
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TODO管理ツール

非常にシンプルなので、期待したら負け。
機能というか、使い方は、
「今あるTODOをぶちこんで、終わったらDELETEキーで消していく」
というもの。

TODOメモですな。発展させれば付箋紙ツールに進化するかもね。

VB.NETで、リストボックスの項目参照するのとか、VBとは違うんですな。
ここ役に立ちました。わーい。
http://dobon.net/vb/dotnet/control/lbselectitem.html

で、まあ欲しい人いないと思いますが、創ったものをHPにおいておくので、適当にどうぞ。
これって.NETのFrameWorkなんぞ使ってないんだけど、ランタイムいるのかなあ。
多分いりそう。でも、WinXPくらいだったらいけるんでは?
http://readmaster.net/vbnet/mng_todo.lzh

優先順位つける機能つけようと思ったけど
それすると、紙に書いた方が早い気がしたので、やめてみた。

死ぬことはまずない

リスクに対する備えってのは、「死ぬことはまずない」なんていうのじゃ
だめなんだろうねえ。だって、地震はいつ起きるか分からないという、
発生するという前提でやるわけだし。

覚悟という意味でいえば、日本で「普通」に暮らしていれば多分死なない。
ゴミの日の前日にゴミ捨て場に待機しているホームレスらしきおっちゃんを見るたびに、
そんなことを思う。ちょっとだけ不謹慎かもしれない。

あと、日経あたりにちらっとあったように、15歳がすごいっていう話とか。
15歳っていったら、小学校卒業して3年経った程度のもの。程度?まあいいか。
僕は中学になるまで電車もマトモに乗れなかった気がする。怖かったんだね。かわいいね(おぃ

自分の生命が一番大事という認識はどのような状況においても覚えておいたほうがよさそうだ。
もちろん、死んでもやるぞ!というとき、本当に死んでやる人もいるわけなので、
なんともいえないのだけど。おほほ。

死ぬことはまずない。という前提からいくと、世の中の大抵のことはできそうである。
と、いう発言というか、そういうことを書ける(これは文字通り書くことができるの意)まで
大分時間がかかった気がする。でも、今かけているから問題ないなと思ったりもする。いえい。

アルファーブロガーの本を読んでいて、ネタフルブロガーは、
続けるってやっぱ大変だみたいなことをいっていて、納得しちゃう。
あと、半年とか1年やらないと芽がでないってのも納得しちゃう。
もうちょっとすれば2年も経っちゃう、このブログ。
変化し続けていると思うけど、やっぱ核は変わらなかったりする。
自分のために書き、プラスアルファで楽しんでもらう。これがルールだと後付け。

チャリで筋肉痛になっちょる。なんか左腕ややひねっている?感がある。
ちくしょーこのやろー。

最近の雑感

寒さが結構厳しくなってきて、いやそりゃすんでいる場所によるけどもさ、
あー寒いなーと思う。
布団から抜けられない、ホント。抜けてしばらく動いていると、
体が暖まってくるんだけど、それまでがややハードかな。

一人暮らしを始めて思うことは、「面倒くせー」といったら、
それを誰かがしてくれることはまずないので、そのまま「面倒くせー」のまま、
放置される。部屋が汚れていくというのは、その累積に過ぎない(笑)

時間のなさというか、そもそも時間を何に対してナイといってるのかも不明確になりがちで、
ある問いが意味をなすのは、その問いを成り立たせる前提がいるとかいう議論があるけど、
それを思い出す。

まあ実際に働いてみた感触ってのが大体分かりかけてきて、
ちょっと書いたように、車間距離ってのもつかみかけてきてるかな。
で、ブロガーはすげー増えるようだけども、やっぱ続けている人は少なくて、
それだけやっぱ相対的に続けているブログは価値があるんだと勝手に思っている。
環境によって、ブログ更新できないというのも分かるのだけども、
やっぱ更新されないよりされたほうが面白いなーと思うわけです。
なんていうんだろう。ただ、それだけ。という意味でこのブログを更新する意味はあるかなと思ったり。

とりあえず、VB.NETで少し遊んでみた。
ふむ。ListBoxでAddメソッドはあるんだけど、Itemsコレクションになってるわけねえ。ほう。
コレクションの概念ってすっごい説明しづらいっすわ。でも便利なような。
MSDNをインストールっと。2GBも食うけど、価値がある。って別にHDDあまっているからいいのだけど。

さて、さくさく働いて、またVB.NETで遊ぶとするかな。

ああ、思い出した。
エコロジカル・フットプリントについて、その算出計算方式はまだまだ考えることが多いそうだけども、
でも、指標というか目安ではいいなーとは思う。
で、計算方法を知りたくて、分かればそいつをプログラミングでやって、
ブログで、だからJavaScriptとかになるのかな、まあなんでもいいけど、
ツールとして提供しようかなーとか考えてみた。
あ、EcologicalFootprint通称EFだけど、ha/人で表すそうな。
今は地球の2.4個分だっけ。消費しているとかそんな話。

なんかイギリス製のEF測定ソフトあるんだけど、
なんかダウンロードするのに、変なフォームから申請しんといかん。
ビジネス云々って面もあるんだろうけど。くそ。

だから、日本版のEF測定ツールをとか思うのだけど、
そもそも、おおざっぱ?にしか測れないと思うので、
細かい計算よりもおおざっぱに測る方法がいいのかも。
そういう意味では既存でクイズ形式でEF分かるサイトがすでにあるんだけどね。

もう一ひねりして、何か作りたいな。EFはそういう意味で一つのネタかな。

資源ごみ分けないにしても、資源ごみと別のゴミを同一袋に入れるのは
やっぱだめだよねえとか思った。
いや、独り言っす。

負けた

ネットでこんなのみつけた。
ベンチャー企業。の、理念。

http://chimeraworks.jp/product.html

なんか負けたと思った。
いや、負けたというか、こういう技術者というか、
人々がいないとダメだなあと妙に納得した。


ハッキングライフ

大きな声で「ハッキング」とか「ハックする」とかいうと、
多分、電車男が出版されて結構知られる前のように(微妙に違うなあ)、
「え、それなに」とか「それって悪いことなんじゃないかしら」と言われる可能性が高い。

技術者が何か分からないが、技術者という言葉は技術を持っている人の総称であって、
どんな技術でもいいと勝手に思った。
そういう点からいうと、誰もが技術者に見えるんですが・・・。はて。

ハックするとは、便利に何かを行うという意味で、
百式というサイトを運営している田口氏からパクって使わせてもらっている。

で、早速ハックしてみた。
何をか?まあ、分かる人にはレベルが高いわけではないが、
分からない人からみれば、「おおすげー」と少しは思ってしまうことを。

幣メルマガはまぐまぐから発行しているが、そのために、
ブラウザを立ち上げ、ログインし、メニュー選択し・・・という作業をしている。
これは非常に面倒といえば面倒で、それを自動化することにした。
使用するのは、windowsについてるWSHといわれるもので、XPだと標準でインストール済みのよう。
WSH自体は、VBScriptとJavaScriptに対応している。
その他にIEのオブジェクトなども使える。で、今回はIEオブジェクトを使って、
操作すればいいわけだ。

参考サイトは以下。
http://nais.to/~yto/clog/clsearch.cgi?key=javascript&mode=1
http://hail2u.net/blog/coding/set_data_to_clipboard_from_bookmarklet.html
http://lcl.web5.jp/prog/pmemo/jsclipbd.html
http://www.ken3.org/cgi-bin/group/vba_ie.asp

そういうわけで、今非常に発行が楽になったとさ。
もちろん、IDとかパスワードが直打ちとかになっているので、セキリティーはダメですが。
改良しないといけませんね。

あ、それと、クリップボードになんかコピってると、
Javascriptで参照できちゃうので、それでブラウジングすると危険かなーと、
これって既知の問題だったんですかね。いやあ、個人情報コピって
Web見るのは危険かなーと。まあ、設定で色々触れるよーですが(未確認です)。

色々なものを便利にして、自分の時間を作るってのも一つの戦略ですな。

とりあえず、次何かまた作りますか。

TODOをこなす

大分こなした。
まだ残っているけど。

日経MJで、共産主義的な文字というか、意味する文字か、
のデザインされた服が売れ行きが良いってのがあった。

マルクス主義だぜいえいと思った。

すごく気になったのは、
マルクス主義を知らないからこそ、なんか「記号」として楽しめるのであって、
それを知っている人はイミシンだということ。
案の定、当時学生運動をしていたと思われる人のコメントも記事にあって、
「自分たちが入れ込んだものをアクセサリー感覚でというのは違和感」というのがあった。
なんか不謹慎だが、笑ってしまった。

熱い人は好きだが、なんか妙に「こっちによってくる」人が嫌いだ。
その感覚って、多分分かる人にはわかるし、分からない人にはわからないから、
表現としてアウトなんだけど、あえて。
もうちょっといえば、自分に満足してりゃさ、「こっちによってこない」わけ。
こっちによってこないってのは、話しかけないとかそういうのじゃなくて。
ああ、説明が面倒なので、省略。

で、その記事。
知識の有無でいえば、圧倒的に若い人が不利だろう。質とかはスルーだよ。
マルクス主義や共産主義云々は、やはり思想で、すごく面白いところだと
個人的には思える。
アクセサリーってのはもったいないなあ。
逆にいえば、そんなの知ったらアクセサリとしてできないっすね、とか。

で、どうなんでしょう、そこらへん。
コンビニで、おつりを「1000円から」といわれて気になる人もいるとは思いますが、
じゃあそれが間違いってわけでもなくて、通じるし。
かといって、声をあげて注意するのも「主張」しすぎなキライがある。
いや、別に注意とか、そういう使い方が嫌だとか、そういう行動や意見をやめろってことでもないんですがね。

知らないから、考えるきっかけとか、そういう意味もこめて、
やはり話していくのがいいのかもしれませんなあ。

ふがふが

むがー

土曜日に午前に起きた。体調は完全にノドが風邪気味ちゃんで。
ここんとこ職場で風邪が。あと、寒さでやられたかな。
どんまい。ポカリと薬で治すのさ。

来週くらいからががーっと色々な人に会うことになりそうなので、
ああ、別に初対面の人ばかりではないけど、それも含むけど、
個人的に非常に楽しみ。
人と人の出会いって不思議っすね。いや、ほんとに。


とりあえず、やることメモって行動開始ですわ。
うひょひょ

自分を出さずに生きる

や、どうでもいいんですが。それを書くのがよろし。

自分を表現とか、自分の考えとか、そんなのどーでもいいじゃないって。
考え方があると思う。と僕が思うので多分あると思う。
確かにどうでもいい。そういうことをいいだすと、あるラインのところ、
例えばそうだなあ、自分が満足して3食一日食えるとかならいいとか、
そういうラインを守れていれば、「どーでもいい」ということが多そうだ。
これは自分勝手ですね。うむ。

大分前に、自分のことを大切にできないのは、他人をも云々とかいて、
その通りじゃないですかと思うわけですな。

で、自分を出さずに生きるのって、「辛そう」で実は楽なんだろうなとか思う。
その理由ははっきりとしていて、自分を出さなきゃ自分は否定されないし、
自分は傷つかないし、自分は保護されているし、自分は遠くからみれていればいいだけだから。
でも、その分腕を切られた痛みも、言葉と言葉のはりつめた感じも、
味わうことはできない。これはできない。残念ながら。

だから、楽だと思う。
じゃあ、自分を出して生きている人が苦労しているかというと、
そういう比較は意味がないのだけど、まあナンセンスだと認識しつつ答えると、
それはない。自分を出して生きる人に苦労なんぞあっても、楽しさにかわっちょるわけですわ。
終了。


げんしけん、という漫画を読んでて、内容は、げんしけんというオタクサークルの
日常?なんだけど、妙に惹かれてしまった。
アニメとかの話は分からないけど、なんか面白い。
題材がオタクだからかもしれないけど、日常性というか、同じ毎日で日々ほぼ変わらないけど、
変わるときは変わるんだけどもーという感じがうまくでてるなあと。
BECKとかみたいに、インスピレーションだぜ!とかそういうのはないんだけど、
違ったタイプの漫画で、好き嫌い分かれちゃうのかもね。
12月に7巻がでるそーな。ちぇきら。


早いもので、後1ヶ月ちょいで、今年も終わりですわ。
仕事がメインですけど、やっぱ充実してるわ。
この感覚好きだわ!


技術者の経営的視点とかの話


セミナーで気づいたことなどをば。

技術者や技術の定義はもちろんされていないが、
技術って何かはっきりいって分からない。

ただ技術者とそうではない人と考えたとき、
やはり技術者は何かにこだわっているのかもね。これも適当だけど。

一つのビジネスのもち具合が短くなっているせいで、
昔のように数十年も一つのビジネスでやっていくことは難しいようで。
だから、技術でもなんでも、ある程度経ったら次へいかないとおいていかれる。
ここで、別においていかれるとはどういうことかという考察はスルー。

昔は一つのビジネスを長くだが、今は多くのビジネスを短くという
形に変わってきているということかな。
まあ、ビジネスによるんだろうけど。全体的にそういう傾向にあるのは否めないっすね。

スピードが違うという表現もできるわけですな。
今はスピードが速い。それがいいかどうかはちらっと話題になったかな。
まあ、どちらも一理ありけり。

技術者的視点が僕には身につきそうにもないけど、
技術者は技術に打ち込める・集中できる環境が必要で、
だから会社は雇用を保障するのがいいかもーという話があり。
それって、技術者だけにいえない気がしたんだけど、やっぱりそうかな。
誰だって、土台があったほうが、保障があったほうが「精神的ゆとり」があると思うので。

あと、技術者と事業家と経営者の進化?があって、
技術者が誰もが事業家に、経営者になれるわけではなく、という話もあり。
というか、そもそも経営とかしたい人って少ないからこそ面白いと僕は思っていたり。
え、聞いてないって?すいません。


変化というところで、常に変わるものと、そうではないものがあるそうな。
例えば、核となるところ。これって、コアコンピタンスとかコアビジネスだっけ。
いや意味分からんっすけどね。そういうので騒がれたときもあったような。
そういや、横文字やアルファベットの略称もあんま意味ないしね。いらね。

核となるものが変わって、変わるべきものが変わらないとやばいそうな。
人間でも同じかなあ。やっぱ仏教とか教えはいいなあ。おっと、脱線。

今の若い人は粘りとか、元気とかがないーという話もあったけど、そこはスルー。
で、技術者は今は技術とか会社とかにこだわるよりも、キャリアとか自分にこだわるという
のが主張したいことかな。ああ、ゲストと司会者のね。
今の若い人というのは関係なく、今の時代に生きるなら、さまざまな形態があるってことですわな。

現場で鍛えられる云々は、
それは仕事において、達成感とか失敗のNOT満足感とか、そういうところだとにらむ。
とりあえず、仕事をしてみるっていう選択肢は僕の中では、かなり良い選択なのでオススメ。
ああ、これから働こうとしている人に向けてね。

ここらで持論を展開。突っ込みいれながらメモったやつ。
もっとも近いところが最も遠いという、まさに格言を吐く。
こいつは、例で2つ挙げてみる。
経営コンサルになって経営を学ぼうとする人は、実際に経営を学べるかは不明だと思う。
なぜなら、経営とは1つではなく、いや、仕事といったほうがいいか、
仕事は未知との遭遇だからだ。経営といったほうがやっぱよかったかな。
経営コンサルは、あくまでも経営のコンサルタントであって、そういう仕事だ。
だから、経営コンサルやって経営を学ぶってのは、ソトッツラはきれいだからこそ、
罠があるような気がする。
だから、自分を動かす核があれば、大丈夫なんだよと逆説的に言えるわけ。
って、もちろん経営コンサルやってる人とか批判してないし、してるって?
これからコンサルとかやろうとしている人を批判しているわけでもないけど。

ただ、なんか、経営とか起業とかっていうと、「普通のことではない」心構えみたいな、
ノウハウとか、やり方が必要だと思っている人がいるようで、
確かに、そういうのも一部はあるんだけど、そんなの100あるうちの1つくらいでしょうと。
そういうことを吐き捨ててみたいわけです(えー

で、もう一つ。
転職をして、別の視点をえて、学んでいくのも自分を磨く一つの方法だなと思ったり。
まあ、それはおいおい考えていけばいいこつぁ。


技術的なことと、ビジネス的なことは相反することととらえるのではなく、
どちらも必要というのが現代の技術者に必要なこと。
って、これってなるほどねーと思うんだけど、でも単に相対的にそうなっただけのようにも思える。
そう、つまり技術者が技術だけで生きていけない理由は、
相対的に技術者の価値が低くなったということ。おっと、これは別に事実ではなく意見。
技術者が多くなったのか、技術の進歩で技術人自体がいらなくなっているかもしれないし。
そこらへんはよく考えなきゃいけんですけどね。
まあ、でも、ビジネスと技術を両方学んでいくという感覚は分かるというか、
しないとだめな気がする。というか、それやったらすげー。とか勝手に思って、
そうすることにしたり。まずオベンキョしないとね。

MITだかなんだかしらないけど、ビジネススクールかな。詳細忘れた。
ともかく卒業生の声として、2つあって、
1つが、ビジネスの知識を知ることで、その知識自体よりも、知識によって
自信がついたということ。ビジネスにおいて分かるから、分からずにへこむことはないから。
2つ目に、OpenEyesで、視野が広がったということ。

で、これって別に手段であって、例えばですけど、
MBAとったら起業できるだのってのは、ミミタコでお聞きの方もいると思うので、
スルーしといて、それなら、どこでも学べるじゃーんって勝手に思う。
現に僕も大学で、ビジネス!とは縁遠い!ところで、良いこと学んだと思っているわけで。
例えば、選択したものに納得があれば迷わないし、力にならないことはないとか、
そういう志的なものが必須だと後から発展してくんだけど。
そういう意味で、ビジネススクールは無機質ですね。中は多分ホットなんだろうけど。
ここらへんはあいまいにぼかしとこう。


技術を磨いて、経営などをしたいとかそういう人は、
一つの会社でそれらをやっていくか、つまりはサラリーマンから出世する道か、
会社を転職したり、起業したりでやっていくかという方法がある。
どちらにしろ、いきなりジャンプできるわけじゃないのがポイント。
それぞれにそれぞれの方法がある。
例えば、1つの会社でやりたいなら、そういう方法があるわけ。
転職や起業でというなら、そういう方法があるわけ。
さあ考えよう。

で、技術者はってもうここらへんで技術者の意味がほとんどないんだけど、
志が大事で、志があってこそ、技術者、知識やビジネスが活きるって話。
その通りだなと思いつつ、逆に言うとなんで、技術とか、知識から入る人が多いか、
分からないっすわ。
だって、いくらすごい技術でも、ビジネスにしてすごく売れてもさ、
結局何をしたいかっていう志がなきゃ、意味がないというか。

こういう人の意見とか聞いたり、考えたりすることによって、
簡単に動じない訓練というか、そういうのは大事だなーとかふと今思った。
だって、簡単にひょろひょろ動くってのは、やっぱCloseEyesなわけで、
視野が狭く、明るきゃそっちの方向いっちゃうんじゃないかなーって。


で、ここらから脱線。

思ったのは、まず「やりきる」ことが大事だということ。
?しきるというやつ。仕事でもなんでも、趣味でも、なんでも。
中途半端が悪いわけじゃないけど、熱とか志とか想いがあるなら、
そいつをとにかくやり遂げるというか、小粒でもやりきるってことが大事かなと。
それは飽きるほど何かをするとかそういう感覚と同じでもあり。

そこでいえるのは「表現しきる」ってこと。
僕のブログで表現できることは限られているかもしれないけど、
このブログ、ネット、文章、己のアウトプットはまさに無限大。
表現を中途半端にするんじゃなくて、言い切るとか。アウトプットしきるとか。
そういうところ。うーん、いいね。

自分が正しいってことをあえて主張することはないけど、
自分が正しいという思いは大切にしたほうがいいし、そうしている。
自分が正しいといってもいいし、言わなくてもいいしというのは、
それらを踏まえた上でのお話でございます。

こうであるといったら、そうであっていいというのは、
決め付けはゴーマンでもなくて、思い上がりでも、自己中でもない。
だって、そうなんだからそうじゃないと。
もちろんこれは、自分に関することで。人にとやかくいってたら、
多分友達できない。あ、僕友達いないよ。ごめんなさい。

結果的に、ゴーマンなら、そいつは友達がいないという結果で、
自分がさびしくなるから、その考えは淘汰されるわけ。
これぞ自然の摂理だと思うんですわ。いかが。


人が集まるところに、人が集まる。
志が集まるところに、志が集まる。
同様にいえば、何か、感じるものがあるからこそ集まる。
人を集めるのではなく、情報を集めるのではなく、
人が集まるように、情報が集まるように、
同様にいえば、何か感じるところがある人になろうと思った。
これって、マーケの話と同じだと思う。
それは、「売る」のではなく「売れる」という仕組みを作るというところかな。
まあ、どちらにしろ、売り続ければ仕組みが出来ているわけで。
最初に「売りたい」か、「売れるようにしたい」のかの違いかなあ。
結局仕組みがなきゃ、組織なら利益の継続はできませんよってことですな。

自分が人が集められる人間というか、集まってくる人間になれば、
強力なアンテナとなり、プライベートブランドも遠くないなあと思う。
個人メディア確立も可能だし、色々できそう。あんま思想的なこというと、
狙われるかもしれん。まさか。


最後に微妙に気になる話あり。
それは、会社で異質な人が例外とされ、変わりものとされているから、
伸びない会社があるーという話。
その例外こそが、モデルなんだよと、気づかない。
という話は、非常に興味深い。

というか、そこで気づかないのではなく、例外と思って扱うからこそ、
その会社が継続できている気がしたりする。

これって末期かもね。その会社はもう変わらないだろうね。
まあ、いいっすよ。会社なんて自分の人生を捧げる場所にあらず。
捧げるのは漫画喫茶のみ(えー

お後がよろしくないところで、さようなら。

手をあげろ!

死ぬ前に手をあげろ
死にたいという前に手をあげろ

とにかく手を あげるんだ
手をのばして 上に 上にあげなければ 誰もきづいてくれないから

気づかれぬまま 人知れず 生きるのも一興なり
すべては 一興なりけり

ならば 手をあげようが あげなかろうが どちらも同じ 自由
ぼくは 自由にいきている

ことばを 発せぬものが その存在価値を認められるのか
ことばは 全てではないが 言葉は大切なんだ

言葉を大切に しようとおもったとき 心のには見えない何かが
心のまわりにできて あったかくなる
せかいが 変わるんだ

自分は一人でいいんだ というのが
否定的な理由じゃないなら 手をあげる必要は ない
手をあげたいなら あげればいいのさ

あげたくても あげなくても 結局自由なんだ
ぼくは 自由に生きているんだ

バッファ

バッファを活かす。
バッファとは、記憶領域とか、余裕とかそういう意味合いで。

久しぶりに定時に帰る。
あっちゅーまに、水曜日だし。まあ、なんでもいいんだけど。

とにかく、時間があるので、色々サクサクやっていこうと思っている。
うっしゃ。

最大多数の最大幸福

誰かが言った。忘れた。というか違うかもしれん。言葉が。

幸せとは、生きるとは、働くとは。
すべて難しいことで、すなわち哲学的と一般に言われる問いだと思っている。
だからといって考えなくていいことではなく、むしろ積極的に考えるべしと
思って僕はここまで生きてきて、楽しいし面白いとすら思っている。

自分の生き方に自信がもてなくなるということが全くないぜ!といいきるつもりもないし、
というよりも、たまに「間違っているんじゃないか?」と思うときもあるので。

だけども、あえて「言い切る」必要性もあるなと思う。
もちろん、人の性格によるんだけど。
決めたらやる人は多分それがいいけど、あまり決められない人は決められずに生きる方があっているかもしれない。
別に馬鹿にしてないけど、そう聞こえるんだろうな。
だって僕自身決めずに生きるほうが堅苦しいから。
逆に決める方が堅苦しい人もいるはずだからね。オホホ。

働き方によって、例えば、正社員なのかフリーターかでかなり視点が異なる。
フリーターは大分「ニート」という言葉で「格があがった」感があるけど、
ま、それはいいとして、
そもそも、正社員とフリーターを比較することに意味がない。
土俵が違うから。

まず、正社員とは何かと問おう。
正社員とは、会社組織の存続に必要な人間だという意味合いが強い。
もちろん、中途採用だろうがなんだろうが、正社員は正社員だ。
同様に派遣社員なども、正社員ではないというのは、派遣社員は
業務を補うだけに過ぎないからだ。逆にいえば、もし派遣社員ではなく、
正社員が必要なら会社は正社員を雇う。派遣という契約的なことはしない。
ああ、期間契約ね。

正社員がもちろん、誰もが半永久的に勤めるわけじゃない。
僕みたいに勝手に卒業日を決める輩もいるが、そういう人はおそらく少ないと思う。
皆、会社で働いて生きていくというのが「デフォルト」だと思っている。
別にそれが悪いわけでもないけど、別に「それ」だけが道じゃない。つまり生き方じゃないってことだ。

もし、会社で働く以外で生きていけるなら多分そうするんじゃないかな?
と思うわけでございます。ここらへんは視野とか志とか、見えにくいものの領域の話ですな。

で、フリーターの話。
フリーターの知り合い、友人は僕の短い人生でも何人かいる。
勝手にフリーターとして十把一絡げ?にするのは申し訳ないが、
何か、フリーターという選択に自信がないようにみえる人が多い。
もちろん、そういう自分が正社員だからといって、「自信」があるかどうかと問われると、
スルーしたくなるが、ここはあえて答えてみよう(ほう

自信があるなしはおいておいて、選択に自信があるかどうかでいえば、
僕は正社員になってよかったとおもうし、その選択自体は間違っていないと思う。

やはり、会社組織で働くという経験は後からレバレッジ(最近この言葉聞かないっすね。テコの原理のことです。タコじゃないっす。)きいてくるかなとにらむ。
フリーターは、アルバイトの連続なので、多分予想というか、もう自分の中で決定しているんですけど(まて
フリーターでそこから、仕事ぶりが認められる人ってやっぱり、気合が入っているというか、
選択に迷いがなかったとか、そういう人なんだと思う。

フリーターは長くするものじゃないと思う。せいぜい若いうちでよくて、
例えば、アルバイトの仕事ってアルバイトだもの。
アルバイトを馬鹿にするわけでもなく、フリーターを馬鹿にするわけでもなく。

仕事=報酬が完全に一致しているというか、
仕事の応用・発展がしづらい。もっとも、できないとはいいきれない。
だから、発展させたら、正社員で採用とか。そういう罠っていっていいのかしらないけど、
罠があると思うんだけどね。

例えば、フリーターには、3種類あって、夢追いタイプと、モラトリアム型と、なんとなくだっけ。
たまたま大学時分のお世話になった教授がフリーターについて大分調べてて、妙に覚えているし、
今でも関心があるなあ。働き方云々を超えてね。
夢追いの人はやっぱ少ないらしい。なんだやっぱりと思う。どこまでデータが正しいかはあまり重要ではないといったら、フリーターがこのブログを攻撃してくるかもしれない。

モラトリアム型ってのは、もっと考える時間が欲しいってやつだ。
でもこれって、大学卒業して、とくに学ぶ気もないのに、大学院いくやつと
ほとんど変わらない気がする。
あと、ついでに、大卒で会社勤めとかの就職してるからといって、
別に「逃げてない」とはいいきれない。
数的にいって、フリーターよりだらしない正社員は多いと思うんですわ。え、意外?多分ね。

なんとなくってのは、多分一番悪いかな。
選択とかそういうことから逃げているからね。
え?なに?選択しない人生を選ぼうが自由だろうが?
うむ、議論の余地なし。ここから立ち去られい!ですな(笑)

危機感というかスリルというか、ハングリー精神は無理か、
何かやってやろうという野望かな。それは遊びでもいいんだろうけど。
そういう遊び的な意味でいえば、高橋歩の本とか、サンクチュアリ出版の本は、
参考になると思う。多分生き方の土俵が違う人にとっては、「あこがれ」であったり、
逆に「遠い存在」になるとおもう。

だって、そもそも、自己を正確に把握している人なんていないのにも関わらず、
自己を正確に把握している人がいる!って思っている時点でアウトだから。

あ、これ説明いるね。
って、そういえば、唯野教授って筒井氏の本ってこんな口調だっけ。思い出した。
さっぱり分からなかったけど。文学部行きたい人は多分参考になる。
文学と哲学ってほぼおなじに見えるんだけど。記号論とかさ。

で、説明。
何も苦労を知らない人にみえても、実は苦労を知っているかもしれないし、
そこは分からない。多分。
だから、そういう意味で決め付けるのはあんまりよくない。
まあ、そういっても決め付けるんだけどね。
頭が良い人って実際にいるけど、別にデフォルトでそうなわけないし。
やつにとって面白く学べる行為が、例えば物理学だったら、そのやつは、
天才に見えるかもしれないって話。

結局、言いたいことはこうだ。って、別に一つのことをいいたいわけじゃないけど。

正社員だろうが、フリーターだろうが、働いていることに変わりはない。
でも、求められるものとか期待されるものがやや違うし、
比較することにあまり意味はない。そりゃ国はブツブツいうよ。収入へるわけだから。
ああ、税金のことっすよ。ただそれだけじゃないかなと思う。
まあ、一応「経済成長云々」とはいうけど、それは多分建前だろうね。多分ね。

自分が思ったようにしか人生はならないっていうけど、
多分それは当たりだと思う。
何をしようが何をしようまいが見ている人は見てるし、見ない人は見ない。
それは、自分を見る見ないの意味もあるし、見えるもの?が見えるみえないって二つの意味を含むんだけど。

結局今の環境をフルに活かすしかないなと思う。
もう先が見えない、どんづまりだったら、その先が見えないのが
1ヶ月か半年か分からないけど、やはり1年くらいが精神エネルギーの限界じゃないかと
勝手に思うわけですわ。
今の環境を活かせないと、多分、環境自体に対するレベル(経験値)は
いつまでたっても変わらないと思ったり。

さて、久しぶりの長い独り言。
全部読まないほうがベター(ニヤリ

エントリー

昨日、メルマガ画面開いたら、ああ、発行画面ね、
まぐまぐBooksアワードとかいうようなのをやるようで、
エントリ募集しているから、エントリってみた。

って、このメルマガでどう本の出版につながるんだか。
多分無理というか、適当にエントリしてみた。

多分分かりやすい形にすれば、価値はあると思うんだけど。
表現とメッセージと・・・うーん、あとはやっぱ「たまて箱」発想で。
意外なみっけもんをしてくれよと、驚いちゃったなもう!的な
ブログを目指すのもありで。

意図して狙うよりも、自分が意図しないところで、
読者も意図しないところでおきるのがいいね。
これたまーに?「化学反応」とかっていって、ああ、使い方違うけど、
人と人が会うことで起きる化学反応ってね。
それとは意図しているところが全然違う、むしろ逆なのかな。

意図しないところと意図しないところでおきる「たまて箱」。
でも、意図できないなら、それすら気づかないんじゃない?っていう
質問にはとりあえず、一人だけ答える(おぉ


で、今日はセミナーなんかいってきました。
若い人少ないように見えたけど。
まあ、それはいいとして、結構学ぶこと多し。
これで、ブログのネタもがんがん蓄えたかな。

やっぱ刺激というか、視野が狭くなる。
自分の部屋にいて視野を広くするにはやはり限界がある。
そうこのブログにも限界があることに、誰かは気づいているかもしれないけど、
まだまだ限界らしきところには到達していないわけですわ。うほほ。

会社で学ぶというのも限界がある。
学ぶということを捨てて、会社というフィールドで働くといったら、
多分視野が狭くなる代わり?に、なんか楽かもしれないと思う。
まあ、そんな人は多分すげー仕事できる稼ぐ人か、
全然だめなあまる人なんだろうなあと、妄想。

で、今週あと1日は定時帰りを狙う。
明日そのプランを立てつつ、仕事に励もう。

にしても、10分ランニングはきつい。校庭3週もいってないのにねえ。
体がなまっちょるばってん。

ナンタメ更新

結構このブログに、「働く」についてのキーワードで来る人も多いので、
ターゲットを絞り込んだわけじゃないけど、
以前ちらっといっていた、「何のために働くか」というオバタカズユキ氏の本の
タイトルをパクって
「ナンノタメニハタライテイルカ」というWIKIサイトを作った。

略して「ナンタメ」だ。
ナンクロとか、そういうのじゃない。

働くって何だろうと考えることは若き人には多いと思う。
非常にさまざまな考えがある。それをメモするだけでも面白い。

一つのまとまったものとして、この「ナンタメ」を完成させたいが、
完成するまで結構かかると思うので、適当に公開したい。
という意味で、ちょっとだけ分量はあるので、働くって何だろうと
思う方がいたらぜひどうぞ。

http://readmaster.net/whatswork/index.php?%A5%B9%A5%C8%A5%C3%A5%AF%CD%D1

きっと人生と同様、働くことに答えはないと思う。
答えというのは、ただ一つの正解という意味で。
意味はあると思う。これが答えだよといえば、それが答えなんだから。

考えることは楽しい。
きっと、この「ナンタメ」が自分の表現の1つとなるようにふんばってみたいものだ。
まあ、適当に楽しんでくれればOKですが(ぇぇ

SEの持つべき「思想」

大分前に買ったんですががが。
部分読み。で思い出した。

あとがきに、小説家になりたい人の1割程度しか、実際に小説を書き上げないらしい。
という話が書いてある。1000人に1人にしか小説家になれなくても、900人くらいは
書かずに小説家になりたいといってるのだから、実質小説を書き上げた人間は
100人に1人の確率に飛躍的にアップすることになる。

うーん、これは行動が大切だという以上にインパクトのある話だと思えた。
結局、結果なんだなーと思う。結果というのは見えるからいいじゃない?
結果が出せるってことは、やっぱ過程が・・・ってことになる。

そういう意味でいくと、僕は起業をしたいのではなくて、
何か表現したいだけな気がしてくる。そこらへんはどう捉えてもOKじゃん。わーい。


4883992160SEの持つべき「思想」―できるSEは何を考え、どう動いているのか
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寄生獣読破

読み終わりました。
むー、最後泣いちゃったじゃないか。
不覚。

各巻ごとに人が死んでいるので、ホラーじゃないんですが
血に弱いというか、受け付けない人は勧めません。
が、一見の価値ありな漫画ですね。

読み終わって、ああ、また別の刺激を受けて、
こういう表現もありなんだなーと妙に考えてしまいました。
気づきですかね。


吉野家で、今、スマイルキャンペーン?とかやってて、
アンケート書いたら、50円分の券もらいました。ラッキー。

あと、漫画喫茶のオープンセールでもらってた100円割引券を
使うことを忘れてなので、思い出したように使ってみました。
100円引きは大きい。

こういう小さなところから節約せねば。うむ。

さて次の漫画は何を読もうかな。

日経読み

最近は日経をまとめて一週間分読むという習慣になっている。
平日に読めって?
残念ながら、それをやる気力がないんだわ。許せ(誰に?

私の履歴書のところに、「人間の条件」という単語が。
おお、五味川さんのやつじゃん・・。
wikipediaでもみときますか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%91%B3%E5%B7%9D%E7%B4%94%E5%B9%B3

今、みやびっていう映画がやってて、朝上映だから見に行こうと思ったけど、
今日はだるくてスルーした。ってかいかねば。内容は三島由紀夫。熱いぜ。

日経MJのマーケ欄の囲み記事、というか連載だろうなあ、に小阪さんがかいてた
ものがあった。この方は、「冒険の作法」という本で知った。
記事の内容は省略するが(おぃ)、やり方ってものが色々あるんだと思った。
いや、思ったんじゃないな。やっぱりという再認識の確認みたいなところ。

ビジネスだからちょっと違うんだけど、
例えば、自分が思う生き方とかあり方とかがあって、
そういうのを共感できるタイミングが生きているうちに1回でもあれば、
僕はすごく幸せだと思ってしまう。まさに生きてて良かったという、アレですわ。
似ている考えとか。そういうのかな。

小学校・中学校の図書室?と、公立図書館で本の貸し借りが結構あるらしい。
予算がないからやるとか、なるほど、うまいなあと思う。
つまり、生徒にとっては学校にない本も読めるし、
公立図書館にとっては、本を学校から借りられるという点で在庫アップというわけ。
だと思うけど。でも、横の連携はいいなあ。どうしても縦しかつながってないような
イメージしかなかったからなあ。

ブロガーが爆発的に増えているらしいという予想がある。
最近知ったのだけど、アルファブロガーというとりわけブロガーでも影響力がある人を
そう呼ぶらしい。
アルファブロガーを目指そうと一瞬思ったが、天邪鬼的に、ベータブロガーを目指すということにしたい。
ベータブロガーとは、影響力を与えなくても、日々何かを書く人のことと、
適当に定義しておこう。なんかどうでもいいか。

影響力というと、昔とある会社説明会で、社会的影響力云々の話を聞いた。
社会的影響力があると面白いというか、楽しいというか。そういう話。

有名になりたいという人の気持ちは僕は分からないのだけど、
いや、縛られるだけでしょうと思うわけで、結果的に有名になるのはいいのであって、
アルファブロガーって結果的に有名になったんだと勝手に妄想。
まあ、有名になりたい人もいるのだから、否定しちゃいかんけど、否定しとこう。(おぉ


グロービスのセミナーがあるそうな。
グロービスは一言でいえば、ビジネススクールなんだけど、
経営者の堀さんの話はなかなか面白かったなあ。
というか、それはいいとして、技術者云々のセミナーがあるので、それに行こうと
ふとおもった。情報というか考え方を知りたい。
で、そこで思ったのが仕事があるってこと。
今の職場のルールは極めてシンプル。仕事終わればさっさと帰ってくれ、だ。

仕事は結果のみというのは厳しいようだが、過程をこうしたから情状酌量の余地はない。
ってここで情状酌量って言葉はおかしいのかね。ま、いいか。
結果がどうか、ということで、過程も分かる。

昔、しゃべりばで、競輪選手になる。結果のみを求めるという人がいたけど、
なるほど、あのとき僕はすごく違和感を覚えたのだけど、今は少し違う。
結果のためなら、なんでもやるっていうのと、
結果でしか評価されない、仕事は結果のみというのと、
混同していたのだと思う。得意技「切り離し」でここらを消化。

要は、結果結果というと、過程を大事にしないと思われるが、
実はそうではないということ。結果は過程があってこそついてくるもの。
だから過程を大事にしていなければ結果は出ない。
結果がマグレででても、そいつを再現することが出来なければ、
つまり、それは実力ではない。過程で自分の力を使っていなければ
そのマグレの結果は意味がない。

結果のためになんでもやるという姿勢はいいけど、
実際に何をするかが問題。例えばそのための残業というのは少々本質をはずしている気がする。
残業は仕事が終わらないからやるだけなんだけども、
実際に残業をして仕事をして、さらに仕事を増やすという残業スパイラルということを
自分で生んでいることもある。ここらへんは上司が馬鹿だったり、職場の人間で、
大分違ってきそうだ。

そういう意味で僕はラッキーだったと今、妙に関心している。

環境も十分。やっと車間距離もつかめて、
ローギアからセカンド、そしてハンドルを左右に動かして、スピードを前後して調整可能。
そして、次は勢いある運転、緩急をつけるという労働時間管理・健康管理を
自身でしていく。少しずつキャパが拡大してきている。

仕事をきっちり時間内に終わるように考え終わらせる。
そうすれば結果はおのずと出てくる。非常にシンプルだ。

で、日経ビジネス取ろうか迷う。
会社にあったかもしれん。無駄な金は使わない。いえい。

メモ

小さくまとまらないこと。世界は広い。

幸せの形はさまざまで、感じるままに生きよう。

お金がもらえるから仕事なのか。仕事だからお金がもらえるのか。
深い。

頭を使うことを意識する。そこらから自分のビジネスを起こせ。

慣性の法則は、静止した物体は静止し続け、運動する物体は
等速直線運動をすること。という確認。
これ、感性の法則として、想いをもったら持ち続けることなんていう
一つのネタとしてストック。座布団2枚レベル。

自動化の罠

老人がつるべシステムを使わずに、
ひもについたバケツで直接水を汲んでいた。

って、これ古典の話らしいけど。

ある人曰くじゃないけども、なんでそんなことしてるのさ。
あんた、つるべにひもひっかければ楽じゃんと。

そうしたら、その老人は言ったそうな。

で、その内容が思い出せない。解釈が結構難しいというか
てこずったからなあ。くそう。本は覚えている。
って、自分のブログに書いたかな。

あ、その部分はスルーしてるな・・なんてこった。
まあいいか。


ITときいて、例えば紙の文書を電子化するってことが思い浮かぶ。
でも、なんでも電子化するとですね、データ紛失したらアウトっていうか。
まあ、紙もなくしたり、破ったらアウトなんですけどね。
デジタルデータは劣化はないけど、問題はそのデータを保存する媒体自体が、
例えば、HDDとかDVDとかそういうもの自体が、ダメになることまで考えないからなあ。
って、バックアップってどうやって保存しているか知らないからアウトか。

何かを勝手にやってくれる、もしくはパレートの法則的に抑えるということをすると、
必ずではないけど、罠があると思う。
罠って言葉久しぶりに使うなあ。
なにが罠かというと、必ずそれをすることが良いとは限らないということ。
を、忘れるということ。分かりにくいっすね。

IT化するってきくだけでよいと思っちゃう感覚というか、なんだろ。
科学技術の進歩自体が善みたいなものと同じかな。
IT化は目的があって、それに見合うからやるべきで、
例えば、コンピュータが嫌いならやはり使うべきではないし、
変な話、紙に書いたデータをコンピュータが読み込んで、というのもIT化なわけで、
情報をどう扱うかが問題なのかなあ。

自動化というのも同じで、
例えば、ベルトコンベア方式で工場の生産性はあがったのだろうけど、
何の話かしらないけど、でも働く作業員のモチベーションは下がったかもしれない。
それを自動化の罠というか、なんていうんだろう。
見落としているようなところがあるんじゃないのって意味で、罠と表現してみた。
と、久しぶりに罠を使ったので注釈してみた。

表現手段、仕事、将来。

スーパーハードジェルなみの、硬い文章を寝る前にどうぞ。(え、そんなのいらないって?)

同期と軽くのみつつ語らい、巣束で語らう。(スタバですよ)

よく分からないけど、同期のストレスは少しは軽減したようだ。
いや、そうだといい。そうじゃなくてもいい。(えー

話した内容を整理すると非常に簡単。
「現状に満足してない。このトンネルを照らす松明(たいまつ)は?」
であると思う。

シンプルな質問ほど答えに窮するものだ。
僕もよく分からない。

僕は具体レベルで考えるのが好きだ。
多分抽象的表現できるってことは、具体表現もできるからこそだと思ったり。
具体レベルってのは、例えば、自分が今面白いと感じるところで、その延長か
もしくは発展、ひねりを加えたもの、他の面白いものとのミックス、
面白いと思っている人とのミックスとかも大いにある。

以前、核となるもの云々な話を書いたけど、
自分が今やりたいことからはじめればぶれることはない。
なぜなら、やりたいことはその時点で考えるだけで楽しく、
実際にやればさらに楽しいから。で、仮に3日後にやりたいことから消えたものでも、
それを実際にやりたいといって、実際にやったことは消えないわけだ。
それが達成感なり、充足感なりにつながるはず。だから、無駄が生まれない。

最初に決めたことに必ずしもこだわることはないんだ。
徐々に変化する。それは別にいい。でも、最初に決めたことってのは、
あくまでも核となるものから決めたものであって、
適当に選んだものであってはいけない。
なぜなら、適当に選んだものなら、それ自体が変われば、
最初に決めたことが「変化」するのではなく、本当に根本から変わったことになるから。
あえてまわりくどく言ってみた。

表現をしたいと思う。
自分がこうしたい、これは面白いといったものは積極的に取り入れるわけ。
仕事はやはり楽しめるレベルまで落とさないといけない。そいつは自己の腕次第。
将来は、未来なんだけど、今の延長線というよりも、今でしかないと思う。
今でしかないというのは、現実しか見ないというのではなく、今の自分の連続という意味で。

世界は広いし、悩みも深いこともあるし、悲しみから立ち上がれないこともあるし、
意味のない行動をすることもあるし、笑えること、死にたくなること、泣きたいこと、
そして、不安になること、病気、現実から逃げたいこと・・・。
さまざまなことがあって、だけども、やはり「楽しい」といえるのが僕にとっては大事だ。

なぜ僕は問うのか。なぜ生きていて、なぜ働いて、なぜ・・・なぜ?

哲学の面白さは、その「なぜ」と問うところだ。
本の面白さは、著者の想いや考えと対話できるところだ。
文章の面白さは、言葉という無数の組み合わせであらゆる表現を可能にすることだ。

将来の面白さは、分からないことにあると思う。


最後に。
好きなことを誰もがやったら社会が崩壊するというかうまくいかなくなるという意見がある。
例えば、ゴミの処理とか。確かに機械にまかせても、そいつを運ぶのは人間だし、
機械が壊れたら治すのも人間だ。
ゴミの処理なんて誰もしたがらないというのはわからないし、
したがる人がいるというのもとりあえず分からない。

思うに、こういううまくいかなくなるという人は、
自分がやりたいことや好きなことをやれないだけの言い訳をしているだけなきがする。
だから僕はその手の人間が嫌いっと(聞いてない

ある人間の人生で、すべてやりたいこと、好きなことで構成されているわけがない。
そもそも、好きなことやるって、嫌いなことがあるからいえるっていう、得意の論理にもっていきたいが、
ここはあえてスルーして。

我慢とか忍耐がすごいこととは、思わない。
その考え方はやや古いかな。もちろん、古いから悪いわけじゃないけどさ。

商品券

朝方寝て、昼すぎに起きて、
ああ、洗濯物とか色々やることあるなーと一つずつこなしていく。

髪をきりにいった帰りに、薬局へいったら、
丁度スクラッチでなんかあたる日だったようで、
何気なく引いたら、2等で、2000円分の商品券もらった。

なんかラッキー。
買った代金が2600円くらいだったので、600円くらいで
これら買えたということになるかもと、ちょっと違うけど
満足感あり。

ITEBオフ会が決定したので、いざ参加せり。

うおりゃー元気でてきたぞ。

今夜は同期と軽く飲みつつ語らってきます。いえい。

行けば分かるさ

ちょっと久方ぶりに。まあどんまい。
毎日独り言読みたい人は、メルマガでもとってくだされ。
最近、良いポエマーを見つけたので詩も載っているメルマガですよ。

と、それはどうでもよいですが。

思ったよりも、というのは、半年くらい経ってから今後どうなるかってことですけど、
変化があるなーと思っている。
それは会社自体とか、周りの人とか、そういうことではないのだけど、
10月に思ったことよりも、今起きていることというか、
見えない「人々の気持ち」というのは、変化しているんだろうなと。
抽象的ですがまあそう感じるっちゅー話でございます。

最近は、自分の起業だとか、ビジネスだとかやりたいのだけど、
なんかその余裕はなくて、時間がないというよりも、とりあえず冷やしているという感じ。
これをやれば儲かるという視点よりも、まあ一緒だというかもしれないけど、
ニーズがあるとか、役に立つとかそういう視点のほうが好きだなあ。
ニーズがある、で、儲かるのか、
儲かる、で、ニーズがあるのか、
順序が逆なだけで、えらく違って聞こえるんですけど、不思議なものですわ。

面白そうなことをやる、ってのがモットーですわね。ここらへんは変わらない。
あと、なんちゃってサラリーマンとして、やっぱサラリーマンの良いところも悪いところも、
分かりかけてきて、やってて良かったと日々感じちゃいます。いえい。

仕事自体は結構面白いです。
が、残念ながら自分の力を出し切っているかといえば、
まだまだという感じですね。出し惜しみしているつもりはないんですが、
なんていうのでしょう。

集中力を一気に高めて、そのオーラをぶちこむとか。
そういうのが甘いです。だから、どうしても冗長になりがち。

というわけで、給料日に向けてふんばります。

リスト整理

Mybloglistを整理してたら、
なんか最近面白いブログがないなーと思ったら、
なるほど、更新ストップが多いわ多いわ。

巡回先が最近限られてきていたのはそのためか。RSSってのも考えものだなあ。

ブログが更新できない理由が何かあるならいいんだけど、
いや、前提としてブログを書く、書きたいって人でね、
ブログが習慣化できないというか、飽きたというのはやはり一過性のものにすぎなくて、
単に「ブログブーム」に載せられただけだったのかなあと、少しだけ残念。
まあ、ライバルが消える(ライバルだと思っていたから)のはいいのだけど。

ま、ブログ更新しなくても逆にブログなんか書かなくてもOKちゃんだったりしたら、
それもいいんでしょうが。僕はブログは書いて欲しかったなあと
それだけ思ったのみ。

ブログってデメリットが最近ある気がするんですよねー。
それって日付なんじゃないかって。日付入らないブログって、ないでしょう。
そんなのあるのかな?あったら「プログラムミス」とかいわれそーですね。
なんでデメリットか?そう。例えば3ヶ月更新してないなら、
2005/08/07で更新が止まってるんですよね。ってすぐ分かるんですよね。
半年なら、2005/02/07で止まっている。

ブログって更新しなくても誰もが見に来るものかな?って
ふと思うんです。アフィリエイトの考えで、HPを更新をできるだけしないようにして、
稼ぐ!とかあったりするんですけど、それって微妙だなあと。

もちろんこれは僕の考えなんでアレですけど、
やっぱ先月の自分の意見が面白いとおもったら、今日の自分の意見が
気になるんだと僕は自分で思うんですよ。
だからある種更新し続けることが義務というか、もう止まらないというか。
そういう覚悟がないとブログって続かないですわ。

いや、スタイルとして、月に一度とかでもいいし。
気が向いたらでもいいんでしょうけど。

でもそれって、要は書くのが好きっていう部類には僕のカテゴリ分けからして
入らないので、やっぱそういう人はそれなりにブログを書くんだろうなあって。

でここで問題があって、毎日更新しているから面白いってわけでも、
自分のブログを含めてー耳の痛い話ですが、ないのかなとも思うんです。
面白いブログは、半年更新されてなくても、僕はお気に入りに入れるんですが、
もう興味消えたブログは遠慮なく消してます。

相互登録している人もまだ結構いるんですが、どうなんでしょうね。
Mybloglistの設定がなんか怪しいので、分かりませんが。

で、唐突ですが、このブログを毎日じゃなくても、
4月から読みはじめると、僕の行動と想いが大分分かっちゃうんですね。
これってやっぱすごいなあと思います。ブログが日記と呼ばれるのも分かるなあ。

コラム的であっても、成長過程とか分かるでしょうし、
何か変化があったというのも分かっちゃいますね。

で、気になってたブログでいくつか続いているのもありましたけど、
なんかがっかりというか、僕の想いとは全然違う方向にいってたので、
まあいわゆる勝手に思い込んでいただけなんですが、リストから削除。

大分軽くなりました。リストが。意味ないですが。

で、最近ランディ氏のブログが更新されてないとおもったら、
アメブロから、exciteに移ってたみたいです・・・8月くらいからですかね。
Googleで探せば見つかりますよ。気になる方はどうぞ。


にしても、今日は寝たくない気分ですわ。
なんていうか、物足りないっすわ。何かがねえ。
そろそろDVD鑑賞の趣味をこもれび氏から伝授してもらおうかな。おほほ。

気分は晴れ

バカボンド読み始めた。おお・・・おもしれー。
最近漫画が面白い。なんか感覚で読めるので、脳を使わない。
多分、漫画ばっか読んでいると「自由とは何か」という新書でも
かなり疲れるんだと思う。というか、活字くらい読もうよと。
ケータイをもった猿とかいう本あったね。いやー、携帯で手持ち無沙汰で
メールしているときが猿だなと感じる。ちなみに猿は嫌い(おー

年内にマンキツにある漫画を読破するかなーとか
馬鹿なこと考えたけど、まあ無理なわけで。
とりあえず、読みたい漫画は読んでおきたいっすね。

バカボンド読み終えたら、歴史モノが僕を呼んでいる。
龍狼伝?とかよりも、なんだっけ。なんとかなんとか。4文字のだっけ。
まあいいや。殷周なんちゃらって横山氏の漫画あったのね。
何気にジパングも追わねばならぬ。

あと、寄生獣もね。気持ち悪いんですけど、読みたいというか。
おすすめでもあるわけで。面白そうです。

後何があるかな。まあこれくらいかな。
これら読み終わる頃にはまた別のが読みたくなってる。

というか、最近は活字読むのが面倒でございますな。
うほほ。


人を見下すこと

馬鹿バッカということばが自分の中で流行っていた時期がある。
バカとは考えない人の意でごじゃる、ここでは。

誤解を招きそうだが恐れずに言おう。
ゴーマンをかますわけじゃない。安心したまへ(笑)

そもそも、人は最良の道を自分なりに考えて生きている…考えがある。
いくらアホにもバカにも見える人にもということだ。
でも、それって本当かどうかは分からない。本人しか分からないんだろうなあ。やっぱり。

いいんだ。別に僕がそれを語る人間ではないと思ったらそれでいいんだ。
でも、やっぱそれは悔しいじゃない。
自分という人間が「それほど」=語る対象ではない人間として思われたこと、だとしたらさ。

まあいいや。
その人が考えているかどうかって結局のところどうでもよくて、
考えている成果というか、自分なりにやってるんだというものを見せて欲しいというか。
別に僕は人にそういうものを望んでいるだけじゃないんだ。自分もそう生きたいから
そういう人間を欲するのみ。非常に自然なことだと思っている。うむ。いいぞ。

それで、自分のことを考えてます!すっげー考えてます。
で、それは自分にとっては最良といかなくても、ベターなもんでございまして、
こういうことでございますと、聞くわけだ。でも、その考えが「考えが足りないかも」とか、
「こういう考え方どうだろう」と、ある種耐えられる人じゃないと持たない。

こうやって考えてくると「話が合う」人間がすごく限られてくる気がする。
家の家訓は「自分で考えたように生きなさい」(今作ったというのは内緒だよ)であって、
「考えずに生きなさい」でも「人に惑わされて生きなさい」でもないわけだ。

結果的に僕は友人というものが少ない気がする。
友人の過多については、多分だけど、多くの若人が悩むだろう。
僕にとっては、量を増やす意味が分からない。そういう人ならそれでいい。
やっぱ色々な友人が欲しいと思えばそれでいいんだと思う。というか、思うようになった。

どちらでも正解とかそういう話ではなくて、自分がどう思うかが、という話。
もちろん、自分が全て正しいとか、そういうことと間違えて理解しちゃ困るわけでございますが。

質か。友人の質が大事かといえば、それもまた微妙な話になってくる。
なぜか。言葉の意味合いもあるが、知人や知り合いを多く持つのは悪くないと僕は思う。
しかし、語らえる友人はそう簡単には増えない気がする。
まあ、それもどうでもいいといえばどうでもいいけれど。

人を見下して、お前はバカなんだと僕は思ったことはないが、
なんでもっと考えないのかなと思うことは多々ある。

働き出して思うことは、多分色々あるが、やはり人だなーと思う。人。
会社とは、社長でもなく、リーダーでもなく、ビジョンでもなく、売上の数値でもなく、
福利厚生もでなく、給与でもなく…人だ。

僕はこういう選択をする人間であーるといっておいてから、
まあ給料が安いより高い方がいいよねえとは思ったりするが、でも人だなあと。

冷静に考えてみよう。なんで人、人いうか。
人って簡単に「成長」させられない。なぜなら「意識」が必須条件だ。
しかもその意識は、生卵が目玉焼きになるようにではなく、すぐに「言って」変わるものでもないし、生まれるものでもない。

こういう点を考慮した経営者が一体どれくらいいるか分からないが、
もしこれを考えている経営者がいれば人の成長はものすごく早い会社だと言えちゃうかな。

人を見れば分かる。その人から、その人の属する会社までが。
もちろん、何人か見ても分からないかもしれないけど、そこは問題じゃない。
そこは理屈とかはスルーして、自分の感性と直観、要はインスピレーションに相談して
決めるべきかなと。

勤めた会社にしばらくいたいという人もいるでしょう。
もう辞めたいという人もいるでしょう。
こっそり転職をしようともくろんでいる人もいるでしょう。

色々な人がいるでしょう。

でも、やはり声を発しないと届かないわけですし、
その声を誰に届けるかもありますが、どちらも自分次第ですわな。
そいつをしないと、おそらく誰も分かってくれないという状況になりますな。

まさに、臆病な自尊心、尊大な羞恥心というのは、これのことですな(おぉ

人を見下したらやはり、その程度の人間なんでございましょう。
見下されたらその人もその程度なんでしょう。

そんな小さな世界で生きる必要はなく、もっとフィールドは大きい。
それだけはどんなに枯れても記憶しておかないと、終わりかもしれませんね。


キャパを増やす

写真家ではない。名前忘れた。

仕事がメインで、日々の仕事以外の時間が短くなっている。
しかし、しかし、ここであえて問おう。自分に。
まだまだやれるし、まだまだ限界ではない・・・。
モチベーションは高いとはいわないが、モチベーションはきっちり上げて保っている。
自分はできるんだという自信が生まれつつある。さすが新人、考えが若いと自分で思いながら。

現在の感覚的自己心境?というのは、
やれることはまあやっているが、まだやれていないことのほうが多いというか、
もうちょっとだけふんばってキャパを増やしたらいいのになというもの。
それは本読みだったり、文章量だったりする。
ブログは最近毎日書いていないが、もっとかける気がする。
ネタがないのは、本を読んでいないから。人に会ってないから。思想に迷いがあるから(おー)であって、
決して誰のせいでもない。

というわけで、キャパを増やしていきましょうか。

おはようと、その他の伝言

今日も元気に七つ寺。

見た。

途中なんか眠くなったのだけど、そこはどんまい。

死にたいというシーンというか、飛び込み自殺ですね。
そこが印象的で、それはおいておいて、朝が繰り返される。
色々な登場人物が出てくるけど、リカが抜群に印象的だった。さすがメガチカ(ぉ

ここからは全て妄想と独断の世界。
だって、多分これ「正当な」解釈なんてつまらないし、そもそも「正当」がなにか
僕には分からん。というか、そういうのを狙っているというか、僕にはそう感じるので、
そう思うし、そう書くわけですわ(COOL!

おはようという言葉が頭に結構残っている。おはようという言葉は、朝を連想させ、
何度もKIOSK周辺?で繰り広げられる世界というか、日常。

例えば、僕がKIOSKではなく、職場とか、そういう日常になじんだ、慣れ親しんだ場所、
いつもの日常のなかで、「おはよう」という言葉はどんな意味を持っているかを考えてしまった。
おはようには意味がないかもしれないが、おはようという言葉で、何か変えることは
可能じゃないかーとか。意味がないと可能性があるとは決して矛盾しないんじゃないとか。

自殺をというか、飛び込んで死にたい、死にたい人というか、
「誰が死ぬか分からないけど、誰か死ぬ」という台詞が象徴的だけども、
結局誰も死なない。

あと「理由と方法」って言葉も。

哲学的に考えなくても、哲学的に頭が発動する。許せ。

生きる意味と死ぬ意味は同義だといっていいくらい、それらの意味は
勝手に決めていいとおもう。そりゃ反社会的に生きるってのもアリかもしれないけど、
なんかやだよね。

死にたくなるときってあると思う。僕もあるし。
逃げたくなるときもあると思う。僕もあるし。
実際に生きているだけで尊いってのは、そういう低い次元(レベルが低いって意味じゃなくて)からみて思うことかな。
そういう次元に立っていたら、普通死のうなんて思わなくて、生きよう生きようと思う。
死にたいと思うとき、そこには必ず一部でも全体でも、思考を停止している。
死ぬ=思考の完全な停止があるから、死ねば終わると思っている。

でも、死が本当にそうとは誰が決めたのか。話が怪しい方向にすすんでいるが、
もうとめられぬ。
死んでも一生悔いの残る人生を送るのかもしれないと思うとぞっとする。
死んだら終わりとは僕は思っているけど、実は終わりじゃなかったりしてね。

死にたいという人間を死なせない社会は、心温かい社会なのか。
それとも、冷たい社会なのか。ここで、今読んでいる本「自由とは何か」という
古本屋で180円で見つけちゃったものと重なってくる。
何がどうあれば、こうなるっていう、いや正確にいえば、
死にたいという人を死なせてあげる社会がTRUE(英語の真の意)だとしても、
ある人はそれはFALSEだといい、別の人はTRUEだというかもしれない。

よくジャーナリズム云々で、事実と主観(意見)の違いを議論というか言ってたりする。
確かに違う。でも、ピュアな、つまり100%事実な事実ってこの世にあるんだろうか?
それって、オリジナリティーというやつと同じで、100%オリジナルなものって
僕にはあるとは思えないから、同じ理由で、事実に主観が混じらないなんてありえないとすら
思っている。
だからこそ、世の中に事実はないと思っている。真実といったほうが正確かな。

自分のインスピレーションに生きるとは、結局真実を見ないことだと思う。
それは目の前の出来事を無視するのではなく、出来事から主観をはぎ落としていったら、
多分そこにはただの塊が残るだけじゃないかと思うわけで。

インスピレーションとは直観だろうか。
自分を信じるとは、周りを信じないことでもあるけど、別に信じてもいいし
信じなくてもいい。他人の意見はあくまで参考で、良いと思ったら取り込めばいい。

自己を主張せずとも、自己をPRするということはできないと一見思う。
が、僕は分からないなりに、この演劇を見ることで、演出家と劇作家・劇曲家の狙いの
違いというか、さまざまな狙いがあることを肌で感じてしまったかもしれない。
もちろん、演出家の刈馬氏がメガチカ風にしたといってるのだからかもしれないが。

世の中は広いと思う。
舞台の上でその世界の広さを表現しているってことは、どういうことか?
そう。世界の広さを知っているからできる芸当だ。かっこいい。
そして、舞台という限られた空間でそいつを出せるってことは?
事実とか真実とかどうでもよくて、感じるまま、見るがまま、考えるままを吐き出す。
そういうことが面白いと思えるから、それでいいじゃないかと思う。

というわけで、やっぱメガチカ熱いわ。
本が読みたくなるし、何か書きたくなるし。いやー本当ありがたいっすわ。
にしても、500円は安すぎですな。マックのセットと同等だなんて。
世の中やっぱり面白いっすね。

今日の予定

掃除掃除掃除。

部屋の汚れと自分の心の迷いは比例する。
なんか修行僧みたいだな。

まあ、それも一興なりなり。

逃げられない現実

人々の笑顔の裏には、いや顔の奥にはやはり一見しただけでは分からない
ずっしりとした疲れがある。その疲れは全て仕事のせいだとはいえないのだけど。

勘違いしちゃ困るのだけど、
楽しく生きるのは、楽して生きるのとは違っていて、
むしろ苦行みたいなベクトルのほうが楽しい気がする。自分はヤですけど。
誤解を恐れず言ってみた。

ある種のインパクトが必要で、それくらい経験が不足している。
なんかこんなこと前いってたな。

礼儀とかマナーって結局、場数の現れでしかない。
要は人と会っていなきゃマナーなんて磨かれるわけもなく。
そういうことを突き詰めていくと、自分次第でありつつもやはり、
他人とどれくらい接したかが問われる。問われ続ける。

小さな人間は分かってしまう。別に決め付けたいわけじゃなく、決まるというか。
大きな人間も同時に分かる。かなわない!とか思う以前に、負けたと思える。

誰もが、自分が思い描く人生があっていいと思うけど、
どうも神は人間をそのようには作らなかったようで。
そういう思考とか、素養とか、感覚とか、才能って、やっぱ人それぞれなのかな。
いいんだけどさ。

ところで。

逃げられない現実があるといって、その現実に嘆く必要は全くない。
必ず見渡せば仲間がいて、支えあえる人がいて、温かいつながりがあるからだ。
臆することもない。不安がない人間はいない。ないようにみえる人間はいるけど、
それは全て場数の表れだ。といって、なんでもやればいいってことじゃないんだけど。

深呼吸をしてみよう。周りが見えるようになる気がする。
話をしてみよう。自分のリズムが分かる気がする。
思いっきり自分の好きなことをしてみよう。それが好きだと分かるだろう。
泣いてみよう。なんで泣いているのか自分で分からないくらいに。
書いてみよう。自分の想いを書いてみれば何か見えるかもしれない。

世界が変わったのか、自分が変わったのか。
そんなことはどうでもいい。変わった事実が、変わった感覚さえあれば
それで十分だ。

やはり

人間をある程度ストレスフル、もしくは負荷をかける、もしくは刺激に乏しい環境、
もしくは命に関わる状況など、とにかく危ないところにもっていくと、
人間が試されるようだ。やはり。

それはそれで面白いものだと思う。
不良というのは、「不良」自体が基準となっていて、ルールを守らず、
迷惑をかけること自体がかっこいいと思っている。
が、それはある種の道化にすぎなくて、上でいってる「局面」に立つと、
ボロがでてしまう。
とはいえ、武道をやって、精神を鍛えよ!などといいたいわけなんて毛頭なく。

自分はこんなんじゃないといった自分をさらに否定できる人間は、
そこらにいる安い人間じゃない。人間に安いなんていうのは失礼だが、あえて。


マンキツでバカボンドを読み始める。なかなか面白い・・・くそう。面白いじゃねえか!

あ、そうだ。思い出した。
昨日、やまだひさしのラジアンリミテッドデジタルクロスというラジオ番組があって、
木曜日の深夜、正確には金曜日になるが、毎週木曜日はお仕事を紹介してる。
寝ながらだけど鮮明に僕の頭に残った。

たかちゃという元とび職のアーティストがいて、その人とやまちゃんが話してて、
あるリスナーとの電話の会話で、人見知りが激しくて人とうまく話せないって、
そんな人が相談してきて。
まあ臨場感は伝わらないな、これじゃ。そりゃいいや。

で、肝心なのは、
自分次第で、人見知りとかいってるのに、すでに全国ネットのラジオで
話しているじゃない?それってすごいことだーって、思わず僕も「ああ、そうだよな」と
思ってしまうなんていうんだろう、自分の足元をみてごらんって言われて
その足元がすごくしっかりしていて、安心できるそれこそ毛布とか、そういう気持ちよい
感覚なものになっているというか。(おお、ゆれる文章!

で、そういう会話があったあとに、やまちゃん曰くー。
やまちゃんって、やまだひさし氏のことね。ラジオDJ。
どんな環境でも、どんなつらいことがあっても、やっぱヒトのせいにしちゃいけなくて、
やっぱやっぱ最後は自分なんだよーって言ってた。
それって、やまちゃんのDJになる軌跡でも同じようなことがあったらしい。
ゲストのたかちゃがトビからデビューするのもそういうことがあったようで、
それを思い出したようだ。

そうか・・・。自分は全て自分がチョイスしたもので出来ているってことか。
そう、それだよ。まさか深夜ラジオからそんな言葉聞けるとは思ってなかった。
ありがたい。

何焦ることはないさ。やりたいことはとっととやっちゃったほうがいいけど、
焦ることはないさ。よく社会に出る前に人生決まっているとか無駄悟り開いているやつが
いるけど、そんなのはホウキではいちゃおう。ささっとね。

んじゃ、明日にでも観劇いくかな。うっひょー。
お疲れでした!

忘れもの

最近、「働くとはなにか」的な検索でよくこられる方が多い。
さすが、就職活動時期。迷え、若者ってね。

でも、ヤフーかなんかの検索で3番目にヒットとは、
RM軌跡も捨てたもんじゃないな。

働くことか。
すごく単純なことだけど、すごく深いというか。
だから、そのためにWikiまで立ち上げたのに、
最近書いてないなあ。まあ書く波ってのがあってもいいわけだし。


ダチンコからTELあり。珍しい。
核となるもの。長時間労働で思考停止しないこと。
まいるさんじゃないけど、やっぱ労働時間ってのは、
規制されるべきだなーと思う。そうしなきゃ死ななくても、
病気とか体にかなりダメージを与えてくれるし。

さて、あまりぶつぶついってても仕方ないので、
床につくかな。

BECK読んでしまったので、何のために働こうかねえ。
ああ、観劇せねば!

ランキングチェック

そういえば、最近1ヶ月に1回くらいかいてた、「もう何ヶ月目ですね」という
こばやしさんからの影響で書いてたものを書いてない。
すでにブログは自分の身体となってしまったのだ!

ま、それはいいとして。
人気ブログランキングの順位をチェックしてみた。
「本・読書」にフルで突っ込んでる(エッセイとかってカテゴリないのね。いやん)
ちなみに、「フル」とは、このランキング自体は、色々なカテゴリに登録できるけど、
その分ポイントが分散する方式を取っているってわけ。
なかなか賢いっすわーとかおもいながら、「本・読書」しか入れるところないから、
このやろー的な発想でフル。
あ、別に文句があるわけじゃございやせん。ごめんなさい。

http://blog.with2.net/rank1375-19.html
こちらが、951位?1000位。
1000以降は省略される。負荷かかるだろうしね。
って、リンクしてなかったせいか、1000位以降っぽい。
うう。自分の実力を今更ながら認識。

とりあえず、上位ブログはスルーして、
適当に「本・読書」ランキングにいるブログを漁ってみる。
おぬしらの実力見せてくれよと。(迷惑


http://blog.goo.ne.jp/anpan4649/
為替のブログっぽいけど、なんで本・読書なんだろう。
って自分も本読み最近してないのでアレですけど。ごめんなさい。
間違えたのかな?
あ、別に複数登録してもいいからいいのか。
フルで突っ込むやつが珍しいのか。うう。


うーん・・・。
書評ブログって自分のブログも含めてつまらないのかなあ。
いや、だってさ、なんていうのだろう。
その人の視点で本を読んで、その意見なり感想だから、
その人自体が面白くないと、面白い、ああ興味深いって意味で、
興味深い書評はかけないんだろうなっとか。

まあ、自分のレビューもたいしたこと書いてないんですけど、
でも印象に残ったという点は常に書いているつもり、つもりだからたまに書いてないけど、
そこらへんは統一感あるはず。うひょ。

この「本・読書」カテゴリ・・・せめて100位には入りたいっすねえ。
とはいえ、毎回記事にクリックお願いしますっていうのが、嫌なんで、
とりあえず、人気ブログランキングも一つの手段として。

自分を広めて、自分の力を試してみるって段階まできたってことですね。
葛藤があれど。さて、これからどうしていくかがポイントです。

さんげつき

思い出した。
自分を広める上で、山月記(さんげつき)の話を。
中島ちゃんの作品ね。

尊大なる羞恥心と、臆病な自尊心ってやつだったかな。前も書いたなあ。

進もうにも磁石が背中をひっぱって、下がろうにも下がりたくない。
葛藤に似てるけど微妙に違う。

Webリングを色々探してみたけど、なんかエッセイだけのリングってないのかね。
独り言と称して、大分書いてきたけど、少なくとも自分と同じくらい続けている人が
いるサイトを発見したいものだ。
やっぱ続けられるかどうかは、すごく分かりやすい基準だなあ。

新しくWebリングとか作る気にはならないけど。
ああ、人気ブログランキングバナー復活しとくかな。

広報戦略を練らねば。うひひ。
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