ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

生き抜く仕組みは中間地帯の仕組み構築か。

1年ぶりくらいですね。

さて、ブログなどのアウトプットが減っているわけでないんですが、
ただ「ある程度読者を意識」しはじめると、「独り言」として、
いわばツイッターの長いやつみたいなものができなくなるんですね。

もちろん、ブログにコラムであるとか、ゆるいネタでいくのもありなんですが、
それってなぜか「そんなの読む人いない」ってことを意識するんですけど、
そうでもないなと。むしろ読む人はそういうところだけ読んでるとかってありそうです。

要はこれは絶対外せないっていうのは「気持ち」が出るのはプラス。
だけど、同時に力んで力が出ないってこともある。よって、外せないよねーってのは
微妙な感じがするわけですね。

全くプライベートで思考をまとめて、メモ書きしてコレは俺の思考。というのもありだし、
本来の日記でオフラインで書くのもいいですね。ただ、それって、
思考スピードと書くのが追いつかないのでイライラするということが、
まあすでにタイピングの段階でもそれくらいのスピードで打つわけで、
もう戻れないと。逆にゆっくりした文章が書けないっていうのにもなりますが、
そういうのってなんでもそうで(笑)

改めてこのブログの役割というかポジションですね。自分の中でです。
個人日記としてグッドだなと。そして自己啓発って本を読んで自分を啓発するわけですけど、
その自己啓発ブログとして自分で自分を啓発して、一種のマスターベーションっぽいんですが、
まあいいんじゃないのと。でも、それを垂れ流すなよってのもあるんですけど、
そもそも読まれるというか、自分が書きたいことを書くわけで、まさにインターネットの果てって感じで。
それをうまく利用しているだけで、何か政治や思想、あとビジネスとかも関係ないですしね。

かっこ良く言えば、中間地帯みたいなものでしょうか。
ギチギチにテーマが決まったりしたものってやっぱそれ以外話しづらい、
または別話題をそっちに編集するだけなんですよね。
じゃあ何もないところで集まれるか、飲み会って飲む+話すだけで、
当然そこにいる人がつまんないなら誰も来ないですよね(笑)
あと、俺の話しを聞けとか。

どちらでもない、一種の緩衝地帯とかいいなあと思うわけです。
相田みつをじゃないですが、どちらかが固いなら他方は柔らかければ割れないと。
言い得て妙で、いいですよね。

そのレンジというか、ギチギチからゆるゆるまでのこのポジショニング、
プロジェクト配置を適切に設定すればかなりノンストレスでいけるなあと感じています。
当然そういう話し相手だとか、時間を取れるとか、仕組みが必須です。
仕組みはどんな人とも交換できない自分価値が最大のものなので、
そこに惜しまないことがコツだなと思いますね。
 

独り言は続くのだ。

たんたんとやるべきとはいわないが、淡々とやっていったほうがいい。
理由は簡単で、そもそも何か派手にしたり、誇張する必要がないからだ。

それを着飾っていなくていいという人もいれば、もっと賑やかしたほうがいいという人もいる。
どーすりゃいいの(笑)

というわけで、決めるのは自分の心。

結局、学生卒業後、それなりに会社員して独立やってみて、今に至る。
そういう中で見えてきたものは相当数ある。

何度もチャレンジして諦めない。これが自分だ。

いけよいけよ、行けば分かるさ。 

真面目にやろう。

真面目すぎるならおちゃらけを。おちゃらけるなら真面目に。
みたいなバランス感覚で生きているわけですが、一方でこれらをやろうとするとき、稀にですが、
どっちなんだよ!という感じで構える人もいます。

まあ分からないでもないんですが、そんな一方的とか偏ったものってあまりないわけでして。
そこらへんを楽しんでいきたいと、私は思うわけです(笑)

さて、少し京都にいってきて、そこで思ったことは別ブログにかいたので書かないととして(笑)、
やはりこのバランスと同様で、社会性と事業性の両立ってわりと出来るんですが、まあ難しそうだと。
要は人のためにやるのはいいんですが、人のためにやって売上立たないっすとか、ではやっぱダメだと。その間を普通にさらっとやる。それがかっこいいわけですが、これ死ぬほど難しい。みたいなことを思いつつ、やらないと何でも出来ないというところがあります。あー(笑)

アクションとしては、100分の1サイズ、つまり1%で回すとかやってみる。ここにきてまさか1%ルールみたいなのが出てくるとは思いませんでしたが、1%ってわりと小さいんですが、それで十分ですね。まずは。時間も、記事も、お金も、動く量もなんでもいいんですが、そういうのでやってみて試せばいいと。そんな気分というか、まあその通りだなあと。

今年も終わりですけど、のんびり振り返っていきましょう。2014年は一瞬でしたねー。
みなさんも良いお年をー。
 

活字、メンテ、時間のゆとり、焦らない。

まあタイトルのまんまです。

要は、読書とか活字とかってわりと時間が必要で、あくせくしている人ってそういうものをなかなか取り入れられないかも。これって仕事で資料で必要で読む読書とは別としときます。小説をカフェで読み浸る、みたいなあの感じです。いい時間。

これらは結局小説とはいえ、自分の頭を使うわけで。想像力をたくましくして、その世界を見るわけですね。それって自分のセルフメンテナンス。自分と哲学的に向き合うわけではないけれど、自分と対話している感じがあります。そうそう、こういうのいいよねとか。あれやってなかったことを思い出した。要は時間をたっぷりつかって、良い出汁を取るみたいな感じなんですけど、伝わるかしらん。

時間のゆとりとは、結局時間をセルフメンテナンスとか色々と使うと溢れ出てくる、これは暇というよりも、余裕時間といったほうがいいです。これも大事。これは睡眠とか、のんびりするとか、そういう類の時間も当然です。

ここから、食べ物を作る(要は自分で料理するってことです。どんな手間でもいいから、やってみるとやはりそれは料理でいいと思っていて、それが大事ですね)。何かを直す。掃除をする。時間が最も大事な資源だとすると、それを使って作る、直す、キレイにするなどが出来る。もちろん働いてお金の獲得も大事ですが、お金の獲得のために生きているっていうのはやっぱつまんないというか、違うと。少なくとも楽しいことや、知らないことや、面白いことがあってこその人生であって、ただパンのために生きるにあらずですな。

焦らないとは、自分の考えとかを言い出すとそれが間違っているとか、適応しない部分も出てきます。もちろん一致しないとか適応できないのがあるからこそ、楽しいわけで。そんな時は、焦らずになるようになるというか、自分のやり方でのんびりと時間がかかるがそれでやってみよう。という構えが大事かなと思います。焦るとは、何かしらの比較を誰かとしたりしている状態で、競争としてはOKですが、それで自分の内なる声とかを制御されたらたまらないわけで。そこは自分治外法権を適用すべしと(笑)


環境を変えていく。

環境を変えていく。物理的な意味でも、精神的な意味でも。
とくに一方だけでは負担がかかることもあるが、同時にやるとさらに負担がかかることもあると。

ノリや勢いも大事。
でも、まあ色々と考えていくと、自分の内なる心に従ったほうが
何でも楽しい感じがする。自分大事にどうぞ。

少しずつ変えていく環境がどうなるかは分からないが、
意志として面白さを求めるならばどんどんと面白くなっていくはずではあると。

 

変わる時。

人はシンプルに自分を貫くことが難しい。
そうでもないか、そうでもあるか。

分からないがそういう時がある。そういう時って、変わる時のこと。

自分がどう思うかを客観的に判断するのもそうだし、定期的に見直すのも良い。
色々やれば見えてくるさーの精神で。

で、今日のメモとしては、
 トータルで出来るみたいな総合力で勝つ。ってそれ組織でなくて個人のトータル力なんだけど。
まあ、でもこだわって色々形に出来るってことは後々役立つはず。

あまり目先のことは考えずにやっていくのが後々面白くなるはずだと、
言い聞かせてふんばっていこう!これが最近の方針です。突き抜けてスカッとしてる! 

ステージ感とか。

色々な整理が始まった。とはいえ、別にそれだからなにかってことはない。

しかしながら一つ言えることは、
・自分の特性ややっていったら合うだろう、向いているみたいな仕事が見えてきた
・それは当然色々とやってきたからこその成果だ。やらないなら見えない。ってことはやってない人は一生みえないということでもあります(笑)
・ここでいう整理とは、いわゆる踏みとどまるとかでなくて、一旦棚卸ししてこういうことをしたらどうか。前は出来なかったかもしれないけど、こういうことはできないかなど。つまりぐっと膝を曲げて飛ぶ・・・飛ぶには屈するわけで、屈伸とは、曲がるから伸びるわけで、飛べるわけでってこと。その飛ぶための整理。整理とは屈むことに他なりませんがな。

みたいなことを感じている。

ここで飛ぶと何が起きるかは知らないが、 いつもそうだったし、今もそうだけど。

とてもワクワクするとか、とてもオモシロそうみたいなことを常にやっていくにはそういう生き方だし、こういう生き方で僕はやっていくんだという、再確認でもありますね。

 

常に面白いかどうかを問う

迷うことがあったら原点に戻ってみる。
それ面白いの?なんでやってるの?やりたいからでしょうと。

イヤイヤなことをやるならイヤイヤ分お金くれよみたいなことでw
同時に、嫌なことをしないからこそ自由にやるってことですな。

経営者としての判断いいじゃない。事業を作るの楽しいじゃない。
色々やって人生大いに楽しい感じになってきていいじゃない。

そんな感じですな。 

物事をうまい具合に編集して形にする

ポツポツとですが、今まで違う形でアイデアを形にする、経験値でカバーリングしているような気がしないでもないが、それらができつつあると。

4年前とかなら、絶対に簡単でないというか、できなかったことも今なら出来る。
もちろん、4年前出来なかったことを今やりたいかということもあるけど(笑)それはおいておいて、
アイデアを形にするということをこだわってやってきてよかったなあと思う。

振り返れば色々な人に、それは儲からないとか、無謀だとか、そういうのはボランティアだとか、
言いたい放題言われてきた、いや逆にいえば、こちらは言いたい放題貫いてきたわけなんだけど、
だからこそ、そこでもみ合ってこその今となったのだと言えるはず。

自分にとって大事なことはほとんど変わってなく、そういうアイデアを形にする楽しさを
さらに磨いていって、今に至る。まさに泥団子がピカピカになるみたいな感じ。

そのイメージがどんどん と明確に、かつクリアになっていくこと。
素晴らしいじゃなあないか、素敵じゃないかと。確実に踏み固めながら、
さあ、今年も踏ん張っていきますかと。もう半年経ってるけどね。
 

わりとできる

楽しいことも、辛いことも?悲しいことも色々とあった。それは1日でなく、人生においてだ。

それらを統合し、そして何をしていくべきかを考えていくと、
明確に残った、それは何かしら濾過的な何かといったほうがいいが、
それが何かしらのシゴトを作るということであり、何かしらの事業をするということであり、
何かしらの課題を解決することことであり、世の中に何かしら関わるということであり、
何かしらの自由さをコントロールすることである。みたいなことに到達した。

自分に対する自信というものが大事だ。
とはいえ、自信が常にあるということはない。しかしながら、
何かやっていけば「自分でも出来るんだ」という自信が出来たりする。
その時がチャンスでもある。どんどんやろう。きっと出来るさ。

 

やることをやるということ。

久しぶりに書いているが、ダラダラ書いていこうと思う。こういうの大事。

まず、割り算できる人、割り算しようとする人、割り算しない人の話。
これは、調査とかで、データ的な話とかで概要や理解をしようとしたりするときに、
全体で300万あって、うち3000個が使われている。一人当たりは・・・というとき、
簡単で300万を3000個で割ればいい。でも、こういうのやらない人が結構多い。

割り算する癖というか、「で、あるならいくらだろうか」とかんがえること。
Excelでも電卓でもいいから、暗算すぐできるならすればいいけど、
問題は正確さとかよりも、この割り算をすることだと思う。

割り算をする人はつかもうとするから、多分「なるほど、この感覚で一人あたり使われるのだなあ」ということが
理解できる。しないと分からないし、関係ないと思ってしまう。

仕事を作るとか、そういうことを言ってるので作りたい人も見つけやすいし、いる。
その場合に「仕事を作りたい」という人が「割り算をしない」人であれば、
楽して自分は汗をかかずに何かを得ようとする人ということがバレバレだ。一概にそうでもないけれどね。

ただ、その場合は、多くは「自分だけが得をすればいい」という打算的な考え方も多い。
そういう人はまず仕事を作れないからとりあえず、仕事を作る前の考え方からみたいになって、
妙な哲学や塾をやることになりそうだ。まあ、それはどちらでもいい。

割り算をするだけなんだけど、割り算ができないのではないがしない。
学習や勉強ってのはすごいことなんだろうと思っていて、自分も今はそれが普通になってしまったが、
つい最近の印象でしかない。1ヶ月前はそんなに割ってなかったし、割る機会とかなんだろうけど、
やっぱ環境でしかないなあと思う。

そういう状況があるならば、そういう状況にカスタマイズされて、学習するというか。
自分のホメオスタシスを信じることなんでしょうね。無理は体に出るから分かると。


あとは、相変わらず仕組み。
仕組みについては、徹底的に考えていて、大体今の動き方は以下のような感じ。
・何かアイデアを思いつく
・面白そうであれば限りなく早く実行する
・やったら、フィードバック、振り返りをする
・けれど、最低2回、大体3回程度はやらないと「つかめない」のでそうする
・振り返る。考える。いけそうならやる。全然ダメならやめる
・ポイントは、この損切りラインで、何を狙っているかになる。売上とかの数値なのか、情報なら情報数とか、アイデアならアイデアの数とか数値化できるならそれを指標に。定性的なものなら、面白いからとかでも全然OK。その初期設定が変わるのもいいけど、それは一定のチャンクというかフェーズ、単位によるので、最初は初期設定と照らし合わせるくらいで。
・自分だけではない巻き込み系の仕組みなら、わりとちゃんと考える。で、それで仕組みがうまく回ってない感じなら色々いじってみる。いじるとは、自分の動き方を変えたりとか、なんかパラメタをいじる感じで。
・うまく回ってきたら、適度に振り返っていく。初期の振り返りの感覚と、回ってきたらやる振り返りは質が異なる。それは単に視点や見方やそのアイデアの質が異なるから。何事も成長している。
・やることをメモしてやる。アイデアにさらにアイデアを付加する

みたいなことをやってます。
これでいくと、仕組みが出来てないなら出来ないし、つくろうとしないと出来ないので、仕組み大事です。
馬鹿にしている人は大体仕組みの構造や作り方やその価値を知らないので、まあそっから説明ですね。

世の中は面白がったほうが楽しいってことで。


 

勉強の仕方

昔というほどでもないが、夏頃に聞いた話をメモ。
とはいえそれらはメモであり私の考えではないと思いつつも、消化して
取り込んでみよう。

まずそもそもの話として、夢とか目標がないとわりと毎日はダラダラになっていくし、それが面白いの?というと多分それほどおもしろくない。夢がではなく、何もない毎日がだ。

でも、人は何もない毎日や日常、普通であることに、幸せを感じたりすることもあり、これまたむずい。しかし、普通に考えてやる気があったり、毎日が楽しいとは結局自分が誰かから認められたり、社会に存在を見出す、一人ではない、何かしら関わりがあることに重きがあるのではないかと。もちろん職人的自分のスキルを示すとか、裏方でひっそり生きるとか色々あるんだけれど。

では、自分にとってのプラチナチケット、つまり唯一無二の価値などは何か。それはもう言うまでもないが、仕事づくりとなった。なったというのは、なってしまったでもいいし、それが一番面白いというところだ。自分にとって加工しやいし、話としても取り込みやすい。なんていうかプロトコルに近いというか・・・。つまり変換アダプターでもあり、共通で取り込みやすいモジュールでありといったところで、そうだなあ便利な掃除機のフィルターみたいな互換性結構あるやつみたいな感じというところ。

またそれはプランナーでもあり、企画を作るということもそうだが、それは広義では仕事づくりに入るので、ここではスルーできる。価値あることは仕事づくりであり、そのためならわりと色々我慢もできたり、色々楽しみをほかっておいてもいいというか。うーん、やっぱり好きだな!っていう感じ。例えばそれにおいて仕込みがあって多少辛くても耐えられるということ。

次に3つある。1つは戦略であり、1つは方法論であり、最後はメンタル。どれも必須なのだということだ。そして、戦略って何か。ラクスル発想、楽するだ、人がやったことを学べば次は楽。車輪の再発明は大いにせずにするなら、そこからさっさと次にいくと。仕事づくりにおける戦略とは、わりと簡単に決まっていて、人とあうこと、たくさんの仕事をつくること、人にそれらを提供することなど。そして作ったらそれを仕組み化すること。簡単でしょうというか、それをやりたいかどうかが大事か。

方法論は戦術といってもいいと思う。つまり、仕事づくりといっても、何ができそうか、明日またはじゃあ今から何かやることが・・・となったら手が止まるようではアウト。戦術レベルに落としこむ必要がある。方法とはたくさんあるわけなので。

最後のメンタルは昔はそれほどだと思うが、試合や勝負、色々な仕事を通してわりと失敗ベースで考えても、形をじわじわやってけば多分わりとできるよね的なことが見えてきたので、メンタルもOKだと。

つまり、落とし込みとして、戦略は当然立てるし、プラチナチケット的なものもセットされている。方法論はわりと論じるほどではないが、戦術レベルで落とし込みも可能。でメンタルもOKってことで、わりと形はできているので、というか、これは学習法とか、勉強の話というところと、人生論と全く変わらないのがポイントじゃあないかと。ツァイガルニック効果でもかまして、さあ勉強しようとw 

つまり、成功するってそういうことだ。

時差ではないかもしれないが多分こうだろうということがある。

以前ロジとして書いたのものそうだが、
つまり、ある程度成功するみたいな感じって、
一つのことをやるときに複数のアイデアが湧き出てくること。
それに尽きる。多分一個やって一個終わりっすみたいなことではなくて。

最前線で闘う時に常に補充がされていたら。
そう、米兵パイロットは休暇があったのだという第二次世界大戦での話があるなら、
もうそりゃそんな相手に特攻しても意味は無いわけで。

補給や裏方。食料や流通。パイプラインやストック。
見えないところでどうではない。確実にそれをやり続ける継続性。
ここらが抑えられてないとやっぱ長続きしない。逆にいえば長く続いているのは、
それを認めるかどうかはおいておいて、やはりそういう理由がある。

人がいるとか、知恵者がいる、または慕われるなど。
そういうところを見ずに(というか見えないんだろうけど)、何か飛びついて成功だでは、
足元救われてあぼーんってことで。
 

ロジ、路地でなくて、そのロジを整えていつでも出撃できる、かつ仕組み。

的なそれがあればいいと。

要するに現地調達で食料調達計画がないとかダメなわけで。
例えばこれがミスったとしても、これがあるし、それで対応できると。
そういうのがロジではないかと。

それは失敗に対するケアであり、または失敗してもフォローできるという仕組みであり、
例えば枯渇せずに何度もチャレンジできるという仕組み。

仕組みというと良くわからないが、ロジを継続していって、
何度もコップの水は満タンになる。もちろん無尽蔵ではないかもしれないが、
じゃあ無尽蔵に近いような仕組みは出来ないか。

例えば人ならちゃんと寝るとか、食べるとか、健康的に動くとか。
そういうこと。それがきちっとできていたら当たり前だが、継続的に動けることになるし、
実際に動ける。それを戦術としてではなく、戦略の一部として捉え、
補充や裏方やバックヤードを疎かにしない。前っつらだけ良ければイイとか思うかもしれないが、
じゃあ後ろっつらがダメなら、やはり前もダメになってくるわけで。

これがどうもやっとしっくり来るようになった。
ので、出来ないとかでなくて、どうすると継続して戦えるか。
またはロジを整えたら、ある程度相手のリソース切れをまてるか。

何でも将棋なんてものを始めたからかもしれない。ロジは大事。
ロジとは、持ち駒が豊富にあればあるほどいいし、かつ打ち手がたくさんあったほうがいい。
これも選択肢が多いほうがいいという考えにあうのだが、人によっては迷うこともある。
選択肢が多いから迷うのは少し意味が違っていて、
じゃあ選択肢が一個とか少ないから迷わないから、良いかというと・・・。

実はそのアクテをやってはいけないかもしれないのに、やっているかもしれないわけで。
悪手はあくて。だからやっぱり選択肢の数とそれは別だと思う。

なので、そうやってロジを大事にしつつ、仕組みを作って裏方回して、
枯れないスタイルをつくって、前線で闘う。これは結構出来そうな感じはしているのでやる。
 

学び方を変える。

効率的に何かやるとか、その目標達成がどうとか。
難しいのは、じゃあ効率的とか色々考えていって子ども的な人が、
それをできるか。

実際にある年齢で人より秀でてたとして、
その人は社会認識はスーパー甘くなることもある。
が、しかし、少年?の才能を詰むこともまたおかしいというか、どうなんだろうと。

難しいがどちらも理があることもある。まあ全くナンセンスなこともありつつ。

親になるからには、その子どもにこうなってほしいという思いは大事だ。
でも、同時に一方でその子が自我をもてばやりたいようにやるが一番だろう。

幸せはどこかでmakeするのではなく、やはりよーくlookすることで、
そこからfeelするみたいな感じが近い。幸せでなくてもコツとか何かって大体そういう学習なんだろうと。
いやはや、世の中は学ぶことだらけだ。
 

言わなくても出来るか。

例えば、自分がやっていることが言われたからやってるんですよーって。
そういう主体性がないもので全て構成されていた世界があるなら、
それはそれでいいのかもしれないが(そこには主体性というのがまず理解しづらいし、
そもそもそれがマストかどうかもわからないんですけど)、
ただ、やっぱり主体で、こう決めてやったらこうなったってことが実感として
分からないことの連続・・・になってしまうんじゃないかと。

それが言わなくてもやるとか、出来るみたいなことで。
言わないけど読んで先読みしてやるとかってわりとスキルとして、
シミュレーション、仮説、様々ありそうだと。そういうのが好きという感じではないけど、
とはいえ、やはり面白い分野だと常に感じる。

ので、言われなくても自分がやってしまうところはどこか。
それが肝になるし、原動力だし、継続になるポイントっぽい。 

丁寧にやること。一手間入れること。

最近意識しているのは、丁寧にやることだ。
あーここで面倒だと思って適当にしないこと。きっちりというよりも、一手間入れるとそれ以上によくなることが多い。1の手間が、3の評価みたいなイメージ。分かる人には分かるかもしれないが、手間だと思っている人にはそれは要らない手間だと思うらしい。

丁寧にやることで、評価が高くなるならその時間投資、手間投資は価値がある。
逆に最後の仕上げをしっかりしないことで、乱雑になることもある。

やり切ることが出来ない人も多いが、やるきる自信は結構あることに気づけたので、多分一手間を入れていけるか、確実に形にしていく時に、丁寧にやれるかってところなんじゃないかと思ったり。


字でいうと、うまい字ではなくて丁寧な字かどうか。それは分かる。
仕事もそうで、すごいレベルの高い質の高い仕事ではなく、丁寧な仕事か。
もちろんうまい=丁寧=質の高いみたいな人もいるが、実際は丁寧さと旨さは別物だと思う。
しかし、多くはうまい人は丁寧だし、丁寧な人はうまい。

お金の扱い方も丁寧な人はやはり稼げると思う。稼ぐ人は丁寧だ。
一時的にお金が入った人は乱暴にお金を扱うかもしれない。だからやはり稼げない。

ここらへんは結構分かってきた。あとは一手間を丁寧にやっていって、
形になるところを目指すだけですな。
 

出来ると信じ切るか。

出来ると信じれるかどうか。そこらへんが結局生命線か、または器量か。
そんなことを思った。

そして、出来るからやるのか、出来そうだからやるのか。
一見できなさそうだけどやると出来るってことになるからやるのか。
そんなことを思ったり。微妙に違うので。

何かを成し遂げるというのも大げさなもの。実はわりとそんなの驚くべきことではないっすよってことが
実は価値になることが多いというか、それが才能ってやつかなと。 

アベレージを意識する。いわゆる大器晩成なそれ。

梅原氏の勝ち続ける意志力は面白い。ぜひ気になる人は読んでみたらということで。

さて、勝ち続けることはないにしても、アベレージで勝っていくプロ、または人がいるし、
そうではないと野球のバッターボックスにも立てない。打てる時もあるが打てない時もある、
その都度0か1だが、10回立ったり、一シーズン経ってどうか。3割打てるとか打てないとか。

まあ、色々あるが、そのパフォーマンス結果、アベレージ平均ヒット率的な、率。
それを意識すると当然「次は打とう」「打てない時もある」が、言い訳ではなく、
分析や解析、原因追求となっていきやすいか。もちろん人によっては「次打てばいいんでしょ」的なことにもなる。

また短期と長期それぞれにあるのは、今できなきゃ意味ないってことと、今やれても「例えば打ち続けることはできない」ことが見えるかどうか的な話もあって。フリーターって言葉が流行った時も同じ感じだったかもしれないし、そんなの真剣にやるやつはいないって。みたいな。

当然時代が変わる。ここ30年で会社員ほどワーディングとして、言葉の意味合いが揺れたものはないとは思う。というか、未だにぶれぶれの言葉だ。そしてこの言葉にサラリーマンであるとか、会社で勤めるなどの意味合い。それらの考察もどっぷり出てくるようになるのは、また10年はかかるかもしれない。なんでそれで食べるか、なんで稼ぐか、仕事するか。考察が増えるなら、それらに関連するワードが増加するし、それらを実際に色々な人から聞くようにはなりそうだ。まあ、そういうのが面白いんだけど。

30という年齢になってもうすぐ、2年になる。そう32だ。
この年齢になって落ち着きが出るとかっていうとそういうことはないが、とはいえ、若い感じでわー勢いだみたいなテイはやはりなくなってくる。若い人はやっぱりそうなんだーッて思うかもしれないが、実際に30代は若い。むしろこれからっすよねみたいな感じはある。言い訳かもしれない(笑)

同時に、だからこそ、ここはこういうのが良さそうだと今までできなかったところであきらめるなら、違う方法を考えてとかそういう事ができるようになった。仮にそれが出来なくても出来ないことが分かるし、あと出来る人がいたらその人にとかも「判断」がその状況をみて出来るようになったのは大きい。というか、これはすごいことだと思うが、体感しないとなかなか。

多くの敗因とか、ダメな理由は、若さってことでいえば、「自分が悪いと思ってるし当然そうだから、謝ったほうがいい」時に謝れない。そういう自律の甘さはある。年齢が20代とかで若いのに自律の心がある人は相当伸びるだろう。その人がほかっておいても、他の人が見逃さないからね。

というわけで、ベタになるが、こうなる。
長期視点でみつつ、負ける時もある勝つ時もね、ただ、短期ばかりみずに、長期に逃げない。
同じことを10年前もいってたかもしれないが、意味は違ってる。これが成長するってことじゃないかなと。
 

行くべきところに行く

思考を整理するみたいな時間をわりと取ると。
そして生まれるものが何かを考える。
トピックか何かだけとりあえず流しておこう。

まず企画においてある程度形成というかこう形になったらいいなというのがある。
が、実はそれをどういっても伝わりづらいこともあるし、伝わっても遅いというのがあるので、
わりと調整するが、ちゃんとやってねみたいなのが前提。マッチョではない。

仕事の価値観、仕事観、シゴト観。当然それらが形成されるか、形成されたそれによって人生が割と決まる。
というと結構極論だけど、どうだろう、人によっては仕事なんてどうでもいい人だっていると思う。
でも、他に社会にいる人と多く関わって何か出来ること、知らないというかないんじゃないかっていうのが結論。
アートでも、それは仕事的にやったほうがいいという感じはある。誤解はありそうだが。

「働きマン」の主人公松岡が言う「仕事したっていって死ぬ」みたいなバリバリな感じは嫌いではない。どうせやるならやったほうがいい。という感覚があるし、まだまだ全然やれまっせというのがあるし、まだまだ本気出してないぜ、でもいつ出すのーみたいなところがある。本気を出した、出しきったみたいなことをやらないと屈伸としての、バネがいつまでも作動しない感じがある。

世の中には情報が溢れている。例えば個人発信ツールの定番となったブログも誰もがやっていて、その信憑性というか信頼性なんて個人で担保するしかない。それって本当に個人が発信しているんだけど、なんかバラ色の世界でもなさそう。

仕事作りみたいなものをトライしていく、伊藤さんのナリワイづくりが現状僕には一番しっくり来る。それがわりとお金になっても、全然ダメでもそのトライが自分の糧になる感じがするし面白い。もちろんそれをブラック的搾取だということも可能。ここも誤解がある。というか多くの人はわかりづらくて誤解をしているだけだろうというのもあるが、それを優位に捉えることもないわけで。信じてくれみたいなことになっちゃう。または皆一回死ねばいいのにみたいな。

なんだかんだいって、僕らなのか、僕なのか、働き方、生き方だとかいって色々と話しすぎたような気がする。話し過ぎたというと偉そうなポジションなのだけど、えらくはない。ただ、もっと実践しないとバランスが悪い。座学しすぎて理屈でハンドルの握り方だけ知っているみたいな・・・。理屈で説明する意味合いはほとんどない、運転できればいいわけで。語りすぎ、話しすぎ何でもいいけど、色々口ばっかなんじゃないかという少しだけ否定していく感じがある。実際に形にしたり仕事を作れなかったら意味がないとすら思ってる。

コミュニティみたいなのを意識していた。ただ、コミュニティも消費される面もある良くも悪くも。個人的には、活用してくれる人は好きだが、集まったら集まったで何かしなくちゃみたいなのがある。当然そういうプレッシャーみたいなものは全くない。

コミュニティ生成1年で、2年目にトライ。ただ、個人リソースの限界とは、つまり色々やって色々コラボしてみたいなのは、実際にそういうコラボしてるようにみえるかもしれないが、ちょっと控える。またはやり方を変えていく。

個人的な成功、または個人的にうまくいったことはある。また失敗したということもある。ぼくらのシゴトだけではなく、色々とシゴトにおいてもシゴトづくりにおいても。トライした結果というのだから勲章でもいいだろう。ただ、やはり逃げられないのは、社会という大きなというより、もごもごと口の中にいる、なんか気になるという連中だ。連中ってのは別に特定の人を指すわけではない。社会はitなのかsheなのか分からないけど。

仕方がない話だが、僕は一人だ。一人というのはどうあがいても、誰かにはなれないし(変身願望では答えとならない)、そして誰か分身を作るのもどうも気持ち悪い(というか無理だけど)。そして、組織化して事業化してみたいなのは普通に選択肢があるが、そういう話ではない。端的にいって、個人で何かをスタートする時に、必ず一人である程度やるみたいなことがないと(たまに誰かと専門的なことを分担するからいいというのもあるが、それってやはり相当の気合(笑)が必須なので、ほぼ一緒なリソースを使うんじゃないかって)ダメなんだろうと。

結論的には、リソースを個人は限られる。それを痛感する2年であったといっていい。物事は良かったといっても、ボリューム感は低い。また悪いと言っても大した失敗でもない。ならば限られたリソースでどこまでやれるか、または何をできたら満足できるかに、そういった欲望?理想?イメージを絞り込んでいく必要があると思った。端的にいえば、やること整理してそれに特化する。それを選択と集中という言葉で表現したい。

まず選択とは、数ある実施していることなどでそれらを一つにまとめなくてもいいから、減らすこと。例えば企画イベントみたいなことは気づいたらめちゃくちゃやってた。どうりで何か時間がないわけだ。時間がないというよりも、それらを継続しなきゃという意識よりも、それをうまく個人リソースシステムに入れてたから気付きにくかった。それらの整理。

次に集中とは、一体自分は何がしたいんだということに向き合うこと。これは格好良さそうだが、わりとストイックで、ストイック嫌いな人にはなかなか一緒に食べると消化不良になりそう。好きな人はいいけど。

結果としては、ナリワイ的に、つまりシゴト自体をどんどん作り、それをスモールビジネスレベル(例えば自分が食える定義は数字でも明確。それに見合うようなものをやるが、人を雇っても数人、または外注でアウトソース)に仕上げる。夢はでっかくもいいのだけど、現実的に言えばおそらくこのスモールビジネスでしっかりと回していくことに集中すると割といい方向にいきそうだという感触。

当然スモールであれ、ビジネスなので全くリスクがないわけではない。しかしリスクを下げ、個人でもやれることをやれば十分に行けるという感覚がある。この感覚のために、2年くらいあーでもないこーでもないということをやってきたといってもいい。というか、そうやって言い切らないとなんともやりきれない話でもある。正直。

ここで外したのは、結構、理想主義的に「社会を面白くする」という言葉が好きだし、また社会って色々な人がいていいなというのがあるし、そういう人に出会いたい。残念ながらなのか不明だが、実質、どんなフリーになろうが、仕事を「自分の生態系システム」で完結できない以上(実際はできない)、人に関わる、提供する原理があるので、当然お金をもらう仕組みだから、結果的に社会を外だと認識しても、その外と関わる必要がある。いや逆だ。もっと社会を知らなくちゃいけなくなる。

矛盾するこの自由になろうとするとより、社会を知ろうとしなきゃいけない。つまり、社会は波であり、その状態を知らないと漁師も魚を釣れない。そんな関係。ただ、集合体となると人は変わってくる。組織や集団の概念、または企業の概念は面白いけれど、色々なやり方によっては全くナンセンスなことにもなりかねない。

社会を知りたいし、より知ることもいい。個別の課題でもいいし、足を突っ込んだら見えてくる何かポイントでもいい。例えば商店街の活性化なんて出来ないというのは(成功例はなくはないが)、そもそもイオンが便利だから商店街の人も行くわけで、そして活性化したい人が外野である。または外野ではなく商店街主=個人、でリソースが限られる。もちろん、するなということではなく、なぜできないかということのある種の答えだ。それをある程度しった上でやるならいいのではないかと思う。

例えばそんなことをやろうとして「あれ?うまくいかないな」となる時、どうするか。わりと参考になるテストワードというか、自分を試す言葉がある。それは「それ大したことないね」っていわれたらムカッといらつく、舐められたとか思われるか。例えば、アイデアに関して「大したことないですね。そんなの僕でも知ってますよ」でもいい。そうなると相当負けたくない。逆に「釣りやるんですよ、すごいでしょ」って自慢されても「へー」だ。何も起きない。

そのイライラとする、負けたくねーな、というのは、アイデアでもあるし、アイデアの実現性でもあるし、どこまで形にできたかにコダワリたいので(お金よりアイデア、例えばお金が実質ないわけであるのでそもそもこう考えないとやってられないのもあるが)、そして、やはり生み出すこと、「結構考えれば何でもできるよねー」みたいな考えが好き、比較的器用=marcoな人間という話でまとめてる、ブリコラージュ色々とやる人、青魔道士的にラーニング(魔法剣士よりいいかも)、というところで抜きん出て生きていきたい。ということになる。そして、ビジネスとは分かりやすく色々なアイデアを形にしてお金が回る仕組みを作るということで、そこでやはり仕掛けると。

そして僕が今やりたいことは明確で、スモールビジネス的なものとしてある程度見せられる形になったらこうしたらナリワイできるかもねーくらいのことは話をしていきたい。当然それを目指す人もいいし、やっぱり勤めるほうが無難という横目でもいいと思う。

人生を思い切り楽しむでもいい。人生を自分の思ったように生きるでもなんでもいい。起業とか、自分でやるとかいった瞬間に、どんな小さなレベルでも、バイトでもなんでもいいから生き抜いてそして最後に一泡吹かせてみせるみたいなことをわりと真剣に考えた。今でもどうにもならない時にどうするかリストみたいなことを作ったエクセルリストが懐かしい。けど、全くそれが消えたわけでもない。今でもある。俺はそんなのやだというのも分かる。理屈としては優秀な人はバイトまたは人からより必要とされる仕事に移っていくというのがある。当然そういうことを考える。

自分が思うようにやってみろと言われて生きてきた。それがある程度の放任なのか、任せてくれたのか。親には感謝している。もしかして僕の思考は全く社会的に適合しないかもしれないし、または全く歯が立たないかもしれないし、勝負のフィールドに乗って行かないかもしれない。ただ、まだまだやり切った感はほとんどない。いよいよ準備は整った、これから出港だという感じだ。


行くべきところに行こう。
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