長すぎますとブログに言われちゃった。
続き・・・。
最後に最近思うこと。学生で苦学生というのは一体どれくらいいるのだろうか。たまにふと思う。僕は苦学生ではないのだろうが、奨学金も育英会から借りてるし、家は別に普通のサラリーマン(おっと、サラリーマンで普通の親、いや、サラリーマンで親(笑))な家庭で、お金はあるほうではない。一億中流意識なんぞはもはや吹っ飛んでいるはずだ。多分。奨学金とかはいわゆる借金だ。ただ低金利、もしくは金利ゼロなので、学生が使う。この奨学金、親からこんな話を聞いた。「奨学金を借りると子どもがかわいそうだ」という意見の人がいるそうな。まあそれはそれでいいのだけど、なんでかわいそうなのか分からん。納得できる説明はおそらくできないのだろう。僕には。かわいそうならば、子どもは大学に行きたいわけじゃないということになりそうだが?極論か。感覚的には、借金を背負うことが嫌。世間にそう言われる(ここが全ての謎。世間なぞもはや古臭いものでしかない。今はお互い協力する時代であって、協働なんていう考え方はだんだん浸透しているはずなんだが)のが嫌。あとは子ども借金をさせるのが嫌。子どものことを本当に考える親ならば、奨学金などかなり低リスクだと思うし、むしろお金がなくても大学に行ける良い道具だと思うのだが。色んな家庭がある。でも色んな家庭というよりも、色んな親がいるといったほうがいい。その親に少なからず影響を受けているというか、影響を受ける子がいる。その子どもも無意識レベルで育っていく。家の親とか家庭が変な家だったと気づけばいい。もし変な家なら。でも気づかないと・・・。気づくのは簡単だ。色んな人や、それこそ風景(でた!風景)をみればいい。色んな人がいるという感覚をつかむだけでも自分に可能性が出てくる。同じ人間などいやしない、というのはキレイゴトではなく、本当の事実だ。本当のことを言われると怒る人間と黙って認める人間がいる。本当のことといってもピンキリだけど。奨学金を借りて、大学に行ってあまりバイトしていない子と、奨学金を借りずに、大学ではバイトが結構重荷になる子。どちらが幸せか。おそらく前者だと思う。もちろん、時間や家庭の状況や色々条件はある。ただ僕の私見にすぎないが、バイトを楽しんで、経験になる!とか学びになる!といって積極的な動機付けをしている人はほとんどいない。金だ。マニーだ。なぜマニーか。遊ぶ金がほとんどだろう。例外はあるだろうけど。それならいっそ借りてしまって、後は大学生活を満喫したほうが良いと思うのだが、どうもこの考えは親によって大分異なるようだ。そんな考えはおかしいとか言われそうだ。色々な親の意見がある。親にある程度影響、左右されるのはしかたがない。良い親の定義をしてみよう。それは「子どもの判断や決断を尊重したり、認めてくれる」親のことだ。頑固でもその面があれば良い親だ。一方頑固ではなくても、子の意見を何も聞かない、認めない親はおそらく生きる価値がない人間だろう。過激か。まあ生きていてもいいけど、子がかわいそうだと思う。子は「私、生まれたいです!」といって生まれるわけじゃない。親は子を守る。守り方もピンキリだが、子のことを考えない親がどこにいるのだろうか。子の意見を聞かないというのは、子のことを考えない親だと言っていい気がする。
長い!
続き・・・。
最後に最近思うこと。学生で苦学生というのは一体どれくらいいるのだろうか。たまにふと思う。僕は苦学生ではないのだろうが、奨学金も育英会から借りてるし、家は別に普通のサラリーマン(おっと、サラリーマンで普通の親、いや、サラリーマンで親(笑))な家庭で、お金はあるほうではない。一億中流意識なんぞはもはや吹っ飛んでいるはずだ。多分。奨学金とかはいわゆる借金だ。ただ低金利、もしくは金利ゼロなので、学生が使う。この奨学金、親からこんな話を聞いた。「奨学金を借りると子どもがかわいそうだ」という意見の人がいるそうな。まあそれはそれでいいのだけど、なんでかわいそうなのか分からん。納得できる説明はおそらくできないのだろう。僕には。かわいそうならば、子どもは大学に行きたいわけじゃないということになりそうだが?極論か。感覚的には、借金を背負うことが嫌。世間にそう言われる(ここが全ての謎。世間なぞもはや古臭いものでしかない。今はお互い協力する時代であって、協働なんていう考え方はだんだん浸透しているはずなんだが)のが嫌。あとは子ども借金をさせるのが嫌。子どものことを本当に考える親ならば、奨学金などかなり低リスクだと思うし、むしろお金がなくても大学に行ける良い道具だと思うのだが。色んな家庭がある。でも色んな家庭というよりも、色んな親がいるといったほうがいい。その親に少なからず影響を受けているというか、影響を受ける子がいる。その子どもも無意識レベルで育っていく。家の親とか家庭が変な家だったと気づけばいい。もし変な家なら。でも気づかないと・・・。気づくのは簡単だ。色んな人や、それこそ風景(でた!風景)をみればいい。色んな人がいるという感覚をつかむだけでも自分に可能性が出てくる。同じ人間などいやしない、というのはキレイゴトではなく、本当の事実だ。本当のことを言われると怒る人間と黙って認める人間がいる。本当のことといってもピンキリだけど。奨学金を借りて、大学に行ってあまりバイトしていない子と、奨学金を借りずに、大学ではバイトが結構重荷になる子。どちらが幸せか。おそらく前者だと思う。もちろん、時間や家庭の状況や色々条件はある。ただ僕の私見にすぎないが、バイトを楽しんで、経験になる!とか学びになる!といって積極的な動機付けをしている人はほとんどいない。金だ。マニーだ。なぜマニーか。遊ぶ金がほとんどだろう。例外はあるだろうけど。それならいっそ借りてしまって、後は大学生活を満喫したほうが良いと思うのだが、どうもこの考えは親によって大分異なるようだ。そんな考えはおかしいとか言われそうだ。色々な親の意見がある。親にある程度影響、左右されるのはしかたがない。良い親の定義をしてみよう。それは「子どもの判断や決断を尊重したり、認めてくれる」親のことだ。頑固でもその面があれば良い親だ。一方頑固ではなくても、子の意見を何も聞かない、認めない親はおそらく生きる価値がない人間だろう。過激か。まあ生きていてもいいけど、子がかわいそうだと思う。子は「私、生まれたいです!」といって生まれるわけじゃない。親は子を守る。守り方もピンキリだが、子のことを考えない親がどこにいるのだろうか。子の意見を聞かないというのは、子のことを考えない親だと言っていい気がする。
長い!