ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

2005年02月

希望格差社会

ふむふむ。

結構さらりと読めた。分厚さは関係ないようだ。最も大学の講義がベースだからのようで。

この本は非常に面白かったが、それ以上にアマゾンレビューもなかなか面白い。

低評価者の意見で、対策が甘いわというのがあったが、僕も同感だ。
本の最後の方で、希望に格差のある社会になる、なっている、なっていくということに対して、じゃあどうすればいいか?というところが、本当に少しだけある。

結局、ここで「肩すかし」を食らう人がいてもおかしくないと思う。
最も、社会学者に今後のビジョンを示せというのは、無理な注文であって(これは学者、いや著者に対して不満では決してないのだが)、そういうのはやっぱり起業家とか、そういうことが得意な人にやって欲しいと。というか、自分もそうしたいなと思うわけですが。

学者は、そういう職業だ。んだ。妙に納得。

本の内容は省略っと。気になる読むべしっと。

現状に徹底的に向き合うべし、とそういうところは素敵だと思う。
実際に「リスク化」「二極化」という言葉で説明されている、日本の現状がざざーと書いてある。
僕が面白かったのは、「リスクの普遍化」というもの。
フリーターのリスクというのが、フリーター自身おそらく分ってないから、フリーターになるんだと思うが(最も職につけねーんだよ、バカ野郎という人がいてもおかしくはないが、僕に怒鳴られても困るわけですね。といっても、断られた先に火をつけてもいけない。さあ、どうする?やはり・・・バイトになるわけですな。ぐは・・・)でもねえ

メタリスク認知みたいなことを結構何度も繰り返している、いや二次的リスクか。

まあいいか。

で、結局ですね、この本を批判しようが、賞賛しようが、こういう事実は否定できないでしょうな、と。著者の意見は別としてね。
でも2つだけ気になる点が。

正社員に比べフリーターがパソコンスキルが低いというのがあるんですけど、これ唐突な感がありました。多分ミスなのかな。まあ、関連している表かなとは思えなくもないけど。

もう1つは、アマゾンレビューにもあった、マッサージで起業とかの話。
これは、嘘だと思った。えっと、くそ、しょうがない引用するか・・・ふう。
p.241にこうある。
学校システム、職業訓練システムでは、これくらいの努力をしたら卒業、もしくは、資格をとれば、これくらいの仕事につける、収入が得られるという保証をつけたメカニズムをつくるべきである。
これは分るのだが、これって著者がパイプラインシステムとして批判している(うーん、事実なのか分りづらい。ここが己の読解力の限界か・・(笑))だろうと思われる、学校?と思ってしまったのだ。
そう思った人いないのかしらね。

で、次にマッサージ業界の系列店で働く・・・という話になる。
TVである靴屋チェーンの話があって、そこではバイトが社員になれるシステムがある。
「ほう」と思ってみていたが、やはり厳しい。つまり、ほとんどは落ちる(多分90%以上か)わけだ。
そこに「見とおし」もくそもないと思う。だから、この対策というか、見方は甘いと思った。

まあ、大した指摘じゃないね。

で、問題は「希望」のある社会って何かってこと。これは非常に哲学的になるので、多分「タイトル」は分かりやすいが、理解が得られにくいタイトルな気がする。
僕にとって、希望とは、より面白く生きられるということだ。
実際にすでに「面白い」と思っていて、充実していると言い切れる。が、まあそういう部分もないときもあれば、へこむ時もあるわけで。

希望の格差があるという指摘は面白いが、しかし、希望なんてものは、絶望がなければあり得ないものだという話をしたらどうなるか?
最も、この本の8割以上、9割は、暗い現実、事実があって、絶望にいる人が「多い」と言っているのだが(ね?そうだよね?)、まあそういう見方はいいけど、じゃあなんで絶望かと。
そういうところでは、経済的所得とか、先が見えない、経済的な量の格差ではなく、質的(能力で補えないもの?)な格差とか、心理的格差とか・・・を挙げているけど、何か絶望に偏ってしまったかな。

希望がある社会を作るべ。となぜか妙に思ったので、この本には感謝。皮肉じゃないよ。
希望が持とうと思っても持てない人ってどういう人か、想像つかないといったら、お前はなんだと言われそう。こえー。
いや、そうじゃなくてね、やっぱ分らんと言いつづけるのが大事かなと。
僕は妙に分った風なことをするのが嫌いなんで。うふ。
やっぱね、元気だせおらっといって、解決する精神論じゃないしね・・

この本読んだ方いたら、希望を持つにはどうしたらいいと思いますか、ね?

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く
山田 昌弘
筑摩書房 2004-11


by G-Tools

バカのための読書術

店頭で見た気がする。2年くらいは経ってる。後、古本で御買い上げ(笑)

非常に面白かった。

とりあえず、自分の解釈では、著者は歴史という事実をしっかり学べと。
他にも色々あるんですが、まあ「バカ」とか「インテリ」とか「専門バカ」という色々なバカが結構出てくるので面白いですね。

さて・・・

たまには紹介しますかね。
まず、p.29でこないだ読んだM・ウェーバーのことが。ラッキーですね。
つまり、ウェーバーは、教師たるものは、事実を教えるだけで、考えや意見を教えていけないというわけです。ちょっと違いますが。

例えば、1945年に戦争が終わった。という事実は教えるべきだが、
1945年の戦争はこういう意味に違いないと、まあ過激?な主張をするべきじゃないと、
まあ当たり前ですが。多分こんなことです。大きく外してないはず。

そこで、先生と呼ばれる職業は、今ではだいぶ「社会的地位」が低下した気がします。先生をバカにしているわけじゃないですよ。
それは相対的に先生が増えたわけで、同時に相対的にバカ先生も増えると。
よく、先生なのに・・・事件を起こした!というのがありますけど、あれはもう大分オカシクなってきましたね。先生でも・・・というよりも、先生だからという変なイメージを与えてしまっている(笑)
だから、僕にとっては、ほとんどの先生が「反面教師」であるので、その意味で「私は教師だ」といっても良いと、すごい皮肉ですが、思ってます。

あとは・・・そうですね。
フロイトとか、ユングは学問ではないとか、宗教「学」はおかしいとか、色々な視点があって、「本」のタイトルはめちゃくちゃ多いです(ブックガイドでもあるからかな)が、飽きなかったです。

p.129にあの「戦艦大和の最期」が出てきていますけど、笑ってしまいましたね。
著者は最期の方に、この本は、インテリ向けだとぼそっていってますね。
あ、この本面白いと思った僕は、インテリなんですかね。まさかね。

p.164に龍ちゃんの「愛幻ファ」も紹介されてたり。むは。

p.185はもう後書きなんですけど、「今、ここ」という話が面白い。
結局それは、ある偉い人(かどうか知らないですが)、政治学を学ぶのに「アリストテレス」ばっかやってるから、そんな浮世離れ(いや、しらんですけどね・・・)したものじゃなくて
もっと、「今、ここ」を見ろと。

そういう流れが、いわゆる若者(コンビニの前に溜まっている人とか、って最近見ないな・・)に来た・・すると?「今、ここ」のことを考えてればいい・・・
ということが書いてあります。面白いですね。

ちなみに、常識とかバカとか、個人的定義は良いですけど、相対的な要素が強いので、
「あいつはバカだ」なんて直接言ってはいけません。というか、それがポリシー
じゃあどうするかというと、間接的な表現で言う。そして「何それ?私バカってこと?」といったら、「うん」という。それが我流。

ちなみに、この手法で友達は少なくなり、減りますが、意外にもそれで残る人間は、すまさじい人間ばかりだと言っておきましょう。

これは僕の世界で完結してるからいいものも、真似するとか(そんな人いないっしょ)、あと組織レベルの教育で、こういうことされると、たまらんですよね。うはは。

おっと、僕は学者になるつもりは微塵もありません。
あと、自分は「バカじゃない」と思っていますが、やはり「バカ」だと思いました。
バカだから出来る!という開き直りのパワーが好きですね。

もっといえば、頭の良い人は、おそらく自分に「出切る」というパワーがないから、自信がない人が多いのではないかと、という変な仮説を立てて・・・・
中途半端は悪なんですが、かといってバランスをとったところが「中途半端」ではないという罠が明確に存在するので、まあ、気をつけましょうと。

変な終わり方になってしまった・・・が、この本いいね・・・

あと、最期に、最期に。
この本、活字嫌いの人が読めるほどのレベルじゃないっす。
僕は知らない本だらけだったりしましたが(出てくる本)、慣れで読めました。正確には「ふーん」という程度で読んだということ。
それを真っ向から行くと、おそらく「バカ」ではない人も、「バカ」だと錯覚するので、非常に危険な本かもしれません。

アマゾンレビューは色々な意見あって面白いかなと思います。低・高評価、それぞれよく分る気がしましたよ。

と、エラそうにしめる。

バカのための読書術
小谷野 敦
筑摩書房 2001-01


by G-Tools

1×1=無限大

あんまり面白くなかった・・・ね。

内容としては、MOCというブライダルとか幹事仲介とかそういう会社の話と、
浜野さんという(この方、東急フンズ作ったのか、すげえな)方のメッセージ。

本に慣れてないと、浜野氏のメッセージは直球すぎて火傷しそうです。
肉をあまり食べずに野菜を食べるとか、スローライフとか分るんですけど
なんかあれですね、言葉が先行してるーって感じです。

って、わけで面白くなかったです。トバシ読み。うふふ。

1×1=無限大―ワンツーワン、そしてリレーションへ今、新しいライフスタイル・ビジネスが動き始めた。
浜野 安宏 山田 納生房
東急エージェンシー 2002-09


by G-Tools

あうち

間違えて消しちまった・・・。

要約すると
・こもれび氏はサラリーマン向きではない
・なぜなら、サラリーマン向きではないと感じるから。
・10年後にもしサラリーマンだったら、僕が焼肉を奢る
・しかし、そうではなかったら、「さすが、RM」ということ。
・現段階では圧倒的に自分が有利な状況ではないか?(笑)
・リーダーシップではなく、リーダー向きではないと思うけど、リーダーってアホがなるもので、ピエロですよ。そういう意味で良いと思う。
・組織の歯車には、それでリスクバランスが取れる人とそうではない人がいるはず。
・例えば、歯車になることで安住で、ハッピーな人がいる。
・例えば、歯車で、何か妙に「違う!」と思う人がいる。
・この2つの例でいえば、こもれび氏は、後者ではないかと想像する。

以上によって、こもれび氏はサラリーマン向きではないと判断する。

ちなみに、想像に過ぎないが、
できるサラリーマンとは、サラリーマン離れしていて、サラリーマンではなくても食べていける人のこと指す。

できないサラリーマンとは、サラリーマン以下で、サラリーマンでなんとか食っている人を指す。

サラリーマンとは、組織の一員であり、代替部品である。
これは人間をモノとしてみているが、実際にそうだ。
そこに感情や、好き嫌いや、フィーリングなどが入る。

世渡りが上手いといって、大して仕事ができずに出世する人は、
その感覚のみに長けているだけであって、つまらん人間よ。

サラリーマンとは、仕事が出来る人は、サラリーマンにならなくても良いという
奇妙な職業よ。

代替部品でもええよ、、、という人は僕から見れば恐ろしいが、
実際にそれでも良いと、自分を低く見積もる人がいる。

僕は口では「大したことない」「くそな」人間だと言うが、
心の中では、「天下統一」「日本転覆」「世界に平和を」と同時に考える人間だ。

そういう人間とマトモに話せる人間は残念ながら少ない。
これは自分の特殊性故に・・・というよりも、単に多くの人が、その人の自己スキルを
磨いていない、もしくは把握してないために、僕なんて人間は、小さく見えただけなのだと思う。

これを傲慢、思い上がりという人間は多々いるはず。
が、才能がないと自分で心底思っている人間はまず、可能性がないと思う。

前提がある。
それは「自分ができる」と、宗教的でも、自己啓発本にあるようにでも、まず思うこと。
そこからまず始まる。
といっても、反社会的なことはタブーですよ。

おっと、このブログ自体が反社会的だって?
ふんだ。

こころのチキンスープ〈3〉

良いね。このシリーズ集めるか・・・。ね。

p.194にこんな会話が。
「第二に、本を読める人間になれ。何があっても奪われることのないものがあるとしたら、それは、人間の英知だ」

うお・・・すげえ。

というわけで、本をもっと読むことにします・・・ね。

こころのチキンスープ〈3〉―愛を見つめる死を見つめる
ジャック キャンフィールド マーク・ビクター ハンセン Jack Canfield Mark Victor Hansen
ダイヤモンド社 1996-11


by G-Tools

狂人

むー、とりあえずこのブログを有効利用しようと。
一年経ってそう思い始めました。まあ当たり前ですが。

本の情報といっても、色々あるでしょう。
例えば、ある人は、新刊書の情報が欲しい!でしょうし、
ある人は、自分の住んでる地域で面白い書店はないのか、でしょうし。
またある人は、電子書籍に関する情報が欲しいでしょうし・・。
ある人は、自分の読んだ本の意見が知りたいでしょうし。

とにかく、腐るほどあります。
これを全部やっている人はいません。いたらその人は悪魔です(わーお

僕が集中特化できる(特化に集中をつけているのです。これを狂人化といいましょうか)、
そういったものはなにか。ここで色々考えるわけです。
いや、むしろ・・・ぶろぐを書きながら考えてきたといっても、過言ではないでしょう。うふ。

まず、「個人図書館設立」をしたいですし、そのために「個人図書館」を見ねばならないと思いますね。
ある方が、個人図書館あったけど、つぶれたみたいねということを言っておられました。
人には色々言うものだと思いますね。それだけ情報が返って来るものですな。

他には、「本の素敵」さを広めるという、一種の啓蒙活動がありますでしょうで、ございます。
こいつは、本読み教という宗教にしたほうが早い気がします。
毎日本を読まなければ、死ぬという恐ろしい宗教でございます。わはは。

その2点がメインで、後はなんでございましょう。
とくにないのでございましょうか。ってこの口調はうざったいですな。

本好きの人ともっと会いたいものですね。
命かけて本を読んでるくらいの人が良いですね。
出会えば何かまた面白いことが出来そうですしね。

本好きだけではなく、色々な人と並行して会っていくのが素敵ですね。
そうすると、意外なところから、意外なものが降ってくる!気がします。

とりあえず、実際に書店の店主、もしくは本好きでそういったことを良く知ってる人、
そんな人に会いたいものですね。

あ、図書館司書とかね、そういう人もいいですな・・うぐぐ。

でもね、やっぱね、そういう人もいいけど、それだと視野が狭いんで、
逆に、本が要らない国とかね、そういうものも作りたいなと。
ふーん。妄想ですか?いやそうでもない。

徐々に自分のやりたい方向に環境を変えていく。
そういえば、もう今年2ヶ月経とうとしてます。

今年の目標は・・・良い感じで達成できてませんね(笑)

こんな書店で本を買いたい

妙ににおった本。別に変なニオイがしたってことじゃないですよ。
いわゆる「ぴーん」ときたってやつです。

ばっちり、ビンゴ。さすがRM。あほだ。

まあタイトルの通り、本屋にまつわるコラムが並ぶって感じですね。

1番良かったのは、p.160にイラストがあるんですけど、
遊園地感覚の本屋っていうやつ。ヴィレヴァンもその一つであると思いますが。

ここでちょっと思ったのは、本の今後の流れですね。
大型書店、中小書店の並存は結構難しいようですが、まあ再販維持があるので
まだ良いのでしょうか。僕は定価維持制度に対する考えが浅いんで、あれですけど、
やっぱ、どこにでも本があったほうがいいと思います。
当たり前ですが、都市圏、首都圏、地方都市に住んでいる人だけが、本を読みたいわけじゃないですしね。

そこで、ネット。IT革命といわれて、本が手軽にネットで買えるようになりましたね。
配送も早いですし、送料無料も多いですしね。アマゾンやヤフオクなどでは、中古品で安く買えるわけで、選択肢が多い気がします。

せどりーというのが、いわゆる古書店から個人に。ブックオフの影響が(全国1000店近くありますしね・・)強いですね。
そうなると、「本好き」は、ネットで書評なりレビューを書き、コミュニティを創ったりして。
そこで、今では「ネット古書店」というものも出てきましたね。

それオンリーで食べていける、つまり生計が成り立つ人は結構少ないと思いますが、でもそういうことで「生計の足し」になるのは良いなと思います。

時代はさらにこの後進んでいくわけですが・・・非常に楽しみですね。

個人的には、ブックオフ、定価、せどりでうまくマーケットのバランスを保っている気がします。
このバランスを崩す影響を誰が(法人、個人問わず)与えるか、または定価維持の法律か。。
意外なところにダークホースが隠れているかもしれませんね。

ただ個人の力が確実に社会に影響を与えるというか、考えを述べられるという点で、ネットは良いなと思いますね。
最もネットが発展すると、ですね、逆に現実でのやり取り、それこそ実店舗でのコミュニケーションが重要になってきて・・・。と、ここでもバランスが。

どんな風に転ぼうが結局、社会全体でリスクを回避しようとしていると。そうにらんでみます。
と、そんなことをふと考えて見ました。

で、本好きの人は、この本多分面白いはず。

こんな書店で本を買いたい―書店の秘密
池田 良孝
日本経営協会総合研究所 2000-11


by G-Tools

幼稚園と保育園の違い

前書きましたけど、それは単に違いでした。
例えば、保育園は学校ではないが、幼稚園は学校だとか。
仕事している人は保育園に通わせるし、幼稚園はそうではない人が多いとか。

あと、お金の面では、幼稚園は一律だが、保育園は所得に応じてだとか。
そういう機能的な違いはいいんですね。

親が言ってました。
「やっぱね、幼稚園いかせて良かったわ」ってね。

何が良いかわからんですけど、保育園だと「学区」エリアで固まるそうです。
まあ生れて3年くらいの子どもさんが、物心つけるんだからなんでも良さそうですけど、
それが甘いってことですかね。

ほとんど記憶ないですが、幼稚園は結構色々なところから来てた人がいたようです。
ちなみに、高校の時に幼稚園の同級生と会うけど(なぜか現在形)、僕はすっかり忘れてました。まあ、男だからいいですね(問題発言)。

保育園はそのまま小学校にすすみ、この場合は公立の小学校ですけど、
だから、小学校入ると、「保育園」で知ってる人ばかりというのがパターンなようですよ。

僕は全然知らない人ばかりでした。ということです。僕には記憶がないのじゃー。

唯一覚えているのは、小学校の1,2年の担任がくそばばあで、
忘れ物とかすると、「あんぽんたん」(意味として、あほだなあということですか)といって、
自分で自分の頭を叩くという「指導」をしてました。

まあ、人間的に大した人じゃないので(完全否定)、いいんですけど。
親が言うには、その担任は、僕が昼飯を食うのが遅いから、その原因が話ながら食べるから、だから、
僕だけ一人だけ机くっつけずに、一人ぽつんと離されて食べさせられたそうな。
親は怒鳴っていったそうです。たくましい。かっこええ。

なんか哀しいですよね。僕もそんなクソみたいな人間になりたくないですね。
おそらく、思うに、小学校の教師は、子ども好きといって、まあそりゃね、子どもの成長の責任を取るとかね、思うんでしょうがね。
でも、やっぱ自分の子どもじゃないんですよね。
子ども好きってやっぱ変だなあと。

普通子どもが好き嫌いってなくて、子ども好きがデフォルト設定じゃないかと。
つまり、子どもとか大人とかじゃなくて、子ども嫌い=人間嫌いじゃないかって思うんですな。
子どもが他人であれ、結局己も子どもだった期間があると。

よく言いますね。
あなたも子どもだったんだよってね。大人が忘れやすいことですな。
あ、ぼくも忘れているかもー。いやん。

親、という字は、木の上に立って、見ると書きます。
まあ、そうです。子どもに干渉しないほうがよろしい。でもね、子どもはやっぱ子どもです。
無力なところはあるものです。そこで「見てて」ほっとくのは、いわゆる「ネグレクト」ってやつで、
育児放棄というのですな。ダメですよ、そんなことしちゃあ(笑)


というわけで、新しい教育提案を。

逆転の発想で、学校とか環境を変えるのは難しいでしょうから、
親を変えたほうが早いなと。で、今の親は結構な腐った人が多いですから(笑)、
それは無視して、今から親になる若い人達に向けてアプローチしていく。

そういう手法を考える人、多分いるだろうなあ・・。

ちなみに「親馬鹿」と「馬鹿親」は違います。
前者は子どもがかわいいと親が言う様子くらいの意で、まあ普通です。
後者は、親が馬鹿なんです。終わりです。この世の終わり・・・(笑)


もちろん、保育園の行ってる子が、所得が少なくてアホでばかで、なんて言ってませんからね。
そうじゃなくて、色々な人が集まる方がやっぱ「楽しい」し、意見も固まらないし、
常に新しい人がいるって(見知らぬ人がいる)環境楽しくないでしょうか。
もし、そうじゃなくて「知っている人が多い」ところが良いと、
そういう親がいれば、子どもはそういう風に育ちやすいですし、そうなるんでしょうね。

ってことで、僕の親はそうじゃなかったんだなーと、今更ながら感心。

親分析から自己分析。自己分析から幼稚園分析。幼稚園分析から・・・?


友人がインフルエンザだそうで。頑張るなー。そのまま寝ちまえー(笑)

職業としての学問

ミーハー的に読む。薄いし。

とりあえず、印象に残ったのは、例えば医学が医学があるべきかどうかは考えないというところ。
ちょっと正確には分らない(馬鹿なんですいません(笑))が、まあそんなところ。

ゲーム理論も同じか。ゲーム理論という前提があって、そこで考える。

ってことは?そう心理学も同じ。
人間には心がある。その心を前提に。
でも、人に心ってあるのかしら。そういう問いをしてみる。

心がない悪魔もおるんじゃないかなと、変な方向に(笑)
僕は心なんてないです。あるのはMINDのみ(謎

これ、先生読むといいかも。教師は指導者になってはだめだというのは、分る気しますし・・

職業としての学問
マックス ウェーバー Max Weber 尾高 邦雄
岩波書店 1980-01


by G-Tools

孫子

よっしゃー。ついに初兵法書読破ー。とはいえ、邦訳のみ(笑)
だって、書き下し文ならともかく、白文はさっぱりぴーまんですから!残念!
漢文とかセンター試験であるけど、役に立ってないね斬り!

兵法書、つまり戦争の書物ですが、まあ最もなことだと、感じました。
個人的には相手の裏をかくということが好きですね。

久しぶりに岩波文庫読んだわ・・・。

あ、TheProfitで「石を卵にぶつける」というのがでてきますけど、何かと。
調べて見ました。えっと、p.65にありました・・・すげー全然見てなかった・・・
人間の記憶ちゅーもんはすんごい適当ですな。やはり。

石を卵にぶつけると、当然すぐ割れますよね。
それくらい、敵を簡単に破る力という意味で、それはやはり軍の「勢い」を上手く使っていると、そういう文脈です。

む・・・大した表現じゃないな・・・まあそれは好みだけどさ・・。くそ(笑)

新訂 孫子
金谷 治
岩波書店 2000-04


by G-Tools

[図解]売れる陳列・売れない陳列

うん?Amazonだと書名に(仮)がついてる・・・なんでだろ。なんでだろ?♪

先月買った本です。1ヶ月近く放置してました。ごめん・・・本。

AIDAM理論などにそって、分りやすく図解で「売れない陳列」「売れる陳列」が示されています。
まあ、当たり前ですけど、売れる陳列にしたらそれでいいかってそういう問題じゃないんでしょうね。ここんところ基本ですね。

なんでこんな本買ったのか(別に店を持つわけでもなし、仕事も違うわけで)というとですね、これってWeb店舗に絶対生きるってことを考えたからなんです。
普通AmazonなどのWebサイトで本とか買うわけですけど、Webページにも色々仕掛けはあるわけですね。
まあ、ディスプレイ上だからそれまでですけど、そういう意味でいえば、表現力・雰囲気は絶対に実店舗に負けるんだろうなと、そう思います。
が、Webでもかなりのことはできるわけで、それこそ基本的ですが、「ヘルプ」リンクがなかなか見当たらなければ「くそ!」といって、逃げますし(笑)、
肝心の料金説明がなければ、仕組みの説明がなければ分らないですし、
操作の仕方がわかりづらければ・・・・

結局、僕が試みているのは、リアルとネットは同じなんだと、そういうことなんです。
当たり前ですけど、別物と捉えると多分何かハズスような気がしていて・・・
そんなところからですね。これで小売店行く時、色々勉強になるので、良いですね。

[図解]売れる陳列・売れない陳列
永島 幸夫
PHP研究所 2005-01-06


by G-Tools

金持ち兄さんの王道

良い本ですね。
根底に流れるというか、一貫した「自分で考える」という姿勢が素敵です。

専門家については、専門家を過信しないことというのが主な点です。
同様にデータも。

中古車の話、不動産の話があったのですけど、後者の話を見ていて、
なんか家借りる時の営業マンの話を思い出しましたね・・・。(笑)

考える事を「他人」とくに、「専門家」に任せるのではなく、「労働」と「情報」を専門家に任せろという考えは良いなあと思いました。

最も、これが「真実」とか「正しい」のではなくて、この本も同じように、
自分できっちり考えて、「なるほど」と思うことは消化すればいいわけですね。

アタリ本ですわ。ラッキーだ・・・。

金持ち兄さんの王道―専門家をカモにする人・される人
藤田 憲一
講談社 2003-04


by G-Tools

あーそうそう

このブログは、本コンテンツがメインなので、悪しからず。
書く事でストレス発散というスタイルなんで。あと人に話すこと。

いや違うな・・・。

ストレスがあるっていう状態が普通です。全くないのはおかしい。ちゃんと生きましょう(笑)

ストレスをがんばって減らしているがどうにもならん。
そういうのはちっとやばいです。そろそろ「自分」について再考する時期ですな。

ちなみに、このブログを見て、独り言の多さに逃げ返る、もしくは「さよなら」という人が多ければ多いほど、このブログの意味はあると思っています。

これぞパラドックス戦略その1。

その2は、ITを使わないIT戦略(あ、これぱくりました。すみません(?ー?))

そんなところですな(笑)

アウトプット+あるふぁ

そういう方針だった。今でもそう。

つまり、自分のアウトプットをして自分のために書く。
が、ネットなので、人が見る可能性が高い。というか見てもらっている。うふ。
それがαの部分。

で、今考えたいのは、αの部分。アルファロメオじゃない。車に疎い。いやん。

今仮説状態だが、人と話すのが苦手とか、人と話すのが好きじゃないとか、
人とコミュニケーション取りづらいとか、
まあ、人の好き嫌いもあるけど、基本的に「人と話す」ことは面白いことだなと思う。
それがどんなにガンコな人間、分らずや人間、寡黙な人であろうと・・・。

そういう人の好き嫌いではなくて、本音を言えること、自分の意見を言う事を
怠っている、停止していると、なまってしまう。
本当に本音が言いたい時に言えなくなる。だから出きる限り本音を言うのがかっこいい。
もちろんTPOはあるから、ほどほどに。

ある人にとっては、それが毒舌なんだろう。毒舌には毒舌をなら、おそらくケンカになるか、
かなり熱い話し合いになるか。でも、毒舌にはスルーをというのもあって、
結局そこらへんでバランスが取れてしまう。会話の。

本音を言えるかどうかは、自己を受け入れているか、他者の意見をきっちろ考えているかで決まる。
もっとやさしくいえば「自分は弱い人間なんだ」(強い面もあるけど)と認識することなんだろうと、前々から思っている。


そういう基本的なようで、基本的なところじゃないようなものを知らない、もしくは考えたことがない人が多いような気がする。
若い人(自分も含めて)、高年の人にも多い気がする。
もちろん先達を馬鹿にするつもりはないが、やっぱね。いくら年取っても、馬鹿はいつまでたっても馬鹿だし、礼儀知らずは礼儀知らずだしねっていうのは一理あるわけで。

優しいおばあさんや、イカスおじいさんがいる一方で、
くそみたいなばあさんや、じいさんもいるわけですからね。

年関係ないとは、若いもんでもそういうのがいるわけで。
本当くそみたいな人いますしね。んだ。

まあ、そういう「くそ」みたいなとかいうのは否定的なんでよくないんでしょうが、
やっぱりね、思い込みだろうとなんだろうと、「くそ」だと思ったら「くそ」だと。
そう思いますね。常に「くそじゃないんだ」という証明、挽回?のチャンスはあるから、
別にそう思ってもいいんですね。おお、正当化。

よく誰も嫌ってはいけないとかね、そういう神みたいなこという人いますけど、
嘘ですね。好き嫌いのバランス、くそと真っ当のバランスがあるからこそ・・・ですね。

嫌った上で、しっかりコミュニケーションを取るのがかっこいい。
くそだといった上で、なるべく平静を装うのがかっこいい。


と。
まあそういうことを考えていくことで、このブログを見ている人に、
「そうきたか」とか「違うな」とか「けしからん」とか「なっとらん」とかね、
思いが生じる、それだけでいいなと。いや、それでいいな。と、いやそうあれば嬉しいなと思うわけですね。
αの部分ですね。

アドバイスB

自分が起業に向いているなんて誰も言ってないし、僕も思ってないが、やりたいと思わない人がやるのはまずいなとは思う。

まずやってみること、と誰が言ったか知らないが、良いことを言う人はいるもんだ。

僕のブログに根底して流れているのは、「自己表現」だとD51さんに言われた。
前もこれは書いたけど。深めに。

確かに新聞記者、作家、ライター、モノ書きという職業は良いなと思うことはある。
が、村上龍曰く「作家は最期の職業」であって、ある人曰く「フリーライターとかのフリーランスとフリーターは一緒さ」であるし、さらにある人曰く「起業家もフリーターのようなもの」である。

(笑)

新聞記者に関する、いや正確には新聞報道の話か。
新書を読んだとき、やっぱり記者はこうだよなと妙になっとくした。悪い意味で。

作家はなれればいいが、副業もしくは兼業がいい。

つまり・・・・一つの仕事だけというのは、まずないってこと。
そういう生き方をするってこと。それは誰から「決められた」わけではなく、
そうしたいなと。

起業してそれで生計が成り立つか分からないが、それも1つのこと。
仕事を創れるというセンスを身につけたいし、そういう力があれば、
それこそ「一生食える」とにらんだ。その判断はおそらく間違っていない。
心理学を学んだことは、その1つの糧となっているし、プログラミングをかじったのは、
論理的思考を鍛えることになっているし、とにかく「良い風」に解釈することはなんとでも出きる。

ある人は僕のことを「親切」だと言ってくれたが、ある人は「毒舌」だという。
同じ人間が同じことをしているが、何か一場面を切りとって、同時に何か一場面を提供して、そこで「判断」しているだけだと思う。
だからこそ、他人の評価はあてにならないと常に思っている。

だからこそ、アドバイスなるものは「うたがえ」というわけだ。
ちなみに本も疑って読んだ方が良い。それを手っ取り早くするには「量」をこなすこと。
違う考えにふれれば、違和感のある事実などはすぐわかるように人間は作られている(笑)

自己表現ということをこのブログでしているというのは、ある。が、それはあくまで1部。
話すのも僕の1部。全て1部。
これを足せば全体になるかといえば、それは・・・分らない。多分違うと思う。

それくらい不安定な存在だが、収入は安定させたい(笑)

もしこのブログが誰かのため、誰かに書かせられているというようなことだったら・・・
僕はこんなに書かないし、こんなに(1年間)も続かないはずだ。これで証明できた。

つまり、このブログは自分のために書いているのであって、決して他人のためじゃないんだ。
それを「自己満足」という輩もいるが、それは僕の言葉であって、他者が言っていい言葉じゃない。
だからこそ、「自己満足」でやってるなんていわれると腹が立つわけで、
やはり「自己満足」ではやってないなとも思う。難しい。矛盾しているが、矛盾してないレベルだ。

自分の思ったことを考えたことを書く。
たったそれだけ。それだけなのにする人としない人がいて・・・
好き好きもある。面倒臭いとかね。意味ないとか。

で、それでいいんじゃないかって思う。
文章を書きたいのに書けないのは、センスがないわけでもなんでもなく、
才能がないわけでもなく「単に」、今、「そうである」だけで、明日から書けるかもしれないし、
1文字でも進む可能性がある。
それはウマの前にニンジン的な妄言に聞こえるかもしれない。
でも、そうであっても、自覚しているならいいのではとすら思う。

好きなことをやれる社会というのは実現可能だと思う。
というか、僕のイメージする社会はそれだ。その中に「真面目なやつが損しない」社会が入っている。

好きなことをやれる社会とは、嫌いなことをやれる社会と同義だ。
これはもう何度も言っているように、「好き嫌い」は両立してこそ意味があるからだ。
嫌いなことをやれる社会って、なぜ言わないのか。
単に入り方の問題。

最初に、「扉を壊して鍵をあけます」という修理屋がいいか、
「鍵をあけますが、扉壊れてしまいます」という修理屋がいいか。

心理学的にいえば、文脈効果。社会学でのアンケート調査の項目で学ぶ話。

最初に善情報をあげれば、悪情報も軽く感じるみたいなね。説明悪いけど。

自分ながらキレが良いまとめ。

というわけで、D51さんの意見は有り難く受け止め、こんなくそみたいな人間にありがたいのでございます・・・が、
自分は起業をまず目指すと。そしてそこから得られるものを最大に活かすと。

とりあえず、奨学金制度をですね、もっと充実させるくらいからやりたいですな。
島を買うとか、ロケット飛ばすなんて小さい夢じゃないですかね。

現実に役立てる方が大きい夢かもしれないと。
現実にないからこそ大きい夢って、実現可能じゃなさそうだから大きな夢じゃないかって。
そう思うこともありますけどね。

面白いですね。やっぱ人間は面白いですよ。

人事部の実体

淳さんところから、結構来る人いますね・・・。1%ですが・・(?ー?)
ドリコム効果が消えないなあ。あと検索ワード経由も。

あー検索者にとって、多分無駄な内容なんだろーなというものが
あるんでしょうけど、無視で。そういうこともあるさ・・。自称・ゴミブログ。

就活しているっぽい学生をよく見かけます。頑張ってください。
さて、志望動機について何回か書いてますけど、やはり「きっかけ」にすぎないですね。

僕がこれはおそらく人事の方が言うんでしょうけど、
「何千人、何万人?も面接していると、大体すぐどういう人間かわかる」とか。

これって、「え、うそでしょ?」と疑う人が多いはず。別に疑わなくてもいいですけど。
で、僕はこれが本当かどうかは「分らない」ですけど、
やっぱ、当たり前すぎですけど、「話す」とバレますね。バレるとは、無駄な装いははがされるし、その人にあったものしか、その場で出せるものしか出せないってことです。

よく練習以上の成果を本番で出せないっていうでしょう。アレですな。

なんで話すとバレるのかは、言語と動きと表情と・・・あらゆる要素の集合からですか。そういっときますか。
友人のAさんとBさんの違いって説明できますかね・・・。かなりつらいはず。
それくらい感覚的なものが人間には多いのが事実。

会社に合わない人間を会社が入れるはずないですので、ダメならきっぱりと。時には粘りがいるそうですが、会社ってのは、イギリス!が、かの大航海時代!に、インド!に東インド会社作ったのがきっかけでしたっけ?オランダのほうが早かったかな。
些細なことはどうでもいいか。

そうです。つまり、知ってる人はどうでもいいことですが、香辛料などのスパイス。
そいつは肉を腐らせにくいとか。だから価値がある。そういった「遠くの国の物産」をゲットするために、船で航海した。その際、非常にリスクがあるから・・・そう会社という仕組みを作る。
投資家とよばれる金持ちから金を募る。成功すれば「うひゃひゃ」、失敗すれば「出した分だけ痛い!」となる。

多分こんな感じでしょう。貿易ですな。東インド会社はその統括ってことですな。
いわゆる海外営業支店とかそういうのですか。なんでもいいか。

おっと、なんでこんなこといってるかというと・・・
「会社」ってやっぱ箱なんですねえ。そんな箱に「意地」になる必要はないかなあと。
僕の周りにはいなかったですが「ここじゃないとだめなんだ」っていう人いるみたいですね。
それって、やはり「視野が狭い」し、こだわる理由が分からないですね。

なぜか。
仕事したことない人が始めて・・・というわけですから、やっぱ会社なんぞどういうことしているか、「金融やってます」とか「部品つくってます」とかいっても、ピンとこないはず。
ピンとくる人は相当切れ者か、相当少数派です。おめでとうございます。うは。

でも一つだけ言えるのは「会社」は、事業を継続して利益をあげる・・・そう「箱」なんですね。
箱とはいえ、人がいるわけですな。

人事部とは?その箱に人をぶちこむ役割を担うところです。
もちろん、他にジンジコーカ(人事考課)といういわゆる社員の採点とか、ジンジイドー(人事異動)とか、人事採用(これが就活生との接点ですな)とか・・・
色々やっとるみたいですね。とはいえ、これらがメインのはず。

他にも部があって、そのオサ(長)を部長という。
部長という肩書きが偉いのは、その部の統括だからですね。だから給料も良い。
だって、それなりの能力がなければ、できないですからね。

さて・・・。

人事部は、当たり前ですが、新卒、中途採用、派遣とか色々分れるみたいですね。
まあ会社によって違うんでしょうけど。

でも、ですね、人事の人間だろうと、彼・彼女等はサラリーマンなんですね。
別にサラリーマンがどうとか言いませんよ(まだ、ね)。

でも、サラリーマンである以上、会社の損失を「抑える」。もしくは会社の利益を「増やす」必要があるわけですね。当たり前ですか?意外ですか?

会社人間とは、会社のみで人生が回る、回っている人です。
例えば、かわいらしい奥さんから「今夜は早く帰ってきてね♪」っていわれても、
「仕事だから」と10回以上断るくらいですね。何が大事なんですかねときかれたら「会社」であり、趣味はと聞かれたら「会社」です。そういう人です。

会社人間=サラリーマンではないのでお間違いなくっと。

例えば、今年は10名新卒が欲しいとするとしましょう。
すると、すでに「辞める」やつもそのなかにはいっとるわけですな。意外ですか?そうでもない?
その率をまあ3割、離職率って言葉はそういう意味で「アテにならない」でしょうが、
でも、やっぱ、100名とって、50名辞めるって。何かありますよね。いわゆる「何か」がある。
それが「何か」知らないですが、「何か」。文脈から読み取りましょう。

10名とって、3名辞めるんだろうな。って、じゃあ最初から7名でいいんじゃない?♪とギター侍風に言われても、それは難しいでしょうな。
むしろ、リスク回避の3名でもあるわけです。

それは・・・そうです。人事はサラリーマンであるということと関係あります。
10名いても、2、3名は「絶対いける」と思う人がいるんでしょうが、残りの2、3名はどっちかわからんがいけそうだ・・という判断。
とにかく、全員が「良い!」という採用を行えれば、問題ないんでしょうが、普通それはないでしょう。

それは面接とかではなくて、僕が普通に会う人で全員が全員「うおー」と思うわけじゃないってことで証明できました(過去形)。

まあ、そりゃ、採用コストが数千万、数億かかってるわけですから、
無駄なコストは避けたいんでしょう。でも、やっぱ難しい。判断が・・・。
だから、10名とって、7名で御の字。これは、まあかなり「普通」な思考だと思います。

もし、こういった考えが受けつけられない人は、まず「会社人間」にはなれないので安心してください。
同時に、サラリーマンも向いてないでしょう。サラリーマンは、そういう考えが「教育」されて出来る人でもあります。
同時に、マネージメントや上の立場に立つ人間もきついかもしれません。

ってことで、いわゆるアーティストなものとか、こういった俗物的?(というと人事その他の人間から攻撃されそうですが、ひー)なものと疎遠な風にみえる研究職とか。
道はいくらでもありますな。考えましょうぜ。

まあ、どうでもいい話(するなよ・・・)はこれまでにして、僕の感覚としては(というか僕の感覚でしか話してないですが)、
やっぱり、会社を箱として、意識しています。無駄なコストは削除して、利益上げるように求めるっと。
そういうのはですね、「サラリーマン」という響きが悪くてもですね、やっぱやらんと分らんわけですよね、きれいごとでも言い訳でもなく。

リスク分散、リスクヘッジな時代でございます。
間違っても「会社に入れば安心」だなんて思っていると、おそらく「リストラ」対象に一発でなるでしょう。
リストラは、「早期退職希望者募集」という形で(これは、つまり組合や会社員の権利?をうまくごまかしているといってもいいでしょう。というか、「考慮」した形をとっているだけ)行われます。

悪魔の辞典によれば、面白いことに、「リストラしたい!」人が辞めなくて、
「のこって!」という人が辞めるそうです(笑)
皮肉すぎます・・・。

ってことは、リストラ後は、普通、普通ですよ、スリムになった!、人件費削除により経営の改善になった!とか。思います。
まあそれはある種の事実で、人件費削ればそりゃ黒字になるさ。僕でも分るし、出来る。
でも、その後ですよね。残った人が、相対的に「辞めて欲しい」人が高まる可能性が高い・・・。

すると、悪循環へ。こわ・・。

そこで経営者の手腕が問われるわけですな。
だからゴーンさんはすんごいわけですな。うーん、切られた方はたまらんのですけどね。
強制解雇ってリストラに入るんでしょうかね。なんだろ。


あ、そうそう。
人事はサラリーマンだから、人事が会社の悪いところいって、「本音で話す」ということをする会社もありますね。
でも、それって、「パフォーマンス」に過ぎないこともあるわけですな・・・。

「?」ですか。

つまり、悪いものが100でマックスとしたら、30くらいの悪い部分を出す「だけ」なんですね。
それで「僕らはこんなに悪いところを本音で話しているんだよ」って、「良い会社」を演じるわけです。

心理学的にいえば、「弱音」を吐かれると、普通は人は「弱いところをみせてくれた」ことで、
自分に心を許している、いわゆる「気の置けない」人と認識されて、嬉しくなります。
そこで「心」が緩む。そのスキを・・・!

まあ、そういう会社は少ないんでしょうけどね。100万以上あればそういうのもありますよね。
だって仕事の現場見る機会も少ないですし。

と、ここでストップすると、なんか嫌な空気があるんで。

変な会社を見分けるのは簡単です。かなり。
それは人事の人間レベルを見ることです。それだけ。
あと紹介される若手社員(若い方がイメージいいからっしょ。多分(笑)年齢近いとかもある。親近感効果。まあおっさん話すよりはいい)のレベル。

真剣にやってれば、あほな人事、あほな若手社員はまず「呼ばない」し、「出さない」はずです。
社長が来る会社もあるみたいですけど、それも「パフォーマンス」であることは否定できないでしょう。が、パフォーマンスであれなんであれ、実際に来るということは「我々の会社は採用を真剣に考えとるんだよ」というポーズは取れますね。疑ってもそうなりますので、まあ目安になりますね。

それは分った。じゃあどうやって見分けるんだって?

ふふ。そうくると思いました。

ここで最期のどんでん返し!

そうです。つまり、レベルの高い人間と付合っていかなかった人、
適当に生きてきた人、馴れ合いが多かった人、ぶらぶらとした生活を自覚しつつも何もしなかった人、あらゆる怠惰・・・

もちろん、そういう面は誰にでもありますが、そういうことが多い人。

そういう人は、「見分けられない」んですね。

だからこそ、面接でも、なんでも「バレ」るわけです。

あらら・・・。ってことは、適当に生きてきた人は、まず「見分けられ」ないってことですか?
ええ、そうです。そうなんです。というか、そうなっとります。

もし、適当に生きて、人をしっかり見極められるなら、僕も適当に生きてますから!残念!
このブログをなめるな斬り!

とはいっても、ここ読む人はまあ、賢人ばかりでしょうから(一部例外あり(笑))、
まずもって、あほな人間は周りにいないんでしょうな。いいなあ・・・。あ、あほな人間って、
説明面倒なので略と。悪い意味ですね。


フリーター!! から億万長者へ!? インターネット金策冒険家エイジの小さな旅

結構前から目をつけてました。
ふむ・・・

感想としては、メルマガの内容か、HPの内容らしきものが結構あるので、
著者がどのように金持ちになろうかというのはすごーくわかりましたが、それでストップですよね。

いや、そもそも著者はこれからお金持ち、億万長者になるわけでしょうが、
読み物のレベルを越える本ではないと、そう思いました。

読み物のレベルとは「なるほどねえ」ということで、僕に深い感銘や学びを与えたーというわけではないということです。幣ブログも同じようなものさ。

紹介されてた「バビロンの大富豪」「ダイヤモンドを探せ」はチェックしときました。これだけでも元取れたと思いますけどね。

と、ちょっと否定しておきながら・・・
お金持ちについては考えちゃいますね。本田健さん風にいえば、心とお金と両方豊かじゃないとだめだよーってことなんで。

手取り50万あれば幸せな生活が・・・いわゆる不自由などない生活が・・・年収800万くらいあればってことかな。送れそうですよね。
あと、フリーターでも食べて生きていけば、家庭持って子どももって生きていければ幸せだって、そういうのもありですよね。

僕はそれがいいなと思います。ただ己の力がどこまでいけるか、試して見たいんですね。
ただそれだけ。その根底には「そんな小さい人間じゃないのさ」という思想が僕にはあります。
結局「お金持ち」になれない人が不幸せというのは早計かつ短絡的発想になるでしょう。
でも、なんだかしっくりきませんね。自分が「ああこれ最高!」っていうので生きていける、そういうのを考えつづけるんでしょうね。というか、そうしますよ。

読みものとしておすすめ。アマゾンレビューの低評価コメントは「なるほど」と思ったのもあるんで。うふふ

フリーター!! から億万長者へ!? インターネット金策冒険家エイジの小さな旅
エイジ
翔泳社 2004-06-02


by G-Tools

ビジネス版 悪魔の辞典

友人が持ってたなあ。

さらさら読んでみましたが、面白い。
が、いわゆる「普通」の辞典じゃないので、覚悟を。

仕事してませんが、大体分りますよ。用語不明なの除いて(ってそりゃないよ)

面白いのは、「新入社員」が、昼休みに生命保険営業のターゲットっていう説明・・・くそう(笑)
事実じゃないか・・。全く。

絶対に生命保険はいったらんわ・・・。保険貧乏になってる人って多いのかな。
全く金融知識ないっすけど、それは「あほ」だよってことくらいは僕でもいえちゃう。

思い出したらまた読んでみたい本です。会社人間にはなりたくない・・・ね。

ビジネス版 悪魔の辞典
山田 英夫
日本経済新聞社 2002-04


by G-Tools

キャッチセールス等の勧誘の断り方

うっとうしい勧誘があると思います。
中には「あなただけ」とか「あなたのために」とか。
お節介が加味された言葉、押し売り親切ほどうざったいものはないものです。
これを「偽善」といっていいと思います。

巷に氾濫してる「偽善」は多分本質的には違うって感じですか。

断り方は、非常に簡単、常に相手の意図を読むこと。
これだけです。すると、面白いように相手が何を求めているか、
何を買って欲しいか、何を売りつけたいのか、どんな個人情報をゲットしたいのか、
どうして今電話して営業(っぽいこと)をしているのかが、分ってしまう。

ここで、心の優しい人(もしくは相手を困らせたい人)は、同情して
相手の話に付合うでしょう。が、そうすることで「つけ上がる」こともあるので、
そういうリスクを踏まえた上で、同情して話しに付合うべきでしょうな。

本当にしっかりした勧誘なら、「押しが強い」と「しつこい」の区別が出来ている気がします。
またはそう感じさせる。

あほはいつまでたっても「押し売り」であり、
良き人は「ささっと引くときに引く」人であるでしょう。

って。。自分の耳が痛くなってきたので、ここでストップ。

ところで・・・

アウトプットなんてカッコイイこといっとりますが、
同時に「あほさ」をさらしているっていうリスクも考えるとですね、
普通の人は「ブログでアウトプット」なんぞしないんですよ。

おっと、別にブロガー批判じゃないですよ。当たり前ですが。

ってことは、やっぱ「変な人」がブロガーには多いと。
変な人とは、ユニークな人の意であって、「変質者」という言葉から連想される人ではないです。

いや、そういう人がブログ書いてて、面白いなと思うからこそ、
今まで続けてこられた、同じようなことをしている仲間といえば
ちょっとくだけすぎでしょうが、そう思っております。老若男女問わず(笑)

あ、もうちょいで1年なんすよ。このブログ。おめでたいね。
ITEBが3/1にプレオープンしますけど、それと同じだから、
記念日にしよう。貴重な日だなあ。んだんだ。

意志がはっきりしている人は、まあ普通は巧妙なサギじゃなければ、
安っぽい勧誘等にはかからんでしょうな・・・。
問題はそうではない人。

まあ、そういう人生なのであきらめてくださいっていうと・・・?
どうなるんですか?え、鬼ですか。いや、別にそういう風に思うのが事実か。
だからこそ、消費者相談などの職業があると・・・。

そういう詭弁?的なことをいうと、
つまり、悪質な勧誘とかサギ者がいて、詐欺にだまされる人がいるからこそ、
消費者相談などのビジネス(ってあれはビジネスっぽくないけど、お金は国?法人だったかな。ボランティアのもあるかな。まあどうでもいいや)があると。

ここではふかーく追及しませんけど、まあ消費者相談はいいとしても、
こういうパターンの構造ってあるでしょうね。

普通人は1面しかみないから、「がんがん」言えるんでしょうな。
って、自分もそうだ。自分のフィルター通してしかみえんですからなあ。

ある人からみたら、こいつアホだなと思う人もいるんでしょうな。
そういう人と何かで争うとき、裁判が最期の手段であり、その前が話し合いか。
殺しはダメですよ。NGでございます。

憎みは憎みをうみやすいので、僕が止めますよ(お、何様

うはは。

じつは、わたくしこういうものです

うーん・・・やばい。この本はやばい。

最初にいっときますが、きっちりフィクションだと後に書かれていますよ。
でもね・・・フィクションかノンフィクションかに意味があるかどうかって。そう考えちゃうんですよ。

そりゃね、お仕事して、お金もらって、そいつでトマトなり牛乳なり、米なりかってさ、食べないと生きていけないよ。

だからといって、この話がフィクションだから、つまらんという要素はないなあと。むしろ、フィクションとかノンフィクションの意味が不明になったのであります。

気に入ったのは「時間管理人」「シチュー当番」。おっと、「三色巻紙配達人」もいい。

創作物で、写真とかね、凝ってるとかね、文章とか、文体とか、同じ流れがあるから、
それは「フィクション」だなあって。でも、そこに意味はないような気がする。そう、事実ではないからといって、それが無意味だなんて言えないと。むしろ有意味だと。そういうことです。

サンタがいるかいかないの話もしましたけど、やっぱいるんですよね。

あと、この本の各章の前書きって、村上春樹の羊男の話を思い出してしまう。
と、思ったら「チョッキ食堂」で、「注文の多い料理店」なんて表現があるし。完璧にマッチしてる。

もっと、自分なりにいえば、笑うセールスマンのあの本当じゃなさそうだけど、やばい、あるかもしれんという感覚。
世にも奇妙な物語にある、皮肉・風刺が、なんか皮肉でもなんでもなくて、げ、やばい本当にありそうだって、そう思えたらもうはまっちゃう。

そう思えないのは、何があるんだろうか。感性が受けつけないだけの問題なんだろうか。
まあ、どっちでもよかれ。色々な本があるので、どう評価されようが常に一興なり。

「シチュー当番」である図書館、冬眠図書館は反響が大きかったようです。いいね。
というか、これは実現可能だしね。見える見える。

というわけで、この本から得られたこととして・・・
自分の世界を作ってそこで生きる。それは「閉鎖的」ではなく、「視野が狭い」」わけでもない。
むしろ、自分の世界で楽しんでいることで、社会で生きられる。そういう感覚が良いなと、そういう風に生きたいなと思いました。

で、癒しとか、リラックスとか、僕はそういうのはあまり好きではないんですが(癒しーとかいう人に限って、何か変な焦りを感じるから。つまり勝手に焦り、勝手に癒しているから、何も起きない。プラスマイナス0の話)、 この先に何があるか、そう「哲学的白紙商」にある、無とは可能性だっていう話と同様。
やはり、死=恐怖とかじゃなくて、死=生なんですよね。裏表。どっちかどっちだか分らない。

「どっちか変か」も分らない。多数派、少数派も然り。障害者、健常者もしかり。
学生、教授も然り。親、子も然り。日本人、アメリカ人も然り。
視野が狭い、広いも然り。

そういうことを言った上で、一つだけいえるのは、自分はこうしたい。それは何か違うからって。
そこしか「濾過」されたもので残らないんだって。そういうことになってしまう。
それってとても素敵なことだと思う。それだけしか残らないけど、それが残れば
それこそが、巷でいう「自我」「自尊心」「自分軸」というやつになるというカラクリですな。

さてこの本探さないとね・・♪

じつは、わたくしこういうものです
クラフト・エヴィング商會
平凡社 2002-02


by G-Tools

腹が減ってると怒りやすくなる

自分がそうだから。全く。

友人とキャッシュフロー会議を着々と進行している。
が、一つだけ確実なのは、世の中「金」ということだ。
別に金がすべてではない・・・。

しかし・・・金がなければ、何も食べれないし、何も着れない。
社会人になって、ボロボロのジーンズって・・・いやそりゃ趣味ですけどね。うは(笑)

会社に財形貯蓄があればそれを利用したほうがいいらしい。
こいつは、銀行の積立と違う点があるらしい。
預金額が少なくても、つまり手持ち資金が少なくても財形貯蓄なら貯蓄できるが、
銀行の積立は預金額が少ないとはじかれるらしい。ふーん・・。すげー良い勉強になるわ。

クレジットカードについても。
クレジットカードはローン製造マシンだと思ってきたが、どうも違うね・・・。
むしろお金の使い方がうまい人が、クレジットカードを使ってますな・・。

ちなみに、なんでローン製造マシンだと思っていたかというと、
クレジットカード破産とかをニュース等でみただけ。それだけ。
あと、借金が悪いって「何も考えず」に決めつけていただけ。

でも、月額普通は、キャッシングできるのは10万程度でしょうし、
払えなきゃ、止められるし。止められると「ブラックリスト」が近くなるわけで。

世の中甘くないですな。で、逆にいえるのは、
クレジットカードほど、お金にきっちりした人じゃないと・・・使いこなせないってことですな。
ギャンブル癖、浪費癖が自分で自覚しても、その先が見えるのに、止められない人は、
作っちゃだめですよね。

え、僕?
もちろん、作りますよ。うふふ・・・。

ブロガーなめんな(まて

自宅サーバは、小型PCがイカス気がしてきた。
金ためて買おう・・・それまでは今できることをせねばー。

楽しみ楽しみ。

本がない世界

あーこれかけないか。
華氏四五一度をよまんと・・・あーくそ。読みたい本多すぎる。

本がない世界ってどんなんでしょう。
まあ想像できないんですが。

人間たるもの知的な生き物っていう面もあるので、
絶対に必要なんですよ。なくても、なにかしら本に変わるものがあるはず。
それが伝統、習慣、規則、社会のルールとか。

人づてに話される、民話とか。神話とか。寓話でもいいし。
そういうのがあるのは、逆に本が必要な証拠だと言っちゃいます。

本の置き場をどうするか

本を集めるのが好きな人は悩むことじゃないでしょう。

とくに本を集めるのではなく、本を読みたいと。内容が重要だと。
でも、また読みたいし、とっておきたいと。

そういう人にとっては・・そういうと本を一杯持っている人で本集めが好きな人は、本置き場に困ってないみたいですが、違いますね・・・難しいですね。

本が腐るほどはないですけど、この子達は私設図書館の1部とさせていただくとして、
まあこのまま放置しておこうかしら。

何冊か読みたい本だけもっていこう。それがいい。

本の置き場は結構困るものです。
移動も困難ですしね。本の重さ馬鹿にならないです。なめちゃいけません。

本嫌いはなくせるか

おそらく、無理。
好き嫌いを直そうという発想が気に入らん。
ちなみに、僕は今でも野菜全般が「好き」じゃないです。
もちろん普通に食べますが(笑)

本が絶対なわけでも、読まなければならないわけでもないですが、
でも自分は読んだ方が良いと思ったよと。
そういう客観的な捉え方をできる人がいるかどうかで、
このブログも僕の意見もあっちにいったりこっちにいったりしそうですね。

最もこれはどんな意見にも言えますががが。

本が嫌いな人は、大体活字が嫌いか、読んでも面白くないか、
いやいや、そうではなくて、小学校くらいで国語とか読書感想文が苦手だった。
そういう人が多いのかもしれませんね。

本好きが逆に信じられない!あんびりーばぼーだと写るのも無理はありません。

そういう背景、環境を、「んだんだ」といいながら、自分でそうなるのも最もだと思った上で、
自分のしたい方向にする。そいつを紳士だというのではないでしょうか、いやそういうのじゃあ(笑)

逆境でもなんでもござれ。
そういう意味であらゆる弱いもの、強いものも、どんな時であれ、
常に生き残れる人は決まってきそうですね(?)

Going My Way

また、このタイトルか・・・。

とりあえず雑事が終わり、BOへ。って、なんでやねん。
さっそくお目当てのものをゲット。

あが、結局2500円くらいツカットルわい。
おっとせどりじゃなくて、普通に欲しいものがメインが我流。

今スキミングが流行ってるみたいですが、
そういうことに頭使うならまっとうに金儲けしろよといいたいわ(笑)

まあ貯金残高が1000万以上ない人は放置でいいかと。勝手に解釈。

世の中金だと思う時もあるし、これおかしいなってこともあるけど、
でもやっぱね、そこは人間ですからね、汚いことやって生きちゃう人もいるわけで、
そういう人が悪だと思えばそうではないところもあってね。
結局何も言えなくなるんですね。

だから、僕はブログを書くのですよ(答えになってない。詭弁論)

あ、友人向け情報って・・・。
ここみてねえや・・あうち。

ノートPCでネットやるとき、ドコモのP-INってやつをつかえば、
まあ32Kくらいでしょうが、5000円で使い放題みたいっすね。
H゛はちっと高いんで、ご検討あれ。っと。

金を貯めつつ、金を稼ぐ方法を考えていかないと
普通に年収300万円になっちまう。まずい。
お、これは低所得者に対する差別発言か。そんなのどうでもいいや。

視野狭きものは、文脈、流れを知らざるものなり。
ですな。んだんだ。

MyGoalって本がありましたね。うーん、なかなか良かったですね。
前書きましたけどね。んだ。

GIVEしまくれ

続き。

圧倒的にGIVEしまくれば、自分にも相手にもGIVE量が一発でわかる。
中途半端に様子見のGIVEをするから、結果的に変になるんじゃないかと。

こっちからがんがんGIVEすればいい。
もしそれが「面倒だ」とか「意味ないな」とおもえば、
しなければいいのだ。だからこそ、こっちから「がんがん」GIVEすればいいと思う。

最も、そういうのを嫌う人もいるわけで。

だから人間は面白い。
こればっか・・・(笑)

圧倒的なGIVE

それを献身的という人がいるかもしれないが、微妙に違う。
少々自己中的だが、まあこれいいなとおもったら、がんがんGIVE。

おそらくリターンを期待してないといえば嘘になるが、
別に少しくらい期待してもいいと思う。

問題は、そういうことを考えた上で、考えなくてもいいけど、
GIVEからできるかってことに尽きると思う。

おそらく、こういう経験がある人は多いと思う。
自分は色々がんばってみたが、どうもうまくいかん。

そういう時大抵、自分が何かを出していないことがおおい。
それは自分から思考したとか、考えたとか、アクションを起こしたとか、
何かしら自分から発生したものがあるかないかではぜんぜん違うってことだ。

自己犠牲精神では決してない。
自己犠牲なんてかなりやばいと僕は思う。
自己犠牲という自己満足というのもあるからだ。

ここらへんは非常にデリケートかつ繊細なところだ。
注意したいものですな。

思い上がりへの戒め

調子をこいていると痛い目にあう。それは正論みたいだ。
が、調子に乗ることはよいと思う。

でも、それなら誰でも出来るので、
調子に乗っていると自覚しつつ、いくのが良いかしら。

でも、それだと自覚、自意識レベルでの客観性があるので、
どうも「調子に乗っている」わけではなさそうだ。んげ。なんだこの説明は。

自分が思い上がっていたとか、調子にのっていたってことは、
きっと分るようになっている。もしもそれを知った上でそうしているなら、
その人の選択だから、尊重して、逃げようと僕は思った(笑)
同時に、そうでなければ、きっちり言おうと思った。
だからこそ、僕にもきっちり「この思い上がりめ!」といって欲しいものだと思った。

以上。

募金は無駄なのか

いや、そうではなかろうよ。

募金は無駄だという人がいるという話を聞いた。
何かショックだった。僕はもちろんお金が全て良い方向に向かうとは思わないが、
そもそも「募金を無駄」というのは、何かもっと深いものがあるような気がする。
仮に何気なくいったなら尚更・・・。ってこと。ふふ。

今日とりあえず気付いたのは、

それは、その人は「強い立場」からしか見てないということ。
日本人なんてかなり恵まれすぎているということを知らないか、
知ろうとしないのか、自分の環境を全てに適応させて話すのか・・・
他人への想像力の欠如なのか・・・なんだろ。

とにかく、逆にいえば「弱さ」を知らないともいえそうだ。

弱いことを知らない。自分は強いと思ってる。
まさに「裸の王様」。自分は裸なのに・・・。

自分を受け入れることが出来る人は、きっと「募金は無駄」なんていわないだろう。
言ったとしても、きっちり「こういうところが問題だから」と説明できるだろう。

募金が無駄というなら、何か考えた事を言ってもらいたいものだ。
そういうことは、募金活動者、募金で事業をする人を舐めているといってもいいだろう。
別に舐めてもいいのだが、その分しっぺ返しがくるだろう。あーめん。

自分がもし、募金を受ける立場なら・・・どう思うか。

途上国の人々が、募金をどのように使っているか、または支援者がどのように使っているかを知る人は少ないし、僕もよく分らない。
「無駄」ということで、何かを捨てる、いや自分とは関係ないといっているようで非常に何か冷たいものを感じた。

もちろん、お金を提供するだけではなく、きちんと回していく技術などが必要なんだろう。
でもそれって、非常にデリケートなところだ。
別に経済的発展が全てじゃないと、誰もが言えるのではないかと思う。うーんそうでもないか。

どっちにしろ、僕はそう言いたい。
むしろ経済発展が不幸にする部分もあるわけで、発展が全てとはいえないが、
そういった流れ、時代の傾向はどうも人間の一人の思いだけじゃコントロールできないという無力感がやはりある・・・。

自分とは関係ない人間とか、そういうのは何かセコイ気がする。
たまたま日本に生れただけとか、たまたま自分は死んでいないとか、
たまたま教育を受けられたとか、そういうことをきっちり自覚してないんだなと思う。
だからこそ、そういうことが言えるわけだ。

もしも「お金」で「励ます」ことができるなら、そうすべきかなと思う。

お金を援助することの意味は非常に難しいけれど、
少なくとも「無駄」と一言でいえるもんじゃないなと思う。

そこには深い考察があり、同時に上げればおしまいなんていうレベルはもうとっくに通りすぎていると思う。

なぜあなたは今不自由なく暮らせるのですかと。
そういうことを突き詰めて考えれば、自分なんてくそみたいな存在だってわかるはずだ。
なんておこがましいのだろうと。
同時にそういう思想、思いを持つのも人間だと思うからこそ、やはり人間は
面白いなと、無理にではなく思うのでありまする。

知識馬鹿ならぬ本読み馬鹿

ま、楽に。(何がさ

知識馬鹿と呼ばれる人がいる。
これは、知識をひけらかすとか自慢するだけで、中身がない人のこと。
どっちかというと、専門的なことをやるとそういう方向になりがち。
自分もその要素がないとはいえないから、気をつけたいっと。

「本好き」とか「本読み好き」というと、その印象は、
「本ばかり読んでいる」ということになる気がする。
少なくとも「活動的な」印象を与えないのが、まずい。
おっと、別に「活動的な」印象を与えないことがまずいわけではないのだけど、
良いイメージにはならない気がしている。

少なくとも自分が「本好き」っていう人に対して、妙な同族意識(笑)を抱かないし、
抱きたくないという変なところが、僕にはある。あ、どうでもいいな、これ。

本好きだと、本の世界に入り浸っていて、現実を知らないのではないか。
本と会話していて、人間と話せるのかどうか。やばいんじゃないか。
本読んでいて、頭が活字で固まってないか。やばいんだろう。

とか思われそうであるので、ある種「本好き」とはカミングアウトであるとすら思える。
というのは、考えすぎだろうか。僕はそうは思ってない・・・と。

活字離れだから、活字好きになると、活字馬鹿になる。
どうすりゃいいのさって感じになるが・・・。まあここはバランス、程度、周りに良き人がいたかどうか、とかで色々変わりそうなところ。というわけで、大した問題じゃない。

だからこそ、僕は知識馬鹿や本読み馬鹿という人をイメージしたり、「あ、やべ」とか思ったりして、反面てーちゃあにしてきた。んだ。それが戦略か作戦かは知らないが。

で、僕の理想というか、こうでありたいという本読みスタイルがあって、
それは「印象深い」ところを自分で徹底的に消化し、その消化を人に話してさらに磨いて、
その本の面白さ、本の楽しさ、しいてはその本を読みたいなと思わせる事、そういうことを水面下で狙っている(笑)

自己満足という言葉は少々誤解を招きやすいが、でも自己満足でない他者満足ってあるんだろうかと思う。多分ない。
もちろん自己満足が全て他者満足じゃないんだろうけどね。

現実に活かすだけが全てではないけれど、普通食べ物でいえば、
食べたものがやはり消化、吸収され、排出されるように、
本も、活字を頭で食べて、それを消化して、吸収して、いらんもんは忘れるというような
感覚にしている。1日3食、食べる人は多いだろうが、それくらいの習慣に本読みが定着している。

活字中毒と呼ばれようが、あまりにも活字から離れていると「発狂」しそうになるくらい本は好きだ。

古典から過去の先達、賢者と対話できる面であったり、
自分には遠い存在だが、この人すげーと思える人と本を通して理解し合えるところとか、
小説で想像力を喚起させ、そして現実にフィードバックできる話とか。

斉藤孝氏の「読書力」という本の中で、
本読みしなくてもいいとか、本読み好きがいってはいけないんだ。なめんなよ、ってなくらい強い口調で書かれているところがある。
これにはゾクっとするものがあった。そうなのだ。僕もそのくらい真剣に本を大切にしたいし、
本を消化したいし、本の素晴らしさを広めたいとやはり本気で思っている。

その1つの試みである私設図書館構想。
次に学校の図書館のパラダイム転換構想(えーそんなのあるのかよ。)

日本は本を読む人が多いらしいと何かデータみたいなものがあるらしいが、
そんなのはどうでもいいんだと思う。実際に本って読んでも死にはしないし、
馬鹿にはならないし、頭使ってどんどん「人」に触れて、人のはかなさを感じたり、
楽しさや馬鹿さを感じることもできる。

要は「使いよう」なのだが、本ってそういうツールだとはまず思われにくい。
本好きや文学者、そういった本に携わる人間は、こういうところをきっちり、
自己流なり、自分なりの定義で理解しているし、見ていると思う。というか、そうに違いない(笑)

だからこそ、「本」が1つの消費財?的な商品とは思えないんだと思う。多分ね。
だからこそ、本が好き。本好きなんだと思う。

でも同時に、「本ばかり」読むのは僕は嫌だと思う。
やはり人間嫌いとはいえ、人間が好きであり、本好きであるとはいえ、
本読む気がしないことはあるからである。これぞ人間って感じで楽しい。

ここまでっと。

これは「本読み馬鹿から本好きへ」っていうタイトルがいいかなあ。
難しいなあ。ちょくちょくかいていこうっと。うふふ。

SV-CAFE Vol.4

うーん、いつもとはまた違って良かったです。いや、ホントに。
とりあえず、Iさんに車で送って頂いて本当助かりました。ありがとうございます。
この恩は必ず・・・。

ある日突然くっきりはっきりぱっしり見えるものがあるとか、ないとか。
自分の今やっていることは意味がないのかもしれないけれど・・・。とか。

起業への妙な焦りは抜けていて、D51さんの話によれば(って書くと、D51で検索する人がいるんだろうな・・・うひ)、人間って自己表現したいものだ・・・ということなんで、
やっぱり、起業で、ビジネスでこう社会の枠組を利益としてうまーくやっていく。経営センスを活かすってことですね。
それも自己表現だし。

詩や文章で表現したり、絵で表現したり、色々な表現があるなあっと。
んだんだ、いいながら聞いておりました。

今「孫子」なんて読んでますけど、面白いですね。
多分普通に意外だと思う人は多いはず・・・なのは、
兵法書なのに、「兵を用いずに兵を降すのが良い」とあるんですな。つまり投降させろってことですよね。
そこには、一貫した「平和主義」があると思うんです。
おっと、米国のやり方はやっぱ僕は好きじゃないですが。チョムスキーLOVE(笑)


弱いものこそが価値があると僕も思います。
ハーバードちゃん(笑)にもありましたけど、完璧なんてないって。
不完全だからこそ素敵だって。そう捉えました。

かのパスカルの「人間は一本の弱い葦である」でしたっけ。
そんなこととっくの昔に発見しちょるわい、なんて野暮なこといいませんが、
現代なら現代の発見法があり、また自分で受け入れるんだろうなあと。

前にも書きましたけど「強い人間」いないけど、「強そうな人間」はいる。
強そうに見える人間であればあるほど、「実は弱いんだ」って面があると、
妙に人間味を感じますね。別に悪魔じゃないですしね。
でも同時に、ヘレン・ケラーじゃないですけど、悪魔の心もあるわけですな。人間に。

どうあがいてもこれは拭い去れない。だからこそ、不完全。
完全を求めるのはまあ人間的な欲求だとしても、不完全を楽しむところで
うまーく着地しないと、発狂はしないにしても、おかしくなるカモ。

色々考えちゃいました。いやん。

Iさんと帰りに話してたのですが、あれですね。
感覚的に行動する傾向がある(むー表現が難しい)人間と、僕はあまり付合ってないようです。
気まぐれ的要素、突発的行動というものでしょうが、そんなことないかもと思いつつ、
Iさんの話からイメージできる人間像は僕の周りにいなくて、貴重でした(?ー?)

僕は慎重かつ大胆な人間でありたいと。
お金をけちけちするんじゃなくて、使うときには使い、使わないときはきっちり使わない。
そういう緩急が好きですね。感覚的とはちょっと違うと思いますし、
むしろ逆かもしれませんが、ここらへんはわかんないですね。んぎゃ。


とりあえず、やりたいことをやるのと、求められていることをやるのと、
うまくバランスとれたところをやるのが良いなと、月並みなことしかいえないのが
アレですが、こんなところです。

皆さんお疲れ様でした♪

「会社人間」たちの末路

会社人間・・・
山一の話もあり、盛りだくさん。朝日の連載に加筆修正したもの。

「会社人間」「猛烈社員」という言葉があった・・・
それは過去じゃないのか。

仕事が趣味というと何かむなしさを感じる。別にそれで良いのだろうけど。

会社員になる前に読むと、まあ当然。リスク分散志向になるわね。
会社に忠誠など誓わんわ。それを甘いという人間が、甘いだわ!うはは!

「会社人間」たちの末路―次はサラリーマンになりたくない
朝日新聞社会部
ダイヤモンド社 1998-11


by G-Tools

新カテゴリー

「全ては1冊の本から」を生成。
生成?まあいいや。

主に、といっても全く当てになりませんが、
「本はすごく良いんだよう」
「本を読むことは頭の訓練になるよう」
「本は視野が広まるよう」
「本がないと僕は死んでたよ」
「先達の知恵がつまっとるわい」
などを書いて行こうと思います。

ちなみに、きっちり後にHPにIndexつけて並べる予定です。

どういう風に行くか。
目次から書いてみたいんですわ・・・。

本好き、本読みとかをキーワードにするかな・・・。
それとも、エピソードを20個くらいつけるのにするか・・・。
まあ適当に。

0.謝辞
1.本好きとは何か
2.本読みスタイル
3.公社債レベルの自己投資
4.本から得られた具体的なエピソード
5.謝辞

謝辞ではじまり謝辞で終わる。うはは。
なんかキレがない目次だ。でも、まあこんな感じで書いていきます。
ちなみに企画倒れしても誰もかゆくはないです。自分が少しかゆいだけ(笑)

ハーバードからの贈り物

友人のおすすめ。

これいいっすわ。というわけで、おすすめ

ハーバードビジネススクールで行われている最期のクラス(教授からはなむけの言葉)を集めたもの。
というとちょっと違うのだけど、まあいいや。
って、そういや、卒業発表した時の教授のことも、「はなむけの言葉」だろうな。
うふふ、まあ「はなむけの言葉」を消化できるくらいの人間にはなりますわ。

おっと、脱線。

本だなセンスの話に戻りますが(えー)、
これは「自己啓発本」のコーナーに入れるのはどうかと思います。
確かに元気とか勇気をもらえるのは分りますが、何か違う。何が違うんだろう。

僕にとっては、考える本だと、きた、哲学な本だとにらみました。
全てが哲学本になっていくう。ううう。

アマゾンレビューで低評価あり。どれどれと思って読むと、
どうも「ハーバード」が気に入らないようです。
確かにこれはタイトル悪いですな。が、でもインパクトがあるわけで・・・?
ここが難しいんですな。

原タイトルは、書いてありますけど、普通しっかり読まないはず。
「Remember Who You Are」とあり、副題に
「Life Stories That Inspire the Heart and Mind」とあります。

たまたま、ハーバード・ビジネススクールの教授の話であって、
ハーバードかどうかは関係ないんですよ。そういう意味でそのレビューアーの批判は正しいと思った。
が、今の時代、大学の名前で云々言ってる人は、淘汰される時代。
それに固執したい、固執する人もいるけど、さようなら。
だから、ハーバードだろうと、MBAだろうとどうでもいいなら、それを無視してそれを無視すればいいとすら思う。

レビューアーを批判すれば、つまりハーバードやMBAといったものについて日本人のレッテル貼り、ラベリングを批判している自身が、一番それに侵されるという罠に陥っている。
ちょっと極論ですが、まあそういうことはよくあることですな。ちゃんちゃん。

色々良いところがあるんですが、一つだけにしとこ。
それは「サラの物語」。これはいい。頭に残った。ありがたい。

内容をあえて紹介しないのが幣ブログ流(ってたんに面倒なだけですが)
これ1200円ですが、安いです。保存しとこう。

友人に有難うといっておこう。うふ。

ハーバードからの贈り物
デイジー・ウェイドマン 幾島 幸子
ランダムハウス講談社 2004-09-15


by G-Tools

腐ったミカン

そういえば、どうでもいいんですが・・・
腐ったみかんじゃなくても、腐ったものってうつっちゃいますね。
たまねぎの腐ったのはたまらんですしね。うぎゃ。

友人からメール有。

何か自分のペンション生活を思い出すは・・・。
メシと風呂が唯一の楽しみだったような。メシが異様にうまかった。あえりんくらい。
あと、相棒との語らいも楽しかったなあ。

昔、哲学の講師が
「出会いが大事ってのはよく言われるんだけど、
そうじゃなくて、別れを大事にすべきじゃないかって思うんだよね」
といっていたのを思い出す。

現実の一瞬一瞬、そう一刹那を大事にしてないわけではなく、
人を大事にしてないわけじゃない。

でも、出会った分だけ別れがあるなら、もし「別れ」が嫌な人なら、
出会わなければ良いとすら、たまに思うことがある。

終わり良ければ全てよし、ではないが、
出会いがあるってことは、素敵なことだ。
でも、同時に別れもあることに変わりはない。
いつも街ですれ違う人と出会わないのにね。

出会いから別れが短期的だろうが、長期的だろうがなんでもいい。

とにかく、腐ったみかんになるな(笑)

そっちか・・。

本を買う

昨日本を買う。

まず、日経の書評から気になって
「ゲーム理論を読み解く」
こいつは、普通じゃないゲーム理論の話みたいな書評があって、
どれどれと思ったら、どうも「ゲーム理論の罠」とかかいてあるので
こりゃ楽しみ。うふふ。

「不自由論」
こいつは、友人のすすめ。
名前から推測するには、自由は束縛のもとにあるとか、
中島義道「不幸論」の感じと似ているとか、
とにかく「逆」なんだろうと推測する。
さて、楽しみ。

「せどり男爵」ちゃん
あ、名前忘れたけど、ちくま文庫かな。
やっと店頭で見つけたよ・・・。ので購入。780円也。


いやあ、本ってホントにいいですね。
さよなら、さよなら、さよなら・・。淀川さん見ると「エイリアン」思い出す・・。
こえーよ・・(涙

本好きにも色々

面白い記事を発見。
「いっぴつけいじょう(仮)」さん
http://blog.goo.ne.jp/juzuko



「私的読書の経済性」である。

これ面白い・・・。

ちなみに僕はおそらく「買う派」であるかな。

借りると、それが自分のものではないという意識のために、借りないという人は、
借りて面白かったら買うという発想が良いかなと思う。自分はそう。

実際にかわなくても良い本もあるわけで・・。

もう難しいんだけど、面白いなあ。

文学部唯野教授のサブ・テキスト

これ読んで、あれ文学部唯野教授のほうが、また読みたくなった・・・
正確には半ば適当に読んで、放置してたんですが、いかんですな。

一杯のかけそばは原作を知らなかったのですが、面白いですね。
今度原作を買おうと。そう思いました。

あ、でこの本はサブ・テキストなんで、メインの「文学部唯野教授」を読んでないと多分面白くないと思います。と、アマゾンレビューにもあったようにそう思います。

文学部唯野教授のサブ・テキスト
筒井 康隆
文芸春秋 1990-07


by G-Tools

ありがとうございます、ましたの違い

造語カテゴリが混乱中っと。

注文をするときに、「?、お願いします」。といい、
会計の時には、「ありがとうございます」というのが習慣になった。
無言はどうも嫌だ。おそらく相手も何か言葉が合った方が「リアクション」としていいかと。

で、どうでもいいことですが、
「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の違いを考えてみた。

ありがとうございます、と僕が言うとき、どうもサービスありがとうという意味で言っている。
ことになる。
で、それは「現状へのお礼」ということだ。今こうしてサービスしてくれてありがとうという意味だ。

で、「ありがとうございました」は、店員が言う。
それは「ご利用してくださってありがとう」という意味で、行為が対象だ。
それは過去のことだから、過去形だとも思う。

同時に「ありがとうございます」は、現状、つまり現在であり、現在形だ。

そこに気付いて、おおーと思う。

店員が「コーヒーでよろしかったでしょうか」といった言葉を発するとき、
「よろしかった」ではなく、「よろしい」ではないかという話が以前あった。友人ともしたかな。

その時は、まあ
「若いんだし、多めに見る」説、
「過去形は英語のwouldのような丁寧を表す意味もある」説、
「自分としては過去の情報であるので過去形」な説、
などなどがあったかしら。

使いどころだ。
例えば、店員がミスって、注文を書き間違えたり、もうコーヒーがない(普通はないけど)とか、なんらかの事情で、確認したいときなど、
そのときに「コーヒーでよろしかったでしょうか」と確認することは普通だろう。

だが、お客が席について、「ご注文は?」といって、一人が席にいてコーヒーを飲んでいて、もう一人があとから待ち合わせで来た場合に、
店員が「コーヒーでよろしかったでしょうか」というのは、ちょっとおかしい気がする。

あ、なんかどうでもよくなってきた。

コーヒーの方お持ちしましたとか、1000円からお預かりしますとか。
そういうのですな。

これらをボカス表現といえば、聞こえはいいのだけど、
この言葉に「決定力」のなさを感じるのは僕だけだろうか。(うん、あんただけだよ。ぐはっち。

サッカーでいえば、決定力とは、FWのゴールを入れる力、チャンスをものにする力、
そういうものだ。チャンスが5回あっても1回もゴールできなければ、決定力がないといえるし、
5回のチャンスを全部ものにすれば決定力があるといえる。

決定力とは、決断力、行動力と似ている言葉だと思う。

だからあやふやな言葉、あいまいな言葉は、それ自体は「気持ち良い」ものだ。
聞く客は気持ち悪いと思うかもしれないが、そうではなくて。

その決定力がない言葉を発するということは、極論として「曖昧な人間」ということになる。
まあ言いすぎは承知。だけどそういう傾向があるんじゃないかと。

曖昧にして濁す。そういうのが処世術とはいわないが、
それに長けることで、結構なんでもこなせると逆にたちが悪い。あとで一発でかいものを食らいそうだから。お節介その13っと。

?したいなあではなくて、?します。といってしまえばいい。
そうすると、出来なくてもきっと変な方向にはいかないと思う。

ちなみに、インドに行きますといっておいたが、それは実行せず、
韓国に行こうとしているが、寒いみたいなので、まだまだ行かないという己のことは
タナアゲしているので、あーる(笑)

無意味に有意味を。

そういうことがあると思う。

無駄なことをいってると、それが以外に有意味にとられ、相手にプラスになることがある。
同時に、有意味なことをいってるのが、無駄にとられて、無意味だと思われることがある。

そういうのは少ないかもしれないが、
きつきつの「正論」しか吐かない人間もまた嫌なものだと思う。んだ。

それこそ僕の最も嫌いなタイプだ。


ということで、つまり、意味のある、役に立つことを必ずしもしようと思うのは時には無駄だということがあるともいえる。
肩肘張らないというのは、方に力を入れ過ぎないとは、結局そういうことなんじゃないか。

自分はやるだけやった、あとは結果次第だって。
そういうのは、うまいパターンだなと思う。

だから無意味だと思えることを書いていけばきっといつか有意味になるともいえる。

だからこそ、誰も能力がない人なんていえるわけだ。
おお、そうきたか。ぐふふ。

意図しない発言だと取られたら、それはしょうがない

やっぱり、そういう時って多く、多分9割が「コミュニケーション不足」だから。

こっちはそういうつもりはなかったって。
そう思われたら、誰が悪いの?

自分が悪いのか。相手が悪いのか。

おそらく両者が悪い。でも、両者ともそれで良いと思っていたわけだから、
奇跡の会話が通じたとか、そういうことは放っておいて・・。

意図してなくても、そのように取られたら、それはしょうがないと思う。

意図しないものを勝手に誤解した場合で、かつ相手が傷ついたとかいうのが問題になる。
傷つくのは勝手だとすら思う。

勝手に自分で妄想して勝手に傷つくのと何が違うのだろうか。

差別的な発言とかそういうことも考えていると結局何も言えないことがある。
でも、差別的な発言が良いとは思えないのも確か。

同じではないんだろうけど、そういう意味で「何か捨てないと何か得られない」というのもある。

コミュニケーション不足の場合、こっちに気力がある、もしくは相手に気力があれば、
お互い補えるが、それが生じないならそれはもう無理だと思う。
僕はそういうふうに考えているっと。

擬音語だけの小説

筒井氏の本で、筒井氏がどんどん言葉が減っていく小説を書いたというのがあった。
それは「残像に口紅を」だったか、「口紅を残像に」だったか。多分前者か。

ふむ・・・そういう小説もあるのかと思わず、おおーと思う。

そういうわけで、「擬音語だけの小説」ってないのかな。
もしくは擬態語。

擬音語とは、音に例えるもの。トビラが「ぎー」と開いたとか、
アメが「どろっと」しているのか、アメが「しとしと」降っているのか、
太陽が「ぎらぎら」してるとか。

あれ、これ擬態語じゃん?

あれ、違いがわからんねえ。あほだ。

えっとまあ要するに、人間に分かりやすいような例えってことですかな。
まあいいか。

例えば思いついたのは、
「朝、目が覚めて、布団を蹴り上げ、洗面所へ行き、スリッパをはいて、顔を洗う。そして落ちつく」というのを、擬音語or擬態語で表現すると、

「ちゅんちゅん。ぶろろろー。ぴしゃん。ごー。
がばっ。どすん。ぼて。
どんどん。ど。
きゅっ。ざざー。こすどすささ。
ばしゃばしゃ。がらがらがら。うげげえ。きゅっ。
どすん。」

どうだろう。全然分からん(笑)

つまり、活字とは想像力を鍛えるものなのだ。
活字離れ=想像力の欠如の支援なら、僕は活字離れと戦わねばならないようだ。
って、話がー。

うはは。

本を書く

あるブログな本で、小説をブログで書くとかそんなようなことが書いてあった。
ブログの利用方法ですな。

実際に目次をだらっと流しておいて、それを書くというブログを見たことがある。
というわけで、我も実践してみんと欲す。

考察をまとめるとかそういうのもいいけど、幾分それはつまらん。
ので、「本好き」の面白い考察をしたブログがあったので、
それを参考にしつつ、本を読むとは何かを考察してみて、
そいつをががーっと書いてみたいと思う。

うーん、がんばれ己。

一人前思想

価値観の違いといえば、それまでだが、それは話す上では少数の例外を除いて、
普通は「NGワード」だと思う。

なぜあなたがそういうことを好きなのか私は理解できない。
それは価値観の違いだからだ。

こういった言葉は非常に危険だ。
もちろんTPOがあるが、でも、危険だ。
言う割におそらくメリットはほとんどないから。リスクが高いという意味で。

価値観が違うという前提で話をしている場合がほとんどだからという意味もあるし。

話し合っても分からないということを証明した言葉でもありそうだ。

っと、まあこれはいいか。


価値観とは、お金と時間の使い方の方向、もしくはその対象物で分かると思う。
例えば、月に大体どんなもの買って、どんな時間の使い方をしたかでその人の価値観が分かるってことになる。

レッテルとかラベリングとかそういうものもあるけど、やはり価値観はある、と。

ある人が身銭をはたいてでもしたいことが
ある人にとっては、お金を出されてもしたくないことだったりする。
これは価値観の違いといってもいいのだろうか。
まあ、大抵そうなのだろうが、それで決めつけるのも何か寂しい。

価値観以前に、お金を使って何かすることをあまり意識しない人はいるのは確かだ。

それは欲しいものがあるから、買う。そこで終わりということかな。
難しいな。

所有という概念がある。もちろん何か所有するのは所有欲を満たすから普通だ。
でも、所有欲が強い人は、おそらく「モノに価値を見出しすぎる傾向」がある気がする。
おっと、ここらへんは主観強いからお気をつけてくださいまし。

モノに価値を見出すとは、つまるところ、見えないものを重視しないということになる。
ってことは、心なんかを軽視する。つまり人を理解しない。想像力がない。魅力がない。

そこまでいっていいのかなあ。まあいいか。

まとめると、所有欲が強い人は魅力がない(笑)
で、自分が本を集めるのは結構好きなので、魅力がないってことになるわけですか。
くそ(笑)

まあ本当はそういうことじゃなくて、所有欲のみで購買している人が問題だってことかな。
本は所有したい。購買するものは、本だけじゃないからね・・・。
色々買うわけだから。

色々買う中で、お金を使うが、そのお金を使ったものと自分は交換したんだという意識。
この意識は結構重要な気がする。

金銭感覚、ふぁいなんしゃる(ふぃなんしゃる)いんてりじぇんす、キャッシュフロー思想。なんとでも。



時間についても少々。

時間がないといっても、時間を割いている事象、行動はあるわけだ。
それが最優先だからしょうがないとも言える。
欲張りになんでもしようと思うから出来ない。それは結局、結果論でしかないのだが、
「時間を割けないからこそ、できないのだ」ということが言えてしまう。
別に結果が全てではないっすよ。

でも、例えば「きっちり時間を守る人」と「そうではない人」を比べるとどうか。
いつも「面白い話」をしてくれる人と「そうではない人」を比べるとどうか。

そういうことですな。自分が良いと思える方向に人は進んでいるっと。
多分そうなんですよ。
だからこそ、言葉が思考となって、性格、人生となるって、先達が言ってるわけですな。
素敵。

言葉は関係ないのか。そうでもないか。

時間を一番割いているものが一番優先したくないことなら、
それを変える方法を考えてみたいですな。
お金を割いているのが、あまり重要ではないなら、それを変えることを考えたいですな。

一人前思想。

一人前とはなにか。全く分からなくもないが、おそらく自立した人間のことだろう。
もちろん、依存が全くない人間はおそらくジャングルのサバイバーか。
でも、サバイバーでも植物、動物を殺すわけで、依存している。何の話?

書きたいことを忘れたり

続きといいつつ、間があって忘れた。

とにかく、子どもどうこうの言う前に自分を見よと。
大抵馬鹿子どもは、馬鹿親だからだと思う。
多分これは覆せない。例外は本当に少数だろう。

子どもは良い教育を受けるべきだと思う。

ある友人に言わせれば、おそらく反論があるんだろうが、
「教育は与えるものじゃない」みたいなことを言われそうだから。

でも、僕は教育を押し付けたいなんてちゃんちゃら思ってない。ちゃんちゃら?

良い人と自分が思う人に話を聞いてもらうとか、
そういうことじゃないかと思うんだ(思えよ。

それがセンスを磨くことだと思う。
同時にそれが限界でもある。親の、というか人間の。

例えばお金を結構だして、「良い」教育だと思って子どもに受けさせた(表現上こうなるが、他意はなし)けど、
それは子どもにとってはあまり意味がなかったとする。
でもそれは、親のセンスがそこまでだからと言ったら?
鬼か?悪魔か?

多分そうともいえるし、そうともいえないこともある。

それでは、子どもの自主性はどこにあるのかと。そういう人が必ずいる。そこにいる(笑)

自主性なんてものは、ある程度の土台がなければダメというか、ないものだと思う。
それは「自由」が束縛も何もないものだと勘違い(これは賛否両論あるだろうけど)するのと同様に・・・。

例えば、カードゲームで遊戯王ってのがあった。
それで楽しむ子どもにとって、遊戯王で遊ぶのは自主的であると言えるだろう。好きだし楽しいから。
この場合、遊戯王がどういうゲームであり、どうやって遊ぶという前提、知識があって、
そしてそれを楽しむ方法(対戦する、強いカードを集める、コレクションする、大会に出るなど)を知っているから言えるのだと思う。

つまり、別に子どもだからといって、自主性が発揮するのは不可だとは絶対に思わない。
が、その土台がやはり狭いのだと思う。そこは事実だとにらみたい。

それを「視野が狭い」といってもいいし、20歳未満は「責任能力がない」といってもいいと僕は思う。
別に子どもを年が小さい子を馬鹿にする気はない。
こういわないと、友人が食いついてくるから。言うまで(笑)

だから子どもの視野を広めるのは、親のスキル、腕の見せ所でもある。手腕だ。
矛盾しているようだが、同時に「見放す」ことも重要だと思う。

例えば、親が子どもに立派な教師になってほしいと思うことは自由だが、
それを実現するのが子どもの自由では決してないことは言うまでもないだろう。

自分は調理師になりたいんだ。うまいメシ作りたいんだ。それで人の喜ぶ顔をみたら、それでもう満足。(そういうのは僕にとっては本を提供することかもしんないね。聞いてないって?、ああ、そうかい)


自主性が全て善とはいえないのは、当たり前田のクラッカーだ。
なぜなら、自主性が子どもに負担となる場合があるからだ。
これを都合の良い僕の解釈といってもらっても全く問題ない。
実際にそう思うことは僕自身でもあるが、同時にそう思わないこともあるからだ。

自主性。いや、強いる?
その名の下で、なんでもやらせる親もいる。なんでもというと大袈裟だろうが・・・。
色々な家庭があるといえば、それまでなんだけど。

なんでもやらなきゃいけないというのが、仮に「自主的な考え」ではなかったら、
つまり「自主的になんでもやるのが良い」というのが、教え込まれたものなら、
それはやはり問題なんだと思う。

自分でやってるから、といってそれが負担になっていて、
実際に自分でやってない人に比べて何も出来ていないように「見える」人は
僕は結構見てきた。

それは親を頼る、人に頼るというのが結構大きなところか・・。
って、この話はここで終わり、次の話へ。

ふう。

本棚センス

本屋にいった。本を買った。終わり。

え?

これだけのことをあえて、ブログを使って2000字以上で書く。
これをゴミと呼ぶ人もいれば、そうではない人もいる。
難しい。だから楽しいとも言えるがが。

さて、「哲学」コーナーを見てたら、言語学の棚で、かつ「論理学」「倫理学」の棚があった。
隣は「記号論」だった。

そおの言語学で、かつ論理学あたりに、
「ビル・ゲイツの面接試験」があった。

別の本屋では、経営棚の人事ジャンルにおいてあった。


僕は考えてしまった。
僕にとって、その「ビル・ゲイツの面接試験」を
経営コーナーにおくか、哲学コーナーに置くかでセンスを問われると思ったからだ。

お主はたったそれだけの違い(たったそれだけの違いではないのだが)で
本屋を見極めるのか?と問い詰められそうだが(そんな人はまあこのブログを読まないはず)、
見極める。見極めよう。見極めたい。見極めるだろう。

この本は読んでないけど、内容はたしかマイクロソフト社の採用試験の話だったかな。
でも、その試験が帯には確か「富士山をどう動かすか」とかって試験。
まあ「普通」じゃないね。んだ。

ここから色々なことがいえるが・・・。まあ今思っていること。
それはまずこの本を2つの本屋が別の棚に置いたということだ。
これは非常に興味深い。本はどうやっておいても自由だ。
が、カスタマーイズカスタマー(って違うじゃん)の原則によれば、
やっぱりね、お客さんが分かりやすいように、同時に店側が管理しやすいように並べるのが普通かな。

例えば、出版社とタイトルが分かれば大体場所は分かるように本屋は出来てる。
あと雑誌と漫画と一般書籍で分かれるし、
いわゆる図書館分類法?みたいなのもあるし、色々ある。
でも普通は大分類、中分類、小分類、とやっているんだろうね。

それはさておき。

A店では、哲学にあったその本。B店では、経営にあったその本。

本を置く人が誰であれ、一応は「管理」しているはずだから、
本屋の書店が「全ておいてある本」を読んでいることは物理的に不可能だが(わらし仙人なら可能かもしれないが)、
でもあらすじや、内容を把握しておいてほしいと思ったりもする。
むしろ、それが本屋だと勝手に思う。が、大きな書店とかはまず無理だろうな・・・。


タイトルに「面接試験」と「ビル・ゲイツ」とあったので、経営者、とか経営、とか人事、採用とか
そういう連想はたやすい。
同時に本の内容もまあ「面接試験」だから、「経営」でもいい。
が、この文脈からして僕は「本棚センス」があるのは、A店だと思う。
そう「哲学」においた本屋だ。

別に全ての学問は哲学にあり、などと謳いたいわけじゃない。
そうではなくて、この本の内容は「読んではいない」(が、ここまでいったからには読まないといけないんだろう・・・)は、おそらく哲学的な内容だとにらむ。

B店は、その大まかな内容に注目したのに、
A店は、そこを哲学的とにらんだ。

実際にISBNや著者、タイトル、本の装丁などが変わるわけじゃない。
同じ本だ。そう同じ本なのに、本屋によって「別の場所」にある。
なんとも不思議だと思いませんか?え、思わない?いやん。


ここから本屋マーケというのは出来ると思う。ほう。
つまり、自分が熟知しているだろう本がどこの本棚にあるか。
そしてその本揃えはどうかも見極められる。

例えば、経営の入門という棚に、「この本は欲しい」というものがないなら、
別に買わなくてもその本屋の本棚センスを疑ってしまうというわけだ。

大型書店ならその傾向は強いが、別に買いに来なくなるわけじゃない。
ここで妙なところで「規模のメリット」があり、対応できている。
そこまで大型書店は考えているのかどうかは、分からないが。

むしろ小さな書店に、このセンスが欲しい。
というか、多分そのセンスで成り立っていると思う。

数が限定されるために、ここぞとばかりに決めなければならない。

小説かエッセイか。何に力を入れるのか。子ども向けの絵本か、
それとも小説か。主婦向けか、若い女性向きか(決して主婦はおばさんだとはいってない)。

ある本屋を視察(別にただ入っただけですが)したところ、
ノンフィクションかな、で「夜回り先生」が5冊もあった。
この小さな本屋でそれを置いたというのは、TVの影響か、売れると読んだか、
自分が良いと思ったからか、売れている聞いたからか、取次の影響か。

色々考えるわけだ。

他にも色々ある。
例えば、塩野氏の「ローマ人の物語」は文庫で25巻くらいでてるけど、
あれを、25巻を1冊ずつ並べるか、2冊ならべるか、それとも最新刊を3冊にして、
他を1冊にするか。
漫画も似てますね。巻ものは難しいです。

上下巻ものも同じようなことがいえる。下ばっかりあっても上がなければ。
でも、お客さんによっては、両方欲しい人もいれば、下だけ欲しい人もいるわけで。

ここらへんがセンスだと思った。センスは才能ではないと思う。
磨かれるものは、つまり才能ではなく、磨いたもの。月並みだが、「努力」の結果となるわけだから。


ここでいっていることは、僕の主観である以上に、本の嗜好がある。好き嫌いだ。
だからミステリー棚云々は全然関係ないし、雑誌もどうだって良かったりするわけだ。
だからそういう客はそういう本屋に行けばいいと思うこともある。どんな本屋だろう?

全ての人が満足する本屋などあり得ないならば、
誰か一人だけでも満足する本屋があるのではないかと思う。

ちなみに僕は多くの人に影響を与えるよりも、少ない人に影響を与える方が
個人的には好きだと思う人間である・・・と。関係ないか。


今回は「ビル・ゲイツの面接試験」で見てみたが、他にも色々ある。
検索術とまではいかないが、なれていないと「どこに何があるか」分からないから、
結局本と疎遠になる。
これって?経済学とかで説明できそうかもしれない。誰か頼みますよ。

つまり、これはミクロな現象なのかなってこと。
本が読まれていないのは、活字離れかどうかは疑わしい。
活字というもののオモシロさを単に伝え切れない教育とか、
あと親の低レベル化(こんな若僧にこんなこといわれている時点で問題なんですが、とたっぷりな皮肉を少々)、

漫画の悪いところは、イメージとしての絵があるから、想像はあまりしなくていい。
活字だとテキストばかりで、絵がない。
絵がないから、つまらんのではなく、絵を想像できる楽しみがあると思わなければ、
おそらく活字はつまらない。
そういうことを踏まえた上で、漫画が好きな人は僕は好きだし、活字好きな人も好きだ。
が、どうもそういうことは「つまらんことよ」といって、思考停止して(?)る人が嫌いだ。

同時に漫画は、イメージを与えれるから良いとも言える。
全く皮肉なものだ。メリットもデメリットも同じものだとは。

ゲーム制作者が、プレイヤーに「おまえら皆馬鹿になってくれ」とは決して思ってないのと同様、漫画作者もそうだろう。
漫画から転じて、美術・芸術のほうになると「へへー」とへりくだるもんがおるわい。
それもまた問題だと思う。

よく「ゲームばっかりやってると馬鹿になる」とは言う。
これははっきりいってどうでもいいことだが、でも時間が相対的に少なくなり、
思考する訓練が怠ってしまうのは事実だろう。時間は有限だしね。

でもそれはゲームが悪いといえば、作者を否定することにもなる。
これをさらに極論にもっていけば「人の言うことなど一面的なものでしかない」わけであって、
もっともっといえば「自分の本意がうまく伝わることのほうが珍しい」という証明もであると言っちゃう。

教育で一番言われることは「自発性」だが、自発性ほど難しいものはない。
一番簡単にいえば、「興味あることをやってみろ」だが、どうもそうはさせてくれないようだ。
ゲームに興味がある、LV99にしたよという子どもがいるとする。
彼・彼女に「よしもっとゲームしよう」といえる人間がどれだけいるのか。

「ゲーム」がダメなら、その理由を言わなければならない。
大人であろうとなんであろうと。これは屁理屈とか理屈人間を奨励するわけじゃなく。
そうではなく、仮に間違った考え(そんなものはないのだが)であっても、
そういう意見で、考えで「ゲームはダメ」というなら、それに対応する理由を述べねばならぬ。
これは一種の理論武装だが、まああまりやりすぎると「屁理屈」人間になるので用心されたし。

そもそも「ゲームがダメ」というのは社会は迎合的なのに、
「勉強しすぎがダメ」というのは、あまり言われない。
なぜか?

それは、勉強はまだまだ「神聖」なものだから。
あほくさいが。そうなっとる事実は見逃せない。

いわゆるガリ勉は、本当に好ましいのだろうか。
もちろん「勉強」は良いと思うが、その内容が、くそ暗記だったり、くそみたいなつまらんことに対して、受験のため、親のため、世間のため、良い会社に入るため、というもので
頑張っているなら、そんなのはクソなので、止めて欲しいものだ。

決して一人で生きているわけじゃないから、妥協なんてものが付きまとう。
同時に自分が影響を与えることができるという発想がそこからなぜ出てこないのか。
物事は即ち、常に一方と他方で見えるのだ。
メリットがデメリットになり、デメリットがメリットになる。そんな魔法、罠、なんといってもいい。

窮屈なことはほとんどない
一番最近思うのは・・・って、次にまわそう。長いから。

自宅サーバ構築理論

自宅サーバを趣味でやっている人がいるらしい。
ウェッブサイトを拝見すると、なかなか親切にやり方から、コスト、トラブルなどがかかれていて非常に参考になる。

自宅サーバ。
その響きは、非常に甘い。砂糖漬けのいちごのようだ(なんだこの表現は!)。

というわけで、今家にあるPCでPen100ちょいのマシンがある。非力だ。
が、サーバとしては、電気をあまり食うのもよろしくない。
とりあえず金をかけずにやるのが、我流。だが、ケチってはいけないのも我流。
そこらへんを勘違いしてないで欲しいのも我流。関係ない。

去年はブログの年だったようだ。
多分ブログ等に興味ない人は、全くもって主観的な年だと思われるに・・・間違いない。

今年はRSSの年のようだ。あーる・えす・えすというのは、対応したサイトの新着をあらわしてくれる規格。多分これ説明間違ってるけど、そんなところ。

来年を読む。2006年は・・・・2007年団塊の世代労働者の定年に当たるらしく、
一気に労働者が減る。いや多分。人口の変動は、結構当たるらしい。少なくとも経済予測よりは(笑)
もちろん天災があれば別だが。

2006年は・・・そう自宅サーバの年にしてみよう。
PC買ってきて、設定などをして、そして常時「ハッカー」の脅威、
スパマーの足場になることへの脅威、そうしてセキリティ面から自宅PCが壊れる脅威(笑)

そういう脅威に立ち向かえる人間が、この日本にどれだけいるのか。
僕は悲しくてしょうがない(なんだお前は!

いや、それはどうでもいい。
が、無料HPスペース等あるが、あれはどうも結構簡単らしい。
もちろん、セキリティ、ウェッブの勉強をしなければならないが、
そんなものびふぉあーぶれっくふぁーすとでござる。おぉ。

自宅サーバのメリットはよくわかったし、デメリットも分かる。
が、目的は何かと言われると詰まるが・・・。

友人へサーバスペースを提供するとか、
連動してファイル保存領域にするとか、
色々なスクリプト、プログラムの実行テストとか、
いわゆる「無料サーバ」や「プロバイダスペース」などに
依存しない自由空間の構築ができてしまう。

これはやばい。非常に魅力的。
HPに色々な情報を載せて、そこで「独自性」をPRすることもできるが、
自分で「身銭」を出しているとか、
「運営」スキルを磨いてそこから得られるものとか。
そういうことは絶対に普通にHPを作っていては得られないものだと睨む。

楽しそうっすね・・・。

あ、ちなみに「サーバ」とは、コンピューターのことです。
「サーバ」の対にある概念として「クライアント」というのがあります。
心理カウンセラーがいう「クライアント」は、患者のことです。

あ、説明しようと思ったけど、多分読者諸賢は、ご存知だろうから省略。
これがこのブログの方針。つまり、何も説明しないという方針。
今決めた。そして1秒後に変わる。何も決まってないということだね(笑)

考えるときに考え、考えないときは考えない

それを今流行りな言葉でいえば「1/fのリズム」とか(笑)
いや、呼吸とか。見えないリズムとか、なんか分かるなあ。
そんな目に見えないものを拝まなくても、
呼吸が合わないとつらい。

自分が考えたい時に、考えない。
考えないtきに、考える。

これでバランス取れることもあるけど、同時にこれが悪循環をもたらすこともあり。

全て捉え方次第というのは、名言だと思う。
でも、捉え方次第ではなくて、捉え方うんぬんを考えるとやっぱり
人間だなあと思う。答えないし。

所属集団への依存度を低めることで、自我を保つ。

そういう戦略にすることにした。リスク分散志向。
もう説明は要らない。

「荷物は軽いほうが良い」

これは、チャリダーの鉄則だ(笑)
そういうこと。

前からそうか・・・。土台は作るけど、べったりちゃんはヤよね。オホホ。

会社を潰すビジネス

普通、会社を再建するとか、コンサルするとかで会社存続の方向へ持っていくことはある。
というか、ごく当然。

発想の転換。
逆に潰すビジネスってないんだろうか。いや、あってもいい。
別に怖い人が潰すんじゃなくて、もうこのままいくと「やばい」なら、
まだ身軽なうちに潰した被害を抑えられるという意味での潰す。

すると、健全な会社が今より相対的に増える。ちゃんちゃん(笑)

起業支援とかそういうことは結構やってるんだろうけど、
逆に潰す方を強化すると、逆に起業支援になりそうな気が。

金が全く流れてないのにーいわゆる帳簿ごまかしちゃうようなことやってる会社が
あるって聞くので、そんなことなら潰しちゃって。

え、雇用の問題?

雇用もきっちり経済に組み込まれていて、要らない人はいらないって言われるんだろうなあ。

え、答えてになってない?

んだ。答えなんてないさ(笑)
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

researcher

記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
  • ライブドアブログ